浜松城を訪ね市内を歩く

今年の業界団体の会合は、浜松市開催となった。この機会、合間を利用し歩くのはいつものこと。浜松城を思い出し、調べると駅から徒歩20分、宿泊先から30分のようだ。これまでは、朝が多く、名古屋開催の折は、朝食前名古屋城を一周した。今回も、朝を予定し前夜のパーティ二次会へは出ないで、就寝した。しかし、目が覚めたのは遅く、前日の疲れが残っていたようだ。そうすると昼休みか終了後である。

 鎧掛松から天守閣を一周 ホテルを出た時は16時に近く、タクシーを利用。10分足らずで、市役所前の鎧掛松近くに下車。家康が三方原で武田方に大敗して逃げ帰り、鎧を掛けた松で現在は3代目とある(写真上)。もう城跡内で、三の丸跡に市役所が建つ。前方に天守閣を見上げながら、二の丸間の通路から登城。天守閣を大量の石垣が固めている。戦国期の野面積みで、これで400年以上支えているのだ(写真下)。カメラに収めながら門を潜ると天守前。遅い時間なのに、見学者で込み合っている。多くの閣内は史料館や展示館であり、当城もそうだろうと省略し、裏へ回る。意外に小さい天守で、1958年建設のコンクリート製の模擬天守である。

家康と浜松城 1570(元亀1)年曳馬城と呼ばれた城に家康が岡崎城から移って拡張し浜松城と改め、1586(天正14)年駿府城築城まで在城した。先に書いたが、1573(元亀3)西上する武田軍と三方原で戦い大敗した。その時九死に一生を得た家康の恐怖、放心状態等は色々伝わる。ここからの家康が並みの武将と大違いで、その時の恐ろしさや悔しさを終生忘れないように放心状態の自らの姿「顰像」(シカミゾウ)を描かせて傍に置き、常に戒めにしていたという。
 私は二度目で、同好の士Yさんと、やはり夕方来城し外側から眺めた(91.9.22)。当時、法改正作業プロジェクトに属し一段落した時、2人で城跡巡りとして駿府城、高天神城、掛川城と回り夕方浜松へ着いたのだったと思う。その前、三方原戦の夜戦地犀ヶ崖を探したが到達出来なかった。今回も市内マップからは見付からない。天守閣を一周し、隣の日本庭園へ寄る。桜の名所であるらしいが、この時期花もなく、直線的に園内を抜け駅へ向かう。

市内を歩き浜松駅へ 浜松は産業大都市で、企業城下町であろう。我が事務所の主要クラアントも当市所在である。処が、市内を歩くと、肴町や伝馬町、鍛治町、旅篭町があり城下町名がそのまま残っている。連尺町もそうだろう。我が山形市にも同様の町名が今も残っている。商店街やビル街が連なる大通りを右折左折し、遠州鉄道の高架下を過ぎるとJR浜松駅前であった。                               (2017/09/28 K.K. 1136/1200)

◇日時 2017/9/8  ◇天候 晴 ◇資料 東京堂出版「城郭みどころ事典・東国編」2003年152頁 ◇交通費 15,900円 ◇歩行距離 6km 9,000歩
「通過時間等」宿泊先15:50-鎧掛松16:00=浜松城天守閣16:10=日本庭園16:20=JR浜松駅17:11-同東京駅18:50-三田線巣鴨駅19:20-自宅19:50