山形へ行くことになった。天童でサッカー観戦のSさんの車に便乗である。二つ返事でOKし、もう何度目であろうか。早朝発、夜遅く帰京であるが、山形での滞在中の午後、何処へと思いを巡らし、天童乱川の同級生宅、そして東根六田の斎藤麩店には寄りたい。六田を貫く羽州街道歩きはどうだろう。以前故郷の読者に貰った“羽州街道六田宿(東根市観光物産協会発行)”が手許にあった。
六田の麩と文四郎麩 14時前、Aさん宅で昼ピールをご馳走になり、JR奥羽本線乱川駅発下り列車で東根駅へ行き、六田を目指した。鉄道路線沿いに白水川土手へ出て、六田橋を渡った。六田宿入口で、北から南へ天童から山形へと続く、まっすぐな羽州街道旧国道13号線は歩きやすい。故郷を離れて初めてではないがそれに近い。それでも大凡の六田の風景は記憶にあり、キョロキョロしていたら、右手が斎藤文四郎麩店で、店内に入り僅かな買い物したら、店主が出て来られて、挨拶。六田の車麩は東根の名産で、当店も江戸末期文久年間(1861年頃)からの老舗で、現在も手広く展開されているようである。5月の東京東根会での再会をお願いし、また歩き出した。六田は大きな集落で、小中の同級生が10人以上はいた。当街道を中学の校内マラソン大会で二度走ったことを思い出した。
六田宿と芭蕉 十字路に至り、左手先は我が生家へ続く五軒通り。芭蕉像があり、奥の細道で、尾花沢から山寺を往復した際、六田宿(高橋内蔵之介宅)で食事したとの記述もあり、先ほどの文四郎麸店のサイトにも、“今から300年以上前の1689年、ここ六田を俳人・松尾芭蕉と弟子の曾良が訪れました。時は新暦の7月13日。ちょうど、紅花が満開に咲き誇っていたことでしょう。とあり、引用させて貰ったことがある(「追っ掛け爺さん奥の細道を辿る・尾花沢、山寺編」)。芭蕉はこの旅で、“まゆはきを 俤にして 紅粉の花”と詠んだ。これには苦い思い出がある。“まゆはき”を繭掃きと思い、違うんじゃないと理解できなかった。中学生の頃である。
与次郎稲荷 六田を過ぎると、四ツ谷地区で人家は少なかったと思うが、現在は両側に住宅が続いている。信用組合もある。そしたら右手に与次郎稲荷神社があった。これは有名な神社で、初代秋田の久保田藩主佐竹公が築城時に狐の住処を奪ったらしく、白狐が現れたという。その請いを受け城内一画に地を与えると、狐が変身した与次郎という男が殿様に仕え、隠密飛脚として秋田江戸間を6日で羽州街道を走り、往復した。処が途中の宿場六田で、疾風のように通り過ぎる与次郎を怪しみ、妬んだ土地の悪達が好物の油揚げで誘い殺してしまったとの伝説が遺るが、幕府が手を下したとの新説もあるようだ。参拝し、太く短い石造りの鳥居は健在だった。秋田の城址にも与次郎稲荷はあった(15.11.14)。一本だけ残った松並木跡を過ぎると、JRさくらんぼ東根駅で、Sさんと待ち合わせた天童南駅へ向った。午前中は寒河江の古刹慈恩寺を訪ねた。(2026/4/29 K.K.1638)
| ◇日時 2026/3/29 ◇天候 晴 ◇交通費 210円 ◇資料「羽州街道六田宿」(東根市観光物産協会発行) ◇歩行距離等 9000歩 7㎞ 「通過時間等」自宅5:00-寒河江慈恩寺10:20/11:30-天童乱川Aさん宅12:20=JR乱川駅13:53-同東根駅14:08=六田文四郎麩店14:40-芭蕉像14:50=与次郎稲荷神社15:20=JRさくらんぼ東根駅15:57-天童南駅16:50-自宅22:50 |

