ホリデ-快速山梨で塩山恵林寺を再訪

 JR新宿駅発ホリデ–快速やまなしが、今年は3月16日から走ると知り、待っていた。青春18切符で、塩山にある古刹恵林寺へ、である。先日、駅からハイキング”古刹と名庭巡り”のガイドパンフが、収集資料から出て来て、予定していた。甲府の手前で、快速ならそう遠くはないはず。山梨は、この処久し振りである。

 コースを誤る 新宿駅から高尾駅を過ぎると快速はノンストップで、東京から神奈川を過ぎ山梨へ入った。大月駅から笹子トンネルを抜け、勝沼ぶどう郷駅、そして塩山駅に着いた。
 信玄像を眺め北口から歩き出す。コースを二度も間違い、慌てた。生来の早とちりと思い込みが重なり、西へ行くべきが南へ歩き、笛吹川へのつもりが中央本線へ出てしまった。二度目で気付き、大幅修正と北上を続ける。果樹園に咲く杏の白い花やピンクの花に誘われたのかもしれない。ガイド上の白髭神社に出会った時は50分も経っていた。恵林寺へ直接と大通りを行くと、コース案内を見付け、一安心。そして、笛吹川沿いの道になり、山本勘助不動尊に参拝する。右折し川から離れたら、観光バスが駐まっている駐車場があり、恵林寺であった。

 恵林寺に参拝 恵林寺は再訪である。約30年前であろうか、仲間達と湯村温泉へ麻雀旅行しその際参拝したことがあった。僅かな記憶の中、境内を進み、桜が咲き始めている山門から(写真上)本堂前へ出て参拝し、庭園見学に寺内へ。当寺は、武田家滅亡の時信長の焼き討ちに遭い、快川和尚が発した”心頭滅却すれば火も又涼し”の一句が有名である。裏庭には、信玄の墓や柳沢吉保の墓もあった。吉保は甲府藩主も務めたという。境内売店で一休み。本日は日曜日なのに参拝客は多くはない。閉店の店もチラホラ。

 富士を正面に下る 私は、ハイキングコースではなく、直接塩山駅へ歩くことにする。夕方用事がある。参道からそのまま大通りを下り続け、信玄の道とある。富士が正面に見え(写真下)、カメラに収めようとポイントを探した。富士は近いのだ。

 里山塩ノ山を裏から回り込み、向嶽寺前。往路で、この手前を左折したが、やはり90度違っていた。ハイクコースは小道の筈と思い込み、舗装道路を避けたのが失敗であった。
 市内へ入って駅北口に戻り、甘草屋敷見学。江戸中期頃建築の大きな母屋があり、薬草を扱ったお屋敷が現存し、重文とある。中へ入ってビックリ、期待に反し座敷一杯雛人形が飾られていた。もう雛節句は過ぎたのに。古屋敷の構造や造作は雛壇の裏。がっかりして出ると納屋に、樋口一葉の資料が僅かだが展示してあった。一葉の両親が当地出身と知った。小説にも書いたようだ。予定した高尾行き鈍行に乗り、夕方の約束時間には間に合う。(2019/04/05 K.K. 1247/1300)

 ◇日時 2019/3/24 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符5 ◇資料 JR東日本「駅からハイキング 古刹と名庭巡り」2005年 ◇歩数等 18,000歩 18km 

「通過時間等」自宅7:55-JR板橋駅8:30-同新宿駅9:02-同塩山駅10:50=白鬚神社11:40=勘助稲荷12:10=恵林寺12:20/12:45=向嶽寺前13:20=甘草屋敷13:40=JR塩山駅14:13-同新宿駅16:35・・・三田線巣鴨駅18:20-自宅18:50

群馬高崎に日本最古の上野三碑を巡る

 群馬高崎に古い石碑があることは以前から知っていた。それも三つもで、関東ふれあいの道や駅からハイキングコース内にあり、私の里歩きには好適である。高崎駅へは青春18切符利用にも適度な距離であるが、何故か実行に踏み切れない。それは、昨年だけても、3.5回も高崎線を往復し、片道2時間弱の長い乗車や車窓風景にも飽きていたからと気付いた。それでも、今回重い尻を上げることにした。

 上野三碑は多古碑から JR赤羽駅から快速に乗車。1時間30分程で高崎駅に着き、上信電鉄線に乗り換え、多古碑の最寄り駅吉井駅を目指した。数年前、上野三碑がユネスコ「世界の記憶」に登録され、各碑間にはバス運行中で、駅前からバスに乗車。多古碑は集落内の公園にあり、お堂内に管理されていた。外からガラス越しに覗き、シャッターを切るが光が反射した。 多古碑は、711(和銅4)年古代上野国に多古郡という名の郡をつくった記念の碑とある。隣に記念館があり、三碑の実物大レプリカがあり、多古碑は笠のある長方形の石碑だ(写真上)が、他の二碑は長丸形の自然石利用のよう。カメラに収めた。

 山上碑へ 次のバスの便を待ち、山上碑へ向かう。この間は距離があり、当初からバスを考えていた。バスは山里を巡り、駐車場に着くと、運転手は、左手先と教えてくれた。長い階段を上がり切り、こちらもお堂内保存中の石碑。自動音声で説明を聞くと、681(元号なし)年、長利という僧が母親供養に建てた碑で、隣に古墳があり(写真下)、母親を埋葬したと考えられているという。

 山道入口に関東ふれあいの道道標が建ち、予定通り進入。踏まれた平地の道で歩きやすい。金井沢碑まで5kmの石碑の路とも呼ばれ、万葉集の中で上野国を詠んだ和歌の碑が29基も並んでいる。最初は解説を読み、当地から防人に派遣された若者が望郷や留守家族を詠んだもののようだが、途中からは一瞥し碑前を通り過ぎた。
 山名城跡の案内があり立ち寄り、堀切跡から上がると山中に削平地があり、戦国前の本郭跡のようで石碑が建ち、建立者木部氏は子孫らしい。帰宅後調べたが不明。

 最後は金井沢碑 万葉歌碑も途切れ、大きく右方向へ回り込み林が切れ、谷が見える地へ至りベンチで休憩し、ジャンパーをザックにしまった。下りに入って鎌倉七曲りを過ぎ、橋を渡り、そろそろ金井沢碑かなと思ったが、マップでは未だ先。大通りへ上がり少し下ると、小公園が碑の入口であった。
 やはりこちらも屋内に保管され、ガラス越しに眺めるだけ。726(神亀3)年、三家(ミヤケ)という一族が先祖供養と子孫繁栄を願った碑とある。写真は諦め公園へ戻ると、根小屋駅へ10分との案内を見付け、バスを待たずに歩く。道端に咲き揃うハナダイコンに出会う。春の野草で紫の花は上品で好きな花。少し時期が早いのでは思いながらもカメラに収め、三碑を巡り終え、重い足で駅へ急いだ。(2019/04/01 K.K. 1246/1300)

◇日時 2019/3/20 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符4+770円 ◇資料 高崎市「上野三碑」、JR東日本「駅からハイキング 高崎自然歩道・石碑の路」2003年90頁 ◇歩数等 17,000歩 12km 

「通過時間等」自宅8:40-JR板橋駅9:12-同赤羽駅9:39-上信電鉄高崎駅11:23-同吉井駅12:00-多古碑12:10/12:55-山上碑13:20=山上城跡13:30=金井沢碑14:40=上信電鉄根小屋駅15:05-JR高崎駅15:30-同赤羽駅17:15-三田線新板橋駅17:37-自宅18:05

さいたま市にハクモクレンの花を巡る

 我が家から近いさいたま市で、ハクモクレンの花が見頃と知った。夕方のテレビニュース地方版からである。紫のモクレンの花は知っていたが、ネットで調べるとハクモクレンはその名の通り白いモクレンの花。市役所前のモクレンだけでは物足りず、ネットでヒットした大宮公園の花も見学先に加えることにした。

 さいたま市は別所沼から 今回、さいたま市浦和へは埼京線にし、中浦和駅に降りスタート。これまでは京浜東北線浦和駅であったが、乗り鉄をして中浦和駅の方が近いと分かった。初めての駅で、ホームから別所沼のメタセコイヤ並木の頭を捉え目標にし、住宅街の大通りを行く。
 別所沼は訪ねたことがあり、浦和市ど真ん中の池のある公園で、池周囲にはメタセコイヤが林立し美しく、好きな風景である(写真上)。この時期葉を落とし落葉樹と知る。公園端には神保光太郎の詩碑があった。彼は詩人で有名だが、山形の高校の大先輩でもある。設立者の中に、金子兜太や秋谷豊の名前も見付けた。

 ハクモクレンは満開だが 公園を出て、市役所を目指す。住宅街の狭い道を右折左往しそれらしきビルへ向けると市役所横へ出たが、ハクモクレンの咲く場所が分からない。市役所前をウロウロしていたら前方に白い花らしきものが見え、近付くとハクモクレンの木があった。白い大きめの花を付けた木はあるが数本。真っ白な花は満開で(写真下)、見応えはあるも、木の数が少なく寂しい。見物客は私を含め2人だけ。青空の下市役所ビルを背景にシャッターを切った。直ぐ先の東口付近にも数本あり、こちらも見頃状態、またカメラを向けた。テレビで紹介する位だからと期待していたが、物足りなさを感じながら、浦和駅へ歩いた。 

 大宮駅では、東口に降りた。大宮公園へは、中山道へ出て氷川神社裏参道のルート。若い頃、北大宮駅付近に住み、夜学の帰り通った経路でもある。途中ガード下を出ると歓楽街であったが、現在もその名残は残っていた。氷川神社境内へは横から入り、先ずは参拝。先々月も詣でたばかりで、より霊験あらたかか。

 広い公園に花を探す 隣の大宮公園は広く、先に管理事務所で花咲く場所を聞くことにし、事務所へ。そうしたら、競輪場がある東門付近と教えてくれた。サッカー場、野球場、そして競輪場と並びアクセスに戸惑う。大きなスタジアムの間から東門へと試みたが、通れない。結局、動物園、池端から西門へ出て、競輪場スタジアム外を半周し東門。こちらも白い花を付けたモクレンの木は数本だけ。青空の中の満開の花をカメラに収めた。
 大宮公園へ戻り駅へと予定していたが、予想外の歩きに疲れ、大宮駅行きバスに乗車。これが路線バスではなく、競輪客用の直行バスで、途中で気付いたが降りることも出来ず、便乗させて貰った。有り難うございました。(2019/03/27 K.K. 1245/1300)

◇日時 2019/3/14 ◇天候 晴 ◇交通費 630円 ◇資料 「大宮公園案内図」 ◇歩数等 17,000歩 12km 

「通過時間等」自宅9:05-JR浮間舟渡駅9:48-同中浦和駅10:05=別所沼公園10:15=さいたま市役所前10:45=JR浦和駅11:14-同大宮駅11:25=氷川神社11:50=大宮公園東門12:20-JR大宮駅12:57-同赤羽駅13:20-三田線志村坂上駅13:41-自宅14:00

宇都宮から室の八嶋のある大神神社へ

 また芭蕉のおくの細道である。芭蕉は、日光への途中栃木の大神神社に、室の八嶋を訪ねている。私も、同神社は通った(01.9.1)が、記憶に薄い。関東ふれあいの道栃木県コース中の、長いコース(17km)最後のポイントで重い足で到着し、荒れた境内であったと思う。今回再訪し室の八嶋を確かめたいと、出掛けた。

 二荒神社に参拝し東武宇都宮駅へ JR宇都宮駅に着いた。来る度に思うことだが、北関東の一の都市である。東武宇都宮駅へ向け直進し、二荒神社へ立ち寄りご挨拶に参拝する。下野一之宮で、相応の大神社だろう。右奥に県庁を覗いて商店街を進むと裏のビルに東武宇都宮駅が見付かった。大神神社の最寄り駅は野州大塚駅で、宇都宮駅からにした。壬生駅を過ぎ、左手車窓の先の森内が目指す神社かなと眺めながら、大塚駅に降りた。駅前には神社への案内はなく、ネットで確認したルートを辿ると目標の郵便局があり、その先が西参道であった。

 室の八嶋を巡る 鳥居下から森中の境内へ入って本殿前へ進み、手を合わせる。当社は、わが国最古の神社大和三輪神社を分祀したという。それでか、当社は”オオミワジンジャ”と読む。前回とは違い社殿が新しいようで、改装されたのであろうか。表参道左側に、室の八嶋はあった。池中の小島に、八つの祠を祀ってある(写真上)。私は、朱塗りの小さな神橋を通って八嶋を渡り歩く。香取神社に始まり筑波神社へと渡り終えた。そして、池端には芭蕉句碑、”いと遊に 結びつきたる 煙かな”が建ち(写真下)、カメラに収めた。
 八嶋は、昔から煙の名所で、竈の煙や霧等の諸説があり、芭蕉は、蜘蛛の吐く糸が光りに反射しキラキラするという糸遊説を採っている。前回は全く記憶にない八嶋風景である。最近、おくの細道に人気が出て参詣者も増え、八嶋も再整備されたかと想像した。表参道へ回ると、途中に前回歩いた境内風景を思い出した。関東ふれあいの道道標もあった。

 栃木城跡は? 野州大塚駅から東武栃木行きに乗車。栃木城跡を訪ねる予定。今回の準備中地図上から見付け、栃木駅から15分程の地の見当である。JRと併設の栃木駅に降り、駅前の大通りを右折し進み、左手住宅街へ入ると想定した地に大きな屋敷があり、その先の小さな公園が城跡であった。
 園内の案内には、戦国後期、小田原征伐で落城した皆川城の城主皆川広照が築いた城であったが、家康の改易に遭い、僅か19年で廃城になったとある。土塁状の小山は、現在でも人造のものと分かり、城跡の僅かな痕跡。子供達が遊んでいる中、私も上がってみたが、戦国ロマンを感じることはない。隣の塀に囲まれた大きな平屋の屋敷は、居着いた旧家臣の現在のお宅らしい。栃木駅に戻ってJR両毛線小山行きに乗り、青春18切符を利用し帰途に就いた。(2019/03/23 K.K. 1244/1300)

◇日時 2019/3/10 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符3+530円 ◇資料 大神神社社務所「大神神社」 ◇歩数等 19,000歩 14km 

「通過時間等」自宅8:15-JR板橋駅8:52-同赤羽駅9:33-同宇都宮駅10:40=二荒神社11:00=東武宇都宮駅11:22-同野州大塚駅11:50=大神神社12:10/12:30=野州大塚駅12:50-同栃木駅13:05=栃木城跡13:25=JR栃木駅14:13-同小山駅14:58-巣鴨駅(夕食)17:00-三田線巣鴨駅18:00-自宅18:30

春休みの乗り鉄は八高線南線から

 3月に入り学校は春休み期間となり、青春18切符の利用期間になった。早速求め、乗り鉄や遠出に使いたい。この切符は、距離とは無関係に途中下車も可能な点でも、使い勝手が良い。先ずは、昨年暮れ(18.12.30)に乗り鉄した八高線の後半の高麗川駅から八王子駅へと八高線南線を乗り切り、横浜線に乗り継ぎ横浜駅へ出て、JR二線を楽しみたい。前回と同じく、Sさんに同行して貰った。

 埼京線で高麗川駅へ 朝10時過ぎ武蔵浦和駅に集合。東京郊外を大回りするので時間を要すると思っていたが、ネットで路線検索すると約3時間強と分かった。横浜駅経由で、焼売弁当も考えたが横浜線での車内食は憚られる。それで、埼京線川越行きに乗車し、高麗川駅までは前回の逆行。大宮駅から川越駅に着くと、ラッキーにも八王子行きが待っていた。川越駅を出て、武蔵高萩駅付近は田園地帯で、埼玉の川越かと見紛うような車窓風景である。

 奥武蔵を走る高麗川駅からは八高線南線であるが、同北線の高崎駅からの列車を待って、発車。この辺りは奥武蔵地区で、私の自称ホームグランド。高麗川駅、東飯能駅、西武飯能駅、金子駅はハイキングの行き帰りに何回も乗降している。右側車窓に、昨年初秋歩いた(18.9.16)飯能加治神社裏の森の風景が見えた。
 正午近くなり、乗り鉄定番、カップ酒とお握りをザックから出す。お猪口は壊れない金属製のものをSさんが提供してくれた。乗客も疎らで、差し支えないようだ。
 途中、左手に駿河台大のビルが見え、首都大で一緒だった若手の方が赴任した大学で、Sさんに紹介。こんな山中で駿河台大ですかと、冗談を発した。東福生駅からは初乗車区間。Sさんに促され、外に目をやると高級マンション風の団地で、広い庭が目立つ見慣れない住宅街。当地は未だ米軍基地があり、その住宅と気付いた。

 八王子駅で横浜線へ 多摩川を渡り、八高線終点八王子駅に到着。大きなターミナル駅だが、利用したことはあるも何時かは思い出せない位。12時過ぎたばかりで、同20分発の横浜線に乗れた。横浜線は乗客が多く、やっと座席を確保。
 都下多摩と神奈川の境界付近を走り、私が一時通った南大沢キャンパスは近く、片倉駅、八王子みなみ野駅(写真下)、相原駅、橋本駅も僅かだが、授業終了後散策に歩いては利用したことがある。また初乗車区間へ入る。横浜郊外で大学キャンパスが多いようで、その中に親戚の孫が通った大学名を見た。もう卒業し、帰郷したのだろうか。途中快速に追い付かれ、乗り換える。13時半前、無事横浜駅に着いた。
 我々は、東海道線で新橋駅へ向かう。新橋に、同郷大石田縁の郷土料理店があり、時にはSさんも誘う。彼、気に入ってくれ、今回の終着駅にし、反省会である。日曜日もやっていることを確認した。予定通り乗り切り今回の乗り鉄に、麦酒で乾杯した。(2019/03/17 K.K. 1243/1300)

◇日時 2019/3/3 ◇天候 晴 ◇交通費 青春切符1 ◇資料 JR時刻表「JR全路線図 拡大図(東京付近)」 ◇歩数等 5,000歩 3km 

「通過時間等」自宅9:15-JR板橋駅9:54-同武蔵浦和駅10:29-同川越駅11:04-同高麗川駅11:30-同八王子駅12:20-同横浜駅13:24-同新橋駅(反省会)13:45/14:20-三田線内幸町駅14:25-自宅15:00 o

海を眺めながら城ヶ崎海岸を歩く

 約20年前だが(00.12.9)、伊豆旅行の際城ヶ崎海岸を歩いた記憶が鮮明に残っている。久しぶりに伊豆旅行に参加し、翌日は迷わず城ヶ崎海岸にした。二度目だが、それを上回る海や海岸風景を期待でき、20年前歩いて楽しかったハイキングを再現したい。青い海を眺めながらリアス式海岸縁を出入りし、吊り橋も渡る。

 城ヶ崎海岸遊歩道を歩く 伊東駅前で乗った路線バスを城ヶ崎口に降りた。本日日曜日で天候も良く、ハイカーらしきグループも前を歩いている。海岸へ向け坂道を下ると遊歩道入口があり、目指すピクニカルコース。松林の中を緩いアップダウンを繰り返しながら行く。左手海側は崖である。崖途中に小さな古い小屋があり、ボラ漁監視用であったとある。一旦海岸へ降りるとまたボラ納屋で、現在は食事処。当地は江戸期から高級魚ボラの漁獲地で、往時の漁場を窺い知れる。前回、反対側伊豆高原方面から歩き、ボラ納屋前でタクシーを捕まえ、駅へ出たと思う。見覚えのある地である。
 また、タブの木やクロマツが続き、小岬を出入りしながら、遊歩道を進む(写真上)。幕末江川太郎左衛門が築いた砲台跡があった。現在は林の中で、案内がなければ見逃しそうな痕跡のみ。前回見た記憶はない。先程来身体が重く、調子が良くないようだ。高い断崖を上下すると、見物客が多くなる。荒々しい岩礁の海岸は、大室山噴火で流れ出た溶岩という。あの低山(580m)の仕業とは信じがたいが、自然は恐ろしいということだろう。

 門脇吊り橋の思い出 目の前に吊り橋が現れた。高い断崖絶壁の入江に架かる門脇橋で、当コースの見せ場である。この橋には思い出がある。前回の記録(「山歩き里歩き500紀行」147頁所収)を読まれた恩師が私の姓と同じ名前の吊り橋があるんだね。今度行ってみるよ。”と私に話された。先生は、確か一昨年お亡くなりになった。渡橋が実現したかは、残念ながら分からない。そんなことを思い出しながら、長さ48m、高さ23mの橋を渡り切り(写真下)、カメラに収めた。次の岬には灯台があり、売店もあった。

 海洋公園から城ヶ崎海岸駅へ 私は、遊歩道を歩き続ける。先程とは一転し、人影は見当たらない。灯台手前に駐車場があり観光バス乗降地のようだ。足下にあるツワブキは開花時期ではない。長い階段状坂道を上がり切り、伊豆海洋公園へ出た。バス時刻を調べるが時間が合わない。小憩し、城ヶ崎海岸駅へ歩くことにする。20分強のようだ。駅方向への右折地点に迷ったが、いつもの山勘が当たり、椰子並木の下を直進し、大通りへ出て右折すると、駅への案内があった。熱海行き電車到着には時間があり、私は、駅陰で汗で濡れたシャツを取り替え、電車を待った。(2019/03/13 K.K. 1242/1300)

◇日時 2019/2/24 ◇天候 晴 ◇交通費 2,300円 ◇資料 JR東日本「駅からハイキング 伊豆城ヶ崎海岸コース」 ◇歩数等 14,000歩 10km 

「通過時間等」宿泊先8:45-JR伊東駅前9:15-バス停城ヶ崎口9:55=ボラ納屋10:05=門脇橋10:25=伊豆海洋公園11:05=伊豆急城ヶ崎海岸駅11:45-JR熱海駅13:13-同新橋駅14:50=三田線内幸町駅15:02-自宅15:45 n>

奥武蔵杉山城跡、二ノ宮山を再訪する

 埼玉の奥武蔵嵐山町に遺る杉山城跡は、約20年前に訪ねていた(97.12.6)。これを知った同好の士Hさんから情報提供の依頼があり、記録を送付したことがあった。Hさんから、”素晴らしい城跡遺構”とのコメントと、最新の資料を戴いていた。それを思い出し、再訪することにし、展望塔のある近くの二ノ宮山も巡る予定にした。

 秀峰富士を眺め杉山城跡へ 武蔵嵐山へは東武東上線である。この時期、車窓からの富士展望が楽しみで、川越を過ぎ左手南西方向に真っ白な富士の秀麗を遠望した。嵐山駅で情報を得て、スタート。20年前の記憶が朧気な中、線路沿いに北上する。思ったより時間を要し、前方に城跡のある丘陵を捉えた。目標の学校や寺への進入路を上がり、積善寺前へ。前回は荒寺風であったと思うが、周囲は整備されている。
 墓地裏へ上がり、城跡大手口から見渡し、様変わりに驚いた。前回は、確かに土塁や空壕がはっきりと遺りそれなり感動したが、周囲は薮や灌木に覆われていた。それらが払われ、遺構の広がりも見える(写真上)。
 最新の資料によれば、平成14-18年発掘調査をしたとあり、その所為である。案内もあり虎口、馬出、外郭、東二の郭(写真下)から本郭へ上がる。土塁や壕は郭を囲み、全城郭が整然と遺る。振り向くと奥武蔵の丘陵群であった。土橋を確かめ、北二の郭でUターン。井戸郭とその下部に井戸跡を見た。大石で蓋され、落城後の敵への対策らしい。

 ファン垂涎の城跡遺構 城跡のファンの落語家春風亭昇太師匠も、当城も訪ねて絶賛し、 けっして大きな城ではないが、関東屈指の技巧的な縄張りを持つ城と書いている(「城あるきのススメ」小学館2017年151頁)。それも、現在もほぼ同じ形で遺る希有な城跡。発掘調査前は後北條氏築城だろうと思われていたが、15世紀後半に山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗するため、築いたと分かったとある。資料には、切岸(山や丘の斜面を急峻に削り敵の登坂を防ぐもの)や折れ(土塁を上がろうとする敵兵を横から攻撃出来るように土塁に折れをいれたもの)の用語が使われ不知であったが、昇太著書からその意味を理解した。

 展望塔から眺めた浅間山 下城し学校前で小憩し、二ノ宮山へ向かう。城跡見学に予定時間の倍を費やしてしまった。集落を過ぎ田園地帯へ出て、市野川を渡り、左折し関越高速下を通過。二度目で、前回は二ノ宮山が先であった。そろそろかと、前方へ目をやるが低山が重なり、シンボルの展望塔は見えない。工事中道路を過ぎ小さな峠を越すと塔が見え始めた。塔下へ上がり、疲れた脚でどうにか展望塔最上階へ。期待した筑波山は見えない。処が、反対側の望遠鏡からなんと浅間山と谷川岳が覗けた。昨年追分宿から見上げた浅間の山容は真っ白であった。帰路は直接嵐山駅へ。三角形の底辺歩きだから、そう遠くはない筈と戻るが簡単ではなく、嵐山町住宅街へ入ってからも距離があり、それでも1時間強で駅東口であった。(2019/03/04 K.K. 1241/1300)

◇日時 2019/2/18 ◇天候 晴 ◇交通費 1300円 ◇資料 嵐山町教育委員会「杉山城跡」2004年 ◇歩数等 27,000歩 19km 

「通過時間等」自宅9:25-東武成増駅9:55-同嵐山駅11:05=積善寺11:45=杉山城跡11:50/12:15=太田坊橋12:30=関越高速道路下12:40=二ノ宮山展望塔13:15/13:30=関越高速道路下13:50=川袋橋14:10=東武嵐山駅14:47-同成増駅15:50-自宅16:10

都の西北に古大木を巡る

 私のハイキング先情報は、ラジオもその一つである。朝起床時からラジオは流し放しで、TBS中心。先日、パーソナリティ伊集院光とジェーン・スーが、放送終了後大塚駅から御徒町駅迄歩き、途中本郷弓町大クスにも寄ったと聴き、興味を惹いた。ネット検索し、大クスの詳細と場所を確かめ、序で大塚天祖神社の銀杏の大木も知った。最近付いている芭蕉史跡巡りとして関口芭蕉庵を加え、都電荒川線利用を思い付いた。 

 大塚天祖神社の夫婦イチョウ 都電荒川線新庚申塚駅は、三田線西巣鴨駅から少し距離がある。都電は、私の上京時は都心を縦横無尽に走っていたが廃止され、唯一残ったのが当線で、道路ではなく自前の線路を走る。JR大塚駅前に下車し、駅前案内板で天祖神社の位置を確かめ、都電沿いに歩き駅前商店街の一画に見付かった。都心ではまずまずの境内、社殿で、先に参拝し、銀杏の古木を見上げる(写真上)。二本あり雌雄の夫婦イチョウ。一本は、中心の幹が途中からなく、空襲で燃えたとある。それでも半世紀以上頑張り樹齢600年で、回りに太い枝を広げている。カメラに収め境内を後にした。

 関口水神社の銀杏都電沿いに次の向原駅を探す。都内豊島区も山手線内の初めて歩く地で、未知の都心風景。また都電に乗り、終点早稲田駅へ向かう。鬼子母神前から学習院下を通り目白通りへ出て早稲田駅に着き、関口芭蕉庵を目指す。庵は神田川側だが、その前に次の本郷真砂坂へのバス時刻を見たい。バス停が見付かり時間を確かめ、小路から橋を渡ると関口芭蕉庵前。これまでも2,3度訪ねているが立ち寄り程度で、この度はじっくり見学したい。入口へ回ると本日閉所の張り紙。事前に調べ本日は開所の筈だが、残念。また出直す外はない。

 庵横の胸突坂を上がり、写真一枚パチリ。そして、隣の水神社へ立ち寄り簡単に詣でる。私は、門前の二本の銀杏大木が目当て(写真中)。また見上げ、今回の古大木巡りへ加え、こちらもカメラに収めた。目白通りへ戻り、バスを待つ。事前調査では、また三田線へ戻るか、丸の内線利用かと考えていたが、都バス路線を調べると直通バスがあった。 

本郷弓町大クス バスは、江戸川橋から伝通院を過ぎ春日へ出て、真砂坂を上がった。坂途中から右車窓越しに、大木が見えた。バスを降り横断歩道を渡ると、大木は正面で、樹齢600年の本郷弓町大クスはビル前に聳えていた(写真下)。近づき見上げアングルを探し、数度シャッターを切ったが逆光のようで、位置を変え改めてカメラを向けた。真砂坂下が三田線春日駅だが、隣の水道橋駅へ坂を下った。三日後、友人の生花展が湯島天神であり、大江戸線本郷三丁目駅から湯島へ。帰りに、大クスを見たくなり再訪し、春日駅迄歩いた。(2019/02/26 K.K. 1240/1300)                           

◇日時 2019/2/13 ◇天候 曇り ◇交通費 シルバーパス利用 ◇資料 昭文社「東京都市図・文庫版」2004年 ◇歩数等 11,000歩 8km 

「通過時間等」自宅9:45-都電新庚申塚駅10:20-同大塚駅前駅10:25=大塚天祖神社10:35=都電向原駅10:45-同早稲田駅11:00=関口水神社11:10=バス停関口一丁目11:25-同真砂坂上11:45=本郷弓町大クス11:50=三田線水道橋駅12:00-事務所12:20

葉山三ヶ岡山で相模湾を望む

 久しぶりの逗子、葉山である。湘南も逗子から葉山周辺は低山だがハイキングコースがあり、これまで数回は歩いている。その中で、三ヶ岡山は未踏と気付いた。気軽に歩けるコースでその内にと思っていたが、その機会が巡って来た。海を眺めるハイキングも楽しい。また弟を誘った。本日天候良く、最高19℃の予報。

 海岸回りバスで葉山へ 今回も、新逗子駅には、弟が先行していた。バス停を確かめ、バスを待った。コース入口へは歩けない距離ではないが、我々はバス利用。海岸回りのバスは、逗子から葉山へ入り、狭い通りを走り森戸神社前を過ぎて、真名瀬バス停に下車。直ぐ左の小山が目指す三ヶ岡山と思うが住宅街の裏通りへ入り、上り口を探す。一度は進入したが、道は消えてしまい戻る。
 光徳寺の先にあじさいコースの案内があり、上り始める。木製階段は急で、超低山でも簡単ではない。あじさい公園へ上がり休憩。海側が開け、小さな湾が目の前である。この時期紫陽花ではなく水仙が開いているが、数は少なく、カメラに収めるのに苦労した。

 急な階段を上下 階段は傾斜を増し、私も、時々は足を止めながら上がり続ける。弟とは開いてしまった。クスノキ樹林の下で、薄暗い位。肩へ上がり小憩し、弟を待つ。おばさん二人が越して行った。元気である。

 一登りで山頂(大峰山148m)であった。また海側が大きく開け、相模湾の眺めがよい(写真上)。カメラを構えた弟は、富士は見えないと嘆く。良く見ると雲の陰に富士の姿があるようで、それも次第にはっきりし始め、弟へ伝えた。
 当山には、東峰、山頂、青峰を巡る尾根道があり、山頂から西峰を経た真名瀬コースへ向け尾根道を進む(写真下)。樹林の間から海岸と小さな岬が覗け、波濤音も聞こえる。御用邸側と思うが、それは見えない。途中の展望デッキでは、先程のご婦人方がストレッチ体操中。こちらの下りも急で、階段を踏み外さないように一歩一歩下る。長い階段の下り道を降りると、出口には熊野神社があった。無事下山を報告し、バス通りへ出た。

 小さな漁港で昼食 真名瀬港が直ぐ先で、漁船も数隻係留してある。海産物の購入を期待したがそのような店はなく、小さな売店でしらすを求めた。昼食は、隣のレストランでシラス丼にした。
 昼食後、海岸沿いに歩いて森戸神社に参拝し、海岸へ出る。森戸には、旧勤務先の夏季海の家があり、数度来た筈で、名島は記憶にあった。裕次郎灯台はその後の命名だろう。住宅街中の狭いバス通りに、こんなに狭かったかなと首を傾げながら元町バス停まで歩き、新逗子駅へ戻った。帰宅後調べると、葉山の仙元山へ登ったのは10年以上前であった(06.2.9)。(2019/02/18 K.K. 1239/1300)

◇日時 2019/2/4 ◇天候 晴 ◇交通費 1,740円 ◇資料 京急「きままにウォーク新逗子」2004年 ◇歩数等 17,000歩 12km 

「通過時間等」自宅7:50-泉岳寺駅9:04-京急新逗子駅10:19-真名瀬バス停10:33=あじさい公園10:50=三ヶ丘山頂11:20=熊野神社11:50=真名瀬漁港(昼飯)12:05/12:25=森戸神社12:35-元町前バス停12:51-京急新逗子駅13:13-三田線三田駅14:16-自宅15:10


西川口からキューポラのある街へ歩く

 今冬は予報に反し厳しい寒さが続き、山野歩きは向かない。社寺巡りへとネット検索したら、西川口の鎮守氷川神社がヒットし、初詣者数上位の神社のようだ。荒川を挟んで、我が板橋区の隣である。これまで、ハイキング以外でも縁の薄い川口だが、安近短の地で、厳冬期の散策には好都合の地である。私はキューポラのある街位しか知識がない。

 西川口駅から青木町公園 今回はバスで赤羽駅へ出て、京浜東北線に乗り西川口駅へ向かった。同駅は多分初めての乗降と思う。東口改札口を出たが商店街とも住宅街とも付かない小さな駅前。案内図はなく、手持ち地図コピーで、青木町公園を目指し東北方向へ歩く。閑かな住宅街の先にナイター用照明塔の頭が見え、塔を頼り行くと公園前通りへ出て、野球場のある公園であった。公園ベンチで、靴紐を調整。暫く履いていない山用靴が下駄箱に見付かり引き出したが、足に合わせ紐を緩めた。

 鎮守氷川神社へ参拝 次は、鎮守氷川神社で、隣が川口オートレース場のよう。また住宅街を進むが右折が遅れたようで、レース場の先へ出てしまった。大きなスタンドが目立つが、レース中ではなく、人影もない。
 右に社林が見え、回り込んで参道から参拝。広くはない境内だが、室町期創建の古社で、立派な有人の社務所や富士塚もある。平日なのに参詣者もチラホラ。元旦は賑わう社のようだ。私も頭を垂れ、裏へ回ると樹齢400年のケヤキのご神木があった(写真上)。

 芝川遊歩道を下る 参道を出て左折し大通りを十二所神社へと新青木橋を渡る。川は大宮の方から流れている芝川と知る。住所を見ると鳩ヶ谷へ入ったようで、そろそろかな思い始めると間もなく、通りを背にした社があった。こちらは村の鎮守様程度で、小さな境内、社。社殿前で手を合わせ、通りへ戻った。先程橋上から眺めた土手下の芝川遊歩道を歩くことにする。川口市内へと下り続け、隣の流れは、まずまずの透明度。川面には鴨達も遊ぶ。

 キューポラのある街 川口の中心へ近付くに従い、右岸土手上に小さな工場が見え始めた。鋳物工場だろう。昭和40年頃は、川口を通過する京浜東北線車内から炉の炎が見えたと思う。そして、映画”キューポラのある街”の舞台になり、小百合ちゃんや市川好朗が好演したことは知られ、私も観て印象深い。旧同僚に中学時代エキストラで、小百合と共演したという、当地に住む年下の方がいた。
 堤内遊歩道もお終いになり、川原を出て青木橋を渡り、市役所前から駅前大通りで左折すると川口駅であった。橋の欄干や商店街のアーチは鋳物細工で(写真下)、川口を演出していた。(2019/02/11 K.K. 1238/1300)

◇日時 2019/1/30 ◇天候 晴 ◇交通費 300円 ◇資料 昭文社「埼玉県道路地図 川口市・草加市南部」33頁 ◇歩数等 17,000歩 12km 

「通過時間等」自宅10:35-JR赤羽駅11:27-同西川口駅11:40=青木町公園11:55=鎮守氷川神社12:20=十二所神社12:55=新青木橋下遊歩道13:05=青木橋13:30=JR川口駅13:58-赤羽駅前バス停14:10-三田線志村坂上駅14:30-自宅14:45

再び深川に芭蕉史跡を巡る

 昨年久しぶりに深川に芭蕉庵跡等を訪ねた(18.9.9)。以前栃木に雲巌寺や遊行柳を歩いて(18.4.8)芭蕉のことも書いたら、読者から栃木にも芭蕉の足跡があるのかとメールが届き、改めて芭蕉を追っていると気付かされ、それ以来おくのほそ道を意識的に歩き、久富哲雄「奥の細道の旅」を求めた。深川からの旅立ち直前滞在した採茶庵(サイトアン)跡を前回見逃し確かめたい。

 採茶庵跡の芭蕉像 地下鉄大江戸線清澄白河駅を地下から出て、駅前案内図で海辺橋の通りと確かめ、歩き出す。仙台堀川に架かる海辺橋を渡るとその袂に小さな旅装の芭蕉像があり(写真上)、採茶庵跡と解説板が立つ。芭蕉の高弟でスポンサーとも言われる杉山杉風(サンプウ)の別宅があり旅立ちに備え、芭蕉庵を処分し借宿していたのだ。カメラに収め、橋を渡り返した。
 清澄公園へ向かう。芭蕉句碑があり、初めてではない。大通りから正門へ回り込み、珍しくパスモで入園可能。元大名屋敷から財閥岩崎家庭園を経た都立公園で、中心の池には鴨が浮いている。奥に大きな句碑、”古池や かわづ飛び込む 水の音”があり、近くの芭蕉庵跡から移設したとある。池を一回りしながら前回は花友と一緒だったと思うが、何の花か思い出せない。

 臨川寺、長慶寺 持参した久富著の深川地図コピーを眺め、臨川寺を探す。寺町のようにお寺さんが多い中、地図上通りに見付かる。常陸国鹿島の根本寺住職仏頂が滞在し、芭蕉が参禅に通っていた庵があったという。その石碑があり、入口近くに建っていた。確かその後仏頂和尚は下野の雲巌寺へ移り、おくのほそ道の途中庵跡を訪ねている。

 また大通りへ出て小名木川を渡る。芭蕉庵跡はこの下流だが、今回は寄らない。深川神明宮は、小路を覗いて見付け、隣の幼稚園のお迎え時間で込み合う中、参拝。
 大通りへ戻って、地下鉄森下駅のある交差点を渡り、裏通りへ入った先の長慶寺は古く小さな寺で、狭い庭に芭蕉記念時雨塚外、石碑等があり、門人達が建てたという。

 芭蕉翁俤塚 最後の予定の要津寺へ大通りを北上し、江東区深川を出て、隣の墨田区両国へ入ったようだ。目安の鮨屋から奥へ入ると右手に目指す寺院はあった。こちらは広い境内で本堂も新しく、山門右側に、芭蕉翁俤塚と古池の句碑があった(写真下)。江戸期後期に、信奉者や蕉門俳人達が百回忌に建立したらしい。区立芭蕉記念館の古池句碑はここのを写刻したという。カメラに収め、今回の深川芭蕉史跡巡りを終え、地下鉄森下駅へ向かった。
 帰途に神保町駅で下車し山用品店石井に寄り、ストックを修理して貰った。昨年末奥多摩高水山の下りに使用して伸縮が不可になってしまったが、元へ戻った。(2019/02/03 K.K. 1237/1300)

◇日時 2019/1/23 ◇天候 晴 ◇交通費 シルバーパス ◇資料 久富哲雄「奥の細道の旅」10頁 ◇歩数等 14,000歩 10km 

「通過時間等」自宅9:40-新宿線神保町駅10:25-大江戸線清澄白河駅10:50=採茶庵跡11:00=清澄公園11:10/11:25=臨川寺11:30=深川神明宮11:40=長慶寺11:50=要津寺12:00-新宿線森下駅12:15-三田線神保町駅12:52-自宅13:30 e

大宮氷川神社から中山神社へ芝川沿いに歩く

 大宮氷川神社は、今年の初詣の有力先であったが、突然稻毛浅間神社へとなり、今回になった。昨年の正月、東浦和から三氷川神社巡りをして、最後は大宮氷川神社の予定であったが、途中の中山(中氷川)神社を探しあぐね、途中で断念した(18.1.15)。そのリベンジで、未だ小正月だからと出掛けた。

 大宮氷川神社参道 JR京浜東北線埼玉都心駅からスタート。大宮氷川神社の参道が直ぐ先にあり、入口の鳥居下から表参道へ入る(写真上)。長く真っ直ぐな参道が最奥の本殿へと続く。数回歩きいつも思うことだが、車が通り、三ヶ所ほど信号もある参道は他にあるだろうか。そっちこちを歩き神社も巡っているが、当武蔵一宮氷川神社だけのように思う。大宮駅からの道路を、信号を待って渡り進むと、参道には屋台の売店が並び、人出も増え出した。中には、振り袖姿もあり成人式か。本殿前の池に架かる太鼓橋から拝殿前へ出て、参拝。孫達の健康と成長をお願いした。

芝川土手を下る 次は中山神社だが、距離があり初めてのコース。間違わないようにと見沼田んぼを流れる芝川沿いに歩くことにしている。大宮第二公園へと境内を出て、サッカースタジアム、野球場側を通る。現在は近代的な施設だが、私が大宮に住んでいた頃は古い木造スタンド、土の県営球場で、1953年あのミスター長島が高校時代特大ホームランを打った球場であった。紅梅が咲き始めている公園を通り抜け、芝川沿いに下り始める。以前梅観に来て、次の第三公園も歩いたことがある(14.3.9)。

 本日天候良く暖かい中、芝川土手を下り続ける。ジョグや散歩の方もあり、交差しながら行く。遊歩道だが、工事中箇所もあり、時々土手を下り迂回する。川面を覗くと鴨が泳ぎ(写真下)、数羽の白鷺も見える。カメラを向けたら気付かれ飛び立たれてしまった。先に高速道路が見えだし、そろそろ中山神社へ向け、芝川を離れる頃だろう。
 中川橋を過ぎ、化学工場手前で右岸へ渡り、次の橋を渡り返し集落内へ入って、山勘で裏の畑中の農道へ。作業中の地元の方に尋ねると、方向も距離も想定通りのよう。農道から車道へ上がり、産業道路交差点へ出ると見覚えがあった。大宮氷川神社から1時間と読んでいたが、疾うに過ぎている。

 中山神社に参拝 入口から林の中の参道を進み、本殿で手を合わせた。丁度1年ぶりである。この時期でも参拝客はチラホラ。古社故だろうか。裏へ回り、保存中の桃山時代の旧社殿を覗き、社を後にし、バス停を探した。埼玉都心駅まで歩こうとも考えていたが、少し疲れた。昨年と同じ場所で北浦和駅行きのバスに乗車した。(2019/01/31 K.K. 1236/1300)

◇日時 2019/1/14 ◇天候 晴 ◇交通費 810円 ◇資料「見沼たんぼ全域マップ」、佐藤新「見沼田んぼ、三つの氷川様」新ハイキング743号100頁 ◇歩数等 23,000歩 17km 

「通過時間等」自宅8:55-JR板橋駅9:30-同赤羽駅9:44-同埼玉都心駅10:10=大宮氷川神社10:50=見沼代用水西縁橋11:10=芝川11:15=大宮第三公園11:30=中川橋12:20=中山神社12:35=富士見丘バス停12:57-JR北浦和駅13:17-同赤羽駅13:37-三田線神保町駅13:52-自宅14:15

コース採りを間違えた長津田高尾山

 購読誌から長津田高尾山を見付け(新ハイキング誌711号122頁)、その内にとリザーブしていた。我が家からのアクセスや距離も程よく、山頂神社への参拝も兼ねて、今回歩くことにした。ネットで路線検索すると、三田線神保町駅から半蔵門線、田園都市線が最も近く速いようだ。帰り掛けにお会いしようと沿線に住まう先輩Nさんへ連絡したが、ご多忙で時間がないようだ。

 東工大キャンパスへ 最寄り駅は田園都市線すずかけ台駅であり、神保町で乗り換え、長津田駅で乗り継いたが、それでも我が家から約1時間半でスタート。当地はハイキングを含めて始めてで、周囲の景色も私の予想とは大違い。沿線には住宅街が広がりそこに高尾山がポツンとあると地図から見取っていた。処が沿線東側には里山が連なり、山裾が住宅街。駅を出て坂道を上がり田園都市線高架を渡り、国道246号は高架下を抜けた。略図コースとは違い、東工大キャンパスへと進んだ。キャンパス隣の高尾山へ抜け道があるのではと考えた。案内通りでは物足りないと思ったのかもしれない。

 方向違い二度Uターン キャンパスは土手に囲まれた窪地で、奥へ進むも想定した抜け道は見当たらない。土手への獣道があったが直ぐ行き止まり。反対側に校門があると分かり大分校内を歩き、岡部門から校外へ出ると正面が里山で、高尾山かと期待し回り込んだが違っていた。バス通りを行きバス停名を確かめるが目指す名はなく、途中で反対側へ歩いていると気付きUターン。戻った二叉交差点で広い通りを取り、高速道路下を過ぎたがバス停はなく、トンネルが見え出した。スマホで検索すると、また方向を大きく違えているようだ。再び戻り、工事中の方にバス通りを確かめ、二叉交差点の狭い通りへ入る。

 高尾山飯縄神社参拝 山裾のバス停が高尾下で、ようやくコースに乗る。坂道を上がり山裾を回り込み料亭前を過ぎると、”飯縄神社(高尾さま)”標柱があった。そして、畑中の進入路・参道の先に小さな社があった(写真上)。先ずは参拝し、由緒書きを読む。やはり、江戸期にあの高尾山薬王院の飯縄神社より勧請したとある。神仏混淆の時代のことのようだ。丘のトップで、社の裏には、東工大校舎が見える。西側に展望が広がり丹沢連峰で、左手の高峰は大山だろう(写真下)。デジカメを出しシャッターを切った。裾の道路へ戻り、246号を渡って、往きの東工大への通りを横断し、すずかけ台駅に着く。コンビニでサンドイッチを求め、乗車。帰途に荏田城跡も考えていたが、その気力は失せ江田駅をスルーした。長津田高尾山へは辿り着いたが、二度も方向を誤り、やはり、今回も地図読みの甘さが出てしまった。反省である。(2019/01/27 K.K. 1235/1300)

◇日時 2019/1/10 ◇天候 曇り ◇交通費 990円 ◇資料 中村均「長津田高尾山」新ハイキング711号122頁 ◇歩数等 10,000歩 7km 

「通過時間等」自宅9:55-半蔵門線神保町駅10:36-田園都市線すずかけ台駅11:40=東工大岡部門12:00=長津田高尾山飯縄神社12:55=田園都市線すずかけ台駅13:26-三田線神保町駅14:34-自宅15:10

稲毛浅間神社に詣で、旧友と交換する

 2019年の初詣ハイクは、大宮氷川神社から中山神社を考えていた。昨年の正月に歩き残していたからである。年賀状が届き、一変した。体調を崩し療養していた旧友が、回復状況を知らせてくれた。丁度、年末に入手した初詣情報の中に、唯一未訪の稲毛浅間神社を見付けていて、彼は稲毛在住である。携帯で交換し、出掛けることにした。北海道から長女が孫4人連れ来宅しているが、了解してくれた。

 地図で調べると、最寄り駅は京成千葉線京成稲毛駅で、待ち合わせるJR京葉線稲毛海岸駅へは直線で徒歩30分程のよう。私は、神保町駅へ出て、都営新宿線終点本八幡駅で京成線に乗り換え、津田沼駅で京成千葉線にまた乗り換えた。この線は初乗車。JR総武線と並行していたが次第に海岸寄りへ入り、京成稲毛駅に着いた。改札で、稲毛海岸駅へは徒歩20分と教えて貰った。

 稲毛浅間神社で初詣 駅の直ぐ先が浅間神社の裏参道で、松林の中の坂道を上がる。本日は正月も6日だが人出は多く、日曜日の所為か。 表参道正面へ回り、一応手を洗い、石段から本殿前へ進む。先ずは参拝し、孫達の健康等をお願いする。ハイキングバックに手を入れたが小銭はない。最近カード類利用で、特に小銭入れは持たない。神様申し訳ありません。この次埋め合わせさせて下さいと伝えたつもり。当社は、平安期創建の古社だが、安産、子育てに霊験がある神のようだから、待ってもらえるだろう。狭い境内にテントが立ち並んで、おみくじや熊手、破魔矢の販売をしていて、白衣緋袴の巫女さんが目立つ(写真上)。

 裏参道から大通りへ下りて、稲毛海岸駅へ向け歩き出す。大きな十字路を渡ると右手は公園で、左手は団地。約20分と読んでいるが不確かで、待ち合わせ時間が迫ってくる。前方の建物が次第に大きくなり、その中に高架鉄道が見え、京葉線だろう。手前で、いつもの山勘で左へ近道すると、稲毛海岸駅であった。反対側広場へ出て、見覚えがあることに気付き、一度乗降したことがある筈(写真下)。海岸にある花の美術館を訪ねた時である(12.10.27)。帰宅後記録を調べるとコスモス観賞であった。

 稲毛海岸駅で旧友に会う 時間通り、Oさんが見えて、挨拶もそこそこに駅前ビルの蕎麦屋さんへ。新年と健康回復を祝し乾杯。彼は引き締まったようで、リハビリの成果だろう。逆にこちらの体重オーバーを心配されてしまった。孫とのふれあいや、旧友仲間達の情報を交換した。帰り際、歩き足りない私は、近くの神社を尋ねると検見川神社があるが、タクシー利用という。それじゃ次回にしようと、検見川浜駅で彼に別れ、帰路に就いた。Oさん有り難うございました。またお会いしましょう。(2019/01/21 K.K. 1234/1300)

◇日時 2019/1/6 ◇天候 晴 ◇交通費 630円 ◇資料 「JRで初詣」2018年12月 ◇歩数等 9000歩 6km 

「通過時間等」自宅9:55-都営新宿線神保町駅10:38-京成本八幡駅11:19-同津田沼駅11:39-同稲毛駅11:45=稲毛浅間神社11:50=JR稲毛海岸駅12:25/13:27-同南船橋駅13:39-同西船橋駅13:48-都営新宿線本八幡駅14:00-三田線神保町駅14:27-自宅15:10

友人と両毛線から八高線へ乗り鉄を楽しむ

 本年最後は乗り鉄にした。今年から始め、ローカル線の旅を数回経験している。今回は、両毛線を乗り切り、高崎駅で八高線へ乗り換え高麗川駅から川越駅経由で戻るコース。いつも車でお世話になっているSさんを誘ったらオーケーで、同行が決まった。埼京線武蔵浦和駅が起点、終点である。

 駅弁を求め両毛線へ 武蔵浦和駅に集合し、ホームから富士の秀峰を眺めてスタート。大宮駅で宇都宮線に乗り換えた。広い関東平野を走り、右手に筑波山が見え始めて小山駅に着く。高崎行き乗り換え時に、弁当と地酒”雄東”を求めた。乗り鉄の楽しみの一つである。両毛線ホームが離れていて(写真上)、一度利用したことを思い出した。佐野厄除け大師参拝の時(17.1.27)だったろうか。

 4両電車は北関東里山の裾を走った。私は、数回乗ったが乗り切ったことはない。Sさんは初めての乗車という。栃木駅、大平下駅、岩船駅は乗降したことがあり、いずれもハイキングである。佐野駅、足利駅を通過。駅周辺には市街地が広がる。あしかがフラワーパーク駅へは、花友を案内したが藤の花は時期が早かったという苦い思い出がある。

 12時近くなり、2人は弁当を広げ、地酒カップを出した。私は紙コップを持参。Sさん嗜む程度で、大半は遠慮なく私が戴く。足利駅からは初めての乗車区間。桐生は繊維の街、国定はあの忠治の生まれ故郷だろう。伊勢崎駅を過ぎ前橋駅、高崎駅が近いと思ったが、前橋、高崎間に三つもの駅があった。利根川鉄橋を渡る際、右手の高いビルは群馬県庁で、ニューイヤー駅伝のスタート地とSさんへ紹介。この時期2人は、母校のシード確保を願う箱根駅伝の方が気になっている。

 ホームグランド奥武蔵を走る 高崎駅に着く。両毛線は通常2時間強を要するが、私どもは1時間50分。車中Sさん、単線なのに交換待ちが少ないと呟いたが、その所為だろうか。駅通路には、高崎名産の大きな達磨が飾られ(写真中)、正月が直ぐだ。

 高麗川行き八高線は二両の列車で、ローカル線らしい。ネットで調べると、高崎、高麗川間は北線、八王子、高麗川間は南線とあり、今回は未電化の北線乗車。田園地帯を走り、群馬藤岡駅は初めてと思ったが、児玉駅で思い出した。奥武蔵官ノ倉山を越し竹沢駅で飛び乗り高崎駅へ出て猿ヶ京での忘年会へ出たことがあり(94.12.23)、北線は乗り切っていた。寄居駅からは、自称私のホームグランド奥武蔵エリアで、周囲には見覚えがある山が多い。越生駅で、”1000回記念の山はここだったね”(大高取山15.10.25)とSさんが思い出してくれた。高麗川駅で乗り換え時改札を出た。数度利用したが小さな田舎駅は改装されていた(写真下)。同駅から川越行きに、川越駅で新宿行きに乗り換え、武蔵浦和駅に到着し、軽く反省会。Sさん、乗り鉄お付き合い有り難うございました。またお願いします。
(2018/12/31 K.K. 1233/1300)

□日時 2018/12/30 □天候 晴 □交通費 青春18切符4 

「通過時間等」自宅8:15-JR板橋駅8:52-同武蔵浦和駅9:16-同大宮駅9:37-同小山駅11:02-同高崎駅12:50/13:34-同高麗川駅15:26-同川越駅15:52-同武蔵浦和駅16:21/16:55-三田線新板橋駅17:25-自宅17:55 ont-famil

南武線宿河原から長尾の里を歩く

 神奈川のハイキングガイドブックに是非歩きたいコースを見付けた。今春、弟と川崎の枡形山から東高根森林公園を歩いた(18.2.11)が、コースを誤り、肝心の長尾神社、五所塚、等覚院を迂回してしまった。それらが、ガイドブック掲載の川崎長尾の里めぐりコースにそっくり含まれている。弟へ連絡し、同行が決まった。彼とは、夏の那須殺生石(18.8.27)以来である。

 長尾の里は崖上 JR南武線宿河原駅集合とし、私は、三田線で目黒駅からそのまま武蔵小杉駅へ出て、南武線へ乗り換えた。宿河原駅に降りると、いつものように弟が待っていた。

 駅に案内パンフはなく、持参ガイドマップに従い、駅前市街地の広くはない通りを進み川崎市緑化センター前で、川沿いに右折。一羽の鷺がいたが、期待反し弟は興味を示さずカメラは出さない。右往左折を繰り返し、府中街道を渡って、長尾地区へと坂を上がった。途中、マップにある梨畑側を通り間違っていないようだ。

 当地は、南武線と並行し高い崖が続き、多摩川の河岸段丘だろう。前方に寺が見え、妙楽寺で2人で参拝する。あじさい寺とあり、古刹のようだが由緒書きはない。坂を上がり続けると、直ぐ先が長尾神社。広い境内にシンプルな社殿が鎮座し(写真上)、歴史ありそうな神社。また詣でる。

 五所塚、等覚院 次の五所塚へは、マップを見誤り少し歩いてから方向違いに気付き、通り掛かった方に教えて貰い戻ると、神社の直ぐ隣であった。五つの塚があるが遺跡ではなく、民間信仰のものらしい。ベンチで休憩すると弟がザックから私の好物の瓶を出し、重いからと渡してくれた。正月用かと遠慮なく戴いた。弟は、私とは大違いで全くの下戸。

 長尾の里案内板があり、次の等覚院への道順を確かめ、坂を下る。階段は湿り滑らないよう慎重に降りる。立派な山門前へ出て(写真下)、こちらも、つつじ寺と呼ばれる等覚院で、霊場札所の名刹のよう。手を合わせ、僅かな賽銭で家族の健康と成仏をお願いした。一旦大通りへ下り、東名高速高架下を抜け、また高速沿いに坂を上がる。

 終点の駅違い ここら辺りから、前回歩いた東高根森林公園への道と分かり始める。坂上が同公園で、今回は公園前を素通りし緑が丘霊園へ入り、崖上の前回コースを逆に行くが、下り始めてこれが失敗と知る。今回コースの終点は南武線津田山駅の筈だが、鉄道線路が見え始めるも駅の位置が違う。一つ手前の久地駅であった。霊園を直進したが、マップを眺めた弟が、右へ回り込むのが今回のコースと気付いたが遅かった。駅前の小さな商店街で食堂を探し、昼食。久地駅で、弟は登戸駅、私は武蔵小杉駅へと分かれた。帰宅後、私は弟に貰った瓶をザックから出し、台所に保管した。(2019/01/13 K.K. 1232/1300)

□日時 2018/12/27 □天候 晴 □交通費 740円 □歩数等 13,000歩 9km □資料 山本正基「かながわのハイキングコースベスト50 長尾の里めぐり」30頁 

「通過時間等」自宅8:15-JR武蔵小杉駅9:39-同宿河原駅10:00=川崎市緑化センター前10:20=妙楽寺10:30=長尾神社10:40=五所塚11:00=等覚院11:20=東高根森林公園前11:40=緑が丘霊園11:50=JR久地駅(昼食)12:00/12:36-田園都市線武蔵小杉駅12:52-自宅14:10

奥多摩高水山に登る

 12月に入り、今年もハイク友との忘年山歩きの時期になり、メールを交換し奥多摩高水三山に決まった。アクセスも良く手頃な山だが、以前に難渋したことを思い出した。大分前だが二度歩き、御嶽駅への最後の下りで急降下が続く。下りが苦手な上、最近平地歩きのみで心配だが、ゆっくりと時間を掛ければ何とかなるだろうと出掛けた。

 20年振りの高水山 JR立川駅にKさんと待ち合わせ、青梅線軍畑駅に降りた。山間の駅には客も無く、我々だけスタート。広い舗道へ出て山へ向け緩い坂道を歩き、平瀬集落で左折し、二つの寺前を過ぎると登山口であった。前回は20年前(99.10.17)で、先程来記憶にない風景ばかり。堰堤脇の急な石段を過ぎ、いよいよ山道へ入る。沢沿いの小径から山腹のススキ原の道になり、急登で、足が時々止まり、Kさんとは少し開く。いつものことで、彼は振り返り、待ってくれる。肩へと上がり小憩。

 杉林の中を行く。薄暗い林の中はうっすらと記憶にある。そろそろ頂上が近いと思い始めたが、道標は7から8合目だ。坂道から緩やかな道になり、常福院下へ着いた。山頂下の無住職の寺。参拝し、裏へ回り最後の急坂をこなし高水山(759m)であった(写真上)。コースタイム90分の処120分、こんなもんだろう。山頂手前で、奥多摩の山々が見え、高い二山は大岳山と御前山と見当を付けた。

 巻道へ 次の岩茸石山へ向け、山頂を下り鞍部へ出る。葉を落とした雑木林の中で、初冬である(写真下)。山下へ着き、私は最後の下りに備え巻道を採り、若く元気なKさんへ登頂を促したが、彼も私と同じ巻道へ。登山口来、ハイカーには出会わなかったが、なんと上りの外人女性に擦れ違う。既に午後になり、しかも単身で、ビックリ。

 惣岳山へ歩き続けるが、道が荒れているようだ。また山頂下になり、私は巻道だが、Kさんはここでは山頂へ。山頂下を巻いて反対側の真名井天神社へ出て、清水を覗いたが枯れていた。丁度、高齢者グループ一行に次いで、Kさんも山を下りて来て、また一緒に下る。

 何とか下山 いよいよ、最後の下りのコース。休憩中の先行グループを一度は追い抜いたが、直ぐ彼らが先に下り、見えなくなってしまった。木々の間に集落は見えず、交通騒音も聞こえず山は深い。沢井駅への分岐を過ぎると問題の下りであった。急な下りが連続する上に、小刻みに曲がりくね、岩や木の根が露出し、歩き難いこと甚だしい。ストックに縋り、一歩一歩下り、Kさんを追わない。長いと思ったが20分程で下山口へ着き、前にKさんが見えた。

 久しぶりの山歩きだったが、二度も巻道しなんとか歩き切り、Kさんに迷惑を掛けないでホッとした。これ以上の山は難しいだろう。帰途に武蔵浦和駅で、軽く反省会をした。Kさん有り難うございました。(2019/01/10 K.K. 1231/1300)

□日時 2018/12/19 □天候 後晴 □交通費 青春18切符3 □歩数等 28,000歩 20km □資料 山と渓谷社「東京周辺の山 高水三山」22頁 

「通過時間等」自宅8:00-JR巣鴨駅8:33-同新宿駅8:50-同立川駅9:40-同軍畑駅10:35=平瀬登山口11:10=杉林手前肩12:05=常福院12:20=高水山12:30/12:45=岩茸石山下13:10=真名井天神社13:50=御嶽下山口15:20=JR御嶽駅15:47-同西国分寺駅16:57-同武蔵浦和駅17:47-三田線新板橋18:10-自宅18:40

富士山麓を走る御殿場線を乗り切る

 先日、青春18切符を求めた。1ヶ月以内に5回利用可能で、最初に内房線の木更津往復に使用した。次は何処で使用するかと考えていたら、箱根開催忘年会の帰りに、御殿場線を思い付いた。この切符の乗車範囲は、JR東日本だけでなく全JRで、御殿場線はJR東海エリアだ。箱根からは御殿場駅へもあるが、小田原駅へ出ることにした。

 御殿場線沼津駅へ JR小田原駅から熱海行きに乗車。熱海駅で、島田行きが待っていて直ぐ乗り換えた。長い丹那トンネルを抜けると三島駅で、隣が沼津駅であった。久しぶりで、両駅が隣り合っていると気付いた。御殿場線時刻を確かめ、駅周辺をウロウロ。沼津アルプスを歩いて以来(09.5.16)だが、見覚えがない風景ばかり。当地では海産物が名産だろうと、土産と自らの晩酌用の買い物をする。前回入った駅前市場は見当たらなかった。仮設だったかもしれない。駅中店で弁当を求め、御殿場線ホームへ(写真上)。

 富士山は? 電車へ乗る前、富士を確かめると見当たらない。直ぐ前の筈なのにどうしたのだろうと訝りながら車内へ。定刻に沼津駅を発車し、二つ目の駅付近からだろうか、左前方雲の上に富士の頭が姿を現し始めた(写真下)。これから富士山麓で、先程は方向が違っていたと気付き、カメラを出しアングルを探したが、ビルが邪魔し難しい。それでも、強引に2,3度シャッターを切った。出来上がりは運任せである。御殿場線もこの辺りは2度目だが、覚えがない駅名ばかりが過ぎる。

 御殿場駅を越すと山中へ入り、もう富士の姿はない。足柄駅は足柄峠(14.12.30)への下車駅であった。谷峨駅、山北駅は私のハイキングの乗降駅で、最近では河村城跡(16.9.18)や大野山 (16.11.20)を歩いた時である。見覚えのある酒匂川風景があった。山北駅は、丹那トンネルが完成し東海道が直通する迄は、山上り用機関車を増強した機関区のある駅で、鉄道の町であったという。戦前のことで、現在も、その頃の蒸気機関車が展示してある。

 松田駅から国府津駅へ 東山北駅で、高校生が大勢乗り込み混雑したが次の松田駅から順次降りて行った。上りの御殿場線も終盤に掛かり、左に曾我丘陵が見え出した。この辺りは梅林が有名で、丘陵から下りて観梅しこともある。終点国府津駅に近付き、駅前にガラスのウサギ像があるのではと閃いた。箱根駅伝4区を歩いた時(12.12.24)、駅前で小憩し眺めたことがあった。国府津駅に着き改札を出て、違うと気付いた。多分、隣の二宮駅のことだと思う。
 東京駅へと時刻を調べると、現在は宇都宮、高崎ラインもあり約10分間隔。高崎行き快速に乗り、新橋駅に降り三田線内幸町駅へ歩いた。 (2019/01/07 K.K. 1230/1300)

□日時 2018/12/17 □天候 曇り後晴 □交通費 青春18切符2 

「通過時間等」宿泊先8:25-JR小田原駅9:49-同熱海駅10:33-同沼津駅11:10/11:48-同国府津駅13:25/13:42-同新橋駅14:40-三田線内幸町駅14:51-自宅15:30

證誠寺を訪ね木更津を歩く

 また千葉の順番で、木更津に證誠寺を訪ねることにした。以前から手許のガイドブック(大人の遠足BOOK「證誠寺から海浜公園へ」157頁)から注目していた。先週、山形、仙台から帰り、軽い歩きで丁度良いだろう。事前にスマホで路線検索したら、総武線千葉駅経由が、京葉線より近いと分かった。

 證誠寺の狸がお出迎え JR秋葉原駅へ出て、千葉駅で内房線へ乗り換え木更津駅に降りた。駅前案内所で市内マップを貰い證誠寺への道順を尋ねると外へ出てわざわざ、みまち通り入口を案内してくれた。こんなことは初めて。早速證誠寺の狸デザインのアーケードが迎えてくれた。小さな商店街を過ぎて八劔八幡神社。頼朝が寄進した社殿という。石橋山での旗揚げに失敗した頼朝は一時内房安房に逃れたが、その時の縁だろうか。参拝し、寺を目指すも左折地点を誤り、大回りし裏から證誠寺境内へ。

 狸やぽんぽこりんの童謡で、寺名だけは子供の頃から知っていた。古刹だろうが、意外にこぢんまりとした寺。本殿へ参拝し、狸塚へ。昭和9年築造の案内に、後付かと思いながらカメラに収めた。手前に童謡碑があった(写真上)。野口雨情作詞(大正14年)、中山晋平作曲で、全国的に歌われている。現在では市街地の一画で、狸が出現するような地ではないが、江戸から明治の期の頃なら狸も住んでいたのであろう。 境内を巡りながら、私は、子供の頃ラジオから聴いた外人(1955年米人アーサー・キット)の唱う狸林の歌を思い出した。独特のメローディーと歌声が耳に微かに残っている。

 見染めの松、木更津甚句碑 寺から市街中心の大通りへ出て、海方向へ行く。右手に木更津港が見え始め、海岸通りは椰子の並木だが葉の半分は枯葉のよう。当地では寒いのだろう。見染めの松へ立ち寄り案内を読むと、あの与三郎とお富の逢い引きの地だったという。芝居の話しかと思っていたが、木更津が舞台の実話だったのだろうか。市内の寺には与三郎の墓の案内もあるが、私には、春日八郎が唱った”お富さん”だけである。

 直ぐ先が、木更津甚句の碑。この甚句は、当地出身噺家が江戸の高座で披露し広がり、地元へ逆戻りし、唱われたという。芸者二人が踊る像である。先程市内で見番前を通り、今時珍しいと思った。木更津は、江戸との舟運の拠点として発達し当地には商家が多かったようで、その名残なのだろう。この甚句には少し思い出があり、若い頃、宴会で必ず唱う上司がいて、木更津出身でもないのにと思っていたが、少し納得である。

 富士見橋を渡り、潮浜公園で休憩。本日は曇りで、富士山も、対岸の丹沢の山々も曇の陰である。復路には、また市街地にある弁財天社に立ち寄り、みまち通りで各店の狸像を確かめながら(写真下)、駅へ戻った。(2018/12/31 K.K. 1229/1300)

□日時 2018/12/13 □天候 曇り □交通費 青春18切符1 □歩行数等 13,000歩 9km □資料 大人の遠足BOOK「證誠寺から海浜公園へ」るるぶ157頁

「通過時間等」自宅8:25-JR巣鴨駅9:00-同秋葉原駅9:20-同千葉駅10:15-同木更津駅11:05=八劔神社11:10=證誠寺11:20=見染めの松11:40=木更津甚句碑11:45=潮浜公園11:55=弁財天社12:25=JR木更津駅12:59-同千葉駅13:40-三田線水道橋駅14:40-自宅15:20

仙台、塩竃に三社を巡り歩く

 山形行きの最後の日仙台へ出て、大崎八幡宮、塩竃神社、そして榴岡天満宮を巡り参拝しようと故郷東根を後にした。前日、読者で歌人のS先生にお会いし、先日戴いた1200号のお祝いの短歌ふるさとに兄あり友あり読者あり 1300回への首途ことほぐに御礼を申し上げた処、先生も気に入っていると話された。夕方からは同級生6人と小宴を楽しんだ。

 大崎八幡を再訪 山形駅から乗車した仙山線を東北福祉大前駅に降り、目指すは大崎八幡宮である。高校卒業した年案内して貰い、杉並木の参道が記憶にあり、再訪を考えていた。駅前案内板でルートを確かめ、市街地を行き右折し進むと北参道へ着いた。直ぐ社殿。処が工事中で中へ入れず、長床から参拝。 当社は、坂上田村麻呂が宇佐八幡宮から勧請したのが始まりで、大崎氏の遷宮を経て、慶長時代政宗により、当地に社殿が造営され鎮座したとある。市内も西部で仙台空襲を免れ、桃山様式の社殿は遺り国宝という。表参道を往復する。確かに両側に杉並木が揃うが(写真上)、記憶よりは規模が小さいよう。50年以上の前のことで仕方ない。

 芭蕉足跡遺る塩竃 仙台駅へ出て、仙石線に乗り本塩釜駅に下車。こちらは芭蕉の足取りを追う。駅構内観光案内所で資料を入手し、塩竃神社へ。大通りへ出ると、芭蕉、松島へ向け船出地の案内を見る。往時は湾が入り込んでいたとある。”おくのほそ道”石碑に出会う。ほそ道300年を記念したらしい。神社正面下に着き、紅葉が残る中、長い石段を昇る。参拝すると、本殿右に、”文治の神燈”があった(写真中)。奥州藤原氏の奉納で、芭蕉も見たとある。裏坂を下るとモミジ赤の紅葉が美しい。途中に、芭蕉止宿の案内が立っていた。当時芭蕉と曽良が泊まった宿治兵衛があった跡地。当地には、芭蕉の句碑はないようだ。一句も詠まなかったらしい。先程の案内所の薦めで、通り反対側の御釜神社へ詣でる。地名塩竃のルーツになった神釜が安置され、芭蕉も寄ったらしい。駅へ戻る途中に老舗酒造会社があり、浦霞酒造。宮城産銘酒で、時には私も戴くが、塩竃産とは初めて知る。昼も過ぎ、駅前で昼食を取り、塩竃では、やはり海鮮丼である。 

句碑がある榴岡天満宮 仙石線で戻り、仙台駅手前の榴ヶ岡駅に着く。地下駅を出ると方向を失い尋ねて、近くの天満宮を探した。坂道参道を上がり、鳥居下から先ず参拝。広くはない境内を見渡すとぐるりと石碑が林立し、芭蕉句碑が分からない。思い切って社務所へ問うと、境内図を渡してくれた。それで探し当て、あかあかと 日はつれなくも 秋の風と刻んである碑をカメラに収めた(写真下)。予定した仙台在同級生は都合悪く、東北新幹線で帰京した。(2018/12/29 K.K. 1228/1300)

□日時 2018/12/4 □天候 晴 □交通費 15,000円 □歩行数等 17,000歩 12km □資料 「参拝のしおり大崎八幡宮」、塩竃観光物産協会「芭蕉が歩いた塩竃」、「榴岡天満宮縁起」

「通過時間等」実家8:25-JRさくらんぼ東根駅8:55-同山形駅9:45-同東北福祉大前駅11:00=大崎八幡宮11:20/11:35=JR東北福祉大前駅11:58-同仙台駅12:37-同本塩釜駅13:00=塩竃神社13:25=御釜神社13:50=JR本塩釜駅14:30-同榴ヶ岡駅15:00=榴岡天満宮15:10=JR榴ヶ岡駅15:27-同仙台駅15:43-同上野駅17:55-三田線巣鴨駅18:13-自宅18:40

月山を眺め、山寺から天童へ芭蕉を辿る

 山寺境内を下って山の端を過ぎると果樹園地帯になり、正面に真っ白な月山が姿を現した(写真上)。子供の頃に眺めた景色である。月山山麓から奥羽山脈の間に村山平野が広がり、そして眼下の田畑の中に集落が点在する。現在では多くは果樹園で、バイパスが走っているが、当地の風景にそう変わりはないようだ。懐かしくもあり、脚が弾んだ。

 立石寺をスタート 本日は、帰郷を利用し、芭蕉のおくのほそ道を辿ろうと、14時仙山線山寺駅に降りた。立石寺に参拝し、境内を行くと芭蕉と曽良の像が建ち、”閑かさや 岩にしみいる 蝉の声”の句碑があった。蝉塚は寄らないで、天童へと急ぐ。先程、案内所で尋ねると、”車では15分だが歩いては・・・”と首を傾げられたが、私は2時間30分程度と読んで、暗くならない内天童へ入りたい。山寺集落を抜けると、左に立谷川が見え、山の端を過ぎて果樹園地帯になり、延命地蔵堂を確かめ、右手の舗道へ入ると冒頭シーンに出会い、思わずシャッター切った。
 石倉芭蕉句碑 山形市への道を分け天童石倉へ右折する。手前に奥の細道道標が建ち、農家前に小径があったが私道かなと、進入を躊躇した。両側には果樹園が続き、左手には月山を望む。当地は、2,3度バスや車で通ったが不案内で、目指す石倉は初めての地。略図が頼り。先程の奥の細道小径の出口があり、少し悔いた。それでも石倉の芭蕉句碑に到着。一面畑の中に、有名な”まゆはきを 俤にして 紅の花”の句碑があった(写真下)。案内によると、昭和56年加藤楸邨揮毫とある。同句の碑は、我が東根の六田にも建つが、紅花の産地としては当地かもしれない。左手先に舞鶴山が見え始め、天童は意外に近いと思ったが、これが違うと後で気付かされる。

 薄暮の中天童へ急ぐ 天童へ向け畑中の道へ入り石倉地区で、大きな農家が並ぶ。次は干布(ホシヌノ)地区で、学校前を通る。名前だけは知っていた。右の山は舞鶴山ではなく、離れ小山が三つも続いていた。太陽は西の山へ沈み始め、急かされる。原町へ入ったが略図にある一本杉は見当たらない儘、“山形正宗“の水戸部酒造を越す。同社は天童もこの地だった。そして国道18号バイパスを渡るが天童市内は未だ先。薄暮になり始めた。
 市内へと右手へ折れると北目で、また細道の道標があり、石倉句碑前からはほぼ旧山寺街道を歩いたようだ。舞鶴山裾の道を市内中心へと入る。そして終点の旧東村山郡役所前へ出た。二度目の筈だが、改装されたようで美しい建築物遺産。向きが異なると思うが記憶違いだろう。回りの公園に翁塚や句碑を探すが見当たらない。句碑の案内は立つがない。裏の古い石かなと念のためカメラに収めたが、文字はないようだ。暗い中、旧国道を天童駅へ。2時間40分を要し駅で、実家へこれからと電話した。(2018/12/23 K.K. 1227/1300)

□日時 2018/12/2 □天候 晴 □交通費 15,000円 □資料 「天童観光ガイドマップ」「天童に残る旧山寺街道」 □歩行数等 23,000歩 16km 
「通過時間等」自宅9:50-JR上野駅10:50-同仙台駅13:01-同山寺駅14:00=立石寺14:15=石倉句碑15:15=干布15:30=北目16:10=旧東村山郡役所16:25=JR天童駅17:03-同東根駅17:20-実家17:30

30年振りに小田原城天守閣を見学する

 新幹線車中、隣の同僚に小田原城について問われた。本日午後、勤務先の会議兼忘年会が熱海であり、その前に小田原城見学が組み込まれた。私が城跡も含む山里歩きの駄文を勤務先内ウェブサイトへ搭載していることを知っての質問だと思う。私は、北條五代の居城だったが、天守閣は鉄筋コンクリート製の復元もので、見所は大手門だろうと答えたが、常磐木門と気付いたが訂正の機会はなかった。

 小田原城の略史 私が最初に小田原城を訪ねたのは、もう30年前のこと(88.1.29、その後12.2.18外)。その頃、山岡荘八著「徳川家康」を読み、信玄、家康、そして信長間の勢力拡大の攻防の中に地方小領主の城の存在を知った。野田城や高天神城、長篠城等である。近くにも多くの城跡が遺ると知り、訪ねるようになった。
 最初の時は、濠や郭跡、常磐木門、そして天守閣で、展示の資料を見たと思う。現存する城跡遺構は、江戸期になってからの譜代大名大久保忠世以降のものである。
 しかし、小田原城と言えば、北條五代の拠点で、早雲が大森氏から奪取し、氏綱、氏康、氏政、氏直と続き、関東一円を戦国期長く統治したことは知られる。謙信や信玄の侵攻を撃退し、そのため、氏綱の頃から城下を囲んだ総構えを築いた。氏直の時、秀吉の小田原征伐に遭い、籠城戦を採ったが、長い評定の末開城に至ったことは歴史が示し、小田原評定という有難くない名が残った。

 今回の見学 我々一行は、小田原駅で新幹線を降り、バスに乗車。西口駅前広場に建つ早雲像は、小田原城夜襲の際角に松明を付けた牛と一緒の像であった。城駐車場から御茶壺橋で濠を渡り二の丸で左折し、石段から常磐木門。門下から本丸内へ入ると正面の天守閣は、リニューアル工事を経て、白さが増し綺麗になっているようで(写真上)、カメラに収めた。二の丸銅門も改装されていた(写真下)。同僚達に付いて、閣内の史料を見て回る。以前の展示物を一新したようで、詳細なものが加わったと思われる。今回の見学で、次の三点が新情報として知った。

 新たな城情報 本能寺の変後武田遺領の信濃や甲斐の争奪戦で、北條氏は信濃の松本迄手に入れたとある。厩橋(現前橋)の北関東への進出は知っていたが、遙か先まで手を伸ばしていたのだ。流石北條氏である。氏政時代か。
 天守最上階から石垣山一夜城の展望可能は当然こと。その説明の中に、関東で初めての石垣使用の城とある。確かに関東の城は土塁中心だろうが、上野金山城(現群馬太田市在)は石垣があったと思う。どちらが先だろうか。
 江戸期の二の丸に、将軍宿泊用館があったとある。東海道箱根口、江戸への関門の地で重臣大久保氏が配されていた。家光が宿泊したという。上洛の際利用したのであろうか。略図にはなく初めて知った。帰宅後調べようと思いながら、昼食後、バスで熱海へ向かった。(2018/12/20 K.K. 1226/1300)

□日時 2018/12/1□天候 晴 □資料 「小田原城天守閣」□歩行数等 11,000歩 8km「通過時間等」自宅8:00-JR東京駅9:26-同小田原駅10:10-小田原城10:20/11:35-昼食会場11:50/12:35-ホテル13:10

信濃追分宿を巡り、大浅間を仰ぐ

長野東御市在保養所宿泊の翌日、帰京の途中に歩く先を思案した。昨日しなの鉄道車窓から眺めた浅間山をもう一度見たいが、義姉に重い土産を戴き、背負って歩くには限られる。駅に預けても同じ駅に戻らなければならない。信濃追分駅から、浅間山の麓の追分宿を歩くことを思い付いた。寒さは、厚着と貼付けカイロで凌ぎたい。

しなの鉄道追分駅へ 朝、玄関から外へ出てみたが、天気は良く、烏帽子岳の頂は白くなっているが、思った程寒くはない。朝食後、弟夫妻にしなの鉄道田中駅へ送って貰い、信濃追分駅へ向かった。浅間山に目をやると、こちら南側からの山容は爆裂跡の複雑な形で、昨日の風景とは違う。追分駅無人の待合室に荷物を置かせて貰い、出発。線路沿いから林の中の別荘地帯へ入り、1人直線の道を行く。この時期別荘には人気はない。寒さは慣れたのかそう感じない。昨日の横川と軽井沢の気温差は、標高約500mの差に起因していると気付いた。

追分宿を上下する 国道18号を地下道で潜り、旧中山道である。途中、木々が邪魔し、浅間山は望めなかった。北国街道との追分地点を目指し、左折すると追分宿。堀辰雄文学記念館は二度見学したので、スルーする。右手に浅間への登山道口を見た。高札場跡や古い木造商家や家屋が往時の宿場を示しているが、開店中の店はない。前回(05.11.3)は開いていたと思うが。追分の地点に至り(写真下)、分かされの碑がありカメラに収める。現在は、現中山道の国道18号が貫き車が往来し、右に分かれる北国街道はその半分もなく、時々車が通るだけ。私は、浅間山を探しに、林を抜けようと北国街道へ入るが林は奥へと続き、その可能性はなく、諦めUターン。

芭蕉句碑に出会う また追分宿内を戻る。左手に油屋旅館を見て、敷地内へ。嘗て堀辰雄や文士達の常宿だったというが、現在旅館は止め、見学可能の案内もオフシーズンとある。先程中山道へ入った地点を越し、左手が追分公園。入園すると芭蕉句碑、”吹き飛ばす石も浅間の野分け哉”があり、更級紀行の帰途だろう。最近芭蕉を追い始め、偶然の出会いにニンマリとする。隣の追分節発祥の地の碑を見て、ここも二度目とはっきり思い出した。当地の馬子唄が芸者衆等を通じ越後から日本海沿いに北上し、最後は江差追分へと繋がったとある。浅間神社は室町様式を伝える古社で、手を合わせた。

大浅間を撮る 国道18号へ出て、直ぐ両側に一里塚跡。記憶にある史跡で、下からカメラを向けた。電車時間に合わせ、次の信号で歩道橋を渡り別荘地帯へ。戻って橋上から浅間はどうかなと思ったが、多分ダメだろうとそのまま駅へ向かう。別荘地を過ぎ坂を下り、駅が見え始めた地点で、左を向くと見えた、あった大浅間が。晴天下、大きな美しい山容が姿を見せている(写真上)。林越しだが昨日感動した浅間の山姿。ベストアングルに満足し、駅で軽井沢行き電車を待った。 (2018/12/12 K.K. 1225/1300)

□日時 2018/11/23□天候 晴 □交通費 2,870円 □歩行数等 14,000歩 10km
「通過時間等」宿泊先9:40-しなの鉄道田中駅10:09-同信濃追分駅10:40=旧中山道11:05=分かされの碑11:15=油屋旅館11:40=追分公園11:45=一里塚11:55=しなの鉄道追分駅12:37-軽井沢駅前12:55-JR横川駅14:10-同高崎駅14:52-同赤羽駅16:35-三田線新板橋駅16:52-自宅17:20

群馬横川に麻苧の滝を往復する

今年も、長野家内の実家からいとこ会の案内があった。昨年、言わば家内の代理で出席し、歓迎された。今回も出ようと思い、いつもの通りハイキング先を探した。信濃追分から北国街道を歩こうとし調べたが、当日気温が低く一桁の予報。処が手前の群馬はいつもの秋の予報のよう。手許のガイド(旅行読売「滝湖畔渓谷を歩く」27頁)に横川駅から歩く麻苧(アサオ)の滝を見付けていて、長野へ入る前に滝往復しようと計画した。

横川駅から滝へ 現在、JR横川駅から軽井沢駅間は信越線が廃され、バス運行である。ハイキング時間を入れ1時間の余裕を持ち横川駅に着いた。観光案内所で情報を得ようとしたが、麻苧の滝のものはなく、口頭で、ガイド通り片道1時間を確かめた。周囲の山々は紅葉も終わりに近く、晩秋である。
駅裏から碓氷関所跡を眺め、国道18号へ出て、バイパストンネル前で左折し下ると、川原へ出て、吊り橋が架かる碓氷川。橋を渡って一瞬迷ったが、案内を見付け山中へと進むと、滝へ350mとの表示に出会いビックリ。未だ30分も歩いていない。本当かなと訝りながら、坂を上がると四阿があり、ザックからストックを出す。そして、下りとなり、身を屈め大岩の下を通る。これが安産岩と後に気付いた。山に取り付き急坂となり、ストックを使い上がると、直ぐ小屋の前へ出た。

近い麻苧の滝 また沢を渡る小さな吊り橋があり、ふと右に目をやると、大きな滝が落ちている。疑いながらもこれが目指す滝かなと略図や周囲を見回すが、否定する情報はない。橋の袂から荒れた踏み跡を滝下へと入る。
垂直な断崖に滝は流れ落ちている。高さ約50m程とみたがガイドでは40m。水量は少なく、渇水期だろう(写真上)。更に滝壺へと近づき、真下から見上げ、また水に手を入れてみたが、思った程冷たくはない。シャッターを数度切り、誰もいない山中の長居は無用と滝を離れた。荒れた薮道は山奥へ続いているが、麻苧の滝と確信し、戻る。小屋は滝籠り小屋とあった。

しなの鉄道乗車 予定時間の半分程で駅へ戻れると分かり、14時のバスまで時間を持てあましてしまう。国道沿いにあった食堂で昼食を取って、関所跡へ寄り、駅へ。駅前角に老舗峠の釜飯おぎのや店舗があり(写真下)、創業の地で史料館もあり覗いた。予定のバスで碓氷峠を上がり軽井沢駅からしなの鉄道に乗車。予報通り軽井沢は寒く、先程”ホカロン”を貼った。右の車窓は浅間山で、本日天候良く大きな黒い裾曳く山容が見渡せる。この時期なのに冠雪はない。田中駅に着くと、実家の弟夫妻が車で待っていてくれた。いとこ会で、浅間山風景を話すと、当地は今月二度雪が降り、浅間は火山で直ぐ消えてしまうと教えて貰い、なるほどであった。(2018/12/10 K.K. 1224/1300)

□日時 2018/11/22 □天候 曇り □交通費 2,790円 □歩行数等 11,000歩 8km □資料 旅行読売「滝湖畔渓谷を歩く 麻苧の滝」2000年27頁
「通過時間等」自宅7:50-JR板橋駅8:19-同赤羽駅8:42-同高崎駅10:23-同横川駅11:05=碓氷川吊り橋11:20=麻苧の滝11:35/11:45=碓氷川吊り橋12:00=食堂12:10/12:25=横川駅バス停14:15-しなの鉄道軽井沢駅15:08-同田中駅15:45-宿泊先16:10

小平歩け歩け会に参加する

都下小平在の旧友から、歩け歩け会参加の誘いを受けた。昨年は雨で止めたと思う。前日の土曜日は渡良瀬渓谷へ出掛けたが、車と電車で歩いていないので疲れはなく、連チャンとした。小平駅から多摩湖畔約6㎞往復の平地ハイキングというから大丈夫だろう。旧友Oさんとは最近は歩いてはいない。久しぶりである。

小平グリーンロードを行く 朝9時前に小平駅前に着くと、O夫人に声を掛けられた。彼女も参加するという。3人で受付を済ませ、駅前をスタート。多摩湖へ続く直線的な水道道路で、現在は、散策やジョグ、サイクリング用小平グリーンロードとして整備され、お二人は既に数回参加し、また日常的にも犬との散歩にも歩いているという。隣に西武多摩湖線が並行し(写真上)、Oさんに、途中リタイアオーケーを貰った。
本日晴となり無風で、右手に続く住宅は各戸南向きで日射しを受け、羨ましい位。次第にハイカーも増え前後しながら、3人も順調に歩く。中央がサイクリングロードで時々後から自転車が追い越し注意が必要。O夫人、立ち話しをしている。犬の散歩仲間らしい。並木は桜のようで春は花見に良いようだ。
私は、Oさんと友人知人の消息などを交換しながら行く。彼とは、旧同僚で、年齢も一歳違いだが大学二部では同級生だった。一時は寮も同じ時もあった。あれから半世紀経ち、お互いに孫のいる年齢になってしまった。そんな訳で共通の友人も多い。

狭山公園を越しゴールへ 西武萩山駅から八坂駅を通過。近くに旧勤務先の研修所があり、若い頃は3週間の合宿研修もあった。左手に大きな公園が見え、東村山中央公園。晴天下家族連れが遊び、テニスを楽しんでいる。高架下を過ぎる。新青梅街道とOさん教えてくれた。空堀川を渡り、やや左折すると小山が見え出した。八国山かと思ったら狭山公園という。O夫人に聞いた通り、長い坂道になる。上がり切ると湖だが、多摩湖のどの辺か見当が付かない。2人の後に付いて対岸のゴールを目指す。ようやく多摩湖の東端らしいと気付いた。ゴールし様々な賞品を戴く。小物だが市民でない私は遠慮したくなる程。

 八坂駅でリタイア 土手下の公園ベンチで大休憩。O夫人より果物やお菓子を戴く。特にご婦人と一緒だと役得だが、最近はその機会は皆無に近い。腰を上げ、ススキの原を抜け(写真下)、狭山公園内樹林下から、また小平グリーンロードへ出て、歩き返す。12時近くなり、八坂駅でリタイアを提案し、許して貰う。夕方上野駅へ出る約束がある。電車を萩山駅で乗り換え小平駅に戻り、駅前で昼食。Oさんに麦酒付き昼食をご馳走になってしまった。Oさんご夫妻にお世話になった上、食事までご馳走になり、有り難うございました。御礼を申し上げます。(2018/12/06 K.K. 1223/1300)

□日時 2018/11/18 □天候 晴 □交通費 1,040円 □歩行数等 14,000歩 10km □資料「小平~多摩湖歩け歩け会コース図」
「通過時間等」自宅7:30-JR巣鴨駅8:10-西武高田馬場駅8:19-同小平駅前9:05=八坂駅前9:35=空堀川橋9:55=多摩湖畔ゴール10:30/11:00=西武八坂駅11:51-同小平駅(昼食)12:10/12:50-JR高田馬場駅13:20-三田線巣鴨13:36-自宅14:05

紅葉の中わたらせ渓谷鐵道を楽しむ

渡良瀬渓谷をハイキング先候補として久しい。群馬東北部の山中でアクセスが簡単ではなく、中々実行出来ないでいる。栃木鹿沼から歩いた帰途に渓谷鐵道に乗った。また最下流の高津戸峡も歩いたが、渓谷全体を眺め、見回したい。今夏、Sさんの車で予定したが、余りの暑さ予報に急遽回避したことがあった。Sさんと再度計画し、紅葉を楽しみたい。

トロッコ号で渓谷へ 車は速い。東北自動車道から北関東自動車道を走り、渓谷鐵道神戸駅に、予定より30分以上も前に着いた。未だ紅葉は残っている。トロッコ号予約席は売り切れだが、当日券で潜り込んだ。駅ホームは晩秋感が漂い(写真上)、寅さん映画冒頭シーンの旅先の田舎駅のよう。どうにか長椅子席に座れたが、車窓からの景色はどうだろうか。

紅葉に染まる渓谷 長いトンネルを抜け、渓谷沿いに走った。奥へ入るに従い紅葉は多くなり、赤色を増した。窓越しにシャッター切るが、動いている最中で自信はない。渓谷も狭まり、眼下になる。白い御影石、清流の水色、そして紅葉のコントラストが見事である(写真下)。暫し、渓谷美を堪能する。トロッコ号は旧足尾銅山地帯に入り、通洞駅付近からは周囲の建物に廃屋が目立つようになり、鉱石を洗浄した大きな古水槽も見えた。田中正造代議士を持ち出す迄もなく、古河経営の足尾銅山とその鉱害は良く知られたが、銅山は昭和48年に閉鎖されたという。終点間藤駅に着き降車し、下り列車を待つ。山奥の小さな駅かと思っていたら、周囲には建物も多く、ちょっとした町の駅。銅山で栄えたことが窺える。鐵道は坑道へと奥へ続いていたらしい。復路は、渓谷側に席を確保し、再度渓谷に映える紅葉美を楽しむ。通洞駅は、栃木鹿沼の古峰神社から関東ふれあいの道を歩いた時(99.7.20)、利用した筈だが、一切見覚えはない。
 神戸駅に降り、構内食堂で昼食。列車レストラン清流とあり、車内の席で蕎麦を食べる。Sさん、これは東武鉄道の特急けごん号と教えてくれた。彼は、以前鉄ちゃんをやっていたと話してくれたことがあった。

渡良瀬渓谷からイロハ坂へ Sさん、これから日光のイロハ坂を案内してくれると言い、また渓谷沿いに奥へと走った。直ぐ草木ダムで、富弘美術館前を過ぎる。同美術館は、バスツアーで家内と見学したことがあった。不慮の事故で手が不自由になった富弘さんが描く絵は凄いと感心する外はなかった。
車は群馬から栃木へ入り、通洞手前を右折し山中を走る。こちらも紅葉が残り美しい。私の予想とは違いイロハ坂の下に着き、坂を上がるが木々は葉を落とし、紅葉は終わっていた。残念。日光市内から宇都宮へ出て、先ほどの紅葉の渓谷を思い浮かべながら、東北自動車道で戻った。Sさん、またまた有り難うございました。感謝です。(2018/11/28 K.K. 1222/1300)

□日時 2018/11/17□天候 晴 □資料 わたらせ渓谷鐵道(株)「わたらせ渓谷鐵道観光ガイド」平成29年11月
「通過時間等」自宅・高島平7:50-わたらせ渓谷鐵道神戸駅10:30-間藤駅11:10/11:30-神戸駅レストラン12:20/12:35-イロハ坂上13:25-高島平・自宅16:05

教育の森公園から江戸川橋へ都心を歩く

先日都内教育の森公園で、山形の芋煮会が開かれているとラジオから流れた。広い公園だろうが名前も聞いたことはない。都内のめぼしい公園や庭園は大体訪ねていると思っている。ネットで調べたら、都心も文京区内にあると分かり、我が家からも近い。近くの散策コースも思い付き、外国帰りの後には、丁度良いコースと思う。

 教育の森公園、占春園 私の通勤線三田線千石駅に降り、不忍通りを南行する。主要道路だが初めての地で、 坂を下り猫又橋を通過。左手の筈と小路へ入ると窪町公園から筑波大付属小に突き当たり右折し、教育の森公園だった。やはり訪ねたことのない公園で、回って正門から入園すると左半分程は工事中。木々もある園内だが、芋煮会をやる程の広さかなと首を傾げた。
奥へ進むと樹木が多くなり、都心とは思えない林の中。池もあり(写真上)、案内板を読むと、水戸藩分家の守山藩江戸屋敷の庭園占春園跡という。秋色に染め始めた遊歩道を一回り。嘉納治五郎像を見る。彼は柔道家と思っていたが、東京高等師範校長も務めたとある。当園は現在筑波付属小の庭園らしい。また教育の森公園へ戻り、紅葉を探しながら園を出て、春日通りを渡り、丸の内線茗荷谷駅。地下鉄だがこの辺りは地上を走っている。

 縛られ地蔵、馬琴墓 ここからは、西武沿線小さな旅のガイドに従い、有楽町線江戸川橋駅へと歩く。先ずは林泉寺に縛られ地蔵を探す。寺の案内に釣られ反対側から墓地に入り迷ったが、道路から直ぐの入口に見付かり、本当に何重にも縄が掛けられていた(写真下)。頭を垂れ、カメラに収めさせて貰った。坂を下った左手が滝沢馬琴の墓がある深光寺。本堂前にあり手を合わせ、参道を下ると右手が拓殖大学。私が中大二部に通っている時、珍しく拓大生の友人がいて通学は楽だよと言っていたのを思い出した。最近、拓大は箱根駅伝シード校だが我が母校は予選会からである。

 蛙坂、甘酒婆地蔵 ガード手前を右へ回り込むと蛙坂の案内。江戸期頃、当地は茗荷谷に代表されるように窪地、湿地だったことからのネーミングのよう。坂を上がり切支丹屋敷跡前を通る。禁止した後幕府が来日した宣教師等を幽閉した屋敷跡という。そんな施設があったと初めて知る。
高台を直進し、最後のポイント、甘酒婆地蔵のある日輪寺へ向かうが、墓地を見て表へ回ると、称名寺。隣が本法寺で、その先が目指す日輪寺であった。本堂左手に、小さな像があり、近付くとお婆さんの座像。甘酒が供えてある。軽く挨拶し、地下鉄有楽町線江戸川橋駅へ向けた。
今回、千石駅から江戸川橋駅まで公園や寺を巡り歩いたが、都内なのに全て新規な地であった。唯一見覚えあったのは、茗荷谷駅だけ。筑波附属小手前に林野会館があった。北海道在娘の義理の叔父さんが長い間役員を務めていた団体がある所だと思う。結納の時我が家へ来てくれたのが最初で、その後数回グラスを交わしたが、数年前早世された。高島平駅前でのお付き合いが最後になった。そんなことを思い出した。(2018/11/25 K.K. 1221/1300)

□日時 2018/11/12□天候 曇り □交通費 140円 □歩行数等 12,000歩 9km □資料 昭文社「東京都市図」27頁、西武鉄道「西武沿線小さな旅 江戸川駅発」81頁
「通過時間等」自宅10:00-三田線千石駅10:30=猫又橋10:45=教育の森公園10:55=占春園11:05=茗荷谷駅11:15=縛られ地蔵11:30=馬琴墓11:40=蛙坂11:45=甘酒婆地蔵12:05=有楽町線江戸川駅12:20-大江戸線飯田橋駅12:30-三田線春日駅12:36-自宅13:05

マカオ世界遺産街を巡る

我が事務所の所内旅行が、今年は香港、マカオに決まり、日程等がブログに搭載された。私は参加のつもりだが、香港等では、高層ビル群と繁華街、そして外国人の雑踏が思い浮かび、今一乗り気になれない。ハイキング先や景勝地がないように思われる。出発日が近付き、マカオの世界遺産巡りがあると分かり、ようやくその気になった。

 旧ポルトガル領 マカオシェラトンホテル泊の2日目、1階ロビーに集合した。込みあい世界中の多様な人種が行き交う。中国人が多いのは当然か。当ホテルは4000室あり、ロビーの内側はカジノ場らしい。マカオは1999年中国へ返還されるまで、ポルトガル領。大航海時代ポルトガルが当地を支配し植民地にしなった。ヴァスコ・ダ・ガマの名を聞くのは、中学以来。香港のことは知っていたが、マカオも同じとは。渋谷区程度の面積に58万人が暮らし、人口密度世界一という。バスは、ホテル街から旧市街地へ向けた。

聖ポール天主堂跡 狭い石畳の道を走り、ガイドの案内で車窓から旧ポルトガル街の小路を覗く。公園で下車し、聖ポール天主堂跡を見学。既に多くの観光客が取り囲んでいる。教会表門だけが壁のように建ち遺る(写真上)が、1602年の建築で、当地は地震がない証拠という。壁の彫刻にキリストやマリア様に並んで、フランシスコ・ザビエルも刻まれていると説明があり、彼はこちらでも有名な宣教師と知った。カメラに収めながら尋ねると、ガイドが、教会本体は火事で焼け落ちたと答えてくれた。世界遺産登録は個々の建物ではなく、歴史市街地区としての登録という。徒歩で、旧ポルトガル街を行く。石造り2階建ての建物が両側に連なり、商店街であろうか。狭い石畳の通りを時々車も通る。歩きながら若い頃見たジュネーブ旧市街を思い出し、似ているかなと思った。聖ドミニコ教会は内部も見学。広くはないが普通の教会施設のようで、礼拝中ではない。日本で見ることはなく、私は、スペインのアリカンテ以来の見学だと思う。

 セナド広場 広場へ至り、回りに民政総署や仁慈善堂があり、マカオの中心で、最もポルトガル領らしい地という(写真下)。仁慈堂はアジアで最初の福祉施設と説明があった。八百半デパート前へ出て、バスに乗車。期待していたモンテの砦は省略されてしまった。残念。
マカオタワーに立ち寄った後、昼食。中華と洋食の混じったビュフェスタイル。青島麦酒は美味く飲めたが、ポルトガル麦酒は私には合わない。
午後も、ホテル探索コースがあったが、キャンセルして貰った。前日、香港へ着き夕方、最近完成したばかりという橋でマカオへ向かったが、バスの連絡が悪く、ホテル到着は真夜中12時を過ぎていた。その所為だと思うが、疲れて身体が重く、午後は休息に当てた。
今回香港では、映画”慕情”の舞台ヴィクトリアピークを訪ねたいと思い、ネット検索した。有名な丘でヒットしたが、現実には存在しない丘で映画では合成したらしいとの情報もあった。ガイドへ確かめたら、ありますよとの返事。でも、明日はマカオから帰途に就く。もうこちらへ来ることはないだろう。(2018/11/21 K.K. 1220/1300)

□日時 2018/11/3 □天候 曇り □資料 マカオ観光局「マカオ世界遺産」2014年
「通過時間」ホテル9:15-聖ポール天主堂跡9:50-聖ドミニコ教会10:25-セナド広場10:45-八百半前11:05-マカオタワー11:20-レストランチャオ11:40/12:45-ホテル13:00

歴史の街佐原を歩く

本棚から旅の本を引っ張り出し眺めていたら、歴史の街として、千葉の佐原が挙げられている(旅行読売「ひとり旅」26頁)。我が家から近くはないが遠いと言う程でもない。私愛用の”駅からハイキング誌”にも、小江戸佐原があったことを思い出した。直ぐ連想しない処が、年齢を感じざるを得ない。今回は、千葉の番とし、佐原へ出掛けた。

 忠敬像は? 日暮里駅で京成特急に乗り換え、成田駅でJR成田線へ乗り継いだ。佐原駅に着き、手許のマップに従い、諏訪神社手前の伊能忠敬像へ向かう。佐原と言えば忠敬で、先ずはご挨拶。駅から真っ直ぐに進み鳥居を潜り、そろそろ像かなと広場へ出ると、像はシートで囲われ修理中、残念。
隣の諏訪神社へと坂道を上がり、境内へ。石段を昇って本殿へ参拝。大分歴史のある古社のようだ。また石段を下り長い参道を出て、佐原の街へ入る。マップでは寺や山車庫がある通りだが、寺はあるが山車庫は見当たらない。法界寺の門前に庫はあった。夏と秋の佐原の大祭は有名で、豪壮な山車が繰り出されるとある。

 歴史の街の象徴商店街 街中心へと左折すると、酒造会社が二軒。その一つが東薫酒造。エッここが東薫さんとビックリ。古い商標事件があり(東京高裁S28.10.20判決)、商標「東薫」の読み方が「トウクン」か、「アヅマカオル」かで争われ、私が修業時代の研修題材であった。店舗をカメラに収め、中心街へ。古い木造2階建ての商家が両側に連なり営業中で(写真上)、また驚く。江戸時代へ戻ったような商店街。実は、約20年前、飯岡開催のかぼちゃ会参加途中、家内と訪ねた(96.4.6)が、記憶から消え去っていた。資料では、江戸期ではなく明治期の建築とある。直ぐ、小野川に架かる忠敬橋。ここで、少し記憶が蘇った。川の両側にも、古い商家が並び、右岸の大きな建物が旧忠敬邸である。川には舟が係留され(写真中)、水郷であったことも窺われる。カメラを構えながら、岸を往復し、忠敬邸見学。二度目だがうっすらと思い出す程度。忠敬は、現在では測量や地図で知られているが、それは隠居後のことで、その前は、当地で醸造業や舟運業を営んでいた旧家の10代目当主であったという。裏には小さな像が建ち(写真下)、シャッターを切った。邸前で、水を噴出している樋橋に出会った。

 三菱館から再び小野川沿い 忠敬橋へ戻り右折し、中心街を進むと、三菱館という大正3年築レンガ造りの元銀行。佐原の商都としての発展を示している。遠足の小学生一行に付いて、八坂神社から山車会館。会館は省略し、また中橋から開運橋へ柳並木の小野川沿いを下る。そして、佐原駅であった。途中、家内とうなぎ屋へ入った筈と、見渡したが見付からなかった。帰途の車内から、佐原出身のかぼちゃ会メンバーに、佐原訪問をメールしたら、歴史の街は一画のみと返信があった。(2018/11/11 K.K. 1219/1300)

□日時 2018/10/25□天候 晴 □交通費 2,520円 □歩行数等 12,000歩 9km □資料 山と渓谷社「駅からハイキング 小江戸・佐原の歴史散策」2003年114頁
「通過時間等」自宅8:35-JR巣鴨駅9:00-京成日暮里駅9:18-JR成田駅10:41-同佐原駅11:15=諏訪神社11:30=忠敬橋11:50=旧伊能邸12:05=八坂神社12:15-JR佐原駅12:54-京成成田駅13:39-都営新宿線本八幡駅14:32-同三田線神保町駅15:05-自宅15:40

ハゲイトウが満開であった武蔵丘陵森林公園

多分ラジオからであったと思うが、武蔵丘陵森林公園でハゲイトウが見頃と知った。家庭の庭に咲くハゲイトウは見たことはあるが、どんな花畑か興味が湧いた。森林公園は東武東上線森林公園駅からで、我が家から近くこれまでも訪ね、山百合(10.7.31)や桔梗の花(13.7.8)を観賞した。本日月曜日で、開園か気になり、ネットで調べるとオーケーである。

 駅から歩いて森林公園へ 朝、近くのバス停からバスで成増駅へ出て、東上線に乗車。川越駅からは30分程度で、森林公園駅に着いた。森林公園行きバスは平日はなく、徒歩。多分園内だけでは歩き足りないから、約2kmの歩きは丁度良い。駅前正面から北に延びる遊歩道は1,2度歩いたことがある。私の外、夫婦連れが前を行く。
郊外へ出て左右には田畑も見え始め、田圃では稲刈り作業もしている。森林公園南口に着き、ハゲイトウ畑への案内に従い園内奥へと進む。左手に山田城跡を見ながら、小さな丘を越す。数年前の夏、花友と山百合を探した時も通ったルートのようだ。坂を下りながら、ハゲイトウの花は、桔梗の花と同じ畑だなと思い始め、その通りで、運動広場を横切ると真っ赤な花園が前方に広がった。

 ハゲイトウは満開 花畑は丘陵にある小さな狭間内で、入口の壇に上がり、花畑全体を眺め回す。赤と黄色のハゲイトウが交互に列をなし咲き揃っている(写真上)。畑の外をゆっくりと、カメラを構えながら周遊する。近付くと、赤も紫かがった花と、薄くピンクぽい赤の花もある。満開をやや過ぎた頃のようで、一番美しい時期のよう。入口付近の花達は斜めになっていたが、奥では真っ直ぐな花を保っている。先日の台風の影響と気付いた。最奥で、上方から見下ろしたアングルと座って目線を低くしシャッターを切ってみた。隣の畑の赤蕎麦の花も、満開(写真下)。しかし、隣のハゲイトウの花とは色の外、占める広さにも大差があり、ひっそりと咲いている風である。少し後ろ髪を引かれたが花畑を後にした。

 森林公園の思い出 林の中に進入し吊り橋を渡り、山道を抜けて、南口へ続く舗道へ出た。途中、レストラン屋上から、花友と奥武蔵の山々を眺めたことを思い出し、レストラン棟に寄ったが、現在曇り空で展望は期待できないと諦め、舗道を下り続ける。左下は池と言うよりは、谷川のようで、山奥を歩いている感じ。娘が小さい頃、家族で当園へ来て、わんぱく広場で遊んだことがあった。その時娘が水でびしょ濡れになったと思う。南口を出て、往きの際チェックしておいた園外のバス停からバスに乗り、森林公園駅へ戻って、帰途に就く。車内で、娘に、”森林公園を訪ねたよ”とメールしたら、”行ったことある”と返信があった。花友へはハゲイトウの花の写真を送付した。(2018/11/07 K.K. 1218/1300)

□日時 2018/10/15□天候 晴 □交通費 1,230円 □歩行数等 15,000歩 11km □資料 国営武蔵丘陵森林公園「園内案内図」
「通過時間等」自宅9:05-東武成増駅9:46-同森林公園駅10:45=森林公園南口11:25=ハゲイトウ畑11:50/12:05=展望レストラン棟12:15=森林公園南口12:42-東武森林公園12:53-同成増駅13:55-自宅14:15