私が登った百の名山&低山=東海編=「天城連山を縦走する」

 天城山を万二郎岳、万三郎岳、小岳、八丁池と歩き、野鳥の森を経て八丁池口へと下りた。この山は思い出の山である。15年前、万三郎岳下で右足首を怪我して、ツアーの最後尾を、足を引きずりながら下山したのであった(95.5.20)。

 万二郎岳から ゴルフ場先の登山口から8時50分に入山した。亜熱帯特有の鬱蒼とした森の中を行き、万二郎岳へと左折、緩やかな山道が続く。前回は逆の下りで懸命に歩いたことを思.い出した。少し傾斜が増し一踏ん張りをすると頂上(1,320m)に到着。展望のない小さな山頂で休憩を取る。登山者が続いて上がって来る。次の万三郎岳へは歩きやすい尾根道との印象であったが、万二郎の頂からは急降下。これを過ぎても、適度のアップダウンを繰り返し、梯子のある岩場も二箇所あった。馬酔木のトンネルは記憶にある。

 万三郎山頂を通過 万三郎の峰も突起状で、最後の上りは険しかった。前回はストックに縋りながらも良く歩き通したと改めて思い直した。11時10分に三角点を踏んだ。
 こちらも木々に囲まれた狭い頂上(1,406m)、前回記念撮影した地でもある。長目の休憩と昼食を取り、いよいよ縦走に向けて、未知のゾーンへ踏み入れる。ツツジが残る中を進むと、右下への分岐を通過。直ぐ下が事故の場所だが、再訪は無用と振り向かないで直行した。下りが始まり、ブナ林の中片瀬峠を経て、小岳へと上がる。先程来、アセビ群より一転して山毛欅の下を歩き続けている。東北の山と見紛うほどの広大な美林である。その中に裸木を見る。病木と思ったが高い枝先に葉が付きヒメシャラという。ロープを備えた岩場を下ると、戸塚峠であった。ゆっくりと休んで水を補給。次第に周囲のハイカーも少なくなった。

 八丁池 平らな山道となり、快調に距離を稼いでいたが、脚に疲れが出始める。白田峠に腰を下ろして時計を見ると13時、まあ時間的には順調。倒木の多い地に入り少し下ると、八丁池であった。池とあるが大きな火口湖と知る。天城山も火山であったのだ。霧が出て湖面が見えない。湖畔で最後の休憩を取りお八つにして、霧が晴れるのを待つ。ペア二組が休んでいた。バス時間があり、池口へと向けて最後の頑張りと気合いを入れる。微かに姿を現した池をデジカメに収めた。

 池下は昭和の森と称されて、探鳥用か散策路が縦横に入り込んでいる。バス停へ近道をしようと地図と案内図を見比べたが今一不明で、進入口を見過ごしたようだ。広い道を下り続けるも、バス時間との兼ね合いが不明で急ぐ。頃良く距離表示に出会い、バスには間に合うと計算して、30分前バス停にゴール。

 バスで修善寺駅へ 丁度5時間を要して天城山マイ縦走を終え、バスを待つ間、草の上に寝転がった。バス
発車まで更に数組の登山者やカメラを抱えたグループが下山して来た。伊豆山中から、天城峠、湯ヶ島、修善寺を経て三島へと出て、新幹線に乗車し、18時30分過ぎには東京駅であった。
 深田著百名山(新潮文庫313頁)によれば、伊豆の大島から七島や冨士の眺めが良いとあるが、一瞬も見ることはなく、前回と同様であった。(10/6/5 114)

追 記 天城山は、伊豆半島の北から南へ繋がる連山の名称で、万三郎岳が主峰である。標高1400m程で山頂付近も密林で覆われていて、高山の雰囲気はなく、林の中を歩いた記憶である。伊東温泉宿泊後、一人で歩いたのであった。最近聴いた“城ヶ崎ブルース”で唄われている遠笠山が天城連山と知ったが、出合った記憶はない。万三郎岳をマンザブロウダケと読んでいたが、バンザブロウダケが正しいとこの度知った。