小石川善光寺坂を上り、安藤坂を下る

 先日入手した文京区の地図を眺めていたら、小石川付近で目が止まり、澤蔵司稲荷を思い出した。一度訪ねた(01.6.9)。ネットで調べると芭蕉句碑があると分かった。追っ掛けとしては確かめたい。小石川の最寄り駅は春日駅で、三田線一本で近い。早速出掛けた。

 こんにゃくえんま源覚寺 春日駅は現在でも時々利用しているが、本日は反対側の出口から大回りし、春日通りへ出た。持参したマップには、小石川天満宮があり、この社を探す。小路奥に境内らしき緑の木々を目指し進んだが違っていた。戻ってウロウロしたが見付からない。通りが一本先のこんにゃくえんま源覚寺に参拝。目の悪い老婆が祈り続け満願の日にお告げ通りに治り、好きなこんにゃくを絶って応えたという。
 善光寺坂を上がる 商店街から左折すると緩く長い坂道で、善光寺坂。正面が善光寺だが、現在は無住職のよう。隣が慈眼院で、その右奥が澤蔵司稲荷。低い沢のような地にあるお稲荷には記憶があった。手を合わせ、uターンし句碑を探す。ネット情報通り、寺境内の木の陰にあった(写真上)。“一しぐれ 礫や降りて 小石川”の碑だが、崩された文字て一部しか読めない。芭蕉初期の作で、晩年の趣は感じない。カメラに収めて、寺を出る。

 むくの木から伝通院 坂を上がり切った地が、幸田露伴邸。現在も表札は娘と孫の名前。その前が、むくの古木。空襲で一部焼けたが、今なお健在だ(写真下)。好きな大樹で、カメラを向けた。直ぐ先が伝通院。手前の寺々は、江戸期伝通院下の一院という。徳川家の菩提寺の一つで、生母於代や孫千姫の墓があることは知っていた。伝通院は於代の法名という。清河八郎の墓もあるとある。何故と思ったが、新撰組の前身浪士組が門前の寺で結成されその中心であった縁かなと愚考した。春日通りを渡る。右手に、狐の澤蔵司が蕎麦を食べに通ったと伝わる萬盛の店が今もある。
 安藤坂を下る 坂の途中に萩の舎跡の案内があった。塾主中島歌子が開いた歌塾で、樋口一葉も学んだとある。小路へ入り、突き当りの石段を上がると、北野神社。社殿前で手を合わせ、境内を見回すと初めてではないような気がする。裏へ回り、当地は静かな学園地帯かなと思いながら、春日通りへ出て少し右へ歩くと、中大理工学部キャンパス。ご無沙汰しているが、一時期週一大学院の講義に通っていた。中大高校から礫川公園と冨坂を下る。公園内の春日局像は湯島の麟祥院前へ移されたことは今春知った。春日駅は近く、坂を下った。(2021/09/12 K.K.1408/1500)

◇日時 2021/08/24 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 7000歩 5㎞ ◇資料 「メトロニュースN0293後楽園エリア」「通過時間等」自宅9:00-三田線春日駅9:35=源覚寺9:50=善光寺坂10:00=慈眼院・澤蔵司稲荷10:10=むくの木10:15=伝通院10:25=安藤坂10:35=北野神社10:40=三田線春日駅11:00-自宅11:35

東武東上線を乗り切り、秩父鉄道へ

 埼玉寄居へ出掛けた。脱巣ごもりハイクにしようと東武東上線から秩父鉄道のミニ乗り鉄を目論んだ。寄居では昼食にアユ料理を戴く。以前荒川崖上の寄居鉢形城跡を訪ねた時、対岸の古い建物が京亭というアユ料理店と知り、その後ハイク友と2,3度アユ料理を味わったことがある。同行者と東武池袋駅に待ち合せた。

 東武東上線を乗り切る 奥武蔵を走る東武東上線は良く利用しているが、池袋駅からは滅多にない。途中の成増駅が私の最寄り駅。快速電車は成増駅を過ぎ、川越市郊外になって車窓には緑が広がった。終点小川町駅で寄居行に乗り継ぐと、途中にみなみ寄居駅がありびっくり。昨年末開業の新駅で、近くの自動車工場用らしい。寄居駅から料理店へ歩く。10分程だが、駅前が再開発中で、一変していた。3年振りだと思うが、案内所を兼ねた地元産品直売所の店や喫茶店は消えていた。
 鉢形城跡対岸の京亭 新鮮なアユ料理を戴いた。同行者は美味と楽しんでいるが、ノンアルコールでは、私は今一。わざわざ前日アルコール類は出せないと電話があった。京亭は君恋しの作曲家佐々紅華の旧邸という。庭へ出て、荒川を眺めると流れは多めで、濁っている(写真上)。対岸の崖上が、戦国期北条氏支配の北端の拠点であった鉢形城跡で、同城は北条氏邦が護っていた。秀吉の小田原征伐で前田、上杉、真田軍に攻められて落ちたと思う。

 秩父鉄道へ 寄居駅(写真中)で同行者に別れ、秩父鉄道で秩父へ向かう。平日の午後はダイヤが疎らで30分以上待つ。この沿線もハイキングで歩き、15年程前は右手の城峰山や破風山、陣見山、榎峠、長瀞アルプス・宝登山へ登ったが、最近は左手の山麓で躑躅や紫陽花、桔梗・女郎花、ムクゲの花と里歩きをし私の加齢を表している。東秩父高原でポピーを観て皆野駅へ出たのは3年前で、それぞれの乗降駅を通り過ぎ頭をよぎった。親鼻駅では蒸気機関車と擦れ違ったが、カメラを出すチャンスを逸してしまった。

 最後は西武池袋線乗車 秩父駅で降車し秩父神社へ寄る。駅近くに境内があり参拝。左甚五郎作の彫刻が飾られている社殿(写真下)を一回り。未だ色あせない彫刻は本当に甚五郎作かなと初訪時疑ったが、スマホ情報でも肯定している。それなら重文指定でも良いと思うが。正面参道を歩いて、お花畑駅を越し西武秩父駅から東飯能駅を目指す。
 ミニ乗り鉄も終盤で、八高線東飯能駅から川越駅へ出て東武東上線を予定していた。車中、スマホで乗換検索すると、川越駅着が18時を過ぎてしまう。八高線東飯能駅で30分以上待ちと分かり予定を変更し、西武飯能駅から池袋駅へ出ることにした。急行に乗り、19時前に帰宅出来た。(2021/9/4 K.K. 1407/1500)

◇日時 2021/08/20 ◇天候 晴れ ◇交通費 2.320円 ◇歩行距離等 8000歩 6㎞ 
「通過時間等」自宅9:20-JR巣鴨駅9:55-東武池袋駅10:30-同小川町駅11:41-同寄居駅12:00=京亭12:15/13:30=寄居駅14:34-同秩父駅15:20=秩父神社15:30=西武線秩父駅16:07-同飯能駅17:08-JR池袋駅18:05-三田線巣鴨駅18:18-自宅18:45

涼しく森の中を歩いた小石川植物園

 8月に入り暑さもピーク期で、連日猛暑が続いている。少しでも暑さを避けて歩ける先を巡らし、小石川植物園を思い出した。これまで2度程歩いて、森の中の園で、覆い繁る樹木が太陽の直射を防いでくれるのではと期待した。我が家からは近く三田線一本である。雨が上がってから遅めに家を出た。

 猫が出迎え 三田線白山駅から歩き出す。久しぶりだが知ったルートで、小石川の丘を上下し植物園入口に着いた。本日月曜日だが山の日の祝日で、開園の日。受付では猫が出迎えてくれた。聴くと野良という。我が家のぽんちゃんを彷彿させた。今回は、本館前から左回りに園内を大回りしよう思う。前回は菖蒲の花が目的で逆回りだったと思う(16.6.12)。
 クスノキの大木 東端のシダ園や温室を覗き、カエデ並木下を歩いて、園の中心部へと歩く。想定通り暑さは感じない。本日は雨上がりで暑さが和らぐ予報でもある。左手にクスノキの大木群があり、左折。見覚えのある大木が変わりなく聳え、見上げシャッターを切った。江戸時代にあった旧養生所の井戸跡があり、赤ひげ先生の遺構である。ハンカチの木を思い出し回って踏み込んだが、白い葉は見当たらない。時期違いだろうか。

 ボダイジュの思い出 中心に戻って、ボダイジュ並木下。洋風大木と思っていたが、少し印象が違う。前回、“中学時代、シューベルトの冬の旅・菩提樹が教科書にあり、一級上の方が講堂で、ピアノ伴奏で歌われたのを思い出した。”と書いた。その歌われた転校生のことをまた思い浮かべた。次第に雑木林に入り、足元に野草や水たまりもある細い道となり、西端で左折。
 建物は、移設された旧東京医学校本館。前は日本庭園で池が広がる(写真上)が、花はない。森を出たら、風で高い樹々が揺すられ音を出している。ザワザワという自然の音を聞いたのはいつ以来だろうか。都心とは思えない密林風(写真中)。最後にメタセコイヤ林に寄り、園を出た。受付で、教育の森公園への道筋を訪ねたら、マップを出し徒歩15分以上と教えてくれた。窓口のカウンターには件の猫が昼寝していた(写真下)。

 教育の森公園へ 植物園の長い塀沿いを歩くと、簸川神社。石段が高く躊躇したが本殿前へ。大正天皇も参拝したようだ。以前は氷川神社であったが、出雲の本社に倣い改称したとある。住宅街を歩き、教育の森公園だがこちらも塀に囲まれ、入口がない。学校角から坂を上がり入口があったが、中へ入らず、不忍通りへ出てバス停を探す。歩き疲れた。林野会館前にありバスを待ちながら、当館で役員を務めていた遠戚の方を思い出した。お別れしてから10年近いだろうか。バスを千石で降り、三田線で帰宅した。(2021/8/27 K.K. 1406/1500)

◇日時 2021/08/09 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 11000歩 8㎞ ◇資料 「東京大学大学院付属植物園(小石川植物園)案内図」2020 
「通過時間等」自宅10:25-三田線白山駅11:00=小石川植物園11:10/12:05=簸川神社12:25=教育の森公園口12:40=千石3丁目バス停12:55-三田線千石駅13:04-自宅13:35

厚木にレンゲショウマを探し、山中陣屋跡へ

 厚木在同級生のハイク友Kさんから、近くにレンゲショウマが咲き始めたからどうかと誘われた。異存はなく、日時を決め、近くに住む弟へも連絡したら、同行するという。厚木荻野の植物園周辺の地図を眺めていたら、山中陣屋跡公園が目に付いた。時間があったら寄りたい。Kさんに話してみようと思う。

 小田急本厚木駅に着いたら弟が待っていた。本日は私も約束時間前であった。駅前からバスに乗車し、Kさん指定のバス停公所で下車し、迎えの車で荻野運動公園へ向かう。広い公園で、体育館やサッカー場、プールがあり、その奥山側の一画が植物園のようだ。本日も天候良く暑くなりそうだ。
 広い植物園、咲き初めのレンゲショウマ 坂を上がって、入園する。遊歩道を少し進んで驚いた。谷あり丘あり池あり、そして樹林に覆われている。自然をそのまま利用した植物園。ガーデンの延長ではない。この時期目ぼしい花は見当たらない。上下する遊歩道を巡り、レンゲショウマを目指し奥へと入るが何処だろうか。Kさんが頼りだが、半周程したがなく、戻って探す。そうしたら、“あったよ”とのKさんの声。繁茂する野草に混じり、レンゲショウマの花が咲いていた(写真上)。咲き始めたばかりで、目ただない。丸い蕾を付けこれからだろう。カメラに収めた。この花は奥多摩の御岳山で出合ったこと(01.8.11)がある。土手の一画に沢山咲いていた。
 園を出た坂の途中に芙蓉の花があり、回り道して下から見上げる。大きな白い花が数個固まって咲いている。先ほど、Kさん宅の庭にカサブランカが咲いていた。私は白百合かと思ったが、Kさんがカサブランカと教えてくれた。

 山中陣屋跡 山中陣屋跡へ送って貰う。バイパス新道を走った少し先の左側にあった。水田先の丘の上で、現在は史跡公園(写真下)。そう広くはない緑地公園のようで、案内がなければ分からない。祠と石碑が建つだけで、広場は郭跡と思われ、僅かなうねりは土塁の痕跡か。1783(天明3)年、小田原藩大久保家の子孫が当初6,000石で分家独立し当地に陣屋を構えたという。2,3枚カメラに収め、バス停へ歩いた。
 先ほど、郊外レストランで昼食し、同級生や知人の消息を交換した。Kさんとは甲州街道を歩いて以来(15.10.4)と思う。地元の山仲間と歩いているようだ。今回は、案内して戴いた上に、お昼もごちそうになった。Kさん大変お世話様でした。(2021/8/18 K.K. 1405/1500)

◇日時 2021/07/18 ◇天候 晴れ 交通費 1600円 ◇資料 荻野運動公園「野草園」
「通過時間等」自宅6:55-新宿線神保町駅7:35-小田急新宿駅8:03-同本厚木駅8:58-公所バス停9:35-荻野運動公園10:00=植物園10:15/11:30-昼食-山中陣屋跡12:10=公所バス停12:32-小田急本厚木駅13:09-新宿駅14:15-三田線神保町駅14:27-自宅15:00

新河岸川志村橋を渡り、浮間に北向地蔵を訪ねる

 一時板橋近郊を集中的に歩いていた。今年の花見ハイクも板橋から北区内で、浮間池から新河岸川へ出て、志村橋袂であった。その時、コース内の社寺も巡ったが、浮間にある北向地蔵を見逃していた。多分近くの桜並木通りに目を奪われたのであったろう。その北向地蔵参拝をと、板橋から北区へ新ルートを描いた。最近新潟や福島と遠出が続き、丁度良いだろう。

 西台駅から新河岸川へ 今回は、三田線西台駅をスタートし、舟渡大橋を目指した。初めて歩くコースだが大橋は直ぐ先で、新河岸川は意外に近い。右岸を下り始める。次の蓮根橋を渡り左岸へ。この時期流れは多くはない。昨春歩いた時川内からコンクリート堤を乗り越えた場所があった。垂直壁の梯子に苦労したのを覚えている。現中山道の志村橋は幅広い。天城山で足を怪我して駆け込んだ志村橋外科は左手にあったが、見当たらない。そのまま2週間入院し家内には世話を掛けてしまった。25年も前のことであった。
 浮間地区 また右岸を行き直ぐ平成橋。志村橋へ向けシャッターを切った(写真上)。左手河畔にはマンションが多いようだ。長後さくら橋手前から左折し、JR浮間舟渡駅へ方向を採る。少し距離があったが駅前通りを抜け浮間地区へ。
 本日も天候良く暑い。少しでも避けようと埼京線高架裏の小径へ入ると、彫刻像が置いてある緑道。本道へ戻って北区住民センターに寄る。当地の観光マップを貰おうとしたが、不首尾に終わってしまった。直ぐ先の専門店で、前回求めた好みの銘柄酒をと入店したがない。店員も滅多に入らないと応対してくれた。柳の下に泥鰌は2匹いなかった。

 北向地蔵に参拝 北向地蔵を探す。事前にネットで探したが出て来ない。北向観音で検索していた。信州別所温泉の有名観音様が頭に擦り込まれていたようだ。その時浮間2-4とメモし、地番を頼りに住宅街を右往左往。最後は地元の方に教えて貰い到達。確かにお地蔵様は北を向いている(写真下)。江戸期後半には荒川河川敷にあったが、大正期の改修工事で当地へ移されたとある。コロナ退散をお願いした。疫病阻止の役割も担っているとある。
 左手先が浮間池。氷川神社前から桜草圃場前を通過。桜草は花友と見物したことがあった。もう大分前のことである。大池には釣り人が見える。JR浮間舟渡駅前から東武練馬行のバスに乗車し、今回の里歩きは終えた。北向地蔵には参拝出来たが、観光マップとお好み酒は入手出来なかった。(2021/8/6 K.K. 1404/1500)

◇日時 2021/07/11 ◇天候 晴れ ◇資料 板橋区くらしと観光課「観光いたばしガイドマップ」「通過時間等」自宅8:30-三田線西台駅8:40=舟渡大橋8:50=蓮根橋9:00=志村橋9:10=長後さくら橋9:20=JR浮間舟渡駅前9:30=浮間区民センター9:50=北向地蔵10:15=浮間池10:25=JR浮間舟渡駅前バス停10:30-自宅11:00

常磐線を乗り切り中村城跡を訪ねる

 今年最初の乗り鉄先を常磐線とした。同線は前半の上野駅、いわき駅間は数回往復したことはあるが、その先仙台駅へは未乗車区間。最近全通したと知った。車窓からではあるが震災復興地を確かめて見たい。途中の相馬に中村城跡が遺る。ここも未訪である。仙台駅から上りの電車にした。

 被災駅通過 上野駅発8時46分発に乗り、仙台駅で10時36分発相馬行きに乗車出来た。仙台が近いのではなく、新幹線が速い。常磐線は5両編成でローカル線ではない。岩沼駅迄は東北本線と並行で、ようやく常磐線へ。周囲は水田地帯となる。亘理駅から山下駅、坂元駅を通過。両駅は高架ホームで新しい。被災後の再築が窺われる。左側の水田先が海のようだが近くはなく、津波の大きさを改めて知る。大津波に襲われた名取市閖上地区は直ぐ北か。宮城県から福島県へ入り相馬駅に着いた。
 濠に囲まれた中村城跡 中村城跡情報を得ようとしたがなく、事前の調べで城跡へ向かう。相馬は民謡の盆唄や野馬追を知っているだけ。地図を頼りに市役所先へ歩く。市民会館の前が大きな濠で、石垣はなく近世城跡とは思えない。濠には藻が浮き古池のよう(写真上)。明治まで残った筈だ。濠端から桝形、中の門で右折し、石段を上がり本丸に架かる赤橋を渡る。濠を巡らされた高台で、後ろの二の丸跡は現在野球場。広い本丸跡には建物はなく、中心奥に相馬神社が鎮座。相馬家始祖を祀り、私もご挨拶をした。
 中村城は、相馬利胤が1611(慶長16)年に築城し明治まで相馬藩6万石城主の居城であったという。隣の伊達氏に備え北側の濠は三重にして、現在もその大半は遺っている。本丸だけは鉢巻き石垣造りで、土塁と濠で仕切られている。

 坂を下り、城郭の内で隣の相馬中村神社へ寄る。1643(寛永20)年創建のもので社殿は重文とある。カメラに収めた。外大手一の門は工事中で近付けない。写真を忘れ、唯一の現存建物と知り悔いた。徒歩で相馬駅へ戻る。途中で、呑み鉄用に奥の松を求めた。二本松の地酒である。
 原ノ町からいわきへ 再度常磐線に乗車。原ノ町駅で乗り換え(写真下)、いわき駅へ向かう。浪江駅、富岡駅は被災の中心であったと思うが、復興が進み車窓からでは分からない。新築の駅舎で、緑地が新しく、土山らしきは改造、整備の痕跡だろうか。この辺りの常磐線は海際を走ると思っていたが、そうではない。時々海が見え隠れする程度。そして、いわき駅に着いた。私は常磐線を乗り切って、16時18分発品川行き特急に乗り、帰途に就いた。(2021/7/29 K.K. 1403/1500)

◇日時 2021/7/5 ◇天候 曇り ◇交通費 大人の休日パス7,600円 ◇資料 JTB「時刻表さくいん地図(東北地方)」
「通過時間等」自宅7:40-上野駅8:46-仙台駅10:36-相馬駅11:40=中村城跡12:00/12:30=相馬駅13:41-原ノ町駅14:08-いわき駅16:18-上野駅18:40-三田線巣鴨駅18:55-自宅19:25

越後西端の市振、直江津に芭蕉を辿る

 新潟の市振は数年前知った。芭蕉は、象潟から日本海沿いに歩いて、越後の西端市振へ至り、有名な句を詠んでいる。市振は遠く、アクセスも良くない。北陸新幹線糸魚川駅からであるが、市振駅はえちごときめき鉄道。直江津にも寄るべく資料を収集した。

 小さな宿場市振 北陸新幹線を糸魚川駅に降り、在来線に乗り換えた。JR西日本管内で、数年前親不知見学に乗車したことがある(18.9.2)。日本海を右に眺め、長いトンネルを通過し、市振駅に着いた。意外に閑散とした駅前。地図で確かめ左折し、二股地には歓迎用奥の細道の大きな案内板があり、高架で鉄道を越すと北陸街道市振宿であった。小学校があり、その先が関所跡。そして、街道両側に民家が並び、海辺の街らしく低い家並。右手の大きめの民家が桔梗屋跡(写真上)で、芭蕉達が泊り、“一つ家に 遊女もねたり 萩と月”と詠んだ。芭蕉としては、艶っぽい句であるが、これには芭蕉の創作説がある。曾良日記にはないからか。カメラに収め、この句碑のある長円寺へ。山側へ右折し国道下を抜け、寺境内へ上がると端に立派な句碑があった(写真中)。相馬御風揮毫とある。彼は糸魚川出身で明治期に活躍した文学者と知る。

 街道へ戻ると弘法井戸。その先の宿場外れに聳え市振の目印であった海道の松は数年前の台風で倒れてしまい、写真とその後植樹した若松があった。海岸へ出ると右手奥には親不知の断崖が続いている。私は断崖の上から眺め、芭蕉達通過の際の難儀に思いを馳せたことがあった。正面に島が見え、佐渡だろう。

 直江津は句碑を往復 市振駅へ戻り、直江津へ向かう。駅案内所でマップを入手し、バスを教えて貰い琴平神社を訪ねる。想定通り、関川河口傍に神社は見付かり、句碑があった(写真下)。“文月や 六日も常の 夜には似ず”は当地今町・現直江津で詠んだ句。同じ境内に安寿と厨子王供養塔があった。姉弟が人攫いに遭ったのはここの港という。
 芭蕉が宿泊に予定した聴信寺は探し損ねた。一度は断られたが、今町に二泊し歌仙を巻き先の句を詠んだ。破れ笠の見すぼらしい姿で断られたと伝わるという。駅へ歩き、上越高原駅から予定より早い新幹線に乗車。途中、長女が一時寄宿した南高田駅を通過し、メールしたらもう20年も前のことと返信あった。呑み鉄用は能鷹にした。(2021/7/22 K.K. 1402/1500)

◇日時 2021/7/2 ◇天候 晴れ ◇交通費 11280 ◇資料 久富哲雄「奥の細道の旅 33直江津・高田 34親不知・市振」168頁以下
「通過時間等」 自宅6:55-上野駅7:58-糸魚川駅10:35-市振駅10:55=海道の松跡11:20=市振駅11:51-糸魚川駅13:00-中央二丁目バス停13:10=琴平神社13:20=糸魚川駅14:28-上越高原駅15:00-上野駅16:55-自宅17:45

二年越しに鑑賞できた足立堀之内公園古代蓮

 初夏から夏へ向けた季節になり、古代蓮の花が気になり始めた。以前千葉公園で眺めたピンクの大賀蓮の花を眺めて魅せられてしまった。昨年は足立堀之内公園や行田古代蓮の里を訪ねたが花は終わっていた。それ以来一年近くなり、今年こそである。調べるとそろそろという。花友も同行してくれた。昨年よりは2週間ほど早い。

 足立堀之内公園へスタート ネットで調べると最寄り駅は、舎人線江北駅と知り、待ち合せた。徒歩15分とあり、スタート。蓮の花は朝の花で、午後は萎むと知り、未だ9時30分である。荒川の堤へ向け、商店街を行く。広くはない道だが、バスが往来する。初めての地で地名と地番を確かめながら直進を続ける。荒川堤手前へ至り、丁度交番があり、公園は二つ目の信号を右折と教えてくれた。少し遠いなあとも思いながら、予定通り信号のある交差点を右折した先が堀之内公園であった。
 今年はピッタリ 古代の蓮の花は咲き、大きなピンクの花々は咲き開いている。広くはない蓮池を蓮の葉が埋め尽くさんばかりだが、葉から頭一つを出した多くの花が満開か八分咲き状態。昨年とは大違いで、ジャスト見頃期。同行のAさんも、スマホを翳しながら池端を巡っている。古代蓮は初めての鑑賞と先ほど聞いた。私は、アングルを選びながら二回り。自然に咲く花達は、鑑賞者とは無関係に、太陽へ向け競っているよう。薄ピンクの花は清楚で気品がある。2人はベンチで休憩し、飲料水を補給。傍の案内によると、1997年、大賀蓮を千葉公園から分けて貰ったとある。 
 名残惜しいが、最後にもう一度見回して、花達に別れを告げ公園を出た。

 夏祭りの氷川神社 小川沿いに戻ると、左手に氷川神社があり、祭礼中のよう。寄ろうと合図し鳥居から参道へ。茅の輪や七夕飾りがあり、夏越の大祓と知る。年始年末の茅の輪は経験があるが、夏もあるとは。本殿に参拝し、コロナ退散をお願いした。Aさんも同様か。
 往路を戻り、バス停で私は王子行き、Aさんは反対方向のバスに乗ることにした。昼食時間には未だ早い。そう違わない時間にそれぞれのバスが来て、帰途に就いた。荒川を江北橋で渡り北区だが、今春歩いた地区で見覚えのある風景や地名を過ぎ王子駅前へ着く。未だ時間があり、あの時歩き残した製紙会社発祥の地碑や石神井川に架かる桜橋を確かめ、三田線西巣鴨駅へ出ようと都電荒川線に乗車した。(2021/7/17 K.K. 1401/1500)

◇日時2021.6.26 ◇天候 晴れ ◇交通費 170円 ◇資料 昭文社「東京都市図17」 ◇歩行距離等 10,000歩 7km 「通過時間等」自宅8:15-JR巣鴨駅9:00-舎人線西日暮里駅9:10-同江北駅9:30=荒川堤手前交差点9:45=堀之内公園9:55/10:15=江北氷川神社10:25=江北2丁目バス停10:40-王子駅前バス停11:00=桜橋11:10=荒川線王子駅11:15-三田線西巣鴨駅11:40-自宅12:10

海辺を眺め八景島から野島を巡る

 節目のハイキングとなった。高尾山や御岳山の低山も考えたが、暑さや体力を考慮して里歩きとし、紫陽花もある横浜先の金沢八景島から野島を歩くことにした。先日紫陽花も咲き始めたとの情報を得ていた。八景島は風光明媚な島で知られ、初めての地で楽しみである。海辺も久しぶりで、ちょっぴり遠出でもある。

 八景島と紫陽花 我が家から最寄り駅京急線金沢八景駅は、三田駅乗換はあるが一直線。横浜駅を過ぎ金沢八景駅に降り、横浜シーサイドラインに乗り換える。高架式モノレール電車で、入り江風景を眺めながら八景島駅に下車。駅前で方向を間違えたが、松林の下の海岸から橋を渡って八景島へ。遊園地があり家族連れが目立つ中、私は紫陽花鑑賞。島内中心へ向け坂道を上がると両側に紫陽花があり、咲いている。青色中心で、あじさい坂とある。次第に紫陽花が増え、坂を上がり切り左折したが、紫陽花は続く。花を選んではカメラを向ける。当島オリジナル八景ブルーの紹介もある。

 島のトップでuターンし下り始めたが、どう間違えたか遊園地傍からシーサイドガーデンとなる。海、入江を背景に赤紫の紫陽花を捉えた(写真上)。海を眺めながら歩くのは、多分昨秋の銚子港以来と思う。暑い中、海からの微風が涼しい。ウィンドサーフィンも浮かんでいる(写真中)。

 野島を巡る 駅へ戻り、またシーサイドラインに乗車。歩いて野島へ渡るつもりであったが、暑さを避けた。野島公園駅に降り、橋を渡る。左手は小さな漁港で漁船が繋いである。
 正面の公園管理センターで案内パンフを貰い、見付けた旧伊藤博文別邸へ向かい、外から見学。明治期築の木造平屋で(写真下)、海側に開放的な部屋があり、庭園も広い。折よく、海から涼風が吹いて来た。
 公園に咲く紫陽花を拾いながら歩く。こちらは赤系の花が多い。野球場があり試合中で、草野球と思うが硬式使用のよう。小山の下に旧海軍の飛行機用防空壕があり、掩体壕というとある。野島神社に参拝。石段両側に狐が対で多数並んでいる。狛犬ではない。野島から夕照橋で渡り、金沢八景駅へ歩いた。野島は、再訪であった(02.2.11)が全て記憶から飛び、重なる風景はなかった。帰途の車中から、弟初めハイク友や花友へ1400回を歩いたとメールした。晩酌には、昼食用に求めた海鮮丼も付き合ってくれた。(2021/07/09K.K.1400/1400)

◇日時 2021/06/20 ◇天候 曇り ◇交通費 1,620円 ◇歩行距離等 10km  13,000歩 ◇資料 「あじさい八景めぐり」、横浜市緑の協会「野島公園」
「通過時間等」自宅8:30-京急線三田駅9:31-横浜シーサイドライン金沢八景駅10:30-同八景島駅10:40=八景島10:50/11:20=八景島駅11:30-野島公園駅11:40=旧伊藤博文別邸11:55=野島神社12:05=夕照端12:20=京急線金沢八景駅12:52-三田線三田駅14:09-自宅15:00

調布布多天神社から世田谷代官屋敷へ

 久しぶりに京王線に乗車した。新聞地方版から調布の布多天神社を見付け、不知の社で目を引いた。ハイキングの際入手したマップを引き出したら、調布駅の正面で甲州街道沿いと分かった。隣駅布田近くの国領神社を加え、更に高幡不動の紫陽花へ足を延ばそうかなと思い浮かんだ。都内も城北地区に偏っている最近の里歩き先の修正にもなろう。

 古社布多天神社 京王線へは、私は都営新宿線神保町駅経由で、笹塚駅では準特急に乗り換える。それでも調布迄は1時間30分程要し近くはない。駅前へ出ると、都下の調布は大都市でビルが建ち並び、方向を確かめ難い。正面先の甲州街道へ向けスタート。同街道を渡った右先に参道があり、布多天神社。広い境内で、立派な社叢もある(写真上)。早速本殿に参拝。コロナ終息等を願う。当社は、平安時代頃からの古社で、後に道真公を合祀したという。租庸調の税制時代、朝廷へ布での納付が調布の由来と思うが、当社の布もその意味で、「多摩川にさらすてづくりさらさらに何ぞこの児のここだ愛(かな)しき」という万葉歌が遺るとある。裏の林へは進入禁止であった。参道には、江戸末期からの教育機関布田郷学校跡の碑があった。

 甲州街道、国領神社 甲州街道へ出て、側道を遡上する。両側にケヤキ並木が途切れ途切れにあり、カメラに収めるが、車の流れは途切れない(写真中)。布田交差点右先に、国領神社があった。社前に進み手を合わせる。境内には藤の巨木が枝を広げている。藤の花が有名で、千年乃藤と呼ばれるがもう時期外れ。布田駅へ向かう。途中旧甲州街道があり、古道が東西に延びていた。

 世田谷代官屋敷へ 京王線布田駅から下高井戸駅へ戻る。急遽世田谷代官屋敷へと予定を変更した。往路下高井戸駅通過の際、東急世田谷線に乗り換えれば、世田谷代官屋敷は近いと気付いた。昨年訪ねた時改装中で見学出来なかった。乗換後10分程で、上町駅に着き、代官屋敷の最寄り駅。
 屋敷には、今回はすんなり入れた。表門の屋根は茅葺が新しく、他の屋根とは色が違う。屋敷主の大場家は、江戸中期以降彦根藩井伊家の世田谷領の代官を務めたという。江戸期からの大きな古い住宅で(写真下)、座敷や土間はそっちこっちに遺る地方の名主宅と変わらないが、部屋数や式台、そして表門の存在が代官屋敷相当だろう。現存代官屋敷は、都内では唯一とある。一回りしカメラに収め、上町駅から小田急豪徳寺駅へ出て、帰路も新宿駅、神保町駅経由とした。(2021/7/4K.K.1399/1400)

◇日時 2021/06/11 ◇天候 晴れ ◇交通費 880円 ◇歩行距離等 7km  9,000歩 ◇資料 総武国道事務所「甲州街道古道マップ 布田五宿」4頁、大場代官屋敷保存会「世田谷代官屋敷」「過時間等」自宅7:35-新宿線神保町駅8:18-京王調布駅9:05=布多天神社9:20/9:35=国領神社9:45=京王布田駅10:03-東急世田谷線下高井戸駅10:30-同上町駅10:40=世田谷代官屋敷10:45=東急世田谷線上町駅11:00-小田急豪徳寺駅11:08-新宿線新宿駅11:34-三田線神保町駅11:45-自宅12:20

堀切菖蒲園、小岩菖蒲園で花を楽しむ

 初夏は花の季節。躑躅は終わったが、菖蒲の花期が到来。私の里歩きの好機でもある。菖蒲と言えば、葛飾の堀切菖蒲園で、一度鑑賞したことがあるが、もう16年も前。そして、京成の同一沿線先に小岩菖蒲園もあると知った。ゴーである。

 満開、見頃の堀切菖蒲園 京成本線へは日暮里駅から乗車した。前回は乗換があったと思ったが、そのまま堀切菖蒲園駅に着く。駅からは少し距離があり、商店街から緑道を歩くと、もう当地では紫陽花が咲いている。狭い道で行き交いがあり、菖蒲見物客か。見覚えのある堀切菖蒲園入口へ着き、入園。
 目の前には、菖蒲の花々が咲き、ジャスト見頃。満開の直前だろうか。紫と白色の花を中心に、園一帯に咲き広がり、見事である(写真上)。圃場池の周りでは、多くの人々が鑑賞している。私も、咲き揃う花を捉えシャッター切りながら巡る。
 堀切菖蒲園はそう広くはないが、旧大農家の庭園一杯に菖蒲が栽培してある。江戸時代に農家が初めた園で数軒あったが、戦後まで続いたのは当園だけとなり、現在は葛飾区立という。おおよそ一周し紫の花達に充たされ、水辺公園へ向かった。荒川堤防を越したが、小さな菖蒲園。前回の記憶とは違っていた。また、堤防から商店街を通り、駅へ戻った。前回は確か花友と同行で、二人とも菖蒲の花を楽しんだと思う。
 小岩菖蒲園は先の江戸川河川敷内である。園の名前から京成小岩駅で降りてしまったが違っていた。改めて一駅先の江戸川駅に下車。

 青空の下の小岩菖蒲園 江戸川堤を階段で越して、菖蒲園。こちらは広い園で、堀切の数倍はあろう。青空の下菖蒲の花もゆったりと栽培されている。密でない分、花達のアピールが少ないようで、紫や黄色の花々も小さく見えるのはそのせいだろう。二羽の鴨が菖蒲の根元で餌を探している。人出もあるが散らばっている。時々列車音が響き、隣が江戸川鉄橋。花の背景に電車を入れて(写真下)、レンズを向けたがどうだろう。自信はない。端の池には蓮の花も咲いていた。川向うは千葉の市川、国府台の史跡があり、当園から橋を渡って訪ねたこともある。また堤を越して駅へ戻り、京成上野駅行電車を待った。(2021/6/27K.K.1398/1400)         

◇日時 2021/06/05 ◇天候 曇り ◇交通費 880円 ◇歩行距離等 8km 12,000歩 ◇資料 葛飾区公園課「堀切菖蒲園」「通過時間等」自宅8:30-JR巣鴨駅9:10-京成日暮里駅9:20-同堀切菖蒲園駅9:35=堀切菖蒲園9:45/10:00=水辺公園10:15=京成堀切菖蒲園駅10:31-同江戸川駅11:00=小岩菖蒲園11:05/11:15=京成江戸川駅11:22-JR日暮里駅11:55(昼食)・・・三田線巣鴨駅13:22-自宅13:50

広さに驚いた港区芝公園、増上寺

 芝公園を歩いた。少し前東京タワー下の料理店での会合に出席した際、三田線御成門駅から歩いたら、途中に大木が繁る緑地帯があり芝公園の一部と知った。この辺りも芝公園かと驚きながらも、これから、特に薫風の時期には里歩き先の候補とインプットした。それを思い出し、実行に移したが、元増上寺境内の芝公園は広大で、回り切れなかった。

 開拓使仮学校記念碑 三田線御成門駅に降りた。本日は芝公園と増上寺を巡り、麻布十番へ足を延ばそうと思う。駅前案内板に、新橋寄りの公園も芝公園の一画と知り、足を踏み入れた。日比谷通りの直ぐ隣で、児童公園だが、明治初期の1872(明治5)年北海道開拓のため開拓使仮学校を設置した地で、その記念碑があった(写真上)。当時は増上寺の境内であったとある。札幌農学校の前身で、北大の原点であろう。北海道音更の孫は4月に入学したが、農学部ではない。
 メタセコイアの林、もみじ谷 公園を抜け、左に東京プリンスホテルを見て、愛宕下通りを渡り、土手下に続くメタセコイアの林を歩く。そう長くは続かないが、都心とは思えない一画。そして、東京タワー下へ近づき、もみじ谷へ入る。渓流らしき流れや谷が林に囲まれている。カメラに収め、谷を上がると、この前会合があった店の前へ出た。流石は都心の地で、人出はある。東京タワー辺りにも増上寺の墓地があったという。
 増上寺の鐘 ここで、増上寺へと大通りを渡り返す。少しウロウロし裏から本殿前へ至ったが、工事中のよう。鐘楼前で案内を読み納得した。増上寺と、芭蕉の句“花の雲…”との縁が気になっていたが、“今鳴るは 芝か上野か 浅草か”と江戸時代川柳に詠まれたとある。今でいうパロディである。その位江戸では、増上寺の鐘も知られたのであろう。三解脱門、黒門、惣門を眺める。御成門とは、これらかなと思っていたが、後に別もので東京プリンスの駐車場に遺っていると知った。是非訪ねたい。

 伊能忠敬顕彰碑 隣が港区立芝公園広場から芝東照宮、丸山古墳。東照宮に参拝したら、結婚式が行われたようで正装のお二人が狭い参道で記念撮影中。裏に、伊能忠敬顕彰碑を探したが見当たらず、公園管理事務所で、古墳の上と教えて貰い、塚上に確かめた(写真下)。隣がプリンスタワーホテルで、一昔前毎秋一週間ほど仕事でホテルへ通い、塚も巡ったことがあったが、忘れていた。地学協会が建てた立派な碑である。
 本日は午後スタート。暑さでか、疲れが出始め、麻布十番へは無理と判断し、リタイアを決断。タワーホテル前から芝公園の南西端の桜林を歩いた後、三田線芝公園駅へと考えていたが、バス停がありバスで新橋へと、東京タワー下のバス停ベンチに腰を下ろした。(2021/6/19 K.K.1397/1400)

◇日時 2021/05/30 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料 港区芝公園管理事務所「芝公園」「通過時間等」自宅11:30…三田線巣鴨駅12:50-同御成門駅13:15=開拓使仮学校記念碑13:20=メタセコイアの林13:30=もみじ谷13:40=増上寺13:55=芝東照宮14:05=丸山古墳14:25=バス停14:45-三田線内幸町15:02-自宅15:50

安田庭園に句碑を探し当て、蔵前橋を渡る

 芭蕉句碑を探す 広くはない庭園を一回りしたが芭蕉句碑は見当たらず、焦った。三月前は探し損ねた(2.14)。最近、芭蕉の奥の細道に凝り追っ掛けを自称している自分としては、是非存在を確かめたいと再々訪したが、見付からない。ネット情報に池周りとあるが、写真には石碑の裏に金網柵が写っていた。最後にしようと、柵沿いへ板で閉め切られているような築山の外れに侵入したら、句碑らしき石碑があり、目指す芭蕉句碑であった(写真上)。

 三度目の正直か 本日は、両国の安田庭園に、芭蕉句碑を是非確かめたいと出掛けた。三田線を春日駅で大江戸線に乗り換え両国駅に下車し、地上へ出た。すぐ前が横網公園、そして関東大震災と大空襲の復興記念館横を通り抜け、安田庭園へ入園。江戸時代の大名庭園だが現在は区立庭園。早速、句碑を見付けようと回遊式池の周りを一巡り。右奥の石碑を確かめたが違っていた。諦め掛けながらも最後に、園端柵沿いの閉め切られたような地へ入ったら、あった。“ミの虫の 音をききにこよ 草の庵”のミの・・・文字が何とか読め、勇んでカメラに二度収めた。1687(貞亨4)年秋、芭蕉44歳、深川芭蕉庵で詠まれた句と知った。
 園を後にし、隅田川を蔵前橋で渡り、同通りを行き、途中で榊神社、楫取稲荷、蔵前神社、そして鳥越神社を巡り歩いた。鳥越神社以外は、初めての参拝。楫取稲荷はカジトリと読み、舟運の社らしい。蔵前と言えば、江戸幕府の米蔵があった地で有名だが、私が子供の頃は、大相撲興行は蔵前の国技館であった。

 大相撲発祥の地 蔵前橋通りから江戸通りへ右折して入った住宅街に蔵前神社はあった。江戸時代の勧進相撲の発祥の地とある。その縁で寄進者の名前が力士でそれも東富士、千代の山、鏡里、そして吉葉山が並んでいる。大相撲に興味を持った頃の横綱勢揃い。昭和30年前後で、ラジオで聞いていた。中でも、私は東富士のファンになり、所属の高砂部屋勢を応援した。懐かしい。参拝後、玉垣に刻まれた四股名を入れ、シャッターを切った(写真下)。
 また蔵前橋通りへ戻り、前進すると右手が鳥越神社。知名度に比べ広くはない境内。紫陽花が見ごろで、カメラを向けた。偶々先日、当社のお祭りの開催規模を決めかねているとのテレビ放映を観たばかり。本日も、その宮司さんがインタビューを受けているよう。
 大江戸線新御徒町駅へ歩いたが暑く、途中自販機で飲料水を求め、のどを潤した。(2021/6/14K.K.1396/1400)

◇日時 2021/05/26 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 9km  13,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図浅草36」「通過時間等」自宅10:40-大江戸線春日駅11:10-同両国駅11:35=横網公園11:40=安田庭園11:45/12:05=蔵前橋12:20=榊神社12:30=楫取神社12:35=蔵前神社12:45=鳥越神社13:15=大江戸線新御徒町駅13:40-三田線春日駅13:48-自宅14:20

石神井川から川越街道五本欅を眺める

 この記録を綴っているクリアファイルが満杯になった。40ポケットに、A4一枚の記録と歩いた前後に収集したマップやパンフ類も保存し(写真上)、およそ27回記録で1ファイルの検討。約20年前からのことで、現在では50冊程になっている。都心へ勤めていた時は何時でも求められたが、巣ごもりでは簡単ではない。昨年茂呂遺跡からの帰途上板橋で文房具店を覗いたら、偶々目的に適したファイルがあった(20.10.20)。里歩きを兼ね上板橋へ歩くことにした。

 石神井川を歩く 三田線板橋本町駅から歩き出す。現中山道を遡り石神井川を渡った先の氷川神社へ寄る。最近富士塚があると知ったが、これまでの参拝では気付いていなかった。本殿に挨拶し、境内を見回すとそれらしい場所はあったが、塚らしくはない。一応カメラに収めた。石神井川に沿って歩く。この辺りはコンクリートの高い水路で、現在は底部30㎝位の流れであろうか。水はきれいである。橋を利用し右岸から左岸へ、それを繰り返しながら上流へ進む。左岸に高齢者達が屯し、皆カメラを構えている。カワセミだなと、川底に探したが、私には見えない。端の方に伺ったら、頷いてくれた。我が弟も相模の川や池で追っているらしい。
 旧川越街道を上板橋へ 右岸の中板橋商店街入口から東上線高架下となり、下頭橋六蔵詞様があり、軽く挨拶する。下頭橋は、川越藩主江戸往来の際を家臣達がこの橋で出迎えたからとの説もあるとあった。橋を渡って、旧川越街道を下る。これまでは反対側へ歩き、初めての地。環七通りを渡って商店街からときわ台駅前を行くと、見覚えのある風景で、森内の天祖神社。昨秋訪ねているが、あの時スルーした平安地蔵を探す。住宅街をウロウロして地元の方に教えて貰い、手を合わせる。終戦時の板橋空襲で犠牲になった269人を慰霊した小さなお堂。繰り返してはならないと祈った。

 五本欅、そして文房具店 旧川越街道へ戻り、上板橋へ。そろそろかなと現川越街道へ目をやると、欅が見え左折して大通りへ出たが、大分手前。流石中山道、車の往来が激しい。五本欅が見え始め、上板橋地区。川越街道拡張工事で屋敷を提供した地主が、欅の保存を条件としたお陰で、今も街道の真ん中に聳えている(写真下)。新緑時の欅は久しぶりでシャッターを切った。
 首尾よく、目指した文房具店でファイル2冊求め帰途だが、上板橋から高島平へはバス経路はなく、三田線志村三丁目駅経由であった。(2021/6/4 K.K.1395/1400)

◇日時 2021/05/20 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 10km 13,000歩 ◇資料「観光いたばしガイドマップ」(板橋区くらしと観光課)「通過時間等」自宅8:50-三田線板橋本町駅9:10=氷川神社9:20=石神井川9:25=下頭橋9:55=天祖神社10:10=平安地蔵10:30=川越街道五本欅10:55=文房具店11:00=平和公園バス停11:27-三田線志村三丁目駅11:50-自宅12:10

北区十条銀座、中央公園から王子装束稲荷へ

 先日入手したマップから王子に装束稲荷神社を見付けた。狐伝説の遺る王子稲荷は有名で、古典落語にもあり、私も参拝したことがある。王子稲荷初詣のため、関八州の狐達が大晦日に近くの榎の下に集まり装束を整えた地に祀られた社という。広重の浮世絵もあり、興味を惹き訪ねたい。未訪の十条中央公園もあり、周辺を歩くルートにした。

 東十条駅をスタート JR東十条駅を起点にし、山手線を田端駅で乗り換えた。多分東十条駅乗降は初めてで、改札口を確かめ出て、スタート。直ぐ子育て地蔵がありご挨拶し、緩い坂を上がると十字路へ至り、直進先は十条駅だが、私は右折し富士神社へ。この通りは、飛鳥山下を通っている本郷から岩槻への御成街道だろう。神社は工事中で、富士塚の形もなく平らでブルーシートで覆われている。先で左折し十条銀座へ向かい、埼京線を渡る。今時踏切は珍しく、一本通過を待った。
 十条銀座商店街を上下 商店街で、右の富士見銀座通りへ入り、食料品店で瓜の鉄砲漬を求める。演歌歌手多岐川舞子のポスターのある店で、前回も寄った(20.07.21)。uターンし十条銀座へ。高いアーケードの下、土曜の午前なのにそれなりの人出がある(写真上)。下町の繁華街で初めて通り抜けた。十条駅先からまた埼京線を渡り返し、野鳥の森緑地を探す。小路の奥にそれらしい小公園があった。中央公園へと前進を続け、右手に駐屯基地を見て、公園方向へ回り込む。23区内で基地に出会うのは初めて。

 十条中央公園 南橋公園、中央図書館、そして十条中央公園。大木が覆い繁る薄暗い公園だが、野球場の外、洋風の文化センターもある立派な広い緑地公園。前の大通りへ出て、王子駅へ方向を採る。右手に石神井川が近く、紅葉橋が覗けた。御成街道へ出て、京浜東北線高架下を抜け、装束稲荷は近いと思ったが、北本通りを横断し一本先の商店街通りの奥左手であった。
 狐の装束稲荷 大きな社ではないが赤色の鳥居と社殿、従えたのは狛犬ではなく狐像。手を合わせ、コロナ退散と右手の回復をお願いした。案内板に当社の由来と、広重の絵があった(下図)。道路拡張で移動したが、王子稲荷は京浜東北線を挟んだ反対側にある。現在では、大晦日に狐に扮した地元の方々が王子稲荷へ参詣するのが恒例とある。往時農民は大晦日の狐火の数で豊凶を占ったと伝わるという。王子駅へ出て、帰途に就いた。
 先月半ば、浦和田島ヶ原バス停で転んで痛めた手は、医者で骨折と分かった。鈍痛はあるが歩くには支障がなかった。(2021/6/1K.K.1394/1400)

◇日時 2021/05/15 ◇天候 晴れ ◇交通費510円 ◇歩行距離等 10km 13,000歩 ◇資料 「北区観光ガイドマップ 王子・十条エリア」(北区観光協会)
「通過時間等」自宅9:10-JR巣鴨駅9:39-同田端駅9:49-同東十条駅10:00=子育て地蔵10:05=十条銀座商店街10:20=野鳥の森緑地10:40=十条中央公園11:10=装束稲荷神社11:35=JR王子駅11:50・・・自宅13:15

雨模様に、都下清瀬中里富士塚から練馬八幡神社に寄る

 手許のガイド誌「さあ、ハイキング!」(新ハイキング社編)から、“中里富士塚から滝の城址”(同誌187頁)コースを見付け、中里富士塚をチェックしていた。滝の城址は2度程訪ねている。最寄り駅はJR武蔵野線東所沢駅か西武線清瀬駅。検討の結果、東所沢駅から西武東久留米駅へ歩くことにした。

 所沢から清瀬へ 東所沢駅は意外に近く、成増駅へ出て、北朝霞駅で乗り換え1時間要しないでスタート。処が本日天候良くなく雨が降り出しそう。予定コースを変更し直線的に中里富士塚へ向かうことにする。
 駅前通りからやや強引に高台を下り、新興住宅街の中を進む。いつもの山勘で、所沢市下安松地区以外は現在地は不明であり、小さな祠和田延命地蔵の前を通ったが持参地図には見当たらない。右手へ出たら大通りで、地図では小金井街道とありそのまま清瀬へと、柳瀬川に架かる清瀬橋を渡り順調のよう。中里地区で富士塚への左折地点を探す。しかし読みが外れ、ウロウロし地元の方に教えて貰い、少し戻って到達できた。
 単独峰中里富士塚 中里富士塚は単独の塚、頂であった(写真上)。これまで訪ねた富士塚は神社境内を借りた形であったが、そうではない。しかも、開放されていて自由に登攀できる。
 案内に寄れば、中里富士塚は、1825(文政8)年丸嘉講武州田無組中里講社の講徒によって築かれ、現在の富士塚は、約9mの高さで、登山道が九十九折りに続き、一合目から九合目までの小さな石柱があるとある。私も、カメラに収めて、頂に立ち石の祠富士神社に手を合わせた。
 富士塚を後にした頃から雨が落ち始め、予定を変更し清瀬駅へ急ぐ。けやき通りから志木街道へ出て、少し歩くと駅であった。

 馬八幡に寄る 西武池袋線に乗ったが車窓に雨粒は付いていない。車中、次の寄る先を巡らし、練馬の高松八幡神社に思い当たった。これまで練馬を歩いて存在は知ったが、未訪である。
 西武練馬駅で大江戸線に乗り換え、練馬春日町駅から、環八通り沿いに歩き出す。想定の地に、想定の時間で八幡様に参拝。1064(康平7)年源頼義が前九年の役後、戦勝に感謝し八幡宮を創建したと伝えられる古社。広い境内よりも、裏の社叢に驚く(写真下)。都内の練馬とは思えない樹林帯風。駅へ戻り、駅裏のバス停で、赤羽駅西口行のバスを待ったが、少し時間があった。(2021/5/24 K.K.1393/1400)

◇日時 2021/05/05 ◇天候 曇り一時小雨 ◇交通費580円 ◇歩行距離等 10km 14,000歩 ◇資料 「さあ、ハイキング!」(新ハイキング社編187頁)
「通過時間等」自宅8:10-東上線成増駅8:40-武蔵野線北朝霞駅8:52-同東所沢駅9:05=清瀬橋9:30=中里富士塚9:50=西武清瀬駅10:32-大江戸線練馬駅10:55-同練馬春日町駅11:05=練馬高松八幡神社11:15=練馬春日町駅バス停11:46-三田線志村三丁目駅12:14-自宅12:30

入谷から社寺等を巡り南千住へ歩く

 都心台東区入谷にある小野照崎神社の富士塚の存在は知っていた。そのうちにと思っていたが、地図で、序に巡るポイントを探し出し、浅草国際通りを北上し南千住へと歩くことにした。社寺に加え、史跡や公園も入れてウォーキングコースになるだろう。JR鶯谷駅からよりは、地下鉄日比谷線入谷駅下車が便利のようだ。

 鬼子母神から富士塚へ 三田線春日駅で大江戸線に乗り換え、上野御徒町駅で日比谷線に乗り継ぐと入谷駅は直ぐであった。最初は鬼子母神様にご挨拶。入谷と言えば鬼子母神で、確か朝顔市を見物した時(14.7.8)以来と思う。駅近くにあり参拝出来たが、有名なのにシンプルな寺院。
 通りを渡って住宅街に小野照崎神社を探す。高い樹木を目指して覗くと同神社。本殿に参拝し、隣の富士塚を眺める(写真上)。確かに大きな塚ではあるが、都内一級とは思えない。カメラに収めた。珍しい名の当社は、平安期の公家で歌人小野篁が祭神で、あの東風や小町は子孫とある。当初は上野の照崎の地に祀られたが、その後当地に遷座されたという。

 鷲神社 昭和通りを渡って竜泉地区の住宅街に、朝日弁財天の案内を見付け、寄る。社と古池跡があった。国際通りへ出て、少し浅草側へ上がると鷲神社があり、広い境内から本殿前で手を合わせる。殿中では神主が舞い、表では神官が獅子舞中(写真中)。毎日の祭事なのだろうか。参拝者は私一人。参道には其角の句碑や一葉の文学碑があった。当社の酉の市は有名で、先の二人は酉の市を描いた作品があり、それに因むらしい。酉の市は私には縁がなく、熊手は飾ったことがない。

 一葉記念館 国際通りを北上し右へ入った地に、一葉記念館があった。樋口一葉と言えば、文京の本郷下菊坂に旧居があり、なぜと思ったら、その前に10月程当地で、母や妹と暮らし雑貨屋を営みながら、上野図書館に通い小説家としての勉強をしたとある。処が、時節柄閉館中。大きな館前を素通りした。 国際通りが左からの昭和通りと合流して三ノ輪付近、先程来初めての地が続く。正面に高架鉄道があり、常磐線と分かる。そして、左手奥が都電荒川線の三ノ輪橋駅の筈。
 南千住の芭蕉像 南千住駅へと右折し、線路沿いに歩くが駅は見えない。そろそろ疲れが出たらしく足が重い。南千住駅から三ノ輪橋駅へ歩いたことがあり、距離感があったのだが。ようやく駅前大通から広場へ至り、芭蕉像を見上げる(写真下)。芭蕉像や矢立て初め・出立の地の碑は足立区の北千住にあるのだが、奥の細道300年記念の時こちら南千住が矢立て初めの地と荒川区が主張して、像はその印らしい。カメラを向け、地下鉄南千住駅を探した。(2021/5/21 K.K.1392/1400)

◇日時 2021/04/30 ◇天候 晴れ ◇交通費340円 ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図29」「通過時間等」自宅9:10-大江戸線春日駅9:45-日比谷線仲御徒町駅9:54-同入谷駅10:00=鬼子母神10:05=小野照崎神社駅10:15=朝日弁財天10:30=鷲神社10:40=一葉記念館10:50=三ノ輪11:00=南千住駅前11;30=日比谷線南千住駅11:40-大江戸線上野御徒町駅11:58-三田線春日駅12:06-自宅12:40

躑躅を求め赤城山南麓から館林へ

 Sさんから、躑躅鑑賞の誘いがあつた。行き先は赤城南山麓の赤城神社参道という。数年前、二人で訪ねたが、咲き終えていた(17.5.20)。私に異存はなく、二つ返事でOK。彼の車で、6時出発となった。ネットで、咲き具合を当たったが、良くわからない。

 これからの赤城神社参道 関越自動車道を走り、高崎インター先で降りて、前橋郊外を過ぎ三代沢の赤城神社に着いた時は、8時30分であった。誰も見当たらない本殿に参拝し、長い表参道へ。松並木の参道に、咲く山躑躅はあるがポツリポツリで(写真上)、これからの状態。それでも朱色の花を拾いながら、カメラを向け松並の下を歩く。Sさんも、一眼レフを携え上下しているよう。前回は遅すぎ、今回は早過ぎ、天候も絡み自然相手は儘ならない。
 前橋嶺公園から館林へ 途中にある前橋の嶺公園へ向かう。水芭蕉の咲く地との情報を得た。駐車場から園内案内図で水芭蕉がある湿地帯を確かめ、探し当て覗いたが、こちらは、葉は伸びているが白い花は一切見えない。残念。水芭蕉の花期が早まっていて、期待したのだが。
 私は、館林のつつじが岡公園を提案。北関東自動車道を利用すれば遠くはなく、また回り道でもないとSさん同意し、ハンドルを向けてくれた。大分前だが、花友と鑑賞に来園し、満開のつつじ園を巡ったことがあった(11.4.30)。時期も合い夢よ、もう一度である。赤城の山よりは、平地の方が花は早いかもしれない。車は市役所前駐車場に停まり、つつじが岡公園へは少し距離があった。

 満開のつつじが岡 つつじ祭り開催中で、早速入園。右手土手に咲く満開のつつじの花が出迎えてくれた。赤色中心で、濃い赤色の花は妖艶でもある。鑑賞客と一緒に広いつつじ園を巡る。左右に咲く花々は殆ど満開状態。赤、朱、ピンク、そして白が混じって咲き揃い、重なり合い見事で、燃えるようでもある(写真下)。入園来シャッターを切り続けている。後ろのSさんを待って、つつじ山へ入る。見覚えがあった。つつじの間に遊歩道が切られ、左右に花を愛でながら巡る。城沼畔へ下りて、uターン。当地は、館林城跡という。つつじが岡公園の前に、城沼に架かる尾曳橋を渡って旧秋元別邸庭でも、咲き競うつつじを鑑賞出来た。最後の館林藩主が秋元氏であったと思う。
 つつじの花に満たされ帰途へと就いた。館林から東北自動車道は直ぐで、ノンストップで我が家迄走ってくれ、14時過ぎには帰宅した。Sさんありがとうございました。(2021/5/16 K.K.1391/14000)

◇日時 2021/04/25 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 9km 13,000歩 ◇資料 館林観光協会「つつじまつり」「通過時間等」 自宅6:00-群馬三代沢赤城神社8:30-前橋嶺公園9:15-館林つつじ岡公園11:20/12:20-自宅14:20

根津神社、練馬平成つつじ園を巡る

 つつじの季節に至り、都内の根津神社つつじ祭りや練馬にある平成つつじ園が思い浮かぶ。これまで鑑賞に訪ねたことがあるが、時間が経っている。文京区と練馬区とで、大分離れているが地下鉄を利用すれば、一度に巡ることが出来ると気付いた。歩き足りないとは思うが、花期は逃したくない。

 白山駅から根津神社 根津神社へは三田線白山駅から歩く。3番目の孫進学先の最寄り駅だがリモート講義で登校していないようだ。左手の住宅街へ入ると坂道で、浄真寺坂。旧中山道へ出て、また住宅街を抜け本郷通りだが、少し手間取った。今度は坂道を下り、根津神社の裏参道に着き、本殿へ回り参拝。古社で、将軍綱吉が現社殿を奉建したという。
  境内右手の土手がつつじ園で祭り開催中で、赤色を中心に咲いている。当地が、6代将軍家宣が生まれた屋敷であった時に植えられたとある。千駄木から本社遷座前とのこと。
 遅かったつつじ 入園し花の間を巡ると、少し遅かったと知る。つつじの花は萎み掛けている。それでも、アングルを探しながら、遊歩道を上下する。境内隣高台の文化遺産弥生正緑館(明治の実業家渋谷家洋館)を入れて(写真上)、シャッターを切った。案内によれば、渋沢栄一も訪問した館とある。つつじの花に別れ境内を出て、地下鉄南北線東大前駅へ坂を上がる。少し距離があった。

 東大前駅から南北線に乗車し、次の後楽園駅・春日駅で大江戸線乗り換える。そして、練馬駅へ。練馬駅前商店街に大鳥神社へ寄ろうと探すと、駅前小路先に見付かり参拝。先月練馬を歩いた時は訪ね損ねていた。商店街の社としては広い境内。
 平成つつじ園を巡る 練馬駅北口練馬文化会館の庭にあるのが平成つつじ園。バス時間を調べて鑑賞開始。庭園はそう広くはないが、白色のつつじを中心に咲いている(写真下)。こちらもやや遅めだが、鑑賞者は多い。つつじを眺めながら一回りして写真も数枚写し、駅前バス停に戻った。私は2度目と思うが、過去の記録はなかった。花咲く時期では無い時つつじ園を通ったのだったろうか。前回練馬を歩いた時知ったバスルートで、練馬駅前から赤羽駅西口行に乗り、環八を走ったバスを志村三丁目駅前に降り帰宅。早めに帰宅出来た。
 今回は、遅めではあったがつつじを鑑賞し、カメラに収めることが出来た。それにしても見ごろ、最盛期に出会うことは難しい。花の命は長くはない。(2021/5/7K.K.1390/1400)

◇日時 2021/04/20 ◇天候 晴れ ◇交通費160円 ◇歩行距離等 8km 10,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図28、21」「通過時間等」自宅9:00-三田線白山駅9:30=根津神社10:00/10:15=南北線東大前駅10:29-大江戸線春日駅10:39-同練馬駅11:10=大鳥神社11:15=平成つつじ園11:20=練馬駅バス停11:31-三田線志村三丁目駅12:20-自宅12:40

桜草咲く田島ヶ原から秋ヶ瀬公園へ

 桜、ニリンソウと春から初夏へは花咲く季節で、次は桜草やつつじ、紫陽花と続く。私の里歩きには、四季の花巡りがありこれまでも多く歩いている。桜草と言えば埼玉浦和の田島ヶ原が自生地で、数回訪ねて桜草を愛でている。近くに住まうSさんから開花しているとメールを戴いた。今年のこの時期は花友を誘う状況にはなく、いつもの通り一人である。

 電車で西浦和駅へ JR板橋駅から埼京線に乗り武蔵浦和駅で、武蔵野線へ乗り換え西浦和駅に降りスタート。駅でアクセスマップを入手した。これまでは、我が家から荒川の左右の堤上を約2時間歩いて来たが、もうその元気はない。大通りへ出て荒川方向へ左折し前方に水門施設が見え始め、緩い坂を越すと左下の草原一帯が田島ヶ原。
 水害を受けた桜草 今年も、保存会の方が出ていて案内している。期待して、観察コースへ入る。草原の野草に交じりピンクの花は咲いてはいるが、ポツリ、ポツリと僅かである。桜草を拾いながら遊歩道を進むも、カメラに収めるには物足りない。タンポポは何処でも元気である。細長い五葉の白い花はチョウジソウと知る。
 最近数年の間に二度程大洪水に見舞われ、保存会の方々の手入れで回復しているようだが、最盛期には程遠く、国指定の特別記念物の面影は薄い。草原内を覗きながら大回りし、入口付近へ戻ったら桜草の密集箇所に出会う。濃いピンクの花が咲き揃い美しい(写真上)。シャッターを切った。

 深い森の秋ヶ瀬公園 今回は、田島ヶ原から隣の秋ヶ瀬公園へ踏み入れる。河川敷内なのに思った以上の深い森で、自然の中の散策路を行く(写真下)。高い木々が聳え、荒川の流れは大分先のようだ。野鳥の池から野鳥の森へと森の中の道が続く。カメラを抱えた高齢者は鳥を狙っているのだろう。私には鳥の声は聞こえない。歩きながら、近所の人達と家族で当公園へ来たことを思い出した。子供が小学生の頃であったが、もっと上流だったと思う。森を出て、案内板で現在地を確かめUターン。テニスコートやサッカー場がある地から堤へ上がり、田島ヶ原へ戻る。堤内右下はゴルフ場で、確か浦和新日本CCの筈。帰路はバスで武蔵野線駅へ出ようと決め、右手を見るとバスが近づいている。急いでバス停へと走ったら、転倒。道路の段差に躓き両手で受けたが、バスは行ってしまった。右手が打撲したらしく、鈍痛が残っている。この程度で済んだのは右手のお陰と、鎮痛用パスにお世話になっている。(2021/5/1K.K.1389/1400)

◇日時 2021/04/12 ◇天候 晴れ ◇交通費620円 ◇歩行距離等 11km 15,000歩 ◇資料 昭文社「埼玉県道路地図13」
「通過時間等」自宅8:45-JR板橋駅9:29-同武蔵浦和駅9:49-同西浦和駅9;55=田島ヶ原10:20/10:40=秋ヶ瀬公園11:05=田島ヶ原バス停11:55-JR中浦和駅12:10-三田線新板橋駅12:40-自宅13:10

板橋にニリンソウ自生地を探し歩く

 そろそろニリンソウの花咲く時期である。昨年、上板橋ににりんそう公園があり、川中美幸が唄う“二輪草”の歌碑があると知って訪ねた(20.7.27)。公園もニリンソウ自生地とあり、是非眺めたい。上板橋から区立赤塚植物園、そして赤塚大門を巡ろうと思う。先日、赤塚大門に寄り、咲き始めたことは確かめた。

 花咲くにりんそう公園 上板橋へは高島平からはバスの便はなく、東武練馬行に乗り、一駅歩く。東上線沿いに上板橋へ住所表示を見ながら向かう。上板橋駅手前で左折し住宅街へ入り、ほぼ山勘だが、2,3度小路を覗き、ようやく達した。
 公園の緑地や土手に白い小さな花が咲いている。可憐である。歌碑の周辺にも咲き(写真上)、アングルを変えてシャッターを切った。もしかして期待外れかなと思いながら訪ねたが、当公園も、本当に自生地であった。私の前回の駄文を読んだ方が、youtubeで川中美幸が唄う二輪草を聴いて、川中の指の振りを確かめたとメールをくれた。園内の解説板を読むと、他の自生地として赤塚5丁目森の広場とあり、初めて知る。

 赤塚植物園 東上線上板橋駅から同下赤塚駅へは電車で移動。下赤塚駅北口から中央通りを歩き、赤塚植物園を目指す。途中で近道しようと板橋区赤塚庁舎の方へ入り、松月院通りを渡って住宅街の小路の坂道を下ると植物園へ出て、入園。板橋区の花と案内があり、その一画に白い花が咲いている。花を追って高台へ。当地は武蔵野の名残らしい。隣の区画には、桜草やハナダイコン、菜の花が咲き、春の花々である。
 ニリンソウ咲く遊歩道 植物園から乗蓮寺傍を通り、赤塚城跡へ歩きながら、先程知った赤塚5丁目森の広場は城跡手前の森内だろうと足を向ける。この辺りは未だ武蔵野の面影がある。ニリンソウは咲いていた。森の中の遊歩道両側に沿いびっしり咲いている(写真中)。想定外の出会いで、デジカメを向けながら花の間を下った。

 本場は赤塚大門自生地 ここからは私の近所のようなもの。城跡土手でも花を眺め、高速に架かる歩道橋から赤塚大門へ降りて、土手下の窪地一帯がニリンソウ自生地。咲く面積が違い、花の数も段違い。こちらが本場で、数人の鑑賞者が出ている。
 本日のニリンソウ自生地巡りは、白い花に満たされ、その上新たな自生地も探し当て、満たされて帰宅した。晩酌は、板橋区の花に因み名付けた金沢産地酒“二輪草”にした(写真下)。(2021/4/26 K.K.1388/1400)

◇日時 2021/04/06 ◇天候 曇り ◇交通費150円 ◇歩行距離等 10km 14,000歩 ◇資料「観光いたばしガイドマップ」「通過時間等」自宅12:30=高島平バス停12:40-東上線東武練馬駅12:55=にりんそう公園13:30=東上線上板橋駅13:47-同下赤塚駅13:55=赤塚植物園14:20=赤塚5丁目広場14:45=赤塚大門自生地15:00=自宅15:20

大塚公園から護国寺、雑司ヶ谷へと豊島区内を歩く

 古い資料から大塚駅起点のコースを見付けた。一昔前、駅からハイキングとしてJR東日本発行のガイドマップ(平成15年発行)からである。なるべく未踏のポイントを見付けようと大塚公園、吹上稲荷神社は必須とし、その後護国寺、雑司ヶ谷へと歩き、都電荒川線の駅へ出ようと思う。後半は歩いた(09.11.23)ことがあるが、大分前で再訪も良いだろう。

 藤の咲く大塚公園 西巣鴨駅から荒川線新庚申塚駅へ歩き都電に乗り、大塚駅に降りてスタート。大塚公園は駅前案内地図には載っていない。初めて歩く豊島区内を大分南上した先に公園はあった。
 入園すると藤が頭上で迎えてくれた(写真上)。棚には紫の花が垂れ始めている。時期が早すぎると思いながらもカメラを向けた。木々に囲まれ広場もある都市型の普通の公園。庚申塔や子育て稲荷もあり、参拝。案内には、NHKでラジオ体操が始まった翌年の1929年に当公園でも始まり、全国最初とある。
 吹上稲荷神社 次の吹上稲荷は右一本先の通り沿いと、住宅の間の路地へ入ると急坂で、谷へ下りるような道。大通りの右先にお稲荷様はあった。境内から本殿前へ進み手を合わせる。将軍秀忠が江戸城吹上御殿に祀ったが、その後小石川を経て当地へ遷座したとある。
 大通りへ戻り前進すると不忍通りで、右折したら富士見坂とある。右手一帯は都心とは思えない樹木が生い茂る森で、豊島ヶ丘御陵。

 護国寺と童謡歌碑 少し歩いた隣の門が護国寺の惣門。当寺も将軍綱吉が生母桂昌院のために創建した歴史深い寺院。門など当時の建物も遺るとある。 広い境内の仁王門から本殿への階段下右に、歌碑と富士塚があった。童謡“からすのあかちゃん”の碑とあり(写真中)、作曲者貝沼實が当寺で音羽ゆりかご会を創設した縁とある。同会は、私には川田三姉妹で有名で、正子、孝子が唄う“みかんの花咲く丘”は子供の頃に流行って知っている。

 旧宣教師館  地図を眺め、高速下から左先の雑司ヶ谷へと向かう。また住宅間の小路の階段を上がり、紆余曲折し旧宣教師館へ辿り着いた。
 1907(明治40)年米国人宣教師築の白い2階建ての洋館は住宅街に目立っていた(写真下)。約半年掛けて改装工事が行われ前々日開館したばかりと新聞で知った(4.5読売)。
 雑司ヶ谷霊園は直ぐ先で、路端には花大根の紫花が咲く墓地の間を通り抜け、荒川線を渡って大鳥神社へ寄り、都電の駅を探すと鬼子母神前駅が近かった。(2021/4/22 K.K.1387/1400)

◇日時 2021/04/03 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 13km 17,000歩 ◇資料 JR東日本池袋地区「散歩マップ」平成15年発行 「通過時間等」自宅8:30-荒川線新庚申塚駅9:12-同大塚駅9:20=大塚公園9:35=吹上稲荷神社9:55=護国寺10:05/10:35=旧宣教師館10:50=雑司ヶ谷霊園11:10=大鳥神社11:20=荒川線鬼子母神前駅11:25-三田線西巣鴨駅11:50-自宅12:05

2021花見ハイキング・赤羽岩淵、荒川土手編

 本年3度目の花見ハイキングは、石神井川、新河岸川に次いで、荒川沿いにした。先日入手した北区観光ガイドマップでコースを検討し、JR赤羽駅から志茂、岩淵を経て赤羽土手へ歩こうと思う。新荒川大橋の上下の堤は一度歩いたことがある。これに近くにある神社を入れたい。

 古木桜も満開 すぐ裏手が新河岸川の高い水路壁。歩道橋を渡って荒川知水資料館と管理事務所前へ。庭先の荒川堤際にある桜に驚く。数本の老木が美しい花を咲かせている(写真上)。黒く太い桜木は異様にも見え、カメラに収めた。樹齢100年に近い古木か。荒川土手へ上がると桜並木が満開で、花見散策者が出ている。土手内が旧岩淵水門。荒川から隅田川への分流の水門だが、現在では少し下に新水門が出来ている。
 花下から新河岸川対岸先へ目をやると神社の屋根が見えた。次の八雲神社へと岩淵橋を渡り、参道正面へ回って本殿で手を合わせる。日光御成街道の傍で、岩淵渡しで足止めを食らった勝海舟が書いた大幟が当社にあるという。

 満開の桜と芝桜 現岩槻街道へ歩き新荒川大橋手前で左折し、荒川土手の赤羽桜堤緑地へ。こちらも満開の盛りだが、まだ散り始めてはいないようだ。カメラを構え、見上げながら花の下を行く。川側の土手には濃いピンクの花が一面に広がっている(写真下)。美しい、芝桜か。桜並木を入れてシャッターを切った。
 工事中で、河川敷に降りてJR線路下を抜け、また土手へ。左先の高台には星美学園が見え、隣の赤羽八幡は先日訪ねたばかり。JR北赤羽駅ではなく、環八通りへ出てバス停を探そうと中の橋で新河岸川を渡り、環八通りへ歩いたが、バス停がなく、結局埼京線高架下を過ぎて、ようやく三田線志村三丁目駅方面行のバス停が見付かった。(2021/4/19 K.K.1386/1400)

◇日時 2021/03/30 ◇天候 曇り ◇歩行距離等 9km 13,000歩 ◇資料 北区観光協会「北区観光ガイドマップ 赤羽・浮間エリア」H31.2
「通過時間等」自宅8:40-三田線志村坂上駅バス停9:10-JR赤羽駅9:30=スズラン通り9:35=熊野神社9:50=荒川知水資料館10:00=旧岩淵水門10:10=八雲神社10:30=赤羽桜緑地10:45=中の橋10:55=環八通りバス停11:17-三田線志村三丁目駅11:36-自宅11:55

2021観桜ハイキング・浮間、新河岸川、志村橋編

 満開の中のハイキング 3月も後半に入り、開花宣言から10日程経ち満開の時期を迎えている。本日今春2度目の観桜ハイキングで、浮間公園から桜並木、新河岸川縁を巡った。左右にも頭上も桜花が咲き揃い、春の花に囲まれて、人出も少ない中、ピンクの花を眺めながら進んだ。カメラを出し、アングルを見据えてはシャッターを切った。私の期待通りの咲き振り咲き具合で、最盛期直前であった。

 浮閒公園の桜 バスでJR浮間舟渡駅行きに乗り、浮間公園前で降りると、ピンク色の花が目に飛び込んで来た。園内に入り、遊歩道を行く。両側に染井吉野の桜木が並び、花は満開、見ごろ(写真上)。カメラを出し、右の池も入れてシャッターを切る(写真下)。オランダ風車もあり、背景にした。花は切れ、池を半周して公園を出た。
 桜並木の下を行く 少し先の浮間2丁目の通りに桜並木があると知り、荒川土手下から回り、目指す通りの端へ出ると、正面は桜の並木通りであった。桜木は風雪に耐えたような太い幹。通り右側から、反対側の花々も眺めながら、埼京線手前の大通りへ。ここで右へ入り、傘屋庚申堂を探す。住宅街の間に小さなお堂があった。由緒書きはなく、傘屋の由来は不明。先日入手した北区観光ガイドマップから浮間コースを歩いている。
 次は、埼京線を越した左先の子育地蔵と青面金剛庚申塔で、古そうな街道傍に見付かり、手を合わせた。小さな商店街、観音寺前から新河岸大橋の通りへ左折すると、また桜並木が続いていた。満開の花を見上げ、愛でながら通りを行く。桜木はそれ程太くはなく、まだこれからの木のよう。大きなビルが両側にあり、中外製薬。近所の方の勤め先で話には聞いていたが見るのは初めて。周囲の建物を圧倒し、大会社である。

 新河岸川左岸から右岸へ 新河岸川へ着き、ここからは自前のコース。歩き足りない分を補い、そして未だ桜を楽しみたい。長後さくら橋を目指し堤沿いに左岸を遡上する。ここは2,3度歩いて桜の木があることを知っていた。途切れない程度に桜が続き、想定通り。
 コースは後半になり、長後さくら橋上から、下流の桜の様子を見ると、左岸にはないが右岸にはピンクの花の列が出来ている。橋を渡って右岸へ降り、またまた花下を上がる。そして中仙道志村橋であった。
 本日は、いずれの公園や桜並木でも満開の花に歓迎され、見取れて歩き回り、満たされた気分でバスを待った。(2021/4/11 K.K.1385/1400)

◇日時 2021/03/26 ◇天候 曇り ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料 北区観光協会「北区観光ガイドマップ 赤羽・浮間エリア」H31.2
「通過時間等」自宅9:10-高島平バス停9:25-浮間バス停9:45=浮間公園9:50=浮間2丁目10:00=傘屋庚申塔堂10:10=青面金剛庚申塔10:30=中外製薬工業前10:40=新河岸大橋10:50=長後さくら橋11:05=志村橋バス停11:20-三田線志村坂上駅11:36-自宅11:55

2021花見ハイキング・北区滝野川、石神井川編

 先週開花宣言があり、我が家近くの桜も見ごろになって来た。花見ハイキングリーズの到来で、山が遠のいている現在では、ベストシーズン。花見の名所上野公園や千鳥ヶ淵、目黒川は現在は不向きで、私には石神井川や新河岸川、荒川の桜並木である。丁度先日北区を歩いて、北区観光ガイドマップを入手した。滝野川から石神井川へ歩き板橋へ至るコースにした。

 滝野川7丁目桜並木へ 新板橋駅から旧中山道へ出て、JR板橋駅前から滝野川の桜並木がある方向へと歩く。大分前だがSさんと駅前で夜桜見物したことがあった。その地を過ぎたが桜は見えて来ない。先へ進み左手の通りを覗くと、花が咲いる(写真上)。角に小公園があり、目指した桜並木と思い桜を見上げながら行く。予想に反し直ぐ並木は終わり道も突き当り、間違いと気付いた。コースを回復すべく、右折し7丁目の桜並木道を探すが、大通りへ出て明治通り。桜に釣られ大分前で左折してしまっていた。
 八幡通り商店街、滝野川八幡神社 戻らないで、大正大学から西巣鴨駅前で中山道を横断し、滝野川5丁目へ。八幡通り商店街という住宅街の狭い通りがうねうね続き、商店街が切れると前方に玉垣が見え、滝野川八幡神社。境内を進み参拝する。頼朝が勧請し当地の総鎮守とある。通り一本東の通り角にあった四本木稲荷神社へ寄る。本殿の前に拝殿のある社で、拝殿を通り抜け手を合わせた。境内横の通りへ戻ると、前方に見頃の花が見え始め、石神井川は近い。

 石神井川の桜は7分咲き 滝野川橋上から花を眺める。川の両側に桜花は咲き、7分咲き程度だが満開とは違い初々しさが窺え、美しい(写真下)。シャッターを切りながら右岸の遡上を開始。
 石神井川の当地下付近から上流に掛けては花見の名所で、私も1,2度往復したことがある。観音橋袂には谷津大観音様が鎮座し、久しぶりの対面。手前から頭を垂れて、川端を歩き続ける。テーブルのある緑地には花見グループもあるが、少ない。
 埼京線鉄橋下を通過し北区から板橋区へ。三田線新板橋駅が近いが未だ花見を続けながら、右岸を上がる。金沢橋の先が加賀公園。前田藩の下屋敷跡で、築山の跡が遺る。満開の桜があり大島桜で、染井吉野よりは桜色が薄い。花見ハイクを終え、緑橋から板橋区役所前駅へ向かう途中に東板橋公園へ回り道したが桜はなく、区役所前駅から帰宅した。(2021/3/22 K.K.1384/1400)

◇日時 2021/03/22 ◇天候 曇り ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 北区観光協会「北区観光ガイドマップ 田端・滝野川エリア」H31.2
「通過時間等」自宅12:35-三田線新板橋駅13:10=明治通り13:25=西巣鴨駅前13:30=滝野川八幡神社13:40=四本木神社13:50=石神井川滝野川橋13:55=埼京線鉄橋下14:10=加賀公園14:25=石神井川緑橋14:35=東板橋公園14:45=三田線板橋区役所前駅15:00-自宅15:20

里道、里山を歩いた小田急沿線柿生の里

 久しぶりに弟と歩いた。彼が選んだコースは柿生の里で、小田急沿線である。昨年一度計画したが延期になっていた。今回も、小田急柿生駅には、弟が先着していた。我が家からよりは、弟が近い。コースガイドは彼が用意してくれた。

 おっ越し山、月讀神社 柿生駅東口を予定の時間にスタート。弟にリードしてもらい坂道を上がる。当地は里山の間に広がる地域で、坂の上下が多いと知る。坂の途中、柿生中前で石段の里道へ入り、おっ越し山とある。ハイキング向きの小径だが地元の方とも交差する。
 また広い道へ下り行くと、月讀神社への案内を見付け、進入。広い境内に社はあるが人影はなく、我々だけ。参拝しコロナの終息を祈願する。石段を下り、また広い道を先へ進み不動橋を渡り、左に下麻生花島公園を見て、突き当りを右折。
 琴平神社 集落内へ入り、弟に従い山側へ。山麓から振り返ると山間の風景のよう。行き止まりと個人のお宅への道と分かり少し戻って、山裾を行き琴平神社への案内があり、同神社に着く。大きな社を構えているが、儀式殿で、本殿はまだ先とある。江戸期前からの古社で、大きな駐車場があり参拝者が多いことを窺わせる。また手を合わせ、境内にある弁天社や稲荷様も巡る。境内を出て十字路の右先が琴平神社本社の参道。急な石段を目の前にして怖じ気付き、弟へ省略と返事してしまった。彼に貰ったオレンジ類が、高齢者には重い。

 古刹王禅寺 緩い坂道を上がり続け、満開の桜を見付けた(写真上)。ピンクが濃いから河津桜と思うが自信はない。写真は、携帯を出し写した。先ほど、多分駅にカメラを忘れたことに気付いた。王禅寺ふるさと公園へ至り、山腹の園内を巡る。少なくない家族連れが遊んでいる。こちらにも先ほどの桜が咲いている。我々は、遊歩道から山上の王禅寺へと頂を目指す。なんとか寺の境内へ横から入った形で、本堂前へ行き着いた。
 東の高野山とも呼ばれる古刹だが、現在は無住職か。弟と並んで参詣し、境内を見回すとわが国最古の甘柿“禅寺丸柿”の原木と記念碑があった。地名柿生の由来とある。隣の堂宇や薬師堂も巡る(写真下)。歴史が滲み、古刹そのものである。表参道から山門を通って大通りへ出て、バス停を探すと折よく、柿生行きバスがあった。
 駅に着いて、カメラの忘れ物を申し出るとあった。ラッキーで、御礼を申し上げた。駅前で昼食を取った後、駅で弟と別れた。(2021/4/5 K.K.1383/1400)

◇日時 2021/03/16 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 10km 14,000歩 ◇資料 関根茂子「柿生の里散歩道」新ハイキング誌724号88頁「通過時間等」自宅8:30-都営新宿線神保町駅9:15-小田急新宿駅9:30-同柿生駅10:10=月讀神社10:40=下麻生花島公園10:55=琴平神社11:20=王禅寺ふるさと公園11:40=王禅寺12:00=裏門坂バス停12:18=小田急柿生駅(昼食)12:40/13:16-都営新宿線新宿駅14:00-三田線神保町駅14:15-自宅14:50

石神井川下流周辺を巡り歩く

 歩く先を板橋から隣接区へと広げ、石神井川下流を王子から隅田川へのコースを想定した。北区内である。石神井川は練馬から王子まで歩いているが、最下流は未踏で、隅田川河口も眺めたい。先日赤羽八幡神社で、北区内神社リストを入手し、河口左には紀伊神社、右には船方神社があると知った。
 
 石神井川の変貌 三田線西巣鴨駅から歩いて荒川線新庚申塚駅で都電に乗って王子駅に降り、スタート。駅前大通り渡った先が石神井川の筈と探したが、大違いで右へ、それも大分右先にあり、石神井川は一転してコンクリート内水路、運河のよう。流れが淀み、隅田川から逆流もあるようだ。頭上には高速道路が被っている。王子手前音無の流れや風景からは想像もしていなかった。両側には道路は続かず、河口へは下れないのだろうか。
 明治通りへ出て、右岸から溝田橋を渡り左岸を下ろうとするが、工事中箇所が続き、西福寺前へ至り、豊石橋から下流を覗いた(写真上)が、周囲の風景や状況に変化はない。

 紀伊神社を探す 紀伊神社を探し、豊島地区をウロウロ。地図から7丁目へと住居表示を頼りに行くが、最後は地元の方に教えて貰い、参拝。その名の通り鎌倉時代紀州から勧請した社とあり、境内は広いが社殿はシンプルなもの。
 左手先が隅田川と読み、トンボ鉛筆社前から豊島橋への途中で、川のうねりに従い右折。そして、また隅田川へと接近し川沿いに歩くと、北区の豊島区民センターがありマップをゲットし、現在地を教えて貰う。
 川沿いと想定しながら住宅街を歩くと、さっき覗いた西福寺へ至り、豊石橋。渡った先の隅田川側は大規模な工事現場でダンプが出入りしている。この裏が河口と思われるが接近は不可能。

 隅田川、あらかわ遊園地 船堀地区内へ入り、4丁目の船方神社へ向かう途中に白山神社があり手を合わせ、休憩。梶原渡船場跡の案内があったが、方向を間違え次回へ回し、団地内へ入ると裏が隅田川。コンクリートの高い堤防へ上がり、川面を眺めたら(写真中)、右先に観覧車が見えあらかわ遊園地が近いと知る。船方神社は遊園地の手前と、いつもの山勘を働かせ辿り着き、詣でることが出来た。古社だが、住宅街外れにぽつんとあり、私には田舎外れの神社に見えた。
 隣のあらかわ遊園地は工事中。観覧車だけが目立っている。入口に咲くハクモクレン(写真下)をカメラに収め、前の通りを走る都電の駅が直ぐで、電車を待った。これまで歩いた新河岸川や神田川に重ねた河口風景とは違い、安易なコース採りは失敗であった。(2021/4/1K.K.1382/1400)

◇日時 2021/03/12 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 12km 16,000歩 ◇資料昭文社「東京区分・都市図88」2000年「通過時間等」自宅8:35-都電荒川線新庚申塚駅9:20-同王子駅9:30=西福寺10:00=紀伊神社10:30=北区区民センター10:50=豊石橋11:05=白山神社11:25=船方神社11:45=都電荒川線あらかわ遊園地前駅11:53-三田線西巣鴨駅12:20-自宅12:50

練馬にふじ大山道を歩く

 西武池袋線沿線を歩くには、これまでは、我が家からは巣鴨駅、池袋駅を経由していた。処が環八通りを走るバスがあり、志村三丁目駅から練馬駅へ直通と知った。折よく、練馬春日町駅を起点とするハイキングコースを見付けていて、手始めにバスで練馬へ出ることにした。コース概略図はスマートフォンに写し持参したが見難い。

 バスで練馬へ 9時に家を出て志村三丁目駅に降り、環八通りへ少し歩いてバス停であった。バスはほぼ時間通りに来て、環八通りを走った。中台から西台と、地名は知っているが未知の風景の中で、東武東上線下を抜け練馬へ入った。こちらは地名も初めてで、予定の大江戸線練馬春日町駅に降りた。まだ10時前である。
 練馬大根碑を探す 最初のポイントは練馬大根の碑。通りは五差路で分かり難く、目の前の交番で聞いたが知らないという。練馬では有名な筈で意外な返事だが、古刹愛染院を教えて貰う。聞き間違えたようで大回りし山門から境内へ入り、参拝。満開のピンクの花は早咲きサクラか。
 参道に大きな石碑があった(写真上)。練馬大根は元禄時代から当地で栽培され特産物になり、明治からは全国的に広がったとある。1941(昭和16)年に石碑が建てられたという。徳川綱吉が脚気で療養に練馬に滞在し大根を食べて治癒し、練馬大根を広めたという伝説もあると知った。

 ふじ大山道を行く 寺前の通りがふじ大山道で、江戸時代から大山や富士山への登拝に利用された古道である。今も、住宅街・商店街の間にそれなりの街道が続き、私も初めての道を辿る。時々スマフォからコースをチェックし、スーパー付近の小さな社を確認し通り過ぎ、三叉路にある谷原延命地蔵へ至る(写真下)。軽く挨拶し、左の道を採る。練馬も奥の谷原で、少し歩いて春日通りと笹目通りが交わる谷原の大きな交差点であった。ここでVターン。練馬体育館前から、清戸道へ入り練馬駅を目指す。江戸時代、清瀬付近の農家が農産物や肥料を運んで江戸を往復した道のようだ、
 石神井川を渡る 環八通りを横断すると石神井川道楽橋。その手前に高松庚申塔と宮田橋敷石供養塔があった。1807(文化4)年、この辺りは石神井川の湿地帯で、清戸道利用者達が敷石を寄進した記念碑とある。今でこそ石神井川は水路で管理されているが、寡ってはうねり、増水時は渡るにも大変だったのであろう。
 目白通りへ出て、練馬駅は近いと読んだが、西武池袋線高架下からも、距離があった。都心と同じような繁華街をキョロキョロしながら練馬駅へ歩き探して、見付かりバス停のある北口へ回る。往きと同じバスは時間が合わず、成増行きのバスに乗車。成増駅とは離れた終点であったが、駅北口からいつものバスで、13時に帰宅した。(2021/3/29 K.K.1381/1400)

◇日時 2021/03/9 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 11km 15,000歩 ◇資料 新ハイキング社「さあ、ハイキング ふじ大山道から清戸道」183頁 通過時間等」自宅9:00-志村三丁目駅バス停9:29-大江戸線練馬春日町駅バス停9:50=愛染院・練馬大根記念碑10:05=谷原延命地蔵10:35=谷原交差点10:45=石神井川道楽橋11:10=練馬駅バス停11:55-成増駅バス停12:35-自宅12:55

初めて訪ねた赤羽八幡、赤羽緑道公園、桐ヶ丘中央公園

 先日赤羽自然観察公園を歩いてその記録を書いた際、赤羽地区の地図を眺めて、その先に赤羽八幡、赤羽緑道公園、桐ヶ丘中央公園があると知った。いずれも未訪の地で、私の里歩き散策にはちょうど良い。最近歩くコースの大半は一度歩いた地が多く、すべてのポイントの地が初めては久しぶりで、期待しよう。

 宝幢院、赤羽八幡 三田線西台駅前から赤羽行バスに乗ったが、大回りの路線で大分時間を要して、赤羽駅西口着。情報を得ようと案内所を探したが見当たたらない。線路沿い左側を北上し、高架下で右折して宝幢院に寄る。家光から寺領を賜っていたという古刹。梅の咲く境内から本堂へ軽く挨拶し、戻って坂を上がる。
 坂は急で、崖上に八幡神社があった(写真上)。武蔵野台地の東北端で、坂上田村麻呂が東征の折陣を張り武運長久を祈った社とある。境内の隣は星美学園で、京浜線車窓から崖上に眺めていた。私は、これまでそっちこっちでお願いした孫2人の合格を報告し、お礼を申し上げる。また坂を下って、赤羽緑道公園を探す。多分この辺りの先に遠戚のお宅が有り上京時訪ねたことがあったが、すっかりご無沙汰している。

 赤羽緑道公園を行く 樹木が見える方向を見極め接近すると、偶然公園入口へ。細長く続く緑道を行く。戦前軍施設があった赤羽自然観察公園への軍用鉄道の跡地という。今では、ジョガーや散策者が行き交う。途中の交差点は赤レンガ造りの高架橋で渡っていた(写真中)。先ほどの宝幢院の墓地がある地には、ガーデンがあり原色の花が咲いていて名は不明だが、シャッターを切った。奥の団地越しに公園らしき林が見え、大きな交差点で右折し商店街から公園方向に向かうと、桐ヶ丘中央公園とあり、テニスコートや遊戯具がある。また山勘が当たり、ベンチで休憩。持参したチョコレート菓子を食べる。先月孫娘達に貰っていた。

 北区から板橋へ 北赤羽から板橋小豆沢方向へ出ようと、公園から団地内を歩く。善徳寺のある交差点へ至り、意外な現在地を知る。赤羽自然観察公園の帰途に出会った寺で、反対側の小豆沢へと向かう。右折前進を繰り返すと、龍福寺、そして小豆沢神社であった。昨春いずれも訪ねた。山門前のハクモクレンや菜の花がもう満開(写真下)。春も着実に来ている。
 ここからは土地勘が戻って土手を下り、環八通りへ出てバス停を探し、バスを待つ。10分弱で乗車できた。(2021/3/25K.K.1380/1400)

◇日時 2021/03/4 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料昭文社「東京都市図16」2004年
「通過時間等」自宅9:55-三田線西台駅バス停10:08=赤羽駅西口10:45=宝幢院11:00=赤羽八幡神社11:10=赤羽緑道公園11:20=桐ヶ丘中央公園11:45=善徳寺11:55=小豆沢神社12:05=環八バス停12:18-三田線志村三丁目駅12:32-自宅12:50

河津桜鑑賞に平井旧中川を再訪する

 春の花情報第一報に接した。江戸川区旧中川に河津桜が咲き、見ごろと知った(2.22読売)。桜でも河津桜は濃いピンクが魅力的で好きな花である。これまで本場伊豆の河津へ2度も出掛けて楽しんだ(18.3.6外)。旧中川の河津桜も一度眺めたことがあり(15.3.19)、晴れる日を待っていた。

 平井駅をスタート JR総武線平井駅から歩くことにし、両国駅で大江戸線から総武線へ乗り換えた。亀戸駅を過ぎ旧中川鉄橋付近で、車窓から右手に咲いている濃いピンクの花を確かめた。
 平井駅乗降は初めてと思う。東口へ出て右へ方向を採ろうと思う。近くにあった稲荷神社へ挨拶し、商店街から住宅街の小路を行き団地へ突き当り、迂回して旧中川河畔へ出た。
 満開の河津桜 見覚えのある風景で、ふれあい橋に立つと、前方の河川敷内に花が見え、その先にスカイツリーがある。河川敷へ降り、近づく。

 河津桜は満開で(写真上)、ジャスト見頃。花下へ入り見上げながら眺め、アングルを探す。濃いピンクの開いた花びらが重なり合い咲き揃っている。シャッターを切りながら進み、スカイツリーも入れたい(写真中)が中々簡単ではなく、出来上がりに期待するほかない、人出は少ないがこれからか。総武線鉄橋下を過ぎると、桜木はなくほんの一画で、15本程度か。
 白梅も鑑賞 旧中川を出て、蔵前通りで次のポイントを思案すると、対岸の梅の花が目に入り、惹きつけられるように江東新橋を渡ってしまった。
 亀戸中央公園内の梅園も白い花が咲き誇っている(写真下)。こちらでも、カメラを向けながら園内を巡る。2度目の筈だが、殆ど記憶にない。時計台のあるエリアもある。また総武線鉄橋下を抜けたが、工場跡地と公園の続き。持参したウーロン茶と菓子で、ベンチで休憩。

 遠い亀戸駅 右手が亀七商店街通りで、抜ければ亀戸駅と読んでいたが違う。地図で確かめると京葉道路で広い大通り。山勘が外れ、総武線も反対側に逸れていた。大分歩いて右側に高架線が見え始め、更に歩いて亀戸駅であった。
 帰路は、両国駅乗換を避け総武線水道橋駅とし、三田線へ乗り換えた。要した時間は短かったと思う。
 今回は、河津桜鑑賞を中心としたが、手許のハイキング資料に、“旧中川沿路平井散策”を見付けて(新ハイキング編社「さあ、ハイキング!」218頁)、その内に思っていた。こちらには平井さくら公園があり染井吉野だろうから、また訪ねたい。(2021/3/19K.K.1379/1400)

◇日時 2021/02/28 ◇天候 晴れ ◇交通費 340円 ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 「都心あったか河津桜楽しむ」(読売2.22)、昭文社「東京都市図41」2004年
「通過時間等」自宅8:45-大江戸線春日駅9:24-総武線両国駅9:47-同平井駅10:00=ふれあい橋10:20=旧中川河津桜10:25=江東新橋10:35=亀戸中央公園10:45=亀七商店街10:55=総武線亀戸駅11:14-三田線水道橋駅11:35-自宅12:20