湘南深沢から稲村ヶ崎へ出る

鎌倉、湘南方面に未訪のコースを捜した。平塚在の弟から誘いがありコースを2,3挙げたが歩いたことがあり、それならと手許のガイドを捲るも、初めての地は少ない。そんな中から、「湘南深沢から稲村ヶ崎」(「東京近郊里山ハイキング」175頁)が見付かった。寺社巡りのようである。弟へ連絡し、大船モノレール駅改札口に待ち合わせた。

モノレールで湘南深沢へ JR大船駅に降りモノレール駅を尋ね行くと、弟が待っていた。このモノレールは私は初めての乗車。直ぐ深沢駅で、運転手へ乗車券を渡し階段を降りる。駅前に当地の案内図は見当たらず、手持ちの略図で等覚寺へ向かうが、小路が交差し戸惑っていると地元の方が指さしてくれた。古い住宅街の中に古刹はあった。簡単に詣でて、深沢小学校へ。校内に鎌倉の御家人梶原景時父子の墓がある筈だが見付からない。裏へ回っても行き止まりで諦め、学校先の御霊神社へとし、山門的な社の後に石段がありその上に本殿があって(写真上)、2人で参拝。
御霊神社、仏行寺、三嶋神社 ここからは弟に地図読みを任せ右折、左折し坂を上がり、彼の指示通りに小さな坂を下ると仏行寺前であった。参観料を箱に入れ、本堂前でぽんずの成仏をお願いし、裏の庭園へ回った。小さな泉水庭園が広がり、カメラに収める。戻ろうとしたら、屋根を走る小動物を見る。リスのようで、当地には外来種が繁殖しているらしい。集落内歩行中、弟が、”ここっ”と言い、見上げると三嶋神社。頼朝創建と言われる古社で、急な石段上がり小さな拝殿に手を合わせ簡単にお参り。夫婦池への分岐では、池は省略し目の前の丘笛田公園へ上がる。広いグランドがあり少年野球の練習中。足下にボールが転がって来て、返して上げようとしたが、ネットを超えず見事に失敗。”嘗ての野球少年もダメだね”と弟に笑われてしまった。
鎌倉山神社から稲村ヶ崎へ 休憩後、峠を行き鎌倉山神社を目指す。鎌倉も別荘地帯のようで、高級らしき住宅が多い。有名人の門前には警備員を見た。一旦下るが違うと気付き戻ると標識があり、山方向へ入って神社前。こぢんまりな社であった。そのまま奥へ進むと急に山道となる。ハイキングらしくなったが、弟に確認するとコース内との返事。標識があり、稲村ヶ崎へ方向を採り、工事中の仮設通路を過ぎて山中を抜け、住宅街。本日当地ではロードレースがあるらしく若者や家族連れ大勢が通りを往復しジョグしている。江ノ電踏切を渡り、海側へ出ると右先が江の島(写真下)、左が稲村ヶ崎。海は穏やかだが波乗りするサーファーは少ない。我々は左折し岬へ上がる。ツワブキが咲く一方、水仙が開花し温暖の地を示している。中学の修学旅行で、”剱投ぜし古戦場”と知り、また二度目のハイクと思うが何時かは思い出せない。岬展望台で海上に霞む大島を眺め、江ノ電稲村ヶ崎駅前で昼食。弟は蕎麦だが、私は麦酒を添えた。(2016/12/27 K.K. 1077/1100)

○日時 2016/12/18 ○天候 晴 ○交通費 1,780円 ○資料 新ハイキング社「東京近郊里山ハイキング・湘南深沢から稲村ヶ崎」平成16年5月 ○徒歩距離 15km 21,000歩
「通過時間等」自宅7:55-JR新橋駅8:51-湘南モノレール大船駅9:37-同深沢駅9:45=等覚寺9:50=御霊神社10:10=仏行寺10:30=三嶋神社10:40=笛田公園10:50=鎌倉山神社11:25=稲村ヶ崎12:05=江ノ電稲村ガ崎駅(昼食)12:15/12:59=小田急片瀬江の島駅13:21-都営新宿駅14:40-同神保町駅14:51-自宅15:30

小諸から千曲川沿いに歩き布引観音に詣でる

北軽井沢に会議で宿泊した。翌日は迷わず、しなの鉄道で小諸駅へ出て千曲川を眺めながら布引観音に寄り、家内の故郷東御市を予定した。このコースは数年前から温めていたコース。一度車で通ったことがあり、また五木ひろしの”千曲川”にも影響されたかもしれない。地図を開き、小諸から布引観音迄は普通に歩ける距離と見立てていた。

浅間山麓は雪模様 朝雪がちらつき、宿泊先のある裏側から見る浅間山は真っ白。峠を越す軽井沢側は晴れていることを期待した。マフラーや帽子、簡易カイロと寒さ対策は準備した。軽井沢駅で、東京へ帰る一行と別れ、1人しなの鉄道に乗車。浅間山の麓を走り、約30分で小諸駅に着く。車中で、しなの鉄道小諸駅滋野駅間は約6kmと分かったが、滋野駅から田中駅迄は不明。乗車時間から4km程度とみた。昨夜家内の実家Yさんへ連絡したら、田中駅で待つという。
布引観音へ石段を上がる 小諸駅から大手門を経て北国街道に入る。風はなく寒いほどではない。道路標識に布引観音へ4kmとあり、想定通り。市街を出て坂を下り、街道と分かれると目の前に田畑が広がった。奥の山裾が千曲川だろう。大久保橋を渡り川沿いに行く。渇水期に入ったかなと思ったが、流れは多い。集落内を通ると武田信繁の墓の案内を見る。何故当地にと思ったが寄る余裕はない。山が迫り川との峡路となる(写真上)。谷川瀬音は久しぶり。庇状のトンネルを抜けると布引観音下であった。待ち合わせ時間から通過もあるが、此処まで来て素通りは許されないだろうと石段を上がる。二度目で往復20分程度かなと進むが、岩崖の間の参道は急で石があり歩きにくい(写真下)。牛岩や善光寺抜け穴を見て上がり切り本堂に参拝。参拝客はチラホラ。往復に40分要し、田中駅へ向け急ぐ。社務所で駅への時間を聞いたが、歩いては分からないといわれた。
迎え車に感謝 右を流れる千曲川の流域は荒涼とし、晩秋から初冬の風景。到底千曲川を口ずさむ雰囲気ではない。藤村ではなく五木千曲川だが。小諸市から東御市に入り、大分歩いて布引温泉。滋野の義姉に連れられ入浴したと思う。秋の刈り上げのお相伴で、家内も一緒だった。布岩の下を通り、方向を右手に採り布下集落へ。携帯が振動しYさんからで、予定時間よりは遅れて布下内と応えると、車で迎えに来てくれるという。ラッキーとばかりに、布下集落内の現在地を伝えた。
千曲川境橋が見え始めた地点で、後から車が来て駐まった、私が近道と細い道路に入ったため擦れ違ったらしい。田中駅前のゆうふる田中へ案内されると、義妹、義姉も一緒だった。温泉で汗を流し会食。私は先日の法事の御礼を申し上げた。帰りには、ご馳走になった上、お土産まで戴き、上田駅から新幹線とした。(2016/12/27 K.K. 1076/1100)

○日時 2016/12/11 ○天候 曇り ○現地交通費 480円 ○資料 小諸市観光案内所「信州小諸マップ」 ○徒歩距離 15km 21,000歩
「通過時間等」宿泊先8:50-しなの鉄道軽井沢駅10:04-同小諸駅10:35=大久保橋11:00=布引観音下11:30=布引観音11:50=布下12:30=境橋手前12:50-ゆうふる田中13:00/15:10-JR上田駅15:56-同上野駅17:25-三田線巣鴨駅17:43-自宅18:10

都心千代田区に神社を巡り歩く

一週間以上空いてしまった。北陸、宮城・山形と遠出が2週続き土日は休みとしたからだが、疲れも取れ、近くに歩く先を探した。以前予定したが省略してしまった九段にある筑土神社を思い出した。それに手許の資料から、飯田橋駅に近い東京大神宮、そして筑土八幡宮を加えた。靖国神社はコース途中にある。歩き足りないなら、小石川後楽園もと欲張った。スタートは三田線神保町駅である。

千代田区筑土神社へ 神田神保町駅に降り九段へ向け靖国通りをスタート。直ぐ俎橋で、中学修学旅行の時、ガイドさんが橋名とその右奥が専修大学と案内してくれた。同大では友人が現在も私と同じ分野を講義しているし、今春から孫がお世話になり身近になった。右手に筑土神社がある筈と案内板で確かめ、ビルの谷間にそれらしい屋根を見付け、裏側の鉄製階段を上がるとびっくり。立派な社殿はあるがビルに組み込まれ境内はなく参道もビル内(写真上)。平将門を祀り武道の神様で、江戸城の鎮守であったという。軽く参拝し、参道を出た。
九段の靖国神社境内は広い。参道を進みながら、上京して間もない頃、母と母方の祖父を案内したことがあった。最近、島倉千代子の”東京だよお母さん”を聴く度に思い出す。はとバスだったろうか。正面に建つ大村益次郎像は記憶にあった。参道両側の銀杏並木の黄葉が美しい。正殿前で黙礼し、飯田橋へ。
東京大神宮を探す 道端の案内図に次の東京大神宮を見付け、住宅街の隘路を左右に行く。千代田区内は案内図がしっかりしているようだ。角川ビルを目印にし右折すると正面に大神宮はあった。伊勢神宮の東京遙拝殿で、東京のお伊勢様と呼ばれるという。日比谷にあったが関東大震災で当地に移転したとある。平日なのに参拝者が多く、列の後に並ぶ。縁結びの神様のようで、若い女性が多い。私は、孫達の成長とぽんずの成仏をお願いした。
神楽坂から築土八幡 飯田橋駅へ方向を採ると、牛込見附跡の大石垣に出会う。見附跡は江戸城の四方に遺るが当見附は初めて。カメラに収め、濠を渡って新宿区へ入り外濠通りから神楽坂へ。料亭街で現在もチラホラ残り、坂は軽子坂。奥が築土八幡の筈と、大久保通りを渡り御殿坂を上がると右手に社殿が見え、目指す筑土八幡宮であった。江戸名所図絵登載の古社だが、小さな神社。誰もいない境内に1人詣で、正面石段を降りた(写真下)。飯田橋駅が近いが、三田線春日駅へ出ようと水道橋方向へ歩き始める。前方に後楽園遊園地の高い遊技施設が見え始めたが、意外に距離がある。右手にある小石川後楽園には寄らずそのまま駅へ直行。一本通りが違い、やや疲れが出始めた頃春日駅入口に着いた。(2016/12/24 K.K. 1075/1100)

○日時 2016/12/8 ○天候 晴 ○交通費 シルバーパス ○資料 山川出版社「東京都の歴史散歩・中」1999年16頁 ○徒歩距離 8km 12,000歩
「通過時間等」自宅9:45-三田線神保町駅10:25=築土神社10:40=靖国神社11:00=東京大神宮11:20=牛込見付け跡11:35=筑土八幡宮11:50=三田線春日駅12:20-自宅12:50
故郷の読者歌人Sさんの専門誌掲載の短歌です。「女に似合ふ手仕事をもてと諭しくれし棟梁の父を誇らしく語る」同じく読者美容師のAさんを詠んだものです。

宮城北部に有壁宿、伊豆沼を訪ねる

故郷東根へ帰る用事が出来た。折良く、JR東日本大人の休日パス利用期間と重なった。時間はあり、前後に何処へ回ろうかと色々候補先を物色したが、以前から気になっていたJR東北線沿線にある宮城北部の有壁宿、そして白鳥到来の伊豆沼とした。仙台へ出て、同級生Aさんと夕食を期待しメールしたが、不都合と前日返信があった。  
奥州街道有壁宿本陣へ 東北新幹線を一関駅に降り、東北線上りを待ち、隣宮城の有壁宿情報を得ようとしたが、県が違い駅案内所にはなかった。有壁駅は無人駅で、案内図もない。駅前商店で本陣への経路を聞き、橋を渡り川沿いを行く。川面には氷が見え、当地は寒さが厳しい。直ぐ元本陣で、古いが立派な旅籠風木造建物が、道路に沿って建ち往時の儘(1744(延享元)年改築)遺っていた(写真上)。前は奥州街道。参勤交代で松前や八戸、盛岡藩主達が宿泊し、明治期には明治天皇が休息されたとある。御成門はその後開かずの門という。保存に感謝しながら、カメラに収めた。裏へ回ると大きなお屋敷で、現在もお住まいのよう。本陣以外は宿跡を示すものはなく、山裾の農村地帯。川向かいに酒屋があり荻野酒造で、今時赤煉瓦煙突が珍しい。清酒小瓶を求め、駅へ戻り列車を待った。
 白鳥達が遊ぶ伊豆沼 伊豆沼最寄り駅は新田駅。手前から右手に沼が見え始めた。当沼は渡り鳥白鳥の越冬の湖沼で、私が知る程有名。大分前に湿地保全のラムサール条約に登録されている。小さな田舎駅を出て、踏切を渡ると目の前が伊豆沼。先ずは展示館で情報を収集しようと入館する。写真が主で、2階から沼を眺めると、意外に大きな沼。鳥達も見えるが遠い。パンフの類はなく、沼へ。手前の土手下に小さな鳥達が集まり、餌を強請っている様子。本日は土曜日で、それなりの見物客がいる。鳥達は馴れていて土手まで這い上がって来た。鴨や雁のようだ。
奥へ進み、大沼の土手へ。いたいた白鳥達が。広い湖面の中央、左手、そして右手と三箇所に分かれ、浮いている。シベリア方面でもそれぞれ生存地が違い、仲間ではないのだろうか。私のデジカメでは届かない。1人、右へ土手道を進み、白鳥達へ知られないように近付く。幸いに未だ距離があり、湖面で遊び、飛翔し、独特の鳴き声を上げている(写真下)。シャッターを2,3度切り、携帯も取り出した。時計を見て新田駅へ。また一関駅へ戻ることにした。
晩秋のみちのく路の思い出 車窓から当地・現栗原市の田園風景を眺め、遠い小学5,6年の頃を思い出した。当時、毎年10月末から一週間掛け都道府県対抗の青森東京間駅伝があり、毎朝新聞で山形県チームの成績を楽しみにしていた。その4日目がみちのく路一関仙台間で、国道4号沿いに広がる晩秋の穀倉地帯を走る写真が掲載された。目の前の風景がそのよう。山形県の成績は芳しくなかった。青東駅伝が廃止されて久しい。遠戚の方が走ったようで、母の法事の時従兄弟に聞いたことがある。明日、母の7回忌だが、我々だけと兄から連絡があった。仙台、山形を経由しさくらんぼ東根駅に降りると兄が迎えに出てくれていた。(2016/12/19 K.K. 1074/1100)

○日時 2016/11/26 ○天候 晴 ○交通費 15,000円 ○徒歩距離 9km 13,000歩
「通過時間等」自宅7:50-JR上野駅8:54-同一関駅11:54-同有壁駅12:00=有壁宿12:10=JR有壁駅12:50-同新田駅13:11=伊豆沼13:20=JR新田駅14:05-同一関駅14:48-同仙台駅16:00-同山形駅17:54-さくらんぼ東根駅18:25-実家18:40

散っていた光が丘公園銀杏並木

新聞から光が丘公園銀杏の黄葉が見頃と知った(16.11.14朝日夕刊)。甲州街道高尾や神宮外苑並木通りで黄金色に染まった銀杏並木を見て、是非訪ねたいと思ったが、直ぐ北陸行きがあり遅くなった。自宅周辺の銀杏は未だ黄葉の儘で、間に合うだろうと出掛けた。新ハイキング誌から練馬中央部散策コースを探し、最後に光が丘公園へとした。

コースポイントを外す 前半は、西武池袋線富士見台駅スタートの練馬市街地歩き。これまで市街地歩きでは道を間違えることが多く、特に都内散策では苦労している。そんな予感がした。今回は、光が丘公園の銀杏並木が目当てで、その前の練馬区内歩きはコース通りでなくとも構わないだろうと駅前を出発。
早速その通りとなった。最初のポイントは目白通りを渡った地の北真教会だが、消防署の近くとあり探したが見付からないまま石神井川へ出てしまった。川沿いに戻り、橋を渡ると横丁の奥に神社が見えた。次のポイント八幡神社であった。軽く参拝し、環状8号線高架下から富士大山道を目指すが、何となく道一本手前と感じ、迂回したら谷原延命地蔵があった。コースポイントで、どうにかコースを取り戻し、富士大山道を進む。
豪邸の薬医門へ 大きな交差点へ出て、谷原の陸橋を渡る。ポイントの増島家薬医門へ到達すべく30分程ウロウロしたあげく尋ねたら、全然方向が違っていた。私は、笹目通りを渡ったと思っていたが、目白通りで位置も、方向も間違っていた。目印の一つとした塔も見違えていた。手許マップの地名と、現地名をチェックしどうにか薬医門前へ出た(写真上)。当地は練馬区内だが農家集落の雰囲気が残る地域。屋敷前には撓に稔った柿畑がある。増島家は当地の豪農だったのだろう。同姓の豪邸屋敷が三軒も並んでいた。
 終わっていた銀杏の黄葉 ここからはコース通りに歩き、光が丘団地前から公園へと急ぐ。以前周囲を通ったことはあるが入園は初めて。米軍のグランドハイツがあった地で、未整備の頃に来たかもしれない。団地から意外に距離があった。園内は広く、モミジ紅葉の下人出があり、家族連れは子供と遊び、昼食を楽しんでいるよう。管理棟で園パンフを貰い、銀杏並木を教えて貰うと、もう遅いと言われた。直ぐ見付かったが葉を落としている中(写真下)、僅かに残す樹を選んでは見上げ、シャッターを切った。来訪が遅れたから仕方ない。成増駅へ出ようと北口へ行くと、猫と遊ぶ男性を見掛けた。野良猫だろうか。ぽんずを思い出してしまった。バスを乗り継ぎ約1時間遅れで、高島平へ帰った。私は、都内の市街地歩きは不得意で、また予想が当たってしまった。 (2016/12/15 K.K. 1073/1100)

○日時 2016/11/23 ○天候 曇り ○交通費 360円 ○資料 植村三郎「練馬区中央部を散策」新ハイキング614号124頁 ○徒歩距離 16km 22,000歩
「通過時間等」自宅9:55-JR巣鴨駅10:30-西武池袋駅10:44-同富士見台駅11:10=八幡神社11:30=谷原延命地蔵11:55=増島家薬医門12:55=光が丘公園13:20=同北口13:50=東武成増駅バス停14:10-自宅14:85

辿り着けなかった能登金剛海岸

北陸旅行2日目、またフリーコースを選び能登金剛行きを予定し色々調べたが、アクセス情報が不確かで自信が持てない。地図もない。取り敢えず、幹事設定コースに入れて貰い、バスで山代温泉から東尋坊へ行き、三国港に寄り加賀温泉駅から和倉温泉へと特急に乗車した。その夜宴会時、顔なじみの添乗員に話したら、JR七尾線羽咋駅前からバスで牛下バス停下車と、時間まで教えてくれた。流石旅行会社である。

荒れた能登海岸をウロウロ 3日目、幹事に独自行動と断りを入れ、羽咋駅前から乗ったバスを牛下(羽咋郡志賀町)に降りた。運転手は後と指さしてくれた。先程駅で案内板を見て、牛下は能登金剛の真ん中と思い、直ぐ後ろの下が目指す海岸と急な荒れた小径を下り海岸へと出た。遊歩道はなく、海岸も石、岩そして漂流ゴミの類。前方に小さな岩峰の島があり(写真上)、そちらへ行けば開けるのだろうと甘く考え前進。踏み跡も消え、野蔓に引っ掛かりよろめく始末。違うなと思い始めたが、戻るに戻れない。遂に断崖下となり前にも進めず、上の舗道にも出られない地点となった。仕方なく戻って大回りし、舗道バス通りへ上がった。
能登金剛は先の筈と舗道の端を北へ行くも、金剛の海岸らしき風景はない。既に帰りのバス時間には20分を切った。諦めUターンすると頭上の交通標識が目に入り、厳門は右先とある。金剛海岸の名所の一つであるが、もう遅かった。運転手が指していたのはもっと後だったのだ。北先にある松本清張作”ゼロの焦点”の舞台ヤセの断崖が頭にあり、混乱と思い込みで、無駄な歩きをし時間を費やしてしまい、能登金剛の一部にも触れることも出来なかった。能登半島なら金剛へと勧めてくれた旧同僚に、何やってんのと笑われそうだ。残念、事前に現地の地図を入手出来なかったのが致命傷であった。
東尋坊を眺める 前日のコースの最初は東尋坊であった。同地は二度目だが記憶は薄い。朝からの小雨も止み、売店通りから岬へ出て、高い岩が切り立ち狭い入江を形成する断崖を眺める。海は穏やか。確かに眺めは良いが、スケール感がないなとそんなことを想いながら、シャッターを切り、歩いては断崖を眺め、小さな入江を見下ろす。前回は海岸縁の岩場まで下りられたと思うが。観光船も浮かび、通路も整備されているようで、あれから20数年も経っている。崖上の遊歩道を左手へ進むと、松林も、黒松。そして、樹下一面に咲く花は、ツワブキの黄花。いずれも私の好みのもので、カメラに収め、一枚は、海を入れたアングルとした(写真下)。売店で買い物をし、バスで三国港に寄り、北陸本線加賀温泉駅から特急に乗車。港で渡されたカニ弁を食べながら和倉温泉へと向かった。(2016/12/12 K.K. 1072/1100)

○日時 2016/11/20 ○天候 曇り ○現地交通費 3,340円 ○資料 「石川県まるごと観光マップ」 ○徒歩距離 9km 13,000歩
「通過時間等」宿泊先7:40-JR和倉駅8:01-同羽咋駅9:20-牛下バス停10:15=牛下海岸10:25/11:00=牛下バス停11:36-JR羽咋駅12:55-同金沢駅14:20-同上野駅17:20-三田線巣鴨駅宿17:35-自宅18:05

北陸越前に大野城跡を訪ねる

以前から越前大野城跡は注目していた。最近霧に浮かぶ天空の城として紹介されているが、私には城跡見学が先である。しかし、北陸福井の山中大野は遠く、中々機会が来ないと思っていたら、事務所旅行が今年は北陸で、小松空港行き航空便で北陸へ入るという。これはチャンスと初日は自由行動を希望し、アクセスを調べ準備した。

バスで越前大野へ 小松空港からJR福井駅行きバスに乗車。 同駅からJR越美北線の予定であるが、発車まで約1時間あり、立ち寄った駅前案内所で5分後にバスがあると教えて貰う。見学時間が増えると急遽バスに変更。当地は二度目で、数年前、大野市手前の一乗谷朝倉館を訪ねた時も往きは福井駅からバスであった(11.5.21)。郊外から山中を進みバスが山を抜けると、目の前に盆地が広がった。遠野市や高山市、栃木烏山でも似たような風景に出会ったことを思い出した。大野市中心でバスを降り、城跡のある亀山を確かめる。通りには商店街が形成され当地方の中心なのだろう。亀山麓の柳廼社(やなぎのやしろ、後に藩主土井利忠を祀ったと知る)境内から山上の城(写真上)を目指す。
大野城、大野藩史 大野城は、戦国期の1580(天正8)年、信長より当地を拝領した金森長近が築城した平山城。明治になって取り壊されたが、1968年鉄筋コンクリートで再建された模擬天守という。見所は石垣で、築城当時の儘で野面積みとある。紅葉が混じる林の中坂を上がると石垣が現れ出した。天守閣下に着き、やはり石垣は不揃いで野面積み(写真中)。見上げてカメラに収めた。この石垣は金森時代のもののようで、崩れず500年も持つとは凄い。二層三階の天守内は史料館だが、先ずは360度展望の最上階で、山に囲まれた大野市内を眺める。展示資料を観て驚いた。江戸期初期より、大老の土井利勝の子孫が4万石で藩主を承継し、後期の土井利忠時代には、藩校洋学館を設置し蘭学から西洋医学を講じて諸藩より勉学に多くの者が来藩し、物資販売に江戸や大坂等に出店大野屋を設け、また幕末には大野丸という舟を建造し蝦夷との交易や樺太開拓にも乗り出したとある。先程坂の途中に帆船の石碑(写真下)がそれだった。江戸時代の越前も山奥の小藩のことである。これらの藩史を初めて知り、藩主の識見の高さにビックリし、感心である。
越美北線で宿泊先へ 小さな天守閣を出て、また石垣を眺めながら天守台を一回りし、防火用水お福池から坂を下ると藩主土井利忠の銅像が建っていた。大野丸石碑前を過ぎて百軒坂を降り、藩庁跡・現グランドへ出た。バスのお陰で、当地見学時間に余裕が出来、近くにある日本100名水御清水に寄り、横道へ入り歩くと、江戸から続くような商店造りの店が並んでいた。
越美北線大野駅から福井駅経由で、今夜の宿泊先山代温泉へ向かった。     (2016/12/05 K.K. 1071/1100)

○日時 2016/11/18 ○天候 晴 ○現地交通費 4,310円 ○資料 東京堂出版「城郭みどころ事典・東国編 越前大野城」2003年220頁 ○徒歩距離 9km 13,000歩
「通過時間等」自宅7:10-羽田空港9:26-小松空港10:55-福井駅前12:05-大野市六間通り13:05=柳廼社13:15=天守閣13:30=百間坂14:05=御清水14:20=JR大野駅15:18-同福井駅16:12-同加賀温泉駅17:00-宿泊先17:20

大野山に登り大富士を眺める

大野山に登った。丹沢山系端の南西にある低山(723m)だが富士展望の山として知られる。厚木在の読者Kさんからも、良かったと聞いた。手許のガイドの多くに掲載され、初心者向けの山とある。以前からノミネートし、弟と数回予定したが、雨や用事で延び延びになっていた。ようやく実行に至った。

変化に富んだ山道を上がる 大野山は小田急線新松田駅からバス。予想に反しバスはガラガラ。途中、山北駅から歩いているハイカーが見えた。登山口に降りスタート。標識に従い集落鍛冶屋敷へ入り、直ぐ急な坂である。旧共和小学校前へ上がると、正面に樹林越しに富士が見え、2人は早速カメラを出した。グランドには大勢の人出がありゲートボール大会のようだ。市間分岐を左へ行き大野山への山道となる。急坂、ヤセた尾根道、小さな岩場とあり中々の登山道。初心者向けとあったから気軽に考えていたが、そうでもない。肩幅程度の長いトラバース状の道となる。途中休憩を取り、水を補給した。林の間から左手先に頂上付近が覗け、そう遠くないことを知る。
山頂から大富士を 深い林を抜けると、一面カヤトの原野で、山頂一帯は高原牧場という。登山道はその端を一直線に上がる木段。休みを入れながら一歩一歩とこなす。弟も苦戦のようで、間が空いてしまった。上り切り肩へ出ると、目の前に丹沢の山々が広がった(写真上)。右端は山容から大山、そして塔の岳、丹沢山だろう。晴天下、秋色を帯びた山々は美しく、暫し展望を楽しむ。弟も追い付いて、牧場用舗道を山頂へ。犬くびり地点には駐車場もあり、車を降りた男女がスタスタと先行する後を、疲れた脚で最後の急坂を上がった。直ぐ先に大きな富士山があり、山頂広場では多くのハイカーが眺めている。箱根の山から見る富士と同じである。我々もザックを置いて、雲の切れるのを待ちながら、富士にカメラを向けた(写真下)。弟は場所やアングルを選びながら、シャッターを切っている。
遠い谷峨駅 昼食後、御殿場線谷峨駅へ向け下山開始。70分とあり、近い。ススキ原の南斜面をジグザグを繰り返しながら高度を下げる。鹿除けフェンスから舗道へ出て、林の中を下り続けて頼朝桜。現木は数代経ていることは疑いない。集落を抜けると左右へ振れる下りの大曲が連続する車道。東名高速の下で、時計を見ると70分は過ぎたが、駅手前の酒匂川も見えない。我々の歩きは早くないことは確かだが、そう遅いとも思っていない。川面が見え出し、傍の紅葉が深紅で綺麗だ。橋を渡り田圃から国道246号へ上がるとようやく谷峨駅で、100分近く経過していた。大野山は私には久しぶりの山歩きらしいハイキング先であった。(2016/12/02 K.K. 1070/1100)

○日時 2016/11/13 ○天候 晴 ○交通費 2,330円 ○資料 山と渓谷社「首都圏ハイキング 大野山」1999秋冬号74頁 ○徒歩距離 17km 23,000歩
「通過時間等」自宅7:25-JR巣鴨駅7:57-小田急新宿駅8:10-同新松田駅前9:50-大野山登山口10:20=旧共和小学校10:40=山道入口10:50=休憩11:15=大野山肩12:00=大野山山頂(昼食)12:15/12:50=フェンス口13:25=頼朝桜13:50=JR谷峨駅14:38-小田急新松田駅15:01-都営新宿線新宿駅16:29-三田線神保町駅16:40-自宅17:20

大宮西部に清河寺から三貫清水を歩く

購読誌「新ハイキング」誌に、”三貫清水緑地-花の丘農林公苑”を見付けた。隣の埼玉大宮西部で近く、しかも駅から歩けるコースである。花の丘はサルビア鑑賞に訪ねたことがある(08.10.7)が、三貫清水に惹かれた。太田道灌が狩りに訪れた時、当清水から汲んだ水で茶を点てて出した処、とても美味いと三貫文の褒美をくれたことに由来するらしい。この話しがまた興味を注いだ。

見付からない清河寺 スタート地JR川越線西大宮駅は、我が家から約1時間で、予定通り。同駅は初めての乗降で存在も知らなかった。寒さ対策を準備したが、本日は寒さは感じない。最初のコースポイント大塚古墳は駅から直ぐの右手に見付かる。小山をカメラに収め、次の清河寺(セイガンジ)を目指し新興住宅街を進む。六差路を越し左手が寺の筈だか中々現れない。清河寺団地に至り、この中かと踏み込んだが寺らしき建物は見当たらない。通り越した林の裏かと戻って回ると、見付かった。
足利尊氏が、病気を治してくれた亡兄の為に建立した古刹という。現在では、清楚でシンプルな本堂(写真上)、軽く頭を下げ境内を出ると清掃中の住職がおられて、御用はと問われ、散策中と答えた。序でに県指定の大欅を教えて貰った。隣の林の端に樹齢650年の大木は聳えていた。見上げてシャッターを切り、花の丘農林公苑へ向かう。
国道17号を渡り、いつもの山勘と当てずっぽうで農道、畦道を通り正規のゲートではない横の柵の間からから公苑へ辿り着いた。秋桜を期待したがなく、他に咲く花も少ない。昼食予定の苑内レストランは改築のため閉鎖中。管理棟でパンを求め昼食をする。当苑は二度目だが、苑自体も見覚えがなく、各施設の位置も不明。
三貫清水を探し当てる いよいよ三貫清水へ。隣の戸崎の浅間塚を見て、ようやく再訪を実感した。当塚は、大宮を越え上尾市にあり、前回記録を見た上尾に住む従姉妹に寄ってくれといわれたことを思い出した。行き過ぎを戻り、また行き止まりに出会い、ようやく目印の聖学院大学の位置が分かった。大学の先で鴨川を渡り、田圃越しの林の中に清水はあった。その前を通る道が往時の鎌倉街道らしい。
現在では、清水ではなくやや綺麗な古池(写真下)。開発は免れたが、近くまで住宅が迫り止むを得ない。三貫文は現在50万円相当という。今夏、磐梯高原で百貫清水に出会ったが、大分価値が違うが時代の差か。池をカメラに収め、ゴールのJR宮原駅へ。途中、前回花の丘農林公苑を訪ねた時見た豪農大邸宅前をまた通った。庭に聳える欅は、先程眺めた清河寺の欅より太いように見えた。(2016/11/30 K.K. 1069/1100)

○日時 2016/11/10 ○天候 曇り ○交通費 930円 ○資料 宇山清太郎「三貫清水緑地-花の丘農林公苑」新ハイキング725号120頁 ○徒歩距離 15km 20,000歩
「通過時間等」自宅9:55-JR板橋10:23-同西大宮駅11:10=大塚古墳11:05=清河寺12:05=同大欅12:10=花の苑農林公苑12:30/12:55=戸塚浅間塚13:00=三貫清水13:30=JR宮原駅14:08-同赤羽駅14:32-三田線新板橋駅14:58-自宅15:25

車で栃木山奥に尚仁沢湧水を探す

我が記録の読者Sさんから、交通アクセスの悪いハイキング先は車を出しても良いとの話しを戴いた。有り難い話しで、確かに1000回を超えた現在では、首都圏では交通の便が悪い山や谷、城跡等が残り、手を拱いている。そんな先は十指に余り、その一つに栃木塩谷山奥の尚仁沢湧水がある。日本100名水に選ばれ、テレビで観てチェックしたら東北線矢板駅からバスのようだが、ネットでは見付からない。Sさんにお願いした。

高速道路から塩谷尚仁沢へ 浦和付近から高速に入り、東北自動車道を順調に走った。日曜日朝の下りは車は多くはない。一時事故渋滞でスピードが落ちたが、直ぐ回復し、矢板インターを降り、車は山中を進む。私は地図をコピーして来たが、カーナビは正確で、着実に目的地へ誘導するとSさん。その通りで、栃木塩谷の山奥の道を右へ左へとぐんぐん行く。放射性廃棄物処理場反対の看板が見え出し、目指す湧水の地が近いと知る。車が止まり、湧水入口の駐車場であった。出発してジャスト2時間。電車であれば、未だ宇都宮手前辺りであろう。
立て看案内図で湧水地を確かめ、ザックを背負いスタート。30分先とあり、意外に距離がないと知る。ネットでは不明であった。山中の谷川尚仁沢の周囲は紅葉が始まっている。熊注意の標識にザックに付けた鈴を鳴らしたが音は小さい。歩きやすい道も堰堤先で終わり、険しい崖上り。越して吊り橋を渡り尚仁沢の右岸を行く(写真上)。広い谷川で水量も多く、湧水とは結び付かない。道はなく目印のリボンに沿って踏み跡を辿る。Sさんは多分ハイキングには縁がないと思うが、私の後に付いている。また小さな岩場を上下すると湧水の入口で、板橋で歩道が作られていた。
噴出する大量の湧水に驚く 山腹から数列の清水が勢いよく噴出している。私は、清里の吐竜の滝を思い出した。湧水の源泉は別にあった。先でザックを下ろし、小沢に近づいてびっくり。目の前を沢水は流れているが沢は途切れ上方には続いていない。底から渾々と湧き、水を大量に噴出している(写真左)。それが小沢となって流れているのだ。ここが源泉と分かり、慌ててSさんを呼んだ。彼も湧き出す水量には驚いた様子。カメラに収めたが、上手く捉えられたか。資料には日量6,500トンとあるが見当が付かない。水温は年間通して11度前後という。私は、ペットボトル2本に湧水を汲んだ。当湧水は一支流で、尚仁沢の源流はなお奥の釈迦ケ岳である。源泉地から、また右手に吐竜群を眺めて、Uターン。約30分で、駐車場に戻り、ザックからペットボトルを出し、車のトランクへ。思った程重くはなく運べた。
Sさんに感謝 先の東荒川ダムサイトにある尚仁沢はーとらんどへ。道の駅風の施設で、2人で昼食を取り、買い物をした。山奥なのに客は多い。皆車なのだろう。
我々は、また高速を走り、同じく2時間で高島平に着いた。Sさん有り難うございました。本当にお世話様でした。お陰様で、山奥の有名湧水を訪ね探して、昨夜も名水でウィスキーを楽しむことが出来ました。(2016/11/24 K.K. 1068/1100)

○日時 2016/11/6 ○天候 曇り ○資料 塩谷町観光協会「塩谷町 尚仁沢湧水」2015.07版 ○徒歩距離 5km 7,000歩
「通過時間等」高島平待合場所7:55-尚仁沢駐車場9:55=吊り橋10:10=湧水地10:25/10:40=吊り橋11:00=尚仁沢駐車場11:15-尚仁沢はーとらんど(昼食)11:25/11:45-高島平13:45

山中城跡を再訪し広い城跡を巡る

私のハイキング候補リストに山中城跡がある。同城跡は一度訪ねて(93.2.27)、現在でも少しは記憶にある。何故リストアップしたかは不明だが、記録に残していないことは確か。特に最近は、箱根へ泊まった時は是非脚を伸ばそうと思っていた。お城好き落語家春風亭昇太が書いた山中城レポート(JR東日本「大人の休日倶楽部」掲載)を見て拍車が掛かった。そのチャンスが来た。

箱根から山中城跡へ 宿泊先からバスを二度乗り継いで三島行きに乗り、国道1号にある山中城バス停に降りた。雨は落ちていないが風がある。前回のように箱根峠から旧東海道を歩くことも考えたが、雨の予報にバスにした。反対側に城跡標柱を見付け荒れ野の道へ。一度道が途切れ畦を通らせて貰い、城跡へと入った。西櫓跡付近のようで、時計回りに進む。左手には富士ある筈だが本日はお姿はない。右下は本城特有の畝壕跡が美しい(写真上)。畝がくっきりと見え、最近整備されたようだ。敵を壕中で討ち取る防御施設で、畝壕や障子壕は北條独自の形態といわれる。今年私が訪ねた松戸小金城や山北河村城も採用し、北條系を示していた。石垣はなく土塁と壕のみである。カメラに収め前進。一度階段を上がると広い西の丸跡だが低い土塁に囲まれているに過ぎない。見学者もチラホラ。戻って林の中を行き北の丸跡。木橋を渡って天守台跡、そして本丸跡。その右手に木橋が架かり二の丸跡。また畝壕で仕切られている。本丸傍には矢立の杉が聳えるが近付けない。先程来風はなく寒さは緩んでいる。
本城の歴史 山中城は、戦国末期1560(永禄3)年小田原北條氏が西の最前線防衛拠点として箱根の先に築城した。その後秀吉の小田原征伐が現実となり、氏政は本城を整備強化し、岱崎出丸を増設していたが未完成の儘、1590(天正18)年秀吉軍を迎えてしまった。秀次を総大将とする4万の大軍に4千で抗したが、僅か半日で落ちてしまったという。緒戦を失い、北條氏滅亡への第一歩となったことは有名だ。激戦で、城将松田康長、副城将間宮康俊、そして秀吉方武将一柳直末が命を落とした。
岱崎出丸見学 本丸下の駒形諏訪神社に詣でた後、城跡内を貫通する国道へ出て、宗閑寺に寄る。浄土宗の本寺は戦死者を弔うため建立され、左手に敵味方双方の古いお墓が並んでいた。国道を渡って、岱崎出丸へ。前回は見逃したと思う。西方へ細長い出丸の先はすり鉢曲輪跡で(写真左)、戦闘は当曲輪から始まったとある。現在では芝生で覆われた窪地には、そのような痕跡は一切見当たらない。馬場曲輪跡を通って戻り、途中三島へ下る旧東海道を覗いて、バス停で箱根元町行きバス時刻を確かめた。 (2016/11/22 K.K. 1067/1100)

○日時 2016/10/30 ○天候 曇り ○交通費 4,560円 ○資料 小学館「城郭と城下町3 東海」173頁、昭和62年9月 ○徒歩距離 9km 12,000歩
「通過時間等」箱根宿泊先8:30-仙石原8:36-宮の下8:55-箱根町9:28-山中城跡バス停9:45=西櫓跡9:55=北の丸跡10:10=宗閑寺10:25=岱崎出丸すり鉢曲輪跡10:50=山中城跡バス停11:20-元箱根港バス停11:50-小田急湯本駅12:26-都営新宿線新宿駅14:29-三田線神保町駅14:45-自宅15:20

大門坂から那智大社、速玉大社を巡る

本州最南端串本温泉に宿泊した。目の前が大島であった。本日はツアー最終日で、熊野三山の二社に詣でて帰路になる。予報では雨模様とあったが、曇り空も降りそうには見えない。昨日熊野古道中辺路を歩いた疲れも出ず、Kさんも、私も未だ元気である。若くはないのに、温泉や麦酒、そして早寝が利いているのかもしれない。

大門坂の夫婦杉に再会 ホテルを8時出発し、海岸縁を走り紀伊勝浦から熊野那智大社下大門坂手前の駐車場に着き準備してスタート。当地は再訪で、前回は大社から大門坂石段を下ったのであった(06.9.9)。何となく見覚えのある地で、大通りから古道口へ入り家並みの間の古道を進むと大門坂下で、杉の大木二本の夫婦杉が門のように聳えている(写真右)。熊野古道の象徴のような樹齢800年の古杉で、パンフの表紙写真にも良く見る。私は再会で本当に太いと実感し、カメラに収めた。杉並木が続く石畳や石段は苔むし古道の雰囲気十分で、ハイライトの地。本日も、現地ガイドが案内し説明付だが、上がっては止まって話しを聞くのを繰り返し、坂道歩きのペースがつかめない。先行してみたが、集団行動を乱すのは良くないと気付いた。中間地点付近から右手に那智の滝が見えた。杉並木は江戸期に徳川吉宗が植え、また明治期南方熊楠が伐採に反対し保存されたとガイドが教えてくれた。
那智大社、那智の滝 大門坂石段を上がり門前の土産店通り。左手の店で、那智黒の硯と数珠を求めたことを思い出した。先日の法事で数珠は出したろうか。那智黒の原産地は当地ではないとガイドがばらしてしまった。大社に参拝したが記憶にない。熊野夫須美大神を祀るという。隣が信長が焼き秀吉再建の青岸渡寺。明治前は神仏混淆でその名残という。境内展望台より三重塔とその先に細く流れ落ちる滝を見た(写真下)。観光客は多く隣国からの人達もいる。坂を下り滝下へ。Kさんは滝壺見学に参加したが、私は休憩。
速玉大社に詣でて帰路へ 昼食後バスで、新宮市の熊野速玉大社へ。こちらは、市街地に組み込まれた大社。境内も広くはなく、朱色の社殿で、熊野速玉大神を祀る中央神殿に参拝。これで、熊野三山満願か。ぽんずの居ない現在では、孫達の健やかな成長を望むだけ。
14時前にバスは帰途に入り名古屋へ向けたが、新幹線に間に合うか。添乗員も道路の込み具合次第と頼りない。和歌山、三重、そして愛知名古屋と飛ばしに飛ばし、乗車1時間以上前に名古屋駅に着く。Kさんと駅構内で、夕食兼反省会と麦酒で乾杯。名古屋コーチンの焼き鳥、味噌カツを肴にした。私は、中辺路は完踏したいと思うに至ったと話したら、南紀白浜空港があり航路利用なら一泊で可能かもとKさん。新幹線車内でも、ツアーメンバーに戴いた串本の地酒を2人で飲み続けた。Kさんお世話様でした。(2016/11/16 K.K. 1066/1100)

○日時 2016/10/22 ○天候 曇り ○ツアー参加費 20,000円(1/3) ○資料 和歌山県観光連盟「紀伊山地の霊場と参詣道」H20.6 ○徒歩距離 9km 13,000歩
「通過時間等」串本温泉宿泊先8:00-大門坂駐車場9:05=大門坂下口9:20=大門坂上9:55=熊野那智大社10:15=青岸渡寺10:40=那智の滝11:20-昼食12:10/12:55-熊野速玉大社13:30-JR名古屋駅19:56-同東京駅22:47-三田線巣鴨駅23:16-自宅23:45

熊野古道中辺路を歩く

紀伊みなべ温泉を8時に出発。いよいよ熊野古道中辺路ハイキングで、予定では、滝尻王子に寄り、前半は牛馬童子から近露王子、後半は発心門王子から熊野本宮大社、大斎原へバスで移動しながら歩く。全コース歩き通したいがツアー参加では止むを得ない。しかも初心者コースである。Kさんも準備怠りない。

 滝尻王子へ バスは海岸通りから紀伊山地へ向け富田川沿いに走る。中辺路に入り、車窓からも稲葉根王子等が窺えた。王子は、神や仏の像を祀った巡礼路の中継地で、位置や距離を示し休憩ポイントで、99あるという。中辺路の滝尻王子に着き、バスを降り参拝し、展示館を見学してガイドから熊野古道の説明を受けた。滝尻王子は事前に資料から何回もチェックした中辺路の中心ポイント。多くはここから歩くが、我々は更に奥へバスで入り、牛馬童子口から古道を歩く。
箸折峠を越す ガイドに案内され箸折峠コースに取り付き、牛馬童子口から杉林の中の狭い山道を上がると旧道と交わり広い道となる。杉林の中を進む一行は、テレビで観る古道のシーンのようではあるが今一雰囲気が違う気がする(写真上)。一里塚を過ぎ峠上へ出て、牛馬童子。牛と馬が横に並んだ石像があった。石畳もある峠を下る。ガイドの話では、このコースは楽な姫コースと呼ばれ、省略した滝尻王子からは急登が連続し10km歩くのに5時間も掛かる難コースという。私の調べでは少しオーバーかと思う。峠から日置川の橋を渡って近露王子であった。
 発心門王子から本宮大社へ 車内でお握りを食べ、バスで先回りし発心門王子から再び歩くという古道のキセル。我々が省略したのは山中の古道で(写真中)、ここから本宮大社へは下りの道という。水呑王子を経て山村風景を眺めながら伏拝王子で休憩。当王子は大社社殿が見下ろせ拝んだ地という。また杉林の山中を下り続ける。我が一行の約7割は熟年女性。元気があり先頭を行くが、残りの男性群は最後尾に付いている。山を下り祓戸王子で、直ぐ本宮大社。家津美御子(ケツミミコ)大神を祀る本殿の外、神殿が並ぶ(写真下)。熊野三山の代表で、平安時代から皇族や貴族達を参詣に駆り立てた総本山。京都から33回も詣でた上皇もいたという。深い紀伊山中を巡礼し聖地に辿り着き、自ら再生を求めたらしい。私も本殿から参拝し、家族の健康等をお願いする。境内は古道と違い人出もあり、参道石段を降りると広い門前町であった。
本宮大社と熊野川 日本一の鳥居下から大斎原へ。本宮大社は当地にあったが、1889(明治22)年の大水害で流され、現在地に移築されたと知る。直ぐ隣を熊野川が流れ元中州内。ガイドは、源流は大台ヶ原で、日本で屋久島の次に年間雨量が多い山と説明。皇族達は川を利用し次の速玉大社へは舟で下ったという。歩き終えバスで今夜の宿、串本へ。車窓から熊野川が見え、現在はほんの一部を流れるが、広い石の河原からは大雨時、増水し激流が走るのが窺える。串本温泉に浸かり、Kさんと麦酒を戴き最終日に備えた。(2016/11/08 K.K 1065/1100.)

○日時 2016/10/21 ○天候 晴 ○ツアー参加費 20,000円(1/3) ○資料 JTBハブリッシング「紀伊熊野古道をあるく」2009年4月 ○徒歩距離 16km 22,000歩、「通過時間等」紀伊みなべ温泉8:00-滝尻王子9:00/9:40-牛馬童子口10:00=一里塚10:10=箸折峠10:30=近露王子11:05-(昼食)-発心門王子12:15=水呑王子12:55=伏拝王子13:50=熊野本宮大社15:30=大斎原16:00=バス駐車場16:30-串本温泉宿泊先18:00

熊野古道を歩く前に高野山参詣

熊野古道ツアーに参加した。私の山歩き里歩きに相応しい古道を歩きたく、色々検討した%e7%86%8a%e9%87%8e%e5%8f%a4%e9%81%93%ef%bc%91が、紀伊山地は遠い上にアクセスが良くなく、電車利用では入山迄に1日を要する。一度下見的に大門坂から熊野那智大社を訪ね経験もした(06.9.9)。旅行会社の2泊3日ツアーを知り申し込んだ。新幹線からバス移動である。ハイク友Kさんも一緒してくれた。

バスで高野山へ ツアー初日は、高野山参詣。東京駅に7時集合し、新幹線こだまを三河安城駅に降りバス に乗り換え、愛知、三重、奈良と各県を高速道路で突っ走り和歌山県へ。かつらぎで休憩し、高野山山中に入った。山は深まり、坂は急になってカーブを増し赤い大門をチラッと見て、バイパスで中の橋に到着。4時間以上走った。一行30名、参道へ。杉並木の両側に石灯籠、供養塔が整然と並ぶ(写真上)。私は約40年振りの再訪でなんとなく記憶にある風景。この辺りは関西企業の供養塔が多い。奥へ進むに従い参道は狭まり太い老杉が聳える下には、大名前田家や松平家、淺野家等の供養塔が建つ(写真中)。真言宗総本山だが大師は宗派に拘らず受け入れそのような供養塔は多いという。家康の子松平忠輝家の石廟があり、その先には豊臣家、信長の墓所や供養塔があった。%e7%86%8a%e9%87%8e%e5%8f%a4%e9%81%93%ef%bc%92
故郷の城主里見家の墓発見 出羽最上里見家の墓所を見付けビックリ(写真下)。我が故郷東根の戦国期の城主が里見家。山形の最上義光に降り、最上家のお家騒動による取潰しに遭い阿波蜂須賀家へ預けられた筈。最後の城主里見景佐の霊堂は市内の菩提寺養源寺近くにあるのは知っている。高野山の墓は子孫が建立したのだろうか。カメラに収め軽く頭を下げた。
御廟橋を渡って奥の院。写真はダメと念を押された。正面の堂に詣でたが灯籠堂で、奥に約1000年燃え続けている燈火があると案内された。大師を祀る奥%e7%86%8a%e9%87%8e%e5%8f%a4%e9%81%93%ef%bc%93の院御廟はその裏にあった。念仏を唱えるご婦人達の間から、家内とぽんずの成仏と孫達の成長をお願いし直した。我が家でも先日法事を終えたばかり。戻る途中、御供所を見て思い出した。最初の時、丁度義父の一周忌直前で、供養に小さな塔婆を書いて貰ったのがここであったと思う。紅葉に囲まれた英霊堂前から中の橋へ戻り、離れた売店へ案内された後またバスに乗り、深い紀伊山中を走り続けた。
深い紀伊山地 高野山は戦国時代流罪先とされた。現在放映中の真田丸内だけでも、北條氏直、氏規、豊臣秀次、真田親子が当山へ流されている。当時は人の住まない寺だけの不便な山中で、脱出も不可能な地であったろう。しかし、山麓九度山に住んだ真田信繁は、脱出し大坂城へ入り、夏の陣では一時は家康を追い詰めたと伝えられる。近く放映されるであろう。そんなことを考えていると、バスは真っ暗な山中を紀伊みなべ温泉へ向け懸命に走っていた。(2016/11/03 K.K. 1064/1100)

○日時 2016/10/20 ○天候 晴 ○ツアー参加費 19,900円(1/3) ○資料 高野山宿坊教会外「聖山高野山」 ○徒歩距離 7km 10,000歩
「通過時間等」自宅5:50-JR東京駅7:26-同三河安城駅10:10-伊賀上野11:50-かつらぎ13:55-高野山中の橋14:50=奥の院15:45-金剛峯寺前16:50-龍の里18:10-紀伊みなべ温泉宿泊先19:25

奥武蔵に龍崖山を越し吾妻峽を巡る

今年は、特に山歩きが少ない。それらしいのは三国峠(16.7.17)のみで殆どが平地ハイキングである。来週の熊野古道ツアー参加を目前にし準備不足かもしれない。古道中辺路は山越えの難所も多いようで、泥縄だが不安を解消するため、低山でも歩き脚馴らしをしたい。今春歩いた飯能の里山朝日山(16.2.13)の先にある龍崖山を思い出した。
飯能から龍涯山へ 奥武蔵の入口飯能駅に降り、市内を抜け飯能河原に架かる割岩橋を%e5%90%be%e5%a6%bb%e5%b3%a1%ef%bc%91渡り、朝日山下へ出て、今回は右折。左手上にある三吉稲荷神社の石段を上がる。前回気になったが、個人が建立した神社とあり、簡単に挨拶しコースへ戻る。大通りへ出て、大河原から赤根峠の坂を上がり続ける。坂途中に龍崖山公園入口があり公園内へ。そして奥に登山口が見付かった。龍崖山の前に燧山があると知る。林の中の山道を進み一旦平らな地へ上がるが案内はない。次のピークも燧山ではなかった。下りに入り、小さな狭間を渡ってまた山に取り付き、展望のない山道を進む。ようやく左手に展望が開け、好天下奥多摩の山々が美しい(写真上)。傍の小さな頂が燧山(234m)とあった。
小ピーク二つ越す また下りとなり小狭間からジグザグの山道となる。富士展望台の分岐があるが山頂へ直進。小さな岩の間を上がると龍崖山(246m)であった。山頂は広く、飯能から川越方面は遠望も利き、スカイツリーの案内もあるが確認出来ない。裏側に見える住宅街は何処かは不明。富士山側は高い樹木が遮っている。誰もいない山頂ベンチで、遅い昼食を取る。
腰を上げ、八耳堂から吾妻峽側へ下山開始。急だが道は良く、ゆっくりと下る。作業中の方がいて挨拶を交わし、ロープのある急坂に入る。難なく下り軍太利神社から八耳堂。聖徳太子を祀ったお堂とある。里に佇む社を見て、一度訪ねたことを思い出した。反対側の多峯%e5%90%be%e5%a6%bb%e5%b3%a1%ef%bc%92主山から名栗川を渡り当地へ寄ったのであった(00.12.17)。
吾妻峽を巡る 山麓の小さな集落の間から名栗川へ。こちらはチラホラと散策者が見え、吾妻峽とし人気の渓谷だろうか。飛び石橋のドレミファ橋を過ぎ、ミニ渓谷の河原を下る。谷川は淀みながらゆっくりと流れている(写真左)。未だ紅葉には早い。赤岩や兎石、汽車淵と名付けられたポイントがあるが、汽車淵のネーミングだけは何故かは不明。男女の高齢者グループに追い付いた地点で、川を出る。大河原から稲荷神社下、そして割岩橋を戻り飯能駅へ。帰途のひばりヶ丘駅で、1時間以上の停車に遭遇。停電事故と説明があった。帰宅すると、新座で大事故があり都内も停電になったと知った。(2016.10.28 K.K. 1063/1100)

○日時 2016/10/12 ○天候 晴 ○交通費 1,190円 ○資料 飯能地区まちづくり推進委員会「名栗川沿い散策路」 ○徒歩距離 14km 19,000歩
「通過時間等」自宅10:15-JR巣鴨駅10:48-西武池袋駅11:00-同飯能駅11:50=割岩橋12:05=三吉稲荷神社12:10=龍崖山公園12:35=燧山13:00=龍崖山(昼食)13:20/13:35=八耳堂13:45=吾妻峽13:55=大河原バス停14:20=割岩橋14:35=西武飯能駅15:05-JR池袋駅17:15-三田線巣鴨駅17:26-自宅18:00

練馬南長崎にトキワ荘通りを訪ねる

机上の書類の下から、新聞切り抜き”手塚治虫の言葉(1950年代)”(15.6.14読売日曜版「名言巡礼」)が出て来た。豊島区南長崎に、手塚治虫を中心に、昭和27年から漫画家達が暮らし活躍したアパートトキワ荘があった通りの特集記事。存在は知っていて興味があり、その内行ってみようと取って置いたのだと思う。我が家から近く、丁度時間のある平日に訪ねた。その前に中野哲学堂公園に寄り、歩き足りない分を補うことにした。%e3%83%88%e3%82%ad%e3%83%af%e8%8d%98%ef%bc%91

トキワ荘のヒーローたち” 西武池袋線沿いの南長崎辺りは通りが多く、地図にないトキワ荘通りを探すには南長崎駅前で案内図を見ようと、駅前へ出た。交番があり教えて貰い、少し戻って花咲公園を探した。お巡りさんは公園名では首を傾げだが漫画家トキワ荘通りが通じた。小さな商店街を池袋方向へ歩くと右手に花咲公園が見付かった。小さな公園入口に、記念碑”トキワ荘のヒーローたち”があり(写真上)、手塚治虫を真ん中に、藤子不二夫Aや石ノ森章太郎達10名が自分を描いた似顔絵パネルの碑。カメラに収めた。

下町商店街風のトキワ荘通りを行くと同荘跡(写真下)の案内があり、跡地を探して小路をウロウロ。トキワ荘は昭和57年老朽化のため壊され、現在は会社敷地内にモニュメントがあるという。行きつ戻りつしたが会社構内に石造りの小型トキワ荘があった。我が業界の法令集も出している出版社。戻った正面が松葉という中華料理店。当時漫画達がアパートから出前を取った店という。予定通り私も入店し同じくラーメンを注文。店内は、私の上京時の50年前に利用したラーメン店のよう。来店した多くの漫画家達の色紙が飾ってある。当然出て来たのは支那蕎麦風で、彼らが食べた蕎麦と同じものであろうか。

%e3%83%88%e3%82%ad%e3%83%af%e8%8d%98%ef%bc%92 私の時代の漫画 トキワ荘通りお休み処があり、入館。パンフを見ていたら、2階にトキワ荘の一部が再現されていると案内された。寺田ヒロオの部屋で、4.5畳の狭い部屋に机や卓袱台が置かれ、乱雑に酒瓶が立ち並んでいる。彼は名前は知っていたが作品に覚えはない。スーパーヒーロー手塚治虫は別として、藤子不二夫Aや赤塚不二夫、石ノ森章太郎の漫画は、私の少年時代よりは後で、私は、冒険王や少年画報の時代で、いがぐりくんや赤胴鈴之助、矢車剣之助等に夢中になったことを覚えている。そんなことを思い出しながら、トキワ荘通りを過ぎ山手通りへ出て、椎名町駅前金剛院に寄った。

トキワ荘通りの前に、西武新宿線新井薬師前駅から中野哲学堂公園を訪ねた。駅から10分程の地に森に囲まれた公園があり、半周。16年振りの再訪で(01.1.7)、六賢堂等の建物に僅かな記憶があった。公園を出て、落合の住宅街の外れから南長崎駅を目指した。(2016/10/24 K.K. 1062/1100)

○日時 2016/9/28 ○天候 晴 ○交通費 610円 ○資料 讀賣新聞日曜版「名言巡礼 南長崎」15,6.14 ○徒歩距離 9km 13,000歩

「通過時間等」自宅10:30-JR巣鴨駅11:08-西武新宿線高田馬場駅11:21-同新井薬師駅11:35=中野哲学堂公園11:45/12:00=西武南長崎駅12:25=花咲公園12:35=トキワ荘跡12:40=中華料理店松葉店(昼食)12:45/13:05=トキワ荘通りお休み処13:10=金剛院13:40=西武池袋線椎名町駅13:45-JR池袋駅13:55-三田線巣鴨駅14:06-自宅14:35

雨に降られ、酔芙蓉は終えていた南足柄ハイキング

購読誌「新ハイキング」9月号に、”河村城址-酔芙蓉農道”を見付け弟に連絡した。予定した日は雨で翌週になった。本日も予報は良くないが、朝、雨は落ちていずメールを交換し%e5%8d%97%e8%b6%b3%e6%9f%84%ef%bc%91実行。集合の小田急新松田駅には、弟が待っていた。JR松田駅で御殿場線へ乗り換えたが大チョンボ。起点の山北駅は次と勘違いし東山北駅に下車してしまい最初から躓いてしまった。雨が降り出し追い打ちとなった。
山北駅から河村城跡へ 小降りの山北駅を傘を指し歩き出す。同駅は丹那トンネル開通迄は箱根越えのため機関車追加駅で鐵道の街であったという。その名残で構内に蒸気機関車が展示されているがカメラが趣味の弟は興味を示さず素通りし、古寺前から直ぐ城跡内となる。坂道を上がると遺構が現れ高い堀切が美しい(写真上)。最近草が刈られたようだ。当城跡は二度目で(07.4.22)、鎌倉期に河村氏が築城したが戦国期の最後は北條氏の支城の一つに組み込まれ小田原征伐で廃された。畝を持つ濠が北條系を示している。北郭、お姫井戸から本丸跡へと上がった。石碑は見覚えがある。先客が一人いて、本日これから祭開催というが、準備もなく雨が降り続けどうなのだろう。雨は激しくなり、雨具を着けザックにはウィンドブレーカーを被せた。今朝ザックカバーが見付からなかった。本丸跡を出ようとした時点で戻ろうかと躊躇していたら、雨が小降りになり、2人の高齢者ハイカーが来て、我々と同じコースを歩くという。それじゃと予定通り前進。城跡を下り岸交差点、がら%e5%8d%97%e8%b6%b3%e6%9f%842瀬バス停、酒匂川新大口橋を経て総合運動公園前で斑目へ左折すると酔芙蓉農道があった。幸いに雨は止んでいる。
終わっていた酔芙蓉 農道の両側には高い酔芙蓉本体はあるが花は疎らで、白と薄ピンクの花がチラチラとあるだけ。花を選んではシャッター切る。酔芙蓉の花は初めてで、色や花びらの形はふんわりしたやさしい花。ムクゲと同じ感じ。進むに従い少しずつは花の数は増したが大したことはない(写真中)。後の弟も立ち止まってはカメラに収めているようだ。農道を出た小公園にテントが立ち、酔芙蓉祭中で昨日初日とある。テント下を借り着替えると、ザック内シャツは濡れて、ザックカバーの代わりにはならなかった。焼きそば、鮎の塩焼き、%e5%8d%97%e8%b6%b3%e6%9f%843そして缶麦酒で昼食。売店の方の話では今年は暑さのため花は早く咲きもう終わり掛けという。先程の2人も着いて挨拶を交わした。
瀬戸屋敷を見学 新松田駅へと向かう途中、瀬戸屋敷に寄る。開成町のあじさいの里を訪ねた時(13.6.16)存在は知っていた。代々名主を務めた旧家で、現在でも大きな藁葺きの母屋を中心に広い屋敷が遺り(写真下)、町指定重文として保存されている。薬医門から入り一回りして、家内の実家旧居と共通し思い出した。あじさいの里から大通りへ出た地点で、小田急開成駅への案内があり、そちらへ出たが予想以上に距離があった。(2016/10/13 K.K. 1061/1100)

○日時 2016/9/18 ○天候 曇り、雨、曇り ○交通費 1,890円 ○資料 坂本勇「河村城址-酔芙蓉農道」新ハイキング9月号143頁 ○徒歩距離 18km 25,000歩
「通過時間等」自宅7:25-大江戸線春日駅8:02-小田急新宿駅8:31-JR松田駅10:12-同山北駅11:00=河村城本丸跡11:20=辻交差点12:15=新大口橋12:30=酔芙蓉農道12:50=ふくざわ公園(昼食)13:15/13:35=瀬戸屋敷14:00=小田急開成駅15:05-都営新宿線新宿駅16:42-三田線神保町駅16:58-自宅17:40

地図なしになった八潮から草加への里歩き

乱雑になったハイキング資料をひっくり返していたら、つくばエクスプレス沿線ハイキングコース案内が出て来た。半分近くは歩いているが、八潮駅をスタートするコースは未踏。これまで埼玉の八潮市へは足を踏み入れたことはないと思う。最近、我が家から近くて気楽に歩ける先が少なくなり、遠くはない八潮コースはインプットしていた。前回秋田、青森を巡った後は、八潮を目指した。%e8%8d%89%e5%8a%a0%ef%bc%91
ガイドマップなしでスタート 三田線を春日駅で大江戸線に乗り換え新御徒町駅に降り、つくばエクスプレス線に乗車。20分程で八潮駅に着いたが、駅前に案内図はなく、エクスプレス高架沿いに中川を目指す。距離はそうないと思っていたが、中々前方に中川やそれらしき風景が現れない。バックからガイドマップを出そうとしたら、ない。車内で眺めていて落としてしまったらしい。本日はリックではなく、肩掛けバックにしたのが裏目に出た。取り敢えず、予定通り中川へ向けているのか、通り掛かった方に尋ね、確かめた。
氷川神社からフラワーガーデン 小さな交差点に町内案内板があり、大凡の位置関係を知る。記憶では、氷川神社がある筈とそちらへ北上すると木曽根氷川神社が見付かり、軽く参拝。弓で豊作を占うオビシャ行事で有名な古社のようだ。ここから中川へ向かう。住宅の間に堤防が覗き、上がると直ぐフラワーガーデン(写真上)。残念ながらこの時期秋桜には未だ早く、咲く花は僅か。中川沿いに堤上を行く。川幅は広く流れは河原の先で見えない。中川の上流は古利根と知り、古利根は昨年春日部を歩いた時眺めた(15.11.7)。土手には草が覆い繁り近づくと、野ハギの花が咲いている。カメラに収めた。
常磐高速道共和橋下を過ぎ、堤下には小さな寺が見え、先に外環自動車道路が見え出すと八潮水門。ここで中川を離れ綾瀬川沿いに八潮団地方向へ。一面に咲く黄色の花と思ったら黄金色に染まった田圃(写真下)。もう関東では収穫時期なのだ。そして、水路を挟んだ八条公園。うろ覚えでは、この辺りで八潮駅へUターン地点。
%e8%8d%89%e5%8a%a02 予定変更し草加へ 公園案内板から水路の右手先が吉川駅、越谷駅とあり約1時間位だろうと読み、水路公園沿いへと方針転換。処が公園は直ぐ終わり、開発中の郊外地へ出てしまい、外環自動車道路下から草加市に入る。コンビニがあり、道を教えて貰う。東武線新田駅はバスの便があり、徒歩では30分以上という。やや疲れが出始めた中、そうか公園前、総合運動場を過ぎたが新田駅迄は未だ距離があると分かり、川柳小前バス停でバスを待った。
今回は、初めての地で期待したが、肝心の地図を失い、途中から方向転換するも好転せず、失敗したハイキングであった。(2016/10/02 K.K. 1060/1100)

○日時 2016/9/11 ○天候 曇り ○交通費 1,010円 ○資料 紛失 ○徒歩距離14km 19,000歩
「通過時間等」自宅8:10-大江戸線春日駅8:50-つくばエクスプレス新御徒町駅9:00-同八潮駅9:20=氷川神社9:55=フラワーパーク10:05=清勝院10:25=八潮揚水場10:45=八条公園11:10=そうか公園11:30=川柳小前バス停11:55-東武新田駅12:10-JR北千住駅12:37-三田線巣鴨駅13:00-自宅13:30

オミナエシ観賞に沼田城跡を巡る

JR東日本大人の休日パスの最終日に沼田城跡へ出掛けた。城跡公園にオミナエシが見頃との情報をまたテレビより得た。秋の花オミナエシは、薄黄色の小さな花で品があり、好きな花の一つである。前々日山形から帰り、1日休養日を入れ沼田行きとした。沼田城跡は二度目だが(92.11.17)、遺構を見た記憶はなく、今回はオミナエシ観賞が主である。%e6%b2%bc%e7%94%b0%e5%9f%8e%ef%bc%91

オミナエシは? 群馬の奥沼田は近くはない。高崎駅で新幹線から上越線に乗り換え利根川沿いに山中を走り、ダム湖先が沼田駅であった。駅前から河岸段丘へ上がる急坂は記憶がある。駅で入手したマップで確かめながら近道階段から市街地へ上がり大手口を直進し城跡へ。案内所に寄ると、大河ドラマ”真田丸”ブームが当城跡にも及んでいる。北條と争って昌幸が奪い守り抜いた信之の居城跡で、幟が立ち、出演者の来訪パネルも掲げてある。広くはない城内に先ずはオミナエシを探す。中央の花畑の一画に黄色の花は見付かった(写真上)。しかし、花は満開だが僅かな面積を占めているに過ぎない。私はテレビで紹介された程であるから、広い公園一面に咲くオミナエシの花を期待していた。シャッター2,3度切った
唯一遺構櫓台跡 遺構を求め城跡を彷徨く。直ぐ先が櫓台跡。石垣も遺る。奥へ入ると平八郎首石。昌幸の謀略で殺された前城主沼田氏の末裔平八郎の首が曝された石らしい。展望が開け名胡桃城跡から谷川岳まで見えるとあるが本日は雲の陰。大回りし天狗堂から本丸跡周辺だが、濠跡らしき窪地があるだけ。その外はテニスコートや野球場で、公園化されている。移築保存されている薬種商旧生方家住宅は見覚えがあった。
%e6%b2%bc%e7%94%b0%e5%9f%8e%ef%bc%92 遺構は見当たらず、先程の櫓台跡(写真下)のみと気付き戻り、カメラを向けた。我が家の古い資料には石垣遺構の写真があるが、この櫓台と思う。
五代続いた真田沼田藩 本丸跡付近に信之、小松姫の石像が建っていた。私は、関ヶ原後信之は上田、松代へ移り、沼田は真田領ではないと思っていたが違っていた。嫡男信吉以下沼田藩主として5代91年も続いたという。家康が信之の加勢に気を配ったのであろうか。鐘楼もこの城跡のシンボルだが、資料によれば、城鐘は信吉時代のもので、当時三の丸櫓に時報用として吊されていたが、明治期からは役場に移され、現在では別途展示されているという。最後に、入口に三の丸土塁跡を見て、駅へと坂を下った。電車内で、パンフを読み直していたら、城跡公園の外にも、大手門跡や外濠遺構もあると知ったが、遅かった。帰り掛けに、沼田駅構内で、気になっていた迦葉山の大きな天狗の面をカメラに収めた。(2016/09/27 K.K. 1059/1100)

○日時 2016/9/6○天候 晴 ○費用 大人の休日パス利用 ○資料 沼田女子高校「真田の里 沼田の城下町満喫MAP」○徒歩距離 9km 12,000歩
「通過時間等」自宅9:35-JR巣鴨駅10:10-同上野駅10:38-同高崎駅11:33-同沼田駅12:25=沼田城跡12:45/13:30=JR沼田駅14:25-同高崎駅15:15-同上野駅16:10-三田線巣鴨駅16:30-自宅17:00

五能線に乗り白神山地に十二湖を巡る

今年は北海道新幹線開業記念に、この時期にいつもより割高なJR東日本大人の休日パスが発行された。青森竜飛岬を検討したがアクセスが悪い上歩くのには不向きのよう。弘前城跡は本命だが、次は何処にしようかと思案し、五能線で十二湖巡りとした。ルートは弘前から十二湖よりは、その逆が日程上楽と分かり、初日は秋田駅経由十二湖駅とした。

五能線で十二湖へ 秋田新幹線を秋田駅で五能線行きに乗り換え東能代駅から同線%e7%99%bd%e7%a5%9e%e5%8d%81%e4%ba%8c%e6%b9%96%ef%bc%91を走った。五能線は約30年振り二度目(87.8.17)。当時人気ローカル線と同僚に薦められたのだったと思う。日本海縁を走った筈だが記憶は0。海へ出ると海岸線や岩礁の眺めは良い。13時に十二湖駅に着き、上野駅から6時間30分であった。

送迎バスで宿泊先にチェックインした後、またバスで湖沼巡りスタート地物産館キョロロ迄送って貰い、青池目指し1人歩き出す。左に鶏頭の場の池を見ながらブナ林の中を行く(写真上)。青池は近く、少し右に入った地に青色の小さな池はあった。確かに青いが水ではなく底の砂ではと疑った。

青池から白神ブナ林 山中に入るとブナ林が美しい。東北、特に東北も奥へ入るに従いブナ林の樹の太さ、林の深さが違う。白神はその一つ。沸壺の池へ出て覗くと水が澄み透明。次の茶室のある十二湖庵ではここから水を引き茶を点てているという。私は、清水を一口飲み上手いと思った。大通りを下ると落口の池、中の池。そしてビジターセンターがあり、裏の養魚池でイトウを見る。確か北海道の幻の川魚だろう。鱒、鮭とも違う大きな魚が水槽に並んでいた。次の大池が王池東湖(写真下)。帰りのバス停があるが、1時間30分前に着いてしまった。先程フロントで私のコースは2時間、%e7%99%bd%e7%a5%9e%e5%8d%81%e4%ba%8c%e6%b9%962キャニオン展望所を経由すれば3時間と教えられた。多分ガイド付きグループの場合で説明にも時間を要すからであろう。展望所へ回ることにし、入口を探し大通りを下ったが見付からないまま二つ目の池となり、二叉路を駅方向へ左折。八景の池があり、反対側に展望所入口があった。

日本キャニオンは 一転し上りの山道。下るハイカーと挨拶を交わし、尾根へ出ると展望所。林を切り開いた地の正面が日本キャニオンと呼ばれる連続する断崖だが、前方に見えるのは崖崩れの跡のよう。江戸時代に地震で山が崩れて出来、十二湖も同時という。周辺には33の湖沼があるが当時山上から確認出来たのが12湖だったとある。カメラに収め、出口は王湖とあり山道を下る。東北自然歩道の標柱が立ち狭い坂道が続く。また眼下に水面がチラチラし、日暮の池。山道を脱し先程の王池バス停だが、迎えのバス迄約1時間待ち。売店でソフトクリームを求め休憩したが広い店内に客は私だけ。夏休みは終わり紅葉には未だ早いシーズンオフだからか。少し早めにバスが来て宿泊先へ。夕食前温泉に入浴し、風呂を1人独占して汗を流し、脚を伸ばした。(2016/09/14 K.K. 1057/1100)

○日時 2016/9/2 ○天候 晴 ○費用 大人の休日パス利用 ○資料 山と渓谷社「駅からハイキング 26白神・十二湖ハイキング」2003,66頁 ○徒歩距離 12km 17,000歩

「通過時間等」自宅5:35-JR上野駅6:38-同秋田駅10:40-同十二湖駅13:05-宿泊先13:50-物産館キョロロ14:05=青池14:10=沸壺の池14:25=中の池14:35=王池東湖14:50=八景の池15:05=キャニオン展望所15:15=日暮の池上15:30=王池東湖16:20-宿泊先16:30

広く回り切れなかった再訪の弘前城跡

私の城跡巡りは、ハイキングより先で、その原点は弘前城にある。87年の夏休み青森を%e5%bc%98%e5%89%8d%e5%9f%8e%ef%bc%91訪ね十和田湖から弘前へ出て、弘前に帰省中の友人に案内して貰った(87.8.16)。その時城跡見学もし、広く緑豊かな城跡に濠や追手門、櫓、天守閣を観て回り、津軽藩の成り立ちを知った。本格的な城跡を初めて見学し、城跡は歴史の証人と思い次の城跡へと私を駆り立てる切っ掛けになった。今回は弘前城跡再訪を前提にスケジュールを調整した。

広い弘前城跡 五能線から弘前駅に降り、城跡を目指す。約2時間あり見学に約1時間を当てる予定。駅から近くはなく追手門迄30分を要した。重文の門(写真上)をカメラに収め城内へ。桜の木が多い。花見の名所とは夙に知られている。中濠に至り濠越しに櫓が見えるが樹木が遮り全体は見えない。杉の大橋を渡り二の丸南内門。前回の記憶にあるのは向きからこの門のよう。左手の未申櫓は正面をアングルに出来た。内濠に架かる下乗橋を通り、入園料を支払い本丸へ。中央正面に小振りな天守があった(写真下)。最近移動して改装されたとテレビで知っていた。前回は濠を背に石垣の上にあったと思う。当初の五層天守は落雷で焼失し、再建は幕末に実現したが幕府に遠慮し三層閣にしたという。

陸奥の太守津軽家の居城 弘前城は、津軽を統一した津軽為信、二代信枚によって1610(慶長15)年に完成した。為信は秀吉の小田原征伐に馳せ参じて本領が安堵され、南部藩から独立が認められ、その後明治迄260年続いた。関係団体名誉総裁常陸宮殿下のお妃が津軽家出身で、毎年表彰式に臨席され、年に一度は私も拝顔する機会がある。

%e5%bc%98%e5%89%8d%e5%9f%8e%ef%bc%92 天守閣内部を駆け足で見学し、表へ出ると正面に岩木山の津軽富士。雲が山頂覆っているが左右に長く引く裾野は美しい。北の郭、四の丸、北門と先に続くが時間が忙しい。西口から蓮池を覗いた後、丑寅櫓を見る。ここで追手門へUターン。途中東内門があり、出入りして見上げる。弘前城は広く大規模で、石高は相当なものと思い調べたら約5万石(後に10万石)。私の見学歴からはその数倍規模の城郭遺構と思う。

追手門前でバスを待った。先程桜木の下を歩きながら我が父は終戦直前召集され弘前連隊に入営したと聞いている。亡父は城跡や桜を観たのであろうか。

五能線を完全乗車 今朝7時、十二湖駅から五能線で弘前へ向かった。前日に続き日本海海岸線を走り、十畳敷駅を経て深浦近くになると人家が多くなり、深浦は車窓からも北前舟風待ち良港に見えた。鰺ヶ沢駅で長く停車し売店で犬ワサオクッキーをゲット。当地で思い浮かぶのは舞の海とワサオ位。列車は田んぼの中となり、稲穂は黄色を増している。五所川原からはリンゴ畑の間を走って川部駅を通過し、東能代駅から五能線を乗り切った。(2016/09/21 K.K. 1058/1100)

○日時 2016/9/3○天候 晴 ○費用 大人の休日パス利用 ○資料 「史跡弘前城」○徒歩距離 10km 14,000歩

「通過時間等」宿泊先6:45-JR十二湖駅7:01-同弘前駅10:45=追手門11:15=天守閣11:35=北の郭11:50=追手門バス停12:10-JR弘前駅12:55-同新青森駅13:52-同仙台駅16:00-同山形駅17:54-同村山駅18:40-実家19:00

都心木場公園にキバナコスモスを楽しむ

1056%e6%9c%a8%e5%a0%b4_1 江東の木場公園にキバナコスモスが咲いていると知った。またネット情報で、黄色の秋桜は観たことがあり印象に残っているが、何時、何処だかは思い出せない。浜離宮恩賜庭園であったかもしれないが記録も、写真もなく確信がない。近くにある猿江恩賜公園も合わせ、木場公園へ出掛けることにした。

キバナコスモは満開 キバナコスモスは花壇一杯に咲き乱れていた(写真上)。黄色も濃く橙に近い花が一面を彩り公園一画を占めている。原色的な花は刺激的でもあり、一層惹き付ける。秋桜園には私以外に人影はなく、1人デジカメ片手に、細長い花園のアングルを探しながら上下する。以前に見たような花ではあるが目の当たりにしても、未だ何時何処だったかは思い出せない。テレビやネットであったろうか。そんなことを考えながら花の間を歩いていたら、大きな蜂が飛んで来て目の前の花に止まった(写真下)。同時にシャッターを切ったが巧く捉えたであろうか。花々の裏で、絵を描いている人や楽器を奏でている方もいた。キバナコスモスに充たされ、帰宅後の写真を楽しみにしながら花壇を後にした。

1056%e6%9c%a8%e5%a0%b4_2 猿江恩賜公園から木場公園へ 本日は、先に猿江恩賜公園を歩いた。都営新宿線住吉駅下車直ぐであった。同公園は初めてで広くはないが、緑地確保の都市型公園だろう。その名の通り江戸幕府材木蔵が皇室用になり、その後大正時代に東京市へ払い下げられたとある。道路を挟んで広場やテニスコート、野球場、日本庭園がある。中央広場から西方にスカイツリーが見えた。公園を出ると横十間川で、先日の台風で増水している。ピンクの百日紅の花を眺めながら川沿いに下る。小名木川との交差地、親水公園を過ぎ、江東区役所ビルが見えた地で葛西橋通りへ上がり右へ。

東陽となり、豊住公園の先が木場公園であった。広い公園で、二度目かなと思ったが見覚えのある風景には出会わない。管理事務所でマップを入手し、キバナコスモスが咲く地を教えて貰う。事務所裏の花園で、見たことのない白い花を見付け、作業中の方に聞いたら、アメリカ産の初雪草という。そして、葛西橋通りに架かる公園大橋から見下ろすとキバナコスモスが見え、少し勇んで、橋途中の通路から花壇へ下り、花の間を巡った。

木場公園から大江戸線白河清澄駅へ向かうが結構遠い。途中に深川江戸資料館がありその隣が霊厳寺で江戸六地蔵の一つがあると思い出して、急遽参拝しぽんずの成仏をお願いし交差点へ出て、地下鉄駅の入口を探した。            (2016/09/09 K.K. 1056/1100)

○日時 2016/8/25 ○天候 晴 ○費用 シルバーパス利用 ○資料 東京都公園協会「都立木場公園」、「猿江恩賜公園」 ○徒歩距離 10km 13,000歩

「通過時間等」自宅8:50-都営新宿線神保町駅9:29-同住吉駅9:45=猿江恩賜公園9:50/10:10=大島橋10:15=横十間川親水公園10:40=木場公園10:55=キバナコスモス花壇11:10=霊厳寺六地蔵11:35=大江戸線清澄白河駅11:48-三田線春日駅12:15-自宅12:45

秩父皆野に初めてムクゲの花を観る

1055_%e7%a7%a9%e7%88%b6_1テレビで、秩父皆野町にムクゲの花が咲き見頃と知った。夕方のテレビニュースの地方版は時々各地の花便りもあり、これまでも歩く先の情報源の一つとしている。秩父は遠くはなく、皆野の美の山を二度歩いたが大分経ちご無沙汰で、丁度良い。秩父鉄道の駅もある。山口瞳著のエッセイ集”木槿の花”は読んだことはあるが、ムクゲの花は見たことはなく、テレビでは紅や白の大きめの柔らかな花のようであるが、ネットで調べる外はない。

山腹に広がるムクゲ公園 我が家から秩父へは、池袋駅西武線経由と、成増駅、寄居駅東武線経由とあるが、今回はバスで成増駅へ出て寄居駅で秩父鉄道に乗り換えた。皆野駅でムクゲ公園情報を期待したが見付からず、ネットで調べた駅前国道を秩父市方向へ歩き出す。徒歩20分とあるからそろそろ山側へ左折する頃と、出会った方に尋ねると散歩序にと途中まで案内して戴いた。その方が歩きながら、花には余り期待しない方がと言う。高速道路下に公園案内が見付かり、坂を上がって公園案内所へ。山腹一帯がムクゲ公園らしく、思ったより広く巡るのも簡単ではないようだ。

疎らなムクゲの花 案内所で入園料を支払い、マップで花咲くコースを紹介して貰って公園に入る。坂は結構急で、中央の車道から左折するとムクゲの花園。ピンクや白の花で、一重と八重があり、初めて見る花でこんなものかと思う反面、ムクゲの木は多いが一本の木に付けた花は疎らで物足りない(写真上)。カメラに収めながら斜面の園内を奥へ行くが、草が繁り遊歩道も荒れ気味。花を求め次第に上へ上へと進むも、咲く花々の状態に変化はない。公園最高部岩の広場に着いた。人工だろうが岩で囲まれた古代住居跡のよう。腰を下ろし休憩していると数組の鑑賞者が上がってきた。

1055_%e7%a7%a9%e7%88%b6_2南斜面のムクゲの花は? マップにある外周のハイキングコースもどうかと車道の終点へと上がったが、入口から狭い山道を草が覆いとても踏み込む気がしない。展望台から、またムクゲ花園を下る。途中で、中央車道を渡って反対側花園へ。こちらの方が咲く花の数が多く見頃に近い(写真下)。南斜面で陽当たりの加減だろうか。またシャッターを切った。道路端に清水が垂れ、冷水に期待したが生ぬるい。稲穂山古墳がありその上から前方の風景を眺めると、眼下に広がる皆野の街は山峡の街で、秩父盆地である。バックの低山は長瀞の宝登山であろうか。

ムクゲの花は少し挽回した感じで坂を下り、園を後にし高速道路下から皆野の街へと戻った。当初、ムクゲ公園の後は美の山へ登り親鼻駅へもと考えていたが、広い公園の斜面を上下してその元気を失い、駅へと直行した。(2016/09/01 K.K. 1055/1100)

○日時 2016/8/18 ○天候 曇り ○費用 2,760円 ○資料 「園内マップムクゲ自然公園」 ○徒歩距離 11km 16,000歩

「通過時間等」自宅7:45-東武成増駅8:25-同小川町駅9:28-秩父鉄道寄居駅10:01-同皆野駅10:35=皆野ムクゲ自然公園11:00=岩の広場11:30=稲穂山古墳12:10=皆野ムクゲ自然公園口12:30=秩父鉄道皆野駅13:31-東武寄居駅14:00-同小川町駅14:23-同成増駅15:36-自宅16:00

ラフティング、カヌーを眺めながら御岳渓谷を歩く

暑い夏、少しでも涼しいハイキング先をと想い巡らした。渓谷や川辺の中から御岳渓谷が浮かび、手許のガイド資料を探すと、多摩の有名ハイキングコースであり、数種類のパンフが見付かった。これまでも御岳渓谷は訪ねているが、御岳山への通り過ぎが多く、渓谷自体を歩くのは何年ぶりだろうか。なるべくこれまで歩いたことのないコースにしたい。%e5%be%a1%e5%b2%b31

ラフティングに出会う 新宿駅から奥多摩直通のホリディー快速に、久しぶりに乗車。今回は軍畑(イクサバタ)駅に降り、多摩渓谷に架かる軍畑大橋袂をスタート。側道に遊歩道入口が見付かり、谷へ下りて渓谷左岸を行く。水量は少な目も流れは激しい。ハイカーは見当たらないが、川遊びの家族連れがチラホラ。遡上を続けると、ゴムボートが下って来た(写真上)。ヘルメット、ライフジャケットを着けた若者達が乗り込んでいる。御岳渓谷でも、ラフティングが始まったと知る。中には、浅瀬へ入り込むボートや岩にぶつかるボートもあり、操作の稚拙の差のようだ。事故がなければと思う。

歌碑、美術館、そしてカヌー 沢乃井酒蔵ガーデンを通過。ここの左岸遊歩道も初めてで、民家や商店の裏庭先。”お山の杉の子”の歌碑に出会う。歌のおばさん安西愛子が書いた碑で、作詞者の縁らしい。子供の頃、我が父も口ずさんでいたことを思い出した。戦前の歌と知る。御岳小橋を渡り右岸へ。対岸に旅館を見て、研究会と称し当地に宿泊し遊んだことがあった。バブルの恩恵だったろうか。直ぐ、玉堂美術館。日本画が展示され二度ほど入館した。絵に興味を持つ旧友に、案内すると話してから大分時間が経つが、未だ実行していない。御岳橋下を抜けると、カヌーの練習場。本日も数隻が急流を上下している。リオ五輪で日本人が入賞したシーンを観て、横からのポイント通過を不思議に思っていたが、棒は紐で吊してあり、棒下を横からも通過できることを目の前で確かめた。杣の小橋を渡りまた左岸へ。御岳山へはこの橋を渡ってケーブルカー滝本駅へ歩く。

%e5%be%a1%e5%b2%b32 フィッシングセンターから御嶽駅へ 渓谷は広い河原となり、釣りエリアで、舟の類は見当たらない。御岳美術館前へ着き、ベンチで休憩し水分を補給。途中の草原で、アゲハらしき大きな蝶に出会いカメラで追ったが、追い切れなかった。フィッシングセンターでは、多くの男女が釣り糸を垂れている。鱒釣りであろうか。河原に渡された板橋でセンター事務所へ寄り、右岸ルートを尋ねる。森の中の小径を教えて貰い、突入。河原に遊ぶ子供達を下に見ながら、土手に切られた道を行く。やはり杉林の中にも遊歩道は続いていたのだ。ノカンゾウの花に会い、発電所建物を迂回し神明橋を過ぎ、杣の小橋。左岸へ渡り、御岳渓谷の両岸をほぼ上下。御岳橋手前(写真下)で渓谷を脱し、御嶽駅へと上がった。 (2016/08/26 K.K. 1054/1100)

○日時 2016/8/13 ○天候 晴 ○費用 1,820円 ○資料 山と渓谷社「首都圏ハイキング2003 奥多摩・御岳渓谷遊歩道」20頁 ○徒歩距離 12km 17,000歩

「通過時間等」自宅7:10-大江戸線春日駅7:50-JR新宿駅8:19-同軍畑駅9:50=御岳渓谷10:00=沢乃井ガーデン10:20=お山の杉の子歌碑10:30=御岳橋下10:40=杣の小橋10:55=御岳美術館前11:15=JR御嶽駅12:25-同新宿駅14:02-三田線春日駅14:18-自宅14:50

磐梯山を眺め裏磐梯高原デコ平を歩く

裏磐梯での会合の帰途に高原ハイキングを楽しんだ。研究会の翌日はフリーで、私は歩こうと準備していると、メンバーのAさんが同行してくれるという。これ幸いだが、ハイキングは久しぶりで脚には自信がないと遠慮がち。本日のコースはアップダウンは少なく難しくない筈だが、歩ける所迄とゴンドラで裏磐梯西大巓(1,982m)の中腹へ上がった。%e8%a3%8f%e7%a3%90%e6%a2%af%ef%bc%91

デコ平湿原へ 山麓駅ではフル装備した登山者数グループと一緒になった。西大巓から百名山西吾妻山だろう。我々は、往復1時間程度のデコ平湿原迄と、山頂駅からハイキングコースへ入った。標高1,390mという。左手先に磐梯山が聳え、爆裂の跡が現在でもハッキリし、2人で驚きながらもカメラに収めた(写真上)。傍に咲く花の群はシモツケソウと思ったが、ヨツバヒヨドリらしい。山紫陽花も残っている。下りの坂になり、帰りを心配しながらもゆっくりと進む。Aさん懸命に付いて来ているのかと心配したがそうでもなさそうだ。反対側から来るハイカーもあり、人気のコースなのだろう。小鳥の鳴き声も聞こえる樹林の中の山道だが、時々林が切れると展望があり、磐梯山左手奥の高山は安達太良山のようだ。

百貫清水迄足を伸ばす 林を抜けると湿原であった。夏のこの時期干上がっているらしく湿地ではなく、また期待した花もない。寂しそうに咲くリンドウが見付かっただけ。周回コースは閉鎖中で、戻ると思っていたら、Aさん、次のポイント百貫清水迄行こうという。私は賛成し、奥へと案内する。周囲は深いブナ林で、陽は届かず、暑さも感じない。岩ゴロの箇所、Aさん私のストックを使い難なく通過した。二又があり、案内に従い左手の道を採ると池があった。%e8%a3%8f%e7%a3%90%e6%a2%af%ef%bc%92百貫池は、10畳程の山中の小池で、百貫文相当の価値ある清水として名付けられ、全国名水百選にも選ばれているとある。池底から砂を舞い上げ湧くのは見えない。備え付けの大きな柄杓で汲んで飲むと、美味しいことで2人は一致、喉が渇いているからか。休憩し、Uターン。

予定通り山頂駅へ戻る 往路を順調に戻る。磐梯山展望の地(写真下)にベンチを見付け小憩。往きには気が付かなかった。湿原手前に、駐車場へとの案内の分岐があり近道かなと思ったが踏み込まないで、湿原木道を渡る。結構な上りの坂も普通に歩き、コースタイム通りにゴンドラ山頂駅へ戻る事が出来た。                    Aさん同行有り難うございました。歩きながら、若い頃は尾瀬ヶ原の外、富士山登頂も経験したと話してくれた。最近は専らデスクワークのみで、山歩き等には縁がないという。今回を機に、次回以降もよろしくお願いします。(2016/08/11 K.K.1051/1100)

○日時 2016/7/31 ○天候 晴 ○費用 11,480円 ○資料 「グランデコリゾート」 ○徒歩距離 13km 17,000歩「通過時間等」宿泊先7:50-ゴンドラ山麓駅8:25-同山頂駅8:40=デコ平湿原9:00=百貫清水9:30/9:40=デコ平湿原10:10=ゴンドラ山頂駅10:30-同山麓駅10:45-宿泊先13:30-JR猪苗代駅14:39-同郡山駅15:30-同上野駅16:50-三田線巣鴨駅17:13-自宅17:40

高原一杯に咲く花々を楽しんだ美ヶ原高原

%e7%be%8e%e3%83%b6%e5%8e%9f%ef%bc%91美ヶ原は百名山である。完登者Hさんは、最後の山を美ヶ原にしたと聞いた。私は、昨秋、1000回達成時頃美ヶ原行きを計画したが、松本からのバス路線が廃止され断念した。それでも、美ヶ原への想いは消えず、ネットで検索し今夏はバスがあると知った。山の日制定記念らしい。早速、新宿駅からあずさ1号に乗車した。日帰りである。

高原は花盛り 松本市内から美ヶ原温泉を過ぎ山へ入った。途中から頭上に高原が見えたが高く、2,000mの高地である。バスは山岳道路を左右に振れながら走り、高原へ上がって終点高原美術館に着いた。人出もある中、展望台へ立ったが、北ア方向は雲が低く遠望はない。登山道を探し美しの塔、王ヶ頭ルートへ入る。半袖では涼しい位。高原へ上がると緩やかな草原歩きとなり、両側にはピンクの花ハクサンフウロが咲き続き、ノアザミ、ウスユキソウもある。これにマツムシソウが加わった(写真上)。シャッターを切るのに忙しい。牛伏山(1,990m)から山本小屋を見下ろし、柵沿いに下る。花々は途切れなく続いている。

美しの塔から花の展望コースへ 小屋で昼食。以前霧ヶ峰からバスで当地へ来て、ここで休憩したと思う(03.7.19)。その時、美ヶ原は何時でも来れるとそのままバスで上田へ下%e7%be%8e%e3%83%b6%e5%8e%9f%ef%bc%92ったが、もう一昔前のことになった。放牧地になり柵の間は車も通る広い道。高原に群れるホルスタインを見て、音更の孫達を思い出した。美しの塔も二度目。家内と一緒になった頃、義弟に案内されたと思う。写真があった筈と帰宅後探したが見当たらなかった。

次は牛馬への塩くれ場。今は大石が残るだけ。右が王ヶ塔だが、山歩きをしようと百曲り分岐から高原南端のアルプス展望コースへ回る。これが正解だった。アップダウンもある狭い山道は、途中から崖トラバース状の道となり、歩く人は見当たらない。南アの高峰がぼんやり見えるだけだが、足下には様々な花々が咲き揃っている(写真下)。知っているのはキリンソウやカワラナデシコ、シシウド、ウメバチソウ、ウツボクサ、クサレダマ位。土手上に黒牛の放牧地を覗き、烏帽子岩から王ヶ塔ホテルの下となり、ようやくハイカーと交差し始めた。

王ヶ塔、王ヶ鼻 花一面の土手を上がると最高点王ヶ塔頂上(2,034m)。百名山目指す者はここが目標なのだろう。休憩し、眼下に次の王ヶ鼻を見当を付け、悪路を下る。黄色の花マルバタケブキ群に出会い栽培しているのかなと見紛う程。ヤナギランも久しぶりに見た。王ヶ鼻へ着き、松本市内を眺めUターン。板状節理という岩盤を知った。牧場用の道路を下り、バス停のある自然保護センターへ。バス待ち時間に、センター内で花の名を調べた。美ヶ原の花々、高原ハイキングに満たされた気分で、バス、特急、そして新幹線車中の人となった。(2016/08/20 K.K. 1053/1100)

○日時 2016/8/8 ○天候 晴 ○費用 12,960円 ○資料 山と渓谷社「首都圏ハイキング1999夏 美ガ原」31頁 ○徒歩距離 17km 24,000歩

「通過時間等」自宅5:50-JR新宿駅7:00-同松本バスターミナル10:35-高原美術館12:20=牛伏山12:40=山本小屋ふるさと館(昼食)12:50/13:05=美しの塔13:20=塩くれ場13:25=百曲り分岐13:40=烏帽子岩14:05=王ヶ塔14:30=王ヶ鼻15:05=自然保護センター16:30-JR松本駅18:06-同長野駅19:08-同大宮駅20:44-三田線新板橋駅21:23-自宅21:50

遅かった武蔵村山ひまわりガーデン

真夏はひまわりの季節。一斉に太陽へ向け開く黄色の大きな花は誇らしく、好きな花だ。この時期、ほぼ毎年ひまわりの咲く地を訪ねている。昨年、都下武蔵村山にもSunflower 1ひまわりガーデンがあることを知り、夏を待っていた。ネットで、開園とアクセス情報を得た。武蔵村山は、都下三多摩内だが馴染みが薄く、土地勘はない。事前に手持ちの地図で調べたが今一はっきりしない。高田馬場駅から西武拝島線に乗り、玉川上水駅で多摩モノレール線に乗り換え、終点上北台駅から徒歩となる。確か上北台駅は二度目。意外に近く我が家から2時間掛からない。駅でパンフを期待していたが見当たらない儘出発。

遅かったひまわり 新青梅街道へ出ると、武蔵村山ではなく東大和市。やや不安になりながら側道を行くが郊外の疎らな住宅街で、畑はなさそう。芋窪や瑞穂、青梅という行く先表示を見ると、埼玉に近い東京も西だ。警察署は東大和署だが、署前の交差点を渡ると武蔵村山になった。そして、左手にひまわり畑の端が見え、近付いてびっくり。葉と茎はひまわりに違いないが茎のトップ、白い茎の面がむき出しになり、林立している。最初は理解出来なかったが、花が切り落とされたらしい。正面に回ると中央部畑のひまわりの花は咲き残っている。その中でも、花切り落とし作業が行われていた。

大きな花はロシア種 ひまわりガーデンはそう広くはない。大きな畑が中央の道路を挟んで二枚。その周囲に小さな畑が三枚ほど。道路端の花が落とされ初めているらしい。私は、大きな花を眺めながら、畑を巡る。ひまわりの種類に、ロシアやヴァレンタインなどがあるとの解説があり、大半は高く大きい、私の好みロシア種(写真上)。作業中の方に出会う。この時期花が垂れるとミットもないので、切っているという。8月に入ったばかりだが、ひまわりはお終いらしい。確かネット情報では7月半ば開園だったから、私は、2週Sunflower 2間前後に見頃となろうと勝手に想定し、本日になった。ピークは先月末であったと知った。花期は難しく、外すと一年後だが、今回は最終期にどうにか間に合ったという処か。

ひまわりをぽんちゃんへ 鑑賞者も少ない中、シャッターを切りながら畑を巡ると隣の畑には、緑のトンSunflower 3ネルがあり、おばさん達に混じり私も通過(写真中)。ゴ-ヤのトンネルのよう。コスモスも咲いている。一回りし中央の通路へ戻ると、目の前にひまわりの花が転がって来た。作業中の方に、貰いたいと伝えたら、もっと良い花をと手渡してくれた。ひまわりガーデンを出て、往路をそのまま戻る。帰宅後、ぽんちゃんに見て貰おうと、大きなひまわりの花を花瓶に入れ仏前に供えた(写真下)。花瓶は家内が編んだ籐の飾り付き。2人は見ているだろうか。(2016/08/16 K.K. 1052/1100)

○日時 2016/8/4 ○天候 晴 ○費用 1,410円 ○資料 昭文社「東京都市図    129 昭島」2004年4月 ○徒歩距離 6km 9,000歩                                      「通過時間等」自宅8:00-JR巣鴨駅8:34-西武高田馬場駅8:47-多摩モノレール玉川上水駅9:39-同上北台駅9:45=ひまわりガーデン10:00/10:30=多摩モノレール上北台駅10:45-西武玉川上水駅10:58-JR高田馬場駅11:50-三田線巣鴨駅12:06-自宅12:30

期せずしてカワセミに出会った神奈川大和泉の森、ふれあいの森 

test1今回は、少しは涼しい森を歩こうと小田急江ノ島線沿線大和に、泉の森からふれあいの森を探し、近くの平塚に住む弟を誘った。両森の中間点で、偶然カワセミを見付けた。そして、その後数分間2人はカメラで追いながら、しばし二羽のカワセミの飛翔、乱舞を楽しんだ。

深い泉の森 今回は神奈川へと、手許のガイドブック”東京近郊里山ウォーキング”から泉の森からふれあいの森を選び、弟と小田急鶴間駅に待ち合わせた。私が10分程遅れたが、森へ向けスタート。嘗ての大山参りに往来した大山街道を行き、森への案内板を確かめ、小路に入る。古い住宅街なのに裏手に樹木が繁る森があり、驚く。泉の森入口では地元の方達が祭の準備中。深い森のようで、手持ちコース案内よりは奥へ入る。森中は陽は届かず、また涼しい(写真上)。散策者と交差しながら小径を辿ると左下に水面が見え観察池。波が立ち、弟、鯉がいるという。近付こうと反対側回ったが、ネットフェンスが囲み不可。test2諦め先へ進む。          緑のかけ橋を渡り、しらかしの池。湿地帯には花はなく、菖蒲は疾うに時期遅れ。池には鴨や鯉が泳ぎ、鯉は口を開け寄ってくる。子供用あそび小川もあり、家族連れも多い。展望デッキにはカメラマンが数人屯中。弟、池に杭を見付け、カワセミ撮影待機中と教えてくれた。管理棟しらかしの家で休憩し、展示物を見る。水槽内に女王蜂や川魚どんこ、かめなどがいて、また縞蛇の皮もあった。

カワセミを追う 草の繁る間から引地川の川面を見下ろすと、小魚が上下し子供の頃弟と遊んだ白水川を思い浮かべていたら、一羽の小鳥がスッーと川面を下った。エッ、カワセミだと気付き、後の弟へ伝えた。そのまま川沿いを下り橋の上に立っていると、二羽のカワセミが橋下を潜り、我々の間を数回上下する。コバルトブルーの羽根を翻し、美しい。なんとかカメラに収めたいと追い川上、川下へとカメラを構え直すが間に合わない。その内、一羽は森へ入ったが一羽は川上の堰端に止まり、弟は望遠を絞りシャッターを切るも、私のデジカメでは遠すぎる。しかし、思いがけない珍客カワセミを、これまででは一番長い時間観賞した。しらかし池の穴場だろうか。

ふれあいの森から大和駅へ ふれあいの森を行き、熊野神社へ階段を上がり参拝。花園があり、花壇には原色の花々が咲き、洋花だが名前が不明。相模鉄道が見え出し左折して、プロムナードから大和駅へ。駅前で昼食し、カメラを確認。私のはカワセミは全く空振りであったが、カメラが趣味の弟はバッチリ捕らえていた(写真下)。後日データを送って貰うことにし、小田急相模大野駅で別れた。                     カワセミに出会い充たされた一方で、頭上に時々飛来するジェット機騒音にも遭遇し基地の街にも思いを致さなければと思った。                (2016/08/06 K.K. 1050/1100)

 

○日時 2016/7/28 ○天候 晴 ○費用 900円 ○資料 るるぶ「東京近郊里山ウォーキング 泉の森からふれあいの森へ」2003年12月 ○徒歩距離 10km 13,000歩                                「通過時間等」自宅8:15-大江戸線8:54-小田急新宿駅9:18-同鶴間駅10:10=泉の森口10:20=観察池10:45=しらかしの池11:25=熊野神社11:35=大和駅前(昼食)12:00/12:20=小田急大和駅12:25-大江戸線新宿西口駅13:20-三田線春日駅13:36-自宅14:10