谷中から上野公園を巡り歩く

 本日、西日暮里に出掛けるが、用事は1時間も要しないだろう。その後山手線沿いに谷中へ歩き、同霊園から上野公園を通り抜け、御徒町へと歩こうと思いを巡らした。初めてではない地も多いが、史跡や古刹も多く気軽に歩くコースとしては、楽しめると思う。

 道灌山公園、夕やけだんだん JR西日暮里駅裏の坂を上がり右手の高台は道灌山公園。太田道灌の出城跡との説もあるらしい。諏方神社から寺院を左に見て高台の寺町を行く。右手の下り坂は富士見坂とあり、都心では富士が見える唯一の坂とあるが、現在では正面に新宿の高層ビルが建ち疑わしい。十字路右手は谷中銀座商店街で、入口の階段夕やけだんだん(写真上)は久しぶり。下町銀座には人出が見られる。
 谷中から上野公園へ 私は山手線沿いに進み谷中霊園へ。広い霊園を、案内図を頼りに墓地の間を進み、五重塔跡へ至る。確か幸田露伴著の小説のモデルと思うが、塔は関東大震災や東京空襲から免れたのに、戦後放火で焼失したという。広い墓地の間を左折右往して抜け出し大通りを渡って寛永寺根本中堂境内へ。参拝して、二度目と思い出した。明治期に川越喜多院からの移築とある。国立博物館を回り込み、上野公園へ。左手はJR鶯谷駅の方向。
 公園は思ったより親子連れ等が多い。東京都美術館前から動物園へ向かう途中に、寛永寺の跡があった。上野東照宮への参道の両側には大名達寄進の石灯籠が並ぶ。寺院と思っていたが神社とあり、鳥居が建っている。右手の五重塔は寛永寺のものらしい。清水観音堂前から彰義隊の墓、西郷像となる。戊辰戦争の当事者でもある。

 上野公園と戊辰戦争 上野の寛永寺は江戸初期家光が徳川家菩提寺として建てたもので、幕末の上野戦争で焼失したが、先ほどの東照宮や五重塔は遺った。谷中経王寺には弾痕が遺っていた(写真下)。1868(慶応4)年7月4日(陰暦5月15日)のことで、勝利した官軍はその後会津へ進んだことは歴史の通り。昨秋、白河手前の奥州街道白坂宿を歩いた時知り合った地元の方に、白河口の戦いを現に見聞きした元村長が書いた.“慶応戊辰白河戦争”と題した資料等を戴いた。それによれば、上野戦争の前から官軍は白坂宿に到達していて、6月14日(陰暦4月24日)には地元の方に戦死者が出ていたとある(白坂宿顕彰碑実行委員会「奥州道中白坂宿」)。約150年後の現在では、案内資料と痕跡を突き合せれば、上野公園でも僅かに窺える程度になっている。そんなことを思いめぐらしながら、公園入口の石段を下りて、御徒町の地下鉄駅へと歩いた。(2020/12/25、2021/1/10K.K.1366/1400)

◇日時 2020/12/6 ◇天候 晴れ ◇交通費 160円 ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 「上野周辺(上野桜木・谷中)お散歩マップ」「通過時間等」自宅11:15…JR西日暮里駅12:30-道灌山公園12:35=谷中夕やけだんだん12:55=谷中霊園五重塔跡13:10=寛永寺根本中堂13:25=上野東照宮13:50=同西郷像14:00=大江戸線上野御徒町駅14:22-三田線春日橋駅14:30-自宅15:05