東海道本線に乗り清水を訪ね、次郎長生家等を巡る

 冬休み用青春18切符を求めた。全国のJR路線利用可能がメリットの一つで、JR東日本路線を越えJR東海路線で清水行きを計画した。東海道本線の乗り鉄である。鈍行利用がルールで、時間的には清水駅往復が限度かなと見込んだ。駿河の清水と言えば次郎長親分で、手許にガイドがある。車でお世話になっているSさんに話し、同行が決まった。

 赤羽から東海道本線へ 朝、JR板橋駅に集合し、私は池袋駅経由の予定であったが、Sさん、赤羽駅から上野東京ラインで東海道本線が良いと言われ、赤羽駅へ出た。小田原行きや熱海行きがあり、我々は小田原行きへ乗車。尾久駅を通過したのは何年振りだろうか。東京駅、横浜駅を過ぎ東海道本線を走った。同線沿いに箱根駅伝コースがあり、時々車窓から見える。正月は、我が母校のシード確保を応援しようと、同窓のSさんにテレビ観戦を提案する。
 熱海で乗り換え清水へ 小田原駅で、後続の熱海行きに乗り、熱海駅でJR東海の列車になった。長い丹那トンネルを抜け静岡県に入る。三島駅、沼津駅を通り、富士が見え始めた。東田子の浦駅、富士駅は富士山麓で、久し振りに、“田子の浦ゆ うち出てみれば・・・”の和歌を思い出した。Sさんも秀峰に見入っているようだ。由比駅、興津駅間にある薩埵峠は歩いたことがあり(11.12.4)、Sさんへ紹介した。駿河湾と山裾の狭い間に国道1号、JR東海道本線、東明高速道路が重なり併行しているのは車窓からも確認出来た。そして、清水駅到着。赤羽駅から約3時間30分を要した。
 次郎長生家へ 清水駅は、思った以上に大きく、駅前商店街は県都並みのよう。商店街から東海道本線を渡橋し静岡鉄道新清水駅前を行く。通りは異常に広く、後に調べると清水市も終戦直前空爆を受けたとある。仙台や富山と同様である。三遊亭昇太師匠の出身地で、広告を見掛ける。巴川を渡り、小さな商店街が次郎長通りで、奥の古い家が生家であった(写真上)。彼は養子に出され、大親分宅ではない。カメラに収め、禅業寺を探すも見付からず、途中のラーメン店で昼食。老婦人一人の狭い店で、寺の位置を教えて貰う。

 幕末の鉄舟 梅陰禅寺は親分の菩提寺で、遺物館も備えている。入館し一回りすると、見たような銅像や大政、小政、石松の墓も並んでいた。御茶をご馳走になる。“清水港の名物は お茶の香りと・・・”であった。鉄舟寺は遠く、Sさんを大分歩かせてしまった。山岡鉄舟が明治になって再建した寺で、銅像もある(写真下)。幕末徳川慶喜の意向を受け、鉄舟が清水で隆盛と予備折衝し海舟との無血開城へ導いたようだ。鉄舟は次郎長とも交わりがあったと資料にあった。バスで清水駅へ戻って、熱海行き普通電車に乗り、また車窓には富士の白峰が覗いた。(2020/01/12 K.K.1306/1400)

◇日時 2019/12/21 ◇天候 曇り ◇交通費 青春18切符1 ◇資料 JTB「大人の遠足 次郎長生家から鉄舟寺へ」2000年12月、96頁、『「江戸城無血開城」実像は?』2019.12.28読売 ◇歩数等 15,000歩 11km 
「通過時間等」自宅7:20-JR板橋駅7:55-同赤羽駅8:07-同小田原駅10:05-同熱海駅10:35-同清水駅11:45=次郎長生家12:20=昼食12:50/13:15=梅陰禅寺13:25=鉄舟寺13:50-JR清水駅14:40-同熱海駅15:55-同赤羽駅18:15-三田線志村坂上駅18:36-自宅18:50