八戸根城跡、八戸城跡そして宮古へ

東北も青森や岩手、秋田行きを予定し、八戸は直ぐ決まった。城跡があり、その見学をしたい。その後は三陸海岸を回ることにした。ラジオから、”旅行することも復興支援になる”と聞いた。何か出来ないかと思うこともあったが、旅行なら出来ないことはない。この目で、災害地やその復興状態を確かめるのも、いずれか役立つかもと考えることにした。

 中世の城八戸根城跡 東北新幹線はやぶさは速い。上野駅から3時間弱で八戸駅へ着いた。案内所で、八戸根城跡へは徒歩では遠く、バスを勧められた。教えられたバス停で降りると八戸博物館が見付かり、入口に建つ築城者南部師行の騎馬武者像を眺め、根城跡へ。
当城は、丘陵に築かれた中世の城で、壕、土塁、木柵、平屋建てで石垣はない。復元された中世城は珍しく、私は信濃の荒砥城跡だけである(07.3.18)。カメラに収めながら、木橋を渡って坂を上がり、柵の門から奥の本郭跡へ入った(写真上)。復元主殿へ入館し、一回り。シンプルな館は、各間も並ぶが広くはない。広間では正月の儀式の様子を人形で再現していた。外には鍛冶工房や倉庫、納屋、馬小屋もある。根城は、南北朝時代、陸奥国司になった北畠顕家に付いて、甲斐国から来た国司代南部師行が築き、約300年続いたが、南朝方の衰退に連れ根城南部氏の勢いが弱まり、他方、同族系の三戸城の南部氏が、豊臣時代秀吉にいち早く従ったため、当地含めて支配領地が安堵され、後の盛岡藩南部氏へと繋がり発展した。そして根城南部氏は遠野へ転封され、盛岡南部氏の支配下になった。そのため、当城は中世城郭の儘廃城になったという。

 小さな八戸城跡 広い城跡を半周し、またバスで八戸駅へ戻って八戸線に乗り、本八戸駅で下車し駅前に三八城公園を探す。こちらは江戸期からの八戸藩の城があった地。先の根城南部氏の遠野転封後、盛岡南部氏の俊直が築いた。駅前高台にあり、現在では本丸跡のみで、小さな公園。中心に初代城主南部直房像があった。隣の社に参拝すると、大きな弁慶石があり、義経の北方(蝦夷)行き伝説が説明してあった。

 三陸鉄道北リアス線に乗車 八戸線乗車を継続し三陸沿岸へ。八戸市の中心は八戸駅や本八戸駅よりは先のよう。太平洋が見え出し種差海岸を通過して、久慈駅到着。待ち時間があり、地元ストアで弁当とカップ酒を求め、三陸鉄道北リアス線へ乗り込む(写真中)。2両列車は直ぐ山中を走る。リアス式海岸の高い位置のようで、入江風景を繰り返す(写真下)が、海面や浜を見下ろす車窓風景。これで、先の震災の被害は少なく、早めの運行再開が出来たのだろう。田老駅に停車。約30年前、宮古の浄土ヶ浜からの遊覧船寄港地で、ここで上陸し龍泉洞行きバスに乗ったのだったろう。終点宮古駅に着き、隣のJR駅で、明日の釜石行きの情報を得て、駅先のホテルへ向かった。(2018/07/23 K.K. 1196/1200)

□日時 2018/6/30 □天候 晴 □交通費 大人の休日倶楽部パス2 □資料 春風亭昇太「青森県八戸市根城」大人の休日倶楽部掲載 □歩数等 14,000歩 10km
「通過時間等」自宅7:40-JR上野駅8:46-同八戸駅11:52-八戸根城跡12:00/13:23-JR八戸駅14:25-同本八戸駅14:35=八戸城跡14:45/15:00=JR本八戸駅15:24-三陸鉄道久慈駅17:30-同宮古駅19:02=宿泊先19:20