和歌山市に紀三井寺から城跡を訪ねる

大阪泊の翌朝、県都和歌山市を訪ねる。和歌山市は二度目で、和歌山城跡は再訪である(91.12.9)。その後紀伊田辺から熊野那智大社へ行く途中、紀勢本線で和歌山駅を素通りしていた(06.9.8)。この程度で、和歌山には縁がなく、今回は紀三井寺も訪ねて、しっかりと巡り歩き、記録したい。

 紀三井寺参拝 JR天王寺駅から阪和線快速に乗車。堺、岸和田から日根野で、関西空港への乗り換え駅と知る。和歌山に近付くに連れ、山間を走り平野へ出ると和歌山駅であった。先に紀三井寺参拝へと、紀勢本線に乗り継ぎ二つ目の駅から歩き出す。左手の山麓に大きな塔や寺院が見え始め、770(宝亀元)年開基の大古刹紀三井寺。入口と思ったら裏門で、坂を上がって境内へ入り松下講堂から本堂前へ出て、参拝。また孫達の成長と受験のお願いをする。人出も少ない中、開山堂や重文多宝塔を巡り、目を海側へ転じると和歌の浦が広がり(写真上)、中々の眺め。正面の石段は急で、慎重に下る。当寺には三霊泉が湧き、寺名とも結び付き知られているが、石段途中に案内があるも、二つの井戸は木製蓋で覆われ泉は見えない。下の吉祥水だけ湧き水が落水していて、カメラに収めた。重文の楼門から紀三井寺駅へ戻った。

 広い和歌山城跡を巡る 和歌山駅案内所で、マップを入手した際、ご当地ラーメンを薦められ、近くの人気店で並び昼食にする。支那そば風とのことではあったがやや現代風。三年坂通りから県庁手前が城跡で、濠端に立ち眺めると濠は広く、天守も大分奥で、記憶とは違い広大な規模の城郭(写真下)。徳川御三家55万石の居城であったから当然と思い直す。1585(天正13)年羽柴秀長が築城し、1601(慶長6)年から城主の淺野幸長が改修して、1619(元和5)年頼宣が入城した。
岡口門から登城し表坂を上がり、本丸御殿跡から天守閣下に着く。昭和20年の空襲で焼け復元天守とある。先程歩いた三年坂通りが意外に広く、やはり当市も空襲を受けていたのだ。端に鞠と殿様の歌碑があり、殿様が紀州公とは知っていた。天守閣へ向けシャッターを切り、反対側へ降りる。この辺りが僅かに記憶に残るが一致しない。現存追回門を出入りし、鶴の渓から紅葉渓庭園へ。御廊下橋を渡り二の丸で小径。当城のシンボル伏虎像を見ると、傍に石垣の説明があり野面積み、打込ハギ、切込ハギと築城歴史を示しているとあり、私も確かめた。大楠下から大手門、一の橋を渡り下城した。
市内に、昨日会った友人が紹介してくれた老舗を訪ねる。思ったより距離があったが見付かり、入店し休憩。連絡があったと店長以下に丁寧に遇して貰い、教えて戴いたバス停から和歌山駅へ出た。天王寺行き快速に乗り、今回の県都巡りは予定通りに歩き終え、伊丹空港へ向かった。(2018/01/05 K.K. 1156/1200)

◇日時 2017/12/16 ◇天候 曇り ◇交通費現地 3,160円 ◇資料 和歌山市観光協会「和歌山市観光案内マップ」平成29年6月 ◇歩行距離 15km 21,000歩
「通過時間等」ホテル8:00-JR天王寺駅8:34-同紀三井寺駅10:25=紀三井寺本堂10:40=JR紀三井寺駅11:28-同和歌山駅(昼食)11:40/12:10=和歌山城跡岡口門12:30=天守閣下12:40=二の丸跡13:15=市内老舗13:45=バス停14:00-JR和歌山駅14:19-阿部野橋バス停16:00-伊丹空港18:30-羽田空港20:00-三田線三田駅20:24-自宅21:10