都心本郷に追分を探す

 手許の歴史書から、東京都心も東大付近に追分があると知った。追分は主要街道の分岐点で、私には信濃追分は有名であり、二度訪ねている。灯台下暗しで、我が家近くにもあり、そこには高崎屋という江戸期宝暦年間からの酒店が現在も営業しているという。以前この辺りは良く歩き、少しは知っている地区だから尚驚きでもある。

 本郷のかねやす 中山道と日光御成街道の追分は、文京区の祢津神社付近かなと思ったが、本郷の東大近くらしい。三田線春日駅を出て、本郷へ向け坂を上がった。途中の右手に弓町の大楠があり寄って大木を眺めた (19.2.13)。昨年ラジオ放送から知り一度訪ねている。坂を上がり切った交差点右角が化粧品のかねやす店。“本郷も かねやすまでは 江戸の内”という川柳で有名で、今も壁にプレートが貼られている(写真上)。この歴史を教えてくれたのが先輩Tさんで、特許担当の彼は技術史にも詳しかった。亡くなられて久しいが、彼が焼いた湯飲みを私は現在も使っている。
 東大前古書店街を通過 交差点を左折し、本郷通りを東大方向へ歩く。左手法真寺境内に樋口一葉縁の案内があった。彼女が晩年住んでいたのはこの下方だったと思う。赤門前を過ぎ、左側には古書店が並ぶ。若い頃の一時期、専門書を求めに良く通った。本棚にはその時の古書類は10冊以上はある。家内に、お金がないのに買い過ぎではと言われたことがあった。その後の私の駄文では、良く引用したと思う。最近でも、コラム原稿に、「清瀬一郎著・特許法原理(昭和4年再版)」を引用している(冒認商標出願について=専門用語は正確に=網野誠著「商標」の思い出)。家内の嘆きの名残でもあろう。最近は毎年法改正があり、古書の役割は減少している。その店伸松堂を覗くと、特許法の古書が並んでいる。農学部前を過ぎ、大通りの直進を続ける。

 追分から中山道へ 通りに立つ文京区の案内板には、御成街道とあり白山の地名も見え、通り過ぎかと戻る。高崎屋があり、現在も酒屋さんのよう。横が三叉路交差点で、中山道と御成街道の追分と分かった。いつもの先入観で、大きな分岐で案内もあると思っていた。特に中山道は狭い普通の道路。酒屋の前に“追分一里塚”の案内板が唯一史蹟を示していた(写真下)。カメラに収め、中山道を行く。文京区内だが、住宅街、商店街とも付かない下町通りで、私は初めての地。ほうろく地蔵があり覗くと、あの八百屋お七を供養したとある。隣の大円寺にあるという高島秋帆の墓は探せない。中山道を歩き続け白山へ至り、三田線白山駅は近いが、千石駅まで歩く。左手が東洋大学キャンバスで、新しい大校舎ビルが建っていた。現中山道へ合流し千石駅は近く、エレベーターで地下駅へ降り、私の都心の追分探訪は終わりになった。(2019/12/20 K.K. 1301/1400)

◇日時 2019/12/3 ◇天候 晴 ◇交通費 シルバーパス利用  ◇資料 山川出版社「東京都の歴史・中」137頁 ◇歩数等 10,000歩 7km 
「通過時間等」自宅11:25-三田線春日駅12:00=弓町大楠12:05=本郷かねやす12:10=法真寺12:20=古書店街12:30=本郷追分12:50=ほうろく地蔵13:05=三田線千石駅13:30-自宅14:05