富士見を歩いて、小海線で小諸へ

乗り鉄を楽しもうとしたとき、先ず浮かんだのがJR小海線であった。実際は帰りの新幹線利用を考慮し最初はJR飯山線にしたが、八ヶ岳高原を走る小海線は是非乗り切りたい。三連休中日、中央線でスタートし小淵沢駅から小海線に乗り小諸駅へ出て、久しぶりに家内の実家を訪ねる予定である。

 小渕沢駅より気動車に乗る 小淵沢駅前で時間を調節し、2両の小諸行き気動車に席を求めた。連休で込んでいる。清里駅までは深い森の中を走る。私も飯盛山に登った際乗った区間で(02.8.10外)、見覚えがある。大半の乗客は清里駅で降りて行った。次の野辺山駅へ向かうと高原へ出て、牧場や畑地が広がる。同駅の標高は日本最高1,345.7mである。私も少し思い出があり、若い頃自治会の少年野球を手伝っていた時夏合宿をした地であった。また飯盛山からこちらへ下った時(00.8.16)もある。信濃川源流への最寄り駅信濃川上駅付近は、私の予想と違い山に囲まれている。次第に小海線に谷川が絡み出し、千曲川であるが上流で、未だ普通の川程度である(写真上)。

小海線名の由来を知る 小海駅を通過。私は、小海線とは小諸と海ノ口からのネーミングかと思っていたが、その名の駅名があると知った。当地は小海町のようだ。馬流駅で、秩父事件慰霊碑の案内を見て、スマホで検索。1884(明治17)年秩父から困民党の一部が峠を越して馬流まで移動し、政府軍と戦闘したが鎮圧されたという。驚きである。
先程来、車窓には稔った田圃風景が連なり、刈り取った跡も見える。臼田駅に到着し少し停車。佐久地方の中心だろう。大きな病院があり、私も二度ほど見舞いに来たがバスであった。龍岡城駅は乗降したことがある。龍岡城は函館の五稜郭と同じ縄張りで、見学に来た。したがって、小海線は野辺山駅から龍岡城駅間が今回初乗車区間。既に山間を出て、沿線には家々が増え街を形成し、千曲川も見えなくなってしまった。佐久平駅は長野新幹線用に出来た駅。現在では駅もホテルや飲食店に囲まれ、大きな駅らしくなった。小諸までは小さな無人駅が続き、旧信越線が並行すると小諸駅に滑り込み、小淵沢駅から約2時間20分の乗り鉄の旅であった。

 富士見高原を巡る 先に、中央線富士見駅に降り、富士見町を歩いた。”大人の遠足”誌にある文士・詩人が散策した富士見高原を巡りたい。中でも、堀辰雄”風立ちぬ”縁の高原サナトリウムに興味を惹いた。高原でも富士見町の中心は南アルプスと八ヶ岳の間の底地にあり、坂が多い。富士見公園へも、八ヶ岳を背に駅前から坂を下って国道を進み、甲斐駒を正面に見ながら富士見峠を上がった先にあった。松に囲まれた小さな園に、左千夫や赤彦、茂吉達のアララギ派の歌碑が建っていた。小憩後、駅へ戻る途中に白林荘はあったが帰去来荘は見付からないまま駅で、反対側の高原病院へ。八ヶ岳展望は変わらない(写真下)が、現在の病院は近代的な建物で、資料館看板のみ富士見高原療養所跡を示し、風立ちぬの面影は消え去っていた。(2018/10/10 K.K. 1214/1300)

□日時 2018/9/23□天候 晴 □交通費 3,740円 □歩行数等 15,000歩 11km □資料 JTB「大人の遠足 文士・詩人達が散策した道」2000年、90頁
「通過時間等」自宅7:15-JR新宿駅8:14-同高尾駅9:21-同甲府駅10:57-同富士見駅11:50=富士見公園12:15/12:30=富士見高原病院13:10=JR富士見駅13:51-同小淵沢駅15:06-しなの鉄道小諸駅17:33-同田中駅17:45-家内実家18:00