れきしの里石岡に歴史遺産を巡る

 茨城の石岡は、国府があった歴史の街と知った。ネット情報では、国府とは、奈良、平安時代令制国の国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市で、国府付近には国分寺、国分尼寺、総社も設けられたとある。その通りの史跡が手許のガイド(JR東日本駅からハイキング石岡市)にも掲載されている。我が家から近くはなく後回しになっていたが、常磐線石岡駅は、上野駅から鈍行で1時間30分位だろう。

 まちなか登録文化財 石岡駅に降り、構内の案内所でれきしの里情報を貰いスタート。ガイドに従い時計回りに巡り、最初は“府中誉”という1854(安政元)年創業の醸造所。ガイドの縮尺が分からず、想定より大分左奥に古手の造り酒屋があった。現在も操業中。戻って大通りへ出ると国府公園の隣が金刀比羅神社で、参拝すると奉納された清酒白鹿の酒樽があった(写真上)。今回の石岡訪問で、地酒“白鹿”の入手をも期待したが駅の案内所で、春に倒産し売れ残りがあればと言われた。境内には正岡子規の句碑があった。通り先が登録文化財丁子屋という歴史の街に相応しい江戸末期からの染物屋の店舗。左折した右手が、府中松平家墓所のある照光寺で、覗いたがそれらしい墓は見当たらなかった。

 国府跡、府中城跡 陣屋門に至り、案内はないが、府中松平家の移設門らしい。そして、石岡小学校の前が、府中城跡で、国府跡ともある。常陸大掾(国府の長)であった大掾氏が長く支配したが、戦国期以降佐竹氏、六郷氏・皆川氏を経て、水戸徳川家の分家府中松平氏が2万石で城主を務め明治を迎えたようだ。現在では、土手よりは長く大きめの土塁が遺るだけ(写真中)。カメラに収めた。城ではなくて陣屋であったようだ。

 常陸国総社宮 常陸国総社宮を探すと小学校グランド隣の杜の中にあり、長めの参道を直角に曲がって古くて木造の山門を潜ると社殿があった(写真下)。寡っては八百万の神々を合祀し、現在は当地の多くの神社の総社とある。そして常陸国茨城郡に存在して、現県名のルーツという。七五三参りらしき家族に続いて詣でる。

 国分尼寺跡、国分寺跡 次の国分尼寺跡は北上を続け、距離がある。探し当てたが、跡地の広場のみ。最後の国分寺跡へと中心部へ戻る。ガイドを睨めながらも一度は間違えたが辿り着き、今も現国分寺があり、門前に常陸国分寺跡の案内があった。駅への途中蕎麦屋に入り、遅めの昼食。
 今回歩きながら、当地の地酒白鹿を求めようと酒店に寄ったが、いずれでももうないとの返事であった。西宮の白鹿と合法的ダブル登録白鹿事件調査の際、手伝ってくれた友人と酒の肴、否飲もうとの目論見は外れた。上りの車窓から秀峰筑波山が見えた。(2022/11/16 K.K.1480/1500)

◇日時 2022/10/26 ◇天候 晴れ ◇交通費2,760円 ◇資料 小学館「城郭と城下町」昭和62年162頁外 ◇歩行距離等 18,000歩 13㎞「通過時間等」自宅8:30-JR巣鴨駅9:10-同日暮里駅9:28-同石岡駅11:00=府中誉醸造11:25=金刀比羅神社11:35=照光寺11:50=国府・府中城跡12:00=常陸国総社宮12:15=国分尼寺跡12:50=国分寺跡13:20=JR石岡駅14:17-同日暮里駅15;45-三田線巣鴨駅16:05-自宅16:35