水車公園、粕谷家住宅と板橋徳丸を歩く

 朝、起床し動き出したら腰に痛みを感じる。歩けないほどではないが鈍痛があり、寝違えかなとも思うが、速足は無理。ここ20年程の間ほぼ週一のペースで歩いてきたが、2週間は遠のいている。そうだ、歩けば腰痛は治るだろうと気が付き、近くを歩くことにした。確か以前もこのような経験があったかもしれない。歩く先は近くとし、自宅スタートとし徳丸の水車公園、粕屋家、そして前谷津川緑道へとする。

 赤塚諏訪神社から 先ずは、赤塚諏訪神社を目指し、高速下へ出て、歩道橋で高速道路を高島平から赤塚へ渡る。私の近所だが、思ったより距離があり、見覚えのない住宅街、古い農家の間を通って、神社に着いた。我が地区の初詣先だが、最近はご無沙汰である。コロナ終息などをお願いした。
 大農家の前から、富士塚へ。塚は草木に覆われ、その面影はない。大通りへ出て、こぶ欅を眺める。以前は諏訪神社の参道から境内であったという。北海道の孫達が来た時一緒に歩いたことを思い出した。桜の時期であった(14.4.5)。
 水車内部を見学 大通り側道を直進し続け四葉へ入り、新興住宅街へ左折すると、徳丸水車公園であった。前回は閉園時間で中は見学できなかったが、大きな木製歯車が交差し噛み合い、杵が上下している(写真上)。外へ回って、回る水車をカメラに収めた。嘗ては水田稲作の地で水車は珍しくなかったとある。裏に樹林と土手があり、前谷津川の源流らしい。山でもないのにだが、関東ローム層で保水、はけが良いのかもしれない。隣の日本庭園を覗いて、徳丸の中心にある安楽寺へ。
 江戸中期築粕谷家 松月院通りを渡ると安楽寺前へ出だが、山門以外は古刹とは思えない。奥にある粕谷家住宅は、家屋の間に茅葺屋根が見え、表へ回って見学。徳丸脇村名主の隠居用住宅で、1726年(享保11)年築とある。それが現在も残る(写真下)。土間の広さが目に付いた。松月院通りへ戻り、前谷津川緑道へと歩く。左手に緑地公園があり寄ると赤塚公園とありびっくり、高島平から土手続き公園の東端と思う。

 前谷津川緑道を団地へ 不動通りを越した先に緑道があり、左折し緑道を歩く。直ぐ高速下で交差点を渡り、また緑道を歩き続ける。私達が高島平へ越して来た50年前は、未だ水路で流れが見えていた。その後住宅街では殆ど緑道化されているようだ。
 緑道は高島平へ入り、周囲は高層団地で徳丸地区とは風景が一変し、公園内遊歩道である。そして、三田線高島平駅前商店街に着き、今回のウォーキングは終了。そして、腰痛は消えていた。やはり寝違えの類であったろうか。ラッキーである。(2020/11/29K.K.1362/1400)                

◇日時 2020/11/14 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 10km 13,000歩 ◇資料 「水車公園案内」、「旧粕谷家住宅」
「通過時間等」自宅13:35=赤塚諏訪神社14:00=同富士塚14:05=水車公園14:20=安楽寺14:40=粕谷家住宅14:50=赤塚公園15:05=前谷津川緑道15:15=高島平団地15:40=自宅16:00