天満宮から御堂筋に芭蕉終焉の地を訪ねる

 今年の春大阪生駒山に登った(19.4.22)。その帰途大阪市内の地下鉄本町駅で、芭蕉句碑の案内に出会い、急遽地上へ出て難波別院南御堂を探し句碑を眺め、カメラに収めた。その時芭蕉終焉の地もこの辺りの筈と、スマホで検索し御堂筋へ出て、上下したが探せなかった。この度、また大阪へ行く機会があり、是非探したい。

 大阪天満宮に参拝 正午過ぎJR大阪駅に着き、友人で同業のMさんに会い、梅田で昼食しながら本日の用務の打ち合わせをした。幸い仕事は15時過ぎからで、その前に天満宮と御堂筋に寄りたいと伝え、JR北新地駅へ案内して貰った。JR東西線に初めて乗り、隣のJR大阪天満宮駅に下車し、案内図を確かめ地上へ出た。商店街の中左折すると裏参道で、天満宮へ導かれた。学問の神様道真公に参拝し、来年高校受験の北海道の孫の事をお願いし、賽銭はいつもより多目である。受験時期には湯島天神様へもお願いしたい。
 天満宮と大塩の乱 境内を巡ると、古い木造の山門や神殿で(写真上)、戦災は免れたが、あの大塩平八郎の乱で燃えたとある。中学か高校の日本史で習った事件で、スマホで調べると、天保の飢饉からの町民救済を求めての決起であり、一揆のような乱で、悪代官もいて、最近楽しんでいる水戸黄門漫遊記の筋書きのようでもある。神殿裏側に登竜門の案内があるが良く分からない。カメラに収め、後にゆっくり調べようと思う。
 徒歩で御堂筋へ 地下鉄南森駅から堺筋本町駅へ行き、徒歩で御堂筋のある本町駅へ出たい。駅員に徒歩と伝えて教えて貰い、ビルの地下街を歩く。あの船場のようだ。四つ目のビルで地上へ出ると御堂筋。同筋を左の方へ行ったが見当たらない。事前の調べでは、大通りの中の緑地帯に標柱だけが終焉の地を示していると思う。前回句碑があった難波別院南御堂もない。反対側かなと戻って、高速の下を過ぎると、前方の緑地帯にポツンと立つ標柱が見え、あれだと自動車に注意しながら近付くと、芭蕉終焉の地と刻んであった(写真下)。前回は、もっと南、心斎橋の方へ歩いてしまったようだ。

 遂に終焉の地碑 俳聖は、門人の諍いの仲裁に来坂中病臥に伏し、当地にあった花屋仁左衛門宅で亡くなった。1694(元禄7)年10月のことで、51歳、おくのほそ道の旅から5年後であった。“旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る”を詠み、辞世の句として知られ、今春、難波別院南御堂境内の句碑で確かめている。これで、私の俳聖の跡追いハイキングにも、おくのほそ道の大半を歩いたときは締めになるかもしれない。用務の時間が迫り、綿紡会館へ急いだ。
 先日、山形の読者から“奥の細道330年芭蕉展”の情報を貰い、日比谷に訪ねた。芭蕉後の蕪村達は、風流人、文人として俳聖を追跡、研究し作品を遺している。単なる追っ掛けの私は、場違いかなと思わざるを得なかった。(2019/09/14 K.K. 1282/1300)

◇日時 2019/8/26 ◇天候 晴 ◇交通費 現地分300円 ◇資料 日本メールオーダー社「大世界百科事典アルファ」1974年、5469頁 ◇歩数等 13,000歩 10km
「通過時間等」自宅7:50-JR東京駅9:02-同新大阪駅11:50-同大阪駅(昼食)12:06-同北新地駅13:26-同大阪天満宮駅13:35=天満宮13:40/14:00=南森駅14:05-堺筋本町駅14:15=御堂筋本町駅上14:35=芭蕉終焉の地碑14:45=用務地15:00