社寺を巡り歩いた板橋赤塚地区

 東武練馬駅前にパソコン消耗品の買い物があり、その復路に下赤塚駅へ歩こうと思う。赤塚地域は未訪で、地図からポイントになる社寺を巡り、その後松月院に寄り、高島平団地へ戻るコースはどうだろうか。東武練馬駅から下赤塚駅への距離は、予想の2㎞に反し、約半分の1㎞強と分かり、楽に歩ける。

 地図にない赤塚出世稲荷へ 駅前で買い物を済ませ、下赤塚駅へと歩き出したが、方向を失いそうになり東上線へ出て、線路沿いに歩く。同じ風景が続き、住宅街へ入ると小公園があり、徳丸公園か。本日天候良く園児達が遊んでいる。地下高速の上を渡ると下赤塚地区になり、バス通りへと出る。最初のポイントは出世稲荷だが、先日下赤塚行バス終点付近で探したが、探し損ねた。いわばリベンジで、この神社は板橋区発行の地図にはないが、埼玉県地図和光市隣の板橋赤塚には載っている(昭文社道路地図)。バス停手前に鳥居があり稲荷神社(写真上)。参拝し、神社名を見付けようとしたが、ない。境内では松の木の剪定作業中。ネット情報では、中田家個人所有の稲荷とあった。
 赤塚駅前商店街を行く 駅前大通りを渡り下赤塚駅北口へ。小さな駅改札口を久しぶりに眺め、地図で確かめて駅前商店街を行き、下赤塚小学校隣の篠塚稲荷を目指す。ここからは未訪の地で、板橋の地図が頼り。古い住宅街の小路になりクランク型に進むと、学校裏の大きな銀杏の先にお稲荷さんは鎮座していた。手を合わせ、uターン。また地図を眺め、八幡神社へ方向を採る。初めての地で道なりに進むと区の福祉施設があり、その前のメタセコイアが黄葉に染まり美しい。

 謙信が焼き討ちした大堂 福祉施設の先で右折しようとしたが思い直し、直進を続ける。自然に右方向へ導かれ、予定の八幡神社。隣が松月院大堂という古い阿弥陀堂。案内には、永禄4年(1561)3月長尾景虎(上杉謙信)が北条氏康を小田原に攻めた際に、堂宇ことごとく焼き討ちにあって消失したとある。その後再建されたのであろうが、現在では、松月院からは離れた地にある荒れたお堂。また詣でて、大通りへ出て坂を上がると、松月院前へ至り、ようやく現在地が分かったが、久しぶりの地。
 大古刹松月院 山門を潜り、大きく立派な本堂で古刹に相応しい。頭を垂れて、戦国前期、下総を追われて赤塚城主になった千葉自胤氏一族の墓前へ。そして、幕末の砲術家高島秋帆の大砲型記念碑を見る(写真下)。幕末に秋帆が、徳丸ケ原で砲術演習した時本陣を置いたのが当寺という。我が高島平はその名を戴いている。松月院は裏門もある、現在も大寺院。境内には幼稚園、保育園もあった。ここからは左へ行き東京大仏から赤塚城跡経由もあるが、距離的に近い諏訪神社方向へ足を進める。近道をして、赤塚土手の坂道を下り、高速下を過ぎると我が団地であった。(2021/01/11 K.K. 1368/1400)

◇日時 2020/12/21 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 板橋区くらしと観光課8「観光いたばしガイドマップ」
「通過時間等」自宅9:35-高島平バス停9:44-東武練馬駅前店10:20=出世稲荷神社10:55=東武下赤塚駅北口11:05=篠原稲荷神社11:10=松月院大堂11:30=松月院11:40=自宅12:10

柳瀬川沿いに歩き埼玉志木へ

 今回は、板橋区から出ようと歩く先を巡らし、東武東上沿線にある志木を探し出したが、新河岸川付近の史跡等は、既に訪ねたのではと疑い手元のガイド誌で調べると、上流の富士見市の新河岸川付近で、志木は未訪と分かった。東上線柳瀬川駅から歩き、柳瀬川と新河岸川合流地いろは橋から志木駅へのコースにしようと思う。

 柳瀬川を下る 東上線柳瀬川駅に降りた。我が家からは近く、成増駅へ出て1時間以内にスタート出来た。直ぐ左手が柳瀬川で、右岸の堤上を行く。ここの風景は、先日狭山智光山公園を往復した時、東上線車窓からも眺めた。意外に広い河川で、この下流で新河岸川に注ぐ。少しでも風を避けようと河川敷内に下りて歩いた。富士見橋を過ぎると、向う岸に大きめの白い鳥が休んでいる。三羽目の鳥は灰色で、どうもアオサギらしい。ズームにしてシャッターを切った。流れの中に、石像らしき物があり、近づくとかっぱ像。流れ着いたのかなと思ったが、供え物がある(写真上)。後に志木にはかっぱ伝説があり、そのシンボル像の一つらしいと知った。高橋で左岸へ移って下り続け、合流地の栄橋へ着く。左手の志木市役所は工事中。

 いろは樋 合流地の新河岸川にはいろは橋が架かり、三角州は親水公園。いろは48には、歴史的意味があった。玉川上水を分水した野火止用水は、志木で新河岸川へ流れ落としていたが、対岸の地区でも灌漑用水が必要と樋を掛け、それが川越からの舟運を妨げず通すため高架とし、大小の樋48を繋ぎ通したという。空気抜き付きである。その模型が展示されていた(写真中)。その創意工夫は見事という外はないが、思ったより小さ目のもの。
 当地は、引又河岸が出来て発展し宿場となり、現在も街道沿いに古い屋敷や商店も遺る。親水公園には、村山快哉堂という薬屋店舗が移築され、1877(明治10)年築とある。公園にはかっぱの像モニュメントがあり、志木のかっぱ伝説を表していた。市内には24ものかっぱ像があるという。

 富士塚に出会う 志木駅へ出る途中の旧引又宿の中で、敷島神社と富士塚の案内を見付け、惹き込まれてしまった。少し住宅街へ入り私立高校の先の正面が神社。参拝し、隣の田子山富士塚に驚く。大きい(写真下)、小山である。最近訪ねた塚では最大級のもの。国指定民族文化財とある。しかし、本日は閉められ上がれない。カメラに収め、大通りへ戻り、駅へと向かう。水車跡があり、現在の志木市内の中心に、である。
 志木駅前は一変していた。若い頃、荒川河川敷ゴルフ場に来ては駅前居酒屋で反省会をしていた。ホテルや大型スーパーのビルが建ち、その中に駅舎は埋もれていて、なんとか辿り着いた。(2021/1/5K.K,1367/1400)

◇日時 2020/12/14 ◇天候 晴れ ◇交通費 400円 ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料 東武鉄道「東武沿線さんぽ154志木」平成18年6月、154頁 「通過時間等」自宅9:20-東上線成増駅9:55-同柳瀬駅10:15=丸橋10:35=栄橋10:55=いろは親水公園11:00=いろは橋11:10=敷島神社11:20=東上線志木駅11:52-同成増駅12:12-自宅12:40

谷中から上野公園を巡り歩く

 本日、西日暮里に出掛けるが、用事は1時間も要しないだろう。その後山手線沿いに谷中へ歩き、同霊園から上野公園を通り抜け、御徒町へと歩こうと思いを巡らした。初めてではない地も多いが、史跡や古刹も多く気軽に歩くコースとしては、楽しめると思う。

 道灌山公園、夕やけだんだん JR西日暮里駅裏の坂を上がり右手の高台は道灌山公園。太田道灌の出城跡との説もあるらしい。諏方神社から寺院を左に見て高台の寺町を行く。右手の下り坂は富士見坂とあり、都心では富士が見える唯一の坂とあるが、現在では正面に新宿の高層ビルが建ち疑わしい。十字路右手は谷中銀座商店街で、入口の階段夕やけだんだん(写真上)は久しぶり。下町銀座には人出が見られる。
 谷中から上野公園へ 私は山手線沿いに進み谷中霊園へ。広い霊園を、案内図を頼りに墓地の間を進み、五重塔跡へ至る。確か幸田露伴著の小説のモデルと思うが、塔は関東大震災や東京空襲から免れたのに、戦後放火で焼失したという。広い墓地の間を左折右往して抜け出し大通りを渡って寛永寺根本中堂境内へ。参拝して、二度目と思い出した。明治期に川越喜多院からの移築とある。国立博物館を回り込み、上野公園へ。左手はJR鶯谷駅の方向。
 公園は思ったより親子連れ等が多い。東京都美術館前から動物園へ向かう途中に、寛永寺の跡があった。上野東照宮への参道の両側には大名達寄進の石灯籠が並ぶ。寺院と思っていたが神社とあり、鳥居が建っている。右手の五重塔は寛永寺のものらしい。清水観音堂前から彰義隊の墓、西郷像となる。戊辰戦争の当事者でもある。

 上野公園と戊辰戦争 上野の寛永寺は江戸初期家光が徳川家菩提寺として建てたもので、幕末の上野戦争で焼失したが、先ほどの東照宮や五重塔は遺った。谷中経王寺には弾痕が遺っていた(写真下)。1868(慶応4)年7月4日(陰暦5月15日)のことで、勝利した官軍はその後会津へ進んだことは歴史の通り。昨秋、白河手前の奥州街道白坂宿を歩いた時知り合った地元の方に、白河口の戦いを現に見聞きした元村長が書いた.“慶応戊辰白河戦争”と題した資料等を戴いた。それによれば、上野戦争の前から官軍は白坂宿に到達していて、6月14日(陰暦4月24日)には地元の方に戦死者が出ていたとある(白坂宿顕彰碑実行委員会「奥州道中白坂宿」)。約150年後の現在では、案内資料と痕跡を突き合せれば、上野公園でも僅かに窺える程度になっている。そんなことを思いめぐらしながら、公園入口の石段を下りて、御徒町の地下鉄駅へと歩いた。(2020/12/25、2021/1/10K.K.1366/1400)

◇日時 2020/12/6 ◇天候 晴れ ◇交通費 160円 ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 「上野周辺(上野桜木・谷中)お散歩マップ」「通過時間等」自宅11:15…JR西日暮里駅12:30-道灌山公園12:35=谷中夕やけだんだん12:55=谷中霊園五重塔跡13:10=寛永寺根本中堂13:25=上野東照宮13:50=同西郷像14:00=大江戸線上野御徒町駅14:22-三田線春日橋駅14:30-自宅15:05

蓮根緑道から浮間橋を辿る

 三田線蓮根駅から新河岸川へ出て浮間橋、そして荒川土手を上下しJR北赤羽駅へという板橋区から北区を巡るコースを探し出した。今回のポイントは、浮間渡船場跡、浮間橋架橋記念碑である。そして、大半は未踏のコース。帰途は埼京線で、北赤羽駅からJR板橋駅へ出ようと思う。

 蓮根緑道を歩く 蓮根駅に降りスタート。久しぶりで高島通りへは少し距離がある。中山道方向へ歩き左手前の稲荷神社に寄り、手を合わせる。地図から見付け初めてで、住宅街なのに広い境内。高島通りへ戻ると公園らしき空き地があり、蓮根緑道に違いないと進入し、中山道を歩道橋で渡ると、緑道らしくなった。生け垣の赤い花は山茶花だろう(写真上)が、私は椿と区別がつかない。この時期は皆山茶花と思っていたが、冬椿もある。足下にツワブキの花を見付けた。緑道は新河岸川に突き当り、右折する。直ぐ上は長後さくら橋。川沿い右岸のコンクリート壁の下を下り、新河岸橋は高架下を抜け、新河岸大橋へ歩く。右手は今春辿った出井川緑道(20.5.10)。
 浮間橋へ 新河岸大橋を渡って北区へ入り、左岸を浮間橋を目指し行く。この辺りの新河岸川の流れはなく淀み川面は広く、運河のようである。そして、浮間橋設置までは小豆沢へ渡船であったという。現在も川を仕切るコンクリートの壁は高い。道路脇に渡船場跡の碑があり、カメラに収めまた先へ行く。正面が北赤羽駅で、浮間橋上の駅。浮間橋架橋記念碑は橋の袂にあった(写真下)。前回(20.5.29)何故見逃したのか分からないような位置にある。明治末からの荒川の直線化工事で、浮間地区が荒川と新河岸川の間に取り残され渡船であったが、地元農民達が資金を供出し昭和3年に橋は完成したとある。

 赤羽からまた北赤羽駅へ 浮間橋を渡り、また右岸を赤羽方向へ進む。前方に鉄橋が見え、赤羽は意外に近いと分かる。歩きながら、新荒川大橋手前に都内唯一の酒造会社があり、晩酌用に丸真正宗カップ酒を求めようと思い付き、回り道する。首尾よく店前へ至ったが閉店中。9月に店前を通ったがその時(20.9.21)も閉まっていた。
 新荒川大橋途中から荒川土手へ降りると、工事中の案内があり、ガードマンに北赤羽駅へ歩けるかと尋ねると頷いてくれた。しかし土手は途中で締め切られ、河川敷内へ下りて迂回し、鉄橋下を過ぎまた土手へ上り返す。対岸川口に善光寺が見え、9月はあちらを歩いた。右下はゴルフ場。荒川河川管理棟前から土手を下り、北赤羽駅へ。当駅は長い、長いエスカレータでホームへ上がり、停車中の電車に飛び乗った。空席を見付け、一息入れる。今回も休憩なしで歩いていた。(2020/12/18K.K.1365/1400)

◇日時 2020/12/3 ◇天候 曇り ◇歩行距離等 11km 15,000歩 ◇資料 板橋区くらしと観光課「観光いたばしガイドマップ」「通過時間等」自宅9:35-三田線蓮根駅9:55=稲荷神社10:10=蓮根緑道10:15=新河岸大橋10:30=浮間渡船場跡碑10:40=浮間橋10:50=赤羽鉄橋下11:10=新荒川大橋11:25=荒川河川管理棟11:45=JR北赤羽駅11:59-三田線新板橋駅12:16-自宅

狭山智光山公園に武蔵野雑木林を歩く

 最近埼玉、奥武蔵を歩いていない。自称のホームグランドであり寂しい。奥武蔵の手前だが狭山にある智光山公園が未踏の地と思い出し、調べた。手許のガイドでは春の菖蒲園の案内だが、雑木林に囲まれているらしい。晩秋の遅い紅葉に期待した。

 最寄り駅は狭山市駅 智光山公園の最寄り駅は西武新宿線狭山市駅で、私は東武東上線川越市駅乗換にした。ここの徒歩乗換は初めてで、本川越駅へは遠回りしたが西武新宿線に乗り、狭山市駅に下車。往きはバスにしようと待つも行き先表示を誤り一台見送ってしまった。駅前から見える山々は、奥武蔵の山ではなく、奥多摩の山々で、特徴ある山容は大岳山と後に気付いた。入間川を渡りバス終点で、運転手さんに公園の方向を教えて貰いスタート。
 公園を覆う雑木林 工業団地を過ぎ、交差点で右折。左手先に公園らしき森が見えるが入口や進入路はなく、畑道へ左折し茶畑の中を進むと、森端の建物は体育館で、智光山公園。その先からは雑木林が生い茂り(写真上)、遊歩道が続く。落ち葉を踏みしめながら森内を行く。コナラやクヌギ、エゴノキに赤松が混じる。紅葉も終わりに近い。散策者は多い。こども動物園前から小川傍の木道になる。詩碑があり、評論家秋山ちえこの推薦文があった。一昔前だが、談話室というラジオ放送があり知っていた。東端のキャンプ場に至り、Uターン。

 武蔵野か 中央の雑木林内の小径は、一面落ち葉で敷き詰められ、重なる枯れ葉を踏み踏みしながら歩く(写真下)。このような山里歩きはいつ以来か思い出せない。本日は晩秋の雑木林に期待していた。散策者と時々は交差する。
 埼玉の当地は武蔵野エリア内であろうか。詩人秋谷豊著“詩で歩く武蔵野”(さきたま双書序文平成10年)で、秋谷は、国木田独歩が著した“武蔵野の面影は、今わづかに入間郡に残れり”の文を引用しているのを帰宅後見付けた。狭山は旧入間郡内であろう。そんな想いに浸り、時々落ち葉を掻き分けながら歩く。国木田独歩の武蔵野文学碑は武蔵境駅から歩いた玉川上水桜橋の袂にあった(03.1.5)。釣り池から菖蒲園になり、雑木林も明るさを増し、出口が近くなる。管理事務所があり、こちらが正面入口であった。公園のバス停を探し損ね、次のバス停傍の食堂で、時間調整に昼食を取った。駅へ歩く予定もあったが、予想以上に広い雑木林の歩きに満たされた。(2020/12/11K.K.1364/1400)                                                   

◇日時 2020/11/28 ◇天候 晴れ ◇交通費 1,520円 ◇歩行距離等 9km 13,000歩 ◇資料 「智光山公園」平成30年6月、新ハイキング社「さあ!ハイキング 智光山公園-城山砦跡」平成27年4月、194頁「通過時間等」自宅8:00-東上線成増駅8:50-西武本川越駅9:27-同狭山市駅バス停10:08-日生団地バス停10:25=智光山公園体育館前10:40=同キャンプ場11:10=智光山公園入口11:30=高富バス停12:08-西武狭山市駅12:43-東武川越市駅13:14-成増駅バス停13:50-自宅14:15

黄葉は散っていた光が丘公園銀杏並木

 また散っていた銀杏並木 練馬にある光が丘公園の銀杏黄葉を思い出し訪ねた。数年前は散り終えていて、残念な思いをしたことがある(16.11.23)。今年こそはと、公園田柄口から入園。案内図を確かめ売店前へ出て、銀杏並木通りへ右折。正面の銀杏の木々は既に葉を落としている(写真上)。また間に合わなかった。残念、リベンジならない。3日前のネット情報では見ごろとあったのだが。

 練馬光が丘公園へ 光が丘公園へと、今回は東上線下赤塚駅行きバスに乗った。初めての乗車で、途中から何処を走っているか不明になったが、赤塚内だろう。駅手前の終点に下車し、商店街から踏切を渡る。右手が下赤塚駅。東上線利用の際、一時はこの駅を利用したが、高島平へ越した頃であった。古い地図にある稲荷神社を探すが見付からない。
 現川越街道を横断し、光が丘公園へ方向を採る。現在は裏街道だが旧川越街道かなと歩く。そろそろ左手に公園の高い樹林が見える筈と屋根上を見上げるがまだ先。板橋から練馬へ入ったようで住宅街へ左折し行くが、途中の案内板で大分先と知る。田柄高校前に公園への案内があり、少し歩いて田柄口へ。思い込みからの山勘がまた外れ、現川越街道からは大分距離があった。そして、黄葉を期待し、園内へ入った。

 武蔵野の面影か 残念だが、葉のない並木の下を歩く。それでも葉のある木が1、2本あり、カメラに収めた。雑木林を歩こうと、公園奥へ。葉を落としているのは同じだが、私には武蔵野の面影を感じた(写真中)。田舎育ちには懐かしくも、癒される。
 妙安寺、出世稲荷 予定通り、北西のあけぼの橋口から公園を出て、右手先が妙安寺。境内の欅の大木は見たことがあった。家康の三河以来の家臣板倉氏が江戸入封時に開基した古刹とある。静かな本堂前へ出て、参拝。二人連れの若い方もいた。白子川沿いを歩こうとしたが、川沿いには細道もなく、一度川面を覗いただけで(写真下)、中心街通りへ戻る。そして、練馬の出世稲荷で、旧川越街道沿いにあり、川越藩主松平信綱や柳沢吉保達が参勤交代の際出世を祈願した社で、現在の名になったとある。

 ここからは少し土地勘が戻る。坂を下り現川越街道へ出て、反対側の八坂神社に寄る。この神社の存在は知っていたが、初めての参拝と思う。京都の本宮から勧請したとある。手前の延命地蔵さんにも手を合わせた。ここを埼玉側へ旧川越街道が続き白子川を渡り、白子宿である。今春に歩いた(20.5.5)。今回は、高島平行きバス停のある東上線成増駅を目指した。(20/12/5K.K.1363/1400)

◇日時 2020/11/21 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 東京公園協会「都立光が丘公園」「通過時間等」自宅8:35-東上線下赤塚駅9:10=光が丘公園田柄口9:40=銀杏並木9:50=光が丘公園あけぼの橋口10:00=妙安寺10:10=出世稲荷神社10:25=八坂神社10:35=成増駅バス停11:00-自宅11:20

水車公園、粕谷家住宅と板橋徳丸を歩く

 朝、起床し動き出したら腰に痛みを感じる。歩けないほどではないが鈍痛があり、寝違えかなとも思うが、速足は無理。ここ20年程の間ほぼ週一のペースで歩いてきたが、2週間は遠のいている。そうだ、歩けば腰痛は治るだろうと気が付き、近くを歩くことにした。確か以前もこのような経験があったかもしれない。歩く先は近くとし、自宅スタートとし徳丸の水車公園、粕屋家、そして前谷津川緑道へとする。

 赤塚諏訪神社から 先ずは、赤塚諏訪神社を目指し、高速下へ出て、歩道橋で高速道路を高島平から赤塚へ渡る。私の近所だが、思ったより距離があり、見覚えのない住宅街、古い農家の間を通って、神社に着いた。我が地区の初詣先だが、最近はご無沙汰である。コロナ終息などをお願いした。
 大農家の前から、富士塚へ。塚は草木に覆われ、その面影はない。大通りへ出て、こぶ欅を眺める。以前は諏訪神社の参道から境内であったという。北海道の孫達が来た時一緒に歩いたことを思い出した。桜の時期であった(14.4.5)。
 水車内部を見学 大通り側道を直進し続け四葉へ入り、新興住宅街へ左折すると、徳丸水車公園であった。前回は閉園時間で中は見学できなかったが、大きな木製歯車が交差し噛み合い、杵が上下している(写真上)。外へ回って、回る水車をカメラに収めた。嘗ては水田稲作の地で水車は珍しくなかったとある。裏に樹林と土手があり、前谷津川の源流らしい。山でもないのにだが、関東ローム層で保水、はけが良いのかもしれない。隣の日本庭園を覗いて、徳丸の中心にある安楽寺へ。
 江戸中期築粕谷家 松月院通りを渡ると安楽寺前へ出だが、山門以外は古刹とは思えない。奥にある粕谷家住宅は、家屋の間に茅葺屋根が見え、表へ回って見学。徳丸脇村名主の隠居用住宅で、1726年(享保11)年築とある。それが現在も残る(写真下)。土間の広さが目に付いた。松月院通りへ戻り、前谷津川緑道へと歩く。左手に緑地公園があり寄ると赤塚公園とありびっくり、高島平から土手続き公園の東端と思う。

 前谷津川緑道を団地へ 不動通りを越した先に緑道があり、左折し緑道を歩く。直ぐ高速下で交差点を渡り、また緑道を歩き続ける。私達が高島平へ越して来た50年前は、未だ水路で流れが見えていた。その後住宅街では殆ど緑道化されているようだ。
 緑道は高島平へ入り、周囲は高層団地で徳丸地区とは風景が一変し、公園内遊歩道である。そして、三田線高島平駅前商店街に着き、今回のウォーキングは終了。そして、腰痛は消えていた。やはり寝違えの類であったろうか。ラッキーである。(2020/11/29K.K.1362/1400)                

◇日時 2020/11/14 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 10km 13,000歩 ◇資料 「水車公園案内」、「旧粕谷家住宅」
「通過時間等」自宅13:35=赤塚諏訪神社14:00=同富士塚14:05=水車公園14:20=安楽寺14:40=粕谷家住宅14:50=赤塚公園15:05=前谷津川緑道15:15=高島平団地15:40=自宅16:00

紅葉の中、山々を眺め、蓼科高原蓼科湖を巡る

 昨日、信濃諏訪から蓼科高原に入ったら、紅葉が盛りで美しい。天候にも恵まれ、青空の下紅葉が映え、晩秋の信濃路である。そして、八ヶ岳の展望も素晴らしい。蓼科高原山中にある宿泊施設からも、八ヶ岳連山が正面に位置し(写真上)、夕方や朝も展望を楽しんだ。温泉、地酒付きである。

 蓼科高原を歩く 本日は、蓼科高原内を歩き、蓼科湖を巡りたい。アクセスが心配だが、朝フロントで、送迎バス途中下車のアドバイスを貰った。運転手さんにことわると、もう一人降りますと、ご婦人を紹介してくれた。高原山中を下り、大通りビーナスラインへ出る手前で停車し、二人は降りた。ご婦人は当地滞在中で、時々歩いているという。

 カラマツ林(写真中)から大通りへ出て、緩い坂道を上がり続ける。右手はゴルフ場だが、プレーヤは見当たらない。未だ時間が早いのだろう。バス停で、帰りのバス時間を調べると予定した時刻のバスはないようだ。立派なお寺の前を過ぎる。この辺りは自動車メーカーの用地で、その施設の外、寺も建立したとご婦人が教えてくれた。右先に建物が見え、湖は近い。
 紅葉真っ盛りの蓼科湖 蓼科湖は、ビーナスライン傍にある小さな湖、否、池でレストランや土産店もある小さな観光地。本日も好天の中、人出もある。そして、紅葉は見ごろで、湖畔を彩っている。私は、時計回りに巡る。頭上の紅や黄の葉を時々は見上げながら、ゆっくりと歩く。スワン型の遊覧ボートも繋がれている。対岸の地へ至ると、こちらの紅葉も半端ではない(写真下)。シャッターを切った。正面に見える山は、霧ヶ峰の車山だろう。そして、右手は諏訪富士とも呼ばれる蓼科山。これらの山々は複数回登っている。記念碑があり、戦後開拓用に造成した灌漑湖と知った。

 八ヶ岳山麓の思い出 今朝、宿泊先ベランダから八ヶ岳、そしてその下に広がる深い山麓を眺めた。左手の天狗岳山腹の森林地帯には、白駒池、高見石から渋温泉へのルートがあり、昨年下山で大難渋したのはあの辺りであろう(19.9.19)。八ヶ岳山域の広がりや深さを改めて目の当たりにした。
 湖を一回りし、レストランでコーヒーを飲み休憩し、道の駅を覗きバス時間を調整して、正午前の茅野駅行きバスに乗車。駅前に着いたら、予定した特急列車が既に停車しているのが見えた。やむを得ず、次の鈍行に乗車。甲府駅で特急に乗り換え、17時前には帰宅可能と分かり、車内でビールを求め呑み鉄とした。(2020/11/24K.K.1361/14000)

◇日時 2020/11/01 ◇天候 晴れ ◇交通費 5,300円 ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料 蓼科観光案内所「蓼科湖周辺のご案内」2020.4
「通過時間等」宿泊先9:10-ビーナスライン手前9:30=蓼科湖9:55=同バス停12:00-JR茅野駅12:45-同甲府駅14:16-同新宿駅15:45-三田線巣鴨駅16:05-自宅16:35

八ヶ岳を眺めながら諏訪大社上社から前宮を巡る

 最近各地方に一之宮と称される代表的な神社があり、思い出したように訪ねている。今年は3月の上総一之宮玉前神社以来途絶えている。ネットで調べて信濃一之宮は諏訪大社と知り、予定していたが延び延びになっている。秋になり、紅葉狩りも兼ね、蓼科高原に宿泊先を確保し、準備した。

 諏訪大社上社へ 信濃行きは、新宿駅発特急あずさである。上諏訪駅に降りると、上社経由のバスがあると分かり、乗車。甲州街道を通り郊外へ出て、中央高速の先へ走った。
 途中の古い商店街に、“麗人”、“真澄”、“信州舞姫”の酒造会社の酒蔵が並んでいた。真澄は都内へも入っていて、飲んだことがある。
 バスを降り、北参道から上社本殿前に進む。本日は土曜日で、広い境内には七五三参りもチラホラあり、並んで拝殿へ(写真上)。私は、若い頃訪ねたと思っていたが、境内は間違いなく記憶にダブった。確か近所の方と一緒で、家内も同行していたように思う。

 八ヶ岳連峰を展望 紅葉が盛りの参道を出て、前宮へ歩く。先ほど1.5kmと聞いた。春宮や秋宮は訪ねていたが、この度前宮の存在を知った。諏訪大社内の宮であろう。
 大通りを北上する。秋晴れの下、左手先に八ヶ岳連峰が、屋根越しに見え隠れする。田園地帯になるとばっちり正面に見え出した(写真中)。2000m以上の高峰が横に連なり、素晴らしい連峰山岳風景で、アングルを探しシャッターを切った。当地の方にとっては見慣れた風景だろうが、季節毎ではどうだろうか。 
 前宮に参拝 前宮は意外に遠く、大分歩いてようやく見え出した。もう1.5kmは過ぎたと思う。裏参道と思しき坂を上がると山門前へ出たが、本殿は、更に離れた坂上であった。

 先ほどの上社とは違い古い木造の社殿。案内には、以前に上社があったから前宮というとある。社殿等の建物にも歴史が感じられる。また僅かな賽銭を出し、手を合わせ、コロナの終息と受験生をお願いした。
 有名な御柱が左右に建っている(写真下)。上社では見逃していた。今回上社、前宮を訪ねて、下諏訪にある春宮、秋宮は既に訪ねて私の記録にあり(02.10.19/15.5.14)、これで諏訪大社満願の筈だが、ご利益は期待できるだろうか。健康が第一である。各社に格式の上下はないと知った。
 タクシーを呼び、茅野駅へ送ってもらう。茅野駅へ着くと、もう宿泊先の送迎バスは待っていた。夕食時に、信州舞姫を飲む。湯上りに丁度合い、私は甘口かなと思った。(2020.11.20K.K.1360/1400)

◇日時 2020/10/31 ◇天候 曇り ◇交通費 6,100円 ◇歩行距離等 7km 10,000歩 ◇資料 「諏訪市観光案内図」令和2.4「通過時間等」自宅8:45-JR新宿駅10:00-同上諏訪駅12:30-諏訪大社上社13:00/13;25=同前宮13:55/14:05-JR茅野駅14:20-宿泊先15:00

板橋に四つ又馬頭観音から茂呂遺跡を巡る

 板橋区役所先の四つ又馬頭観音を探し損ねた脱巣ごもりハイク(20.9.6)から少し時が経ってしまった。近いからその内にと思っていたが、やはり確かめておきたい。また板橋区地図を取り出し、歩くコースを検討した。三田線板橋区役所前駅から四つ又馬頭観音を最初のポイントにした。

 四つ又馬頭観音を確かめる 区役所前駅から、前回確かめ損ねた四つ又馬頭観音を目指す。旧川越街道の中央分離帯の小さな箱型社(写真上)へ近づくも、周囲には案内はない。今回は確かめようと社前へ進むと横の板に案内が貼ってあり、間違いない。川越街道と池袋への高田道との四辻にあった観音様という。手を合わせ挨拶し、前回の見過ごしを詫びた。賽銭箱もない小社である。前回もう一歩踏み込んでいればだが、いつも、何事にも詰めが甘いのは生来の性格。この高齢ではもう治せないだろう。
 山手通りを渡って、大山商店街へ。ここも先のハイクで躓いた通りで、方向を失ったことがある(20.7.2)。本日は反対の区役所側から商店街へ入る。両側に店舗がひしめき合うが、一時の勢いが窺えない。早い時間で開店前の店もあるからか。東上線大山駅に着き、次のポイントへはときわ台駅迄電車に乗る。

 古社、古刹を巡る 駅前の天祖神社へ参拝。社叢に囲まれた神社は、初めてではないが見覚えがない。確かご両親が当地出身の友人がいて里帰りに、一緒に訪ねたと思う。大戦時の空爆の弾痕が狛犬台座に今も残っていた。ここからは初めての地で、地図が頼り。現川越街道へ出て、町名を確かめ下町住宅街へ左折。小路を行き番地から右手を覗くと、目指す東新町の氷川神社であった。立派な社殿、境内、そして社務所には神官が常駐しているよう。コロナの終息と受験生をお願いした。また地図を眺め表参道を右折し、突き当りが安養院。鎌倉時代創基の大古刹。境内に並び聳える欅に見とれる(写真下)。アングル変えシャッターを切った。庭園もある。
 茂呂遺跡 石神井川へ出て、台橋から川沿いに歩く。正面が都立城北公園で、その手前左手が茂呂遺跡。旧石器の石器が出土した遺跡で、以前、通り掛に知ったが見学はしていない。柵に施錠してあり入れない。外から眺めれば、普通の土手のよう。カメラに収め、石神井川を渡り返し、石段を上がり御嶽神社に寄る。先日本社の木曽御嶽神社里宮に参拝したことを報告。ここから東上線上板橋駅へは2,3度歩いている。川越街道を横断時、五本欅の健在を確かめた。途中文房具屋を見付け、クリアファイルを求めた。ハイキング記録保存用で、これで、有楽町へ出掛ける必要はなくなった。(2020/11/17K.K.1359/1400)

◇日時 2020/10/26 ◇天候 晴れ ◇交通費 300円 ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料 「観光いたばしガイドマップ」「通過時間等」自宅9:30-三田線板橋区役所前駅9:50=四つ又馬頭観音10:00=東上線大山駅10:16-同ときわ台駅10:30=天祖神社10:35=氷川神社10:50=安養院11:00=茂呂遺跡11:10=御嶽神社11:20=東上線上板橋川駅11:47-同東武練馬12:00-自宅12:40

小田急自然ふれあい歩道狛江から多摩川へ

 久しぶりに弟と一緒で、歩く先を検討し結局は二人の中間地にある小田急自然ふれあいの道にした。小田急狛江駅から社寺や公園を巡って多摩川縁を歩き、和泉多摩川駅へのコースで、我々高齢者向きである。これまでも、二人で向ヶ丘遊園駅や玉川学園前駅、町田駅コースなどを歩いた。

 小田急狛江駅をスタート 私が新宿駅で小田急線に乗り換えたら、弟から狛江駅に着いたとメールがあった。弟の先着はいつものことで、こちらは小田急車中と返信した。狛江駅改札口で弟と一緒になり、駅前からスタート。
 駅前公園内の弁財天池、そして泉龍寺が最初のコースポイント。駅前とは思えない森の中に小さな池があり、その隣に古刹があった。本日天候良く、境内では園児達が遊んでいる。山門から本堂前へ進み参拝。
 住宅街を行き、むいから古民家を探す。一度方向を間違えたが戻って到着。茅葺の農家と長屋門が保存されている。多摩地区は昭和の中頃までは古民家が残る農村地帯であったのだろう。入口で検温され、連絡先記入を求められた。一回りしカメラに収め、道路を渡って西河原公園へ。道路沿いの細長い園内を先へ歩く。先導する弟が右折地点を通過してしまい、万葉歌碑の案内に右折する。
 万葉歌碑、伊豆美神社 万葉歌碑(写真上)は、“多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき”とあり玉川碑と呼ばれ、オリジナルは松平定信の筆らしい。多摩川の洪水で流され、再建されたとある。弟が、やはり伊豆美神社、兜塚古墳を通り越したと言い、住宅街の通路を戻る。神社は見付かり詣でる。井伊直弼の石碑があり、当地は井伊家の領地でもあったとある。参道も長く並木がある。兜塚古墳は行きつ戻りつしたが、神社の裏手にあった。塚上には木々が繁り、確かめただけで西河原公園前へ出て、また同じ道を行き、万葉歌碑案内のある交差点を左折し、多摩川土手へ。

 五本松に再会 多摩川を眺めるのは久しい。下流もこの辺りでは川幅は広く、流れはその中心。下ると直ぐ五本松(写真下)。土手下に十本に満たない松林がある。以前反対側から歩いた時(08.3.11)、昭和の時代劇ロケ地と知った。
 コースも後半で、多摩川水道橋袂で休憩。目の前は世田谷通りとある。小田急線高架下からまた堤上を下る。コースポイントもなく、宿河原堰堤を見て土手を降り、だらだらと商店街や住宅街を抜け、大通りを左へ歩くと小田急和泉多摩川駅であった。駅前で昼食を取ろうとしたが、店が少ない上に、あった店も持ち帰りのみと言われ、食事を諦め、駅ホームへ上がった。弟に、誕生祝にと高級ウィスキーを渡された。律儀な弟に感謝である。(2020/11/10K.K.1358/1400)

◇日時 2020/10/21 ◇天候 曇り ◇交通費 520円 ◇歩行距離等 13km 17,000歩 ◇資料 「小田急自然ふれあい歩道 狛江駅~和泉多摩川駅」「通過時間等」自宅8:20-都営新宿線神保町駅9:04-小田急新宿駅9:23-同狛江駅9:50=泉龍寺10:00=むいから民家園10:15=万葉歌碑10:35=伊豆美神社10:40=兜塚古墳11:10=多摩川五本松11:25=多摩川水道橋11:40=小田急和泉多摩川駅12:23-都営大江戸線西新宿駅13:00-三田線春日駅13:18-自宅13:55

都内新宿から中野、世田谷へ歌碑を訪ねる

 先月から遠出が続き、近くに歩く先を探し、都内の歌碑巡りが浮かんだ。先々月銀座や新橋の歌碑を巡ったが、都内には未だ数か所残っている。この際、新宿に二箇所、それに中野や渋谷、世田谷にもある。そして、最後は、“あゝ上野駅”歌碑にしようと思う。

 新宿に歌碑二つ巡る 都営大江戸線東新宿駅をスタート。最初は、藤圭子の“新宿の女”の歌碑がある西向天神で、一度訪ねた社(11.4.28)。東新宿駅から道路へ出て坂を上がり、神社入口へ着き右折し行くと目指す神社。階段を上がり本殿に手を合わせ、境内左奥に白く目立つ歌碑があった(写真上)。
 藤圭子が活躍したのは30年も前だろうか。この歌は彼女のデビュー曲で、その出陣式が当社であったと知る。私は聞いたことがある程度の歌。歌碑をカメラに収め、新宿中心街へ向かう。
 区役所通りから繁華街入口を右に見て、遊歩道らしき小道から大通りを回り込み、歌碑のある花園神社へ。正面入口で見まわしたら、新しそうな白い碑が見え、近づくと藤圭子の“圭子の夢は夜開く”の歌碑。この歌は良く知っている。彼女が無表情で、独特の声と節回しの歌であった。オリジナルは園まりの歌で、その違いを強調しているようでもあった。藤は、本当は陽気で明るい娘であったが、それを否定するような歌姿はプロデューサーの指示と、後に知った。
 “神田川”歌碑は2度目 都営新宿線新宿三丁目駅から乗り新宿駅で、大江戸線へ乗換え中野坂上駅に降り、山手通りへ出る。次は、南こうせつの“神田川”歌碑だが、井の頭公園から神田川を下った時(11.3.25)、偶然出会い2度目。こちらは首尾よく碑のある神田川河畔の公園へ直行できた。記憶とは違い石製ではなく、コンクリート製。山手通りで渋谷駅行きバスに乗車。渋谷区富ヶ谷に降り、地図片手に、舟木一夫の“高校3年生”歌碑の建つ松陰高校を探すが、方向違いのよう。2度尋ねその通りへ入ったが距離がある。目黒と世田谷の区境が目指す高校だか、通り越してしまった。

 “高校3年生”歌碑 以前テレビで、歌手山川豊、田川寿美が同歌碑を訪問したのを見ていて、広い校庭大きな校舎が目に付いていた。その前に、校内へ入り見学が許されるかも気になっていた。ようやく校門に達すると、門は開かれ守衛さんもいない。左手庭に歌碑があり(写真下)、カメラに収めた。テレビでは、歌手二人は高校3年生を唄った。私が高校卒の翌年に出され、大流行した。その年に後輩達が合宿で唄った思い出がある。作詞家丘灯至夫は、新聞記者で当校を取材した時見た校庭でフォークダンスをする高校生の様子のようだ。彼の出身地縁の郡山駅にも歌碑があり寄っている(20.12.7)。小田急東北沢駅が近いと分かり、渋谷からの歌碑は次回にし、そのまま小田急代々木上原駅から地下鉄千代田線に乗り換え帰宅した。松陰高校へは予定以上の時間と距離を歩いてしまった。(2020/11/06K.K.1357/1400)

◇日時 2020/10/16 ◇天候 曇り ◇交通費 330円 ◇歩行距離等 11km 15,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図 新宿37外」「通過時間等」自宅7:50-都営大江戸線春日駅8:32-同東新宿駅8:50=西向天神社9:05=花園神社9:30=都営新宿線新宿三丁目駅9:40-同中野坂上駅10:00=神田川河畔10:15=宮下バス停10:20-富ヶ谷バス停10:50=松陰高校11:40-小田急東北沢駅11:55-千代田線代々木上原駅12:00-三田線大手町駅12:17-自宅13:00

県境・境の明神から白河宗祇戻しへ

 先月から奥の細道で訪ね残している地を歩いている。南東北では、福島や宮城の交通アクセスが不便な地が残っている。今回は福島南部を虫食い的に歩く予定。

 陸奥は境の明神から 芭蕉は、白河の関を越え陸奥へ踏み出したと思っていたが、その前に下野から、白河にある境の明神を訪ねて陸奥へ入ったという。1689(元禄2)年4月20日(陽暦6月7日)のことである。境の明神へはJR東北線白坂駅から約3kmの地と分かり、歩くことにした。順調に歩き、奥州街道へ出たと思い十字路も直進したが、予定の時間になるも白坂の集落は見えない。十字路へ戻って左折すると奥州街道で白坂であった。

 帰りのバスには間に合わずバスは諦め、見学優先にする。更に20分先が県境で、境の明神様が鎮座していた(写真上)。本殿に参拝し、句碑を眺める。やはり風雪に晒された句碑は読めない。1番立派なのが芭蕉のもので、“風流の はじめや 奥の田植え唄”と刻まれているという。県境を越し、下野側の神社にも手を合わせた。
 車で送って貰う 白坂は奥州街道の宿場として栄え、道路の両側に旅籠の屋号が遺り、また本陣跡の案内もあったが、この明神様付近にも旅籠があったようでその名残が窺える。衣替え清水や馬洗い池を見て、白坂へ戻る。偶々出会ったご婦人に教えて貰い、タクシーを呼ぼうとしたが繋がらない。そんな窮状を見かねたのかご婦人が車で送ってくれるという。本当に渡りに船で、白坂駅へ車で送って貰った。感謝に余りある。ご主人作成の白坂宿資料も戴いた。

 宗祇戻しへ 白河駅に降り、白河市内にある宗祇戻しを訪ねた。室町時代の連歌師飯尾宗祇が連歌興行に参加するため白河に着き、通りがかりの婦人に蓮歌興行のことを訊くともう終わったというので、戯れにその婦人が持つ綿を見て、“その綿は売るか”と尋ねたら、婦人が見事な和歌で返したため宗祇は驚き、旅の途中であったが京へ戻ったという逸話のある地であるが、芭蕉達は寄ってはいない。市内外れの三叉路に石碑が三つ程あり(写真下)、芭蕉句碑“早苗にも 我色黒き 日数哉”もあった。芭蕉150回忌に地元の俳人が建立したとある。隣の和菓子屋で、記念に宗祇戻しの塩羊羹を求めた
 安積山公園往復 4月29日(陽暦6月16日)須賀川を発った芭蕉達は、乙字の滝を経由し郡山に泊まり、翌日奥州街道を北上し、安積山に寄っている。万葉集にも詠まれた歌枕の地である。私は、電車を日和田駅に降り、現安積山公園へ歩いた。奥州街道は日和田地区の中心に残り、緩い坂を上がると、松の木が見え旧街道の並松。公園はその先で、丘の北側に芭蕉の小径と石碑があった。文学碑で、碑文は奥の細道の引用らしいが、もう読めない。丘上で休憩。松が多く、間に見える高峰は安達太良山だろうか。郡山駅から新幹線で帰京し、夕方には帰宅できた。白坂で車で送って戴いた方のお陰である。改めてお礼を申し上げたい。(2020/10/30 K.K. 1356/1400)

◇日時 2020/10/5 ◇天候 曇り ◇交通費 JR東日本パス+910円 ◇歩行距離等 17km 24,000歩 ◇資料 「新白河羅針盤」、白坂宿顕彰碑実行委員会「奥州道中白坂宿」「通過時間等」自宅6:50-JR上野駅7:50-同新白河駅9:52-同白坂駅9:57=境の明神11:05=白坂11:30-JR白坂駅11:44-同白河駅12:20-宗祇戻し12:30-JR白河駅13:01-同日和田駅13:50=安積山公園14:05=JR日和田駅15:00-同郡山駅15:38-同上野駅16:57-三田線巣鴨駅17:15-自宅17:45

両毛線国定に田園の地を歩き社寺を巡る

 今年のJR東日本割安パス発売は変則で、10月にもあり求めた。新幹線利用可能で、今回は上越新幹線で高崎駅へ行き、両毛線国定駅から歩くコースにした。手許のガイド誌に、「講談・大衆演劇の主役活躍の地」(るるぶ情報版「大人の遠足歴史・文学あるき」98頁)として、国定忠治の故郷が紹介されている。忠治に興味は薄いが、アクセスが手頃な上、駅からスタートが良い。私には初めての地。

 両毛線国定駅スタート 新幹線を高崎駅で両毛線に乗り換え前橋駅、伊勢崎駅を過ぎ、国定駅に降りた。駅前は商店街もない田舎の閑かな住宅街。直ぐ田畑の中の道になり、稲穂は実りの秋状態(写真上)。水田の先は赤城山の筈だが、肝心の山は雲が多く、影も見えない。
 最初のポイントは赤城神社。ガイドにはないが地図から見付け、寄った。群馬も当地では外せない神社と思う。小さな集落奥に社はあり、手を合わせた。戻って、両毛線踏切を渡る。田んぼの畔には彼岸花が咲いている。
 赤城と忠治 道路に、忠治の墓と養寿寺の案内があり有名さが窺える。古刹の本堂に一応挨拶し、裏の墓地へ入ると、目指す墓は一見して分かり、導かれた。大きな石碑や石塔が建つ。幕末当地方周辺を縄張りにした忠治は、その後の浪曲や芝居で大衆間で有名になったと言われる。私のハイキングでも出会い、浅間山麓池の平には忠治隠れ岩という岩場があり、本当かなと疑った(06.8.14)。また、赤城山南山麓鳥居峠には、名月赤城山の歌碑があり、下った滝沢温泉に忠治岩窟入口の案内があった(17.5.20)。
 鹿島神社、小泉稲荷 大通りを下り、橋を渡った右手に鹿島神社があり、立ち寄る。何処にもある社と境内で、また大通りを下り続ける。国定駅への道を通り越し下ると、目の前に北関東高速が現れ、高崎駅案内所で入手した地図で確かめ、小泉稲荷へ向け左折する。左手にあずま運動公園や体育館を見る。現在は伊勢崎市だが、国定村はその後東村になった。未だ学校や公共施設にはあずまと付いている。高架下を右折すると、後方田圃の真ん中に大鳥居が見えて、右折地点を間違えたようだが、そのまま稲荷神社へ歩く。田舎の道は見えるも遠く、重い脚になってしまった。

 小泉稲荷神社は大鳥居、赤鳥居で有名とある。長くない参道に二列の鳥居がびっしり重なり建っている。片側100基程のようで、半端ではない(写真下)。潜って本殿に参拝。コロナの終息と孫達の健康をお願いした。
 駅まで1時間程だが歩く元気はなくなり、バスも2時間後。やむなくタクシーを手配。到着まで道路端に腰を下ろしてしまった。タクシーは大鳥居の下を走ってくれた。国定駅前で、呑み鉄用にと探したが自販機もなく、高崎駅でも、新幹線がすぐ来て買えず、帰宅迄持ち越しになった。偶にはこんなことも良いだろう。(20201030K.K.1355/1400)

◇日時 2020/10/3 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 13km 17,000歩 ◇資料 「いせさきマップ 伊勢崎市北部」「通過時間等」自宅10:20-JR上野駅11:30-同高崎駅12:37-同国定駅13:15=赤城神社13:35=養寿寺13:50=鹿島神社14:00=北関東高速下14:30=小泉稲荷15:05/15:30-JR国定駅16:22-同高崎駅17:14-同上野駅18:12-三田線巣鴨駅18:30-自宅19:00

御嶽山を眺め、滝を巡り里宮へ

 御嶽山を仰ぐ 御嶽山を正面に見て(写真上)、その雄大さを実感している。主峰剣ヶ峰(3,067m)は左右に裾を引き、山肌が全面に広がっている。御嶽の麓田の原へ上がり王滝登山口で、晴天の青空の下昨日叶わなかった展望を、驚きながらも楽しんでいる。剣ヶ峰には山小屋らしきものが見える。シャッター切り続けたが、大御嶽を捉えたであろうか。

 再度王滝口へ 本日木曽山中の二日目、期待通り天候は良い。御嶽山を眺め全容をカメラに収めたい。私の願いを察してくれたSさんは、また田の原王滝登山口へハンドルを切ってくれた。昨日往復したが、道路の左右はスキー場で、今は秋の草原でロッジも閉まり、閑散としている。王滝口には数台の車があり、本日も登山者がいるようだ。山頂へ向け、直線的な登山道も薄っすらと見える。

 北アを遠望 Sさん、反対側の三笠山(2,256m)に登り更なる展望をという。意外と簡単に山頂神社へ着いたが、周囲はしらびそ林で展望はない。途中のスキー場リフト小屋付近へ出て、御嶽山の右奥を見やると、遠く遥かに高山を望み、北アルプスの穂高らしい(写真中)。吊り尾根右手は前穂だろう。その先には槍もあるようだ。Sさんはこれが主目的と言い、一眼レフを覗いている。手前左手の高山は乗鞍と教えてくれた。私もカメラを出し望遠にしたが、自信はない。
 木曽福島へ向け山麓を下る。深い森の中の曲がりくねった狭い道路。現在も土日や夏季には登山バスが走っているようだ。

 御嶽信仰 新滝の案内を見ると直ぐ下が清滝で、停まった。滝は道路右上だが、急坂で少々難儀する。渇水期なのに幅広の滝一杯に流れ落ちている(写真下)。御嶽修験道の滝行場で、現在も行われ更衣室がある。隣の不動明王に手を合わせ、下から漠流を眺めた。更に下ると、御嶽神社里宮で、私は参拝したいとお願いしていた。都内近郊を歩いていると時々御嶽神社に出会い本宮へもと関心が向いた。奥宮は無理で里宮にした。石段が380段と知り、少々ビビッたが、見上げるとそう急ではない。何とか上がり切り頭を垂れ、コロナ終息と孫達の健康等をお願いした。
 御嶽神社や先程の滝行場は御嶽信仰が盛んな証だが、麓の道路両側に建つ霊神碑の数には驚いた。薄い石碑だが一箇所に数百重なり、それも道沿いに数か所に建っているのが車窓からも確かめられた。死後、魂が御嶽山へ還ることを願い建てられたものと知った。富士信仰も厚いがそのような碑はないと思う。本日の予定は無事終え、木曽福島の中山道へ出て、中央高速へ向け、車は木曽谷を走った。(2020/10/24K.K.1354/1400)

◇日時 2020/9/28 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 6km 7,000歩 ◇資料 木曽観光連盟「木曽路ガイドマップ」2020.4「通過時間等」宿泊先7:35-田野倉王滝口7:50-三笠山8:15-清滝9:20-御嶽神社里宮9:50-諏訪湖畔(昼食)11:35/12:20-高島平自宅15:00

木曽御嶽飯森高原から寝覚の床へ

 週末に、木曽御嶽山麓へ出掛けることになった。Sさんの車便乗である。6月鳥海から蔵王を巡った時、車中でSさんから話があり、同行をお願いしていた。それが実現し、宿泊先も確保したと連絡があった。最近朝が弱く、私の希望で5時出発にして貰った。

 中央高速から中山道へ 木曽へは中央高速である。車は速く、都内から高尾山を過ぎ、相模湖を見たと思ったら、次の休憩は諏訪湖畔であった。伊那高遠経由の予定であったが、ナビの指示で塩尻から中山道へ入った。奈良井宿に寄って、木曽福島先から右折し木曽谷を渡り、広く深い山麓を上がり続け、ロープウェイ下駅に着いた時は9時30分であった。
 御嶽山7合目飯森高原 先程来、御嶽山を見上げているが、残念ながら、本日雲の中。剣ヶ峰,摩利支天山、継子岳の内見えるのは手前の継子岳のみ。八ヶ岳付近から遠望する御嶽山は平らに見えるが三峰が並んでいるからのよう。ロープウェイはゴンドラ型リフトで、上駅飯森高原まで15分も要した。2,150mの7合目は、本日も登山者は多く、山中森林へと消えていく。我々は、飯森高原散策。紅葉色の灌木もあるが、高山植物も残る。アカモノか。御嶽社に参拝。反対側の展望はあり(写真上)、高山、低山が連り伊奈境の木曽駒もあろうが、地理不案内で分からない。
 開田高原へ回ってくれた。高原の開拓地とはいえ、広い山麓に牧場や集落が散らばり、見える馬はご当地木曽馬であろう。木曽福島迄下るのに一走りで、約20km位か。駅前に食堂を見付けるのに一苦労し、昼飯は、私は五平餅付きにした。

 寝覚の床の思い出 隣の上松宿の寝覚めの床へ回って貰う。上松に着き、臨泉寺境内から木曽川を覗く。中央線の先に、白い岩崖や大岩が重なる渓谷景観である(写真下)。竜宮城から戻った浦島太郎が当地に辿り着き、ここで玉手箱を開け老人になったとの伝説の地という。私は、古い思い出がある。大阪から長野行き特急に乗り車窓から眺めた微かな記憶があるが、本日眺めなおし、50年前の風景を戻した。境内には、芭蕉句碑“ひる顔に ひる寝せふもの 床の山”があり、更科紀行の折りの句か。
また木曽福島手前から山麓へ戻り、宿泊先を通り越し、田の原の王滝登山口へ上がってくれた。こちらも、御嶽山は雲に覆われ見えないが、大きな裾野が見え隠れし、雄大さが窺える。明日の天候に期待する。
 早朝の奈良井宿 朝木曽福島の前に、奈良井宿を歩いた。2度目の私は(17.11.28)、Sさんを案内。未だ8時で、目覚めたばかりの宿場は静寂、新鮮で、誰もいない旧中山道奈良井宿を往復した。木造町家や旅籠がびっしり並んでいるが、木工細工や塗り物細工等の土産店は未だ開店前。私は、再感激したが彼はどうだろう。本日スマホ歩数計には10kmと出たが、そんなに歩いたのであろうか。宿泊先では、入浴後の夕食で、私は馬肉と岩魚を肴に地酒七笑を戴く。岩魚は当然天然ものであった。下戸のSさん御免なさいである。(2020/10/18 K.K. 1353/1400)

◇日時 2020/9/27 ◇天候 晴れ ◇交通費 ロープウェイ2,600円 ◇歩行距離等 10km 13,000歩 ◇資料 成美堂出版「日本百名山 御嶽山」136頁「通過時間等」高島平4:55-奈良井宿8:05/8:35-御嶽ロープウェイ下駅9:45-同上駅10:05/10:25-同下駅10:45-木曽福島(昼食)11:35/12:20-寝覚の床12:45/13:15-御嶽田の原14:30-宿泊先15:00

                               

戸田橋から荒川左岸を下り新荒川大橋へ

 また脱巣ごもりハイクで、板橋区から北区、そして埼玉戸田、川口のコースにした。少し前に、浮間から北赤羽へ荒川右岸を歩いて対岸を眺め、あちらは未踏で歩いてみたいと思った。舟渡から戸田橋を渡って左岸を下り、新荒川大橋を渡り返し北赤羽へと、である。地図上から9km前後と読んだ。平地で、いつも歩いている距離である。夕方の用事に合わせ遅いスタートを予定していたら、長男夫婦から彼岸のお墓参りの連絡があった。一緒なら車で都合良く、先に墓参りしそのまま起点舟渡へ行くことにした。墓参りは、孫3人も一緒で、家内やぽんちゃん達を偲んだ。お盆の時は、免許取りたての長孫が運転しての墓参りであった。私は、彼らと別れ、浮間舟渡行きのバス停へ歩いた。

 舟渡から戸田橋へ 舟渡町バス停に降り、中山道へ戻って戸田橋へ坂を上がる。橋を渡ると並行するJR埼京線、新幹線鉄橋を列車が上下し、その間隔は短い。戸田橋は多分2度目の渡橋と思う。渡り終え、埼玉の左岸堤防へ出る。川下にJR東北線等の鉄橋が見え、その先にはスカイツリーもある。土手を下り、河川敷内の遊歩道を行く。荒川は静かで流れが動くのがよく見えない。土手は草で埋もれ夏草のようである。運動広場に遊ぶ人はいない。戸田市から川口市へ入ったようで、正面に大きな三領水門があり(写真上)、土手へ上がる。

 鉄橋下から寺境内 前方の鉄橋も大分近づいたが未だ距離がある(写真下)。右下は浮間ゴルフ場で、プレーヤーが見える。私も若い頃、家内の従兄弟と楽しんだ。近くに住む彼は、早朝ゴルフに誘ってくれた。東北線等鉄橋は高架下を通る。その先が自動車教習所で、私が予定した遊歩道は途切れてしまった。仕方なく土手上へ戻り、荒れた道の先の善光寺境内へ入ってしまう。頭を下げて通らせて貰い、墓地先から道路へ出る。右上に新荒川大橋への通り日光御成街道が見えて、大回りしたが予定の橋へ歩く。本日いつもより足が疲れ調子が出ない。久しぶりにやや重い登山用短靴にしたからかなと思う。橋の袂に隙間があり、善光寺の方と繋がっているように見える。強引に土手上を突破すればよかったのかもしれないが、最近その元気はない。
 新荒川大橋から赤羽駅へ 長い橋を渡り、新河岸川も渡る。ここで右折し北赤羽への予定であったが、赤羽駅へと変更し直進する。この辺りも歩いたことがあり、左手に23区内唯一醸造場丸眞正宗の小山酒造があるが閉店中。
 いよいよ疲れて、バス停椅子に座り込み水を補給。ここからも赤羽駅へも距離があり、何とか到達した。スマホで歩行距離を見ると10kmを超していた。北赤羽へ歩いても距離的にはそう変わらなかったかもしれない。夕方の約束迄は時間があり、駅で調整し集合場所へ向かった。(2020/10/10K.K.1352/1400)

◇日時 2020/9/21 ◇天候 晴れ ◇交通費 170円 ◇歩行距離等 10km 13,000歩 ◇資料 昭文社「埼玉県道路地図」32頁 「通過時間等」 自宅13:00=高島平墓苑13:20=新河岸バス停13:40-舟渡町バス停13:45=戸田橋13:50=三領水門14:30=東北線等鉄橋下14:55=善光寺15:05=新荒川大橋15:15=JR赤羽15:50・・・・・夕食会17:00-自宅18:45

総武線を乗り鉄し銚子港を眺める

 JR東日本割安パス最終日は、総武線乗り鉄で、銚子駅往復とした。前日八戸から帰って疲れが残り、遠出は避けたい。特急利用なら昼頃からでも夕方に帰宅できると分かった。以前青春18切符でも予定したが実行していない。その時Sさんにも話しているので、今回は下見ということで、了解を得なくてはと思う。

 千葉、佐倉、成東通過 現在総武線の始発は東京駅である。地下鉄大手町駅から近いホームで、地下を歩いて東京駅改札から更に地下へ降りた。特急は速い。止まる駅も少なく、錦糸町駅から本来の総武線へ入り、千葉駅を通過。千葉市郊外はベッドタウンで、この辺りから通勤する同僚達も多く、現在もお住まいである。佐倉駅から成東駅を過ぎる。佐倉はあのミスターの出身地で、高校後輩は郷土の英雄だと言った。テレビで未だお見掛けする。成東はハイキングの思い出がある。隣の東金市出身の方と机を並べた時があり、関東ふれあいの道伊藤左千夫生家コースを一緒に歩くことになり、成東駅に待ち合せたら母上もご一緒で、同行し案内して貰った。途中彼女の高校時代の自転車通学路も歩いた(09.4.5)。

 OB会の思い出 特急は、終点銚子駅へ向け走っている。OB会を九十九里浜で開催したことがあり、旭駅が最寄り駅であった。私は、その前に横芝駅に降り、中世の坂田城跡を往復した(17.6.2)。海が近い筈なのに、森の中で海は見えない。飯岡でもOB会を開いたことがあり(08.4.6)、家内も一緒で、佐原を訪ねた後で、成田線経由であったと思う。やはり東金在先輩Oさんにお世話になった。

 漁港と醤油の町 銚子駅に着き、予定通り漁港へ。正面の通りを歩いて、利根川。思ったより大利根の河口は広くはない。漁港も同じで、小型の漁船が係留してある(写真上)。カメラに収め戻り、途中白幡神社に参拝。駅前通りの広さに違和感があり、スマホ検索すると、当地も終戦間際空襲を受けたとある。津や富山、青森もそうであった。

 駅構内に醤油樽が展示してあり(写真下)、醤油の町銚子のモニュメントで、現在もヒゲタやヤマサの大手会社がある。商標登録証を思い出し、調べると、濱口儀兵衛名義で、登録制度開始直後の明治18(1886)年6月15日に第272号(右図)として登録を受けていて、拙著に引用掲載してあった(「商標法の解説と裁判例」6頁)。
 駅前で名物醤油味ぬれ煎餅を求め、東京行き特急に乗車。地酒も忘れず、呑み鉄である。千葉手前で、当地在のTさんへメール。総武線乗り鉄を楽しんでいる旨である。彼は、商標情報サイトを開設している方で、私もお世話になっている。銚子の新鮮な魚はどうでしたかと返信があった。残念ながら、今回はそのチャンスはなかった。(2020/10/7K.K.1351/1400)

◇日時 2020/9/12 ◇天候 曇り ◇交通費 JR東日本パス ◇歩行距離等 4km 5,000歩 ◇資料 「観光ガイドマップ銚子散歩」「通過時間等」自宅12:30-大手町駅13:15-JR東京駅13:40-同銚子駅15:30=銚子港15:50=白幡神社15:55=JR銚子駅16:39-同錦糸町駅18:25-三田線水道橋駅18:47-自宅19:20

龍飛崎に立ち津軽海峡を眺める

 岬先端の丘上に立つ。目の前に海が広がり、風も波もなく静かな津軽海峡である(写真上)。薄い雲が出ていて、案内にある松前や仏ケ浦迄は見えず、残念。先ほどバスで降りた先に歌碑があり、“ごらんあれが竜飛岬北のはずれ…”と石川さゆりが唄う津軽海峡冬景色が流れた。本日は遂に龍飛崎に立つことが出来た。それも風や波もなく穏やかな海峡である。3度計画し、最初は天気予報で諦め、2度目は雨の青森駅でUターンした。今回はラッキーにも天候に恵まれた。

 龍飛崎を巡る 龍飛崎は、自然の中に漁村があるだけの本州北端の辺地で、観光地ではない。ホテルが一軒あるも、土産店や食堂もない。灯台へ上がり、海峡展望を楽しみ、吉田松陰や大町桂月達の記念碑も見る。幕末に松陰は外国船の海峡通過探査に当地を訪ねたとある。丘に咲く薄紫の花はハクサンフウロのようだ。階段国道339号という山道を下り漁村へ出て、小さな漁港を見渡し、帯島手前の弁天神社に挨拶した。
 観光案内所の旧奥谷旅館を見学する。明治35年頃創業の岬唯一の旅館で、太宰治や高橋竹山、棟方志功も泊まったという。往時は船運か海岸歩きしかない陸の孤島のような岬であったようだ。私以外の観光客は極わずかで、帰りのバスは私一人であった。

 津軽線で三厩へ 今朝青森駅から朝一番の津軽線蟹田行に乗車。列車は田畑地帯を進み、途中から右手に陸奥湾が見え出した。乗客は高校生が多い。途中貨物列車と交換、盲腸線の筈なのにと疑問を持ったが、在来の津軽海峡線は現在貨物専用で北海道発と分かった。

 蟹田駅で三厩駅行きに乗り換える。こちらは山中を走り、殆ど集落は見えない。そんな中に終点三厩駅があった(写真下)。本州最果ての駅は、秘境駅の感である。
 岬には義経蝦夷行き伝説があり、案内によれば、平泉から三陸海岸寄りに北上し当地へ来て、羽根のある三頭の竜馬に乗り、海峡を渡ったとある。それで三厩なのだそうだ。以前訪ねた八戸城跡隣の社に弁慶石があり、義経の蝦夷行き伝説の説明があった(18.6.30)。駅前に、龍飛崎行小型バスが到着した。
 青函トンネルを往復 三厩駅発青森行列車を津軽二股駅に下車し、隣の奥津軽いまべつ駅で北海道新幹線に乗り換える。JRでは乗換駅ではないと案内はしないが乗換可能。待ち時間に昼食、構内道の駅食堂の客は多い。
 函館北斗行に乗車し津軽海峡下の青函トンネルへ。北海道新幹線は初乗車。北斗駅から、十勝音更の娘に、“今北海道にいるよ”とメールしたら驚いたような返信があった。復路の車中、北海道限定のご当地麦酒を飲みながら、また海底トンネルを通過。そして、本日の宿泊先のある八戸駅に降りた。(2020/10/1K.K.1350/1400)

◇日時 2020/9/11 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本パス+200円 ◇歩行距離等 6km 7,000歩 ◇資料 「青森県外ヶ浜町観光ガイド」外、「通過時間等」宿泊先5:55-JR青森駅6:15-同蟹田駅7:07-同三厩駅8:17-龍飛崎バス停8:40=文学碑8:55=灯台9:10=階段国道9:25=漁港9:45=旧奥谷旅館10:10/11:00-郵便局前バス停11:38-JR三厩駅12:37-同津軽二股駅12:52=同奥津軽いまべつ駅14:15-同函館北斗駅15:08/15:39-同八戸駅17:10=宿泊先17:20

阿武隈川乙字の滝、須賀川に芭蕉を辿る

 白河の関を越え陸奥へ入った芭蕉は、歌枕の地を巡り、奥州街道を仙台へと歩いたが、須賀川には7泊(1689年4月22-28日 陽暦6月9-15日)もしている。市内に句碑は多く、市は奥の細道300年記念に芭蕉記念館を建てるに至っている。私の俳聖追っ掛けも、是非、須賀川は加えたいと計画し、準備した。須賀川は2度目で、須賀川城跡を訪ね(94.9.14)、市内図も残っている。

 バスで乙字の滝へ 郡山駅から戻って須賀川駅に降り、構内案内所に寄ったら、現在芭蕉記念館は閉館中という。先日、月曜休館はネットで調べたのだが。乙字の滝へのバス時間と教えられ、乗車。同滝行は躊躇していた。私の資料では芭蕉が寄ったか不明で、しかも須賀川市内からも遠い。記念館見学時間省略なので、丁度良い。調べると一度は増水で止めたが、郡山への途中回り道して寄ったと分かった。
 市内から郊外、田園地帯を走り、手前の小山の麓で降車。戻るバスは約1時間後と調べ、橋上へ出る。眺めると下流に乙字らしい形の滝、落差が見える。阿武隈川である。右岸を少し行き、下側から滝を眺め(写真上)、カメラに収めた。川幅一杯だが落差は低い。観音堂境内に芭蕉、曾良の像と句碑が建ち、“五月雨の 滝降りうづむ 水かさ哉”とある。2人の像は小さく可愛いもの。平日なのに、私以外も見物者はチラホラ。当地は、水郡線に近いようで、往時は石河の滝とも呼ばれていた。

 可伸庵跡 バスで市内へ戻り、句碑巡りを開始。運転手さんに教えて貰い商工会議所前で下車し、NTTアンテナを目印にそちらへ向かうが記念館は閉鎖中で、近くの可伸庵跡を探した。この辺りに芭蕉一行が滞在した相楽等躬宅があり、彼は須賀川の宗匠俳人であったという。芭蕉は、屋敷内に寄寓していた僧可伸とも交流し、“世の人の 見つけぬ花や 軒の栗”と詠んだ。現在庵跡はあるが狭く草が生い茂っている。手前の角に、小さな軒の栗庭園があり、栗の木の下に2人の像があった(写真下)。
 市内句碑巡り 今朝入手した案内図に従い、市内中心部に長松院、二階堂神社、十念寺から少し離れた市立博物館へと巡る。長松院は等躬の墓や句碑があり、神社は須賀川城跡で微かな記憶が蘇った。十念寺には、“風流の 初めや奥の 田植うた”の句碑があり1855(安政5)年女流俳人市原多代女によって建立されたとある。円谷幸吉の墓がある筈だが探せなかった。博物館庭のものは乙字の滝と同じ句の碑であった。疲れた足で駅へ向かうが、近くはなかった。(2020/9/22K.K.1349/1400)                           

◇日時 2020/9/10 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本パス+860円 ◇歩行距離等 13km 17,000歩 ◇資料 久富哲雄「奥の細道ハンドブック」60頁外、
「通過時間等」自宅7:55-JR上野駅8:54-同郡山駅10:45-同須賀川駅11:10-乙字の滝11:35/12:25-商工会議所前バス停12:40=可伸庵跡12:50=長松院13:10=十念寺13:25=市立博物館13:40=JR須賀川駅14:26-同郡山駅14:59-同仙台駅15:54-同新青森駅17:38-同青森駅17:50=宿泊先18:00

宮城の岩出山、末の松山に芭蕉足跡を辿る

 今年も9月に入って、JR東日本割安パスの販売があり、いつものように遠出の機会にし、奥の細道で訪ね残している地を中心に歩きたい。南東北では、福島や宮城の交通アクセスが不便な地が残っている。今回は、宮城岩出山と仙石線沿線を巡りたい。

 岩出山芭蕉像 東北新幹線を古川駅に降り、陸羽東線に乗り換えた。田圃はもう黄に染まり秋色である。岩出山駅先の有備館駅に下車。駅前の有備館に入館し、庭園を一周。仙台藩岩出山伊達家屋敷跡で、幕末に設けた学問所という。立派な池のある庭園を前にして萱葺の建物が現存し、母屋は1677(延宝5)年築とある。池端には大木が繁り、萩も咲く。岩出山市内の芭蕉像へ向かう。途中古い造り酒屋前を通り、地酒に惹かれたが通り越し、内川沿いに下る。南町商店街の一角に芭蕉像が建っていた(写真上)。一行は1869(元禄2)年5月14日(陽暦6月30日)、平泉から陸奥上街道を南下し岩出山に入り、一泊したとある。句は残していない。像は面長に見える。宿泊先旅籠石崎屋は今はない。その跡が、通り先の同名の現お菓子屋と、先程教えて貰い訪ねたが、何の説明もない。
 岩出山城跡 岩出山城跡を目指す。岩出山と言えば、戦国時代の1591(天正19)年、米沢の政宗が秀吉の奥州仕置きの流れで移封された地で、仙台へ築城するまで12年間在している。城山公園入口から坂を上がり、城跡内へ。それらしき郭跡はあるが、はっきりした遺構はない。政宗像が建つのは本郭跡か。上下姿で、兜の武装でないのは珍しいらしい。有備館駅へ戻り、予定の早めの列車に乗れたが、古川駅で新幹線の接続が悪い。

 末の松山、沖の石 仙台駅から仙石線で多賀城駅に降りる。当駅は2度目で多賀城跡を訪ねている(17.01.29)。この時壺の碑も見た。しかし、末の松山、沖の石は時間がなく、今回になった。駅南口から角々に案内があり、鎮守橋を渡り、すんなり導かれた。芭蕉は5月8日(陽暦6月24日)訪れている。宝国寺にご挨拶し裏へ回ると、立派な二本の松は歌枕の地で有名(写真下)。沖の石は直ぐ先、現在は住宅街の池だが、海の一部であったのだろうか。
 国分寺薬師堂句碑 仙石線を榴ヶ岡駅に降りる。以前直ぐ近い天満宮で芭蕉句碑は眺めた(18.12.04)が、陸奥国分寺の句碑は後回しにしていた。未だ16時前なので、訪ねたい。駅で距離を聞いたが不明。奮発してタクシーを利用し、境内入口で降ろして貰う。国分寺薬師堂に参拝し、隣の地に句碑はあった。“あやめ草 足に結ばん 草鞋の緒”の句は、仙台で宮城野を芭蕉を案内してくれた俳人北野加之(画工加右衛門)の餞別草鞋を詠んだという。芭蕉は5月7日(陽暦6月23日)参拝した。バス停を探したが時間が合わない。野球場スタンドが見え、仙石線宮城野原駅へ歩くがこれが遠く、30分弱を要した。それでも、仙台駅から17時前のハヤブサに間に合った。(2020/9/20 K.K. 1348/1400)

◇日時 2020/9/9 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本パス+760円 ◇歩行距離等 15km 20,000歩 ◇資料 久富哲雄「奥の細道ハンドブック」100頁外、
「通過時間等」自宅8:00-JR上野駅9:14-同古川駅11:15=同備館駅11:40=有備館11:45=岩出山芭蕉像12:05=岩出山城跡12:25=JR有備館駅12:54-同古川駅14:09-同仙台駅14:36-同多賀城駅15:00=末の松山15:15=JR多賀城駅15:29-同榴ヶ岡駅15:50-陸奥国分寺16:05=JR宮城野原駅16:37-同仙台駅16:57-同上野駅18:35-自宅19:20

下板橋駅から池袋へ歩きまた板橋へ

 我が区板橋と練馬区池袋は隣接し、JR板橋駅から近い東上線を越すと池袋とは知ってはいたが、歩いたことはない。一度練馬区へ入り山手通りを歩き、板橋区へ戻るコースを思い付いた。下板橋駅には東上線記念碑があり、山手通りを戻った平尾宿付近の子安神社は未訪だ。これらをコースポイントにすれば、それなりの脱巣ごもりハイクだろう。

 東上線下板橋駅へ 最近天気は不順で、本日も午後は雨の予報。今回選定コースは午前中には帰宅出来るだろうと出掛けた。三田線新板橋駅からJR板橋駅へ寄り、来週からのJR東日本割安パスを求め、池袋へと方向を採る。
 未だ板橋区内だが初めての地。想定通り東上線を渡ったが、下板橋駅(写真上)の位置が大分成増駅方向にあった。隣の緑地に東上線記念碑見付けた。明治36年、板橋の実業家が東京と上州渋川間の鉄道敷設を計画し、最終的には東武鉄道が乗り出し、開業し、頭文字から東上線とネーミングしたとある。同線は、下板橋駅より上板橋駅が下った先で、中山道と同じであり、江戸時代の名残であろうか。
 池袋富士、現川越街道 また踏切を渡って池袋へ入り、池袋氷川神社を探す。住宅密集地で小路が入り込み、回り道したが裏から境内へ。下町神社としては立派なもので参拝し、隣を見ると富士塚があり、形がよい。池袋富士とある。江戸庶民の富士山崇拝、盛んだった富士講が窺われる。ここで右手の山手通りへと予定していたが、正面参道を行く。そろそろ右折と、重林寺先で大通りへ出たが、現川越街道とある。エッと思いながらも下ると、山手通りは先と分かる。ともに高速道路の下で同じような道路構造。大きな交差点へ至り、角の熊野神社へ詣でる。こちらも広い境内の社。狛犬をカメラに収めた(写真下)。当地は板橋区熊野町とある。

 子安神社 山手通り歩道を下り続ける。緩い坂を上がると下は、東上線。右に目をやったが、もう下板橋駅は見えない。そろそろかなと右折し子安神社であった。大きな木々が繁り境内は薄暗い。また社殿前で手を合わせ、石に腰を下ろして休憩し水を飲んだ。
 板橋区役所方向へ歩くと、宗仙寺。山門の位置が分からず、一回り。覗いたら、古刹も近代的に模様替えされ、通りすがりに寄るような雰囲気ではない。
 四つ又馬頭観音? 坂を下って、四つ又馬頭観音だが、高速道路真下に小さなお堂があるも、名は不明。道路端に案内板があり、それでは少し離れたビル街にあるとの表示。案内図に沿い二度探しまわったが、出会えない。諦めて区役所前駅から三田線で帰宅。丁度雨が落ち始めた時であった。帰宅後、ネットで調べると馬頭観音は最近移動したようで、私が見た小さなお堂らしい。我が家から近いので、その内確かめようと思う。(2020/9/17K.K. 1347/1400)

◇日時 2020/9/6 ◇天候 曇り ◇交通費 シルバーパス利用 ◇歩行距離等 7km 10,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図」22頁、「観光いたばしガイドマップ」
「通過時間等」自宅8:50=新板橋駅9:15―JR板橋駅9:25=東武下板橋駅9:40=池袋氷川神社9:55=現川越街道10:10=熊野神社10:25=子安神社10:45=三田線板橋区役所前駅11:10=自宅11:30 

都心中央区に社寺を巡り歩く

 購読紙夕刊に、“まちの記憶兜町”と題したマップがあり(20.8.24朝日夕刊)、兜神社の案内に目が留まった。日本橋の袂のようで、一度眺めたかなと思いつつ、再訪もよいと考え、歩くコースを検討。都内地図から、浜町公園、水天宮、そして日本橋の兜神社へ歩くことにした。手許資料「お江戸下町中央区神社案内」への登載はない。

 浜町公園から 三田線神保町駅で新宿線に乗り換え、浜町駅に降りると、浜町公園の真上で、直ぐ公園。名は知っていたが、初めての地。意外に緑が多く、隣の隅田川堤へ上がって川を眺める。戻ると園内端に、清正公寺がある。あの加藤清正公だろうが、何でと思ったら、当公園は肥後細川藩中屋敷跡で、藩主が祀っていたと知った。
 大通り新大橋通りへ出て右折。浜町神社は少し通りから入った地にあった。大震災、空襲を経て再建されたとある。前の方に続いて、手を合わせた。
 水天宮は再訪 大通りへ戻り、人形町に松島神社を探す。右手のビル内に鎮座していた。都内には時々ある社。また軽く頭を垂れる。水天宮は、交差点の角にあり目立ち、すんなり本殿前へ進み、詣でた。安産祈願先として有名で、兄夫婦に同行したのは何年前だろうか。姪の時で、兄の孫は今年小学校と聞いたから7年前か。子宝犬の像もマスクをしていた(写真上)。大きな交差点を渡り、右奥小公園に茶の木神社があると町内案内図に見付け、立ち寄る。水が落ちる手洗い場付き瀟洒な小神社。また手を合わせる。

 銀杏八幡宮は大通りを歩いたすぐ先。こちらは、境内は広いが、荒れた感じ。持参の冷やしタオルを濡らしたいが水道は出ない。軽く祈願し、直進すると正面に高速道路が見え始めた。右折し小網町へ。小網神社は、小路の住宅に挟まれた下町社で、右上には神楽殿もある。残り少ない小銭を賽銭箱へ入れた。
 兜神社は何処? いよいよ兜神社。高速の下の川が日本橋川で、日本橋へと向かうが、高速下の道は込み入り、日本橋の外、江戸橋もある。町内案内図も見間違え、江戸橋付近をウロウロ。日本橋は先の筈と大回りし、三越を右に見て橋を渡るが、兜神社は無い。折よく交番前で、尋ねると通り一本違うと教えてくれた。首を傾げながら行くと、江戸橋近くのビルの間に見付かった。証券会社の鎮守様で、参拝後、前にある兜岩をカメラに収める(写真下)。源義家が勝利祈願の際兜を置いたとの伝説があるという。疲れた足で、地下鉄日本橋駅へと歩いた。(2020/9/15 K.K. 1346/1400)

◇日時 2020/8/31 ◇天候 晴れ ◇交通費 160円 ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図」、「まちの記憶兜町」20.8.24朝日夕刊、「お江戸下町中央区神社案内」
「通過時間等」自宅8:00-新宿線浜町駅8:55=浜町公園9:00=浜町神社9:15=松島神社9:25=水天宮9:35=茶の木神社9:45=小網神社9:55=日本橋10:20=兜神社10:30=東西線日本橋駅10:45-三田線大手町駅10:55-自宅11:40

八重洲、銀座、新橋に歌碑を巡る

 先日、上板橋に川中美幸の“二輪草”歌碑を訪ねた。最近在宅が専らで、夕方は、演歌・歌謡曲を聞いては時間を潰している。他方、これまでそっちこっちを歩いて、歌碑に出会うこともある。少し前だが、小樽運河では、“小樽のひとよ”、青森港では、“津軽海峡冬景色”の歌碑を見た。そんなことで、歌碑に関心が生じ、ネットで調べると、都道府県別リストがあり、都内をピックアップし、今回は、都心の歌碑を巡ることにした。

 八重洲の“宵待ち草”の碑から リストから6碑程を抜き出し、八重洲、銀座、新橋と歩き、時間があれば、上野駅へと予定し、出掛けた。三田線を大手町駅に降り、長い地下通路を東京駅北口へ歩いた。地下を上がると、雨、それも激しく降っている。傘はあるが、歩くには支障がある。最初は八重洲の信託銀行本店前にある“宵待ち草”の碑で、傘を指し銀行の前庭かとウロウロしたが無く、警備員に教えて貰い、竹久夢二の独特の絵付きの碑がビル前にあり(写真上)眺め、カメラに写した。歌は聞いたことがある程度だが、なぜ当地に建っているのかは、その後の調べでも不明。

 雨で、地下鉄で移動 雨降りに歩くのは止め、隣の地下鉄入口の階段を降りる。銀座線日本橋駅から銀座駅まで乗車。地下鉄銀座駅は迷路で、“有楽町で逢いましょう”の碑はマリオン前だが、出口を探すのに苦労。偶然マリオンの一階へ上がり前庭へ出ると、それらしき石があり近づくと、正解。フランク永井が唄うこの歌は中学生の頃、大ヒットし、有楽町が一躍有名になったと思う。
 石原裕次郎外の“銀恋”の碑は、直ぐ先の筈だが、現在地が分からず、マリオン正面へ回り位置を知り、数寄屋橋の反対側に元西銀座デパートを探し、その空き地の先に、歌碑は見付かった。この歌はデュエットの定番曲と言われるが、唄ったことはない。
 銀座から新橋へ 地下鉄銀座駅は地下鉄三線が交差し新橋方面行きのホームの位置が想定と違い、また戸惑ってしまうが、何とか乗車し新橋駅に着く。こちらは単純で、想定通りの銀座に近い出口へ出て、歌碑“銀座の柳”へと、新橋と銀座の境辺りを行くが無い。銀座寄りだろうと早とちりしていたが、新橋郵便局の傍で、新橋側へ戻って到達。懐メロも古く、一度位聞いた程度の歌だが、その名通り、柳の下に大きめの歌碑が鎮座していた(写真下)。雨は止んでいて、“鉄道唱歌”の碑のある新橋駅烏森口は近く、烏森の駅前を探したが見当たらない。駅で汐留側と教えて貰い、あった。隣のデゴイチの車輪を入れてカメラを向けた。
 本日、久しぶりに友人との昼食で、濡れたシャツを着替えJR御徒町駅へ向かう。食事後、歩いて上野駅の歌碑“ああ上野駅”へとも考えていたが、友人は予定があると言い、大江戸線で、三田線乗り換えの春日駅にした。(2020/9/8 K.K. 1345/1400)

◇日時 2020/8/23 ◇天候 雨後曇り ◇交通費 490円 ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図」「通過時間等」自宅9:30-三田線大手町駅10:15-八重洲歌碑10:30-銀座線日本橋駅10:35-同銀座駅10:45-銀座歌碑10:55/11:00-銀座線銀座駅11:10-同新橋駅11:15-新橋歌碑11:25/11:35-JR新橋駅11:40-同御徒町駅(昼食)12:00/13:10-大江戸線上野御徒町駅13:20-三田線春日駅13:35-自宅14:05

大宮バイパスを笹目、美女木、西浦和へ

板橋近辺の脱巣ごもりハイクから少しでも変化をもたらそうと、大宮バイパス笹目通りを北上し西浦和へ歩くコースを思い付いた。気温の高くない日を待ち、本日はその日と天気予報を睨め、昨夜から決めていた。距離としては、8㎞以上だが10㎞はないと読んだ。友人Sさんは、西高島平駅から歩いたことがあると聞いていた。

 笹目橋、笹目神社 朝 7時30分高島平の自宅をスタート。首には最近求めた冷やしタオルを巻いた。暑くはない中、新高島平駅から新河岸川を渡り、早瀬渡し水神宮に寄り、荒川土手へ上がって橋下から笹目通りへ出る。バイパス笹目橋側道は、意外にも徒歩の人や自転車が通っている。荒川を橋上から眺める(写真上)。本日も大河は蕩々と流れているようだ。
埼玉へ入り、高速道路で日陰になった側道を行く。小工場が多く、仕事を開始しようとしている。最初のポイントは、笹目神社で一度歩いたことがある(12.4.12)。そんな風景になり、小川を渡ると左手に広い境内の神社があった。45分で順調。先のご婦人に次いで参拝。社殿が改装されたようだ。持参したポットから水を補給する。

 外環高速から美女木八幡 側道を歩き続けるが、外環高速の高架が見えて来ない。Sさんの車では近いのだが、そうはいかない。暑くはないが、先程来日陰を選んでいる。1時間15分で、外環高速下を歩道橋で渡り、小公園で休憩。高齢者がゲートボール中だが殆どがご婦人達。角の御嶽神社に挨拶し、美女木集落内の美笹通りへ右折。バス通りで、リタイアにはバス利用可能と知る。
 美女木八幡宮を探すのに時間が掛ったが、屋根越しに社叢らしき高い木々を見付け、なんとか到達し、誰も居ない中、参詣(写真中)。
 ここから荒川土手へとも考えていたが、徳祥寺を経て、また暑さを避け高速の影下へ戻る。JR 北戸田駅への通り案内を過ぎ、戸田から浦和へ入り、いよいよJR西浦和駅のある武蔵野線が見える筈だが、未だ先のよう。

 キバナコスモスに秋を知る 道端に咲くキバナコスモスに出会い(写真下)、好きな花で元気を貰う。花は秋到来を示している。田島へ至り、案内図に武蔵野線があり、顔を上げると、正面に見えた。田島の河川敷は桜草の自生地で、やはり高島平から歩いたこともある(04.414)。最後の力を振り絞り、バイパス側道から長い歩道橋を渡り、JR西浦和駅へ。予定を30分程オーバー。飲料を求め、シャツを着替え、ホームへ上がり電車を待った。(2020/9/3 K.K. 1344/1400)    

◇日時 2020/8/18 ◇天候 晴れ ◇交通費 170円 ◇歩行距離等 13km 18,000歩 ◇資料 昭文社「埼玉県道路地図」48-50頁 「通過時間等」 自宅7:30=早瀬渡し水神宮7:45=笹目橋8:00=笹目神社8:15=外環高速下8:45=美女木八幡宮9:10=田島9:45=JR西浦和駅9:58-同武蔵浦和駅10:13-同浮間舟渡駅前10:31-自宅17:30

下練馬富士塚から徳丸水車公園へ

 前々回、十条富士塚の見学が叶わなかった。それでか、練馬の東上沿線にも富士塚があったのを思い出し、古いファイルを探したが、記録はない。僅かな記憶から、地図で調べると東武練馬駅付近の浅間神社と分かった。丁度、同駅前イオン店での買い物があり、出掛けることにし、往きはバス利用、帰りは歩くことにした。

 下練馬浅間神社富士塚 高島平バス停から乗ったバスを、東武練馬駅前に降り予定の買い物をして、東上線踏切を渡り駅前を左折し、浅間神社を探す。駅前商店街は複雑で、行きつ戻りつし最後は教えて貰い、ようやく旧川越街道沿いの神社へ着き参拝し、隣の富士塚に登る。高く、大きく(写真上)、本殿前から中腹へ移り石段を上がり、頂上下で手を合わせ、コロナ退散をお願いした。塚に積んだ岩は富士から運んだ溶岩片だろうか。歩きながら、ここの富士塚を最初に訪ねたのは、自治会報で紹介されたからで、約30年も前のことと思い出した。時は流れ、本日初めて見る富士塚のよう。
 広い徳丸地区 東武練馬駅に戻り、不動通りへ下って直進し、中尾不動尊を目指す。先程バスの車窓から探したがそれらしい建物は分からなかった。左手の高台広場に不動尊があり、意外に小さなお堂様。また同じ祈願をした。直進を続け、信号のある交差点を左折し、西徳通りから徳丸水車公園へ方向を採るが、持参マップで確認するとまだまだ先のよう。当地は高島平隣の徳丸地区だが、先程来初めての地で、若干戸惑いながら歩き続けている。徳丸通りへ右折し、徳石公園の立体交差で階段を降りて公園へ入り、前谷津川緑道を行く。確か、高島平団地内へ流れているが現在は暗渠化され、緑道になって久しいと思う。緑道がお終しまいになり、またマップを覗く。右折し、左折すると目標の水車公園。

 水車公園は閉園時間 久しぶりの公園だが、私の知る公園とは違い、緑に包まれた広い園内に、庭園付きの徳水亭という和風建物があり、水車も大型のもの(写真下)。昭和50年代出来たばかりの頃子供達と訪ねたが、水車だけがある小さな緑地だったと思う。しかし、本日は見学が叶わない。17時を過ぎ閉園時間になっていた。柵外からシャッターを切ったかどうだろう。
 坂を上がり四葉地区を過ぎ、ようやく知った風景で、松月院通りを渡り、四葉稲荷神社に寄る。少し前迄は初詣の際には訪ねていたが、最近はご無沙汰している。境内の古大木に変わりはなかった。隣は小さな富士塚かなと思っていたが、御嶽山神社であった。ここから我が家は近い。土手を下り、高速下を過ぎると我が団地が見えた。(2020/8/28 K.K. 1343/1400)

◇日時 2020/8/8 ◇天候 曇り ◇交通費 シルバーパス利用 ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 板橋区くらしと観光課「観光いたばしガイドマップ」
「通過時間等」自宅15:00=高島平バス停15:15―東武練馬駅前イオン店15:30/15:50=下練馬浅間神社16:00=中尾不動堂16:30=徳石公園16:45=水車公園17:00=四葉稲荷神社17:10=自宅17:30

埼玉行田に古代蓮の里を訪ねる

 最近は脱巣ごもりハイクと称して、板橋区周辺を歩くのが精一杯で、遠出は、Sさんに連れて行って貰った先々月の山形行きだけである。またSさんに、行田の古代蓮観賞に誘われた。二つ返事でオーケーしたが、蓮の花期が気になり、ネットで調べると8月上旬迄とあり、最後の花に期待した。本日から8月である。一度訪ねたことがあり、再訪となる(10.8.8)。

 車で埼玉行田へ 高島平を8時に出た。Sさんに所要時間を問うたら、行田は高速道路は使えず、1時間30分という。大宮から中山道を走り、上尾、北本、鴻巣を過ぎ見覚えのある風景もある。そして、右折すると田園地帯になり、前方に塔が見え始め、古代蓮の里に着いた。予定通りの時間。
 土曜日の早い時間だが、人出はある。入園料はなく、早速園内へ。再訪だが、約10年も前のことで、記憶は朧気。当園は広く、先月訪ねた足立堀之内公園蓮園の20倍はあろうか。
 古代蓮の里を巡る 正面左手の蓮池を巡る。蓮の葉は池一杯に生い広がっているが、花はポツリ、ポツリ(写真上)。盛期は過ぎたのだろう。我々は、白やピンクの花を拾いながら、ゆっくりと池端や木道を巡る。ピンクの花は古代蓮(行田蓮)で、1400年以前からの花で、土木工事中に掘り起こされ、咲いたという。昭和46年のこととある。花は少なく、カメラに収めるのに苦労する。隣の水生植物園へ行く途中の道端で、蛇を発見。山歩きでは出会うことは希にあるが、久し振りで、Sさんにも教えた。小さな蛇は頭を振り振り、草むらへ入り込んだ。

 オニバス池から隣の水鳥の池へ。カメラを据えた高齢者が待機中。こちらの池にはピンクの蓮がやはりポツリ、ポツリだが、さっきの池よりは多い(写真下)。望遠にしてシャッターを切った。貰ったパンフによれば、42種の花蓮があるとあるが、私には、ピンクの濃い行田蓮だけが目立って見える。花期が違い多くはもう散ったのであろうか。
 休憩し歌碑を眺める 入口へ戻り、売店でソフトクリームを求め、休憩。行田は関東平野の真ん中のようで、周囲には山は見えない。埼玉在のSさんは、西方には秩父の山々が連なり見える筈で、本日は雲の奥と教えてくれた。
 入口左手に、“蓮の故郷”の歌碑があった。当園を観賞したダークダックスのゲタさんの依頼で、小林亜星が作詞、作曲したとある。先程園内に流れていた楽曲が、ダークダックスが唱うそれであったのだ。
 帰途に右手に見えた古墳が、埼玉県名へと繋がったさきたま古墳群。稲荷山古墳が有名で、私は、JR北鴻巣駅から歩いたこと(04.9.4)を思い出した。12時30分に帰宅した。車は速い。Sさんまたまた有り難うございました。感謝です。(2020/08/22 K.K. 1342/1400

◇日時 2020/8/1 ◇天候 晴 ◇資料 「古代蓮の里」◇歩数等 5,000歩 4km 
「通過時間等」自宅8:00-行田古代蓮の里9:25/10:15-自宅12:25

板橋区にあった二輪草歌碑を訪ねる

 今春も近くの赤塚自生地にニリンソウを訪ね(20.4.6)、眺めた。土手下を白い花は埋め尽くしていた。ニリンソウは板橋区の花に選定され、保護されていることは知っていた。最近になり、上板橋ににりんそう公園があり、そこには、川中美幸が唱う“二輪草”の歌碑があると知った。どうしてそこにと思いながらも、訪ねることにした。

 西台から中台へ 三田線西台駅からスタート。今回も観光いたばしガイドマップを持参し、最初のポイントは駅前交差点を渡り馬頭観音堂。この辺りは通ったこともあるが初めて知り、参拝。住宅街へ右折し植村直己冒険館だが、未だ開館前。高島平にあったが移ってから久しい。小路を直進した左手が氷川神社。当社も初めてで社殿前へ進み手を合わせた。冨士塚があり(写真上)、カメラに収める。シンプルで美しいと思う。当社は志村橋付近から移設されたとあり、荒川氾濫の影響だろうと推測した。途中、山門から蓮華寺を覗いたが、由緒が不明で、通過。この辺りは大きなお宅が続き、蓮根村の農家の名残か。
 高速道路下へ出て、信号を待ち交差点渡り、中台しいのき公園。ほんの一画だが、土手に大木が繁り緑に覆われ涼しい。坂の右手に中台馬場崎貝塚がある筈だが案内はない。また山勘で住宅街裏手へ回ると、空き地に案内の杭だけがあった。戻って大通りを直進。稲荷神社へ寄り、地図を出しいよいよ目指すにりんそう公園で、位置を確かめる。

 にりんそう公園、歌碑 下り坂カーブの地点で、小路へ入り直進すると右手に小さな緑地があり、にりんそう公園。中央の小さな土手上に歌碑はあった(写真下)。川中が唱う歌詞が刻んである。作曲家弦哲也の名もある。平成11年、レコード会社テイチク(株)建立とある。この歌碑は赤塚の自生地が適当と思うが、板橋区が建てたのではない。当地もニリンソウ咲く地とある。除幕式では川中も見え、最後は、“・・・二人は二輪草”と指二本出し、唱ったのかなと想像しながら、狭い公園を眺め回した。
 最近夕方、時間を持てあまし、演歌や歌謡曲を聴き捲っているが、川中の歌は少ない。里歩き途中に偶然出会うこともある。神田川を下った時南こうせつの神田川の歌碑を眺めた(10.3.25)。万代橋では新潟ブルース(10.53)、幣舞橋では釧路の夜(16.63)の碑を見ている。いずれも美川憲一で、記録にもあり、写真も残っていると思う。岐阜柳ヶ瀬通りでは探し損ねた(17.9.7)。塩屋岬にはひばりのみだれ髪碑を訪ねた(17.7.2)。今後は歌碑巡りも良いかなと思い始めている。
 板橋平和公園 東武上板橋駅へ出て、最後に平和公園へ脚を伸ばした。板橋区の平和宣言の碑や像があった。休憩していると、板橋区主催のウォーキングに元同僚達と参加し、当公園を歩いたことを思い出した。帰宅後調べたが記録はないが94年の秋だったと思う。高島平赤塚公園まで歩き、家内が用意した芋煮鍋で打ち上げたことは覚えている。雨が降り出し、バスで、三田線板橋本町駅経由で帰宅した。(2020/08/17 K.K. 1341/1400)

◇日時 2020/7/27 ◇天候 小雨、晴 ◇資料 板橋区くらしと観光課「観光いたばしガイドマップ」◇歩数等 12,000歩 9km 「通過時間等」自宅9:00-三田線西台駅9:20=馬頭観音堂9:25=氷川神社10:00=蓮華寺10:10=中台しいのき公園10:20=中台馬場崎貝塚10:30=稲荷神社10:40=にりんそう公園10:50=板橋平和公園11:20-三田線板橋区役所前駅11:50-自宅12:10

赤羽西から十条の社寺を巡り歩く

 今回の脱巣ごもりハイクは、板橋区内を出て、北区の赤羽から十条にした。コースポイントに十条の富士塚がちらついた。約20年前富士塚を眺め(99.2.6)、大きな姿に魅せられた事を思い出し、再訪したい。その前後に繋ぎのポイントを探したら、近くを走る現埼京線沿いに古社や古寺もある。

 稲付遊歩道から 赤羽駅西口には、最近利用している三田線志村坂上駅からバスにした。西口より線路沿いに十条方向へ歩き出すと稲付遊歩道があり、当地は稲付地区で、稲付城跡のある静勝寺は右手丘上だが、今回は寄らない。遊歩道から本道へ出て、交差点を渡り、法真寺の案内がある坂を上がる。
 手前に香取神社の参道を見付け、石段を上がって参拝。二度目かなと思ったが記憶にない。境内に力石があり(写真上)、カメラに収めた。
 隣が、目指す古刹で、都内とは思えない緑の中の寺院。軽く頭を垂れ、Uターン。また坂を上下し、住宅街の奥に鳳生寺を見付けたが、一般の参詣はないようで、境内から本堂前を覗き、戻った。さっきから方向のみからの山勘が当たり、予定ポイントを巡っているが、次の清水坂公園も、住宅街の小路を抜けた想定先にあり、二度目だが意外に広くない。埼京線の車窓からは広い公園に見えた。
 十条富士塚は工事中 いよいよ十条だが、埼京線西側を十条銀座方向へと行く。環七通りを渡ると富士見銀座通りとあり、名前も初めての商店街。途中の食料品店で、好物の瓜の鉄砲漬を求める。店頭に貼られた歌手多岐川舞子のポスターに引き寄せられたのかもしれない。最近夕方時間を持てあまし演歌を聴いているが、その中の1人で、主にカバー曲を聴いている。

 十条銀座入口で左折し、踏切を渡って進み、岩槻街道(日光御成街道)へ出て右折。右側に富士神社はあったが、大工事中。境内周囲がフェンスやシートに囲まれ、木々も切られている模様。警備員が居て参拝も叶わないと言われた。肝心の富士塚はシートで仕切られ一切見えず、カメラも向けられない。工事は今年一杯掛かるという。残念ながら街道を上り、地福寺へ寄ると、入口に秀吉の醍醐の花見に繋がる桜木の案内があった。
 十条駅前付近 戻って十条駅へ。途中の狭い商店街右側に篠原演芸場があった(写真下)。現在では都内二軒のみの大衆演芸場で、梅沢富美男も若い頃は出演していたらしい。また踏切を渡り十条銀座で、車窓からは駅と直角の通りと思っていたが、線路沿い右への通りと先程知った。
 十条駅前へ回ると、田舎のような小さな駅舎。駅前には長孫が4月から勤め始めた地方金融機関の支店があった。三田線の駅まで歩こうとしたが疲れ、板橋区内へ入り帝京大学前からバスで板橋駅に降り、三田線新板橋駅から帰宅。(2020/8/13 K.K. 1340/1400)

◇日時 2020/7/21 ◇天候 曇り ◇交通費 シルバーパス利用 ◇資料 JR東日本「駅からハイキング十条駅」 ◇歩数等 12,000歩 9km 
「通過時間等」自宅9:15-志村坂上バス停9:40-赤羽駅西口10:05=香取神社10:25=鳳生寺10:35=清水坂公園10:45=富士見銀座通り11:00=富士神社11:10=地福寺11:20=十条駅前11:30=帝京大学11:45-三田線新板橋駅12:10-自宅12:35

今年も遅かった足立堀之内古代蓮

 昨年だった思うが都内足立区に古代蓮が咲くと知り、開花時期を待っていた。その時を迎え、訪ねる機会を窺っていたが、見頃にぴったり合わせるのは困難である。7月も半ばになり、公園へ電話で問い合わせたら、盛りは過ぎ1/3ほど残っていると教えてくれた。やっぱりと思いつつ、出掛けた。

 足立堀之内公園へ 地図で調べると荒川沿いで、鹿浜橋と江北橋の間にあり、交通アクセスは良くない。赤羽駅へ出て、バスで鹿浜橋袂に降り、歩くことにした。バスは途中から環七を走り鹿浜橋を渡って、私は次のバス停に降りた。広い環七を歩道橋で渡り、右手に荒川土手と高速道路を見ながら下る。バス停付近は見た風景であったが、それからは未知の地で、地図と山勘が頼り。公園は少し住宅街へ入った地で、そろそろかなと大きな工場側へ踏み込んだが、山勘がまた外れ一足早く、工場裏から出た大通りの先にそれらしい風景が見え、目指す堀之内公園であった。
 蓮の花を巡る 小さな公園だが、その半分程がハス園。花は咲いているも、少ない。蓮の葉は大きく、背も高いから、花は目立ちにくい(写真上)。でも、ピンクや薄ピンクの花は大きめで、美しい(写真下)。カメラを手に持ちながら、ハスの間を巡る。花弁が枯れ落ちた跡も多い。残念である。大分前に千葉で満開の大賀蓮を眺めて(08.7.28)以来、そちこちに、蓮の花を追っているが、満足したことはない。昨年の埼玉白岡でも、ポツリポツリであった(19.7.23)。最後に大回りし、来年も来ようと園を離れた。

 荒川土手、鹿浜橋 荒川左岸土手へ上がり、鹿浜橋へ向ける。広い河川敷の中央を流れる荒川を眺めながらはハイキングらしくなった。桜木の間を通ると、サクラを詠んだ俳句の掲示があり、芭蕉の“花の雲 鐘は上野か 浅草か”等も紹介してある。もう少し上流が都市農業公園で、花見に来たことがあった。足立区は五種類の桜を育てているようだ。花友と一緒だった思うが、こんな時期でご無沙汰である。蓮の花の写真、選んで送ろうと思う。
 鹿浜橋に着き、長い橋を渡る。孫の1人が当地の高校に入学し校舎はこの近くにあり、やはりハイキングの序でに立ち寄ったことがあった(18.4.2)。彼も3年になり、現在変則的な通学ながらも元気に登下校しているようだ。橋を渡り終えた先に新田一丁目バス停があり、赤羽駅行きに乗車。環七は大混雑でバスはノロノロ。孫は自転車通学に切り替えて久しいが、これではと彼の気持ちが理解できた。赤羽駅で乗り換え、最後は三田線志村坂上駅から帰宅した。
 地球温暖化で、花期が早まっているのは確かなようだ。四季の花は来年まで1年待たなければならないが、早め早めに訪ね、観賞したい。(2020/08/07 K.K. 1339/1400)

◇日時 2020/7/13 ◇天候 曇り ◇交通費 シルバーパス利用 ◇資料 昭文社「東京都市図17西新井」2004年4月 ◇歩数等 11,000歩 8km 「通過時間等」自宅12:30-志村坂上バス停12:54-赤羽駅東口13:20-鹿浜橋バス停13:35=堀之内公園14:00=荒川土手14:20=鹿浜橋14:45=新田一丁目バス停15:00-赤羽駅西口15:35-三田線志村坂上駅16:00-自宅16:15