都心芝、新橋に神社、史跡を訪ねる

 今年の初詣先として、新橋付近の神社をマークしていたが、正月も月末になってしまった。今年は遅れた初詣も良いとの意見もあり、出掛けることにした。今回予定の神社はすべて初めての社と思っていたが、浅野内匠頭終焉の地の碑は一度見ている筈と調べたら、塩竃神社や日比谷神社も同じ日(03.2.2)に寄っていると分かった。加齢には勝てない。

 御成門から 三田線を御成門駅に降り地上へ出て、増上寺境内の端に熊野神社を探した。東京タワーを正面に見た先で、広い境内の片隅に見付かり、参拝。隣の千躰地蔵尊(写真上)を眺める。この種地蔵を近くで見るのは初めてだ。日比谷通りへ出て、港区役所前から新橋方向へ歩く。愛宕署を過ぎ新橋へ至り、横浜ゴム社ビル付近でウロウロしたが三剱稲荷が見付からない。持参地図にはあるのだが現況に変更があったのか。諦めて、塩竃神社へ。こちらは大凡の見当が付き小公園の続きにあり、社殿前へ進み手を合わせる。由緒書きによれば、江戸初期、伊達藩主が伊達家上屋敷に塩竃本社から勧請し、その後現在地の中屋敷に遷座したとある。私は、再訪だが何ら記憶は蘇らなかった。
 塩竃神社、日比谷神社 日比谷神社も、探しあぐねビル街一画をウロウロして二周し、最後は交番で教えて貰った。数年前マッカーサー通りが出来て、神社の周辺の風景は一変したのであろう。社は新道路に面していた。こちらも二度目だが、淡々と手を合わせた。当社は現日比谷公園大塚山にあったが、江戸城の拡張で、こちらへ移転したようだ。

 切腹最中 内匠頭終焉の地碑そばに、切腹最中を販売する菓子店新生堂があると、最近の新聞(21.1.28読売夕刊)で知った。当初縁起が悪いと言われたが、お詫びの印として評判を呼んでいるとある。話のタネに最中を求めたいと店前へ出たが、本日日曜日でか、閉店中。店舗をカメラに収めて日比谷通りへ。
 終焉の地碑は記憶にあり、ほぼその地にあった(写真下)。内匠頭の即日切腹は知られている。それがこの辺りにあった一之関藩田村家の上屋敷であったのだ。そういえば、以前田村町と呼ばれていた地である。
 新橋繁華街 新橋駅前にある烏森神社へ向かう。山勘が当たらず、新橋駅右側へ出てしまう。新橋は日曜日なのに人出がある。正面の飲食街と思い直し、ニュー新橋ビルを越して飲み屋街に入ると直ぐ神社。この辺り、旧勤務先時代仲間達と二次会で時には飲みまわっていたが、あれから20年以上過ぎた。簡単に手を合わせ、レンガ通りから三田線内幸町駅へ降りた。車中、10分遅れると、待ち合わせの友人へメールした。(2021/2/16 K.K. 1374/1400)

◇日時 2021/01/31 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 7km 10,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図87」2004年4月 「通過時間等」自宅9:40-三田線御成門駅10:35=熊野神社10:40=塩竃神社11:00=日比谷神社11:25=内匠頭終焉の地碑11:30=烏森神社11:40=三田線内幸町駅11:55-同巣鴨駅(昼食)12:10/13:00-自宅13:30