金華山城から岐阜柳ヶ瀬通りへ

最近記録を整理すると、全国各地を巡り記録を残しているが、中でも、中部地方が少ないと分かった。浜松行きの際、足を伸ばし岐阜を訪ねることにした。また、昨年末で、県庁所在地で未記録都市は九つあり、岐阜市が含まれている。岐阜と言えば、私には金華山城で、記録はないが再訪(90.3.23)。20年以上前のことで、現在では記憶は朧気である。

 ロープウェイで天守閣へ JR名古屋駅で新幹線から東海道線に乗り換える。岐阜駅は近く30分足らず。雨が降り出しそうで、早く城跡へとバスに乗車し、市内メインの通りを走る。広い直線の道路は空襲を受けて戦後のものだろう。途中柳ヶ瀬通りが見え、帰りには寄りたい。公園前でバスを降り、園内へ。ロープウェイがあり窓口で、下りは歩きたいと言ったら、雨後で滑るとアドバイスあり、往復券にする。前回もロープウェイで上下した。山頂駅に着き、金華山頂(329m)に建つ天守閣(1956年建設の模擬天守)へ歩くが、狭く急な坂道で、記憶より距離がある。途中、木立の間にアングルを見付けシャッター切った(写真上)。野面積みの石垣は往時のものか。雨が落ちてきたが、傘を出さずに天守閣内へ。私の年齢では無料。

天守閣から居館跡 当城は信長の城として有名だが、戦国時代斎藤道三側との攻防の末、孫龍興の時攻略して手に入れ、1567(永禄10)年地名も井の口から岐阜へと変えたことは知られる。二度目の天守内を巡る。最上階へ上がると長良川の流れが見え、その先に陸上競技場があり、一度、クライアント会社が出場した実業団女子駅伝を観戦したことがあった。展示品に、宣教師ルイス・フロイドの書簡写し(後の「日本史」、ポルトガル語か)を探す。信長時代来日し当城に来て、その様子等を本国に書き送った手紙を元にした書簡であったと思う。記憶通りの場所にあった。後でネットで調べればと一瞥し天守閣を出る。井戸跡から山頂駅へ戻り、昼食。下駅に降り、信長の居館跡を巡る。調査中で一部は発掘した儘。約20年前の前回も同様の作業をしていたと思う。千畳敷と呼ばれた敷地に石垣を巡らし、4階建ての豪華な館であったとある(小学館「城郭と城下町・東海」188頁)。

 柳ヶ瀬ブルースのご当地へ 雨が上がり、駅迄市内を歩くことにする。鍵型の大通りを進み市内のメイン通りとなり、岐阜市役所前から柳ヶ瀬商店街入口へ。美川憲一が唱う「柳ヶ瀬ブルース」は当地が発祥の地と言われ、ご当地ソングのはしり。最近歌謡番組が好きで、夜はテレビで良く聴いている。柳ヶ瀬はどんな所か興味があったが、偶々チャンスが来た。横丁の商店街へ入るも飲み屋街ではなく、スナックやバーも少ない(写真下)。歌碑があるのではと小路や広場も覗くが見付からない。事前調査なしで情報もない。美川のご当地ソング三部作、新潟ブルースや釧路の夜の歌碑は確かめた。残念ながら、商店街をウロウロしたが諦め大通りへ出て、岐阜駅へと歩いた。(2017/09/25 K.K. 1135/1200)

◇日時 2017/9/7  ◇天候 曇り後雨 ◇資料 小学館「城郭と城下町・東海」188頁 ◇交通費 16,760円 ◇歩行距離 12km 17,000歩
「通過時間等」自宅8:25-JR同東京駅9:33-同名古屋駅11:30-同岐阜駅11:55-岐阜公園前12:15=ロープウェイ12:30=金華山城天守閣12:45/13:05=ロープウェイ13:30=居館跡13:40=柳ヶ瀬通り14:25=JR岐阜駅14:58-同浜松駅17:00-宿泊先17:15