横川から追分へ旧信越本線沿いを巡る

 信越本線が廃止、寸断されて久しい。現在は、高崎、横川間、直江津、新潟間が信越本線と称している。同線は、夏山、キャンプや家内の実家行きの際に利用していた。昨年秋、横川駅へと予定したが、妙義神社からの帰りに時間を喰ってしまい、行き損ねた。軽井沢に宿泊先が確保できて、その前後を巡ろうと思う。

 めがね橋に寄れず 13時過ぎ高崎駅へ出て、横川行きに乗車。信越本線である。3両列車で、乗客は少ない。安中では、左手に大きな化学工場を見た。山中へ進み、横川駅に着き、もう終点。ここから軽井沢行きJRバスは直ぐで、峠の釜めしを食べる時間はない。さらに、バスは、めがね橋は経由しないと分かった。碓氷峠アプト式鉄道のシンボルで、明治期架設第三橋梁赤レンガの橋であり、鉄道遺産。少なくともカメラに収めようと思っていた。残念。バスは、バイパスを走って峠を上がり、軽井沢駅に着いた。案内所で、追分の情報を得て、宿泊先に入った。シーズン前で、混んではいない。

 カブトムシ型機関車を見る 旧信越本線、現しなの鉄道軽井沢駅で時間があり、旧駅舎前に出ると草軽電鉄時代のカブトムシ型パンタグラフを持つ機関車が保存されていた(写真上)。草津と軽井沢を結んだ私鉄で、1962年廃止されたが、テレビ旅番組の映写で見て知っていた。これはラッキーとシャッターを切ったがアングルが今一と思う。
 しなの鉄道追分駅に降り、バスに乗り換える。昨日得た時刻表とおりで、追分口に下車。すぐ先が追分の地で、左が中山道、右が北国街道へと分かれ、分去れの碑がある(写真中)。全国のそちこちに追分があるが、追分のルーツであろう。狩人が追分を唄った“コスモス街道”があり、歌碑があるとの情報があったが見当たらない。

 追分宿の歴史 旧中山道追分宿は、両側に旅籠らしき建物が遺り、今でもその面影がある。当時は栄え、江戸後期には71軒もあったという。高札場や元脇本陣油屋はその代表だろう。堀辰雄文学記念館から追分公園、そして追分宿郷土記念館を巡る。
 堀辰雄は避暑に軽井沢を訪れて追分宿を知り、定住の地とし終焉を迎えたとある。公園には、芭蕉句碑があった(写真下)。更級紀行の帰途に詠んだ“吹き飛ばす石は浅間の野分け哉”と刻まれていると思う。この度は浅間山は一度見上げただけであった。郷土館では、戊辰戦争の際、追分宿でも赤報隊との騒動があったと知った。
 バスとしなの鉄道で軽井沢駅へ戻り、上りの北陸新幹線を待った。(2023/7/7 K.K.1514)

◇日時 2023/6/18,19 ◇天候 晴 ◇資料 「軽井沢周辺ガイドマップ」 ◇交通費8,460円 ◇歩行距離等 12,000歩 9㎞ 「通過時間等」自宅9:50-JR赤羽駅11:36-同高崎駅13:20-同横川駅14:10-同軽井沢駅14:45=宿泊先15:30/9:20=しなの鉄道軽井沢駅9:59-同追分駅10:13-追分口・追分宿10:25/12:29-しなの鉄道中軽井沢駅12:12-JR軽井沢駅13:57-同大宮駅14:59-同浮間舟渡駅15:32-自宅16:00