奥羽本線峠駅から福島城跡へ

 大失敗 JR今泉駅から山形鉄道長井フラワー線に乗車し、終点荒砥駅を目指した。長井駅の先で、初めての乗車。処が列車は進むが長井駅は出て来ない。おかしいなと思ったら次は宮内駅とあり、えっ!である。逆方向、赤湯駅行きに乗ったと気付いた。
 今回は、大人の休日俱楽部パス最終日で、荒砥駅往復が最初のポイントで、出鼻をくじかれた。今泉駅停車中の列車(写真上)は当然荒砥駅行きと思い込み、いつもの早とちりが出てしまった。

 米沢駅経由行き先のポイントは三つあり、山形県内鉄道で唯一未乗車の荒砥駅往復、奥羽本線鈍行で峠駅へ、そして福島城跡である。そのまま赤湯駅迄乗車し、奥羽本線で米沢駅へ出た。峠駅を通る福島駅行き鈍行は日に5往復程度で、簡単ではない。待合室で、時間を潰し昼食とした。

 峠駅力餅は健在 奥羽本線上りに乗車。変則的で手前の庭坂駅から福島駅はバスという。関根駅、大沢駅と吾妻山連峰山中の坂を上がり続ける。車窓の風景はそう変わりはないが、過疎が進んでいるように見える。ここの路線は思い出がある。50年前の秋、福島へ行くため夕方一人で乗車した。暗い山中の峠越しは寂しく、スノーシェルターで覆われた駅やスイッチバックは初めての経験であった。
 峠駅に停車し、ホームを覗くと売り子さんが力餅を販売している(写真中)。山形新幹線が出来て停車列車が少なくなり、名物だが疾うに止めたと思っていた。次の板谷駅も峠駅と同じような構造。乗降者はない。福島県側の赤岩駅は廃止になっていた。庭坂駅からはバスに乗り福島に着いた。

 福島城跡へ 福島市にも城跡があり、福島城である。JR福島駅から徒歩10分程度で県庁正面に至り、大手門跡の石柱があった。正門左手に大仏城跡や福島城跡の碑がある(写真下)。平安時代末豪族杉目氏が築城し杉目城や大仏城と呼ばれたが、その後伊達氏の支配下を経て、戦国末期城主木村吉清が福島城と改称し、德川期時代天領から1702(元禄15)年譜代大名板倉重寛が3万石で入封し、12代に渡り藩主を務め明治に至った。
 阿武隈川と県庁舎の間が二の丸外にあった紅葉山庭園跡で、板倉氏先祖を祀った板倉神社がある。参拝すると2011年の震災で被害を受け再建したという。直ぐ隣の阿武隈川が天然の要害であったことは歴然だが、震災時は氾濫したのだろうか。庭園に踏み入れたが、僅かな紅葉があるだけで、往時の面影は薄かった。(2022/12/31 K.K. 1487/1500)

◇日時 2022/11/27 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料「JR全路線図」◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 
「通過時間等」自宅7:10-JR上野駅8:14-同米沢駅10:29-山形鉄道今泉駅11:09-JR赤湯駅11:38-同米沢駅13:08-同福島駅14:20=福島城14:30=JR福島駅15:16-同上野駅16:58-三田線巣鴨駅17:12-自宅17:40