勝沼に大善寺へ参拝し勝沼氏館跡を見学する

 最近近郊歩きが続き、遠出したい。三連休の最終日に新宿発ホリーデー山梨を利用し、勝沼ハイクを思い付いた。同列車は小渕沢行きの快速で、停まる駅は少なく速い上に普通料金で、塩山から恵林寺参拝(19.03.24)以来の乗車である。コースは、駅からハイキングの“勝沼ぶどう郷めぐり”で、ワインと展望の里を楽しむとある。コース外だが地図上に勝沼氏館跡を見付け、寄りたい。

 甲州盆地の眺め 早めに着き新宿駅で座席を確保した。思った程は込み合ってはいない。中央線を走り大月駅から笹子トンネルを抜け、勝沼ぶどう郷駅に到着。駅案内所で情報を得てスタート。本日天候良く寒くもなく、ハイキング日和。駅前通りを左折し、早速葡萄棚の間の農道を歩く。高台をトラバースする小径となり、眼下には、南アルプス連峰を背景に盆地が広がり(写真上)、甲府盆地と知る。大半の山々は雲を被っているが右端の鋭鋒は甲斐駒だろう。次のポイント大善寺への案内標識が途切れてしまった。持参のマップと見比べると、直ぐ下の葡萄園を貫いている舗道はなく、最近の道路か。小径をそのまま下るとまた大善寺の案内がありホッとする。
 古刹大善寺の歴史 ようやく旧甲州街道が見え始め、左折すると大善寺は近い。山門下へ回り、石段から山麓の本堂に参拝。古式ゆかしき木造で古刹に相応しく、国宝とある(写真下)。養老年間(717-724年)、行基創建と伝わるという。驚いたのは、戦国期、勝頼が新府城から岩殿城へ退避する時最初に宿泊したのが当寺で、尼であった理慶尼(信玄の従姉妹)が書いた記録が遺るとある。小山田の裏切りに遇い日川上流の天目山で自刃したが、日川が寺下を流れている。

 幕末には、新撰組近藤率いる甲陽鎮撫隊と板垣退助の新政府軍が当寺付近で交戦し近藤軍は惨敗したとある。いずれにも歴史に遺る事件だが、古刹自体は巻き込まれることはなかったのだ。境内に芭蕉句碑“勝沼や馬子はぶどうを喰ひながら”があったが、芭蕉を少し調べている私には疑問で、ネット情報では贋作ともある。
 勝沼氏館跡 寺前から旧甲州街道を歩き、勝沼氏館跡へ。街道裏と教わり進入すると、藁小屋が建ち、当時の家臣屋敷跡とある。中世の城跡で家屋の復元は珍しく、カメラに収めた。裏が鍛冶工房や木製品工房跡とある。その先に、濠と土塁に囲まれた立派な内郭が遺っていた。甲州市の資料によれば、15-16世紀の居館跡で、武田信虎の弟信友が拠点としていたようだ。内郭を巡り、土塁上を歩いた。隣を流れる日川が天然の要害であったろう。また旧甲州街道へ戻り本陣跡の案内を眺め、駅へと坂道を上がり続けるとシャトー勝沼前へ出た。ワイン工場で、ぶどうの丘は対面に見えるが近くはなく寄らないでそのまま駅へ歩いた。駅前には食事処はなく、ワインと菓子類を求め、ホームで上り電車を待った。(2019/11/23 K.K. 1296/1300)

◇日時 2019/11/04 ◇天候 晴 ◇交通費 2,760円 ◇資料 JR東日本「駅からハイキング勝沼ぶどう郷めぐり」2002年112頁 ◇歩数等 16,000歩 11km 
「通過時間等」自宅7:50-JR巣鴨駅8:25-同新宿駅9:02-同勝沼ぶどう郷駅10:45=大善寺11:25/11:40=勝沼氏館跡12:05/12:20=シャトー勝沼前12:35=JR勝沼ぶどう郷駅13:10-同高尾駅14:32-同新宿駅15:15-三田線巣鴨駅15:36-自宅16:05

一之江名主屋敷から今井渡し場跡へ

 久し振りに、「東京都の歴史散歩・上」(山川出版社)を本棚から取り出した。頁を括り江戸川区に、”一之江名主屋敷”を見付け興味が湧いた。同書には、巻末に散歩モデルコースがあり、そのコースを歩くことにし、その中の旧江戸川の今井渡し場跡も訪ねたい。都内も、千葉県境に近い江戸川は殆ど歩いたことがなく、土地勘もない。

 屋敷森中の名主邸 都営神保町駅で新宿線に乗り換え、最寄り駅瑞江駅に降りる。一之江駅ではなく瑞江駅からとはネットで調べた。初めての駅で、駅前案内図で名主屋敷へのルートを確かめ歩いたが、見付からない。地元の方に教えて貰い戻った。直前の森内は寺かと早合点し通り過ぎたが、名主家の屋敷森。思った以上に広いお屋敷で、大回りし長屋門前へ。立派な名主屋敷が現存し、都内では唯一という。田島家は元禄年間から一之江の名主を務め、母家は藁葺きの曲屋造り(写真上)で、安永年間の建築とある。台所では囲炉裏が燃え、茅葺き屋根保存には囲炉裏が必要のようで、柱や床は煤け黒光りしている。外へ出て屋敷森を巡り、外からも母屋を眺め、カメラに収めた。都23区内にもこんな屋敷が遺っているのだ。
 表の大通り渡った先が田島家が建立した城立寺。武家であった田島氏は関ヶ原の戦いの際西軍の敗勢を察し、当地へ逃れたらしい。それで現在まで続くのであるから歴史は分からない。現田島家住宅は名主屋敷の隣にあった。大通りを歩き続け、十字路の左手が大雲寺。歌舞伎役者が合葬されている寺で、江戸期から役者寺として有名とあるが、墓地へは回らず、本堂前で手を合わせUターン。

 今井の渡し場跡は市川市内 今井の渡し場へと方向を旧江戸川へ採った筈だが、道路標識は瑞江駅とあり90度違う。次の交差点で右折し住宅街へ至り、小路へ入って近道したら香取神社。境内には小さいが富士塚もある。簡単に頭を垂れ前の通りから旧江戸川堤防へ上がった。右に今井橋を見て、堤防を上下したが渡し場跡には出会えない。上流の樹林の間かなとも思ったが違うようだ。
 スマホを出し検索すると、対岸の市川市側にヒット。それではと今井橋を渡って市川市へ入り、堤防へ出るとジャスト案内板が立っていた(写真下)。江戸川は今でこそ堤防で仕切られ流れは一定しているが、一昔前は流れは変遷し、現在では痕跡もなく案内板だけか。当時は関所の役目もあり、江戸から出るのは自由だが入るのは制限され、千葉から駆け落ちした若い2人が処刑され、その塚跡の案内もある。
 今井の渡し場跡も探し当て、もう残るのは公園で史蹟ポイントはなく、今回の里歩きを終えることにし、都営新宿線瑞江駅へ向ける。今井橋を渡り返し、そのまま直進し新中川に架かる新今井橋先の左手に駅はあった。(2019/11/16 K.K. 1295/1300)

◇日時 2019/10/31 ◇天候 晴 ◇交通費 シルバーパス ◇資料 「東京都の歴史散歩・上」(山川出版社1992年)268頁 ◇歩数等 17,000歩 12km 
「通過時間等」自宅8:45-都営神保町駅9:25-同瑞江駅10:00=一之江名主屋敷10:20=城立寺10:45=大雲寺11:00=香取神社11:30=今井橋11:55=渡し場跡12:00=都営一之江駅12:35-三田線神保町駅13:05-自宅13:40

大雄山最乗寺を再訪し奥の院参拝をする

 最近山歩きは少なくなり、里歩きでも史跡や社寺巡りも多くなっている。加齢に加え、毎週コンスタントに歩く都合だろう。興味はそこそこあり、交通の便も良く、歩いても翌週へ持ち越す程ではない。小田急沿線から少し離れた南足柄にある大雄山最乗寺(04.5.23)を思い出し再訪することにし、最近ご無沙汰の花友へ声を掛けたらOKが出た。

 金太郎像が出迎え 10時小田原駅に待ち合わせ、同駅発大雄山線に乗車。私は二度目だがBさんは初乗車という。終点大雄山駅に降りると、駅前に金太郎が鉞担いで熊に跨る像がある(写真上)。バスで最乗寺へ。門前町から森の中の坂道を上がる。終点には土産店数軒あり、降りて歩き出す。早速参道石段が続く。深い山中に杉の古大木が並び、古刹、霊場の雰囲気十分。現在ではパワースポットというのだろう。2人でゆっくりと上がる。グループ一行はハイキングか。
 古刹はパワースポット 本寺は、曹洞宗に属し了庵慧明禅師開創以来600年の古刹で、修業道場でもあり、関東の霊場として知られ、境内山林130町歩、堂塔30以上にも及ぶとある。先程来、ひしひしと霊気を感じているのは我々だけではないと思う。
 仁王門から更に石段を上がり続ける。記憶にある境内へ至り、グループとは別に右折し瑠璃門から書院前へ上がる。そして、本堂へ。堂内に入った参拝者もあり、我々も続いて参拝。広い本堂内は、300畳敷きとBさん暗算し教えてくれた。前回は確か読経の声が聞こえたと思うが、本日は静か。鐘楼や古池を右に見て、奥へ進み御真殿前で、朱の高下駄を見る。天狗用なら一本歯と思うが、此処のは二本歯で、カメラに収めた。

 奥の院石段に挑戦 奥の院の石段に挑戦。前回はUターンしたが、Bさんに背中を押された。50段程上がって、急な長い石段が目の前へ迫る(写真下)。150段位と読み、ゆっくりと一歩一歩踏みながら50段毎に休憩を入れる。追い越す方もいるが無視し、2度ではなく3度休み、200段を越して、奥の院。意外に質素で、小さな御堂でまた参拝。女坂はないかと探したが無く、石段を下る。上から覗く石段は急で怖い位。手すりに触れながら下り終えた。Bさんと境内端の沢沿いを歩く。てんぐのこみちとある。先日の大雨の影響は少ないようで、やや多目の流れか。それでも明神ヶ岳への登山口には、道崩れで閉鎖の貼り紙があった。紫陽花の案内があり、Bさん、来年のシーズンには友人達を案内したいと気に入ってくれたようだ。
 バス停へ下り、バスで大雄山駅に戻り駅前で乗り継ぎ、新松田駅から小田急で帰途に就いた。数日間脚に筋肉痛が残った。Bさんはどうだったろうか。(2019/11/11 K.K. 1294/1300)

◇日時 2019/10/26 ◇天候 曇り ◇資料 昭文社「山と高原地図 箱根」1994年 ◇歩数等 8,000歩 6km 
「通過時間等」自宅7:30-都営神保町駅8:10-小田急新宿駅8:27-大雄山線小田原駅10:12-同大雄山駅10:55-最乗寺前バス停11:05=最乗寺本堂11:25=奥の院11:45=最乗寺前バス停12:24-大雄山駅前12:45-小田急新松田駅13:07-都営新宿駅14:41-三田線神保町駅14:51-自宅15:30

のんびりではなかった奥武蔵入曽から入間へ

 私のホームコース奥武蔵ではめぼしいコースの大半は歩き、残りはアクセスの悪い山奥と思う。収集パンフ類を丹念にチェックし、入間・加治丘陵の入曽から入間、稲荷山公園を歩くコースを見付けた。入間付近は、奥武蔵も飯能の手前で、西武池袋線で通過している地域である。パンフには“のんびり散歩コース”とあり、気軽に出掛けた。

 入曽で二度躓く スタート地西武新宿線入曽駅は、所沢駅の先で、旧職場の先輩が新居を構えた時お邪魔して以来に降りた。50年も前のことで記憶にはなく、もう新興住宅地の面影もない。
 最初のコースポイントは七曲井だが、駅前通りを左折した先で、一本手前の大通りへ入ってしまい、新宿線踏切へ至り誤りに気付き、戻らないで右手先の不老川沿いに歩いて井戸跡に着いた。平安時代中頃の竪堀井戸跡という(写真上)。飲み水に不自由した武蔵野台地での先人達の苦労を示す史跡。カメラに収め、また踏切へ。隣の神社では秋祭りの準備中であった。踏切を渡り、茶畑もある住宅街を直進し続けるが、不老川河畔へは出ない。先か先かと行くも出会わない。地元の方に尋ねると、川は住宅街の裏と教えてくれた。大分北上した先に川が流れ、パンフ地図で確かめると、踏切直ぐに右折で、また誤っていた。現在地が不明だが、山勘で川沿いに東進する。右下は池かと思ったら公園で、先日の雨で遊具が水の中。次の交差点前に福祉センターがあり、やっとコースに乗った。

 入間基地、ジョンソンタウン コースは川の土手道で、荒れた踏み跡程度。土手は自衛隊入間基地飛行場のもの。川から離れ右折すると高台で、飛行場を一望できたが、飛行機は一機もない。先日の台風襲来で避難したのであろうか。この飛行場は見学したことがある。入間の研修所で全省庁の研修があり、その時見学し、軍用機の下でパイロット用装束を着けるチャンスもあった。
 入間市街方向へ左折し、学校地区で校庭での少年野球を眺めながら歩いていたら、次のポイントジョンソンタウンを過ぎてしまう処であった。少し戻り、右手へ入ると洋風住宅街。現入間基地は戦後米軍のジョンソン基地で、隊員居住地の名残らしい。大半はカフェやレストラン、雑貨店で、全て木造一階建て(写真下)。その間を歩く買い物客が多い。子供の頃隣町に米軍基地があり、2,3度訪ねたが、余りにも遠い昔のことで蘇らない。
 稲荷山公園から帰る 彩の森入間公園でメタセコイア並木を通り抜け、正門を出ると基地事務所庭には各種飛行機類が展示してある。大通りを右折し家政大学前を過ぎて、また踏切。直ぐ左手が稲荷山公園。奥武蔵ハイキングの帰途車窓から眺めていた。今回は、入口から覗いて普通の緑地公園と違わないと確かめ、踏切傍の稲荷山公園駅で池袋行きを待った。(2019/11/07 K.K. 1293/1300)

◇日時 2019/10/20 ◇天候 曇り ◇資料 西武鉄道「のんびり散歩入間・加治丘陵」2011年3月 ◇歩数等 23,000歩 17km 
「通過時間等」自宅8:30-JR巣鴨駅9:10-西武池袋駅9:20-同所沢駅9:53-同入曽駅10:05=七曲井10:20=福祉センター前11:05=西武池袋線踏切11:20=ジョンソンタウン11:40=彩の森入間公園11:50=稲荷山公園12:25=西武稲荷山公園駅12:35-JR池袋駅13:20-三田線巣鴨駅13:30-自宅14:00

小田急豪徳寺駅から世田谷線沿線を歩く

 小田急電鉄が設定する自然ふれあいの道から豪徳寺駅コースを歩くことにした。首都圏の私鉄各社は、沿線にハイキングコースを設定している。東武鉄道や西武鉄道はガイドブックも販売し、JR東日本も駅からハイキングコースを宣伝している。乗客増加策だろう。
 小田急豪徳寺駅に着き、駅でコースマップを貰った。ネットで検索も出来るが駅で入手出来る。今回は豪徳寺と世田谷城跡が主なポイントだが一度訪ねていている(01.3.24)。地図から近くに世田谷代官屋敷が現存すると知り、是非見学したい。

 世田谷八幡宮から コースガイドに従い、北口へ出て、東急世田谷線踏切を渡りユリの木公園を行く。見覚えのあるような並木だが思い出せない。左折し、小田急線高架下から住宅街になり乗泉寺別院前。境内のクスノキ大木を眺め、カメラに収める。世田谷線沿いに右折し世田谷八幡宮へ参拝。古社で、源義家が後三年の役の帰途立ち寄り、宇佐八幡から分霊し、世田谷城主吉良氏が社殿を再興したとある。力石や土俵もあり、江戸期から奉納相撲が盛んだという。
 豪徳寺、世田谷城跡は再訪 世田谷線を渡り直進すると豪徳寺の参道。松林の下から境内へ。二度目だがここも記憶が薄い。鐘楼や三重の塔を見上げながら本堂前へ。建て替えたようで新しい。軽く詣でて、井伊家の墓地へ。彦根の井伊家は当地にも領地があり、菩提寺とし、二代直孝や十三代直弼はじめ一族の石塔が並んでいる。奥の直弼の墓を確かめた。当寺は招き猫にも縁があり(写真上)、直孝が当寺付近で雨宿りをしていた時猫に招かれ歩いた途端先の場所に落雷があり、救われたとの話しの繋がりで、社務所でも販売していた。
 豪徳寺の直ぐ先が世田谷城跡で、こちらは記憶に一致した。土塁と濠跡が遺る。足利氏重臣吉良氏の治家の代、応永(1394-1428年)頃の築城らしい。その後北條氏の支配下となり小田原征伐で廃城になった。約200年の間当地を支配し、前回歩いた奥沢城を支城とし玉川神社(旧熊野神社)や満願寺も建立していることからも、往時の繁栄振りが窺える。もっと広い城郭の筈で遺構はどの部分か調べたが手許の資料では不明。土塁跡へ上がって手前を半周し城跡を出た

 世田谷代官屋敷は見学不可 最後は、世田谷代官屋敷で、商店街通りを歩き世田谷線を渡り返し、駅前交差点から天祖神社境内を抜けさせて貰うと、代官屋敷前で正門だ(写真下)が、現在工事中で、見学は出来ない。吉良氏の重臣であった大場氏は、世田谷城廃城後当地で帰農していたが、1633(寛永10)年、井伊家に代官に任命されたという。工事中の屋敷を柵越しに覗くと母屋の茅葺きの屋根が見える。世田谷の住宅街にはミスマッチだが屋敷森もあり堂々とし、歴史を感じさせる。なんとかアングルを探し、正門と母屋の屋根に向けシャッター切った。管理人が出て来て、年末のポロ市までは完成し公開すると、パンフを渡してくれた。是非機会を見付け見学したい。礼を言いバス停を探した。(2019/11/02 K.K. 1292/1300)        

◇日時 2019/10/15 ◇天候 曇り ◇資料 小田急電鉄「自然ふれあい歩道コースマップ 豪徳寺駅コース」2014年12月 ◇歩数等 12,000歩 9km 
「通過時間等」自宅13:00-神保町駅13:48-小田急新宿駅14:06-同豪徳寺駅14:25=乗泉寺別院14:40=世田谷八幡宮14:50=豪徳寺15:00=世田谷城跡15:20=世田谷代官屋敷15:35=世田谷区役所口バス停16:00-JR渋谷駅前16:31・・・三田線内幸町駅19:15-自宅20:00

芭蕉を辿り鶴岡を訪ね60年前を思い出す

 今回の帰郷は羽越線を経由し、鶴岡を訪ねることにした。最近はまっている俳聖の足跡を追うのが主目的だが、山形県五大市の中、鶴岡が未訪で残っていた。それでも、タキタロウの大鳥池や羽黒神社を訪ねた時鶴岡駅で乗降した。昨年湯殿山参拝ツアーでは市内に泊まったが、市内を歩くことはなかった。鶴岡ヶ城跡(96.4.30)を見学して以来23年振りである。

 句碑、滞在邸跡、乗船地 鶴岡駅に降り、芭蕉句碑のある山王日枝神社を目指す。駅正面通りの先右手、僅かな記憶の地にあった。本殿に詣で、境内外れの弁天島に、1889(元禄2)年6月10日当地で詠んだ“珍しや 山を出羽の 初なすび”の碑があった(写真上)。羽黒山から下山した感じだろうか。次は、芭蕉が3日間滞在した長山邸跡だが、目印の富樫ろうそく店を見付け、裏小路へ入る。寺の先に案内があり、小さな空き地が鶴岡藩士長山重行の屋敷跡で、入口石碑に芭蕉滞在の旨刻んであるらしいがもう読めない。カメラに写すと、奥にも句碑が建ち、先程と同じ句であった。小路を直進すると内川に突き当たり右の大泉橋袂に、芭蕉乗船の地跡とある(写真中)。ここから舟で赤川へ出て、酒田へ向かったのだ。これで、鶴岡での芭蕉足跡は区切りが付く。

 風間邸見学 風間邸を探す。この度市内地図を眺め初めて知った有形文化財。内川沿いを歩き右折すると風間邸で、門は大きくはない薬医門だが邸内は広く立派なもの。明治29年7代当主建築とあり、案内して貰う。風間家は、鶴岡藩の御用商人で貸金業も行い、庄内では本間様に次ぐ豪商で、また大地主であったという。昭和になって現荘内銀行へ引き継がれたと説明があった。少し離れた別邸の庭も見学した。

 鶴岡ホテルの思い出 鶴岡ホテルを訪ねる。風間邸受付で、現在営業はしていないが建物がありその場所を教えて貰った。内川へ戻って鶴園橋を渡り右折すると、見覚えのある木造建物があった。庭の位置も間違いなく、表には、鶴岡ホテルの看板もその儘(写真下)。
 約60年前県高校総体が当地で開催され、“明日は、宇部(インターハイ開催地)へ出て行くからは 何が何でも勝たねばならぬ 空に灯が付く鶴岡ホテル 俺の闘志がまた燃える”と、ここの2階で唱った。当時流行していた王将である。順当に勝ち上がり翌日準決勝、決勝戦。しかし、決勝戦の相手は強敵N校で、後半こちらのキャプテンとポイントゲッターの2人が5ファールしてしまい、突き放されてしまった。その思い出は強く残り、当時のメンバーが集まるとその話になったが、最近3年位は、集まる機会がなくなってしまった。ホテルをカメラに収めた。その後、藩校致道館を見学し、大宝館を眺め、城址公園本丸跡の荘内神社に参拝し、鶴岡市役所前でバスを待った。決戦した市体育館は、通り反対側の先にあったと知った。(2019/10/18 K.K. 1291/1300)

◇日時 2019/10/6 ◇天候 曇り ◇交通費 10,300 ◇資料 JR東日本「駅からハイキング75歴史と文化の城下町・鶴岡」2002年170頁 ◇歩数等 18,000歩 13km 
「通過時間等」自宅7:25-JR上野駅8:30-同新潟駅10:57-同鶴岡駅12:50=山王日枝神社13:10=長山邸跡13:20=大泉橋13:30=風間邸13:40/14:00=旧鶴岡ホテル14:10=致道館14:20=荘内神社14:35-JR鶴岡駅15:39-同余目駅16:02-同新庄駅17:22-同東根駅18:00=実家18:30

世田谷に九品仏、善養寺を訪ねる

 神奈川県境辺りに歩く先を思い巡らし、奥沢城跡を思い出した。一度訪ねた(99.9.4)が、同窓会講演会と重なり駆け足で、城跡遺構を確かめなかった悔いが残り、再訪したい。等々力渓谷先にある珍しい狛犬や大榧木のある善養寺にも寄りたい。弟を誘おうとして神奈川からも乗り入れている東急沿線を選んだが、結局1人で歩くことになった。

 九品仏と奥沢城跡 我が家から東急大井町線九品仏駅は遠くはなく1時間強である。三田線の日吉行きに乗り、大岡山駅で大井町線に乗り換えた。九品仏駅直ぐ裏手が、九品仏浄真寺。二度目だが記憶にない山門や鐘楼のある境内。都内世田谷とは思えない広さで、周囲を樹林が覆い武蔵野の名残であろう。左手の土手状の草むらが奥沢城の土塁跡で(写真上)、標識が示している。周囲を囲んでいたのであろうが、現在では僅かな痕跡である。
 奥沢城は、吉良氏が城主である世田谷城の支城として、1551(天文20)年築かれ、家臣大平出羽守が城主であったが、その後北條氏の支配下になり、秀吉の小田原征伐で廃城になったという。その跡に、江戸期になって1678(延宝6)年に創建されたのが浄真寺であるが、国宝や重文の建物類は見当たらない。奈良や京都の古刹とは年代違いなのだろうか。境内奥に上品堂を挟んで中品堂、下品堂が並び、各堂には三仏が祀られ、これで九品仏かと思いながら、三堂で手を合わせ、孫達の成長等をお願いした。

 裏手墓地の裏門は閉められ、また戻り境内外側を回って、奥沢住宅街を直進し、目黒通りへ出ると通りを挟んで玉川神社。ここも吉良氏が熊野神社から勧請したとある。次の満願寺も、吉良氏縁の古寺とあるが、改築のためかその雰囲気はない。
 狛犬と再会 大井町線等々力駅傍踏切から、今回は渓谷へは下りないで、等々力不動へ寄りまた参拝。境内を真っ直ぐに進み渓谷先へ出て、山勘で善養寺を探す。住宅街を右折、左折すると墓地があり、多摩川土手手前に高い樹も見える。坂を下って、表門から境内に入ると、独特の狛犬が迎えてくれた(写真下)。大榧も健在で聳えている。狛犬は犬には見えず、ネット情報では、「海駝(かいだ)の坐像」で、海駝は架空の神獣・・・世界でも5つしかない珍しいもののようだ。カメラに収めた。最後のポイント六所神社が見当たらず、野毛地区をウロウロ。善養寺裏の高台に鎮座していたが、由緒書きもない社で、簡単に頭を垂れ、また往路へ出て、等々力渓谷遊歩道を歩く。都内とは思えない渓谷で、薄暗い林の下散策者は多い。ここは数度目で、150回の時や花友を案内し、また500号紀行本祝賀会の折仲間達とも歩いた(09/11/7)。最近の雨の所為か流れは多く、綺麗ではない。
 渓谷を出て、等々力駅近くの往きに出会ったバス停で、東京駅南口往きバスを待つ。バスは直ぐ来て、目黒通りを都心へ走った。(2019/10/21 K.K. 1290/1300)

◇日時 2019/10/3 ◇天候 曇り ◇資料 中山権四郎「城跡ハイキング 奥沢城」平成7年146頁 ◇歩数等 15,000歩 11km 
「通過時間等」自宅9:40-東急大岡山駅10:59-同九品仏駅11:05=九品仏浄真寺11:10/11:35=玉川神社11:50=満願寺12:05=等々力不動12:25=善養寺12:40=六所神社13:05=等々力渓谷13:20=等々力バス停13:30-三田線目黒駅14:08-自宅15:00

佐久龍岡城跡を再訪する

 佐久のコスモス街道を地図で調べていたら、龍岡城跡が近いことを知った。同城跡は、五稜郭形式というわが国2例のみの歴史的遺産で、過去に一度訪ねている(06.8.13)が、不思議なことに記録がない。家内実家の初盆の際、小海線を利用して寄ったことは記憶にあり、間違いない。今回は車で、時間があれば、Sさんにお願いしようと思いながら、出掛けた。

 急遽龍岡城跡へ 内山峠トンネルを抜け、群馬から信州佐久へ入り、国道254号のコスモス街道を走った。両側にコスモスが咲いているのが見える。佐久の中心街中込手前辺りで、“龍岡城”の案内標識を見付けた。やっぱりと思い、車内でSさんへ私の思いを伝えた。車は速く時間はあり、頷いてくれた。
 コスモス街道沿いさくらい蜂蜜店で休憩し、龍岡城跡を尋ねると、車なら15分と教えてくれた。またコスモス街道を下り、途中から臼田方向へ左折し、集落が散らばる田園地帯を走り、橋を渡り左折すると、城跡公園駐車場であったが、見覚えはない。前回は小海線龍岡城駅から歩いて15分位であったと思う。
 五稜郭龍岡城の歴史 龍岡城は、幕末も、1863(文久3)年に築かれた五稜郭で、歴史の浅い城(写真上)。三河奥殿藩主松平乗謨(ノリカタ)が、幕府の老中格陸軍総裁を務めて西洋の城郭知識を得たらしい。1万6千石の小藩で、奥殿(現愛知県岡崎)から、飛び領地で陣屋のあった当地田野口へ本拠を移し築城したという。3年で完成したが、直ぐ明治に至り廃藩、廃城を迎えてしまった(大類伸「日本城郭事典」平成2年105頁外)。

 車を降り、目の前が城跡だが、入口を探し石垣沿いに左へ行くと濠があり、五稜の一つ(凸部)を確かめながら次の凹部大手口へ。その前に案内所ふれあい館があり、先程は観光バスが見えた。見覚えのある大手口だが、改装されているようにも見える。カメラに収めながら郭内へ。現在は小学校で、グランドには子供達が見える。奥の体育館のような建物は、唯一現存の台所櫓とは知っていた。前回よりは新しく、同じく化粧直ししたのだろう。
 五稜郭を眺める 左手の土塁へ上がり、大手口から続く、五角の一端の濠を見下ろす(写真下)。往年と変わりはないのだろう。シャッターを切った。学校校舎の裏側は見られなかったが、こぢんまりとした五稜郭で、その大半は濠も遺るが、函館の半分以下の規模だろう。前回の感想でもあったが、何処や誰を想定し、このような形式の城郭をわざわざ当地に造ったかという疑問は残った儘である。大手口右に社があり、幕末頃の戦争犠牲者を祀ったようで、その中に北越戦争2名とある。Sさんが、新政府軍と長岡藩の戦いと教えてくれた。あの河井継之助が活躍した戦と思い出した。同じ譜代の当藩からも、近くはない長岡藩へ派兵したのであろう。ふれあい館を覗いて、パンフ貰い退城した。Sさん、私の急なお願いに案内、お付き合い戴き、有り難うございました。(2019/10/15 K.K. 1289/1300)

◇日時 2019/9/29 ◇天候 晴 ◇資料 佐久市観光協会「佐久市田口史蹟めぐり」 
「通過時間等」自宅・高島平6:30-佐久中込9:00-桜井蜂蜜店9:10/9:35-龍岡城跡9:50/10:20-佐久高原大秋桜園10:50/11:50-軽井沢植物園12:50/13:15-高島平・自宅15:40

コスモス街道、佐久高原でコスモスを楽しむ

 9月も半ば過ぎ、コスモスが咲く季節である。群馬内山峠の先、信州佐久にあるコスモス街道へ、Sさんに車で案内を請うたらオーケーが出て、日程を調整していた。折しも、山形の姪からメールが届き、叔母さんコスモスが好きでしたねとある。忘れていた訳ではないが、家内の好きな花であったことは確かで、仏前へも手配しなくてはと思う。

 内山峠、コスモス街道 関越高速道から上信越高速道へ入り、下仁田ICで高速を降り、内山峠へ向かった。上信県境の深い山中で、左手に荒船山の垂直の崖が見える。トンネル内で県境を越し佐久へ至り、里へ出ると、コスモスが見え始め、コスモス街道であった。途切れはあるも両側にコスモスが続く。車窓からは少し遅かったようにも見えるが、未だ花期内。街道は佐久の中心中込へと続くが、花は手前迄。狩人の唱う“コスモス街道”には、右は越後へ行く北の道、左は木曽まで行く中山道とあり、佐久の当街道ではなく、もっと北西の信濃追分か岩村田付近のようだ。
 Uターンして貰い、往きにチェックしていたさくらい蜂蜜店庭へ駐車。庭には満開のコスモスが咲き揃っている(写真上)。私は、カメラを手に赤やピンクの花々の間を巡り、店前のコスモス街道を上下する。街道でも山に近いからか丁度見頃。店内で休憩し、Sさんお焼きを注文。私もお相伴に預かる。若い頃家内の実家で出されて知ったが、まんじゅうの中が、漬物や茄子にはビックリ。家内が懐かしそうに食べる横で、苦闘した思い出がある。現在では、まあ食べられるようになり、一個戴いた。

 佐久高原大コスモス園 コスモス街道を上がり、旧道で内山峠へ。峠頂上には荒船山登山口があり、見覚えがある(11.10.31)。今回は通過し、佐久高原にある山荘あらふねの大コスモス園へ。Sさんがネットで探してくれたコスモスの名所。駐車場から左手先にコスモスの花々が見え始め、期待できそう。
 湖の土手から高原へ上がると、目の前に満開の大コスモス園が広がり、高原一面に花々が咲き並び、乱れている(写真下)。見物者も多く、後に付いて高原を半周。赤やピンクが中心だが、白も混じる。素人の私には、アングルが難しく、画面一杯に花を写す外はない。1200mの高地で、また広く、手入れ、管理が困難ではと余計なことを考えてしまった。高原のコスモスの花に充たされ、高原を下ると、右手先にまた荒船山の崖がくっきりと見えた。レストハウスで昼食し、Sさんの案内で軽井沢へ出て、植物園を一回りし、シオンやヒゴタイ、ミナヅキなどの珍しい花を見る。街路樹は黄色に染まり始め秋の到来を告げていた。Sさんお世話になりました。秋桜には満足しました。有り難うございました。(2019/10/11 K.K. 1288/1300)

◇日時 2019/9/29 ◇天候 晴 ◇資料 佐久市観光協会「観光ガイドマップ信州佐久」◇歩数等 11,000歩 8km
「通過時間等」自宅・高島平6:30-佐久中込9:00-さくらい蜂蜜店9:10/9:35-龍岡城跡9:50/10:20-佐久高原コスモス園10:50/11:50-軽井沢植物園12:50/13:15-自宅15:40

選定を誤った白駒池から渋の湯下山コース

 進むべきか戻るべきか 狭くて急な石ゴロ沢の途中で、脚が止まってしまった。踏み跡も、赤テープも見当たらず、進むべきか、戻るべきか。下り続けるのも容易ではない。周囲は深い森。渋の湯発最終バス時間はさっき過ぎてしまった。子供の頃祖父が教えてくれた”沢を下れば里へ出る”とは、故郷の里山でのこと。ここは北八つ山麓の深い山中である。

 麦草峠、白駒池 本日、北八つ麦草峠、白駒池を巡るため、茅野駅からバスで麦草峠へ上がった。峠最高点(2120m)を越し、白駒池へ歩いた。シラビソ原生林内の苔が有名で、カメラに収めながら池端へ出ると、高地の池は静かに水を湛えていた(写真上)。昼食休憩し、下りに備える。下りは、手許の地図にある高見石へ上がり、渋の湯へ下るコースを見付けていた。下るコースタイム1時間10分で、最終バスにも余裕がある。

 高見石から賽の河原へ 白駒池を離れ、高見石へと薄暗い林の中を上がり続ける。大石ゴロゴロの坂道で歩き難いがゆっくり脚を一歩一歩を進める。平日なのにハイカーを見掛け、二組に抜かれるも急がない。頭上に空がチラチラしてから長いが、小屋前へ出た。思ったより速く、コースタイム50分の処45分。エッ本当と疑いながら、小屋前で休憩。案内板に、渋の湯へは緩やかな道とあり、ニンマリ。しかし、30分後は状況が一変した。
 高見石から直ぐ渋の湯へ左折しシラビソ林の中苔を見ながらゆっくり下ったのは、林内だけ。30分程で賽の河原の上で、正面には天狗岳(2645m)が聳えている(写真中)。急降下の道を慎重に下りた広い沢底部の河原は、溶岩の巨石や大岩で覆われた大ガレ場で、その上を歩く。時には石上を跨ぎ、時には降りて横をすり抜け、これを繰り返すが、脚が短く、体重が重い私には簡単ではない。怪我が怖く、岩角に手を掛け、足場確保を優先。賽の河原にも赤テープがある。途中で前方に高山が見え御嶽山で(写真下)、カメラを望遠にし写した。こんな余裕は此処まで。

 戻ってコース確認 地蔵様前を過ぎ、300m以上はあった鬼の賽の河原を脱出したと思ったが、下山路はその後もゴロ石が連続する沢。コースタイムを過ぎ、そろそろ渋の湯へ飛び出すと期待するがその気配はない。そんな歩きを続け、右折したら、冒頭の地点に至った。 道を誤ったかと思い、セオリー通り右折地点へ戻ると、赤テープ通り。そのまま沢を下り続け、コース案内に出会い渋川へ出てホッとしたが、ここからも簡単ではなかった。四ヶ所の木橋はいずれも新しいもので、最近の大洪水を示し、道も荒れ途切れ途切れのよう。谷沿いを懸命に歩き続け、黒百合平への分岐を過ぎ、ふと右を見ると建物があり、渋の湯であった。高見石から3時間経過し、コースタイム二倍以上。地図の誤植を疑い、帰宅後調べたら私並みの山行記録が2例あった。電話を借りタクシーを呼び、5時の特急あずさに乗れた。(2019/10/4 K.K. 1287/1300)

◇日時 2019/9/29 ◇天候 晴 ◇交通費 15,960円 ◇資料 昭文社「山と高原地図八ヶ岳・蓼科」1995年 ◇歩数等 16,000歩 11km
「通過時間等」自宅6:50-JR同新宿駅8:00-同茅野駅10:25-麦草峠11:40=白駒池入口11:50=白駒池12:05/12:15=高見石13:00/13:10=賽の河原13:45-14:15=戻り地点15:00=渋の湯16:15/17:05-JR茅野駅17:52-同新宿駅20:15-三田線巣鴨駅20:35-自宅21:05

御成門から於岩稲荷へ歩き、浜離宮に黄花秋桜を観る

 今年も秋桜の咲く季節になり、キバナコスモスが浮かぶ。数年前都心木場公園で出会い、魅了されてしまった。その後、特にキバナコスモスを探しているが、中々感動するような花には会えない。木場公園は1年限りで、ネットでコスモス園を見ているが、結局、昨年と同じ浜離宮庭園にした。歩くコースは代えようと港区御成門をスタートし、浜離宮庭園を経て中央区新川の於岩稲荷へ歩くことにした。

 御成門、芝離宮 三田線御成門駅に降り駅を出て、御成門前から浜松町へ左折。JR浜松町駅先で、芝離宮庭園を覗く。本日高齢者は入園料フリーと教えられた。直ぐ傍に桔梗の花が咲き、紫紺の花への再会を喜び、カメラに収める。コスモスはなく、石灯籠のある池端を巡り、園を出る。次の浜離宮へは、いつもとは違い竹芝へは行かず、手前のビルの側を行くとイタリア公園緑地があり、西洋ススキ、パンパースが穂を空へ向けている(写真上)。近づきシャッターを切る。天空を指す白い大きな穂は好きである。高速道路下から、浜離宮へ。

 今年もキバナコスモス 本日は、中の御門から入園し、知っているコスモス畑へ直行。コスモスの花はあるが、倒れているものもある。先日の台風の所為だろう。キバナコスモスが一画を占め咲いているものの、私には最初の印象が強く残り、物足りない。艶がなく、色もやや褪せて見える。それでも、高層ビルを背景にしたアングルを探す(写真中)。
 園を出て、中央区へ入り、工事中の旧築地市場から波除神社へ。場外市場は健在で、外人も含め賑わっている。正面の神社へ参拝。此処も2,3度目だろう。

 鉄砲州神社富士塚に再会 隅田川のかちどき橋袂へ上がり川面を眺め、ビル街の日陰を進む。目指す鉄砲州神社は、聖路加病院前を直進すれば良いと、いつもの山勘を働かせる。病院前を通過し、有楽町線のある大通りを渡る。町内案内図はないがその儘行くと、公園の先に神社が見え、鉄砲州神社。参拝し、帰ろうとしたら、富士塚があると分かる。本殿裏手に大きな溶岩の塚があった。出発前、当社は二度目で富士塚があった筈と、記録を捲ったが見付からなかった。やはり以前に見た富士塚で、カメラを向けた。
 於岩稲荷神社へ 歩きも最後になり、於岩稲荷神社は初めての参拝。中央区湊地区から亀島川を渡り新川地区へ。また町内案内図はなく、路地を覗くと綠の木々が見え境内かと進入したら於岩稲荷田宮神社。同社は新宿左門町にあり、江戸時代、史実でないのに芝居四谷怪談の題材にされ大当たりしたという。それで、明治期に歌舞伎役者達が、芝居小屋に近い当地にも祀ったとある。奥のお百度石(写真下)も撫でて、近くの都営バス停から東京駅八重洲口行きに乗った。(2019/09/30 K.K. 1286/1300)

◇日時 2019/9/15 ◇天候 晴 ◇交通費 シルバーパス利用 ◇資料 昭文社「東京都市図」◇歩数等 16,000歩 11km
「通過時間等」自宅9:55-三田線御成門駅10:45=芝離宮庭園11:05=浜離宮庭園11:25=波除神社12:00=鉄砲州神社12:30=於岩稲荷田宮神社12:45=新川二丁目バス停12:55-東京駅八重洲口13:05=三田線大手町駅13:20-自宅14:05

町田薬師池公園に森陰を歩き蓮の花を観る

 本日は、弟と小田急自然ふれあい歩道を歩く予定で、集合地町田駅へ向かっていた。しかし外は暑く、高年者のハイキングには向かない天候。車中、炎天下歩かないで済む社寺巡りや公園散策へ予定変更を思い付き、町田の薬師池公園が浮かんだ。大分前だが一度ハイク友に案内して貰ったことがあった(06.4.30)。幸い弟には歩く先は未だ伝えていない。町田駅からのアクセスをスマホで検索した。

 町田薬師池公園へ 町田駅に降りると改札口に、弟は待っていた。薬師池公園へと告げ、北口から裏通りのバス停へ出た。弟は、初めての地と言い、少しホッとする。街中から郊外へ出て、バス停薬師池に降り歩き出すと公園裏門があり、入園。樹林の下の歩道で涼しい(写真上)。森を出て小さな谷戸、狭間で、中心は湿地だが、ハナショウブは終わっている。右手に水車小屋がある。久し振りで、近付いて眺め、カメラに収めた。薬師池手前を左折し移築の古民家へ。旧地主宅が定番だと思うが、一戸は医者のお宅。薬医門から中を覗くと農家とは間仕切りが違う。先のは藁葺きの農家で、入口には広い土間である。
 薬師池と蓮の花 公園のシンボル薬師池は、そう広くはない池で、太鼓橋が架かる(写真下)。天正時代あの北條氏邦の領地で、溜池として開発され、氏邦の裁可を得たとある。彼は武蔵寄居鉢形城主として知られる。渡って反対側へ出て、警備室があり、当園パンフを貰い、七国山の位置を尋ねるが良く分からない。本園も二度目だが、記憶にある風景は見当たらない。加齢の所為だろうか。
 直ぐ先が蓮池。遅いかなとも思ったが、ポツリ、ポツリと、ピンクの大型の花が咲いている。古代蓮、大賀蓮で、弟は、池回りでアングルを探している。私は、ベンチで休憩し、水を補給しながら、埼玉白岡の蓮の花もこんなものだったと思い出した。

 薬師堂に参拝 蓮池を離れ、右手土手へ上がり、林の中を歩きちょっぴりハイキング気分を味わう。七国山へと期待したが、そう偶然はなく、野津田薬師堂へと続き、公園外へ出で、参拝。天平年間に繋がる古刹のようだが、現堂宇は明治期の再建とある。孫達の成長と家内とぽんずの引き続きの成仏をお願いした。また樹林帯の下を歩き、谷戸から裏門へ出て、バスを待った。
 町田駅で、朝預けた物をコインロッカーから出し、弟と交換。私は好物ウィスキーを貰い、弟へお裾分けの田舎料理を手渡した。駅前で昼食をし、また歩こうと約束し分かれ、私はJR横浜線で東神奈川駅へ出て、京浜東北線有楽町駅に降り買い物をし、帰宅。本記録印刷用のインクカートリッジを求めた。最近記録作成が多く、消費、交換時期が速い。(2019/09/23 K.K. 1285/1300)

◇日時 2019/9/7 ◇天候 晴 ◇交通費 370円、青春18切符10 ◇資料 「薬師池」◇歩数等 12,000歩 8km
「通過時間等」自宅8:10-JR巣鴨駅8:50-小田急新宿駅9:10-同町田駅北口10:12-薬師池バス停10:30=薬師池11:00=野津田薬師堂11:20=薬師池バス停11:45-町田駅(昼食)12:15/12:52-JR東神奈川駅13:20-同有楽町鴨駅14:00・・・・自宅15:30

白馬親海湿原、姫川源流を歩く

 今年も白馬開催の会合に参加した。私は、山歩きが主目的で、白馬大雪渓へと予定していたが、夏季シーズンが過ぎバスの便がない上に、天候も良くない予報で、タクシーを奮発するのも今一である。白馬村内にある親海湿原、姫川源流を知り、駅から徒歩圏内で、そちらを歩くことにした。今回は、同行者は現れない。

 フシグロセンノウが咲く湿原 朝ホテルを出る時、大雪渓の方向を見上げたら黒雲に覆われていた。大糸線大町行きに乗り、南神城駅に降りた。小さな無人駅で、案内図で湿原の方向と道順を確かめスタート。農村集落の間を行き、中心街へ出て、湿原への案内に従い左折し森内を進むと、親海湿原へ入っていた。思ったより広くはない原っぱで、木道を行くが、自然というよりは荒れた湿原で、花は少ない。白い花はウドやカラマツ草か。ヒメシャジンもある。紺色の花はサワキキョウと知った。確かに花の色は桔梗だが花の形が違う。木道へはみ出て咲いている濃いピンクの花がある。カメラに収め、帰宅後調べるとミソハギ。最端からUターンすると途中に、フシグロセンノウの花を見付け(写真上)、近付くと多数の薄橙の花が咲いている。これまで、花の名山飯盛山等で2,3度出会っただけの珍しい花。慌ててシャッターを切り、花友へとスマホにも写した。薮には薄橙の花が多数咲いているが、歩道から距離がありカメラは届かない。それでも、フシグロセンノウの花に充たされ、湿原を一回りし入口へ戻った。

 姫川源流へ 姫川源流へと森内を行く。意外に近く、源流湧水は、地下から渾々と湧き出ているというよりは、どんどん流出している(写真下)。これが姫川になり白馬村から糸魚川へ出て日本海へ注いでいる。昨年の本会合の後、姫川沿いに走る大糸線に乗り渓谷を眺めた。信越県境の山中は大渓谷であった。源流では犬を連れたご婦人が写真を撮っている。軽く挨拶をし、持参ポットに湧水を汲む。水割り用で、思った以上冷たい。名水100選とある。カメラに収め、森を出た。青木湖が上方にあり、湿原も源流もそこからの地下水ではないかと想像した。
 塩の道佐野坂付近を通過 駅へ戻る途中、道祖神前に塩の道千国街道の標示があった。佐野地区とある。往路でも気になったが、青木湖畔から佐野坂を越し、塩の道を白馬へと歩いたのは8年前のこと(11.7.24)。確かに記憶にあるような古道である。
 南神城駅から大町駅、松本駅へ出た。予定では、篠ノ井線に乗り長野駅経由で帰るつもりであったが、丁度中央線上り塩山行きの鈍行があり、飛び乗ってしまった。青春18切符利用には有効ではあったが、些か時間が掛かりすぎ、新宿駅に着いた時は20時近かった。花は、「高山・亜高山の花ポケット図鑑」(新潮文庫)で調べた。900号記念にハイク友や花友達からのプレゼントである。(2019/09/21 K.K. 1284/1300)

◇日時 2019/9/2 ◇天候 曇り時々小雨 ◇交通費 現地分青春18切符9 ◇資料 赤旗日曜版「長野白馬村 親海湿原・姫川源流」18.7.15 ◇歩数等 15,000歩 11km
「通過時間等」宿泊先9:30-JR白馬駅10:24-同南神城駅10:35=親海湿原10:55/11:15=姫川源流11:35=佐野地区塩の道11:45=JR南神城駅12:35-同松本駅14:17-同高尾駅18:45-新宿駅19:50-三田線巣鴨駅20:08-自宅20:35

法隆寺、伏見稲荷を巡り参拝する

 前日大阪で用務を終え宿泊した。本日は帰るだけだが、いつものように法隆寺と伏見稲荷へ寄り道し、京都駅へ出ることにした。伏見城跡も浮かんだが、あれは歴史とは無関係な模擬天守と分かり、興味が退いた。出来るだけJRを利用し、残りの青春18切符を利用したい。

 JR天王寺駅で関西線奈良行きを待った。一昨年、奈良春日大社、東大寺からの帰途法隆寺へもと欲張ったが、疲れでパスした。言わばリベンジで、JR法隆寺駅に降り、ルートを確かめ歩く。ほぼ直線で20分とある。駅前から郊外になり、側道を斑鳩の里へ歩き続ける。大きな交差点で左折し、バスターミナルを過ぎて法隆寺南門参道前に着き、松林の参道を進む。
 静寂な中大古刹を廻る 法隆寺は二度目で、約50年前大阪万博を見学の際、会議の後に案内して貰ったことがあった。我々の高校生の頃山形では関西旅行が恒例であったが、我が高校だけはなく、京都、奈良は大分後に訪ねることになった。そんなことで、最初の時は、特に法隆寺を見学したことを覚えているが、駆け足であったと思う。
 南大門前に立ち、両側に続く長い土塀は記憶にあった。西院伽藍内へ入り、多くの古い寺院建築物の間を巡り始める。オフシーズンなのか、見学者は少なく、静かである。これとて目当てもなく、案内に従い、五重塔を見上げ、大講堂を通り抜け、金堂を覗いたら多くの仏像が林立している。私は知識もなく、興味も湧かない。廊下のような建物の方が古刹のポイントのように見え(写真上)、アングルを探した。案内所のお坊さん、金堂の像は13像中、10像が国宝と教えてくれた。鏡池前には、子規の句碑があり、“柿食えば・・・”で、私には、こちらの方が法隆寺である。大宝像院では、百済観音像などを見て、東大門を経て東院伽藍へ移動し、参拝後古色蒼然の夢殿回廊を一回り。こちらは太子とお札で知っているが、大分前のことである。

 総本山伏見稲荷大社へ参拝 駅へ戻って奈良駅へ行き、JR奈良線へ乗り換え伏見稲荷へ向かう。駅名が稲荷駅とは初めて知った。参拝に一回りしこの駅名には少し納得。私はこちらも二度目と思っていたが、初めての稲荷大社。
 直ぐ大鳥居が立ち、稲荷駅前から伏見稲荷参道。多くの参拝客で込み合い、それも欧米人も含む外国人観光客が多い。参拝者が交差する参道を行き、まずは本堂へ参拝。全国稲荷神社の総本山とあり、裏へも鳥居の朱色のトンネルが続き(写真下)、更にご本山稲荷山へ一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰と続いている。都内の稲荷神社でも連続する鳥居は見掛けるが、規模、長さが大違い。次の奥宮で、また孫達の成長等をお願いしUターン。次回の参拝で、本山稲荷山を廻るには、山歩きを覚悟して来なければならない。そのチャンスはあるだろうか。そんなことを考えながら、駅へ戻り、京都駅へ出た。(2019/09/16 K.K. 1283/1300)

 

◇日時 2019/8/27 ◇天候 晴 ◇交通費 現地分青春18切符8+190円 ◇資料 聖徳宗法隆寺「法隆寺縁起」 ◇歩数等 15,000歩 11km
「通過時間等」宿泊先7:30-JR鶴橋駅7:40-同天王寺駅7:58-同法隆寺駅8:30=法隆寺8:45/9:50=JR法隆寺駅10:11-同奈良駅10:23-同稲荷駅11:20=伏見稲荷11:20/11:45=JR稲荷駅11:49-同京都駅12:00-JR東京駅15:00-三田線大手町15:20-自宅16:00 

天満宮から御堂筋に芭蕉終焉の地を訪ねる

 今年の春大阪生駒山に登った(19.4.22)。その帰途大阪市内の地下鉄本町駅で、芭蕉句碑の案内に出会い、急遽地上へ出て難波別院南御堂を探し句碑を眺め、カメラに収めた。その時芭蕉終焉の地もこの辺りの筈と、スマホで検索し御堂筋へ出て、上下したが探せなかった。この度、また大阪へ行く機会があり、是非探したい。

 大阪天満宮に参拝 正午過ぎJR大阪駅に着き、友人で同業のMさんに会い、梅田で昼食しながら本日の用務の打ち合わせをした。幸い仕事は15時過ぎからで、その前に天満宮と御堂筋に寄りたいと伝え、JR北新地駅へ案内して貰った。JR東西線に初めて乗り、隣のJR大阪天満宮駅に下車し、案内図を確かめ地上へ出た。商店街の中左折すると裏参道で、天満宮へ導かれた。学問の神様道真公に参拝し、来年高校受験の北海道の孫の事をお願いし、賽銭はいつもより多目である。受験時期には湯島天神様へもお願いしたい。
 天満宮と大塩の乱 境内を巡ると、古い木造の山門や神殿で(写真上)、戦災は免れたが、あの大塩平八郎の乱で燃えたとある。中学か高校の日本史で習った事件で、スマホで調べると、天保の飢饉からの町民救済を求めての決起であり、一揆のような乱で、悪代官もいて、最近楽しんでいる水戸黄門漫遊記の筋書きのようでもある。神殿裏側に登竜門の案内があるが良く分からない。カメラに収め、後にゆっくり調べようと思う。
 徒歩で御堂筋へ 地下鉄南森駅から堺筋本町駅へ行き、徒歩で御堂筋のある本町駅へ出たい。駅員に徒歩と伝えて教えて貰い、ビルの地下街を歩く。あの船場のようだ。四つ目のビルで地上へ出ると御堂筋。同筋を左の方へ行ったが見当たらない。事前の調べでは、大通りの中の緑地帯に標柱だけが終焉の地を示していると思う。前回句碑があった難波別院南御堂もない。反対側かなと戻って、高速の下を過ぎると、前方の緑地帯にポツンと立つ標柱が見え、あれだと自動車に注意しながら近付くと、芭蕉終焉の地と刻んであった(写真下)。前回は、もっと南、心斎橋の方へ歩いてしまったようだ。

 遂に終焉の地碑 俳聖は、門人の諍いの仲裁に来坂中病臥に伏し、当地にあった花屋仁左衛門宅で亡くなった。1694(元禄7)年10月のことで、51歳、おくのほそ道の旅から5年後であった。“旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る”を詠み、辞世の句として知られ、今春、難波別院南御堂境内の句碑で確かめている。これで、私の俳聖の跡追いハイキングにも、おくのほそ道の大半を歩いたときは締めになるかもしれない。用務の時間が迫り、綿紡会館へ急いだ。
 先日、山形の読者から“奥の細道330年芭蕉展”の情報を貰い、日比谷に訪ねた。芭蕉後の蕪村達は、風流人、文人として俳聖を追跡、研究し作品を遺している。単なる追っ掛けの私は、場違いかなと思わざるを得なかった。(2019/09/14 K.K. 1282/1300)

◇日時 2019/8/26 ◇天候 晴 ◇交通費 現地分300円 ◇資料 日本メールオーダー社「大世界百科事典アルファ」1974年、5469頁 ◇歩数等 13,000歩 10km
「通過時間等」自宅7:50-JR東京駅9:02-同新大阪駅11:50-同大阪駅(昼食)12:06-同北新地駅13:26-同大阪天満宮駅13:35=天満宮13:40/14:00=南森駅14:05-堺筋本町駅14:15=御堂筋本町駅上14:35=芭蕉終焉の地碑14:45=用務地15:00

船橋県民の森からアンデルセン公園へ

 今回は近郊にしようとして、船橋のアンデルセン公園に思い当たった。ネットで四季の花々を検索すると時々ヒットし知っていた。現在ひまわりが見頃らしい。アクセスを調べると船橋も郊外で、バス利用。地図を見回していたら、北総線白井駅から県民の森を経てアンデルセン公園へのコースを思い付いた。距離があるが、私は歩きが主目的だからノープロブレン。

 北総線白井駅スタート 京成線を青砥駅から北総線に乗り換え、千葉へ入った。3年前(16.12.25)北総台地を歩いて以来の北総線で、千葉ニュータウン中央駅手前の白井駅に降り、スタート。県民の森へ向け、大通りを直進する。左右には、団地と銀行や郵便局はあるが商店は見えない。高校を過ぎ、川に突き当たりを左折したが、川沿いの道はなく戻って回り道し二重川を渡る。この辺りは地元の大きな農家が並ぶ。梨園を過ぎると県民の森。大きな森で、バーべ-キュー広場もあり本日も人出があるようだ。森内へ進入すべきか迷ったが、アンデルセン公園がメインだから、暑くなる前に公園へと、森端の道路を行く。
 県民の森からアンデルセン公園へ 今回、地図をスマホで写し保存している。見たいときは、胸ポケットから出し、拡大も出来、手軽で便利。県民の森西口前を通る。方向的には疑問だが、真っ直ぐに歩き大通りを右折。丁度バスが来て、アンデルセン公園経由とあり、正解であった。バス停先を左折すると公園西口。入園料を支払おうとしたら、高齢者はなしと聞き、ラッキー。園内マップを貰い、園内を巡る。船橋とデンマークの都市が姉妹都市で、現在はアンデルセン童話仕様の公園へ移行したとある。

 ひまわりは満開 晴天下家族連れが目立つ中、未知の洋花を眺めながら(写真上)、奥へのメルヘン丘へ入り向日葵畑へ。一面咲き揃い満開(写真下)。これまで見た花より小振りで丈が低く、黄色そのもので橙系ではない。カメラに収めがなら花に近付く。親子も写真を撮り合っている。デンマークの農家の前から、アンデルセン像を見上げて、風車の広場。レストランもある。ベンチで一休みし、暑さが増す前にと腰を上げ、自然体験ゾーンへ。池の橋を渡ると母子が水中に網を入れている。バケツを覗いたら、小魚とザリガニがいた。林の中の遊歩道を巡る。こちらは陽が差さず涼しいのに、歩くのは私一人。僅かな間ハイキング気分を味わって、西口へ戻る。
 船橋駅経由し都内へ 色々迷ったが、バス一本で船橋駅へ戻れるので、西口バス停へ。直ぐバスが来て、乗車。途中からバスは、昨年不動の滝へ歩いたコースを通り、夏見町を通過。当地から通う大学同級生がいて、彼は司法試験に合格し弁護士開業していると年賀状で知っていた。あれから50年、来月末大学主催の記念パーティがあり、会えるかなと期待している。
 京成船橋駅、同八幡駅から都営新宿線で帰途に就いた。(2019/09/11 K.K. 1281/1300)

◇日時 2019/8/24 ◇天候 晴 ◇資料 「ふなばしアンデルセン公園」平成30年6月 ◇歩数等 19,000歩 13km
「通過時間等」自宅8:05-新宿線神保町駅8:47-東日本橋駅9:01-北総線白井駅10:00=白井高校10:15=富ヶ岡橋10:25=県民の森10:35=アンデルセン公園11:05/11:55=西口バス停12:02-京成船橋駅12:58-新宿線本八幡駅13:20-三田線神保町駅13:45-自宅14:20

相模線、横須賀線を乗り切る

 ハイキングにのめり込んで以来20数年。歩く先の資料類は多い。地図やガイド、各地のパンフの外、JR全路線図も手許にある。古い時刻表から外しファイルしてある。これで、行く先の位置や交通アクセス検討に便利にしている。特に乗り鉄には欠かせない。今回は、その中「拡大図(東京付近)」で(写真上)、相模線から横須賀線を選んだ。

 八王子駅から橋本駅へ 相模線は、茅ヶ崎駅から橋本駅へ走る神奈川県内の路線だが、私は八王子駅から横浜線で橋本駅とした。新宿駅へ出て、中央線に乗り八王子駅で横浜線に乗り換える。乗り鉄には座席確保が先決で、始発駅だと可能性が高い。首尾良く座ることが出来、橋本駅を目指す。私が10年程前通った南大沢キャンパスの南側を走り、少しは記憶にある風景が見える。直ぐ橋本駅に着き、ホームを移動し相模線へ。橋本駅構内も久し振り。やはり南大沢キャンパス時代に数回乗降した。
 相模線乗車 こちらも始発で長椅子に座り茅ヶ崎駅を目指す。相模線は1,2度乗っただけの線で、乗り切ったことはない。左右は田園地帯で、右手に相模川やその河原が見えると思う。知る駅名は原当麻駅や相武台駅だけ。弟と小田急線座間駅から歩いたのは相武台駅先のひまわり畑へだった。その時期だが今年はどうだろうか。海老名駅、厚木駅を通過し、小田急線と接近し乗り換え可能駅で、一度走ったことを思い出したが、どちらの駅であったろうか。相模線も後半になり、寒川駅では寒川神社に詣でたことがあり、大きな由緒ある社であった。茅ヶ崎駅に到着し、相模線は終わり、東海道本線で、横須賀線に乗るべく大船駅へ。

 横須賀線久里浜駅往復 車中スマホで、横須賀線を少し調べてみた。同線は大船駅から久里浜駅までの短い路線と知った。私は、東京駅、久里浜駅間の通勤路線と思っていた。1889年(明治22)年開設され横須賀駅迄で、軍港都市への輸送のためであったという。1944(昭和19)年久里浜駅へ延長された。三浦半島の真ん中を走り、鎌倉駅、逗子駅を通過し、低い山々の間からトンネルが多いが、皆短い。田浦駅は、梅林があり初春に二度ほど来ている。左手が横須賀港で、繋留された大きな数隻の軍艦が見えた(写真)。現在でも変わりはないのだ。横須賀には、祖父方の遠戚の方がおられて、子供の頃夏休みには帰郷し、遊びに寄ってくれることがあった。お互いに消息が途絶えて久しい。そんなことを思い出しながら、久里浜駅に着き駅前へ出た。初めての駅で、駅前は空き地のような風景。先に京浜急行の高架が見え、あちらは三崎口駅往復に良く利用している。駅舎をカメラに収めて、東京行きの横須賀線に乗った。(2019/09/08 K.K. 1280/1300)

◇日時 2019/8/18 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符7 ◇資料 「JR全路線図・拡大図(東京付近)」 ◇歩数等 8,000歩 6km
「通過時間等」自宅10:00-JR巣鴨駅10:31-同新宿駅10:51-同八王子駅11:50-同橋本駅12:14-同茅ヶ崎駅13:23-同大船駅13:37-同久里浜駅14:20/14:40-三田線巣鴨駅16:40-自宅17:10

水戸線に乗り水戸城跡を巡る

 8月に入り、青春18切符を既に購入している。今回は、Sさんを誘い水戸へ行くことにした。彼は水戸は未訪の地という。往きは宇都宮線で小山駅へ行き、水戸線に乗り換え水戸駅である。復路は常磐線にし、新松戸駅で武蔵野線とすれば、武蔵浦和駅へは近いだろう。朝は、赤羽駅に待ち合わせた。

 ハイキング先と水戸線 宇都宮線小山駅までは、昨年暮れ2人で乗車し両毛線に乗り換えたが、今回は反対方向の水戸線で、タイミング良く友部行きが待っていた。水戸線は数回乗ったがいずれもハイキングである。結城駅は結城城跡を訪ねた時乗降し、結城紬を見て魅せられたことがあった(15.6.28)。下館駅からは真岡鐵道が分岐し、益子焼き見学に来ているし、奥の茂木駅からは那珂川へ歩き簗場で鮎を食べた(96.8.17)。電車は筑波山の裏を走り、岩瀬駅を通過。大分前だが、関東ふれあいの道が筑波山へ続く縦走コースに挑戦したが、途中でリタイアしてしまった(00.4.1)。Sさんにそんな話しを紹介しながら乗り続ける。笠間駅は水戸線の中心で、笠間稲荷や城跡があり、躑躅も有名で、花友と訪ねている(17.4.30)。先日、母親の実家に疎開した縁で、坂本九の歌碑が当地にあるとテレビで観たとSさんに話したら友部駅に着き、発車メロディが“上を向いて歩こう”で、2人は顔を見合わせてしまった。
 水戸城跡と弘道館見学 友部駅で常磐線に乗り水戸駅到着。駅前の黄門様一行の銅像を案内し、市内へ。正面の大通りを行き、弘道館へ右折するが、三の丸濠跡へ出てしまった。城跡内へ入り、偕楽園からの戻りに二度ほど歩いたルートを通り、県庁脇から水戸藩の藩校弘道館へ入館。重文の正庁(写真上)から内部を一回りし、見学。幕末に徳川斉昭公が推進し、藩士とその子弟が学んだという。あの黄門様が編纂した“大日本史”が教科書として使われ、展示してあり(写真下)、思わずカメラに収めた。当館は全国の藩校の中でも有名で、他藩から多くの見学者が訪れたが、その中に吉田松陰もいたと知った。

 御三家の水戸城は広く、弘道館の前が二の丸跡でありその先で、大手門の再建工事中。深い濠跡を橋で渡って本丸跡だが現在は遺構はない。濠の底地を水郡線が走っている。さらに先の本丸跡に水戸一高があり、薬医門が移築され、シャッターを切った。戻って、水郡線に沿い駅へ戻り、昼飯用弁当を求め、常磐線へ乗車。
 霞ヶ浦を眺める 土浦駅に途中下車し、霞ヶ浦へのルートを確かめ往復する。わが国二位の広さの湖というが、眺めた位置が悪いのか、そんなには見えなかった。我孫子駅からは各駅停車に乗り、新松戸駅で武蔵野線とし、我々の終点武蔵浦和駅に着いた。Sさん、今回も有り難うございました。またお付き合い下さい。(2019/09/06 K.K. 1279/1300)

◇日時 2019/8/11 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符5、6 ◇資料 「水戸市観光案内」◇歩数等 9,000歩 6km
「通過時間等」自宅8:06-JR板橋駅8:33-同赤羽駅8:57-同小山駅10:07-同友部駅11:19-同水戸駅11:40=三の丸濠11:55=弘道館12:00=薬医門12:40=JR水戸駅13:00-同土浦駅13:45=霞ヶ浦湖畔14:05=JR土浦駅14:32-同新松戸駅15:20-同浮間舟渡駅16:46-自宅17:15

最北の美幌峠に立ち屈斜路湖を眺める

 今年の渡道は、美幌峠へのバスの便が開始した時期に合わせた。十勝音更からの帰路は、網走から美幌峠を目指した。前日網走駅前に泊まり、峠へ向かったのであるがとんでもないミスをしてしまった。生来の早呑み込みとそそっかしさの所為である。一瞬峠行きは諦めようかとの思いが頭を掠めた。それでも、峠に立つことが出来た。

 女満別駅か、美幌駅か 北海道滞在最終日、美幌峠へ向かうべく、朝8時過ぎ網走駅で石北線に乗り、女満別駅に降りた。しかしバス停はなく、駅で聞いたがないという。駅前をウロウロしようやく気が付いた。峠行きバスは、女満別空港発だがバス停のある駅は女満別駅ではなく、二つ先の美幌駅ではなかったかと思い、スマホで検索したら美幌駅と分かった。駅の方にタクシー会社の電話番号を教えて貰い、タクシーを呼ぶ。時間、費用とも、何とか間に合い、美幌駅でバスを待った。
 峠の先は屈斜路湖 美幌峠は二度目である。若い頃に訪ねた思い出から、学生の頃見た小林旭の大草原の渡り鳥シーンと重なり、今回再訪を計画。美幌駅は記憶になく、古い鉄道車輌のある倉庫のような展示室が浮かぶだけ。定刻に阿寒バス社のバスが来て、小型バス内は7人の乗客。市街地を出て、峠へ走った。高原地帯へ上がり、峠頂上手前に降りると周囲は緑一色の草原だが、私のイメージと同じではなく、前回の記憶とも違うと思う。観光客の多い中、先ずは峠展望台へ坂道を上がる。途中に唄が流れ、美空ひばりの“美幌峠”の歌碑があるが、私は初めて聞く唄。カメラに収め、展望台へ。私の予想に反し、反対側は落ち込みその先は大きな屈斜路湖(写真上)。旭の渡り鳥が馬で渡った大草原ではなかった。

 “君の名は”のロケ地 峠の道の駅へ入ったら、当地がロケ地になった映画君の名はの第二部が紹介され、当時の写真が展示してある。主演佐田啓二と岸恵子の有名な映画だが、当地も舞台になりロケが行われ、アイヌの娘役で北原三枝も出ていたとある。初耳で、そう言えば、歌手織井茂子が“クロユリは恋の花 アイヌの神のタブーだよ・・・”と唱う、君の名はの主題歌があり、それで符合すると知った。昭和20年代の後半で、よくこんな最北の地を舞台やロケ地にしたと感心してしまった。
 バスの時間になり、私は女満別空港行きに乗り、峠を下った。美幌駅での休憩中、駅前に“君の名は”の碑と“まちこ杉”があった(写真下)。ここの駅でも春樹と真知子の擦れ違いがシーンが撮られたようである。帰宅後、アルバムを探したら見付かり、峠は“平成元年8月25日”の日付で、まちこ杉の写真もあった。あの時は、確か弟子屈に泊まり、バスで摩周湖、硫黄山、屈斜路湖、そして美幌峠で、その後美幌駅へ下りて阿寒湖、釧路だったと思い出した。若い頃にした初めての北海道の旅で、30年前は遠い過去であった。 (2019/08/30 K.K. 1278/1300)

◇日時 2019/8/3 ◇天候 晴 ◇交通費 5,630円 ◇資料 ひがし北海道観光協議会「2019ひがし北海道」 ◇歩数等 9,000歩 6km
「通過時間等」網走宿泊先8:30-JR網走駅8:40-同女満別駅9:10-同美幌駅10:00-美幌峠10:40/11:55-女満別空港15:05-羽田空港16:00-三田線三田駅16:30-自宅17:15

釧網線原生花園駅に下車し北の花を楽しむ

 十勝音更からの帰路は、北見又は網走へ回り、女満別空港から帰京と決め予約していた。美幌峠へのバスも走り出し、帯広駅から網走駅へと鈍行利用で、持参の青春18切符が役に立つ。釧路駅からの釧網線は、この時期原生花園駅に臨時停車すると分かり、寄ることにした。北の夏の野花を眺めたい。それも原生花園で期待が膨らんだ。

 釧網線原生花園駅下車 17時前、原生花園駅に降りた。未だ明るい中、前方に湿原が広がり、左手先には端正な斜里岳が見える。降りたのは私一人だが、見物客はいる。インフォメーションセンターがあり入ったら閉店準備中。案内パンフもない。問題は、次の網走駅行きが2時間30分後。夕食で時間稼ぎも出来ない。バス停を見付け、1時間後網走行きがあると知り、花園巡りを開始。
 湿原に設けられた遊歩道の木道へ進む。花は数種類咲いているが、名前が分かるのはハマナスだけ。花が大きいように思う(写真上)。後に調べようとカメラに収めながら湿原へ。大分先には馬が放されている。地図では濤沸湖とあるがこの時期、湖水は退き草原から湿原のよう。
 オホーツク、知床、砂丘の花々 踏切を越し海側へ。砂丘へ上がると、オホーツクの大海が直ぐ前だが、本日は波も静か。8kmも海岸線が続き、右手先には知床半島が見えるも、もう山々は確認できない。砂丘に花々を求め、カメラに写しながら巡る(写真下)。ハマナスの外、エゾフウロやエゾカワラナデシコ、キタノノコギリソウ、ハマヒルガオ、ツリガネニンジン、アキカラマツ等。フウロのハクサンフウロやアサマフウロは高山植物として有名たが、北の国では砂丘に咲いている。
 バス停にいると、一頭の馬が遊歩道へ近付いて来た。水飲み場があり、勢いよく飲んで、また仲間の方へ戻って行った。時間通りバスは来たが、網走駅前迄は結構時間がかかった。

 鈍行で帯広、釧路、網走へ 今朝遅く娘に帯広駅へ送って貰い、釧路行きに乗車。車内も暑いが扇風機。昨年釧路駅から乗っている(18.6.8)ので、大凡の駅や風景は記憶にある。牧場風景から山へ入って越し、右に海が見えて進むと釧路駅であった。釧路駅で昼食を取った。
 網走行き2両の気動車は、外国人旅行者も交え満席状態。こちらも扇風機が回っている。程なく左手に釧路湿原を眺めながら、塘路駅を過ぎる。ここまではノロッコ号で往復したこと(10.7.16)があった。湿原を過ぎると森の中を走り、標茶駅から摩周駅になる。以前弟子屈駅と言い摩周湖の最寄り駅で3年前乗降した(16.6.3)。原生林の中になり各駅間も距離がある。清里町駅付近から深い森を出て家並みが見え出し、右手に斜里岳(1.547m)が聳えている。窓越しにシャッターを切った。知床斜里駅から浜小清水駅を越し原生花園の大湿原へ入った。(2019/08/25 K.K. 1277/1300)

◇日時 2019/8/2 ◇天候 晴 ◇資料 JR北海道「釧網本線絶景の旅」2019、同「天然の花畑小清水原生花園ウォーク」 ◇歩数等 7,000歩 5km
「通過時間等」K宅9:10-JR帯広駅10:20-同釧路駅(昼食)13:10/14:12-同原生花園駅16:55/17:52-網走駅前宿泊先18:30

夏の十勝士幌に孫達と遊ぶ

 音更東士幌の長女宅滞在2日目、こちらも30℃を超し暑いが蒸し暑さはなく、夜は過ごしやすい。本日は、車で案内するから行きたい所はと聞かれたが、少し考えて、”富良野の五郎の家”と言ったら、遠すぎるという。層雲峡の方が近いと言われ、距離感覚が分からない。お任せにし、孫3人と車に乗った。

 ナイタイ高原牧場へ 東士幌の河田牧場を出た車は、牧場に点在する酪農家の間を北上していると思うが、私には同じ風景が続き、何処を走っているか分からない。もう10回程は来ているが、広大な十勝の牧場風景に惑わされている。山へ近付き、山腹に切られた舗道を上がる。左右は高原牧場だが、牧草地に牛や馬の姿は見当たらない。そうしたら一本の木下に、牛10数頭程が丸く固まっていた。牛達の暑さ凌ぎという。河田牧場の牛達も暑さで、乳の出が落ちていると聞いた。ナイタイ高原牧場のテラスに着き、眼下に綠一色の高原を眺めながら、孫達とご当地アイスクリームを食べる。久し振りのアイスクリームは美味しい。ミルクが違うのか。標高800mの山腹だがそう涼しいとは思わない。
 全貌を現したタウシュベツ橋激 次は、上士幌糠平のひがし大雪自然館。名前を聞いて二度目と思い出した(09.6.13)。同じメンバーであるが、今回は長孫が留守でいない。羆やエゾシカの剥製があったと思う。館は改装されて、位置は違っていたが再会した。記憶と違い剥製は少し小さいように見えた。孫達も中学生2人と小五で静かに観ている。一回りし、館を出た。私は、此処まで来たら、タウシュベツ橋は近い筈と是非にとお願いし、回って貰った。旧国鉄士幌線の鉄橋であったがダム建設で線路が付け替えられて、放置された橋。糠平湖ダムの水位で見え隠れすることで人気になり、一度孫達のこちらのお祖父さんに案内して貰ったが、僅かしか見えなかった(12.7.17)。夏場の渇水期に期待。舗道沿い駐車場に降り、原生林下の小径から湖畔へ出た。樹林の間から覗くと、幻の鉄橋は全体が姿を現していた(写真上)。慌ててズームにし、シャッターを2,3度切った。そんな私の側で、孫達はクール。復路で、代わった士幌線跡を跨いで舗道へ出た。

 孫達と山ノ湯を楽しむ 糠平温泉で入浴。古い木造旅館で、風呂場も板張りの如何にも山ノ湯らしい(写真下)。丁度良い加減で、我々だけで温泉を楽しんだ。嘗ては永六輔達文化人の句会も開かれたとあり、色紙等が飾ってあった。
 最後に、上士幌鉄道資料館に入館。再訪で、孫達と資料を見学。1925(大正14)年に地元の大歓迎を受け開通したが、1987(昭和62)年廃止された。森林伐採、木材の積み出しに活躍したようである。帯広まで繋がり、孫達の祖父母やその兄弟達も通学に利用していたという。長孫は、帯広の高校へはバス通学である。帰宅後、隣の祖父母宅でジンギスカンをご馳走になり、麦酒はサッポロClassicであった。(2019/08/23 K.K. 1276/1300)

◇日時 2019/8/1 ◇天候 晴 ◇資料(株)カーチ「ナイタイテラス」、上士幌町「ひがし大雪自然館」2016、上士幌町鉄道資料館「心に士幌線は走る」◇歩数等 8,000歩 6km
「通過時間等」K宅11:30-ナイタイテラス12:30-ひがし大雪自然館13:30-糠平湖14:10-糠平温泉中村屋(入浴)14:30/15:25-上士幌鉄道資料館15:35-K宅16:50

富良野線を乗り切り孫達が住む音更へ

 夏になり、今年も渡道を計画。北海道は夏季に観光地を結ぶバスの便が良くなり、待っていて7月末から8月にした。処が高2の孫のアメリカホームスティに重なってしまった。ご免なさいをして、計画通りにした。旭川から富良野線で富良野を経て、根室本線に乗り換え新得へ出て、帯広にした。JR北海道乗り鉄である。

 旭川から富良野線で美瑛へ 旭川空港から旭川駅へ出るのは何年ぶりだろうか。長女達が美深に住んでいた頃は数度経験している。旭川駅は建て替えられて近代的な駅になっていた。最初の美深行きの時、家内と地下の食堂で、珍しい鯖味ラーメンを食べたのを思い出した。
 一台前の美瑛行きに乗れ(写真上)、旭川駅を出たディーゼル車は、郊外住宅地の小さな駅停車を繰り返して走り、程なく両側が畑地になり、この時期トウモロコシ畑が広がっている。白い花は蕎麦か。背が低いように見える。先程降りた空港が左手奥の地を通り、林の中を走り美瑛駅であった。旭川駅美瑛駅間は初めての乗車。駅前は二度目で見覚えがある。前回は新得駅、富良野駅からで、新栄の丘とケンとメリーの木を往復し、バスで旭川空港であった(14.7.20)。飲み鉄用に地酒男山を求めた。
 富良野行きに乗り継ぎ、林を出て、右手にラベンダー畑を見ながら、列車は富良野駅へ走った。もう花の時期は過ぎ、臨時駅での乗降も少ない。富良野駅構内で昼飯にし、案内所で情報を得たが、北の国からの展示館は閉鎖されていた。五郎の家は徒歩では無理な位遠いと分かった。

  代行バスで狩勝峠を越す 根室本線東鹿越駅新得駅間は3年前の台風被害で不通になり、現在バス代行とは知っていた。山中へ入り東鹿越駅に下車しバスへ。バスは山村にある幾寅駅、落合駅に寄り僅かな客を降ろし、坂を上がり続ける。美瑛を歩いた時一度新得駅から富良野駅へ乗ったが、この辺りの根室本線はジャングルのような深い森の中の沢沿いを走ったのを思い出した。台風被害と復旧困難は分かるような気がする。
 峠は狩勝峠で、一度は訪ねたいと思っていた。長い下りを経て、新得駅に着き(写真下)、待っていた帯広行きに乗る。新得は、我が故郷東根と縁があり、明治期の最初の入植者が東根からの13戸で成功し、現在では姉妹都市という。今年東根市長に聞いたら、数回訪問していると答えてくれた。蕎麦が名産で、駅構内の製品展示のショウケースは蕎麦が中心で、カメラに収めた。
 帯広は近く、十勝清水駅、芽室駅から、孫達の父が通った高校のある西帯広駅を過ぎ、下車駅であった。音更へはバスも予定したが、娘が車で迎えてくれた。この度は孫達の同乗はなく、初めてのことで成長の証しであろうか。(2019/08/21 K.K. 1275/1300)

◇日時 2019/7/31 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符3 ◇資料 ふらの観光協会「富良野・美瑛広域観光まっぷ」令和元年年6月  ◇歩数等  7,100歩 5km
「通過時間等」自宅5:45-三田駅6:30-羽田空港7:30-旭川空港9:55-JR旭川駅10:39-同美瑛駅12:08-同富良野駅14:19-同東鹿越駅15:13-同新得駅16:35-同帯広駅17:10-長女宅17:50

埼玉白岡に古代蓮見物へ

 7月も半ばを過ぎ、蓮の花も咲く頃である。埼玉白岡に古代蓮を巡る駅からハイキングパンフを入手しタイミングを計っていたら、ネットでも咲き始めたとある。白岡は、JR宇都宮線沿線だが、大宮の先で、そう遠くはない。同僚には通勤していた方もいた。前回の秘湯の会集合地久喜駅の手前で、私は通ったことはあるが、乗降したことはない。本日曇りだが雨空ではなく、ようやく梅雨明けの兆しだろうか。

 白岡地元の社寺へ スタート地は新白岡駅。蓮花情報はないかと改札付近を見回したがない。駅前は、いかにも新興住宅地のような風景で、空き地の中に新しい住宅が建ち、商店街もない。当駅の設置もそう古くはないと思う。線路沿いに蓮池への案内板を見付け確認し、ハイキングコースに従い、反対側の観福寺へ歩き出す。疎らな住宅街を過ぎ農家のある地になり、野牛久伊豆神社があり、その先が観福寺。通りから寺と社を覗き軽く頭を下げ、駅へ戻る。コースは西側を通るが、先程見付けた蓮池への案内に頼ることにした。
 蓮の花は咲いてはいるが 宇都宮線と住宅街の間の通りを行き、右手に大きな水槽のような池があり、近付くと目指す蓮池であった。蓮の葉は池を覆っているが花は僅かで、ポツリポツリのよう。正面の見物台から見回すが、ピンクの花は、葉の数にしては少ない。千葉公園でみた大賀蓮(08.7.24)は花の数といい、色付きといい見事であったと思う。しかし、行田の池(10.8.8)では本日と同じでパラパラあった。ここのも大賀蓮とあり、これから咲くのかなとも考えたが不明。それでも、大きく咲いた花を狙いカメラに収め(写真上)、薄ピンクの花に感謝し池を離れた。

 再び地元社寺を巡る 次のコースポイントは須賀神社だが、距離がある。集落を抜けて、一面水田や畑の地帯。ひと昔前の農村風景である。そこに切られた舗道の端を次の集落へと歩く。故郷山形の水田地帯は周囲は山だが、当地は関東平野のど真ん中で広く、山は見えない。コース通りに歩いたつもりであったが、神社はなく、水郷の橋を目印に戻ったりして、ようやく須賀神社に辿り着き、参拝。就活中の長孫のことをお願いした。直ぐ先が篠津久伊豆神社と浅間神社。境内で休憩し、水分を補給する。白岡には大きな八幡宮があり知っていたが今回のコースにはなく、案内標識に出会うも遠く、寄るのを諦めた。
 腰を上げ、最後のポイント興善寺へ。大通りへ出て、直進し続けると右手に参道があり、山門から奥の本堂前へ進み手を合わせた。境内に大きな石の達磨像があり(写真下)、思わずシャッター切った。バス停があるが駅へのバスの便はなく、歩き続ける。大通りから用水路脇の道へ出て、白岡駅へ向かう。左手に宇都宮線が見え始め、駅前商店街を通って駅であった。駅からハイキングコースは歩き通したが、蓮の花は期待には沿わず、残念である。(2019/08/17 K.K. 1274/1300)

◇日時 2019/7/23 ◇天候 曇り ◇交通費 1,370円 ◇資料 JR東日本駅からハイキング「・・・古代蓮の里白岡を巡る」2006年 ◇歩数等 19,000歩 14km
「通過時間等」自宅12:40-バス停12:58-JR浮間舟渡駅13:16-同大宮駅13:41-同新白岡駅14:10=観福寺14:20=蓮池14:35=須賀神社15:15=篠津久伊豆神社15:25=興善寺15:40=JR白岡駅16:05=同浮間舟渡17:00-自宅17:25

友人と青梅線から南武線の乗り鉄を楽しむ

 学校の夏休みの時期に入り、青春18切符が発売され、今回も求めた。前回Sさんが奥多摩へ行ったことがないと聞いていたので、まずは青梅線に乗り、奥多摩駅を往復しようと連絡したらオーケーを貰った。途中の御嶽駅近くにある玉堂美術館も案内したいと思う。そして、立川駅へ戻り、南武線へ乗り継ぎ、川崎駅から新橋駅へ出る予定を組んだ。

 奥多摩駅を目指す 8時前に板橋駅に落ち合い、新宿駅発ホリデー快速奥多摩行きに乗車。ハイキング用電車で、早い時間の発車だが、停まる駅が少ない。以前は良く利用したが、久し振りで立川駅から青梅線(旧奥多摩線)へ入り、奥多摩駅へ向かう。青梅駅は今春花見ハイクに来ている。昨年末は軍畑駅に降り高水山へ登った。Sさん、山中の深い樹林帯を走る路線に、開発時の工事の苦労に思いやる。御嶽駅の次は終点奥多摩駅で、下車。私は、数度来ているが、最近では海沢三滝ハイク以来だろうか。
 多摩川渓谷を眺める 駅前から街道へ出て、多摩川に架かる昭和橋へ案内し、橋上から渓谷を眺める。私の好きな風景で、まだ梅雨が続き流れは多いが、釣り人が見え、鮎だろうか。少し戻って氷川神社に参拝。杉の古大木は健在であった。谷川へ近づき吊り橋を往復。ここらは東京都内かと思うような深い谷川風景である。駅舎は山小屋風に改装されていて(写真上)、カメラに収めた。また電車に乗り、右下に時々多摩川を見下ろしながら、御嶽駅へ。青春18切符は途中下車が自由で、良い。
 玉堂美術館へ 駅前正面の橋を渡り、袂の細道を降り玉堂美術館へ入館。大分前に友人に連れられて来て以来3,4度訪ねている。芸術に疎い私でも、日本画は分かりやすく好きである。今回の展示中の画は、渓谷での釣りや筏流しもある谷川風景で、時節を表している。川合玉堂は、戦前に文化勲章受章した大画家であるが、疎開し青梅に住み着いたという。観賞者が少ない中、一回りし、隣のレストランで、昼食。

 私は、早速清酒を注文。隣の駅にある醸造元の沢乃井である。Sさん、本日車でないので付き合ってくれたが、殆どは私が戴く。沢乃井は旨い。一昔前の話だがエリザベス女王が来日した時宮中晩餐会で出されたのが都下の地酒沢乃井であったと思う。今回は車中飲みはやらなくて済みそう。吊り橋を渡り、駅へ。多摩川をラフティングボートが下って行った(写真下)。
 南武線乗り切る 青梅駅で乗り換え、立川駅に着く。まだ時間があり、予定通り南武線ホームへ。私は、ハイキングの際登戸駅前後では南武線を利用しているが、乗り切ったことはない。Sさんもそうと言う。登戸駅を過ぎ、若い頃を思い出した。多摩川河川敷グランドへ職場の野球に来たことがあり、また、沿線に住む同級生がいて狭いアパートに泊めて貰ったこともあった。電車は川崎市内へ入り、高層マンション群の間を走った。以前は工場地帯と思っていたが、一変していた。我々の終点は、新橋駅近くの”最上川”蕎麦店で一致し、川崎駅で東海道線の上り電車を待った。(2019/08/10 K.K. 1273/1300)

◇日時 2019/7/21 ◇天候 曇り、雨 ◇交通費 青春18切符1 ◇資料 ◇歩数等 8,000歩 6km
「通過時間等」自宅7:20-JR板橋駅7:58-同新宿駅8:19-同奥多摩駅9:55/10:30-同御嶽駅10:55=玉堂美術館(昼食)11:05/12:05=JR御嶽駅12:19-同立川駅13:35-同川崎駅14:20-同新橋駅(反省会)14:50-三田線内幸町駅15:20-自宅16:05

関東ふれあいの道栃木県23「ヤシオ咲く庚申のみち」

 今年の秘湯の会は、栃木足尾の庚申山荘泊に決まっていた。関東ふれあいの道だが未踏であり、調べるとコース後半は厳しい登山道で、私には久し振りの本格的な山歩きになる。どの位歩けるか今後の目安にしようと準備した。処が梅雨が続き一度は延期したが、今回も2日目は雨の予報。ザックは最小限の荷物にし、軽くしたが、雨具は入れた。

 足尾銀山平、一の鳥居 宇都宮線久喜駅を8時に出発。今回は会長、百名山男Hさんの3人。車は埼玉から一旦群馬へ入り、渡良瀬渓谷を眺めながら栃木の足尾へ進み、渓谷を離れ銀山平に着く。国民宿舎かじか荘先に車を駐めて、スタート。最近は専ら里歩きで脚に自信のない私は、先行させて貰う。途中で追い越されると想定。左に深い谷川を眺めながら、林道を行く。舗道が砂利道になり、車が追い越して行った。通行禁止の筈で、後に山荘の管理人と分かる。天狗の投げ石と呼ばれる自然の集石地を過ぎると、一の鳥居前で、1時間10分経過であった。腰を下ろし昼食を取っていたら、2人が到着。直ぐ先の庚申七滝へ。狭い沢を激流が走り、流れ落ちている(写真上)。
 山道を上がり続け庚申山荘へ ここからが本格的な上りで、また先行。雨が降り出す前に山荘に着きたい。鳥居前から沢を渡り、石が転がる山道を上がり続ける。傾斜はさほどではない。靴は、登山用もあるが、軽くいつも履いているハイキング用にした。鏡岩で休憩。私にしては順調だろう。ここからは傾斜も増し、岩ゴロ道になる。ストックを使い足場を確かめながら、一歩、一歩進む。沢を離れ、夫婦蛙石、仁王門石を通過し、一層傾斜が増すが山道とはこんなもんだろうとゆっくりと上がる。林上に空が見え始め、先程山荘へ1km地点を通り越した。猿田彦神社跡へ上がって左折し、沢の中のような道をこなすと、山荘が見え始め、庚申山荘であった(写真下)。ザックを下ろし、休憩していると2人が上がって来た。彼らはザックが重く、レトルト食品や飲み物を背負って来てくれた。

 山荘に素泊まり 2人に、関東ふれあいの道コース終点天下見晴は先だから、そこを極めようと促され、山荘を出て奥へ再度歩き出す。20分程で着いたが、鎖付き岩場で、霧で展望もないようで、2人に任せ私は下で待った。
 夕食は会長持参のカレーを食べながら、同宿者と管理人も入り、山の話し。我々持参の酒が切れたら、管理人が日本酒を出してくれた。2階の広い一間で就寝。
 2日目は予報通り雨。会長調理の朝飯を戴き、雨具を着け、また私が先に下り始める。雨に濡れた石や岩は怖く、ストックに頼りながらフラットフットを心がけ慎重に往路を下り続ける。一度の滑り掛けもなく、一の鳥居へ下りて一安心。林道途中で、Hさんに追い付かれ、会長も少し遅れて駐車場到着。かじか荘で、温泉に入り疲れを癒し、昼食をして、帰途に就いた。皆さん有り難うございました。お陰様で無事往復し、今後の山歩き継続に自信になりました。(2019/08/05 K.K. 1272/1300)

◇日時 2019/7/13,14 ◇天候 曇り、雨 ◇交通費 1,140円 ◇資料 栃木県監修「関東ふれあいの道栃木県23 ヤシオ咲く庚申のみち」 ◇歩数等 20,000歩 15km
「通過時間等」自宅6:20-JR板橋駅7:00-同赤羽駅7:10-同久喜駅8:00-銀山平11:30=二号橋11:40=見晴橋12:05=笹美木橋12:20=一の鳥居12:40/13:00=百丁目13:30=鏡岩13:35=庚申山荘14:40  同山荘8:05=仁王門石8:30=夫婦蛙石8:40=鏡岩8:55=一の鳥居9:35=銀山平(入浴、昼食)10:40/13:00-JR桶川駅16:50-同赤羽駅17:25-三田線新板橋駅17:45-自宅18:10

3度目に見学出来た関口芭蕉庵

 最近、俳聖芭蕉翁のおくのほそ道を歩いている。先日も、故郷山形へ帰り、尾花沢から大石田を訪ね、句碑等を確かめて来た。芭蕉の江戸でのルーツは深川の芭蕉庵であるが、その前に神田川の側に住み、その跡が現在も遺されているとは知っていた。文京区にある関口芭蕉庵である。処が、昨年末から2度訪ねたが閉館中であった。新宿への用事の帰途にまた寄った。3度目の正直はなるかである。

 早稲田駅から歩く 今回は、いつもと同じアクセスルートでは面白くないと、東西線早稲田駅から歩いた。駅を出たが、現在地も不明な初めての地。いつもの山勘で、北西方向へ下れば、早稲田大学周辺だろうとスタート。込み合う住宅街の下り坂をジグザグを繰り返しながら行くと、校舎風の建物があり大学キャンパスの端のよう。そして間もなく、大学正門付近のバス停へ至り、ここまで来れば関口芭蕉庵へは数回歩いている。
 大学裏から目白通りへ出て、また住宅街を抜け神田川の橋を渡り、庵に到着(写真上)。さて本日は開館の筈と入口へ回ると、開いていた。前2回もネット上では開館の日であったが何故か閉めてあった。近くに住む友人に聞いたが、ボランティアの方が管理し、その方の都合であるらしい。
 古池や句碑 早速庵内を回る。他の客グループもおられて、狭い庭で擦れ違う。様々な石碑があるが、芭蕉句碑を探すと、池の側にあった(写真下)。’古池や 蛙とび込む 水の音’ で、古池は、瓢箪池で、私は、前回訪ねた時(00.5.14)、ここで詠んだ句と理解していた。その後、深川芭蕉庵にあった池を詠んだというのが有力のようだ。
 俳句や句碑に疎い私は、ご当地俳句をその地に建てるものと思っていた。処が歩き回っていると、そんなことはなく、芭蕉句碑は、翁未訪の全国各地にあると知った。建立者の好みの句を選んでいるのだ。

 「史蹟関口芭蕉庵案内記」 広くはない庵の庭は、草木に覆われ、古池も回りは繁みに近い。前回回れた土手へは進入禁止とある。亜熱帯風の高い樹は芭蕉の樹だろうと、カメラを向けた。帰り際、現芭蕉庵建物内で、「史蹟関口芭蕉庵案内記」を求めた。それによれば、当時34歳の芭蕉は、郷里伊賀から江戸へ出て、1677(延宝5)年から深川へ移る迄の4年間、当地に住み神田上水の改修工事の監督をしたとある。芭蕉が江戸で名声を得る出発地と言えよう。当然句を詠み宗匠の立場であったようだ。3度目の正直にして見学叶い、庵を後にし、都電早稲田駅へ向かった。
 本日午前は、関西在住の友人Yさん宿泊のホテルを訪問し、懇談した。そして、先日完成した1200紀行本を贈呈した。(2019/07/27 K.K. 1271/1300)

◇日時 2019/7/6 ◇天候 小雨 ◇交通費 シルバーパス利用 ◇資料 史蹟関口芭蕉庵保存会「史蹟関口芭蕉庵案内記」平成26年 ◇歩数等 13,000歩 9km
「通過時間等」自宅9:00-大江戸線都庁前駅9:50-ホテル10:00/10:40=JR 新宿駅11:00=新宿御苑11;30=線新宿三丁目駅11:44-東西線九段下駅11:57-同早稲田駅12:10=関口芭蕉庵12:25/12:40=都電早稲田駅12:50-三田線西巣鴨駅13:10-自宅13:35

福島に文知摺観音を訪ねる

 故郷滞在の最終日、庄内鶴岡を歩き羽越本線に乗り新潟経由で、帰京の予定であった。朝の天気予報に庄内地方は雨、それも強い雨とあり、断念。山形新幹線で帰ることにし、途中の福島で、おくのほそ道コース文知摺観音に立ち寄ることにした。先月飯坂温泉に泊まった時、少し調べ情報はある。今回の帰郷は雨に振り回されている。

 文知摺観音を往復 福島駅に降りると雨は落ちて無く、案内所で文知摺観音へのバス時間を尋ねると1時間後という。途中の岡部迄は10分後にあり、歩けば3km程度だろうといつもの山勘で、保原行きに乗車。市内を出て阿武隈川を渡り岡部バス停に下車し、バスは左折したが私は、相馬への国道を直進し続ける。
 文知摺観音迄はバス停4つだから遠くはない筈と、郊外も田園地帯を歩く。正面の里山の山麓辺りと見当を付け、大きく右へカーブし集落を越すと、小学校前に文知摺観音への参道の案内があった。
 入口に着き、境内へ入ると芭蕉像が出迎えてくれた。直ぐ、鏡石とも呼ばれる文知摺石があり(写真上)、芭蕉句碑は隣の岩の上にあった。当地には、京から下った役人と長者の娘との悲恋伝説があり、役人が詠んだ”みちのくの忍もちずり誰故に乱れ染めにし我ならなくに”が小倉百人一首という。歌枕の地として知られ、5月2日(陽暦6月18日)に芭蕉も訪ね、”早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺”と詠んだ。正岡子規や小川芋銭も来訪し句を残してその碑も建っている。
 当地は、嘗てこの地にある綾形石の紋を模様にしたもちずり絹を産し、それを文知摺石は伝えていたが、芭蕉来訪後土中に埋まり、明治になって掘り起こしたらしい。一回りし、観音様に詣で、入口で芭蕉像を振り返り、またバス停岡部迄歩いた。今回は、首尾良くおくのほそ道ポイントを一つ加えることが出来、満足し福島駅で新幹線を待った。

 天童で句碑を案内して貰う 前日、天童に同級生で読者のAさん宅を訪問。歌人のS先生も来ておられ、1200紀行本発行のお祝いをして戴いた。食事懇談後、舞鶴山麓にある芭蕉句碑への案内をお願いする。昨年12月、山寺から歩いた時(18.12.2)、夕方探したが見付からなかった。多分日が短く、暗かったからだろうと思っていた。
 車で案内して貰い、Aさんのアドバイスで、近くの旧東村山郡役所史料館の受付で教えて戴き、句碑等は隣の念仏寺跡広場の奥にあった。翁塚と句碑があり、”行末は 誰肌にふれむ 紅の花”の句(写真下)。天童在に住むS先生も初めてと喜んでくれた。92歳のご高齢だが、我々と一緒に公園を歩き回って戴いた。
 これで、昨年末探し損ねた天童の句碑も確かめ、山寺天童間のおくのほそ道行は一応完結した。Aさん、S先生有り難うございました。(2019/07/23 K.K. 1270/1300)

◇日時 2019/6/29 ◇天候 曇り ◇交通費 JR東日本大人の休日倶楽部パス、600円 ◇資料 文知摺観音・普門院「信夫文知摺」 ◇歩数等 11,000歩 8km
「通過時間等」実家9:20-JRさくらんぽ東根駅9:45-同福島駅11:45-バス停岡部12:05=文知摺観音12:30/12:50=バス停岡部13:26-JR福島駅14:16-同上野駅15:50-三田線巣鴨駅16:05-自宅16:35

おくのほそ道尾花沢、大石田を訪ねる

故郷山形へ帰ることにした。実家に泊まり、友人達と交歓の外、俳聖芭蕉が歩いたおくのほそ道コースを辿りたい。新庄郊外の本合海を予定したが、予報の通りで雨模様。山形新幹線車内で、駅から近い尾花沢と大石田へと急遽変更した。新庄駅手前の大石田駅で、新幹線を下車。傘も雨用コートも持参している。

 鈴木清風、養泉寺 JR大石田駅を出ると小雨模様。折良く尾花沢経由銀山行きのバスがあり乗車し、尾花沢市内へ。養泉寺へと告げバス停を運転手に教えて貰い、中町で降りる。尾花沢は私の生地東根とは離れていて、殆ど未知の街。直ぐ中心街で、鈴木清風邸跡の標識があり、その裏手に芭蕉清風歴史資料館がある。先ずは養泉寺へ。街外れに小さな寺が見付かり、境内には句碑、涼し塚があった(写真上)。尾花沢で詠んだ”涼しさを 我が宿にして ねまる也”と刻んである。
5月17日(陽暦7月12日)堺田の封人の家有路家から山刀伐峠を越して尾花沢へ入り、江戸の句会で交流のあった鈴木清風を訪ね10日間滞在し、その内7日間は当寺に泊まったとある。紅花を扱う豪商清風は多忙のためでもあったらしい。それでも、数回近くの俳人達と句会を催し、先の句を詠んだとある。中心街へ戻り、歴史資料館へ入館。入口に芭蕉像が建つ。二度目で、確か祖父母の法事で帰郷した折、兄に案内して貰った。その時が初めての尾花沢であった。

当地の古い商家を復元し、資料を展示し公開している。清風の年表や、句誌類、手紙類があり、芭蕉の直筆もある。丁度、おくのほそ道330年記念ということで、坂田 燦の版画で巡る「おくのほそ道展」開催中で、バス時間を睨み、一回りした。芭蕉は、清風の勧めで山寺立石寺へ詣でるため尾花沢を後にし、この時東根六田宿を通っている。
 最上川と五月雨の句 バスで大石田駅前へ戻り、芭蕉句碑がある西光寺を目指し、近くを流れる最上川へ向け坂を下る。静かな小さな町で、地図通りに寺は見付かり、境内裏手に句碑はあった(写真中)。”さみだれを あつめてすずし もがミ川”とある。”はやし”で知られているが、当地では、”すずし”であったらしい。直ぐ前が芭蕉も眺めた最上川で、堤上遊歩道を歩く。川幅一杯にし大河はゆっくりと下方へ動いている(写真下)。堤は低く、洪水は大丈夫かと、この地を通る度思ってしまう。堤下に、高野一栄宅跡があり、記念の石碑と案内があった。5月28日山寺から戻った芭蕉は一栄宅に3泊したとある。久し振りの最上川の流れをカメラに収め、駅へ戻った。

 約60年前のことだが、当地で北村山郡中学野球大会があり、我々東根中は初優勝し、夕方優勝旗を掲げ、他の多くの運動部員が見守る中、大石田駅へ凱旋した。駅前では私が旗を持つ番であった。実家での夕食時、そんな思い出話しを兄夫婦と交わし、故郷の初日を過ごした。(2019/07/20 K.K. 1269/1300)

◇日時 2019/6/27 ◇天候 曇り時々小雨 ◇交通費 JR東日本大人の休日倶楽部パス、480円 ◇資料 「芭蕉が旅した山形 山刀伐峠・尾花沢、大石田・最上川」(読売新聞山形版19.5.4/5.8 山形在読者提供) ◇歩数等 10,000歩 7km
「通過時間等」自宅8:00-JR上野駅9:02-同大石田駅12:35-尾花沢中町バス停12:50=養泉寺13:00=芭蕉清風歴史資料館13:10/13:40=尾花沢中町バス停13:50-大石田駅前14:10=西光寺14:25=大橋14:55=JR大石田駅15:33-同さくらんぼ東根駅16:00-実家16:10

仙台在友人と震災地名取閖上地区を歩く

 青森から秋田へ奥羽本線を乗り鉄した後、秋田新幹線で仙台へ出た。友人と夕食を考えていたが、彼の家に泊まることになった。高校同級生で、卒業以来付き合いが続き、本記録の熱心な読者でもある。本格的に山をやり、磐梯山は彼の案内で登頂した(06.8.26)。現在は、私同様、奥さんに先立たれ1人暮らしだが、様々な方面で積極的に活動している。

 海へ広瀬川を下る 朝起床したら、本日朝市があるからと誘われ、同行。徒歩40分程と聞き朝の散歩に丁度良い。住宅街を過ぎると直ぐ水田地帯。当地は仙台市内だが、郊外のよう。清掃工場兼プール前から土手を上がると、大河がゆっくり下っている。広瀬川と知る。この辺りの下流では、あの青葉城恋歌歌詞の面影はない。河川敷には草木が生い茂り、鳥の囀りを聞きながら、海方向へ堤上を下る。左下は水田に農家が点在。
 目の前を仙台東部高速道路が走っている。この道路が津波を防ぎ、海側は津波被害をまともに受けたが、町側は大きな被害は受けなかったと教えてくれた。確かに土手下の農家住宅は新しいものではない。広瀬川は名取川に合流し、太平洋は近い。
 震災地閖上地区 歩き初めて40分なろうとしているが、朝市会場はまだ先。海岸が見えた地で、行灯松並木を右手に見て、閖上大橋を渡り名取市へ入ると、震災地とはっきり分かった。閖上(ユリアゲ)地区である。工事中の広い更地だが建つ家は疎らで、皆新しい。土手下に店が並び、”かわまちてらす閖上”。準備中の店があるが開店前。また工事中の区画から先へ進むと、新しい団地や住宅街があるがいずれも人が住んでいる気配は窺えない(写真上)。商店や病院、学校などのインフラ整備が未だのようだ。土砂の山もある。
 前方に小山があり、日和山で、海側の筈。山上の神社は流されたが、再興され参拝。裏に聳える一本の古い松は、津波に耐えたのだろう。道路を挟んで慰霊碑があった。案内によれば、当地は震度6強で、最大浸水高約9m、犠牲者約900名という。あの震災で、名取市も大被害の地と思い出したが、仙台の隣の当地とは知らずに来ていた。彼は、現場を見せたかったのだろうと想像。漁港の街であったが、現在はご覧の通りのまだまだで、一部水産加工工場は出来ているが、復興はこれからだろう。

 朝市で買い物 ようやく朝市会場に着き、長屋風建物の下に店が出ていて、買い物客で、込んでいる(写真下)。海産物や野菜などの食品が中心。屋台を覗きながら上下し、晩酌用肴を2.3品求めた。僅かな買い物では、支援にはならないだろう。
 彼は、帰りはバス停へ案内してくれた。徒歩40分の予定が倍近く掛かり、また歩いて戻るのはしんどく、ラッキー。名取駅へ出て東北本線で長町駅に降りタクシーで、Aさん宅へ戻った。
 お陰で、この度改めて津波の恐ろしさや大震災の復興状況を目の当たりにすることが出来た。(2019/07/17 K.K. 1268/1300)

◇日時 2019/6/23 ◇天候 曇り ◇交通費 2,150円 ◇資料 ふらむ名取「閖上震災を伝える会」 ◇歩数等 20,000歩 15km
「通過時間等」Aさん宅6:10=高速道路下7:00=閖上大橋7:15=日和山7:50=朝市会場8:00/8:20=閖上バス停8:30-JR名取駅8:49-同長町9:00-Aさん宅9:25/10:30-JRあおば通り駅10:49-同仙台駅11:30-同上野駅13:05-三田線巣鴨駅13:24-自宅13:50

青森から秋田へ奥羽本線に乗る

 青森駅で、竜飛岬行きを諦め、奥羽本線を乗り鉄することにした。本日は竜飛岬への予定であるが、雨が降り続いている。今朝一ノ関駅での東北新幹線への乗車も雨の中であった。昨夜の天気予報も青森を含め、雨の予報。今、梅雨シーズン真最中で止むを得ない。9時過ぎ青森駅に着き外へ出て見たが小降りの雨は止む様子はない。これでは津軽海峡の展望は楽しめない。岬は逃げない、また来れば良いと決断し、案内所で岬のパンフを入手した。

 思い出の奥羽本線へ 奥羽本線は、私にとっては思い出の鉄路である。上京する迄高校時代から約4年間乗車した。東根駅から山形駅への間だが、奥羽本線は福島から青森へと長く、ほんの一部に過ぎない。私が利用していた昭和30年代は能代行きや大館行きが走り、夜行は弘前行きや青森行きもあったと思う。国鉄時代である。その後半世紀経過し乗り重ねたが、弘前、秋田間は未乗車である。今回乗り切るチャンスにした。
 弘前駅で乗り継ぐ 青森駅発9時52分弘前行きに乗車。構内にねぶた山車灯籠がありシャッターを切った(写真上)。満席の電車は新青森駅を過ぎ高原のような地帯を走り、川部駅を通過した。五能線の分岐駅。同線は、数年前十二湖駅から乗ったことがある(16.9.4)。弘前駅で時間があり、乗り鉄用カップ酒を求め、秋田行きを待つ。過去に白神山地ハイキングや弘前城見学で数回乗降した駅(12.6.16外)。名産リンゴの大きな飾り物がロビーに飾られている。
 未知の小さな駅に停まりながら、雨の津軽を行く。大鰐温泉駅は、過去に冬の国体が開かれ知っていて、確かめようとスマホ検索したが出て来ない。碇ヶ関駅から山間の峠を越え秋田へ入り、わが国では何処の県境も山を越すのが殆どのようで、やはり山国である。

 ハチ公の故郷大館 平地へ出て、大館駅へ。忠犬ハチ公のふるさとの案内があり(写真下)、そうかハチ公は大館生まれであったのだ。カメラに収めた。当駅から盛岡駅へ花輪線が繋がるが乗ったことが無く、今後も乗れるだろうか。
 東能代駅を過ぎ、右の車窓に広い水田と沼が見え、八郎潟地区。米作全盛の時代、干拓事業の一大モデル地区であり、小学校の社会科教科書にも載っていた。追分駅とは珍しい駅名。旧街道宿場名ではあるが、男鹿線との分岐駅で地名もそうなのだろう。男鹿は是非訪ねたい地である。
 両側の車窓風景が住宅街になり、秋田市内へ入ったことを知る。そして、秋田駅へ滑り込み、私の奥羽本線乗り鉄は終わった。手許の地酒カップは大分前に空になっていた。
 秋田新幹線へ乗り換える 秋田新幹線は全席指定券が必要と知り急遽求める。次の地酒は既に手にあった。大曲駅迄は進行とは反対向きの座席に座り、そう、大曲だったなと思い出し、2時間強で仙台駅に着き改札を出ると、同級生Aさんが待っていてくれた。彼の計らいで、今夜は仙台Aさん宅泊にした。(2019/07/10 K.K. 1267/1300)

◇日時 2019/6/22 ◇天候 雨 ◇交通費 大人の休日倶楽部パス ◇資料 JR東日本路線図 
「通過時間等」宿泊先6:50-JR一ノ関駅7:12-同新青森駅9:11-同青森駅9:52-同弘前駅11:23-同秋田駅14:14-同仙台駅16:30-Aさん宅17:10