阿武隈川乙字の滝、須賀川に芭蕉を辿る

 白河の関を越え陸奥へ入った芭蕉は、歌枕の地を巡り、奥州街道を仙台へと歩いたが、須賀川には7泊(1689年4月22-28日 陽暦6月9-15日)もしている。市内に句碑は多く、市は奥の細道300年記念に芭蕉記念館を建てるに至っている。私の俳聖追っ掛けも、是非、須賀川は加えたいと計画し、準備した。須賀川は2度目で、須賀川城跡を訪ね(94.9.14)、市内図も残っている。

 バスで乙字の滝へ 郡山駅から戻って須賀川駅に降り、構内案内所に寄ったら、現在芭蕉記念館は閉館中という。先日、月曜休館はネットで調べたのだが。乙字の滝へのバス時間と教えられ、乗車。同滝行は躊躇していた。私の資料では芭蕉が寄ったか不明で、しかも須賀川市内からも遠い。記念館見学時間省略なので、丁度良い。調べると一度は増水で止めたが、郡山への途中回り道して寄ったと分かった。
 市内から郊外、田園地帯を走り、手前の小山の麓で降車。戻るバスは約1時間後と調べ、橋上へ出る。眺めると下流に乙字らしい形の滝、落差が見える。阿武隈川である。右岸を少し行き、下側から滝を眺め(写真上)、カメラに収めた。川幅一杯だが落差は低い。観音堂境内に芭蕉、曾良の像と句碑が建ち、“五月雨の 滝降りうづむ 水かさ哉”とある。2人の像は小さく可愛いもの。平日なのに、私以外も見物者はチラホラ。当地は、水郡線に近いようで、往時は石河の滝とも呼ばれていた。

 可伸庵跡 バスで市内へ戻り、句碑巡りを開始。運転手さんに教えて貰い商工会議所前で下車し、NTTアンテナを目印にそちらへ向かうが記念館は閉鎖中で、近くの可伸庵跡を探した。この辺りに芭蕉一行が滞在した相楽等躬宅があり、彼は須賀川の宗匠俳人であったという。芭蕉は、屋敷内に寄寓していた僧可伸とも交流し、“世の人の 見つけぬ花や 軒の栗”と詠んだ。現在庵跡はあるが狭く草が生い茂っている。手前の角に、小さな軒の栗庭園があり、栗の木の下に2人の像があった(写真下)。
 市内句碑巡り 今朝入手した案内図に従い、市内中心部に長松院、二階堂神社、十念寺から少し離れた市立博物館へと巡る。長松院は等躬の墓や句碑があり、神社は須賀川城跡で微かな記憶が蘇った。十念寺には、“風流の 初めや奥の 田植うた”の句碑があり1855(安政5)年女流俳人市原多代女によって建立されたとある。円谷幸吉の墓がある筈だが探せなかった。博物館庭のものは乙字の滝と同じ句の碑であった。疲れた足で駅へ向かうが、近くはなかった。(2020/9/22K.K.1349/1400)                           

◇日時 2020/9/10 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本パス+860円 ◇歩行距離等 13km 17,000歩 ◇資料 久富哲雄「奥の細道ハンドブック」60頁外、
「通過時間等」自宅7:55-JR上野駅8:54-同郡山駅10:45-同須賀川駅11:10-乙字の滝11:35/12:25-商工会議所前バス停12:40=可伸庵跡12:50=長松院13:10=十念寺13:25=市立博物館13:40=JR須賀川駅14:26-同郡山駅14:59-同仙台駅15:54-同新青森駅17:38-同青森駅17:50=宿泊先18:00