横浜市内にあった茅ヶ崎城跡を訪ねる

東京周辺の中世城跡巡りはほぼ一巡した。全国的には未訪の城跡は多いが簡単ではない。旅行した際当地の城跡を優先的に訪ね、昨年は越前大野城跡や多賀城跡、今年も津山城跡を見学した。そんな中、購読誌「新ハイキング」3月号に茅ヶ崎城跡を見付け、その内にとリザーブしていた。良く読まないで、茅ヶ崎市近くと思っていたが違っていた。

 駅から直ぐの茅ヶ崎城跡 最寄り駅の横浜市営地下鉄センター南駅は、東横線日吉駅乗換で、我が三田線直通先。路線検索で調べ余裕をもって出発した筈だったが、約束時間に10分程遅れ、センター南駅には同行の弟が待っていた。 城跡は近く、駅を出て正面の小山と見当を付け近づき、案内に従い正面口へ回り、城跡内へ。本日、久しぶりの晴で、近所の園児達が先生に連れられ散歩中。我々は追い越し、右の西郭から見学開始。当城の歴史は不明な点が多いが、室町時代の築城で、多田山城守行綱の館であったらしい。戦国時代は小机城の支城として、扇谷上杉氏の家宰上田氏が城主の時代もあったようだ(峰岸純夫外「関東の名城を歩く 南関東編」220頁以下)。

整然と遺る郭、土塁 小さな郭だが低い土塁に囲まれ整然と遺る。横浜市の調査、保存のお陰だろう。郭内は草は刈り払われているが、土塁の外は野草が覆っている。カメラに収めながら、東郭へ。途中に根小屋跡から東虎口跡がある。根古屋は城主が住まった館である。東郭も広くはないが少し高い地(写真上)。補助郭である腰郭の案内があり、東郭の外側を覗くが草藪で、不明。山城などの見学は、草が枯れる冬から春が良いとは知っていた。戻って土橋を渡り中郭へ入る。本丸的郭で中心にあり広い。こちらからも、隣東郭の腰郭を確かめようとしたが、良く分からない。次の北郭には井戸跡もある。全体としては、中郭を中心とした鱗郭式構造の中世城郭だろうか。そんな感じを抱き下城。茅ヶ崎というから海・相模湾に近いのではと漠然と考えていたが無縁で、JR横浜線の北側と知った。

大塚・歳勝土遺跡へ 早淵川を渡り、城跡とは反対側の森内へ。鶴見川支流で城の要害をなした川であろう。大塚・歳勝土遺跡公園で、城跡より更に古い弥生時代の遺跡とある。大塚遺跡は、環濠集落で、藁葺きの竪穴式住居が再現されている(写真下)。屋内を覗くと、竪穴式が私にも理解できた。そして、その外側を濠と柵で環状に囲んでいるが、極狭い範囲で、住居も10戸程度だろう。その中に二戸ほど高床式倉庫がある。隣の歳勝土遺跡は村人の墓地跡という。これも整然と保存されている。最後に、横浜市歴史博物館を覗き、駅前で昼食。

この記録の故里の読者で歌人S先生の生徒さんが、私の同級生の妹と知らされたが心当たりなく、弟に聞くと、彼の同級生の妹さんのようだ。私の記録にも興味を持っておられると聞こえて来た。そんな話しをして弟と別れ、帰路に就いた。            (2017.10.28 K.K. 1141/1200)

◇日時 2017/10/5  ◇天候 晴 ◇交通費 940円 ◇資料 内田栄一「茅ヶ崎城から大塚遺跡」新ハイキング737号3月 ◇歩行距離 8km 11,000歩
「通過時間等」自宅8:45-東横線日吉駅10:20-横浜営地下鉄ブルーライン南駅10:35=茅ヶ崎城跡10:45/11:20=早渕川茅ヶ崎橋11:30=大塚・歳勝土遺跡11:40/12:20=横浜市歴史博物館12:30=横浜市営地下鉄ブルーライン北駅13:02-東横線日吉駅13:18-自宅14:35