旧友達と都内雑司ヶ谷、護国寺を巡る

 久しぶりに旧友達との会合があった際、都内雑司ヶ谷を歩こうとの話が出て、纏まり決まったとメールがあった。私のハイキング仲間で、高尾山や奥武蔵を一緒に歩き、下山後も反省会を楽しんだ。リーダーの一声で、5人が参加。未だ我が絆は残っていた。ガイド資料(「ぶらりぶらり雑司ヶ谷」22.10.4朝日)は、リーダーが用意してくれた。

 鬼子母神から 集合は10時地下鉄副都心線雑司ヶ谷駅と連絡があり、私は西巣鴨駅から歩き都電に乗って鬼子母神前駅に降り、集合駅を探し出口で、4人と出会った。
 都電踏切を渡り、鬼子母神の欅参道へ(写真上)。鬼子母神はキシモジンと読むとリーダー、私はキシボジンと覚えていた。境内には人出があり、七五三参りの家族連れも見える。本殿に参拝。コロナの退散と孫達の成長をお願いした。本殿等の建物は重文で、1664(寛文4)年築との案内板があった。売店は未だ準備中で、当社名産すすきみみずくは作り手の後継者無く、販売していないようだ。
 境内を横へ出てまっすぐ歩いた正面が法明寺。山門越しに眺めたら無人の古刹のよう。軽く頭を垂れて、uターン。都電へ方向を採り、大鳥神社へ参拝。境内には閉店の売店屋台が並んでいる。一の酉が終わり二の酉、三の酉を待っているのかと想像し、スマホで調べると、今年は11月4日、16日、28日とあり、外れではないようだ。

 雑司ヶ谷霊園、旧宣教師館 また都電踏切を越し、坂を上がって、雑司ヶ谷霊園へ。ここの霊園は思い出がある。同僚Oさんの一周忌は当霊園であった。リーダーも一緒に参列した。あれから約20年も経つ。
 広い霊園に夏目漱石と竹久夢二の墓を探し、漱石の墓は立派なものであった。霊園を出て、住宅街に旧宣教師館へ向かう。米人宣教師が1907(明治40)年に建てて34年間使用したとある(写真下)。館内に入り展示物を見学。同種の教会は弘前や鶴岡の外全国各地にも遺ると知った。

 護国寺へ 雑司ヶ谷地区から護国寺へ歩く。高速下の大通りへ出て、左手が護国寺。将軍綱吉が母堂桂昌院のために建立した江戸期からの古刹で、境内は広い。山門から進み、石段を上がり、本堂までは距離がある。
 手を合わせて石段を下り、“からすの赤ちゃん”歌碑と富士塚を案内。作曲家貝沼實や音羽ゆりかご会、童謡歌手川田正子三姉妹へと話が進み、皆さん思い出してくれた。リーダー先頭に富士塚に登る。下で見ていた私もお付き合いで上下した。皆私よりは大分年下で元気がある。
 門前蕎麦屋で昼食兼反省会。私は、Tさんと生ビールから日本酒を頂き、仕上げにお蕎麦。久しぶり御婦人方との食事会は話が弾んだ。また歩こうと約して、地下鉄駅前で別れた。(2022/12/06 K.K. 1483/1500)

◇日時 2022/11/13 ◇天候 曇 ◇資料 「ぶらりぶらり雑司ヶ谷」22.10.4朝日 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅8:55-都電新庚申塚駅9:30-副都心線雑司ヶ谷駅10:00=鬼子母神10:10=法明寺10:20=大鳥神社10:25=雑司ヶ谷霊園10:40=旧宣教師館11:00=護国寺11:10=門前蕎麦屋11:40/12:30-三田線千石駅12:52-自宅13:30