躑躅は満開であった笠間つつじ公園

多分、JR巣鴨駅であったと思うが、”笠間つつじまつり”パンフを入手し、インターネットで見頃になる時期をチェックしていた。丁度連休の前半頃のタイミングが良いだろうとみて、本日とした。笠間焼きを見たいと、友人Cさんが一緒してくれた。笠間は、私は二度目で(95.12.17)、茨城では南部だがJR水戸線であり結構時間が掛かる。

常磐線友部経由で笠間へ 最初は上野駅から宇都宮線小山回りを予定したが、指定が取れず友部回りとし常磐線に乗車。友部駅で乗り換え笠間駅に着いた。駅とつつじ公園、焼き物祭り”陶炎祭”会場が三角の位置関係にあり、駅からつつじ公園だけ連絡バスがないという。検討した結果、ハイキングだからとつつじ公園へ30分程歩くことにする。駅から市内へ直線的な道で、武家屋敷街であった町なのに珍しい。連休のためか交差する家族連れやグループも多い。二つめの交差点銀行前に至ると見覚えがあり、二度目に間違いないと思った。右折し、Cさんに、赤穂の淺野家はその前笠間が領地で家老大石家の屋敷跡がこの辺りと、知ったか振りをしたら、その案内板があった。

満開見頃の躑躅 つつじ公園下に着き、大勢の見物客に混じり石段を上がって公園内へ。躑躅の中にしゃくなげの花も迎えてくれた。入口から山の斜面一杯につつじが咲き覆っている。赤や朱、白の花の中に、ピンクのツツジが目立ち綺麗(写真上)。山腹の坂道をジグザグに上がりながら、眺めては、シャッターを切るのを繰り返す。Cさんも同様のよう。満開も寸前で、最も良い時期か。空も晴れ上がり、眼下の展望も良い。笠間は茨城でも山間の街のようで、周囲は山々が連なり小さな盆地。躑躅の間を巡りながら山頂へ(写真下)。売店が出ていて、焼きそばとこんにゃく田楽で軽い昼食にする。またつつじを愛でながら反対側へ下り、陶炎祭会場へのバス停を教えて貰うと公園を出た大黒石前。またこの大きな石を見て再訪を実感。確か、前回笠間城跡を出てこの辺りを通った記憶があり、12月のつつじ園は枯れ木状態だったと思う。

笠間焼祭りに付き合う バスで、陶炎祭会場へ着き、テント村窯元の出店へ。Cさんは目指す陶器があるようで、広い会場を探し歩き、ようやく見付かり、手に取り、若い窯元の説明を受け、家族用にと茶碗を数個購入。笠間焼きで、私使用のものよりは大分高級に見える。私にも、”どう”と声を掛けてくれたが、首を横に振った。ここから、友部駅へ直通のバスがあると知り、乗車。込みあい満員で座れない。しかし、15分程で友部駅に着き、常磐線の上りを待った。

Cさんどうも有り難うございました。お陰で、20年振りに笠間を訪ね、つつじを楽しみ、笠間焼きを見ることが出来ました。(2017/05/17 K.K.1107/1200)

◇日時 2017/4/30  ◇天候 晴 ◇交通費 3,940円 ◇資料 笠間市「46回 笠間つつじまつり」 ◇歩行距離 9km 13,000歩

「通過時間等」自宅8:35-JR巣鴨駅9:10-同上野駅9:49-同友部駅12:19-同笠間駅12:35=つつじ公園13:05=同山頂昼食13:45/13:55=大黒石前14:20-陶炎祭会場14:35/15:05-JR友部駅15:45-同日暮里駅17:20-三田線巣鴨駅17:49-自宅18:30

何とか古民家へ辿り着いた八潮ハイク2

目的地は未だ大分先 高速道路高架下から中川堤防に着いたが、目的地周辺ではなく、大分手前と気付いた。八潮市役所を先に見て、中川堤へ方向を採ると前方に高速道路がちらつき、目的地へ向かっていると思っていたが、見当違いで、コース半分程度の地点であった。本日、リベンジ第2弾とし、埼玉八潮コースとした。前回、なんと往きの電車内で肝心のコースパンフを忘れ、初めての地をパンフからの記憶だけで歩き、コースポイント八潮水門は行き着けたが、その先の二つの古民家への道順や位置は記憶になく断念し(16.9.11)、今回是非とリベンジを目論んだ。

八潮水門から古民家へ 堤上で、未だ時間があり、水門まで30分と読みひたすら中川沿いに遡上。周囲の風景は見覚えがあり、少し進むと水門が見え出しスピードが増す。そして、見間違えた東京外環道も前方に走っている。ほぼ想定時間で水門前を通過し、古民家太田家住宅を探す。マップ上では道路に付いるが見当たらない。集落内に入り、尋ねると小路の奥の地を教えてくれた。ようやく太田家住宅前へ辿り着くが本日は非公開日。元商家で二階建ての店舗と白漆喰の蔵がある(写真上)が、隣に現在もお住まいのよう。それで、案内はなく特定日のみ公開しているようだ。閉鎖中の門越しにカメラに収めた。太田家は、江戸中期からの河岸問屋兼旅館で米や油などを扱い、中川の舟運時代に繁盛したようだ。

和井田家は名主住宅 次の古民家和井田家だが、手持ちマップ頼りに山勘で集落内を進む。東京外環道下を通過し上手く進んだようで、大きな農家の道路沿いの植垣の間に案内板を見付けたが、入口にはロープが張ってある。ウロウロしていたら、お宅の方がおられ挨拶すると本日やはり公開していなという。写真だけとお願いしロープを越え大回りすると現お住まいの前に古民家があった。茅葺き、塗り壁の大きな平屋は時代を表している(写真下)。江戸中期のもので、重文指定の名主住宅。当地の大地主だったのだろう。家内の実家旧宅を思い出しながら、シャッターを切った。

リベンジなる なんとかリベンジなり、八潮団地バス停を探した。今回も、観光協会ウェブサイトからマップを出力し、前半市役所付近までは、行き掛けの駄賃に神社を巡り楽なコースとスタートしたが、参拝できたのは大曽根八幡神社のみで、市街地ウォークは難しいと再確認することになってしまった。

バスで東武線獨協大前駅へ出て二重橋前へ。本日夕方旧同僚に会い、報告がある。ぎりぎりだが約束時間に間に合いそう。明日昭和の日、私の受章が新聞発表される日で、事前に伝えたいと約束した。食事しながら話すと喜んでくれ、夕食は麦酒付きでご馳走になった。 (2017/05/13 K.K. 1106/1200)

◇日時 2017/4/28  ◇天候 晴 ◇交通費 1,070円 ◇資料 八潮市観光協会「見どころ」 ◇歩行距離 15km 21,000歩

「通過時間等」自宅13:00-都営大江戸線春日駅13:33-つくばエクスプレス新御徒町駅13:49-同八潮駅14:05=大曽根八幡神社14:35=中川堤15:20=八潮水門15:50=太田家住宅16:10=和井田家住宅16:30=八潮団地バス停16:46-東武獨協大前駅17:15-千代田線二重橋前駅(夕食)18:00-三田線日比谷駅18:50-自宅19:40

リベンジならなかった葛飾湧水2

4月も20日過ぎ大型連休直前となり、今週から連休に入ったとの見方もあるようだ。私は、日頃から連休のようなものだが、改めてこの期間リベンジハイキングを目論もうと思う。これまで歩いたが、コースを踏破出来なかったことや主要ポイントを探し切れなかったことがあり、二桁近いだろう。思い込みや早とちり、そして地図読みの甘さが原因と思う。第1弾として、船橋の葛飾湧水コースにした。湧水・太刀洗い川源流に到達出来なかった(17.2.14)。

大刀洗い川源流は何処 前回帰宅後、船橋観光協会サイトから調べると、”おさんぽマップ西エリア”があり、そこには、太刀洗い川源流が掲載されていた。前回その手前で引き返していたので、楽勝と思い、京成西船駅をスタート。マップ上の目指す地点付近に着き、探した。地元の方に教えて貰えば確実だろうと、ビニールハウスで作業中の農家の方に尋ねたら、知らないとの意外な返事。通り掛かった高齢者も同じ答え。自分で探す外はないと、地図上道路や学校の位置から付近を歩き回り、小公園や緑地を4箇所ほどチェックしたが見当たらない。最後にスマホで検索したが、船橋の大刀洗い川は出て来ない。諦めて、次のポイント熊野神社へ向け歩きながら、嘗てはあったが存在しないのではと思うに至った。

林と神社 JR武蔵野線下から住宅街を南方向へ歩き、高い樹林が覆い繁る地を見付け、熊野神社だろうと見当を付けた。これは、これまで市街地を歩いて身につけた経験からの知識かもしれない。本日西船駅から歩き始め最初のポイント山野浅間神社も、線路周辺の込み入った住宅街に見付けお参りしたばかりで、高い樹木を目印にした。クスノキなどで囲まれた熊野神社に軽く詣でて、境内で小憩。ある筈の名木タブノキは見分けが付かない。緩やかな坂を上がると中山競馬場前(写真上)。先程来塔のような高い競馬場用施設がちらついていた。本日レースがないようで、静かな前庭の奥に立派な競技場がある。渡る通りは、通称オケラ街道だろうか。

中山法華経寺に参拝 住宅街の道を右往左折し最後のポイント中山法華経寺を目指す。方向だけで山勘頼りに進むと住宅街裏手に森と墓地が見え、表へ回わり無事寺院境内へ。今年は日蓮上人に縁があるようで、当寺も日蓮宗大本山。広い境内に諸々の伽藍が配されて五重塔や祖師堂もあり(写真下)、その中に日蓮上人像も建つ。本寺で、家内とぽんちゃんの成仏と孫達の成長をお願いし、重文の祖師堂をカメラに収めた。参道には赤門、黒門とあり、両側には土産店が並ぶ名刹大寺院だが、宗派が違うとは言え、私は最近まで存在すら知らなかった。門前町はそのまま京成中山駅まで続いた。

私の目論見は最初から成らなかったが、自分では大刀洗い川の源流は現存しないものと理解することにした。(2017/05/09 1105/1200)

◇日時 2017/4/24  ◇天候 晴 ◇交通費 300円 ◇資料 船橋観光協会「ふなばしおさんぽマップ西エリア」 ◇歩行距離 13km 18,000歩

「通過時間等」自宅9:25-都営新宿線神保町駅10:08-京成本八幡駅10:46-同西船駅10:55=山野浅間神社11:15=地図上の大刀洗い川源泉付近11:40/12:15=熊野神社12:30=中山競馬場前12:40=中山法華経寺13:05=京成中山駅13:25-都営新宿線本八幡駅13:45-三田線神保町駅14:21-自宅15:00

チューリップ観賞に埼玉深谷を訪ねる

深谷のグリーンパークに咲くチューリップが見頃とテレビで知った。これまで四季それぞれに様々な花を巡ったが、チューリップはない。深谷は埼玉の奥で、縁は薄く、それでも大分前だが一度城跡巡りに訪ねたことがある(02.4.29)。JR高崎線一本なので、近くはないがアクセスは良い方だ。一応地図で確かめ、準備した。

 深谷市外へ JR赤羽駅で、高崎行き快速を予定したが一本前の鈍行に乗車。篭原駅で乗り換え、深谷駅に降りる。構内案内所でパンフを入手し、グリーンパークへは徒歩4kmと知るが、回り道し駅前の瀧宮神社に挨拶すると、境内に咲くピンクの芝桜絨毯が出迎えてくれた。桜が残る上唐沢川沿いに歩く。小川程度だが澄んだ流れで、水鳥も見られる。川向こうに寺院を見て幕末高島秋帆が幽閉されたのはこの辺りの寺と我が家の地図にあった。川が直角に方向を変え農家が多い地区に至る。正面遠くに望むのは奥武蔵から秩父の山々だろう。

八幡橋で、川を離れ大通りを行くと、八幡神社。戦国期頃深谷城主上杉家宿老岡谷氏が勧請した古社とある。斜向かいが仙元山公園。歩き足りないなら、復路に寄ろうかと検討した森。往きは山裾を素通りし、上越新幹線下から交差点を目指す。地図からはもう郊外で田園地帯と想像していたが、家並みは続き、深谷は相当な地方都市なのだろうか。交差点を右折し少し距離があったが、グリーンパークの建物が見えた。

チューリップは満開だが チューリップは中庭にあり、満開。赤白、黄色と原色の花が同じ背丈で咲き揃い綺麗だ(写真上)。カメラを出し、シャッターを切りながら巡る。しかし何か物足りない。予想より小さな花園で、家庭の花壇よりは広い程度。チューリップを売りに宣伝する程ではないと思う。先程駅で、入園料はなしと聞いたが納得。ネットで調べた時も、チューリップ園ではヒットしなかったのも頷ける。グリーンパークはテーマパークで花園や緑地ではなかったのだ。それでも、二回りし、アングルを換え花々を楽しむ。見物客は多い。私同様、テレビの影響だろうか。

赤煉瓦造りの駅舎を写す 復路はバスにしようかとバス停を探したが、本数が少なく時間が合わない。先ほど入手パンフ上の最短ルート通りに駅へ歩く。右手奥に仙元山が見えるも寄る元気はない。市内へ入ると、往路は大分大回りしたと分かった。川の位置を読み違えていた。深谷は渋沢榮一の出身地で、その旧跡案内を見掛けたが駅へ戻り、赤レンガ造りの駅舎をカメラに収めた(写真下)。渋沢が1887(明治20)年にわが国最初の機械式レンガ工場を当地に造り、そのシンボルらしい。土産は深谷ネギとし、高崎線上り電車に乗車した。(2017/05/06 K.K.1104/1200)

◇日時 2017/4/20  ◇天候 晴 ◇交通費 2,280円 ◇資料 深谷商工会議所「深谷サイクリングマップ」 ◇歩行距離 15km 20,000歩

「通過時間等」自宅8:00-JR板橋駅9:10-同赤羽駅9:28-同深谷駅10:45=八幡神社11:15=新幹線下11:30=グリーンパーク12:00/12:20=いこいの広場12:35-JR深谷駅13:20-同大宮駅14:18-三田線新板橋駅15:04-自宅15:30

利根運河から菜の花の江戸川を歩き流山へ

今回は、自らコースを設定し、利根運河から江戸川を下り、流山へと千葉を歩く。以前に歩いた時利根運河には桜が咲き、これに菜の花ロードのある江戸川を繋ぐコラボを思い付いた。いずれも春の花で、その季節がやって来たが、桜は盛りを過ぎたかもしれない。都心よりは北の千葉に少し期待するがどうだろう。

桜は終盤 東武野田線運河駅を出ると利根運河は直ぐ先。利根川と江戸川を繋ぐ運河だが、本日は南の江戸川方向へ歩き出す。桜はあるが色褪せた残り花で、対岸の花も同様。沢山の鯉幟が運河の水に浸かっている。川に渡した綱が切れたのだろうか。川端の料亭角から公園へ寄り、近くにある深井城跡を探すが見付からない。持参マップから付近を彷徨き、尋ねてみたがダメ。遺構はなく案内板程度だと思うが。運河縁へ戻り、以前野田市内へ歩いた時(09.5.1)と同じ道となる。西深井歩道橋を過ぎたが江戸川は大分先。城跡探しに時間を喰ってしまった。堤防下の桜樹の下にテントが張ってあり、家族用のようで花見キャンプだろうか。江戸川は結構遠く、運河大橋からも距離があり、小さな河口公園が見えて、ようやく江戸川へ出た(写真上)。

大河江戸川を行く この辺りの江戸川大河で、広い河川敷の中央に流れがある。堤防の上の舗道を行く。見えるのは空と川と草原だけで、海辺と同じく開放感一杯であり、好きな里歩きだ。晴天だが少し風があり、川風だろう。250m毎距離表示があり、歩く速度が計算でき、いつもより少し遅い。アゲインストの風の所為かと堤防下の道に移る。土手斜面一杯に菜の花が咲き、丁度満開で見頃のよう。前方に大きな橋が見え常磐高速だろう。橋下を通過すると、左前方に建物が現れ始めたが、流山も郊外のようで、市街は遠い。田植えに備え掘り起こされた田圃に(写真下)数羽の白い鳥が見え、白鷺と思われる。昨秋の落ち穂を探しているのか。鳥たちは泥鰌や虫ではなく落ち穂を食べると最近知った。

菜の花は満開 菜の花ロードを歩き続け流山市街へ入り掛けた。事前に地図から運河大橋から流山まで約6kmと読んだが、距離表示では未だ4kmに満たない。菜の花の中にある羽口の渡し場跡を過ぎ、前方の橋は武蔵野線だろうか。そろそろ流山駅へと堤防を下りる地点に見当を付ける。矢河原渡し場跡に市内への案内を見付け、江戸川を離れると直ぐ見覚えのある商店街。2年前訪ねたばかりだ(15.4.12)。あの時も菜の花の中江戸川を歩き、本日のコースが頭に浮かんだのだった。流山は古い店舗や蔵が遺る歴史の街だが、流山駅へ直行。盲腸線流山線を幸谷(コウヤ)駅に下車し新松戸駅へ歩き武蔵野線に乗り換え、その際遅目の昼食を取った。(2017/05/04 K.K. 1103/1200)

◇日時 2017/4/16  ◇天候 晴 ◇資料 流山市「利根運河フットパスマップ」平成24年3月1日 ◇歩行距離 17km 24,000歩

「通過時間等」自宅8:40-JR巣鴨駅9:15-同日暮里駅9:27-東武野田線柏駅10:02-同運河駅10:20=運河大橋11:05=江戸川11:15=常磐高速道下12:10=羽口渡し場跡12:20=流山市街地口12:30=流山線流山駅12:58-JR武蔵野線新松戸駅13:21-同武蔵浦和駅14:01-三田線新板橋駅14:30-自宅14:50

練馬白子川にカタクリの花を訪ねる

カタクリの花情報を思い出した。先日、練馬清水山の森に花が咲いたとの新聞記事(毎日新聞17.4.3)を切り抜いておいた。読み直すと、今月中旬迄見頃とある。ギリギリかなと思いながらも地図を見ると、白子川沿いのよう。同川は板橋区の外れを流れ我が家から近い。練馬の源流を眺めたことを思い出し、記録リストから、牧野記念庭園を訪ねた時(07.7.16)と分かった。源流から白子川を下り、清水山の森へとコースを設定した。

 白子川源流から バスを乗り継いで西武線大泉学園駅から白子川源流へと歩き出す。しかし、都内の市街地歩きはスムーズにはいかず、尋ねながらも右往左折し、源流のある大泉井頭公園に着いた時は、15分の処倍の時間が過ぎていた。源流は二度目と確かめ、再会の丸葉柳の古木に挨拶し、川沿いに下る。直ぐ密集住宅街の間の水路となり、これまで歩いた神田川や石神井川と似たような風景。白子川は大分狭い。西武池袋線下は通れず大回りし妙福寺前となり、境内に咲く桜に惹かれ軽く参拝。また白子川へ戻り下り続ける。処が河川工事中でまた迂回すると、川は消えてしまった。探すが見付からず、道路開発中の地に至り、右を見ると先程バスで通った大通りのよう。三叉路で、暫し地図と道路等から位置、方向を検討。目白通りの突き当たりで北園の交差点と判断する。

目白通りから再び白子川へ 目白通り側道を行くと、先に高速道路がちらつき始め、想定通りで、高速練馬IC下に白子川を取り戻した。一度歩いた地かなとチラッと掠めたが、違っていた。前方に森や高い樹が見えるとそろそろかなと期待するが中々到達できない。また住宅街の間の水路となり小さな橋の袂で、もうすぐと教えられ急ぐ。そして、林と白いテントが見え、目指す清水山の森であった。案内の方はパンフを手渡してくれながら、もうお終いですと連れない返事。

カタクリと清水山の森 遅かったかと思いながらも、林内を巡る。カタクリの花を本格的に観るのは初めて。花はあるが萎んでいる様子。それでも、シャッターを切りながら土手を上がる。鑑賞者は多く、狭い遊歩道を巡っている。上がるに従い、花は残りまずまずといった処(写真上)。

清水山の森は、白子川の土手の一画で、櫟や楢の木が繁る。住宅開発から免れた貴重な緑地のよう。地元の先駆者が自生のカタクリを守り、現在では区が整備し管理しているとある。結構広い林、土手で、その中の斜面に多くのカタクリが花開いている。10万株と新聞記事にあった。湧水もあり、都の名水に選ばれているらしい。木々も浅緑の葉を出し始め、春を実感する(写真下)。

林を出て坂を上がるとバス停。着くと同時にバスが来て成増へ。車中、白子川源流からは距離があり、欲張り過ぎと地図読みの甘さを反省した。          (2017/05/01 K.K. 1102/1200)

◇日時 2017/4/13 ◇天候 晴 ◇資料 毎日新聞「カタクリの花見頃」17.4.3、練馬区「清水山の森」 ◇歩行距離 13km 17,000歩

「通過時間等」自宅8:35-東武成増駅9:11-西武大泉学園駅9:40=練馬井頭公園10:20=西武池袋線踏切10:40=妙福寺10:50=北園交差点11:10=高速練馬IC下11:30=清水山の森12:00/12:15=土岐田二丁目バス停12:20-東武成増駅12:50-自宅18:10

2017観桜に江戸川新川千本桜へ

遅れていた桜もようやく見頃を迎えた。昨年見付けた江戸川区の新川千本桜を思い出し、ネットでチェックした。新川は、都営新宿線船堀駅から近い。四季の花巡りに時々同行してくれる花友Bさんを誘った。週末は生憎雨模様だが、時には雨中の花見も良いだろうと出掛けた。

小雨の新川千本桜 船堀駅に降り、新川へ向け歩き出す。雨は小降りだが降り続け、傘を指した。2人とも軽いビニール傘で、花見には都合良いかもしれない。直ぐ正面が広い川で、両側に桜並木があり、満開の花が続いている。花見客はなく静かで、小雨の中我々だけ、ゆっくりと川沿いを行く。桜木は未だ細く、約10年前地元で植樹したらしい。

江戸川と荒川を繋ぐ運河が新川で、江戸時代に開削され行徳から塩などが江戸へ運ばれたという。いかにも運河らしく、川幅は同じで、流れはない。花は見頃で、咲き開いているが、一枚の花びらも落ち始めてはいない。時々は立ち止まり見上げ、カメラを出しシャッターを切る。架かる橋を過ぎると、反対側からぽつぽつと見物客が来るようになった。

さくら館で休憩 3本目の橋桜橋の袂に、江戸川区新川さくら館があり、寄ってみる。いかにも江戸風の建物を模した施設。イベント準備中の集会室があり、展示物から落語会か。寄席や相撲で使う独特の文字で書いたポスターが展示されている。歌舞伎も同種の文字で、勘亭流と同じに見える。隣の茶所で休憩した。

また新川へ出て、千本桜は更に大河江戸川へ向け先へ続くが、我々は桜橋を渡り対岸へ。Bさん橋上からの眺めが良いとカメラを向けている。私も、戻って橋から見下ろすと、運河の両側に桜並木が揃い、中々の風景(写真上)。デジカメに納めた。また、桜を楽しみながら新川沿いを歩き、船堀駅へ戻った。都営新宿線を横山馬喰駅で、JR京葉線に乗り換え東京駅へ出た。

近くの城北公園も満開 帰宅後、歩き足りなさを補おうと、都心に花見スポットを探すと、板橋蓮根の城北公園がヒット。我が家から近く、三田線で三つ先の蓮根駅下車である。灯台もと暗しで、未知の花見場所。早速翌々日、朝の散歩程度とカメラ片手に三田線に乗り蓮根駅で降りた。駅から直ぐの学校裏にあった。小さな公園は、野球場で占められその周囲に、桜があり、太く高く満開の花を付け盛りで(写真下)、時計回りに小さな園内を一回り。ゲートボール場や機関車を展示した交通公園も併設されている。孫達は知っているだろうか。教えてあげようと思う。意外な場所の桜に驚き、咲き誇る桜花を楽しんで蓮根駅へ戻り帰宅。家を出てから僅か1時間であった。(2017/04/27 K.K. 1101/1200)

◇日時 2017/4/9 ◇天候 小雨 ◇資料 江戸川区「新川さくら館」 ◇歩行距離 8km 11,000歩

「通過時間等」自宅13:15-都営神保町駅13:58-同船堀駅14:30=新川14:40=新川さくら館15:10=都営船堀駅15:40-JR日本橋馬喰駅16:08-同東京駅16:20-都営三田線大手町駅17:30-自宅18:10

蓮田元荒川に観桜ハイキングを十分に楽しむ

この時期、毎年観桜ハイキングをしているが、同じ場所の花見では楽しさも半減するので、新しい桜の名所を探し求めている。手許の古い資料から、JR東日本発行”元荒川さくらまつりと蓮田の自然散策”というパンフが出て来て、咲く時期を待っていた。前日、蓮田在住の同僚から、もうさくら祭りは済んだようだと聞いた。しかし、今年は花は未だ残るだろうと出掛けた。

元荒川傍の久伊豆神社から 蓮田駅は近く大宮駅の直ぐ先だ。パンフ記載コースは駅から市街を南東へ回って元荒川を渡り、黒浜沼でUターンし、市役所を経て元荒川上流であるが、少し修正し、駅から先ず元荒川を目指す。駅を出ると郊外となり元荒川に架かる宮前橋袂の久伊豆神社に着く。当地ではクイズではなく、”ヒサイズ”と呼ぶとある。川端には桜・染井吉野が満開。振り返り上流を眺めると川両側に見頃な桜並木が連なり、コース後半が期待できる。花を見上げながら川沿いを行く。

桜咲く古刹、小沼、市役所前 東北自動車道下を過ぎると桜も若木のようで小振りの並木。なかよし橋を渡り、古い集落の左手にまた久伊豆神社を見て、小学校前。下校の生徒に挨拶され、慌てて返した。新学期が始まったのだ。真淨寺前へ至り、境内を覗くと一本の桜の古木が花を付け、古刹を示していた。野原が広がり、湿地帯のよう。そして、小さな黒浜沼。蓮田のネーミングはこれから来て、元荒川の名残であろうか。ここから集落内をジグザグに抜けるコースで自信はないが、パンフを見て山勘的に方向を採ると、騒音が聞こえ始め、東北自動車道に近づいているようで、間違いない。山王神社前で、一度方向を誤ったが気付き迂回し、東北高速道の高架橋を通過すると市役所前で、駐車場の桜も満開で綺麗。JR宇都宮線陸橋を越した先に、西城沼公園はあった。ベンチで休憩し見回したが、人出はあるがここの桜は大したことはない。

元荒川の両側は満開 いよいよ本日メインの元荒川河川敷の桜へ。住宅街通行中ふと首を右に向けたら、桜花が飛び込んで来た。釣られ横の小路を抜けると元荒川で、ピンクの花を目一杯開き付けた桜の大木が並んでいる(写真上)。目指した元荒川河川敷公園だが、売店や屋台もなく、ゴミの類もない。人も少なく、静かな桜の下で独り占めし、贅沢感さえある。アングルを探してはシャッターを切る。新荒川橋からは咲き誇る桜木が両側に続いている。菜の花があり、下は黄色、上はピンクのコントラストも良い。花見中グループの横を通り、荒川橋を渡り反対側へ。幹を見て驚く。太さ、黒色、姿形も異様で、長年風雪に耐えた古木そのもの(写真下)。今年もしっかりと花を付けている。宮前橋へ戻り、花達に別れたが満たされた気持ちで蓮田駅へ歩いた。(2017/04/23 K.K. 1100/1100)

◇日時 2017/4/6 ◇天候 晴 ◇交通費 1,000円 ◇資料 JR東日本「元荒川さくらまつりと蓮田の自然散策」平成18年2月 ◇歩行距離 18km 25,000歩

「通過時間等」自宅8:50-JR板橋駅9:20-同大宮駅9:50-同蓮田駅10:05=川島久伊豆神社10:20=なかよし橋10:30=真淨寺10:40=黒浜沼10:50=蓮田市役所11:30=西城沼公園11:45=元荒川河川敷公園12:05=宮前橋12:20=JR蓮田駅12:42-同大宮駅13:08-都営三田線新板橋駅14:04-自宅14:35

獣道へ迷い込んだ日向山から見城山

春になりそろそろ山歩きへの移行時期で、低山を歩き足慣らしを考えていた。新ハイキング誌3月号に格好のコースを見付け、最寄り駅が小田急線伊勢原駅で、バスで日向薬師へ入る。弟へ連絡し、日程を調整して、伊勢原駅に待ち合わせた。これまでハイキングの途中に日向薬師は数度訪ねている(最後は01.10.13)。

日向薬師から日向山へ 日向薬師入口でバスを降り、参道から薬師様へスタート。長い参道は記憶に残っていたが、結構な坂。そうだっけと首を傾げながら本堂前へ出て、2人で参拝。改修されたようで、古い木造造りお堂が一新されている。裏へ回り、日向山への登り口を見付け、山道を上がる。急な坂道は久しぶりで辛い。ゆっくりゆっくり足を運び進む外はない。里山は常緑樹に覆われ、左の谷は深い。小さな鞍部に至り、山頂へ右折。緩やかな上りとなりペースも掴めて来たようで、少し楽になった。弟は苦戦しているようで、離れてしまった。一本道で案内柱もあり、先行する。小さな日向山頂(404m)に着くとご婦人グループが休憩中。祠に挨拶後、ベンチに腰を下ろし弟を待つ。前方が開け平塚方向だろうか。弟も上がって来た。

七曲り峠、見城山 次の見城山へ向け、下り始める。持参したストックをザックから出し下りに備えた。里歩きとは違い大きな段差や急降下もあるが、山道では当然のこと。七曲り峠に下りて、また上りに掛かる。これまでよりは荒れて道が分かり難いが、道らしき痕跡を拾いながら上がり続け、見城山(375m)へ到達(写真上)。休憩後、七沢温泉へ下山開始。前方の鹿除け金網柵の扉を出て、ビックリ。急な下りに加え、道は荒れている。普通の歩きは無理で、時々蟹のように横歩きし下り続ける。間違えたかなと思ったが、他に下山口はなかったし上り返すのも辛い。確か山名と城跡の案内は見たが、コースや方向の標識は見当たらなかったと思う。

獣道へ迷い込む 一旦平らな地に下り、藪で道を失ったが、弟がフェンス沿いに踏み跡を見付け、下り続ける。年に数人通った程度の獣道。それでも、2人は何とか下る。弟も棒きれをストックにしている。前方の木立の間に人が見え、人里へ出ると少し安心。山作業用の道となりホッとする。また金網フェンスの扉を開け、林道へと出た。人に出会い、方向を尋ねると右が広沢寺温泉と教えてくれた。そうすると方向が逆で、後に見城山からの予定コースとは反対の山裏側へ下りたと分かった。左に大きな岩壁があり、ロッククライミング中で(写真下)、先程見えたのは岩に取り付いたクライマーであった。岩壁は滑岩(弁天岩)と知る。林道を温泉へ下りながら、弟は、以前鐘ヶ岳から下った道(14.9.8)という。そう言えば、見覚えのある風景もあり、道路右に蓮池を見て、その通りと頷いた。バス停手前でバスが来て止まってくれ、本厚木駅へ。駅前で食事し弟とリベンジしようと別れた。先日催促があったが待って貰っている。(2017/04/19 K.K. 1099/1100)

◇日時 2017/4/2 ◇天候 晴 ◇資料 神崎聡「日向薬師-日向山-見城山-七沢城址」新ハイキング2017年.3月46頁 ◇歩行距離 13km 18,000歩

「通過時間等」自宅7:50-新宿線神保町駅8:42-小田急新宿駅9:01-同伊勢原駅10:15-日向薬師入口バス停10:40=日向薬師10:55=日向山11:40=七曲り峠12:00=見城山12:15=林道12:50=広沢寺温泉入口バス停13:25-小田急本厚木駅(昼食)14:00/14:55-都営新宿線新宿駅16:20・・・自宅19:00

開花状況を見ながら都心を歩く

東京では、3月21日に開花宣言があり一週間過ぎたがその後の進展がなさそうだ。我が家前の桜も蕾から一部が咲き開いた儘の状態。雨や寒い日が続いているからだろう。毎年、私は、花見ウォークを楽しむ時期で、新規な花見先を探しながら、見頃を待っている。テレビや新聞では、その後の桜情報は見当たらない。自分で確かめようと、晴れた本日、標準木のある靖国神社を含め、市ヶ谷から大手町へ歩いてみた。

 靖国標準木は開花しただけ 都営新宿線市ヶ谷駅から靖国通りをスタート。直ぐ近くに東郷公園があると知り、路地へ入り寄る。あの”天気晴朗なれども波高し”の東郷元帥の屋敷跡とある。小さな公園内に桜があり、一本だけ咲き始めた状態。カメラに収め、靖国通りへ戻る。自然は明解で、通り並木の陽が当たる側の桜はそれなりに咲き始めているが、ビルの陰側は開花したばかりの状態。

靖国神社境内に入り、標準木へ近付く。柵に囲まれた桜木が見付かり眺めると、確かに咲いてはいるがごく僅かの枝のみ(写真上)。先日、ラジオでお天気キャスターが樹の老若で差があり、老木は早く、標準木はその例と解説していた。それでも咲き始めただけの状態だろう。これでは未だ未だだと思いながら、境内を歩いていたら満開の桜があったが、良く見ると紙の模造桜であった。

見事なハナダイコンの薄紫 靖国通りを歩道橋で渡り、北の丸公園へ。濠先右は千鳥ヶ淵だが桜は未だで人出はなさそう。濠にはボートが一艘遊んでいるだけ。左先は九段会館。廃館したと聞いたが修学旅行の宿泊所であった。田安門から武道館前へ。昨年長孫の大学入学式はここだったと聞いた。2年生になる最近の孫はバイトしながら学生生活を楽しんでいるようだ。園内遊歩道へ入ると紫の花が咲き花畑を埋めている(写真下)。この時期に出会う柔らかそうな薄紫の野の花は春らしく、好きな花。私はダイコンの花と思っていたがそうではないらしい。カメラに収め、帰宅後図鑑で調べると、オオアラセイトウ、別名ハナダイコンとある(新潮文庫「散歩で出会う花」109頁)。図鑑は900号達成記念にハイク仲間に戴いたもの。

北桔橋門から二の丸庭園 皇居東御苑へは、初めて通る北桔橋門から入苑。右に江戸城天守台の石垣を見て、梅林坂を下り二の丸庭園へ。丸の内の高層ビルを背にした日本庭園の景色も面白く、良い。外国人観光客が多い。当苑は、孫怜と一緒の時(11.6.25)以来だが、その時は大手門から平川門とメインコースだったが、今回は裏コースで苑内も初めて見る石垣や坂、庭で、雑木林はあるが桜は見当たらない。大手門を出て、濠端に2.3分咲きの花を最後に見て丸の内に着き、花見ウォークはこれからと確かめ、歩き終えた。(2017/04/14 K.K. 1098/1100)

◇日時 2017/3/28 ◇天候 晴 ◇資料 「北の丸公園皇居東御苑」2017.3 ◇歩行距離 7km 9,100歩

「通過時間等」自宅10:30-新宿線神保町駅11:16-同市ヶ谷駅11:25=東郷公園11:30=靖国神社11:40=北の丸公園11:50=北桔橋門12:10=二の丸庭園12:20=大手門12:40=丸の内勤務先12:55

群馬榛名に湧水、湖、古社を訪ねる

昨年末、アクセス不便な那須山中に車で尚仁沢湧水を案内して貰い(16.11.6)、栃木奥地にある名水百選の湧水沢を記録に加えることが出来た。今回も、Sさんに群馬も榛名北山麓吾妻線沿いにある箱島湧水へ車を出して貰うことになった。近くの榛名湖、そして榛名神社をもコースに予定した。

渾々と湧く箱島湧水 三連休の中日、関越高速は混み約1時間遅れで渋川インターを出てJR吾妻線沿いに走った。当地は意外に山の中で山峡の地。事前に地図を眺めたがそうは理解できず、地図読みが甘いというか未だ不勉強を恥じる。カーナビは正確で、小さな交差点から湧水へと導いてくれ、坂を上がった山中に駐車場があった。車を降り、箱沢湧水は直ぐ近くで、杉の大木をバックに箱島不動尊の石段脇に名水百選の泉水は渾々と湧いていた(写真上)。案内によれば、榛名湖へ通じ湖から流れ出ているとの伝説があるという。その位、大量の湧水が流出している。一口含み無味だが美味しい。不動尊に参拝すると、地元の方が倒木を片付けていた。社殿を外れて助かったとニコッとされ話してくれた。私はペットボトルを忘れ、近くにあった空ボトルを拝借し、清水を汲んだ。
榛名湖、榛名神社 榛名湖へ向かう。山中の集落を過ぎ、伊香保からの道路に合流し見覚えのある風景が断続する。榛名湖周辺は数度歩き、左手に関東ふれあいの道があり、車窓から特徴ある磨墨岩(スルスイワ)が見えた(02.7.21)。榛名湖は氷が貼っているが半分ほど(写真中)。ワカサギ釣りの名所と思うが温暖化した現在では不可のようで、釣り人の姿はない。湖畔の食堂に入り昼食。客はごく僅かだが、隣国人の客もいてご時世であろう。天ぷらうどんは店の薦め通りであった。
榛名神社へと走って貰う。天神峠を越した際、10数年前とろとろと歩いたことを思い出した。車では近く、再々訪の私はSさんを案内し参道を行くが、記憶にない長い坂が続き、矢立杉の故事は謙信と思っていたが信玄で、大杉の位置も違っていた。記憶と一致したのは奥社裏の御姿岩(写真下)、覆い被さるような奇妙な形の岩にSさんもビックリ。右手の谷に氷柱を見た。
箕輪城跡へ 車は速い。未だ2時前。急遽、箕輪城跡を提案。私の知識ではそう遠くはない筈。カーナビを選択し向かってくれた。想定よりは時間が掛かったが田舎道を走り、到着。私は再訪で(94.6.5)、戦国末期、城主長野業政が信玄の上野侵略に抗した城。勝頼初陣の地で、最後は信玄の猛攻に落城したと僅かな知識を披露したら、Sさんに業政の子業盛の時と訂正された。大規模に遺る深い壕、多くの郭跡を巡ると郭馬出西虎口門が復元され真新しく、不似合いに見える。湧水、湖、古社そして城跡と1日で多くの名所旧跡を巡り、関越高速を戻って貰った。有り難うございました (2017/04/09 K.K. 1097/1100)

◇日時 2017/3/19 ◇天候 晴◇資料 JR東日本「名水と滝45選 10箱島湧水」◇歩行距離 8km 11,000歩
「通過時間等」自宅7:20-箱島湧水駐車場10:50=箱島湧水10:55/11:10-榛名湖畔(昼食)11:40/12:10-榛名神社駐車場12:20=榛名神社12:40=同駐車場13:10-箕輪城跡駐車場13:50=箕輪城跡13:55=同駐車場14:40-自宅17:10

甲州街道を上野原から相模湖へ

私の手許にある資料”甲州古道ウォーキング”を入手して久しい。これまで、大月駅から鳥沢駅、鳥沢駅から四方津駅、四方津駅から上野原駅と歩いた。また大月駅から笹子峠を越し甲斐大和駅へも歩いた。笹子峠手前で残る唯一の上野原駅から相模湖駅コースが気になっていた。今回、上野原駅へと向かった。

甲州街道を行く JR中央本線上野原駅に降り、坂を上がって中央高速道路を渡り、塚場一里塚から甲州街道だが、略図と山勘頼りで折良く一里塚跡に達し、隣の稲荷神社に挨拶し、街道を歩き始める。また高速道路を渡ると古い集落で、両側に農家らしき大きな家が並び、甲州街道の石碑があった(写真上)。諏訪神社を左手に見て坂を下る途中に諏訪番所跡を見る。大きく曲がりくねる道を歩きながら、一度車で通ったことを思い出した。近くの名倉在友人宅を訪ねた時上野原からの帰路だったと思う。直ぐ山梨と神奈川の県境と教えて貰った。私はそのまま坂を下って相模川に架かる境川橋を渡り、神奈川へ入ったが川を渡っては反対側で、コースではないと気付き橋を渡り返し、袂の小道へ方向を採った。坂を上がると、名倉入口の信号があり、コースの国道20号(現旧街道が合流)と確かめる。次が関野本陣跡だが、略図から裏の道と読み歩道橋から裏道を探したがなく、直進すると本陣跡は案内板だけ国道端に立っていた。
 コースを離れ国道20号を進む 藤野駅前を通過し同駅は名倉の友人宅の最寄り駅で見覚えがある。国道を歩き続け、吉野橋を渡り吉野宿(写真下)。吉野宿郷土資料館があり宿場パンフを期待したがなく、お雛様が飾ってあった。右手に勝瀬橋を見て略図を確かめ、ビックリ。甲州街道コースは資料館手前で国道から山側に直角に折れていた。大分進んでしまい、今更Uターンは辛い。そのまま国道を歩き続ける。自動車の往来が激しく、トラック類がひっきりなしに上下し怖い位で、舗道端をキープ。右下は落ちて相模川だが湖のように流れは見えず、広い。
相模湖駅にゴール 脚に疲れが出始めコース後半の筈だが、相模湖の街並みは見えない。小さなトンネルを抜け、ラーメン店先で山側へ回った甲州街道と再度合流する。往時相模川の谷を避け山側となったのだろう。山際と相模川の狭い間に国道、高速道路、JR中央線の3本が並列し、歩道は高速道路下の高架となり、歩きやすいが五月蠅く、眺めもない。高架を降りて相模湖の街・旧与瀬宿に入り、与瀬神社下から明治天皇巡幸記念碑を見て、信号のある交差点を相模湖駅へ左折した。
当初、歩き終えたら名倉の友人に連絡し食事もと考えていたが、二度もコースを誤り、後半の車道歩きに疲れ、電話をする気力は失い、高尾行きの電車を待った。 (2017/04/04 K.K. 1096/1100)

◇日時 2017/3/17 ◇天候 晴 ◇交通費 1,230円 ◇資料 JR東日本八王子支社「甲州古道ウォーキング相模湖→上野原駅」 ◇歩行距離 16km 22,000歩
「通過時間等」自宅8:05-新宿線神保町駅8:49-JR高尾駅10:18-同上野原駅10:40=塚場一里塚跡11:00=諏訪番所跡11:20=境川橋11:30=関野本陣跡12:10=藤野駅前12:25=吉野川橋12:50=勝瀬橋入口13:10=JR相模湖駅14:12-京王高尾駅14:25-三田線神保町駅15:33-自宅16:10

満開であった根府川のおかめ桜

テレビから得た桜情報は、神奈川根府川の桜であった。ネットで調べるとおかめ桜で、染井吉野以外にも桜があることは知っていたが、おかめ桜は初めて聞いた種類。外国人が研究し交配した桜で、淡い紅色の一重咲き、下向きの花が特徴、早咲き種とある。おかめは日本語で美人の意味から採択したらしい。どんな桜かと楽しみである。

 根府川おかめ桜は満開 JR根府川駅の小さな駅舎を出ると、駅前広場に咲くおかめ桜は満開であった。濃いピンクの桜花が樹全体を覆っている(写真上)。これがおかめ桜かと近寄り、見上げ、シャッターを切った。河津桜とも違い色が濃いと思う。これは期待出来そうと桜祭第1会場を目指し、駅前街道を行く。集落を出た分岐点で、祭幟が示す方向を間違え、戻る羽目に合う。山坂の道に至り、結構急でハイキングらしくなったと苦笑。また濃いピンクのおかめ桜に出会う。道端に2本ほどの桜木が全体に花を付け、咲き誇っている(写真下)。カメラに収めた。祭会場に近付いたようで、ちらちらと帰りの見物客と交差し始める。山腹の道下が第2会場で、咲く花と見物客が見下ろせるが通り越し、奥の第1会場へ。
祭第1会場から第2会場へ さらに坂を上がり続け会場の料理店へ着く。この店の庭周辺が花見会場のようだが、桜はポツリ、ポツリと数本だけ。並木や林ではない。本日店は休みで、当てにしていた昼食は取れない。花を求め裏山を回る。展望台があり、山の間から海が見え、相模湾だろう。肝心の桜は少なく拾い歩きだが、菜の花が満開。黄色の花は春に映え、桜を引き立てている。一回りし、第2会場へ。
山裾の小さなホテルの庭に、桜が咲いている。見物客に付いて満開の花を見上げたが、花はこれからの樹もある。陽当たりの違いのよう。レストランがあり、食事にするがメニューにある海鮮ものは売り切れという。昨日テレビで放映され本日は客が多いとの会話が漏れ聞こえた。カレーライスにした。第3会場もあるが離れている上、庭木程度の花のようだから省略し、駅へ戻る。往きに、満開のおかめ桜に出会った地点で、反対側に薄いピンクの桜を見付け、染井吉野かなと思ったら、河津桜と記してあった。その位、両桜のピンクの濃さに差があり、おかめ桜は紅色である。
根府川鉄橋 途中、白糸川に架かる赤い鉄橋があり、階段から坂道を下って鉄橋下へ出て、アングルを探したが、期待した程の風景ではない。橋の先はもう海である。
帰路小田原駅で、駅前商店街の中にある北條氏政、氏照の墓に寄る。以前探すも到達出来なかったが、今回は見付かった。寺の跡地で、現在は商店街の一画に、小さな墓地は遺っていた。本厚木駅に途中下車し、同級生と懇談。ハイキング仲間で、今回は不都合であったが、また歩こうとなり、夏の鳥海山登山の話しも出た。(2017/03/29 K.K. 1095/1100)

◇日時 2017/3/9 ◇天候 晴 ◇交通費 2,120円 ◇資料 片浦活性化推進協議会根府川支部「根府川おかめ桜まつり」 ◇歩行距離 11km 16,000歩
「通過時間等」自宅9:25-新宿線神保町駅10:06-新宿駅10:21-JR小田原駅12:09-同根府川駅12:20=祭第1会場12:55=同第2会場(昼食)13:20/13:50=根府川鉄橋下14:15=JR根府川駅14:26-同小田原駅14:35=北條氏政墓14:40=小田急小田原駅15:00-同本厚木駅15:45/17:21-新宿線新宿駅18:25-三田線神保町駅18:37-自宅19:15

河津桜を求め奥武蔵すみよしの桜の里へ

最新購読誌に、河津桜を訪ねるハイキングコースが掲載された。渡りに船と、見頃の時期を待った。すみよし桜の里の最寄り駅は東上線若葉駅で、ホームグランド奥武蔵内の坂戸市だが、私の歩く山々とは、東上線を挟んだ反対側の田園地帯で、縁が薄く、最近では越辺川に白鳥を探した位だ(15.2.8)。

 大宮住吉神社に参拝 若葉駅に降り、コンビニで略図をコピーしスタート。駅前から正面の通りは二度目で、左折地点を探りながら行く。行き過ぎたようだが工業団地で左折し、予定より先で合流した筈で、コースを進んでいるよう。農村風景となり、左手に学校が見え始め、住吉中学校。校庭ではテニス練習中。良く見ると軟式のよう。私の中学時代を思い出した。当時では珍しく田舎なのに軟式テニス部があった。学校前で、先に森が見え、森内が大宮住吉神社だろうと脚を向け、野道へ入ると一本手前で、畦道を通らせて貰い、弁天池から境内へ。足下に春の野草イヌノフグリを見た。
大宮住吉神社は古社で、境内は広く本殿の外、立派な神楽舞台があり、大木が聳える(写真上)。源義家が奥州平定の際祈願し、頼朝より北武蔵の総社に指定され、家康は勅願所としたとある。私も参拝し、孫達の成長をお願いした。一本の木がピンクの花を付け早咲きの桜。その根元には黄色のラッパ水仙が咲き、カメラに収めた。直ぐ先が西光寺。山門前で遊ぶ猫達に誘われ詣でる。道端の梅畑は満開。数多い白い花を付けた梅花を観るのも久しい。目の前が、目指すすみよしの桜の里のようで、足が速まる。
桜は5,6分咲か すみよしの桜の里は、地元の方が、谷治川、飯盛川沿いに1kmに渡り、河津桜を植えた桜並木。私は、谷治川白山橋から下る。右岸に、桜木は連なり咲き始め花を付けている。しかし、若い木で、5.6分程度で盛りではない。河津桜だがピンクが濃くはないと思う。事前にネットで調べ、花期は2月下旬から3月中旬とあり、今年は暖かく少し早いだろうと本日としたが外れた。それでも、花の下をアングルを探しながらゆっくりと進む。見物客は多い。飯盛川と合流し渡戸橋を過ぎると、地元の売店が出ている。昼時で、私は、テント下ですいとん食べる。値段の割りには美味で、空き腹を満たした。
バスで若葉駅へ また川沿いを下り桜並木が切れた。この後もコースに従い、雷電塚古墳を巡る。小さな集落内の空き地に塚が遺り、前方後円の古墳。埼玉には古墳が多いと思う。昨年西大宮駅前でも見た(16.11.10)。これを最後に若葉駅へ方向を採る。途中で道を誤り、往路の住吉中学校前へ出てしまい、修正し、左手に見えた聖天宮に近づき外側から眺める。平成7年に出来た中国・台湾の道教の廟で、原色で彩られた煌びやかな中華風の建物が美しい。少し歩いて、戸宮交差点バス停で、若葉駅行きバスを待った。(2017/03/24 K.K. 1094/1100)

◇日時 2017/3/4 ◇天候 晴 ◇交通費 990円 ◇資料 宇山清太郎「すみよし桜の里-聖天宮」新ハイキング737号119頁 ◇歩行距離 12km 16,000歩
「通過時間等」自宅9:30-東武成増駅9:57-同若葉駅10:40=住吉中学校11:30=大宮住吉神社11:45=西光寺11:55=白山橋12:10=すみよし桜の里(昼食)12:20=雷電塚古墳12:30=聖天宮13:05=戸宮バス停13:20-東武若葉駅13:38-同成増駅14:24-自宅14:50

河津桜を観に新宿から代々木へ歩く

河津桜観桜2017である。新聞情報で、代々木公園に咲いたと知った。数年前、三浦半島で河津桜を観て以来(13.3.10)、濃いピンクの桜花に魅了された。桜と言えば、染井吉野だが、花色の比較から、私は河津が好きだ。桜木を覆い重なる濃いピンクの花の群は妖艶ささえ感じる。伊豆河津が本場だが中々チャンスがなく、近くの河津桜は是非訪ねたい。

新宿御苑外周を行く 代々木公園だけでは里歩きには足りない。何処かプラスをと思っていたら、折良く、乱雑な机上から、小田急「自然ふれあい歩道新宿~南新宿駅コース」が出て来た。都営新宿線新宿三丁目駅を出て、太宗寺を探す。新宿も繁華街の端のようで飲食街。寺の名前から再訪かなと訝りながら境内へ入り見渡すと、六地蔵があり、やはり来ていた(05.6.13)。軽く参詣後、御苑へ近付き塀沿いを行くと、知り合いの事務所下。えっ、ここなのと一瞬寄ろうかと考えたがこちらは遊びの途中で、場違いと気付いた。
鉛筆の碑は真崎鉛筆 御苑大木戸門前から、四谷大木戸門跡碑、玉川上水水番所跡碑を眺め、大交差点で右へ渡り、住宅街へ。マップでは鉛筆の碑がある筈。先に見えた社は多武峯内藤神社で、寄って詣でる。新宿にお屋敷があった高遠藩内藤家に由来するらしい。狭い境内にある小さな石碑が鉛筆の碑(写真上)であった。三菱鉛筆の元祖真崎鉛筆を記念したもので、1887〈明治20)年当地創業とある。約30年前、私が担当した制度史編纂の際、調べて書いたことがあり(「工業所有権制度百年史・上巻」358頁)、真崎鉛筆は知っていた。 新宿御苑外側を大回りし、大京町から千駄ヶ谷駅前、そして北参道交差点を直進し、明治神宮内へ。この時期の都心の森は、緑色は残るが微妙な色合い。広い参道には外国人も多い。今回は参拝はしないで、原宿駅口へ出て、本命の代々木公園へ急ぐ。
公園奥に咲く河津桜 代々木公園は広い。河津桜を求め、奥へ奥へと進むが花は見当たらない。園内には、運動する部活の学生、遊び談笑する母子達、散策中の高齢者等々、いつもながら多くの人達がそれぞれである。中々到達できず、ほんの1,2本の桜が針小棒大に報道されたのではと疑念が生じ始めた頃、右先からピンク色が飛び込んで来た。あったと、ピンク先を目指した。
河津桜は咲き、満開状態(写真下)。それが4,5本が固まり、桜を囲んで、若者やご婦人達が眺め、また携帯を翳している。私も、ようやく出会えた思いで、桜木に近付き、眺め、ベストアングルを探した。木々は太くはなく、10年位か。中でも、一番咲き振りが良い木のベストポジションを見付けて、シャッターを切った。友人達へもと携帯にも収めた。満足とまでは行かないが、前回座間谷戸山公園で観たよりは増しと思う。そんな気分で、広い公園を出て、小田急代々木八幡駅へ向かった。 (2016/12/27 K.K. 1093/1100)

◇日時 2017/2/27 ◇天候 曇り ◇資料 小田急電鉄「小田急自然ふれあい歩道 新宿~南新宿駅コース」 ◇歩行距離 10km 14,000歩
「通過時間等」自宅9:35-新宿線神保町駅10:17-同新宿3丁目駅10:30=太宗寺10:35=大木戸門跡碑10:50=多武峯内藤神社11:00=信濃町駅前11:15=明治神宮北口11:30=代々木公園入口11:45=代々木公園河津桜12:00=同参道口12:15小田急代々木八幡駅12:30-新宿線新宿駅12:43-三田線神保町駅12:57-自宅13:55

座間谷戸山公園に河津桜を見る

弟から催促メールを貰ってしまった。先日、購読誌に彼が住む近くの日向薬師から七沢温泉への山歩きコースを見付け、情報提供していたからだ。しかし、前回の身延山久遠寺の石段上がりで筋肉痛が出てしまい、脚が痛く、山歩きは無理な状態。妥協として、小田急沿線に座間谷戸山公園の里歩きコース(るるぶ「里山ウォーキング 座間谷戸山の谷戸へ」2003,63頁)を探し、弟も同意してくれ、座間駅に集合した。

谷戸山公園水鳥は定休日 座間駅に着くと弟は待っていた。聞くと当地は少し土地勘があるという。彼の案内で、小田急線に沿い谷戸山公園を目指す。里山の裾を行くと距離はなく10分程で公園西口に着き、長屋門が迎えてくれた。古民家の里山体験館へ入り、案内パンフを貰う。民家内部は大きな農家の造りで、我々が子供の頃故郷で出入りした親戚の家々を思い出させた。
園内一周しようとコースに従い雑木林に向け坂を上がる。木々は未だ裸で春は遠そう(写真上)。時々はジョガーや散策者と挨拶を交わしながら、山腹トラバース状の遊歩道を進む。園中央に水鳥の池があり、観察小屋がある。我々は、坂道を下り池正面へ出たが、期待した水鳥の姿はない。良く見ると奥の岸辺に数羽の鳥が休んでいるようだ。やや大きめでカルガモらしい。弟は、池中にカワセミ用止まり枝を見付けたが、周囲にも鳥の様子は窺えない。諦め、遊歩道を戻ると、大きなカメラを抱えた高齢者夫婦に出会い、挨拶。思わず、”鳥達は定休日のようです。”と口走ってしまった。
 河津桜が満開 広場から伝説の丘へ。曇り空だが大山から丹沢の山々が望めた。丘下にピンクの花を付けた樹を見付け、近付くと川津桜。三本あり濃いピンクの花が満開状態(写真下)。好きな花、桜で今年は是非訪ねたいと時期を待っている。先日伊豆で開花したとの報に接したばかり。本日期せずし出会いしっかりと眺め、カメラに収めた。弟は、散り始めではないかと言いながらもシャッターを切っている。直ぐ西口だが未だ1時間歩いただけ。
座間の社寺を巡る 先程座間駅で入手した”小田急自然ふれあい歩道座間駅コース”に従い、小田急線高架下から冨士山公園、護王姫大明神、そして星の谷観音を巡る。護王姫は義経夫人で、奥州へ義経を追ったが当地で難産のため亡くなったという。墓標とした大欅が今も境内に聳えるが、2人で眺め、東根の方が遙かに巨木だねと頷きあった。星の谷観音の銅鐘は重文とある。参拝後、座間駅へ戻る。駅は近く、丁度昼時。駅前食堂で食事後、座間駅で弟と分かれ、次のハイキングに日向薬師からのコースを約束した。(2017/03/15 K.K. 1092/1100)

◇日時 2017/2/22 ◇天候 晴 ◇交通費 910円 ◇資料 小田急電鉄「小田急自然ふれあい歩道 座間駅コース」 ◇歩行距離 10km 14,000歩
「通過時間等」自宅8:20-新宿線神保町駅8:58-小田急新宿駅9:18-同座間駅10:15=谷戸山公園西口10:25=水鳥の池10:40=伝説の丘11:05=冨士山公園下11:20=護王姫大明神11:40=星の谷観音11:55=座間駅(昼食)12:10/12:43-新宿線新宿駅13:40-三田線神保町駅13:51-自宅14:25

身延線で久遠寺に詣で、富士川沿いに走る

甲府に宿泊した翌日、予定通り身延山へ向かった。我が家の宗派ではないが以前から訪ねたく機会を待っていた。調べたことがあり、甲府からは遠く、信州松本からの帰りに途中下車して寄るという訳にはいかないと分かった。若い頃下部温泉へ職場旅行した際参拝し、長い石段に苦労したことは覚えている。

身延山へ 甲府駅南口の信玄像に挨拶し、身延線特急に乗車。電車は田園地帯から山間を走る。里山には雪はなく、奥に覗く白の高峰は南アルプスだろう。山深い地を走り続け、鰍沢口、下部温泉を通る。鰍沢は古典落語で知る地名。下部温泉では、信玄隠し湯に入ったが温かったと思う。約1時間で身延駅に着き下車しバス。駅案内所で、石段は大変だから坂を上がった方が良いとアドバイスされた。門前街でバスを降り、久遠寺へ。土産店が並ぶが今一活気がない。冬期でシーズンオフだからだろう。
石段に挑戦 商店街を出ると大きな寺門・三門が目の前に現れた。大きさや黒色が異様な程の門だが、記憶にない。潜ると杉並木の先に石段が見え始めた。当然今回も上がるが、287段あり7ブロックからなると知る。ゆっくり、休み休みであれば何とかなるだろう。最初は一気に踊り場まで上がってしまい、張り切り過ぎ。真ん中に手すりが設けられ掴まり、時々は休みを入れ上がり続ける。同時に取り付いた3人と前後になりながらで、同年配だろうか。踊り場左に抜け道が見えるが無視し、石段を行く。どうにか約15分で300段弱を上がり切り、見下ろすと結構急で(写真上)、記念にカメラに収めた。
久遠寺本堂内へ入り賽銭を出して参拝し、孫達の成長をお願いした。お堂ではお坊さん1人読経中で、静寂、荘厳さを感じていたが、突然の咳込みがこれを砕いた。境内に日蓮上人のお墓の案内があり、序でにと足を向けるも、境内は広く中々見付からない。諦め掛けた頃、また案内に出会い、お墓へと導かれた。上人のお墓は笠、胴のある大きな立派なもの。手を合わせた後、坂を下った。
富士川沿いに静岡へ 身延駅から乗車した富士行き2両電車は富士川沿いに走る(写真下)。車窓から大河を眺めながら、戦国期前後から舟運が発達し、それで、今川家と武田家が姻戚関係に結ばれ、信玄は、甲斐を出て駿河から浜松迄侵出出来たのではないかと愚考した。その通り、十島駅、稲子駅辺りで峠や渓谷もなくあっさり県境を越え静岡へ入った。ネットで調べると、明治期になり、富士川の舟運業者達は鉄道建設に反対した程であったようだ。
富士山が見え始め、当初右側へ現れ方向が不明になったが、身延線は、いつも見る富士とは反対側、南西を走っていると気付き、富士宮駅付近では大富士はその位置に落ち着いた。身延線で、甲府、鰺沢口、下部温泉、身延山、そして富士宮と初めて回り、楽しい旅となった。富士駅で東海道線に乗り継ぎ、三島駅からは新幹線で帰途に就いた。(2017/03/10 K.K.1091/1100)

◇日時 2017/2/18 ◇天候 晴 ◇交通費 3,500円 ◇資料 身延山ロープウェイ「癒しと信仰のパワースポット身延山」 ◇歩行距離 7km 10,000歩
「通過時間等」ホテル8:00=JR甲府駅8:44-同身延駅9:40-身延山バス停9:55=三門10:00=久遠寺本堂10:20=日蓮上人お墓10:50=身延山バス停11:10-JR身延山駅13:34-同富士駅14:02-同三島駅14:50-同東京駅15:54-三田線巣鴨駅16:19-自宅16:50

甲府に行き武田神社、甲府城跡を再訪する

同業者の会合が甲府で開催された。私の出番は午後15時で終わり、夕方のパーティまで時間が空いた。折角だからと武田神社参拝を思い付いた。数年前奥の積翠寺から要害山城跡を歩いた時寄ったことがある(10.4.3)。その時の経験では甲府駅から徒歩30分位だったと思う。時間的には十分間に合う。ホテルに資料等を預けた。

 甲府市街から武田神社へ ホテルを出ると小雨がぱらついている。本日春一番が吹き気温16℃の予報のようで、寒さはない。傘を指すほどではなく、甲府市役所前を過ぎ、左が県庁、右が甲府城跡。JR線路を高架橋で渡り、市内が見渡せる。甲府は、私にはきれいな住みやすい街のように感じる。高層ビルは少なく、乱雑さやけばけばしさがない。それは、碁盤目のようにきっちりと市内を縦横する道路の所為かもしれない。そんなことを想いながら、駅北口から武田神社へ直進する道へ入った。次第に傾斜が現れ緩やかな坂道を上がり続け、山梨大キャンパスの間となる。バス停名に”梨大前”を見付け、嘗て友人と交わした話しを思い出した。前職場時代ことだが共通の知人が辞め、”山大”へ行くという。私は、山形大と思ったが、山口大であった。その時、当山梨大も、”山大”かななどと思い巡らしたことがあったのだが、違っていた。
武田三代の城跡 住宅街を過ぎ、正面にようやく神社が見え出した。濠に架かる橋から境内へ入り、本丸跡の社殿で参拝。そしてほぼ四方形の城跡躑躅ヶ崎館を巡る。東方の大手口先には丸馬出のある郭が最近発掘したような土むき出しの儘の状態。反対の二の丸へ回り、内枡形を見る(写真上)。3度目の来訪と思うが初めて見る遺構で、カメラに収めた。当館は、戦国期に活躍した信虎、信玄、勝頼三代の居城であるが、信虎時代駿河今川氏に攻め込まれ、一時は詰城の要害山城へ後退し、その後なんとか今川勢を追い返したようだ。信玄はその時誕生したがその地が当城ではなく、要害山山麓の積翠寺であったのはそんな事情があったからと知った。
近世の甲府城跡 信玄の墓がある近くの寺を目指したが探せないままバス時間が迫り、バスで市内へ戻って県庁前に下車。バス停直ぐの鍛冶曲輪門(写真下)から、戦国末期築城の甲府城跡へ登城。当城も再訪で(12.7.27)、その時は改修工事中であった。現在は出来上がっているようだが、工事中の箇所もある。整備、改修された石垣や門、土塁を眺めながら、石段を上がり鉄門を通って天守台下へ。天守閣はなかったというのが通説らしい。天守台へ上がったが曇り空では周囲の山々は見えない。南アルプスの展望もあるのだろうが。ホテルへ戻りパーティに参加し、翌日身延山へ回る予定と話したら、当地の方が、身延線は車窓の景色が良いと推薦したくれた。(2017/03/05 K.K. 1090/1100)

◇日時 2017/2/17 ◇天候 小雨後曇り晴 ◇交通費 3,650円 ◇資料 有峰書店新社「戦国武田の城」昭和63年4月、17頁 ◇歩行距離 5km 7,000歩
「通過時間等」ホテル15:10=甲府駅北口先15:20=山梨大前15:40=武田神社15:55/16:15=護国神社前バス停16:30-県庁前バス停16:45=甲府城天守台跡16:55=鍛冶曲輪門17:05=ホテル17:15

千葉船橋に葛飾湧水を探し歩く

首都圏を広域的に歩こうと今回は千葉県にコースを探し、葛飾湧水を見付けた。新ハイキング誌総目次から掲載誌を探すも、本棚にある筈だが抜けている。処が、偶然にも昨年末北総台地を歩いた時持ち帰った広報誌”京成らいん”(2016年12月)に掲載されていた。葛飾は古い地名で、現在は都内に葛飾区があるが、以前は市川、船橋を含む東京都、千葉、埼玉に跨る地名であったらしい。

二子浦の池、戻って二子藤の池 都営新宿線終点本八幡駅から歩き出す。駅前商店街、市川市役所前を過ぎ、並行する京成本線の駅から現在地を読みながら国道14号の千葉街道を行く。湧水だから郊外の田園地帯かと思っていたが、家並みは切れない。鬼越駅、京成中山駅を過ぎ、そろそろかなと思ったら、道路右に、”二子浦の池”があった(写真上)。大きめの個人宅の池程度で、澄んでもいない。案内板が立ち間違いないだろう。エッ、そうすると手前にあった池が”二子藤の池”だったのかと思い直し、慌てて戻った。綺麗でもなく傍に建つ家の池と思い通り越してしまった。藤棚の下に池があり、通りの反対側に案内板があった。当地は鎌倉時代以前は海岸で、二子浦と呼ばれていたが、その後干拓が進み、北側台地に降った雨が南側の当地に湧出し、農業用や生活用に使われていたという。
また戻って葛飾神社の池 千葉街道を、次の次葛飾神社の池を探しながら進む。しかし、中山競馬場への交差点を過ぎ葛飾神社前になってしまった。略図を確かめ、また戻って住宅街の間の小路へ突入すると、”葛飾神社の池”があった。当てずっぽうで辿り着いたと言って良い。葛飾神社に詣でて、これから残る湧水池を巡るが、自信を失い略図の全池は無理だろうと思い始めた。
 京成西船駅地下道を通り、お屋敷風の住宅が並ぶ大通りの坂を上がり、この辺りかなと思うが、”太刀川の源流”は見付からない。通り掛かった方も知らないとの返事。右手に高架鉄道が走るが後に武蔵野線と知った。先に高い樹木があり行ってみたが小さな神社で、池はない。諦めて、ここで駅へUターン。
偶然ゲエロの池へ また山勘で小路へ入ると略図にある八坂神社。軽く参拝し小路を下った先に池があり、葛飾湧水の一つ”ゲエロの池”で(写真下)、偶然の出会い。嘗ては生息した牛蛙に因むネーミングらしい。集落内農家の間を進むと皆塀が回った立派な古い住宅が続く。三叉路近くのお宅の庭に見付かったのが、”葛羅の井”。江戸期に太田南畝が書いた石碑が建っていた。これで、太刀川の源流を除き、略図にある湧水群を探し当て、京成西船駅へ向かったが、ここは市川ではなく、先程来船橋であった。途中に、家康に当地栗原藩に封じられ子孫が犬山城主となった成瀬家の墓がある古刹宝成寺があった。(2017/02/25 K.K. 1089/1100)

◇日時:2017/2/14 ◇天候:晴 ◇交通費:140円、シルバーパス ◇資料:京成電鉄「京成らいん 中山~船橋歴史探索マップ」2016年12月 ◇歩行距離11km, 15,000歩
「通過時間等」自宅9:45-新宿線神保町駅10:28-同本八幡駅10:50=二子浦の池11:30=葛飾神社11:45=八坂神社12:30=ゲエロの池12:35=葛羅の井12:45=京成西船駅12:58-新宿線本八幡駅13:20-三田線神保町駅13:45-自宅14:20

味スタ駅伝応援前に武蔵野の森公園を歩く

所内ウェブサイトで、我が事務所チームが味の素スタジアムで行われる駅伝に参加することを知った。私も属する中大駅伝応援メンバー3人出場するとあり、行かなければならない。会場味スタは調布にあり、近くに武蔵野の森、そして調布飛行場がある。私はハイキングも入れた応援とした。スタジアム名の味の素はネーミングライトによる。

武蔵野の森公園、調布飛行場から味スタへ 都営三田線を神保町駅で乗り換えると、味スタ最寄り駅京王線飛田給駅へは直通。飛田給駅に降り、会場を確かめてから武蔵野の森公園へとし、先ず味スタへ。駅の正面先に大きなスタジアムはあったが、一部入口が開かれているだけで外側を眺める。名前は知るも見るのは初めて。私は、武蔵野の森公園を目指す。調布の当地は学園や運動公園が集中する地域のようで、サッカー場や野球場が続き、多くの子供達がプレーしている。左手に外語大キャンパスが見えると武蔵野の森公園であった。管理事務所で案内パンフを入手したが、私が知りたい初夏キスゲの咲く地の情報はない。また早とちりで、それは当公園ではなく、少し先の浅間山公園と分かった。
隣が調布飛行場で、細長いがそう広くはない(写真上)。存在や伊豆七島便の発着地位は知っていたが位置は不知であった。滑走路には航空機は見えず、管制塔側に小型の二機が駐機している。フェンス沿いを歩き途中で運動場の間を大通りへ出て、味スタへ戻った。
味スタ駅伝で我がチームを応援 スタの本日開門ゲートから入ると、中は観客スタンドに囲まれた大競技場で、東京ドームの倍位か。メインはサッカー場のよう。既に駅伝大会は進行中だが、手前スタンドの一部だけ使用中で、大半のスタンドは空席の儘(写真下)。我が事務所チーム席は、応援旗から直ぐ見付かった。駅伝は、一人6km(第一走者のみ)又は4kmを4人で走り繋ぐ。コースは第1コーナー先で場外へ出て第3コーナーへ戻る2kmコースを1人3周又は2周し、応援席下が中継ゾーン。順位競争ではなく、各チーム独自に走り楽しんでいるよう。
我が3チームの襷渡しは確認できるが、オレンジのシャツは多く、途中では見分けが付きにくい。あの有森裕子さんがゲストで、走者とハイタッチを繰り返し声を掛けながら応援し、盛り上げている。中大応援メンバーは3人ともアンカー。Tさんは二度目の走り。昨年の東京マラソンに事務所開設30年記念と、所長に煽られて出場し、いずれも見事フルマラソンを完走した実績の持ち主達。この程度の距離は何でもないだろう。その如く3チーム3人とも150チーム中の中位で無事ゴール。お疲れ様でした。近くの深大寺温泉で汗を流し疲れを癒やした後開かれた反省会には私もお相伴に預かった。お疲れ様でした。またお世話様でした。         (2017/2/19 K.K. 1088/1100)

◇日時 2017/2/11 ◇天候 晴 ◇交通費 480円 ◇資料 東京都公園協会「都立武蔵野の森公園」 ◇歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅8:05-新宿線神保町駅8:45-京王飛田給駅9:40=味の素スタジアム9:50=武蔵野の森公園10:15=調布飛行場10:20=味の素スタジアム応援席10:50/12:20-深大寺温泉12:55/15:40=水神苑16:00/18:10-京王調布駅18:28-三田線神保町駅19:10-自宅19:55

春近し旅立ち千住に像二つ

先日、友人と伊豆長八の鏝絵の話しを交わし、若い頃西伊豆へ職場旅行した時見たことを話した。左官長八の鏝絵は都内隅田川畔の神社にもあったことを思い出し、記録かある筈と帰宅後探し見付かった(03.12.31)。北千住を巡った記録を読み返すと近くに芭蕉の奥の細道旅立ちの碑があったことも記してあった。我が家から近く、案内に備え再訪しようと思い立った。2月に入り好天の初春の日である。

長八鏝絵を見る 私の歩き始めの地は、京成線千住大橋駅で、我が家から1時間弱。駅前案内図で見当を付け、5分で橋戸稲荷神社に着くと、社殿両側に狐の鏝絵があった(写真上)。長八は伊豆松崎から江戸へ出たという。参拝後、鏝絵にカメラを向けたが、絵が薄い上に保存用の硝子が反射し写し難い。それでも2,3度シャッターを切った。本物は本殿土蔵扉に描かれ、表へ出ているのは観賞用のレプリカらしい。
足立区の碑と像 直ぐ側が隅田川で千住大橋。袂の公園に芭蕉矢立始めの碑があった。事前にネットで調べると、元禄2(1697)年3月27日(旧暦)、”行く春や鳥啼魚の目は泪”と詠んだ旅立ちの地を巡り、千住論争というものがあり、足立区の北千住説と、荒川区の南千住説とに分かれ、それぞれに芭蕉像や石碑を建てているという。目の前の碑は北千住にあるもの。足立市場前に建つ像も見ようと、一端隅田川へ下り橋下を通ると、曽良と一緒の旅立ちの壁絵があった(写真下)。蕪村の絵を模写したらしい。旅立ち時大橋は既にあり、1594(文禄3)年普請奉行伊奈忠次が架けたと知った。川を上がり像を探すが見当たらず、広い市場を一回りすると、日光街道に面した正門隣にあった。壁絵とは違い、私には太った老人に見え芭蕉かなと訝った。
 荒川区の碑と像 千住大橋を渡り日光街道を足立区から荒川区へ。右手の古社が素盞雄(スサノオ)神社。境内に、旅立ちの130年後文政3(1820)年に文人達が記念に建てた句碑があり、本殿に詣でて、古い碑をカメラに収めた。荒川区の像がある日比谷線南千住駅前へ向かうが、地下鉄もここは地上駅。回り道するも探し当て、像を見上げると、先程の像とは違い痩せた老人風。またデジカメを向けた。
三ノ輪から都電に乗車 都営荒川線三ノ輪駅迄歩こうと、商店街を抜け日光街道を渡り、三ノ輪へ。当地は昨年訪ね(16.2.11)少し土地勘があり、想定通り商店街ジョイフルに達し、アーケード下を往復。小さな食料品店が軒を接して両側に連なり、人出もあるが、シャッターを閉めた店も見掛ける。若干の買い物をし、三ノ輪駅から三田線西巣鴨駅へ出た。車中、友人へ鏝絵の写真をメールで送ったら、後日薄くて良く分からないと返信があった。長八鏝絵が、前回の多賀城・壺碑に続き芭蕉になってしまったが、故郷の読者S先生からの先日の手紙にも、”旅に病んで・・・”の句があり、この処芭蕉尽いている。(2017/02/15 K.K. 1087/1100)

◇日時 2017/2/4 ◇天候 晴 ◇交通費 310円 ◇資料 山川出版社「東京都の歴史散歩上・下町」 ◇歩行距離 8km 11,000歩
「通過時間等」自宅13:15-JR巣鴨駅13:50-京成日暮里駅14:01-同千住大橋駅14:10=橋戸稲荷神社14:15=大橋公園14:20=足立区芭蕉像14:40=千住大橋14:45=素盞雄神社
14:55=南千住駅前芭蕉像15:15=三ノ輪商店街15:30=都電荒川線三ノ輪駅15:58-三田線西巣鴨駅16:35-自宅17:05

仙台へ行き多賀城遺跡の一端を巡る

仙台の先にある多賀城跡は、以前から知っていたが、私の好む戦国期の城跡とは違う位の知識はあった。手許の資料は、「多賀城 蝦夷地開拓の前進基地」(鈴木亨・日本の古城・名城100話)のみで、地図はなく詳しい遺跡等は分からない。ネットで現地の観光情報を打ち出し、帰りに会おうと、仙台在住の高校同級生に連絡した。

 多賀城駅、国府多賀城駅 仙台駅に着き、仙石線乗り換え時案内所で多賀城関係パンフを貰い、多賀城駅へ向かった。車中、パンフの略図を眺めていたら、遺跡起点は東北線国府多賀城駅とあり、ビックリ。多賀城駅が二つあると初めて知るも、時間的に仙台駅へ戻る訳にもいかない。そのまま乗車して多賀城駅に下車し、駅で、国府多賀城駅へは徒歩30分位と聞いた。私の想定と合い、タクシーもなく徒歩で、1番近い遺跡多賀城廃寺跡を目指す。歩きながら同級生に携帯を入れ、約束時間を1時間遅らして貰った。
多賀城廃寺跡へ 東北学院大学があり、キャンパスの塀に沿い北上する。同大学は古く、進学した山形の友人知人もいる。遺跡案内はしっかりあり、廃寺跡へはすんなりと辿り着いた。その名の通り、大きな寺院跡のような松林に囲まれた広い平地で、カメラに収めた。案内板があり、次の行き先多賀城碑や政庁跡は直ぐのような案内図。これはラッキーと歩き出し、直ぐ前が多賀神社だが黙礼し通過。大きな建物は東北歴史博物館。何故当地にと思ったが多賀城遺跡の影響だろう。案内図とは違い東北線踏切までも結構距離があり、右手先に国府多賀城駅を確かめ、中央公園へ。
壺碑、政庁跡 公園先に南門跡はあったが、多賀城碑、壺碑(ツボノイシブミ)を探しウロウロ。案内板では、直ぐ近くの筈だが探せない。正面上方は政庁跡、そして、目の前が土手で、土手を越した下にあり見えなかったのだ。現在では、石碑は堂で覆われた重文(写真上)、歌枕ともされる。762(天平宝字6)年に建立された碑には、陸奥出羽按察使大野朝臣東人により724(神亀元)年築城等と刻まれ、往時は西行や芭蕉も訪ね、芭蕉は感激し奥の細道にも記したという。東征した坂上田村麻呂が弓のはずで、”日本中央”と刻んだとの話しもある。文字は風化し薄く、格子の間からシャッターを切った。
丘上の政庁跡へ。正面南大路階段は工事中で、脇の臨時通路を上がる。やはり地方の豪族や有力者の館跡ではなく、私にも、当時の陸奥・蝦夷地方支配の拠点としての政庁跡に見える(写真下)。周囲には、更に遺跡や関係社寺が点在するが、時間がなく、政庁跡を下り、南門跡の痕跡遺構に出会いながら、冬のあやめ園を過ぎると畦道の先が東北線国府多賀城駅であった。
仙台駅で夕食 仙台駅構内で、同級生と夕食。色々話しが弾んだが、多賀城跡は広大で、多くの遺跡があり、東京から午後出て来て巡ろうというのは無理も甚だしいと言われてしまった。仰る通りで再訪したいと頷き、グラスを干した。(2017/02/09 K.K. 1086/1100)

◇日時 2017/1/29 ◇天候 晴 ◇JR東日本大人の休日パス利用 ◇資料 多賀城市「多賀城悠歩 多賀城まるごとマップ」 ◇歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅11:05-同上野駅12:06-同仙台駅14:22-同多賀城駅14:50=多賀城廃寺跡15:10=東北線踏切15:30=多賀城碑15:45=同政庁跡16:00=JR国府多賀城駅16:49-同仙台駅(夕食)17:05/18:31-同上野駅20:10-三田線巣鴨駅20:25-自宅20:55

太平洋に浮かぶ利島を眺め伊豆爪木崎を歩く

岬へ出ると眼前に大海原が広がり、ポツンと遠くに小さな島が浮かぶ。晴天下海は青く、波静かで、1人景色を楽しみながら海岸に切られた遊歩道を進む。海辺のハイキングは好きだ。青い空、広い海と開放感一杯、そして風景を遮る森や山もない。建造物も見当たらない。特に本日は、天気良し、眺め良し、そしてコース良しである。

 伊豆須崎から細間の段へ 本日は、JR東日本大人の休日パスで、伊豆下田に、爪木崎を訪ねた。東京駅9時発の特急踊子で下田駅に着いた時は、12時ちょっと前。3分後発のバスに間に合いコース起点須崎に降り、スタート。小さな湾に沿い、港に繋がれた魚船を見ながら行き、遊歩道入口を見付け、半島を覆う樹林帯に入る。上りの階段が断続し、歩幅が合わず少ししんどい。尾根へ出れば楽になろうとゆっくりと上がる。そして、上り切ったようで下りが混じり始め、林を抜けた。前方が開け、目の前に海が広がった(写真上)。伊豆七島が見えるのではと目を凝らすと尖った島があった。利島に違いない。往きの電車内でアナウンスがあった。大島は伊豆急線の大分手前で越し、次が利島、天候によっては新島や三宅島もと紹介された。デジカメを望遠一杯にしシャッターを切った。
海岸から密林地帯 遊歩道を下ると、細間の段という岩場。中間の地だが、暖かくジャケットを脱ぎザックへ入れ、通過。突き出した正面の小岬を避け歩道は海岸を離れ、直角に曲がると密林地帯。亜熱帯系の灌木で、ジャングルのよう。初めてハイカーと擦れ違い、爪木崎水仙まつりの会場が近いと思う。灌木ゾーンを過ぎまた海岸だが、灯台と大きな白い建物が見えた。岩場に切られた歩道となり小さな湾縁を辿る。花が咲き、大根の花のような花と黄色の花だが見たことのないもの。丘へ上がると人出があり、ゴールの爪木崎公園。水仙の花、アロエの花はあるが物足りない。昼食前に一回りと、高台にある昭和天皇歌碑前から下を見ると、咲き揃う水仙の花が見え、そちらがまつりの会場であった。
爪木崎水仙 見物者に付いて、水仙畑の間を巡る。高台から眺めた程は広くはない。それに近くで見るとそれ程揃ってはいない(写真下)。先日、水仙が目一杯咲き揃う爪木崎水仙まつりのポスターを都内駅で見掛けたが、小さくイメージとあった。ポスターの半分程度はと期待して来た。2,3度アングルを探しカメラに収め、会場内に設けられたプレハブ食堂で、昼食。好きなラーメンなどもあったが、折角だから鰯の寿司を注文する。伊豆下田の名物かもしれない。新鮮さは流石ご当地物である。
バスで下田駅に戻り、3時の特急に間に合い、海岸ハイキングには充たされた気分で帰途に就く。また、車窓から利島や大島が見えた。(2017/02/05 K.K. 1085/1100)

◇日時 2017/1/28 ◇天候 晴 ◇JR東日本大人の休日パス利用、バス代730円 ◇資料 下田観光協会外「伊豆下田水仙まつり」 ◇歩行距離 8km 12,000歩
「通過時間等」自宅7:50-JR巣鴨駅8:25-同東京駅9:00-伊豆急下田駅11:45=須崎バス停12:00=須崎遊歩道入口12:10=細間の段12:32=爪木崎公園(昼食)13:05/14:00-伊豆急下田駅15:04-JR東京駅17:50-三田線巣鴨駅18:36-自宅19:05

JR両毛線で小山から佐野厄除け大師へ

この時期JR東日本が大人の休日パスを発行していると知った。1月末は繁忙期ではないということだろう。色々行き先を考えゲットした。伊豆急線も含まれ下田爪木崎、仙台先の多賀城跡、そして栃木佐野厄除け大師が候補先。本日、伊豆は天候良くない予報で、佐野行きとした。新幹線も利用可能で、小山駅までは東北新幹線乗車とする。

両毛線佐野駅へ 新幹線は速い。右手に筑波山が見え始めたら小山駅であった。両毛線に乗り換え田園地帯を走る。ローカル線両毛線を知ったのは、高校卒業した年で、中高同級生が群馬大入学のため、駅へ送りに出た際、小山駅で両毛線に乗り換えると聞いた。そんな線があるのかと記憶に残った。途中、車窓左手に三毳山(ミカモヤマ)が見え、カタクリの花を探しに登ったことがあった(11.5.8)。
佐野厄除け大師に参拝 佐野駅に降り、観光案内所で案内図を貰い、厄除け大師へ向かう。市役所前から大通りを渡り市内を行くが、それらしい寺院は見えない。徒歩8分の案内なのに倍位歩いて、ようやく大師へ着く。参拝者は多く、山門から境内へ。門扉に菊の紋章があり、何故と思ったが、家康没後が久能山から日光へ移される途中当寺で一泊し、その縁で佐野東照宮と呼ばれていると知った。本堂前へ進むも(写真上)、私の年齢では厄除けは過ぎ、該当年齢には見当たらないが、家族の健康をお願いした。本堂正面に、田中正造翁の大きな墓があった。彼は佐野出身で、本寺で葬儀が執り行なわれ、現在でも毎年法事が営まれているという。
寺を出て、秋山川へ歩き天明大橋を渡り、岸辺から大通りに架かる橋を渡り返し、商店街となる。高崎付近で中山道と分かれ日光へ通ずる例幣使街道が佐野を貫いている筈で、同街道だろう。江戸期頃からの古い建物の和菓子店舗があり(写真下)、その感を深めた時、銀行前に例幣使街道の案内があった。
再訪佐野城跡 駅へ戻り、裏の城山春日岡の佐野城跡へ。駅構内から直接繋がり、現公園の城跡を巡る。佐野城は、奥にあった山城唐沢山城主の佐野信吉が、関ヶ原戦後の1602(慶長2)年新城として築いたが、佐渡金山奉行であった大久保長安の事件に連座し改易に遭い、僅か12年で廃城にされたという(歴史と旅「日本城郭事典・上」平成6年360頁)。丘上に築かれた連郭式で、三の丸、二の丸、本丸と北出丸と続き、郭間には空堀跡が遺る。唐沢山城跡の帰路以来二度目で(95.10.28)、記憶を呼び起こしながら細長い城跡を往復した。
佐野は、青竹手打ちラーメンでも知られ、70店ものラーメン店が競っているようだ。昼食は駅前でご当地ラーメンを味わった。平打ち麺の薄口醤油味で私の好みに合い、美味であった。両毛線で小山駅に戻り、待ち時間があったがまた新幹線を待った。(2017/02/02 K.K. 1084/1100)

◇日時 2017/1/27 ◇天候 曇り ◇JR東日本大人の休日パス利用 ◇資料 「佐野厄よけ大師案内図」 ◇歩行距離 8km 12,000歩
「通過時間等」自宅10:10-JR上野駅11:14-同小山駅12:05-同佐野駅(昼食)12:35/12:55=佐野厄除け大師13:10=天明大橋13:20=例幣使街道13:35=佐野城跡13:50=JR佐野駅14:19-同小山駅15:32-同上野駅16:18-三田線巣鴨駅16:36-自宅17:05

水仙観賞に城ヶ島から三崎港を巡る

冬のこの時期水仙の花が咲く頃で、房総が知られているが遠い。ネットで、城ヶ島にもあると知った。電車では三崎口からバスだが、友人Sさんに話したら車でオーケーが出た。昨年末からSさんとは、群馬方面も検討していたが、週末は天候が良くなく延ばし延ばしになっていた。今週末も天気予報を睨めなから日曜日の本日となった。

水仙の花は 車は速い。都内を高速で抜け、直ぐ羽田、横浜、横須賀を1時間で過ぎた。都内の高速は最近地下へ潜るルートも出来たことを知った。三浦半島へ出てダイコン畑の間から半島突端へ向け走り、橋を渡って城ヶ島駐車場に、1時間30分程で着いた。
水仙まつり中で、水仙の花はあるが小さい花は色も薄く疎らで、一面という程ではない。水仙とはこのような種の花で、一面に咲き誇る黄色の花は私の期待過ぎかもしれない。Sさんと安房崎へ花を探しながら歩き始める。舗道に沿い水仙は続いている。展望台に上がると風は強く、帽子を被り直す。波が高いほどではないから、海風だろう。晴天下、太平洋を眺め、正面に大島、右手にうっすらは伊豆半島か。海は青い。
安房崎から赤羽根断崖 階段を降り林を抜け、安房崎灯台は岩場に建つ無人の小さな円柱状のもの。左手は剣崎の断崖が彼方へ続いている。正面は房総半島の鋸山かそれとも館山辺りか。剣崎からは関東ふれあいの道コースがあり、当島まで歩いたことがあった(09.3.28)。周囲の岩場では釣り人が竿を出している。10人前後はいるだろう。駐車場に戻って、Sさんを赤羽根断崖へ案内。途中、咲き振りの良い水仙群に出会い(写真上)、カメラに収めた。海側へ出て、ウミウ展望台から断崖を眺める(写真下)。前回初めて見て気に入ったスポットで、写真を記録にも入れた思い出がある。私はまたデジカメを向けたが、Sさんはどうか。
城ヶ島灯台へ 島の反対側へ移動し、売店の間から城ヶ島灯台を巡る。富士は雲の中にボャーット見えるだけ。京急ホテル前から小桜弁天社と回り、売店街に出たら、”甲烏賊”の呼び込みに捕まり、店内へ。本日特別入荷の珍しい烏賊と、吹き込まれてしまった。2人で食べだが、確かにコリコリし歯ごたえ十分だが刺身は僅か数枚。まつりのスタンプラリーに参加し抽選すると私は残念賞の小さなお菓子。Sさんも同じであった。私は、末孫のお土産にしよう。
三崎港はマグロ丼 三崎港へ。私は同港は初めて。目の前の城ヶ島が自然の防波堤で良港とは素人にも理解できる。北原白秋は当地に住み、当時は渡船で島へ渡ったとある。昼飯は当然三崎マグロ丼。行列出来ている店は避け、小さな寿司屋へ。マグロは評判通り美味しく値段も安かった。Sさんもそのようで、お顔から窺えた。港産直センターを探し、買い物。勿論マグロ製品をゲットし、帰路へ就いた。一時道路が込んだがそれでも2時間を切って帰宅できた。Sさん有り難うございました。(2017/1/30 K.K. 1083/1100)

◇日時 2017/1/22 ◇天候 晴 ◇資料 三浦観光情報発信協議会「三浦半島 きままに散歩三崎口」 ◇歩行距離 8km 12,000歩
「通過時間等」自宅7:30-城ヶ島駐車場9:05=安房崎灯台9:35=ウミウ展望台9:55-城ヶ島バス停駐車場10:10=城ヶ島灯台10:20=小桜弁天社10:30=甲烏賊食堂10:55-三崎港11:20/12:15(昼食、買い物)-自宅14:00

目黒に山手七福神を巡り大鳥神社に参拝

今年の干支酉に因み目黒の大鳥神社が賑わっているとラジオで知った。同社は、JR目黒駅前から権之助坂を下った山手通りにあり、一度詣でたことがある。初詣にと思うが、一社だけではと付近に適当なポイントを探していたら、山手七福神巡りコースがあった。渡りに舟と出掛けた。我が家から三田線で直行の地である。

三田線で白金高輪へ 三田線白金高輪駅に降り、覚林寺を探す。地上へ出て、桜田通りから右折し目黒通りに入り日吉坂に掛かるが寺は見当たらない。手許のマップを確かめると行き過ぎのよう。戻って右折地点の先に、毘沙門天を祀る小さな寺があり、軽く頭を下げた。加藤清正の位牌が安置され、この辺りを清正公前ということは思い出した。以前友人が住み訪ねたことがある。清正の銅像はなかった。
先行するご婦人グループも同じ目的のようで、日吉坂を上がり彼女らの後に付いて、八方園傍から瑞聖寺へ。立派な堂宇が正面にどっしりと構え(写真上)、重文という。布袋尊だが、扉は閉じられ堂内は見られないが、正面で詣でる。本殿と鐘楼をカメラに収め、受付で、”江戸最初山手七福神”のチラシを貰った。
目黒通りを目黒駅へ 目黒通りを進み、右手に自然教育園の森を見ると、左の七福神の幅に導かれ妙円寺。小さなお堂内に福禄寿、寿老人がある筈と、靴を脱ぎ扉に手を掛けたが動かない。正月も半ば過ぎれば、公開は終わったのだろう。隣の寺も無人のよう。外から手を合わせた。次の大円寺は知っている。目黒駅前からの行人坂の途中にある。少し距離があったが駅を過ぎ急坂を下り、寺境内へ。こちらは参拝者が多い中、賽銭を入れ参拝。大黒天である。雅叙園前の坂を下って目黒川を太鼓橋で渡り、住宅街を抜け山手通りへ出て、交差点から目黒不動参道へ。左手に成就院があった。七福神はないが慈覚大師創建の古刹。素通りは出来ず立ち寄り、孫達の成長をお願いした。蛸薬師と呼ばれ、そのような壁画があった。
 目黒不動、大鳥神社へ 目黒不動は有名で、大境内。私も数回訪ねている。山門を潜り、境内図を眺めて、恵比寿は境内外れの三福堂にあると分かった。先ずはこちらへご挨拶。小さな堂に恵比寿様があった。境内へ戻って石段を上がり、お不動様に参詣。瀧泉寺が寺院名と知った。境内横から近道し山手通りへ出て、通りを少し歩くと蟠龍寺。高齢グループの参拝者で狭い境内は一杯。奥の岩屋風の堂内に七つ目の弁財天が安置されていた。1人、我が家にも良い年と祈願した。
大鳥神社は直ぐ。何十年ぶりの再訪の筈だが、位置や社殿、境内も初めての想い(写真下)。日本武尊に纏わる由緒ある古社とある。また孫達とボンズをお願いした。境内の古大木アカガシを眺め、七福神と大鳥神社を巡り終え権之助坂を上がった。(2017/01/27 K.K. 1082/1100)

◇日時 2017/1/16 ◇天候 晴 ◇資料 箱田孝光「山の手七福神(2)東京都」新ハイキング735号36頁 ◇歩行距離 14km 19,000歩
「通過時間等」自宅10:25-三田線白金高輪駅11:25=覚林寺11:40=瑞聖寺11:55=妙円寺12:10=大円寺12:30=成就寺12:50=瀧泉寺13:00=蟠龍寺13:20=大鳥神社13:30=三田線目黒駅14:00-自宅15:00

大晦日に多摩丘陵稲城を歩く

2016年のどん詰まりに歩くことになった。弟が年内にと言い、歩き納めにしようと付き合った。年始はちょっとせわしいし、正月早々はハイキングをしたことはない。今回はなんと母校が予選落ちし箱根駅伝は興味が薄れ、これまでとは違う三が日となろう。2人が住む中間辺りの南多摩に歩いたことのないコース「大丸-上谷戸親水公園」(新ハイキング731号137頁)が見付かった。

 駅前直ぐ大丸城跡 集合駅JR南多摩駅は南武線。調べる迄横浜線かと思っていた。京王相模原線を稲田堤駅に降り乗り換えた。南武線は何年ぶりだろうか。意外に近く我が家から1時間半で着くと、弟は待っていた。真冬なのに寒さも風もない中、南口からスタート。直ぐ右手が目指す城山公園かと里山へ近づいたが入口が違い、先の坂道を上がる。郭跡のような削平地らしき広場からいきなり急階段となる。未だウォーミングアップも出来てなく、辛い。足を止めながらも程なく上がり切り、頂は本郭跡と思うが、それらしき痕跡も案内もない。我が家の文献では、築城の詳細は不明とし、鎌倉期頃からか府中付近の多摩川徒渉地点の監視や物見用の砦とみている(田中祥倖彦「多摩丘陵の古城址」90頁)。弟も追い付いて来て、反対側 へ尾根道を下る。ファインタワー(展望塔)下から直ぐ公園を出た。手洗いを探して近くのスーパー内をウロウロし、方向感覚を失ってしまったらしく、当地の案内看板があるのだが目の前の道路状況と一致しない。尋ねて正面方向へ。
鶴川街道へ出たが 多摩ニュータウン向陽台で、直ぐ稲城中央公園、そしてくじら橋(写真上)を見て公園内を行く。ここで方向を間違えた。公園内池付近を下るのがコースだが、園外を下り、一度戻ろうとしたが行き止まり。鶴川街道へ出ることを確かめ、コースとは違うとは思いながらも坂を下り続ける。左に貨物線高架が走る。南大沢キャンパスに4年間通い車窓から眺めて少しは知る風景だ。鶴川街道へ下り三沢川砂場の橋から川沿いに遡る(写真下)。新きさらぎ橋でコースを回復したが、次の中橋付近が工事中で大回り。そしてまたコースを失ってしまった。
コースを外れ若葉駅へ 丘陵途中に見える高い構造物が上谷戸親水公園のものかと、坂を上がったが違っていた。私はここで諦め、京王相模原線若葉台駅へと考え始めた。弟は、上谷戸大橋付近で、以前に一度歩いたコース(15.12.27小田急黒川駅自然ふれあい歩道)ではないかという。私は似た風景だが違うと否定し駅行きを提案。弟は土地勘があるのだろうと言い、不満ながらも付いて来た。距離があったが若葉駅に着き、昼食。弟はまた来て歩きたいと言ったが私は返事を濁してしまった。新宿へ出て、”良い新年”を言い交わし別れた。歩き納めにならない里歩きとなってしまい、リベンジコースに入れるか迷っている。(2017/01/15 K.K. 1080/1100)

○日時 2016/12/31 ○天候 晴 ○交通費 920円 ○資料 宇山清太郎「大丸-上谷戸親水公園」新ハイキング731号137頁 ○徒歩距離 12km 17,000歩
「通過時間等」自宅8:00-都営新宿神保町駅8:42-JRE稲田堤駅9:22-同南多摩駅9:35=大丸城跡9:55=くじら橋10:15=三沢川砂場の橋11:00=上谷戸大橋11:30=京王相模原線若葉台駅(昼食)12:00/12:33-都営三田線神保町駅13:27-自宅14:10

亀有に葛西城跡を確かめ、両さん像を巡る

自宅に居て、ふと葛西城跡は石碑を見逃していたことが頭を掠めた。確か年末で、亀有駅前でどら焼きを買ったことや銀行に並んだことも思い出された。当時(02.12.30)の記録ファイルを引っ張り出すと、里帰り中の長女に両さんどら焼きを頼まれたが違う物を土産にしたことや香取神社で井戸跡「玄恵井」も探せなかったことが記録してあった。そう言えば、今年漫画、”こち亀”は終了したが、亀有では両さん像が人気を集めていることを耳にしている。これは再訪しなければならない。

 葛西城跡石碑を確かめる 西日暮里駅で千代田線に乗り換え亀有駅に下車。駅前から亀有銀座商店街を通り環七通りへ出て現水戸街道を越すと右手に、小さな緑地があり御殿山公園。環七を挟んだ向かい側が葛西城址公園。前回は名前から後者園内のみを見回し城跡を示すものは公園名だけと思ったが、後日、隣の公園に石碑があると知った。
小さな園内を見渡すと古い石碑があり、「青砥藤綱城跡」と刻んであり(写真上)、葛西城の別名だろう。後北條時代迄は存在したが、江戸初期廃城にされ、将軍の鷹狩り用屋敷が設けられそれで御殿山公園のようだ。石碑や案内板をカメラに収め、環七を渡り二つに分断された隣の城址公園へ。中川河畔の城跡は流域に埋もれてしまい両公園共に城跡痕跡皆無は承知の上だが残念。直ぐの中川堤へ上がり大橋を渡り日枝神社、西念寺に寄る。天気は良いが川風は冷たく、杭のカモメ達も寒そう。日枝神社は前回も回ったかもしれない。香取神社に着き参拝し、広い境内に玄恵井を探す。現在では井戸跡はなく石碑とネットで知った。見付けられず社務所で尋ねると工事中で移設してあるとのこと、諦め駅前に戻った。
亀有に両さん像を巡る 両さん像は亀有駅を中心に北口側、南口側の双方にあった。駅に、日本語版パンフは切れていたが、中国語版があって像の位置は分かり、北口からカメラに収めながら巡る。北口前の像は花束を持ち正月用か。交番傍は麗子さん像。亀有公園にも二つの像があった。北口商店街の端にも見付かった。
漫画こち亀は、理髪店の待ち時間に眺めた程度だが、両さんやその同僚達のキャラは楽しく面白く、好感を持っていた。南口前には同僚達と三人の像。他の像はメタリックな単色だがこの像はカラーもの。亀有銀座商店街伊勢屋で両さんどら焼きとクッキーをゲット。先程往きに店の位置を確かめておいた。中央商店街へ回り更に2,3の像を眺めて駅へ。10像程巡ったが、気に入ったのは最後の祭り姿像(写真下)。私には、如何にも両さんらしく見えた。
常磐線で新松戸駅へ出て武蔵野線に乗り換え武蔵浦和駅前で、Sさんと年末の会食をした。仕事上のお付き合いだが、記録の読者でもあり毎号コメントをメールしてくれ、感謝である。大学の後輩で、先日箱根駅伝予選落ち残念会をやった。         (2017/01/11 K.K 1079/1100)

○日時 2015/12/30 ○天候 晴 ○交通費 1,050円 ○資料 JR東日本「旧水戸街道・亀有」 ○歩行距離 11km 16,000歩
「通過時間等」自宅13:00-JR巣鴨駅13:30-千代田線西日暮里駅13:39-JR亀有駅13:50=亀有公園13:55=亀有駅南口14:15=御殿山公園14:40=日枝神社15:00=香取神社15:25=伊勢屋15:40=JR亀有駅15:59-同新松戸駅16:22-同武蔵浦和駅(夕食)17:00/18:20-三田線新板橋駅18:46-自宅19:15

新たな歩き先千葉北総台地を訪ねる

千葉の北総地域に北総線が開通して何年になるだろうか。JR成田線と京成成田線の間だと思うが、私には未訪の地である。ハイキング先の偏りを避けようとしていたら千葉の北総地区が目に付いた(新ハイキング社「千葉を歩く・北総 歴史散歩」臨時増刊37頁以下)。我が家からは遠く、未知の地で情報が乏しく少し不安である。新たに歩く候補地域開拓に下見に出掛けることにした。

 北総線で千葉ニュータウンへ 日暮里駅から乗車した京成線を高砂駅で北総線に乗り換えた。北総線が成田空港まで続くと初めて知る。千葉県に入り東松戸駅、新鎌ヶ谷駅を過ぎると両側に森が広がり、その間の平地に住宅街が点在する地になり、北総中心地の千葉ニュータウン中央駅に着いた。我が家から1時間30分で、私の予想よりは遙かに速かった。未だ新しく大きな駅舎を出ると、駅前通りには高層ビルが建つが周囲の空き地とはミスマッチ風。我が高島平団地の引越し時を彷彿させた。
古社、名刹を巡る ニュータウン大橋を渡ると花の丘公園。右折し団地の間を行き、田畑地帯となる。厳島神社を探し路地へ入ると農家も大農家が並ぶ。集落の端にあった神社は小さな社。参拝し、境内には出羽三山の石塔を見た。集落内を右折、左折し見付けた案内に従い結縁寺へ(写真上)。行基菩薩建立とあるがその雰囲気は窺われない。すぐ隣が熊野神社。入口に入定塚の立札が立つが初めて見るもので、案内もなく私には意味不明(帰宅後の調べでは行者・修験者の供養塚らしい)。前にある蓮池先に頼政塚を探したが一本先の道と気付いて到達。平氏打倒の兵を挙げるもが成らず自刃しその首塚という。奥へ進むと田畑が広がる。丘陵を覆う樹林帯で仕切られ(写真下)、何故か私には千葉の田舎らしい風景に見え、その中の一本道を行く。大通りへ出たが目印のコンビニがない。右か左かと迷い、ふと正面を見ると寺院風の屋根が見えた。もしかしてと近付くと目当ての多門院。詣でた後境内隅で休憩し、持参したお茶を飲む。
 印西牧の原駅へ ここで、次の草深森は省略し、大通りを真っ直ぐ印西牧の原駅へ向かうことにする。冬の森は惹くものがないだろう。通りから直ぐの印西太子堂への左折点に注意しながら側道を歩き、工業団地を過ぎるもその地点が中々来ない。見逃したかとも思ったが、予想より大分先を左折。お堂はあったが荒れた建物だけで、寺名を示すものは何もないが位置から間違いないだろう。軽く頭を垂れて、後にする。ここにも出羽三山の石塔があった。駅までは未だ距離があるが、近付くに連れビルが目立ち、通りも広くなり、交通量も増した。メタセコイヤの並木通りに至り、アングルを探しカメラに収める。牧の原駅へはもう少し歩かなければならなかった。今回、近い上JR成田線小林駅へは歩ける距離と分かり、コースが増えるだろう。 (2017/01/08 K.K. 1078/1100)

○日時:2016/12/26 ○天候:曇り ○交通費:2,330円 ○資料:新ハイキング社「千葉を歩く・北総 歴史散歩」臨時増刊平成19年1月,44頁 ○徒歩距離:15km, 20,000歩
「通過時間等」自宅8:30-JR巣鴨駅8:55-京成日暮里駅9:11-北総線高砂駅9:32-同千葉ニュータウン中央駅10:00=花の丘公園10:15=厳島神社10:35=結縁寺10:45=熊野神社10:50=頼政塚11:10=多門院11:30=印西太子堂12:15-北総線印西牧の原駅12:56-JR日暮里駅13:50-都営三田線巣鴨駅14:01-自宅14:30

高坂岩殿観音に参拝し、未踏のちご沢へ

2017年を迎え、初詣は何処にするか迷った。出来るだけ未訪の神社、寺院にしようと調べたがハイキングに結びつけると行く先は決まらない。そんな中、以前入手していた「東松山市ふるさと自然のみち」から岩殿観音にし、後半には、気になっていた大東文化大キャンパス裏を回り高坂駅へ歩く、新たなマイコースを是非巡りたいと思った。

 高坂駅から岩殿観音へ 東武東上線高坂駅は、私のホームグランド奥武蔵も近場の駅であるが、ご無沙汰である。西口から彫刻のある通りを行き、関越高速道路を渡り、右折地点を探す。二度目(97.6.28)で標識があったと思っていたがなく、そろそろかと右折。しかし、行き過ぎの感があり住宅街を出て戻り、橋を渡って森近くの田舎道へ。予定通り、室町期足利基氏の本陣跡、その先が鳴かずの池。坂上田村麻呂の龍退治伝説がある池だが、位置も大きさも記憶とは違っていた。20年振りでは仕方ないか。
岩殿観音様に参拝 次の集落が岩殿観音正方寺の門前町。坂東33観音10番札所として江戸時代からのもので、真っ直ぐな通りの両側に整然と往時を偲ばせる町屋が今も並んでいる。ここも再訪の筈だが思い出せない。山門から石段を上がり参拝。孫達の健康とぽんずの成仏をお願いした。初詣に高齢者ペアがチラホラ。境内の大銀杏は見覚えがあった(写真上)。地下道から物見山へ。東征した田村麻呂が物見した山で、比企丘陵の最高峰(135m)とある。小さな頂から川越、東京方面を眺めたが、スカイツリーは確かめられなかった。
マイコースの近道はなし いよいよマップから自分で想定した未訪のコースへと意気込む。大東文化大キャンパス端の谷沿いにちご沢へ出ようとした。調べたような道はなく、キャンパス内かなと守衛さんに聞くと通れないと断れた。私の行く大手町蕎麦屋の店長さん大東大OBで、昨年末ここのコースを話したらこども動物園は知っていた。箱根駅伝予選会1位通過と威勢が良かったが、またシード落ちとなった。
山里風景のちご沢 こども動物園を大回りしこどもの城を過ぎ、橋を渡り左折。先程来歩いたことのない地域に入っている。最奥の一軒家を見て、小さな流れちご沢沿いに下る。隣には深い森が繁茂している(写真下)。家屋は見当たらず、ハイカー一人と擦れ違い、林で作業中の方を見掛けただけだ。奥武蔵も高坂にこんな静かに広がる山里風景に驚き、期待以上。小径は先のちご沢の森へと続くが、深緑や晩秋時の再訪のため残しておこうと沢を横断する高架道へと上がった。高坂ニュータウンの団地で、マップから駅まで約50分と読む。コースを離れ近道しようと山勘で駅を目指すが簡単ではない。東上線を走る電車が見え、そう間違ってはいないと気を取り直し、やや遠回りするも読み通りの時間で高坂駅到着。長く歩いたと感じたがそうでもなかった。(2017/01/20 K.K. 1081/1100)

◇日時 2017/1/7 ◇天候 晴 ◇交通費 1,030円 ◇資料 東松山市ウォーキングセンター「東松山市ふるさと自然のみち」 ◇歩行距離 16km 22,000歩
「通過時間等」自宅9:20-東武成増駅9:59-同高坂駅10:35=足利基氏塁跡11:25=鳴かずの池11:30=岩殿観音11:45=物見山12:00=こども動物園入口12:30=ちご沢12:45=高坂ニュータウン団地13:05=東武高坂駅14:00-同成増駅14:48-自宅15:10