葛飾柴又から矢切の渡しを歩く

 年末が近づいて、寅さんや柴又が話題になっているようだ。帝釈天から寅さん記念館は江戸川縁を歩いた際寄ったが大分前で(01.12.24)、記念館もリニューアルされたと知った。弟へ話しをすると、彼は未訪だと乗って来た。柴又から矢切の渡し、そして金町へ歩けば、ハイキング程度にはなろう。

 さくら像もお出迎え 今回、弟との待ち合わせは思案の末、千代田線大手町駅にした。そのまま千代田線に乗り町屋駅で京成線へ乗り換え、京成高砂駅で金町線へ乗り継ぐと柴又駅であった。駅前の寅さん像は有名で、現在は、さくらの像も新設されている。寅さんは似てないと見る度に思うが、さくらはどうかと眺め(写真上)、似てるなと思いながらシャッターを切った。案内所でマップを貰い、帝釈天参道へ入る。映画でもお馴染みの飲食店街が両側に続き、団子の高木屋もある。ぽちぽちと閉めている店も見え、寅さんも景気には勝てないのか。本日も人出はあるのだが。
 帝釈天と参道商店街 帝釈天の山門は、古びて歴史を感じさせて建ち、寺男源ちゃんが出て来そう。映画とは違い境内はそう広くはない。題経寺本堂に参拝し、1629(寛永6)年創建の日蓮宗のお寺と改めて知る。左手が高い鐘楼で、源ちゃんが鐘突番。
 寺を出て、寅さん記念館へ向かう。途中に、料亭川甚と山本邸があった。川甚では寅さん映画でも結婚式が行われたが、私も入ったことがある。江戸川河川敷で野球大会があり、試合後相手チームに招待されたことがあった。私が草野球の現役の頃で、もう40年も前のこと。和風建築で書院庭園の山本邸では、庭木には雪吊りがしてあり、祖父を思い出した。祖父はお屋敷勤めで、毎年雪吊り作業が晩秋の仕事であった。
 寅さんとマドンナ 寅さん記念館から山田洋次ミュージアムへ入館。くるまやのセットや寅さん映画シリーズの展示物は変わらないようだが、デジタル化され画面タッチでマドンナも出で来る。多くの有名女優の中で、私は樫山文枝や中原理恵が印象に残っている。寅さんが乗った鈍行列車の古い座席もある。山田監督は、映画釣り馬鹿日誌にも関与していると分かりビックリ。

 矢切の渡し 江戸川土手へ上がり、弟を矢切の渡しへ案内。先の大雨で桟橋が流され休業していたが、現在土日は渡航中とあるも本日は平日で、休み。演歌でも有名になり、石本美由紀・船村徹の歌碑を弟へ紹介した。細川たかしやちあきなおみ達が唱う。本日は天候も良く、江戸川は静かに流れているが、先月の大雨時は溢れてしまったのであろうか。また土手へ上がり、途中から常磐線沿いに金町へ出て、駅前で昼食し、金町線から京成線へ乗り継ぎ町屋駅で、来年もまた歩こうと言いながら、弟と別れた。(2020/01/09 K.K. 1305/1400)

◇日時 2019/12/16 ◇天候 晴 ◇交通費 400円 ◇資料 テクノプラザかつしか「かつしか柴又マップ」2019年4月 ◇歩数等 11,000歩 8km 
「通過時間等」 自宅9:10-千代田線大手町駅9:55-京成町屋駅10:15-同高砂駅10:37-同柴又駅10:45=帝釈天題経寺10:55=寅さん記念館11:10=矢切の渡し11:55=金町線金町駅(昼食)12:54-京成高砂駅13:05-荒川線町屋駅13:26-三田線西巣鴨駅14:10-自宅14:35 

那須高久に芭蕉句碑を訪ねる

 JR東日本大人の休日パス利用最終日は、那須高久に芭蕉足跡を辿ることにした。当初仙台経由で常磐線相馬行きも考えたが、本日夕方忘年会がある。また先日越後新潟を巡り、その疲れもないことはない。それで、距離的にも近く、興味もある高久に落ち着いた。おくの細道の芭蕉は、黒羽から殺生石へ向かう途中2泊したのが高久と知った。

 遠い高久の地 東北新幹線を那須塩原駅で東北本線に乗り換え、黒磯駅に降りた。次が高久駅だがこちらの方が近いようだ。期待した案内所は閉まっていて、駅前案内板地図で高久の位置を確かめスタート。黒磯郊外の地で3,40分程度とみた。黒磯中心街へ出て右折し、陸羽街道を行く。既に郊外で、那珂川を渡る。そろそろかなと掃除中の地元の方に尋ねると、目指す高福寺は約2km先という。左手が那須湯本への交差点を直進すると、建物は疎らになり森林地帯中の街道になる。次の三叉路から緩くカーブした右手に寺が見え、高福寺であった。
 高福寺句碑 普通の田舎寺で、芭蕉句碑等の案内はない。本堂で手を合わせ、居合わせた檀家の方に取り次いで戴き、和尚さんに案内して貰った。正面の庭の松の根本に他の石塔に並んでいた(写真上)。1689(元禄2)年4月16日(陽暦6月2日)から高久に2日間滞在し詠んだ“落ちくるや たかくの宿の 郭公”が刻んであるという。お礼を言い、カメラに収めた。郭公は字数も合わずおかしく、“ほととぎす”と読むのではと気付き調べるとそうであった、芭蕉の足跡地でも、案内や説明はあるに違いないという先入観は捨てなければならないと思う。

 高久名主と芭蕉 福島白河への街道を更に行くと山村地帯へ至り、“芭蕉二宿の地”の標柱に出会う。当地の名主高久覚左衛門宅で、現在も屋敷を構えている。その先に、芭蕉翁塚「杜鵑の墓」という史蹟があった。覚左衛門の孫が1754(宝暦4)年建てたとある。芭蕉が記念に高久家に残した句文も紹介してある(写真下)。杜鵑(トケン)とは漢語のほととぎすのことと知る。石碑は屋根付きではあるが風雨に曝され文字はもうはっきりしない。墓とは、殺生石上を飛び毒で死に落ちたホトトギスのものという意味で、芭蕉の句に合わせたものだろう。
 Uターンだが、バス停は見当たらず、予定通り徒歩を続ける。また高福寺前から那須湯本への十字路を過ぎると那珂川に架かる高い橋。流れは下方の中心部を流れているが、先頃の大雨で下流は氾濫したとも聞いた。駅前通りには未だ古い商店が遺り、店頭に芭蕉のおくの細道殺生石から遊行柳へ歩いた一節が紹介してあり、思わずカメラを出した。また那須塩原駅からは東北新幹線に乗り東京駅へ出て、竹橋開催の忘年会に参加した。(2020/01/05 K.K. 1304/1400)

◇日時 2019/12/9 ◇天候 曇り ◇交通費 JR東日本大人の休日パス ◇資料 久富哲雄「奥の細道の旅」2014年4刷38頁 ◇歩数等 18,000歩 13km 
「通過時間等」自宅11:10-JR上野駅12:18-同那須塩原駅13:26-同黒磯駅13:40=高福寺14:20=芭蕉翁塚14:35=那珂川橋15:00=jR黒磯駅15:43-同那須塩原駅16:02-同東京駅駅17:17-竹橋忘年会会場18:00

白鳥の水原瓢湖から会津若松へ

 今回の越後新潟行きの目的は、水原瓢湖の白鳥見物である。わが国有数の白鳥到来地として有名で、10数年来訪ねたいと念願し、ようやく実現した。白鳥滞在のピークは厳寒の2月頃と誤解していた。12月前後がピークで、その後はシベリアへ帰るという。あちらの季節に合わせていると知り、この時期の訪問になった。そして、見物は早朝か夕暮れで、新潟駅前へ泊まり、朝立ちにした。

 瓢湖は白鳥3000羽 朝7時、羽越本線水原駅に降りて歩き出すと、早速上空を2,3羽の白鳥が飛び、鳴き声を出し歓迎してくれた。阿賀野市水原は小さな田舎町と思っていたが、駅前に広がる住宅街を左折し、そして右折し直進しても、瓢湖のある水田地帯へは至らない。途中で教えて貰い、ルートに乗るが未だ距離があり郊外住宅街を進み大通りへ出て、通りに並ぶ商店街の裏が目指す湖であった。
 湖畔へ出ると、大きな水面が広がり、多数の白鳥達が見える(写真上)。水面に浮かぶ白鳥、飛び立つ白鳥、そして上空を舞う白鳥と多彩に過ごしている模様。3000羽滞在中とあり、最盛期は4000羽以上だからもう帰ったのであろうか。現地資料には更に南下するともある。飛ぶ白鳥を撮ろうとカメラを構えるが、難しい(写真下)。広い湖、多数の鴨類等で、3000羽にしては疎らとも思う。見物客も次第に増え出し、私は遊歩道を移動しながら眺めては、シャッターを切る。最後に友人へも送ろうとスマホで白鳥を追ったがどうだろう。電車時間もあり、白鳥達に別れ駅へ戻った。

 磐越西線で会津へ 水原駅から新津駅へ出て、磐越西線に乗車。電車は越後平野から鉄橋を渡り、山間へと入った。阿賀野川の大河が右、左に付きまとう。その水量は凄く半端ではない。磐越西線は二度目で多くの駅を通過するが、知っているのは津川駅だけ。現在津川は新潟県だが、江戸時代以前は会津領。戊辰戦争最中、会津藩家老西郷頼母が、藩主と衝突して戦線離脱し、逃亡したルートが会津から越後であったと思い出し、現磐越西線沿いかなと想像した。
 福島県西会津へ入り未だ深い山中で、谷川沿いに進み阿賀川とある。調べると福島県では阿賀川、新潟県へ入ると阿賀野川と呼ばれるという。喜多方が近くになり山域を出て盆地が広がり、磐梯山を探すと、白峰であった。会津若松駅に着き、昼食は喜多方ラーメン。滝沢陣屋、飯盛山往復の予定もあったが、次回に回す。案内所で会津坂下春日八郎記念館の情報を得た。
 磐越西線に乗り続け、郡山駅から東北新幹線で帰京。乗換の際、駅東口に歌碑“高校3年生”を探した。作詞家丘灯至夫が福島出身の縁らしい。この唄は私の高卒翌年ヒットし、当時偶々手伝った女子校部活合宿打ち上げで、後輩達が唱ってくれて知った。(2019/12/28 K.K. 1303/1400)

◇日時 2019/12/7 ◇天候 曇り ◇交通費 JR東日本大人の休日パス ◇資料 五頭温泉郷旅館協同組合「朝の白鳥見学バス」 ◇歩数等 15,000歩 11km 
「通過時間等」宿泊先6:20-JR新潟駅6:27-同新津駅6:49-同水原駅7:05=瓢湖7:30/8:05=JR水原駅8:45-同新津駅10:00-同会津若松駅(昼食)12:10/13:26-同郡山駅15:05-同上野駅16:27-三田線巣鴨駅16:44-自宅18:05

出雲崎から佐渡を眺め越後線を乗り切る

 芭蕉は、象潟から日本海沿いに歩き越後へ入って出雲崎で名句を残している。私も、出雲崎を訪ねるべくJR東日本大人の休日パスを待ち、白鳥到来時期に合わせ水原瓢湖行きとセットで出掛けることにした。ルートは北陸新幹線から直江津経由もあるが、上越新幹線で長岡経由にした。この時期寒さ対策が重要とそれなりの準備をする。

 越後平野は雪一色 トンネルを抜けると雪国であったは、有名な小説で、湯沢駅付近の雪は想定内だが、越後平野中央へ出でも、白一色。昨夜からの雪らしい。長岡駅に降り、柏崎行きの信越線に乗り換えた。雪の中の電車は越後平野をスピードを落とし走った。これでは出雲崎も雪に覆われ芭蕉追っ掛け処ではない。車中、予定変更を検討し、越後線乗り鉄が浮かんだが、過疎ダイヤで柏崎か出雲崎の何れかで時間を潰すか迷った。その中で、日本海寄りは雪は少ないのではと一縷の望みを持った。
 芭蕉と出雲崎 20分程遅れで柏崎駅に着き、越後線が待っていて乗り換えた。電車が出雲崎に近づくに連れ雪は無くなり問題はない。ラッキーである。出雲崎駅前案内所で、情報収集。マップで芭蕉園の位置を教えて貰い、徒歩で時間はと尋ねると担当者は“うーん”と唸り言葉を濁した。私は、30分程度と読みスタート。峠を越えたが未だ先で海も見えない。小さな峠を二つ越し良寛記念館。出雲崎は良寛の出身地で、良寛史蹟があるのは事前調査で知った。マップ上記念館と芭蕉園が並ぶが、通りが違うと気付き、海寄りへと階段を下る。手前高台から日本海と佐渡が望め(写真上)、カメラを向けた。

 古い街並みになり北国街道。江戸期佐渡からの金荷揚げ地として賑わい、流人を送る港でもあった。第四銀行支店の先に芭蕉園はあった。1時間を要した。小さな公園で、芭蕉像(写真下)と石碑があり“銀河ノ序”で、“荒海や 佐渡に横たふ 天河”と結んだ当地を記した句文碑のよう。有名な句だが、出雲崎ではなく次の直江津で披露したらしい。天候等からその前に、新潟から出雲崎へ歩いた際着想を得て完成させたとの説がある。元禄2(1689)年旧暦7月4日、二人が泊まった大島屋は、園斜め向かいにあったが今はない。
 北国街道を行き、左手の石段を上がり妙福寺で、芭蕉の弟子達がその後に2人も訪ね俳聖を偲んだ記念の碑・俳諧伝灯塚があった。出雲崎駅へはデマンドタクシーを呼んで戻る。案内所の紹介で、多分半額以下の料金。
 越後線で新潟へ 越後線に再度乗車し、新潟駅へと向かう。暗くなり車窓からの眺めのない中、吉田駅で乗り継ぐ。この駅は弥彦山へ登った時(09.5.5)も、新潟行きに乗り換えた駅。先程出雲崎で、海へ突き出た美しい山を眺めたが弥彦山であった。電車は新潟へ近付くに従い通勤客で込み合い、18時に新潟駅に降り、混雑する駅ビルを出て、ビジネスホテルを探した。(2019/12/23 K.K. 1302/1400)

◇日時 2019/12/6 ◇天候 曇り ◇交通費 JR東日本大人の休日パス、タクシー500円◇資料 久富哲雄「奥の細道の旅」2014年4刷165頁 ◇歩数等 13,000歩 9km 
「通過時間等」自宅7:50-JR上野駅8:58-同長岡駅10:57-同柏崎駅12:13-同出雲崎駅12:50=芭蕉園13:55=妙福寺14:05-JR出雲崎駅16:02-同吉田駅17:00-同新潟駅17:55-宿泊先18:05

都心本郷に追分を探す

 手許の歴史書から、東京都心も東大付近に追分があると知った。追分は主要街道の分岐点で、私には信濃追分は有名であり、二度訪ねている。灯台下暗しで、我が家近くにもあり、そこには高崎屋という江戸期宝暦年間からの酒店が現在も営業しているという。以前この辺りは良く歩き、少しは知っている地区だから尚驚きでもある。

 本郷のかねやす 中山道と日光御成街道の追分は、文京区の祢津神社付近かなと思ったが、本郷の東大近くらしい。三田線春日駅を出て、本郷へ向け坂を上がった。途中の右手に弓町の大楠があり寄って大木を眺めた (19.2.13)。昨年ラジオ放送から知り一度訪ねている。坂を上がり切った交差点右角が化粧品のかねやす店。“本郷も かねやすまでは 江戸の内”という川柳で有名で、今も壁にプレートが貼られている(写真上)。この歴史を教えてくれたのが先輩Tさんで、特許担当の彼は技術史にも詳しかった。亡くなられて久しいが、彼が焼いた湯飲みを私は現在も使っている。
 東大前古書店街を通過 交差点を左折し、本郷通りを東大方向へ歩く。左手法真寺境内に樋口一葉縁の案内があった。彼女が晩年住んでいたのはこの下方だったと思う。赤門前を過ぎ、左側には古書店が並ぶ。若い頃の一時期、専門書を求めに良く通った。本棚にはその時の古書類は10冊以上はある。家内に、お金がないのに買い過ぎではと言われたことがあった。その後の私の駄文では、良く引用したと思う。最近でも、コラム原稿に、「清瀬一郎著・特許法原理(昭和4年再版)」を引用している(冒認商標出願について=専門用語は正確に=網野誠著「商標」の思い出)。家内の嘆きの名残でもあろう。最近は毎年法改正があり、古書の役割は減少している。その店伸松堂を覗くと、特許法の古書が並んでいる。農学部前を過ぎ、大通りの直進を続ける。

 追分から中山道へ 通りに立つ文京区の案内板には、御成街道とあり白山の地名も見え、通り過ぎかと戻る。高崎屋があり、現在も酒屋さんのよう。横が三叉路交差点で、中山道と御成街道の追分と分かった。いつもの先入観で、大きな分岐で案内もあると思っていた。特に中山道は狭い普通の道路。酒屋の前に“追分一里塚”の案内板が唯一史蹟を示していた(写真下)。カメラに収め、中山道を行く。文京区内だが、住宅街、商店街とも付かない下町通りで、私は初めての地。ほうろく地蔵があり覗くと、あの八百屋お七を供養したとある。隣の大円寺にあるという高島秋帆の墓は探せない。中山道を歩き続け白山へ至り、三田線白山駅は近いが、千石駅まで歩く。左手が東洋大学キャンバスで、新しい大校舎ビルが建っていた。現中山道へ合流し千石駅は近く、エレベーターで地下駅へ降り、私の都心の追分探訪は終わりになった。(2019/12/20 K.K. 1301/1400)

◇日時 2019/12/3 ◇天候 晴 ◇交通費 シルバーパス利用  ◇資料 山川出版社「東京都の歴史・中」137頁 ◇歩数等 10,000歩 7km 
「通過時間等」自宅11:25-三田線春日駅12:00=弓町大楠12:05=本郷かねやす12:10=法真寺12:20=古書店街12:30=本郷追分12:50=ほうろく地蔵13:05=三田線千石駅13:30-自宅14:05

大浅間を仰ぎながら小浅間山へ登る

 節目の山歩き里歩きが近づき、何処を歩こうかと思案したが、山歩き、否、山登りにしたい。高山は無理だが、低山ならなんとかなるだろう。以前から東信濃軽井沢の奥にある小浅間山(1655m)は目標にしていた。浅間山の山域ではある。タイミング良く、長野の家内姉からいとこ会の案内があった。それまで回数を合わせ、その日を待った。問題は、当日の天候、特に寒さである。

 軽井沢で霧が晴れる 朝宿泊先を出たら霧、それも結構深い。しなの鉄道田中駅へ車で送って貰ったが霧の中慎重な運転であった。いつも車窓から見える浅間山は霧の陰の儘、中軽井沢駅に着いた。処が、バスを待っている間、霧が退き浅間山が見え出した。何とラッキーかと1人喜ぶ。バスを登山口峰の茶屋に降り、登山カードに記入しスタート。義姉に貰った重い土産は、繁みの陰に置いた。歩きやすい一本道で、雑木林は全て葉を落とし、初冬である。深い山中で、ハイカーもなく、単身では寂しい位だが、黙々と行く。少し傾斜が増し、左手樹林の間に浅間山が見え出し(写真上)、カメラを出したが、シャッターチャンスが難しい。

 峰の茶屋から馬返しへ 右手に回り込み坂を上がると、浅間山への分岐、馬返しに着く。現在は浅間山への登山道は立ち入り禁止中。私は反対側の小浅間山への標識を確かめ、いよいよ登山道である。ガイド通り、火山灰に覆われたザレ場で、道も薄く、草木も下になった。いつものように一歩、一歩慎重に上がり続ける。右手に遠望する山並みは八ヶ岳と蓼科山か。振り向くと、大浅間山。活火山は黒色一色で、未だ雪は見えない。一息入れて、また歩き出す。先程来、靴跡があり、それも新しいように見える。トラバース状の道を進み、頂端を回り込むと頂上であった。僅か50分で、コースタイムより僅かに遅いだけで、私には大順調。高年夫婦が休んでいた。挨拶し、大浅間を背景に標柱を入れカメラに収めた(写真下)。腰を下ろし休憩。群馬側の山々が目の前に広がる。浅間隠し山や鼻曲山だろう。こちらも遠望にしシャッターを切った。濃い朝霧だったがその影響はなく、山頂でも寒さを感じる程ではない。天候も味方してくれ、私は付いているのだろう。

 登頂し下山 下山開始。頂上ザレ場を直線的に下るが歩き難い。途中で選んだ道が、上りとは違ったらしく草木のある道へ入り、やや不安を感じながら下り続ける。広い道へ出て、上方を見上げると、先程の馬返しの地点で、少し下へ出たのであった。そのまま一本道を戻り、予定通り峰の茶屋口へ下りた。軽井沢行きバス迄1時間以上あり、義姉からの荷物をザックに入れ、峰の茶屋で昼食。義姉達に、御礼と、小浅間山から無事下山し1300回達成とメールした。(2019/12/15 K.K. 1300/1300)

◇日時 2019/11/25 ◇天候 曇り ◇交通費 6,640円 ◇資料 軽井沢町「歩く軽井沢 ⑨峰の茶屋から小浅間山」17頁 ◇歩数等 15,000歩 9km 
「通過時間等」宿泊先8:20-しなの鉄道田中駅8:50-同中軽井沢駅10:25-バス停峰の茶屋10:55=馬返し分岐11:25=小浅間山11:45/11:55=馬返し分岐下12:15=峰の茶屋(昼食)12:35/13:45-JR軽井沢駅14:59-同上野駅16:18-三田線巣鴨駅16:36-自宅17:05

晩秋の上田城跡、小諸城跡を巡る

 東信濃に上田城跡から小諸城跡を訪ねた。今回は弟と一緒である。これには経緯があり、多分、大河ドラマ真田丸放映中の頃だったと思うが、弟から上田城跡案内してくれと言われ、その内にと答えたことがあった。今年になって、催促され今回の同行になった。夕方東御市で開催の家内いとこ会参加の前に、案内することにした。

 上田城跡へ弟を案内 上野駅で落ち合い、北陸新幹線で上田へ向かった。先月の千曲川大氾濫には驚いた。その影響で新幹線ダイヤは未だ戻っていない。我が親戚達は、千曲川から離れ被害は無かったようだ。上田駅に降り、駅前幸村(信繁)像を案内すると、早速弟はカメラを出した。
 案内所で教えて貰ったルートを行き、坂を上がると左手が城跡で、正面から二の丸跡へ入城。紅葉が盛りで美しい。石垣にある真田石という大石を見て、櫓門から本丸跡へ。左の南櫓は昔からあったが、右の北櫓と門は後の復元と思う。家内の実家が近いこともあり、私は数度訪ねている。弟は櫓内も見学した。
 紅葉の中の古城跡 本丸内に真田神社があり、七五三参りで込んでいる。我々も手を合わせ、弟を裏の真田井戸へ案内。井戸は抜け穴になっていて、上田郊外の太郎山へ続いていると聞いたことがある。西櫓を見上げる。以前は内部も覗けたが、柵が出来ている。濠を眺め(写真上)、本丸土塁を巡る。木々は紅葉真っ盛りで、その下を歩きカメラに収める。左手奥に野球場があり、思い出した。当地出身のプロ野球選手がいて、家内が高校時代二軍戦がこの球場であり応援したと聞いた。南海の堀込選手(小諸商出)だったと思う。そんな話しを弟にした。城跡を出て、家老屋敷跡、現上田高校へ回って上田駅へ下った。

 小諸城跡から千曲川を眺める しなの鉄道で小諸へ移動。小諸城跡は駅から直ぐで、高架通路を渡り三の門から入城。右手に野面積みの高い石垣が遺り、弟へ伝える。こちらも紅葉に囲まれ晩秋である。二の丸跡は、関ヶ原戦の折、中山道を急ぐ秀忠が陣を敷いたとある。先程門前に秀忠憩石と案内があったが、目の前の敵、曲者上田城主真田昌幸と対峙中で、憩いの心境とはとても思えない。
 弟と藤村碑前から水の手展望台へ上がり、眼下に千曲川を眺める(写真下)。本日の大河は蕩々と流れ、先日の大暴れの様子は窺えない。戻って、富士見展望台へ。ここから富士が見えるとは初めて知った。義弟の案内で、我が両親と当城を巡ったことがあった。約40年前のことで、善光寺参拝の後であった。
 大手門へ 2人で天守台へ上がる。三層の郭があったが落雷で焼失し再建されなかったという。この年齢になると高い所は怖い。バランス感覚が以前とは違う。隣の神社に詣でて、下城。場外街中にある大手門へ。一度道を誤ったが案内出来た。駅へ戻り、帰宅の弟は上り、会参加の私は下りの電車に乗車。弟は満足したであろうか。(2019/12/13 K.K 1299/1300)

◇日時 2019/11/24 ◇天候 曇り時々小雨 ◇交通費 4,890円 ◇資料 上田市観光課「上田城」、小諸懐古園事務所「懐古園」 ◇歩数等 9,000歩 6km 
「通過時間等」自宅8:35-JR巣鴨駅9:10-同上野駅9:38-同上田駅10:55=上田城跡11:15/12:00=家老屋敷跡12:20=しなの鉄道上田駅(昼食)12:59-同小諸駅13:25=小諸城跡13:30/14:20=大手門14:30=しなの鉄道小諸駅14:58-同田中駅15:20-東御保養所15:50

紅葉を求め和光樹林公園へ

 秋晴れの好天に誘われ、在宅中の午後急に歩くことにした。我が家から近い板橋、練馬、和光の埼玉県境に紅葉が美しい公園があった筈と、ネットで探すと和光樹林公園と大泉中央公園と分かった。昨年かなと思うが紅葉情報を新聞で読んだ記憶がある。バスや車で近くを通過し、笹目通りの先と凡その位置は分かっている。バスで成増へ出て、スタートしたい。これまで一度も歩いたことのない新規なコースになる。

 川越街道から笹目通りへ 東武成増駅から商店街を通り川越街道へ出た。商店街通りは久し振りで、昔の飲食街から脱したように見える。川越街道を下り、旧道から埼玉へ入り白子宿を過ぎ、笹目通りへ上がる。角に神社があったのではと探すと次の交差点で、諏訪神社。現街道を渡り、笹目通り側道を進み、次の交差点で病院前を埼玉方向へ右折。直ぐ先が東京外環道で目指す公園は近いとウロウロしたが見付からない。見える紅葉は、桜の並木通りで公園ではない。途中で大分先と教えてもらい、バス停路線図から司法研修所を見付け、バス通りを行く。研修所の隣が大泉中央公園。その前にある筈の外環道は、後に当地は地下通過と分かった。

 遠かった和光樹林公園 司法研修所前へ出て、隣の大泉さくら運動公園案内板で確かめ、直ぐ先に和光樹林公園をようやく探し当てた。広い大公園である。中央に芝生広場が広がり、その中に遊歩道が切ってある。ジョグや散歩している方も見える。周囲には様々な木々が聳え紅葉も始まり、私は、赤や黄色に染まった紅葉を拾い、シャッターを切りながら公園を巡る(写真上、中)。サクラやクスノキ、タブノキ、メタセコイヤ等である。公園全体を知りたく、案内パンフ入手しようと管理事務所へ寄る。総合体育館の手前にあり、貰った。色付いたコキアがあり、近付いてカメラを向けた。

 そして大泉中央公園 当公園は、旧陸軍施設を戦後米軍が接収し使用していたが返還されて、公園化されたとある。都近郊にこんな広い空き地があるのはやはりそのような経緯で、私の想像と違わない。また紅葉を見上げながら、往きのコースを戻り、大泉中央公園へ入る。こちらの方も、樹林が多い公園で、一画には陸上競技場があるが、走っている者はいない(写真下)。未だキバナコスモスの花が残り、カメラに収めた。もう季節外れだろう。散策者と交差する。犬を連れた方が多い。公園を出て、バス停を探す。成増駅から大泉学園駅行きバスが当地を走り、一度乗ったことがあり、司法研修所の存在は記憶にあった。思ったよりバス便は少なく、30分程待ち乗車し、ほぼ私が往きに歩いたコースを走り、成増駅前であった。(2019/12/10 K.K. 1298/1300)

◇日時 2019/11/19 ◇天候 晴 ◇交通費 シルバーパス利用 ◇資料 昭文社「東京都市図14大泉」 ◇歩数等 14,000歩 10km 
「通過時間等」自宅12:30-東武成増駅13:15=諏訪神社13:40=大泉さくら運動公園14:20=和光樹林公園14:30=大泉中央公園前バス停15:25-東武成増駅16:00-自宅16:30

多摩に小野神社、谷保天満宮、府中宿高札場跡を巡る

 今春、多摩の武蔵一之宮小野神社を訪ねた(19.3.29)。この時、多摩川を挟んだ対岸の府中にも小野神社があると知った。いずれも由緒を延喜式内社と称しているという。多摩川の氾濫で流されて、両岸に再建されたらしい。江戸時代多摩の小野神社が一之宮として遇され、それ以来多摩の社が武蔵一之宮として扱われているという。興味が湧き府中の小野神社を訪ねた。

 府中小野神社へ 京王線中河原駅が最寄り駅。同線は何度も往復しているが中河原駅には初めての降車。構内案内図で確かめ、10分程歩き探し当て境内へ入り参拝。古社ではあるがこぢんまりした社と境内である(写真上)。掃除を終えた氏子連であろうか数人屯している。1人が私に近づいて来て、何処からと聞き、延喜式内社とある由緒書きを渡してくれた。私は、対岸の方が一之宮と称しているのではと水を向けたが、現在では双方の関係者に親戚もあり張り合わないと笑った。山川出版社「東京都の歴史散歩下・多摩島嶼」には、“明確な結論は出ていない”とある(同書91頁)。
 谷保天満宮へ歩く 境内を裏から抜け、中央高速道路下を潜り、国立の谷保天満宮へ向かう。当初駅へ戻り南武線へ乗り換えようと思っていたが、地図上から歩ける距離と分かった。NEC工場を過ぎ府中西高付近で出会った府中用水に沿って進む。このまま天満宮へ行けるのではといつもの山勘であったが、大ハズレ。また高速道(インタからの進入路)を高架橋で渡り混乱してしまった。二度尋ね新興住宅街から田圃の中の小径を森へ向け左折し渡る橋が天神橋とあり、一安心。境内へ横から入ると、本殿前は参拝者で一杯。着飾った子供連れで七五三参りと知る。私は、頭越しに手を合わせ、来春入試の孫をお願いした。当社は再訪(98.1.24)だが記憶になく、小社と思っていたが会館や社務所もある立派な天満宮で、縁起には道真公が太宰府へ左遷された時、当地に三男道武公が配流されたとある。

 府中宿高札場跡 南武線谷保駅は近く、乗車し府中本町駅へ。谷保駅で飲み屋街を覗くのを忘れてしまった。私の愛読書の作家山口瞳のたまり場で、作品もある。府中本町駅前の広場は国府跡で、また家康の御殿跡という。遺跡はないが立ち寄り、直ぐ先の大国魂神社へ。先の小野神社を含む六宮を合祀する武蔵総社で格上の社。私は数度訪ねている。こちらも七五三参りで大混雑。
 神社前を左折し旧甲州街道へ。次の交差点が川越街道、相州街道と交わる四辻で、高札場が今も遺る(写真下)。高く大きな高札場に驚きながらカメラを向けた。反対側が蔵造りの酒屋で、一度眺めたことがあるかなと思っていたが、初めて。また参道へ戻り欅並木を往復し、京王線府中駅へ上がった。欅の紅葉には速かった。(2019/11/30 K.K. 1297/1300)

◇日時 2019/11/10 ◇天候 晴 ◇交通費 760円 ◇資料 山川出版社「東京都の歴史散歩下・多摩島嶼」1992年、JTB「大人の遠足」54頁 ◇歩数等 15,000歩 11km 
「通過時間等」自宅8:50-都営線神保町駅9:35-京王線中河原駅10:25=府中小野神社10:35=谷保天満宮11:25=JR谷保駅11:45-同府中本町駅11:55=国府跡12:00=大国魂神社12:05=府中宿高札場跡12:15=欅並木12:30=京王府中駅12:59-大江戸線西新宿駅13:35-三田線春日駅13:48-自宅14:10

勝沼に大善寺へ参拝し勝沼氏館跡を見学する

 最近近郊歩きが続き、遠出したい。三連休の最終日に新宿発ホリーデー山梨を利用し、勝沼ハイクを思い付いた。同列車は小渕沢行きの快速で、停まる駅は少なく速い上に普通料金で、塩山から恵林寺参拝(19.03.24)以来の乗車である。コースは、駅からハイキングの“勝沼ぶどう郷めぐり”で、ワインと展望の里を楽しむとある。コース外だが地図上に勝沼氏館跡を見付け、寄りたい。

 甲州盆地の眺め 早めに着き新宿駅で座席を確保した。思った程は込み合ってはいない。中央線を走り大月駅から笹子トンネルを抜け、勝沼ぶどう郷駅に到着。駅案内所で情報を得てスタート。本日天候良く寒くもなく、ハイキング日和。駅前通りを左折し、早速葡萄棚の間の農道を歩く。高台をトラバースする小径となり、眼下には、南アルプス連峰を背景に盆地が広がり(写真上)、甲府盆地と知る。大半の山々は雲を被っているが右端の鋭鋒は甲斐駒だろう。次のポイント大善寺への案内標識が途切れてしまった。持参のマップと見比べると、直ぐ下の葡萄園を貫いている舗道はなく、最近の道路か。小径をそのまま下るとまた大善寺の案内がありホッとする。
 古刹大善寺の歴史 ようやく旧甲州街道が見え始め、左折すると大善寺は近い。山門下へ回り、石段から山麓の本堂に参拝。古式ゆかしき木造で古刹に相応しく、国宝とある(写真下)。養老年間(717-724年)、行基創建と伝わるという。驚いたのは、戦国期、勝頼が新府城から岩殿城へ退避する時最初に宿泊したのが当寺で、尼であった理慶尼(信玄の従姉妹)が書いた記録が遺るとある。小山田の裏切りに遇い日川上流の天目山で自刃したが、日川が寺下を流れている。

 幕末には、新撰組近藤率いる甲陽鎮撫隊と板垣退助の新政府軍が当寺付近で交戦し近藤軍は惨敗したとある。いずれにも歴史に遺る事件だが、古刹自体は巻き込まれることはなかったのだ。境内に芭蕉句碑“勝沼や馬子はぶどうを喰ひながら”があったが、芭蕉を少し調べている私には疑問で、ネット情報では贋作ともある。
 勝沼氏館跡 寺前から旧甲州街道を歩き、勝沼氏館跡へ。街道裏と教わり進入すると、藁小屋が建ち、当時の家臣屋敷跡とある。中世の城跡で家屋の復元は珍しく、カメラに収めた。裏が鍛冶工房や木製品工房跡とある。その先に、濠と土塁に囲まれた立派な内郭が遺っていた。甲州市の資料によれば、15-16世紀の居館跡で、武田信虎の弟信友が拠点としていたようだ。内郭を巡り、土塁上を歩いた。隣を流れる日川が天然の要害であったろう。また旧甲州街道へ戻り本陣跡の案内を眺め、駅へと坂道を上がり続けるとシャトー勝沼前へ出た。ワイン工場で、ぶどうの丘は対面に見えるが近くはなく寄らないでそのまま駅へ歩いた。駅前には食事処はなく、ワインと菓子類を求め、ホームで上り電車を待った。(2019/11/23 K.K. 1296/1300)

◇日時 2019/11/04 ◇天候 晴 ◇交通費 2,760円 ◇資料 JR東日本「駅からハイキング勝沼ぶどう郷めぐり」2002年112頁 ◇歩数等 16,000歩 11km 
「通過時間等」自宅7:50-JR巣鴨駅8:25-同新宿駅9:02-同勝沼ぶどう郷駅10:45=大善寺11:25/11:40=勝沼氏館跡12:05/12:20=シャトー勝沼前12:35=JR勝沼ぶどう郷駅13:10-同高尾駅14:32-同新宿駅15:15-三田線巣鴨駅15:36-自宅16:05

一之江名主屋敷から今井渡し場跡へ

 久し振りに、「東京都の歴史散歩・上」(山川出版社)を本棚から取り出した。頁を括り江戸川区に、”一之江名主屋敷”を見付け興味が湧いた。同書には、巻末に散歩モデルコースがあり、そのコースを歩くことにし、その中の旧江戸川の今井渡し場跡も訪ねたい。都内も、千葉県境に近い江戸川は殆ど歩いたことがなく、土地勘もない。

 屋敷森中の名主邸 都営神保町駅で新宿線に乗り換え、最寄り駅瑞江駅に降りる。一之江駅ではなく瑞江駅からとはネットで調べた。初めての駅で、駅前案内図で名主屋敷へのルートを確かめ歩いたが、見付からない。地元の方に教えて貰い戻った。直前の森内は寺かと早合点し通り過ぎたが、名主家の屋敷森。思った以上に広いお屋敷で、大回りし長屋門前へ。立派な名主屋敷が現存し、都内では唯一という。田島家は元禄年間から一之江の名主を務め、母家は藁葺きの曲屋造り(写真上)で、安永年間の建築とある。台所では囲炉裏が燃え、茅葺き屋根保存には囲炉裏が必要のようで、柱や床は煤け黒光りしている。外へ出て屋敷森を巡り、外からも母屋を眺め、カメラに収めた。都23区内にもこんな屋敷が遺っているのだ。
 表の大通り渡った先が田島家が建立した城立寺。武家であった田島氏は関ヶ原の戦いの際西軍の敗勢を察し、当地へ逃れたらしい。それで現在まで続くのであるから歴史は分からない。現田島家住宅は名主屋敷の隣にあった。大通りを歩き続け、十字路の左手が大雲寺。歌舞伎役者が合葬されている寺で、江戸期から役者寺として有名とあるが、墓地へは回らず、本堂前で手を合わせUターン。

 今井の渡し場跡は市川市内 今井の渡し場へと方向を旧江戸川へ採った筈だが、道路標識は瑞江駅とあり90度違う。次の交差点で右折し住宅街へ至り、小路へ入って近道したら香取神社。境内には小さいが富士塚もある。簡単に頭を垂れ前の通りから旧江戸川堤防へ上がった。右に今井橋を見て、堤防を上下したが渡し場跡には出会えない。上流の樹林の間かなとも思ったが違うようだ。
 スマホを出し検索すると、対岸の市川市側にヒット。それではと今井橋を渡って市川市へ入り、堤防へ出るとジャスト案内板が立っていた(写真下)。江戸川は今でこそ堤防で仕切られ流れは一定しているが、一昔前は流れは変遷し、現在では痕跡もなく案内板だけか。当時は関所の役目もあり、江戸から出るのは自由だが入るのは制限され、千葉から駆け落ちした若い2人が処刑され、その塚跡の案内もある。
 今井の渡し場跡も探し当て、もう残るのは公園で史蹟ポイントはなく、今回の里歩きを終えることにし、都営新宿線瑞江駅へ向ける。今井橋を渡り返し、そのまま直進し新中川に架かる新今井橋先の左手に駅はあった。(2019/11/16 K.K. 1295/1300)

◇日時 2019/10/31 ◇天候 晴 ◇交通費 シルバーパス ◇資料 「東京都の歴史散歩・上」(山川出版社1992年)268頁 ◇歩数等 17,000歩 12km 
「通過時間等」自宅8:45-都営神保町駅9:25-同瑞江駅10:00=一之江名主屋敷10:20=城立寺10:45=大雲寺11:00=香取神社11:30=今井橋11:55=渡し場跡12:00=都営一之江駅12:35-三田線神保町駅13:05-自宅13:40

大雄山最乗寺を再訪し奥の院参拝をする

 最近山歩きは少なくなり、里歩きでも史跡や社寺巡りも多くなっている。加齢に加え、毎週コンスタントに歩く都合だろう。興味はそこそこあり、交通の便も良く、歩いても翌週へ持ち越す程ではない。小田急沿線から少し離れた南足柄にある大雄山最乗寺(04.5.23)を思い出し再訪することにし、最近ご無沙汰の花友へ声を掛けたらOKが出た。

 金太郎像が出迎え 10時小田原駅に待ち合わせ、同駅発大雄山線に乗車。私は二度目だがBさんは初乗車という。終点大雄山駅に降りると、駅前に金太郎が鉞担いで熊に跨る像がある(写真上)。バスで最乗寺へ。門前町から森の中の坂道を上がる。終点には土産店数軒あり、降りて歩き出す。早速参道石段が続く。深い山中に杉の古大木が並び、古刹、霊場の雰囲気十分。現在ではパワースポットというのだろう。2人でゆっくりと上がる。グループ一行はハイキングか。
 古刹はパワースポット 本寺は、曹洞宗に属し了庵慧明禅師開創以来600年の古刹で、修業道場でもあり、関東の霊場として知られ、境内山林130町歩、堂塔30以上にも及ぶとある。先程来、ひしひしと霊気を感じているのは我々だけではないと思う。
 仁王門から更に石段を上がり続ける。記憶にある境内へ至り、グループとは別に右折し瑠璃門から書院前へ上がる。そして、本堂へ。堂内に入った参拝者もあり、我々も続いて参拝。広い本堂内は、300畳敷きとBさん暗算し教えてくれた。前回は確か読経の声が聞こえたと思うが、本日は静か。鐘楼や古池を右に見て、奥へ進み御真殿前で、朱の高下駄を見る。天狗用なら一本歯と思うが、此処のは二本歯で、カメラに収めた。

 奥の院石段に挑戦 奥の院の石段に挑戦。前回はUターンしたが、Bさんに背中を押された。50段程上がって、急な長い石段が目の前へ迫る(写真下)。150段位と読み、ゆっくりと一歩一歩踏みながら50段毎に休憩を入れる。追い越す方もいるが無視し、2度ではなく3度休み、200段を越して、奥の院。意外に質素で、小さな御堂でまた参拝。女坂はないかと探したが無く、石段を下る。上から覗く石段は急で怖い位。手すりに触れながら下り終えた。Bさんと境内端の沢沿いを歩く。てんぐのこみちとある。先日の大雨の影響は少ないようで、やや多目の流れか。それでも明神ヶ岳への登山口には、道崩れで閉鎖の貼り紙があった。紫陽花の案内があり、Bさん、来年のシーズンには友人達を案内したいと気に入ってくれたようだ。
 バス停へ下り、バスで大雄山駅に戻り駅前で乗り継ぎ、新松田駅から小田急で帰途に就いた。数日間脚に筋肉痛が残った。Bさんはどうだったろうか。(2019/11/11 K.K. 1294/1300)

◇日時 2019/10/26 ◇天候 曇り ◇資料 昭文社「山と高原地図 箱根」1994年 ◇歩数等 8,000歩 6km 
「通過時間等」自宅7:30-都営神保町駅8:10-小田急新宿駅8:27-大雄山線小田原駅10:12-同大雄山駅10:55-最乗寺前バス停11:05=最乗寺本堂11:25=奥の院11:45=最乗寺前バス停12:24-大雄山駅前12:45-小田急新松田駅13:07-都営新宿駅14:41-三田線神保町駅14:51-自宅15:30

のんびりではなかった奥武蔵入曽から入間へ

 私のホームコース奥武蔵ではめぼしいコースの大半は歩き、残りはアクセスの悪い山奥と思う。収集パンフ類を丹念にチェックし、入間・加治丘陵の入曽から入間、稲荷山公園を歩くコースを見付けた。入間付近は、奥武蔵も飯能の手前で、西武池袋線で通過している地域である。パンフには“のんびり散歩コース”とあり、気軽に出掛けた。

 入曽で二度躓く スタート地西武新宿線入曽駅は、所沢駅の先で、旧職場の先輩が新居を構えた時お邪魔して以来に降りた。50年も前のことで記憶にはなく、もう新興住宅地の面影もない。
 最初のコースポイントは七曲井だが、駅前通りを左折した先で、一本手前の大通りへ入ってしまい、新宿線踏切へ至り誤りに気付き、戻らないで右手先の不老川沿いに歩いて井戸跡に着いた。平安時代中頃の竪堀井戸跡という(写真上)。飲み水に不自由した武蔵野台地での先人達の苦労を示す史跡。カメラに収め、また踏切へ。隣の神社では秋祭りの準備中であった。踏切を渡り、茶畑もある住宅街を直進し続けるが、不老川河畔へは出ない。先か先かと行くも出会わない。地元の方に尋ねると、川は住宅街の裏と教えてくれた。大分北上した先に川が流れ、パンフ地図で確かめると、踏切直ぐに右折で、また誤っていた。現在地が不明だが、山勘で川沿いに東進する。右下は池かと思ったら公園で、先日の雨で遊具が水の中。次の交差点前に福祉センターがあり、やっとコースに乗った。

 入間基地、ジョンソンタウン コースは川の土手道で、荒れた踏み跡程度。土手は自衛隊入間基地飛行場のもの。川から離れ右折すると高台で、飛行場を一望できたが、飛行機は一機もない。先日の台風襲来で避難したのであろうか。この飛行場は見学したことがある。入間の研修所で全省庁の研修があり、その時見学し、軍用機の下でパイロット用装束を着けるチャンスもあった。
 入間市街方向へ左折し、学校地区で校庭での少年野球を眺めながら歩いていたら、次のポイントジョンソンタウンを過ぎてしまう処であった。少し戻り、右手へ入ると洋風住宅街。現入間基地は戦後米軍のジョンソン基地で、隊員居住地の名残らしい。大半はカフェやレストラン、雑貨店で、全て木造一階建て(写真下)。その間を歩く買い物客が多い。子供の頃隣町に米軍基地があり、2,3度訪ねたが、余りにも遠い昔のことで蘇らない。
 稲荷山公園から帰る 彩の森入間公園でメタセコイア並木を通り抜け、正門を出ると基地事務所庭には各種飛行機類が展示してある。大通りを右折し家政大学前を過ぎて、また踏切。直ぐ左手が稲荷山公園。奥武蔵ハイキングの帰途車窓から眺めていた。今回は、入口から覗いて普通の緑地公園と違わないと確かめ、踏切傍の稲荷山公園駅で池袋行きを待った。(2019/11/07 K.K. 1293/1300)

◇日時 2019/10/20 ◇天候 曇り ◇資料 西武鉄道「のんびり散歩入間・加治丘陵」2011年3月 ◇歩数等 23,000歩 17km 
「通過時間等」自宅8:30-JR巣鴨駅9:10-西武池袋駅9:20-同所沢駅9:53-同入曽駅10:05=七曲井10:20=福祉センター前11:05=西武池袋線踏切11:20=ジョンソンタウン11:40=彩の森入間公園11:50=稲荷山公園12:25=西武稲荷山公園駅12:35-JR池袋駅13:20-三田線巣鴨駅13:30-自宅14:00

小田急豪徳寺駅から世田谷線沿線を歩く

 小田急電鉄が設定する自然ふれあいの道から豪徳寺駅コースを歩くことにした。首都圏の私鉄各社は、沿線にハイキングコースを設定している。東武鉄道や西武鉄道はガイドブックも販売し、JR東日本も駅からハイキングコースを宣伝している。乗客増加策だろう。
 小田急豪徳寺駅に着き、駅でコースマップを貰った。ネットで検索も出来るが駅で入手出来る。今回は豪徳寺と世田谷城跡が主なポイントだが一度訪ねていている(01.3.24)。地図から近くに世田谷代官屋敷が現存すると知り、是非見学したい。

 世田谷八幡宮から コースガイドに従い、北口へ出て、東急世田谷線踏切を渡りユリの木公園を行く。見覚えのあるような並木だが思い出せない。左折し、小田急線高架下から住宅街になり乗泉寺別院前。境内のクスノキ大木を眺め、カメラに収める。世田谷線沿いに右折し世田谷八幡宮へ参拝。古社で、源義家が後三年の役の帰途立ち寄り、宇佐八幡から分霊し、世田谷城主吉良氏が社殿を再興したとある。力石や土俵もあり、江戸期から奉納相撲が盛んだという。
 豪徳寺、世田谷城跡は再訪 世田谷線を渡り直進すると豪徳寺の参道。松林の下から境内へ。二度目だがここも記憶が薄い。鐘楼や三重の塔を見上げながら本堂前へ。建て替えたようで新しい。軽く詣でて、井伊家の墓地へ。彦根の井伊家は当地にも領地があり、菩提寺とし、二代直孝や十三代直弼はじめ一族の石塔が並んでいる。奥の直弼の墓を確かめた。当寺は招き猫にも縁があり(写真上)、直孝が当寺付近で雨宿りをしていた時猫に招かれ歩いた途端先の場所に落雷があり、救われたとの話しの繋がりで、社務所でも販売していた。
 豪徳寺の直ぐ先が世田谷城跡で、こちらは記憶に一致した。土塁と濠跡が遺る。足利氏重臣吉良氏の治家の代、応永(1394-1428年)頃の築城らしい。その後北條氏の支配下となり小田原征伐で廃城になった。約200年の間当地を支配し、前回歩いた奥沢城を支城とし玉川神社(旧熊野神社)や満願寺も建立していることからも、往時の繁栄振りが窺える。もっと広い城郭の筈で遺構はどの部分か調べたが手許の資料では不明。土塁跡へ上がって手前を半周し城跡を出た

 世田谷代官屋敷は見学不可 最後は、世田谷代官屋敷で、商店街通りを歩き世田谷線を渡り返し、駅前交差点から天祖神社境内を抜けさせて貰うと、代官屋敷前で正門だ(写真下)が、現在工事中で、見学は出来ない。吉良氏の重臣であった大場氏は、世田谷城廃城後当地で帰農していたが、1633(寛永10)年、井伊家に代官に任命されたという。工事中の屋敷を柵越しに覗くと母屋の茅葺きの屋根が見える。世田谷の住宅街にはミスマッチだが屋敷森もあり堂々とし、歴史を感じさせる。なんとかアングルを探し、正門と母屋の屋根に向けシャッター切った。管理人が出て来て、年末のポロ市までは完成し公開すると、パンフを渡してくれた。是非機会を見付け見学したい。礼を言いバス停を探した。(2019/11/02 K.K. 1292/1300)        

◇日時 2019/10/15 ◇天候 曇り ◇資料 小田急電鉄「自然ふれあい歩道コースマップ 豪徳寺駅コース」2014年12月 ◇歩数等 12,000歩 9km 
「通過時間等」自宅13:00-神保町駅13:48-小田急新宿駅14:06-同豪徳寺駅14:25=乗泉寺別院14:40=世田谷八幡宮14:50=豪徳寺15:00=世田谷城跡15:20=世田谷代官屋敷15:35=世田谷区役所口バス停16:00-JR渋谷駅前16:31・・・三田線内幸町駅19:15-自宅20:00

芭蕉を辿り鶴岡を訪ね60年前を思い出す

 今回の帰郷は羽越線を経由し、鶴岡を訪ねることにした。最近はまっている俳聖の足跡を追うのが主目的だが、山形県五大市の中、鶴岡が未訪で残っていた。それでも、タキタロウの大鳥池や羽黒神社を訪ねた時鶴岡駅で乗降した。昨年湯殿山参拝ツアーでは市内に泊まったが、市内を歩くことはなかった。鶴岡ヶ城跡(96.4.30)を見学して以来23年振りである。

 句碑、滞在邸跡、乗船地 鶴岡駅に降り、芭蕉句碑のある山王日枝神社を目指す。駅正面通りの先右手、僅かな記憶の地にあった。本殿に詣で、境内外れの弁天島に、1889(元禄2)年6月10日当地で詠んだ“珍しや 山を出羽の 初なすび”の碑があった(写真上)。羽黒山から下山した感じだろうか。次は、芭蕉が3日間滞在した長山邸跡だが、目印の富樫ろうそく店を見付け、裏小路へ入る。寺の先に案内があり、小さな空き地が鶴岡藩士長山重行の屋敷跡で、入口石碑に芭蕉滞在の旨刻んであるらしいがもう読めない。カメラに写すと、奥にも句碑が建ち、先程と同じ句であった。小路を直進すると内川に突き当たり右の大泉橋袂に、芭蕉乗船の地跡とある(写真中)。ここから舟で赤川へ出て、酒田へ向かったのだ。これで、鶴岡での芭蕉足跡は区切りが付く。

 風間邸見学 風間邸を探す。この度市内地図を眺め初めて知った有形文化財。内川沿いを歩き右折すると風間邸で、門は大きくはない薬医門だが邸内は広く立派なもの。明治29年7代当主建築とあり、案内して貰う。風間家は、鶴岡藩の御用商人で貸金業も行い、庄内では本間様に次ぐ豪商で、また大地主であったという。昭和になって現荘内銀行へ引き継がれたと説明があった。少し離れた別邸の庭も見学した。

 鶴岡ホテルの思い出 鶴岡ホテルを訪ねる。風間邸受付で、現在営業はしていないが建物がありその場所を教えて貰った。内川へ戻って鶴園橋を渡り右折すると、見覚えのある木造建物があった。庭の位置も間違いなく、表には、鶴岡ホテルの看板もその儘(写真下)。
 約60年前県高校総体が当地で開催され、“明日は、宇部(インターハイ開催地)へ出て行くからは 何が何でも勝たねばならぬ 空に灯が付く鶴岡ホテル 俺の闘志がまた燃える”と、ここの2階で唱った。当時流行していた王将である。順当に勝ち上がり翌日準決勝、決勝戦。しかし、決勝戦の相手は強敵N校で、後半こちらのキャプテンとポイントゲッターの2人が5ファールしてしまい、突き放されてしまった。その思い出は強く残り、当時のメンバーが集まるとその話になったが、最近3年位は、集まる機会がなくなってしまった。ホテルをカメラに収めた。その後、藩校致道館を見学し、大宝館を眺め、城址公園本丸跡の荘内神社に参拝し、鶴岡市役所前でバスを待った。決戦した市体育館は、通り反対側の先にあったと知った。(2019/10/18 K.K. 1291/1300)

◇日時 2019/10/6 ◇天候 曇り ◇交通費 10,300 ◇資料 JR東日本「駅からハイキング75歴史と文化の城下町・鶴岡」2002年170頁 ◇歩数等 18,000歩 13km 
「通過時間等」自宅7:25-JR上野駅8:30-同新潟駅10:57-同鶴岡駅12:50=山王日枝神社13:10=長山邸跡13:20=大泉橋13:30=風間邸13:40/14:00=旧鶴岡ホテル14:10=致道館14:20=荘内神社14:35-JR鶴岡駅15:39-同余目駅16:02-同新庄駅17:22-同東根駅18:00=実家18:30

世田谷に九品仏、善養寺を訪ねる

 神奈川県境辺りに歩く先を思い巡らし、奥沢城跡を思い出した。一度訪ねた(99.9.4)が、同窓会講演会と重なり駆け足で、城跡遺構を確かめなかった悔いが残り、再訪したい。等々力渓谷先にある珍しい狛犬や大榧木のある善養寺にも寄りたい。弟を誘おうとして神奈川からも乗り入れている東急沿線を選んだが、結局1人で歩くことになった。

 九品仏と奥沢城跡 我が家から東急大井町線九品仏駅は遠くはなく1時間強である。三田線の日吉行きに乗り、大岡山駅で大井町線に乗り換えた。九品仏駅直ぐ裏手が、九品仏浄真寺。二度目だが記憶にない山門や鐘楼のある境内。都内世田谷とは思えない広さで、周囲を樹林が覆い武蔵野の名残であろう。左手の土手状の草むらが奥沢城の土塁跡で(写真上)、標識が示している。周囲を囲んでいたのであろうが、現在では僅かな痕跡である。
 奥沢城は、吉良氏が城主である世田谷城の支城として、1551(天文20)年築かれ、家臣大平出羽守が城主であったが、その後北條氏の支配下になり、秀吉の小田原征伐で廃城になったという。その跡に、江戸期になって1678(延宝6)年に創建されたのが浄真寺であるが、国宝や重文の建物類は見当たらない。奈良や京都の古刹とは年代違いなのだろうか。境内奥に上品堂を挟んで中品堂、下品堂が並び、各堂には三仏が祀られ、これで九品仏かと思いながら、三堂で手を合わせ、孫達の成長等をお願いした。

 裏手墓地の裏門は閉められ、また戻り境内外側を回って、奥沢住宅街を直進し、目黒通りへ出ると通りを挟んで玉川神社。ここも吉良氏が熊野神社から勧請したとある。次の満願寺も、吉良氏縁の古寺とあるが、改築のためかその雰囲気はない。
 狛犬と再会 大井町線等々力駅傍踏切から、今回は渓谷へは下りないで、等々力不動へ寄りまた参拝。境内を真っ直ぐに進み渓谷先へ出て、山勘で善養寺を探す。住宅街を右折、左折すると墓地があり、多摩川土手手前に高い樹も見える。坂を下って、表門から境内に入ると、独特の狛犬が迎えてくれた(写真下)。大榧も健在で聳えている。狛犬は犬には見えず、ネット情報では、「海駝(かいだ)の坐像」で、海駝は架空の神獣・・・世界でも5つしかない珍しいもののようだ。カメラに収めた。最後のポイント六所神社が見当たらず、野毛地区をウロウロ。善養寺裏の高台に鎮座していたが、由緒書きもない社で、簡単に頭を垂れ、また往路へ出て、等々力渓谷遊歩道を歩く。都内とは思えない渓谷で、薄暗い林の下散策者は多い。ここは数度目で、150回の時や花友を案内し、また500号紀行本祝賀会の折仲間達とも歩いた(09/11/7)。最近の雨の所為か流れは多く、綺麗ではない。
 渓谷を出て、等々力駅近くの往きに出会ったバス停で、東京駅南口往きバスを待つ。バスは直ぐ来て、目黒通りを都心へ走った。(2019/10/21 K.K. 1290/1300)

◇日時 2019/10/3 ◇天候 曇り ◇資料 中山権四郎「城跡ハイキング 奥沢城」平成7年146頁 ◇歩数等 15,000歩 11km 
「通過時間等」自宅9:40-東急大岡山駅10:59-同九品仏駅11:05=九品仏浄真寺11:10/11:35=玉川神社11:50=満願寺12:05=等々力不動12:25=善養寺12:40=六所神社13:05=等々力渓谷13:20=等々力バス停13:30-三田線目黒駅14:08-自宅15:00

佐久龍岡城跡を再訪する

 佐久のコスモス街道を地図で調べていたら、龍岡城跡が近いことを知った。同城跡は、五稜郭形式というわが国2例のみの歴史的遺産で、過去に一度訪ねている(06.8.13)が、不思議なことに記録がない。家内実家の初盆の際、小海線を利用して寄ったことは記憶にあり、間違いない。今回は車で、時間があれば、Sさんにお願いしようと思いながら、出掛けた。

 急遽龍岡城跡へ 内山峠トンネルを抜け、群馬から信州佐久へ入り、国道254号のコスモス街道を走った。両側にコスモスが咲いているのが見える。佐久の中心街中込手前辺りで、“龍岡城”の案内標識を見付けた。やっぱりと思い、車内でSさんへ私の思いを伝えた。車は速く時間はあり、頷いてくれた。
 コスモス街道沿いさくらい蜂蜜店で休憩し、龍岡城跡を尋ねると、車なら15分と教えてくれた。またコスモス街道を下り、途中から臼田方向へ左折し、集落が散らばる田園地帯を走り、橋を渡り左折すると、城跡公園駐車場であったが、見覚えはない。前回は小海線龍岡城駅から歩いて15分位であったと思う。
 五稜郭龍岡城の歴史 龍岡城は、幕末も、1863(文久3)年に築かれた五稜郭で、歴史の浅い城(写真上)。三河奥殿藩主松平乗謨(ノリカタ)が、幕府の老中格陸軍総裁を務めて西洋の城郭知識を得たらしい。1万6千石の小藩で、奥殿(現愛知県岡崎)から、飛び領地で陣屋のあった当地田野口へ本拠を移し築城したという。3年で完成したが、直ぐ明治に至り廃藩、廃城を迎えてしまった(大類伸「日本城郭事典」平成2年105頁外)。

 車を降り、目の前が城跡だが、入口を探し石垣沿いに左へ行くと濠があり、五稜の一つ(凸部)を確かめながら次の凹部大手口へ。その前に案内所ふれあい館があり、先程は観光バスが見えた。見覚えのある大手口だが、改装されているようにも見える。カメラに収めながら郭内へ。現在は小学校で、グランドには子供達が見える。奥の体育館のような建物は、唯一現存の台所櫓とは知っていた。前回よりは新しく、同じく化粧直ししたのだろう。
 五稜郭を眺める 左手の土塁へ上がり、大手口から続く、五角の一端の濠を見下ろす(写真下)。往年と変わりはないのだろう。シャッターを切った。学校校舎の裏側は見られなかったが、こぢんまりとした五稜郭で、その大半は濠も遺るが、函館の半分以下の規模だろう。前回の感想でもあったが、何処や誰を想定し、このような形式の城郭をわざわざ当地に造ったかという疑問は残った儘である。大手口右に社があり、幕末頃の戦争犠牲者を祀ったようで、その中に北越戦争2名とある。Sさんが、新政府軍と長岡藩の戦いと教えてくれた。あの河井継之助が活躍した戦と思い出した。同じ譜代の当藩からも、近くはない長岡藩へ派兵したのであろう。ふれあい館を覗いて、パンフ貰い退城した。Sさん、私の急なお願いに案内、お付き合い戴き、有り難うございました。(2019/10/15 K.K. 1289/1300)

◇日時 2019/9/29 ◇天候 晴 ◇資料 佐久市観光協会「佐久市田口史蹟めぐり」 
「通過時間等」自宅・高島平6:30-佐久中込9:00-桜井蜂蜜店9:10/9:35-龍岡城跡9:50/10:20-佐久高原大秋桜園10:50/11:50-軽井沢植物園12:50/13:15-高島平・自宅15:40

コスモス街道、佐久高原でコスモスを楽しむ

 9月も半ば過ぎ、コスモスが咲く季節である。群馬内山峠の先、信州佐久にあるコスモス街道へ、Sさんに車で案内を請うたらオーケーが出て、日程を調整していた。折しも、山形の姪からメールが届き、叔母さんコスモスが好きでしたねとある。忘れていた訳ではないが、家内の好きな花であったことは確かで、仏前へも手配しなくてはと思う。

 内山峠、コスモス街道 関越高速道から上信越高速道へ入り、下仁田ICで高速を降り、内山峠へ向かった。上信県境の深い山中で、左手に荒船山の垂直の崖が見える。トンネル内で県境を越し佐久へ至り、里へ出ると、コスモスが見え始め、コスモス街道であった。途切れはあるも両側にコスモスが続く。車窓からは少し遅かったようにも見えるが、未だ花期内。街道は佐久の中心中込へと続くが、花は手前迄。狩人の唱う“コスモス街道”には、右は越後へ行く北の道、左は木曽まで行く中山道とあり、佐久の当街道ではなく、もっと北西の信濃追分か岩村田付近のようだ。
 Uターンして貰い、往きにチェックしていたさくらい蜂蜜店庭へ駐車。庭には満開のコスモスが咲き揃っている(写真上)。私は、カメラを手に赤やピンクの花々の間を巡り、店前のコスモス街道を上下する。街道でも山に近いからか丁度見頃。店内で休憩し、Sさんお焼きを注文。私もお相伴に預かる。若い頃家内の実家で出されて知ったが、まんじゅうの中が、漬物や茄子にはビックリ。家内が懐かしそうに食べる横で、苦闘した思い出がある。現在では、まあ食べられるようになり、一個戴いた。

 佐久高原大コスモス園 コスモス街道を上がり、旧道で内山峠へ。峠頂上には荒船山登山口があり、見覚えがある(11.10.31)。今回は通過し、佐久高原にある山荘あらふねの大コスモス園へ。Sさんがネットで探してくれたコスモスの名所。駐車場から左手先にコスモスの花々が見え始め、期待できそう。
 湖の土手から高原へ上がると、目の前に満開の大コスモス園が広がり、高原一面に花々が咲き並び、乱れている(写真下)。見物者も多く、後に付いて高原を半周。赤やピンクが中心だが、白も混じる。素人の私には、アングルが難しく、画面一杯に花を写す外はない。1200mの高地で、また広く、手入れ、管理が困難ではと余計なことを考えてしまった。高原のコスモスの花に充たされ、高原を下ると、右手先にまた荒船山の崖がくっきりと見えた。レストハウスで昼食し、Sさんの案内で軽井沢へ出て、植物園を一回りし、シオンやヒゴタイ、ミナヅキなどの珍しい花を見る。街路樹は黄色に染まり始め秋の到来を告げていた。Sさんお世話になりました。秋桜には満足しました。有り難うございました。(2019/10/11 K.K. 1288/1300)

◇日時 2019/9/29 ◇天候 晴 ◇資料 佐久市観光協会「観光ガイドマップ信州佐久」◇歩数等 11,000歩 8km
「通過時間等」自宅・高島平6:30-佐久中込9:00-さくらい蜂蜜店9:10/9:35-龍岡城跡9:50/10:20-佐久高原コスモス園10:50/11:50-軽井沢植物園12:50/13:15-自宅15:40

選定を誤った白駒池から渋の湯下山コース

 進むべきか戻るべきか 狭くて急な石ゴロ沢の途中で、脚が止まってしまった。踏み跡も、赤テープも見当たらず、進むべきか、戻るべきか。下り続けるのも容易ではない。周囲は深い森。渋の湯発最終バス時間はさっき過ぎてしまった。子供の頃祖父が教えてくれた”沢を下れば里へ出る”とは、故郷の里山でのこと。ここは北八つ山麓の深い山中である。

 麦草峠、白駒池 本日、北八つ麦草峠、白駒池を巡るため、茅野駅からバスで麦草峠へ上がった。峠最高点(2120m)を越し、白駒池へ歩いた。シラビソ原生林内の苔が有名で、カメラに収めながら池端へ出ると、高地の池は静かに水を湛えていた(写真上)。昼食休憩し、下りに備える。下りは、手許の地図にある高見石へ上がり、渋の湯へ下るコースを見付けていた。下るコースタイム1時間10分で、最終バスにも余裕がある。

 高見石から賽の河原へ 白駒池を離れ、高見石へと薄暗い林の中を上がり続ける。大石ゴロゴロの坂道で歩き難いがゆっくり脚を一歩一歩を進める。平日なのにハイカーを見掛け、二組に抜かれるも急がない。頭上に空がチラチラしてから長いが、小屋前へ出た。思ったより速く、コースタイム50分の処45分。エッ本当と疑いながら、小屋前で休憩。案内板に、渋の湯へは緩やかな道とあり、ニンマリ。しかし、30分後は状況が一変した。
 高見石から直ぐ渋の湯へ左折しシラビソ林の中苔を見ながらゆっくり下ったのは、林内だけ。30分程で賽の河原の上で、正面には天狗岳(2645m)が聳えている(写真中)。急降下の道を慎重に下りた広い沢底部の河原は、溶岩の巨石や大岩で覆われた大ガレ場で、その上を歩く。時には石上を跨ぎ、時には降りて横をすり抜け、これを繰り返すが、脚が短く、体重が重い私には簡単ではない。怪我が怖く、岩角に手を掛け、足場確保を優先。賽の河原にも赤テープがある。途中で前方に高山が見え御嶽山で(写真下)、カメラを望遠にし写した。こんな余裕は此処まで。

 戻ってコース確認 地蔵様前を過ぎ、300m以上はあった鬼の賽の河原を脱出したと思ったが、下山路はその後もゴロ石が連続する沢。コースタイムを過ぎ、そろそろ渋の湯へ飛び出すと期待するがその気配はない。そんな歩きを続け、右折したら、冒頭の地点に至った。 道を誤ったかと思い、セオリー通り右折地点へ戻ると、赤テープ通り。そのまま沢を下り続け、コース案内に出会い渋川へ出てホッとしたが、ここからも簡単ではなかった。四ヶ所の木橋はいずれも新しいもので、最近の大洪水を示し、道も荒れ途切れ途切れのよう。谷沿いを懸命に歩き続け、黒百合平への分岐を過ぎ、ふと右を見ると建物があり、渋の湯であった。高見石から3時間経過し、コースタイム二倍以上。地図の誤植を疑い、帰宅後調べたら私並みの山行記録が2例あった。電話を借りタクシーを呼び、5時の特急あずさに乗れた。(2019/10/4 K.K. 1287/1300)

◇日時 2019/9/29 ◇天候 晴 ◇交通費 15,960円 ◇資料 昭文社「山と高原地図八ヶ岳・蓼科」1995年 ◇歩数等 16,000歩 11km
「通過時間等」自宅6:50-JR同新宿駅8:00-同茅野駅10:25-麦草峠11:40=白駒池入口11:50=白駒池12:05/12:15=高見石13:00/13:10=賽の河原13:45-14:15=戻り地点15:00=渋の湯16:15/17:05-JR茅野駅17:52-同新宿駅20:15-三田線巣鴨駅20:35-自宅21:05

御成門から於岩稲荷へ歩き、浜離宮に黄花秋桜を観る

 今年も秋桜の咲く季節になり、キバナコスモスが浮かぶ。数年前都心木場公園で出会い、魅了されてしまった。その後、特にキバナコスモスを探しているが、中々感動するような花には会えない。木場公園は1年限りで、ネットでコスモス園を見ているが、結局、昨年と同じ浜離宮庭園にした。歩くコースは代えようと港区御成門をスタートし、浜離宮庭園を経て中央区新川の於岩稲荷へ歩くことにした。

 御成門、芝離宮 三田線御成門駅に降り駅を出て、御成門前から浜松町へ左折。JR浜松町駅先で、芝離宮庭園を覗く。本日高齢者は入園料フリーと教えられた。直ぐ傍に桔梗の花が咲き、紫紺の花への再会を喜び、カメラに収める。コスモスはなく、石灯籠のある池端を巡り、園を出る。次の浜離宮へは、いつもとは違い竹芝へは行かず、手前のビルの側を行くとイタリア公園緑地があり、西洋ススキ、パンパースが穂を空へ向けている(写真上)。近づきシャッターを切る。天空を指す白い大きな穂は好きである。高速道路下から、浜離宮へ。

 今年もキバナコスモス 本日は、中の御門から入園し、知っているコスモス畑へ直行。コスモスの花はあるが、倒れているものもある。先日の台風の所為だろう。キバナコスモスが一画を占め咲いているものの、私には最初の印象が強く残り、物足りない。艶がなく、色もやや褪せて見える。それでも、高層ビルを背景にしたアングルを探す(写真中)。
 園を出て、中央区へ入り、工事中の旧築地市場から波除神社へ。場外市場は健在で、外人も含め賑わっている。正面の神社へ参拝。此処も2,3度目だろう。

 鉄砲州神社富士塚に再会 隅田川のかちどき橋袂へ上がり川面を眺め、ビル街の日陰を進む。目指す鉄砲州神社は、聖路加病院前を直進すれば良いと、いつもの山勘を働かせる。病院前を通過し、有楽町線のある大通りを渡る。町内案内図はないがその儘行くと、公園の先に神社が見え、鉄砲州神社。参拝し、帰ろうとしたら、富士塚があると分かる。本殿裏手に大きな溶岩の塚があった。出発前、当社は二度目で富士塚があった筈と、記録を捲ったが見付からなかった。やはり以前に見た富士塚で、カメラを向けた。
 於岩稲荷神社へ 歩きも最後になり、於岩稲荷神社は初めての参拝。中央区湊地区から亀島川を渡り新川地区へ。また町内案内図はなく、路地を覗くと綠の木々が見え境内かと進入したら於岩稲荷田宮神社。同社は新宿左門町にあり、江戸時代、史実でないのに芝居四谷怪談の題材にされ大当たりしたという。それで、明治期に歌舞伎役者達が、芝居小屋に近い当地にも祀ったとある。奥のお百度石(写真下)も撫でて、近くの都営バス停から東京駅八重洲口行きに乗った。(2019/09/30 K.K. 1286/1300)

◇日時 2019/9/15 ◇天候 晴 ◇交通費 シルバーパス利用 ◇資料 昭文社「東京都市図」◇歩数等 16,000歩 11km
「通過時間等」自宅9:55-三田線御成門駅10:45=芝離宮庭園11:05=浜離宮庭園11:25=波除神社12:00=鉄砲州神社12:30=於岩稲荷田宮神社12:45=新川二丁目バス停12:55-東京駅八重洲口13:05=三田線大手町駅13:20-自宅14:05

町田薬師池公園に森陰を歩き蓮の花を観る

 本日は、弟と小田急自然ふれあい歩道を歩く予定で、集合地町田駅へ向かっていた。しかし外は暑く、高年者のハイキングには向かない天候。車中、炎天下歩かないで済む社寺巡りや公園散策へ予定変更を思い付き、町田の薬師池公園が浮かんだ。大分前だが一度ハイク友に案内して貰ったことがあった(06.4.30)。幸い弟には歩く先は未だ伝えていない。町田駅からのアクセスをスマホで検索した。

 町田薬師池公園へ 町田駅に降りると改札口に、弟は待っていた。薬師池公園へと告げ、北口から裏通りのバス停へ出た。弟は、初めての地と言い、少しホッとする。街中から郊外へ出て、バス停薬師池に降り歩き出すと公園裏門があり、入園。樹林の下の歩道で涼しい(写真上)。森を出て小さな谷戸、狭間で、中心は湿地だが、ハナショウブは終わっている。右手に水車小屋がある。久し振りで、近付いて眺め、カメラに収めた。薬師池手前を左折し移築の古民家へ。旧地主宅が定番だと思うが、一戸は医者のお宅。薬医門から中を覗くと農家とは間仕切りが違う。先のは藁葺きの農家で、入口には広い土間である。
 薬師池と蓮の花 公園のシンボル薬師池は、そう広くはない池で、太鼓橋が架かる(写真下)。天正時代あの北條氏邦の領地で、溜池として開発され、氏邦の裁可を得たとある。彼は武蔵寄居鉢形城主として知られる。渡って反対側へ出て、警備室があり、当園パンフを貰い、七国山の位置を尋ねるが良く分からない。本園も二度目だが、記憶にある風景は見当たらない。加齢の所為だろうか。
 直ぐ先が蓮池。遅いかなとも思ったが、ポツリ、ポツリと、ピンクの大型の花が咲いている。古代蓮、大賀蓮で、弟は、池回りでアングルを探している。私は、ベンチで休憩し、水を補給しながら、埼玉白岡の蓮の花もこんなものだったと思い出した。

 薬師堂に参拝 蓮池を離れ、右手土手へ上がり、林の中を歩きちょっぴりハイキング気分を味わう。七国山へと期待したが、そう偶然はなく、野津田薬師堂へと続き、公園外へ出で、参拝。天平年間に繋がる古刹のようだが、現堂宇は明治期の再建とある。孫達の成長と家内とぽんずの引き続きの成仏をお願いした。また樹林帯の下を歩き、谷戸から裏門へ出て、バスを待った。
 町田駅で、朝預けた物をコインロッカーから出し、弟と交換。私は好物ウィスキーを貰い、弟へお裾分けの田舎料理を手渡した。駅前で昼食をし、また歩こうと約束し分かれ、私はJR横浜線で東神奈川駅へ出て、京浜東北線有楽町駅に降り買い物をし、帰宅。本記録印刷用のインクカートリッジを求めた。最近記録作成が多く、消費、交換時期が速い。(2019/09/23 K.K. 1285/1300)

◇日時 2019/9/7 ◇天候 晴 ◇交通費 370円、青春18切符10 ◇資料 「薬師池」◇歩数等 12,000歩 8km
「通過時間等」自宅8:10-JR巣鴨駅8:50-小田急新宿駅9:10-同町田駅北口10:12-薬師池バス停10:30=薬師池11:00=野津田薬師堂11:20=薬師池バス停11:45-町田駅(昼食)12:15/12:52-JR東神奈川駅13:20-同有楽町鴨駅14:00・・・・自宅15:30

白馬親海湿原、姫川源流を歩く

 今年も白馬開催の会合に参加した。私は、山歩きが主目的で、白馬大雪渓へと予定していたが、夏季シーズンが過ぎバスの便がない上に、天候も良くない予報で、タクシーを奮発するのも今一である。白馬村内にある親海湿原、姫川源流を知り、駅から徒歩圏内で、そちらを歩くことにした。今回は、同行者は現れない。

 フシグロセンノウが咲く湿原 朝ホテルを出る時、大雪渓の方向を見上げたら黒雲に覆われていた。大糸線大町行きに乗り、南神城駅に降りた。小さな無人駅で、案内図で湿原の方向と道順を確かめスタート。農村集落の間を行き、中心街へ出て、湿原への案内に従い左折し森内を進むと、親海湿原へ入っていた。思ったより広くはない原っぱで、木道を行くが、自然というよりは荒れた湿原で、花は少ない。白い花はウドやカラマツ草か。ヒメシャジンもある。紺色の花はサワキキョウと知った。確かに花の色は桔梗だが花の形が違う。木道へはみ出て咲いている濃いピンクの花がある。カメラに収め、帰宅後調べるとミソハギ。最端からUターンすると途中に、フシグロセンノウの花を見付け(写真上)、近付くと多数の薄橙の花が咲いている。これまで、花の名山飯盛山等で2,3度出会っただけの珍しい花。慌ててシャッターを切り、花友へとスマホにも写した。薮には薄橙の花が多数咲いているが、歩道から距離がありカメラは届かない。それでも、フシグロセンノウの花に充たされ、湿原を一回りし入口へ戻った。

 姫川源流へ 姫川源流へと森内を行く。意外に近く、源流湧水は、地下から渾々と湧き出ているというよりは、どんどん流出している(写真下)。これが姫川になり白馬村から糸魚川へ出て日本海へ注いでいる。昨年の本会合の後、姫川沿いに走る大糸線に乗り渓谷を眺めた。信越県境の山中は大渓谷であった。源流では犬を連れたご婦人が写真を撮っている。軽く挨拶をし、持参ポットに湧水を汲む。水割り用で、思った以上冷たい。名水100選とある。カメラに収め、森を出た。青木湖が上方にあり、湿原も源流もそこからの地下水ではないかと想像した。
 塩の道佐野坂付近を通過 駅へ戻る途中、道祖神前に塩の道千国街道の標示があった。佐野地区とある。往路でも気になったが、青木湖畔から佐野坂を越し、塩の道を白馬へと歩いたのは8年前のこと(11.7.24)。確かに記憶にあるような古道である。
 南神城駅から大町駅、松本駅へ出た。予定では、篠ノ井線に乗り長野駅経由で帰るつもりであったが、丁度中央線上り塩山行きの鈍行があり、飛び乗ってしまった。青春18切符利用には有効ではあったが、些か時間が掛かりすぎ、新宿駅に着いた時は20時近かった。花は、「高山・亜高山の花ポケット図鑑」(新潮文庫)で調べた。900号記念にハイク友や花友達からのプレゼントである。(2019/09/21 K.K. 1284/1300)

◇日時 2019/9/2 ◇天候 曇り時々小雨 ◇交通費 現地分青春18切符9 ◇資料 赤旗日曜版「長野白馬村 親海湿原・姫川源流」18.7.15 ◇歩数等 15,000歩 11km
「通過時間等」宿泊先9:30-JR白馬駅10:24-同南神城駅10:35=親海湿原10:55/11:15=姫川源流11:35=佐野地区塩の道11:45=JR南神城駅12:35-同松本駅14:17-同高尾駅18:45-新宿駅19:50-三田線巣鴨駅20:08-自宅20:35

法隆寺、伏見稲荷を巡り参拝する

 前日大阪で用務を終え宿泊した。本日は帰るだけだが、いつものように法隆寺と伏見稲荷へ寄り道し、京都駅へ出ることにした。伏見城跡も浮かんだが、あれは歴史とは無関係な模擬天守と分かり、興味が退いた。出来るだけJRを利用し、残りの青春18切符を利用したい。

 JR天王寺駅で関西線奈良行きを待った。一昨年、奈良春日大社、東大寺からの帰途法隆寺へもと欲張ったが、疲れでパスした。言わばリベンジで、JR法隆寺駅に降り、ルートを確かめ歩く。ほぼ直線で20分とある。駅前から郊外になり、側道を斑鳩の里へ歩き続ける。大きな交差点で左折し、バスターミナルを過ぎて法隆寺南門参道前に着き、松林の参道を進む。
 静寂な中大古刹を廻る 法隆寺は二度目で、約50年前大阪万博を見学の際、会議の後に案内して貰ったことがあった。我々の高校生の頃山形では関西旅行が恒例であったが、我が高校だけはなく、京都、奈良は大分後に訪ねることになった。そんなことで、最初の時は、特に法隆寺を見学したことを覚えているが、駆け足であったと思う。
 南大門前に立ち、両側に続く長い土塀は記憶にあった。西院伽藍内へ入り、多くの古い寺院建築物の間を巡り始める。オフシーズンなのか、見学者は少なく、静かである。これとて目当てもなく、案内に従い、五重塔を見上げ、大講堂を通り抜け、金堂を覗いたら多くの仏像が林立している。私は知識もなく、興味も湧かない。廊下のような建物の方が古刹のポイントのように見え(写真上)、アングルを探した。案内所のお坊さん、金堂の像は13像中、10像が国宝と教えてくれた。鏡池前には、子規の句碑があり、“柿食えば・・・”で、私には、こちらの方が法隆寺である。大宝像院では、百済観音像などを見て、東大門を経て東院伽藍へ移動し、参拝後古色蒼然の夢殿回廊を一回り。こちらは太子とお札で知っているが、大分前のことである。

 総本山伏見稲荷大社へ参拝 駅へ戻って奈良駅へ行き、JR奈良線へ乗り換え伏見稲荷へ向かう。駅名が稲荷駅とは初めて知った。参拝に一回りしこの駅名には少し納得。私はこちらも二度目と思っていたが、初めての稲荷大社。
 直ぐ大鳥居が立ち、稲荷駅前から伏見稲荷参道。多くの参拝客で込み合い、それも欧米人も含む外国人観光客が多い。参拝者が交差する参道を行き、まずは本堂へ参拝。全国稲荷神社の総本山とあり、裏へも鳥居の朱色のトンネルが続き(写真下)、更にご本山稲荷山へ一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰と続いている。都内の稲荷神社でも連続する鳥居は見掛けるが、規模、長さが大違い。次の奥宮で、また孫達の成長等をお願いしUターン。次回の参拝で、本山稲荷山を廻るには、山歩きを覚悟して来なければならない。そのチャンスはあるだろうか。そんなことを考えながら、駅へ戻り、京都駅へ出た。(2019/09/16 K.K. 1283/1300)

 

◇日時 2019/8/27 ◇天候 晴 ◇交通費 現地分青春18切符8+190円 ◇資料 聖徳宗法隆寺「法隆寺縁起」 ◇歩数等 15,000歩 11km
「通過時間等」宿泊先7:30-JR鶴橋駅7:40-同天王寺駅7:58-同法隆寺駅8:30=法隆寺8:45/9:50=JR法隆寺駅10:11-同奈良駅10:23-同稲荷駅11:20=伏見稲荷11:20/11:45=JR稲荷駅11:49-同京都駅12:00-JR東京駅15:00-三田線大手町15:20-自宅16:00 

天満宮から御堂筋に芭蕉終焉の地を訪ねる

 今年の春大阪生駒山に登った(19.4.22)。その帰途大阪市内の地下鉄本町駅で、芭蕉句碑の案内に出会い、急遽地上へ出て難波別院南御堂を探し句碑を眺め、カメラに収めた。その時芭蕉終焉の地もこの辺りの筈と、スマホで検索し御堂筋へ出て、上下したが探せなかった。この度、また大阪へ行く機会があり、是非探したい。

 大阪天満宮に参拝 正午過ぎJR大阪駅に着き、友人で同業のMさんに会い、梅田で昼食しながら本日の用務の打ち合わせをした。幸い仕事は15時過ぎからで、その前に天満宮と御堂筋に寄りたいと伝え、JR北新地駅へ案内して貰った。JR東西線に初めて乗り、隣のJR大阪天満宮駅に下車し、案内図を確かめ地上へ出た。商店街の中左折すると裏参道で、天満宮へ導かれた。学問の神様道真公に参拝し、来年高校受験の北海道の孫の事をお願いし、賽銭はいつもより多目である。受験時期には湯島天神様へもお願いしたい。
 天満宮と大塩の乱 境内を巡ると、古い木造の山門や神殿で(写真上)、戦災は免れたが、あの大塩平八郎の乱で燃えたとある。中学か高校の日本史で習った事件で、スマホで調べると、天保の飢饉からの町民救済を求めての決起であり、一揆のような乱で、悪代官もいて、最近楽しんでいる水戸黄門漫遊記の筋書きのようでもある。神殿裏側に登竜門の案内があるが良く分からない。カメラに収め、後にゆっくり調べようと思う。
 徒歩で御堂筋へ 地下鉄南森駅から堺筋本町駅へ行き、徒歩で御堂筋のある本町駅へ出たい。駅員に徒歩と伝えて教えて貰い、ビルの地下街を歩く。あの船場のようだ。四つ目のビルで地上へ出ると御堂筋。同筋を左の方へ行ったが見当たらない。事前の調べでは、大通りの中の緑地帯に標柱だけが終焉の地を示していると思う。前回句碑があった難波別院南御堂もない。反対側かなと戻って、高速の下を過ぎると、前方の緑地帯にポツンと立つ標柱が見え、あれだと自動車に注意しながら近付くと、芭蕉終焉の地と刻んであった(写真下)。前回は、もっと南、心斎橋の方へ歩いてしまったようだ。

 遂に終焉の地碑 俳聖は、門人の諍いの仲裁に来坂中病臥に伏し、当地にあった花屋仁左衛門宅で亡くなった。1694(元禄7)年10月のことで、51歳、おくのほそ道の旅から5年後であった。“旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る”を詠み、辞世の句として知られ、今春、難波別院南御堂境内の句碑で確かめている。これで、私の俳聖の跡追いハイキングにも、おくのほそ道の大半を歩いたときは締めになるかもしれない。用務の時間が迫り、綿紡会館へ急いだ。
 先日、山形の読者から“奥の細道330年芭蕉展”の情報を貰い、日比谷に訪ねた。芭蕉後の蕪村達は、風流人、文人として俳聖を追跡、研究し作品を遺している。単なる追っ掛けの私は、場違いかなと思わざるを得なかった。(2019/09/14 K.K. 1282/1300)

◇日時 2019/8/26 ◇天候 晴 ◇交通費 現地分300円 ◇資料 日本メールオーダー社「大世界百科事典アルファ」1974年、5469頁 ◇歩数等 13,000歩 10km
「通過時間等」自宅7:50-JR東京駅9:02-同新大阪駅11:50-同大阪駅(昼食)12:06-同北新地駅13:26-同大阪天満宮駅13:35=天満宮13:40/14:00=南森駅14:05-堺筋本町駅14:15=御堂筋本町駅上14:35=芭蕉終焉の地碑14:45=用務地15:00

船橋県民の森からアンデルセン公園へ

 今回は近郊にしようとして、船橋のアンデルセン公園に思い当たった。ネットで四季の花々を検索すると時々ヒットし知っていた。現在ひまわりが見頃らしい。アクセスを調べると船橋も郊外で、バス利用。地図を見回していたら、北総線白井駅から県民の森を経てアンデルセン公園へのコースを思い付いた。距離があるが、私は歩きが主目的だからノープロブレン。

 北総線白井駅スタート 京成線を青砥駅から北総線に乗り換え、千葉へ入った。3年前(16.12.25)北総台地を歩いて以来の北総線で、千葉ニュータウン中央駅手前の白井駅に降り、スタート。県民の森へ向け、大通りを直進する。左右には、団地と銀行や郵便局はあるが商店は見えない。高校を過ぎ、川に突き当たりを左折したが、川沿いの道はなく戻って回り道し二重川を渡る。この辺りは地元の大きな農家が並ぶ。梨園を過ぎると県民の森。大きな森で、バーべ-キュー広場もあり本日も人出があるようだ。森内へ進入すべきか迷ったが、アンデルセン公園がメインだから、暑くなる前に公園へと、森端の道路を行く。
 県民の森からアンデルセン公園へ 今回、地図をスマホで写し保存している。見たいときは、胸ポケットから出し、拡大も出来、手軽で便利。県民の森西口前を通る。方向的には疑問だが、真っ直ぐに歩き大通りを右折。丁度バスが来て、アンデルセン公園経由とあり、正解であった。バス停先を左折すると公園西口。入園料を支払おうとしたら、高齢者はなしと聞き、ラッキー。園内マップを貰い、園内を巡る。船橋とデンマークの都市が姉妹都市で、現在はアンデルセン童話仕様の公園へ移行したとある。

 ひまわりは満開 晴天下家族連れが目立つ中、未知の洋花を眺めながら(写真上)、奥へのメルヘン丘へ入り向日葵畑へ。一面咲き揃い満開(写真下)。これまで見た花より小振りで丈が低く、黄色そのもので橙系ではない。カメラに収めがなら花に近付く。親子も写真を撮り合っている。デンマークの農家の前から、アンデルセン像を見上げて、風車の広場。レストランもある。ベンチで一休みし、暑さが増す前にと腰を上げ、自然体験ゾーンへ。池の橋を渡ると母子が水中に網を入れている。バケツを覗いたら、小魚とザリガニがいた。林の中の遊歩道を巡る。こちらは陽が差さず涼しいのに、歩くのは私一人。僅かな間ハイキング気分を味わって、西口へ戻る。
 船橋駅経由し都内へ 色々迷ったが、バス一本で船橋駅へ戻れるので、西口バス停へ。直ぐバスが来て、乗車。途中からバスは、昨年不動の滝へ歩いたコースを通り、夏見町を通過。当地から通う大学同級生がいて、彼は司法試験に合格し弁護士開業していると年賀状で知っていた。あれから50年、来月末大学主催の記念パーティがあり、会えるかなと期待している。
 京成船橋駅、同八幡駅から都営新宿線で帰途に就いた。(2019/09/11 K.K. 1281/1300)

◇日時 2019/8/24 ◇天候 晴 ◇資料 「ふなばしアンデルセン公園」平成30年6月 ◇歩数等 19,000歩 13km
「通過時間等」自宅8:05-新宿線神保町駅8:47-東日本橋駅9:01-北総線白井駅10:00=白井高校10:15=富ヶ岡橋10:25=県民の森10:35=アンデルセン公園11:05/11:55=西口バス停12:02-京成船橋駅12:58-新宿線本八幡駅13:20-三田線神保町駅13:45-自宅14:20

相模線、横須賀線を乗り切る

 ハイキングにのめり込んで以来20数年。歩く先の資料類は多い。地図やガイド、各地のパンフの外、JR全路線図も手許にある。古い時刻表から外しファイルしてある。これで、行く先の位置や交通アクセス検討に便利にしている。特に乗り鉄には欠かせない。今回は、その中「拡大図(東京付近)」で(写真上)、相模線から横須賀線を選んだ。

 八王子駅から橋本駅へ 相模線は、茅ヶ崎駅から橋本駅へ走る神奈川県内の路線だが、私は八王子駅から横浜線で橋本駅とした。新宿駅へ出て、中央線に乗り八王子駅で横浜線に乗り換える。乗り鉄には座席確保が先決で、始発駅だと可能性が高い。首尾良く座ることが出来、橋本駅を目指す。私が10年程前通った南大沢キャンパスの南側を走り、少しは記憶にある風景が見える。直ぐ橋本駅に着き、ホームを移動し相模線へ。橋本駅構内も久し振り。やはり南大沢キャンパス時代に数回乗降した。
 相模線乗車 こちらも始発で長椅子に座り茅ヶ崎駅を目指す。相模線は1,2度乗っただけの線で、乗り切ったことはない。左右は田園地帯で、右手に相模川やその河原が見えると思う。知る駅名は原当麻駅や相武台駅だけ。弟と小田急線座間駅から歩いたのは相武台駅先のひまわり畑へだった。その時期だが今年はどうだろうか。海老名駅、厚木駅を通過し、小田急線と接近し乗り換え可能駅で、一度走ったことを思い出したが、どちらの駅であったろうか。相模線も後半になり、寒川駅では寒川神社に詣でたことがあり、大きな由緒ある社であった。茅ヶ崎駅に到着し、相模線は終わり、東海道本線で、横須賀線に乗るべく大船駅へ。

 横須賀線久里浜駅往復 車中スマホで、横須賀線を少し調べてみた。同線は大船駅から久里浜駅までの短い路線と知った。私は、東京駅、久里浜駅間の通勤路線と思っていた。1889年(明治22)年開設され横須賀駅迄で、軍港都市への輸送のためであったという。1944(昭和19)年久里浜駅へ延長された。三浦半島の真ん中を走り、鎌倉駅、逗子駅を通過し、低い山々の間からトンネルが多いが、皆短い。田浦駅は、梅林があり初春に二度ほど来ている。左手が横須賀港で、繋留された大きな数隻の軍艦が見えた(写真)。現在でも変わりはないのだ。横須賀には、祖父方の遠戚の方がおられて、子供の頃夏休みには帰郷し、遊びに寄ってくれることがあった。お互いに消息が途絶えて久しい。そんなことを思い出しながら、久里浜駅に着き駅前へ出た。初めての駅で、駅前は空き地のような風景。先に京浜急行の高架が見え、あちらは三崎口駅往復に良く利用している。駅舎をカメラに収めて、東京行きの横須賀線に乗った。(2019/09/08 K.K. 1280/1300)

◇日時 2019/8/18 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符7 ◇資料 「JR全路線図・拡大図(東京付近)」 ◇歩数等 8,000歩 6km
「通過時間等」自宅10:00-JR巣鴨駅10:31-同新宿駅10:51-同八王子駅11:50-同橋本駅12:14-同茅ヶ崎駅13:23-同大船駅13:37-同久里浜駅14:20/14:40-三田線巣鴨駅16:40-自宅17:10

水戸線に乗り水戸城跡を巡る

 8月に入り、青春18切符を既に購入している。今回は、Sさんを誘い水戸へ行くことにした。彼は水戸は未訪の地という。往きは宇都宮線で小山駅へ行き、水戸線に乗り換え水戸駅である。復路は常磐線にし、新松戸駅で武蔵野線とすれば、武蔵浦和駅へは近いだろう。朝は、赤羽駅に待ち合わせた。

 ハイキング先と水戸線 宇都宮線小山駅までは、昨年暮れ2人で乗車し両毛線に乗り換えたが、今回は反対方向の水戸線で、タイミング良く友部行きが待っていた。水戸線は数回乗ったがいずれもハイキングである。結城駅は結城城跡を訪ねた時乗降し、結城紬を見て魅せられたことがあった(15.6.28)。下館駅からは真岡鐵道が分岐し、益子焼き見学に来ているし、奥の茂木駅からは那珂川へ歩き簗場で鮎を食べた(96.8.17)。電車は筑波山の裏を走り、岩瀬駅を通過。大分前だが、関東ふれあいの道が筑波山へ続く縦走コースに挑戦したが、途中でリタイアしてしまった(00.4.1)。Sさんにそんな話しを紹介しながら乗り続ける。笠間駅は水戸線の中心で、笠間稲荷や城跡があり、躑躅も有名で、花友と訪ねている(17.4.30)。先日、母親の実家に疎開した縁で、坂本九の歌碑が当地にあるとテレビで観たとSさんに話したら友部駅に着き、発車メロディが“上を向いて歩こう”で、2人は顔を見合わせてしまった。
 水戸城跡と弘道館見学 友部駅で常磐線に乗り水戸駅到着。駅前の黄門様一行の銅像を案内し、市内へ。正面の大通りを行き、弘道館へ右折するが、三の丸濠跡へ出てしまった。城跡内へ入り、偕楽園からの戻りに二度ほど歩いたルートを通り、県庁脇から水戸藩の藩校弘道館へ入館。重文の正庁(写真上)から内部を一回りし、見学。幕末に徳川斉昭公が推進し、藩士とその子弟が学んだという。あの黄門様が編纂した“大日本史”が教科書として使われ、展示してあり(写真下)、思わずカメラに収めた。当館は全国の藩校の中でも有名で、他藩から多くの見学者が訪れたが、その中に吉田松陰もいたと知った。

 御三家の水戸城は広く、弘道館の前が二の丸跡でありその先で、大手門の再建工事中。深い濠跡を橋で渡って本丸跡だが現在は遺構はない。濠の底地を水郡線が走っている。さらに先の本丸跡に水戸一高があり、薬医門が移築され、シャッターを切った。戻って、水郡線に沿い駅へ戻り、昼飯用弁当を求め、常磐線へ乗車。
 霞ヶ浦を眺める 土浦駅に途中下車し、霞ヶ浦へのルートを確かめ往復する。わが国二位の広さの湖というが、眺めた位置が悪いのか、そんなには見えなかった。我孫子駅からは各駅停車に乗り、新松戸駅で武蔵野線とし、我々の終点武蔵浦和駅に着いた。Sさん、今回も有り難うございました。またお付き合い下さい。(2019/09/06 K.K. 1279/1300)

◇日時 2019/8/11 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符5、6 ◇資料 「水戸市観光案内」◇歩数等 9,000歩 6km
「通過時間等」自宅8:06-JR板橋駅8:33-同赤羽駅8:57-同小山駅10:07-同友部駅11:19-同水戸駅11:40=三の丸濠11:55=弘道館12:00=薬医門12:40=JR水戸駅13:00-同土浦駅13:45=霞ヶ浦湖畔14:05=JR土浦駅14:32-同新松戸駅15:20-同浮間舟渡駅16:46-自宅17:15

最北の美幌峠に立ち屈斜路湖を眺める

 今年の渡道は、美幌峠へのバスの便が開始した時期に合わせた。十勝音更からの帰路は、網走から美幌峠を目指した。前日網走駅前に泊まり、峠へ向かったのであるがとんでもないミスをしてしまった。生来の早呑み込みとそそっかしさの所為である。一瞬峠行きは諦めようかとの思いが頭を掠めた。それでも、峠に立つことが出来た。

 女満別駅か、美幌駅か 北海道滞在最終日、美幌峠へ向かうべく、朝8時過ぎ網走駅で石北線に乗り、女満別駅に降りた。しかしバス停はなく、駅で聞いたがないという。駅前をウロウロしようやく気が付いた。峠行きバスは、女満別空港発だがバス停のある駅は女満別駅ではなく、二つ先の美幌駅ではなかったかと思い、スマホで検索したら美幌駅と分かった。駅の方にタクシー会社の電話番号を教えて貰い、タクシーを呼ぶ。時間、費用とも、何とか間に合い、美幌駅でバスを待った。
 峠の先は屈斜路湖 美幌峠は二度目である。若い頃に訪ねた思い出から、学生の頃見た小林旭の大草原の渡り鳥シーンと重なり、今回再訪を計画。美幌駅は記憶になく、古い鉄道車輌のある倉庫のような展示室が浮かぶだけ。定刻に阿寒バス社のバスが来て、小型バス内は7人の乗客。市街地を出て、峠へ走った。高原地帯へ上がり、峠頂上手前に降りると周囲は緑一色の草原だが、私のイメージと同じではなく、前回の記憶とも違うと思う。観光客の多い中、先ずは峠展望台へ坂道を上がる。途中に唄が流れ、美空ひばりの“美幌峠”の歌碑があるが、私は初めて聞く唄。カメラに収め、展望台へ。私の予想に反し、反対側は落ち込みその先は大きな屈斜路湖(写真上)。旭の渡り鳥が馬で渡った大草原ではなかった。

 “君の名は”のロケ地 峠の道の駅へ入ったら、当地がロケ地になった映画君の名はの第二部が紹介され、当時の写真が展示してある。主演佐田啓二と岸恵子の有名な映画だが、当地も舞台になりロケが行われ、アイヌの娘役で北原三枝も出ていたとある。初耳で、そう言えば、歌手織井茂子が“クロユリは恋の花 アイヌの神のタブーだよ・・・”と唱う、君の名はの主題歌があり、それで符合すると知った。昭和20年代の後半で、よくこんな最北の地を舞台やロケ地にしたと感心してしまった。
 バスの時間になり、私は女満別空港行きに乗り、峠を下った。美幌駅での休憩中、駅前に“君の名は”の碑と“まちこ杉”があった(写真下)。ここの駅でも春樹と真知子の擦れ違いがシーンが撮られたようである。帰宅後、アルバムを探したら見付かり、峠は“平成元年8月25日”の日付で、まちこ杉の写真もあった。あの時は、確か弟子屈に泊まり、バスで摩周湖、硫黄山、屈斜路湖、そして美幌峠で、その後美幌駅へ下りて阿寒湖、釧路だったと思い出した。若い頃にした初めての北海道の旅で、30年前は遠い過去であった。 (2019/08/30 K.K. 1278/1300)

◇日時 2019/8/3 ◇天候 晴 ◇交通費 5,630円 ◇資料 ひがし北海道観光協議会「2019ひがし北海道」 ◇歩数等 9,000歩 6km
「通過時間等」網走宿泊先8:30-JR網走駅8:40-同女満別駅9:10-同美幌駅10:00-美幌峠10:40/11:55-女満別空港15:05-羽田空港16:00-三田線三田駅16:30-自宅17:15

釧網線原生花園駅に下車し北の花を楽しむ

 十勝音更からの帰路は、北見又は網走へ回り、女満別空港から帰京と決め予約していた。美幌峠へのバスも走り出し、帯広駅から網走駅へと鈍行利用で、持参の青春18切符が役に立つ。釧路駅からの釧網線は、この時期原生花園駅に臨時停車すると分かり、寄ることにした。北の夏の野花を眺めたい。それも原生花園で期待が膨らんだ。

 釧網線原生花園駅下車 17時前、原生花園駅に降りた。未だ明るい中、前方に湿原が広がり、左手先には端正な斜里岳が見える。降りたのは私一人だが、見物客はいる。インフォメーションセンターがあり入ったら閉店準備中。案内パンフもない。問題は、次の網走駅行きが2時間30分後。夕食で時間稼ぎも出来ない。バス停を見付け、1時間後網走行きがあると知り、花園巡りを開始。
 湿原に設けられた遊歩道の木道へ進む。花は数種類咲いているが、名前が分かるのはハマナスだけ。花が大きいように思う(写真上)。後に調べようとカメラに収めながら湿原へ。大分先には馬が放されている。地図では濤沸湖とあるがこの時期、湖水は退き草原から湿原のよう。
 オホーツク、知床、砂丘の花々 踏切を越し海側へ。砂丘へ上がると、オホーツクの大海が直ぐ前だが、本日は波も静か。8kmも海岸線が続き、右手先には知床半島が見えるも、もう山々は確認できない。砂丘に花々を求め、カメラに写しながら巡る(写真下)。ハマナスの外、エゾフウロやエゾカワラナデシコ、キタノノコギリソウ、ハマヒルガオ、ツリガネニンジン、アキカラマツ等。フウロのハクサンフウロやアサマフウロは高山植物として有名たが、北の国では砂丘に咲いている。
 バス停にいると、一頭の馬が遊歩道へ近付いて来た。水飲み場があり、勢いよく飲んで、また仲間の方へ戻って行った。時間通りバスは来たが、網走駅前迄は結構時間がかかった。

 鈍行で帯広、釧路、網走へ 今朝遅く娘に帯広駅へ送って貰い、釧路行きに乗車。車内も暑いが扇風機。昨年釧路駅から乗っている(18.6.8)ので、大凡の駅や風景は記憶にある。牧場風景から山へ入って越し、右に海が見えて進むと釧路駅であった。釧路駅で昼食を取った。
 網走行き2両の気動車は、外国人旅行者も交え満席状態。こちらも扇風機が回っている。程なく左手に釧路湿原を眺めながら、塘路駅を過ぎる。ここまではノロッコ号で往復したこと(10.7.16)があった。湿原を過ぎると森の中を走り、標茶駅から摩周駅になる。以前弟子屈駅と言い摩周湖の最寄り駅で3年前乗降した(16.6.3)。原生林の中になり各駅間も距離がある。清里町駅付近から深い森を出て家並みが見え出し、右手に斜里岳(1.547m)が聳えている。窓越しにシャッターを切った。知床斜里駅から浜小清水駅を越し原生花園の大湿原へ入った。(2019/08/25 K.K. 1277/1300)

◇日時 2019/8/2 ◇天候 晴 ◇資料 JR北海道「釧網本線絶景の旅」2019、同「天然の花畑小清水原生花園ウォーク」 ◇歩数等 7,000歩 5km
「通過時間等」K宅9:10-JR帯広駅10:20-同釧路駅(昼食)13:10/14:12-同原生花園駅16:55/17:52-網走駅前宿泊先18:30

夏の十勝士幌に孫達と遊ぶ

 音更東士幌の長女宅滞在2日目、こちらも30℃を超し暑いが蒸し暑さはなく、夜は過ごしやすい。本日は、車で案内するから行きたい所はと聞かれたが、少し考えて、”富良野の五郎の家”と言ったら、遠すぎるという。層雲峡の方が近いと言われ、距離感覚が分からない。お任せにし、孫3人と車に乗った。

 ナイタイ高原牧場へ 東士幌の河田牧場を出た車は、牧場に点在する酪農家の間を北上していると思うが、私には同じ風景が続き、何処を走っているか分からない。もう10回程は来ているが、広大な十勝の牧場風景に惑わされている。山へ近付き、山腹に切られた舗道を上がる。左右は高原牧場だが、牧草地に牛や馬の姿は見当たらない。そうしたら一本の木下に、牛10数頭程が丸く固まっていた。牛達の暑さ凌ぎという。河田牧場の牛達も暑さで、乳の出が落ちていると聞いた。ナイタイ高原牧場のテラスに着き、眼下に綠一色の高原を眺めながら、孫達とご当地アイスクリームを食べる。久し振りのアイスクリームは美味しい。ミルクが違うのか。標高800mの山腹だがそう涼しいとは思わない。
 全貌を現したタウシュベツ橋激 次は、上士幌糠平のひがし大雪自然館。名前を聞いて二度目と思い出した(09.6.13)。同じメンバーであるが、今回は長孫が留守でいない。羆やエゾシカの剥製があったと思う。館は改装されて、位置は違っていたが再会した。記憶と違い剥製は少し小さいように見えた。孫達も中学生2人と小五で静かに観ている。一回りし、館を出た。私は、此処まで来たら、タウシュベツ橋は近い筈と是非にとお願いし、回って貰った。旧国鉄士幌線の鉄橋であったがダム建設で線路が付け替えられて、放置された橋。糠平湖ダムの水位で見え隠れすることで人気になり、一度孫達のこちらのお祖父さんに案内して貰ったが、僅かしか見えなかった(12.7.17)。夏場の渇水期に期待。舗道沿い駐車場に降り、原生林下の小径から湖畔へ出た。樹林の間から覗くと、幻の鉄橋は全体が姿を現していた(写真上)。慌ててズームにし、シャッターを2,3度切った。そんな私の側で、孫達はクール。復路で、代わった士幌線跡を跨いで舗道へ出た。

 孫達と山ノ湯を楽しむ 糠平温泉で入浴。古い木造旅館で、風呂場も板張りの如何にも山ノ湯らしい(写真下)。丁度良い加減で、我々だけで温泉を楽しんだ。嘗ては永六輔達文化人の句会も開かれたとあり、色紙等が飾ってあった。
 最後に、上士幌鉄道資料館に入館。再訪で、孫達と資料を見学。1925(大正14)年に地元の大歓迎を受け開通したが、1987(昭和62)年廃止された。森林伐採、木材の積み出しに活躍したようである。帯広まで繋がり、孫達の祖父母やその兄弟達も通学に利用していたという。長孫は、帯広の高校へはバス通学である。帰宅後、隣の祖父母宅でジンギスカンをご馳走になり、麦酒はサッポロClassicであった。(2019/08/23 K.K. 1276/1300)

◇日時 2019/8/1 ◇天候 晴 ◇資料(株)カーチ「ナイタイテラス」、上士幌町「ひがし大雪自然館」2016、上士幌町鉄道資料館「心に士幌線は走る」◇歩数等 8,000歩 6km
「通過時間等」K宅11:30-ナイタイテラス12:30-ひがし大雪自然館13:30-糠平湖14:10-糠平温泉中村屋(入浴)14:30/15:25-上士幌鉄道資料館15:35-K宅16:50