那須高久に芭蕉句碑を訪ねる

 JR東日本大人の休日パス利用最終日は、那須高久に芭蕉足跡を辿ることにした。当初仙台経由で常磐線相馬行きも考えたが、本日夕方忘年会がある。また先日越後新潟を巡り、その疲れもないことはない。それで、距離的にも近く、興味もある高久に落ち着いた。おくの細道の芭蕉は、黒羽から殺生石へ向かう途中2泊したのが高久と知った。

 遠い高久の地 東北新幹線を那須塩原駅で東北本線に乗り換え、黒磯駅に降りた。次が高久駅だがこちらの方が近いようだ。期待した案内所は閉まっていて、駅前案内板地図で高久の位置を確かめスタート。黒磯郊外の地で3,40分程度とみた。黒磯中心街へ出て右折し、陸羽街道を行く。既に郊外で、那珂川を渡る。そろそろかなと掃除中の地元の方に尋ねると、目指す高福寺は約2km先という。左手が那須湯本への交差点を直進すると、建物は疎らになり森林地帯中の街道になる。次の三叉路から緩くカーブした右手に寺が見え、高福寺であった。
 高福寺句碑 普通の田舎寺で、芭蕉句碑等の案内はない。本堂で手を合わせ、居合わせた檀家の方に取り次いで戴き、和尚さんに案内して貰った。正面の庭の松の根本に他の石塔に並んでいた(写真上)。1689(元禄2)年4月16日(陽暦6月2日)から高久に2日間滞在し詠んだ“落ちくるや たかくの宿の 郭公”が刻んであるという。お礼を言い、カメラに収めた。郭公は字数も合わずおかしく、“ほととぎす”と読むのではと気付き調べるとそうであった、芭蕉の足跡地でも、案内や説明はあるに違いないという先入観は捨てなければならないと思う。

 高久名主と芭蕉 福島白河への街道を更に行くと山村地帯へ至り、“芭蕉二宿の地”の標柱に出会う。当地の名主高久覚左衛門宅で、現在も屋敷を構えている。その先に、芭蕉翁塚「杜鵑の墓」という史蹟があった。覚左衛門の孫が1754(宝暦4)年建てたとある。芭蕉が記念に高久家に残した句文も紹介してある(写真下)。杜鵑(トケン)とは漢語のほととぎすのことと知る。石碑は屋根付きではあるが風雨に曝され文字はもうはっきりしない。墓とは、殺生石上を飛び毒で死に落ちたホトトギスのものという意味で、芭蕉の句に合わせたものだろう。
 Uターンだが、バス停は見当たらず、予定通り徒歩を続ける。また高福寺前から那須湯本への十字路を過ぎると那珂川に架かる高い橋。流れは下方の中心部を流れているが、先頃の大雨で下流は氾濫したとも聞いた。駅前通りには未だ古い商店が遺り、店頭に芭蕉のおくの細道殺生石から遊行柳へ歩いた一節が紹介してあり、思わずカメラを出した。また那須塩原駅からは東北新幹線に乗り東京駅へ出て、竹橋開催の忘年会に参加した。(2020/01/05 K.K. 1304/1400)

◇日時 2019/12/9 ◇天候 曇り ◇交通費 JR東日本大人の休日パス ◇資料 久富哲雄「奥の細道の旅」2014年4刷38頁 ◇歩数等 18,000歩 13km 
「通過時間等」自宅11:10-JR上野駅12:18-同那須塩原駅13:26-同黒磯駅13:40=高福寺14:20=芭蕉翁塚14:35=那珂川橋15:00=jR黒磯駅15:43-同那須塩原駅16:02-同東京駅駅17:17-竹橋忘年会会場18:00