芭蕉を辿り鶴岡を訪ね60年前を思い出す

 今回の帰郷は羽越線を経由し、鶴岡を訪ねることにした。最近はまっている俳聖の足跡を追うのが主目的だが、山形県五大市の中、鶴岡が未訪で残っていた。それでも、タキタロウの大鳥池や羽黒神社を訪ねた時鶴岡駅で乗降した。昨年湯殿山参拝ツアーでは市内に泊まったが、市内を歩くことはなかった。鶴岡ヶ城跡(96.4.30)を見学して以来23年振りである。

 句碑、滞在邸跡、乗船地 鶴岡駅に降り、芭蕉句碑のある山王日枝神社を目指す。駅正面通りの先右手、僅かな記憶の地にあった。本殿に詣で、境内外れの弁天島に、1889(元禄2)年6月10日当地で詠んだ“珍しや 山を出羽の 初なすび”の碑があった(写真上)。羽黒山から下山した感じだろうか。次は、芭蕉が3日間滞在した長山邸跡だが、目印の富樫ろうそく店を見付け、裏小路へ入る。寺の先に案内があり、小さな空き地が鶴岡藩士長山重行の屋敷跡で、入口石碑に芭蕉滞在の旨刻んであるらしいがもう読めない。カメラに写すと、奥にも句碑が建ち、先程と同じ句であった。小路を直進すると内川に突き当たり右の大泉橋袂に、芭蕉乗船の地跡とある(写真中)。ここから舟で赤川へ出て、酒田へ向かったのだ。これで、鶴岡での芭蕉足跡は区切りが付く。

 風間邸見学 風間邸を探す。この度市内地図を眺め初めて知った有形文化財。内川沿いを歩き右折すると風間邸で、門は大きくはない薬医門だが邸内は広く立派なもの。明治29年7代当主建築とあり、案内して貰う。風間家は、鶴岡藩の御用商人で貸金業も行い、庄内では本間様に次ぐ豪商で、また大地主であったという。昭和になって現荘内銀行へ引き継がれたと説明があった。少し離れた別邸の庭も見学した。

 鶴岡ホテルの思い出 鶴岡ホテルを訪ねる。風間邸受付で、現在営業はしていないが建物がありその場所を教えて貰った。内川へ戻って鶴園橋を渡り右折すると、見覚えのある木造建物があった。庭の位置も間違いなく、表には、鶴岡ホテルの看板もその儘(写真下)。
 約60年前県高校総体が当地で開催され、“明日は、宇部(インターハイ開催地)へ出て行くからは 何が何でも勝たねばならぬ 空に灯が付く鶴岡ホテル 俺の闘志がまた燃える”と、ここの2階で唱った。当時流行していた王将である。順当に勝ち上がり翌日準決勝、決勝戦。しかし、決勝戦の相手は強敵N校で、後半こちらのキャプテンとポイントゲッターの2人が5ファールしてしまい、突き放されてしまった。その思い出は強く残り、当時のメンバーが集まるとその話になったが、最近3年位は、集まる機会がなくなってしまった。ホテルをカメラに収めた。その後、藩校致道館を見学し、大宝館を眺め、城址公園本丸跡の荘内神社に参拝し、鶴岡市役所前でバスを待った。決戦した市体育館は、通り反対側の先にあったと知った。(2019/10/18 K.K. 1291/1300)

◇日時 2019/10/6 ◇天候 曇り ◇交通費 10,300 ◇資料 JR東日本「駅からハイキング75歴史と文化の城下町・鶴岡」2002年170頁 ◇歩数等 18,000歩 13km 
「通過時間等」自宅7:25-JR上野駅8:30-同新潟駅10:57-同鶴岡駅12:50=山王日枝神社13:10=長山邸跡13:20=大泉橋13:30=風間邸13:40/14:00=旧鶴岡ホテル14:10=致道館14:20=荘内神社14:35-JR鶴岡駅15:39-同余目駅16:02-同新庄駅17:22-同東根駅18:00=実家18:30