駒込から本郷へと御成街道を巡る

 年末の日曜日、巣鴨で昼食をした。本日天候も良く風もない。都心を歩こうとJR巣鴨駅から同駒込駅へ出て、現本郷通りを上り、東大前から三田線春日駅へ下ろうと思う。御成街道や岩槻街道とも呼ばれる。初めてではなく、2,3度ぶつ切り的に上下しているが、久しい。

 六義園は閉園中 巣鴨駅から駒込駅は近い。今回は、山手線内側を進む。結局山手線を高架で渡り、右折し駒込駅。駅前で大國神社へ挨拶し、広場では染井吉野桜発祥の里記念碑を眺め、本郷通りへ。
 直ぐ六義園で、庭園内を眺めながら通ろうと北口門前へ近づくと,正門へと貼り紙。一昔前旧同僚の女性達と夜桜見物しその後飲み会をした店が左側であったと思う。皆定年等でお宅へ引っ込み、この頃は再会も難しくなってしまった。距離のある正門へ回ったら、今年は閉園したとあり、残念。
 富士神社、天祖神社 次は富士神社へと本郷通りを渡り、不忍通りへ入るも神社が見当たらない。ウロウロしたが辿り着けず、地図を出すと通り一本先であった。ここの神社は、富士塚の上に社があり(写真上)、石段が急で私は昇ったが、高齢の夫婦連れは女坂へ回った。初夢の一富士、二鷹、三茄子とは駒込に由来したとある。近くに鷹匠屋敷があり、茄子は駒込名産であったという。私は、家康の好物を並べたと何処かで読んだと思う。
 次は奥の天祖神社で、病院の高いビルを目標に住宅街を右往左折。その途中に駒込の名主宅が遺り、都内では珍しく、カメラに収める。天祖神社に参拝。コロナ終息と孫二人の受験をお願いした。当社の建立は、文治5(1189)年源頼朝が奥州藤原氏征伐の途中、当地で見た夢に由来するとある。御成街道へ続く長い参道は、その名残であろうか。

 銀杏が美しい本郷通り 本郷通りを上り続ける。銀杏並木があり美しい(写真下)。ここのは未だ残っている。両側には寺も古刹が多く、寺町のよう。吉祥寺の門前へ至り、案内で榎本武揚の墓があると知り、境内へ入ったが、探せず戻った。榎本は子供の頃ラジオ放送で知り、興味を持った。また大通りを歩く。地下鉄南北線が通り、本駒込駅付近の筈だが通り越してしまったようだ。そろそろ本郷追分かなとキョロキョロしたがまだ先。東大農学部前が中山道との追分であった。僅か1年前訪ねたが周囲の景色は忘れていた。加齢の所為だろうか。
 本郷弥生で本郷通りと分かれ、春日へ坂を下る。本日唯一の未踏の通りだと思う。下ると菊坂下とあり、菊坂は樋口一葉旧居の地で、確か一葉が通った質屋の建物も坂途中にあったと思う。都営地下鉄の入口に出会い、私は三田線春日駅ホームへ向かった。(2021/01/17 K.K. 1369/1400)

◇日時 2020/12/27 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 10km 14,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図28,35」2004年4月
「通過時間等」自宅…JR巣鴨駅12:50=同駒込駅前13:05=六義園正門13:15=富士神社13:35=天祖神社13:50=吉祥寺14:10=本郷追分14:35=菊坂14:45=三田線春日駅14:54-自宅15:30