有楽町、数寄屋橋公園、みゆき通りから銀座へ

 銀座開催の書道展の案内があった。Wさん出展しているという。日曜日の本日15時にSさんと会場で待ち合わせた。その前に、有楽町や数寄屋橋公園を訪ねることにした。三田線日比谷駅から歩ける距離である。一昔前勤務先が銀座にあり、時々うろついていたが、最近ではすっかりご無沙汰で、久しぶりの都内も中心街は楽しみでもある。確か2年前も書道展を観賞したと思う。

 有楽町へ 三田線を日比谷駅に降り、地上へ出てJR有楽町駅へ歩いた。駅へ直線的に歩いているつもりであったが、通りが一本違っていた。有楽町そごう前へ至り、駅構内を通り、右折し飲食街を通った。見覚えのある繁華街で、直ぐ左折し、マリオン前へ出た。映画館であったと思うが、現在はどうだろう。このビル前に、“有楽町で逢いましょう”の歌碑があった筈だが見当たらない。周囲をうろうろしてみたがない。一度訪ねて(20.8.23)写真があると思うが、諦めた。元西銀座デパートを大回りして、銀座側へ出て少し歩くと、“銀恋”の歌碑と“柳並木”の碑もあった。

 数寄屋橋公園 晴海通りを渡って数寄屋橋公園へ。作家菊田一夫書の“数寄屋橋”の碑があった。数寄屋橋は、菊田作ラジオドラマ“君の名は”で有名になった。春樹と真知子の出会いの場である。私が小学生頃(1952-54年)の大ヒットドラマで、映画化もされた。北海道の美幌峠へ行った時(19.8.3)、JR美幌駅前にも“君の名は”の碑があり、第二部が当地で撮影されたとあった。数寄屋橋は銀座の発展に伴い濠は埋められて、公園として遺されたという。公園を出て、みゆき通りを歩き銀座中央通りへ出て、会場鳩居堂へ。

 書道展観賞 会場にはWさんとSさんは先着されていた。早速Wさんの案内で一回り。書道展作品は草書も崩しも大胆で、素人には殆ど読めない。和歌が多いと思うが、残念ながら読めず意味も分からない。もう芸術の域であろう。Wさんの作品をカメラに収めた。それにしても達筆さには敬服である。Sさんが知る銀座の喫茶店でしばし懇談し、銀座四丁目で別れて、地下道を有楽町から日比谷へと歩いた。(26.5.12 K.K.1639)

◇日時 2026/4/12 ◇天候 晴 ◇資料 昭文社「東京都市図85」(04.4) ◇歩行距離等 7000歩 5km                                   「通過時間等」自宅14:00-三田線日比谷駅14:45=JR有楽町駅14:50=柳並木の碑15:00=数寄屋橋公園15:05=鳩居堂15:20=喫茶店16:20=三田線日比谷駅16:52-自宅17:35

私が登った百の名山&低山=西日本編=「延暦寺を訪ね比叡峰の三角点を探す」

 歴史の街を行く 比叡山麓坂本で京阪電車を降りると日吉大社の参道。穴太衆(アノウシュウ)積みの石垣に囲まれた道を延暦寺本坊であった滋賀院門跡に向かう。穴太衆積みは戦国城塞の石垣で知られている。未だ9時前で門跡参観は不可。奥の慈眼堂は徳川初期家康等に仕えた天海大僧正の廟という。そばに石仏があり観音寺城主六角承禎に纏わるものが江戸期当地に安置されたらしい。
 日吉大社は広大な境内に国宝、重文の社殿や楼門が建ち並ぶ。いずれも文禄や慶長期に建立された檜皮葺建築等と説明がある。西本宮、宇佐宮、白山宮等から東本宮まで駆け足で回っても約30分を要した。折良く国宝御輿の展示が行われており、桃山時代のものという。当時の僧達がこれを担いで京まで上ったとあった。

 延暦寺へ ケーブルで坂本駅から延暦寺駅に上がる。大正期に敷かれた鉄道で我が国最長のケーブル鉄道という。雨が降り出して山中は煙り、琵琶湖展望の車内案内は空しく聞こえた。琵琶湖百景‘煙雨のひえいの樹林’から鐘の音に導かれて延暦寺に入り根本中堂を参拝する。延暦寺は、信長の京進出等に抵抗したため坂本の寺院を含めて、1571(元亀2)年焼き討ちに遭い、江戸期に入り徳川家庇護の下先の天海が再建したらしい。根本中堂も家光の建立とあった。他の参拝者に混じって真っ暗な中ご本尊様を拝み、暗闇に不滅の法灯を探したがいずれか分からない。

 比叡山 延暦寺は、比叡山中に東塔、西塔、横川塔と三地域に配された諸堂の総称という。各塔の間はシャトルバスが走る程に距離があり、根本中堂は東塔地域に属している。信仰心の薄い小生は、他塔は次にして、比叡峰の頂上を目指す。東海自然歩道(関東ふれあいの道の東海版か)に組み込まれているようで、そのような標柱やハイカーに出会う。ハイキングらしくなった山道を歩き、グラススキー場から山頂遊園を通り、駐車場から少し上がった林の中に三角点(848m)をようやく探し当てた。大回りしてしまったようだ。
 坂本城趾を訪ねようと、再度ケーブルで坂本に下る。ケーブル坂本駅側が日吉東照宮。天海が、日光に東照宮の建立を将軍家に薦める前にそのモデルとして当地に建てたという。日光の建築と同じように彫刻等が色彩鮮やかな寺院であった。

 光秀の西教寺 西教寺が明智光秀に縁のある寺と知る。光秀は悲劇のヒーローだがそのところが見捨て難く、坂本城趾探訪も光秀に惹かれてである。タイミング良く路線バスがあり、立ち寄る。総門は坂本城からの移築で、その内側、長い参道の両側は宿坊のようだ。本寺は明智家の菩提寺であり、大本坊や梵鐘は光秀の寄進という。明智一族の墓参りをした後、寺院内を拝観する。本堂とともに重文の客殿は秀吉時代の伏見城旧殿との説明。狩野派の襖絵のある各間を見て回る。古刹の庭園は遠州作とあった。

 琵琶湖畔 バスでJR比叡山坂本駅に出る。太陽が顔を出し初めて琵琶湖が眼前に現れた。運転手に坂本城趾の位置を聞くが知らないとの返事。駅で、現在は琵琶湖の中で石柱が建っているだけと教えて貰った。その程度の史跡と予想はしていたが、駅から徒歩20分と聞き、未だ足に疲れは出なかったが、諦めて京都駅に戻った。  
 今回は京都からの帰路に大津市坂本から比叡山を訪ねた。坂本は門前町で、寺の中に街があるようであった。京都は運良く祇園祭の最中で、宿泊先付近の山鉾を覗くことができた。(2000/7/15. 122)
    
追記 比叡山は日本百低山登載の山だが、延暦寺はじめ寺社で埋め尽くされていた。到底半日ほどで回れる数ではなかった。その中でも、延暦寺は規模が大きく、根本中堂を参拝したのみであった。そして、明智光秀に纏わる寺もあったと思う。当山は、西日本編では、伊吹山、賤ケ岳の次であるが、滋賀県は城址巡りが多い。観音寺城址(05.02.18)や小谷城址(06.3.18)はハイキング否、山歩きであった。

私が登った百の名山&低山=西日本編=「古戦場余呉湖から賤ヶ岳を辿る」

 湖西線から北陸本線へ 初めての湖西線乗車に戸惑ったが、予定時間に近江塩津駅に着いて、北陸本線を待った。琵琶湖の奥地には既に雪があった。雪囲いした穴蔵のような駅待合室、外は雪で、真冬状態。北陸本線を余呉駅で降りた。目の前に余呉湖が広がっている。近江と北陸の境で、戦国末期には秀吉と柴田勝家が覇権を争って激突した地である。道路には僅かだが雪が残っている。山中を行くハイキングコースを避けて、湖沿いに歩いて国民宿舎先から賤ヶ岳へ登ろうと考えていた。

 賤ヶ岳の戦い 1583(天正11)年2月、一触即発であった秀吉と勝家がこの地で対峙した。4月になって、秀吉が岐阜の織田信孝牽制のため転戦した隙に、勝家側が仕掛けて先制した。この報に接した秀吉は当日深夜までに大移動を敢行して帰陣したという。中国大返しの再現であろう。その後は前田利家の撤退等もあって、北の庄城が落城し勝家がお市の方と果て、一方秀吉は天下統一の途へと進んだことは知られている。秀吉小姓加藤や福島達の七本槍も有名になった。

 余呉湖から山中へ 余呉湖畔に立つと、湖面は鏡のように静に水を湛えていた。約400年前もの激戦は疾うに忘れ去られていた。雪にもめげずに数人の釣り人が糸を垂れている。お互い様である。少し歩くと、賤ヶ岳遊歩道入口に出合い、思わず自然に山中へと進入してしまった。荒れた階段に少し難渋したが、想定どおり程なく尾根道へと合流した。広い林道から狭い山道となる。大岩山で、中川清秀の墓に立ち寄る。立派な大きな墓である。秀吉の部将の一人であったが前哨戦で戦死したという。コース案内板があるが距離表示が区々で当てにならない。展望のない山林の中、首洗い池や猿が馬場を通過して、いよいよ主戦場が近くなる。人声が聞こえ始めて、三人の女性ハイカーに追い付く。何処も中高年ご婦人達は元気一杯。ようやく木立の間に湖面がちらちらと見え始めた。

 賤ヶ岳 賤ヶ岳への最後の上りとなる。落葉の絨毯を一歩一歩踏みしめながら、山頂を目指す。最近は平地ハイクが殆どで、息が切れそうだ。頂上(421 m)からは、紅葉が終えた山間に余呉湖が広がり、眼下の湖水の眺めはすばらしいものであった。一画には屈んでいる一人の武将像があった。戦いに疲れて睡眠をむさぼる秀吉という。展望台には単身の先客がいた。
 塩津駅で求めたお握りで昼食。一口の握り飯では物足りなくお茶を流し込んだ。反対側へと下り始めると、琵琶湖の北端が見えた。こちらも晩秋から初冬の大湖であった。リフトは休業期間に入っていて、狭く急な悪路を下り続けて、北陸線木ノ本駅へと出たが、結構距離があって、到着したのは予定電車の発車5分前であった。(08/12/7 121)

追 記 賤ケ岳は、琵琶湖と余呉湖の間にある低山で,100低名山である。最寄り駅は北陸本線余呉駅で、私は、湖西線から北陸本線へ乗り、下山後は米原駅へ出て、琵琶湖を半周以上してしまった。湖西線はその後の乗車はない。賤ケ岳は、前掲記録にもあるように、戦国末期の秀吉と勝家の決戦の場として有名な地である。

我が故郷羽州街道六田を歩く

 山形へ行くことになった。天童でサッカー観戦のSさんの車に便乗である。二つ返事でOKし、もう何度目であろうか。早朝発、夜遅く帰京であるが、山形での滞在中の午後、何処へと思いを巡らし、天童乱川の同級生宅、そして東根六田の斎藤麩店には寄りたい。六田を貫く羽州街道歩きはどうだろう。以前故郷の読者に貰った“羽州街道六田宿(東根市観光物産協会発行)”が手許にあった。

 六田の麩と文四郎麩 14時前、Aさん宅で昼ピールをご馳走になり、JR奥羽本線乱川駅発下り列車で東根駅へ行き、六田を目指した。鉄道路線沿いに白水川土手へ出て、六田橋を渡った。六田宿入口で、北から南へ天童から山形へと続く、まっすぐな羽州街道旧国道13号線は歩きやすい。故郷を離れて初めてではないがそれに近い。それでも大凡の六田の風景は記憶にあり、キョロキョロしていたら、右手が斎藤文四郎麩店で、店内に入り僅かな買い物したら、店主が出て来られて、挨拶。六田の車麩は東根の名産で、当店も江戸末期文久年間(1861年頃)からの老舗で、現在も手広く展開されているようである。5月の東京東根会での再会をお願いし、また歩き出した。六田は大きな集落で、小中の同級生が10人以上はいた。当街道を中学の校内マラソン大会で二度走ったことを思い出した。

 六田宿と芭蕉 十字路に至り、左手先は我が生家へ続く五軒通り。芭蕉像があり、奥の細道で、尾花沢から山寺を往復した際、六田宿(高橋内蔵之介宅)で食事したとの記述もあり、先ほどの文四郎麸店のサイトにも、“今から300年以上前の1689年、ここ六田を俳人・松尾芭蕉と弟子の曾良が訪れました。時は新暦の7月13日。ちょうど、紅花が満開に咲き誇っていたことでしょう。とあり、引用させて貰ったことがある(「追っ掛け爺さん奥の細道を辿る・尾花沢、山寺編」)。芭蕉はこの旅で、“まゆはきを 俤にして 紅粉の花”と詠んだ。これには苦い思い出がある。“まゆはき”を繭掃きと思い、違うんじゃないと理解できなかった。中学生の頃である。

 与次郎稲荷 六田を過ぎると、四ツ谷地区で人家は少なかったと思うが、現在は両側に住宅が続いている。信用組合もある。そしたら右手に与次郎稲荷神社があった。これは有名な神社で、初代秋田の久保田藩主佐竹公が築城時に狐の住処を奪ったらしく、白狐が現れたという。その請いを受け城内一画に地を与えると、狐が変身した与次郎という男が殿様に仕え、隠密飛脚として秋田江戸間を6日で羽州街道を走り、往復した。処が途中の宿場六田で、疾風のように通り過ぎる与次郎を怪しみ、妬んだ土地の悪達が好物の油揚げで誘い殺してしまったとの伝説が遺るが、幕府が手を下したとの新説もあるようだ。参拝し、太く短い石造りの鳥居は健在だった。秋田の城址にも与次郎稲荷はあった(15.11.14)。一本だけ残った松並木跡を過ぎると、JRさくらんぼ東根駅で、Sさんと待ち合わせた天童南駅へ向った。午前中は寒河江の古刹慈恩寺を訪ねた。(2026/4/29 K.K.1638)

◇日時 2026/3/29 ◇天候 晴 ◇交通費 210円 ◇資料「羽州街道六田宿」(東根市観光物産協会発行) ◇歩行距離等 9000歩 7㎞                                         「通過時間等」自宅5:00-寒河江慈恩寺10:20/11:30-天童乱川Aさん宅12:20=JR乱川駅13:53-同東根駅14:08=六田文四郎麩店14:40-芭蕉像14:50=与次郎稲荷神社15:20=JRさくらんぼ東根駅15:57-天童南駅16:50-自宅22:50

私が登った百の名山&低山=中日本、西日本編=「真夏に再訪した花の伊吹山」

 伊吹山でシモツケソウが真っ盛りとの新聞報道を目にした。4年前様々な花を堪能したことを思い出した(03.9.6)。その時、「高山植物の盛り、夏山はもっと凄いに違いない」と記録している(299/300)。折しも、旧中山道妻籠宿・馬籠宿ウォークを計画中で、名古屋に一泊し翌日再訪することにした。 

 大垣駅からバス 大垣駅前から登山バスに乗り、市内から関ヶ原を通って伊吹山中へと上がった。関ヶ原駅前では団体が乗車して満席となる。いずれもハイキング装備をした高年グループ。バスは伊吹山ドライブウェイに入り高度を増して行く。意外に深く、急峻な伊吹の山々に気付いた。天候は悪くはないが、白山や中央アルプスの展望は期待できないようだ。予定通り、山頂駐車場に到着。前回と逆回りに、東遊歩道を上がろうと思っていたが、今朝入手したパンフでは下り専用とあった。

 花を眺め西遊歩道を行く 4年前と同じく西遊歩道を上がる。夏休み期間とあってハイカーは多い。それも高齢者、ご婦人グループが中心だ。花は咲いているがそれ程でもない。シモツケソウの外、メタカラコウやクガイソウ、オオバギボウシ、イブキトラノオなどをカメラに収め、花原を振り返りながら歩き続ける。コオニユリもあった。緩やかな山腹に切られた遊歩道は直ぐ山頂へと達してしまった。山頂神社に参拝後休憩する。休憩中デジカメの電池を入れ替えた。

 三角点へ この前は三角点を踏まなかったことを思い出し、三角点を探す。神社右奥に見付けて今回はちゃんとタッチする。この行動がビッグチャンスを呼んだ。目の前にシシウド、シモツケソウ、そしてクガイソウの群落、花畑が出現。やはり伊吹山は凄い、その名の通り花の山と驚嘆せざるを得ない。携帯に収納し続けた。
 東遊歩道を下る。前回この辺りでアキノキリンソウなどに感激したのであったが、時期が違い花は少ない。藍色のイブキトリカブトを初めて見たのもこの下りであった。溝のような赤土の小径は滑るようでゆっくりと一歩、一歩下り続ける。余程遅いらしく中年夫婦にも追い越され離されてしまった。小さな岩場を二度越すと山頂駐車場であった。

 前夜従弟と夕食 二度目の伊吹山は期待した通りではなかった。それでも、三角点下の花々の群落は予想通りであった。山頂展望は今回も得られなかった。直ぐ先の筈の琵琶湖の湖面も望めなかった。残念である。
 前夜は、妻籠宿・馬籠宿を歩いた後、中津川、名古屋を経由して、大垣市内に宿泊した。当地には、山形から単身赴任している従弟がいて、彼の案内で鮎料理を夕食にした。初めての天然鮎の刺身は美味かった。流石本場の鮎であった。(07/8/6 120)                           
  
追 記 伊吹山は花の山であった。二度目だが十分に満たされた。琵琶湖や中央アルプスの遠望はなかったが、それを上回る花々であったと思う。百名山だがバスではそれ程の山ではなかったと思う。百名山完登のHさんは東海道本線の駅(関ケ原か)から歩き始めと聞いた。流石である。この山の時私と大垣駅前で付き合った年下の従弟は、その後病気を得て亡くなってしまい、思い出の夕食となってしまった。当地大学出身の同業者Оさんに情報を貰ったのも懐かしい。

私が登った百の名山&低山=中部編=「立山登山を断念し室堂平に花々を巡る」

立山の雄姿に圧倒される 室堂に着き展望台へ出て驚いた。前方に立山連峰が聳え立ちはだかっていた。岩峰が連なる高山を眺め立山の険しさを知らされた。登山道のある一の越からの稜線の角度もきつい。北側には残雪も見られる。明日の雄山登山は無理と即断した。北陸へ来た序でに、単身で登るような山ではなく、3,000mの名山にも失礼と気付いた。

 富山から室堂へ 会合先の金沢から富山へ戻り、電鉄富山で立山駅へと入り、ケーブルカーで美女平へ上がってバスに乗り換えた。このコースは30数年振り二度目の筈だが、殆ど記憶にない。バスは深い森の中を左右に振れながらノロノロと室堂を目指した。先程来空が暗くなり霧の中を走っていたがそれも追分を過ぎると一挙に明るくなった。雲の上に出たということらしい。もう標高2,000mを超えた地である。そして高原を走り、室堂であった。当地は再訪だが、冒頭の立山連峰の風景は初めて。最初の時はバスターミナルを出ないで次のトロリーバスへ乗り継ぎ、黒部ダムへ向かったのだったと思う。
 本日の宿・みくりが温泉フロントで、明日の予定はと聞かれ、“周辺ハイキング”と答えた。わが国最高地2,400mにあるという温泉に入浴後、テラスへ出て目の前の高峰を見上げながら一人地酒を傾け、立山連峰を携帯に収め、友人へメールした。

 みくりが池一周 翌朝、室堂平みくりが池を一周する。宿裏のエンマ台へ上がると、地獄谷が見えた。未だ水蒸気が噴出する谷で立ち入り禁止とある。りんどう池の坂を上がって来る登山者グループがいた。立山を目指すのだろう。みどりが池から室堂山荘前へと歩き草原の中へ入ると、9月なのに高山植物の花が残っている。次々と花が現れて、シャッターを切るのに忙しい。不知の花が多く、知っているのはチングルマや雪割草、シオガマ位でもどかしい。池を一回りし宿へ戻ってザックを背負い、天狗平へ向けてハイキングを開始。

 室堂高原を下る 室堂バスターミナル手前分岐から草原へ突入。丁度コーナーにコバイケイソウが出迎えてくれた。下りの道は次第に荒れたが、ゆっくりと歩を進める。他にハイカーは見当たらない。地獄谷口から谷川を渡ると登山道の左右に、また花が咲いている。一面に広がるチングルマは咲き終え実を付けている状態。黄色の花も多いが、シナノキンバイ以外名や種類が分からない。前方に建物が見え出して天狗平が近付き、この辺りから、上りのハイカーと行き交い始めた。登山道も緩やかになるとバス道路へ出て天狗平。山荘前にバス停を見付け美女平行きバスを待った。
 今回は、立山登山は止めて、室堂平ハイキングになったが、私の経験や力量では適度であったと思う。立山は次回挑戦したいが、同行者を見付けて再訪はなるのであろうか。事前にK教授にアルペンルートのパンフを戴いた。感謝である。(13/9/6,7 119)

追記 金沢出張の序に、立山へと計画したが、雄姿に怖気づいて、室堂平のハイキングになってしまった。山麓高原のハイキングで、みくりが池、地獄谷、そして高原に咲く花に充たされ、私には十分であった。室堂から黒部ダムを経て信濃大町へのルートを訪ねたいと思っていたが、実現していない。

2026花見に北区浮間公園から志村橋へ歩く

 桜の開花の時期は年々早くなっている。3月20日過ぎに開花し、当団地の花も大分開き5分咲き前後だろうか。毎年花見散策をやっているが、今年は何処を歩こうかと思案した。石神井川、飛鳥山公園、六義園と浮かんだが、北区の浮間公園にしようと思う。歩き足りない分、浮間舟渡駅裏の新河岸川へと出て志村橋へ歩けば、川端に桜があったと思う。

 浮間ヶ池一周 板橋区と北区の境にある浮間公園へは、バス利用が最短である。我が家から少し歩いてバス停へ出ると、浮間舟渡駅行きバスは直ぐに来て、乗車。バスは高島平から新河岸川を渡り、工場地帯を経て、中山道を横断し終点に着き降りて、駅前の浮間公園へ歩いた。池を時計回りに回る。直ぐ桜並木が続き、五分咲き程度だが、頭上の花が美しい。花見客は少ないが、今年も春が来たのを実感し、カメラに収めながらゆっくりと進む。桜木は途切れ、池端の遊歩道は、荒川の土手下を通る。そもそも当池は荒川の本流だったが、昭和前期に直線化改修工事で、池として取り残されたという。反対側へ回ると、小さな池があり水源かと思ったが不明。

 浮間氷川神社 左手が桜草圃場。こちらは有名で、私も数回さくらそう見物に訪ねている。一度は花友と一緒だったと思う。未だ開花前の手入れ作業中で、桜草の開花は少し先である。隣の浮間氷川神社に参拝。境内にも桜があり、こちらは見頃で八分咲きか。本殿で手を合わせた後、花の下でシャッターを切った。池へ戻って、釣り人達の背後を歩きながら、覗いたが釣果は窺われないようだ。Sさんと夜桜見物して、浮間舟渡駅前で花見酒をしたのは何年前だったろうか。

 新河岸川志村橋へ 鉄道高架下から反対側へ歩き、新河岸川さくら橋を目指したが距離があり途中で休憩し、飲料水を飲む。地域猫がひなたぼっこをしていた。橋上から上流を眺めると、右岸に桜花が見え、そちらへ歩いた。花は咲いてはいるが今一。志村橋へ上がってバス停を探していると、予定したバスは目の前を通過してしまった。反対方向、志村坂上方面へのバスに乗り、志村坂上駅から三田線で帰宅した。(2026/4/17 K.K.1637)

◇日時 2026/3/27 ◇天候 晴 ◇資料 浮間公園(東京都公園協会2023) ◇歩行距離等 9000歩 7㎞                                    「通過時間等」自宅8:44-浮間公園9:15=浮間氷川神社9:40=浮間舟渡駅前9:55=新河岸川さくら橋10:10=志村橋10:27-三田線志村坂上駅10:51-自宅11:10

私が登った百の名山&低山=東海編=「十国峠から岩戸山を越し伊豆山へ下る」

 今週のOB会は熱海開催である。ハイキング先を探すと、手許のガイドブックから格好のコースが見付かった。熱海からバスで十国峠へ上がり、岩戸山を越し宿泊先伊豆山へ下るものである。

 十国峠をスタート 集合時間に合わせ遅く家を出て、熱海駅前で箱根行きバスを待ち、十国峠に着いた時は13時であった。ケーブルカーを利用し峠へ上がり、展望を楽しむ。天候は良くなく、肝心の富士は雲の影、それでも雄大な姿の一部が透けて窺える。沼津方面には、駿河湾や鷲頭山を見た。沼津アルプスは半分歩き残している。コース案内が無く、手許の略図から方向を見極めスタート。直ぐ実朝歌碑“箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ”があり、間違いないことにホッとする。舗装は霊園迄で、山道となり路端に並ぶ石仏の先は東光寺。山中の古寺は人影もないが、嘗ては地蔵信仰で賑わったらしい。

 岩戸山から海を望む 展望のない尾根道を進む。両側には竹藪もあり、小鳥の囀りを背に受け前進を続けると、右手の木立の間に海がチラチラ。笹の広場を過ぎ難なく岩戸山頂(734m)へ出た。海側が開け、熱海市街の先は相模灘だろう。冷水を飲み休憩。本日は日曜日なのに、歩き始めて以来ハイカー等には遇っていない。一息入れ、リスタート。下りで、急な上に濡れた坂。滑らないように慎重に足下を確かめる。ガイド資料にあった唯一の急坂であるが、持参ストックをザックから出さない儘、また平らな道へ下りることが出来た。左、山の下は湯河原温泉のようだ。

 下山路から伊豆山へ 林道でも、作業道でもない広い道を、似たような風景を繰り返しながら行く。工事用らしい杭の番号が確実に減っているから進んでいることは間違いない。 突然、舗道へ飛び出した。処が反対側の進入口に、通り抜け不可とある。それではと舗道を右へ方向を採ったが違うと判断し、左へ。間もなく大手商社保養所前を通るとコース案内があり、そのまま下る。ガイドブックでは伊豆山神社奥ノ院の近くの筈で、寄ろうとしているが、案内も、それらしい進入路もない。諦め、バス停で地名を見ながら、七尾団地から自動車学校と下り続ける。右手が伊豆山本神社かなとの地点で、直進し海側へ。海岸通りとなるも、宿泊先の位置が不明。電話すると、直ぐ近くであった。(15/6/14 118)

追 記 十国峠から岩戸山へ歩いた。熱海温泉街裏山の尾根筋である。 そして、順調等に歩き、そのまま熱海の先の伊豆山へ下りて、宿泊先であった。OB会は全員参加で盛り上がり、二次会は深夜まで続いた。コロナ下で、OB会は開かれず、残念ながら、高齢化で連絡も稀になってしまった。十国峠は、確か熱海泊の翌日老母を案内したことがあったと思う。約50年前のことである。

都内北区田端にふれあい橋を探す

 先日、新田端大橋を渡った。北区田端にあるJR東日本操車場に架かる陸橋である。橋上から操車場を眺めたが、隣に旧橋がふれあい橋として未だ遺っていると知った。私には、史跡的なふれあい橋を渡るべきだったと思うに至り、JR西日暮里駅へ出掛けた帰途に、隣の駅田端へ歩いた。これが大失敗で、地図を持たないばかりか、記憶も曖昧で、橋へ到達する迄ウロウロして予定の倍以上の時間を要してしまった。反省である。

 西日暮里駅から 12時30分過ぎに西日暮里駅を歩き出した。高架線路下に沿い、北上した。宇都宮線・高崎線で、途中で左折すれば目的の橋と思っていたが、大雑把どころか不正確と後に知った。北区へ入り、常磐線貨物線を渡って直進を続け、左折地点へと歩いたが、商店街が混じる住宅街で、案内図もない。高架下を抜け右手に橋を探したが、そんな風景には出合わない。そろそろかと山勘で左折し高架下を抜けて、私は操車場へ出ると思っていたが、商店街等が続き、陸橋の端も見えない。途中で尋ねたら大分先という。また歩いて交番があり、裏のエレベータを教えて貰った。

 方向を誤る エレベータで地上へ上がり、ここでまた位置も方向も誤るという大チョンボをしてしまった。私は今回のふれあい橋は、新田端大橋とは少し離れていると見ていた。それで右手へ下ったが予想しているふれあい橋の風景には出合わない儘、坂を下りてしまった。もう一度戻って交番先辺りをウロウロしていたら、北区立東田端ふれあい館があり、また教えて貰い、エレベータで再度地上へ出たら、正面に見覚えがあるJR東日本支社の建物があり、ようやく自分の位置が分り、目の前が新田端大橋の東端であった。

 ふれあい橋を渡る そして、左を見たらふれあい橋であった。同じ地点から先ほどは90度違う方向へ歩いたと気付いた。ふれあい橋を東端から西端へ歩いた。隣に新田端大橋が併行し交通が激しいが、こちらは歩行者がチラホラ。調べると135mで、ゆっくりと進んだ。橋内には時計台、婦人像、車輪、門柱らしき鉄道遺産が展示されている。カメラに収めながら橋を渡り切ると、田端駅北口であった。13時40分過ぎで、予定の倍以上を要し、記憶や想定が全然合わず、残念ながら、年齢だけではないだろう。巣鴨へと山手線に乗った。(2026/4/9 K.K.1636)

◇日時 2026/3/9  ◇天候 晴 ◇歩行距離等 9000歩 7㎞                                       「通過時間等」自宅11;10-JR西日暮里駅12:30=貨物線踏切12:40=新田端大橋エレベータ13:00=田端ふれあい橋13:35=JR田端駅13:45-三田線巣鴨駅14:00-自宅14:40

私が登った百の名山&低山=東海編=「伊豆七島、天城山、富士を眺めた大室山お鉢巡り」

 前方に広がる海は相模湾から大島が浮かぶ太平洋になり、先には伊豆七島の利島も霞んでいる。そして、坂を上がると天城連山が正面に見えて万二郎岳が聳え、内側に目を移せば火口が大きな口を開いている。天候良し、展望良しである。  

 大室山はリフトで 本日は、伊豆会合の帰途、大室山をハイキングしようと、バスを浅間神社バス停に降りた。寒さも風もなく、ハイク日和。目指す大室山が見え、お椀型山容の独峰で、樹林はなく一面茅で覆われている珍しい山。リフトもあり簡単に登れると、Aさんも同行してくれた。
 さくらの里の間の道を進むと、濃いピンクの花を付けた桜がポツンとポツンと見える。暖冬の所為だろうか。緩い坂を上がり、広い駐車場を過ぎてリフト乗り場。リフトは動き、客を運んでいる。歩くつもりで、登山道を尋ねたらないという。私のハイキング地図には登山道が示されコースタイム上り30分とあったのだが。

 お鉢巡りで展望を楽しむ リストは10分足らずで山頂駅に着いて、目の前の丸い火口を覗く。直径100m、周囲300mとある。4000年前の噴火跡だが、死火山だろう。火口底にも人が見える。私は若い頃一度登ったと思っていたが、初めての風景。麓を通っての勘違いだろう。
 お鉢巡りにスタート。当山は伊東に近く、背後は同市街と相模湾で、右回りに進むと左方に島が見え、大島。右奥に利島も捉え0られ、その周囲に2,3の島影がうっすらと見える。資料によれば、新島や三宅島らしい。  
 お鉢巡りは山頂へ向け坂になり、天城連山が正面に位置した。左端の高峰は万二郎岳。その右の高峰は万三郎岳かと思ったが違っていた。天城山は二度歩き、山歩きを始めた頃怪我した山(95.5.20)とAさんへ話した。下りの外国人達に交差して、山頂(580m)へ至る。振り向いても、肝心の富士は雲の中。富士が見えれば、言うことなしとAさんと一致したのだが。

 富士も顔を出す 下りの坂道になり五体の地蔵尊前を過ぎ、リフト山頂駅へ。私は歩き足りず、火口の中壁にある浅間神社を往復。孫達の成長と、受験生をお願いした。戻ると、Aさん、“富士山が見える”と教えてくれた。 急いで展望台へ上がると、雲の上に頭を出している。カメラを出し望遠にしてシャッターを切った。リフトで山を降り、伊東駅行きバスに乗車。最後は富士も眺め、充たされた気分で帰途に就いた。(20/02/2 117)

追記 大室山は火口跡で、御鉢巡りの山である。火砕流が海へ流れ城ケ崎海岸が出来たと知った。そして、海側は大島から伊豆七島の一部が望め、山側には天城連峰が聳えていた。海側の写真は大島のようだ。無理して歩いて、良かったと思う。

都内門前仲町、勝鬨橋を巡る

 都内江東の門前仲町で旧友に会うことになった。折角だからその後近くを散策しようと思う。門前仲町には富岡八幡宮や深川不動堂があり近いと思う。それから何処へと思案し、大江戸線で門前仲町駅から勝鬨橋駅へ行き、勝鬨橋を渡りたい。渡ったことはない。その先に波除神社があることを思い出した。

 富岡八幡宮、深川不動堂 三田線春日駅から大江戸線に乗換え1時間弱で門前仲町駅に着き、昼食場所を探し食事しながら交流した 。Sさんは相変わらず仕事を続けられているようだ。私と年齢はそう違わないと思うが、元気である。食事後分かれて、富岡八幡宮へ歩く。久しぶりの参拝で、意外と距離があった。境内に入り、表参道にある伊能忠敬像に挨拶。彼は近くに住んで、測量の旅へ出る朝当社に参拝したとある。本殿に参拝。今年は孫に受験生はなく、健康と成長をお願いした。右手奥の横綱力士碑を眺める。先日なんでも鑑定団で江戸時代の巨人横綱の掛け軸をみて気になっていたが名前を忘れて、不明。帰宅後ネット検索したら、釈迦ヶ嶽雲右衛門と生月鯨太左衛門であった。                                           深川不動堂へ歩いたが隣ではなく、公園等を挟んでいた。成田山新勝寺の東京別院とは知っていたが、本堂も見覚えはなく、初めての参詣のよう。こちらも人出は多い。公園には濃いピンクや白い花を付けた樹々があり、白はハクモクレンで、もう春到来を告げている。門前仲町駅へ階段を下りて勝鬨橋駅へ向った。

 勝鬨橋を渡る 勝鬨橋駅乗降は初めてのようで地上へ出たが方向が違い戻って右折し、晴海通りを勝鬨橋へ歩いた。この橋を徒歩で渡った記憶はない。開閉式の橋とは知っていたが、中学修学旅行の時バスで渡ったのだったろうか、定かではない。日露戦争に由来し勝鬨とある。現在では開閉はしていないという。隅田川も直ぐ東京湾で、246mと長く、上流側の歩道を月島側から築地へと渡った。

 波除神社 波除神社を探す。左手の筈だが工事中で、塀で広く囲んでありウロウロ。再訪であるが、前回は築地市場からで方向や景色が違う。それでも晴海通りから路地へ踏み込んだらその先が目指す神社で、本殿前へ進み手を合わせた。江戸期、海に漂うお稲荷様のご神体を祀ったら、波除効果が生じて築堤出来たことに由来し、波除の名が珍しい。狭い境内に展示された大きなお祭り用獅子頭は見覚えがあった。晴海通りへ戻り、新橋行きのバスを待った。(2026/3/26 K.K.1635)

◇日時 2026/3/9  ◇天候 晴 ◇歩行距離等 9000歩 7㎞                                       「通過時間等」自宅11;00-大江戸線春日駅11:39-同門前仲町駅12:00/13:00=富岡八幡宮13:20=深川不動堂13:35=門前仲町駅13:45-勝鬨橋駅13:55=勝鬨橋14:05=波除神社14:20=晴海通りバス停14:30-新橋14:50=三田線内幸町駅15:02-自宅15:50

私が登った百の名山&低山=東海編=「駿河湾ビューポイントを見付けた伊豆発端丈山」

 今年も同業者グループの会合が修善寺温泉で開催され参加した。夕方の集合時間前にハイキングを企て、伊豆長岡にある葛城山から発端丈山とし、駿河湾越し富士山の秀麗を期待した。

 葛城山頂から天城山を遠望 伊豆箱根鉄道伊豆長岡駅から乗ったバスを市役所前で降りて、ロープウェイ駅へ。立派な温泉駅が見付かりゴンドラに乗って一気に葛城山山頂へと上がった。右手に海は望めたが富士は雲の影で姿がない。頂上(452m)を経由し展望台へ立つと、東の空には天城連山が横たわっていた。一昨年、同じ会合が伊東温泉であり翌朝天城山中へ入り縦走したことを思い出した(10.6.5)。山頂の先に発端丈山へのルートが見当たらない。先程入手したマップで確かめると戻って下るとあり、縦走コースではなかった。山道を下りながら、荒れた狭い道にザックからストックを取り出した。途中で出会った方によれば、一旦下ってみかん畑道を行った先に登山口があるという。
 葛城山の中腹で舗道へ下り奥へと進むと、標識と狭い上がり口があった。僅かな坂を過ぎ林の中の尾根道となるも展望はない。歩きやすいコースだが、時々崩落箇所があり迂回の表示を見る。日時が経っているのか迂回路も今では踏まれた普通の山道になっている。小さな峠に至り益川峠。草の上に腰を下ろし昼食を取る。発端丈山コースへ入ってからは人影がなく、寂しい位だ。

 発端丈山を越しビューポイントを探す 峠からは上りの急坂が始まる。いつものようにゆっくりと一歩、一歩と上がり続ける。左手に密林が現れ亜熱帯系の樹林地帯を感じカメラに収めた。北国育ちには珍しく異国の地さえ思わせる。躑躅の朱花に癒されながら行くと、林が切れまた天城の山々を遠望する。程なく発端丈山へ登頂(407m)。葛城山はよく見えるが駿河湾側には林が遮っている。ガイドブックにはもっと先が展望地とあった筈と、少し下り二俣で左手海側へ出ると、駿河湾が覗けた。案内通りの風景が広がり、手前の島は淡島である。これが当山自慢のビューポイントに違いないとシャッターを切った。
 富士は姿を見せなかったが駿河湾展望に満足しUターン。帰路は益川峠へ下り、益川寺経由し伊豆大仁へと出る。山中の益川寺は空海創建の古刹で、軽く参拝。途中雄飛の滝の案内に惹かれ滝を往復する。谷川に中規模の滝が静かに落ちていた。
 その後は延々と大仁を目指し車道を歩く。市街地へ戻り、疲れを感じながら狩野大橋を渡った処で、修善寺行きバスに出会い、手を挙げると止まってくれた。客一人の専用バスで、今夜の宿泊先修善寺温泉へと向かった。(12/5/18 116)

追記 10年以上ぶりに本記録を読んで、思い出したのは山頂手前の密林地帯で、それも亜熱帯系であっと思う。それから大仁への入口でバスに出合い乗せて貰ったことも嬉しい思い出てとなった。

私が登った百の名山&低山=東海編=「天城連山を縦走する」

 天城山を万二郎岳、万三郎岳、小岳、八丁池と歩き、野鳥の森を経て八丁池口へと下りた。この山は思い出の山である。15年前、万三郎岳下で右足首を怪我して、ツアーの最後尾を、足を引きずりながら下山したのであった(95.5.20)。

 万二郎岳から ゴルフ場先の登山口から8時50分に入山した。亜熱帯特有の鬱蒼とした森の中を行き、万二郎岳へと左折、緩やかな山道が続く。前回は逆の下りで懸命に歩いたことを思.い出した。少し傾斜が増し一踏ん張りをすると頂上(1,320m)に到着。展望のない小さな山頂で休憩を取る。登山者が続いて上がって来る。次の万三郎岳へは歩きやすい尾根道との印象であったが、万二郎の頂からは急降下。これを過ぎても、適度のアップダウンを繰り返し、梯子のある岩場も二箇所あった。馬酔木のトンネルは記憶にある。

 万三郎山頂を通過 万三郎の峰も突起状で、最後の上りは険しかった。前回はストックに縋りながらも良く歩き通したと改めて思い直した。11時10分に三角点を踏んだ。
 こちらも木々に囲まれた狭い頂上(1,406m)、前回記念撮影した地でもある。長目の休憩と昼食を取り、いよいよ縦走に向けて、未知のゾーンへ踏み入れる。ツツジが残る中を進むと、右下への分岐を通過。直ぐ下が事故の場所だが、再訪は無用と振り向かないで直行した。下りが始まり、ブナ林の中片瀬峠を経て、小岳へと上がる。先程来、アセビ群より一転して山毛欅の下を歩き続けている。東北の山と見紛うほどの広大な美林である。その中に裸木を見る。病木と思ったが高い枝先に葉が付きヒメシャラという。ロープを備えた岩場を下ると、戸塚峠であった。ゆっくりと休んで水を補給。次第に周囲のハイカーも少なくなった。

 八丁池 平らな山道となり、快調に距離を稼いでいたが、脚に疲れが出始める。白田峠に腰を下ろして時計を見ると13時、まあ時間的には順調。倒木の多い地に入り少し下ると、八丁池であった。池とあるが大きな火口湖と知る。天城山も火山であったのだ。霧が出て湖面が見えない。湖畔で最後の休憩を取りお八つにして、霧が晴れるのを待つ。ペア二組が休んでいた。バス時間があり、池口へと向けて最後の頑張りと気合いを入れる。微かに姿を現した池をデジカメに収めた。

 池下は昭和の森と称されて、探鳥用か散策路が縦横に入り込んでいる。バス停へ近道をしようと地図と案内図を見比べたが今一不明で、進入口を見過ごしたようだ。広い道を下り続けるも、バス時間との兼ね合いが不明で急ぐ。頃良く距離表示に出会い、バスには間に合うと計算して、30分前バス停にゴール。

 バスで修善寺駅へ 丁度5時間を要して天城山マイ縦走を終え、バスを待つ間、草の上に寝転がった。バス
発車まで更に数組の登山者やカメラを抱えたグループが下山して来た。伊豆山中から、天城峠、湯ヶ島、修善寺を経て三島へと出て、新幹線に乗車し、18時30分過ぎには東京駅であった。
 深田著百名山(新潮文庫313頁)によれば、伊豆の大島から七島や冨士の眺めが良いとあるが、一瞬も見ることはなく、前回と同様であった。(10/6/5 114)

追 記 天城山は、伊豆半島の北から南へ繋がる連山の名称で、万三郎岳が主峰である。標高1400m程で山頂付近も密林で覆われていて、高山の雰囲気はなく、林の中を歩いた記憶である。伊東温泉宿泊後、一人で歩いたのであった。最近聴いた“城ヶ崎ブルース”で唄われている遠笠山が天城連山と知ったが、出合った記憶はない。万三郎岳をマンザブロウダケと読んでいたが、バンザブロウダケが正しいとこの度知った。

私が登った百の名山&低山=静岡編=「アルプスの名に相応しかった沼津アルプス」

 沼津アルプスはその名のとおりミニアルプスであった。長い尾根歩き、岩場やヤセ尾根、そして急登をこなせば急降下と、北アとは規模は違ってもそれぞれを兼ね備えた縦走路であった。これまで歩いた他のアルプス、鎌倉アルプスや長瀞アルプスとは明らかに違い、小型アルプスと呼べる山々であった。同行の弟は途中でギブアップしてしまった。

 鈍行で沼津へ 念願の沼津アルプスを目指した。五山七峠を歩く、5、6時間を要するロングコースである。その名には憧れもあったが、我が家からは遠いこともあって、これまでは機会はなかった。ようやく巡ってきた。完歩は2回に分けても良いとの前提で、今回は中途リタイアもあるとし、下見的に入山した。意外に近く、新橋駅から鈍行でも2時間半で沼津駅に着く。バスに乗り継ぎ多比に下車。海側から冨士を眺めながら歩こうと目論んだ。これが途中下山の原因ともなった。

 多比口峠から 多比バス停に降り、住宅街の裏に沼津アルプスの標識を見付けて歩き出す。登山口までは既に急坂が始まっている。深い樹林帯の中をトラバースする形で多比口峠に上がる。馴れない弟は最初から遅れがち。休憩中に一人大平山を往復する(356m)。峠では二人の若者が走り去った。山岳マラソンの練習だろうか。
 次の多比峠までは難路。岩尾根が続き、ミニではあるが岩場を数カ所越して、またヤセ尾根を渡る。左右とも木々に覆われて展望はない。反対側からのハイカー二組とすれ違い挨拶を交わす。難路を通過すると今度は急降下の道。ようやく下りた地が多比峠であった。平らな地点を見付けて二人で昼食とした。弟が持参したコーヒーを飲んだ。

 主峰は鷲頭山 次は当アルプスの主峰鷲頭山へは緩やかな上り坂。初めて右手が開けて眼下に麓の風景が広がった。カメラが趣味の弟は早速アングルを探している。二上り程で頂上(392m)に到着。今度は左手に沼津湾が見えたが、冨士は雲の蔭。小さな祠に登頂の挨拶をする。山頂広場では数人のグループが昼食中。少し下った先の平らな地が小鷲頭山(330m)。正面木立の間に市街地から湾が覗けた。森の中は御用邸と見当を付けた。

 急降下が続く 志下峠へのルートはとんでもない下りの険路。最近では経験のないほどに急激に落ち込んでいて、急坂の連続。ロープはあるが、一歩一歩足下を固め、ロープを握り進む外はない。一度はストックを離してしまったら数メートルそのまま下へと落ちてしまった。ここでもハイカーと交差する。高年組だがご婦人達は皆元気だ。上りも一層大変に違いない。中将宮神社への岐路を神社側へ折れると、境内へと出た。平清盛の五男重衡が追われて隠れた岩穴があったらしい。先程小鷲頭の山頂に中将切腹の地との標識を見た。

 コースを離脱 志下峠は直ぐ先であった。ここにはエスケープルートがある。離脱を問うと弟は首肯した。彼はやはり相当堪えていた。しかし、案内にもあるとおり荒れた道で簡単ではない。山中から里へ抜けて、振り返ると先程下った小鷲頭からのきつい傾斜が見えた。バスで沼津駅へ戻り、御殿場線で新松田駅へと出て帰京。駅前で、土産に当地の名産干物を求めた。
 やはり完全踏破は無理であったが、山の様子、登山路等の外、アクセス手段も確かめられて、一応の目的は果たすことができた。(09/5/16 113)  

追 記 沼津アルプスは、私には険しく、厳しい縦走コースであった。上りは兎も角、下りにも難渋し、結局途中離脱となってしまった。首都圏にはミニアルプスの低山はそっちこっちにあるが、比較にならなかった。沼津アルプスは半分ほど未踏になってしまったが、リベンジには至っていない。私が歩き通したミニアルプスは、長瀞アルプス(09.3.21)、飯能アルプス(09.9.23)、葉山アルプス(10.1.11)、日連アルプス(11.9.18)、そして鎌倉アルプス(12.1.8)だが、こちらはハイキングコースに過ぎなかった。

りんかい線、武蔵野線、埼京線、八高南線に乗る

 弟と乗り鉄を楽しむことになった。首都圏内だが、集合駅を何処にするか、どう乗り回るかで思案した。二人の中間的な位置の南武線の武蔵小杉駅集合と決めたが、行く先が立川方向か、川崎方向か迷ったが、独断で、湘南新宿ラインで大崎駅に戻り、りんかい線から新木場駅で武蔵野線とした。そして武蔵浦和駅で川越駅へ行こうと思う。その後は八高線で八王子駅へ、である。

 りんかい線から 私は池袋駅へ出て、湘南新宿ラインで武蔵小杉駅を目指した。最近時々利用するルートで速い。時間通り10時に着いたが、武蔵小杉駅は広く改札口は数か所あり、弟へ電話して会うことができ、大崎駅へ戻った。車中、弟へ乗り鉄ルートを伝え、大崎駅で、隣のホームに待つ、りんかい線に乗車。東京湾上を走る本線が今回の目玉。弟も初めてという。ところが電車は海上へとは出ない。内側のゆりかもめ線と混同していた。新木場駅手前で、僅かに小さな港が見えた。新木場駅で武蔵野線に乗り換え、右手が海側で時々望めたが、弟、シャッターチャンスはないという。電車は大きく左回りし西船駅から新松戸駅、そして東浦和駅を経て、武蔵浦和駅に着き下車。12時を過ぎ、構内に昼食先を探すがなく、結局コンビニでサンドイッチとコーヒーを求めた。

 八高南線 埼京線川越行きに乗り、大宮駅から川越駅へ走った。途中、車窓から荒川を覗いた。川越駅で、八王子行きに乗り継ぐ。八高南線で、本来的には高麗川駅からが八高線。東飯能駅通過の際、弟、奥武蔵ハイキングの帰途に乗ったという。芦ヶ久保氷柱見物の時だったと言い、私も思い出した(15.2.22)。左手に見える建物は駿河台大学と思う。新設校で、元同僚だった若手の方も赴任し、数年前箱根駅伝本戦にも出場した。金子駅、箱根ヶ崎、そして左手に飛行場が見えた。弟は、横田基地と知っていた。そして拝島駅から八王子駅へ走る。久しぶりで、1,2度乗ったことがあるだけ。小宮駅付近では滝山城址へ歩いた(08.9.4)ことを思い出した。北八王子駅の次が八王子駅。

 ここで、二人の乗り鉄はお終いとし弟と別れた。私は新宿駅へだが、弟は横浜線で橋本駅へ出て、相模線で海老名駅へという。弟は、少しは楽しんでくれただろうか。帰宅後、楽しかったとメールが届いた。(2026/3/16 K.K.1634)

◇日時 2026/2/23  ◇天候 晴 ◇交通費 2720円 ◇歩行距離等 5000歩 4㎞                                       「通過時間等」自宅8;25-JR巣鴨駅9:06-同池袋駅9:26-同武蔵小杉駅10:12-同大崎駅10:29-同新木場駅10:58-同武蔵浦和駅12:28-同川越駅13:07-同八王子駅14:20-同新宿駅15:07-三田線巣鴨駅15:25-自宅15:55

私が登った百の名山&低山=富士山編=「富士登山道吉田口を馬返しから浅間神社へ下る」

 吉田口を馬返しから下る 富士急富士山駅から乗ったバスは、吉田口登山道を走った。10人乗り程度のライトバンで、4人の登山客を乗せ直線的な登山道を駆け上がった。馬返しに着くと、小さな広場に団体が準備していて皆1合目を目指し富士山へ取り付き、下ったのは私一人。雪大丈夫なのかなと心配しながら、冨士を背に吉田口を下り始めた。周囲は深い樹林帯、芽吹いたばかりの様相で、残雪の上を吹く冷風の影響だろうか。直ぐ大石茶屋跡。簡易舗装の林道を離れ並行する山道を、ストックを使いながら下る。旧登山道なのだろう。次の中ノ茶屋迄は距離があり、下り坂が緩むと右手に建物が見え、茶屋であった。珈琲を注文。滅多にないことだが富士山麓の名水に惹かれた。期待通り美味しいコーヒー。店の主人は、今年は雪が多く現在でも4合目迄あるという。

 諏訪の森を通過 旧登山道を下り続ける。足下にはスミレが咲き、当地は未だ春も早春のようだ。上りのハイカーやジョガーと行き交うようになる。高架道路の下を通過した先で、外人グループと擦れ違い、中ノ茶屋迄の距離を尋ねられたが日本語であった。深い森はアカマツに変わり、諏訪の森で(写真中)、江戸時代谷村藩が防雪崩用に植林したとある。ご婦人ハイカーが追い付いて来た。挨拶を交わすと、彼女はどんどん先行し差が開いてしまう。私は相変わらず遅いなあと再認識したが、追わずにマイペース維持。

 浅間神社から吉田へ 浅間神社へ向け、標柱に従い右折すると大通りへ出て、日本武尊が富士遥拝をしたという大塚丘の先が境内であった。参拝客が多い中並んで本殿前へ進み、参拝。家族等の健康をお願いする。社務所で赤富士を描いた絵馬を求める。長く広い表参道を出て、道順を確かめ駅へ向かう。(14.5.18)

富士山五合目からお中道を歩く

 五合目からお中道を歩く 三連休の中日、高速バスは、都内から混んで渋滞にはまり、中央高速へ入るのに時間を要し1時間以上遅れ、五合目登山口に着いた。富士登山以来である(00.7.28,29)。登山者で賑わい、外国人が多いのは最近の傾向だろう。近くの小御岳神社に安全をお願いし、階段からお中道へ上がってスタート。
富士のお山は、雪はなく、黒い岩肌の大きな姿が頭上にある。標高2300mなのに暑い位。カラマツやダケカンバ樹林帯の中の平らな石畳の道。登山口とは一転して静かで、希に上がって来るグループには遭うが下るのは私のみ。両側には白い石楠花が途切れながらも咲き続き、綺麗。林が切れ下方が見えるが雲があり遠望はなく、南ア迄は見えない。砂礫に覆われた箇所が時々現れ、崩落箇所だろうか。靴がめり込み歩きにくい。
 裸の富士は望めるが、登山者の列までは確認できない。そんな風景を繰り返しながら、お中道を行く。また家族連れや女性軍と交差したが、五合目迄かそれとも山頂目指しているのか。時々車の騒音が聞こえ、下のスバルラインと並行しているのだ。

 御庭から奥庭へ そろそろ1時間近くなり、周囲の木々の丈が低くなり、右下に建物の屋根が見え出し、御庭と呼ばれる地域に入ったようだ。この辺りは森林限界地で、過去の小噴火口が点在するらしいが、今では分からない。右方へ下り始め、急坂もあり、持参したストックを使いながら慎重に下り続ける。スバルラインを横断する際、バス停がありバス時間を眺めて、奥庭へ下る。天狗の遊び場と呼ばれるとある。

 河口湖駅に下山し1200回 売店前から天狗岩を見て、展望台へ上がる。旧噴火口という。お中道からの姿とは違う富士が正面に現れ、カメラに収めた。コニーデ型の裾は長く引き美しい。旧火口に沿い遊歩道を一回りし、急坂を上がりバス停へ。バスが直ぐ来て、乗車。満員で中へ入れない儘、スバルラインを下り、河口湖駅で富士急電車に乗る。こちらはラッキーにも高尾から新宿直通の快速で、席も確保できた。(18.7.15 112)            

追 記 富士の山麓、裾野は広大である。私のハイキング先で、忍野八海、御室浅間神社(04.6.1)、富士山麓白糸の滝、浅間大社(12.8.13)、青木ヶ原樹海(14.5.17)を歩いた。富士五湖も広がる。

私が登った百の名山&低山=東海編=「我が国最高峰・剣ケ峯を極めた富士登山」

 登山者の長い列が渋滞した中、最後の道を上り切ると久須志神社や売店の前に飛び出した。山頂だ。未だ頂上を極めた実感はない。お鉢巡りをして、最高峰剣ケ峯を目指す。噴火口がぱっくり口を開けた異様な光景の先、元測候所のある地が最高地点だ。簡単な上りでも辛い。直ぐ息苦しくなって休憩を繰り返す。精進湖や西湖を見下ろしながら坂を上がり、2000年7 月29 日7 時15 分剣ケ峯(3775.6m) に立った。

 富士に挑戦 近所の友人Hさんに誘われて富士山に登ることになった。7 月28 日16 時20 分、二人で河口湖口五合目(2,305m)から上り始める。行き交う下山者の疲れ切った姿が気になる。六合目(2,390m)は簡単に通過。月世界を思わせる荒れ地の裾野をゆっくりと上る。富士に挑む一登山者は巨象に取り付いた蟻よりも小さいに違いない。程なく七合目(2,700m)に至り、山小屋の間を通る。もう雲の上だ。小雨模様だが雨具を着ける程ではない。先程来、息が切れて身体が思うように動かない気がする。未だ登山開始後2 時間であるが、既に2,800m を超えて空気が薄くなったからと気付く。本日泊まる山小屋は決めていない。本八合目を目標に、少なくとも八合目最奥の元祖室を目指し、20時まで歩くことにする。結構明るくヘッドランプはザックの中だ。小屋の前を通ると宿泊者が食事を取っているのが見え、本日は混んでいるという。

 八合目に宿泊 八合目手前から道は一転してやや険しい溶岩の間を伝う道となるが、危険は感じない。ツアー登山一行と前後になりながら、一歩一歩岩の間を辿る。外人や登山には縁のないような高年婦人グループが目立つ。18時 50分八合目 (3,020m)に到達し3,000m、を超えた。見上げると本八合目の灯りがチラチラしている。二人で、もう一踏ん張りと気合いを入れ直す。しかし、上りがきつくなり休憩が多くなる。 19時30分過ぎに着いた山小屋・元祖室に泊まることにする。二人とも体力、気力も限界だ。この山小屋で3,240mという。既に富士に次ぐ北岳や穂高より上だが、麓の街の灯が意外に近い。

 払暁に出発 山小屋で頂上まで 2時間と聞き、7月29日4時 30分過ぎに出発する。ご来光は雲が多く見られないようだ。道は昨日と違い急登が始まる。山頂下を縦に上っている感じだ。本八合目 (3,360m) 、八合五勺は無事通過。天候は悪くはなく、山麓に山中湖、その奥には海岸線が見える。海上の点は三宅などの島々か。登山道では横になっている者や青い顔した子供が目立ち始める。高山病であろう。直登を避けジグザグに作られた急坂は小休止を繰り返ながらこなす外はない。右手に万年雪を見たが九合目の標識がなかなか現れない。地図で確かめると直前に通った鳥居付近が九合目(3,570m) のようだ。頭上に山頂の建物が見え始める。岩だらけで狭い道となって思うように進めず、登山者が数珠繋ぎになる。身体が思うように動かない小生は休みながらの前進は好都合だ。それでも、1 時間40分程で山頂に達した。
 
 お鉢巡り、剣ケ峯 山頂の売店前で朝食後、お鉢巡りを開始する。火口鉢の縁から釜の底を覗きながら、剣ケ峯、浅間大社奥宮、銀明水を通り、谷川連峰や八ヶ岳、甲斐駒を確認しながら一周した。最高峰剣ケ峯では、記念写真を撮り、携帯で家に電話したが圏外で通じなかった。

 五合目へ下山 久須志神社に戻り、靴紐を締め、ストックを出して下り始める。富士山の下りは上りとは違うルートを採る。急降下する火山灰の道は滑り易く、転倒する者が多い。いつものように慎重に踵歩きや砂礫でスピードを制御しながら、Hさんを追い懸命に下る。富士を下る道は延々と葛籠折れを繰り返し、下を歩く登山者が列をなして動いているのが覗ける。須走口江戸屋で左折し、緊急避難所、トイレ休憩所で休憩し、六合目の横道に入ると馬と馬子が客待ちしていた。二人も乗せた馬を気の毒に思いながら、昨日上った穴小屋前を素通りし、五合目登山口にゴールイン。予定通り 3時間で約1,500m を一気に下った。二人で富士登頂と無事下山を慶び合った。

追 記 山を歩く者であれば、いや、日本人であれば一度は富士山をとの思いは誰にでもあるだろう。Hさんから話があったとき、思い切って挑戦することにした。富士山は危険な箇所はなく、また高度な登山技術の必要はないようで、ひたすら一歩一歩上ることが重要な根気と忍耐の山のような気がした。幸い天候にも恵まれ、遥か島嶼の展望も楽しむことが出来た。富士は一度登れば二度とは登らないといわれているらしいが、私はその一人となってしまった。(2000/7/28,29 111)

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「新潟村上にある“日本国”という名の山に登る」

 今年の秘湯の会は、山形温海温泉に宿泊した翌朝、県境を越えて新潟県村上にある“日本国”という珍名の山(555m)に登った。その名は、地元の資料には、当地まで東征した大和朝廷軍が蝦夷を退け平定してその感慨を込め日本国と呼ばれ始めたという説や、飛鳥時代圧政から逃れた皇子が当山に隠れ住んだことからという説、当山で生け獲った鷹を見た将軍が見事さのあまり、“日本国”と名付けよといった説が紹介されている。

 “日本国”という山へ 温海温泉から日本海へ出て海岸線を走り、羽越線府屋駅付近から左折し山へと入った。山中の出羽街道小俣宿に登山口が見付かった。小学校前の駐車場で4人のメンバーは準備を済ませ、山に取り付く。最初からジグザグの急坂。当会は百名山男Hさんも一緒で、彼の教えを思い出しながら、ゆっくりと山道を上がる。直ぐラジウム清水。唯一の水場だが持参した分で足りるだろう。展望のない林の中を一歩、一歩と上がり続け、松ケ峰から沖見休憩所と進む。道も平らになりブナ林が美しい。
 沖見は日本海が見える地だろうが靄って視界が利かない。蛇逃峠には、休憩所があって一休み。会長は花を撮りながら殿なのはいつもの通りだ。峠から頂上は距離はなく、鷹待場を過ぎて20分程であった。頂上は広く、展望台や小屋もあるが、我々一行以外人影はない。展望台へ上がったがやはり雲が遮り日本海の展望はゼロ。大休憩して下山開始。

 下山コースは急坂 頂上の下で、本日初めて登山者一行と擦れ違う。当山が中部自然歩道コースと知った。蛇逃峠からは蔵王堂コースを採ると上りとは大違い、こちらは急な下りである上、狭く少し荒れている。Hさんと若いSさんが先行し、私と会長はフーフー言いながら、懸命に追う。ストックに縋りながらマイペースで下る。坂が緩んで、左手の木立の間に建物らしきものが見え始めて、下山口は近いと知った。2人の先行者は蔵王堂で待っていた。会長も、私の後に続いて、無事下山。

 出羽街道小俣宿 山麓の小さな集落は、越後村上から内陸部を庄内鶴岡へ通じる出羽街道の小俣宿で、出羽三山から村上へ芭蕉も通ったという。戊辰戦争では戦場となり庄内藩に焼き払われたとある。現在も、明治時代の儘という小俣地区を通る。道の両側に木造だが大きな家屋が建ち並び、各宅玄関には屋号の貼り札が出ている。羽越線勝木駅付近のゆり花温泉に入り汗を流し、長い帰途に就いた。会長、今回も長距離運転有り難うございました。(14/6/22 110)

追記 変わった名前の低山で、新潟山形県境の山であったが、日本百低名山である。下山先の小俣は出羽街道の宿場で、芭蕉も奥の細道のコースとしたが、幕末戊辰戦争の際、庄内藩に焼き払われたとあった。古い街並みが遺り、僻地感が漂っていたと思う。もう二度と行くことはないだろう。

千葉市川から武蔵野線、京葉線、東金線、総武線を乗る

 同級生からJR市川駅11時集合の案内があった。千葉県で、我が家から近くはないが、都営新宿線で隣の本八幡駅へは一本で行ける。1時間30分程と見込んだ。三田線から神保町駅で新宿線へで、JR本八幡駅の隣が市川駅である。

 市川で再会 市川駅改札口を出ると二人は待っていた。駅前の飲食店で昼食となった。まずは最近亡くなった共通の友人に献杯した。同級生の訃報が多くなり故郷から伝わってくる。食事を取りながらそんな情報交換が続いた。駅前高層ビル最上階展望台から展望を楽しんだ。天候が今一で遠望はないが、眼下に江戸川の流れが見えた。私は、葛飾の柴又付近から当地を経て直線的に東京湾へと思っていたが、それが結構曲がりくねっている。我々は、もう少し元気に頑張ろうと再会を約し、市川駅で別れた。

 武蔵野線、京葉線、東金線 私は、武蔵野線西船橋駅へ出て、ミニ乗り鉄を楽しもうと南船橋駅で京葉線に乗車。本日は土曜日で、家族連れ等でホームは混んでいる。新習志野駅付近で、車窓から谷津干潟を探した。蘇我駅で、隣のホームで待っていた成東行きの東金線に乗り換える。同線は2年振りか。3駅程の短い路線で、終点成東駅に着き、総武線千葉行きに乗り継ごうと隣に停車中の電車に乗ったら銚子行きと分かり、慌てて降りた。                            

 佐倉駅で停車 総武線が走るこの辺りは田畑地帯から雑木林が続く里山となる。そして、佐倉駅に着いたが、中々発車しない。成田線電車も同様。そうしたら隣の駅付近で火災が発生し待機中とアナウンス。佐倉と言えば、ミスターの出身地で、記念野球場があり見学したいと思っているが中々である。30分程で発車した。途中の四街道駅付近には2人の友人がお住まいで、先輩のTさん夫妻とは御無沙汰しているがお元気だろう。           

 総武線で馬喰町経由 千葉駅で総武線逗子行きに乗り錦糸町駅を目指した。次の両国駅で都営大江戸線を予定していたが、乗り継が悪く、そのまま総武線で馬喰町駅から都営新宿線と路線変更し、神保町駅で三田線とした。午後からの乗り鉄であったが、千葉市を中心とした下総を凡そ一回りできたと思う。(2026/3/6 K.K.1633)

◇日時 2026/2/14  ◇天候 晴 ◇交通費 380円 ◇歩行距離等 7000歩 5㎞                                       「通過時間等」自宅9;25-新宿線神保町駅10:10-JR本八幡駅10:49-同市川駅(昼食)10:55/13:08-同西船橋駅13:33-同南船橋駅13:43-同蘇我駅14:17-同成東駅14:44-同千葉駅16:12-新宿線馬喰横山駅17:04-三田線神保町駅17:15-自宅17

私が登った百の名山&低山=新潟編=「ハイキングのつもりが山登りであった谷川連峰蓬峠越え」

 晴天下、尾根伝いに緑一色笹藪に覆われた谷川武能岳から茂倉岳山麓が目の前に広がり、高山でもなだらかに裾を引く山容がいかにも穏やかである。夏山風景を眺めながら同行の友人と、語らいカップを傾けている。至福の時である。これを求めて、長く辛い峠道を上がって来たのだ。
 
 土樽駅から蓬峠へ 上越線土樽駅を歩き出したのは10時過ぎで、1時間程で林道が終わり沢伝いの登山道になった。石が多く楽な道ではないが予定より前に、中間の地東俣沢出合に着き、昼食にした。ここから急坂が始まった。所々崩れかけた箇所があり悪路である。大雨の所為だろう。若いKさんは先行するが追わず、ペースを貫く。傾斜が緩んで同じような林の中の道が続き、小さな沢を3本越した。ジグザグの急登が再開し、下山者とすれ違うようになる。森林限界を過ぎ潅木地帯から周囲が開けて来た。そろそろ小屋が見える筈だがなかなかだ。沢でKさんが待っていた。小憩後、狭く切れ落ちた崖端から笹藪の中となり最後の水場があった。もう直ぐと疲れた脚を進め、笹原に切られた山道を上がると蓬ヒュッテの前であった。標高1,529mの地である。

 一ノ倉沢へ下山 山の朝は早い。隣は4時前から支度を始め早立ちして行った。我々も小屋で朝食を済ませ押し出されるように5時30分前に下山開始。朝靄の中尾根道から一ノ倉沢へ向けて下る。登山道は野草に覆われ、かき分けながら前進。露でズボンがズタズタになり、雨具を着けたKさんは正解。道は狭く、草の下は抉れていて一歩一歩確かめながら歩を進めざるを得ず一時も息が抜けない。一度は草に滑って尻餅を付いてしまった。ようやく難路を脱し清水峠への分岐を過ぎて白樺避難小屋へ着いた。予定時間を20分オーバーしていた。一休みし下り続ける。新旧道交差地では、迷わず楽な新道へ。坂は急だが歩き難い程ではない。沢へ出て武能沢。湯桧曽川縁の道でも崖にへばり付いた険路。慎重に、慎重に進むも、虹芝寮は見えて来ない。大きな沢を2,3本渡るとようやく建物があり、目指す寮であった。
 大休憩をし、一ノ倉沢へ向かうが、旧道への僅かな上りが大変な直登。這い上がって国道291号を行く。幽ノ沢を経て、疲れた上に膝をがくがくさせながら歩き続け一ノ倉沢へ到着した。沢の奥には雪が残り、雪渓見物客が出ていた。無事下山にホッとし、沢水で顔を拭き、汗を拭う。

 水上温泉へ 丁度相乗りジャンボタクシーがあって乗車。ロープウェイ駅からはバスで水上へ出て温泉に浸かり二日間の汗を流し、缶麦酒片手に高崎行き電車の乗客となった。Kさんお世話様でした。お陰で蓬峠越えをして夏山気分を味わうことが出来ました。(12/8/4,5 109) 

追 記 蓬峠は峠と雖も谷川連峰を越す道で、上りも下りも難路で、特に下りには難渋した。その分冒頭に記したように峠上で、夏山風景を眺めながらの大休息を楽しんだ思い出は深い。下山先の18年振りの一ノ倉沢には真夏なのに雪があった。谷川連峰は広く、新潟県の上越線土樽駅からスタートし、群馬県水上町へと下った。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「花、雪、そして海を眺めながら登った越後角田山」

 雪割草を目指して角田山へ 本日は秘湯の会本番の角田山(カクダヤマ)登山。目的は雪割草というのが会長の意向だ。天候が良くなく様子見していたため遅れて、桜尾根入口コース登山口に着いた時は、ハイカーが群れをなしていた。皆雪割草目当てなのだろうか。花の百名山とあったが選定の花は雪割草ではない(田中澄江「新・花の百名山 角田山スカシユリ」270頁)。
 メートル角田浜から登山開始。取り付きから急で、列をなして上がる。地図にはないというが人気のコースのようだ。道が悪くドロドロ状態。昨日の経験からスパッツを着けている。道路端にも小さな白い花が咲き、ご婦人方が歓声を挙げている。腰を屈めてカメラに収めた。最初のピークを越すと一旦下ってまた上り。周囲に登山者は少なくなった。間が空いたのだろう。笹藪の間に白い花に出会う。本日一番の雪割草で、携帯にも収めた。下山後花好きの友人へメールしよう。

 山頂は雪の山 トラバース状の山道から肩へ上がる。緩やかな尾根道を進むと途中から雪道に変わった。やっぱり未だ残っていたのだ。気になって情報を集めたが雪はないということで、持参したアイゼンは先程車に置いて来た。固い雪で滑らないから怖いほどではない。それでも一歩、一歩慎重に足を運ぶ。下りのハイカーと交差するようになったら、雪一面の頂上(481m)であった。雪上で湯を湧かし、会長持参のコーヒーで休憩した後、下山を開始。

 佐渡島を眺めながら下る 下りは灯台コースと会長の指示。こちらも急降下が続くが、泥道を脱して楽になると、眼下に日本海が広がり始めた。カタクリ花の群生地を過ぎて展望台に着く。多くの男女も休憩中。我々も後続を待ちながら大展望を楽しむ。正面に佐渡島が霞んでいることに気付いた。海に浮かぶ小島だろうと探していたが、距離も近く、大海に横たう大佐渡であった。高い山は金北山であろう。

 角田浜へ 相変わらず急な下りが続き、しかも馬の背状の峡路で息が抜けない。これから上がる若い人達を見送りながら、下に見え出した白い灯台を目指す。小さなピークを3,4個クリアしてようやく灯台に至り、海へ張り出した階段を降りると角田浜であった。義経伝説判官舟隠し岩の案内に惹かれて、行き掛けの駄賃に重い足を引きづってトンネルから岩場の小さな入り江を見学した。
 泥や雪の道には少々参ったが、雪割草、カタクリ、雪、そして日本海の大展望と、しっかりと楽しむことが出来た。(12/4/8 108)

追 記 花を探して越後角田山に登った。山頂には雪があった。日本海そして佐渡を眺めながらの下山は今も目に浮かぶ。日本百低名山に選ばれている。下山先の浜で義経の奥州平泉への逃避行コースに出合った。鼠ヶ関(14.6.21)や鳴子温泉付近の旧街道(09.10.31)にも伝説が遺っていた。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「GWに遠出して登った弥彦山」

 トンネルを抜けて、新幹線は山間の地から越後平野を走っている。水田地帯が広がり、進行方向に従い田圃の作業が進んでいるのに気付いた。湯沢近辺では未だ田耕しも始まっていなかったが、長岡近くに至ると水が張ってあり、更に先の三条から弥彦付近では田植え中から既に済んだ田もあった。気候やそれに伴う水温の違いだろう。

 弥彦神社に参拝 本日は、弥彦山へと遠出した。6時45分に家を出て、弥彦駅を10時30分にスタート出来た。車中から眺めた弥彦の山容は立派で、鞍部を見付け登山道を想定した。弥彦神社は山麓に鎮座し、既に大勢の参拝客で賑わっていた。安全登山などをお願いし、登山口を確かめて、山中へと入った。森の中で既に新緑が深い。茶店の前から葛籠折れの山道が始まった。登山者が多く、既に下る若者もいる。気軽に登れる人気の山でもあろう。学生グループの後に付いて進む。先程来鳥の囀りが聞こえている。1合目、2合目と上り続けて、3合目で小休止。山道は結構急な険路である。簡単なハイキング程度の山と予想していたが誤りと反省し、気を入れ直した。各合目表示石柱には1000回記念達成に登山者二人の寄贈と刻んである。

 展望台で越後平野を眺める 5合目、6合目、7合目と順調に通過。途中の里見の桜の地は展望台で、眼前に越後平野が広がった。水場が7合目にあり喉を潤す。この辺りから、時間が気になり始めた。帰りの列車を決めてある。資料には上り1時間30分とあり、計算すると余裕はない。正午に8合目を過ぎて、9合目で尾根へと上がった。右手に海を望むも佐渡島の姿はない。天気は良いが遠方は霞んでいる。人出が更に多くなる。子供を抱いて上下している若夫婦もいる。隣のロープウウェイ利用者であろう。

 山頂へ 意外に急坂の尾根道を進んで、ようやく頂上(634m)。登山口から1時間30分であった。小さな山頂には奥社があって、多くのハイカーというよりは家族連れが弁当を広げている。小社に登頂御礼をし、下りのご加護をお願いする。5分の休憩とし、周囲を眺め、昼食を頬張った。日本海の海岸線は確かめられるが、遠望は利かない。

 越後線で新潟駅へ 13時52分発列車に乗車すべく、12時25分に下山開始。ストックを使いながら、坂を下る。上りとは違うのではと思う程にきつい傾斜の山道が続く。目線の差もある。下りで急ぐと、ロクなことがないのは経験済みだ。5合目で13時ジャスト、茶店前から登山口は1時間経過の13時25分であった。残念ながら弥彦神社へ回る時間はない。直接弥彦駅へと急ぎ、駅で乗車券を求めると5分後には発車した。新潟駅へと出て新幹線で帰宅。
 今回は神風的登山となってしまい、神社巡りや山の自然、山頂展望を楽しむことも出来ず、弥彦山を記録に追加しただであった。写真も少ない。余裕のある計画が必要と反省した。(09/5/5 107)

追 記 弥彦山は、日本海を背にした越後平野の孤峰で、日本百低名山や日本百低名山に選ばれている。しかし山頂からは佐渡や能登半島は見えなかった。下山はローカル線の過疎ダイヤに急かされて懸命に下ったのを覚えている。後日出雲崎から当山を眺めることができた(19.12.6)し、弥彦神社は再訪した(22.11.25)。

都内新田端大橋から尾久駅へ

 JR山手線の田端駅付近で車窓から見える広いJRの操車場が気になり、調べると横断する高架橋、新田端大橋があり興味を惹いた。本日夕方大手町で会合があり、その前に渡って、東京駅から大手町へ歩こうと思う。1時間30分を予定し、我が家を早めに出た。

 新田端大橋 巣鴨駅から乗った山手線を田端駅に降りた。当駅乗降は1,2度で、それも20年前程か。南口へ出ると、田舎駅のような出口。西側は直ぐ階段で高台へ上がる。芥川龍之介他の文士村記念館があった筈とキョロキョロしたが見当たらない。高台から田端駅北口前へ降りる長い階段があり、慎重に下る。橋上から操車場を眺めようと広い道路を渡り、下り側の歩道を進む。操車場は見下ろせるが、ネットがありカメラを向けるのは不適だ。渡り切り、JR東日本支社前へ出てシャッターポイントを探したが中々見付からない。植え込みの間から、操車場を見下ろすと、私の期待とは違い真ん中には高架の路線が走り、新幹線用のようだ。それでも、2,3回シャッターを切った。北口の方へと戻ろうとも思ったが、時間的余裕はなく、橋を渡り切り北側へ長い階段下りた。

 尾久駅へ 尾久駅へと歩いたがその気配がない。いつもの山勘だが心配になり、途中で尋ねると大違いで、もっと東側の明治通りへ出て左折と教えて貰った。明治通りへも距離があり左折して下町の商店街を進むと、尾久の地名が出始めたが、駅前には至らない。尾久駅は一度訪ねただけだ。都電荒川線から歩いたことがあった(22.5.22)。                

 広い操車場 尾久駅のホームに上がると、目の前は広い田端からの操車場や車両基地の北東端で、多くの引っ込み線が列をなしているのは前回眺めた風景だ。山手線田端駅と京浜東北線上中里駅との間であろうか。現在尾久駅は宇都宮線、高崎線が停車し、それも上野駅経由の電車のみ。16時30分になろうとしており、到着した電車に乗り次の上野駅で、地下鉄銀座線に乗車し、日本橋駅で東西線に乗り換え一駅先の大手町駅から会合先へ急ぐと、どうにか乾杯には間に合った。(2026/2/20 K.K.1602)

◇日時 2026/1/30  ◇天候 晴 ◇資料 昭文社「東京都市図・田端」(04.4版)◇交通費 450円 ◇歩行距離等 9000歩 7㎞                                       「通過時間等」自宅14;45-JR巣鴨駅15:22-同田端駅15:30=新田端大橋15:40=JR尾久駅16:30-銀座線上野駅16:42-東西線日本橋駅16:42-同大手町駅16:55-大手町会場17:00-三田線大手町駅/18:40-自宅19:300

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「上越国境に高山植物を巡った平標山、仙ノ倉山」

 越後湯沢からバスで入山 昨日までの雨も上がり、天気は上々。バスで登山口手前まで入り、別荘地帯の中を歩く。途中の駐車場は登山者で賑わっていた。Hさんの歩きが早く必死で付いて、予定より20分早い50分で登山口着。小憩後いよいよ上りが始まる。登山道としては歩きやすい道。林を抜けて右側に展望が開ける。急登になり高度を稼ぐ。再度展望が左手に開け、正面の山は苗場山とHさんが教えてくれる。すぐ平標山ノ家の前に出る。丁度1時間、予定よりまた速い。

 展望抜群 快晴下、青空を背に、左手に平標山、正面に仙ノ倉山がなだらかに聳えている。一面緑の灌木に覆われた山の全容が見渡せ、美しい。夏山そのものだ。小憩していたら、犬が小屋からぬっと出てくる。熊のような大犬で、二人ともびっくり。

 仙ノ倉山へ 平標山に向けて直登を開始する。登り口にニッコウキスゲを見た。途中の分岐点で谷川岳方面へ方向を採る。木道は歩きにくい。小さな池塘や残雪を見て尾根道に出る。天候、時間、体力を考えて、ここで谷川連峰の最高峰・仙ノ倉山まで足を伸はす決断をする。お花畑を通過。色々な花が咲いているが少し時期が早いようだ。名前が分からないのが残念。いつもより忠実にカメラに収める。実は目の前のピークを仙ノ倉山と勘違いしていたが、ピーク二つ超えたところが仙ノ倉山。それでも30分を要しただけで登頂(2,026m)。展望がすばらしい。見分けが付く山だけでも谷川岳から、巻機山、苗場山、荒船山等まで360度に展開している。Hさんはこの頂上からスキーで土樽まで下ったことがあるという。これをさらっと話されるところが彼らしい。

 戻って平標山頂きを踏む 再度尾根道を戻り、40分を要して平標山山頂(1984m)。苗場山をバックに記念写真を写して貰う。昼食後下山開始。時間が遅くないので、未だ上りの登山者が多い。ガレ場の急坂となり、石を落とさないように緊張して下る。松手山付近で右足太股内側が吊った感じ。叩いて薬を擦り込むと痛みが取れた。

 必死に下山 バス時間が迫り懸命に下る。石が多い悪路の長い下り。今朝の上りの道とは比較にならない。それでも松手山から1時間で登山口まで下り、バスに間に合う。膝ががくがくとなった。最後の急な長い坂は前穂高の重太郎新道や谷川岳の巌剛新道を思い出した。途中左足も吊ったがすぐ治る。昨日の山城跡巡りが祟ったのかもしれない。年齢を考え梯子は止めよう。
 無事越後湯沢駅到着。駅で求めた地酒は長岡産「美の川」で濁り酒。Hさんには、前回同様、連れて戴いた外に、三食等迄お世話になりありがとうございました。またよろしくお願いします。(96/7/13 106)

追 記 先輩Hさんに連れられて谷川連峰の一つ平標山に登った。2,000m級の山で上りだけで3時間を要する本格的登山は久しぶりであった。装備も登山靴にし、ストック、雨具、水に加えて、予備の水、非常食、オレンジ、スパッツ、アノラック等を持った。展望、そして高山植物の花々とその見返りはあった。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「大浅間を仰ぎながら小浅間山へ登る」

 節目の山歩き里歩きが近づき、何処を歩こうかと思案したが、山歩き、否、山登りにしたい。高山は無理だが、低山ならなんとかなるだろう。以前から東信濃軽井沢の奥にある小浅間山(1655m)は目標にしていた。浅間山の山域ではある。タイミング良く、長野の家内姉からいとこ会の案内があった。問題は、当日の天候、特に寒さである。

 軽井沢で霧が晴れる 朝宿泊先を出たら霧、それも結構深い。しなの鉄道田中駅へ車で送って貰ったが霧の中慎重な運転であった。いつも車窓から見える浅間山は霧の陰の儘、中軽井沢駅に着いた。処が、バスを待っている間、霧が退き浅間山が見え出した。何とラッキーかと1人喜ぶ。
 バスを登山口峰の茶屋に降り、登山カードに記入しスタート。義姉に貰った重い土産は、繁みの陰に置いた。歩きやすい一本道で、雑木林は全て葉を落とし、初冬である。深い山中で、ハイカーもなく、単身では寂しい位だが、黙々と行く。少し傾斜が増し、左手樹林の間に浅間山が見え出し、カメラを出したが、シャッターチャンスが難しい。

 峰の茶屋から馬返しへ 右手に回り込み坂を上がると、浅間山への分岐、馬返しに着く。現在は浅間山への登山道は立ち入り禁止中。私は反対側の小浅間山への標識を確かめ、いよいよ登山道である。ガイド通り、火山灰に覆われたザレ場で、道も薄く、草木も下になった。いつものように一歩、一歩慎重に上がり続ける。右手に遠望する山並みは八ヶ岳と蓼科山か。振り向くと、大浅間山。活火山は黒色一色で、未だ雪は見えない。一息入れて、また歩き出す。先程来、靴跡があり、それも新しいように見える。トラバース状の道を進み、頂端を回り込むと頂上であった。僅か50分で、コースタイムより僅かに遅いだけで、私には大順調。
 高年夫婦が休んでいた。挨拶し、大浅間を背景に標柱を入れカメラに収めた。腰を下ろし休憩。群馬側の山々が目の前に広がる。浅間隠し山や鼻曲山(07.11.3) だろう。こちらも遠望にしてシャッターを切った。濃い朝霧だったがその影響はなく、山頂でも寒さを感じる程ではない。天候も味方してくれ、私は付いているのだろう。

 登頂し下山 下山開始。頂上ザレ場を直線的に下るが歩き難い。途中で選んだ道が、上りとは違ったらしく草木のある道へ入り、やや不安を感じながら下り続ける。広い道へ出て、上方を見上げると、先程の馬返しの地点で、少し下へ出たのであった。そのまま一本道を戻り、予定通り峰の茶屋口へ下りた。
 軽井沢行きバス迄1時間以上あり、義姉からの荷物をザックに入れ、峰の茶屋で昼食。義姉達に、御礼と、小浅間山から無事下山し1300回達成とメールした。(19/11/25 105)

追 記 小浅間山は思い出の山である。私の登山歴で最後の山歩きであった。喜寿前ではあったが体力的に山登りは無理と判断して、以降は里歩き中心とし、山らしい山はない。この後コロナ下となり、いとこ会の案内もなくなった。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「高原に咲く花々を眺めた美ヶ原」

 美ヶ原は百名山である。完登者Hさんは、最後の山を美ヶ原にしたと聞いた。私は、昨秋、1000回達成時頃美ヶ原行きを計画したが、松本からのバス路線が廃止され断念した。それでも、美ヶ原への想いは消えず、ネットで検索し今夏はバスがあると知った。山の日制定記念らしい。早速、新宿駅からあずさ1号に乗車した。日帰りである。

 高原は花盛り 松本市内から美ヶ原温泉を過ぎ山へ入った。途中から頭上に高原が見えたが高く、2,000mの高地である。バスは山岳道路を左右に振れながら走り、高原へ上がって終点高原美術館に着いた。
 人出もある中、展望台へ立ったが、北ア方向は雲が低く遠望はない。登山道を探し、美しの塔、王ヶ頭ルートへ入る。半袖では涼しい位。高原へ上がると緩やかな草原歩きとなり、両側にはピンクの花ハクサンフウロが咲き続き、ノアザミ、ウスユキソウもある。これにマツムシソウが加わった。シャッターを切るのに忙しい。牛伏山(1,990m)から山本小屋を見下ろし、柵沿いに下る。花々は途切れなく続いている。

 美しの塔から花の展望コースへ 小屋で昼食。以前霧ヶ峰からバスで当地へ来て、ここで休憩したと思う(03.7.19)。その時、美ヶ原は何時でも来れるとそのままバスで上田へ下ったが、もう一昔前のことになった。放牧地になり柵の間は車も通る広い道。高原に群れるホルスタインを見て、音更の孫達を思い出した。美しの塔も二度目。家内と一緒になった頃、義弟に案内されたと思う。
 次は牛馬への塩くれ場。今は大石が残るだけ。右が王ヶ塔だが、山歩きをしようと百曲り分岐から高原南端のアルプス展望コースへ回る。これが正解だった。アップダウンもある狭い山道は、途中から崖トラバース状の道となり、歩く人は見当たらない。南アの高峰がぼんやり見えるだけだが、足下には様々な花々が咲き揃っている。知っているのはキリンソウやカワラナデシコ、シシウド、ウメバチソウ、ウツボクサ、クサレダマ位。土手上に黒牛の放牧地を覗き、烏帽子岩から王ヶ塔ホテルの下となり、ようやくハイカーと交差し始めた。

 王ヶ塔、王ヶ鼻 花一面の土手を上がると最高点王ヶ塔頂上(2,034m)。百名山目指す者はここが目標なのだろう。休憩し、眼下に次の王ヶ鼻を見当を付け、悪路を下る。黄色の花マルバタケブキ群に出会い栽培しているのかなと見紛う程。ヤナギランも久しぶりに見た。王ヶ鼻へ着き、松本市内を眺めUターン。板状節理という岩盤を知った。牧場用の道路を下り、バス停のある自然保護センターへ。バス待ち時間に、センター内で花の名を調べた。美ヶ原の花々、高原ハイキングに満たされた気分で、バス、特急、そして新幹線車中の人となった。                              (16/8/8  104)

追 記 美ヶ原は百名山ではあるが、広い高原で咲く花々に充たされた記憶である。その一方で北アの展望も良く、高山なのだ。私はハイキング気分で巡り歩いた。松本駅からのアクセスが夏の一時期に限られて、再訪は叶っていない。

初詣に台東上野界隈に三社を巡る

 2026年を迎え干支午に纏わる神社をネット検索したら、台東区の矢先稲荷神社がヒットした。午を祀ったのではなく、馬の絵の天井画が有名という。近くに秋葉神社もあり、初詣先とした。我が家からは、地下鉄乗換えで1時間程度だろう。

 初詣は秋葉神社から 初詣先の神社は上野の先にあり、地下鉄銀座線が最寄り駅と思うが、三田線、大江戸線、そして上野広小路駅で銀座線に乗り換えた。稲荷町駅で降り地上の浅草通りへ出て、秋葉神社へと歩いた。下町の住宅街でその中に寺院も目立つ。初めての地で住所を頼りに行くと、右手に鳥居から参道があり、意外に近かった。都内下町の神社としては、広めの境内で、本殿前で参拝。当社は、明治の初期明治天皇の意を受け現秋葉原の地に火除けの社として創建され、その後当地に遷座されたとある。秋葉原の駅名の由来と知る。孫達の成長と自分の健康をお願いした。高齢になり自ずと願い事になった。酒量も減り、規則的な日々とは思うが、神様はどう見てくれるか。

 矢先稲荷神社 次の矢先稲荷神社へと向かう。こちらも住所を見ながら山勘で左折、そして右折した先に玉垣があり、目指す神社であった。一回り大きな神社で、石段を上がり、手を合わせた。こちらは参拝客が多い。処が現在祈祷中で馬の天井絵画の見物は不可とあり、残念。先日のテレビで、阿川佐和子の番組でタレント達が当社の天井画を眺めている様子が放映されたのを観た(テレ朝26.1.4)。

 三社目は下谷神社 歩きながら三社目は何処にしようかなと浅草通りへ出て、足は自然と下谷(シタヤ)神社へと向かった。再訪で稲荷町駅を過ぎ大通りから少し入った先が下谷神社。未だ人出があり、私もまた本殿前へ進み頭を垂れた。落語の寄席発祥の地で、“寄席はねて 上野の鐘の 夜長哉”との正岡子規の句碑があり、カメラに収めた。浅草通りへ戻り、帰途コースを考えていたら、目の前にバスが止まって御徒町行きとあり、飛び乗るとバスは上野駅前から左折した。今回は初詣に首尾よく三社を巡ることが出来た。(2026/2/4 K.K 1631)

◇日時 2026/1/6  ◇天候 晴 ◇資料 昭文社「東京都市図・入谷、浅草」(04.4版)◇交通費 180円 ◇歩行距離等 8000歩 6㎞                                       「通過時間等」自宅8;40-大江戸線春日駅9:20-銀座線上野広小路駅9:27-同稲荷町駅9:35=秋葉神社9:50=矢先稲荷神社10:10=下谷神社10:34-大江戸線上野御徒町駅10:54-三田線春日駅11:04-自宅11:40

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「20年振りの上高地から徳本峠へ」

 大正池から河童橋、明神池へ 丁度12時に大正池前でバスを降りた。目の前の大正池は水が溢れんばかり。梅雨明けで梓川の流れが豊富なのだろう。川縁の自然研究路を辿る。やはり梓川は流れが多量で激しい。穂高橋を渡り、ウェストン碑でレリーフを見て、カメラに収めた。近いと思った河童橋は距離があり、12時に多くの人に混じり橋上から穂高連峰を眺めるも、岳沢の雪渓は見えるが頂上は雲の中。それでも上高地定番の北ア風景を携帯にも写した。橋を渡り返し、明神へ。
 梓川を右に見ながら森の中の道を行く。午後となり下るハイカー達の中には軽装の外人も見える。意外に遠く、ようやく明神池付近に着き、手前に嘉門次小屋があった。穂高神社奥宮は小さな祠で安全を祈願し、峠の上り備え休憩。14時を過ぎ、峠上迄は3時間がコースタイムのようだ。

 徳本峠(トクゴウ)に取り付く 明神橋を渡り明神館を左折すると、ぱったりと人出がなくなり、山中1人となる。峠口が見付かり右折。直進すれば徳沢から横尾で、20年前通った槍や穂高への登山コース(94.8.6)。進むに従い沢音が近付き白沢だろう。小さな沢を二度渡った先で、同年配のハイカーに追い付き、沢沿いの山坂をゆっくりと進む。道が小刻みにジグザグを繰り返し、白沢を反対側へ出ると崩落の跡。そして、峠へ0.8km地点で小憩。峠道も胸付八丁のようで、長い葛籠折れをこなす外はない。霞沢岳へのコース標識があり、峠は近い。カラフルなテントが見えて、右折すると徳本峠(2150m)であった。3.7km、標高差600mを2時間で上り切った。思ったより小さな峠で、山小屋は古い小屋の隣に新しい建物があった。

徳本峠から難路の南沢長丁場を下る

 徳本峠小屋泊まり 1923(大正12)年開設の本小屋は、島々から上高地への徳本越え(2150m)の要所にあり、バス路線が出来た昭和初期迄は、北ア登山者の多くが利用した小屋で、現在も、古い平屋の建物が隣に残り本日も使われている。今では、霞沢山や蝶ケ岳、常念岳を目指す者達の基地で、私以外は皆フル装備の登山者。ザックや靴から明らかで、朝、隣の支度の音で目を覚まし、また深夜には鼾に悩まされ、山小屋泊まりを実感した。

 穂高連峰を眺めスタート 朝、峠上に立ち、穂高連峰を眺めた。右側の尖りは前穂らしい。そして奥穂やジャンダルムが連なり、ロバの耳は初めて知った。6時20分島々へ向け出発。山腹を覆う笹藪の中の狭い坂道だが順調に進む。水場・力水で顔を洗い一息入れる。傾斜が緩み、谷左端の直線的な下りから、右側へ渡り下り続ける。沢音が高くなり大沢に突き当たり左折、南沢本流だろう。木製の外、鉄板もあり、丸太橋も渡る。直ぐ下に木橋の残骸があった。沢縁の道も肩幅並みの狭さの上荒れて、所々には崩落の跡が残る。深い深い山中を懸命に歩き続け、草花を愛でる余裕はない。次の岩魚留小屋迄1.4km地点となりホッとするも、橋が老朽化して通行禁止に、徒渉。

 続く険路、難路 岩魚留小屋前のベンチで休憩。平坦な道は直ぐ崖端の険路となる。虎ロープや桟敷橋もある。南沢の谷は深くなり、これまで以上に慎重に成らざるを得ない。崖崩れの跡は深く、箇所も多い。
 登山道は、戦国時代から通じていたらしい。1893(明治26)年には日本アルプスとネーミングしたウェストン卿も、嘉門次に案内されて越えたのであろう。芥川龍之介の“槍ヶ岳紀行”を思い出した。龍之介も、大正9年前案内人と一緒で、“路は次第に険しくなった。が、馬が通ると見えて、馬糞が所々に落ちてゐた。・・・これが徳本の峠です。案内者は私を顧みて云った。”(筑摩書房芥川龍之介全集6 118頁)と書いている。三箇所連続の大きな土砂崩れ跡に仮に切られた道を越すと少し楽になったが、二俣迄は距離が残り、炭焼窯跡、戻り橋、行く橋を過ぎても気は抜けず、三木秀綱(戦国期の飛騨松倉城主)奥方受難の碑を見て、ようやく南沢終わりの二俣の地へ飛び出した。峠から疾うに4時間を超え、島々の宿迄は更に1時間30分を要した。(15/7/24,25 103)

追 記 徳本峠は、上高地へバスが通る前の古道で、ウェストン卿や龍之介達も通った峠である。私は上高地から上がって、島々へ下ったが、長い、長い下りの沢や渓谷沿いの難路であった。よく踏破できたと思う。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「花に釣られ花を追いかけて登った白馬八方尾根」

 八方尾根は霧の中 リフトに乗り、八方山麓駅から兎平、黒菱平を経て八方池山荘前へと上がった。しかし、天候が良くなく、霧が立ち込め展望どころか、視界が数メートル先しかない。白馬滞在二日目の本日は、単身八方尾根を歩こうとアルペンラインのリフトに乗ったが、予定変更は止む得ない状況。多くのハイカー達が次々とリフトで到着し、霧の中をスタートして行く。私は、無理せず、山荘前の案内にある近くの散策コースで済ませようと、登山道を上がる。岩ゴロゴロの道で、昨夜の雨で濡れ、歩きにくい。直ぐ上の展望台を目指したが、良く分からず、次の高台へと進む。

 花々を追い第二ケルンへ 高山植物が次々と現れて、可憐な花を開いている。カメラに収め手帳にメモし、ゆっくりと上がり続ける。カライトソウ、ワレモコウ、ノコンギク、ウツボグサ、タムラソウ、クガイソウ、マツムシソウ、シモツケソウなどで、昨日の栂池自然園とは異なる花も多い(写真上)。タムラソウはアザミと似ているが別種の花。歩きやすい木道となり、花々を追いもう少しもう少し歩こうと先へ進み 肩の休憩所迄上がることにした。  
 僅かだか、霧が後退し視界が広がった。マップで確かめると、直ぐ第二ケルン(2,005m)のよう。近付くと人造の石塔で、登山道の目印だろう。シャッターを切った。前方の坂上にも、次の八方ケルンが見える。ここまで来たら、当初予定の八方池へ足を延ばそうと決断。雨の心配はなさそうだ。

 八方池を往復 岩だらけ道だが緩やかな上りで、順調に進み、坂の途中に建つ八方ケルン(2,035m)を見る。尾根道は広く、白い花ウメバチソウが目一杯開花中。そして、第三ケルン(2,060m)を通過すると、下りに入った。白馬三山の展望地の筈だが、本日はとても望めず天候は変わらない。右手下からもハイカーの声が聞こえ始めた。霧の中だが八方池がその方向と分かった。私も坂を下り、唐松岳への分岐を分けると直ぐ池だったが、霧で半分しか見えない。池端のベンチでザックを下ろして休憩し、水を飲んだ。直ぐ傍にワレモコウの集団を見付け、今度は携帯に写した。

 下山し白馬駅へ 下山は、同じルートを下る。人気のコースのようで、尾根道から登山道を上下する家族連れやグループと次々と交差する。狭い道で上りのハイカーを待っていると、後から急かされる程。ストックを使いながら、慎重なのはいつもと同じ。岩は乾き滑る程ではなくなった。八方池山荘前に到着し、第一ケルンを探す。池の先にあったが何故か通行禁止。離れた地からカメラを向けて、またリフトで帰途に就いた。山麓駅から白馬駅迄歩き、駅前バス停で、小谷からの同行者の到着を待った。(2014/8/31 102)

追 記 八方尾根は、北ア白馬山系唐松岳手前の2000m超の長い尾根であった。夏山の人気のコースで、リフトを乗り継いで尾根へ上がった。当時白馬村である夏季集会がありオブザーバで参加していた。その合間に、白馬山麓の栂池高原や塩の道を歩いた。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「黒斑山に登り活火山浅間山を眺める」

 2013年の夏山に黒斑山へ登った。浅間山外輪山の一つで、浅間山登山禁止のため、深田百名山ではその代わりの山ともされていた。事前に調べると、登山口高峰高原から2時間のコースとあり私には適度で、アクセスも長野新幹線佐久平駅からJRバスで約1時間である。山友Kさんに同行をお願いした。

 高峰高原車坂峠を出発 高峰高原車坂峠にバスを降りて、表コースをスタート。本日は8月最初の土曜日とあり、天候も良く少なくない登山者が見受けられ、我々の前も、男性リーダーに引率された山ガール3名が元気に歩いている。林の中の緩やかな上りの道から一旦鞍部へ下って、再度上りとなると登山道らしく岩石の転がる中を行く。久しぶりの山登りに息が切れかけたが直ぐ戻り、上り続ける。展望の地へ出て、休憩中の山ガール一行を追い越す。チラッと覗いた前方の山々は篭ノ塔山や水ノ塔山のようだ。一度登ったことがある(2000.7.10)。我々も坂の途中で休憩。高齢者夫婦が追い付いて来た。

 避難小屋前を通過 直ぐ上が槍ケ鞘のシェルターのある地点。火山爆発時の避難小屋であるが、外形的には金属製の山小屋。林を脱すると前方に高峰が立ちはだかり、噴火のためか右側は深く切れ落ちている。目指す山は目の前の岩峰か、それともその左の頂か。既にガレ場の登山道には多くの男女が取り付いている。我々も、気を引き締めてガレ場へ踏み出した。花が紫色の高山植物に出会う。後にヒメシャジンと知った。岩石を避けながら一歩一歩上がる。トップに上がったが前方には雲が立ちこめて展望はない。

 浅間山を仰ぐ 反対側へ出ると雲が流れて、黒い高峰が姿を現した。Kさんにも知らせ浅間本山を眺める。いかにも火山らしく草木のない岩山というか瓦礫の山のような異様な山肌である。シャッター切っていると、雲が覆い始めてしまい、一瞬のことであった。当地はトーミの頭で山頂は左手先にあり、また上がり続ける。丁度2時間弱で登頂、標高2,404m。スタート地点が約2,000m弱で、1時間で上るのが300m見当というからほぼ計算通り。狭い山頂で、他の登山者に混じって昼食を取った。

 中コースを下る 現在では、奥の前掛山まで登山が許されているらしい。そちらへ向かう若者が散見されるが、我々はここから下山。直ぐ下で、また雲が切れて浅間山全容を眺めることが出来、裾には一筋の登山道も見えた。ザレ場の途中から中コースを下る。アカマツの深い森の中を、時々花々を眺めながら、予定通り車坂峠へ下山。ホテル温泉で汗を流した後、食堂で冷えた麦酒で喉を潤しながら、バスを待った。
 今回は、念願の黒斑山に登り、往復時にはコオニユリやウスユキソウ、シモツケソウ、ノギラン、アサマフウロ、ヤナギラン、キスゲなどにも出会い、楽しい夏山となった。紅葉の時期には再訪もとの想いを抱きながら帰途に就いた。Kさん有り難うございました。(13.8.3 101)

追 記 この頃浅間山は登山禁止で、黒斑山は、深田百名山ではその代わりの山とされていた。浅間山を間近に眺めることが出来た。その後登山可能になったが、裏の鬼押し出しから噴煙を眺めたのが精々であった(21.8.30)。