大晦日に装束稲荷から王子稲荷神社を巡る

 本年の歩き納めは大晦日になってしまった。足のかかとを痛め、前日予定のハイク友との里歩きをドタキャンした。急遽軟膏を求め塗り込んだら和らいで、支障はないようだ。安近短のコースを思い巡らし、王子の装束稲荷を思い付いた。大晦日に、関東一円から狐が集まり、装束を整え王子稲荷に初参りをするという伝説があり、本日は祭日である。

 装束稲荷は祭り準備中 王子の装束稲荷は都電荒川線利用で近く、三田線西巣鴨駅から地上へ出て、荒川線新庚申塚駅へ歩いた。いつも思うことだが300mとの案内だが、私にはもっと遠い。都電に乗り、飛鳥山駅の次の王子駅に降りスタート。駅前北本通の交差点を渡って、駅前公園から商店街を北上し、稲荷神社への左地点を探すが一本通り越し、戻って装束稲荷神社。狭い境内では祭りの準備が始まっている中(写真上)、参拝。
 当神社は、大晦日狐達が集合した装束榎があった地という。歌川広重の名所江戸百景“王子装束ゑの木大晦日の狐火”に描かれている。境内を出ようとしたら、巫女さんに、ありがとうございますと、ご餞米を手渡された。袋には、王子狐の行列30周年記念とある。売店も出ている。

 王子稲荷神社参拝 北本通を渡り、王子稲荷神社を目指す。本日除夜の鐘と共に、面や裃で装束を整え狐に扮した氏子達が王子稲荷神社参拝のため、行列をするのが恒例の行事とある。
 私はJR京浜東北線等を地下で越し、中央工学校前で右折して、台地上にある王子稲荷神社へと石段を上がった(写真中)。
 本殿前で手を合わせ、本年の無事を感謝し、新年のご加護もお願いした。狐達より半日前である。境内奥に狐穴跡があった筈と狭く急な石段を上がると祠内にそれらしき跡があった(写真下)。

 御成街道から十条へ 稲荷神社隣の坂を上がり御成街道へ出る。先に十条富士神社と富士塚がある通りと思うが、初めての地で周囲を眺めながら歩く。埼京線十条駅付近に至ったと知り、左手の古刹地福寺に立ち寄ると“太閤千代しだれ桜”の案内があった。醍醐の花見で有名な桜の系統らしい。
 富士塚前に着いたが、未だ工事中。富士神社も見当たらない。前回も工事中で、一年前に終えていると思っていたが、来年の3月末完成とある。十条銀座へ出ようと御成街道から左折し、埼京線踏切を渡る。好物の漬物鉄砲漬けを売っている店を思い出し、訪ねたが無いといわれ、今晩の肴には出来ない。十条駅へと歩いた。(2023/1/23 K.K. 1491/1500)

◇日時 2022/12/31 ◇天候 晴れ ◇資料 「北区観光ガイドマップ王子・十条エリア」 ◇交通費 170円 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅10:15-都電荒川線新庚申塚駅10:45-同王子駅10:55=装束稲荷神社11:10=王子稲荷神社11:25=富士塚11:50=十条銀座12:00=JR十条駅12:15-三田線新板橋駅12:27-自宅12:55

小田急自然ふれあい歩道町田駅境川コースを歩く

 小田急自然ふれあい歩道は、これまで度々歩いているコースだ。この度ネット検索したら閉鎖されていた。弟と歩くとき、2人の中間の小田急沿線は好都合であった。私の収集資料の神奈川ファイルに、町田駅境川コースがあり、以前駅で貰ったと思う。弟と相談し小田急町田駅集合とした。

 境川を下り鹿島神社へ 今回は、私が町田駅に着き改札へ向かう途中、弟から声を掛けられた。いつもとは違いほぼ同時に着いたようだ。
 駅から境川を目指すが、小田急高架下は飲食店が続き複雑で、川へ出られず、大回りしてしまい団地の先の幸延寺橋を渡り、右岸を下った。相模原市と知る。境川は、1594(文禄3)年の検知で相模国と武蔵国の境と定められたとある。現在も東京と神奈川の境界である。
 普通の河川で中央部が流れで、白い鳥、鷺だろうが浮いている。近くのビルの屋根には沢山の鷺が休んでいた。川には、鴨たちも遊泳している(写真上)。弟は早速カメラを向けている。
 弟を待ちながら、小田急高架下を過ぎ、右を向くと神社らしき建物が見え近づくと、鹿島神社で参道へ回り、石段を上がって参拝。参道を戻り直進し小学校裏で、また境川右岸を行く。先ほどとは違い川は狭く水路のよう。

 金山ふるさとの森、町田天満宮 上鶴間橋に至り、住宅街に金山ふるさとの森を探し、裏手に小さな公園があった。コナラやクヌギの林。ベンチがあり休憩し、弟は久しぶりのハイキングでしんどいと言い、ザックから荷物を出し私へ。私の好物で、有難く背負った。
 コースのショートカットを提案し、先の祥雲寺は諦め、最後のポイント町田天満宮へ向かうことにする。地図を睨め、途中で尋ね天満宮前へ出て、境内から茅の輪をくぐる。掲示された作法に従い二人で出入りを繰り返して参拝。来春も受験生の孫が一人いてお願いした。立派な臥牛像があり(写真中)、思わず撫でた。

 宗保院へ寄る 神社前で歩道橋から駅方向を確かめ大通りを進むと、弟、宗保院へ寄ろうという。コースポイントではないが近くで、地蔵さん像(写真下)を眺め山門から境内へ入り手を合わせた。古刹のようだが本堂の建物は新しい。
 大通りへ戻ると交差点へ出て、左手は境川で境橋。駅方向へと右折した。丁度昼となり、ガード下の食堂に入り、二人で昼食を取る。メールは時々交換しているが、食事は春の多摩川台公園ハイキング(22.6.10)以来。お互いの家族に変わりはないようだ。いつものように小田急町田駅で別れた。(2023/1/17 K.K. 1490/1500)

◇日時 2022/12/15 ◇天候 晴れ ◇資料 「小田急自然ふれあい歩道町田駅境川コース」 ◇交通費 760円 ◇歩行距離等 15,000歩 11㎞ 
「通過時間等」自宅8:00―新宿線神保町駅8:50―小田急新宿駅9:05-同町田駅9:50=幸延寺橋10:10=鹿島神社10:30=上鶴間橋11:00=金山ふるさとの森11:05=町田天満宮11:30=宗保院11:45=小田急町田駅12:36-新宿線新宿駅13:41-三田線神保町駅13:59-自宅14:40

船橋大神宮から谷津干潟へ歩く

 ラジオからだったと思うが、船橋の神宮に本社の外に境内に10数社の小社がある大神宮があると知った。どんな神社かなと気になった。調べると京成本線大神宮下駅があり、最寄り駅と知る。地図を眺めて、近くに船橋港があり、谷津干潟へも歩ける距離と分かった。
 神保町駅から都営新宿線、そして京成八幡駅から京成本線に乗れば安近短のコースである。最近千葉は歩いていないので丁度良い。

 意富比神社、燈明台 都営新宿線神保町駅から千葉方面行きは久しぶり。終点地下鉄本八幡駅から階段を上がり京成八幡駅で京成本線に乗った。船橋駅の次の次が船橋大神宮下駅、高架ホームから左手先にそれらしき社が見えた。
 駅前から坂道を上がった先が意富比(オオヒ)神社が船橋大神宮の本社で、日本武尊や天照大御神を祀った古社とある。鳥居下から参道を進み、拝殿前で参拝。いつもながらコロナ退散をお願いしたが、僅かな賽銭ではご利益が薄いのだろうか。
 祠が並ぶ小社を眺めながら境内をうろついていたら、右側高台に燈明台があった(写真上)。ここから海、江戸湾を照らしたのだろうが、埋め立てで海岸線が遠のいたのであろう。幕末の戊辰戦争の際、焼失したが直ぐ再建されたとある。

 船橋漁港 境内を出て、坂道を下り京成本線高架下を過ぎ、大通りを避けて直進する。そうしたら運河らしき河口があり、船も係留され船橋漁港(写真中)と知る。先程の燈明台の存在も納得である。
 京葉高速道路下を進み、次の交差点で右折して高架を出た先が船橋競馬場前。更に行き大通りを越すと団地となり、習志野市内に入っていた。

 巨人軍発祥の地碑 団地の前が谷津干潟だろうと山勘を働かせると当たった。同干潟は二度目だ(13.6.2)が、この時期渇水期で水面が後退しススキ原が目立つ。干潟沿いの遊歩道には散策する方、ジョガーも見える。公園広場へ至り、讀賣巨人軍発祥の地碑があったのではと思い出した。間違えたかなと谷津バラ園前へ回ると、巨人軍発祥の地碑があった(写真下)。
 1934(昭和9)年大リーグオールスターチームが来日し、当地の球場で六大学選抜チームと練習試合をし、その後選抜チームが日本初のプロチームから讀賣巨人軍となり、水原や沢村も選ばれていたという。当時の正力オーナーの外、ジャイアンツの有力選手の手形がある(写真下)。カメラに収めた。
 バラ園は季節外れだろうと入園は省略し、京成本線谷津駅を探し歩いて、電車を待った。(2023/1/11 K.K. 1489/1500)

◇日時 2022/12/11 ◇天候 晴れ ◇資料 東京地図出版「関東甲信越大都市圏道路市街地図帖・市川・船橋」2001 ◇交通費 360円 ◇歩行距離等 12,000歩 9㎞ 
「通過時間等」自宅8:55-新宿線神保町駅9:32-京成本線本八幡駅10:10-同大神宮下駅10:35=意富比神社10:40/11:00=船橋漁11:10=谷津干潟11:30=巨人軍発祥の地碑11:45=京成本線谷津駅12:08-新宿線本八幡駅12:34-三田線神保町駅13:08-自宅13:45

都内阿佐ヶ谷から高円寺へ

 購読紙に阿佐ヶ谷散策のガイド(「我がまち再発見阿佐ヶ谷編」22.11.10,17讀賣夕刊)を見付け、直ぐ実行に移した。前三回で遠出が続き丁度良い。しかし、阿佐ヶ谷付近は訪ねたことがなく、手許の地図でトレースしたが、神社の掲載がなく、住所の地番から想定した。アクセスは新聞ガイドがJR阿佐ヶ谷駅からだが、私は地下鉄丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅からとした。

 ケヤキ並木、商店街、神社 三田線春日駅から大江戸線へ乗り換え、中野坂上駅で丸ノ内線荻窪駅行きとした。初めてではないと思うが、それに近い乗車。南阿佐ヶ谷駅に着き、地上へ。古い地下鉄は、今の大江戸線ほど深くはなく、階段を上がると杉並区役所前へ出て中杉通りで、両側はケヤキ並木が続く(写真上)。初めて眺める風景だが、杉並区の中心街としては風情がある。正面に見える高架はJR中央線のようで、意外に近い。
 最初のポイントは馬橋稲荷神社だが、駅付近には案内地図なく、事前に調べた方向の小路へ入る。下町風の商店街から住宅街となり、この辺りからはいつもの山勘。高い樹々が見え近づくと、境内横から馬橋稲荷神社であった。

 鎌倉期創建の古社のよう。本日日曜日で参拝者があり、七五三参りの家族も見える。参拝し、コロナ退散と孫達の成長をお願いして、正面の参道を戻る。大きな石の鳥居があり、龍が巻き付いた彫刻で珍しいとある(写真中)。カメラに収めた。
駅付近へ出て、往きに探し損ねた青面金剛像を探す。阿佐ヶ谷パールセンター商店街中ほどに見付かった。江戸期に建てられたもので、前の通りは鎌倉古道であったらしい。
 阿佐ヶ谷駅を高架下で越し、阿佐ヶ谷神明宮へ。右先に神明宮はあった。能楽堂もあり立派な神殿。日本武尊東征に纏わる社という。こちらも七五三参りで賑わっている。本殿の前に庭を挟んで拝殿があり、ここで手を合わせた。社務所前の椅子で暫く休憩を取った。

 天気の神様へ 阿佐ヶ谷駅から高円寺駅へ一駅中央線に乗り、高円寺駅前の氷川神社へ向かう。同社境内に日本唯一の天気の神様、気象神社が在り、興味を惹いた。氷川神社の隣に鎮座する小さ目の普通の社が気象神社であった(写真下)。旧陸軍気象部の構内にあったが、戦後当地に遷座されたという。私は、テレビの天気予報の中で知ったと思う。
 両社に手を合わせて、駅へ戻る途中に、長孫が勤める金融機関の支店があり、創業70年と知って、帰途の車中からメールすると“そうだよ”と返信があった。(2023/1/5 K.K. 1488/1500)

◇日時 2022/12/4 ◇天候 晴れ ◇資料 「我がまち再発見阿佐ヶ谷編」22.11.10,17讀賣夕刊 ◇交通費 550円 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅8:45-大江戸線春日駅9:15-丸ノ内線中野坂上駅9:58-同南阿佐ヶ谷駅10:10=馬橋稲荷神社10:30=青面金剛像10:50=阿佐ヶ谷神明宮11:05=JR阿佐ヶ谷駅11:20-同高円寺駅11:25=気象神社11:30=JR高円寺駅11:40-三田線水道橋駅12:11-自宅12:45

奥羽本線峠駅から福島城跡へ

 大失敗 JR今泉駅から山形鉄道長井フラワー線に乗車し、終点荒砥駅を目指した。長井駅の先で、初めての乗車。処が列車は進むが長井駅は出て来ない。おかしいなと思ったら次は宮内駅とあり、えっ!である。逆方向、赤湯駅行きに乗ったと気付いた。
 今回は、大人の休日俱楽部パス最終日で、荒砥駅往復が最初のポイントで、出鼻をくじかれた。今泉駅停車中の列車(写真上)は当然荒砥駅行きと思い込み、いつもの早とちりが出てしまった。

 米沢駅経由行き先のポイントは三つあり、山形県内鉄道で唯一未乗車の荒砥駅往復、奥羽本線鈍行で峠駅へ、そして福島城跡である。そのまま赤湯駅迄乗車し、奥羽本線で米沢駅へ出た。峠駅を通る福島駅行き鈍行は日に5往復程度で、簡単ではない。待合室で、時間を潰し昼食とした。

 峠駅力餅は健在 奥羽本線上りに乗車。変則的で手前の庭坂駅から福島駅はバスという。関根駅、大沢駅と吾妻山連峰山中の坂を上がり続ける。車窓の風景はそう変わりはないが、過疎が進んでいるように見える。ここの路線は思い出がある。50年前の秋、福島へ行くため夕方一人で乗車した。暗い山中の峠越しは寂しく、スノーシェルターで覆われた駅やスイッチバックは初めての経験であった。
 峠駅に停車し、ホームを覗くと売り子さんが力餅を販売している(写真中)。山形新幹線が出来て停車列車が少なくなり、名物だが疾うに止めたと思っていた。次の板谷駅も峠駅と同じような構造。乗降者はない。福島県側の赤岩駅は廃止になっていた。庭坂駅からはバスに乗り福島に着いた。

 福島城跡へ 福島市にも城跡があり、福島城である。JR福島駅から徒歩10分程度で県庁正面に至り、大手門跡の石柱があった。正門左手に大仏城跡や福島城跡の碑がある(写真下)。平安時代末豪族杉目氏が築城し杉目城や大仏城と呼ばれたが、その後伊達氏の支配下を経て、戦国末期城主木村吉清が福島城と改称し、德川期時代天領から1702(元禄15)年譜代大名板倉重寛が3万石で入封し、12代に渡り藩主を務め明治に至った。
 阿武隈川と県庁舎の間が二の丸外にあった紅葉山庭園跡で、板倉氏先祖を祀った板倉神社がある。参拝すると2011年の震災で被害を受け再建したという。直ぐ隣の阿武隈川が天然の要害であったことは歴然だが、震災時は氾濫したのだろうか。庭園に踏み入れたが、僅かな紅葉があるだけで、往時の面影は薄かった。(2022/12/31 K.K. 1487/1500)

◇日時 2022/11/27 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料「JR全路線図」◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 
「通過時間等」自宅7:10-JR上野駅8:14-同米沢駅10:29-山形鉄道今泉駅11:09-JR赤湯駅11:38-同米沢駅13:08-同福島駅14:20=福島城14:30=JR福島駅15:16-同上野駅16:58-三田線巣鴨駅17:12-自宅17:40

越後線で、弥彦神社から新潟市内へ

 新潟の弥彦山には登ったことがある(09.5.5)。その時弥彦神社に寄ったが、素通りに近かったと思う。復路の列車時刻に急かされて、頂上ピストン往復であった。大人の休日俱楽部パス二日目、弥彦神社参拝とした。帰途コースはやはり越後線で新潟市に出ようと思う。路線検索すると上野駅11時出発で、弥彦駅14時前着がベストである。

 越後一之宮に参拝 新潟新幹線を燕三条駅に降り、弥彦駅行きを待った。ローカル線は、越後平野のど真ん中と思うが住宅街を走る。水田地帯へ出て、右手に大鳥居が見えると弥彦駅。ホームから正面に弥彦山(634m)が見えた(写真上)。
 山裾に神社があり、弥彦神社へ歩く。前回の記憶では近いと思っていたが、距離があり、上り坂の道。途中観光案内所に寄りパンフを貰い、先の十字路で神社通りへ右折。一の鳥居下から参道となり、また直角に左折。両側は深い社叢か。随神門では駅から20分を過ぎていた。越後一之宮の古社で広い境内。寡って初詣で大事故があったと思う。

 拝殿前へ進み(写真中)、参拝しコロナ退散と孫達の成長を祈願。境内には、前日迄の菊祭り出品の菊の鉢が残る(写真下)。亡父晩年の趣味で思い出した。境内を横へ出ると、深い林の中に登山道が右奥へ続いている。先に茶屋があった筈と少し歩いてみたが見えない。境内へ戻り、参道を下る。門前の酒屋へ入り、地酒を求めるが、好みの上越産“能鷹”はなく、店推薦の“越乃白雪”にした。

 越後線乗車 弥彦駅から吉田駅で、越後線新発田駅行きに乗車。二度目の乗車だが、車窓景色は初めてのよう。新潟大学前駅辺りから高校生の乗降が多くなった。新潟駅一つ手前の白山駅に下車。
 今回の次のポイントは新潟市内古町通りから万代橋。美川憲一が唄うご当地ソング“新潟ブルース”に登場し、市内出身の大学院生であったYさんに聞いていた。

 古町通り 白山駅から大通りへ出て市役所付近に歩く。新潟市は100万都市かそれに近い市街地のよう。市の中心は新潟駅周辺ではなく、こちらなのだろう。白山神社前へ至り、古町通り口を探し、入口でカメラに写すが、17時前だが真っ暗で期待できない。思ったような繁華街でも、料亭が並ぶ通りでもない。通りが違ったのだろうか。古町は、江戸期の北前船寄港地として栄えたらしい。
 十字路で右折し新潟駅を目指すが、その前に信濃川万代橋の筈だがその雰囲気はない。足も疲れ、タクシーに乗車。運転手渡る橋は万代橋より上流の橋と言い、回り込んで新潟駅であった。始発の新幹線に呑み鉄用席を確保し、古町通り訪問をYさんへメールした。(2022/12/27 K.K. 1486/1500)

◇日時 2022/11/25 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス、タクシー代970円 ◇資料「彌彦神社境内めぐり」◇歩行距離等 17,000歩 12㎞ 
「通過時間等」自宅10:00-JR上野駅11:02-同燕三条駅13:17-同弥彦駅13:55=弥彦神社14:15/14:50=JR弥彦駅15:11-同吉田駅15:39-同白山駅16:35=新潟古町通り16:55-JR新潟駅17:44-同上野駅19:58-三田線巣鴨駅20:15-自宅20:45

富士急で富士山麓の浅間神社三社を巡る

 富士山麓に多くの浅間神社があり、これまで静岡富士市にある浅間大社や河口湖近くには御室浅間神社、北口本宮浅間神社を訪ねている。調べると河口湖畔に河口浅間神社の外、下吉田にも二社があると分かった。大人の休日俱楽部パスは富士急線も利用可能で、利用期間の初日に河口湖を目指した。新宿駅から直通特急が平日も走っているが、満席であった。

 杉並木から河口浅間神社 中央線大月駅から富士急線へ入ると、河口湖駅行きに席を得た。外国人客が多いのが目に付く。都留市駅を過ぎた辺りから紅葉に染まった山峡の地の左手に、富士がちらつき始め、青空に真っ白な富士である(写真上)。終点河口湖駅に着き、河口浅間神社への情報を得て、バスに乗る。バスも外国人客で満員。駅から湖畔迄は結構距離がある。私は対岸の美術館前に降り、左右の山の紅葉を眺めながら通りを北上する。手許のガイドでは次のバス停だが、バス停四つ程先が河口浅間神社参道であった。杉並木参道から杉の古大木等の社叢に囲まれた古社である(写真中)。864(貞観6)年富士山大噴火の鎮静祈願として創祀されたとあり、木花之佐久夜毘売が祭神。本殿で参拝し、コロナ退散と孫達の健康をお願いする。参拝者があり、富士と共に河口湖周辺は世界文化遺産に選ばれた観光地だからか。参道前からも富士の秀峰が見え、カメラを出した。バスで河口湖駅に戻り、駅中食堂で昼食を取る。

 神馬がいた小室浅間神社 富士急線下吉田駅から小室浅間神社へ。ほぼ直線的に歩いた右側に見付かった。当社はやや大きめの田舎神社風。手を合わせ、境内を巡ると馬小屋があり神馬がいた。白馬である。人形ではなく本物で、びっくり。毎日の世話が大変だろうと思ってしまった。こちらも参拝者がある。

 富士が正面の新倉山浅間神社 下吉田駅反対側にある新倉山浅間神社へ歩く。往路車窓から鳥居が見え、駅へ戻らないでその方向へ行くが、大分迂回し、踏切を越して高速道路下から参道石段になった。これが急で、難儀していると外国人夫妻が追い越して行った。彼らは半袖である。坂道参道で振り返ると、また富士の霊峰が正面であった(写真下)。先ほどの夫妻もスマホを翳している。山裾に鎮座する浅間神社に頭を垂れた。石段を避け、裏参道を下る。駅への野道の途中に喫茶店があり外の席にも客がいる。やはり、観光客相手のようだ。
 今回歩きながら、富士山頂にも浅間大社奥社があり、約50年前国と神社側が土地所有を争い、神社側のものとなった事件を思い出した。富士登山で参拝した(00.7.29)。下吉田駅から富士急線で大月駅へ出て、新宿駅行き特急を待った。(2022/12/20 K.K. 1485/1500)

◇日時 2022/11/24 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス、バス代640円 ◇資料「24回富士河口湖紅葉まつり」◇歩行距離等 14,000歩 10㎞ 「通過時間等」自宅7:30-JR巣鴨駅8:00-同新宿駅8:30-河口湖駅10:40-美術館前11:05=河口浅間神社11:30=同前バス停11:48-河口湖駅12:44-同下吉田駅13: 00=小室浅間神社13:05=新倉山浅間神社13:20=下吉田駅13:45-JR大月駅15:06-同新宿駅16:14-巣鴨駅16:39-自宅17:10

平林寺を巡り野火止用水へ歩く

 季節が進み晩秋で、紅葉が美しい地を歩こうと隣埼玉の平林寺が浮かんだ。未だ武蔵野に囲まれた古刹境内の紅葉に満たれされたことがあった。過去の記録を調べると、もう10年以上の前ことであった(11.12.11)が、12月で一か月早い。見頃には早いかなと思いながらも出掛けた。平林寺は直ぐで、安近短の気楽な里歩き先で、数回訪れている。

 朝霞台駅から 今回は、東上線朝霞台駅からバスにした。これまでは武蔵野線に乗り換えていた。バスは住宅街を回り何処を走っているか不明であったが、新座市役所前を過ぎ、次が平林寺と分かった。バス停前の総門から広い境内へ。
 ようやく色付き始めた樹々があるが、やはり少し早いようだ。私は、境内を右回りしようと思っていたが、そちらへは進入禁止となっている。楢等の落枝や倒木のためとある。そちらの紅葉に期待していたのだが。

 平林寺境内を巡る 山門を見上げ(写真上)、奥の本堂に軽く挨拶し、左の散策路コースを行く。少なくない方々が歩いている。熟年ペアが多いのは何処も同じ。深い林を抜けると左手に墓所があり、その中に島原の乱供養塔があった。老中松平信綱が、討ち死にした板倉重昌に代わり上使として島原の乱を平定した縁だろう。川越藩主で家光、家綱に仕え知恵伊豆呼ばれた。信綱は、岩槻にあった平林寺を当地に移したという。平林寺堀を渡った先に大河内松平家の廟所があり、その中心が信綱夫妻の墓であった。
 裏へ回ると雑草が繁る地で、野火止塚があった。野火を見張った塚山らしい。更に奥に業平塚があり、同じものだろう。一人になって雑木林の小径を行くと進入禁止の地となり、uターンし、くぬぎ林からもみじ山へ。
 紅葉が始まり(写真中)、人出もある。アングルを探しながら紅葉へ向けシャッターを切った。 13万坪(東京ドーム9個分)と広い境内だが開放中は半分ほどであろうか。

 野火止用水 総門を出て、境内西側を大回りして伊豆殿橋へ至り、野火止用水が走っている。玉川用水から川越領に分水を実現したのも信綱で、橋にその名が遺る。
 右手の境内には雑木林が続き(写真下)、未だ武蔵野である。用水沿いに大分歩いた木製ベンチがある地点に至り、家内と逆方向から歩き、2人で休んだことを思い出した。帰宅後調べると私の500紀行に写真付きで登載してあった(213頁)。ようやく野火止用水から離れ、川越街道へ出たが、バスはなく、武蔵野線新座駅へ歩いた。(2022/12/13 K.K. 1484/1500)

◇日時 2022/11/18 ◇天候 晴れ ◇交通費 730円 ◇資料 「平林寺境内林散策マップ」22.11 ◇歩行距離等 16,000歩 12㎞ 
「通過時間等」自宅8:45-東武成増駅9:10-同朝霞台駅9:35-平林寺10:00=野火止塚10:10=業平塚10:20=もみじ山10:40=平林寺総門10:55=伊豆殿橋11:10=川越街道11:35=武蔵野線新座駅11:50-東武朝霞台駅12:02-同成増駅12:14-自宅12:40

旧友達と都内雑司ヶ谷、護国寺を巡る

 久しぶりに旧友達との会合があった際、都内雑司ヶ谷を歩こうとの話が出て、纏まり決まったとメールがあった。私のハイキング仲間で、高尾山や奥武蔵を一緒に歩き、下山後も反省会を楽しんだ。リーダーの一声で、5人が参加。未だ我が絆は残っていた。ガイド資料(「ぶらりぶらり雑司ヶ谷」22.10.4朝日)は、リーダーが用意してくれた。

 鬼子母神から 集合は10時地下鉄副都心線雑司ヶ谷駅と連絡があり、私は西巣鴨駅から歩き都電に乗って鬼子母神前駅に降り、集合駅を探し出口で、4人と出会った。
 都電踏切を渡り、鬼子母神の欅参道へ(写真上)。鬼子母神はキシモジンと読むとリーダー、私はキシボジンと覚えていた。境内には人出があり、七五三参りの家族連れも見える。本殿に参拝。コロナの退散と孫達の成長をお願いした。本殿等の建物は重文で、1664(寛文4)年築との案内板があった。売店は未だ準備中で、当社名産すすきみみずくは作り手の後継者無く、販売していないようだ。
 境内を横へ出てまっすぐ歩いた正面が法明寺。山門越しに眺めたら無人の古刹のよう。軽く頭を垂れて、uターン。都電へ方向を採り、大鳥神社へ参拝。境内には閉店の売店屋台が並んでいる。一の酉が終わり二の酉、三の酉を待っているのかと想像し、スマホで調べると、今年は11月4日、16日、28日とあり、外れではないようだ。

 雑司ヶ谷霊園、旧宣教師館 また都電踏切を越し、坂を上がって、雑司ヶ谷霊園へ。ここの霊園は思い出がある。同僚Oさんの一周忌は当霊園であった。リーダーも一緒に参列した。あれから約20年も経つ。
 広い霊園に夏目漱石と竹久夢二の墓を探し、漱石の墓は立派なものであった。霊園を出て、住宅街に旧宣教師館へ向かう。米人宣教師が1907(明治40)年に建てて34年間使用したとある(写真下)。館内に入り展示物を見学。同種の教会は弘前や鶴岡の外全国各地にも遺ると知った。

 護国寺へ 雑司ヶ谷地区から護国寺へ歩く。高速下の大通りへ出て、左手が護国寺。将軍綱吉が母堂桂昌院のために建立した江戸期からの古刹で、境内は広い。山門から進み、石段を上がり、本堂までは距離がある。
 手を合わせて石段を下り、“からすの赤ちゃん”歌碑と富士塚を案内。作曲家貝沼實や音羽ゆりかご会、童謡歌手川田正子三姉妹へと話が進み、皆さん思い出してくれた。リーダー先頭に富士塚に登る。下で見ていた私もお付き合いで上下した。皆私よりは大分年下で元気がある。
 門前蕎麦屋で昼食兼反省会。私は、Tさんと生ビールから日本酒を頂き、仕上げにお蕎麦。久しぶり御婦人方との食事会は話が弾んだ。また歩こうと約して、地下鉄駅前で別れた。(2022/12/06 K.K. 1483/1500)

◇日時 2022/11/13 ◇天候 曇 ◇資料 「ぶらりぶらり雑司ヶ谷」22.10.4朝日 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅8:55-都電新庚申塚駅9:30-副都心線雑司ヶ谷駅10:00=鬼子母神10:10=法明寺10:20=大鳥神社10:25=雑司ヶ谷霊園10:40=旧宣教師館11:00=護国寺11:10=門前蕎麦屋11:40/12:30-三田線千石駅12:52-自宅13:30

見頃な紅葉を眺めながら箱根大涌谷へ

 私の山歩き里歩きは最終章に入り、山歩きは困難となって、ロープウェイのある山へ上がり、山歩きの雰囲気を味わうのはどうだろうか。高尾山や御岳山の外、首都圏の山々にもロープウェイのある山はある。昨年の谷川岳天神峠では谷川岳を展望した。今回は、箱根の大涌谷から早雲山へロープウェイを利用し上がることにした。

 紅葉眺め空中散歩 ロープウェイ駅のある桃源台へバスで入った。ススキに囲まれた仙石原を通って、山坂を上下し芦ノ湖畔にある桃源台へ。遊覧船には乗ったことはあるがロープウェイは初めて。北海道の孫達と芦ノ湖遊覧したのはもう5年前か。周囲の紅葉は美しい時期を迎えているようだ。
 桃源台駅から乗ったのはゴンドラ型で、空中散歩である。山麓に散り広がる色付いた樹々を見下ろしながら上がる。左奥の山は台ヶ岳だろう(写真上)。紅葉に包まれている。車窓越しにシャッターを切った。姥子駅を経由し、大涌谷駅に着いた。

 大涌谷 大涌谷は、2016年の火山活動の激化で立ち入り禁止されていたが、現在は解除され、多くの観光客が出ている。私も柵へ近づいて谷を眺めるが、昔見た大涌谷風景と変わらない(写真下)。唯工事中で整備の跡が見える。早雲山は近くかなと思ったが違っていた。ロープウェイで更に一駅先と分かったのは、大分後のこと。ロープウェイチケットに掲載されていた。そそっかしさが出てしまった。子供頃からの性格がまたである。

 駅伝コースを下る バス停を教えて貰い、湯本駅行きに乗車。バスは山麓の紅葉の中を走った。上湯や下湯があり、箱根も未知のルートで、早雲山駅傍も通った。小涌谷へ降りて、ようやく土地勘を取り戻した。
 東海道だが、私には箱根駅伝5区、6区のコース。少し下ったカーブの地点は、兄夫婦達と駅伝応援をした地で、空き地にコンビニが出来ていた。正月の寒い中、3,4回は応援したと思う。数年来シード落ちが続いていたが、今年の母校は復活の兆しが見え始め、上位を期待している。山形の兄はもう年齢的に上京するのは無理だろう。お互いにテレビ観戦である。私は、小田原から5区を芦ノ湖畔迄歩き通したことがある(15.4.18・19)。
 バスは、宮ノ下温泉街から大平台ヘアピンカーブを過ぎて、カーブの連続。急ブレーキの際席から飛び出さないように注意の案内があった。私はランナー目線で見てしまい、特に6区の下りはこんな急な下りの連続かと実感してしまった。塔ノ沢となり、函嶺洞門を右に見て、平地となって箱根湯本駅であった。
 今回は、早雲山へは辿り着けなかったが、紅葉を楽しみ、箱根駅伝山下りを実感して、小田急線で帰京した。(2022/11/29 K.K. 1482/1500) 

◇日時 2022/11/07 ◇天候 曇 ◇交通費 4,080円 ◇資料 「箱根GUIDE MAP」◇歩行距離等 6,000歩 5㎞ 「通過時間等」 宿泊先8:30-桃源台駅9:05-大涌谷駅9:35/10:02-箱根湯本駅10:50-小田急小田原駅11:15-都営新宿駅12:54-三田線神保町駅13:10-自宅13:45

足立区に九条の碑を訪ね、墨堤通りを歩く

 新聞報道で、都内足立区に九条の碑が建立されたと知った(22.6.22朝日)。憲法九条を堅持しようとする方々の意思表示であろう。非武装中立を唱えた党は消滅し、最近では、自衛隊を明記する改正案も出ているご時世である。そんな中、市民団体が寄付を募って建立したという。私は、学生時代仲間と勉強した統治行為の理論等憲法判例を思い出し、基本の判例集は取っておいたはずと探したがもうなかった。

 九条の碑 地図で調べると、京成本線京成関谷駅が最寄り駅と分かり、JR巣鴨駅から日暮里駅で京成本線に乗った。関谷駅は一度くらい利用したと思うが土地勘はなく、駅前案内図を頼りに駅前通りから10分前後歩き、柳原リハビリテーション病院を探し到達したが、前庭には見当たらない。
 受付で教えて貰い戻ると、九条の碑は住宅の間にあった。ステンレス製の球体で、九条の条文が刻まれている。カメラに収めたら自分も写っていた(写真上)。これも製作者の意図で、自分が生きているのは平和のお陰と自覚して欲しいとの事のようだ。

 向島百花園句碑 京成関谷駅隣の東武伊勢崎線牛田駅から東向島駅へ。久しぶりに向島百花園を訪ねたい。駅高架下よりほぼ真っすぐに歩いて園内へ入った。今回の目的は、芭蕉句碑だが、秋の紅葉はどうだろうか。句碑は二つあり、“春もやや けしきととのふ 月と梅”、“こにやくの さしみ少し 梅の花”前句は見覚えがあるが、後句は初めて知る。江戸後期に梅園として開かれた当園には相応しい句とある。
 広くはない園内は秋色を濃くし、ススキが目立っていた(写真中)。墨堤通りへ出ようと右へ出ると白髭神社前で、参拝しコロナ早期退散を願う。

 墨田区少年野球場 墨堤通りを遡上し、右手に墨田区少年野球場を探す。少し歩いてビール会社の先にあった。本日もグランドでは少年達が練習中。この球場は有名で、当地に住んでいた少年時代の王選手が練習に励んだ地で、ここで荒川コーチに見いだされ早実高校、ジャイアンツ、ホームラン王と歩んだが、その原点が当球場という。ゲートには一本足の王選手のレリーフがある(写真下)。今年、村上選手にホームラン記録は更新されたが、記録は破られるためにあるとも言われる。
 右手の隅田川土手を越し、桜橋で隅田川を渡って浅草地区へ入り、バス停を探したがウロウロしてしまい、都営線浅草駅迄は遠く、時間を喰ってしまった。(2022/11/23 K.K. 1481/1500)

◇日時 2022/11/03 ◇天候 晴れ ◇交通費 460円 ◇資料 昭文社「東京都市図30立石」20004.4版 ◇歩行距離等 13,000歩 9㎞ 
「通過時間等」自宅8:30-JR巣鴨駅9:10-京成日暮里駅9:19-同関谷駅9:35=九条の碑9:45=東武牛田駅10:03-同東向島駅10:10=向島百花園10:25=白髭神社10:45=墨田区少年野球場11:00=桜橋11:10-都営浅草駅11:42-同神保町駅12:03-自宅12:40

れきしの里石岡に歴史遺産を巡る

 茨城の石岡は、国府があった歴史の街と知った。ネット情報では、国府とは、奈良、平安時代令制国の国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市で、国府付近には国分寺、国分尼寺、総社も設けられたとある。その通りの史跡が手許のガイド(JR東日本駅からハイキング石岡市)にも掲載されている。我が家から近くはなく後回しになっていたが、常磐線石岡駅は、上野駅から鈍行で1時間30分位だろう。

 まちなか登録文化財 石岡駅に降り、構内の案内所でれきしの里情報を貰いスタート。ガイドに従い時計回りに巡り、最初は“府中誉”という1854(安政元)年創業の醸造所。ガイドの縮尺が分からず、想定より大分左奥に古手の造り酒屋があった。現在も操業中。戻って大通りへ出ると国府公園の隣が金刀比羅神社で、参拝すると奉納された清酒白鹿の酒樽があった(写真上)。今回の石岡訪問で、地酒“白鹿”の入手をも期待したが駅の案内所で、春に倒産し売れ残りがあればと言われた。境内には正岡子規の句碑があった。通り先が登録文化財丁子屋という歴史の街に相応しい江戸末期からの染物屋の店舗。左折した右手が、府中松平家墓所のある照光寺で、覗いたがそれらしい墓は見当たらなかった。

 国府跡、府中城跡 陣屋門に至り、案内はないが、府中松平家の移設門らしい。そして、石岡小学校の前が、府中城跡で、国府跡ともある。常陸大掾(国府の長)であった大掾氏が長く支配したが、戦国期以降佐竹氏、六郷氏・皆川氏を経て、水戸徳川家の分家府中松平氏が2万石で城主を務め明治を迎えたようだ。現在では、土手よりは長く大きめの土塁が遺るだけ(写真中)。カメラに収めた。城ではなくて陣屋であったようだ。

 常陸国総社宮 常陸国総社宮を探すと小学校グランド隣の杜の中にあり、長めの参道を直角に曲がって古くて木造の山門を潜ると社殿があった(写真下)。寡っては八百万の神々を合祀し、現在は当地の多くの神社の総社とある。そして常陸国茨城郡に存在して、現県名のルーツという。七五三参りらしき家族に続いて詣でる。

 国分尼寺跡、国分寺跡 次の国分尼寺跡は北上を続け、距離がある。探し当てたが、跡地の広場のみ。最後の国分寺跡へと中心部へ戻る。ガイドを睨めながらも一度は間違えたが辿り着き、今も現国分寺があり、門前に常陸国分寺跡の案内があった。駅への途中蕎麦屋に入り、遅めの昼食。
 今回歩きながら、当地の地酒白鹿を求めようと酒店に寄ったが、いずれでももうないとの返事であった。西宮の白鹿と合法的ダブル登録白鹿事件調査の際、手伝ってくれた友人と酒の肴、否飲もうとの目論見は外れた。上りの車窓から秀峰筑波山が見えた。(2022/11/16 K.K.1480/1500)

◇日時 2022/10/26 ◇天候 晴れ ◇交通費2,760円 ◇資料 小学館「城郭と城下町」昭和62年162頁外 ◇歩行距離等 18,000歩 13㎞「通過時間等」自宅8:30-JR巣鴨駅9:10-同日暮里駅9:28-同石岡駅11:00=府中誉醸造11:25=金刀比羅神社11:35=照光寺11:50=国府・府中城跡12:00=常陸国総社宮12:15=国分尼寺跡12:50=国分寺跡13:20=JR石岡駅14:17-同日暮里駅15;45-三田線巣鴨駅16:05-自宅16:35

埼玉羽生を訪ね利根川を眺めながら歩く

 埼玉県北東部を走る東武伊勢崎線に羽生駅があることは知っていたが、乗降したことはない。手前の加須駅や先の茂林寺前駅、館林駅は里歩きの際に乗降した。目立つような名所や史跡がないからだろう。ハイキング資料(東武鉄道「沿線さんぽ 羽生」54頁)もあり、それなりのポイントが紹介してある。利根川を挟んで群馬県境の町である。

 秩父線新郷駅スタート 我が家から羽生へは、JR宇都宮線久喜駅で東武伊勢崎線に乗り換えである。浮間舟渡駅から赤羽駅へ出て、久喜駅で東武線とした。久喜駅は見覚えがあり、秘湯の会の集合駅で数回利用したが、最近秘湯の会は休会中。加須駅の次の次が羽生駅であったが、車中地図を眺め、秩父線新郷駅をスタートとし、伊勢崎線羽生駅隣の秩父線羽生駅へ歩き、新郷駅に下車。

 日光街道脇往還 勘兵衛松や川俣関所跡を目指すが、駅には期待した地図や資料はない。スマホに写した資料を頼りに大通りへ出てスタート。手前の愛宕神社をポイントとするが、距離がある。途中から歴史を感じさせる街道筋のようで、日光街道脇往還と知る。八王子千人同心が火番に東照宮を往復したという。左手に本陣跡の案内があり立ち寄る。邸内にクスの大木があるようだが、見学は断れた。ようやく街道突き当りにある愛宕神社に至り、参拝。

 勘兵衛松の並木 直ぐ先が勘兵衛松の並木(写真上)。1628(寛永6)年家光の日光参りに、当時の関東郡代の部下勘兵衛が植えたという。日光街道杉並木も1625(寛永2)年植樹開始というから、同じ頃である。400年経ち現存は1本で、他は植え替え松とある。最後の松をカメラに収めた。

 大利根眺めながら歩く 水田地帯となり街道正面に利根川堤防が連なり、左手奥の高山は赤城山と気付いた。堤上に上がる。大河利根川の中流だが、河川敷は広く流れは大分先で、対岸の群馬県側は見えない。左手下流の昭和橋は長い(写真下)。
 関所跡を探し、堤上を上下するが見当たらない。橋袂近くに四方形の石囲いの跡があるが案内はない。諦めて羽生道の駅へ。昼飯と地酒を求め、羽生駅への徒歩時間を教えて貰う。
 利根川を眺めながら堤上を下る。本当に利根川は広い。坂東太郎もこの辺りは穏やかで暴れ川とは窺えない。故郷の最上川を知るが遥かに広い。利根川に別れ土手を下り、駅への方向と伊勢崎線路へ近づこうと里道を進むが中々見えて来ない。
 下川俣バス停があり、10分弱でバスが来ると分かり待つことにした。バスで先程の新郷駅に戻り、羽生駅から伊勢崎線に乗った。(2022/11/09 K.K.1479/1500)

◇日時 2022/10/19 ◇天候 曇 ◇交通費1,520円 ◇資料 東武鉄道「沿線さんぽ 羽生」平成18年54頁 ◇歩行距離等 14,000歩 10㎞
「通過時間等」自宅8:20-JR浮間舟渡駅8:53-同赤羽駅9:05-東武久喜駅9:53-秩父線羽生駅10:30-同新郷駅10:40=愛宕神社11:00=勘兵衛の松11:05=利根川堤11:20=道の駅11:55=下川俣バス停12:20-秩父線新郷駅12:55-東武羽生駅13:08-JR久喜駅13:37-同赤羽駅14;21-同浮間舟渡駅14:30-自宅15:00

会津西街道を走り、復興只見線に乗車する

 10月1日只見線が全線繋がり開通したとマスコミで知った。Sさんから行こうとメールが届いた。有難い話で、了解の返信をして12日となった。その頃なら押しかける乗り鉄マニアも落ち着くだろうという。紅葉には早いかもしれない。調べると日に朝昼晩の三往復で、昼の列車に合わせて、8時出発となった。只見線は2011夏の豪雨災害で、只見駅から会津川口駅は不通区間となり、前回はその前後の区間で乗った(18.8.18)。

 車で奥会津へ 車は東北自動車道を走った。私は単純に、郡山、会津若松経由かなと考えていたが、西那須野インターで降りて、塩原温泉街を通り抜け、上三依から会津西街道を福島へ走った。山間ではあるが、鬼怒川からの鐵道野岩線と並行している筈だ。南会津田島から左折して桧枝岐へ向かい、直前で右折し只見町に入った。奥会津の地である。

 只見駅会津川口駅間乗車 駅には、“おかえり只見線”の横断幕もある(写真上)。JR只見駅発14時35分の会津若松行き気動車は、定刻に発車した。平日なのに満席で、私はロングシートに何とか座れた。熟年高齢者が多い、大半はマニアだろう。私もその一人。折しも鉄道開業150周年記念事業と重なり、旅行客が多いのは確かだ。
 今回は、会津川口駅迄乗車し前回のバス代行区間で、合わせて全線乗車を目論んだ。会津塩沢駅付近から只見川が車窓から見え始め、鉄橋がポッキンと折れていたのはこの辺りかなと眺めたが不明で、後にもっと下流と分かった。呑み鉄を始めた方もいて、対面座席である。少し羨ましいが、こちらはその環境ではない。樹木の繁る山間を走るが、紅葉には遠い。只見町や田子倉ダム周囲の山々も色付きは未だであった。

 二両列車は順調に走り、約1時間で会津川口駅に着いた。小出行き下り列車も到着した(写真下)。10分停車で、狭いホームには多くの乗客が乗降した。前回ここから会津若松行きに乗車した駅で見覚えがあり、これで、JR只見線も乗り切ったことになった。Sさんのお陰である。
 只見線乗車前に時間があり、田子倉ダムを往復。1960(昭和35)年ダム・発電所が完成した田子倉発電所の建設用鉄道がその後、1963(昭和38)年国鉄線として会津川口駅から只見駅迄開業したと知る。

 会津西街道 金山町から昭和村、下郷町付近を経て、また南会津町田島へ出て、会津西街道を戻った。会津西街道は思い出がある。西街道大内宿へは会津線湯野上温泉駅から歩いて往復した(07.12.1)。駅舎は茅葺屋根であった。また今市先の西街道杉並木を歩いた(15.8.25)。東武鉄道大桑駅から大谷向駅間で、杉並木内に大名行列が交差した時の待避の道もあった。尾瀬からの帰途、南会津隣の昭和村駒止湿原に寄って貰い満開のニッコーキスゲに出会ったこともあった(09.712)。先ほどその案内標柱を見た。会津田島からは往路を走り、20時前に帰宅出来た。Sさん感謝です。(2022/11/1 K.K. 1478/1500)

◇日時 2021/10/12 ◇天候 曇 ◇交通費 510円 ◇資料 JR只見線利用促進実行委員会「只見-会津川口復興ガイドマップ」平成30年12月 「通過時間等」自宅7:55-只見町12:10-田子倉ダム13:10/13:50-JR只見駅14:35-同会津川口駅15:40-会津田島道の駅17:00-自宅19:45

京急線沿いに横須賀ヴェルニー公園から歌碑を巡る

 夕方のテレビ放送から横須賀にあるヴェルニー公園を知った。地図で調べると、横須賀湾に面した幕末から明治期の史跡のようである。京急線駅からも近く、湾沿いで私の里歩きにはぴったり。これに伊勢佐木町と港町駅にある歌碑巡りを加えたい。いずれも京急線の駅が最寄り駅と思う。

 横須賀ヴェルニー公園 京急線は我が家からは至便で、三田駅で乗換れば京急線。私は、ヴェルニー公園は汐入駅が最寄り駅と知り、京急線で横浜駅を過ぎ汐入駅に降り、駅前の交差点を歩道橋で渡った先が目指す公園であった。

 ティボディエ邸、ヴェルニー記念館 公園は意外に広く、細長く湾沿いに続いていた。フランス人のティボディエ邸があり、洋館に入ってみた。横須賀製鉄所(造船所)の副首長として、明治初期にわが国で造船技術を指導した方とある。館内は資料展示館で、その頃の横須賀港を描いた絵が目に付いた。孫が勤め始めた会社らしき名称があったからだ。
 係留船を眺めながら湾沿いに歩く。正面の大船は戦艦だろう(写真上)。ヴェルニー記念館は、公園の端で横須賀駅の近くにあった。フランス人のヴェルニーは製鉄所の首長として、幕末から12年間滞在し活躍したとある。高等技術者教育機関を設けて、我が国の高等技術者も養成したという。館内には、当時輸入し使用した3トンスチームハンマー等が展示されていた。

 小栗上野介の貢献 園内には、ヴェルニーと小栗上野介の胸像(写真中)があった。小栗は、横須賀製鉄所建設を推進し貢献したとある。私は、幕末の勘定奉行で最後は幕府の軍資金を持って上野国に隠棲したとしか知らないが、遣米使節の1人として米国の工業化を目の当りにし、その重要性を説いて献策もしたという。偶々10月26日bs3の“英雄達の選択”で小栗のことが、幕末の先覚者、目指す徳川の近代国家として放映され、横須賀製鉄所建設もあり、幕末の偉人と知った。

 伊勢佐木町から港町へ 京急線黄金町駅に下車し、右手の橋を渡り、伊勢佐木モールへ向かった。歩行者天国を歩くとほぼ想定した地に、“伊勢佐木町ブルース”の歌碑が見付かった。公園ではなく道路端に、ピアノ型歌碑が建っていた。1967(昭和42)年発売し、あの青江三奈のため息交じりの歌唱でヒットした。カメラに収めて、日ノ出町駅へ歩いた。

 京急線川崎駅で、大師線へ乗り換え次の港町駅に下車。お目当ての“港町十三番地”の歌碑は南口改札先に、ひばりの写真とともにあった(写真下)。港町十三番地のご当地ではなく、レコード会社日本コロンビア社が近くにあるからの縁という。また十三番地は、実在ではなく曲調との語呂合わせからと知った。1952(昭和32)年からの大ヒット曲である。僅か5分程度の滞在で川崎駅行きの電車が来て、乗車した。(2022/10/.27 K.K. 1477/1500)

◇日時 2022/10/08 ◇天候 曇 ◇交通費1,630円 ◇資料「横須賀市自然・人文博物館アクセスMAP」 ◇歩行距離等 10,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅8:20-京急線三田駅9:25-同汐入駅10:25=ヴェルニー公園10:30/11:05==京急線汐入駅11:25-同黄金町駅12:10=伊勢佐木町ブルース歌碑12:20=京急線日ノ出町駅12:35-同川崎駅12:56-大師線港町駅13:00/13:05-京急線川崎駅13:18-三田線三田駅13:45-自宅14:35

都内目黒に自由が丘を訪ね歩く

 渋谷駅から横浜駅へ走る東横線に自由が丘駅があるが乗降したことはない。目黒の高級住宅街かな、程度の知識であったが、購読紙から情報を得た。昭和初期から芸術家や文化人達が移り住み自ら自由が丘と称して以来、東横線駅名も九品仏駅から自由が丘駅へ変更され、1932(昭和7)年には地名も衾村から自由が丘となったとある(「まちの記憶自由が丘」22.6.27朝日)。略図があり、歩いてみることにした。

 初めての自由が丘 我が家から自由が丘へのアクセスはわかり易い。三田線の目黒線直通の日吉行に乗り、大岡山駅で大井町線へ乗り換えれば自由が丘駅で東横線と交差し、1時間強だろう。順調に進み自由が丘駅に着き正面口へ出た。やっぱり見たことのない駅前風景。シンボルの自由の女神像を探すと、広場の端に大きくはない像が建っていた(写真上)。1961年ご当地の彫刻家澤田政廣作、舞踊家石井漠揮毫とある。
 旧トモエ学園跡へと略図に沿い商店街通りへ入るが見付からない。自由が丘学園を引き継いだのがトモエ学園で、“窓際のトットちゃん”で有名になったのは知っている。諦めて、熊野神社へ足を向ける。

 “ナボナ ナボナ”亀屋万年堂 大通りから右手の高い樹々を見付けて接近すると山勘通り、参道。本殿に参拝し戻ると胸像がある。衾村の大地主で昭和初期村長も務めた栗山翁で、駅名や地名の自由が丘に賛同し決断したとある。自由通りへ出て、亀屋万年堂本店へ。今度は山勘が外れ、持参地図から振り向くと本店ビルが見えた。
 同店の洋菓子“ナボナ ナボナはお菓子のホームラン王”と王選手がテレビCMに登場したのは何年前だろう。ジャイアンツ同僚国松彰選手の奥さんの実家のお菓子なのだ。私は、9連覇前半に活躍し、シュアなバッティングをする国松選手に注目していた。店内(写真中)に入りナボナを求め尋ねると、国松会長は最近店には見えないと教えてくれた。

 九品仏川緑道 自由通りを下り、目黒区から世田谷区へ入って奥澤神社に詣でる。こちらでもコロナの早期退散をお願いし、少し戻って九品仏川緑道へ左折する。
 緑道樹々の下にはテーブル、椅子があり少なくない男女がコーヒーを飲み、読書を楽しんでいる(写真下)。平日の10時過ぎで、ハイクラスな自由が丘らしいのだろうか。隣駅の寺院九品仏迄緑道は続くと思っていたが予想に反し、東横線高架先でお終まい。駅へ戻るほかはなく、駅前交番でトモエ学園跡を尋ねて、再度先程の商店街通りへ入ったが現在工事中の地らしい。また諦めて自由が丘駅へ戻った。(2022/10/17 K.K. 1476/1500)

◇日時 2022/09/28 ◇天候 晴れ ◇資料 昭文社「東京都市図106自由が丘」20004.4版 ◇歩行距離等 8,000歩 6㎞ 「通過時間等」自宅8:10-大井町線大岡山駅9:18-同自由が丘駅9:30=熊野神社9:45=亀屋万年堂9:55=奥澤神社10:10=九品仏川緑道10:15=大井町線自由が丘駅10:48=目黒線大岡山駅11:00-自宅12:10

埼京線戸田公園駅から新大宮バイパスへ歩く

 埼京線で赤羽駅、大宮駅間を往来する度戸田公園駅を通過する。駅近くにそんな公園はあるのかと訝っていたら、戸田ボート場のことと知った。しかし、荒川傍で、駅からは大分離れていて、違和感は解消しない。それなら戸田公園駅から戸田ボート場へ歩いてみようと思う。これまで同駅での乗降はない。最近都内巡りが多く、時には埼玉も良いだろう。

 埼京線戸田公園駅 バスで埼京線浮間舟渡駅へ出た。次が戸田公園駅。我が家から1時間弱で着いた。高架のホームからも戸田ボート場は見えなかった。駅西口からボート場を目指す。商店街とも住宅街とも言えない中のオリンピック通りを行く。駅から10分程要した。長さ3000m幅107mのボート競技場で、1964年はオリンピック競技の地。私の思いは当たっていたが、駅名の決まりはないのだろう。左手に小公園があり、戸田橋の親柱が保存してあった。

 戸田公園はボート場 ボート場の北側を行く。この辺りは企業や大学の艇庫が並び水面は見えない。艇庫へ入りボート場を覗くと、2,3艘のボートが練習中のよう。艇庫内はボートを保管中(写真上)。早大艇庫の先からボート場柵沿いの路となるが、柵が邪魔し水面は見えにくい。反対側は町工場が多い。公園大橋へ至り、北側から南側へ渡る。ボート場は左が漕艇場で、右が競艇場。本日競艇開催日のようで、少し人出が始まっている。私は、ボート場を出て荒川土手へ上がる。正面は笹目橋で(写真中)、川面は左手下で流れも見える。

 笹目川から新大宮バイパスへ 土手を下りて、笹目川へ。競艇場入口の前から回り込み川へ出て、富士見大橋とある。ここで私の誤りに気付く。笹目川は新大宮バイパスに面した笹目神社辺りから流れる小川と思っていたが、それは笹目川の支流と知った。
 今回の終点は支流に架かる聖橋。支流沿いを遡上すると一羽白い鳥がいて(写真下)シャッターを切った。鷺か。早瀬でバイパスを歩道橋で渡り、聖橋バス停を探す。最後はバスで三田線西高島平駅へと想定していた。

 笹目橋上で埼玉から東京へ 処が時刻表では朝夕のみの通勤用で、中間はないバスダイア。埼京線方面も30分後。笹目神社に参拝して休憩し、笹目橋を渡り西高島平駅へ歩くことを決意。30分程だろう。徒歩で花見に来たことがある(12.4.12)。
 またバイパスを渡り、笹目橋への坂となる。左手に先ほどのボート場が見えた。600mを越す長い笹目橋で埼玉から東京へ入り、三田線西高島平駅へ歩いた。本日昼過ぎから雨の予報で早めに家を出たが、もう昼前だが天候は悪くなる気配はない。(2022/10/6 K.K. 1475/1500)

◇日時 2022/09/22 ◇天候 曇 ◇資料 昭文社「埼玉県道路地図・戸田市」46頁 ◇歩行距離等 16,000歩 12㎞ 「通過時間等」自宅7:55-埼京線浮間舟渡駅8:40-同戸田公園駅8:50=戸田ボート場東端9:05=戸田公園大橋9:40=富士見大橋10:00=聖橋バス停10:15=笹目神社10:30=笹目橋10:45=三田線西高島平駅11:06-同新高島平駅11:10-自宅11:15

列車を乗り継いで石巻線沿線の涌谷城跡を訪ねる

 大人の休日俱楽部パスの最終日、宮城県の奥仙北地方にある涌谷城跡を訪ねることにした。最近城跡紀行を整理し始めて、未訪の城跡を巡っている。前々日も羽越本線で秋田に本荘城跡を訪ねた。本日は、涌谷城跡の後、白石城跡をも予定。しかし、宮城県も広く、順調に列車を乗り継いでも16時前後になる予定だが、体力も心配である。

 小牛田から涌谷へ 涌谷城は、一国一城令下、仙台藩の要害となった仙北涌谷にある平山城である。城主は亘理氏で伊達氏の分家ではないが、後に伊達氏を名乗ることを許された涌谷伊達氏。手許の資料に紹介されそれなりの格式のある城だろう(「城郭と城下町1北海道・東北」130頁)。今朝新幹線で仙台駅に着いて東北本線に乗り、小牛田駅で石巻線に乗り換え二つ目の涌谷駅に下車し、小牛田を含め初めての地。水田地帯のよう。駅前通りを行き、町役場前から商店街を進むと橋へ出て、左手先に櫓が見えた。

 涌谷城跡を見学 涌谷城は丘陵高台にあり江合川を天然の要害としている。もともと当地方の豪族大崎氏の重臣涌谷氏が城主であったが、小田原征伐に参陣しなかったため秀吉の奥州仕置きで没収され、伊達領となり、伊達氏の家臣亘理氏の居城になった。2代宗重は、1671(寛文11)年伊達騒動の当事者となり、大老の酒井邸で尋問中、伊達藩奉行(家老)で一関藩主宗勝の腹心原田甲斐宗輔に殺された(伊達騒動)。大老邸での事件もあったのに伊達藩はお咎めなしとなり、一方の一関藩の宗勝は改易となった。涌谷の宗重は宗家を護った功労者だろう。江合川に架かる涌谷大橋を渡り左折し、櫓を正面にし、川沿いに遡ると石垣の上に櫓が見えた(写真上)。現存城跡は細長い本丸跡で、唯一の遺構は太鼓櫓のみ(写真下)。模擬天守風の建物は史料館だが本日は閉館日。奥の涌谷神社に挨拶。境内右手に宗重像があった。

 石巻線、仙石線、東北本線 涌谷駅に戻り、また石巻線に乗った。石巻駅に着き仙石線で仙台駅へと思っていたら、なんと途中で東北本線へ乗り入れた。しかし遅れて白石行にはギリギリとなり仙台駅は広く諦めた。

 久しぶりの呑み鉄 帰りの新幹線は地酒一ノ蔵とホヤで呑み鉄になった。本日通過した小牛田出身の旧同僚や少し先の気仙沼出身の後輩がいて、呑み友でもありホヤを教えて貰った。2人は年下であったが早世され、生前を思い出しながら小さなコップを傾け、三陸産ホヤを嚙み締めた。当初ホヤは苦手であったが慣れて珍味となった。白石蔵王駅を通過した際、白石城跡は訪ねたことがあり(94.9.5)、メモが残ると思い出した。(2022/10/2 K.K. 1474/1500)

◇日時 2022/09/14 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料小学館「「城郭と城下町1北海道・東北」130頁 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 
「通過時間等」自宅7:30-JR上野駅8:46-同仙台駅10:44-同小牛田駅11:36-同涌谷駅11:45=涌谷城跡11:55/12:25=JR涌谷駅12:52-同石巻駅13:55-同仙台駅15:23-同上野駅17:25-三田線巣鴨駅17:42-自宅18:15

羽越本線を乗り切り、途中の本莊城跡へ寄る

 秋田での二日目、本日は羽越本線で新潟行である。これまで、新潟駅、酒田駅間は数回乗ったが秋田駅からや秋田駅迄はない。日本海沿いの長い路線だが、直通特急が走っている。今回は、羽後本荘駅で途中下車し、本荘城跡を訪ねたい。最近調べて、山形の最上義光が戦国末期頃手を伸ばしたと知り興味を惹いた。

 秋田駅から羽後亀田駅を通過 9時過ぎ秋田発酒田行きの鈍行(写真上)で、羽後本荘駅へ向かった。新屋駅を過ぎると右手に海が見え始め、昨日訪ねた男鹿半島が見える。羽後亀田駅に着く。この駅は松本清張の“砂の器”で知った。被害者と犯人の会話がズーズーの東北弁で、その中にカメダの地名があったと刑事が情報を得て、当地かなと捜査に訪れたのであった。木造の小さな田舎駅だが、小説の実際は、鳥取木次線の亀嵩駅であったのだ。10時前に羽後本荘駅に着いた。

 鳥海山を眺めた本荘城跡 由利本荘市役所隣の高台に城跡公園があり(写真中)、本丸跡が遺っていた。本荘城は、別名は鶴舞城、尾崎城。
 山形の最上義光は東の関ケ原戦、慶長出羽合戦で勝利し羽後由利郡を手に入れ、慶長8年(1603年)尾崎山に本荘城を築き重臣楯岡満茂を配置した。最上氏が改易されると老中も務めた宇都宮藩主本多正純が左遷され移封されたが、1年後正純は横手城に幽閉された。その後横手の豪族であった常陸府中藩主六郷政乗が2万2千石で入封し明治維新まで続いた。本荘神社に参拝し、裏側から鳥海山を眺める(写真下)。出羽富士の山容は偉大も美しい。一時的にせよ山形の最上義光は鳥海山を越した遥か先まで支配していたのだ。本丸跡を出て、帯曲輪のような地を通って、濠跡を見下ろした。はっきりした遺構はなかった。

 象潟駅から庄内へ 羽後本荘駅へ戻り、新潟行特急いなほに乗車。左手に鳥海山が見え隠れする。陸の松島と呼ばれる九十九島の中に、蚶満寺が見えて、象潟駅に停車。奥の細道で芭蕉が訪ねて、境内に像も建つ。私も追っ掛けて来た(18.7.3)が、この時秋田へ出る予定が乗り遅れ新潟行となり、ここからは羽越本線は初めてではない。鳥海山も山裾で、海上には飛島が見え、吹浦駅を過ぎ酒田駅に着いた。庄内平野は稔の秋色であった。余目、鶴岡、三瀬、小波渡の各駅は中高時代から海水浴や部活の遠征で少しは知っている。初めて海水浴をした由良海岸は再訪したいが実現していない。

 羽越本線は? 新潟へ入り、岩稜海岸笹川流れを右に見て、村上駅を通過。一年前新潟駅迄は乗車したばかり(21.9.7)。新発田駅を越し、羽越本線は新津駅が終点で、新潟駅へは白新線と知った。(2022/9/29 K.K. 1473/1500)

◇日時 2022/09/12 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 「由利本荘市観光ガイドマップ」 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」宿泊先8:40=JR秋田駅9:07-同羽後本荘駅10:00=本荘城跡10:15/10:35=JR羽後本荘駅11:07-同新潟駅14:23-同上野駅16:33-三田線巣鴨駅16:55-自宅17:30

JR男鹿線・なまはげラインで男鹿半島を往復する

 今回のJR東日本大人の休日俱楽部パスの行く先は決めていた。秋田新幹線で秋田駅へ行き、初日は男鹿線乗車である。なまはげライン男鹿線は初乗車。二日目は秋田駅から新潟行特急に乗り、羽越本線を乗り切りたい。秋田駅前にホテルを予約した。秋田行きは7年振り。

 なまはげラインに乗車 秋田駅で昼食を取り、男鹿線に乗った。3両編成の列車は市内から郊外向け走った。秋田市は駅の西、海側が発展した地方都市らしい。追分駅に着いて思い出した。ここまでは奥羽本線と並行して、五能線乗り鉄の際乗ったことがある(16.09.02)。羽州街道の追分の地点かなとネットで調べたが不明。
 我が男鹿線は男鹿半島へと左手へと走り続けた。海を眺めながらの海岸線の路線と想定していたが、海岸より大分内側でその間には松原や住宅も見える。一定間隔で高い風車が並び発電用で、強い風が吹く証だろう。天王駅付近で鉄橋を渡った時左手先に海が望めた。500m程先だろうか。

 寒風山を遠望 右側の車窓を眺めていたら、小高い山が見え、山頂に建物があり寒風山(355m)だろう(写真上)。
 日本海の展望台がある男鹿半島の名所で、一度訪ねている。盛岡出張の際秋田へ足を延ばし、当地に赴任していた友人夫妻が車で案内してくれた。山頂周辺は樹木がなく芝生の山で、風が強いからと思われる。調べると30年前であった。
 今回も一応寒風山やなまはげ館を調べたがアクセスが悪く、諦めた。車窓から寒風山へ向けシャッターを切ってみた。
 終点男鹿駅に着き(写真中)、折り返し迄約1時間あり、波止場から道の駅を巡った。船川港と言って、寡って貨物鉄道線もあった港と知る。現在の波止場には一隻の船もなかった。今晩ホテルでの晩酌用地酒と僅かな肴を求め、列車に戻った。待合室に飾ってあったなまはげをカメラに収めた(写真下)。17時にはチェックイン出来た

 ホテルで一人晩酌 この度秋田新幹線を利用した。二度目と思う。上野駅から盛岡駅迄は2時間強、処がそこから秋田駅迄約1時間半も要した。在来線利用の新幹線だから已むを得ないだろうが、遅いと感じた。途中の駅では臨時停車し二度も上り列車を待った。単線の故か。
 時々同じ在来線利用の山形新幹線にも乗るがそう遅いと感じたことはない。慣れの差だろうか。そんなことを考えながら、先ほど男鹿の道の駅で求めた地酒と海産物で、一人晩酌をした。(2022/9/24 K.K. 1472/1500)

◇日時 2022/09/11 ◇天候 曇 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 男鹿市観光課「男鹿半島」 ◇歩行距離等 7,000歩 5㎞ 
「通過時間等」自宅8:00-JR上野駅9:14-同秋田駅13:46-同男鹿駅14:35/15:38-同秋田駅16:40=宿泊先16:50

旧江戸川乱歩邸を見学し、池袋駅周辺を歩く

 旧江戸川乱歩邸が池袋の立教大学キャンパス傍にあると知った(22.4.11讀賣)。1万冊以上の蔵書もあるという。私には、江戸川乱歩と言えば、怪人二十面相や少年探偵団、明智小五郎を思い出させる。中学1年の頃校内図書館に揃い、借りては貪り読んだと思う。司書さんに校内一の借り手と言われたことがあった。旧江戸川乱歩邸は月曜日、金曜日の11時からの公開で、開館の日時に合わせた。

 立教大学、旧乱歩邸 池袋駅西口から立教大学へ歩いた。少し距離があり立教通りへ左折し、正門前へ(写真上)。大学キャンパスらしい校舎が両側に並ぶが、今時都心なのに高層でもなく伝統を感じさせる。ミスターが有名だが、少なくない高校同級生や知人がこの大学で学んでいる。
 右折した先の郵便局前が旧江戸川乱歩邸であった。受付もなく、玄関へ入ったら屋内へ上がることは出来ないとある。建物外側からガラス越しに立派な応接間を覗く。推理作家仲間との社交場であったという。隣の和室が執筆室だったようで、本日管理人らしい方がおられた。その裏の土蔵を入口から覗くと、蔵書が1、2階にびっしり並んでいた(写真中)。

 若き日、少年探偵団等を読んで知った“弓手(ゆんで・左手のこと)”の語があった。少年探偵団の小林少年が犯人を洞窟へ追跡し、その時の謎解きのキーワードだったと思う。そんなこと思い出しながら、旧邸を外側から眺め邸外へ出た。

 美久仁小路を歩く 先日テレビで徳光アナの路線バスの旅を観ていたら、池袋駅前繁華街に“美久仁小路”が映し出され、青江三奈が唄う“池袋の夜”にも唄われていると徳さんが紹介した。彼は立教出で、当地は詳しいと本人の言。

 確かめようと、東口から歩く。途中の案内図に見付け、探し当てた。両側に飲み屋が並ぶ小さな飲食街通りで(写真下)、昭和の夜の街。この時間開いている店はない。カメラに収めて、近くの栄町通りから駅東口へ戻った。

 梟像に再会 池袋駅には梟の像があった筈と、駅構内へ入ると偶然像が正面にあった。何年振りの再会だろうか。記憶では狭い通路にあったと思うが、コンコース風の通路内である。梟さんへ向けシャッターを切った。傍にいた方は動いてくれ、頭を下げた。
 池袋は久しぶりで、今回は板橋区役所前からバスに乗り池袋駅西口に降りた。そして、旧乱歩邸開館時間に合わせて、駅前の銀行に寄り用事を済ませ、駅前を歩いた。
 帰宅後、青江の“池袋の夜”を聴くと件の小路はあった。(2022/9/20 K.K. 1471/1500)

しながわ花海道から旧東海道を歩く

 キバナコスモスが咲いたとの新聞情報を見付けた(22.8.22朝日)。場所はしながわ花海道で、昨年普通のコスモスを鑑賞した地(21.10.16)。キバナコスモスは数年前、木場公園で出会って以来、大好きな花となった。黄色も濃く橙色のコスモスで、一群で咲き揃う花畑は美しくも品があり、魅せられてしまった。
 京急鮫洲駅からしながわ花海道、そして区民中央公園へ歩こうと思う。

 鮫洲駅から歩く 三田駅で、都営三田線から京急線に乗り換えた。品川駅を過ぎると鮫洲駅は近く、降りて八幡神社を探した。昨年見逃し今回は挨拶しようと思う。駅近くの小路奥にあり、手を合わせコロナ退散をお願いした。境内には、池を前に厳島神社、漁呉玉神社の小社が並んでいた。
 キバナコスモス花海道 参道からしながわ花海道へ向けと歩くと、手前に小公園がありキバナコスモスが咲き出迎えてくれた。直ぐ勝島運河で、見覚えのある小港風景。運河土手に花壇が細長く続き、キバナコスモスがほぼ満開。カメラを構えながら花壇の上下を歩く。花の色の濃さや咲き具合も同じではないと気付いた。花壇は各商店街や各町内会が整備、運営しているようで、花の咲き具合は一様でない。私は濃い目のキバナコスモスが好きで(写真上)、探してはシャッターを切った。立会川が近くになって、花海道も終わりとなり、土手を下りて商店街を歩いた。

 区民公園は工事中 競馬場通りへ左折し、しながわ区民公園だが工事中で閉鎖中。海岸通りへ入ると左手は大井競馬場。存在は知っていたが縁はなく、羽田空港行き東京モノレール線の車窓から眺めた程度。
 区民公園への入口があり入園。園内には、遊園地やバーベキュー広場がある。広い公園で、道路高架下を抜けると和風庭園のような風景。私は、緑地高台の木陰の径へ上がり、僅かながらハイキング気分を味わう。暑さも感じない。公園南端のしながわ水族館の外側を回って、第一京浜国道へ至った。

 旧東海道を歩く ここで、鈴ヶ森から旧東海道を歩くことにする。直ぐ刑場跡で(写真中)、昨年も寄ったので素通りし、旧街道を上る。以前に品川宿から当地まで歩いたことがあるが、品川宿辺りは宿場町の面影を遺していたが、ここらは普通の街道筋。立会川に架かる浜川橋を渡る。なみだ橋との案内があり(写真下)、鈴ヶ森処刑場への罪人を送って来た家族達が、涙ながらに別れた場所との説明。
 旧東海道を離れ京急立会川駅へ向かうと、途中に坂本龍馬像があった。昨年掛けていたマスクは外していた。(2022/9/16 K.K. 1470/1500)

◇日時 2022/08/29 ◇天候 晴れ ◇交通費 320円 ◇資料 「キバナコスモス秋の風情を感じて」22.8.22朝日 ◇歩行距離等 13,000歩 10㎞ 
「通過時間等」自宅8:15-京急三田駅9:12-同鮫洲駅9:40=八幡神社9:45=しながわ花海道9:50=大井競馬場横10:15=しながわ区民公園10:20=鈴ヶ森10:45=京急立会川駅11:12-三田線三田駅11:33-自宅12:25

JR烏山線を宇都宮から乗り鉄して往復する

 鬼怒川温泉宿泊の翌日は、JR宇都宮駅へ出て烏山線乗り鉄とした。烏山線は二度目で、烏山城跡を訪ねた際に乗車している(06/5/3)。烏山は、小さな山峡の街並であったと思う。朝、東武鬼怒川線下今市駅からJR今市駅へ歩いて日光線で宇都宮駅に着き、烏山行きに乗った。そう待つことなく、予定通り各線に乗り換えることが出来た。

 田圃は初秋か 定刻通り宇都宮駅を発車。女性運転手である。最初の二駅は東北本線で、宝積寺駅から分岐したのが烏山線と知る。烏山駅以外は全駅名忘れていた。既に列車は水田地帯を走り、良く見ると黄ばんでいる田圃もある。未だ9月前で、早生種かなと想像した。進行右手先に筑波山山姿を遠望し、関東平野の北端を走っているようだ。平日のローカル線は乗客が少ない中、仁井田駅では高校生らしき男女数人が下車して行った。近くに学校があるのだろうが、駅付近には見えなかった。

 2度目の烏山 列車の両側に林や里山が迫り、大金駅付近ではトンネルを抜け、滝駅を通過し、思い出した。烏山城跡見学の後、持参したガイドマップ(駅からハイキング「歴史の街・烏山散策」2003年96頁)に沿い、市街から龍門の滝へ歩き滝下へ出て、高さ20m、幅65mの大滝を眺め驚いたのであった。車窓から確かめ、復路で江川の流れに滝上の横直線が見えた。那珂川の支流で、那珂川でアユ釣りをしている友人は、今年は雨の増水で二度だけと嘆いていた。
 50分程で終点烏山駅に到着(写真上、中)。駅舎は建て替えられて前回とは違い、駅前風景も記憶から飛んでいた。城跡は右奥の山麓であったと思う。調べると那須烏山市で、北の山裏は那須黒羽、東側先は茨城である。
 Uターン列車に乗り、宇都宮駅へ。烏山線7駅には七福神が割り当てられて、それぞれ駅名と七福神キャラが共に付されている(写真下)。復路は列車スピードが速く感じ、私は山からの下りだからと思ったが、実際の所要時間はそう違いはなかった。

 宇都宮線快速利用 宇都宮線を往復した。久しぶりである。快速に乗り、車窓風景を眺めて、これまで歩いた山歩き里歩きが浮かんだ。小山駅は、水戸線や両毛線のターミナルでもあり、沿線には城跡や史跡も多い。また小山付近は、首都圏自然歩道“関東ふれあいのみち”栃木県コースの要所で何回も乗降した。古河もその例で、野木にはひまわり畑があった。今では、宇都宮線は便利になり、11時半過ぎ烏山駅から乗り宇都宮駅経由で、赤羽駅着は14時であった。(2022/9/3 K.K. 1469/1700)

◇日時 2022/08/22 ◇天候 晴れ ◇交通費 3,530円 ◇資料 JTB時刻表拡大図(関東・甲信越地方)◇歩行距離等 5,000歩 4㎞ 
「通過時間等」 鬼怒川宿泊先8:35-東武ワールドスクウェア駅8:49-JR今市駅9:46-同宇都宮駅10:33-同烏山駅11:39-同宇都宮駅12:35-同赤羽駅14:06-三田線新板橋駅14:23-自宅14:50

JR日光線に乗り杉並木を歩く

 長男家族から鬼怒川温泉行の誘いがあった。孫達の夏休み旅行で、何年か振りである。数年前までは裏磐梯高原や那須野に泊まり山形の兄達も一緒に楽しんでいた。長男の車ではなく、私は、一人電車と伝えた。最近里歩きに代え近郊の乗り鉄をしているが、日光線や烏山線の乗り鉄も考えていた。馴染みの薄い路線であり、宇都宮から左右に北関東を走り、日帰り可能である。

 宇都宮駅から日光線 JR板橋駅から赤羽駅へ出て、宇都宮行き快速へ乗車。1時間30分弱で着き、日光線に乗り換えた。日光線ホームへ下りると広い上に、独自の待合室もあり、日光線の歴史を感じさせる。駅構内から直ぐ宇都宮市内となり住宅街を走った。日光線は宇都宮駅と日光駅を結ぶ40.5㎞、7駅の単線である(写真上)。初めての乗車ではないが、乗り切りは一度位だろう。鶴田駅の次は鹿沼駅だが、郊外へ出て田園地帯というよりは山間に近い風景の中に、屋敷森や竹林も見える。しかも、大分距離があり、ようやく鹿沼駅に着いた。鹿沼市には、東武鉄道新鹿沼駅もあり、こちらが表玄関であろうが、小さな駅舎。右手に見える低山は宇都宮アルプスと呼ばれる山々であろう。歩こうと一度は検討したが、アクセスが悪かったと記憶している。

 鹿沼駅、日光駅 次は文挟駅で、左手に例幣使街道杉並木が見え始めた。昨年末歩いて大失敗した地だ。杉並木を抜けて東武北鹿沼駅を探し損ね、地元の親切な方に車で東武新鹿沼駅へ送って貰ったのだ。長い杉並木を見ながら文挟駅を過ぎた。下野大沢駅、今市駅、今度は杉並木を右に見て、日光駅であった。駅舎は洋風の二階建てのモダンなもので、大正ロマンという(写真中)。寡って日光に御用邸がありそのためか、貴賓室も遺っている。

 日光杉並木を歩く 私は、東武日光駅へ急ぐ。次の東武上今市駅で降り、杉並木へ向けスタート。東武線路沿いに戻り水車園。様々な形状の水車が設置されているが、一部が壊れている。最近の洪水の影響だろう。古民家江連家を眺めて、日光街道杉並木の中へ入り、歩き出す。杉の古木達は健在で、時々は大木を見上げながら薄暗い街道を一人行く(写真下)。三度目だろうが何時以来か。歴史遺産に、先人の偉業に感謝である。出口にある瀧尾神社に挨拶して、孫達が待つ鬼怒川温泉へと市内に東武下今市駅を探すが簡単ではなかった。最後は地元の方に詳しく教えて貰い、駅へ着いた。反対側も道のない駅裏側へと迷っていた。
 久しぶりの孫達との夕食はブッフェスタイルで、互いに取り合い交換し、様々な料理を頂いた。私と長男はアルコールも楽しんだ。(2022/9/1 K.K. 1468/1500)

◇日時 2022/08/21 ◇天候 曇り ◇交通費 2,270円 ◇資料 JTB時刻表拡大図(関東・甲信越地方)◇歩行距離等 13,000歩 10㎞ 
「通過時間等」自宅10:20-JR板橋駅10:56-同赤羽駅11:25-同宇都宮駅13:07-同日光駅13:50=東武日光駅13:55-同上今市駅14:10=日光杉並木14:20=瀧尾神社14:40=東武下今市駅15:50-同ワールドスクウェア駅16:20=宿泊先16:25

森林が繁る港区の自然教育園を巡る

 一時の猛暑は緩んだが暑いことには変わりはない。暑さを避ける里歩きも難しい。そんな中、森林公園を歩き。せめて太陽を遮るコースにしたい。都内やその近郊では、林試の森公園や自然教育園、そして武蔵丘陵森林公園が浮かんだ。いずれも訪ねたことがあり、森や林内のルートを巡る。先ずは近くの港区白金台にある自然教育園から歩こうと思う。隣には都立庭園美術館がある。

 白金台駅から自然教育園へ 最寄り駅白金台駅は、我が家から三田線で一本である。処が乗った電車が手前の高輪白金駅止まりで、乗換えた。白金台駅構内は広く上下のエスカレータがあり、私には好都合。
 地上へ出て、自然教育園の方向を確かめスタート。目黒通りで、左の目黒方向へ歩き、交差点を渡ると前方に高い樹々が見え始めた。園に着いて入園するが、私のような高齢者は無料であった。園は広く20万坪とある。

 樹々が覆い繁る園 路傍植物園を行くとクヌギやコナラ、スダジイの広葉樹の古木が覆い薄暗い位。とても都内の中心とは思えない樹林が繁る(写真上)。足元にはコバギボウシの花が咲き、歓迎しているよう。土塁跡が遺り、室町期には白金御殿という館があったという。
 水鳥の沼へ左折。沼は綺麗ではない。隣のいもりの池も同様で、自然の儘のよう。池端の遊歩道は私一人で、山中のハイク気分。倒れた儘の松の木は“おろちの松”とある。道端には、先程のコバギボウシが咲いている(写真中)。

 牛蛙の聲を聞く 武蔵野植物園へ入る。木立と夏草が覆い繁っている。隣の高速道路がなければ、寡っての武蔵野を歩いている感じだろう。こちらは家族連れと交差する。広場を過ぎて小径を進むとまた人影はない。水生植物園とあり、この時期は湿地帯。Uターンして、入口へ戻ろうとしたら、案内が違う。知らず知らずに水生植物園を半周していた。それでも、半信半疑で反対側へ進む。池で鳴く独特の聲は牛蛙と気付いた。久しぶりに聞く聲である。ひょうたん池先にある松は“物語の松”(写真下)とあり、当園が江戸期高松藩松平家下屋敷の名残とある。
 先ほど沼へ左折した地点に至り、路傍植物園内を戻った。管理棟の隅で、シャツを着替える。暑さは感じなかったが、汗は滲んでいた。昼食の約束があり、少し遅れるとメールし、園を出て、目黒通りを白金台駅へ歩いた。昨夜台風8号の接近情報があったが、反れたようだ。(2022/8/26 K.K. 1467/1500)

◇日時 2022/08/14 ◇天候 曇 ◇資料 国立科学博物館「自然教育園」2021.12版 ◇歩行距離等 9,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅9:10-三田線白金台駅10:15=自然教育園10:30=武蔵野植物園10:45=水生植物園10:55=自然教育園11:15=三田線白金台駅11:26・・・自宅13:45

上野不忍の蓮池から本郷へ歩く

 本記録の読者から上野不忍池に蓮の花が咲いたとメールを貰った。私の蓮の見学予定先に不忍池はなく、ネットで調べるとその通りで、ある日出掛けようと天気を調べると台東区には雷のマークがあり断念した。その後8月になってしまったが、未だ間に合うとの情報に接した。上野不忍池は近い。池之端の無縁坂から本郷給水所公苑へ歩くことにした。

 不忍池は蓮池 いつもの通り春日駅で大江戸線に乗り換え、上野御徒町駅に降りて広小路へ出て歩くと鈴本演芸場前を通る。落語の常設館はここかと思いながら、上野公園手前で左折すると、直ぐ不忍池。

 目の前の池には一面蓮の葉が覆っている。花はポツリポツリで探さないとお目に掛れない程度。でも、ピンクの花は美しい。もっと花が目立つ池端はないかとカメラを構えながら池沿いに進む。似たような蓮池風景であるが、花を見付けてはシャッターを切る(写真上)。それにしても、蓮の葉の勢いは半端ではない。上野動物園が不忍池迄広がってあり、池には近付けないと知った。池中にある弁天堂に参拝し、裏へ出たが池の風景はそう変わらない。池中の遊歩道を池之端方面へ戻る。水路に白い鳥を見たが鷺だろうか。

 無縁坂 東天紅ビル先の交差点を渡って、無縁坂へ向かう。左手奥にある旧岩崎邸の入口を過ぎると同邸のレンガ塀が続き、無縁坂となる。塀に沿い緩い坂が上方に続いている(写真中)。嘗て森鴎外の散歩コースで、作品にも登場した坂と案内にあった。坂上にあった無縁寺の由来らしい。

 本郷給水所公苑 東大病院から麟祥院先で春日通りへ上がり、警察署前で本郷へと左折する。初めて歩く通りだが都内の風景はそう変わりはない。正面の高いビルは順天堂大か。本郷通り・旧中山道とクロスし信号を待って横断して、右手の小路へ入る。山勘通り本郷給水所公苑で、入苑。明治からあった配水池上に造った緑地公苑で、樹林と花壇のある緑地帯だが、この時期咲く花はない。神田上水溝遺構の一部が展示してあった(写真下)。
 昨年訪ねた芭蕉句碑のある昌清寺は近い筈とウロウロしたが至らず、高校裏の坂を下ると外濠通りと神田川。そして、三田線水道橋駅へは直ぐであった。(2022/8/19 .K. 466/1500)

◇日時 2022/08/06 ◇天候 曇 ◇資料 昭文社「東京都市図35本郷」20004.4版 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅8:15-大江戸線春日駅8:55-同上野御徒町駅9:05=不忍池9:15=弁天堂9:25=無縁坂下9:45=春日通り10:00=本郷給水所公苑10:15=三田線水道橋駅10:41-自宅11:20

大宮から船橋へ東武野田線を乗り鉄する

 東武野田線は、里歩きなどで乗ったことがあるが、大宮駅から船橋駅までは乗ったことがない。当初柏駅までと思っていたが、その先の船橋駅まで東武野田線と知り、この際乗ることにした。35駅、62.7㎞で、東武アーバンパークラインとも呼ばれる。本日、友人の墓参があり、東武野田線川間駅に仲間が集合し、その前後の乗り鉄である。

 大宮駅から東武野田線 私はバスでJR埼京線浮間舟渡駅へ出て、大宮駅から東武野田線に乗った。久しぶりの乗車で、車窓の景色も馴染みがない。
 七里駅、岩槻駅、そして春日部駅。岩槻は城跡が遺る歴史の街で二度訪ねているが、10年も前だろう。春日部駅は東武伊勢崎線と交差し大きな駅である。奥の細道第一夜宿泊の地だが足跡はなかった。川を渡って川間駅で下車。川は江戸川であった。
 友人の墓参は、50年来の仲間10人集まり、昨夏旅立ったAさんを偲び、早めの旅立ちを悔みながら手を合わせた。奥様の案内で、昼食して追悼し、また仲間達の健在をも確かめあった。

 柏駅で乗換え 清水公園駅(写真上)から東武野田線に再乗車。野田市内を走り、右手は大手醤油会社の工場群。一緒のHさん夫妻に紹介した。運河駅を通過し、江戸時代利根川と江戸川を繋いだ運河が今も遺る。柏駅で茨城へ帰るHさん夫妻に挨拶して別れる。
 船橋駅、本八幡駅 私は、船橋行急行に乗る。途中まで一度位は乗ったと思うがほぼ初乗車。通過する駅名も未知のものばかり。周囲は住宅街が多く、ベットタウンだろうか。急行は速く20分程度で、船橋駅に着いた。ここからは京成船橋駅(写真中)へ歩いて、都営本八幡駅へと先ほど車内で思い付いた。船橋での乗換えは駅が離れ、JR総武線船橋駅もあり少し戸惑ったが、その後はスムーズに済み、三田線神保町駅へ向かった。

 我が仲間とAさん 本日の墓参は、かぼちゃ会で行った。メンバーは8家族16人であったが、2人早世してしまった。先ほど通過した北大宮駅傍に勤務先の独身寮があり、その時一緒に暮らした仲間である。皆地方出で、夜学に通っていた。麻雀もやり情報交換して親交が深まった。結婚後家族で年一回温泉旅行を恒例とした。子供達が独り立ちしてからは、夫婦連れの集まりとなったが、ここ2年間はない。
 Aさんは勉強家で麻雀をやりながらも、都の上級試験を通り幹部になられた。私は、一緒に尾瀬を歩き、槍から穂高を縦走し(写真下)、その後はゴルフも楽しんだ。数年前病魔に襲われてしまった。残念至極である。墓参が叶い、安らかな眠りを祈るばかりである。(2022/8/11 K.K. 1465/1500)

◇日時 2022/07/25 ◇天候 晴れ ◇交通費 1,310円 ◇資料 JTB時刻表拡大図(東京付近)◇歩行距離等 7,000歩 5㎞ 「通過時間等」自宅9:00-JR浮間舟渡駅9:40-東武野田線大宮駅10:15-同川前駅11:00・・・東武野田線清水公園駅13:06-同柏駅13:42-京成船橋駅14:13-都営新宿線本八幡駅14:33-三田線神保町駅15:08-自宅15:50

山形本場の紅花畑から天童舞鶴山を訪ねる

 友人Sさんから車で山形行きのメールがあり、飛び付いた。天童へサッカー観戦で、便乗をお願いし、OKを貰った。この時期山形では紅花が咲く頃で、ネットで調べると紅花の里高瀬でお祭り開催中と知り、グッドタイミング。それから天童の舞鶴山を歩きたい。人間将棋で有名だが、小学4年時の遠足先であった。

 山形高瀬紅花の里 高島平を5時過ぎに出発し、山形北ICを降りたのは9時頃であった。山形市郊外の高瀬地区は、私は初めての地で、カーナビは正確で高瀬地区に入り、紅花祭りの幟が見付かった。駐車場を出て、紅花畑を巡る。畑4枚程に紅花は咲いている。黄色の中に濃い橙色の紅花色が混じる(写真上、中)。私はSさんに先行し、畑端の野良道を出入りして、紅花の間を巡り歩く。
 しかし、少し物足りない。本場山形も高瀬の紅花の里としては、栽培の花が少ないのではなかろうか。アングルを探してはシャッターを切った。周囲一面咲き誇る紅花風景は、期待しすぎだろうか。祭りが始まり、紅花娘より紅花の束を貰った。後に、奥に高沢会場もあると知り、そちらが広い紅花畑らしい。

 天童舞鶴山 車は便利で、未だ雪を被る月山を確かめながら。高瀬から天童、東根を通り、村山富並の蕎麦屋で昼食を取る。店主の同級生は、元気に接客してくれた。病気上がりと聞いて心配していた。
 天童道の駅に下ろして貰い、舞鶴山へ向け歩き出す。舞鶴山は天童市内にある弧峰の里山で、公園である。東山裾の愛宕池へ上がり半周。近くに当地出身佐藤千夜子の顕彰碑があった。わが国最初のレコード歌手で有名。
 坂を上がり、ジグザク階段から峰へ出た。舞鶴山は約70年振りか。東根から遠足で来て、将棋駒作りを見た後、天童温泉千人風呂に入ったと思う。往復約20㎞徒歩であった。

 山頂の神社は時間なく諦め下る。今春は当地で人間将棋があり藤井聡太五冠が指したと知ったが、私は建勲神社へ向かう。芭蕉句碑があり、西山裾の翁塚は訪ねたが未訪であった。神社に参拝。信長が祭神で、幕末の天童織田藩主が祀ったという。句碑“原中や物にもつかづ鳴く雲雀”(写真下)が隣にあった。旧13号羽州街道へ出て、天童駅へ歩いた。途中は芭蕉達が歩いた奥の細道で、“行く末は誰肌にふれむ紅の花”の句碑や曾良日記を刻んだ碑もあった。
 天童駅の次の乱川駅に近い同級生で読者のAさん宅に寄る。美容の仕事の合間に缶ビールを冷やし待っていてくれた。郷土料理でビールを戴きながら、友人達の消息等を交換した。21時過ぎ天童南駅で、Sさんに拾って貰い帰途に就いた。Sさん、同級生の皆さんお世話様でした。感謝です。(2022/7/30 K.K. 1464/1500)

◇日時 2022/07/10 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR分340円 ◇資料 「第37回紅花まつり」 ◇歩行距離等 16,000歩 12㎞ 「通過時間等」自宅高島平5:10-高瀬紅花の里9:40/10:10-富並そばの陣11:25/12:30-天童道の駅13:30=佐藤千夜子彰碑14:00=舞鶴山14:20=建勲神社14:40=JR天童駅15:09-Sさん宅15:25/18:30-JR南天童21:30-自宅01:30

りんかい線からゆりかもめ線へ乗り鉄を楽しむ

 梅雨、そして猛暑日に至り里歩きも容易ではない。こんな時期は、乗り鉄はどうか。車内は雨も凌げ、冷房が効いている。先日のJR鶴見線のように、近場でも未乗車の路線はある。東京湾を横断するりんかい線がそうで、手前を走るゆりかもめ線へ乗り継げば、それなりの乗り鉄を楽しめよう。りんかい線は1996年開業で8駅、12.2㎞と知る。

 りんかい線は地下か りんかい線は大崎駅から新木場駅迄走り、山手線目黒駅から大崎駅へ出て、新木場行きりんかい線に乗車(写真上)。通勤時間が過ぎたと思うが車内には立っている人も多い。
 大井町駅、品川シーサイド駅を通過したが地下を走り、予想と違い東京湾は望めない。天王洲アイル駅を過ぎても依然として地下。国際展示場駅先から地上へ出て、ビル群の間を走った。先頭車両へ出ると運転手はおらず、走っている(写真中)。そして新木場駅へ滑り込んだ。見覚えのあるホームから改札口で、有楽町線と同じホームのようだ。

 ゆりかもめ線へ乗り換え 新木場駅から国際展示場駅(写真下)へ戻り、ゆりかもめ線16駅14.7㎞へ乗り換える。ゆりかもめ線有明駅をようやく探し当てた。両線間の乗換は想定外のようで、案内は半端で簡単ではなかった。
 豊洲行きに乗り、両側は都の市場で、大分整備されたようで、大型市場ビルが開業しているよう。以前乗った時の風景は、移転計画段階で未整備の海浜の如くであったと思う。ゆりかもめ線は孫達と乗り、東京湾を眺めたことがあった。

 レインボーブリッジを渡る 新橋行きに乗って戻る。有明駅を過ぎ、眼下に風景を眺めて、色々思い出した。南極観測船宗谷を展示している埠頭がある筈だが、確認できない。台場駅付近で、チラッと自由の女神像が見えた。何故此処に、である。
 お台場公園は有名であり、幕末の江戸湾防御遺跡で、訪ねたことがある。そしていよいよレインボーブリッジ。東京湾お台場地区に架かる800mの吊り橋。ゆりかもめ線や車道の外、遊歩道もあり徒歩で渡ったこと(16.3.17)もある。
 芝浦、日の出、竹芝各駅から汐留駅、新橋駅であった。新橋は久しぶりで、JR新橋駅前広場で機関車を確かめて、飲食街を抜け、三田線内幸町駅へ歩いた。(2022/7/21 K.K. 1463/1500)

◇日時 2022/07/04 ◇天候 小雨後曇り ◇交通費 860円 ◇資料 JTB時刻表拡大図(東京付近) ◇歩行距離等 5,000歩 4㎞ 
「通過時間等」自宅8:50-JR目黒駅10:00-りんかい線大崎駅10:05-同新木場駅10:33-ゆりかもめ線有明駅10:48-同豊洲駅10:58-同新橋駅11:35=三田線内幸駅11:45-自宅12:30

茨城に酒列磯前神社、大洗磯前神社を巡る

 テレビの旅番組であったと思うが、数年前常陸三名社巡りを観て、酒列(サカツライ)磯前神社、大洗磯前神社を知り、そのうちに参拝したいと思っていた。茨城県阿字ヶ浦町と大洗町にあり太平洋寄りで、アクセスが良くなく、後回しになっていた。御岩神社は、偶々少し前に訪ねていた(17.12.9)。

 樹木のトンネル参道酒列磯前神社 常磐線特急を水戸駅の次の勝田駅に降り、ひたちなか海浜鉄道に乗り換え、最寄り駅磯前駅へ向かう。子供達が幼い頃、阿字ヶ浦へ海水浴に来た時乗ったと思う。工場地帯から田園地区を走り、磯前駅に下車。案内はなく一度尋ね、集落内で左折した先が参道口であった。参道は亜熱帯樹林に覆われたトンネル(写真上)。樹齢300年の椿やタブノキ、スダジイ等の下を行く。 

 最奥に本殿、拝殿が鎮座し(写真中)、静かな中参拝。856(斉衡3)年創建の古社。変わった社名は、醸造の神、酒の神とあるが由来はない。私の節酒や禁酒には関与しないようだ。奉納された地酒の樽を並べた社殿があり、“白鹿”が目に付いた。灘ではなく当地石岡のもので、商標が被っていることを思い出した。また、社叢のトンネルを戻った。途中の裏参道に海の見える鳥居があり寄ると、阿字ヶ浦港が覗けた。

 参拝者が多い大洗磯前神社 ひたちなか海浜鉄道磯前駅から那珂湊駅へ出て、タクシーで大洗磯前神社を目指すが、運転手は道路が混んで行けないとの返事。大回りして貰うことになり、那珂川上流の橋を渡り迂回して大洗へ入り、神社下に降りた。当社は土産店等もあり参拝客も多く、大社のよう。先ずは海岸へ出て、神磯の鳥居を眺める。意外に小さい鳥居だがカメラに収めた。

 大鳥居から高くて広い石段を上がって(写真下)、大洗磯前神社拝殿前に進み、他の参拝者に交じって手を合わせる。酒列磯前神社と創建時を同じくする兄弟社のようだが、規模、否格違いにも見える。黄門様も崇拝し、“あらいその岩にくだけて散る月を一つになしてかへる月かな”と詠んだとある。
 参拝者用バスも往復する裏参道の坂を下り、バス停でバスを待つ。通りは相変わらず混んでいて、バスは来きそうもない。反対側のバス運転手が声を掛けてくれ水戸駅行きで、乗車。お陰で、早めにJR水戸駅に着き、弁当と地酒を求めたが、石岡白鹿はないと言われた。品川行き特急に乗り、呑み鉄を開始した。(2022/7/14 K.K. 1463/1500)

◇日時 2022/06/26 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス+列車、バス、タクシー代3280円 ◇資料 大洗磯前神社へのアクセスマップ外 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅7:40-JR上野駅9:00-ひたちなか海浜鉄道勝田駅10:43-同磯前駅11:07=酒列磯前神社11:25/11:50=磯前駅12:07-那珂湊駅12:20-大洗磯前神社12:40/13:20-JR水戸駅14:27-同上野駅15:38-三田線巣鴨駅16:00-自宅16:30