歴史の街を行く 比叡山麓坂本で京阪電車を降りると日吉大社の参道。穴太衆(アノウシュウ)積みの石垣に囲まれた道を延暦寺本坊であった滋賀院門跡に向かう。穴太衆積みは戦国城塞の石垣で知られている。未だ9時前で門跡参観は不可。奥の慈眼堂は徳川初期家康等に仕えた天海大僧正の廟という。そばに石仏があり観音寺城主六角承禎に纏わるものが江戸期当地に安置されたらしい。
日吉大社は広大な境内に国宝、重文の社殿や楼門が建ち並ぶ。いずれも文禄や慶長期に建立された檜皮葺建築等と説明がある。西本宮、宇佐宮、白山宮等から東本宮まで駆け足で回っても約30分を要した。折良く国宝御輿の展示が行われており、桃山時代のものという。当時の僧達がこれを担いで京まで上ったとあった。
延暦寺へ ケーブルで坂本駅から延暦寺駅に上がる。大正期に敷かれた鉄道で我が国最長のケーブル鉄道という。雨が降り出して山中は煙り、琵琶湖展望の車内案内は空しく聞こえた。琵琶湖百景‘煙雨のひえいの樹林’から鐘の音に導かれて延暦寺に入り根本中堂を参拝する。延暦寺は、信長の京進出等に抵抗したため坂本の寺院を含めて、1571(元亀2)年焼き討ちに遭い、江戸期に入り徳川家庇護の下先の天海が再建したらしい。根本中堂も家光の建立とあった。他の参拝者に混じって真っ暗な中ご本尊様を拝み、暗闇に不滅の法灯を探したがいずれか分からない。
比叡山 延暦寺は、比叡山中に東塔、西塔、横川塔と三地域に配された諸堂の総称という。各塔の間はシャトルバスが走る程に距離があり、根本中堂は東塔地域に属している。信仰心の薄い小生は、他塔は次にして、比叡峰の頂上を目指す。東海自然歩道(関東ふれあいの道の東海版か)に組み込まれているようで、そのような標柱やハイカーに出会う。ハイキングらしくなった山道を歩き、グラススキー場から山頂遊園を通り、駐車場から少し上がった林の中に三角点(848m)をようやく探し当てた。大回りしてしまったようだ。
坂本城趾を訪ねようと、再度ケーブルで坂本に下る。ケーブル坂本駅側が日吉東照宮。天海が、日光に東照宮の建立を将軍家に薦める前にそのモデルとして当地に建てたという。日光の建築と同じように彫刻等が色彩鮮やかな寺院であった。
光秀の西教寺 西教寺が明智光秀に縁のある寺と知る。光秀は悲劇のヒーローだがそのところが見捨て難く、坂本城趾探訪も光秀に惹かれてである。タイミング良く路線バスがあり、立ち寄る。総門は坂本城からの移築で、その内側、長い参道の両側は宿坊のようだ。本寺は明智家の菩提寺であり、大本坊や梵鐘は光秀の寄進という。明智一族の墓参りをした後、寺院内を拝観する。本堂とともに重文の客殿は秀吉時代の伏見城旧殿との説明。狩野派の襖絵のある各間を見て回る。古刹の庭園は遠州作とあった。
琵琶湖畔 バスでJR比叡山坂本駅に出る。太陽が顔を出し初めて琵琶湖が眼前に現れた。運転手に坂本城趾の位置を聞くが知らないとの返事。駅で、現在は琵琶湖の中で石柱が建っているだけと教えて貰った。その程度の史跡と予想はしていたが、駅から徒歩20分と聞き、未だ足に疲れは出なかったが、諦めて京都駅に戻った。
今回は京都からの帰路に大津市坂本から比叡山を訪ねた。坂本は門前町で、寺の中に街があるようであった。京都は運良く祇園祭の最中で、宿泊先付近の山鉾を覗くことができた。(2000/7/15. 122)
追記 比叡山は日本百低山登載の山だが、延暦寺はじめ寺社で埋め尽くされていた。到底半日ほどで回れる数ではなかった。その中でも、延暦寺は規模が大きく、根本中堂を参拝したのみであった。そして、明智光秀に纏わる寺もあったと思う。当山は、西日本編では、伊吹山、賤ケ岳の次であるが、滋賀県は城址巡りが多い。観音寺城址(05.02.18)や小谷城址(06.3.18)はハイキング否、山歩きであった。
