仙台、塩竃に三社を巡り歩く

 山形行きの最後の日仙台へ出て、大崎八幡宮、塩竃神社、そして榴岡天満宮を巡り参拝しようと故郷東根を後にした。前日、読者で歌人のS先生にお会いし、先日戴いた1200号のお祝いの短歌ふるさとに兄あり友あり読者あり 1300回への首途ことほぐに御礼を申し上げた処、先生も気に入っていると話された。夕方からは同級生6人と小宴を楽しんだ。

 大崎八幡を再訪 山形駅から乗車した仙山線を東北福祉大前駅に降り、目指すは大崎八幡宮である。高校卒業した年案内して貰い、杉並木の参道が記憶にあり、再訪を考えていた。駅前案内板でルートを確かめ、市街地を行き右折し進むと北参道へ着いた。直ぐ社殿。処が工事中で中へ入れず、長床から参拝。 当社は、坂上田村麻呂が宇佐八幡宮から勧請したのが始まりで、大崎氏の遷宮を経て、慶長時代政宗により、当地に社殿が造営され鎮座したとある。市内も西部で仙台空襲を免れ、桃山様式の社殿は遺り国宝という。表参道を往復する。確かに両側に杉並木が揃うが(写真上)、記憶よりは規模が小さいよう。50年以上の前のことで仕方ない。

 芭蕉足跡遺る塩竃 仙台駅へ出て、仙石線に乗り本塩釜駅に下車。こちらは芭蕉の足取りを追う。駅構内観光案内所で資料を入手し、塩竃神社へ。大通りへ出ると、芭蕉、松島へ向け船出地の案内を見る。往時は湾が入り込んでいたとある。”おくのほそ道”石碑に出会う。ほそ道300年を記念したらしい。神社正面下に着き、紅葉が残る中、長い石段を昇る。参拝すると、本殿右に、”文治の神燈”があった(写真中)。奥州藤原氏の奉納で、芭蕉も見たとある。裏坂を下るとモミジ赤の紅葉が美しい。途中に、芭蕉止宿の案内が立っていた。当時芭蕉と曽良が泊まった宿治兵衛があった跡地。当地には、芭蕉の句碑はないようだ。一句も詠まなかったらしい。先程の案内所の薦めで、通り反対側の御釜神社へ詣でる。地名塩竃のルーツになった神釜が安置され、芭蕉も寄ったらしい。駅へ戻る途中に老舗酒造会社があり、浦霞酒造。宮城産銘酒で、時には私も戴くが、塩竃産とは初めて知る。昼も過ぎ、駅前で昼食を取り、塩竃では、やはり海鮮丼である。 

句碑がある榴岡天満宮 仙石線で戻り、仙台駅手前の榴ヶ岡駅に着く。地下駅を出ると方向を失い尋ねて、近くの天満宮を探した。坂道参道を上がり、鳥居下から先ず参拝。広くはない境内を見渡すとぐるりと石碑が林立し、芭蕉句碑が分からない。思い切って社務所へ問うと、境内図を渡してくれた。それで探し当て、あかあかと 日はつれなくも 秋の風と刻んである碑をカメラに収めた(写真下)。予定した仙台在同級生は都合悪く、東北新幹線で帰京した。(2018/12/29 K.K. 1228/1300)

□日時 2018/12/4 □天候 晴 □交通費 15,000円 □歩行数等 17,000歩 12km □資料 「参拝のしおり大崎八幡宮」、塩竃観光物産協会「芭蕉が歩いた塩竃」、「榴岡天満宮縁起」

「通過時間等」実家8:25-JRさくらんぼ東根駅8:55-同山形駅9:45-同東北福祉大前駅11:00=大崎八幡宮11:20/11:35=JR東北福祉大前駅11:58-同仙台駅12:37-同本塩釜駅13:00=塩竃神社13:25=御釜神社13:50=JR本塩釜駅14:30-同榴ヶ岡駅15:00=榴岡天満宮15:10=JR榴ヶ岡駅15:27-同仙台駅15:43-同上野駅17:55-三田線巣鴨駅18:13-自宅18:40

月山を眺め、山寺から天童へ芭蕉を辿る

 山寺境内を下って山の端を過ぎると果樹園地帯になり、正面に真っ白な月山が姿を現した(写真上)。子供の頃に眺めた景色である。月山山麓から奥羽山脈の間に村山平野が広がり、そして眼下の田畑の中に集落が点在する。現在では多くは果樹園で、バイパスが走っているが、当地の風景にそう変わりはないようだ。懐かしくもあり、脚が弾んだ。

 立石寺をスタート 本日は、帰郷を利用し、芭蕉のおくのほそ道を辿ろうと、14時仙山線山寺駅に降りた。立石寺に参拝し、境内を行くと芭蕉と曽良の像が建ち、”閑かさや 岩にしみいる 蝉の声”の句碑があった。蝉塚は寄らないで、天童へと急ぐ。先程、案内所で尋ねると、”車では15分だが歩いては・・・”と首を傾げられたが、私は2時間30分程度と読んで、暗くならない内天童へ入りたい。山寺集落を抜けると、左に立谷川が見え、山の端を過ぎて果樹園地帯になり、延命地蔵堂を確かめ、右手の舗道へ入ると冒頭シーンに出会い、思わずシャッター切った。
 石倉芭蕉句碑 山形市への道を分け天童石倉へ右折する。手前に奥の細道道標が建ち、農家前に小径があったが私道かなと、進入を躊躇した。両側には果樹園が続き、左手には月山を望む。当地は、2,3度バスや車で通ったが不案内で、目指す石倉は初めての地。略図が頼り。先程の奥の細道小径の出口があり、少し悔いた。それでも石倉の芭蕉句碑に到着。一面畑の中に、有名な”まゆはきを 俤にして 紅の花”の句碑があった(写真下)。案内によると、昭和56年加藤楸邨揮毫とある。同句の碑は、我が東根の六田にも建つが、紅花の産地としては当地かもしれない。左手先に舞鶴山が見え始め、天童は意外に近いと思ったが、これが違うと後で気付かされる。

 薄暮の中天童へ急ぐ 天童へ向け畑中の道へ入り石倉地区で、大きな農家が並ぶ。次は干布(ホシヌノ)地区で、学校前を通る。名前だけは知っていた。右の山は舞鶴山ではなく、離れ小山が三つも続いていた。太陽は西の山へ沈み始め、急かされる。原町へ入ったが略図にある一本杉は見当たらない儘、“山形正宗“の水戸部酒造を越す。同社は天童もこの地だった。そして国道18号バイパスを渡るが天童市内は未だ先。薄暮になり始めた。
 市内へと右手へ折れると北目で、また細道の道標があり、石倉句碑前からはほぼ旧山寺街道を歩いたようだ。舞鶴山裾の道を市内中心へと入る。そして終点の旧東村山郡役所前へ出た。二度目の筈だが、改装されたようで美しい建築物遺産。向きが異なると思うが記憶違いだろう。回りの公園に翁塚や句碑を探すが見当たらない。句碑の案内は立つがない。裏の古い石かなと念のためカメラに収めたが、文字はないようだ。暗い中、旧国道を天童駅へ。2時間40分を要し駅で、実家へこれからと電話した。(2018/12/23 K.K. 1227/1300)

□日時 2018/12/2 □天候 晴 □交通費 15,000円 □資料 「天童観光ガイドマップ」「天童に残る旧山寺街道」 □歩行数等 23,000歩 16km 
「通過時間等」自宅9:50-JR上野駅10:50-同仙台駅13:01-同山寺駅14:00=立石寺14:15=石倉句碑15:15=干布15:30=北目16:10=旧東村山郡役所16:25=JR天童駅17:03-同東根駅17:20-実家17:30

30年振りに小田原城天守閣を見学する

 新幹線車中、隣の同僚に小田原城について問われた。本日午後、勤務先の会議兼忘年会が熱海であり、その前に小田原城見学が組み込まれた。私が城跡も含む山里歩きの駄文を勤務先内ウェブサイトへ搭載していることを知っての質問だと思う。私は、北條五代の居城だったが、天守閣は鉄筋コンクリート製の復元もので、見所は大手門だろうと答えたが、常磐木門と気付いたが訂正の機会はなかった。

 小田原城の略史 私が最初に小田原城を訪ねたのは、もう30年前のこと(88.1.29、その後12.2.18外)。その頃、山岡荘八著「徳川家康」を読み、信玄、家康、そして信長間の勢力拡大の攻防の中に地方小領主の城の存在を知った。野田城や高天神城、長篠城等である。近くにも多くの城跡が遺ると知り、訪ねるようになった。
 最初の時は、濠や郭跡、常磐木門、そして天守閣で、展示の資料を見たと思う。現存する城跡遺構は、江戸期になってからの譜代大名大久保忠世以降のものである。
 しかし、小田原城と言えば、北條五代の拠点で、早雲が大森氏から奪取し、氏綱、氏康、氏政、氏直と続き、関東一円を戦国期長く統治したことは知られる。謙信や信玄の侵攻を撃退し、そのため、氏綱の頃から城下を囲んだ総構えを築いた。氏直の時、秀吉の小田原征伐に遭い、籠城戦を採ったが、長い評定の末開城に至ったことは歴史が示し、小田原評定という有難くない名が残った。

 今回の見学 我々一行は、小田原駅で新幹線を降り、バスに乗車。西口駅前広場に建つ早雲像は、小田原城夜襲の際角に松明を付けた牛と一緒の像であった。城駐車場から御茶壺橋で濠を渡り二の丸で左折し、石段から常磐木門。門下から本丸内へ入ると正面の天守閣は、リニューアル工事を経て、白さが増し綺麗になっているようで(写真上)、カメラに収めた。二の丸銅門も改装されていた(写真下)。同僚達に付いて、閣内の史料を見て回る。以前の展示物を一新したようで、詳細なものが加わったと思われる。今回の見学で、次の三点が新情報として知った。

 新たな城情報 本能寺の変後武田遺領の信濃や甲斐の争奪戦で、北條氏は信濃の松本迄手に入れたとある。厩橋(現前橋)の北関東への進出は知っていたが、遙か先まで手を伸ばしていたのだ。流石北條氏である。氏政時代か。
 天守最上階から石垣山一夜城の展望可能は当然こと。その説明の中に、関東で初めての石垣使用の城とある。確かに関東の城は土塁中心だろうが、上野金山城(現群馬太田市在)は石垣があったと思う。どちらが先だろうか。
 江戸期の二の丸に、将軍宿泊用館があったとある。東海道箱根口、江戸への関門の地で重臣大久保氏が配されていた。家光が宿泊したという。上洛の際利用したのであろうか。略図にはなく初めて知った。帰宅後調べようと思いながら、昼食後、バスで熱海へ向かった。(2018/12/20 K.K. 1226/1300)

□日時 2018/12/1□天候 晴 □資料 「小田原城天守閣」□歩行数等 11,000歩 8km「通過時間等」自宅8:00-JR東京駅9:26-同小田原駅10:10-小田原城10:20/11:35-昼食会場11:50/12:35-ホテル13:10

信濃追分宿を巡り、大浅間を仰ぐ

長野東御市在保養所宿泊の翌日、帰京の途中に歩く先を思案した。昨日しなの鉄道車窓から眺めた浅間山をもう一度見たいが、義姉に重い土産を戴き、背負って歩くには限られる。駅に預けても同じ駅に戻らなければならない。信濃追分駅から、浅間山の麓の追分宿を歩くことを思い付いた。寒さは、厚着と貼付けカイロで凌ぎたい。

しなの鉄道追分駅へ 朝、玄関から外へ出てみたが、天気は良く、烏帽子岳の頂は白くなっているが、思った程寒くはない。朝食後、弟夫妻にしなの鉄道田中駅へ送って貰い、信濃追分駅へ向かった。浅間山に目をやると、こちら南側からの山容は爆裂跡の複雑な形で、昨日の風景とは違う。追分駅無人の待合室に荷物を置かせて貰い、出発。線路沿いから林の中の別荘地帯へ入り、1人直線の道を行く。この時期別荘には人気はない。寒さは慣れたのかそう感じない。昨日の横川と軽井沢の気温差は、標高約500mの差に起因していると気付いた。

追分宿を上下する 国道18号を地下道で潜り、旧中山道である。途中、木々が邪魔し、浅間山は望めなかった。北国街道との追分地点を目指し、左折すると追分宿。堀辰雄文学記念館は二度見学したので、スルーする。右手に浅間への登山道口を見た。高札場跡や古い木造商家や家屋が往時の宿場を示しているが、開店中の店はない。前回(05.11.3)は開いていたと思うが。追分の地点に至り(写真下)、分かされの碑がありカメラに収める。現在は、現中山道の国道18号が貫き車が往来し、右に分かれる北国街道はその半分もなく、時々車が通るだけ。私は、浅間山を探しに、林を抜けようと北国街道へ入るが林は奥へと続き、その可能性はなく、諦めUターン。

芭蕉句碑に出会う また追分宿内を戻る。左手に油屋旅館を見て、敷地内へ。嘗て堀辰雄や文士達の常宿だったというが、現在旅館は止め、見学可能の案内もオフシーズンとある。先程中山道へ入った地点を越し、左手が追分公園。入園すると芭蕉句碑、”吹き飛ばす石も浅間の野分け哉”があり、更級紀行の帰途だろう。最近芭蕉を追い始め、偶然の出会いにニンマリとする。隣の追分節発祥の地の碑を見て、ここも二度目とはっきり思い出した。当地の馬子唄が芸者衆等を通じ越後から日本海沿いに北上し、最後は江差追分へと繋がったとある。浅間神社は室町様式を伝える古社で、手を合わせた。

大浅間を撮る 国道18号へ出て、直ぐ両側に一里塚跡。記憶にある史跡で、下からカメラを向けた。電車時間に合わせ、次の信号で歩道橋を渡り別荘地帯へ。戻って橋上から浅間はどうかなと思ったが、多分ダメだろうとそのまま駅へ向かう。別荘地を過ぎ坂を下り、駅が見え始めた地点で、左を向くと見えた、あった大浅間が。晴天下、大きな美しい山容が姿を見せている(写真上)。林越しだが昨日感動した浅間の山姿。ベストアングルに満足し、駅で軽井沢行き電車を待った。 (2018/12/12 K.K. 1225/1300)

□日時 2018/11/23□天候 晴 □交通費 2,870円 □歩行数等 14,000歩 10km
「通過時間等」宿泊先9:40-しなの鉄道田中駅10:09-同信濃追分駅10:40=旧中山道11:05=分かされの碑11:15=油屋旅館11:40=追分公園11:45=一里塚11:55=しなの鉄道追分駅12:37-軽井沢駅前12:55-JR横川駅14:10-同高崎駅14:52-同赤羽駅16:35-三田線新板橋駅16:52-自宅17:20

群馬横川に麻苧の滝を往復する

今年も、長野家内の実家からいとこ会の案内があった。昨年、言わば家内の代理で出席し、歓迎された。今回も出ようと思い、いつもの通りハイキング先を探した。信濃追分から北国街道を歩こうとし調べたが、当日気温が低く一桁の予報。処が手前の群馬はいつもの秋の予報のよう。手許のガイド(旅行読売「滝湖畔渓谷を歩く」27頁)に横川駅から歩く麻苧(アサオ)の滝を見付けていて、長野へ入る前に滝往復しようと計画した。

横川駅から滝へ 現在、JR横川駅から軽井沢駅間は信越線が廃され、バス運行である。ハイキング時間を入れ1時間の余裕を持ち横川駅に着いた。観光案内所で情報を得ようとしたが、麻苧の滝のものはなく、口頭で、ガイド通り片道1時間を確かめた。周囲の山々は紅葉も終わりに近く、晩秋である。
駅裏から碓氷関所跡を眺め、国道18号へ出て、バイパストンネル前で左折し下ると、川原へ出て、吊り橋が架かる碓氷川。橋を渡って一瞬迷ったが、案内を見付け山中へと進むと、滝へ350mとの表示に出会いビックリ。未だ30分も歩いていない。本当かなと訝りながら、坂を上がると四阿があり、ザックからストックを出す。そして、下りとなり、身を屈め大岩の下を通る。これが安産岩と後に気付いた。山に取り付き急坂となり、ストックを使い上がると、直ぐ小屋の前へ出た。

近い麻苧の滝 また沢を渡る小さな吊り橋があり、ふと右に目をやると、大きな滝が落ちている。疑いながらもこれが目指す滝かなと略図や周囲を見回すが、否定する情報はない。橋の袂から荒れた踏み跡を滝下へと入る。
垂直な断崖に滝は流れ落ちている。高さ約50m程とみたがガイドでは40m。水量は少なく、渇水期だろう(写真上)。更に滝壺へと近づき、真下から見上げ、また水に手を入れてみたが、思った程冷たくはない。シャッターを数度切り、誰もいない山中の長居は無用と滝を離れた。荒れた薮道は山奥へ続いているが、麻苧の滝と確信し、戻る。小屋は滝籠り小屋とあった。

しなの鉄道乗車 予定時間の半分程で駅へ戻れると分かり、14時のバスまで時間を持てあましてしまう。国道沿いにあった食堂で昼食を取って、関所跡へ寄り、駅へ。駅前角に老舗峠の釜飯おぎのや店舗があり(写真下)、創業の地で史料館もあり覗いた。予定のバスで碓氷峠を上がり軽井沢駅からしなの鉄道に乗車。予報通り軽井沢は寒く、先程”ホカロン”を貼った。右の車窓は浅間山で、本日天候良く大きな黒い裾曳く山容が見渡せる。この時期なのに冠雪はない。田中駅に着くと、実家の弟夫妻が車で待っていてくれた。いとこ会で、浅間山風景を話すと、当地は今月二度雪が降り、浅間は火山で直ぐ消えてしまうと教えて貰い、なるほどであった。(2018/12/10 K.K. 1224/1300)

□日時 2018/11/22 □天候 曇り □交通費 2,790円 □歩行数等 11,000歩 8km □資料 旅行読売「滝湖畔渓谷を歩く 麻苧の滝」2000年27頁
「通過時間等」自宅7:50-JR板橋駅8:19-同赤羽駅8:42-同高崎駅10:23-同横川駅11:05=碓氷川吊り橋11:20=麻苧の滝11:35/11:45=碓氷川吊り橋12:00=食堂12:10/12:25=横川駅バス停14:15-しなの鉄道軽井沢駅15:08-同田中駅15:45-宿泊先16:10

小平歩け歩け会に参加する

都下小平在の旧友から、歩け歩け会参加の誘いを受けた。昨年は雨で止めたと思う。前日の土曜日は渡良瀬渓谷へ出掛けたが、車と電車で歩いていないので疲れはなく、連チャンとした。小平駅から多摩湖畔約6㎞往復の平地ハイキングというから大丈夫だろう。旧友Oさんとは最近は歩いてはいない。久しぶりである。

小平グリーンロードを行く 朝9時前に小平駅前に着くと、O夫人に声を掛けられた。彼女も参加するという。3人で受付を済ませ、駅前をスタート。多摩湖へ続く直線的な水道道路で、現在は、散策やジョグ、サイクリング用小平グリーンロードとして整備され、お二人は既に数回参加し、また日常的にも犬との散歩にも歩いているという。隣に西武多摩湖線が並行し(写真上)、Oさんに、途中リタイアオーケーを貰った。
本日晴となり無風で、右手に続く住宅は各戸南向きで日射しを受け、羨ましい位。次第にハイカーも増え前後しながら、3人も順調に歩く。中央がサイクリングロードで時々後から自転車が追い越し注意が必要。O夫人、立ち話しをしている。犬の散歩仲間らしい。並木は桜のようで春は花見に良いようだ。
私は、Oさんと友人知人の消息などを交換しながら行く。彼とは、旧同僚で、年齢も一歳違いだが大学二部では同級生だった。一時は寮も同じ時もあった。あれから半世紀経ち、お互いに孫のいる年齢になってしまった。そんな訳で共通の友人も多い。

狭山公園を越しゴールへ 西武萩山駅から八坂駅を通過。近くに旧勤務先の研修所があり、若い頃は3週間の合宿研修もあった。左手に大きな公園が見え、東村山中央公園。晴天下家族連れが遊び、テニスを楽しんでいる。高架下を過ぎる。新青梅街道とOさん教えてくれた。空堀川を渡り、やや左折すると小山が見え出した。八国山かと思ったら狭山公園という。O夫人に聞いた通り、長い坂道になる。上がり切ると湖だが、多摩湖のどの辺か見当が付かない。2人の後に付いて対岸のゴールを目指す。ようやく多摩湖の東端らしいと気付いた。ゴールし様々な賞品を戴く。小物だが市民でない私は遠慮したくなる程。

 八坂駅でリタイア 土手下の公園ベンチで大休憩。O夫人より果物やお菓子を戴く。特にご婦人と一緒だと役得だが、最近はその機会は皆無に近い。腰を上げ、ススキの原を抜け(写真下)、狭山公園内樹林下から、また小平グリーンロードへ出て、歩き返す。12時近くなり、八坂駅でリタイアを提案し、許して貰う。夕方上野駅へ出る約束がある。電車を萩山駅で乗り換え小平駅に戻り、駅前で昼食。Oさんに麦酒付き昼食をご馳走になってしまった。Oさんご夫妻にお世話になった上、食事までご馳走になり、有り難うございました。御礼を申し上げます。(2018/12/06 K.K. 1223/1300)

□日時 2018/11/18 □天候 晴 □交通費 1,040円 □歩行数等 14,000歩 10km □資料「小平~多摩湖歩け歩け会コース図」
「通過時間等」自宅7:30-JR巣鴨駅8:10-西武高田馬場駅8:19-同小平駅前9:05=八坂駅前9:35=空堀川橋9:55=多摩湖畔ゴール10:30/11:00=西武八坂駅11:51-同小平駅(昼食)12:10/12:50-JR高田馬場駅13:20-三田線巣鴨13:36-自宅14:05

紅葉の中わたらせ渓谷鐵道を楽しむ

渡良瀬渓谷をハイキング先候補として久しい。群馬東北部の山中でアクセスが簡単ではなく、中々実行出来ないでいる。栃木鹿沼から歩いた帰途に渓谷鐵道に乗った。また最下流の高津戸峡も歩いたが、渓谷全体を眺め、見回したい。今夏、Sさんの車で予定したが、余りの暑さ予報に急遽回避したことがあった。Sさんと再度計画し、紅葉を楽しみたい。

トロッコ号で渓谷へ 車は速い。東北自動車道から北関東自動車道を走り、渓谷鐵道神戸駅に、予定より30分以上も前に着いた。未だ紅葉は残っている。トロッコ号予約席は売り切れだが、当日券で潜り込んだ。駅ホームは晩秋感が漂い(写真上)、寅さん映画冒頭シーンの旅先の田舎駅のよう。どうにか長椅子席に座れたが、車窓からの景色はどうだろうか。

紅葉に染まる渓谷 長いトンネルを抜け、渓谷沿いに走った。奥へ入るに従い紅葉は多くなり、赤色を増した。窓越しにシャッター切るが、動いている最中で自信はない。渓谷も狭まり、眼下になる。白い御影石、清流の水色、そして紅葉のコントラストが見事である(写真下)。暫し、渓谷美を堪能する。トロッコ号は旧足尾銅山地帯に入り、通洞駅付近からは周囲の建物に廃屋が目立つようになり、鉱石を洗浄した大きな古水槽も見えた。田中正造代議士を持ち出す迄もなく、古河経営の足尾銅山とその鉱害は良く知られたが、銅山は昭和48年に閉鎖されたという。終点間藤駅に着き降車し、下り列車を待つ。山奥の小さな駅かと思っていたら、周囲には建物も多く、ちょっとした町の駅。銅山で栄えたことが窺える。鐵道は坑道へと奥へ続いていたらしい。復路は、渓谷側に席を確保し、再度渓谷に映える紅葉美を楽しむ。通洞駅は、栃木鹿沼の古峰神社から関東ふれあいの道を歩いた時(99.7.20)、利用した筈だが、一切見覚えはない。
 神戸駅に降り、構内食堂で昼食。列車レストラン清流とあり、車内の席で蕎麦を食べる。Sさん、これは東武鉄道の特急けごん号と教えてくれた。彼は、以前鉄ちゃんをやっていたと話してくれたことがあった。

渡良瀬渓谷からイロハ坂へ Sさん、これから日光のイロハ坂を案内してくれると言い、また渓谷沿いに奥へと走った。直ぐ草木ダムで、富弘美術館前を過ぎる。同美術館は、バスツアーで家内と見学したことがあった。不慮の事故で手が不自由になった富弘さんが描く絵は凄いと感心する外はなかった。
車は群馬から栃木へ入り、通洞手前を右折し山中を走る。こちらも紅葉が残り美しい。私の予想とは違いイロハ坂の下に着き、坂を上がるが木々は葉を落とし、紅葉は終わっていた。残念。日光市内から宇都宮へ出て、先ほどの紅葉の渓谷を思い浮かべながら、東北自動車道で戻った。Sさん、またまた有り難うございました。感謝です。(2018/11/28 K.K. 1222/1300)

□日時 2018/11/17□天候 晴 □資料 わたらせ渓谷鐵道(株)「わたらせ渓谷鐵道観光ガイド」平成29年11月
「通過時間等」自宅・高島平7:50-わたらせ渓谷鐵道神戸駅10:30-間藤駅11:10/11:30-神戸駅レストラン12:20/12:35-イロハ坂上13:25-高島平・自宅16:05

教育の森公園から江戸川橋へ都心を歩く

先日都内教育の森公園で、山形の芋煮会が開かれているとラジオから流れた。広い公園だろうが名前も聞いたことはない。都内のめぼしい公園や庭園は大体訪ねていると思っている。ネットで調べたら、都心も文京区内にあると分かり、我が家からも近い。近くの散策コースも思い付き、外国帰りの後には、丁度良いコースと思う。

 教育の森公園、占春園 私の通勤線三田線千石駅に降り、不忍通りを南行する。主要道路だが初めての地で、 坂を下り猫又橋を通過。左手の筈と小路へ入ると窪町公園から筑波大付属小に突き当たり右折し、教育の森公園だった。やはり訪ねたことのない公園で、回って正門から入園すると左半分程は工事中。木々もある園内だが、芋煮会をやる程の広さかなと首を傾げた。
奥へ進むと樹木が多くなり、都心とは思えない林の中。池もあり(写真上)、案内板を読むと、水戸藩分家の守山藩江戸屋敷の庭園占春園跡という。秋色に染め始めた遊歩道を一回り。嘉納治五郎像を見る。彼は柔道家と思っていたが、東京高等師範校長も務めたとある。当園は現在筑波付属小の庭園らしい。また教育の森公園へ戻り、紅葉を探しながら園を出て、春日通りを渡り、丸の内線茗荷谷駅。地下鉄だがこの辺りは地上を走っている。

 縛られ地蔵、馬琴墓 ここからは、西武沿線小さな旅のガイドに従い、有楽町線江戸川橋駅へと歩く。先ずは林泉寺に縛られ地蔵を探す。寺の案内に釣られ反対側から墓地に入り迷ったが、道路から直ぐの入口に見付かり、本当に何重にも縄が掛けられていた(写真下)。頭を垂れ、カメラに収めさせて貰った。坂を下った左手が滝沢馬琴の墓がある深光寺。本堂前にあり手を合わせ、参道を下ると右手が拓殖大学。私が中大二部に通っている時、珍しく拓大生の友人がいて通学は楽だよと言っていたのを思い出した。最近、拓大は箱根駅伝シード校だが我が母校は予選会からである。

 蛙坂、甘酒婆地蔵 ガード手前を右へ回り込むと蛙坂の案内。江戸期頃、当地は茗荷谷に代表されるように窪地、湿地だったことからのネーミングのよう。坂を上がり切支丹屋敷跡前を通る。禁止した後幕府が来日した宣教師等を幽閉した屋敷跡という。そんな施設があったと初めて知る。
高台を直進し、最後のポイント、甘酒婆地蔵のある日輪寺へ向かうが、墓地を見て表へ回ると、称名寺。隣が本法寺で、その先が目指す日輪寺であった。本堂左手に、小さな像があり、近付くとお婆さんの座像。甘酒が供えてある。軽く挨拶し、地下鉄有楽町線江戸川橋駅へ向けた。
今回、千石駅から江戸川橋駅まで公園や寺を巡り歩いたが、都内なのに全て新規な地であった。唯一見覚えあったのは、茗荷谷駅だけ。筑波附属小手前に林野会館があった。北海道在娘の義理の叔父さんが長い間役員を務めていた団体がある所だと思う。結納の時我が家へ来てくれたのが最初で、その後数回グラスを交わしたが、数年前早世された。高島平駅前でのお付き合いが最後になった。そんなことを思い出した。(2018/11/25 K.K. 1221/1300)

□日時 2018/11/12□天候 曇り □交通費 140円 □歩行数等 12,000歩 9km □資料 昭文社「東京都市図」27頁、西武鉄道「西武沿線小さな旅 江戸川駅発」81頁
「通過時間等」自宅10:00-三田線千石駅10:30=猫又橋10:45=教育の森公園10:55=占春園11:05=茗荷谷駅11:15=縛られ地蔵11:30=馬琴墓11:40=蛙坂11:45=甘酒婆地蔵12:05=有楽町線江戸川駅12:20-大江戸線飯田橋駅12:30-三田線春日駅12:36-自宅13:05

マカオ世界遺産街を巡る

我が事務所の所内旅行が、今年は香港、マカオに決まり、日程等がブログに搭載された。私は参加のつもりだが、香港等では、高層ビル群と繁華街、そして外国人の雑踏が思い浮かび、今一乗り気になれない。ハイキング先や景勝地がないように思われる。出発日が近付き、マカオの世界遺産巡りがあると分かり、ようやくその気になった。

 旧ポルトガル領 マカオシェラトンホテル泊の2日目、1階ロビーに集合した。込みあい世界中の多様な人種が行き交う。中国人が多いのは当然か。当ホテルは4000室あり、ロビーの内側はカジノ場らしい。マカオは1999年中国へ返還されるまで、ポルトガル領。大航海時代ポルトガルが当地を支配し植民地にしなった。ヴァスコ・ダ・ガマの名を聞くのは、中学以来。香港のことは知っていたが、マカオも同じとは。渋谷区程度の面積に58万人が暮らし、人口密度世界一という。バスは、ホテル街から旧市街地へ向けた。

聖ポール天主堂跡 狭い石畳の道を走り、ガイドの案内で車窓から旧ポルトガル街の小路を覗く。公園で下車し、聖ポール天主堂跡を見学。既に多くの観光客が取り囲んでいる。教会表門だけが壁のように建ち遺る(写真上)が、1602年の建築で、当地は地震がない証拠という。壁の彫刻にキリストやマリア様に並んで、フランシスコ・ザビエルも刻まれていると説明があり、彼はこちらでも有名な宣教師と知った。カメラに収めながら尋ねると、ガイドが、教会本体は火事で焼け落ちたと答えてくれた。世界遺産登録は個々の建物ではなく、歴史市街地区としての登録という。徒歩で、旧ポルトガル街を行く。石造り2階建ての建物が両側に連なり、商店街であろうか。狭い石畳の通りを時々車も通る。歩きながら若い頃見たジュネーブ旧市街を思い出し、似ているかなと思った。聖ドミニコ教会は内部も見学。広くはないが普通の教会施設のようで、礼拝中ではない。日本で見ることはなく、私は、スペインのアリカンテ以来の見学だと思う。

 セナド広場 広場へ至り、回りに民政総署や仁慈善堂があり、マカオの中心で、最もポルトガル領らしい地という(写真下)。仁慈堂はアジアで最初の福祉施設と説明があった。八百半デパート前へ出て、バスに乗車。期待していたモンテの砦は省略されてしまった。残念。
マカオタワーに立ち寄った後、昼食。中華と洋食の混じったビュフェスタイル。青島麦酒は美味く飲めたが、ポルトガル麦酒は私には合わない。
午後も、ホテル探索コースがあったが、キャンセルして貰った。前日、香港へ着き夕方、最近完成したばかりという橋でマカオへ向かったが、バスの連絡が悪く、ホテル到着は真夜中12時を過ぎていた。その所為だと思うが、疲れて身体が重く、午後は休息に当てた。
今回香港では、映画”慕情”の舞台ヴィクトリアピークを訪ねたいと思い、ネット検索した。有名な丘でヒットしたが、現実には存在しない丘で映画では合成したらしいとの情報もあった。ガイドへ確かめたら、ありますよとの返事。でも、明日はマカオから帰途に就く。もうこちらへ来ることはないだろう。(2018/11/21 K.K. 1220/1300)

□日時 2018/11/3 □天候 曇り □資料 マカオ観光局「マカオ世界遺産」2014年
「通過時間」ホテル9:15-聖ポール天主堂跡9:50-聖ドミニコ教会10:25-セナド広場10:45-八百半前11:05-マカオタワー11:20-レストランチャオ11:40/12:45-ホテル13:00

歴史の街佐原を歩く

本棚から旅の本を引っ張り出し眺めていたら、歴史の街として、千葉の佐原が挙げられている(旅行読売「ひとり旅」26頁)。我が家から近くはないが遠いと言う程でもない。私愛用の”駅からハイキング誌”にも、小江戸佐原があったことを思い出した。直ぐ連想しない処が、年齢を感じざるを得ない。今回は、千葉の番とし、佐原へ出掛けた。

 忠敬像は? 日暮里駅で京成特急に乗り換え、成田駅でJR成田線へ乗り継いだ。佐原駅に着き、手許のマップに従い、諏訪神社手前の伊能忠敬像へ向かう。佐原と言えば忠敬で、先ずはご挨拶。駅から真っ直ぐに進み鳥居を潜り、そろそろ像かなと広場へ出ると、像はシートで囲われ修理中、残念。
隣の諏訪神社へと坂道を上がり、境内へ。石段を昇って本殿へ参拝。大分歴史のある古社のようだ。また石段を下り長い参道を出て、佐原の街へ入る。マップでは寺や山車庫がある通りだが、寺はあるが山車庫は見当たらない。法界寺の門前に庫はあった。夏と秋の佐原の大祭は有名で、豪壮な山車が繰り出されるとある。

 歴史の街の象徴商店街 街中心へと左折すると、酒造会社が二軒。その一つが東薫酒造。エッここが東薫さんとビックリ。古い商標事件があり(東京高裁S28.10.20判決)、商標「東薫」の読み方が「トウクン」か、「アヅマカオル」かで争われ、私が修業時代の研修題材であった。店舗をカメラに収め、中心街へ。古い木造2階建ての商家が両側に連なり営業中で(写真上)、また驚く。江戸時代へ戻ったような商店街。実は、約20年前、飯岡開催のかぼちゃ会参加途中、家内と訪ねた(96.4.6)が、記憶から消え去っていた。資料では、江戸期ではなく明治期の建築とある。直ぐ、小野川に架かる忠敬橋。ここで、少し記憶が蘇った。川の両側にも、古い商家が並び、右岸の大きな建物が旧忠敬邸である。川には舟が係留され(写真中)、水郷であったことも窺われる。カメラを構えながら、岸を往復し、忠敬邸見学。二度目だがうっすらと思い出す程度。忠敬は、現在では測量や地図で知られているが、それは隠居後のことで、その前は、当地で醸造業や舟運業を営んでいた旧家の10代目当主であったという。裏には小さな像が建ち(写真下)、シャッターを切った。邸前で、水を噴出している樋橋に出会った。

 三菱館から再び小野川沿い 忠敬橋へ戻り右折し、中心街を進むと、三菱館という大正3年築レンガ造りの元銀行。佐原の商都としての発展を示している。遠足の小学生一行に付いて、八坂神社から山車会館。会館は省略し、また中橋から開運橋へ柳並木の小野川沿いを下る。そして、佐原駅であった。途中、家内とうなぎ屋へ入った筈と、見渡したが見付からなかった。帰途の車内から、佐原出身のかぼちゃ会メンバーに、佐原訪問をメールしたら、歴史の街は一画のみと返信があった。(2018/11/11 K.K. 1219/1300)

□日時 2018/10/25□天候 晴 □交通費 2,520円 □歩行数等 12,000歩 9km □資料 山と渓谷社「駅からハイキング 小江戸・佐原の歴史散策」2003年114頁
「通過時間等」自宅8:35-JR巣鴨駅9:00-京成日暮里駅9:18-JR成田駅10:41-同佐原駅11:15=諏訪神社11:30=忠敬橋11:50=旧伊能邸12:05=八坂神社12:15-JR佐原駅12:54-京成成田駅13:39-都営新宿線本八幡駅14:32-同三田線神保町駅15:05-自宅15:40

ハゲイトウが満開であった武蔵丘陵森林公園

多分ラジオからであったと思うが、武蔵丘陵森林公園でハゲイトウが見頃と知った。家庭の庭に咲くハゲイトウは見たことはあるが、どんな花畑か興味が湧いた。森林公園は東武東上線森林公園駅からで、我が家から近くこれまでも訪ね、山百合(10.7.31)や桔梗の花(13.7.8)を観賞した。本日月曜日で、開園か気になり、ネットで調べるとオーケーである。

 駅から歩いて森林公園へ 朝、近くのバス停からバスで成増駅へ出て、東上線に乗車。川越駅からは30分程度で、森林公園駅に着いた。森林公園行きバスは平日はなく、徒歩。多分園内だけでは歩き足りないから、約2kmの歩きは丁度良い。駅前正面から北に延びる遊歩道は1,2度歩いたことがある。私の外、夫婦連れが前を行く。
郊外へ出て左右には田畑も見え始め、田圃では稲刈り作業もしている。森林公園南口に着き、ハゲイトウ畑への案内に従い園内奥へと進む。左手に山田城跡を見ながら、小さな丘を越す。数年前の夏、花友と山百合を探した時も通ったルートのようだ。坂を下りながら、ハゲイトウの花は、桔梗の花と同じ畑だなと思い始め、その通りで、運動広場を横切ると真っ赤な花園が前方に広がった。

 ハゲイトウは満開 花畑は丘陵にある小さな狭間内で、入口の壇に上がり、花畑全体を眺め回す。赤と黄色のハゲイトウが交互に列をなし咲き揃っている(写真上)。畑の外をゆっくりと、カメラを構えながら周遊する。近付くと、赤も紫かがった花と、薄くピンクぽい赤の花もある。満開をやや過ぎた頃のようで、一番美しい時期のよう。入口付近の花達は斜めになっていたが、奥では真っ直ぐな花を保っている。先日の台風の影響と気付いた。最奥で、上方から見下ろしたアングルと座って目線を低くしシャッターを切ってみた。隣の畑の赤蕎麦の花も、満開(写真下)。しかし、隣のハゲイトウの花とは色の外、占める広さにも大差があり、ひっそりと咲いている風である。少し後ろ髪を引かれたが花畑を後にした。

 森林公園の思い出 林の中に進入し吊り橋を渡り、山道を抜けて、南口へ続く舗道へ出た。途中、レストラン屋上から、花友と奥武蔵の山々を眺めたことを思い出し、レストラン棟に寄ったが、現在曇り空で展望は期待できないと諦め、舗道を下り続ける。左下は池と言うよりは、谷川のようで、山奥を歩いている感じ。娘が小さい頃、家族で当園へ来て、わんぱく広場で遊んだことがあった。その時娘が水でびしょ濡れになったと思う。南口を出て、往きの際チェックしておいた園外のバス停からバスに乗り、森林公園駅へ戻って、帰途に就く。車内で、娘に、”森林公園を訪ねたよ”とメールしたら、”行ったことある”と返信があった。花友へはハゲイトウの花の写真を送付した。(2018/11/07 K.K. 1218/1300)

□日時 2018/10/15□天候 晴 □交通費 1,230円 □歩行数等 15,000歩 11km □資料 国営武蔵丘陵森林公園「園内案内図」
「通過時間等」自宅9:05-東武成増駅9:46-同森林公園駅10:45=森林公園南口11:25=ハゲイトウ畑11:50/12:05=展望レストラン棟12:15=森林公園南口12:42-東武森林公園12:53-同成増駅13:55-自宅14:15

茨城岩間愛宕山ハイキング

そろそろ歩く先が首都圏内では、茨城への番になった。近い都内や埼玉は多く歩き、群馬や栃木も歩いている。茨城は昨年12月高萩の松岡城跡(17.12.10)以来である。”大人の遠足誌”から岩間にある愛宕山(306m)をリザーブしていた。低山で神社もあり、最近の好みである。常磐線の取手や土浦の先だが、水戸の手前でそう遠くはない。

 正面に見えた愛宕山 常磐線岩間駅へは意外に時間を要し、都内から鈍行で1時間30分であった。駅前は田舎町の小さな寂れた商店街。1人、通りを進むと正面に見えたのが愛宕山のようだ(写真上)。街外れで大きなホテル前を通過し、標識に従い林の中の山道へ入る。荒れた上に、先日の台風で折れた枝が散らばっている。本日もストックを持たず、少し悔いる。山道を抜け、第二鳥居で舗道へ出て、大きくカーブし上がり続けると展望広場に至り、小憩。眼下には田畑が広がり、その中に小さな集落が点在している。
また山道へ突入し、森の中。舗道を横断すると愛宕神社石段下で、見上げる程の急な石段が直線的に続いている。きついなと思いながらも、一段一段昇る外はない。前に老婦人が取り付いているが、踊り場で止まっては体操している。私は手すりを利用しながら上がり続ける。振り向くと大分離れてしまった。愛宕神社本殿へお参りする。

芭蕉句碑に出会う 境内裏に奥社があり、芭蕉句碑の案内。素通りは出来ないと、最後の力を絞り、また石段に挑戦し奥社は飯縄神社。左手に石碑が建っている(写真下)。苔蒸し文字は不明で、カメラに収めた。芭蕉は、おくの細道へ旅立つ前、鹿島詣で(1687・貞亨4年)をしている。その時詠んだ句かなと思ったが、帰宅後調べると、”夏来てもたゞひとつ葉の一葉哉“の句で違っていた。また12天狗社も立ち並んでいる。当山には天狗伝説かあるらしい。
展望所ベンチで小憩し、下山開始。本殿反対側へ出ると、こちらにも石段があり、先程とは違い緩やかなもの。女坂かなと思いながら下り、広場であった。本日、笠間のトレッキング大会開催中で、当地がゴールのよう。多くの男女ハイカーが屯し、送迎バスも駐まっている。案内所でパンフを入手し、舗道の坂道を下る。雨が落ちてきたが傘を指すほどではない。ハイカー達を乗せたバス二台追い抜いて行った。山道へは入らずそのまま舗道を歩き、大回りして山を下り切り、先程のホテル前だが、閉鎖中のよう。集落内で、往きに気になった六所神社へ立ち寄り、参拝。無事下山を報告した。

昼食はえき蕎麦 疾うに正午は過ぎたが、食事する店は見当たらない儘、コンビニもなく岩間駅着。乗った電車が土浦駅に停車すると、ホームにえき蕎麦店があり、ラッキーと昼飯にした。空きっ腹には丁度合っていた。       (2018/10/27 K.K. 1217/1300)

□日時 2018/10/8□天候 曇り □交通費 3,320円 □歩行数等 15,000歩 11km □資料 JTB「大人の遠足 里山あるき ・・・愛宕山」2001年、38頁
「通過時間等」自宅8:25-JR巣鴨駅8:55-同日暮里駅9:17-同岩間駅11:05=ホテル前11:20=第二鳥居11:30=展望広場11:45=愛宕神社12:05/12:15=案内所12:25=六所神社13:00=JR岩間駅13:19-同土浦駅13:45/14:00-同日暮里駅14:55-巣鴨駅15:12-自宅15:40
故郷の歌人S先生からです。”ふるさとに兄あり友あり読者あり 1300回への首途(カドデ)ことほぐ“ 有り難うございました。

東大和から玉川上水緑道を下る

先週長野から帰って、今週は軽い歩きにしたい。打って付けのハイキング先が浮かんだ。西武沿線だがガイド掲載のコースは殆ど歩いて、一つ残している。西武拝島線の東大和駅がスタート地である。多分、2時間足らずの歩きでは物足りないとして後回しになっていたと思う。現在では、丁度良いかもしれない。

 上水緑道に倒木 西武高田馬場駅に着くと折良く拝島線の電車が来て乗車。久しぶりの拝島線かなと思ったが、昨年コスモス観賞に、先の昭和記念公園に来たことがあった(17.9.18)。
東大和駅に降り、玉川上水の上水小橋へ向けスタート。小平グリーンロードで、木々が生い茂る並木道を行く。左手に見える森は東京都薬用植物園のようで、個人宅の屋敷林を超えている。雨が落ち始めたが傘を指すほどではない。 左手の玉川上水に近付き、案内板を確かめ上水内へ降りると小橋。ここで地下から姿を現し流れが下っている。反対側の右岸へ出て、上水緑道を、時々は流れを覗きながら下り始める(写真上)。倒木があり、折れた枝も落ちている。そして、数人の作業員が倒木を片付けている現場に遭遇し、少し迂回になった。先日の台風の被害で、それ程強風が吹き荒れ、私も土日を見送り、本日のハイキングになった。

 樹齢300年の大ケヤキ 小川橋から東小川橋に至り、玉川上水を離れ、コースポイント竹内家の大ケヤキへ回り道。住宅街から小学校前を過ぎ、大ケヤキならそろそろ屋根越しに見えるかなと期待したが、家屋が見えるだけ。青梅街道へ入ると小平上宿で、庭に大きな樹がある大農家が続く。小路を覗くと奥にそれらしい大木が見え、下に案内があり、高さ35m樹齢300年という(写真下)。アングルを探し二度ほどシャッター切った。
青梅街道へ戻り、反対側の神明宮に寄る。当地は江戸前期に小川九郎兵衛が開発した地で、その顕彰碑がある。そう言えば、小平には小川という地名が残り、知人に当地から通う同姓の方がいて、旧家の出と聞いていた。彼のご先祖だろうか。隣の幼稚園では小雨の中、運動会を続行中。私も途中から傘を指している。

再び玉川上水へ 小川寺の先から美大通りを歩き、また玉川上水へ。少し距離があった。武蔵野美大の外にも大学があり、学生達が往き来している。上水の流れを眺めながら下る。先程よりは広く水量も多いように見えるが錯覚か。普通の川とは違い途中で加わる支流はなく、むしろ分水しているのが玉川上水。前方に小さな鉄橋が見え、左折すると西武国分寺線鷹の台駅であった。JR国分寺駅へ出て、中央線で帰途に就いた。(2018/10/18 K.K. 1217/1300)

□日時 2018/10/4□天候 曇り時々小雨 □交通費 900円 □歩行数等 15,000歩 11km □資料 西武鉄道「西武沿線小さな旅 小平グリーンロード」平成11年、44頁
「通過時間等」自宅8:00-JR巣鴨駅8:40-西武高田馬場駅8:56-同東大和駅9:40=上水小橋10:00=東小川橋10:30=竹内家大ケヤキ10:45=神明宮11:00=玉川上水11:15=西武国分寺線鷹の台駅11:30-JR国分寺駅11:47-大江戸線新宿西口駅12:38-三田線春日駅12:55-自宅13:30

目指した高原歩きは出来なかった黒姫高原

長野の黒姫高原は二度目である。旧信越線沿いの新潟県境手前にあり、コスモスが咲き家内と訪ねたことがある(95.9.2)。手許に、”駅からハイキング”誌からの資料があり、再訪ということで気軽に出掛けた。高原は広く、地元の方のお陰で、コスモスは観賞出来たが、コースを誤り高原ハイキングは不満足なものになってしまった。
 東御市在家内の実家から、しなの鉄道田中駅へ送って貰い、長野駅で乗り換え黒姫駅に下車。改札でもたもたしている間にバスは出てしまい徒歩で高原へ。バスは予定外だったが、乗れれば増しなハイキングになったかもと後で反省。

広大な黒姫高原 黒姫山麓に広がる高原は広大だが、連休中なのに人出はない。手許の略図を頼りに、雲龍寺前から田舎道へ左折した先から田圃は黄色一色(写真上)。作業中の方に挨拶し、山方向へ入ると別荘らしき建物がチラホラ。黒姫山登山口があり、略図を眺め迷わず、ここで右折した。案内標柱を確かめながら舗道を行くが、次のポイント御鹿池分岐点がない。距離的に越した筈で、コースの誤りを疑い始める。両側に別荘が続き、手前の別荘間の通りかも、と思ったがその儘進み、コスモス園を目指す。別荘街を抜け、スキー場の草原へ。秋桜を期待し閉鎖中のリフト乗り場へ近付いたが、荒れた草原が続くだけ。スマホで検索するも今一はっきりしない。略図上のポイント黒姫童話館へと行き掛けた途中、地元の方に出会い教えて貰うと、先程のスキー場の右奥という。礼を言ってUターン。

 地元の方の車でコスモス園へ 車が停まり先程の方が送ってくれるという。渡りに舟とはこのことかと感謝しながら、御好意に甘え、コスモス園に入園することが出来た。こちらは多くの人出で賑わっている。 早速入園し、満開、見頃のコスモスの間を巡る。黒姫山麓に赤、白、ピンクの花々が咲き広がっている。奥には黄色一色に染めた畑がありキバナコスモス。
奥の高い山は妙高山だろうか(写真下)。高峰を背景にし、カメラに収めた。コスモス畑は10ヶ所ほどだが、広大な高原のほんの一画。半周もしないで、入口のテーブルを借り、コスモスを眺めながら昼食。家内の実家でお握りを持たせてくれた。畑の間の白樺の樹から、家内と来た約20年前の風景をぼんやり思い出した。あの時は、確か秋桜は未だ早く、チラホラだったと思う。

感謝し帰途へ 受付で駅へのバスを教えて貰い、黒姫駅へ戻った。ハイキングコースは殆ど踏むことなく帰途に就いたが、素晴らしいコスモスを観賞出来て、それで良しと思うことにした。もう一度来て、リベンジハイクとの数年前迄の思いとは大違いで、加齢の故だろうか。それにしても、車で案内して戴いた見知らずの方に感謝しなければならない。有り難うございました。(2018/10/13 K.K. 1215/1300)

□日時 2018/9/24□天候 晴 □交通費 6,810円 □歩行数等 15,000歩 11km □資料 山と渓谷社「駅からハイキング コスモスと童話の黒姫高原」2002年、140頁
「通過時間等」家内実家8:30-しなの鉄道田中駅8:47-同長野駅10:42-同黒姫駅11:25=雲龍寺前11:40=黒姫山登山口11:55=スキー場12:40-コスモス園13:15/13:36-しなの鉄道黒姫駅14:09-JR長野駅15:00-同大宮駅16:20-三田線新板橋駅16:55-自宅17:20

富士見を歩いて、小海線で小諸へ

乗り鉄を楽しもうとしたとき、先ず浮かんだのがJR小海線であった。実際は帰りの新幹線利用を考慮し最初はJR飯山線にしたが、八ヶ岳高原を走る小海線は是非乗り切りたい。三連休中日、中央線でスタートし小淵沢駅から小海線に乗り小諸駅へ出て、久しぶりに家内の実家を訪ねる予定である。

 小渕沢駅より気動車に乗る 小淵沢駅前で時間を調節し、2両の小諸行き気動車に席を求めた。連休で込んでいる。清里駅までは深い森の中を走る。私も飯盛山に登った際乗った区間で(02.8.10外)、見覚えがある。大半の乗客は清里駅で降りて行った。次の野辺山駅へ向かうと高原へ出て、牧場や畑地が広がる。同駅の標高は日本最高1,345.7mである。私も少し思い出があり、若い頃自治会の少年野球を手伝っていた時夏合宿をした地であった。また飯盛山からこちらへ下った時(00.8.16)もある。信濃川源流への最寄り駅信濃川上駅付近は、私の予想と違い山に囲まれている。次第に小海線に谷川が絡み出し、千曲川であるが上流で、未だ普通の川程度である(写真上)。

小海線名の由来を知る 小海駅を通過。私は、小海線とは小諸と海ノ口からのネーミングかと思っていたが、その名の駅名があると知った。当地は小海町のようだ。馬流駅で、秩父事件慰霊碑の案内を見て、スマホで検索。1884(明治17)年秩父から困民党の一部が峠を越して馬流まで移動し、政府軍と戦闘したが鎮圧されたという。驚きである。
先程来、車窓には稔った田圃風景が連なり、刈り取った跡も見える。臼田駅に到着し少し停車。佐久地方の中心だろう。大きな病院があり、私も二度ほど見舞いに来たがバスであった。龍岡城駅は乗降したことがある。龍岡城は函館の五稜郭と同じ縄張りで、見学に来た。したがって、小海線は野辺山駅から龍岡城駅間が今回初乗車区間。既に山間を出て、沿線には家々が増え街を形成し、千曲川も見えなくなってしまった。佐久平駅は長野新幹線用に出来た駅。現在では駅もホテルや飲食店に囲まれ、大きな駅らしくなった。小諸までは小さな無人駅が続き、旧信越線が並行すると小諸駅に滑り込み、小淵沢駅から約2時間20分の乗り鉄の旅であった。

 富士見高原を巡る 先に、中央線富士見駅に降り、富士見町を歩いた。”大人の遠足”誌にある文士・詩人が散策した富士見高原を巡りたい。中でも、堀辰雄”風立ちぬ”縁の高原サナトリウムに興味を惹いた。高原でも富士見町の中心は南アルプスと八ヶ岳の間の底地にあり、坂が多い。富士見公園へも、八ヶ岳を背に駅前から坂を下って国道を進み、甲斐駒を正面に見ながら富士見峠を上がった先にあった。松に囲まれた小さな園に、左千夫や赤彦、茂吉達のアララギ派の歌碑が建っていた。小憩後、駅へ戻る途中に白林荘はあったが帰去来荘は見付からないまま駅で、反対側の高原病院へ。八ヶ岳展望は変わらない(写真下)が、現在の病院は近代的な建物で、資料館看板のみ富士見高原療養所跡を示し、風立ちぬの面影は消え去っていた。(2018/10/10 K.K. 1214/1300)

□日時 2018/9/23□天候 晴 □交通費 3,740円 □歩行数等 15,000歩 11km □資料 JTB「大人の遠足 文士・詩人達が散策した道」2000年、90頁
「通過時間等」自宅7:15-JR新宿駅8:14-同高尾駅9:21-同甲府駅10:57-同富士見駅11:50=富士見公園12:15/12:30=富士見高原病院13:10=JR富士見駅13:51-同小淵沢駅15:06-しなの鉄道小諸駅17:33-同田中駅17:45-家内実家18:00

葛飾立石に立石様を見て社寺を巡る

都内の葛飾立石に、地名の由来になった立石があると知った。毎月様々な旅行案内が舞い込むが、その中にあり興味を惹いた。”東京の歴史散歩・下町編”(山川出版社)には掲載なかったが、ネット検索ではヒットした。見てみたいと出掛けることにした。東京都市図にもなく、ネット情報が頼りである。今回バックはウェストポーチにした。昨年叙勲祝に戴いていた。

 “立石様” 最寄り駅は京成立石駅だが、乗降したことはない。この地域は京成や東武の本線や支線が走り、地下鉄の乗り入れもあり乗換が多い。三田線神保町駅で新宿線に乗り換え馬喰横山駅で、浅草線東日本橋駅へ歩き青砥行きに乗り換えて、そのまま京成立石駅であった。駅前案内図で、立石の存在、位置を確かめ、市街地では最近は通りの数を目安にしている。三本目の小路を右折し、中川堤へ出て堤上からまた三番目の通りへ入ったが、一本違ったようで、回り込むと、立石様は想定の地にあった。住宅街の中である。
立石は、古墳の石室用に千葉鋸山から運ばれた石で、その後古代東海道の道標として転用されたもので、室町時代から文書にあったという。江戸時代には信仰の対象として祀られ、”立石様”と呼ばれ、現在では稲荷神社の境内である。石柵囲いの中に、立石様は僅かに頭部分を見せている(写真上)。先に手を合わせ、カメラに収めさせて貰った。

熊野神社、天祖神社は順調 大通りへ出て南下すると直ぐ立石熊野神社。隣の幼稚園の運動会のようで参道に、子馬と園児が整列している。その中参拝し通りへ出て、奥戸橋を渡る。振り返るとスカイツリーが見えた。右手が区立体育館と競技場で、こちらも本日運動会開催中。区の観光案内図があったが、次の天祖神社が見当たらない。ネットで調べた方向へ進むと、裏参道へ出た。偶然だろう。誰もいない境内で、また軽く参拝。大きな注連縄が飾ってありシャッターを切った。

 道を誤り宝蔵院へ 次は、八劔神社から宝蔵院だが、二度コースを間違い、近道も裏目に出て、苦手な街角ウォークが出てしまった。奥戸街道を歩いていると思っていたら環八で、途中で気付きUターン。処が一本手前の大通りへ入ってしまい団地に至り、社寺は見当たらない。環八へ戻りまた南へ歩き、今度は確信し八劔神社へ近道した筈であったが、神社はない。直ぐ先の新中川土手へ上がり見下ろすと神社の屋根が見付かった。神社のある当地旧葛飾郡は下総であったが江戸期武蔵へ編入したとある。垣根越しに隣を覗くと、墓地があり目指す宝蔵院で、高い鐘楼下から裏参道を進むと両側に彼岸花が咲いている(写真下)。当院は彼岸花の名所とあるが、花友達を案内するには物足りない。都内ではこの程度でも満足すべきと思うことにした。秋の彼岸に入り墓参りの方がチラホラ。頭を垂れて本堂前を過ぎ、境内を出ると新奥戸橋のバス停があり、バスを待った。(2018/10/06 K.K. 1213/1300)

□日時 2018/9/20□天候 晴 □交通費 320円 □歩行数等 12,000歩 9km □資料 江戸東京散歩道168回「立石・奥戸の古刹とヒガンバナ咲く宝蔵院」
「通過時間等」自宅8:40-新宿線神保町駅9:15-浅草線東日本橋駅9:25-京成立石駅10:00=立石様10:15=立石熊野神社10:25=奥戸橋10:30=奥戸天祖神社10:45=八劔神社11:25=宝蔵院11:30=新奥戸橋バス停11:45-京成立石駅11:59-新宿線馬喰横山駅12:25-三田線神保町駅12:35-自宅13:10

奥武蔵の飯能郊外丘陵を歩く

数年前奥武蔵飯能付近を歩いた際、「駅からMAP宮沢湖への道」を入手していたのを思い出し、引っ張り出した。地図にある宮沢湖や高麗峠、天覧山は二度ほど歩いていて、未踏の宮沢湖手前の丘陵はどうかと検討した。飯能駅から徒歩圏内で、丘陵に森が広がる地のようだが社寺や史跡をポイントに出来る。奥武蔵ハイクは久しぶり。

 飯能駅から加治神社へ 三連休の中日、西武池袋駅から準急飯能行きに乗車。この沿線は通勤圏内で、旧同僚達も大勢住まい、色々な付き合いでも乗車したことを思い出していたら終点で、飯能駅は近い。奥武蔵の入口に当たる。駅前の大通り北上するルートで、商店街から西武線踏切を渡り、中山宿に着く。交差点角に咲く黄花秋桜が出迎えてくれた。更に直進し、丁字路を右折すると石鳥居があり、最初のポイント加治神社(写真上)。参道を進み参拝する。武蔵七党丹党であった中山氏が建立したらしい。中山氏は後北條氏を経て徳川氏に仕え、水戸藩の家老になり、昨年末訪ねた茨城高萩の松岡城主であった(17.12.10)。それで、中山宿には水戸黄門縁の地とあったのだ。江戸期からの石灯籠や筆塚を眺め、裏の森内へ進入する。

赤松広場は藪の中 狭い山道は濡れて滑りやすい。当地は昨夜雨だったようだ。丁度私は、今回軽登山靴(キャラバンシューズ)で、いつもよりは対応し易い。最近は専ら軽いハイキング用短靴だが、年一回位は軽登山靴も外気に当てたい。森は広く遊歩道が縦横し、桜木が多く、春の花見地のようだ。次のポイント赤松広場を目指し、奥へ奥へ入り坂を上がり尾根筋へ上がったらゴルフ場。宮沢湖は見えない。塀に沿って歩いたが赤松は見えず、一旦下り清泰寺境内へ出る。彼岸花は咲いているが僅かで、本堂前の百日紅が美しい。大通りへ出て峠口へ上がり、赤松広場を目指し森内へ再突入すると、荒れて蜘蛛の巣の張る獣道の先に想定通り赤松はあったが、草が生い茂り広場ではなく、早々に遊歩道へ逃れてしまう。標柱には、間違いなく赤松広場とあったが。

 第2天覧山は? 最後のポイントの第2天覧山を探す。明治天皇が1883(明治16)年近衛兵演習を総攬したという天覧山(愛宕山)は右奥にある。再度の清泰寺傍から下ると入口があり、記念碑があった(写真下)が、古くて刻まれた文字は読めない。天覧の山頂は裏かと回ってみるもなく、諦め入口傍の寶蔵寺前へ出て、外から頭を下げ寺前を過ぎた。JR東飯能駅が近いようで迷ったが、中山宿から、また飯能駅に戻った。
今回は、ホームグランド奥武蔵内だが、全て初めてのコースやポイントになった。車中、マップを見直すと、今回歩き回った範囲は三分の一程度で、残りに中山氏の館跡や菩提寺もあるようで、桜の時期に再訪も良いかもと思った。    (2018/10/01 K.K. 1212/1300)

□日時 2018/9/16□天候 晴 □交通費 1,200円 □歩行数等 19,000歩 14km □資料 飯能地区まちづくり推進委員会「駅からMAP宮沢湖への道」
「通過時間等」自宅8:30-JR巣鴨駅9:10-西武池袋駅9:20-同飯能駅10:10=加治神社10:40=清泰寺11:15=赤松広場11:25=第2天覧山記念碑11:50=寶蔵寺11:55=西武飯能駅12:25-JR池袋駅13:20-三田線巣鴨駅13:31-自宅14:05

浜離宮で黄花秋桜を眺め、深川芭蕉庵跡へ

また新聞情報だが、浜離宮庭園にキバナコスモスが咲いたと知った(18.8.30朝日夕刊)。浜離宮には四季の花が咲き、これまでも寒牡丹や菜の花、桜の観賞に度々訪ねている。最近知った黄花秋桜は好きな花で、空いている日を探した。離宮庭園だけでは歩き足りなく、近くの大江戸線で深川へ回り、芭蕉庵跡も再訪しようと目論んだ。

 高層ビル背景に咲く黄花秋桜 地下鉄三田線内幸町駅を出て、新橋方面へ直進した先が浜離宮庭園。昭和通りを歩道橋で渡り少し歩いた右側に離宮庭園大手口があり、受付を済ませ、花畑を目指す。外国人を含め人出がある。花畑は、広い庭園でも大手口から近く、すぐ目の前にキバナコスモスの花々が広がった。満開だが、やや見頃は過ぎたかなという状態。早速、カメラを出し、アングルを探しながら花畑を巡る。
私が初めて出会った黄花秋桜は江東の木場公園(16.8.25)だが、その時濃い黄色の花は刺激的で妖艶でさえあったと思う。それに比べれば、色は普通の黄色で、花も小さめ。振り向き、新橋、汐留に林立する高層ビルを背景にしたアングルとし、数回シャッターを切った(写真上)。
花畑を出て、東京湾側へ歩き右折し、樋の口山を越し汐入れの池を木橋で渡り、鴨場の覗き小屋を見る。お茶屋でUターンし、また花畑を巡り、キバナコスモスを愛でながら花の間から畑を出て、大手口へと戻った。大江戸線築地市場駅は少し距離があった。

 深川の芭蕉庵跡 今春栃木に雲巌寺や遊行柳を見学して、芭蕉のおくの細道を辿りたいと思い始め、資料”奥の細道の旅ハンドブック”(久富哲雄著2014改訂版)を求めた。最近も羽後象潟や那須殺生石を訪ねた。その原点、深川の芭蕉庵跡をと思った。清澄白河駅に降り地上へ出ると小名木川。再訪で(01.9.30)、記憶を頼りに隅田川縁へ向かうと芭蕉稲荷があり、軽く参拝。大正時代当所で、芭蕉が愛用した石蛙が見付かり、古池のある庵跡として祀ったとある。川角の堤上に座像があり(写真下)、すぐ傍に、”川上と この川下や 月の夜”の句碑があった。隅田川もこの辺りでは、ビルに囲まれ川幅一杯の流れは静かである。

おくの細道旅の目的は 直ぐ上流に江東区立芭蕉記念館があり、堤側から入館。資料や年表等が豊富で、ざっと眺め回しただけでは、特段目を惹き、記憶に残るものは少ない。一つ気を惹いたのは、芭蕉のおくの細道へ旅立ちの目的は、和歌で詠まれた名所や旧跡の歌枕の地を確かめるためとあったことである。そうであれば、西行法師達の足跡を辿ったのは頷けよう。処が、数日後、テレビで、”何でも鑑定団”を観ていたら、芭蕉の句色紙が出品され鑑定結果、直筆として800万円の高値がついた。その時、テレビの解説では、幕府の隠密説が有力と紹介した(18.9.11テレビ東京)。仙台藩の動静探りとして、以前からある説だがどうだろう。ともあれ私は今後も、芭蕉が巡った史跡等は辿りたい。 (2018/09/27 K.K. 1211/1300)

□日時 2018/9/9□天候 晴 □交通費 シルバーパス利用 □歩行数等 12,000歩 8km □資料 東京公園協会「浜離宮恩賜庭園」18.5、江東区立芭蕉記念館「芭蕉記念館」
「通過時間等」自宅8:30-三田線内幸町駅9:20=浜離宮庭園9:45/10:15=大江戸線築地市場駅10:25-同清澄白河駅10:40=芭蕉稲荷・座像10:55/11:05=芭蕉記念館11:15/11:40=大江戸線森下駅11:50-三田線春日駅12:10-自宅12:40

大糸線から親不知を訪ねる

久しぶりに白馬でOB会があり、出席した。私はハイキング目的で、これまでも塩の道や栂池高原、そして八方尾根を歩いたことがある。今回は何処にしようかと、JR全路線図を眺めていたら、白馬駅から親不知駅が近いと知った。大糸線で糸魚川駅へ出るルートである。偶々青春18切符があり、JR西日本路線も乗車可能で好都合である。

 大糸線で糸魚川へ 朝、白馬駅7時前の大糸線南小谷行きに乗車した。昨夕、参加者Bさんから親不知は未訪で行ってみたいと聞き今朝確かめ、同行が決まった。旅は道連れで、1人よりは心強い。北小谷駅からはJR西日本であり、信越の県境。深い山中となり、姫川渓谷内に鉄道と道路がへばり付くように続き、駅前に小さな集落がぽつんぽつんと見えるだけ。水力発電所があり、当線は発電所用かなとも思えた。糸魚川が近付き山地を出た筈だが狭い地で、それを大きな化学工場が占めているようだ。

遠い親不知 糸魚川駅で冨山の泊行きに乗り換え、日本海沿いに走り、二つめの親不知駅で下車。無人駅で、期待した親不知の情報は得られず、道の駅広告看板から想定し、歩き出す。左は高い山、右には海が迫り、狭い間に高速道、鉄道、現国道と、我々が歩く旧道が並行し(写真上)、新幹線は山をくり抜いてトンネルのよう。30分程で高速道下の道の駅に着き、案内所にも親不知のパンフはなく、壁の絵図のみ。Bさんじっくり調べてくれた。有名な親不知の断崖絶壁は未だ先で、是非眺めたいと思い、国道8号の端を行く。大型車の往来が多く、坂道のトンネル内は怖い位。三つ目のトンネルを抜けると、展望広場があり、ようやく天下の険親不知を眺め、写真でしか知らない断崖の絶景を確かめ、望遠にしてシャッターを切った。崖は海へ切れ落ち歩く余地はないように見える(写真下)。

断崖の真上へ Bさん、正面に見える崖上迄行くという。20分程度かなとまた坂道を上がり続け、大きくうねるとホテル前に出て、その裏に展望舎があり真上の筈だが、薮で絶壁や海岸は見えない。山側の一枚岩に明治18年国道開設の喜びを表した”如砥如矢”(砥石のように滑らかに矢のように速く通れる)と刻んであった。芭蕉も、象潟から戻り当地を通ったが、親不知の句はない。やはり、波間を通過するのに精一杯だったのだろうか。

“能鷹”に出会う ホテル食堂で休憩にお茶でもと思い覗いたら、未だ閉店中で、タクシー会社の電話を教えて貰う。当地は親不知駅と次の市振駅の中間と知り、親不知駅へ戻った。直江津駅で北越急行に乗り湯沢駅へ出て、新幹線のBさんと別れ、私は、青春18切符に徹し、鈍行で水上駅、高崎駅、そして赤羽駅へと乗り継いだ。直江津駅で昼飯の際、地酒”能鷹”を見付け思わずゲット。娘が、一時期越後高田で仕事したことがありお土産に買ってくれたのが同酒で、美酒であった。車中メールしたら、覚えていた。Bさん同行有り難うございました。(2018/09/22 K.K. 1210/1300)

□日時 2018/9/2□天候 曇り後晴 □交通費 青春18切符+2,900円 □歩行数等 16,000歩 11km □資料 「国名勝・天下の険 親不知」
「通過時間等」ホテル6:30-JR白馬駅6:56-同南小谷駅7:39-糸魚川駅9:03-親不知駅9:15=道の駅9:35=高速道IC出口9:50=展望広場10:25=ホテル裏展望舎10:45/11:20=親不知駅12:06-直江津駅13:52-JR越後湯沢駅15:08-同水上駅15:52-同高崎駅16:59-同赤羽駅18:41-三田線新板橋駅18:58-自宅19:25

那須湯本に温泉神社から殺生石を巡る

那須高原に兄弟と長男一家が集合した。長男達は車で先行し、私と弟は電車で追い掛け、那須塩原駅で山形からの兄夫婦と待ち合わせた。車中、弟に、何処歩くのと問われた。言われるまでもなくハイキング先は検討している。湯本の殺生石は訪ねたい。最近芭蕉のおくの細道に興味が湧き、調べると芭蕉も寄っていると知った。宿泊先の位置と交通がはっきりしない。フロントで調べたい。

長男の車に拾って貰う 朝、食事を済ませ土産も求め、山形へ帰る兄達を見送り、弟とスタート。バス停一軒茶屋迄は徒歩20分程度と聞いた。大通りへ出て、松林の中の道を歩く。結構車が多く、上り坂の道を進むが、同じ景色が続き先が見えない。時計を見たらバス時間が迫っている。弟に急ぐよと声を掛け足を速めた時、折良く長男の車が通り掛かりスピードを落とした。便乗することにし2人乗り込み、那須街道を温泉神社へ走って貰う。車は速く10分足らずで神社前に着き、降りて孫達と別れる。

温泉神社に参拝 我々は再スタート。参道へ入ると、二度目の筈だが記憶と違い意外に広い境内。ご神木があり、樹齢800,年のミズナラの古木で、風雪に耐えた姿の樹木(写真上)。カメラアングルを探した。芭蕉句碑があるらしいが、石碑の類が次々と現れ、さざれ石は見たが、確かめられないまま、本殿前へ出て、参拝。当神社は那須与一も、あの扇の的当てを祈願した際、名を挙げたと言われる古社で、温泉(ユゼン)神社と読むと知る。

殺生石は再訪だが 神社から右横の坂道を下るとそのまま殺生石へと繋がった。火山跡であり、未だ有毒ガスも噴出している溶岩の石原で、賽の河原風。上部の中心に一際大きい殺生石はあった(写真下)。伝説によれば、京で、天皇籠絡陰謀の正体が暴かれた九尾の狐が当地に来て悪さを続けたため退治され石になったが毒を発し、高僧に砕かれ散ったという。ここも再訪と思うが、余りの昔のことで殆ど度思い出せない位。カメラに収めながら、硫黄の匂いが漂う中、遊歩道を巡り、湯ノ花採取跡を眺める。反対側は千体地蔵。赤い帽子や前掛けをした石仏が林立し、800体という。ここでも、芭蕉句碑を探せなかった。”いしの香や なつ草あかく 露あつし”と詠んだと思うが。殺生石原を出て坂道を上がると、ススキがあり穂も出ている。未だ暑いが夏も終わりを告げているようだ。バスで、那須塩原駅へ出て、宇都宮駅から上野駅へ向かった。
昨夜、兄達から里芋は、最近の雨で持ち直し、芋煮会には間に合うと聞いた。岩魚や山女魚も少しは釣れ、最近は義姉も竿を仮りて釣り始め、ビギナーズラックを楽しんでいると笑った。皆で、今年の高島平芋煮会の開催日を決めた。
弟に芋煮会への出席をお願いし、赤羽駅で別れた。(2018/09/17 K.K. 1209/1300)

□日時 2018/8/27□天候 晴 □交通費 4,630円 □歩行数等 12,000歩 9km □資料 昭文社「山と高原地図12 那須・塩原」1998年版
「通過時間等」ホテル10:25-車乗車10:45-温泉神社10:55=殺生石11:15=温泉神社前バス停11:50-JR那須塩原駅12:59-同宇都宮駅14:06-同赤羽駅15:53-三田線新板橋駅16:05-自宅16:30

霊場の湯殿山神社に詣でる

出羽三山でも湯殿山や同神社は、特にアクセスが悪く簡単には訪ねることは出来ない。山形から鶴岡行きバスの湯殿山神社に近いバス停がなくなり、鶴岡からの路線バスも季節運行で過疎ダイヤのようだ。本日念願叶い、バスツアーの行く先が湯殿山神社。出羽三山神社の奥宮という。位置的にもそうであろう。ご神体は、子供の頃スライドで見たものだろうか。そんな想い抱き、バスに乗った。

 霊場湯殿山神社へ 朝、鶴岡市を出たバスは羽黒山下に寄り、山麓の広域農道を走って高速山形道から旧道へ入り、湯殿山ホテル前を過ぎ湯殿山中腹へ向けた。路線バスはホテル前迄であったろうが今はない。そして、赤い大鳥居のある参籠所前に着いた(写真上)。湯殿山神社本宮へは更にバスに乗り継ぐ。バスは満員。直ぐ本宮前に着き、神殿はないというが、参拝に奥へ入る(写真下)と、撮影禁止の場所となる。霊場で神域なのだろう。

 ご神体に対面 谷間の岩場の道を上下し、入口でお祓いを受け、汚れを祓い、裸足になりご神体前へ。正面に大きな赤い丸型岩があり、お湯が湧き出ていて岩を洗い、流れ出している。確かに色と言い、形と言い珍しい岩でご神体に相応しく、正しくパワースポット。カメラは出せない。私はスライドで見た記憶がある。浅い泉の中にある大きな丸い岩であったと思う。約60年前のことで、目の前のご神体と形は似ている。カメラが一般に普及する前は、緩やかな時期もあったのだろう。
 修験道の霊地として、”語るなかれ””聞くなかれ”と戒められ、あの芭蕉も、月山を越えて参拝し、”語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな”と詠んだとあるが、ご神体裏側の岩場へ上がり、谷を覗く。後に、山伏達が滝行をする仙人沢の御滝と知った。少しでも御利益に預かろうと御神符を求め、戻って靴を履き、神域を脱した。

徒歩で下る 私は、15分程の僅かな距離だが、帰りは歩くとKさんに伝え、坂道を下る。当地は深い仙人沢の底で、両側には高い山が連なる。道端に、アキノキリンソウやシシウド、カラマツソウ、シモツケソウ、ウメバチソウ、ノアザミの花々を見付けながら、姥権現から御沢橋を渡る。途中バスが追い越して行った。大鳥居の付近に芭蕉句碑があったらしいが、見逃してしまった。

 羽黒山五重塔 昨日羽黒山頂の神社を訪ねたが、本日は国宝五重塔を見物した。随神門前にバスを降り、塔を往復。祓川の神橋を渡り右手に須賀の滝、左手に爺杉の大木を眺めると五重塔であった。平将門創建と伝えられ、戦国期は出羽山形の最上義光も修復したとある。ここから2000段の石段参道が続くが、下から眺めてUターン。若い頃家族で昇ったが、今では夢のような話し。添乗員が心配した200段の継子坂は上り切った。(2018/09/10 K.K. 1208/1300)

□日時 2018/8/23 □天候 晴 □ツアー参加費 21,000円 □歩行数等 10,000歩 7km □資料 出羽三山神社社務所「出羽三山」
「通過時間等」ホテル8:40-鶴岡物産館8:45/9:10-羽黒山五重塔9:40/10:35-湯殿山参籠所11:45-奥宮前11:50=ご神体12:00=奥宮前12:15=参籠所12:55-上野駅19:20-三田線巣鴨駅19:45-自宅20:10

日本海を眺めながら月山弥陀ヶ原を歩く

我が家に来たダイレクトメールに、月山弥陀ヶ原や湯殿山を巡るバスツアーを見付けた。山形出羽三山の羽黒山詣でや月山登山はしているが、弥陀ヶ原は未踏で、湯殿山神社も参拝していない。これまで、是非にと数回検討したがアクセスが不便で、どうしようかと迷っていた。渡りに舟と参加を申し込み、ハイク友Kさんも同行をオーケーしてくれた。

 咲き残る高山の花々 羽黒山を出たバスは、月山高原ラインを走って8合目弥陀ヶ原に着いた。山岳道路で狭い上に後半はうね曲がる急坂となり、1時間を要した。月山頂上下の標高1400mの高原で、湿原が広がっている。添乗員は、高山植物の花は終わったという。私は期待していたが、時期が過ぎやむを得ない。木道へ入ろうとするとハクサンフウロが目に付いた。出迎えに感謝しカメラに収め、先へ進むとアザミの根元に咲く濃紫の花はエゾリンドウ(写真上)。久しぶりの対面で、思わずKさんへも伝えた。白い花はカラマツソウだろう。月山中の宮に参拝すると、正面のなだらかな尾根の先に月山山頂(1984m)が見えた。反対側の姥沢から同級生達と極めたのは何年前だったろうか(05.8.16)。江戸中期芭蕉一行はここから登ったという。

海と山との大展望 木道に沿い右折すると池塘が現れ出した。残る白い花はワタスゲか。更に右折すると、下方に、庄内平野からその先に日本海が広がった(写真下)。そして右には、鳥海山である。先程は飛島も望めた。夕日を受け海はキラキラ光り、大鳥海は黒い姿で聳えている。天候に恵まれたことに感謝しながら、二、三度シャッターを切り、写り具合を祈った。バスに戻り、月山高原ラインを無事下り切ると、運転手へ乗客から拍手が湧く程の難所の走行で、特に対抗バスとの擦れ違いは腕の見せ所であった。

羽黒山神社参拝 先に羽黒山三神合祭殿に参拝した。上野を8時出発したバスが着いたのは15時。私は三度目の参拝だが、新潟県出身のKさん初めてという。添乗員は、杉並木の参道から本殿へ案内してくれた。この道は通ったことなく、古社らしい参道。境内端に芭蕉像と”涼しさや ほの三日月の 羽黒山”の句碑があった。私はこの句は知らず、月山を詠んだ”雲の峯 いくつ崩れて 月の山”は知っていた。参拝し、秘仏公開中とあり入殿し拝願したが、凡人には良く分からない。約30年前母や家内と最初に参拝した時は即身仏がご本尊であったと思うが、不確かである。最近、歌手羽山みずきが、当社の巫女出身と聞いた。売店の方に尋ねたら頷いて、鶴岡出身と教えてくれた。時々テレビの歌番組に、みちのく三人娘としても出ている。
宿泊は、鶴岡市郊外の小さなビジネスホテルで、夕食時、Kさんと2人で庄内の地酒と魚介を楽しんだ。(2018/09/05 K.K. 1207/1300)

□日時 2018/8/22 □天候 晴 □ツアー参加費 21,000円 □歩行数等 9,000歩 7km □資料 「弥陀ヶ原湿原木歩道コース」、「羽黒山(三神合祭殿)境内案内図」
「通過時間等」自宅6:40-JR上野駅前7:50-羽黒山15:05/16:00-月山8合目弥陀ヶ原17:15/17:55-鶴岡市内ホテル19:10

小出から会津若松へ只見線に乗る

只見線は以前から興味があった。1971年全通の比較的新しい路線で、会津、新潟間を走る山岳鉄道や渓谷鉄道を楽しみたい。事前の調査では、全線を乗り切るには朝7時か午後1時発しかなく、小出発が時間的に好都合と分かった。また、2011年の豪雨被害で一部不通で、バス代行という。Sさんに同行して戴くことになり、送迎をお願いすることにした。彼は一度車で会津から越後へ、只見を越したことがあると知る。

 山間を走り小出駅から只見駅へ 関越高速の渋滞に遭い、小出駅13時11分発只見行きに間に合うか不安もあったが、Sさんの巧みな運転で、群馬から新潟へ入り、約20分前に小出駅に着いた。女性車掌付の二両の気動車はほぼ満席。夏休みで、私と同じ目的の乗客に見えた。時間通りに発車し直ぐ魚野川を渡る。当地の湯之谷へは約20年前研修に来て懇親会を楽しんだこと(96.7.11)があり、その時地酒”緑川”を知ったが、先程駅前で、偶然そのカップ酒を求めた。こしひかりの産地の水田地帯から山間へと走る。稲穂が出ていて、黄色に染まった穂も見え早稲種だろうか。山間へ山間へと進み、入広瀬駅、大白川駅を通過し、小さな渓谷を繰り返し渡る。時々、車窓から当路線に沿った国道が見え、Sさんは既に通過したのであろうか。長いトンネルを抜けると大きなダム湖が見あり、峠を上がり切ったようで家屋が見え始め、只見駅であった(写真上)。

落ちた鉄橋を見る 只見は、駅前から街通りが続き、高原の街。山々は後退し、予想した山峡や狭い盆地ではない。駅前に代行バスが待っていたが、Sさんが先行していて、私は車で次の会津川口駅へ向かう。街を出ると目の前にダム湖が広がった。当地の只見川は谷川ではなく、水を漫漫と湛えた大池である。本名駅手前であったろうか、Sさん”鉄橋が落ちていると”叫んだ。途中で切断、落ちた儘の鉄橋が見えた。すぐ、正面の長い鉄橋も同様の状態。現在の水面は大分下で、豪雨で増水し鉄橋を洗い流したのであろうか。想像を超える被害と思う。復旧工事費用が嵩みすぎ、JR等の只見線全通の見通しは大分先のようだ。会津大塩を通り、Sさん以前同温泉に来たことがあると話してくれた。

会津坂下駅から同若松駅会津川口駅から再度気動車へ乗る。同駅は立派な有人駅で、売店もあり山菜漬けを求める。ホーム先が直ぐダム湖(写真下)。下るに従いダム湖から離れ、山中や森の中になる。駅も殆ど小さな無人の駅のようだ。会津坂下駅を過ぎると深い山を出て、平野が広がり街並みの先に磐梯山があった。会津坂下出身の友人がいて、山の中と聞いていたがそうでもない。多分生家は、駅から未だ奥へ入るのだろう。磐梯山の方向に疑問を持ったが、只見線が南側へ大きく回り込んでいるからのよう。会津若松駅に着き、約4時間の乗り鉄を終えた。ここでも、Sさんが改札口で迎えてくれ、長い帰路に就き、21時に高島平であった。Sさん、この度も大変お世話様で、有り難うございました。御礼申し上げます。  (2018/08/31 K.K. 1206/1300)

□日時 2018/8/18 □天候 晴 □交通費 青春18切符2/5 □資料 魚沼市観光協会「うおぬま旅手帖」、会津バス「奥会津ぶらり旅」、JR只見線利用促進実行委員会「平成23年7月新潟・福島豪雨災害只見線被災箇所マップ」
「通過時間等」自宅9:00-JR小出駅13:11-同只見駅14:35-同会津川口駅15:27-同会津若松駅17:30-自宅21:00

長瀞七草寺に桔梗とオミナエシを訪ねる

桔梗の花を観たいと思い咲く花園等を調べた。以前に武蔵丘陵森林公園で観たことがある(13.7.28)が、同園サイト上では現況は不明。我が家本棚にあるガイドブックより、長瀞の多宝寺にあると知り(JTB「るるぶ花あるき・関東版」2003年、101頁)、観光案内所に尋ねたら、一番花は終わったが二番花が8月中旬に咲くと教えてくれた。

 多宝寺の桔梗畑へ 長瀞には七草寺があり、ネットから「長瀞秋の七草寺めぐりmap」を出力し、出掛けた。真夏のこの時期、特に今年は猛暑続きで七寺は最初から諦め、桔梗の咲く多宝寺の外、場所的にも近いオミナエシのある真性寺を巡る予定とする。冷水の外、帽子、サングラスを持参した。東上線で小川町駅から寄居駅へ出て、秩父鉄道に乗車。最寄り駅野上駅は近く、駅で寺の方向を確かめスタート。踏切を渡り、荒川へ向けて歩く。この道は、昨年事務所ワンゲル部宝登山下山の帰路であった(17.11.18)。大通り交差点を左折すると右手に多宝寺が見え、境内には畑があり、桔梗畑。先ずは本堂前へ行き、ご挨拶に手を合わせる。普通の田舎寺のよう。戻って桔梗観賞。畑に三畝程栽培してあり、花は見頃で、濃紫の花が開いている。しかし、思ったより少なく花々も疎らで、桔梗寺としては物足りない感じ。

桔梗の思い出 私は、桔梗は好き花である。紫の花はケバケバしくなく、品があり優しさもあると思う。子供の頃近所の幼なじみ達と、お盆の時期に少し遠い山へ採りに行き仏前に供え、祖母に褒められたことを思い出した。好きな花だが、あれからは観る機会は少ない。カメラと携帯にも写した。自分の陰も写ってしまったと後に分かった(写真上)。残念。
 大通り交差点へ戻って、荒川高砂橋へ。丁度長瀞ライン下りが見え、今では和舟ではなくゴムボートで、4艘も下ってきた。荒川は増水しており、船頭はいないが、乗客全員救命具を着けている。

オミナエシに囲まれた真性寺 次はオミナエシ観賞に、近くにある真性寺へ向かう。秩父盆地は暑いとは聞いてはいたが、近隣の当地も風もなく汗が滲み出る。長瀞方向へ歩くと途中に寺への案内があり、石段を上がる。オミナエシが飛び込んで来て(写真下)、寺はオミナエシに囲まれていた。また本堂に詣でて、カメラに収めながら花の間を巡る。丈のある薄黄の花は満開で、見応え充分。境内ベンチに休憩し、持参した麦茶を飲んだ。
暑い中これ以上歩くのは止めようと決め、野上駅へと参道を出て踏切を渡り、大通りを歩く。歩きながら、長瀞町の中心は隣の長瀞駅付近ではなく、当地で、近くに役場や郵便局もあると気付く。寄居駅に下車し、晩酌用に、”白扇”を求める。故人となった先輩が好きだった寄居の地酒で、これまでも2,3度買って帰ったことがあった。(2018/08/29 K.K. 1205/1300)

□日時 2018/8/15 □天候 晴 □交通費 2.500円 □資料 長瀞観光協会「秋の七草寺めぐり」 □歩数等 9,000歩 6km
「通過時間等」自宅7:20-東武成増駅7:55-同小川町駅9:03-秩父鉄道寄居駅9:29-同野上駅9:50=多宝寺10:05=高砂橋10:15=真性寺10:30=秩父鉄道野上駅10:58-東武寄居駅11:34-同小川町駅11:53-同成増駅(昼食)12:50/13:10-自宅13:30

ゲリラ豪雨に逃げ帰った箱根山中

11時10分過ぎ、箱根山中の杉林の中の上りの山道を歩いていた。先程来、ぽつりぽつりと雨が落ち始め、遠雷が聞こえていた。鷹巣山への山道は大きな杉の根が露出して行く手を遮り、しかも段差が大きく(写真上)苦戦している。それでも、上部が開けて来て最高地点は近いなと思った頃である。辺りが急に暗くなり雨が激しく落ちて来た。そして雷音を伴い、近いようだ。慌てて、2人は雨支度。私は、ビニール合羽にザックカバーを付けた。しかし、雨は弱まる様子はなく、雷音も大きくなり傍のよう。引き返そうと弟を促し、Uターン。もう山道は川のように水が流れ出し激しく、根の段差は滝になっている。

 千条の滝は見物 本日は、箱根山中に千条の滝から飛龍の滝を巡ろうと弟を誘った。天気予報をチェックし、気温の高くない日にしたが、午後一時雨とあり、俄雨程度だろうと雨具も用意した。小田急線の事故で、小田原駅着は30分以上遅れてしまった。弟はバスと言ったが、私は強引に登山電車にし小涌谷駅から、10時25分に千条の滝を目指し歩き出した。国道1号を渡り、住宅街から保養所の前を通り、遊歩道を蛇骨川へ近付くと千条の滝は落ちていた(写真下)。幅広い岩壁を垂直に落ちる白糸の滝である。カメラに収め、木橋を渡り、浅間山ではなく楽な鷹巣山へのコースに入った。

 ずぶ濡れで小涌谷駅へ そして、30分程歩いた時、冒頭のゲリラ豪雨に遭ってしまった。逃げ帰るのも大変。懸命に下り続けるが段差の小滝はかわせず、水はあふれ、もう靴には水が入りズブズブ状態。雨も容赦なく降り続け、靴だけではなく、シャツから身体もずぶ濡れ。私の簡易合羽は何ら役に立たない。隣の蛇骨川は濁り水が激流となって走っている。先程は静かな清流であった。先日の広島地方の大雨被害もこんな状態だろうと想像できた。

無用であった雨具類 千条の滝前を素通りし、住宅街へ戻ったが、雨宿りするような食堂はなく、全身ずぶ濡れで、小涌谷駅へ駆け込んだ。着替えようとザックを開けたら、中の下着類もびっしょり濡れている。肝心のザックカバーは無用であった。防水が不完全というよりは、雨が激しかったのであろう。合羽にも昨日防水スプレーを吹き掛けたばかりだったが。下着の着替えは期待していたのでショック。弟の雨具はしっかりガードしたようで、たいしたことはないようだ。
登山電車で湯本駅へ下った。ずぶ濡れの私は車中では小さくなった。風呂に入ろうと駅裏のカッパ天国へ行き、温泉に浸かる。下着類は買えなかったが、一息付いて、何とか帰宅した。ずぶ濡れ引き返しは、長いハイキング経験の中で、初めてのことである。(2018/08/25 K.K. 1204/1300)

□日時 2018/8/12 □天候 曇り後豪雨 □交通費 3.040円 □資料 旅行読売出版「滝 湖畔 渓谷を歩く 千条の滝」2000年,74頁 □歩数等 12,000歩 9km
「通過時間等」自宅6:20-都営新宿線神保町駅7:05-小田急新宿駅7:28-同伊勢原駅8:45-同小田急小田原駅9:30-登山鉄道小涌谷駅10:25=千条の滝10:40=Uターン地点11:15=登山鉄道小涌谷駅12:00-小田急湯本駅(温泉)12:30/14:08-新宿線新宿駅16:20-三田線神保町駅16:33-自宅17:05

戸越に星薬科大植物園を訪ね、八幡宮へ

私のハイキング先情報源は、手許の資料のみならず、新聞やテレビ、ラジオも含まれる。四季の花情報は殆どマスコミに頼っていると言って良い。今回も、新聞から見付けた。東京地方版に、星薬科大植物園にアオノリュウゼツラン”30年に一度?待望の開花”(18.8.3朝日)の記事に出会い飛び付き、出掛けることにした。

 戸越から星薬科大へ 都区内地図で、星薬科大の所在地を調べると品川区内だが込み入った地で、分かりにくいようだ。都内の商店街から住宅街は縦横無尽に大小の道路が交差し、迷うことが多く、苦手なウォーキング。降りる駅を都営浅草線戸越駅とし、いつもの山勘で目指す外はない。三田駅で浅草線に乗り換えると、戸越駅は近く我が家から1時間強で着いた。
駅案内板で星薬科大を探すと、出口にも同大学の表示がある。地下から通りに出たら商店街で戸越銀座通り。賑やかな街だなと思いながら池上線戸越銀座駅脇の踏切を過ぎ、銀座通りもお終いになって、大通りとの交差点。中原街道とあり、方向から右折だろうと側道を進むと次の交差点が星薬科大前とあり、山勘も当たりキャンパス通りへ入る。正門の守衛室で登録し見学者カードを受け取り、植物園を教えて貰う。私と同じ見学者はチラホラといるようだ。

アオノリュウゼツランの花を見る 本館手前右が植物園。入園し奥へ進むと、新聞で見たアオノリュウゼツランはあった。丈が他より一段と高い、小杉風の植物がすくっと聳えている。原産はメキシコで、花は30年から50年に一度しか咲かないとある。近づき眺めると黄緑色で葉形の部分が花のよう(写真上)。確かに下部は、私も知る蘭である。先客の傍で、位置や角度を変えカメラに収めた。大学の研究用薬用植物園は、広くはないが温室もあり様々な植物が栽培されている。帰り掛けに桔梗やハイビスカスの花が目に付いた。因みに、アオノリュウゼツランは利尿剤用とあった。

 戸越銀座、同八幡宮 戸越銀座通りに戻り、歩き足りない分を歩こうと通りを行く(写真下)。往路で、再訪ではないかと気付いた。友人に当地出身の方がいて、”江戸の先で戸越という”と教えて貰ったことがあった。両側に様々な大小の店舗が並び続き、客も上下し、下町の銀座である。
戸越八幡宮の幟を見て、参拝しようと尋ねると、通りの先で遠いとの返事。戸越銀座駅の案内板には通りの右手にある。歩きながら、八幡宮も寄ったような気がして来た。銀座通り右手の坂、宮前坂を上がり左折すると、参道から本殿。軽く参拝したが、神社は何処も似たような建物であり、記憶も朧気ではっきりしない。あの時は戸越公園も巡った筈で近いならと、持参地図を見たが定かでない。戸越駅案内板にもない。諦めて、帰宅。記録から戸越銀座ウォークを探したが見付からない。しかし、今回の戸越は再訪に間違いないと思う。(2018/08/20 K.K. 1203/1300)
□日時 2018/8/9 □天候 曇り □交通費 シルバーパス □資料 昭文社「東京都市図 61武蔵小山」2004年 □歩数等 8,000歩 6km
「通過時間等」自宅9:00-浅草線三田駅9:52-同戸越駅10:10=星薬科大10:25/10:40=戸越八幡宮11:10=浅草線戸越駅11:28-三田線三田駅11:45-自宅12:30

青春18きっぷを使い吾妻線を往復する

先々月から乗り鉄を試して、まあまあと楽しんでいる。盛夏を迎え、ハイキングの季節ではなく、登山も簡単ではない。そんな中、列車の旅は車中は冷房が効き、特に真夏の時期には向いている。そして、青春18きっぷ利用をすれば良いのではと浮かんだ。最初の行く先はJR吾妻線の渋川駅から大前駅である。

 高崎駅乗り換え吾妻線へ JR赤羽駅で高崎線に乗車した。高崎駅乗り換えだが、事前の調べでは吾妻線発車まで僅か2分。隣のホームかなと楽観過ぎる予想もした。高崎駅に着き車内アナウンスがあったが良く聞き取れない。降りて隣を見れば大前行きの電車。山勘が当たり、ニンマリとし乗り込む。4両電車に八分の乗車で、発車。
吾妻線の長野原草津口駅から先は乗ったことがなく、今回終点大前駅迄の全線を乗り切りたい。吾妻峡谷を歩いた時川原湯温泉駅迄乗ったのが最新の吾妻線乗車歴(10.12.4)。
渋川駅で、上越線から分岐し、吾妻線へと入った。隣が金島駅。関東ふれあいの道の起点の駅で、2,3度乗降したことがある。山間の地へと進み、吾妻川が流れる谷内である。小野上温泉駅を通過し、温泉入浴に帰りに途中下車しようかとの思いが過ぎる。中之条駅に着き停車。吾妻線の中心駅のようで、大半の客が降車。私は、先月、Sさんの車で中之条から四万温泉へ来たばかり。次の群馬原町駅にも二度乗降した。岩櫃山や岩筆城跡がある。真田昌幸城主時代、原町は城下町として栄えたという小説を読んだことがある。

郷原駅を通過 郷原駅を過ぎる際、車窓からの眺め(写真上)に、以前も見た風景と思い出した。屋根に煙出しが付いた大きな農家は養蚕用であろう。頭上を見上げれば岩峰、岩櫃山か。慌ててカメラを出しシャッターを切った。当地出身の同期生がいて、”ゴウバラ”と濁ると教えてくれた。吾妻線は、八ッ場ダム工事区域を走った。8年前川原湯温泉駅に降りた時工事は中止していたが、その後再開されている。吾妻線の付け替え工事は継続し、現在は新線を走る。当然川原湯温泉駅も見覚えのない、新しい駅舎であった。

 初めての区間から大前駅折り返し 長野原草津口駅に着き、長い停車。若い頃職場旅行が盛んで、草津温泉にも数度泊まり、込み合うホームに列び乗車を待ったこともあった。駅付近を眺めると、記憶に一致する風景もあるよう。
初めての乗車区間へ突入し、知るのは万座・鹿沢口駅のみだが、山間の狭い地に数駅があり、駅周辺の山中に家がぽつりぽつりと見えるだけ。鹿沢口駅もほぼ同様だが、川の畔に商店も見えた。期待した浅間山は、目の前の山々が遮りとても望めない。
終点大前駅では引き返し迄駅前をウロウロ(写真下)。駅舎もなく、ダイヤは1日5本。川向こうの遠くに集落が見えるだけ。客はそのまま新前橋行きになった電車に乗り直し、私もその1人となった。(2018/08/16 K.K. 1202/1300)

□日時 2018/8/5 □天候 晴 □交通費 青春18きっぷ1/5 □資料 旅行読売「ひとり旅 吾妻線」2010年、121頁、□歩数等 2,000歩 2km
「通過時間等」自宅6:15-JR板橋駅6:50-同赤羽駅7:10-同高崎駅8:53-同大前駅10:38/11:00-同新前橋駅12:40-同高崎駅13:14-同赤羽駅14:45-三田線新板橋駅15:00-自宅15:30

四万温泉からキスゲ咲く野反湖

未だ8月前なのに猛暑が続き、ハイキング先の選定に苦労している。今回は、渡良瀬渓谷鉄道に乗り涼風を楽しもうと計画したら、群馬の当地は39℃という予報を見て、急遽Sさんにコース変更をお願いし、了承を得た。四万温泉の摩耶の滝を思い付き、35℃とある。Sさんのご厚意に感謝しながら、車で高島平を出発した。

 四万温泉摩耶の滝 車は関越高速を走り、渋川ICに降りて一般道を吾妻へ向かう。昨年訪ねた箱島湧水の近くを通り、中之条で山側へ右折し、結構走って四万温泉の先、日向薬師堂近くの駐車場に着いた。四万温泉は、東京でも知られた山ノ湯だと思うが、チャンスがなく初めて。思ったより山深く、広い温泉地のよう。摩耶の滝は、湯治客が散歩にも眺められる直ぐ近くにあると思って来たが、渓谷の奥の案内。沢に沿い出入りのある山腹に切られた遊歩道で、距離がある。約30分で到着し、激流が落ちている(写真上)。この時期夏枯れかなと心配したが、道が濡れ昨夜雨であったようである。Sさんも着いて、一休み。休憩舎には先客もいた。遊歩道を戻ると、往路では気付かなかったが結構下り坂。突然前方を猿の家族連れ10頭程が山から出て来て、谷へと降りて行った。山で猿に出会うことは希ではないが、近くで多数を見るのは初めて。一瞬襲われたらと心配してしまった。車で、四万温泉街を半周し、グランドホテル近くの河原に共同浴場を見付け、入浴。熱い温泉で、私は汗を流して出た。

暮坂峠を越す 未だ12時前で、Sさん、もう一箇所回ってくれるという。先程暮坂峠の標識を見て、一度歩いたことを思い出し(10.12.5)、再訪も良いと提案したら、Sさんは湖が念頭にあるようで、野反湖と分かる。カーナビで検索し、約50㎞、1時間程と出た。ニッコーキスゲの花期かもしれないと、期待しお願いする。沢渡温泉を過ぎ暮坂峠へのコース。以前私は中之条駅前から沢渡温泉迄はバスで、そこから徒歩で往復した。計4時間程歩いたろうか。車は速く、牧水会館を左に見て、最奥の集落から山坂をくねると峠上で、Sさんに峠に建つ若山牧水像を紹介した。

 キスゲが乱れ咲く野反湖へ旧六合村へ入り、奥へ奥へと進むと下る対向車が多い。キスゲ見物かなと期待半分。野反峠に降り、眼下に湖を展望(写真下)。キスゲはあるがそれ程ではない。涼風の中、草原へ分け入るに従い、キスゲの群落に出会う。それも満開。カメラが忙しい。花友用に携帯にも写す。Sさんも感嘆のよう。コオニユリやハクサンフウロも咲いている。最後は咲き始めたヤナギランやシモツケソウも見付けた。ビジターセンターで、遅い昼食後、帰路に就く。思い掛けなく、乱れ咲くキスゲの群落に出会い、Sさんのタイムリーな案内に感謝である。有り難うございました。(2018/08/11 K.K. 1201/1300)

□日時 2018/7/22 □天候 晴 □資料 旅行読売「滝 湖畔 渓谷を歩く 摩耶の滝」31頁、野反湖休憩舎「ハイキングマップNOZORIKO」 □歩数等 11,000歩 8km
「通過時間等」自宅・高島平7:20-四万温泉10:00-遊歩道入口10:05=摩耶の滝10:35=遊歩道入口11:10-河原の湯11:30/11:55-野反湖13:10/13:50-高島平・自宅17:55

富士山五合目を歩いて1200回へ

私の山歩き里歩きも1200回の区切りを迎えた。車で千葉麻綿原も検討していたが、最近の大雨で通行止めがあり、急遽行き先を変更した。二日前、富士山五合目行き高速バスが予約できた。富士登山は無理でも、山麓の五合目を歩いて山歩きの雰囲気に浸り、展望を楽しみたい。単身でも大丈夫だろうと出掛けた。

 五合目からお中道を歩く 三連休の中日、高速バスは、都内から混んで渋滞にはまり、中央高速へ入るのに時間を要し1時間以上遅れ、五合目登山口に着いた。富士登山以来である(00.7.28,29)。登山者で賑わい、外国人が多いのは最近の傾向だろう。情報を収集し昼食を求め、近くの小御岳神社に安全をお願いし、階段からお中道へ上がってスタート。富士のお山は雪はなく、黒い岩肌の大きな姿が頭上にある(写真上)。標高2300mなのに暑い位。
カラマツやダケカンバ樹林帯の中の平らな石畳の道。登山口とは一転して静かで、希に上がって来るグループには遭うが下るのは私のみ。両側には白い石楠花が途切れながらも咲き続き、綺麗。林が切れ下方が見えるが雲があり遠望はなく、南ア迄は見えない。砂礫に覆われた箇所が時々現れ、崩落箇所だろうか。靴がめり込み歩きにくい。
裸の富士は望めるが、登山者の列までは確認できない。象の足に取り付いた蟻の程度だろう。そんな風景を繰り返しながら、お中道を行く。また家族連れや女性軍と交差したが、五合目迄かそれとも山頂目指しているのか。時々車の騒音が聞こえ、下のスバルラインと並行しているのだ。

 御庭から奥庭へ そろそろ1時間近くなり、周囲の木々の丈が低くなり、右下に建物の屋根が見え出し、御庭と呼ばれる地域に入ったようだ。この辺りは森林限界地で、過去の小噴火口が点在するらしいが、今では分からない。右方へ下り始め、急坂もあり、持参したストックを使いながら慎重に下り続ける。スバルラインを横断する際、バス停がありバス時間を眺めて、奥庭へ下る。天狗の遊び場と呼ばれるとある。売店があり、その脇でカメラを構えた男女10人程が一点に集中しているよう。私もその方向へ目を向けたが分からない。鳥には違いなく、後にルリビタキと資料にあった。

河口湖駅に下山し1200 売店前から天狗岩を見て、展望台へ上がる。旧噴火口という。お中道からの姿とは違う富士が正面に現れ、カメラに収めた。コニーデ型の裾は長く引き美しい(写真下)。旧火口に沿い遊歩道を一回りし、急坂を上がりバス停へ。バスが直ぐ来て、乗車。満員で中へ入れない儘、スバルラインを下り、河口湖駅で富士急電車に乗る。こちらはラッキーにも高尾から新宿直通の快速で、席も確保。一息入れ、1200回達成をメール。そうしたら長女から、”子供の頃、五合目に行ったね”と返信があった。あの時子供達は乗馬したと思い出した。今回も五合目に馬10頭程が繋いであった。(2018/08/06 K.K. 1200/1200)

□日時 2018/7/15 □天候 晴 □交通費 6,300円 □資料 山と渓谷社「首都圏ハイキング’97年秋冬 お中道から奥庭へ」112頁 □歩数等 14,000歩 10km
「通過時間等」自宅6:40-新宿線神保町駅7:16-バスタ新宿9:05-富士山五合目13:15=御庭分岐14:20=奥庭展望台14:38=御庭バス停14:53-富士急河口湖駅16:00-京王線高尾駅17:31-三田線神保町駅18:45-自宅19:20

暑さ避け井の頭公園から武蔵八幡宮を歩く

未だ7月半ばなのに猛暑が続き、ラジオからは熱中症注意の放送が頻りに流れる。そんな中、ハイキングは、1200回目前になり、少しでも涼しいコースをと渓谷や川辺、森林の中とか思い巡らしたが、中々浮かばない。井の頭公園の玉川上水が流れる両側は深い樹林帯であったと思い出した。二度ほど歩いたが、最近はご無沙汰である。未訪の武蔵八幡宮も近いようだ。

 井の頭線で井の頭公園へ午前中に歩き切ろうと早めに出掛け、京王線明大前駅から井の頭線に乗り換えた。同線は初めてではないが何時かは思い出せない程前のことで、車窓の景色も新鮮。杉並の高級住宅街だろう。井の頭公園駅に下車すると直ぐ右手が公園。池を中心に周囲には木々が多い。散策者達と交差しながら、細長い池の上流方向へ行く。ようやく見覚えのある池風景に出会い、回り込むとお茶の水井戸。家康達も汲んでお茶を点てたという。神田川の源泉である。現在は地下水を汲み上げているとある。池中の弁天様にお参りし、孫達の進学を報告しお礼を申し上げた。池辺を出て、目指す森林地帯へ。

林の中の玉川上水 思い出の林は、静かに広がっている(写真上)。陽は届かず、風はないが暑くはない。その下には散策路が縦横に巡り、武蔵野の面影を残している。玉川上水へ近づき、先ずは下るが、流れは少ない。以前、桜桃忌頃、太宰碑を探し上水を上下したことがあった。未だ多摩南大沢キャンパスに通っていた時だから、約10年前になろうか(05.6.17)。ほたる橋から下り幸橋でUターンし、万助橋へと戻る。

自然文化園で鳥達を見る 吉祥寺通りを渡り、隣の井の頭自然文化園へ入園。カブトムシや昆虫のいきもの広場を覗こうとしたが、日曜日のみの開園らしい。野鳥の森があり、籠内だがふくろうや雉、ハヤブサがいる。ヤマドリは初めて見た。赤っぽい色をしている。子供の頃、近所の狩猟をやる方から聞いてはいたが、見るのは始めて。そんなに大きくはなく、狩りの対象とは思えない。日本リスもいた。湘南地方ハイキングでは台湾リスは良 く見掛けたが、それよりは小さめで細身。檻内を駆けめぐっている。半周して退園。

 武蔵八幡宮参拝 また吉祥寺通りを歩き、JR中央線高架下から商店街。途中、案内図で武蔵八幡宮の位置を確かめると、三つ信号を渡り、通り右側蓮乗寺の先のよう。交差点を数えながら渡ると寺があり、その向こうに境内らしき垣根が見え、武蔵八幡宮であった(写真下)。私の予想とは違い、シンプルな神社で、境内も広くはなく、本殿も私には歴史は感じさせない。手許の資料には、789年坂上田村麻呂が宇佐の八幡大社から分霊し創建したとあり、それなりの古社の雰囲気などを期待していた。また手を合わせ、孫達へのご加護をお願いした。吉祥寺駅へ戻る。駅前の繁華街に驚きながら、駅舎の中で、井の頭線ホームを探した。  (2018/08/01 K.K. 1199/1200)

□日時 2018/7/12 □天候 曇り後晴 □交通費 400円 □資料 山と渓谷社「首都圏ハイキング1999年秋 井の頭公園」76頁 □歩数等 13,000歩 9km
「通過時間等」自宅7:50-新宿線神保町駅8:35-井の頭線明大前駅8:59-同井の頭公園駅9:20=井の頭公園9:25=お茶の水井戸9:35=ほたる橋9:45=幸橋9:55=万助橋10:05=自然文化園10:10/10:35=武蔵八幡宮10:55=井の頭線吉祥寺駅11:12-京王線明大前駅11:31-三田線神保町駅11:51-自宅12:25