東金線から京葉線へミニ乗り鉄をする

 青春18切符シリーズの第二弾として、千葉にあるJR路線東金線にした。外房線大網駅から総武線成東駅間にある13.8km、3駅の極短い路線。大網駅、東金駅間は2,3度乗ったと思うが、全線乗り切った記憶はない。ターミナル駅千葉駅へは、埼京線から武蔵野線、そして総武線を乗り継ぐことにする。東金線の後は大網駅から蘇我駅へ出て、京葉線にしようと思う。いずれもミニ乗り鉄オンパレードである。

 総武線で成東へ 武蔵浦和駅で、埼京線から武蔵野線に乗り換えた。そして、西船橋駅に降り総武線で千葉駅に着いた。外房線も総武線も走り、どちらにしようかと少し迷ったが、最後は京葉線なら総武線で成東へ、である。千葉駅から佐倉駅迄は、先日乗ったばかり。佐倉駅で停車時間があり、あのミスターの出身地で、母校佐倉一高がある筈だと窓の外へ目をやった。当駅から総武線は右折し、八街駅で交換があり長い停車。日本一の落花生の郷とある。私のビールの友であるが千葉産は高価。

 里歩きコース“伊藤左千夫のみち” 成東駅に到着。乗り換えのため下車したが、列車遅延のため時間がない。それでも駅前へ出て久しぶりの成東を眺める。私が好んで歩いた関東ふれあいの道千葉県コースがあり、“伊藤左千夫のみち”では、東金出身のSさんと当駅で待ち合わせたら、お母上もご一緒で(09.4.5)、3人で歩き通した思い出の地である。駅舎が新築されていた(写真上)。カメラに収め、帰宅後成東出身のTさんとSさんに送付した。二人は成東高の同窓生。

 東金駅 東金線に乗り発車(写真中)。車窓から見える空には夏雲が浮かぶ。その下水田が広がって、こころなしか黄色を帯びているようにも見える(写真下)。そんなに季節が進行しているのか。伊藤左千夫の生家はこの奥だったと思う。求名駅を通過。そして、次が東金駅で、この駅には少し縁がある。OB会メンバーのOさんは東金にお住まいで、私の読者でもある。若い頃2度ご実家にお世話になり、九十九里浜で海水浴をしたこともあった。あれから約半世紀経っている。
 東金駅に近付き、Sさんご実家の立派な店舗が見えるかなと目を凝らしたが、分からず終い。15年前駅傍と教えて頂いたと思う。
 列車は大網から千葉行きで、私は、蘇我駅で、折よく京葉線に乗り換える。これまでも内房線や外房線の復路では、京葉線が多い。乗り切って東京駅に降り、三田線日比谷駅へ歩く。間違えたかなと思ったが、地下通路は日比谷駅へ繋がっていた。(2023/8/22 K.K.1520)

◇日時 2023/08/06 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符 ◇歩行距離等 6,000歩 4Km 
「通過時間等」自宅8:20-JR板橋駅8:56-同武蔵浦和駅9:23-同西船橋駅10:22-同千葉駅10:46-同成東駅11:48-同蘇我駅12:25-三田線日比谷駅13:34-自宅14:05

私が登った百の名山&低山=北海道編=「長丁場、岩場と厳しかった最果ての名峰羅臼岳」

 岩尾別口から登山開始 北の名峰羅臼岳は遠かった。俄登山家を簡単には寄せ付けなかった。夏休みに知床の羅臼岳を目指した。岩尾別口から入山し、大沢下まではまずまずに歩いた。
 深い原生林の中の山道を、鈴を鳴らしながら一人前進を続ける。オホーツク展望台を過ぎると羆出没地帯に入り、鈴の音を大きくした。蝦夷鹿二頭に出会う。近づいても逃げず、携帯を向けた。弥三吉水では休憩し、水を補給する。間もなく極楽平を通過。右手先に羅臼岳が姿を現した。仙人坂付近の林が切れた地で、振り返ると知床半島を覆う緑の樹海の先にオホーツク海が広がった。銀冷水でも休憩。青年二人組が追い付いて来た。この辺りまでは急坂はなく、コースタイムの範囲内で歩き、思ったよりは楽に進んだ。

 羽衣峠から羅臼平 羽衣峠を過ぎると大沢であった。前方の岩場に取り付く大勢の男女が見え、彼らが熊避けしてくれたとホットするも束の間、最初の難所。急登の地点とは事前に地図で予想していた。僅かに残る雪渓を見ながら、手も使って一歩、一歩上がる。岩の間には、赤や黄色、そして紫の高山植物が咲いている。チングルマやリンドウの類であろう。長くはない難所を抜けると羅臼平であった。
 這松絨毯の先に羅臼岳の岩峰が聳えている。異様な山姿は岩鎧と資料にはあった。背後には三ノ峰が立っている。三度目の休憩後、いよいよ頂上へ向けるとハイマツのトンネル。何故か頭がフラフラする。出発後3時間経ちそんなに疲れたのかなと思いながら歩を進めるもペースダウン。石清水でまた休憩。岩伝いに清水が落ちている下で、ツアー登山一行が昼食中。

 岩峰に登頂 花畑の先からは頂上下の岩場ゾーンへ突入。ペンキの目印を追って懸命に上がり続ける。可憐に咲く花々が唯一の慰めだ。足を止めては携帯で写す。途中、別のツアー登山者グループが下りて来て、待機。下りが心配になる程の急な岩登りが続く。見上げると最高部には崩れそうな大岩が迫り出している。どうにか登り切って山頂(1,660m)到達。スタートから4時間30分。羅臼平から50分のところ1時間20分も掛かってしまった。頭痛は消えていた。後で高山病を疑った。
 羅臼山頂は狭く、しかも垂直に切り落ち、ペンシルビルの屋上に立っている感じ。知床半島の先端には硫黄岳、左手オホーツク海手前には知床五湖も覗ける。雲から顔を出している右手の山は不明。後ろ手に見えるのは阿寒岳か、もっと奥の大雪山系だろうか。高所恐怖症の小生は、長居はできず、記念写真もそこそこに下山を開始した。

 慎重に下山 岩稜ルートを岩角に手を掛け、尻も使いながらゆっくりと確実に下る。最大難所を脱出して、下り坂に備えザックからストックを出した。腕時計がないことに気付く。戻って探す気力はなく諦めた。石清水で水を飲む。滴も貯まればペットボトルを満たしていて、分けて貰う。羅臼平に戻り一休みして、大沢の岩場を下る。両手も必要なため一度はストックを下へ放った。右足の太股が痙り始めたが、大したことはない。ここで年配者に追い越されるも、ペースを守る。銀冷水、極楽平、弥三吉水と下り続ける。往きは楽に上ったつもりであっが、結構急な下り坂が連なっている。後ろから鈴の音が近付いてきて、先程頂上下で擦れ違った若い女性。水場でも休まず先行した。滑りやすい下り坂にも気を遣いながら、羆危険域を脱し一息入れる。予定より30分程遅い。下山口で北海道音更に住む孫達と待ち合わせている。携帯が通じて遅れると伝えた。最後はヨタヨタと歩いているのは自分でも分かった。結局、目標より50分オーバーで、木下小屋前に下山。ホテル地の涯前で座り込んでいると、K君と孫達が車で到着した。
 羅臼岳は厳しかった。深田百名山ではあるが易しい部類に属し、皇族夫妻も登った山で、難しい山とは考えていなかった。計画では約7時間30分前後とみていたが、実際は8時間30分を要した。それでも、羆にも会わず無事登頂し長丁場を歩き通して、今後高山へも自信が付いたと思う。当日、翌日孫達と温泉や知床の自然を楽しんだ。(07/8/31)

追記 私の夏休みに気軽に出かけ、女満別空港から往復した。岩峰への上下と、長い登山道が大変で、下りは疲れ切ったことを覚えている。その中で、知床半島を覆う緑の樹海の先にオホーツク海が広がる風景が今でも目に浮かぶ。孫達との待ち合わせ時間に遅れたが、孫の一人が途中の昼食場所に帽子を忘れ戻ったため、私より遅かった。今でも知床の話になると帽子の件が出る。私が落とした時計はヒグマが拾い、子熊が遊んでいるだろうか。

JR青梅線、五日市線、八高線を乗り鉄する

 何故か奥多摩駅先の渓谷風景を思い出し、行く先候補に挙げていた。夏が良いだろうと考えていたが、その時期がやって来た。折よく青春18切符利用時期に至り、5回中、トップの行く先とした。更に、帰り掛け拝島駅から五日市線や八高南線(八王子、高麗川間の通称)も利用したい。

 多摩川渓谷を眺める 新宿駅から青梅行き快速に乗ったが直ぐ各駅停車となった。立川から青梅線へ入り、拝島駅を過ぎ青梅駅で、奥多摩行きに乗り換えた。久しぶりの奥多摩で、多分Sさんを案内した時(19.7.21)以来の乗車。途中の駅も御嶽駅以外はうろ覚えであるが、奥多摩駅に着いた。
 駅を出て、昭和橋、氷川小橋、そして奥氷川神社を巡った。私の好きなスポットで、前回と同じコース。多摩川渓谷に架かる橋上から深い渓谷を見下ろす。流れは少なめで、川原では食事を準備する家族連れも見える(写真上)。川遊びであろう。上流では竿を振る釣人もいる。前回とそう変わらない風景。氷川小橋は吊り橋で、往復した(写真中)。奥氷川神社も杉の古木を従え、静かに鎮座していた(写真下)。また孫たちの健康と成長をお願いした。時間があり、町役場先で多摩川支流日原川も覗いた。求めた地酒は澤乃井。沿線の沢井産である。歩きながら、雲取山や大岳山からの下山先が当駅だったと思い出した。

 武蔵五日市駅を往復 青梅線に乗って戻り、拝島駅に着くと五日市線が直ぐあり、乗り換える。こちらの線はいつ乗ったか思い出せない位久しぶり。20年前までは、ホリデー快速で年一は歩きに来ていたと思う。武蔵五日市駅に降り駅前へ出たが、折り返しの電車で拝島駅に戻る。途中多摩川の流れを車窓から眺めた。奥多摩の大分下流だが、この時期流れは少ないようだ。

 八高南線、川越線へ 八高南線下りの川越行きが直ぐ発車と知り、急いで乗り換えた。車窓から米軍基地用住宅を思い出し、東飯能駅、高麗川駅を過ぎて川越線へ入り、この辺りは寡つて私のホームグランド奥武蔵エリアであるが、ご無沙汰である。懐かしい風景を思い出そうとしたがそうはいかない。笠幡から通う旧同僚を思い出した。彼とは会津駒ケ岳等夏山を楽しんだこともあった。川越駅で、埼京線へ最後の乗り換えをして板橋駅へ向かった。(2023/8/13 K.K.1519)

◇日時 2023/07/21 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符 ◇資料 奥多摩観光協会「奥多摩駅周辺ハイキングマップ」 ◇歩行距離等 11,000歩 8km 
「通過時間等」自宅7:45-JR巣鴨駅8:15-同新宿駅8:40-同青梅駅10:14-同奥多摩駅10:50/11:44-同拝島駅12:42-同武蔵五日市駅12:59/13:09-同拝島駅13:31-同川越駅14:25-三田線新板橋駅15:28-自宅15:55

小石川後楽園で蓮の花を観賞する

 ラジオのローカルニュースで、小石川後楽園で蓮の花が見頃と流れた。梅雨の時期で、此のところ雨が続き私の里歩きも儘ならない。蓮の花は好きな花だし、小石川後楽園なら我が家からは地下鉄三田線一本で、近い。雨中の蓮鑑賞も風流かもしれない。本日は曇りだが雨ではなく、その後の寄り道先は車中で考えようと出掛けた。

 小石川後楽園を巡る 三田線水道橋駅に降り、地上へ出た。東京ドームに沿った外堀通り歩道の先の筈。思ったより距離があったが東門が開いていて、入園。シニア料金をPASMOをタッチして支払う。直ぐ先が池で、多くの蓮葉の間に、白い蓮の花が見えている(写真上)。花が小さいようだ。花数が多めの池端へ回りカメラを向けた。先日千葉公園で大賀ハスの花を鑑賞したばかりで、その所為か華やかさが足りないように見える。午前中も早い時間なのに人出がある。高齢者もグループが多い。

 後楽園と水戸黄門 隣が大泉水で、当小石川後楽園の中心をなし、琵琶湖を見立てたという(写真中)。蓬莱島が浮かぶ。1629(寛永6)年水戸藩の中屋敷(後に上屋敷)庭園として頼房が造り、二代光圀が完成させたとある。池沿いに回り、酒亭九八屋から稲田へ。説明によれば、光圀が綱條夫人に農民の苦労を伝えるための田圃という。黄門様の面影が偲ばれる。私は、bs6チャンネルで、“水戸黄門”の再放送を観て、黄門様が悪代官や悪徳商人をやっつけて農民や商人達を護るご老公の漫遊ストーリを目にしている。

 カキツバタ園があったが、空の湿地帯。終わったのであろうか。池を離れ高台の樹林帯へ入り小町塚、八掛堂跡、円月橋を巡る。後楽園は数度訪ねているが、この辺りは初めてと思う。池端へ戻ると、一つ松の右に蓮池があり、こちらはピンクの花(写真下)。狭い池で、花は少なくアングルを探しカメラを向けた。ピンクの花は私にとっては蓮らしい。奥の渡月橋を往復して戻り、池を一周し東門を出た。

 銀座山形プラザへ 我が故郷のアンテナショップ銀座山形プラザへ行くことにする。季節の郷土産品を見たい。日比谷駅から地下道を歩きJR有楽町駅付近で地上へ出て、銀座へ。久振りで何とか店舗前へ着くとジャスト開店時間。広くはない店舗内を眺めたが、期待した山形桃はなく、サクランボは終わったようである。麦切と温海産赤カブ漬を求めた。麦切は庄内のみで造られる夏用麺類である。また三田線日比谷へ歩いた。(2023/8/8 K.K.1518)

◇日時 2023/07/15 ◇天候 曇り ◇資料 「小石川後楽園」 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅7:50-三田線水道橋駅8:25=小石川後楽園8:35/9:25=三田線水道橋駅9:35-同日比谷駅9:50=山形プラザ10:00=三田線日比谷駅10:22-自宅11:10

私が登った百の名山&低山=北海道編=「北の最高峰大雪山・旭岳に登る」

 旭岳温泉でバスを降り、岩肌をむき出しにして聳える旭岳の勇姿を正面に見て、少し怖じ気付く。ロープウェイを乗り継いで姿見の駅から登山開始。高山植物は後に回し、お花畑の間の登山道を姿見ノ池に向かう。散策する観光客は多いが登山者は少ない。他のコースで羆(ヒグマ)の足跡発見の掲示をロープウェイの駅で見たが、羆の心配はなさそうだ。実は今回は単独行でもあり、熊避けの鈴も用意した。

 北の最高峰旭岳 姿見ノ池に着き、改めて旭岳を見上げる。コニーデ型の山容の真ん中は未だ蒸気を吹き上げる地獄谷で、その左右に稜線を形成しているが、左は谷に急角度で切れ込んでいるのに対し、右はわずかに緩く、そこに登山道が続いている。池から上は岩石と火山灰の砂礫のみで荒涼とした感じ。見通しが良く山頂に登山者の姿が見られる。
 頂上までは、高低差約600mの上りで、こぶを4,5個越える、と見当を付ける。火山灰の道は滑り易く歩き難い上に、急登が続く。約30分毎に小憩を取り、水を補給しながら、地獄谷を左に見て、直登する道をゆっくりと上る。歩き始めは肌寒い程であったが、その後は風も弱まり、寒さは感じない絶好の日和。谷から吹き出す硫黄が時々匂う。途中、麓に目をやれば、手つかずの原生林が続き、まるで緑の絨毯のようで、疲れを癒してくれる。

 急登から登頂 岩場が多い4つ目のこぶを上がり切り、左に方向を採ると頂上真下に出て、金庫岩となる。四角い岩で、下からも特異な形は確認できた。最後の急登を喘ぎながら上って頂上(2,290.3m)に到達。10数人のグループ等が休んでいた。休憩して展望を楽しむ。天候に恵まれ、回りの大雪山系の山々が一望だ。流石は北海道一の高さの山で、地図を出し北鎮岳、比布岳、当麻岳等を確認する。下方の一筋は間宮岳を経る黒岳への縦走路のようだ。

 ゆっくり下山 天候が急変し霧が出ないとも限らないので、休憩を早めに切り上げ下山開始。ガレ場の下りは一層歩きに難い。滑らないように慎重に、ストックを使って一歩一歩下る。砂でスピードを制動しながら、中年男性達が勢い良く下って行った。上りは前後して登ったご婦人にも抜かれ、すぐ離されてしまう。急ぐ必要もなく、転んで怪我でもしたらと考え、ペースを守って姿見ノ池に下りた。所定のコースタイム1時間の処、5分程オーバー。しかし、上りが2時間の処、2時間20分だったのだから、やはり遅いのだろう。
 姿見ノ池からはお花畑を巡る道を回り、高山植物を楽しむ。時期的に盛りは過ぎたようだが、それでもコガネギク、エゾコザクラ、コケモモなどの花が残り、中でもエゾオヤマリンドウの紫が色鮮やかだ。往きと同様、ロープウェイを利用し、旭岳温泉で汗を流した後、バスで旭川駅に出て、列車で野幌に戻る。いかを料理して待っていた長女と地域限定ビールで無事下山に乾杯。
 今回は、夏休みを利用し、北海道の長女の寄宿先に押し掛け、旭岳登山を試みた。天候、単独行、左膝、羆と不安材料は一杯あったが、登頂を果たし無事下山してホッとした。(97/8/21 1/100)

追記 天候にも恵まれて、登山の経験薄い私でも、無事旭岳登頂を果たし、下山できた。地獄谷や麓に広がる原生林は今でも目に浮かぶ。登山家岩崎元郎さんは、登りやすいやまとして選び、姿見からのコースを推奨している(「ぼくの新百名山」朝日文庫188頁)。私にとっては、約30年も前のことで、長女は北海道で結婚し、孫はもう大学生である。私も後期高齢者である。

千葉公園蓮まつりからJR成田線へ

 千葉公園で大賀ハスまつり開催中と知り、JR東日本休日俱楽部パス最終日は、千葉で蓮鑑賞後、成田から佐原を経由して、鹿島臨海鉄道に乗り水戸へと予定し、路線検索してタイムスケジュールを立てた。千葉公園のハスは鑑賞したことがあり、上品な薄ピンクの大花に魅せられた。調べると15年前のことであった(08.7.24)。

 自宅を予定より小一時間前に出てしまった。早出なら何とかなるだろうと、いつものアバウトな感覚であり、これが凶と出てしまった。今回は、神保町駅で都営新宿線に乗り換え、馬喰町駅で総武線快速に乗った。最近知ったルートで、電車は地上へ出て千葉へ向けた。

大賀ハス鑑賞 千葉公園は千葉駅から徒歩圏内だが、出口と方向を見極めるのに時間を要し、なんとか公園への案内を見付け、10分程で南門から入園出来た。まつりの最終日は日曜日で人出があり、混んでいる。公園の中心にある池の左側が蓮園。私が知る蓮園では広い方と思う。
 早速、蓮園を巡るが、大きなハスの葉が密集し、花はポツリ、ポツリと咲いている(写真上、下)。花色も薄いよう。前回とは違うなと思いながら、花に近付いてはカメラを向ける。花を探しながら遊歩道を一回りし、集会所前出ると、落語を演じているよう。
 池を大回りして遅めの紫陽花に出会い、東門を出た。東千葉駅へと歩いたが複雑な市街地のようで至らず、また千葉駅へ戻り、総武線経由で成田駅へ向かう。調べた時間より大分早い電車に乗車した。

成田駅から我孫子駅へ 途中の通過駅周辺は通勤圏内で、友人Mさん、Tさんのお住まいある地と思う。Mさんには毎号彼の専門サイトに登載して貰っている。昨年宮城の涌谷城址訪問を書いたら、小学時の遠足先だったとTさんからメールを頂いた。彼は宮城出身の方であった。
 成田駅に着いたが、佐原方面行きは40分以上後と知る。思案の末、佐倉駅に戻って成東駅から東金線へ乗ろうと、隣のホームに停車中の電車に乗る。これが大失敗、電車は反対方向へ走った。千葉駅へ戻ると思い込んでいた。いつもの早とちりである。
 時には、成田線から常磐線の乗り鉄もよいだろうと観念。列車は、右手に利根川が流れる地を走り、この辺りも数回は歩いて、成田線にもお世話になった。左手は、関東ふれあいの道千葉県印旛沼コースがあり、かぼちゃ会のNさん夫妻と歩いたこともあった(98.5.3)。我孫子駅を通過し当列車は上野行きで、そのまま乗り続けた。(2023/7/29 K.K.1517)

◇日時 2023/06/25 ◇天候 晴 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 「大賀ハスまつり」 ◇歩行距離等 8,000歩 6㎞ 
「通過時間等」自宅9:50-新宿線神保町駅10:27-JR馬喰町駅10:44-同千葉駅11:25=千葉公園11:35/11:55=JR千葉駅12:32-同成田駅13:15-同日暮里駅14:30-三田線巣鴨駅14:41-自宅15:10

40年振りにJR大湊線に乗り下北半島へ

 JR東日本休日俱楽部パス二日目、宿泊した盛岡から八戸へ出て、大湊行きとした。東北新幹線、青い森鉄道、そしてJR大湊線の乗り鉄である。大湊は再訪であり、87年の夏休みの約40年前の一人旅であった。今回も一人だが、気楽な乗り鉄である。地酒での呑み鉄もよいだろう。数年前一度計画したが、悪天候で八戸から帰京したことがあった。

 満員の大湊行き列車 朝9時前盛岡駅から東北新幹線に乗り八戸駅で、大湊行きに乗り継いだがびっくり。始発の一両列車が超満員で、座れない。皆旅支度で、途中下車の可能性はない。約1時間30分立ち放しで、最近では経験なく、後期高齢者には辛い。青い森鉄道の乗車は、東北本線時代、前回野辺地駅から青森駅間乗っただけである。
 三沢駅を通過し、未だ基地の街のよう。太田幸司選手の出身地である。当地三沢高校のエースで甲子園での大活躍は有名で、プロでも活躍したと思う。列車は野原の中を走っている。過疎地域で、今では休耕地なのであろうか。

 下北半島へ 野辺地駅で、また多くの乗客が無理やり乗り込んだ。車窓に防風林の松林が見え始め、下北半島へ入り進んでいるようで、左手に海がチラついた。そして、陸奥横浜駅に停車し、記憶にあった駅名。次第に陸奥湾が姿を現し、曇天の下に広がり波静か。40年振りの眺めである。下北駅に着き、大半の乗客が下車。観光バスが見え、ここから大間や仏ケ浦へ回るのであろうか。前回訪ねた恐山もここからバスと知る。

 40年振りの大湊 ようやく座れたが次が終点大湊駅。定刻通り到着し、下車(写真上、下)。小雨の中、駅前へ出だが、駅舎も記憶にはない。むつ市の小さな港町なのだろうか。駅前商店街で、弁当は仕入れたが、地酒はなかった。待合室で休憩を取った。
 12時前発の折り返し八戸行きに乗車。客は少なくゆったりと座り、昨日の残り酒を出し、ちびちびと呑み鉄を開始。津軽三味線名人高橋竹山を唄った“風雪ながれ旅”の一説に、“・・・津軽、八戸、大湊”とあったのを思い出した。津軽出身の竹山が若い頃三味線を抱え、門付けの流れ旅をした地であろう。
 野辺地、三沢、八戸と往路を戻り、新幹線に乗り換え、帰途に就いた。(2023/7/22 K.K.1516)

◇日時 2023/06/23 ◇天候 曇、後小雨 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 JR全線路線図東北地方 ◇歩行距離等 4,000歩 3㎞ 
「通過時間等」盛岡宿泊先8:30-JR盛岡駅8:50-青い森鉄道八戸駅9:33-JR大湊駅11:13/11:48-同八戸駅13:40-同上野駅16:35-三田線巣鴨駅16:55-自宅17:55

秋田内陸線から花輪線で乗り鉄を楽しむ

 今年度もJR東日本大人の休日俱楽部パス利用期間となり、行く先を検討しJR東日本内で、未乗車路線の花輪線は直ぐ決まった。起点大館駅へ秋田経由か青森からか少し迷ったが、路線図から秋田内陸線を思い付いた。JR東日本管内ではないが、時間的にも速く、未乗車路線である。そして、花輪線で盛岡駅に戻り、盛岡泊とした。

 山中を進む秋田内陸線 秋田新幹線を角館駅に降りた。角館は2度目だが何ら記憶になく、30年前であった。隣が内陸線駅で、定刻通り終点鷹巣行き一両列車が発車。94.2kmで29駅とあり、知るのは阿仁合駅名のみ。直ぐ水田地帯となり、右手の高峰は秋田駒ケ岳と見当を付けたら合っていた。小さな無人駅停車を繰り返しながら進んだ。駅は水田地帯の真ん中にあり、直ぐ森林地帯へ入って谷川を渡り、短いトンネルを抜けてまた水田地帯で、これを繰り返している。秋田の内陸は深い山中で、国鉄時代の角館線と阿仁合線とを1989年結んだ三セク線で、内陸線として全通したと知る。

 阿仁合駅から鷹巣駅 車内に歓声が聞こえ田圃アートで(写真上)、カメラを出しシャッターを切った。阿仁マタギ駅には、ホームにマタギの木像があった。阿仁合駅に着き(写真中)、大きな駅で、登山客が降りた。花の百名山森吉山の最寄り駅とある。
 列車は一転して下り坂を走り、次第に平野部が広がり、終点鷹巣駅であった。隣のJR奥羽本線の駅から大館駅へ向かう。大館駅舎は工事中だが、売店はあり、地酒を求めた。呑み鉄用である。

 花輪線を乗り切る 駅前に秋田犬の里を探したが見付からない儘戻り、花輪線は盛岡駅へ向けスタート(写真下)。1931年全通路線で、106.9km、27駅。周辺は住宅街で、山は後退している。次第に通学生も降車し、乗客は少ない。十和田南駅で方向転換し、薄暮の中、鹿角花輪駅に着いた。当地方の中心都市で、尾去沢鉱山もあったと思うが閉山してから久しい。
 八幡平駅、安比高原駅、松尾八幡平駅を通過し岩手県だろう。呑み鉄も順調で小瓶を飲み干し、カップ酒にも手を伸ばした。好摩駅で花輪線からいわて銀河鉄道に入ると渋民駅があり、啄木の出身地と気付いた。終点盛岡駅に到着し、駅前にビジネスホテルがあった。(2023/7/14 K.K.1515)

◇日時 2023/06/22 ◇天候 曇 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス+1700円 ◇資料 秋田内陸縦貫鉄道(株)「秋田内陸線」 ◇歩行距離等 6,000歩 5㎞ 
「通過時間等」自宅9:00-JR上野駅10:16-秋田内陸鉄道角館駅13:58-JR鷹ノ巣駅16:48-同大館駅17:35-同盛岡駅20:40=宿泊先20:50

横川から追分へ旧信越本線沿いを巡る

 信越本線が廃止、寸断されて久しい。現在は、高崎、横川間、直江津、新潟間が信越本線と称している。同線は、夏山、キャンプや家内の実家行きの際に利用していた。昨年秋、横川駅へと予定したが、妙義神社からの帰りに時間を喰ってしまい、行き損ねた。軽井沢に宿泊先が確保できて、その前後を巡ろうと思う。

 めがね橋に寄れず 13時過ぎ高崎駅へ出て、横川行きに乗車。信越本線である。3両列車で、乗客は少ない。安中では、左手に大きな化学工場を見た。山中へ進み、横川駅に着き、もう終点。ここから軽井沢行きJRバスは直ぐで、峠の釜めしを食べる時間はない。さらに、バスは、めがね橋は経由しないと分かった。碓氷峠アプト式鉄道のシンボルで、明治期架設第三橋梁赤レンガの橋であり、鉄道遺産。少なくともカメラに収めようと思っていた。残念。バスは、バイパスを走って峠を上がり、軽井沢駅に着いた。案内所で、追分の情報を得て、宿泊先に入った。シーズン前で、混んではいない。

 カブトムシ型機関車を見る 旧信越本線、現しなの鉄道軽井沢駅で時間があり、旧駅舎前に出ると草軽電鉄時代のカブトムシ型パンタグラフを持つ機関車が保存されていた(写真上)。草津と軽井沢を結んだ私鉄で、1962年廃止されたが、テレビ旅番組の映写で見て知っていた。これはラッキーとシャッターを切ったがアングルが今一と思う。
 しなの鉄道追分駅に降り、バスに乗り換える。昨日得た時刻表とおりで、追分口に下車。すぐ先が追分の地で、左が中山道、右が北国街道へと分かれ、分去れの碑がある(写真中)。全国のそちこちに追分があるが、追分のルーツであろう。狩人が追分を唄った“コスモス街道”があり、歌碑があるとの情報があったが見当たらない。

 追分宿の歴史 旧中山道追分宿は、両側に旅籠らしき建物が遺り、今でもその面影がある。当時は栄え、江戸後期には71軒もあったという。高札場や元脇本陣油屋はその代表だろう。堀辰雄文学記念館から追分公園、そして追分宿郷土記念館を巡る。
 堀辰雄は避暑に軽井沢を訪れて追分宿を知り、定住の地とし終焉を迎えたとある。公園には、芭蕉句碑があった(写真下)。更級紀行の帰途に詠んだ“吹き飛ばす石は浅間の野分け哉”と刻まれていると思う。この度は浅間山は一度見上げただけであった。郷土館では、戊辰戦争の際、追分宿でも赤報隊との騒動があったと知った。
 バスとしなの鉄道で軽井沢駅へ戻り、上りの北陸新幹線を待った。(2023/7/7 K.K.1514)

◇日時 2023/6/18,19 ◇天候 晴 ◇資料 「軽井沢周辺ガイドマップ」 ◇交通費8,460円 ◇歩行距離等 12,000歩 9㎞ 「通過時間等」自宅9:50-JR赤羽駅11:36-同高崎駅13:20-同横川駅14:10-同軽井沢駅14:45=宿泊先15:30/9:20=しなの鉄道軽井沢駅9:59-同追分駅10:13-追分口・追分宿10:25/12:29-しなの鉄道中軽井沢駅12:12-JR軽井沢駅13:57-同大宮駅14:59-同浮間舟渡駅15:32-自宅16:00

花の山入笠山山麓を再訪する

 嬉しい誘いがあった。信州富士見の入笠山(ニュウガサヤマ)にスズラン鑑賞という。Sさんからで、車で往復である。二つ返事で同行をお願いした。入笠山は一度歩いて花を楽しんだことがあり(01.8.15)、再訪も考えていたがなかなか実現しなかった。山梨小淵沢先県境の長野側富士見にある山である。車ならそう遠くはないだろう。
 車は都心から中央高速へ入り高尾、相模湖、そして笹子トンネルを抜けて山梨へと順調に進み、甲府盆地から長野県境を越し、諏訪インターで高速を降り、戻って富士見から入笠山山麓へ進んだ。

 すずらんは小さな白い花 ゴンドラ駅駐車場へ3時間で着き、ゴンドラに乗車。途中で席を換え、八ヶ岳を正面に眺めると高峰が横広がりに連なっている。山頂駅のすぐ前に野草園のスズランの案内があり、当地の標高は1780mとある。
 野草としてのすずらんは初めての出会いと思うが、意外と小さな白い花(写真上)。カメラを構えながら、野草園の間を巡る。土手のツツジが目に付き、そちらへ移動。高原のレンゲツツジは清楚で美しい(写真中)。マウンテンバイク用コースがあり、そちらの利用者も多い。

 シラビソ林、大湿原 反対側の湿原辺りにもスズラン自生地があると知り、シラビソ林の下を行く。ハイカーが多く交差しながら、湿原入り口となり、こちらのすずらんも小さな花を付けている。広い湿原(写真下)を見下ろすが、咲く花は見えない。急坂の上下は徒労かもと坂の途中で、Uターン。
 山麓駅前の野草園に戻ると、Sさんがベンチで休憩していた。私は、下る前にもう一回り。なんとスズランの花が大きく見える。もしかして、温度が上がり花開いたのかなとシャッターを切った。

 甲州街道の思い出 ゴンドラで山麓駅に下りて、帰途に就く。未だ11時前で、富士見へ出て、甲州街道を上る。甲府を越しているが、諏訪を歩いた時、下諏訪で中山道と合流する迄は甲州街道と知った。途中の道の駅信州蔦木宿で、昼食を取る。ゴンドラ乗車した際のサービス券の使用可能で、私はご当地の天ぷら丼、Sさん八ヶ岳そばを頂いた。
 甲州街道をそのまま韮崎インター迄走った。左の河川は富士川の源流らしい。尾白川を見て右奥の同渓谷を歩いたこと(11.8.14)を思い出し、記憶通り酒蔵七賢の案内があった。北杜市にある神代桜鑑賞に来たこと(14.4.10)があり、その標識を見た。そして、釜無川の崖となり、新府城跡(06.7.16)入り口を通り過ぎた。いずれも電車で訪ねた地である。 
 車は早く、14時半には帰宅できた。Sさんありがとうございました。(2023/7/1 K.K.1513)

◇日時 2023/6/10 ◇天候 晴 ◇資料 富士見パノラマリゾート「信州入笠山」 ◇交通費2,000円 ◇歩行距離等 9,000歩 6㎞ 「通過時間等」自宅5:50-富士見ゴンドラ駐車場8:50-同山麓駅9:00-同山頂駅9:10・野草園9:20=すずらん自生地9:30=ゴンドラ山頂駅10:25-同山麓駅・駐車場10:50-道の駅信州蔦木宿11:20/11:40-自宅14:35

大山阿夫利神社下社からの下りに難渋する

 険路が続く九十九曲 先ほど来急降下の下り坂が続いている。それもクネクネの上、狭く石のある悪路である。自分でも、ペースが一定せずヨタヨタと下っているのが分かる。つま先が痛くなり、坂の途中だが、先頭の私は休憩を宣言した。

 本日は、丹沢端の大山阿夫利神社下社へケーブルカーで上がり、参拝後二重の滝から展望台へ出て、尾根筋を日向薬師口へ下るコースとした。高齢者向けのハイキングとして、私が選定した。大山山頂(1251m)は目指さず、大山東山麓を下る一方の楽なコースの筈であった。

 阿夫利神社下社に参拝 友人、弟の3人は小田急線伊勢原駅に集合し、バスで麓の参道街に入ってケーブルで上がり、阿夫利神社下社に参拝し(写真上)、私は地下で清水を汲みスタート。水割り用である。二重の滝(写真中)から原生林内をトラバースし展望台へ出て(写真下)、最初の休憩。久しぶりにストックを出し、鳥の声を聞きながら尾根筋を下り始めた。右手に地蔵像を見てからは、冒頭の急降下の荒れた道となり、九十九曲という難コースへ入った。私は、大山の頂から2度歩いた(94.5.21他)が何ら記憶にない。約30年も前のことだから体力の差もあろう。

 長い九十九曲 腰を上げてリスタートし、またストックに縋りヨタヨタと下り続ける。Kさんはしっかりと歩いている。彼女は同級生だが、ハイキングクラブで鍛え私よりは大分達者である。山腹に切られた九十九曲は長く、出口が見えない。弟は、ヒルが付いたと叫んだ。丹沢系では時々あることだ。ようやく坂の傾斜と曲がりが緩み、右手に沢や林道が見え隠れし、林道へ出た。しかし、また谷川を渡る似たような険路となり、一歩一歩下り続ける。旧伊勢原青年の家を回り込んで、舗道であった。

 駅前で反省会 ここで、ようやく30年前を思い出し、バス停までは結構距離があると分かった。弟は遅れ出し離れたが、一本道だからそのまま歩き続ける。マス釣り場はやっていないようだ。日向薬師への分岐を過ぎて、バス停に着いた。展望台から2時間30分過ぎていた。コースタイムを1時間程オーバーだろうが、無事下山が先である。熟年用コースの筈であったが見事に外れ、反省である。バスで伊勢原駅へ出て、駅前食堂で反省会。いつもは一人だから珍しいこと。ビールで乾杯し、日本酒で疲れを癒した。下戸の弟は先に帰った。隣の平塚在である。お疲れさんでした。(2023/6/27 K.K.1512)

◇日時 2023/5/31 ◇天候 曇り ◇資料 昭文社「山と高原地図21丹沢」1996年版 ◇交通費1,920円 ◇歩行距離等 19,000歩 14㎞ 
「通過時間等」自宅7:15-都営新宿線神保町駅7:59-小田急線新宿駅8:23-同伊勢原駅 9:37-大山ケーブル駅10:05-阿夫利神社駅10:15=阿夫利神社下社10:30=展望台11:40/12:00=休憩12:50=林道14:00=日向薬師口バス停15:20-小田急伊勢原駅(反省会)16:29-三田線日比谷駅17:59-自宅18:00

ニューシャトルに乗り埼玉伊奈町立バラ園を巡る

 バラが見頃とのネット情報が出始めた。隣の埼玉にも三か所見付かり、我が家からアクセスが良い伊奈町立バラ園を選んだ。大宮駅からさいたま新都心ニューシャトルで、終点内宿駅下車である。ニューシャトルは、案内式軌道をゴムタイヤで走る珍しい鉄道で、高架式であり、上越、東北新幹線と並行する。調べると三度目の乗車で、8年振りと分かった。

 ニューシャトルに乗車 埼京線で大宮駅へ出て、ニューシャトル乗り場を思い出せず戸惑ったが何とか見付かり改札からホームに上がり、電車を待った。中央を新幹線が走り、両端の左側が下りで右側が上りという軌道構成を車窓から見て、ようやく前回乗車を思い出した。沼南駅を過ぎて、東北新幹線が右へ大きくカーブして離れていった。  
 終点内宿駅に着き、階段を降りて下車。地図から、バラ園は駅前を左折した大通りと交差する三本目の通りを右折した先と読む。埼玉もこの辺りは疎らな住宅街で、空は高く広がり、筑波山は見えない。関東平野のど真ん中だろう。読み通りにバラ園に着いて入園。

 バラは伊奈町の花 バラ祭り開催中だが後半で、平日のためか人出は少ない。大きなバラ園で、第一、第二、第三と分かれそれぞれに多種類多彩なバラが咲いている。伊奈町政施行20年に、“町の花”に制定された記念のバラ園で、400種類、5000株あるという。
 咲誇るバラの間をゆっくりと巡る。種類や原産地の案内があるが多すぎ、いつものメモは省略し、カメラ片手に花の色に注目し進む。白やピンク、黄色の他、紫を帯びた花や黒系とも見える花も咲いている(写真上、中)。盛りを過ぎた花もある。途中のベンチで一休み。第三園から第一園へ戻り、バラ園を出た。

 伊奈忠次と当町 売店を覗いたら、“忠次”という清酒の中瓶が目に付き求めた(写真下)。戦国期、当地に陣屋を置いたのが伊奈忠次で、三河時代から家康の股肱之臣となり、当地と鴻巣に一万石を与えられた。関東の代官頭を務め、治水や土木に貢献し、確か千住大橋は彼が架けたと思う。隅田川最初の橋で、1594(文禄3)年である。現町名伊奈町の由来でもある。内宿駅へ歩いて、ニューシャトルで大宮駅に戻り、埼京線で帰途に就いた。与野バラ園のある与野本町駅を通過したが、そのまま乗車を続けた。(2023/6/17 K.K.1511)

◇日時 2023/5/25 ◇天候 曇り ◇資料 伊奈町観光協会「2023バラまつり」 ◇交通費1,160円 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅8:25-JR浮間舟渡駅9:08-ニューシャトル大宮駅9:50-同内宿駅 10:15=町立バラ園10:30/11:10=ニューシャトル内宿駅11:30-JR大宮駅12:09-同浮間舟渡駅12:47-自宅13:10

山形フラワー長井線で荒砥を往復する

 昨年11月フラワー長井線で荒砥駅を目指した。処が今泉駅で乗った列車が荒砥行きではなかった。大分走ってから気付いたが遅かった。そんな訳で、山形県内鉄道で唯一未乗車区間乗り鉄は夢と崩れてしまったが、半年後にリベンジの機会が巡ってきた。友人Sさんに車での山形行きに便乗OKを貰った。

 荒砥行きに乗車 今回は、バスで今泉駅に着いた。時刻表と行き先を確かめ、停車中の列車に乗車(写真上)。定刻となり反対側へ進み列車が川を渡り、車窓から見慣れぬ風景を眺め一安心。赤湯駅から荒砥駅への三セク山形鉄道フラワー長井線は旧国鉄の長井線である。当地置賜地区は私の生家から遠く離れ、米坂線は数回乗ったが、未乗車路線であったが、前回今泉駅から赤湯駅へは乗った。
 無人駅に停車しながら列車は長井駅に停車。当西置賜の中心都市だが、私には初めての地。駅ビルが目立った。次があやめ公園駅で、あやめ園が知られ、車窓から園内を見渡したが時期が早く、花は見えない。駅先の神社境内に、兼続植樹の直江杉があると知るも、林が見えるだけ。1600(慶長5)年上杉家家老直江兼続は、米沢から山形の最上氏を攻め、奥州関ケ原戦と呼ばれた。その時この辺りを進軍して山形へ向けたと推測される。

 白鷹町荒砥 次第に左右に朝日連峰の山々が迫った山峡の地を走り、最上川鉄橋を渡って、列車は荒砥駅へ滑り込んだ。大河最上川も未だ上流で、この辺りではやや広めの普通の河川。荒砥駅は売店や観光案内所もある終着駅(写真中)。戻る列車の発車迄少し時間があり、駅前へ出た。当地は長井市の隣の白鷹町。中心街ではなく、過疎の街のよう。最上川下流の方向は朝日町から大江町で、そして寒河江市だろう。荒砥駅から大江町左沢駅へ繋ぐ計画もあったようである。

 車窓風景は理想郷か 赤湯行きに乗車し今泉駅へ戻る。車窓から往きとは反対側を眺めていたら、その流れる風景は農村景色が続く。広い水田地帯で、その奥の山裾に屋敷森のある農家が点在し、走る車も見えない(写真下)。近代的建造物はなく、昭和も大分初期の眺め、理想郷的だろう。それで思い出した。明治初期来日し東北を旅した英国人旅行作家イザベラ・バートは、越後から米沢街道十三峠を経て当地米沢(置賜)盆地に入り、山野の風景を眺め東洋のアルカディア(理想郷)と呼んだという。私は同じ風景を今眺めているのか。雪を抱く奥の高山は飯豊連峰であろう。
今泉駅に着き、バスで羽前小松駅へ。米坂線一部不通の影響で、本日はバス代行であった。米坂線で米沢駅へ出て、無事リベンジを果たしSさんからの連絡を待った。後日、テレビ放送“呑み鉄本線日本旅”の旅人六角精児がフラワー長井線を推奨していた。(2023/6/17 K.K.1510)

◇日時 2023/5/21 ◇天候 晴 ◇資料 「JR全国マップ」21頁 ◇交通費7660円 ◇歩行距離等 7,000歩 5㎞ 「通過時間等」自宅8:50-JR上野駅10:06-同米沢駅 12:16-山形鉄道今泉駅13:28-同荒砥駅14:05/14:21-JR今泉駅15:28-同米沢駅17:40-自宅21:10

都下小金井公園から玉川上水を下る

 都下多摩地区や狭山、川越周辺を度々歩いて、雑木林が残る武蔵野に出会い、好みのコースである。特に平林寺や八国山、智光寺公園では、はっきりと武蔵野を意識した。そろそろ結びの章を迎え武蔵野として纏めたいと思う。その原点は、国木田独歩の文学碑がある武蔵境の玉川上水桜橋であろう。久しぶりに思い出し、再訪した。

 小金井公園 今回は、西武新宿線花小金井駅からスタート。駅前から小金井街道へ出て、直進を続ける。前方に林が見え始め、左が小金井公園、右がゴルフ場。小金井公園横へ出て、西口から園内を少し歩いた。広い園に大木が繁る中に、様々な広場や施設がある。花見の地でも有名と思う。江戸東京たてもの園もあり、一度見学したことがあるが、若い頃であった。

 玉川上水を下る 園の先が玉川上水で、架かるのは小金井橋。反対側に古民家があり屋敷森に囲まれ、武蔵野の名残のよう(写真上)。カメラに収めて、玉川上水を下る。両岸に遊歩道はあるが狭い。この辺りは2,3度上下し、最後は10数年前であろうか(05.6.17)。陣屋橋へ至り対岸へ渡って下り続ける。この時期流れは少ない(写真中)。左手は未だ小金井公園の森が続いている。最初に歩いた時右手の浴恩館公園に寄り下村胡人が戦前同館の所長を務めたとあり、次郎物語を思い出したことがあった。並行する五日市街道から交差点をチェックしながら桜橋を目指すが遠い。そろそろかなと辿り着いた橋は境橋で、違っていた。

 桜橋文学碑 事前に地図から目測したが、小金井橋から4km程度と読んだがいつものように読みは甘いようだ。遊歩道も広がり歩きやすいが、足が重くなり始めた。そして桜橋であった。袂に文学碑を確かめシャッターを切った(写真下)。ネット情報によれば、「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある」と作品「武蔵野」第六章の書き出しが刻まれていると知る。帰宅後書棚を見たがなかった。
 最初の時は武蔵境駅から右手の本村公園を経て玉川上水へ歩き、途中の公園風景に少し記憶にあった。今回は三鷹駅へと玉川上水沿いを歩く。道幅も広がり高級住宅街となり、三鷹駅北口にゴールイン。ここにも独歩文学碑があり、武者小路実篤の筆で、「山林に自由存す」と刻まれていた。JR中央線で帰宅。スマホの歩数計は18000歩、13kmとなっていた。(2023/6/3 K.K.1509)

◇日時 2023/5/11 ◇天候 晴れ ◇資料 昭文社「東京都市図小平」130頁 ◇交通費480円 ◇歩行距離等 18,000歩 13㎞ 「通過時間等」自宅8:20-大江戸線春日駅8:58-西武中井駅9:35-同花小金井駅 10:10=小金井公園10:35=小金井橋10:50=境橋11:45=桜橋11:55=JR三鷹駅12:45-大江戸線東中野駅13:15-三田線春日駅13:43-自宅14:20

JR久留里線で奥房総上総亀山を往復する

 JR東日本の中で房総の久留里線は乗り切ったことはなく、終点の上総亀山駅を目指したい。30㎞程度の盲腸線である。調べると日中は過疎ダイヤが激しく、始点木更津駅発は13時01分と分かり、巣鴨駅で、休日おでかけパスを求め出発した。一昔前はホリデーパスがあり、私のハイキングには利用させて貰った。いずれも首都圏近郊区間内は普通列車乗り放題であるが、久留里線上総亀山駅は利用可能な最東端の駅。

 久留里線は木更津駅から 秋葉原駅から千葉駅へ出て、内房線に乗車。木更津駅には約40分を要して着き、隣のホームに停車中の上総亀山行きに乗車。人出はあるが2両列車は満席ではない。直ぐ郊外を走り小さな駅を通過し、水田地帯だが水を張った田圃で、田植えは未だのよう(写真上)。左右の奥には低山が見え、麓の家々にはこいのぼりが泳ぐ。馬来田駅に停車。当地の奥に戦国期の真里谷城跡があり、見学を検討したが駅からも距離があり訪ねるには至らなかった。

 再訪の久留里駅 列車は房総丘陵を進み、久留里駅に着く。当駅から木更津駅迄は、一度乗車した。安房鴨川からバスで入って久留里城跡を見学し、久留里駅から帰途に就いたのであった(12.12.09)。停車中に駅前を覗くと見覚えのある広場で、確か古びた食堂で昼食を取ったと思う。久留里線は北東へ湾曲し、当地は君津市である。
 列車は、一変し山間を上がり続ける。木々の枝すれすれで、一度は擦ったらしく音を発した。この辺りは奥房総と呼ぶと知る。久留里城天守閣が山越しに頭を出していないかと探したが見付からない。方向が違のだろう。

 上総亀山を往復 終点上総亀山駅に到着し、駅外へ出たが、小さな山村集落。駅前でも店はない。安房鴨川からバスで久留里へ入った時、上総亀山を通ったが記憶と被る風景はなく、近くに大きなダム湖があったと思う。駅舎や列車をカメラに収めた(写真中、下)。
 木更津行きの列車はほぼ満席で、早出の客で木更津へ戻る多くの方が乗ったよう。久留里駅で停車時間があったが売店はなく、呑み鉄用飲み物は、木更津駅迄は入手できなかった。
 木更津駅で、逗子行きの快速に乗る。車中路線検索をしたら新日本橋駅で都営新宿線に乗り換えるとスムーズと知り、呑み鉄開始だが、サワー1缶。お陰で、三田線神保町駅を経由し帰宅した。(2023/5/27 K.K.1508)

◇日時 2023/5/3 ◇天候 晴れ ◇資料 「JR全国マップ」20頁 ◇交通費2720円 ◇歩行距離等 4,000歩 3㎞ 「通過時間等」自宅10:10-JR巣鴨駅10:40-同秋葉原駅11:08-同千葉駅 12:20-同木更津駅13:01-同上総亀山駅14:11/14:27-同木更津駅15:47-都営新宿線馬喰横山駅17:13-三田線神保町駅17:21-自宅18:05

浜川崎駅から南武支線、南武線、武蔵野線へ乗り鉄する

 昨年JR鶴見線を乗り鉄し浜川崎駅を通り、南武線の支線の終着駅と知った(22.6.5)。南武線は一度乗り切ったと思っていたが、支線が残っていた。ゴールデンウイークに入り、マイナー路線なら逆に混雑しないだろうと予想し、その初日に出掛けた。過疎ダイヤであり、ネット上の路線検索で、マイダイヤをメモした。

 浜川崎駅へ 三田線三田駅で、JR京浜東北線へ乗り換えるべく田町駅へ歩いた。地下の迷路のような通路を歩きようやく田町駅前で、10分を要して京浜東北線に乗り、川崎駅を過ぎ鶴見駅着。鶴見線ホームへ出て、扇町行きに乗車。
 工場地帯に入り、浜川崎駅に着き下車。南武線支線の駅は道を挟んだ向かい側にあり、駅舎は門だけのもので、停車場風(写真上、下)。そして、鶴見線とは直角に南武支線の線路が伸びている。結構人出があり、私と同好の士らしく中学生もい

 南武線支線に乗車 小田栄、川崎新町、八丁畷の各駅を通過し尻手駅で、支線を乗り切った。途中に川崎駅はなかった。南武線に乗り継ぎ、府中本町駅へ向かう。先程来車内は、家族連れで混みあい連休らしい。
 通過駅から当地より通っていた旧同僚を思い出し、また登戸駅の次の中野島駅は、目黒に住んでいた頃家内と多摩川に釣りに来たことを思い出させた。京王相模原線と交差する稲田堤駅は、10年前南大沢キャンパスに通っていた時には週一通過した駅だ。

 武蔵野線で武蔵浦和駅へ 府中本町駅で、武蔵野線ホームに下りて停車中の電車に乗り、席を確保。マイダイヤ通り12時の電車に乗れた。初めてではないが久しぶりの乗車で、トンネルの中と見紛うような地下を走って、気が付いたら新秋津駅。そして、東所沢、新座、北朝霞と里歩きの際に乗降する駅である。最近も平林寺を訪ね新座駅を利用した(22.11.18)。荒川を渡り西浦和駅、そして武蔵浦和駅に着き降りた。12時30分を過ぎて、構内の立ち食いそば店で昼食。滅多に食べない駅そばもすきっ腹に丁度良かった。
 埼京線で板橋駅に下車。改札でタッチして金額を見たら、数百円。一度も改札を出なかったからか一筆書き運賃らしい。休日おでかけパスを求めるまでもなかった。三田線新板橋駅へと歩いた。(2023/5/18 K.K.1507)

◇日時 2023/4/29 ◇天候 晴れ ◇資料 「JR全国マップ 東京付近」◇交通費320円 ◇歩行距離等 5,000歩 4㎞
「通過時間等」自宅8:50-JR田町駅9:52-同鶴見駅10:30-同浜川崎駅 10:57-同尻手駅11:08-同府中本町駅12:00-同武蔵浦和駅(昼食)12:52-三田線新板橋駅13:23-自宅13:50

埼玉みずほ台に水子貝塚公園、水宮神社から山崎公園へ歩く

 大分前に入手していた“花と寺社めぐり”(2012首都圏私鉄各社発行)から、埼玉富士見市みずほ台にある水宮神社が目に留まった。よく見ると室町時代創建の古社であり、蛙が狛犬像とあり、未訪である。みずほ台は東上線で、我が家からは安近楽の地。近くの水子貝塚公園は一度訪ねたことがある(16.6.10)。

 郊外は新緑から深緑へ 東上線成増駅に出て、みずほ台駅に降りた。方向を確かめスタート。駅前商店街を過ぎると中央公園。新緑から深緑へと緑が美しい季節である。郊外へ出て、右奥に水子貝塚公園を眺めながら行くと、麦畑では麦の穂が出ている(写真上)。久しぶりの出合いにカメラに収めた。子供頃はそんな畑の中で育ったのであった。
 近道が叶わず、なんとか西口から水子貝塚公園へ。縄文時代、当地の荒川低地辺りは海で、竪穴住居跡や貝塚が発見されたことは、前回知った。竪穴住居が園内に復元されている。一瞥し、水宮神社を目指す。

 狛蛙の水宮神社 また西口から出ると左手に神社が見え近づいたが違う神社。さらに進んで地元の方に尋ねると反対側で、水子貝塚公園正門の前という。戻って右手に貝塚公園を見て、道を挟み大應寺があり、その隣が目指す神社だろう。
 貝塚公園正門すぐの史料館を覗き、参道から大應寺にご挨拶してから右隣の水宮神社へと歩いた。思ったより大きな社で、犬ではなく蛙姿の狛蛙が迎えてくれた(写真中、下)。社殿前で、孫たち家族の健康をお願いした。狛蛙へ向けシャッターをバッチリ切った。

 山崎公園で休憩 参道を出て横の坂を下るとすぐ新河岸川であった。堤防を遡上して富士見江川との合流地で、江川へ方向を採る。堤下の公園では、高齢者達がグランドゴルフの遊びに興じている。寿橋に至り見た風景だなと思ったら、前回水子貝塚公園を訪ねた時歩いたコースで、少し記憶が蘇った。江川の左手が山崎公園で、水飲み場があり休憩。確か園内にはあやめが咲く筈と見渡したが、時期が早い。温暖化もこの時期では無理なようだ。
 前回は東上線鶴瀬駅から当園を経由し貝塚公園へ歩いたが、今回はみずほ台駅へ戻るコースとするが、いつもの山勘。丘を越し大通りを右折して坂を上がり左折。先ほど通った中央公園手前の大通りだろうと進むと、山勘通りであった。みずほ台駅から成増駅を経て帰宅した時は12時30分で、想定通り安近楽であった。それでも10km歩いていた。(2023/5/13 K.K.1506)                   

◇日時 2023/4/19 ◇天候 晴れ ◇資料 「花と寺社めぐり」2012年首都圏私鉄各社発行 ◇交通費520円 ◇歩行距離等 14,000歩 10㎞ 
「通過時間等」自宅8:40-東武成増駅9:17-同みずほ台駅9:45=中央公園9:55=水子貝塚公園10:10=水宮神社10:40=新河岸川10:50=富士見江川10:55=山崎公園11:15=東武みずほ台駅11:47-同成増駅12:12-自宅12:35

都内江戸川区旧中川沿いを歩く

 花見時期は過ぎ去った。これまで都内で早咲き桜河津桜が咲く、江戸川区の旧中川を二度訪ねたが、歩き残したコースを思い出した。一度は旧中川沿いを下り、都営新宿線大島駅へ出た(15.3.19)。次は隣の亀戸公園を巡った(21.2.28)。その時のコースガイド誌を眺めたら、総武線平井駅の西方を歩いていない。社寺が多い地区である。

 平井駅から平井橋を渡る 今回は、三田線でJR水道橋駅へ出て総武線に乗り、平井駅に降りて西口からスタート。初めての地で、方向さえ危うい。ガイド誌を見て、大通り蔵前通りを渡って町屋の間を行くと、早速諏訪神社の案内があり、右折し参拝。広い境内で富士塚の案内があるが、富士塚には見えない。すぐ先が平井聖天の燈明寺で、立派な寺院が建っている。庭には濃紅のボタンが咲いていた。
 戻って、旧中川に架かる平井橋を渡り、墨田区へ入ったよう。ガイド誌に従い右折すると北向地蔵があり、その奥に白髭神社があった。
 この辺りに大正民家園がある筈とキョロキョロすると、右手小路の奥がそれらしい。処が開園時間とあるが路地口に鍵が掛かっている。諦め掛けた時、開いて入園。旧農家とあるが敷地400坪で立派な庭園もあり、名主宅とも見える(写真上)。移築ではない。庭を眺め、カメラに写し通りへ戻った。

 平井さくら公園 平井橋を渡り返して、川沿い左岸を上り、直ぐ通りへ出て安養寺を探す。幼稚園の先が寺で、山門もある古刹のよう。本堂前へ進み挨拶。こちらの富士塚はそれらしい塚でカメラを向けた。小路へ入ったが一本手前の角に、次の天祖神社があった。簡単に手を合わせ、路地を右往左往して、平井さくら公園に着き、ベンチで休憩。藤棚がありもう花が咲き連なり(写真中)、シャッターを切った。上品な花である。

 旧中川から荒川へ また通りを渡り商店街の裏へ出ると旧中川で、木下排水機場という荒川との水門(写真下)。川沿いに道は続かず一旦大通りへ出ると団地がありその先が荒川と分かり、堤防へ上がる。荒川河川敷は広く、その中央部が流れ。反対側へ振り返れば、スカイツリーが見えた。前方の鉄橋は総武線で、電車が通過している。
 蔵前通りの下を過ぎ、鉄橋高架下で時計を見ると、予定より20分程遅れている。ガイド誌コースはまだ続くが、ここで、平井駅へ右折した。3分2以上は歩いたと思う。(2023/5/5 K.K.1505)

◇日時 2023/4/11 ◇天候 晴れ ◇資料 多摩雪雄「旧中川沿路平井散策」新ハイキング677号68頁 ◇交通費360円 ◇歩行距離等 15,000歩 11㎞
「通過時間等」自宅8:40-JR水道橋駅9:30-同平井駅9:45=諏訪神社9:55=平井聖天10:00=白髭神社10:15=大正民家園10:20=安養寺10:40=平井さくら公園11:05=木下排水機場11:15=総武線高架下11:50=JR平井駅12:06-三田線水道橋駅12:28-自宅13:05

大富士を眺めながら富士山東口に浅間神社を訪ねる

 昨秋河口湖周辺に浅間神社三社を巡った。これで富士山麓山梨側の浅間神社はほぼ訪ねたと思う。これに反し、静岡側の同社は、富士宮の大社のみである(12.8.13)。箱根行きがあり、地図を眺めていたら、須走口にも浅間神社があって、興味を惹いた。バスの便が良く、御殿場へ出て訪ねることにした。

 大富士の麓須走口へ 箱根仙石バス停からJR御殿場駅へとバスに乗車。乙女峠のトンネルを抜け下りに入ったら前方に富士も、大富士が迫った。車内から歓声が上がった。私も初めて見る富士山の雄姿である。
 御殿場駅で、河口湖行きバスに乗り換える。観光路線のようで、外国人客も多い。御殿場市街を出ると、また大富士が見え出し、カメラを向けた。山麓に広がる山里を走って、30分程で神社前に降車。富士山東口本宮冨士浅間神社とあり、門前には土産店や旅館もちらほらする寡っての門前町のよう。

 東口本宮冨士浅間神社 由緒書きによれば、平安時代の802(延暦21)年、富士山東側が噴火し、当時の国司達は、鎮火の祈願を行うべく当地須走の地に斎場を設け鎮火祭を行い、その後鎮火して、当社を祀ったという。河口浅間神社の由緒に似ているが、こちらが早く歴史がある。
 細長い境内で、参道を進み本殿で(写真中)、参拝。孫の大学進学を報告し更なるご加護をお願いした。境内は杉林に囲まれ、富士を眺めるため、裏参道を出ると正面に大富士が広がった(写真上)。何も妨げるものはなく、全容が独り聳え立ち、圧巻である。シャッターを切り続けた。河口湖側とは円錐形が少しなだらかと思う。境内巡る小路は新緑に包まれ季節は確実に移ろっている。清水が滾々と沸き、富士の伏流水。隣が小さな護国神社で、桜が満開(写真下)。両社の間の道は鎌倉往還とあり、いざ鎌倉への甲斐から籠坂峠越えの歴史の道とある。

 御殿場線で帰途へ バス時間を確かめ、近くのコンビニで昼食を求めた。処が所定の時刻が過ぎてもバスは来ない。見逃したのかなと、次のバスを待っていると、時刻表にないバスが来た。どうやら約25分遅れのよう。御殿場駅に着くと、上り電車がホームで待っていた。
 御殿場線は久しぶりで、足柄、駿河小山、谷峨、山北の各駅を通過。僅か数回だが、大野山や 洒水の滝等丹沢系の山歩きの際乗降したことのある駅。酒匂川の急流沿いに走り、岸の黄色い花は山吹だろう。松田駅に降り小田急新松田駅へ歩き、新宿駅行きを待った。(2023/4/25 K.K.1504)

◇日時 2023/4/3 ◇天候 晴れ ◇資料 山と高原地図「富士・富士五湖」2000年版 ◇交通費3,360円 ◇歩行距離等 8,000歩 5㎞ 
「通過時間等」箱根宿泊先8:30-バス停8:55-御殿場駅前バス停10:30-須走浅間神社前バス停11:00/11:50-JR御殿場駅12:27-小田急新松田駅13:17-都営新宿線新宿駅14:57-三田線神保町駅15:09-自宅15:50

埼玉見沼田んぼを歩き花見ハイキングを楽しむ

 今年の開花は速く、我が家周辺の桜は散り始めた。桜花の下を歩く先として、埼玉の見沼田んぼが浮かんだ。購読資料“見沼田んぼ桜回廊”(「ジパング倶楽部」22.3)が手許にあった。見沼田んぼは、これまでも5回以上歩いている。さいたま市東の広い田園地帯で、東縁と西縁の農業用水が流れている。四季の野の花が咲き、神社が点在し私の好みの里歩きのエリアで、通船堀から東縁へも一度歩いたことがある(98.4.25)。

 西縁から通船堀へ 武蔵野線東浦和駅が起点で、我が家からバスで浮間舟渡駅へ出て、埼京線に乗り武蔵浦和駅で武蔵野線に乗り換えると約1時間後にスタート出来た。
 西縁用水路は直ぐで、桜は満開だが散り始めている。東縁と繋いだ通船堀へ左折するが、水はない。土手にはハナダイコンの薄紫の花が咲いている。好きな花で眺めるのは久しぶり。高齢者グループを追い越し、通船堀を渡り街道へ出て、鈴木家住宅を探す。

 江戸期通船堀を差配していた家で、大きな古民家があり、現在もお住まいのよう。中間の芝川八丁へ出て、また通船堀沿いを行くと木造の閘門式運河があり(写真中)、カメラに収めた。東西で高低差の激しい水路の水位を調整し船の通過を可能とした1731(享保16)年作の運河施設で国指定の史跡。江戸と当地で農産物や肥料等を運搬したという。堀沿いにも桜並木があるが少し遅め。東縁用水路に着き、少し回り道し木曽路の富士塚へ登る。急な上、道が悪く何とか上がった。1800(寛政2)年造で県内最古の塚とある。農家の間を通り、東縁へ戻った。

 東縁の桜は満開 武蔵野線高架を抜けると桜並木が続く(写真上)。満開もジャスト見頃。カメラを向けながら花の下を進む。東縁用水路は右手へ大きくうねり、ショートカットして川口自然公園を横切り、また東縁へ出ると東沼神社裏参道で、境内に入り参拝。孫の大学合格を報告し御礼を申し上げた。

 また東縁を歩く。青空の下桜並木が続き美しい(写真下)。花見客もチラホラ。下には菜の花が咲きこちらも見頃。近くに見沼自然の家があり覗くも見るべきものがなく、また用水路沿いに歩き大通りへ出た。東縁は更に北上するが歩き疲れ、バス停を教えて貰う。10分強でバスが来て浦和駅へ出て、京浜東北線に乗り帰途に就いた。(2023/4/14 K.K.1503)

◇日時 2023/3/29 ◇天候 晴れ ◇資料 「見沼たんぼ全域マップ」 ◇交通費760円 ◇歩行距離等 15,000歩 11㎞
「通過時間等」自宅8:00-JR浮間舟渡駅8:40-同武蔵浦和駅8:55-同東浦和駅9:10=西縁9:15=鈴木家住宅前9:30=通船堀運河9:40=木曽路富士塚9:50=武蔵野線高架下10:10=川口自然公園10:40=東沼神社10:50=学校前バス停11:15-JR浦和駅11:45-同赤羽駅12:06-三田線新板橋駅12:22-自宅12:35

ゆりかもめ線で東京湾お台場公園へ

 ハイキング仲間と東京湾のお台場公園を歩くことにした。旧職場の同僚達で、皆後輩であるがOB、OGとなって、古希過ぎも多い。私が喜寿超えだから当然。そんな仲間用に安近短ならぬ安近楽コースとし、私が選んだ。事前にガイド資料「ぶらりぶらりお台場」(22.6.14朝日)をメールで送付した。

 レインボーブリッジを渡る 10時30分にゆりかもめ線新橋駅に集合し一行7人は出発。本日日曜日で車内は込んでいるが皆席は確保したよう。電車は竹芝から東京湾沿いに走りレインボーブリッジを渡った筈だが皆話に夢中で、海を眺めた者はいないようだ。
 お台場公園に着き、全員下車。私は、お台場公園の方向を確かめ、駅ビルを出て海側の松林の公園へ歩く。海岸へ至ると目の前に白い砂浜が続き、その先が史跡お台場。湾内は静かで波はなく、砂浜の砂は伊豆七島神津島のものとある。小さな湾を回り込み、お台場へ上がる。

 史跡お台場 お台場は、幕末、黒船来航に備え韮山代官江川太郎左衛門の献策で、1853(嘉永6)年幕府が急遽設置した洋式砲台6基中、今も遺る第三台場の砲台跡である。海上に設けられた四角形の台場で、東南側に三台の砲台があり、底部の中心には陣屋があったという。このお陰で再来のペリーは横浜上陸となったようだ。我々は解説版を読んで、お台場を時計回りに歩く。砲台跡があり(写真上)カメラに写す。北側から眺めるレインボーブリッジが美しい(写真中)。近くに第六台場跡が見えた。一旦底部に降りてまた上がりお台場を離れて、海岸ベンチで休憩。対岸先のビル群の一つはフジテレビ。

 自由の女神像 お台場ビーチ沿いに、次のポイント自由の女神像を目指す。途中に海上バスの船着き場があり、丁度大きな船が係留され、乗船中。隅田川を遡上する航路であろうか。
 直ぐ右手に自由の女神像が見え出した。階段から通路を渡って近づくと多くの人がカメラ片手にアングルを探している(写真下)。何故当地にと調べると、日本とフランスの友好関係の記念として1998年に建てられたとある。アメリカの像もフランスに由来すると知る。Oさんはアメリカ滞在中ニューヨークの像を訪ね内部も見学したと話してくれた。当地の像の大きさはアメリカの1/7という。
 昼時になり、近くのビル内のレストランで昼食を取る。私と飲兵衛組は、麦酒を飲みながら懇談。情報交換から最後は仲間達の消息になった。旧同僚の集まりの定番だろうか。また歩こうと約して、ゆりかもめ線に乗ったが、Tさんは海上バスに乗りたいと一人船着き場へ向かった。皆さんお疲れ様でした。楽しかったです。(2023/4/6 K.K.1502)

◇日時 2023/3/19 ◇天候 晴れ ◇資料 「ぶらりぶらりお台場」(22.6.14朝日) ◇交通費650円 ◇歩行距離等 13,000歩 9㎞
「通過時間等」自宅9:10-ゆりかもめ線新橋駅10:40-同お台場公園駅10:50=お台場公園海岸11:10=お台場跡11:25=自由の女神像12:00=昼食12:20/13:25=ゆりかもめ線お台場駅13:36-同新橋駅13:50-三田線内幸町駅14:26-自宅15:05

都内江東小名木川から砂町銀座へ歩く

 本日18時過ぎ大手町開催の会合の誘いがあり、その前に都内近郊を歩くことにした。手許に、“我が町再発見 東京北砂編”(2.2,2.9讀賣夕刊)があり、丁度良い。北砂は、親戚のお宅があった地で僅かに土地勘が残り懐かしい。現在では都営新宿線が走り、アクセスも良い。夕方会合参加を想定し、午後家を出た。

 猿江神社、小名木川 神保町駅で都営新宿線に乗り換え、住吉町駅に降りた。今回前半は小名木川の河畔を歩く。江戸時代開削された隅田川と中川を繋いだ運河という。駅構内の案内図で小名木川を探し、その手前の猿江神社を目指す。初めての地だがわかり易い町割りのようで、境内へ行き着き、本殿前で手を合わせ、孫の合格を報告し御礼を申し上げた。案内に寄れば、奥州遠征の際、源頼義、義家家臣で武将の1人が当地で力尽きてしまい、その武将猿藤太を祀る社という。
 境内を出て、通りを一本越すと小名木川。堤内の遊歩道を歩く。運河と言いながら川幅は広い(写真上)。堤内から出て、クローバー橋を渡る。ここで、同じく運河横十間川とクロスしている。橋を降りまた反対側の小名木川遊歩道へ入る。

 石田波郷句碑に出会う 北砂緑道公園が川沿いに続き、JR貨物線高架下を抜けると、大きな石碑があった。戦後当地に住んだ俳人石田波郷の“小名木川駅 春の上げ潮 曇るなり”の句碑で、貨物駅があったらしい。私は波郷の名を知るだけ。明治通りに架かる進開橋で右折し、明治通りから砂町銀座へ。左手に銀座商店街を探すが大分先であった。

 下町銀座砂町商店街 狭い通りの両側に小さな商店180店舗が軒を連ね、食品店が多い。いかにも下町銀座だが記憶にはない。前掲夕刊に紹介された忍者パスタ店を見て行き、途中の店頭先に並ぶ赤カブ漬けが目に付いた。故郷温海の名産で今年は味わっていない。思わず求めてしまった。肴にも良い。670m続く銀座も出口で(写真中)、丸八通りであった。北上し小名木川を渡り、新宿線西大島駅へ歩く。途中大島稲荷神社が在り、寄って芭蕉句碑を眺めた。

 ミモザ、桜満開の蔵前神社 今回は、もう一つ新情報があり、蔵前神社に咲くミモザと早咲き桜が見ごろと知り、森下駅で都営大江戸線へ乗り換え、蔵前駅に下車。駅前右先に神社を見付け、参拝後花を見上げる。ミモザは黄色な小さな多数の花が木を包んでいる。オーストラリア原産のアカシアの一種と知る。隣は濃いピンクの桜、河津桜は満開状態(写真下)。私と同様、新聞情報からか花見客で混んでいる。カメラに収め、浅草線蔵前駅へ向かった。(2023/3/27 K.K. 1501)

◇日時 2023/3/8 ◇天候 晴れ ◇資料 昭文社「東京都市図41亀戸」 ◇交通費 シルバーパス ◇歩行距離等 14,000歩 11㎞
「通過時間等」 自宅14:25-新宿線神保町駅15:05-同住吉町駅15:20=猿江神社15:30=小名木川クローバー橋15:45=石田波郷句碑15:55=進開橋16:00=砂町銀座宮16:20=大島稲荷神社16:35=新宿線西大島駅17:02-大江戸線森下駅17:10-同蔵前駅17:15=蔵前神社17:25=浅草線蔵前駅17:35-大手町18:20・・・自宅21:05

<1500回記念> 私の山歩き里歩き1500への足跡

第1回 94/02/26,27 三ツ峠山
第100回 98/06/07 関東ふれあいのみち東京都04「歴史のみち」
第200回 00/10/14 高尾山
第300回 03/09/13 小仏峠、城山
第400回 05/12/11 奥武蔵武川岳
第500回 08/04/26 石老山
第600回 10/02/21 大山南尾根高取山
第700回 11/07/05 善光寺、古寺巡り
第800回 12/12/31 愛宕山、穴守稲荷神社
第900回 14/05/25 奥武蔵仙元山
第1000回 15/10/10,25 奥武蔵大高取山
第1100回 17/04/06 蓮田元荒川観桜
第1200回 18/07/15 富士山5合目奥庭、御庭
第1300回 19/11/25 小浅間山
第1400回 21/06/20 八景島、野島
第1500回 23/02/24 宝登山、長瀞岩畳

 本サイトへの最初の搭載は、第1050回2016年7月28日の「大和泉の森、ふれあいの森」からです。
喜寿も過ぎた現在では結びの章ですが、今後は、時々は結びを紐解きながら体力、気力に相応した山歩き里歩きに、乗り鉄や列車旅も楽しみたいと思います。
2023.4.10 工藤 莞司

 

秩父宝登山で山岳展望を楽しみ1500回へ

 私が山歩き里歩きにのめり込んで久しいが、最初は29年前の三つ峠山で(94.2.26)、それ以来歩いて歩いて1500回を迎えた。そろそろ体力的にも気力的にも結びの章で、それに相応しい山里として、秩父長瀞の宝登山にした。私のホームグランド奥武蔵の先で、秩父鉄道沿線の山々も度々歩いて、宝登山も数回登っている。この時期は蝋梅の名所でもある。友人Sさんに車で送迎して貰った。

 蠟梅園から宝登山へ 関越高速を花園ICで下りて、秩父へと走って貰った。寄居を過ぎると両側に山が迫り、山峡の街を行く。右手の山に花園城跡を訪ねたことを思い出し、当地の地名から花園ICなのだろうか。左下を流れる荒川が見え隠れする中、長瀞に入り大鳥居で山側へ右折すると宝登山ロープウェイ山麓駅であった。ロープウェイ利用が宝登山とした理由の一つで、無理なく山頂下へ上がることが出来る。

 山岳展望を楽しむ 二人は山頂駅へ上がり、目の前が蝋梅園で、見頃な花が咲き広がっている。黄色の花々は意外と小ぶりだ。私は展望台端から山岳展望を楽しむ。百名山両神山は独特の山姿である。登ったのは山歩きを始めた頃(95.4.30)であった。奥秩父も長野県境の甲武信ヶ岳も見える。蠟梅園内を巡りながら山頂へと歩く。鑑賞者も出始めている。一歩きで山頂(497m)へ上がった。
 宝登山に最初に登ったのは、関東ふれあいの道埼玉県コース上にあったからで、その後も長瀞アルプスを歩いた時は裏側から登った。Sさんも着いて、山頂標識を入れて記念写真を撮って貰った(写真中)。2人で正面の秩父盆地から武甲山を眺め、石灰岩の採掘で著しく変貌している山容(写真上)を指さした。宝登山神社奥社に参拝し、コロナの退散と孫の合格を祈願。境内の小さな売店はコロナ下でも営業中で、何故かホッとした。旧勤務先ワンゲル部と一緒に登ったのが5年前(18.11.18)で、その時は皆で利用した。

 長瀞は遊覧船 ロープウェイ山麓駅に降りて、長瀞の岩畳へ。土産店の間を通り、荒川河畔へ出た。本日も遊覧船が浮かび、こたつ船らしい。渓流は渇水期だが長瀞状である。岩上から見ていたら、園児一行が船に乗り込んでいる。船は難なく上流へ向け漕ぎ出した(写真下)。そんな風景をカメラに収めた。
 復路は関越高速を練馬北IC経由で高島平に着き、目出度く1500回を達成できた。Sさんのお陰で、感謝である。今後は結びの章へ入り、ペースダウンをしながら呑み鉄や列車旅と共に、今回のようなロープウェイ利用の山歩きもしたい。(2023/3/17 K.K.1500/1500)

◇日時 2023/2/24 ◇天候 曇 ◇資料 「宝登山散策マップ」 ◇交通費 830円 ◇歩行距離等 9,000歩 6㎞
「通過時間等」自宅7:50-宝登山ロープウェイ山麓駅 10:05-同山頂駅10:15=宝登山10:25=宝登山神社奥社10:40=宝登山ロープウェイ山頂駅11:00-同山麓駅11:20-長瀞岩畳11:30/11:45-練馬北IC12:45-自宅13:15

鎌倉亀ヶ谷坂切通、化粧坂から佐助稲荷神社へ歩く

 鎌倉のハイキング資料を貰っていた。古都鎌倉は鶴岡八幡宮を中心とし、低山だが三方山々に囲まれ、寡っては七つ口と呼ばれる切通のみで出入りをする天然の要害を備えていた。古刹と併せ、ハイキングコースが多く、これまでも歩いている。北鎌倉駅から亀ヶ谷坂切通、化粧坂、銭洗弁財天そして、佐助稲荷を巡ることにした。資料提供の鎌倉在Wさんが同行してくれることになった。

 亀ヶ谷坂、化粧坂 JR北鎌倉駅に着くとWさんが待っていてくれた。横須賀線と並行する大通りの端を鎌倉中心街へ向け、スタート。右手に葛原が岡コースの案内があったが我々は直進を続ける。上町バス停を過ぎ、長寿寺先で右折し、亀ヶ谷坂へ入った。狭く静かな坂道だが、両側に崖が迫り切通は歴然(写真上)。Wさんは初めての地という。案内があり、横須賀線高架下から住宅街の途中で左折し、化粧坂へ。一度歩いている(05.7.8)が初めて見るような風景。

 私はザックからストックを出し、坂に挑戦。石が浮き出た狭く険しい坂で(写真中)、石は馬での敵侵入阻止にワザと残置してあると歴史資料で読んだことがある。坂は短く、上がることが出来た。Wさんはすいすい付いて来た。彼女は皇居一周していたランナーであった。
 源氏山公園で休憩。頼朝像には久しぶりの再会である。私は義経贔屓で、頼朝の印象は良くない。頼朝に疎まれ追われ、平泉から八戸、竜飛崎から蝦夷へ渡ったという義経伝説が今でも残り、最後は大陸へ渡りチンギスハンになったという小説(1958年高木彬光著)も読んだことがあるとWさんに話してしまった。

 銭洗弁財天、佐助稲荷神社 坂上へ出て大仏へのコースだが直ぐ左折すると銭洗弁財天で、洞窟を潜り社殿に参拝。頼朝縁の社という。孫の合格祈願をした。左手の窟屋には清水が出ていて、笊に札を入れ本当に銭洗いをしている人がいた。
我々は境内を出て佐助稲荷へ、Wさんには山勘と言いつつ近道をする。紆余曲折したが右手に朱の連続する鳥居が見え(写真下)、長い坂の参道を上がり切ると稲荷神社。また社殿前で手を合わせた。こちらも頼朝に縁があるらしい。
 坂を下って大通りへ出ると、Wさんが土地勘を取り戻し、彼女の案内で、トンネルを抜け市役所横へ出て、鎌倉駅であった。駅内レストランで昼食し、麦酒でコース踏破に乾杯した。Wさんいろいろお世話様でした。お陰様で、次に1500回を迎えることになり、感謝です。(2023/3/11 K.K. 1499/1500)

◇日時 2023/2/18 ◇天候 晴れ ◇資料 「鎌倉観光案内図」令和3年7月、㈱ウオレック「鎌倉遠足」5版 ◇交通費 1280円 ◇歩行距離等 14,000歩 10㎞
「通過時間等」自宅7:55-京急三田駅8:54-横須賀線横浜駅9:33-同北鎌倉駅10:00=亀ヶ谷坂10:20=化粧坂下10:35=源氏山公園10:45=銭洗弁財天11:05=佐助稲荷神社11:20=鎌倉駅(昼食)12:38=京急横浜駅13:11-三田線三田駅13:45-自宅14:40

杉並大宮八幡宮から代々木八幡宮、春の小川歌碑を巡る

 昨年井草八幡宮を久しぶりに訪ねて(22.4.27)、杉並大宮八幡宮を思い出し再訪を考えていたが、この度参拝しようと思う。大宮八幡宮は井の頭線西永福駅が最寄り駅と分かり、帰途には、前回探し損ねた代々木の“春の小川歌碑”をリベンジしたい。代々木八幡宮があり、井の頭線を下北沢駅で小田急に乗り換えれば、丁度良いだろう。

 井の頭線で西永福駅へ 三田線神保町駅で新宿線に乗り換え、そのまま京王線で明大前駅に着き、井の頭線に乗り継いだ。西永福駅は二つ目と知る。井の頭線は縁が薄く最近乗った記憶はない。西永福駅に降りると案内があり、10分弱という。駅前から方南通りへ出て少し歩くと、南参道であった。

 古社大宮八幡宮 長めの参道が表参道に突き当った左手が山門、八幡宮境内であった。広い境内、そして社叢に囲まれ、都内も杉並区とは思えない自然の中である(写真上、中)。社殿も質素なもので古社らしい。1063(康平6)年源頼義創建とある。結婚式場や幼稚園も併設された大社である。
 先ずはご挨拶に参拝。二度目(11.7.31)だが思い当たる風景はない。隣に天満宮があり、今春も受験生の孫一人いて、少し念入りに合格祈願をした。北参道を出ると善福寺川の筈との記憶は当たり、湿地帯。川縁を歩いて思い出した。和田堀公園野球場があり、グランド申し込みに来たことがあったのだ。若かりし頃草野球に嵌っていた。表参道へ出て、この風景も僅かに浮かんだ。
 歩き足りない分永福町駅へ歩くことにし、住宅街を山勘で通り抜け、駅前通りへ出たようで、永福町駅から井の頭線渋谷行きに乗った。下北沢駅で小田急に乗り換え、代々木八幡駅に下車。高台下の道を代々木八幡宮へ。左折し坂を上がると裏参道へ出て、八幡宮に手を合わせ、隣の稲荷神社にも詣でた。

 春の小川歌碑へ 坂を下り直進すると小田急線踏切で、線路沿いに左折し、今回は右側を注視して往くとそれらしき碑が公園端にあり、表へ回って歌碑と確かめ(写真下)カメラに写した。国文学者高野辰之は、明治期当地に住まい近くを河骨川が流れスミレやレンゲが咲き、“春の小川”を作詞したようだ。彼は唱歌“故郷”も作詞している。前回は線路側だけ見てウロウロしてしまっていた。ネットで念入り調べたのが功を奏した。ここからは前回同様バスで新宿へ出て、大江戸線で帰宅した。(2023/3/5 K.K. 1498/1500)

◇日時 2023/2/7 ◇天候 晴れ ◇資料 昭文社「東京都市図44下北沢」 ◇交通費 400円 ◇歩行距離等 10,000歩 8㎞
「通過時間等」 自宅8:50-三田線神保町駅9:35-井の頭線明大前駅10:04-同西永福駅10:10=大宮八幡宮10:25/10:40=井の頭線永福町駅11:05-小田急線下北沢駅11:18-同代々木八幡駅11:25=代々木八幡宮11:35=春の小川歌碑11:45=代々木バス停11:50-大江戸線都庁前駅12:12-三田線春日駅12:30-自宅13:05

都内世田谷下北沢を初めて歩く

 購読紙から世田谷下北沢の街ガイド(「我がまち再発見」22.12.15、23.1.5讀賣夕刊)を見付けていた。下北沢は小田急沿線の高級住宅街との印象があった。そんなことからか下北沢は縁がなく、訪ねたことがない。演劇の街とマスコミから知る程度。ガイドを参考に歩いてみることにした。新宿駅へ出て小田急線に乗れば近い。我が家から1時間程度だろう。

 下北沢本多劇場  小田急線下北沢駅は最近改造されて、線路、ホームは地下化されていた。下北沢駅で交差する井の頭線高架下のミカン下北を出て、駅から近い本多劇場へ。回り道してしまったが劇場の前へ出た(写真上)。劇場の街下北沢のシンボルで、1982年元演劇人が建てた個人経営の劇場としては立派なものだろう。カメラに収めた。反対側にも小さな劇場があった。飲食街を行く。中華店が多い。左手が小田急線路跡の広場でイベント会場らしい。先へ直線的に空き地が続いているが現在は公園か。

 富士見教会、森巌寺 戻って茶沢通りを下る。また左手に劇場があった。井の頭線高架下先から左折し、富士見教会を探す。高台で、富士見に相応しい地だろう。しかし教会は見付からない。諦め次の森巌寺へと分岐小路を進むと、それらしい掲示板があり見上げると十字架を掲げる教会。1936年建設の木造2階建て。住宅街の下り坂となり降りた地右側が寺院。家康次男の戦国大名結城秀康縁の古刹とある。幼稚園が併設されていた。反対側が北沢八幡神社。広い境内の石段を上がって参拝。僅かな賽銭でコロナの終息と孫達の成長をお願いした。

 坂口安吾文学碑 住宅街から北沢川緑道へ出て、代沢小学校の塀前に、坂口安吾の文学碑があった(写真下)。1925年文吾は当校が分教場時代代用教員を務めたという。茶沢通りから南口商店街を抜けて下北沢駅へ戻った。
 歩き足りないので、新宿駅途中の小田急代々木八幡駅に降りて、“春の小川歌碑”に寄る。駅から商店街を抜け線路沿いに歩くと“春の小川通り”へ入った。小田急線沿いと調べていたので,そのまま小路を進むが出会えない。諦めて、大通りにバス停があり、新宿駅行きのバスを待った。(2023.2.27 K.K. 1497/1500)

◇日時 2023/2/1 ◇天候 晴れ ◇資料 「我がまち再発見」22.12.15、23.1.5讀賣夕刊 ◇交通費 290円 ◇歩行距離等 14,000歩 10㎞
「通過時間等」自宅8:45-三田線神保町 9:25-小田急新宿駅9:45-同下北沢駅10:05=本多劇場10:15=線路跡公園10:25=富士見教会10:45=森巌寺10:55=北沢八幡神社11:05=坂口安吾文学碑11:15=小田急下北沢駅11:35-同代々木八幡11:50=春の小川通り12:00=代々木バス停12:15-大江戸線西新宿駅12:45-三田線春日駅13:00-自宅13:30

東海道本線で沼津御用邸記念公園、三嶋大社を巡る

 JR東日本大人の休日俱楽部パス利用最終日は、沼津、三島行きとした。JR東海内で、パス利用の圏外だが、熱海駅から近く別途の負担は少ない。沼津では、御用邸記念公園を訪ね、三嶋へ戻り大社へ参拝したい。伊豆の一之宮である。静岡は、都内よりは温暖の地にも期待した。

 熱海駅で静岡行きへ乗換え JR池袋駅から熱海行き特急に乗車。山手線を大崎駅から湘南ラインで、武蔵小杉駅そして横浜へ出て東海道本線を走った。初めての乗車で、スマホで調べると貨物線利用ラインとある。2時間程で熱海駅に着き、静岡行きに乗り換えた。丹那トンネルを抜け三つ目の駅が沼津駅で、下車。案内所で徒歩では遠くバスを教えて貰う。タイミングよくバスがあった。沼津は、沼津アルプス歩いた時(09.5.16)以来。バスは市街地から市役所前を通り、住宅街御用邸前バス停に降り、直ぐであった。

 黒松林の中の御用邸 御用邸は駿河湾に面した黒松林の中にあった(写真上)。明治26年造営という。先の大戦で本邸は全焼したが、周囲の附属邸宅が現存し、昭和45年から一般開放とある。早速入園し、黒松林の中の園内を歩く。日曜日なのに見学者は少ない。西附属邸前から広い中央部を巡る。案内はないが本邸跡だろう。沼津垣という防風・防砂用の独特のご当地垣根があった。そして、駿河湾へと東附属邸連絡口を抜け、海岸へ出た。目の前に海が広がり静かである。しかし、富士は雲の裏か。左手の山々は沼津アルプスだろう(写真中)。前半だけ歩いて、後半は残してあるがもう無理かもしれない。東附属邸を右に見て、塀沿いに中央部に戻る。途中、歴史民俗資料館に寄ると、漁具が目に付いた。大小様々な創意工夫を重ねた漁具があり大半は初めて見るもので、沼津は漁港の街と改めて知った。バス時間が迫りバス停へ。

 三嶋大社に参拝 沼津駅から三島駅は隣駅。三嶋大社は再訪で、凡その道順は頭にある。駅前大通りを行き、旧東海道との交差点を左折すると表参道であった。こちらは参拝者が多く、参道を往来している。正面の本社殿に参拝。社殿はやや大きめの社だが(写真下)、記憶よりは小さ目。いつもと同じようにコロナ退散と孫達の成長をお願いした。当社は源頼朝が再興を祈願した社と知っていたが、一時伊豆蛭が島に流されていたからか。境内に政子と二人の腰掛石があった。三島駅へ戻って、熱海駅から特急で帰京した。(2023/2/20 K.K. 1496/1500)

◇日時 2023/1/22 ◇天候 曇 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス+1470円 ◇資料「沼津御用邸記念公園」、三島商工会議所「みしまっぷ」 ◇歩行距離等 15,000歩 11㎞ 「通過時間等」自宅8:15-JR巣鴨駅9:00-同池袋駅9:14-同熱海駅11:14-同沼津駅11:50-沼津御用邸記念公園12:05/12:47-JR沼津駅13:08-同三島駅13:15=三嶋大社13:30=JR三島駅14:09-同熱海駅15:08-同東京駅16:36-三田線巣鴨駅17:00-自宅17:30

岩峰を眺めながら妙義神社から松井田へ下る

 大人の休日俱楽部パス利用先として、上野駅から新幹線に乗車し高崎駅経由で、信越線横川駅往復を予定した。メインは松井田駅から妙義神社参拝である。関東ふれあいの道群馬県コースが設定されて、2度歩いているが25年も前のこと(96.11.23,98.12.5)で、再訪がチラついていた。そして、横川駅では釜めし弁当である。

 信越線乗車 本日も天気予報通り、二桁の気温で天気も良い。出掛ける前確認した。高崎駅で時間があり、松井田駅にはタクシーはなく呼び出しと教えて貰い、横川行き信越線に乗った。長野新幹線開通以来、信越線は寸断されて、昔の面影は失ってしまった。家内の長野の実家へは信越線で碓氷峠を上下していたが、今、碓氷峠越しはバスとなってしまった。松井田駅に着き、タクシー会社へ電話。無人駅で誰も居ない中タクシーを待つ。快晴無風で復路は歩く予定で、丁度良い。タクシー内で、一本道だと思うがポイントは覚えるようにした。街中から田舎風景を過ぎ山中へ入り、林を抜けると妙義神社参道口であった。早速参道へ入り社へと歩き出すが境内は広く総門までも距離がある。頭上には妙義の白雲山の岩峰が聳える(写真上)。当社は、波己曽大神として537(宣化天皇2)年創建されて、後に妙義神社と改称されたとある。

 妙義神社に参拝? 石段は古く風雪に耐えたような凹凸があり歩き難い上に、手すりもない。急な石段を繰り返し、社殿前へ至り、参拝。いつものようにコロナ退散と家族の健康をお願いした。再訪の筈だが何ら記憶にない神社風景。唯一の思い出は、背後の白雲山岩峰の眺めと途中の大の字岩峰に同行のМさんのリードで鎖を伝い上がった記憶。途中から女坂としたら案内板があり、妙義神社本殿はもっと上の奥とあり、びっくり。現波己曽社と誤認したらしい。今更石段を再度往復する元気はない。そちらへ向け頭を垂れ、参道を下った。

 松井田駅へ 松井田へと舗道下りを開始。土産店やホテル前から林の中の道となり、喫茶店やレストランの看板があるが閉店中のお知らせが見える。里山風景の中を下り、往きに確認した美術館を右に見て、駅へと左折した。振り向くと岩峰の全貌が見え美しい(写真下)。確かめたいが逢う人はなくそのまま下ると碓井川河川敷へ出てしまった。偶々出合った方に確かめると方向が違い、距離もあるという。仕方なく、またタクシーを呼んだ。予定した横川行きの電車には遅れてしまい、高崎行きに乗り、駅構内で遅い昼食を取り草津からの特急で帰京した。妙義神社から松井田駅迄は5㎞程度と思うが、スマホでは10㎞となっていた。(2023/2/13 K.K. 1495/1500)

◇日時 2023/1/20 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス、タクシー3500円 ◇資料「JR全路線図関東・甲信越地方」 ◇歩行距離等 15,000歩 11㎞
「通過時間等」自宅8:00-JR上野駅9:10-同高崎駅10:22-同松井田駅11:00=妙義神社11:10/11:30-JR松井田駅13:23-同高崎駅14:05-三田線新板橋駅15:34-自宅16:00

内房線から外房線へ乗り鉄を楽しむ

 1月後半利用のJR東日本大人の休日俱楽部パスが発売された。ここ数年毎回利用しているが、こんな厳冬期は初めてと思う。東北や信越地方は避け、首都圏内外で乗り鉄に徹すれば楽しめるだろう。その第一候補が房総半島一周。列車内は暖房が効いているし、館山周辺は温暖の地だろう。週間天気予報で寒暖をチェックし、現地が気温10℃以上の日とした。

 急遽内房線へ 東京駅発安房鴨川行き特急に乗車。館山駅往復の内房線特急はないと知り、安房鴨川駅から館山駅経由で内房を戻る予定とした。京葉線車中、スマホで路線検索し、先に内房線から館山駅経由で安房鴨川駅へ行き、特急で外房線に乗れば効率的と気付いた。京葉線蘇我駅に着き、急遽ここから内房線乗車を決意。鈍行だが一度の乗換えで安房鴨川駅へ行ける。姉ヶ崎駅、木更津駅を通過し君津駅で乗り換えた。これらの沿線は若い頃はゴルフをやりに来た。佐貫町駅、浜金谷駅、保田駅を通り過ぎる。左手に鋸山が見え、ロープウエイがあり、2,3度登った。次の岩井駅からの海浜は子供達が小さい頃海水浴の地であった。本日も東京湾は静かである。山側には富山や伊予ヶ岳があり登った。

 館山駅、安房鴨川駅 館山駅に着いたが小さな駅で、停車時間も短い。駅前も繁華街ではない。館山城跡を往復したことがあるが、大分昔である。館山駅から安房鴨川駅間は多分二度目で、記憶にない。海とは離れ、山間の風景が続く。和田浦駅周辺は菜の花が咲く時期との情報があって、車窓から注視したが、畑の一画に咲くだけ。終点安房鴨川駅に下車。駅前へ出て、旧友の出身地が隣町太海で、最後の別れに来たこと思い出した。定年前に難病を得てしまった。あれから10年にもなろうか。

 外房線特急乗車 案内所に寄ると菜の花は咲いているが、バスはなく徒歩で20分以上という。列車時間を優先し、売店で、昼食と呑み鉄用サワーを求め特急に乗り込んだ(写真下)。
 勝浦駅、御宿駅、上総一ノ宮駅、大網駅を通過。この辺りは、関東ふれあいの道千葉県コースが設定されていて、外房の海を眺めながら歩いている。御宿海岸には、月の沙漠がありラクダの像があった。微睡んでしまい、目が覚めたら京葉線を走っていた。東京駅から三田線日比谷駅へ歩き、17時過ぎには帰宅出来た。(2023/2/8 K.K. 1494/1500)

◇日時 2023/1/19 ◇天候 曇 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料「JR全路線図関東・甲信越地方」 「通過時間等」自宅8:50-三田線大手町駅9:40-JR東京駅10:00-同蘇我駅10:57-同君津駅11:37-同安房鴨川駅13:27/14:06=新-同東京駅16:03-三田線日比谷駅16:22-自宅17:10