三重県都津に津城跡を再訪する

里歩きの中で、県都をも訪ね記録を残しているが、最近47都道府県全てをと思い始め、残りが一桁になり拍車が掛かっている。三重県都津を歩こうと、名古屋での小用に便乗を企んだ。処が台風22号来襲に重なり延期も考えたが、予定日の翌日晴れの予報に接し、名古屋駅経由で津へ向かうことにした。記録はないが約20年振りの再訪である。

 名古屋から津へ 名古屋駅で友人と昼食し情報交換をした。久しぶりにご当地食みそかつだが、味を忘れていた。いよいよ津へ向かうべく快速電車に乗車。名古屋到着時は雨が落ちていなかったが、本降りの中を電車は走っている。これから台風が伊勢湾沖を通過する時間帯のようだ。桑名駅、四日市駅を通過。桑名にも城跡があり未訪で、何時か訪ねたい。津へ近付いたが高層ビルなどはない風景の中、津駅へ到着。そのまま近鉄名古屋線に乗り、風雨の中津新町駅前のホテルに入った。

陽が差し急遽城跡へ 城跡は翌日早朝にと一休み後、麦酒を飲みながら夕食までの時間、先程交換した資料を読もうと思い、ふと窓の外へ目をやったら、雨は止み西日が差し始めている。未だ17時前で、これはチャンスとマップ片手にホテルを飛び出した。雨は落ちてはいないが風がある。5分程と資料にあるが10分以上を要し、津市役所前が中央公園・津城跡であった。
 直ぐ内濠跡で、現在でも水を湛えている(写真上)。石垣間から本丸跡へ進むと藩校の朱色の入徳門があり移築もの。雨で出来た大きな水溜まりが城内遊歩道を遮り、歩き難い。薄暗い中高虎の騎馬象に再会しカメラに収めた。入口にあるのが三層櫓(写真下)だが、模擬らしい。もう城外で、32万石藤堂藩としては狭いと思うが本丸跡のみではこの程度か。Uターンし中央の石垣は天守台跡だが、外様の高虎は天守を築かなかったという。また、二の丸跡の市役所前へ出て、ホテルへ戻った。

前回の見学記録 翌日帰宅後、前回の見学メモが見付かり、走り書きだが今回と同じ印象、感想と思う。”JR紀勢線で亀山駅から津駅へ出る。意外に近い。バスで津城跡に着く。濠跡の大半は埋められて市街地となったが、未だ一部が本丸跡と共に遺っている。唯一城跡のシンボル三層櫓は再建ものか。城内に、近世城の縄張り者として知られている藤堂高虎の乗馬姿の像があった。高虎は、信長、秀吉、家康と巧く渡り歩き、明治迄藤堂家は残ったから、その生き方の賛否は別として、戦国大名としては素晴らしいと言うべきだろう。関ヶ原や大坂の陣では先陣を務めたのが藤堂家で、家康への忠誠の証しであったろう。格別特徴的な遺構もなく、一通り見学をし、バスで津駅へ戻る。津市は、山形市並みだが、唯、メインの通りが意外に広く、やはり戦災を受けたためだと知る”(96.9.13見学)。
ラッキーにも津城跡見学が叶い、ホテルで静かに夕食を取り、地酒を戴いた。
(2017/11/14 K.K. 1144/1200)

◇日時 2017/10/29 ◇天候 雨後曇り ◇交通費 7,800円 ◇資料 西ヶ谷恭弘外「城郭みどころ事典・西国編 津城」16頁 ◇歩行距離 7km 9,000歩
「通過時間等」自宅8:30-JR東京駅9:33-同名古屋駅(昼食)11:10/13:37-同津駅14:30-近鉄津駅14:47-同津新町駅14:55=ホテル15:00=津城跡17:00/17:20=ホテル17:30