隣の埼玉富士見に菖蒲園から貝塚公園を歩く

前々週、前週と遠出が続き、疲れがなくはなく、今回は近くに歩く先を探した。菖蒲の時期でネット検索したら、隣の埼玉富士見市の山崎公園に咲いているとの情報を得た。東上線鶴瀬駅が最寄り駅で、我が家から近い上に初めての地で、軽ハイキングには丁度良い。早速実行に移した。先日入梅が宣されたが、本日もその兆候はなく晴れ。

 小さな公園小さな菖蒲園 バスで東武成増駅へ出て、鈍行に乗り鶴瀬駅に降りた。家を出てから1時間以内で着き、駅構内に地図や関連パンフを期待したが見当たらない。資料はないが、頭に入れた地図で、駅を出て大通りを右へ歩き出し、川を目指す。想定内に橋があり、川沿いに下る。後に江川と知る。地元の方に尋ねると公園はこの先とのことで、間違っていない。緑地帯が前方に迫り、踏み入ると目指す山崎公園。江川と土手の間の細長い公園だが広くはない。散策者がチラホラ。真ん中の池に菖蒲があり、満開前の八分咲か(写真上)。せせらぎ菖蒲園とある。近付いてカメラに収めた。ネットでヒットする位だから、もう少し大々的な園かと思っていたが、こぢんまりした菖蒲園。

先へ進むとポピーが咲いているが遅めで弱々しい。芥子の花のことで、原色の花は目立ち過ぎる位。種類によっては麻薬になるポピーもあるらしい。埼玉も東秩父の牧場に大規模に咲くと知ったが、何故か足が向かず、来年に回した。

 縄文時代当地も海辺 公園先から反対側へ出て、水子貝塚公園を探す。大通りを行くと、案内板があり、私の歩く方向とは90度違い、戻って修正。当地は田園地帯の中で古い農家がある。右手に公園が現れ、水子貝塚公園。真ん中が広場で、数個の竪穴式住居が復元されている(写真下)。遊歩道に従い一回りするが、貝塚跡はない。説明板を見ると、縄文時代は当地まで東京湾が川沿いに入り込んでいたとある。本当かなと思わないでもないが、約6000年前のことで、貝塚が証明しているのだろう。以前足立区の同様の施設で、やはり足立周辺にも東京湾が迫っていたとの展示を見たこと思い出した。展示館へ入ると貝塚が保存してあった。

駅へ出るバスはなく、展示館受付で、東上線みずほ台駅への徒歩ルートを教えて貰う。意外に近くて分かりやすく、20分程で駅に着き、成増駅から帰宅。暑くなる前に歩き終えることができた。(2017/07/03 K.K. 1118/1200)

◇日時 2017/6/10 ◇天候 晴 ◇交通費 500円 ◇歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅7:55-東武成増駅8:25-同鶴瀬駅8:50=江川の橋9:05=山崎公園9:15/9:25=水子貝塚公園9:45/10:05=東武みずほ台駅10:33-同成増駅11:00-自宅11:20

故郷の恩師からです。『いつもの山歩き里歩き1100回とは、よくがんばったものと感じております。これも健康あってのことですね。・・・拙句”「山歩き 里歩き紀行」百までも”』有り難うございました。

香取神宮、佐原あやめパークを巡る

外房旭で開かれたかぼちゃ会の翌日、解散後は香取神宮参拝を予定していた。帰り際、ホテル玄関で集合写真を撮り、皆で海岸へ出た。外房の大海、太平洋が眼前に広がり、本当に海は広い。左手の岬は犬吠埼だろう。浜では、サーファー達が準備中。茨城へ帰るメンバーのHさん夫妻の車に便乗させて貰うことにした。彼らも参拝するという。

 メンバーAさんの故里へ ホテルを出て、香取市に向け走った。後の車にはAさん夫妻が乗っている。Aさんは佐原出身で、墓参に生家に寄ると携帯が入った。同じ方向のようで、後に付いている。また携帯が届いて、生家の近くになり、府馬の大クスを案内してくれるという。先へ出て貰い農村集落内に入り狭い道を進み停車。大きな古木が神社の境内にあった。大正15年国天然記念物指定、樹齢約1500年のタブノキという。最近台風で一部が剥がれ落ちたが、傾いた異様な形の大幹はいかにも古大木らしい(写真上)。Aさん子供の頃の遊び場であったと話してくれた。驚きながら、カメラアングルを探した。

大社香取神宮に参拝 香取神宮は少し距離があった。私の里歩きの際、香取神社に出会い、また成田線香取駅を通過し香取神宮に寄りたいと思っていた。参道は門前町をなし、土産店や食堂が両側に並び予想外の大社で、全国約400社の総大社と知る。本殿まで距離があるよとAさん。参道を進み総門から楼門を潜り、本殿前へ出て、参拝。賽銭は僅かだが、孫達の成長とぼんちゃんの成仏をお願いした。ご神木の大杉を眺め、参道を戻り、右手の要石へ。大ナマズ伝説に由来し、利根対岸先の鹿島神宮と共同でナマズの頭尾を石棒で押さえているとのことのようだ。そう言えば、鹿島神宮でも要石を見たことがあったと思う(08.11.15)。ここで、千葉野田へ帰るAさん達とは別れた。

  あやめは二分咲き 佐原あやめパークへ行くというHさんに、また同乗。佐原のアヤメは有名で、以前からJR東日本発行のパンフを入手していたが、花期に合わず未訪で、思わぬチャンス到来。利根川水郷大橋を渡って大回りし、与田浦にあるあやめパークに入園。あやめ祭の初日で、入口に二分咲きとある。昨日訪ねたSさん夫妻が二分咲きと話していた。

土曜日で人出の中、どの程度か3人で一回り。そう広くはない園内にアヤメは咲いているが、種類で咲き具合が違う。八分程度のグループもあれば、咲き始めや蕾の儘のグループもある。咲き具合の良い菖蒲を探しながら、ゆっくりと巡る。咲く花は紺や薄紫、白い花が主で、地味な感じ。花の固まりを見付けてはシャッターを切った。真ん中の水郷には野良着の女船頭が漕ぐ舟が出ていて、カメラを向けたが遠すぎる(写真下)。

佐原市街へ出て昼食。Hさんに麦酒付きのお蕎麦をご馳走なった上、JR佐原駅まで送って戴いた。大変お世話様でした。 (2017/06/27 K.K. 1117/1200)

◇日時 2017/6/3 ◇天候 晴 ◇交通費 1,100円 ◇歩行距離 8km 11,000歩
「通過時間等」宿泊先9:30-府馬の大クス10:00-香取神宮10:50=要石11:15-佐原あやめパーク12:00/12:20-JR佐原駅13:52-京成成田駅14:39-都営本八幡駅15:40-三田線神保町駅16:04-自宅16:40

北総に坂田城跡、坂田池を巡る

千葉も外房近く北総の地にある坂田城跡の存在は知っていた。手許のハイキング資料に掲載されチェックはしていたが、総武本線横芝駅が起点で、成東駅の先で遠く、時々は浮かんだが後回しになっていた。今年のかぼちゃ会旅行先が千葉の旭市在のかんぽの宿になり、坂田城跡訪問は直ぐ決まった。旭駅の少し手前が横芝駅である。

 横芝駅から坂田城跡へ 千葉駅で銚子行きに乗り換え四街道駅、佐倉駅、成東駅を過ぎ横芝駅に着いて下車。駅前案内所でパンフを貰うと徒歩15分と教えてくれた。線路沿いから踏切を渡り国道へ出て左折し前方右手に見えるこんもりした丘が城跡のようだ。進み続けると坂田池の標識があり右折。道なりに行き予想より先に池が見え、小高い丘が正面になった。少し回り込むと、城跡への登り口が見付かった。20分は過ぎていた。いきなり急な狭い坂道。直ぐ上がり切って平らな地になり、本郭跡(写真上)。見回すと、杉林だが土塁に囲まれた削平地であることが窺える。濠跡を土橋で渡り二郭跡へ。

坂田城の歴史と構造 坂田城は、戦国期の井田氏の本城で、千葉氏直臣の有力者であったらしく、四代続いた。台地を利用した直線連関式の構造だが(写真下)、最近の調査では、後半に北條氏の配下となりそのため虎口や馬出しなどの築城技術にもその影響がみられるとある。そして、小田原城落城とともに本城も廃城になったが、戦国期の城跡遺構が大規模にはっきり遺るのは珍しいとされる(吉川弘文館「関東の名城を歩く南関東編 坂田城」106頁外)。

 城跡遺構をカメラに収めながら進み、杉林を抜けると畑地だが、三郭跡とあり四方形で広く、低い土塁跡が奥に見える。葡萄園や梨園、梅林のようだ。当城跡では毎年梅まつりが開催され、樹齢50年の約1000本の花が咲くと、先程のパンフにある。郭跡の真ん中を貫く農道を更に進み、また林に覆われた空濠を土橋で渡り、四郭跡。こちらも、現在では一面農地で作業中の方も見受けられる。先程来、時々頭上を飛行機が飛び騒音が五月蠅い位だ。成田空港が近く、航路下なのだろう。四郭の端でUターン。土塁沿いの農道を戻り、本郭を再度確かめ、坂を下り城跡を後にした。

かぼちゃ会へ 坂田池へ寄り、池面を眺める。利根川から取水した水道用水の調整池のようだ。往路を戻り、横芝駅で乗った電車を旭駅に降り、宿泊先へ。ロビーには大半のメンバーが着いていた。直ぐ全員揃い、外房の大海を眺めながら、今年も年一回のかぼちゃ会がスタートした。(2017/06/21 K.K. 1116/1200)

◇日時 2017/6/2◇天候 晴 ◇交通費 1,810円 ◇資料 新ハイキング社「東京近郊里山ハイキング 坂田池と坂田城跡」61頁 ◇歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅9:40・・・JR東京駅11:26-同千葉駅12:14-同横芝駅13:15=坂田城跡口13:45=四の郭跡14:00=同城跡口14:15=坂田池14:20=JR横芝駅15:10-同旭駅15:40-かんぽの宿旭15:55

瀬戸内しまなみ海道大橋を歩く

生口島(イクチシマ)の瀬戸田バス停に降りた。瀬戸内の小島で、しまなみ海道が貫き、目の前が多々羅大橋。晴天下マリンブルーの海は穏やかに広がり、白い橋梁、高い塔、長いケーブルは瀬戸内に架かる大橋である(写真上)。いよいよ海道を歩く。今朝、児島の宿泊先から岡山駅へ出て、新幹線を福山駅に降り高速バス案内所で、歩くには多々羅大橋が良く瀬戸田バス停降車と教えて貰った。暑さに備え水を持ち、濡れタオルも準備した。

多々羅大橋を歩く 瀬戸田バス停は島端で、直ぐ大橋。歩道は橋へ続き、歩くのは私のみ。橋に至り左の側道は狭いが歩くには支障はない。目を海に転じれば、静かな海の上に小島が点々としている。大勢の中学生が自転車で追い付き、元気よく次々と越して行った。学校の行事だろうか。右の車道を走る車は多くはない。反対側からの歩行者に出会うが皆高齢者。

空、海、そして緑の小島と開放感一杯のハイキングは、微かに吹く海風を頬に受けながら、順調に行く。橋上に若者達が固まっていた。広島、愛媛の県境でその標識を入れ写真撮影中。次の大三島が近付き半分は過ぎたろう。中学生自転車隊も渡り終え、先生の指示に従い橋を出て、坂を下りているのが先に見える。私も、約30分程で大三島へ渡り終え坂道を下り、少し歩くと道の駅。先が伯方島が近いらしい、同塩は知っていたが。

ここからは路線バスとし、弁当を求める。バス停を探すと直ぐ今治行きバスが来た。運転手に、来島海峡大橋を歩きたいと伝えたら、馬島バス停からと返してくれた。小島かと思うような山中や集落内を走り、海峡大橋の途中で停まり運転手が降車を合図してくれた。  来島海峡大橋を今治へ 馬島バス停に1人降り、待合所で昼食。道の駅で急ぎ求めた焼きそば弁当を食べ、四国へ向け歩き出した。多 々羅大橋と同じく左の側道を歩いていたら、反対側から声が掛かった。道路管理人らしく、歩行者は右側通行という。仕方なくバス停迄戻り、エレベーターで下り反対側へ渡った。注意書きはあったが見逃していた。

橋は来島海峡の上。海の色は濃く、流れも見える程。同海峡は激しい潮の流れで有名と思い出した。大きな船の往来も見える(写真下)。右手海中にポツンと灯台が建つが岩礁があるのだろう。四国愛媛は目の前となり、山々も近い。多々羅大橋と違い渡る人や自転車は希。四国側へ着くと橋というよりは、高速道路が左へカーブし今治へ向け始めた。今治迄は距離があり、取付通路ループ橋から一般道へ出ようとしたが、長く大回りす坂のループ橋。事前調査ではJR予讃本線波止浜駅が近い筈と、探すが方向も良く分からない。バス停があり直ぐバス来る時間で、ラッキーにも今治駅へ行くと聞き、乗車。

本日は、しみなみ海道多々羅大橋、来島海峡大橋を歩いて、明日は四万十川。今夜泊まる宇和島へ行くべく、今治駅で松山行き電車を待った。(2017/06/13 K.K. 1114/1200)

◇日時 2017/5/28  ◇天候 晴 ◇交通費当日分 3,940円 ◇資料 瀬戸内しまなみ海道振興協議会「瀬戸内しまなみ海道」2016.3 ◇歩行距離 14km 19,000歩
「通過時間等」宿泊先7:50-JR児島駅8:21-同岡山駅9:55-同福山駅前10:00-瀬戸口バス停10:50=大三島11:25=同道の駅バス停11:58-馬島バス停12:45=今治市営住宅前バス停13:38-JR今治駅14:51-同松山駅16:32-同宇和島駅17:50-宿泊先18:00

憧れの四万十川清流を歩く

JR宇和島駅6時4分発予土線に乗った。本日は、四万十川を歩く日。江川崎周辺だが詳細は車中で検討する。事前に略図で沈下橋を渡り歩くコースを想定したが、昨日宇和島駅で入手した資料では、各橋間に4km以上の距離があるようで、練り直す。江川崎駅の一つ先の半家駅から川沿いに歩き、沈下橋を渡りながら江川崎へ下るコースにした。

 半家から四万十川を歩く 私が四万十川を知ったのは、20数年前に観た当地舞台のテレビドラマ”あつよしの夏”だったと思う。その後旅番組に度々登場し、清流、川魚漁、そして沈下橋を知り、是非訪ねたい、歩きたいと思いを募らせた。予土線は二度目で、宇和島城から高知城を訪ねた時(94.2.18)、車窓から四万十川を眺めた記憶がある。

予土線の一番電車は山間を走り愛媛から高知へ入る。途中、高校生が降りて行った。こんな時間の登校は朝練だろうか。支流広見川沿いになり、電車は江川崎駅の次は半家駅に停車し、降りた。山裾の駅から国道へ出て、畦道を四万十川縁へ近付き、清流を覗く。この辺りは岩もあり、やや急流である。上流、下流に沈下橋を探したが見える筈はない。やはり橋間には相当の距離があるようだ。

長生沈下橋を渡る 国道へ戻り、江川崎へ向け下り始める。車の通りは多く、側道を中学生達が自転車で通過して行った。川中に沈下橋が見え、渡ろうと急な階段を川へ降りると小型車が橋を渡っている(写真上)。欄干のない狭い橋なのに人も車も共用なのだ。橋を渡る。左手川岸には舟二艘が繋がれ、川魚漁用であろう。渡り終えた地はキャンプ場で水道を見付け、ペットボトルに水を汲む。帰宅後のウィスキー水割り用である。

 ここで、国道へ戻るのを止め、対岸の集落内を下ることにする。旧道のようで、川に付かず離れずの静かな道。集落を過ぎ森の中を行くと、瀬音が激しい。木立の間に川面を見下したら(写真下)、僅かな落差があり急流を増しているようだ。再度の沈下橋を期待していたが現れず、地図から先程の橋は長生沈下橋と分かった。

江川崎駅を探す 右手の川向こうに家並みが見え始め、そして川は淀んでいる。確か四万十にはダムはなかった筈だが。前方に大きな橋が見え、坂を上がると西土佐大橋。袂のバス停ベンチで休憩し水を飲み、地図を確かめる。既に江川崎内で、橋を渡れば駅へ続く商店街のようで、リスタートし街中に駅を探す。左手に昔ながらの高い鉄橋が見えた。存外に江川崎駅は街外れも奥にあり、無人駅。

わが国最後の清流、憧れの四万十川を半家、沈下橋、旧道、江川崎へとベストルートを歩き、約1時間後の窪川行き迄、1人小さな待合室であった。 (2017/6/16 K.K. 1115/1200)

◇日時 2017/5/29  ◇天候 晴 ◇交通費当日分 15,650円 ◇資料 「四万十川観光イラストマップ 江川崎」◇歩行距離 17km 24,000歩

「通過時間等」宿泊先5:40-JR宇和島駅6:04-同半家駅7:20=長生沈下橋7:40=西土佐大橋8:35=JR江川崎駅10:50-同窪川駅13:09-同高知駅15:30-高知空港19:10-京急羽田空港駅20:40-三田線三田駅21:17-自宅20:05

美しい石垣が遺る津山城跡

今年の同業者の会合が岡山県児島開催と連絡があった。未訪の地であり、前後に訪ねる先を思い巡らした。津山城跡は直ぐ決まり、調べると岡山駅からJR津山線で1時間強のようだ。夕方の開会時間迄に岡山駅から往復しよう。翌日は、フリーコースを選択し、しまなみ海道や更には四万十川へ足を伸ばすには、もう一泊が必要のようだ。

 岡山から津山へ 新幹線で岡山駅に着き津山線乗り換えた。直ぐ郊外へ出て、山間を走ったが山は深くはなく、高くもない。初めての乗車で、知る駅名もない。津山駅に降りると盆地ではあるが背後の中国山脈はそう高峰ではなく、山々に囲まれた風景ではない。駅前案内所で資料を収集し、城跡へ向かう。直ぐ吉井川を渡り中心の市街地で古い商家があり、歴史の街を感じさせる。道を間違え横から鶴山公園に遺る城跡へ上がった。入城料が必要で、珍しい。

石垣が美しい津山城 資料から石垣が大規模に遺ると知り、期待した。最初はこの程度ならそちこちにある城跡と同じと思いながら、三の丸から二の丸へ進むと両側に高く、整然と積まれた石垣は美しい。その間の通路も広い(写真上)。

津山城は、1603(慶長3年)年から13年を要し初代藩主森忠政が築城した平山城。やはり忠政は、あの森蘭丸の弟であった。森家が四代で終わり、その後九代続いた松平家で明治を迎えた。石垣をカメラに収めながら二の丸から本丸、そして天守台へと上がった。五層の天守閣は明治になって壊されたとある。石高18万石としては、城跡遺構は大きい。私がこれまで見聞きした城跡から疑問に思い、帰宅後調べたが間違いはないようだ。本丸の一画に備中櫓が木造で復元されているが、興味が湧かず、専ら石垣を眺めながらその間を巡る。粟積櫓跡に上がると、北方に見える山の向こうは山陰地方だろうが、山陽との分岐嶺中国山脈は低く静かに連なるだけ。三層からなる石垣、その石の多さに驚き採取地は近くにあったのかと余計なことを考えてしまった。

 未だに城下町の面影十分 本丸から石垣裏側を歩き三の丸へ下り、城跡を出た。宮川大橋を渡り、鍵型に歩いて出雲街道沿いに遺る城下の街へ回る。広くはない道の両側に町屋が並び、古い商家や民家が混じる(写真下)。多分昭和初期頃の街通りの風景だろう。奥へ入るに連れ江戸期への色彩が濃くなり、立ち止まってはシャッター切るが、電柱が相応しくない。古商家の城東観光案内所に入ると展示資料の中に、寅さんやリリーの写真がある。寅さんシリーズの最終作が当地ロケの作品と教えて貰うが、観た覚えはない。

藩医箕作阮甫の旧宅があった。彼は、幕末に京都や江戸で医学、蘭学を学びペリー来航等の際には幕府に請われ翻訳職を務めたという。岡山行きの電車時間が迫り駅へUターン。吉井川沿いに歩き、津山城跡を眺めながら、駅へ戻った。 (2017/06/10 K.K. 1113/1200)

◇日時 2017/5/27  ◇天候 晴 ◇資料 小学館「城郭と城下町7山陰 津山城」昭和58年,138頁◇歩行距離 12km 16,000歩
「通過時間等」自宅5:50-JR東京駅7:03-同岡山駅11:39-同津山駅13:20=津山城跡入口13:45=本丸跡14:05=津山城跡入口14:30=宮川大橋14:35=出雲街道14:45=箕作阮甫旧宅15:00=吉井川橋15:25=JR津山駅15:54-同岡山駅17:12-同児島駅17:35-宿泊先17:50

赤城南山麓を歩き秘湯を楽しむ

Sさんから赤城の躑躅情報が届いた。彼に、車をお願いしたい候補先に赤城山もあり、是非にと返事した。赤城の黒檜山は百名山で登った(97.6.8)が、前橋駅前発のバスに乗り遅れタクシーを奮発し、アクセスに苦労したことがあった。赤城南山麓には関東ふれあいの道コースがあるが、歩いた後の交通手段がなく、未踏で手を拱いている。

 久しぶりの関東ふれあいの道 車は、関越高速を走った。前橋ICではなく赤城ICで高速を降り、赤城山へ向かう。カーナビは最短コースを選択し、途中からバス通りに入り山岳道路を上がった。道路端にはつつじが咲いているが、高度を増すに従い木々は芽吹きもなく、冬から覚めた状態のよう。大沼が見え、ビジターセンター前に到着し、パンフを求め、スタート。

私は、ここからふれあいの道”ツツジのみち”を軽井沢峠迄1時間30分程歩き拾って貰い、赤城温泉郷、三夜沢赤城神社と回り、温泉やツツジを楽しもうと提案し、SさんにOKを戴いた。覚満淵は直ぐで、此処まではSさんも同行。水芭蕉が咲く湿地帯と思っていたが、1500mの山上は漫漫と雪解け水を湛え花どころではない。池尻からSさんは戻り、1人ふれあいの道を進む。鳥井峠へ上がると赤城の子守歌の歌碑があった。久しぶりに山道歩きになり、ご婦人一行に先行し、急な階段を上がって小沼。大きめの沼だが直ぐ離れ、小山を越し血の池に着き覗いたが水はない。

笹藪の道を行く ここからコース特有のクマザサの道になる。先程センターで笹の状態を尋ねたが不明で、帰りにどうだったか教えてくれと言われ、管理センターらしくない対応であった。当初は笹藪の中に道は見えるも、次第にうっすらと道筋を示すだけとなった(写真上)が、この時期笹丈が膝程度で歩くことが出来る。夫婦ハイカーが上がって来て挨拶を交わす。右手に車道が見え隠れし、並行しているようだ。笹に苦労する程ではないが、慎重に道を確かめながら歩き続け、ふと右の道路を見ると、Sさんの車。少し先で道路へ出て、予定通り車に拾って貰ったが、軽井沢峠の手前であった。

 秘湯、赤城神社そして躑躅 赤城温泉郷へカーブが連続する狭い道を車は巧みに走る。ふれあいの道コース終点赤城温泉へ下ったが、軽井沢峠から1時間30分では歩けるかと思う程の距離であった。滝沢温泉は小さな一軒宿の鉱泉。渓谷の新緑を眺めながら秘湯の露天風呂を楽しむが、源泉は冷たかった。三夜沢の赤城神社へ寄り、参拝後Sさんを俵藤太の大杉へ案内。数年前、近くの千本桜公園から当地を歩いた(14.4.16)。昼食後、参道の躑躅へ。残念、花は咲き終わっていた。山上との寒暖の大差に驚く中、自然は正直で、日陰にあるつつじは僅かに残る(写真下)。残り花を拾いながら眺め、参道を往復。前橋から高速道路へ入る途中に大胡城跡を探したが見付からなかった。Sさん有り難うございました。お陰で、赤城南山麓のふれあいの道を歩き、秘湯を楽しみ、ツツジも見ることが出来ました。(2017/06/05 K.K. 1112/1200)

◇日時 2017/5/20  ◇天候 晴 ◇資料 群馬県商工労働部観光課「関東ふれあいの道群馬県22ツツジのみち」平成5年1月 ◇歩行距離 8km 12,000歩
「通過時間等」自宅6:30-赤城山ビジターセンター9:05=覚満淵9:15=鳥井峠9:25=小沼9:40=血の池10:05=軽井沢峠手前10:30-滝沢温泉11:00/11:25-三夜沢赤城神社11:35-同躑躅参道11:50/12:35(昼食)-自宅14:40

江戸川フラワーパークでバラを楽しむ

5月半ば、初夏の候を迎え自然は巡り、花の情報が次々に流れる。今回は、新聞からバラが見頃と知った。場所は江戸川フラワーパークとあり、地図で調べると、都内だが千葉寄りにあり、西の我が家からは東の端で、未訪の地のようだ。最寄り駅は東西線葛西駅だが、バラ鑑賞後どうするかは、歩きながら考えようと我が家を出た。

葛西駅から公園へ 大手町駅で東西線に乗り葛西駅で下車。多分初めて乗降する駅の筈。案内板で方向を確かめ、駅正面の大通りを行く。国道環七らしい。交差点を数回過ぎると、前方に公園が見え出し、目指すフラワーパークのある公園。環七を挟んで細長い公園が広がっているようだ。バラ園の前に、反対側の公園へ入る。相撲の土俵があり、珍しい。4本柱もある。その先が子供用野球場のスポーツ公園。公園全体を知ろうと管理事務所を探したが見当たらない。戻って、環七を渡り、フラワーパークバラ園へ。

バラは満開 赤色中心の原色のバラの花は美しいが、やや強烈でもある。そんな花々が、噴水池の回りに咲き誇り(写真上)、広くはない一画を満開のバラの花々が占めている。111種600株という。鑑賞者は多く、狭い遊歩道は込みあい、車椅子も通る。やはり新聞紹介の影響だろうか。ピンクや黄色、白色の花もありカメラに収め、人を避けながら一巡りし、端の高台から一望する。

次は富士公園とあり、富士塚があるのかなと思ったが、小高い丘から富士か眺められることからのネーミングのようだ。多分、埋め立て地域の当地には富士塚はなかったろう。本日は富士の姿はない。遊園地用の小型列車と擦れ違う。パノラマシャトルで、母子達が乗車していた。

 富士公園、なぎさ公園、そして旧江戸川 歩道橋からなぎさ公園へ。花壇やテニスコートがあり、土手では草刈り作業中だが、殆ど人は見当たらない。そして、旧江戸川へ出た(写真下)。歩道を遡上しながら、何処へ向かうか、ゴールするか決断のタイミング。先程の葛西駅では歩き足りないが、その先の都営新宿線一之江駅が適当かと、目指すことにする。川端には釣り宿が点在。東京湾河口からは大分上流と思うが、船なら近いのだろう。

東西線高架下に至り、地図から一之江駅迄は約3km、40分とアバウトに読む。現在11時55分だ。一之江行きのバス停があり、その後もバス停の行き先表示をチェックしながら土手下を進む。瑞江中を左手に見て間違いないと一安心。土手上に上がると新中川であった。ここで川を離れ環七へ出て、一之江駅を探す。私は、地下鉄だがこの辺りでは高架だろうと思っていたが、駅案内があり、地下駅。エレベータで降り、電車に乗ると一之江駅12時34分発で、東西線高架下から39分であった。(2017/06/01 K.K. 1111/1200)

◇日時 2017/5/16  ◇天候 晴 ◇交通費 200円 ◇資料「咲き誇るバラ111種 江戸川で見頃」毎日新聞17.5.10 ◇歩行距離 13km 18,000歩
「通過時間等」自宅9:20-東西線大手町駅10:10-同葛西駅10:30=江戸川公園10:55=同フラワーパーク11:05=富士公園11:15=旧江戸川11:30=東西線高架下11:55=瑞江中12:20=新宿線一之江駅12:34-三田線神保町駅13:03・・・-自宅14:45

都下府中浅間山にムサシノキスゲを探す

私が府中の浅間山にキスゲが咲くことを知ったのは数年前のこと。濃い黄色の花キスゲは好きな花で、ニッコウキスゲを探しに遠出し山や高原を歩いた。草原一面に咲く黄色の花は美しく、癒してくれる。その花が都下府中に咲くという。処がキスゲは7月頃、早くとも6月末咲くのが普通だが、府中のキスゲはムサシノキスゲという別種で5月早々に咲き、これまで花期を逸していた。今年はネットでチェックし、出掛けた。

浅間山は緑地帯 京王線多磨霊園駅が最寄り駅で、誘った弟は今回も先に着いていた。駅前案内板で、道順を確認し街道へ出て、商店街から住宅街を行く。我々の前をハイキング服装の一行が歩いている。やはりキスゲ観賞だろうか。彼らは途中で左折して行ったが、我々は直進を続けると前方に森が見え始め、次第に大きくなり木々に覆われた小山となった。浅間山で、太古以来多摩川の浸食で殆どの台地が平原になったが此処だけで丘程度だが残り、現在は都立浅間山公園として管理され、 住宅地の貴重な緑地帯であろう。

ムサシノキスゲに出会う キスゲ橋という歩道橋側から山へ上がる。直ぐ山頂で浅間神社の小さな祠があり、簡単に挨拶。既に多くの散策者が見受けられる。キスゲを探し、コナラやクスノキ雑木林の下の遊歩道を少し下るとあった。ポツンと一本、黄色の花を付けている(写真上)。下るに連れ、ぽつぽつと咲き現れ、シャッターを切り続ける。キスゲが咲く樹林の下には他の野草はなく、キスゲ用に管理されている様子が窺える。小さな鞍部に下りると、テントがあり”キスゲフェスティバル”開催中。地元のボランティアが詰めて、キスゲ始め野草のパネル写真展示中。アンケートに答え、絵葉書をゲット。一面に咲き揃う写真で、こんな風景もあるのだと先へ進むが見付からない。丘程度の山だが、三つの尾根があり、上下しキスゲを探すが、相変わらずぽつりぽつりの状態(写真下)。開花は目一杯の状態だから、今年は少ないのだろうか。尾根上のベンチで、弟と昼食を取り、暫し休憩。

多磨霊園から駅へ戻る キスゲの花には満足は出来なかったが、咲く花を確かめカメラに収めて、キスゲ橋から隣の多磨霊園へ。こちらは躑躅が咲いている。直ぐ広い墓園へ出て、方向がハッキリしない中、二度目の私は、いつもの山勘で右折左往すると西口に至り、案内板で駅を確かめ、多磨霊園駅へ。少し距離があるようだがバスには乗らず、今回もハイキングだから歩き足りない分をと先行し弟も付いて来た。途中で、往路と並行する道路と分かり、右折すると先程の往路街道へ出て、多磨霊園駅であった。

府中浅間山のキスゲは花数は足りなかったが、数年来懸案の花、ムサシノキスゲを眺めることができた。(2017/05/26 K.K. 1110/1100)

◇日時 2017/5/7  ◇天候 晴 ◇交通費 560円 ◇資料 守屋龍男「多摩100山 府中浅間山」新ハイキング社平成15年35頁 ◇歩行距離 11km 16,000歩

「通過時間等」自宅8:40-新宿線神保町駅9:22-京王線多磨霊園駅10:20=浅間山浅間神社10:50=キスゲ橋11:50=多磨霊園西口12:20=京王線多磨霊園駅12:45-三田線神保町駅13:45-自宅14:20

少し早かった群馬片品の水芭蕉、座禅草

連休中にSさんと車で出掛ける先を相談した。水芭蕉探勝とし行き先はネットで検索。水芭蕉の花の時期は様々であり、初夏の花というのは尾瀬だけで、近くの秩父や栃木の栽培水芭蕉は4月に咲き終え、長野の奥に自生するが遠すぎる。群馬の片品で行き先が決まった。私は同じ時期尾瀬の入口大清水や片品の水芭蕉の森を訪ねたことがある(99.5.6)。

6,7分咲の水芭蕉 大型連休後半の中日とし、高速の渋滞を少しでも避けようと早立ちした。途中僅かな渋滞を繰り返したが、沼田インターを出て、沼田街道を走った。尾瀬鳩待峠口へのルートでもありバスで数回通った。最近では日光白根山登山の際は同僚の車で、途中の鎌田まで通り(14.9.28)、車窓からの風景も見覚えがある。奥に入ると片品の中心は染井吉野が満開で、1ヶ月遅れ。Sさんが”水芭蕉の森”と言いながらハンドルを切り、山側へ入った。駐車場から少し距離があって坂を上がると、地元の案内や売店のテントがあり、その先が湿原であった。

水芭蕉の白い花が咲いている。咲き始めで6,7程度だろうか。約20年前の時は終期で大きく開いた花、葉だったと思う。ほぼ同じ時期だが、今年は雪が多かったのであろうか。シャッターを切りながら木道を巡る。花の色や大きさ、形は外にはなく、水芭蕉特有のもので、惹かれる。Sさんもデジカメを出しアングルを探しているようだ。観賞者が来園し始め、木道を往来している。開花が進んでいる沢中の水芭蕉を選んでカメラに収めた(写真上)。テントで休憩し、次の大清水へ向かった。

冬が明けただけの大清水 街道を奥へ進むに従い周囲の樹木は未だ芽吹きもなく冬が明けた程度の状態。大清水に着き車窓から見えた湿原には花はおろか草木もなく未だ泥地の儘のよう。駐車場付近には雪が残っているが、売店の方は座禅草は咲いているという。少し期待し湿原へ入るが水芭蕉の芽も茎も出ていない。座禅草は、と探したが見当たらない。少し進んだ先で、Sさんが見付け、教えてくれた。暗紅色の花は申し訳程度に顔を出していた(写真中)。花の色も独特だが形もそうで、達磨大師の座禅の姿からのネーミングだったと思う。広い湿原だが数本の座禅草だけで、時期的には未だ早くこれからで、残念。いつも思うことだが、花の時期、特に見頃に合わせるのは難しく、水芭蕉や座禅草のような自然の花は尚更だ。

 名瀑吹割の滝を見学 沼田方向へ戻り、途中の吹割の滝を見学。連休で人出の中、鱒飛びの滝、吹割の滝を巡る。水量もあり、崖の岩場をバックに激しく落ちる滝を眺め(写真下)、渓谷遊歩道を一回りし、昼食にした。市内では沼田城跡に寄って貰い、また沼田インターから関越高速で東京へ。復路は込み合い断続的に小渋滞したが、Sさんの想定通り普段よりは1時間遅れ程度で、帰宅できた。Sさんにまたお世話になり、大変有り難うございました。(2017/05/23 K.K. 1109/1200)

◇日時 2017/5/5  ◇天候 晴 ◇資料 片品村観光協会「片品村マップ」 ◇歩行距離 8km 12,000歩

「通過時間等」自宅6:00-片品水芭蕉の森8:40/9:35-大清水9:55/10:30-吹割りの滝(昼食)11:05/11:50-沼田城跡12:30/13:00-自宅16:30

3度目の正直でどうにか達した北武蔵榎峠

榎峠は小さな峠 11時45分榎峠に辿り着いた(写真上)。埼玉長瀞町と本庄市児玉との境にある山中の小さな峠。これまで二度、近く迄行きながら確認できなかった。奥武蔵も北の陣見山へのコース上にあるが、一度は峠手前から陣見山下を素通りしてしまい、陣見山へも登れなかった(00.9.15)。二度目は、反対側から歩き何とか陣見山へは達したが、下山路には榎峠はなく、また峠には至らなかった(08.11.1)。この時以来、榎峠はリベンジの第1候補になってしまった。そして約10年経過し、ようやく探し当てた峠は侘びしい小さな、小さな峠であった。

崖を上がり再び林道へ 今回も順調ではなかった。秩父鉄道樋口駅をスタートし、前方の北武蔵の山を眺め、目指す榎峠はどの辺りかなと見当付けながら山村奥へと入る。榎峠林道入口に開道記念碑を見付け、手許の地図をみて、林道から山道へ進入した。最初歩いたコースで、うねる林道の近道でまた直ぐ林道へ出る筈と進むも中々林道へ出ない儘、沢の奥へ奥へと入り込み戻れなくなってしまった。山道も踏み跡となりそれも消え、沢もなくなり周囲は壁のような急斜面の崖。斜面を上がり切れば尾根道に違いないと、山歩きの鉄則を思い出し、杉林の崖に挑む。見た目程急ではなく、足場も何とか確保できる。10分か15分程で崖を上がり切ると立派な道へと飛び出した。
右か左か一瞬迷ったが、方向として右に違いないと進むと、陣見山の標柱を見付け、更に榎峠への案内があり山道を急ぐと林道の3差路へ出て、榎峠の小さな表示があった(写真下)。地図と現況とを見比べながら、峠を確かめた。峠と雖も山坂のトップではなく、児玉方向へ僅かに下っているよう。陣見山へのコース案内もあるが記憶になく、やはり此処は通っていない。記念と証拠に標柱や石の祠をカメラに収めた。

間瀬峠へ 3差路を南の間瀬峠へ向け、また林道を歩く。12時を過ぎ、道路端に座る場所見付け昼食。目の前を若者の自転車が走り去った。先程も峠では車が一台通っただけだった。隣の山中にハイキング用山道も並行しているようだが、先程の経験から用心深くなり、無難な林道を行く。広い道路へ合流し間瀬峠のようだ。此処は山中道路の最高地点で峠らしい。山裾の国道140号へ4kmとあり坂道舗道をくねりながら下る。長命水から萩の寺入り口を過ぎると家屋が見え始め、国道に至り、樋口駅へ左折。先程駅前に農協売店があると知り買い物出来るかもと、やや近い野上駅ではなく樋口駅とした。予定時間通り駅に着いたが直ぐ電車が来て時間がなく、乗り換え駅寄居駅前で、地酒”白扇”を求めた。この酒には少し思い出がある。旧職場時代一緒に仕事した今は亡き先輩が通う飲み屋で出してくれたのが白扇であった。本日の晩酌は彼を思い出しながらになろう。(2017/05/19 K.K. 1108/1200)

◇日時 2017/5/2  ◇天候 晴 ◇交通費 2,460円 ◇資料 鶴野紘一「陣見山」新ハイキング496号86頁 ◇歩行距離 17km 24,000歩
「通過時間等」自宅8:05-東武成増駅8:40-同小川町駅9:45-秩父鉄道寄居駅10:07-同樋口駅10:20=林道開道記念碑10:40=崖上林道11:25=榎峠11:45=間瀬峠12:40=長命水13:05=国道140号13:40=秩父鉄道樋口駅14:00-東武寄居駅14:34-同小川町駅14:53-同成増駅16:00-自宅16:30

躑躅は満開であった笠間つつじ公園

多分、JR巣鴨駅であったと思うが、”笠間つつじまつり”パンフを入手し、インターネットで見頃になる時期をチェックしていた。丁度連休の前半頃のタイミングが良いだろうとみて、本日とした。笠間焼きを見たいと、友人Cさんが一緒してくれた。笠間は、私は二度目で(95.12.17)、茨城では南部だがJR水戸線であり結構時間が掛かる。

常磐線友部経由で笠間へ 最初は上野駅から宇都宮線小山回りを予定したが、指定が取れず友部回りとし常磐線に乗車。友部駅で乗り換え笠間駅に着いた。駅とつつじ公園、焼き物祭り”陶炎祭”会場が三角の位置関係にあり、駅からつつじ公園だけ連絡バスがないという。検討した結果、ハイキングだからとつつじ公園へ30分程歩くことにする。駅から市内へ直線的な道で、武家屋敷街であった町なのに珍しい。連休のためか交差する家族連れやグループも多い。二つめの交差点銀行前に至ると見覚えがあり、二度目に間違いないと思った。右折し、Cさんに、赤穂の淺野家はその前笠間が領地で家老大石家の屋敷跡がこの辺りと、知ったか振りをしたら、その案内板があった。

満開見頃の躑躅 つつじ公園下に着き、大勢の見物客に混じり石段を上がって公園内へ。躑躅の中にしゃくなげの花も迎えてくれた。入口から山の斜面一杯につつじが咲き覆っている。赤や朱、白の花の中に、ピンクのツツジが目立ち綺麗(写真上)。山腹の坂道をジグザグに上がりながら、眺めては、シャッターを切るのを繰り返す。Cさんも同様のよう。満開も寸前で、最も良い時期か。空も晴れ上がり、眼下の展望も良い。笠間は茨城でも山間の街のようで、周囲は山々が連なり小さな盆地。躑躅の間を巡りながら山頂へ(写真下)。売店が出ていて、焼きそばとこんにゃく田楽で軽い昼食にする。またつつじを愛でながら反対側へ下り、陶炎祭会場へのバス停を教えて貰うと公園を出た大黒石前。またこの大きな石を見て再訪を実感。確か、前回笠間城跡を出てこの辺りを通った記憶があり、12月のつつじ園は枯れ木状態だったと思う。

笠間焼祭りに付き合う バスで、陶炎祭会場へ着き、テント村窯元の出店へ。Cさんは目指す陶器があるようで、広い会場を探し歩き、ようやく見付かり、手に取り、若い窯元の説明を受け、家族用にと茶碗を数個購入。笠間焼きで、私使用のものよりは大分高級に見える。私にも、”どう”と声を掛けてくれたが、首を横に振った。ここから、友部駅へ直通のバスがあると知り、乗車。込みあい満員で座れない。しかし、15分程で友部駅に着き、常磐線の上りを待った。

Cさんどうも有り難うございました。お陰で、20年振りに笠間を訪ね、つつじを楽しみ、笠間焼きを見ることが出来ました。(2017/05/17 K.K.1107/1200)

◇日時 2017/4/30  ◇天候 晴 ◇交通費 3,940円 ◇資料 笠間市「46回 笠間つつじまつり」 ◇歩行距離 9km 13,000歩

「通過時間等」自宅8:35-JR巣鴨駅9:10-同上野駅9:49-同友部駅12:19-同笠間駅12:35=つつじ公園13:05=同山頂昼食13:45/13:55=大黒石前14:20-陶炎祭会場14:35/15:05-JR友部駅15:45-同日暮里駅17:20-三田線巣鴨駅17:49-自宅18:30

何とか古民家へ辿り着いた八潮ハイク2

目的地は未だ大分先 高速道路高架下から中川堤防に着いたが、目的地周辺ではなく、大分手前と気付いた。八潮市役所を先に見て、中川堤へ方向を採ると前方に高速道路がちらつき、目的地へ向かっていると思っていたが、見当違いで、コース半分程度の地点であった。本日、リベンジ第2弾とし、埼玉八潮コースとした。前回、なんと往きの電車内で肝心のコースパンフを忘れ、初めての地をパンフからの記憶だけで歩き、コースポイント八潮水門は行き着けたが、その先の二つの古民家への道順や位置は記憶になく断念し(16.9.11)、今回是非とリベンジを目論んだ。

八潮水門から古民家へ 堤上で、未だ時間があり、水門まで30分と読みひたすら中川沿いに遡上。周囲の風景は見覚えがあり、少し進むと水門が見え出しスピードが増す。そして、見間違えた東京外環道も前方に走っている。ほぼ想定時間で水門前を通過し、古民家太田家住宅を探す。マップ上では道路に付いるが見当たらない。集落内に入り、尋ねると小路の奥の地を教えてくれた。ようやく太田家住宅前へ辿り着くが本日は非公開日。元商家で二階建ての店舗と白漆喰の蔵がある(写真上)が、隣に現在もお住まいのよう。それで、案内はなく特定日のみ公開しているようだ。閉鎖中の門越しにカメラに収めた。太田家は、江戸中期からの河岸問屋兼旅館で米や油などを扱い、中川の舟運時代に繁盛したようだ。

和井田家は名主住宅 次の古民家和井田家だが、手持ちマップ頼りに山勘で集落内を進む。東京外環道下を通過し上手く進んだようで、大きな農家の道路沿いの植垣の間に案内板を見付けたが、入口にはロープが張ってある。ウロウロしていたら、お宅の方がおられ挨拶すると本日やはり公開していなという。写真だけとお願いしロープを越え大回りすると現お住まいの前に古民家があった。茅葺き、塗り壁の大きな平屋は時代を表している(写真下)。江戸中期のもので、重文指定の名主住宅。当地の大地主だったのだろう。家内の実家旧宅を思い出しながら、シャッターを切った。

リベンジなる なんとかリベンジなり、八潮団地バス停を探した。今回も、観光協会ウェブサイトからマップを出力し、前半市役所付近までは、行き掛けの駄賃に神社を巡り楽なコースとスタートしたが、参拝できたのは大曽根八幡神社のみで、市街地ウォークは難しいと再確認することになってしまった。

バスで東武線獨協大前駅へ出て二重橋前へ。本日夕方旧同僚に会い、報告がある。ぎりぎりだが約束時間に間に合いそう。明日昭和の日、私の受章が新聞発表される日で、事前に伝えたいと約束した。食事しながら話すと喜んでくれ、夕食は麦酒付きでご馳走になった。 (2017/05/13 K.K. 1106/1200)

◇日時 2017/4/28  ◇天候 晴 ◇交通費 1,070円 ◇資料 八潮市観光協会「見どころ」 ◇歩行距離 15km 21,000歩

「通過時間等」自宅13:00-都営大江戸線春日駅13:33-つくばエクスプレス新御徒町駅13:49-同八潮駅14:05=大曽根八幡神社14:35=中川堤15:20=八潮水門15:50=太田家住宅16:10=和井田家住宅16:30=八潮団地バス停16:46-東武獨協大前駅17:15-千代田線二重橋前駅(夕食)18:00-三田線日比谷駅18:50-自宅19:40

リベンジならなかった葛飾湧水2

4月も20日過ぎ大型連休直前となり、今週から連休に入ったとの見方もあるようだ。私は、日頃から連休のようなものだが、改めてこの期間リベンジハイキングを目論もうと思う。これまで歩いたが、コースを踏破出来なかったことや主要ポイントを探し切れなかったことがあり、二桁近いだろう。思い込みや早とちり、そして地図読みの甘さが原因と思う。第1弾として、船橋の葛飾湧水コースにした。湧水・太刀洗い川源流に到達出来なかった(17.2.14)。

大刀洗い川源流は何処 前回帰宅後、船橋観光協会サイトから調べると、”おさんぽマップ西エリア”があり、そこには、太刀洗い川源流が掲載されていた。前回その手前で引き返していたので、楽勝と思い、京成西船駅をスタート。マップ上の目指す地点付近に着き、探した。地元の方に教えて貰えば確実だろうと、ビニールハウスで作業中の農家の方に尋ねたら、知らないとの意外な返事。通り掛かった高齢者も同じ答え。自分で探す外はないと、地図上道路や学校の位置から付近を歩き回り、小公園や緑地を4箇所ほどチェックしたが見当たらない。最後にスマホで検索したが、船橋の大刀洗い川は出て来ない。諦めて、次のポイント熊野神社へ向け歩きながら、嘗てはあったが存在しないのではと思うに至った。

林と神社 JR武蔵野線下から住宅街を南方向へ歩き、高い樹林が覆い繁る地を見付け、熊野神社だろうと見当を付けた。これは、これまで市街地を歩いて身につけた経験からの知識かもしれない。本日西船駅から歩き始め最初のポイント山野浅間神社も、線路周辺の込み入った住宅街に見付けお参りしたばかりで、高い樹木を目印にした。クスノキなどで囲まれた熊野神社に軽く詣でて、境内で小憩。ある筈の名木タブノキは見分けが付かない。緩やかな坂を上がると中山競馬場前(写真上)。先程来塔のような高い競馬場用施設がちらついていた。本日レースがないようで、静かな前庭の奥に立派な競技場がある。渡る通りは、通称オケラ街道だろうか。

中山法華経寺に参拝 住宅街の道を右往左折し最後のポイント中山法華経寺を目指す。方向だけで山勘頼りに進むと住宅街裏手に森と墓地が見え、表へ回わり無事寺院境内へ。今年は日蓮上人に縁があるようで、当寺も日蓮宗大本山。広い境内に諸々の伽藍が配されて五重塔や祖師堂もあり(写真下)、その中に日蓮上人像も建つ。本寺で、家内とぽんちゃんの成仏と孫達の成長をお願いし、重文の祖師堂をカメラに収めた。参道には赤門、黒門とあり、両側には土産店が並ぶ名刹大寺院だが、宗派が違うとは言え、私は最近まで存在すら知らなかった。門前町はそのまま京成中山駅まで続いた。

私の目論見は最初から成らなかったが、自分では大刀洗い川の源流は現存しないものと理解することにした。(2017/05/09 1105/1200)

◇日時 2017/4/24  ◇天候 晴 ◇交通費 300円 ◇資料 船橋観光協会「ふなばしおさんぽマップ西エリア」 ◇歩行距離 13km 18,000歩

「通過時間等」自宅9:25-都営新宿線神保町駅10:08-京成本八幡駅10:46-同西船駅10:55=山野浅間神社11:15=地図上の大刀洗い川源泉付近11:40/12:15=熊野神社12:30=中山競馬場前12:40=中山法華経寺13:05=京成中山駅13:25-都営新宿線本八幡駅13:45-三田線神保町駅14:21-自宅15:00

チューリップ観賞に埼玉深谷を訪ねる

深谷のグリーンパークに咲くチューリップが見頃とテレビで知った。これまで四季それぞれに様々な花を巡ったが、チューリップはない。深谷は埼玉の奥で、縁は薄く、それでも大分前だが一度城跡巡りに訪ねたことがある(02.4.29)。JR高崎線一本なので、近くはないがアクセスは良い方だ。一応地図で確かめ、準備した。

 深谷市外へ JR赤羽駅で、高崎行き快速を予定したが一本前の鈍行に乗車。篭原駅で乗り換え、深谷駅に降りる。構内案内所でパンフを入手し、グリーンパークへは徒歩4kmと知るが、回り道し駅前の瀧宮神社に挨拶すると、境内に咲くピンクの芝桜絨毯が出迎えてくれた。桜が残る上唐沢川沿いに歩く。小川程度だが澄んだ流れで、水鳥も見られる。川向こうに寺院を見て幕末高島秋帆が幽閉されたのはこの辺りの寺と我が家の地図にあった。川が直角に方向を変え農家が多い地区に至る。正面遠くに望むのは奥武蔵から秩父の山々だろう。

八幡橋で、川を離れ大通りを行くと、八幡神社。戦国期頃深谷城主上杉家宿老岡谷氏が勧請した古社とある。斜向かいが仙元山公園。歩き足りないなら、復路に寄ろうかと検討した森。往きは山裾を素通りし、上越新幹線下から交差点を目指す。地図からはもう郊外で田園地帯と想像していたが、家並みは続き、深谷は相当な地方都市なのだろうか。交差点を右折し少し距離があったが、グリーンパークの建物が見えた。

チューリップは満開だが チューリップは中庭にあり、満開。赤白、黄色と原色の花が同じ背丈で咲き揃い綺麗だ(写真上)。カメラを出し、シャッターを切りながら巡る。しかし何か物足りない。予想より小さな花園で、家庭の花壇よりは広い程度。チューリップを売りに宣伝する程ではないと思う。先程駅で、入園料はなしと聞いたが納得。ネットで調べた時も、チューリップ園ではヒットしなかったのも頷ける。グリーンパークはテーマパークで花園や緑地ではなかったのだ。それでも、二回りし、アングルを換え花々を楽しむ。見物客は多い。私同様、テレビの影響だろうか。

赤煉瓦造りの駅舎を写す 復路はバスにしようかとバス停を探したが、本数が少なく時間が合わない。先ほど入手パンフ上の最短ルート通りに駅へ歩く。右手奥に仙元山が見えるも寄る元気はない。市内へ入ると、往路は大分大回りしたと分かった。川の位置を読み違えていた。深谷は渋沢榮一の出身地で、その旧跡案内を見掛けたが駅へ戻り、赤レンガ造りの駅舎をカメラに収めた(写真下)。渋沢が1887(明治20)年にわが国最初の機械式レンガ工場を当地に造り、そのシンボルらしい。土産は深谷ネギとし、高崎線上り電車に乗車した。(2017/05/06 K.K.1104/1200)

◇日時 2017/4/20  ◇天候 晴 ◇交通費 2,280円 ◇資料 深谷商工会議所「深谷サイクリングマップ」 ◇歩行距離 15km 20,000歩

「通過時間等」自宅8:00-JR板橋駅9:10-同赤羽駅9:28-同深谷駅10:45=八幡神社11:15=新幹線下11:30=グリーンパーク12:00/12:20=いこいの広場12:35-JR深谷駅13:20-同大宮駅14:18-三田線新板橋駅15:04-自宅15:30

利根運河から菜の花の江戸川を歩き流山へ

今回は、自らコースを設定し、利根運河から江戸川を下り、流山へと千葉を歩く。以前に歩いた時利根運河には桜が咲き、これに菜の花ロードのある江戸川を繋ぐコラボを思い付いた。いずれも春の花で、その季節がやって来たが、桜は盛りを過ぎたかもしれない。都心よりは北の千葉に少し期待するがどうだろう。

桜は終盤 東武野田線運河駅を出ると利根運河は直ぐ先。利根川と江戸川を繋ぐ運河だが、本日は南の江戸川方向へ歩き出す。桜はあるが色褪せた残り花で、対岸の花も同様。沢山の鯉幟が運河の水に浸かっている。川に渡した綱が切れたのだろうか。川端の料亭角から公園へ寄り、近くにある深井城跡を探すが見付からない。持参マップから付近を彷徨き、尋ねてみたがダメ。遺構はなく案内板程度だと思うが。運河縁へ戻り、以前野田市内へ歩いた時(09.5.1)と同じ道となる。西深井歩道橋を過ぎたが江戸川は大分先。城跡探しに時間を喰ってしまった。堤防下の桜樹の下にテントが張ってあり、家族用のようで花見キャンプだろうか。江戸川は結構遠く、運河大橋からも距離があり、小さな河口公園が見えて、ようやく江戸川へ出た(写真上)。

大河江戸川を行く この辺りの江戸川大河で、広い河川敷の中央に流れがある。堤防の上の舗道を行く。見えるのは空と川と草原だけで、海辺と同じく開放感一杯であり、好きな里歩きだ。晴天だが少し風があり、川風だろう。250m毎距離表示があり、歩く速度が計算でき、いつもより少し遅い。アゲインストの風の所為かと堤防下の道に移る。土手斜面一杯に菜の花が咲き、丁度満開で見頃のよう。前方に大きな橋が見え常磐高速だろう。橋下を通過すると、左前方に建物が現れ始めたが、流山も郊外のようで、市街は遠い。田植えに備え掘り起こされた田圃に(写真下)数羽の白い鳥が見え、白鷺と思われる。昨秋の落ち穂を探しているのか。鳥たちは泥鰌や虫ではなく落ち穂を食べると最近知った。

菜の花は満開 菜の花ロードを歩き続け流山市街へ入り掛けた。事前に地図から運河大橋から流山まで約6kmと読んだが、距離表示では未だ4kmに満たない。菜の花の中にある羽口の渡し場跡を過ぎ、前方の橋は武蔵野線だろうか。そろそろ流山駅へと堤防を下りる地点に見当を付ける。矢河原渡し場跡に市内への案内を見付け、江戸川を離れると直ぐ見覚えのある商店街。2年前訪ねたばかりだ(15.4.12)。あの時も菜の花の中江戸川を歩き、本日のコースが頭に浮かんだのだった。流山は古い店舗や蔵が遺る歴史の街だが、流山駅へ直行。盲腸線流山線を幸谷(コウヤ)駅に下車し新松戸駅へ歩き武蔵野線に乗り換え、その際遅目の昼食を取った。(2017/05/04 K.K. 1103/1200)

◇日時 2017/4/16  ◇天候 晴 ◇資料 流山市「利根運河フットパスマップ」平成24年3月1日 ◇歩行距離 17km 24,000歩

「通過時間等」自宅8:40-JR巣鴨駅9:15-同日暮里駅9:27-東武野田線柏駅10:02-同運河駅10:20=運河大橋11:05=江戸川11:15=常磐高速道下12:10=羽口渡し場跡12:20=流山市街地口12:30=流山線流山駅12:58-JR武蔵野線新松戸駅13:21-同武蔵浦和駅14:01-三田線新板橋駅14:30-自宅14:50

練馬白子川にカタクリの花を訪ねる

カタクリの花情報を思い出した。先日、練馬清水山の森に花が咲いたとの新聞記事(毎日新聞17.4.3)を切り抜いておいた。読み直すと、今月中旬迄見頃とある。ギリギリかなと思いながらも地図を見ると、白子川沿いのよう。同川は板橋区の外れを流れ我が家から近い。練馬の源流を眺めたことを思い出し、記録リストから、牧野記念庭園を訪ねた時(07.7.16)と分かった。源流から白子川を下り、清水山の森へとコースを設定した。

 白子川源流から バスを乗り継いで西武線大泉学園駅から白子川源流へと歩き出す。しかし、都内の市街地歩きはスムーズにはいかず、尋ねながらも右往左折し、源流のある大泉井頭公園に着いた時は、15分の処倍の時間が過ぎていた。源流は二度目と確かめ、再会の丸葉柳の古木に挨拶し、川沿いに下る。直ぐ密集住宅街の間の水路となり、これまで歩いた神田川や石神井川と似たような風景。白子川は大分狭い。西武池袋線下は通れず大回りし妙福寺前となり、境内に咲く桜に惹かれ軽く参拝。また白子川へ戻り下り続ける。処が河川工事中でまた迂回すると、川は消えてしまった。探すが見付からず、道路開発中の地に至り、右を見ると先程バスで通った大通りのよう。三叉路で、暫し地図と道路等から位置、方向を検討。目白通りの突き当たりで北園の交差点と判断する。

目白通りから再び白子川へ 目白通り側道を行くと、先に高速道路がちらつき始め、想定通りで、高速練馬IC下に白子川を取り戻した。一度歩いた地かなとチラッと掠めたが、違っていた。前方に森や高い樹が見えるとそろそろかなと期待するが中々到達できない。また住宅街の間の水路となり小さな橋の袂で、もうすぐと教えられ急ぐ。そして、林と白いテントが見え、目指す清水山の森であった。案内の方はパンフを手渡してくれながら、もうお終いですと連れない返事。

カタクリと清水山の森 遅かったかと思いながらも、林内を巡る。カタクリの花を本格的に観るのは初めて。花はあるが萎んでいる様子。それでも、シャッターを切りながら土手を上がる。鑑賞者は多く、狭い遊歩道を巡っている。上がるに従い、花は残りまずまずといった処(写真上)。

清水山の森は、白子川の土手の一画で、櫟や楢の木が繁る。住宅開発から免れた貴重な緑地のよう。地元の先駆者が自生のカタクリを守り、現在では区が整備し管理しているとある。結構広い林、土手で、その中の斜面に多くのカタクリが花開いている。10万株と新聞記事にあった。湧水もあり、都の名水に選ばれているらしい。木々も浅緑の葉を出し始め、春を実感する(写真下)。

林を出て坂を上がるとバス停。着くと同時にバスが来て成増へ。車中、白子川源流からは距離があり、欲張り過ぎと地図読みの甘さを反省した。          (2017/05/01 K.K. 1102/1200)

◇日時 2017/4/13 ◇天候 晴 ◇資料 毎日新聞「カタクリの花見頃」17.4.3、練馬区「清水山の森」 ◇歩行距離 13km 17,000歩

「通過時間等」自宅8:35-東武成増駅9:11-西武大泉学園駅9:40=練馬井頭公園10:20=西武池袋線踏切10:40=妙福寺10:50=北園交差点11:10=高速練馬IC下11:30=清水山の森12:00/12:15=土岐田二丁目バス停12:20-東武成増駅12:50-自宅18:10

2017観桜に江戸川新川千本桜へ

遅れていた桜もようやく見頃を迎えた。昨年見付けた江戸川区の新川千本桜を思い出し、ネットでチェックした。新川は、都営新宿線船堀駅から近い。四季の花巡りに時々同行してくれる花友Bさんを誘った。週末は生憎雨模様だが、時には雨中の花見も良いだろうと出掛けた。

小雨の新川千本桜 船堀駅に降り、新川へ向け歩き出す。雨は小降りだが降り続け、傘を指した。2人とも軽いビニール傘で、花見には都合良いかもしれない。直ぐ正面が広い川で、両側に桜並木があり、満開の花が続いている。花見客はなく静かで、小雨の中我々だけ、ゆっくりと川沿いを行く。桜木は未だ細く、約10年前地元で植樹したらしい。

江戸川と荒川を繋ぐ運河が新川で、江戸時代に開削され行徳から塩などが江戸へ運ばれたという。いかにも運河らしく、川幅は同じで、流れはない。花は見頃で、咲き開いているが、一枚の花びらも落ち始めてはいない。時々は立ち止まり見上げ、カメラを出しシャッターを切る。架かる橋を過ぎると、反対側からぽつぽつと見物客が来るようになった。

さくら館で休憩 3本目の橋桜橋の袂に、江戸川区新川さくら館があり、寄ってみる。いかにも江戸風の建物を模した施設。イベント準備中の集会室があり、展示物から落語会か。寄席や相撲で使う独特の文字で書いたポスターが展示されている。歌舞伎も同種の文字で、勘亭流と同じに見える。隣の茶所で休憩した。

また新川へ出て、千本桜は更に大河江戸川へ向け先へ続くが、我々は桜橋を渡り対岸へ。Bさん橋上からの眺めが良いとカメラを向けている。私も、戻って橋から見下ろすと、運河の両側に桜並木が揃い、中々の風景(写真上)。デジカメに納めた。また、桜を楽しみながら新川沿いを歩き、船堀駅へ戻った。都営新宿線を横山馬喰駅で、JR京葉線に乗り換え東京駅へ出た。

近くの城北公園も満開 帰宅後、歩き足りなさを補おうと、都心に花見スポットを探すと、板橋蓮根の城北公園がヒット。我が家から近く、三田線で三つ先の蓮根駅下車である。灯台もと暗しで、未知の花見場所。早速翌々日、朝の散歩程度とカメラ片手に三田線に乗り蓮根駅で降りた。駅から直ぐの学校裏にあった。小さな公園は、野球場で占められその周囲に、桜があり、太く高く満開の花を付け盛りで(写真下)、時計回りに小さな園内を一回り。ゲートボール場や機関車を展示した交通公園も併設されている。孫達は知っているだろうか。教えてあげようと思う。意外な場所の桜に驚き、咲き誇る桜花を楽しんで蓮根駅へ戻り帰宅。家を出てから僅か1時間であった。(2017/04/27 K.K. 1101/1200)

◇日時 2017/4/9 ◇天候 小雨 ◇資料 江戸川区「新川さくら館」 ◇歩行距離 8km 11,000歩

「通過時間等」自宅13:15-都営神保町駅13:58-同船堀駅14:30=新川14:40=新川さくら館15:10=都営船堀駅15:40-JR日本橋馬喰駅16:08-同東京駅16:20-都営三田線大手町駅17:30-自宅18:10

蓮田元荒川に観桜ハイキングを十分に楽しむ

この時期、毎年観桜ハイキングをしているが、同じ場所の花見では楽しさも半減するので、新しい桜の名所を探し求めている。手許の古い資料から、JR東日本発行”元荒川さくらまつりと蓮田の自然散策”というパンフが出て来て、咲く時期を待っていた。前日、蓮田在住の同僚から、もうさくら祭りは済んだようだと聞いた。しかし、今年は花は未だ残るだろうと出掛けた。

元荒川傍の久伊豆神社から 蓮田駅は近く大宮駅の直ぐ先だ。パンフ記載コースは駅から市街を南東へ回って元荒川を渡り、黒浜沼でUターンし、市役所を経て元荒川上流であるが、少し修正し、駅から先ず元荒川を目指す。駅を出ると郊外となり元荒川に架かる宮前橋袂の久伊豆神社に着く。当地ではクイズではなく、”ヒサイズ”と呼ぶとある。川端には桜・染井吉野が満開。振り返り上流を眺めると川両側に見頃な桜並木が連なり、コース後半が期待できる。花を見上げながら川沿いを行く。

桜咲く古刹、小沼、市役所前 東北自動車道下を過ぎると桜も若木のようで小振りの並木。なかよし橋を渡り、古い集落の左手にまた久伊豆神社を見て、小学校前。下校の生徒に挨拶され、慌てて返した。新学期が始まったのだ。真淨寺前へ至り、境内を覗くと一本の桜の古木が花を付け、古刹を示していた。野原が広がり、湿地帯のよう。そして、小さな黒浜沼。蓮田のネーミングはこれから来て、元荒川の名残であろうか。ここから集落内をジグザグに抜けるコースで自信はないが、パンフを見て山勘的に方向を採ると、騒音が聞こえ始め、東北自動車道に近づいているようで、間違いない。山王神社前で、一度方向を誤ったが気付き迂回し、東北高速道の高架橋を通過すると市役所前で、駐車場の桜も満開で綺麗。JR宇都宮線陸橋を越した先に、西城沼公園はあった。ベンチで休憩し見回したが、人出はあるがここの桜は大したことはない。

元荒川の両側は満開 いよいよ本日メインの元荒川河川敷の桜へ。住宅街通行中ふと首を右に向けたら、桜花が飛び込んで来た。釣られ横の小路を抜けると元荒川で、ピンクの花を目一杯開き付けた桜の大木が並んでいる(写真上)。目指した元荒川河川敷公園だが、売店や屋台もなく、ゴミの類もない。人も少なく、静かな桜の下で独り占めし、贅沢感さえある。アングルを探してはシャッターを切る。新荒川橋からは咲き誇る桜木が両側に続いている。菜の花があり、下は黄色、上はピンクのコントラストも良い。花見中グループの横を通り、荒川橋を渡り反対側へ。幹を見て驚く。太さ、黒色、姿形も異様で、長年風雪に耐えた古木そのもの(写真下)。今年もしっかりと花を付けている。宮前橋へ戻り、花達に別れたが満たされた気持ちで蓮田駅へ歩いた。(2017/04/23 K.K. 1100/1100)

◇日時 2017/4/6 ◇天候 晴 ◇交通費 1,000円 ◇資料 JR東日本「元荒川さくらまつりと蓮田の自然散策」平成18年2月 ◇歩行距離 18km 25,000歩

「通過時間等」自宅8:50-JR板橋駅9:20-同大宮駅9:50-同蓮田駅10:05=川島久伊豆神社10:20=なかよし橋10:30=真淨寺10:40=黒浜沼10:50=蓮田市役所11:30=西城沼公園11:45=元荒川河川敷公園12:05=宮前橋12:20=JR蓮田駅12:42-同大宮駅13:08-都営三田線新板橋駅14:04-自宅14:35

獣道へ迷い込んだ日向山から見城山

春になりそろそろ山歩きへの移行時期で、低山を歩き足慣らしを考えていた。新ハイキング誌3月号に格好のコースを見付け、最寄り駅が小田急線伊勢原駅で、バスで日向薬師へ入る。弟へ連絡し、日程を調整して、伊勢原駅に待ち合わせた。これまでハイキングの途中に日向薬師は数度訪ねている(最後は01.10.13)。

日向薬師から日向山へ 日向薬師入口でバスを降り、参道から薬師様へスタート。長い参道は記憶に残っていたが、結構な坂。そうだっけと首を傾げながら本堂前へ出て、2人で参拝。改修されたようで、古い木造造りお堂が一新されている。裏へ回り、日向山への登り口を見付け、山道を上がる。急な坂道は久しぶりで辛い。ゆっくりゆっくり足を運び進む外はない。里山は常緑樹に覆われ、左の谷は深い。小さな鞍部に至り、山頂へ右折。緩やかな上りとなりペースも掴めて来たようで、少し楽になった。弟は苦戦しているようで、離れてしまった。一本道で案内柱もあり、先行する。小さな日向山頂(404m)に着くとご婦人グループが休憩中。祠に挨拶後、ベンチに腰を下ろし弟を待つ。前方が開け平塚方向だろうか。弟も上がって来た。

七曲り峠、見城山 次の見城山へ向け、下り始める。持参したストックをザックから出し下りに備えた。里歩きとは違い大きな段差や急降下もあるが、山道では当然のこと。七曲り峠に下りて、また上りに掛かる。これまでよりは荒れて道が分かり難いが、道らしき痕跡を拾いながら上がり続け、見城山(375m)へ到達(写真上)。休憩後、七沢温泉へ下山開始。前方の鹿除け金網柵の扉を出て、ビックリ。急な下りに加え、道は荒れている。普通の歩きは無理で、時々蟹のように横歩きし下り続ける。間違えたかなと思ったが、他に下山口はなかったし上り返すのも辛い。確か山名と城跡の案内は見たが、コースや方向の標識は見当たらなかったと思う。

獣道へ迷い込む 一旦平らな地に下り、藪で道を失ったが、弟がフェンス沿いに踏み跡を見付け、下り続ける。年に数人通った程度の獣道。それでも、2人は何とか下る。弟も棒きれをストックにしている。前方の木立の間に人が見え、人里へ出ると少し安心。山作業用の道となりホッとする。また金網フェンスの扉を開け、林道へと出た。人に出会い、方向を尋ねると右が広沢寺温泉と教えてくれた。そうすると方向が逆で、後に見城山からの予定コースとは反対の山裏側へ下りたと分かった。左に大きな岩壁があり、ロッククライミング中で(写真下)、先程見えたのは岩に取り付いたクライマーであった。岩壁は滑岩(弁天岩)と知る。林道を温泉へ下りながら、弟は、以前鐘ヶ岳から下った道(14.9.8)という。そう言えば、見覚えのある風景もあり、道路右に蓮池を見て、その通りと頷いた。バス停手前でバスが来て止まってくれ、本厚木駅へ。駅前で食事し弟とリベンジしようと別れた。先日催促があったが待って貰っている。(2017/04/19 K.K. 1099/1100)

◇日時 2017/4/2 ◇天候 晴 ◇資料 神崎聡「日向薬師-日向山-見城山-七沢城址」新ハイキング2017年.3月46頁 ◇歩行距離 13km 18,000歩

「通過時間等」自宅7:50-新宿線神保町駅8:42-小田急新宿駅9:01-同伊勢原駅10:15-日向薬師入口バス停10:40=日向薬師10:55=日向山11:40=七曲り峠12:00=見城山12:15=林道12:50=広沢寺温泉入口バス停13:25-小田急本厚木駅(昼食)14:00/14:55-都営新宿線新宿駅16:20・・・自宅19:00

開花状況を見ながら都心を歩く

東京では、3月21日に開花宣言があり一週間過ぎたがその後の進展がなさそうだ。我が家前の桜も蕾から一部が咲き開いた儘の状態。雨や寒い日が続いているからだろう。毎年、私は、花見ウォークを楽しむ時期で、新規な花見先を探しながら、見頃を待っている。テレビや新聞では、その後の桜情報は見当たらない。自分で確かめようと、晴れた本日、標準木のある靖国神社を含め、市ヶ谷から大手町へ歩いてみた。

 靖国標準木は開花しただけ 都営新宿線市ヶ谷駅から靖国通りをスタート。直ぐ近くに東郷公園があると知り、路地へ入り寄る。あの”天気晴朗なれども波高し”の東郷元帥の屋敷跡とある。小さな公園内に桜があり、一本だけ咲き始めた状態。カメラに収め、靖国通りへ戻る。自然は明解で、通り並木の陽が当たる側の桜はそれなりに咲き始めているが、ビルの陰側は開花したばかりの状態。

靖国神社境内に入り、標準木へ近付く。柵に囲まれた桜木が見付かり眺めると、確かに咲いてはいるがごく僅かの枝のみ(写真上)。先日、ラジオでお天気キャスターが樹の老若で差があり、老木は早く、標準木はその例と解説していた。それでも咲き始めただけの状態だろう。これでは未だ未だだと思いながら、境内を歩いていたら満開の桜があったが、良く見ると紙の模造桜であった。

見事なハナダイコンの薄紫 靖国通りを歩道橋で渡り、北の丸公園へ。濠先右は千鳥ヶ淵だが桜は未だで人出はなさそう。濠にはボートが一艘遊んでいるだけ。左先は九段会館。廃館したと聞いたが修学旅行の宿泊所であった。田安門から武道館前へ。昨年長孫の大学入学式はここだったと聞いた。2年生になる最近の孫はバイトしながら学生生活を楽しんでいるようだ。園内遊歩道へ入ると紫の花が咲き花畑を埋めている(写真下)。この時期に出会う柔らかそうな薄紫の野の花は春らしく、好きな花。私はダイコンの花と思っていたがそうではないらしい。カメラに収め、帰宅後図鑑で調べると、オオアラセイトウ、別名ハナダイコンとある(新潮文庫「散歩で出会う花」109頁)。図鑑は900号達成記念にハイク仲間に戴いたもの。

北桔橋門から二の丸庭園 皇居東御苑へは、初めて通る北桔橋門から入苑。右に江戸城天守台の石垣を見て、梅林坂を下り二の丸庭園へ。丸の内の高層ビルを背にした日本庭園の景色も面白く、良い。外国人観光客が多い。当苑は、孫怜と一緒の時(11.6.25)以来だが、その時は大手門から平川門とメインコースだったが、今回は裏コースで苑内も初めて見る石垣や坂、庭で、雑木林はあるが桜は見当たらない。大手門を出て、濠端に2.3分咲きの花を最後に見て丸の内に着き、花見ウォークはこれからと確かめ、歩き終えた。(2017/04/14 K.K. 1098/1100)

◇日時 2017/3/28 ◇天候 晴 ◇資料 「北の丸公園皇居東御苑」2017.3 ◇歩行距離 7km 9,100歩

「通過時間等」自宅10:30-新宿線神保町駅11:16-同市ヶ谷駅11:25=東郷公園11:30=靖国神社11:40=北の丸公園11:50=北桔橋門12:10=二の丸庭園12:20=大手門12:40=丸の内勤務先12:55

群馬榛名に湧水、湖、古社を訪ねる

昨年末、アクセス不便な那須山中に車で尚仁沢湧水を案内して貰い(16.11.6)、栃木奥地にある名水百選の湧水沢を記録に加えることが出来た。今回も、Sさんに群馬も榛名北山麓吾妻線沿いにある箱島湧水へ車を出して貰うことになった。近くの榛名湖、そして榛名神社をもコースに予定した。

渾々と湧く箱島湧水 三連休の中日、関越高速は混み約1時間遅れで渋川インターを出てJR吾妻線沿いに走った。当地は意外に山の中で山峡の地。事前に地図を眺めたがそうは理解できず、地図読みが甘いというか未だ不勉強を恥じる。カーナビは正確で、小さな交差点から湧水へと導いてくれ、坂を上がった山中に駐車場があった。車を降り、箱沢湧水は直ぐ近くで、杉の大木をバックに箱島不動尊の石段脇に名水百選の泉水は渾々と湧いていた(写真上)。案内によれば、榛名湖へ通じ湖から流れ出ているとの伝説があるという。その位、大量の湧水が流出している。一口含み無味だが美味しい。不動尊に参拝すると、地元の方が倒木を片付けていた。社殿を外れて助かったとニコッとされ話してくれた。私はペットボトルを忘れ、近くにあった空ボトルを拝借し、清水を汲んだ。
榛名湖、榛名神社 榛名湖へ向かう。山中の集落を過ぎ、伊香保からの道路に合流し見覚えのある風景が断続する。榛名湖周辺は数度歩き、左手に関東ふれあいの道があり、車窓から特徴ある磨墨岩(スルスイワ)が見えた(02.7.21)。榛名湖は氷が貼っているが半分ほど(写真中)。ワカサギ釣りの名所と思うが温暖化した現在では不可のようで、釣り人の姿はない。湖畔の食堂に入り昼食。客はごく僅かだが、隣国人の客もいてご時世であろう。天ぷらうどんは店の薦め通りであった。
榛名神社へと走って貰う。天神峠を越した際、10数年前とろとろと歩いたことを思い出した。車では近く、再々訪の私はSさんを案内し参道を行くが、記憶にない長い坂が続き、矢立杉の故事は謙信と思っていたが信玄で、大杉の位置も違っていた。記憶と一致したのは奥社裏の御姿岩(写真下)、覆い被さるような奇妙な形の岩にSさんもビックリ。右手の谷に氷柱を見た。
箕輪城跡へ 車は速い。未だ2時前。急遽、箕輪城跡を提案。私の知識ではそう遠くはない筈。カーナビを選択し向かってくれた。想定よりは時間が掛かったが田舎道を走り、到着。私は再訪で(94.6.5)、戦国末期、城主長野業政が信玄の上野侵略に抗した城。勝頼初陣の地で、最後は信玄の猛攻に落城したと僅かな知識を披露したら、Sさんに業政の子業盛の時と訂正された。大規模に遺る深い壕、多くの郭跡を巡ると郭馬出西虎口門が復元され真新しく、不似合いに見える。湧水、湖、古社そして城跡と1日で多くの名所旧跡を巡り、関越高速を戻って貰った。有り難うございました (2017/04/09 K.K. 1097/1100)

◇日時 2017/3/19 ◇天候 晴◇資料 JR東日本「名水と滝45選 10箱島湧水」◇歩行距離 8km 11,000歩
「通過時間等」自宅7:20-箱島湧水駐車場10:50=箱島湧水10:55/11:10-榛名湖畔(昼食)11:40/12:10-榛名神社駐車場12:20=榛名神社12:40=同駐車場13:10-箕輪城跡駐車場13:50=箕輪城跡13:55=同駐車場14:40-自宅17:10

甲州街道を上野原から相模湖へ

私の手許にある資料”甲州古道ウォーキング”を入手して久しい。これまで、大月駅から鳥沢駅、鳥沢駅から四方津駅、四方津駅から上野原駅と歩いた。また大月駅から笹子峠を越し甲斐大和駅へも歩いた。笹子峠手前で残る唯一の上野原駅から相模湖駅コースが気になっていた。今回、上野原駅へと向かった。

甲州街道を行く JR中央本線上野原駅に降り、坂を上がって中央高速道路を渡り、塚場一里塚から甲州街道だが、略図と山勘頼りで折良く一里塚跡に達し、隣の稲荷神社に挨拶し、街道を歩き始める。また高速道路を渡ると古い集落で、両側に農家らしき大きな家が並び、甲州街道の石碑があった(写真上)。諏訪神社を左手に見て坂を下る途中に諏訪番所跡を見る。大きく曲がりくねる道を歩きながら、一度車で通ったことを思い出した。近くの名倉在友人宅を訪ねた時上野原からの帰路だったと思う。直ぐ山梨と神奈川の県境と教えて貰った。私はそのまま坂を下って相模川に架かる境川橋を渡り、神奈川へ入ったが川を渡っては反対側で、コースではないと気付き橋を渡り返し、袂の小道へ方向を採った。坂を上がると、名倉入口の信号があり、コースの国道20号(現旧街道が合流)と確かめる。次が関野本陣跡だが、略図から裏の道と読み歩道橋から裏道を探したがなく、直進すると本陣跡は案内板だけ国道端に立っていた。
 コースを離れ国道20号を進む 藤野駅前を通過し同駅は名倉の友人宅の最寄り駅で見覚えがある。国道を歩き続け、吉野橋を渡り吉野宿(写真下)。吉野宿郷土資料館があり宿場パンフを期待したがなく、お雛様が飾ってあった。右手に勝瀬橋を見て略図を確かめ、ビックリ。甲州街道コースは資料館手前で国道から山側に直角に折れていた。大分進んでしまい、今更Uターンは辛い。そのまま国道を歩き続ける。自動車の往来が激しく、トラック類がひっきりなしに上下し怖い位で、舗道端をキープ。右下は落ちて相模川だが湖のように流れは見えず、広い。
相模湖駅にゴール 脚に疲れが出始めコース後半の筈だが、相模湖の街並みは見えない。小さなトンネルを抜け、ラーメン店先で山側へ回った甲州街道と再度合流する。往時相模川の谷を避け山側となったのだろう。山際と相模川の狭い間に国道、高速道路、JR中央線の3本が並列し、歩道は高速道路下の高架となり、歩きやすいが五月蠅く、眺めもない。高架を降りて相模湖の街・旧与瀬宿に入り、与瀬神社下から明治天皇巡幸記念碑を見て、信号のある交差点を相模湖駅へ左折した。
当初、歩き終えたら名倉の友人に連絡し食事もと考えていたが、二度もコースを誤り、後半の車道歩きに疲れ、電話をする気力は失い、高尾行きの電車を待った。 (2017/04/04 K.K. 1096/1100)

◇日時 2017/3/17 ◇天候 晴 ◇交通費 1,230円 ◇資料 JR東日本八王子支社「甲州古道ウォーキング相模湖→上野原駅」 ◇歩行距離 16km 22,000歩
「通過時間等」自宅8:05-新宿線神保町駅8:49-JR高尾駅10:18-同上野原駅10:40=塚場一里塚跡11:00=諏訪番所跡11:20=境川橋11:30=関野本陣跡12:10=藤野駅前12:25=吉野川橋12:50=勝瀬橋入口13:10=JR相模湖駅14:12-京王高尾駅14:25-三田線神保町駅15:33-自宅16:10

満開であった根府川のおかめ桜

テレビから得た桜情報は、神奈川根府川の桜であった。ネットで調べるとおかめ桜で、染井吉野以外にも桜があることは知っていたが、おかめ桜は初めて聞いた種類。外国人が研究し交配した桜で、淡い紅色の一重咲き、下向きの花が特徴、早咲き種とある。おかめは日本語で美人の意味から採択したらしい。どんな桜かと楽しみである。

 根府川おかめ桜は満開 JR根府川駅の小さな駅舎を出ると、駅前広場に咲くおかめ桜は満開であった。濃いピンクの桜花が樹全体を覆っている(写真上)。これがおかめ桜かと近寄り、見上げ、シャッターを切った。河津桜とも違い色が濃いと思う。これは期待出来そうと桜祭第1会場を目指し、駅前街道を行く。集落を出た分岐点で、祭幟が示す方向を間違え、戻る羽目に合う。山坂の道に至り、結構急でハイキングらしくなったと苦笑。また濃いピンクのおかめ桜に出会う。道端に2本ほどの桜木が全体に花を付け、咲き誇っている(写真下)。カメラに収めた。祭会場に近付いたようで、ちらちらと帰りの見物客と交差し始める。山腹の道下が第2会場で、咲く花と見物客が見下ろせるが通り越し、奥の第1会場へ。
祭第1会場から第2会場へ さらに坂を上がり続け会場の料理店へ着く。この店の庭周辺が花見会場のようだが、桜はポツリ、ポツリと数本だけ。並木や林ではない。本日店は休みで、当てにしていた昼食は取れない。花を求め裏山を回る。展望台があり、山の間から海が見え、相模湾だろう。肝心の桜は少なく拾い歩きだが、菜の花が満開。黄色の花は春に映え、桜を引き立てている。一回りし、第2会場へ。
山裾の小さなホテルの庭に、桜が咲いている。見物客に付いて満開の花を見上げたが、花はこれからの樹もある。陽当たりの違いのよう。レストランがあり、食事にするがメニューにある海鮮ものは売り切れという。昨日テレビで放映され本日は客が多いとの会話が漏れ聞こえた。カレーライスにした。第3会場もあるが離れている上、庭木程度の花のようだから省略し、駅へ戻る。往きに、満開のおかめ桜に出会った地点で、反対側に薄いピンクの桜を見付け、染井吉野かなと思ったら、河津桜と記してあった。その位、両桜のピンクの濃さに差があり、おかめ桜は紅色である。
根府川鉄橋 途中、白糸川に架かる赤い鉄橋があり、階段から坂道を下って鉄橋下へ出て、アングルを探したが、期待した程の風景ではない。橋の先はもう海である。
帰路小田原駅で、駅前商店街の中にある北條氏政、氏照の墓に寄る。以前探すも到達出来なかったが、今回は見付かった。寺の跡地で、現在は商店街の一画に、小さな墓地は遺っていた。本厚木駅に途中下車し、同級生と懇談。ハイキング仲間で、今回は不都合であったが、また歩こうとなり、夏の鳥海山登山の話しも出た。(2017/03/29 K.K. 1095/1100)

◇日時 2017/3/9 ◇天候 晴 ◇交通費 2,120円 ◇資料 片浦活性化推進協議会根府川支部「根府川おかめ桜まつり」 ◇歩行距離 11km 16,000歩
「通過時間等」自宅9:25-新宿線神保町駅10:06-新宿駅10:21-JR小田原駅12:09-同根府川駅12:20=祭第1会場12:55=同第2会場(昼食)13:20/13:50=根府川鉄橋下14:15=JR根府川駅14:26-同小田原駅14:35=北條氏政墓14:40=小田急小田原駅15:00-同本厚木駅15:45/17:21-新宿線新宿駅18:25-三田線神保町駅18:37-自宅19:15

河津桜を求め奥武蔵すみよしの桜の里へ

最新購読誌に、河津桜を訪ねるハイキングコースが掲載された。渡りに船と、見頃の時期を待った。すみよし桜の里の最寄り駅は東上線若葉駅で、ホームグランド奥武蔵内の坂戸市だが、私の歩く山々とは、東上線を挟んだ反対側の田園地帯で、縁が薄く、最近では越辺川に白鳥を探した位だ(15.2.8)。

 大宮住吉神社に参拝 若葉駅に降り、コンビニで略図をコピーしスタート。駅前から正面の通りは二度目で、左折地点を探りながら行く。行き過ぎたようだが工業団地で左折し、予定より先で合流した筈で、コースを進んでいるよう。農村風景となり、左手に学校が見え始め、住吉中学校。校庭ではテニス練習中。良く見ると軟式のよう。私の中学時代を思い出した。当時では珍しく田舎なのに軟式テニス部があった。学校前で、先に森が見え、森内が大宮住吉神社だろうと脚を向け、野道へ入ると一本手前で、畦道を通らせて貰い、弁天池から境内へ。足下に春の野草イヌノフグリを見た。
大宮住吉神社は古社で、境内は広く本殿の外、立派な神楽舞台があり、大木が聳える(写真上)。源義家が奥州平定の際祈願し、頼朝より北武蔵の総社に指定され、家康は勅願所としたとある。私も参拝し、孫達の成長をお願いした。一本の木がピンクの花を付け早咲きの桜。その根元には黄色のラッパ水仙が咲き、カメラに収めた。直ぐ先が西光寺。山門前で遊ぶ猫達に誘われ詣でる。道端の梅畑は満開。数多い白い花を付けた梅花を観るのも久しい。目の前が、目指すすみよしの桜の里のようで、足が速まる。
桜は5,6分咲か すみよしの桜の里は、地元の方が、谷治川、飯盛川沿いに1kmに渡り、河津桜を植えた桜並木。私は、谷治川白山橋から下る。右岸に、桜木は連なり咲き始め花を付けている。しかし、若い木で、5.6分程度で盛りではない。河津桜だがピンクが濃くはないと思う。事前にネットで調べ、花期は2月下旬から3月中旬とあり、今年は暖かく少し早いだろうと本日としたが外れた。それでも、花の下をアングルを探しながらゆっくりと進む。見物客は多い。飯盛川と合流し渡戸橋を過ぎると、地元の売店が出ている。昼時で、私は、テント下ですいとん食べる。値段の割りには美味で、空き腹を満たした。
バスで若葉駅へ また川沿いを下り桜並木が切れた。この後もコースに従い、雷電塚古墳を巡る。小さな集落内の空き地に塚が遺り、前方後円の古墳。埼玉には古墳が多いと思う。昨年西大宮駅前でも見た(16.11.10)。これを最後に若葉駅へ方向を採る。途中で道を誤り、往路の住吉中学校前へ出てしまい、修正し、左手に見えた聖天宮に近づき外側から眺める。平成7年に出来た中国・台湾の道教の廟で、原色で彩られた煌びやかな中華風の建物が美しい。少し歩いて、戸宮交差点バス停で、若葉駅行きバスを待った。(2017/03/24 K.K. 1094/1100)

◇日時 2017/3/4 ◇天候 晴 ◇交通費 990円 ◇資料 宇山清太郎「すみよし桜の里-聖天宮」新ハイキング737号119頁 ◇歩行距離 12km 16,000歩
「通過時間等」自宅9:30-東武成増駅9:57-同若葉駅10:40=住吉中学校11:30=大宮住吉神社11:45=西光寺11:55=白山橋12:10=すみよし桜の里(昼食)12:20=雷電塚古墳12:30=聖天宮13:05=戸宮バス停13:20-東武若葉駅13:38-同成増駅14:24-自宅14:50

河津桜を観に新宿から代々木へ歩く

河津桜観桜2017である。新聞情報で、代々木公園に咲いたと知った。数年前、三浦半島で河津桜を観て以来(13.3.10)、濃いピンクの桜花に魅了された。桜と言えば、染井吉野だが、花色の比較から、私は河津が好きだ。桜木を覆い重なる濃いピンクの花の群は妖艶ささえ感じる。伊豆河津が本場だが中々チャンスがなく、近くの河津桜は是非訪ねたい。

新宿御苑外周を行く 代々木公園だけでは里歩きには足りない。何処かプラスをと思っていたら、折良く、乱雑な机上から、小田急「自然ふれあい歩道新宿~南新宿駅コース」が出て来た。都営新宿線新宿三丁目駅を出て、太宗寺を探す。新宿も繁華街の端のようで飲食街。寺の名前から再訪かなと訝りながら境内へ入り見渡すと、六地蔵があり、やはり来ていた(05.6.13)。軽く参詣後、御苑へ近付き塀沿いを行くと、知り合いの事務所下。えっ、ここなのと一瞬寄ろうかと考えたがこちらは遊びの途中で、場違いと気付いた。
鉛筆の碑は真崎鉛筆 御苑大木戸門前から、四谷大木戸門跡碑、玉川上水水番所跡碑を眺め、大交差点で右へ渡り、住宅街へ。マップでは鉛筆の碑がある筈。先に見えた社は多武峯内藤神社で、寄って詣でる。新宿にお屋敷があった高遠藩内藤家に由来するらしい。狭い境内にある小さな石碑が鉛筆の碑(写真上)であった。三菱鉛筆の元祖真崎鉛筆を記念したもので、1887〈明治20)年当地創業とある。約30年前、私が担当した制度史編纂の際、調べて書いたことがあり(「工業所有権制度百年史・上巻」358頁)、真崎鉛筆は知っていた。 新宿御苑外側を大回りし、大京町から千駄ヶ谷駅前、そして北参道交差点を直進し、明治神宮内へ。この時期の都心の森は、緑色は残るが微妙な色合い。広い参道には外国人も多い。今回は参拝はしないで、原宿駅口へ出て、本命の代々木公園へ急ぐ。
公園奥に咲く河津桜 代々木公園は広い。河津桜を求め、奥へ奥へと進むが花は見当たらない。園内には、運動する部活の学生、遊び談笑する母子達、散策中の高齢者等々、いつもながら多くの人達がそれぞれである。中々到達できず、ほんの1,2本の桜が針小棒大に報道されたのではと疑念が生じ始めた頃、右先からピンク色が飛び込んで来た。あったと、ピンク先を目指した。
河津桜は咲き、満開状態(写真下)。それが4,5本が固まり、桜を囲んで、若者やご婦人達が眺め、また携帯を翳している。私も、ようやく出会えた思いで、桜木に近付き、眺め、ベストアングルを探した。木々は太くはなく、10年位か。中でも、一番咲き振りが良い木のベストポジションを見付けて、シャッターを切った。友人達へもと携帯にも収めた。満足とまでは行かないが、前回座間谷戸山公園で観たよりは増しと思う。そんな気分で、広い公園を出て、小田急代々木八幡駅へ向かった。 (2016/12/27 K.K. 1093/1100)

◇日時 2017/2/27 ◇天候 曇り ◇資料 小田急電鉄「小田急自然ふれあい歩道 新宿~南新宿駅コース」 ◇歩行距離 10km 14,000歩
「通過時間等」自宅9:35-新宿線神保町駅10:17-同新宿3丁目駅10:30=太宗寺10:35=大木戸門跡碑10:50=多武峯内藤神社11:00=信濃町駅前11:15=明治神宮北口11:30=代々木公園入口11:45=代々木公園河津桜12:00=同参道口12:15小田急代々木八幡駅12:30-新宿線新宿駅12:43-三田線神保町駅12:57-自宅13:55

座間谷戸山公園に河津桜を見る

弟から催促メールを貰ってしまった。先日、購読誌に彼が住む近くの日向薬師から七沢温泉への山歩きコースを見付け、情報提供していたからだ。しかし、前回の身延山久遠寺の石段上がりで筋肉痛が出てしまい、脚が痛く、山歩きは無理な状態。妥協として、小田急沿線に座間谷戸山公園の里歩きコース(るるぶ「里山ウォーキング 座間谷戸山の谷戸へ」2003,63頁)を探し、弟も同意してくれ、座間駅に集合した。

谷戸山公園水鳥は定休日 座間駅に着くと弟は待っていた。聞くと当地は少し土地勘があるという。彼の案内で、小田急線に沿い谷戸山公園を目指す。里山の裾を行くと距離はなく10分程で公園西口に着き、長屋門が迎えてくれた。古民家の里山体験館へ入り、案内パンフを貰う。民家内部は大きな農家の造りで、我々が子供の頃故郷で出入りした親戚の家々を思い出させた。
園内一周しようとコースに従い雑木林に向け坂を上がる。木々は未だ裸で春は遠そう(写真上)。時々はジョガーや散策者と挨拶を交わしながら、山腹トラバース状の遊歩道を進む。園中央に水鳥の池があり、観察小屋がある。我々は、坂道を下り池正面へ出たが、期待した水鳥の姿はない。良く見ると奥の岸辺に数羽の鳥が休んでいるようだ。やや大きめでカルガモらしい。弟は、池中にカワセミ用止まり枝を見付けたが、周囲にも鳥の様子は窺えない。諦め、遊歩道を戻ると、大きなカメラを抱えた高齢者夫婦に出会い、挨拶。思わず、”鳥達は定休日のようです。”と口走ってしまった。
 河津桜が満開 広場から伝説の丘へ。曇り空だが大山から丹沢の山々が望めた。丘下にピンクの花を付けた樹を見付け、近付くと川津桜。三本あり濃いピンクの花が満開状態(写真下)。好きな花、桜で今年は是非訪ねたいと時期を待っている。先日伊豆で開花したとの報に接したばかり。本日期せずし出会いしっかりと眺め、カメラに収めた。弟は、散り始めではないかと言いながらもシャッターを切っている。直ぐ西口だが未だ1時間歩いただけ。
座間の社寺を巡る 先程座間駅で入手した”小田急自然ふれあい歩道座間駅コース”に従い、小田急線高架下から冨士山公園、護王姫大明神、そして星の谷観音を巡る。護王姫は義経夫人で、奥州へ義経を追ったが当地で難産のため亡くなったという。墓標とした大欅が今も境内に聳えるが、2人で眺め、東根の方が遙かに巨木だねと頷きあった。星の谷観音の銅鐘は重文とある。参拝後、座間駅へ戻る。駅は近く、丁度昼時。駅前食堂で食事後、座間駅で弟と分かれ、次のハイキングに日向薬師からのコースを約束した。(2017/03/15 K.K. 1092/1100)

◇日時 2017/2/22 ◇天候 晴 ◇交通費 910円 ◇資料 小田急電鉄「小田急自然ふれあい歩道 座間駅コース」 ◇歩行距離 10km 14,000歩
「通過時間等」自宅8:20-新宿線神保町駅8:58-小田急新宿駅9:18-同座間駅10:15=谷戸山公園西口10:25=水鳥の池10:40=伝説の丘11:05=冨士山公園下11:20=護王姫大明神11:40=星の谷観音11:55=座間駅(昼食)12:10/12:43-新宿線新宿駅13:40-三田線神保町駅13:51-自宅14:25

身延線で久遠寺に詣で、富士川沿いに走る

甲府に宿泊した翌日、予定通り身延山へ向かった。我が家の宗派ではないが以前から訪ねたく機会を待っていた。調べたことがあり、甲府からは遠く、信州松本からの帰りに途中下車して寄るという訳にはいかないと分かった。若い頃下部温泉へ職場旅行した際参拝し、長い石段に苦労したことは覚えている。

身延山へ 甲府駅南口の信玄像に挨拶し、身延線特急に乗車。電車は田園地帯から山間を走る。里山には雪はなく、奥に覗く白の高峰は南アルプスだろう。山深い地を走り続け、鰍沢口、下部温泉を通る。鰍沢は古典落語で知る地名。下部温泉では、信玄隠し湯に入ったが温かったと思う。約1時間で身延駅に着き下車しバス。駅案内所で、石段は大変だから坂を上がった方が良いとアドバイスされた。門前街でバスを降り、久遠寺へ。土産店が並ぶが今一活気がない。冬期でシーズンオフだからだろう。
石段に挑戦 商店街を出ると大きな寺門・三門が目の前に現れた。大きさや黒色が異様な程の門だが、記憶にない。潜ると杉並木の先に石段が見え始めた。当然今回も上がるが、287段あり7ブロックからなると知る。ゆっくり、休み休みであれば何とかなるだろう。最初は一気に踊り場まで上がってしまい、張り切り過ぎ。真ん中に手すりが設けられ掴まり、時々は休みを入れ上がり続ける。同時に取り付いた3人と前後になりながらで、同年配だろうか。踊り場左に抜け道が見えるが無視し、石段を行く。どうにか約15分で300段弱を上がり切り、見下ろすと結構急で(写真上)、記念にカメラに収めた。
久遠寺本堂内へ入り賽銭を出して参拝し、孫達の成長をお願いした。お堂ではお坊さん1人読経中で、静寂、荘厳さを感じていたが、突然の咳込みがこれを砕いた。境内に日蓮上人のお墓の案内があり、序でにと足を向けるも、境内は広く中々見付からない。諦め掛けた頃、また案内に出会い、お墓へと導かれた。上人のお墓は笠、胴のある大きな立派なもの。手を合わせた後、坂を下った。
富士川沿いに静岡へ 身延駅から乗車した富士行き2両電車は富士川沿いに走る(写真下)。車窓から大河を眺めながら、戦国期前後から舟運が発達し、それで、今川家と武田家が姻戚関係に結ばれ、信玄は、甲斐を出て駿河から浜松迄侵出出来たのではないかと愚考した。その通り、十島駅、稲子駅辺りで峠や渓谷もなくあっさり県境を越え静岡へ入った。ネットで調べると、明治期になり、富士川の舟運業者達は鉄道建設に反対した程であったようだ。
富士山が見え始め、当初右側へ現れ方向が不明になったが、身延線は、いつも見る富士とは反対側、南西を走っていると気付き、富士宮駅付近では大富士はその位置に落ち着いた。身延線で、甲府、鰺沢口、下部温泉、身延山、そして富士宮と初めて回り、楽しい旅となった。富士駅で東海道線に乗り継ぎ、三島駅からは新幹線で帰途に就いた。(2017/03/10 K.K.1091/1100)

◇日時 2017/2/18 ◇天候 晴 ◇交通費 3,500円 ◇資料 身延山ロープウェイ「癒しと信仰のパワースポット身延山」 ◇歩行距離 7km 10,000歩
「通過時間等」ホテル8:00=JR甲府駅8:44-同身延駅9:40-身延山バス停9:55=三門10:00=久遠寺本堂10:20=日蓮上人お墓10:50=身延山バス停11:10-JR身延山駅13:34-同富士駅14:02-同三島駅14:50-同東京駅15:54-三田線巣鴨駅16:19-自宅16:50

甲府に行き武田神社、甲府城跡を再訪する

同業者の会合が甲府で開催された。私の出番は午後15時で終わり、夕方のパーティまで時間が空いた。折角だからと武田神社参拝を思い付いた。数年前奥の積翠寺から要害山城跡を歩いた時寄ったことがある(10.4.3)。その時の経験では甲府駅から徒歩30分位だったと思う。時間的には十分間に合う。ホテルに資料等を預けた。

 甲府市街から武田神社へ ホテルを出ると小雨がぱらついている。本日春一番が吹き気温16℃の予報のようで、寒さはない。傘を指すほどではなく、甲府市役所前を過ぎ、左が県庁、右が甲府城跡。JR線路を高架橋で渡り、市内が見渡せる。甲府は、私にはきれいな住みやすい街のように感じる。高層ビルは少なく、乱雑さやけばけばしさがない。それは、碁盤目のようにきっちりと市内を縦横する道路の所為かもしれない。そんなことを想いながら、駅北口から武田神社へ直進する道へ入った。次第に傾斜が現れ緩やかな坂道を上がり続け、山梨大キャンパスの間となる。バス停名に”梨大前”を見付け、嘗て友人と交わした話しを思い出した。前職場時代ことだが共通の知人が辞め、”山大”へ行くという。私は、山形大と思ったが、山口大であった。その時、当山梨大も、”山大”かななどと思い巡らしたことがあったのだが、違っていた。
武田三代の城跡 住宅街を過ぎ、正面にようやく神社が見え出した。濠に架かる橋から境内へ入り、本丸跡の社殿で参拝。そしてほぼ四方形の城跡躑躅ヶ崎館を巡る。東方の大手口先には丸馬出のある郭が最近発掘したような土むき出しの儘の状態。反対の二の丸へ回り、内枡形を見る(写真上)。3度目の来訪と思うが初めて見る遺構で、カメラに収めた。当館は、戦国期に活躍した信虎、信玄、勝頼三代の居城であるが、信虎時代駿河今川氏に攻め込まれ、一時は詰城の要害山城へ後退し、その後なんとか今川勢を追い返したようだ。信玄はその時誕生したがその地が当城ではなく、要害山山麓の積翠寺であったのはそんな事情があったからと知った。
近世の甲府城跡 信玄の墓がある近くの寺を目指したが探せないままバス時間が迫り、バスで市内へ戻って県庁前に下車。バス停直ぐの鍛冶曲輪門(写真下)から、戦国末期築城の甲府城跡へ登城。当城も再訪で(12.7.27)、その時は改修工事中であった。現在は出来上がっているようだが、工事中の箇所もある。整備、改修された石垣や門、土塁を眺めながら、石段を上がり鉄門を通って天守台下へ。天守閣はなかったというのが通説らしい。天守台へ上がったが曇り空では周囲の山々は見えない。南アルプスの展望もあるのだろうが。ホテルへ戻りパーティに参加し、翌日身延山へ回る予定と話したら、当地の方が、身延線は車窓の景色が良いと推薦したくれた。(2017/03/05 K.K. 1090/1100)

◇日時 2017/2/17 ◇天候 小雨後曇り晴 ◇交通費 3,650円 ◇資料 有峰書店新社「戦国武田の城」昭和63年4月、17頁 ◇歩行距離 5km 7,000歩
「通過時間等」ホテル15:10=甲府駅北口先15:20=山梨大前15:40=武田神社15:55/16:15=護国神社前バス停16:30-県庁前バス停16:45=甲府城天守台跡16:55=鍛冶曲輪門17:05=ホテル17:15

千葉船橋に葛飾湧水を探し歩く

首都圏を広域的に歩こうと今回は千葉県にコースを探し、葛飾湧水を見付けた。新ハイキング誌総目次から掲載誌を探すも、本棚にある筈だが抜けている。処が、偶然にも昨年末北総台地を歩いた時持ち帰った広報誌”京成らいん”(2016年12月)に掲載されていた。葛飾は古い地名で、現在は都内に葛飾区があるが、以前は市川、船橋を含む東京都、千葉、埼玉に跨る地名であったらしい。

二子浦の池、戻って二子藤の池 都営新宿線終点本八幡駅から歩き出す。駅前商店街、市川市役所前を過ぎ、並行する京成本線の駅から現在地を読みながら国道14号の千葉街道を行く。湧水だから郊外の田園地帯かと思っていたが、家並みは切れない。鬼越駅、京成中山駅を過ぎ、そろそろかなと思ったら、道路右に、”二子浦の池”があった(写真上)。大きめの個人宅の池程度で、澄んでもいない。案内板が立ち間違いないだろう。エッ、そうすると手前にあった池が”二子藤の池”だったのかと思い直し、慌てて戻った。綺麗でもなく傍に建つ家の池と思い通り越してしまった。藤棚の下に池があり、通りの反対側に案内板があった。当地は鎌倉時代以前は海岸で、二子浦と呼ばれていたが、その後干拓が進み、北側台地に降った雨が南側の当地に湧出し、農業用や生活用に使われていたという。
また戻って葛飾神社の池 千葉街道を、次の次葛飾神社の池を探しながら進む。しかし、中山競馬場への交差点を過ぎ葛飾神社前になってしまった。略図を確かめ、また戻って住宅街の間の小路へ突入すると、”葛飾神社の池”があった。当てずっぽうで辿り着いたと言って良い。葛飾神社に詣でて、これから残る湧水池を巡るが、自信を失い略図の全池は無理だろうと思い始めた。
 京成西船駅地下道を通り、お屋敷風の住宅が並ぶ大通りの坂を上がり、この辺りかなと思うが、”太刀川の源流”は見付からない。通り掛かった方も知らないとの返事。右手に高架鉄道が走るが後に武蔵野線と知った。先に高い樹木があり行ってみたが小さな神社で、池はない。諦めて、ここで駅へUターン。
偶然ゲエロの池へ また山勘で小路へ入ると略図にある八坂神社。軽く参拝し小路を下った先に池があり、葛飾湧水の一つ”ゲエロの池”で(写真下)、偶然の出会い。嘗ては生息した牛蛙に因むネーミングらしい。集落内農家の間を進むと皆塀が回った立派な古い住宅が続く。三叉路近くのお宅の庭に見付かったのが、”葛羅の井”。江戸期に太田南畝が書いた石碑が建っていた。これで、太刀川の源流を除き、略図にある湧水群を探し当て、京成西船駅へ向かったが、ここは市川ではなく、先程来船橋であった。途中に、家康に当地栗原藩に封じられ子孫が犬山城主となった成瀬家の墓がある古刹宝成寺があった。(2017/02/25 K.K. 1089/1100)

◇日時:2017/2/14 ◇天候:晴 ◇交通費:140円、シルバーパス ◇資料:京成電鉄「京成らいん 中山~船橋歴史探索マップ」2016年12月 ◇歩行距離11km, 15,000歩
「通過時間等」自宅9:45-新宿線神保町駅10:28-同本八幡駅10:50=二子浦の池11:30=葛飾神社11:45=八坂神社12:30=ゲエロの池12:35=葛羅の井12:45=京成西船駅12:58-新宿線本八幡駅13:20-三田線神保町駅13:45-自宅14:20