芭蕉足跡を確かめに草加を再訪する

 数年前求めた芭蕉資料を眺めていたら、草加日光街道に芭蕉文学碑があることに気が付いた。草加日光街道は一度歩いて(14.2.23)、芭蕉像は眺めカメラに収めた記憶はある。芭蕉を追っ掛け始めている昨今、確かめておきたい。埼玉の草加は近く、大晦日に出掛けた。独り身の気軽さである。

 草加松原へ 草加は東武伊勢崎線だが、私は、大江戸線から仲御徒町駅へ出て、日比谷線に乗り東武伊勢崎線にした。今回の目的は芭蕉句碑とはっきりし、下車は草加駅先の松原団地駅と思っていたが、駅名が変更され、現在は獨協大学前駅。月日が経つのは速い。郊外新興住宅街で、駅前から目指す橋が見えている。直進して大通りを横断し、松並木を綾瀬川橋上から眺めた。草加松原と呼ばれ、旧日光街道の遺産で、1200本程の松並木が昭和になって激減したが、市民の努力で現在は半数ほどに回復したという。
 芭蕉文学碑 散策者に混じり遊歩道を行くと、左手に芭蕉句碑はあった(写真上)。解説によれば、芭蕉はこれからの長い旅路を案じ憂え、重い荷物を嘆えたような文で、細道誌冒頭からの引用のよう。先にある水原秋桜子碑を見てUターンし、遊歩道に架かる百代橋、矢立橋を渡る。これらもおくの細道記念で、太鼓橋風。橋名は、“月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり”等細道誌からで、前回も渡ったと思う。橋下には、ドナルドキーン博士のおくの細道記念碑もあった。案内所前に着いたが、本日は年末で閉所中。資料を期待していたが、残念。札場河岸跡も記憶にある。綾瀬川から江戸への物資輸送の拠点であったとある。植え込みの中に正岡子規の句碑“梅を見て 野を見て行きぬ 草加まで”は読めた。

 芭蕉像、そして曾良像 古い木造望楼の隣に、芭蕉像を確かめる。千住を1689年5月16日(元禄2年3月27日)旅立った2人は、次の宿場が草加であったが通っただけで、泊まったのは越ヶ谷宿。句も詠んではいない。これだけ芭蕉を顕彰しているのは地元の熱意だろう。
 草加駅へ出ようと大通りを渡ると、おせん公園。草加煎餅発祥の碑がある。左手を見るとまた像が建ち、近付くと曾良の像(写真下)。希に2人並んでの像はあるが、離れては珍しい。前回の時はなかったと思うが、見逃したらしい。逆光の中シャッターを切ったがどうだろう。
 草加駅への途中、草加煎餅縁の店、おせん茶屋公園へ寄ろうとしたが見当たらない。煎餅店は散見出来、明治天皇行在所碑もあるから旧街道と思っていたが違っていた。前回寄ったから今回は外してもと、そのまま草加駅へ歩いた。(2020/01/20 K.K. 1308/1400)

◇日時 2019/12/31 ◇天候 晴 ◇交通費 840円 ◇資料 久富哲雄「奥の細道の旅」2014年18頁 ◇歩数等 10,000歩 8km 
「通過時間等」自宅8:45-大江戸線春日駅9:24-日比谷線仲御徒町駅9:38-東武獨協大学前駅10:15=草加松原芭蕉文学碑10:25=札場河岸跡10:50=東武草加駅11:29-JR北千住駅11:49-同日暮里駅11:59-三田線巣鴨駅12:14-自宅12:40