那須湯本に温泉神社から殺生石を巡る

那須高原に兄弟と長男一家が集合した。長男達は車で先行し、私と弟は電車で追い掛け、那須塩原駅で山形からの兄夫婦と待ち合わせた。車中、弟に、何処歩くのと問われた。言われるまでもなくハイキング先は検討している。湯本の殺生石は訪ねたい。最近芭蕉のおくの細道に興味が湧き、調べると芭蕉も寄っていると知った。宿泊先の位置と交通がはっきりしない。フロントで調べたい。

長男の車に拾って貰う 朝、食事を済ませ土産も求め、山形へ帰る兄達を見送り、弟とスタート。バス停一軒茶屋迄は徒歩20分程度と聞いた。大通りへ出て、松林の中の道を歩く。結構車が多く、上り坂の道を進むが、同じ景色が続き先が見えない。時計を見たらバス時間が迫っている。弟に急ぐよと声を掛け足を速めた時、折良く長男の車が通り掛かりスピードを落とした。便乗することにし2人乗り込み、那須街道を温泉神社へ走って貰う。車は速く10分足らずで神社前に着き、降りて孫達と別れる。

温泉神社に参拝 我々は再スタート。参道へ入ると、二度目の筈だが記憶と違い意外に広い境内。ご神木があり、樹齢800,年のミズナラの古木で、風雪に耐えた姿の樹木(写真上)。カメラアングルを探した。芭蕉句碑があるらしいが、石碑の類が次々と現れ、さざれ石は見たが、確かめられないまま、本殿前へ出て、参拝。当神社は那須与一も、あの扇の的当てを祈願した際、名を挙げたと言われる古社で、温泉(ユゼン)神社と読むと知る。

殺生石は再訪だが 神社から右横の坂道を下るとそのまま殺生石へと繋がった。火山跡であり、未だ有毒ガスも噴出している溶岩の石原で、賽の河原風。上部の中心に一際大きい殺生石はあった(写真下)。伝説によれば、京で、天皇籠絡陰謀の正体が暴かれた九尾の狐が当地に来て悪さを続けたため退治され石になったが毒を発し、高僧に砕かれ散ったという。ここも再訪と思うが、余りの昔のことで殆ど度思い出せない位。カメラに収めながら、硫黄の匂いが漂う中、遊歩道を巡り、湯ノ花採取跡を眺める。反対側は千体地蔵。赤い帽子や前掛けをした石仏が林立し、800体という。ここでも、芭蕉句碑を探せなかった。”いしの香や なつ草あかく 露あつし”と詠んだと思うが。殺生石原を出て坂道を上がると、ススキがあり穂も出ている。未だ暑いが夏も終わりを告げているようだ。バスで、那須塩原駅へ出て、宇都宮駅から上野駅へ向かった。
昨夜、兄達から里芋は、最近の雨で持ち直し、芋煮会には間に合うと聞いた。岩魚や山女魚も少しは釣れ、最近は義姉も竿を仮りて釣り始め、ビギナーズラックを楽しんでいると笑った。皆で、今年の高島平芋煮会の開催日を決めた。
弟に芋煮会への出席をお願いし、赤羽駅で別れた。(2018/09/17 K.K. 1209/1300)

□日時 2018/8/27□天候 晴 □交通費 4,630円 □歩行数等 12,000歩 9km □資料 昭文社「山と高原地図12 那須・塩原」1998年版
「通過時間等」ホテル10:25-車乗車10:45-温泉神社10:55=殺生石11:15=温泉神社前バス停11:50-JR那須塩原駅12:59-同宇都宮駅14:06-同赤羽駅15:53-三田線新板橋駅16:05-自宅16:30