白鳥の水原瓢湖から会津若松へ

 今回の越後新潟行きの目的は、水原瓢湖の白鳥見物である。わが国有数の白鳥到来地として有名で、10数年来訪ねたいと念願し、ようやく実現した。白鳥滞在のピークは厳寒の2月頃と誤解していた。12月前後がピークで、その後はシベリアへ帰るという。あちらの季節に合わせていると知り、この時期の訪問になった。そして、見物は早朝か夕暮れで、新潟駅前へ泊まり、朝立ちにした。

 瓢湖は白鳥3000羽 朝7時、羽越本線水原駅に降りて歩き出すと、早速上空を2,3羽の白鳥が飛び、鳴き声を出し歓迎してくれた。阿賀野市水原は小さな田舎町と思っていたが、駅前に広がる住宅街を左折し、そして右折し直進しても、瓢湖のある水田地帯へは至らない。途中で教えて貰い、ルートに乗るが未だ距離があり郊外住宅街を進み大通りへ出て、通りに並ぶ商店街の裏が目指す湖であった。
 湖畔へ出ると、大きな水面が広がり、多数の白鳥達が見える(写真上)。水面に浮かぶ白鳥、飛び立つ白鳥、そして上空を舞う白鳥と多彩に過ごしている模様。3000羽滞在中とあり、最盛期は4000羽以上だからもう帰ったのであろうか。現地資料には更に南下するともある。飛ぶ白鳥を撮ろうとカメラを構えるが、難しい(写真下)。広い湖、多数の鴨類等で、3000羽にしては疎らとも思う。見物客も次第に増え出し、私は遊歩道を移動しながら眺めては、シャッターを切る。最後に友人へも送ろうとスマホで白鳥を追ったがどうだろう。電車時間もあり、白鳥達に別れ駅へ戻った。

 磐越西線で会津へ 水原駅から新津駅へ出て、磐越西線に乗車。電車は越後平野から鉄橋を渡り、山間へと入った。阿賀野川の大河が右、左に付きまとう。その水量は凄く半端ではない。磐越西線は二度目で多くの駅を通過するが、知っているのは津川駅だけ。現在津川は新潟県だが、江戸時代以前は会津領。戊辰戦争最中、会津藩家老西郷頼母が、藩主と衝突して戦線離脱し、逃亡したルートが会津から越後であったと思い出し、現磐越西線沿いかなと想像した。
 福島県西会津へ入り未だ深い山中で、谷川沿いに進み阿賀川とある。調べると福島県では阿賀川、新潟県へ入ると阿賀野川と呼ばれるという。喜多方が近くになり山域を出て盆地が広がり、磐梯山を探すと、白峰であった。会津若松駅に着き、昼食は喜多方ラーメン。滝沢陣屋、飯盛山往復の予定もあったが、次回に回す。案内所で会津坂下春日八郎記念館の情報を得た。
 磐越西線に乗り続け、郡山駅から東北新幹線で帰京。乗換の際、駅東口に歌碑“高校3年生”を探した。作詞家丘灯至夫が福島出身の縁らしい。この唄は私の高卒翌年ヒットし、当時偶々手伝った女子校部活合宿打ち上げで、後輩達が唱ってくれて知った。(2019/12/28 K.K. 1303/1400)

◇日時 2019/12/7 ◇天候 曇り ◇交通費 JR東日本大人の休日パス ◇資料 五頭温泉郷旅館協同組合「朝の白鳥見学バス」 ◇歩数等 15,000歩 11km 
「通過時間等」宿泊先6:20-JR新潟駅6:27-同新津駅6:49-同水原駅7:05=瓢湖7:30/8:05=JR水原駅8:45-同新津駅10:00-同会津若松駅(昼食)12:10/13:26-同郡山駅15:05-同上野駅16:27-三田線巣鴨駅16:44-自宅18:05