秩父に小鹿野ダリア園を鑑賞し両神神社へ

 ネットで、秩父小鹿野のダリア園が見頃と知った。小鹿野は秩父鉄道から離れ、アクセスが良くない地で、西武秩父駅からバスとある。折しも、Sさんから紅葉狩りの話があり、提案したら乗ってくれ、小鹿野行きとなった。天候と花の咲き具合が心配だが、互いの空いている日となった。ダリアの花期は短くはないだろう。

 秩父小鹿野へ 晴天の下、6時30分我が家近くで待ち合わせ、大宮バイパスから浦所道路を走って、関越道へ入った。長瀞迄は、1500回の宝登山行きと同じコース。高速からは順調に進み、秩父市手前で山側へ右折し小鹿野となった。役場付近からダリア園の案内があり、秩父も奥地となり、山裾のダリア園に着いた時は、9時過ぎであった。

 広いダリア園を巡る 小鹿野ダリア園は山峡の農地に、農家の方々が栽培している園で(写真上)、350種、5000株、関東地方最大級との宣伝フレーズ。早速入園料を支払い、鑑賞開始。
 意外と広い園内を私は、左側の列から巡り始める。多種多彩な花々が満開で、花の色も赤、橙、黄色と様々な花々が咲き揃っている(写真中、下)。黒っぽいのもある。長くはない列にも、数種類のダリアが連なり、私は、背が高く好きな色の花へカメラを向け、列の間を歩いた。ダリアは花の色が鮮明で、しかも花の形状も多彩であり、見応えがある。
 子供の頃父が庭で咲かせていて少し馴染みがあったが、久しぶりのダリアは、山奥の斜地一面に列をなし咲いていた。人出が増えた中、列から上下へ移動して、花を楽しんだ。最後に道を渡り、諏訪神社前から山裾の園を往復した。ダリアの花束を求めて園を出た。

 両神神社参拝 Sさん、両神神社へという。狭い山道を上がり続け、少し歩いた最奥の地大谷口の両神山登山口にあった社は、見捨てられたような古い木造で、参拝にも踏み抜くではと心配になる始末。一応手を合わせ戻った。私は、少し先にある両神神社を思い出し、下った先を旧両神村側へ右折するようSさんを案内。
 私の山勘が当たり、少し走った先に道の駅や薬師の湯があり、その手前に両神神社はあった。参拝し直した。私は、四阿屋山(アズマサン771m)に登った時、ここでバスを降り往復したことがあり、それで少し記憶が働いた。帰宅後調べると13年前であった(2010.11.20)。さらに、百名山両神山へ(1995.4.29)も、小鹿野役場前から両神神社のある大谷口登山口を通っていた。
 道の駅で昼食後、往路を戻り、15時前に帰宅した。Sさんありがとうございました。お世話様でした。(2023/11/3 K.K.1530)

◇日時 2023/10/05 ◇天候 晴 ◇資料 小鹿野町観光協会「小鹿野ダリア園」 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 
「通過時間等」 自宅6:40-小鹿野ダリア園9:10/10:10-大谷口両神神社10:40-両神神社11:45-道の駅昼食12:00/12:45-自宅14:45

私が登った百の名山&低山=東北編=「天候に翻弄された宮城の名峰栗駒山」

 晴れ後雨、そして風 東北新幹線をくりこま高原駅に降りると晴れていた。よし、本日は登山日和と微笑んだ。数日前の予報は良くなかったからだ。今回は仙台在の同級生Aさんと栗駒山を目指す。この山は東京でもマニアには知られた山で、以前から目を付けていた。車は宮城県の穀倉地帯を走る。山が近付くに従い雲行くが怪しくなってきた。ついには暗雲が立ちこめて雨が落ちてきた。しょうがないなーとあきらめざるをえない。山間を走りやや長いトンネルを抜けると雨は降っていない。登山口いわかがみ平に到着。風は強いが雨は止んでいる。

 東栗駒コースは悪路 雨具はザック内のまま出発。最初から沢登り。水はないが溝の中を、泥を避け、岩を越して進む。車中で想定したコースではなく、Aさんが変化を持たせるため、わざわざ選んでくれた。彼は地元のメンバーと数回登山済み。それにしても歩き難い。段差が激しい大岩は一気には上がれない。足場を探し、草木を捕まえては前進を続ける。紫のリンドウが咲いているが携帯を向ける余裕がない。Aさんとは離れてしまった。“東高ファイト、ファイト”と高校時代の掛け声で前方から励ましてくれた。

 滑め沢、淵に出会う どうにか沢を上り切ったら大きな川(新湯沢)に出た。既に高度1,500mはあろう地に幅5m程の谷川が出現し、激しく流れている。一度は岩上から跳んで渡渉し、滑め沢や淵を覗きながら行く。こんな山歩きは珍しい。
 再度山側に突入。歩き易い灌木地帯から草原の道。両側にはリンドウが咲き誇っている。右下に先程のいわかがみ平の駐車場を確認して、東栗駒山(1,434m)を越した。相変わらず風は強い。帽子が飛ばされないようにポケットに仕舞った。大岩の傍で外人と二人連れペアに会う。入山して初めて、こちらは裏コースらしい。

 雨具を着ける 雨が強くなってレインコートを着る。栗駒山は近いと思っていたが未だ先とAさんはいう。高原状の尾根道から階段になり傾斜がきつくなる。ナナカマドが色付き当山は秋の気配が漂っている。二人は前後になりながら上がり続ける。左手からの中央コースの道と合わせた。Aさんが言うには、地元では深田百名山に漏れたのを嘆いているという。整備された階段のある山では資格がないと冷やかした。13時ジャストに登頂(1.627m)。既に山頂広場には数名が休んでいた。その後も次々に上がってくる。それも老若男女と様々。流石人気の山である。登頂コースも宮城県側、岩手県側と5,6以上あるようだ。

 広大な栗駒山域 山頂神社に参拝し、記念写真を撮って昼食。小雨、風で展望はない。鳥海山が望めると期待はしていたのだが。中央コースを下山。雲が散った合間に山腹から裾野一帯を一望する。ブナ林に覆われた栗駒山麓は広大であった。可愛い名とは違い深く、広い山域を有している。百名山を目指したのも納得できた。急な直線コースを下る。途中小ピークから東栗駒山を捉えた。しかし、携帯を向けている間に雲間に隠れてしまった。

 下山後晴れる いわかがみ平に下山し、駒の湯で入浴。元湯治場で、汗を流して、仙台へと向けた。車窓から太陽が顔を出したのが見えた。残念、本日の天気はどうなっているのだろう。山の天気は移り気だということか。仙台駅まで送って貰い、帰京。また今夏も登山のガイド、送迎とAさんには大変お世話になってしまった。有り難うございました。翌日岩手、秋田は大雨と報じられた。(2007/9/16 9/100)

追記 仙台在の同級生の案内で栗駒山に登った。奥羽山脈宮城の主峰である。上りのコースは変化に富んだきついコースであったが、下りは踏まれた一般登山コースでゆっくり下山した印象であった。「栗駒山というのはやさしい名前の山だと思う。・・・5月中下旬の頃、山頂西側に飛翔する天馬(駒)の雪形が浮かび上がるのが、山名の由来という」とある(岩崎元郎「ぼくの新日本百名山」朝日文庫252頁)。
駒の湯は、2008年の地震で被害を受けたが、ネット情報ではその後復興したとある。

都内渋谷から表参道へ歩く

 ここ数年渋谷行きを避けていた。某放送局のコロナ報道でいつも渋谷駅前の混み合うスクランブル交差点が大写しされ、それで敬遠していた。渋谷散策コース案内のスクラップは大分前のもので、ファイルの一番下にあった。ようやく落ち着いて、そろそろ良いだろうと出掛けることにした。友人達との生け花展鑑賞で待ち合わせがあり、その前に歩きたい。

 渋谷はハチ公像から 神保町駅から地下鉄半蔵門線に乗り、渋谷を目指した。渋谷は近く、地下駅からJR渋谷駅へ上がる。人出があり外国人が多い中、ハチ公像へ。今年生誕100年で山手線電車に記念プレートを付けるイベントが放映された。
 大勢の見物客に囲まれた中心にハチ公は座っていた(写真上)。何年振りだろうか。記憶よりは小さな像。順番を待ちカメラに収めた。6月に故郷大館駅へ行ったが会えなかった。
 山手線高架下から東口へ歩き、左折してびっくり。のんべい横丁で、昭和も30年前後の飲み屋街。闇市の名残と思うが、今では小ぎれいな店が連なっている。その先が宮下公園だが、ビルの屋上。案内にあったハチ公のオブジェは見当たらなかった。

 東口をウロウロ 戻って宮益坂を上がる。途中左手に御嶽神社があった。参道から石段を上がって参拝し、芭蕉句碑へ。“眼にかゝる時や殊更さ月不二”の最後の旅の句と知る。 次は、クロスセンターにある尾崎豊の歌碑だが、青山通りと分かり、歩道橋から入ったビルのテラスに見付かった。若者に人気のあった歌手と思うが、私は名前を知る程度。
 金王神社へ歩く。二度目だが、六本木通り交差点へ回り道して、坂を下った先が同神社。見覚えなさそうな本殿に挨拶すると、右手に大きめの句碑が建っていた。“しばらくは花の上なる月夜哉”で、芭蕉45歳の時吉野で詠んだという。

 表参道から生け花展へ 再度六本木通りの交差点を渡り、表参道方向にある青学キャンパスへ。通りに裏門があり、入構。ペギー葉山の学生時代の歌碑を眺めたい。記念館前との情報だが、複数記念館があり探し損ねて表門を出て、銀座線表参道駅へ急いだ。
 日本橋高島屋で開かれた日本いけばな芸術展は、全国152流派の676名の作品展示とある。鑑賞客の列に従い眺めながら旧友の作品前へ。本展に相応しく、いつもの生け花というよりも芸術的な作品に見えた(写真下)。隣のレストランで飲食したが友人の一人に御馳走になってしまった。そのうちお返しします。(2023/10/26 K.K.1529)

◇日時 2023/10/02 ◇天候 晴 ◇資料 「我が町再発見 渋谷編」讀賣夕刊、 ◇交通費 610円 ◇歩行距離等 13,000歩 10㎞
通過時間等」 自宅12:35-半蔵門線神保町駅13:18-渋谷駅ハチ公像13:35=宮下公園13:45=御嶽神社14:00=尾崎豊歌碑14:15=金王神社14:35=青学キャンパス14:50=銀座線表参道駅15:10-日本橋高島屋15:30/17:20-東西線日本橋駅17:30-三田線大手町駅17:45-自宅18:20

立川猫返し神社を訪ね、西武多摩川線赤電に乗る

 購読紙に“立川猫返し神社”の記事(23.7.3讀賣)を見付け、興味を惹いた。調べると都下立川も郊外の西方で、西武拝島線武蔵砂川駅付近にあるらしい。少し前に西武多摩川線赤電の記事(23.5.22讀賣夕刊)を切り抜いていた。武蔵砂川駅と西武多摩川線は、近くはないが、中央線から青梅線を利用すれば回れるだろう。

 阿豆佐味天神社、猫返し神社 西武拝島線を武蔵砂川駅に降りる。昭和記念公園を訪ねた際、二度ほど乗降したことがある。猫返し神社のある阿豆佐味天神社は五日市街道沿いで、郵便局傍と見当を付けていた。玉川上水を渡り街道へ出て北上し、十字路を過ぎるが郵便局も神社もない。先へと歩き続けると左手に境内らしき風景が見えて、阿豆佐味天神社であった。以外に大きな古社で、1629(寛永6)年創建とある。

 参道から本殿に挨拶し猫返し神社へ。隣にある小社蚕影神社がそうらしい。養蚕にネズミは大敵で農家は猫を飼い食害を防止したというが、同神社はその名残を伝えている。猫返し神社と呼ばれたのは最近で、近くに住む有名ピアニストが祈願したら、行方不明の猫が翌日戻ったのが切掛けで、これが広まり、今では全国から郵送祈願があるという。
 私には返して貰う猫はいないが、元飼い猫ぽんずやタマを思い出しながら、手を合わせ、境内の猫の像や絵馬をカメラに収めた(写真上、中)。郵便局前から玉川上水へ歩き、宮の橋で川沿いの遊歩道を玉川上水駅へ歩いた。

 西武多摩川線 猫返し神社の前に、JR中央線武蔵境駅から西武多摩川線を往復した。1960年代の西武の赤電が走っているという。私は、そちらより1500号を迎えて過去の記録を整理し始め、武蔵野ハイクを纏めようとした。そうしたら武蔵境の野川付近が嘗ての武蔵野の風情をそのまま残していると気付き、それを確かめ、カメラに収めたい。新小金井駅、多摩駅間である。できれば再度歩いて武蔵野を楽しみたい。
 西武武蔵境駅で赤電へ向けシャッターを切り、乗車(写真下)。往きの車窓から野川から多磨霊園手前の風景を眺めたが家や建物が多く、林は途切れている感じ。帰りにデジカメを向け、直ぐ再生してみたがやはり期待した程ではなかった。JR武蔵境駅から立川駅経由で、西武拝島駅へ向けた。(2023/10/17 K.K.1528)

◇日時 2023/09/25 ◇天候 晴 ◇資料 「お参り後迷い猫戻る」23.7.3讀賣、「西武多摩川線」23.5.22讀賣 ◇交通費 1,100円 ◇歩行距離等 12,000歩 8Km 
「通過時間等」 自宅8:40-大江戸線春日駅9:26-JR東中野駅9:56-西武武蔵境駅10:30-同競艇場前駅10:50-JR武蔵境駅11:07-西武拝島駅12:00-武蔵砂川駅12:10=猫返し神社12:30=玉川上水宮の橋12:45=西武玉川上水駅13:08-大江戸線中井駅14:02-三田線春日駅14:30-自宅15:05

私が登った百の名山&低山=東北編=「八幡平から鳥海山を遠望して感激する」

 盛岡駅を発したバスは12時20分に八幡平バス停に着いた。本日は、岩手、秋田県境にある八幡平を目指して、6時30分家を出て東北新幹線で北上した。約6時間であった。八幡平は深田百名山にも選ばれているが、山頂下までバスが入り、簡単に登頂できる山との情報を得ていた。10年程前に、同期の旅行の際、登る計画があったが急用が出来て私は不参加となったとき、地図等を入手していた。

 直ぐ八幡平頂上へ 天候の良い中、頂上へ向かう。回りを歩く者は普通の服装の観光客で、登山者ではない。緩やかな上りの道をゆっくりと進む。登山道が舗装されている。見晴らしが良く、先程来岩手山が真後ろに見える。見返峠へと上がり、直進すると青森トドマツ林となり、右手に沼が見えて、八幡沼。また左手にはガマ沼が現れた。紅葉シーズンの土曜日のためか人出は多い。間もなく八幡平頂上(1,613m)に到着。頂上を示す標柱がなければ、トドマツに囲まれた只の平地。木製の展望台に上がると、前には岩手山が望まれ、後方には林が一面に続いていた。

 鳥海山を遠望する 八幡沼分岐まで戻り、沼の左辺を行く。湿原はもう枯野。木道は工事中で、交差に苦労する。次のポイントは源太森だが、少し距離がある。どんな地か不明で、下るハイカーに尋ねると、“鳥海山が見えた”と興奮気味に応じてくれた。松林の中の小さなピークが源太森(1,595m)。先行者が展望を楽しんでいる。西方へ目を向けると雲の間から僅かに頭を出した高山が見える。我が故郷の名峰鳥海山と確信。雨天下の宮城栗駒山では適わなかったが(07.9.17)、予想外の遠望、再会に感激である。南方には岩手山の大山の左に霞む高峰は早池峰山。振り返って、北に八甲田山や岩木山も探したが、確認出来なかった。

 八幡沼分岐源太分かれへと歩き返す。沼の右辺は湿原地帯で、池塘が点在している。今は枯れているが高山植物が咲き揃う夏場は楽しいコースに違いない。峠でトドマツの倒木や千切れた枝に出会う。永年風雪に耐えた証しで、北海道美深松山湿原でも見た風景である。
 八幡沼を一周し見返峠へとUターンしたが、時間があり、鏡沼方面へも廻るため再度頂上へと出て、左折して下る。山頂付近には小さな池や沼が多い。火口湖という。デジカメに収めながら、観光客に混じってバス停へと下りた。
 ガイドさんに、“鳥海山が見えたよ”と報告すると、“ここからもよ”と指さした先に、雲の上に突き出た頂を再度確かめて、バスに乗り込み帰途に就いた。(2010/10/23 8/100)

追記 八幡平は山岳ではなく、その名のような湿原のある高原であった。深田100名山であるが、岩崎元朗新日本百名山には選ばれていない。タテヤマリンドウ等で、田中澄江著「新はなの百名山」(文春文庫68頁)ではある。奥羽山脈に属する。

 私は、東北新幹線と盛岡からバス利用で、日帰りの山歩きであった。私の記録を読んだ友人たちから、日帰りは勿体ないと言われた。単独行で、そんな思いには至らなかった。最近、花輪線を乗り鉄したら、八幡平という駅があった。

キバナコスモスの中しながわ花街道を歩く

 今秋二度目のキバナコスモスである。品川区のしながわ花街道に咲いたとの新聞情報を得て(23.9.13讀賣)、出掛けた。キバナコスモスには弱く、自然と足を向けてしまう。最初に出会った深川木場公園の花々が目に焼き付いてしまったのだろう。品川はアクセスも良く、都営三田線を三田駅で京急線乗り換えれば、約1時間である。三度目の花街道となる。

 花街道を巡る 京急線立会川駅が最寄り駅であり、駅から10分でしながわ花街道。キバナコスモスは、勝島運河西岸の土手に咲いていた(写真上、中)。
 満開である。早速デジカメを出し、花を眺めながら土手を上下し、巡り歩く。濃い目の黄花はほぼ切れ目なく土手に咲き続いている。近隣の商店や住民に企業も加わり、植栽、管理しているという。花畑が西岸に2kmも続く中、アングルを探しながら歩を進める。運河には数隻の船が係留されていて、釣り船のようだ。

 西岸から東岸へ 本日も晴天で暑く、鑑賞客は少ない。9月半ばなのに未だ猛暑の続きのよう。約2kmの花街道も歩き終え休憩し、次の行く先を思案。東京モノレール線大井競馬場駅へ歩いて帰途に就こうとは考えていた。その前に対岸の運河東岸を歩くことにする。花はないようだが、木々が繁り涼しそうな遊歩道に見えた。
 花街道を離れ、短い北岸を歩き、橋を渡る。鮫洲橋とある。鮫洲といえば運転免許証の試験場がある地だが、無縁となってしまった。木々の下東岸を歩く。やはり遊歩道は続くが花はない。時々散歩やジョガーの人と擦れ違う。先ほど巡った西岸の花街道を眺めるが運河越しでは今一である。東岸も出口に近付くと、左手の大通りにバス停があり、客の乗降が見えた。暑い中、近くはない大井競馬場駅へよりはバスにしようと、東岸を出てバス停へ歩いた。

 龍馬像、浜川砲台 往路の花街道への途中、立谷川駅近くの小公園に坂本龍馬像が建っていた。前回は確かマスクを掛けさせられていた(21.10.16)が、本日はなかった。土佐藩のお抱え屋敷が当地にあり、龍馬も出入りしていたという。花街道手前には、浜川砲台も遺り、ペリー来航後土佐藩が屋敷内に設けた砲台で、江戸湾へ向けた当時の大砲が復元してあった(写真下)。
 バスは渋滞に巻き込まれて、約1時間も要して、三田線白金台駅前に着いた。(2023/10/11 K.K.1527)

◇日時 2023/09/14 ◇天候 晴 ◇資料 「コスモス香る散歩道」23.9.13讀賣 ◇交通費 160円 ◇歩行距離等 6,000歩 4Km 
「通過時間等」自宅8:20-京急線三田駅9:18-同立谷川駅9:35=しながわ花街道9:45=鮫洲橋10:05=勝島バス停10:24-三田線白金台駅11:20-自宅12:10

私が登った百の名山&低山=東北編=「憧れの白神山地ブナ林西目屋髙倉森を歩く」

 白神山地ブナ原生林を行く 私の白神山地ハイキングは津軽峠(650m)から始まった。マザーツリーと呼ばれる樹齢400年山毛欅の大木は峠近くにあり、同じバスで山へ入った全員、ブナの古木を見上げカメラに収めた(写真上)。途中で分かれた高倉森コースへ進んだのは私一人で、踏まれた緩やかな上りの道である。
 直ぐブナ林の中となり、次々と目の前に表れる大木や林立する木々をシャッターを切りながら、進む。最初はこの程度は故郷の御所山でも見た林程度と思っていたが、行けども、行けども途切れることなくブナ林が続く。それも古木や大木、小木が混在し不揃いや林にも粗密がある処が自然で、原生林の故だろう(写真中)。歩きながら大木に触れるとブナの樹表面はやさしく柔らかだが、古大木の樹皮はひび割れ状態でそれだけ風雪に耐えた証明であろう。

 津軽富士を遠望 山道は平坦で歩き易いが、時々は崖端もあり、左側が落ちている。深い森の中、鳥の囀りの外は誰も見当たらず標柱だけが頼りだ。林が切れて振り返ると岩木山が見え、津軽冨士に相応しい山容である(写真下)。先程谷底に残る雪を見たが、今度は目の前に残雪が現れ恐る恐る乗ったが未だ固く無事通過出来た。
 平らなコルに着いて、丁度12時を過ぎ休んで昼食とする。座った先の樹林の間に高峰が覗ける。秋田側で、白神山であろうか。

 一転して難路 高倉森(829m)は直ぐ先。再度津軽冨士を振り仰ぐとコースは一転した。山路は狭まり、しかも急降下で、最近歩いた形跡もない。下りに備えストックを出したが、張られたロープと併用し、一歩一歩慎重に下り続け、両側が切れ落ちたヤセオネも通り抜ける。坂道を脱した地点で路が薄くなり、目を凝らし踏み跡を追ったが一度は沢へと迷い込むも気付いて、コースを回復。

 ようやく下山へ 標識で下山口まで2kmを切ったと知ったが、未だ山中は深い。またブナの大木に出会い見上げながらデジカメを向けた。駐車場への案内がありようやく出口が近いことを知る。ここからも簡単ではなかった。ブナ林の下の小径は更に狭くなり、これに急な下りの坂が重なる。ストックを使いながら疲れた脚を進めると、車のエンジン音も聞こえ初めた。左右に振られた坂道を下りると暗門大橋の袂であった。
 資料ではコースタイム210分とあり、それ以上を見込んでいたが180分、3時間で歩き通した。健脚向きコースとある。前半の津軽峠・高倉森往復が一般コースで、それで前半と後半の道に踏まれた程度に大きな差があることに納得した。
 今朝弘前で、暗門の滝へのコースは閉鎖中と知り、当地宿泊キャンセルも考えたが、翌日も白神山地ハイクを楽しむことにし、橋から近い今夜の宿泊先アクアグリーンビレッジAMONへ向かった。(2012/06/16 7/100)

追記 ブナ林は壮大であった。さすが世界自然遺産である。しかし、マザーツリーは、2018年の台風21号により、地上から9mのところで折れてしまったようだ。翌日は白神山地暗門ブナ林コースを歩いた。眺めた岩木山や八甲田山は登っていない。青森は遠く、五能線十二湖や竜飛崎に代えてしまった。でも、奥入瀬渓谷は歩いた。

宇都宮ライトレールを往復し初乗りする

 8月26日、宇都宮市にLigh trail transitが開業したと知った。路面電車の一種で、専用路線が主であるようだ。新たな路線の開業はうれしいニュースである。JR関係では、廃線や棄線が続き、その噂も飛び交う路線もある。乗り鉄ファンにとっては残念で、宇都宮の新路線は歓迎であり、少し時間が経ち落ち着いた頃乗ってみようと考えていた。

 宇都宮駅東口路面電車ホームへ まだ混んでいるかなと思いながらも、宇都宮へ出掛けた。しかし近くはなく、赤羽から宇都宮線(東北本線)で、浦和、大宮、小山各駅を経て、約1時間30分強であった。それでも一昔前は2時間以上を要したと思う。
 宇都宮駅東口に向かい路面電車ホームへ階段を降りると小さなホームは乗客で溢れていた(写真上、中)。

 宇都宮ライトレール 宇都宮市Ligh trail transitは、宇都宮市とその東側の芳賀町工業団地とを結ぶ14.6kmの路線で、19の停留所があり、駅とは呼んでいない。6分乃至10分間隔の運転で、所要時間44分とある。宇都宮市と出資した企業が運営者で、現に宇都宮市西側にも路線延長の計画が進んでいると知り、流石宇都宮は北関東一の人口50万の大都市である。

 新路線に乗り往復 小さな三両の黄色の車両は、満員の客を乗せ、宇都宮駅東口停留所をスタート。既に遅れてのダイヤと放送があった。鬼怒通りという大通りの商店街を、信号待ちをしながら走る。停留所の間隔は短く、また停まるのといった感じ。乗る客も多く家族連れで、未だ珍しい路線なのだ。
 宇都宮大キャンパス停留所を過ぎた先から道路を出て、専用路線となる。振動や走行音はなくスムーズに走った。鬼怒川鉄橋を渡り(写真下)郊外へと出た。飛山城跡停留所があり、飛山城跡は訪ねたことがあって(08.11.3)、城跡は車窓から確かめたが上流右側の森の中であったろうか。
 少し走って学校や公園、グランドが見えると、工業団地らしくなった。NECの工場があった。終点芳賀・高根沢工業団地停留所に着いた。50分以上経ち、現金払いの客に運転手が対応しているため、発車時間が遅れているように見えた。またほぼ同じ乗客を乗せ、折り返した。50分程を要して宇都宮駅東口に着いた。やはりホームは多くの乗車が待ち、混んでいた。

 餃子の街宇都宮 JR宇都宮駅で、ご当地餃子と飲み物を求め、宇都宮線に乗車。遅い昼食で、ミニ呑み鉄とした。小山駅付近で、車窓から筑波山を探したが見えなかった。後日、故郷の読者から宇都宮餃子は名産だねと連絡があった。(2023/10/4 K.K.1526)

◇日時 2023/09/10 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符+800円 ◇資料 宇都宮ライトレール(株)「LRT STARTBOOK/Lite」 ◇歩行距離等 5,000歩 4㎞
通過時間等」 自宅8:50-JR板橋駅9:29-同赤羽駅9:41-宇都宮駅東口停留所11:22-芳賀・高根沢工業団地停留所12:15/12:20-宇都宮駅東口停留所13:15=JR宇都宮駅13:46-同浮間舟渡駅15:45-自宅16:10

会津若松からJR只見線を乗り切る

 会津若松駅6時8分発小出行き列車に乗車(写真上)。駅前宿泊先から30分前に停車中の列車に乗り込むと既に満席に近い状態。私と同じような高年者が殆どで、通勤や通学の地元の方は見当たらない。只見線は、豪雨で寸断されていたが、昨秋11年ぶりに復旧し、人気路線なのであろう。新潟の小出行きが朝、昼、夕方の三本しかないのが混雑に拍車を掛けている。列車は満席に立ち客を加えて、定刻通りに発車した。

 会津坂下駅から秘境線 本日は、只見線の乗り切りとした。3度目の乗車だが、最初は小出駅から只見駅、そして会津川口駅から同若松駅で(18.8.18)、2度目は只見駅から会津川口駅(22.10.12)であった。今回は上り列車で完全乗車である。
 若松市郊外へ出て、水田地帯。黄色に染まった稲穂群が見える。振り返ったが磐梯山は見えない。雲の裏のようだ。会津坂下駅を過ぎ、列車は坂を上がり始め、山中となった。山間の小さな無人駅に停車を繰り返しながら、奥へ奥へと進んだ。奥会津も秘境の地で、乗客の乗降はなく、7時を過ぎた頃高校生らしき若者の乗車があった。

 ダム湖と鉄橋 右手にダム湖が見え始め、鉄橋ではスピードを落とし、ゆっくり走った。霧が見え私もカメラを向けた(写真中)。そして会津川口駅に着いた。停車時間が長く降車すると、駅舎は見覚えがあった。
 鉄橋を渡る度、落ちたのはここであったかと眺めるが車窓からでは不明。鉄橋鉄材の新旧を見ると新品らしき鉄材使用の橋を通った。本名付近の第六橋梁か。川から離れ、また山中を走り、駅舎の反対側は山林で崩れそうな高い土手が線路に覆いかぶさるよう。
 会津塩沢駅手前で、河井継之助記念館の案内が見えた。幕末の長岡藩家老で、北越戊辰戦争に巻き込まれて敗れ、会津へ逃れる時八十里峠を越したが、戦傷がもとで、当地で終焉を迎えた歴史上有名な人物である(写真下は只見駅で写す)。只見駅で30分停車。観光列車並みで、駅前広場へ出て休憩し、3度目の只見駅付近は記憶にあった。

 只見駅そして新潟側へ 只見駅から長いトンネルを通過し、新潟県へ下った。渓谷沿いを過ぎ山麓の地ではススキやそば畑が見えて、魚野川を渡り小出駅。135.2km 36駅、4時間を越す長い乗り鉄も終わった。
 今春から新潟に住む孫と会う予定で、上越線を待っていると雨で大幅遅延の案内。信越線や越後線は不通で、線状降雨らしい。一応新潟へ向かうがメールして断わり、諦めた。孫から返信あり、私は、新幹線で帰京した。小出駅前で地酒緑川を求めた。(2023/9/28 K.K.1525)

◇日時 2023/09/06 ◇天候 晴 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 「JR只見駅MAP」 ◇歩行距離等 6,000歩 5Km
「通過時間等」 宿泊先5:30-JR会津若松駅6:08-同会津坂下駅6:42-同会津川口駅8:05-同只見駅9:07-同小出駅10:41-同新潟駅12:09-上野駅14:30-三田線巣鴨駅14:49-自宅15:15

私が登った百の名山&低山=北海道編=「北海道美深に住む娘宅へ行き松山湿原を歩く」

 最北の高層湿原へ 登山口に車を降り歩き出して少々ビビってしまった。先程山中に入って以来車一台、人っ子一人にも会わない。周囲は深い、深い森林地帯で、羆に注意の看板を見た。登山道には鳥につつかれた子鼠の死骸が転がっている。送ってくれたK君は2時間後に迎えに来てくれる約束だ。数年前やはり北海道野幌郊外の原始林を歩いて心細い思いをしたこと(99/7/9)を思い出したが、同じ蝦夷の地も遙か奥地の深山で、当地でも秘境と呼ばれているようだ。

 松山湿原は山の上にある我が国最北の高層湿原。緩やかな上りの道が続き、兎に角頂上を目指す。ゴゼンタチバナの白い花の一群に出会う。北海道のノアザミはジャンボだ。まさかとは思いながらも、熊よけに鈴もラジオも持っていない。僅かな葛折りを繰り返すと木道になって、湿原に飛び出した。山頂には霧が流れていた。資料によれば、松山湿原は海抜797mにあり、約25haの広さを有する高層湿原とある。

 風雪に耐えるアカエゾマツ 入口にある長寿の鐘を叩いて、入山したことを告げた。しかし、霧の中に人影や気配は窺われない。湿地帯に繁るアカエゾマツは成長が妨げられ一定方向に傾き、永年の風雪に耐えて生き抜いていることを示している。幹回り1cmの成長に約20年を要し、現在の樹齢は推定300年という。木道傍にはタチキボウシの薄紫の花が続き、白のワタスゲは風で千切れている感じ。濃紫の蕾はホロムクリンドウのようだ。木道も朽ちかけて小生の体重では心配な箇所もある。

 えぞまつ沼に着きベンチに腰を下ろして小憩にした。沼越しにカメラを向けた。つつじ沼からはいまつ沼を巡った。沼とはいっても小さな池塘だ。はいまつ沼は、既に半分近く草に覆われていた。
 湿原を一周して入口に戻るとカップルのハイカーが登って来た。フィルムをカメラに収め、湿原やそこに咲く花々を写し終えて下山した。途中、夫婦やグループの登山者と交差し挨拶を交わす。本日は土曜日でこれからが入山時間なのだ。私は1時間ほど早かったらしい。やはり蕗やイタドリも北の地のものは一回り大きい。ウドのような大柄な植物はエゾニューと後に家内に教えて貰った。上りに見付けたゴゼンタチバナは反対側にも群生していた。ヤナギランやシモツケソウも見付けた。

 無事下山 登山口に下りると駐車場に数台車があった。登山者カードがあり下山したことを記録し、天竜沼へ下りて戻ると家内がいて、迎えに来てくれた娘夫婦達が到着したことを知った。何故か駐車場広場には某国会議員夫妻の記念碑が建っていた。
 今度は長女夫婦に誕生した孫満1歳のお祝いに家内と渡道した。孫は既にトコトコと上手に歩き始めていた。松山湿原を歩いた後、K夫妻の案内で、雄武町日の出岬ホテルでオホーツク海を眺めながら温泉に浸かり汗を流した。翌日は一転して山の下川町五味温泉に出湯を楽しんだ。(2003/7/26 6/100)

追記 松山湿原は、我が国最北の自然のままの高層湿原であった。長女家族は、その後音更に移転し、美深との縁は切れてしまった。それにしても美深は遠かった。旭川空港から旭川駅へ出て、特急で1時間以上要した。国会議員の記念碑の件、偶々ご子息の大学教授と研究会で一緒になり、尋ねたら政府高官時代予算措置を講じたからと教えてくれた。
 北海道編はおしまいである。函館山は、日本百低山に選ばれている(小林泰彦「日本百低山」文春文庫30頁)が、せめて下りは歩こうと思っていたが、ロープウェイを利用してしまった。

JR水郡線に乗り、常陸大子町を歩く

 JR東日本大人の休日俱楽部パス期間が到来して、乗り鉄先を検討した。全通している只見線乗車の前に、水戸へ出て水郡線に乗り、郡山から磐越西線で会津若松へとした。処が水郡線は連絡が悪く、常陸大子駅で2時間待ちとなった。初めての地で彷徨すれば、なんとかなろう。水郡線乗り切りは2度目だ(18.6.26)が、前回は郡山からであった。大人の休日俱楽部パスは駅ネットのみの販売でパスワード忘れ困ったが、孫がスムーズに繋いでくれ購入出来た。

 水戸から常陸大子へ 上野駅で乗った特急は、ノンストップで水戸駅に着き、約1時間。水郡線下りの常陸大子行きに乗り換え、3両列車は水戸城濠跡土手の底地を通って郊外へ出た。袋田の滝(07.5.3)や黄門様の西山荘(10.6.27)を訪ねた時は、途中の駅を往復したが大分前である。
 車窓から見える水田は黄色に染まっているが、水戸手前よりは薄く、稲刈り風景は見当たらない。倒れている稲も見える。ニックネーム奥久慈清流ラインだが、久慈川が見え出したのは大分走ってからで、私の記憶と違っていた。袋田駅を過ぎ、久慈川を右に眺めながら、約1時間30分で常陸大子駅に着いた。

 常陸大子町をうろつく 大きな駅で(写真上)、駅前通りの両側には商店街が連なっている。山間の小さな町と思っていたが奥久慈地域の中心街のよう。盆地だが周囲の山々は離れ狭くはない。観光案内所に寄り、情報収集。アユの簗場は数年前閉鎖され施設もないという。見学を期待していたのだが。中央通りを金町通りへ左折するとこちらも商店街。右手に古い木造建物があり、明治初期築の呉服店舗とある。坂を上がった先の寺院入口に芭蕉句碑が見付かった。“河上とこの川下や月の友”で(写真中)、当地の俳人が選句して建立したとある。確か江戸深川の小名木川で詠んだ句と思う。目の前が久慈川で(写真下)、谷川ではなく普通の広い河川が流れていた。駅前に戻り、まだ1時間あり、昼食。先ほど求めた地酒八溝を開けた。

 水郡線後半、磐越西線 常陸大子駅ホームに郡山行きが到着したが、当駅で4両から1両となった。席は確保できたが、ゆったりのんびり乗り鉄とはいかない。いつの間にか茨城から福島へと入っていた。左手には山村風景が見える。そして、磐城棚倉駅を通過し、城跡巡りに郡山から往復したのは昨年(22.6.23)。磐城守山駅を過ぎると郡山駅は近い。少し待って磐越西線に乗車。薄暮の中を進み、季節は秋だが、残暑が厳しいことに変わりはない。会津若松駅で夕食を求め、駅前ホテルに投宿。明日に備え、残り酒八溝を飲み干し、就寝。長い乗り鉄旅で疲れた。(2023/9/21 K.K.1524)

◇日時 2023/09/05 ◇天候 晴 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 「大子の商店街まちあるきマップ」 ◇歩行距離等 6,000歩 5Km 
「通過時間等」 自宅8:50-JR上野駅10:00-同水戸駅11:15-同常陸大子駅12:35=久慈川13:00=JR常陸大子駅14:38-同郡山駅17:15-同会津若松駅18:30=宿泊先18:40

私が登った百の名山&低山=北海道編=「サルボ展望台から釧路湿原を眺める」

 釧路から塘路へ 釧路駅を出たノロッコ号列車は釧路湿原の東端を走っている。乗車前駅案内所で尋ねると湿原内を巡るコースはなく、塘路(トウロ)駅から歩いた展望台が良いと教えてくれた。観光客で一杯の列車は速くはない速度で、左手車窓に湿原を望みながら進む。湿原というよりは原野に見える。釧路から塘路まで湿原が広がって、20km以上続くという。
 次第に釧路川が迫り、川幅一杯にした濁り水は梅雨の時期を思わせる。終点塘路駅に下車し、サルボ展望台を目指す。多くの観光客が降りたが折り返しのノロッコ号で釧路へ戻るのだろう。

 サルボ展望台から湿原を眺める 国道391号の側道を一人行く。釧網線の単線が並行している。右手の大きな沼は塘路湖、左手には小さな湖沼が見える。前方の山中に、建物が見えて展望台だろう。山下に着き、案内に従いサルボ展望台へと階段を上がる。ダケカンバの木々に覆われて湿原は覗けない。尾根に上がると、左手先にもサルルン見晴台の表示があり、先ずはそちらへ。直ぐ林が切れて目前に湿原が広がった。
 一面原野の所々に湖沼が点在し、沼の半分程は水草で塞がれている。このような湿原風景が釧路の北方一帯に広がっているのだろう。左手の塘路湖は流石に広く、別格である。見晴台からカメラに収めて、Uターン。
 途中、チャシ跡に出会う。アイヌ民族の砦跡で、解説板によれば、要塞の外、祭祀の地でもあるという。現在では高台の狭い広場に過ぎなかった。サルボ展望台からの風景も先程と同じもの。塘路湖の奥まで見えた。

 釧路湿原内を歩く 山を下りて、湿原内に入って鉄路を渡り、釧路川往復を目論む。湿原内草原の下はどうかと道路から足を入れたら水があって、慌てて引き上げた。砂利道となり、道端に咲く花はピンク色が薄いが多分シモツケソウの類のようだ。15分程で釧路川に架かる二本松橋。マップによれば、右手の小山には二本の松があるはずだが、不明。川はやはり溢れるばかりの水量でゆっくりと流れている。一休みして、国道へと戻り、塘路駅へと向かっていると、一両のディーゼル車が走ってきた。乗客は疎らで、網走行きだろう。駅前に着くと、タクシー運転手達が指をさしている。その方向を見たら子鹿が草をはんでいる。エゾシカの子供のようだ。
 一両列車で釧路へ戻り、帯広行きの特急を待っていると、不発弾が見付かり白糠駅まではバス代行という放送。バス、特急と乗り継いだが、それでも約40分遅れで帯広駅着。駅前広場に出ると婿殿K君と孫憩依が出迎えてくれていた。(2010/7/16 5/100)

追記 釧路湿原は全国一で広かった。東端の塘路地区はその一部に過ぎない。湿原や湖沼群と大自然そのもので、駅前にエゾシカがいたのも自然であろう。ラムサール条約登録湿原である。広い湿原内を、蛇行を繰り返しながら流れる釧路川も印象的であった。水森かおりのご当地ソングにも、“釧路湿原 荒野をめぐる迷い川”とある。後日、反対側西端の釧路市展望台から湿原を眺めたが、塘路地区までは見通せなかった(2018/6/8)。

キバナコスモスを求めて浜離宮恩賜庭園を巡る

 今年もキバナコスモスの季節となった。先日高崎観音山の路傍に咲く花がキバナコスモスと気付いた。もうその時期かと、ネットで検索したら、直ぐヒットしたのは浜離宮恩賜庭園。木場公園は出て来ない。数年前木場公園で、キバナコスモスに出会い魅せられてしまった。毎年この時期キバナコスモスを巡るが、最初に見た花々程の感激はない。それでもキバナコスモスを探してしまう。

 汐留駅へ 浜離宮恩賜庭園へ出掛けた。いつもは、三田線内幸町駅から歩いて新橋駅を越してのコースだが、都営大江戸線汐留駅からがより近いと分かり、三田線春日駅で大江戸線に乗車。大回りかなとも思ったがそうではない。門仲、月島を過ぎて汐留駅であった。月島迄は、晴海キャンパス勤務の時は利用していた。処が、汐留駅で、出口を見付けるのに苦労し、やや強引に南側へ上がると、浜離宮恩賜庭園の横へ出たが入口は近くはない。大きな交差点まで歩き、長い信号待ちをし、ようやく大手口。シニア料金を払い入園。木陰のベンチで、持参した水筒から冷水を飲み一息入れる。

 キバナコスモス畑 三百年の松先で橋を渡ると、キバナコスモス畑。キバナコスモスは咲いている(写真上、中)。人出はあり、外国人夫妻が目立つ。私もカメラを出し、遊歩道を巡る。満開の花々は咲いているが、私には木場公園のような感激はない。オレンジ色が薄目なのか、花々の密集度が違うのだろうか。それとも記憶違いなのか。そんなことを考えながら、アングルを探しながら花畑を巡り歩く。一度は、隣に聳える高層ビルを背景にした。

 離宮庭園を奥へ 畑を離れると、棚に咲く花があり(写真下)、シャッターを切った。ノーゼンカヅラの花だろうか。奥への樹林帯へ入り、大木の樹々の下を抜けて、水上バス発着場を過ぎると、海、東京湾で、将軍お上がり場とある。往時は江戸城から舟であったのだろうか。横堀水門でUターン。途中神社があったが、柵が閉められ閉鎖中のよう。また、ベンチで水分補給。外国人達も休憩中、コロナが落ち着き、インバウンドが再開しているようだ。
 大江戸線汐留駅入口を教えて貰い、交差点を横断し、地下へ下った。本日、旧友と昼食の約束があり、大江戸線上野御徒町駅で山手線に乗り換える。約束の時間に間に合うかなと思い焦ったが、車中、少し遅れるとメールが入った。
 数日後、購読紙に浜離宮恩賜庭園のキバナコスモスの記事が出た(23.9.7讀賣)。花の色が赤のような写真であった。(2023/9/15 K.K.1523)

◇日時 2023/09/02 ◇天候 晴 ◇資料 「浜離宮恩賜庭園」20.10 ◇交通費 320円 ◇歩行距離等 9,000歩 7Km 
「通過時間等」自宅9:00-大江戸線巣鴨駅9:47-同汐留駅10:15=浜離宮恩賜庭園10:25/11:15=大江戸線汐留駅11:25-同上野御徒町駅11:51・・・三田線巣鴨駅13:00-自宅13:30

私が登った百の名山&低山=北海道編=「祖父同士で登った北海道然別白雲山」

 今年も孫の誕生日に合わせ渡道した。長女一家の隣に住む婿殿のKお父さんに案内して貰い、音更から近い然別湖畔にある白雲山(1,186m)へ登った。Kお父さんは、子供さん達が小学校の頃一緒に登ったことがあると聞いた。娘の話では、孫達の登山遠足先であったが今月初めの予定が雨で延期されたという。簡単な山と予想したがそうでもなかった。

 湖畔の登山道を上がる 十勝音更から車で1時間弱走り、然別湖畔の登山口に着いた。登山届が必要で氏名を記入し、山へ踏み込む。鬱蒼とした森林地帯で山道は薄暗い。中々の急坂を、休憩を取りながらゆっくりと進む。念のため熊除けの鈴を付けている。羅臼岳で使用したやつだ。時々樹林の間には湖面が覗け、針葉樹はトドマツと教えて貰った。途中下る中年夫婦に会い、諦めてUターンしたと知る。
 ようやく尾根に出て、歩きやすい道。大木に出会いカメラに収めた。ハンノキという。倒木を越し前進すると、今度は下り始め鞍部であった。直ぐ上りとなり、歩き難いトラバース状の本格的な登山道。分岐点に至り矢印を見て、私が先に左折すると直登になる。道は次第に薄くなるが、踏み跡が続き辿るとガレ場へと上がり、先の頂上には数人の男女が見えた。ここで岩場の右端に赤布切れを見付け、正規コースへ出て登頂。我々が頂上の下から辿ったルートは誤りと、下山の際明らかになるがこれまでも少なくない登山者が迷い込んだと思われる。

 無事登頂し展望を楽しむ 山頂から眼下に然別湖が広がり、先に見えるのはニペソツ山等東大雪山系の山々と教えて貰う。食事中にも急に霧が出て湖面が覆われ、浮かぶ観光船も消えてしまう。お握りはKお父さんが持参してくれた。隣では若いグループが昼食中。同じ頃頂上に立った高年ハイカーは次の縦走コースへと下りて行った。
 昼食休憩後、下山開始。足場を見極めながら岩の上や間を進み、登山道を見付け下り続ける。士幌高原コースとの分岐では、湖畔登山口へ右折。ここで、先程直登した地点に至り間違えたことを確かめることになった。矢印は両側にあり直進を示していた。鞍部に下り尾根道を過ぎて、また樹林帯の中を登山口へ向けて下る。往きとは異なり余裕が出て、足下に咲く白い花ゴゼンタバナソウに気付き、デジカメに収めた。登山口では、先程のグループと一緒になり、記念写真のシャッターをお願いし合った。

 タウシュベツ川鉄橋跡展望台へ 湖畔のホテルで軽食し、私はオショロコマの唐揚げを初めて食した。さらに旧国鉄士幌線のタウシュベツ川に遺る鉄橋(眼鏡橋)跡を案内して戴いた。深い原生林の中の糠平湖湖面すれすれに橋上が出ていて、湖畔からズームにしカメラを構えた。渇水期には橋梁全体が見られるという。Kお父さんお疲れ様でした。案内と運転有り難うございました。
 孫の誕生パーティは夕方から始まった。曾おばあちゃんも参加し、家族でハッピーバースデーの歌合唱後、孫は10本のロウソクの炎を満面の笑顔で吹き飛ばした。(2012/07/17 4/100)

追記 孫たちの行事で両親はそちらへ出掛け、私の登山は、隣に住むKお父さんに案内して貰った。低山なのに頂上下の岩場が印象に残っている。タウシュベツ川に遺る鉄橋跡は、後に再案内してもらい渇水期で全容を眺めることが出来た(左写真2019/8/1)。因みに、白雲山は、田中澄江の新・花の百名山(文春文庫59頁)に選ばれていると知った。

八高線に乗り高崎に白衣観音を訪ねる

 次の青春18切符シリーズは、八高線の高麗川駅から高崎駅とした。通称八高北線である。同南線は先日乗ったばかり。群馬高崎からは何処へと検討したが、高崎の観音山にある白衣観音を思い出した。昨年、少林山達磨寺から白衣観音へと向かったが、コースを誤り、直ぐ近くまで達していたが、参拝は叶わなかった(22.4.13)。リベンジしようと思う。

 奥武蔵を行く 八高線高麗川駅へは、埼京線から川越線に乗り継いだ。停車中の高崎行きに乗車(写真上)。ボックス席で、トイレもある車両。南線は電化路線だが、北線は非電化と知った。列車は高崎駅へ向け毛呂駅、越生駅と埼玉の奥武蔵地区を走った。自称私のホームグランドあったが最近は遠のいている。それでも車窓風景は懐かしい。越生の大高取山は1000回記念に大勢で歩いた(15.10.25)。孫たちも一緒であった。
 明覚駅手前で、旧同僚の生家があり、2度ほど訪ねたことを思い出した。一度は栗拾いであったと思う。大きな旧家であったが継ぐ方が無いと聞いていた。小川町駅を過ぎ、鉢形城址を右手に眺めて荒川を渡り、寄居駅に着いた。鉢形城址も数回巡っている。ここで秩父鉄道と交差している。
 田園地帯となり、児玉駅を通過。八高線に初めて乗ったのは、児玉にある雉岡城跡見学の際で、調べると約30年前のこと(94.12.23)。藤岡駅を経て倉賀野駅から上越線と合流し、八高線終着高崎駅であった。

 高崎白衣観音に参拝 案内所で情報を得て、西口バス停からぐるりんバスに乗った。繁華街の市内を出で、烏川を渡り、観音山へ上がった。前回見覚えたバス停もある。30分弱で観音下に着き、坂を上がって参拝し(写真中)、ようやく念願が成就。隣が慈眼院。灼熱下の平日ためか人出は少ない。この観音は二度目で、最初は胎内巡りもしたと思う。若い頃で、数人で旅行の途中であったと思う。大きな観音をカメラに収め、バス停に戻った。バス停からも樹林の上に観音様の頭部が見えた。

 高崎駅で(写真下)、飲食物を求め、高崎線で帰途に就く。ロングシートの端で、サワー缶を出し、一人呑み鉄とした。赤羽駅から浮間舟渡駅へ出て、バスで帰宅した。(2023/9/9K.K.1522)

◇日時 2023/08/10 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符 ◇資料 「観音山イラストマップ」 ◇歩行距離等 7,000歩 5Km 
「通過時間等」 自宅9:28-JR板橋駅9:58-同川越駅11:07-同高麗川駅11:32-同高崎駅13:25-観音下バス停13:50・白衣観音14:00-JR高崎駅14:52-同浮間舟渡駅16:45-自宅17:10

JR相模線を乗り切り横浜線へ

 次の青春18切符はどの路線にしようかと思い巡らし、JR相模線は直ぐ決めたが、その前後の路線の候補は多く少し悩んでいた。そんな折、友人から横浜桜木町での会合の案内が舞い込んだ。それではと、相模線の起点茅ヶ崎駅へは東海道本線で、終点橋本駅からは横浜線経由で桜木町駅へとした。茅ヶ崎、橋本駅間は33.3km、16駅で、相模線は乗り切れるも、横浜線は半分ほどだが、八王子駅から橋本駅は乗ったことがあり、よしとしよう。

 茅ヶ崎から相模線 午後、池袋駅から湘南ラインに乗車。最近知った路線で、停車駅が少なく速いと思う。山手線大崎駅から横浜駅を経由し、1時間強で茅ヶ崎駅に着いた。
 奥のホームにある相模線橋本行きに乗る(写真上)。記憶では2度目と思う。沿線にある相模一宮寒川神社を訪ねた時。電車は住宅街から郊外へ走り、宮山駅手前で、右手に大きな鳥居が見えた。再訪も考えているがなかなかである。

 大山を眺める 左車窓に山が見え始め(写真下)、丹沢端の大山と気付く。若い頃は数回登頂したが、先日山麓を下って難渋した。山歩きはもう無理と分かり最後の山歩きとなろう。厚木駅に到着し、小田急乗換駅。ここで乗り換え新宿へ出ていた。それで相模線の乗り切りはなかった。隣の海老名駅でも互いに乗り換え可能と知った。上り電車と交換を繰り返しながら進む。

 ひまわりの思い出 電車は田園地帯を走り、左手先は相模川で、当線と並行する流れであり、下溝駅付近からは川原が見え隠れした。この辺りは、近くに住む弟と数回歩いている。思い出せるのは座間のひまわり畑。数枚の畑一面に咲き揃うひまわりを眺めた(15.8.14)。小田急の駅から徒歩かバスか思い出せないが、帰りは厚木駅まで相模線であった。
 田園地帯から台地へ上りとなって、終点橋本駅に着いた。横浜線乗り換えの駅で、この駅からは京王線相模原線も走り、その沿線南大沢キャンパスに勤務していた時数回乗降した駅。

 横浜線乗り桜木町へ 横浜線は根岸線へも乗り入れと知り、桜木町駅へ一本であった。しかし、会場へは道に迷い僅かに遅れてしまった。旧同僚と、その同級生Iさんは法曹界のOB。私は仕事で少し交流があった。三人の故郷が隣県隣市ということも親近感を深めたのかもしれない。そんな話をしながら、料理を頂いた。Iさんは、最近旧勤務先の釧路を訪ねたという。私は幣舞橋を思い出し、話が弾んだ。楽しい夕食会となり、ありがとうございました。(2023/9/1 K.K.1521)

◇日時 2023/08/10 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符 ◇歩行距離等 7,000歩 5Km 
「通過時間等」自宅12:35-JR巣鴨駅13:02-同池袋駅13:09-同横浜駅14:01-同茅ヶ崎駅14:38-同橋本駅15:47-同桜木町駅16:45=夕食会17:05/20:00-JR横浜駅20:20-同品川駅20:45-三田線巣鴨駅21:32-自宅22:00

私が登った百の名山&低山=北海道編=「孫達の運動会応援に渡道し雌阿寒岳に登る」

 雌阿寒岳は活火山らしい高山で、麓の蝦夷赤松林、灌木地帯、這い松群、ガレ場、そして水蒸気を上げる火口湖と高度を上げるに従い周囲の変化がハッキリとした北の名峰であった。今春新1年生となった2番目の孫最初の運動会に招かれた北海道音更滞在の3日目に、野中温泉口から雌阿寒岳を目指した。

 野中温泉コースを上がる 登山口は温泉傍蝦夷赤松林の中に見付かった。登山者名簿には既に数名の先行者の記載がある。6時40分に歩き出し、薄暗い林の中の湿った登山道を行く。今回は最初からスパッツを着けた。楽な道ではないがこんなものだろうと単身上り続けて、1合目、2合目を通過。林を抜けると頭上よりは高いが灌木地帯。右手にチラチラと岩峰が見え、雌阿寒岳だろうか。そして、一旦空沢へ下りた。4合目、5合目を過ぎて大休憩。本日は婿殿K君が5時過ぎに出発し登山口まで送ってくれ、余裕のある登山が出来る。2組の登山者が追い越して行った。羆を心配したがそのような警告はない。

 前方に雄阿寒岳の雄姿 這い松群地に至り、山裾へ緑の絨毯が広がり、左手先には雄阿寒岳の姿が美しい。この風景は旭岳や羅臼岳を思い出させた。7合目を過ぎるとガレ場となり、8合目からは登山道が分かり難くなって、赤ペンキ印を懸命に追うしかない。ガスでも出たらと思い、目印に大岩のインプットを心掛ける。胸突き八丁に掛かったらしく、遅々として進まない。小休止を繰り返しながらゆっくりと歩を進める。

 爆裂火口湖の上が山頂 肩へ出た9合目では、右側が切れ落ち火口湖赤沼が見えた。水蒸気を吐き、噴火爆裂跡を残す異様な地形。カメラに収めた。そして、9時15分登頂(1,499m)。2時間35分を要した。休憩を入れてだが、自分としては20分前後多めである。2組の男女が休憩中。記念撮影後、メールが可能で音更の娘へ登頂を報告。火口湖の写真を添付した。
 9時45分下山開始、往路とした。オンネトーコースを予定したがK君のアドバイスだ。下りは、薄いながらも登山道を確認できる。多くなり始めた上りの登山者と挨拶を交わしながら順調に下る。7合目付近から左手下にオンネトーの湖が見えた。上りでは気が付かなかったが、濃いグリーンの水を湛えている。水無しの大沢を渡り3合目手前で、携帯が振動。娘からで、一家は野中温泉に到着したという。約40分後と伝えて、下り続ける。濡れた下りの山道を急ぐと危険なので、ペースは維持。少し遅れて11時55分に登山口に着くと、駐車場から孫が出て来た。

 下山後孫達と温泉を楽しむ 長女一家とオンネトー湖の茶屋で昼食を取り、野中温泉で入浴をした。板張風呂の温泉は山ノ湯の風情があってとても良かった。今回は孫達4人の運動会観戦、応援をして成長を見届け、雌阿寒岳登山も適い楽しい、北海道の旅となった。遠路送迎してくれたK君有り難う。(2011/06/12 3/100)

追記 雌阿寒岳に登り、これで、北海道で100名山3座となった。距離や傾斜もそう難しい山ではなかった。後に孫たちが進学した帯広柏葉高校山岳部一行と一緒になったのを覚えている。下山後、孫たちと山の湯を楽しんだ。登山家岩崎元郎さんも、野中温泉を推奨している(「ぼくの新百名山」朝日文庫176頁)。雄阿寒岳は機会を逃してしまった。

東金線から京葉線へミニ乗り鉄をする

 青春18切符シリーズの第二弾として、千葉にあるJR路線東金線にした。外房線大網駅から総武線成東駅間にある13.8km、3駅の極短い路線。大網駅、東金駅間は2,3度乗ったと思うが、全線乗り切った記憶はない。ターミナル駅千葉駅へは、埼京線から武蔵野線、そして総武線を乗り継ぐことにする。東金線の後は大網駅から蘇我駅へ出て、京葉線にしようと思う。いずれもミニ乗り鉄オンパレードである。

 総武線で成東へ 武蔵浦和駅で、埼京線から武蔵野線に乗り換えた。そして、西船橋駅に降り総武線で千葉駅に着いた。外房線も総武線も走り、どちらにしようかと少し迷ったが、最後は京葉線なら総武線で成東へ、である。千葉駅から佐倉駅迄は、先日乗ったばかり。佐倉駅で停車時間があり、あのミスターの出身地で、母校佐倉一高がある筈だと窓の外へ目をやった。当駅から総武線は右折し、八街駅で交換があり長い停車。日本一の落花生の郷とある。私のビールの友であるが千葉産は高価。

 里歩きコース“伊藤左千夫のみち” 成東駅に到着。乗り換えのため下車したが、列車遅延のため時間がない。それでも駅前へ出て久しぶりの成東を眺める。私が好んで歩いた関東ふれあいの道千葉県コースがあり、“伊藤左千夫のみち”では、東金出身のSさんと当駅で待ち合わせたら、お母上もご一緒で(09.4.5)、3人で歩き通した思い出の地である。駅舎が新築されていた(写真上)。カメラに収め、帰宅後成東出身のTさんとSさんに送付した。二人は成東高の同窓生。

 東金駅 東金線に乗り発車(写真中)。車窓から見える空には夏雲が浮かぶ。その下水田が広がって、こころなしか黄色を帯びているようにも見える(写真下)。そんなに季節が進行しているのか。伊藤左千夫の生家はこの奥だったと思う。求名駅を通過。そして、次が東金駅で、この駅には少し縁がある。OB会メンバーのOさんは東金にお住まいで、私の読者でもある。若い頃2度ご実家にお世話になり、九十九里浜で海水浴をしたこともあった。あれから約半世紀経っている。
 東金駅に近付き、Sさんご実家の立派な店舗が見えるかなと目を凝らしたが、分からず終い。15年前駅傍と教えて頂いたと思う。
 列車は大網から千葉行きで、私は、蘇我駅で、折よく京葉線に乗り換える。これまでも内房線や外房線の復路では、京葉線が多い。乗り切って東京駅に降り、三田線日比谷駅へ歩く。間違えたかなと思ったが、地下通路は日比谷駅へ繋がっていた。(2023/8/22 K.K.1520)

◇日時 2023/08/06 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符 ◇歩行距離等 6,000歩 4Km 
「通過時間等」自宅8:20-JR板橋駅8:56-同武蔵浦和駅9:23-同西船橋駅10:22-同千葉駅10:46-同成東駅11:48-同蘇我駅12:25-三田線日比谷駅13:34-自宅14:05

私が登った百の名山&低山=北海道編=「長丁場、岩場と厳しかった最果ての名峰羅臼岳」

 岩尾別口から登山開始 北の名峰羅臼岳は遠かった。俄登山家を簡単には寄せ付けなかった。夏休みに知床の羅臼岳を目指した。岩尾別口から入山し、大沢下まではまずまずに歩いた。
 深い原生林の中の山道を、鈴を鳴らしながら一人前進を続ける。オホーツク展望台を過ぎると羆出没地帯に入り、鈴の音を大きくした。蝦夷鹿二頭に出会う。近づいても逃げず、携帯を向けた。弥三吉水では休憩し、水を補給する。間もなく極楽平を通過。右手先に羅臼岳が姿を現した。仙人坂付近の林が切れた地で、振り返ると知床半島を覆う緑の樹海の先にオホーツク海が広がった。銀冷水でも休憩。青年二人組が追い付いて来た。この辺りまでは急坂はなく、コースタイムの範囲内で歩き、思ったよりは楽に進んだ。

 羽衣峠から羅臼平 羽衣峠を過ぎると大沢であった。前方の岩場に取り付く大勢の男女が見え、彼らが熊避けしてくれたとホットするも束の間、最初の難所。急登の地点とは事前に地図で予想していた。僅かに残る雪渓を見ながら、手も使って一歩、一歩上がる。岩の間には、赤や黄色、そして紫の高山植物が咲いている。チングルマやリンドウの類であろう。長くはない難所を抜けると羅臼平であった。
 這松絨毯の先に羅臼岳の岩峰が聳えている。異様な山姿は岩鎧と資料にはあった。背後には三ノ峰が立っている。三度目の休憩後、いよいよ頂上へ向けるとハイマツのトンネル。何故か頭がフラフラする。出発後3時間経ちそんなに疲れたのかなと思いながら歩を進めるもペースダウン。石清水でまた休憩。岩伝いに清水が落ちている下で、ツアー登山一行が昼食中。

 岩峰に登頂 花畑の先からは頂上下の岩場ゾーンへ突入。ペンキの目印を追って懸命に上がり続ける。可憐に咲く花々が唯一の慰めだ。足を止めては携帯で写す。途中、別のツアー登山者グループが下りて来て、待機。下りが心配になる程の急な岩登りが続く。見上げると最高部には崩れそうな大岩が迫り出している。どうにか登り切って山頂(1,660m)到達。スタートから4時間30分。羅臼平から50分のところ1時間20分も掛かってしまった。頭痛は消えていた。後で高山病を疑った。
 羅臼山頂は狭く、しかも垂直に切り落ち、ペンシルビルの屋上に立っている感じ。知床半島の先端には硫黄岳、左手オホーツク海手前には知床五湖も覗ける。雲から顔を出している右手の山は不明。後ろ手に見えるのは阿寒岳か、もっと奥の大雪山系だろうか。高所恐怖症の小生は、長居はできず、記念写真もそこそこに下山を開始した。

 慎重に下山 岩稜ルートを岩角に手を掛け、尻も使いながらゆっくりと確実に下る。最大難所を脱出して、下り坂に備えザックからストックを出した。腕時計がないことに気付く。戻って探す気力はなく諦めた。石清水で水を飲む。滴も貯まればペットボトルを満たしていて、分けて貰う。羅臼平に戻り一休みして、大沢の岩場を下る。両手も必要なため一度はストックを下へ放った。右足の太股が痙り始めたが、大したことはない。ここで年配者に追い越されるも、ペースを守る。銀冷水、極楽平、弥三吉水と下り続ける。往きは楽に上ったつもりであっが、結構急な下り坂が連なっている。後ろから鈴の音が近付いてきて、先程頂上下で擦れ違った若い女性。水場でも休まず先行した。滑りやすい下り坂にも気を遣いながら、羆危険域を脱し一息入れる。予定より30分程遅い。下山口で北海道音更に住む孫達と待ち合わせている。携帯が通じて遅れると伝えた。最後はヨタヨタと歩いているのは自分でも分かった。結局、目標より50分オーバーで、木下小屋前に下山。ホテル地の涯前で座り込んでいると、K君と孫達が車で到着した。
 羅臼岳は厳しかった。深田百名山ではあるが易しい部類に属し、皇族夫妻も登った山で、難しい山とは考えていなかった。計画では約7時間30分前後とみていたが、実際は8時間30分を要した。それでも、羆にも会わず無事登頂し長丁場を歩き通して、今後高山へも自信が付いたと思う。当日、翌日孫達と温泉や知床の自然を楽しんだ。(07/8/31)

追記 私の夏休みに気軽に出かけ、女満別空港から往復した。岩峰への上下と、長い登山道が大変で、下りは疲れ切ったことを覚えている。その中で、知床半島を覆う緑の樹海の先にオホーツク海が広がる風景が今でも目に浮かぶ。孫達との待ち合わせ時間に遅れたが、孫の一人が途中の昼食場所に帽子を忘れ戻ったため、私より遅かった。今でも知床の話になると帽子の件が出る。私が落とした時計はヒグマが拾い、子熊が遊んでいるだろうか。

JR青梅線、五日市線、八高線を乗り鉄する

 何故か奥多摩駅先の渓谷風景を思い出し、行く先候補に挙げていた。夏が良いだろうと考えていたが、その時期がやって来た。折よく青春18切符利用時期に至り、5回中、トップの行く先とした。更に、帰り掛け拝島駅から五日市線や八高南線(八王子、高麗川間の通称)も利用したい。

 多摩川渓谷を眺める 新宿駅から青梅行き快速に乗ったが直ぐ各駅停車となった。立川から青梅線へ入り、拝島駅を過ぎ青梅駅で、奥多摩行きに乗り換えた。久しぶりの奥多摩で、多分Sさんを案内した時(19.7.21)以来の乗車。途中の駅も御嶽駅以外はうろ覚えであるが、奥多摩駅に着いた。
 駅を出て、昭和橋、氷川小橋、そして奥氷川神社を巡った。私の好きなスポットで、前回と同じコース。多摩川渓谷に架かる橋上から深い渓谷を見下ろす。流れは少なめで、川原では食事を準備する家族連れも見える(写真上)。川遊びであろう。上流では竿を振る釣人もいる。前回とそう変わらない風景。氷川小橋は吊り橋で、往復した(写真中)。奥氷川神社も杉の古木を従え、静かに鎮座していた(写真下)。また孫たちの健康と成長をお願いした。時間があり、町役場先で多摩川支流日原川も覗いた。求めた地酒は澤乃井。沿線の沢井産である。歩きながら、雲取山や大岳山からの下山先が当駅だったと思い出した。

 武蔵五日市駅を往復 青梅線に乗って戻り、拝島駅に着くと五日市線が直ぐあり、乗り換える。こちらの線はいつ乗ったか思い出せない位久しぶり。20年前までは、ホリデー快速で年一は歩きに来ていたと思う。武蔵五日市駅に降り駅前へ出たが、折り返しの電車で拝島駅に戻る。途中多摩川の流れを車窓から眺めた。奥多摩の大分下流だが、この時期流れは少ないようだ。

 八高南線、川越線へ 八高南線下りの川越行きが直ぐ発車と知り、急いで乗り換えた。車窓から米軍基地用住宅を思い出し、東飯能駅、高麗川駅を過ぎて川越線へ入り、この辺りは寡つて私のホームグランド奥武蔵エリアであるが、ご無沙汰である。懐かしい風景を思い出そうとしたがそうはいかない。笠幡から通う旧同僚を思い出した。彼とは会津駒ケ岳等夏山を楽しんだこともあった。川越駅で、埼京線へ最後の乗り換えをして板橋駅へ向かった。(2023/8/13 K.K.1519)

◇日時 2023/07/21 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符 ◇資料 奥多摩観光協会「奥多摩駅周辺ハイキングマップ」 ◇歩行距離等 11,000歩 8km 
「通過時間等」自宅7:45-JR巣鴨駅8:15-同新宿駅8:40-同青梅駅10:14-同奥多摩駅10:50/11:44-同拝島駅12:42-同武蔵五日市駅12:59/13:09-同拝島駅13:31-同川越駅14:25-三田線新板橋駅15:28-自宅15:55

小石川後楽園で蓮の花を観賞する

 ラジオのローカルニュースで、小石川後楽園で蓮の花が見頃と流れた。梅雨の時期で、此のところ雨が続き私の里歩きも儘ならない。蓮の花は好きな花だし、小石川後楽園なら我が家からは地下鉄三田線一本で、近い。雨中の蓮鑑賞も風流かもしれない。本日は曇りだが雨ではなく、その後の寄り道先は車中で考えようと出掛けた。

 小石川後楽園を巡る 三田線水道橋駅に降り、地上へ出た。東京ドームに沿った外堀通り歩道の先の筈。思ったより距離があったが東門が開いていて、入園。シニア料金をPASMOをタッチして支払う。直ぐ先が池で、多くの蓮葉の間に、白い蓮の花が見えている(写真上)。花が小さいようだ。花数が多めの池端へ回りカメラを向けた。先日千葉公園で大賀ハスの花を鑑賞したばかりで、その所為か華やかさが足りないように見える。午前中も早い時間なのに人出がある。高齢者もグループが多い。

 後楽園と水戸黄門 隣が大泉水で、当小石川後楽園の中心をなし、琵琶湖を見立てたという(写真中)。蓬莱島が浮かぶ。1629(寛永6)年水戸藩の中屋敷(後に上屋敷)庭園として頼房が造り、二代光圀が完成させたとある。池沿いに回り、酒亭九八屋から稲田へ。説明によれば、光圀が綱條夫人に農民の苦労を伝えるための田圃という。黄門様の面影が偲ばれる。私は、bs6チャンネルで、“水戸黄門”の再放送を観て、黄門様が悪代官や悪徳商人をやっつけて農民や商人達を護るご老公の漫遊ストーリを目にしている。

 カキツバタ園があったが、空の湿地帯。終わったのであろうか。池を離れ高台の樹林帯へ入り小町塚、八掛堂跡、円月橋を巡る。後楽園は数度訪ねているが、この辺りは初めてと思う。池端へ戻ると、一つ松の右に蓮池があり、こちらはピンクの花(写真下)。狭い池で、花は少なくアングルを探しカメラを向けた。ピンクの花は私にとっては蓮らしい。奥の渡月橋を往復して戻り、池を一周し東門を出た。

 銀座山形プラザへ 我が故郷のアンテナショップ銀座山形プラザへ行くことにする。季節の郷土産品を見たい。日比谷駅から地下道を歩きJR有楽町駅付近で地上へ出て、銀座へ。久振りで何とか店舗前へ着くとジャスト開店時間。広くはない店舗内を眺めたが、期待した山形桃はなく、サクランボは終わったようである。麦切と温海産赤カブ漬を求めた。麦切は庄内のみで造られる夏用麺類である。また三田線日比谷へ歩いた。(2023/8/8 K.K.1518)

◇日時 2023/07/15 ◇天候 曇り ◇資料 「小石川後楽園」 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅7:50-三田線水道橋駅8:25=小石川後楽園8:35/9:25=三田線水道橋駅9:35-同日比谷駅9:50=山形プラザ10:00=三田線日比谷駅10:22-自宅11:10

私が登った百の名山&低山=北海道編=「北の最高峰大雪山・旭岳に登る」

 旭岳温泉でバスを降り、岩肌をむき出しにして聳える旭岳の勇姿を正面に見て、少し怖じ気付く。ロープウェイを乗り継いで姿見の駅から登山開始。高山植物は後に回し、お花畑の間の登山道を姿見ノ池に向かう。散策する観光客は多いが登山者は少ない。他のコースで羆(ヒグマ)の足跡発見の掲示をロープウェイの駅で見たが、羆の心配はなさそうだ。実は今回は単独行でもあり、熊避けの鈴も用意した。

 北の最高峰旭岳 姿見ノ池に着き、改めて旭岳を見上げる。コニーデ型の山容の真ん中は未だ蒸気を吹き上げる地獄谷で、その左右に稜線を形成しているが、左は谷に急角度で切れ込んでいるのに対し、右はわずかに緩く、そこに登山道が続いている。池から上は岩石と火山灰の砂礫のみで荒涼とした感じ。見通しが良く山頂に登山者の姿が見られる。
 頂上までは、高低差約600mの上りで、こぶを4,5個越える、と見当を付ける。火山灰の道は滑り易く歩き難い上に、急登が続く。約30分毎に小憩を取り、水を補給しながら、地獄谷を左に見て、直登する道をゆっくりと上る。歩き始めは肌寒い程であったが、その後は風も弱まり、寒さは感じない絶好の日和。谷から吹き出す硫黄が時々匂う。途中、麓に目をやれば、手つかずの原生林が続き、まるで緑の絨毯のようで、疲れを癒してくれる。

 急登から登頂 岩場が多い4つ目のこぶを上がり切り、左に方向を採ると頂上真下に出て、金庫岩となる。四角い岩で、下からも特異な形は確認できた。最後の急登を喘ぎながら上って頂上(2,290.3m)に到達。10数人のグループ等が休んでいた。休憩して展望を楽しむ。天候に恵まれ、回りの大雪山系の山々が一望だ。流石は北海道一の高さの山で、地図を出し北鎮岳、比布岳、当麻岳等を確認する。下方の一筋は間宮岳を経る黒岳への縦走路のようだ。

 ゆっくり下山 天候が急変し霧が出ないとも限らないので、休憩を早めに切り上げ下山開始。ガレ場の下りは一層歩きに難い。滑らないように慎重に、ストックを使って一歩一歩下る。砂でスピードを制動しながら、中年男性達が勢い良く下って行った。上りは前後して登ったご婦人にも抜かれ、すぐ離されてしまう。急ぐ必要もなく、転んで怪我でもしたらと考え、ペースを守って姿見ノ池に下りた。所定のコースタイム1時間の処、5分程オーバー。しかし、上りが2時間の処、2時間20分だったのだから、やはり遅いのだろう。
 姿見ノ池からはお花畑を巡る道を回り、高山植物を楽しむ。時期的に盛りは過ぎたようだが、それでもコガネギク、エゾコザクラ、コケモモなどの花が残り、中でもエゾオヤマリンドウの紫が色鮮やかだ。往きと同様、ロープウェイを利用し、旭岳温泉で汗を流した後、バスで旭川駅に出て、列車で野幌に戻る。いかを料理して待っていた長女と地域限定ビールで無事下山に乾杯。
 今回は、夏休みを利用し、北海道の長女の寄宿先に押し掛け、旭岳登山を試みた。天候、単独行、左膝、羆と不安材料は一杯あったが、登頂を果たし無事下山してホッとした。(97/8/21 1/100)

追記 天候にも恵まれて、登山の経験薄い私でも、無事旭岳登頂を果たし、下山できた。地獄谷や麓に広がる原生林は今でも目に浮かぶ。登山家岩崎元郎さんは、登りやすいやまとして選び、姿見からのコースを推奨している(「ぼくの新百名山」朝日文庫188頁)。私にとっては、約30年も前のことで、長女は北海道で結婚し、孫はもう大学生である。私も後期高齢者である。

千葉公園蓮まつりからJR成田線へ

 千葉公園で大賀ハスまつり開催中と知り、JR東日本休日俱楽部パス最終日は、千葉で蓮鑑賞後、成田から佐原を経由して、鹿島臨海鉄道に乗り水戸へと予定し、路線検索してタイムスケジュールを立てた。千葉公園のハスは鑑賞したことがあり、上品な薄ピンクの大花に魅せられた。調べると15年前のことであった(08.7.24)。

 自宅を予定より小一時間前に出てしまった。早出なら何とかなるだろうと、いつものアバウトな感覚であり、これが凶と出てしまった。今回は、神保町駅で都営新宿線に乗り換え、馬喰町駅で総武線快速に乗った。最近知ったルートで、電車は地上へ出て千葉へ向けた。

大賀ハス鑑賞 千葉公園は千葉駅から徒歩圏内だが、出口と方向を見極めるのに時間を要し、なんとか公園への案内を見付け、10分程で南門から入園出来た。まつりの最終日は日曜日で人出があり、混んでいる。公園の中心にある池の左側が蓮園。私が知る蓮園では広い方と思う。
 早速、蓮園を巡るが、大きなハスの葉が密集し、花はポツリ、ポツリと咲いている(写真上、下)。花色も薄いよう。前回とは違うなと思いながら、花に近付いてはカメラを向ける。花を探しながら遊歩道を一回りし、集会所前出ると、落語を演じているよう。
 池を大回りして遅めの紫陽花に出会い、東門を出た。東千葉駅へと歩いたが複雑な市街地のようで至らず、また千葉駅へ戻り、総武線経由で成田駅へ向かう。調べた時間より大分早い電車に乗車した。

成田駅から我孫子駅へ 途中の通過駅周辺は通勤圏内で、友人Mさん、Tさんのお住まいある地と思う。Mさんには毎号彼の専門サイトに登載して貰っている。昨年宮城の涌谷城址訪問を書いたら、小学時の遠足先だったとTさんからメールを頂いた。彼は宮城出身の方であった。
 成田駅に着いたが、佐原方面行きは40分以上後と知る。思案の末、佐倉駅に戻って成東駅から東金線へ乗ろうと、隣のホームに停車中の電車に乗る。これが大失敗、電車は反対方向へ走った。千葉駅へ戻ると思い込んでいた。いつもの早とちりである。
 時には、成田線から常磐線の乗り鉄もよいだろうと観念。列車は、右手に利根川が流れる地を走り、この辺りも数回は歩いて、成田線にもお世話になった。左手は、関東ふれあいの道千葉県印旛沼コースがあり、かぼちゃ会のNさん夫妻と歩いたこともあった(98.5.3)。我孫子駅を通過し当列車は上野行きで、そのまま乗り続けた。(2023/7/29 K.K.1517)

◇日時 2023/06/25 ◇天候 晴 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 「大賀ハスまつり」 ◇歩行距離等 8,000歩 6㎞ 
「通過時間等」自宅9:50-新宿線神保町駅10:27-JR馬喰町駅10:44-同千葉駅11:25=千葉公園11:35/11:55=JR千葉駅12:32-同成田駅13:15-同日暮里駅14:30-三田線巣鴨駅14:41-自宅15:10

40年振りにJR大湊線に乗り下北半島へ

 JR東日本休日俱楽部パス二日目、宿泊した盛岡から八戸へ出て、大湊行きとした。東北新幹線、青い森鉄道、そしてJR大湊線の乗り鉄である。大湊は再訪であり、87年の夏休みの約40年前の一人旅であった。今回も一人だが、気楽な乗り鉄である。地酒での呑み鉄もよいだろう。数年前一度計画したが、悪天候で八戸から帰京したことがあった。

 満員の大湊行き列車 朝9時前盛岡駅から東北新幹線に乗り八戸駅で、大湊行きに乗り継いだがびっくり。始発の一両列車が超満員で、座れない。皆旅支度で、途中下車の可能性はない。約1時間30分立ち放しで、最近では経験なく、後期高齢者には辛い。青い森鉄道の乗車は、東北本線時代、前回野辺地駅から青森駅間乗っただけである。
 三沢駅を通過し、未だ基地の街のよう。太田幸司選手の出身地である。当地三沢高校のエースで甲子園での大活躍は有名で、プロでも活躍したと思う。列車は野原の中を走っている。過疎地域で、今では休耕地なのであろうか。

 下北半島へ 野辺地駅で、また多くの乗客が無理やり乗り込んだ。車窓に防風林の松林が見え始め、下北半島へ入り進んでいるようで、左手に海がチラついた。そして、陸奥横浜駅に停車し、記憶にあった駅名。次第に陸奥湾が姿を現し、曇天の下に広がり波静か。40年振りの眺めである。下北駅に着き、大半の乗客が下車。観光バスが見え、ここから大間や仏ケ浦へ回るのであろうか。前回訪ねた恐山もここからバスと知る。

 40年振りの大湊 ようやく座れたが次が終点大湊駅。定刻通り到着し、下車(写真上、下)。小雨の中、駅前へ出だが、駅舎も記憶にはない。むつ市の小さな港町なのだろうか。駅前商店街で、弁当は仕入れたが、地酒はなかった。待合室で休憩を取った。
 12時前発の折り返し八戸行きに乗車。客は少なくゆったりと座り、昨日の残り酒を出し、ちびちびと呑み鉄を開始。津軽三味線名人高橋竹山を唄った“風雪ながれ旅”の一説に、“・・・津軽、八戸、大湊”とあったのを思い出した。津軽出身の竹山が若い頃三味線を抱え、門付けの流れ旅をした地であろう。
 野辺地、三沢、八戸と往路を戻り、新幹線に乗り換え、帰途に就いた。(2023/7/22 K.K.1516)

◇日時 2023/06/23 ◇天候 曇、後小雨 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 JR全線路線図東北地方 ◇歩行距離等 4,000歩 3㎞ 
「通過時間等」盛岡宿泊先8:30-JR盛岡駅8:50-青い森鉄道八戸駅9:33-JR大湊駅11:13/11:48-同八戸駅13:40-同上野駅16:35-三田線巣鴨駅16:55-自宅17:55

秋田内陸線から花輪線で乗り鉄を楽しむ

 今年度もJR東日本大人の休日俱楽部パス利用期間となり、行く先を検討しJR東日本内で、未乗車路線の花輪線は直ぐ決まった。起点大館駅へ秋田経由か青森からか少し迷ったが、路線図から秋田内陸線を思い付いた。JR東日本管内ではないが、時間的にも速く、未乗車路線である。そして、花輪線で盛岡駅に戻り、盛岡泊とした。

 山中を進む秋田内陸線 秋田新幹線を角館駅に降りた。角館は2度目だが何ら記憶になく、30年前であった。隣が内陸線駅で、定刻通り終点鷹巣行き一両列車が発車。94.2kmで29駅とあり、知るのは阿仁合駅名のみ。直ぐ水田地帯となり、右手の高峰は秋田駒ケ岳と見当を付けたら合っていた。小さな無人駅停車を繰り返しながら進んだ。駅は水田地帯の真ん中にあり、直ぐ森林地帯へ入って谷川を渡り、短いトンネルを抜けてまた水田地帯で、これを繰り返している。秋田の内陸は深い山中で、国鉄時代の角館線と阿仁合線とを1989年結んだ三セク線で、内陸線として全通したと知る。

 阿仁合駅から鷹巣駅 車内に歓声が聞こえ田圃アートで(写真上)、カメラを出しシャッターを切った。阿仁マタギ駅には、ホームにマタギの木像があった。阿仁合駅に着き(写真中)、大きな駅で、登山客が降りた。花の百名山森吉山の最寄り駅とある。
 列車は一転して下り坂を走り、次第に平野部が広がり、終点鷹巣駅であった。隣のJR奥羽本線の駅から大館駅へ向かう。大館駅舎は工事中だが、売店はあり、地酒を求めた。呑み鉄用である。

 花輪線を乗り切る 駅前に秋田犬の里を探したが見付からない儘戻り、花輪線は盛岡駅へ向けスタート(写真下)。1931年全通路線で、106.9km、27駅。周辺は住宅街で、山は後退している。次第に通学生も降車し、乗客は少ない。十和田南駅で方向転換し、薄暮の中、鹿角花輪駅に着いた。当地方の中心都市で、尾去沢鉱山もあったと思うが閉山してから久しい。
 八幡平駅、安比高原駅、松尾八幡平駅を通過し岩手県だろう。呑み鉄も順調で小瓶を飲み干し、カップ酒にも手を伸ばした。好摩駅で花輪線からいわて銀河鉄道に入ると渋民駅があり、啄木の出身地と気付いた。終点盛岡駅に到着し、駅前にビジネスホテルがあった。(2023/7/14 K.K.1515)

◇日時 2023/06/22 ◇天候 曇 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス+1700円 ◇資料 秋田内陸縦貫鉄道(株)「秋田内陸線」 ◇歩行距離等 6,000歩 5㎞ 
「通過時間等」自宅9:00-JR上野駅10:16-秋田内陸鉄道角館駅13:58-JR鷹ノ巣駅16:48-同大館駅17:35-同盛岡駅20:40=宿泊先20:50

横川から追分へ旧信越本線沿いを巡る

 信越本線が廃止、寸断されて久しい。現在は、高崎、横川間、直江津、新潟間が信越本線と称している。同線は、夏山、キャンプや家内の実家行きの際に利用していた。昨年秋、横川駅へと予定したが、妙義神社からの帰りに時間を喰ってしまい、行き損ねた。軽井沢に宿泊先が確保できて、その前後を巡ろうと思う。

 めがね橋に寄れず 13時過ぎ高崎駅へ出て、横川行きに乗車。信越本線である。3両列車で、乗客は少ない。安中では、左手に大きな化学工場を見た。山中へ進み、横川駅に着き、もう終点。ここから軽井沢行きJRバスは直ぐで、峠の釜めしを食べる時間はない。さらに、バスは、めがね橋は経由しないと分かった。碓氷峠アプト式鉄道のシンボルで、明治期架設第三橋梁赤レンガの橋であり、鉄道遺産。少なくともカメラに収めようと思っていた。残念。バスは、バイパスを走って峠を上がり、軽井沢駅に着いた。案内所で、追分の情報を得て、宿泊先に入った。シーズン前で、混んではいない。

 カブトムシ型機関車を見る 旧信越本線、現しなの鉄道軽井沢駅で時間があり、旧駅舎前に出ると草軽電鉄時代のカブトムシ型パンタグラフを持つ機関車が保存されていた(写真上)。草津と軽井沢を結んだ私鉄で、1962年廃止されたが、テレビ旅番組の映写で見て知っていた。これはラッキーとシャッターを切ったがアングルが今一と思う。
 しなの鉄道追分駅に降り、バスに乗り換える。昨日得た時刻表とおりで、追分口に下車。すぐ先が追分の地で、左が中山道、右が北国街道へと分かれ、分去れの碑がある(写真中)。全国のそちこちに追分があるが、追分のルーツであろう。狩人が追分を唄った“コスモス街道”があり、歌碑があるとの情報があったが見当たらない。

 追分宿の歴史 旧中山道追分宿は、両側に旅籠らしき建物が遺り、今でもその面影がある。当時は栄え、江戸後期には71軒もあったという。高札場や元脇本陣油屋はその代表だろう。堀辰雄文学記念館から追分公園、そして追分宿郷土記念館を巡る。
 堀辰雄は避暑に軽井沢を訪れて追分宿を知り、定住の地とし終焉を迎えたとある。公園には、芭蕉句碑があった(写真下)。更級紀行の帰途に詠んだ“吹き飛ばす石は浅間の野分け哉”と刻まれていると思う。この度は浅間山は一度見上げただけであった。郷土館では、戊辰戦争の際、追分宿でも赤報隊との騒動があったと知った。
 バスとしなの鉄道で軽井沢駅へ戻り、上りの北陸新幹線を待った。(2023/7/7 K.K.1514)

◇日時 2023/6/18,19 ◇天候 晴 ◇資料 「軽井沢周辺ガイドマップ」 ◇交通費8,460円 ◇歩行距離等 12,000歩 9㎞ 「通過時間等」自宅9:50-JR赤羽駅11:36-同高崎駅13:20-同横川駅14:10-同軽井沢駅14:45=宿泊先15:30/9:20=しなの鉄道軽井沢駅9:59-同追分駅10:13-追分口・追分宿10:25/12:29-しなの鉄道中軽井沢駅12:12-JR軽井沢駅13:57-同大宮駅14:59-同浮間舟渡駅15:32-自宅16:00

花の山入笠山山麓を再訪する

 嬉しい誘いがあった。信州富士見の入笠山(ニュウガサヤマ)にスズラン鑑賞という。Sさんからで、車で往復である。二つ返事で同行をお願いした。入笠山は一度歩いて花を楽しんだことがあり(01.8.15)、再訪も考えていたがなかなか実現しなかった。山梨小淵沢先県境の長野側富士見にある山である。車ならそう遠くはないだろう。
 車は都心から中央高速へ入り高尾、相模湖、そして笹子トンネルを抜けて山梨へと順調に進み、甲府盆地から長野県境を越し、諏訪インターで高速を降り、戻って富士見から入笠山山麓へ進んだ。

 すずらんは小さな白い花 ゴンドラ駅駐車場へ3時間で着き、ゴンドラに乗車。途中で席を換え、八ヶ岳を正面に眺めると高峰が横広がりに連なっている。山頂駅のすぐ前に野草園のスズランの案内があり、当地の標高は1780mとある。
 野草としてのすずらんは初めての出会いと思うが、意外と小さな白い花(写真上)。カメラを構えながら、野草園の間を巡る。土手のツツジが目に付き、そちらへ移動。高原のレンゲツツジは清楚で美しい(写真中)。マウンテンバイク用コースがあり、そちらの利用者も多い。

 シラビソ林、大湿原 反対側の湿原辺りにもスズラン自生地があると知り、シラビソ林の下を行く。ハイカーが多く交差しながら、湿原入り口となり、こちらのすずらんも小さな花を付けている。広い湿原(写真下)を見下ろすが、咲く花は見えない。急坂の上下は徒労かもと坂の途中で、Uターン。
 山麓駅前の野草園に戻ると、Sさんがベンチで休憩していた。私は、下る前にもう一回り。なんとスズランの花が大きく見える。もしかして、温度が上がり花開いたのかなとシャッターを切った。

 甲州街道の思い出 ゴンドラで山麓駅に下りて、帰途に就く。未だ11時前で、富士見へ出て、甲州街道を上る。甲府を越しているが、諏訪を歩いた時、下諏訪で中山道と合流する迄は甲州街道と知った。途中の道の駅信州蔦木宿で、昼食を取る。ゴンドラ乗車した際のサービス券の使用可能で、私はご当地の天ぷら丼、Sさん八ヶ岳そばを頂いた。
 甲州街道をそのまま韮崎インター迄走った。左の河川は富士川の源流らしい。尾白川を見て右奥の同渓谷を歩いたこと(11.8.14)を思い出し、記憶通り酒蔵七賢の案内があった。北杜市にある神代桜鑑賞に来たこと(14.4.10)があり、その標識を見た。そして、釜無川の崖となり、新府城跡(06.7.16)入り口を通り過ぎた。いずれも電車で訪ねた地である。 
 車は早く、14時半には帰宅できた。Sさんありがとうございました。(2023/7/1 K.K.1513)

◇日時 2023/6/10 ◇天候 晴 ◇資料 富士見パノラマリゾート「信州入笠山」 ◇交通費2,000円 ◇歩行距離等 9,000歩 6㎞ 「通過時間等」自宅5:50-富士見ゴンドラ駐車場8:50-同山麓駅9:00-同山頂駅9:10・野草園9:20=すずらん自生地9:30=ゴンドラ山頂駅10:25-同山麓駅・駐車場10:50-道の駅信州蔦木宿11:20/11:40-自宅14:35

大山阿夫利神社下社からの下りに難渋する

 険路が続く九十九曲 先ほど来急降下の下り坂が続いている。それもクネクネの上、狭く石のある悪路である。自分でも、ペースが一定せずヨタヨタと下っているのが分かる。つま先が痛くなり、坂の途中だが、先頭の私は休憩を宣言した。

 本日は、丹沢端の大山阿夫利神社下社へケーブルカーで上がり、参拝後二重の滝から展望台へ出て、尾根筋を日向薬師口へ下るコースとした。高齢者向けのハイキングとして、私が選定した。大山山頂(1251m)は目指さず、大山東山麓を下る一方の楽なコースの筈であった。

 阿夫利神社下社に参拝 友人、弟の3人は小田急線伊勢原駅に集合し、バスで麓の参道街に入ってケーブルで上がり、阿夫利神社下社に参拝し(写真上)、私は地下で清水を汲みスタート。水割り用である。二重の滝(写真中)から原生林内をトラバースし展望台へ出て(写真下)、最初の休憩。久しぶりにストックを出し、鳥の声を聞きながら尾根筋を下り始めた。右手に地蔵像を見てからは、冒頭の急降下の荒れた道となり、九十九曲という難コースへ入った。私は、大山の頂から2度歩いた(94.5.21他)が何ら記憶にない。約30年も前のことだから体力の差もあろう。

 長い九十九曲 腰を上げてリスタートし、またストックに縋りヨタヨタと下り続ける。Kさんはしっかりと歩いている。彼女は同級生だが、ハイキングクラブで鍛え私よりは大分達者である。山腹に切られた九十九曲は長く、出口が見えない。弟は、ヒルが付いたと叫んだ。丹沢系では時々あることだ。ようやく坂の傾斜と曲がりが緩み、右手に沢や林道が見え隠れし、林道へ出た。しかし、また谷川を渡る似たような険路となり、一歩一歩下り続ける。旧伊勢原青年の家を回り込んで、舗道であった。

 駅前で反省会 ここで、ようやく30年前を思い出し、バス停までは結構距離があると分かった。弟は遅れ出し離れたが、一本道だからそのまま歩き続ける。マス釣り場はやっていないようだ。日向薬師への分岐を過ぎて、バス停に着いた。展望台から2時間30分過ぎていた。コースタイムを1時間程オーバーだろうが、無事下山が先である。熟年用コースの筈であったが見事に外れ、反省である。バスで伊勢原駅へ出て、駅前食堂で反省会。いつもは一人だから珍しいこと。ビールで乾杯し、日本酒で疲れを癒した。下戸の弟は先に帰った。隣の平塚在である。お疲れさんでした。(2023/6/27 K.K.1512)

◇日時 2023/5/31 ◇天候 曇り ◇資料 昭文社「山と高原地図21丹沢」1996年版 ◇交通費1,920円 ◇歩行距離等 19,000歩 14㎞ 
「通過時間等」自宅7:15-都営新宿線神保町駅7:59-小田急線新宿駅8:23-同伊勢原駅 9:37-大山ケーブル駅10:05-阿夫利神社駅10:15=阿夫利神社下社10:30=展望台11:40/12:00=休憩12:50=林道14:00=日向薬師口バス停15:20-小田急伊勢原駅(反省会)16:29-三田線日比谷駅17:59-自宅18:00

ニューシャトルに乗り埼玉伊奈町立バラ園を巡る

 バラが見頃とのネット情報が出始めた。隣の埼玉にも三か所見付かり、我が家からアクセスが良い伊奈町立バラ園を選んだ。大宮駅からさいたま新都心ニューシャトルで、終点内宿駅下車である。ニューシャトルは、案内式軌道をゴムタイヤで走る珍しい鉄道で、高架式であり、上越、東北新幹線と並行する。調べると三度目の乗車で、8年振りと分かった。

 ニューシャトルに乗車 埼京線で大宮駅へ出て、ニューシャトル乗り場を思い出せず戸惑ったが何とか見付かり改札からホームに上がり、電車を待った。中央を新幹線が走り、両端の左側が下りで右側が上りという軌道構成を車窓から見て、ようやく前回乗車を思い出した。沼南駅を過ぎて、東北新幹線が右へ大きくカーブして離れていった。  
 終点内宿駅に着き、階段を降りて下車。地図から、バラ園は駅前を左折した大通りと交差する三本目の通りを右折した先と読む。埼玉もこの辺りは疎らな住宅街で、空は高く広がり、筑波山は見えない。関東平野のど真ん中だろう。読み通りにバラ園に着いて入園。

 バラは伊奈町の花 バラ祭り開催中だが後半で、平日のためか人出は少ない。大きなバラ園で、第一、第二、第三と分かれそれぞれに多種類多彩なバラが咲いている。伊奈町政施行20年に、“町の花”に制定された記念のバラ園で、400種類、5000株あるという。
 咲誇るバラの間をゆっくりと巡る。種類や原産地の案内があるが多すぎ、いつものメモは省略し、カメラ片手に花の色に注目し進む。白やピンク、黄色の他、紫を帯びた花や黒系とも見える花も咲いている(写真上、中)。盛りを過ぎた花もある。途中のベンチで一休み。第三園から第一園へ戻り、バラ園を出た。

 伊奈忠次と当町 売店を覗いたら、“忠次”という清酒の中瓶が目に付き求めた(写真下)。戦国期、当地に陣屋を置いたのが伊奈忠次で、三河時代から家康の股肱之臣となり、当地と鴻巣に一万石を与えられた。関東の代官頭を務め、治水や土木に貢献し、確か千住大橋は彼が架けたと思う。隅田川最初の橋で、1594(文禄3)年である。現町名伊奈町の由来でもある。内宿駅へ歩いて、ニューシャトルで大宮駅に戻り、埼京線で帰途に就いた。与野バラ園のある与野本町駅を通過したが、そのまま乗車を続けた。(2023/6/17 K.K.1511)

◇日時 2023/5/25 ◇天候 曇り ◇資料 伊奈町観光協会「2023バラまつり」 ◇交通費1,160円 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅8:25-JR浮間舟渡駅9:08-ニューシャトル大宮駅9:50-同内宿駅 10:15=町立バラ園10:30/11:10=ニューシャトル内宿駅11:30-JR大宮駅12:09-同浮間舟渡駅12:47-自宅13:10

山形フラワー長井線で荒砥を往復する

 昨年11月フラワー長井線で荒砥駅を目指した。処が今泉駅で乗った列車が荒砥行きではなかった。大分走ってから気付いたが遅かった。そんな訳で、山形県内鉄道で唯一未乗車区間乗り鉄は夢と崩れてしまったが、半年後にリベンジの機会が巡ってきた。友人Sさんに車での山形行きに便乗OKを貰った。

 荒砥行きに乗車 今回は、バスで今泉駅に着いた。時刻表と行き先を確かめ、停車中の列車に乗車(写真上)。定刻となり反対側へ進み列車が川を渡り、車窓から見慣れぬ風景を眺め一安心。赤湯駅から荒砥駅への三セク山形鉄道フラワー長井線は旧国鉄の長井線である。当地置賜地区は私の生家から遠く離れ、米坂線は数回乗ったが、未乗車路線であったが、前回今泉駅から赤湯駅へは乗った。
 無人駅に停車しながら列車は長井駅に停車。当西置賜の中心都市だが、私には初めての地。駅ビルが目立った。次があやめ公園駅で、あやめ園が知られ、車窓から園内を見渡したが時期が早く、花は見えない。駅先の神社境内に、兼続植樹の直江杉があると知るも、林が見えるだけ。1600(慶長5)年上杉家家老直江兼続は、米沢から山形の最上氏を攻め、奥州関ケ原戦と呼ばれた。その時この辺りを進軍して山形へ向けたと推測される。

 白鷹町荒砥 次第に左右に朝日連峰の山々が迫った山峡の地を走り、最上川鉄橋を渡って、列車は荒砥駅へ滑り込んだ。大河最上川も未だ上流で、この辺りではやや広めの普通の河川。荒砥駅は売店や観光案内所もある終着駅(写真中)。戻る列車の発車迄少し時間があり、駅前へ出た。当地は長井市の隣の白鷹町。中心街ではなく、過疎の街のよう。最上川下流の方向は朝日町から大江町で、そして寒河江市だろう。荒砥駅から大江町左沢駅へ繋ぐ計画もあったようである。

 車窓風景は理想郷か 赤湯行きに乗車し今泉駅へ戻る。車窓から往きとは反対側を眺めていたら、その流れる風景は農村景色が続く。広い水田地帯で、その奥の山裾に屋敷森のある農家が点在し、走る車も見えない(写真下)。近代的建造物はなく、昭和も大分初期の眺め、理想郷的だろう。それで思い出した。明治初期来日し東北を旅した英国人旅行作家イザベラ・バートは、越後から米沢街道十三峠を経て当地米沢(置賜)盆地に入り、山野の風景を眺め東洋のアルカディア(理想郷)と呼んだという。私は同じ風景を今眺めているのか。雪を抱く奥の高山は飯豊連峰であろう。
今泉駅に着き、バスで羽前小松駅へ。米坂線一部不通の影響で、本日はバス代行であった。米坂線で米沢駅へ出て、無事リベンジを果たしSさんからの連絡を待った。後日、テレビ放送“呑み鉄本線日本旅”の旅人六角精児がフラワー長井線を推奨していた。(2023/6/17 K.K.1510)

◇日時 2023/5/21 ◇天候 晴 ◇資料 「JR全国マップ」21頁 ◇交通費7660円 ◇歩行距離等 7,000歩 5㎞ 「通過時間等」自宅8:50-JR上野駅10:06-同米沢駅 12:16-山形鉄道今泉駅13:28-同荒砥駅14:05/14:21-JR今泉駅15:28-同米沢駅17:40-自宅21:10