長瀞七草寺に桔梗とオミナエシを訪ねる

桔梗の花を観たいと思い咲く花園等を調べた。以前に武蔵丘陵森林公園で観たことがある(13.7.28)が、同園サイト上では現況は不明。我が家本棚にあるガイドブックより、長瀞の多宝寺にあると知り(JTB「るるぶ花あるき・関東版」2003年、101頁)、観光案内所に尋ねたら、一番花は終わったが二番花が8月中旬に咲くと教えてくれた。

 多宝寺の桔梗畑へ 長瀞には七草寺があり、ネットから「長瀞秋の七草寺めぐりmap」を出力し、出掛けた。真夏のこの時期、特に今年は猛暑続きで七寺は最初から諦め、桔梗の咲く多宝寺の外、場所的にも近いオミナエシのある真性寺を巡る予定とする。冷水の外、帽子、サングラスを持参した。東上線で小川町駅から寄居駅へ出て、秩父鉄道に乗車。最寄り駅野上駅は近く、駅で寺の方向を確かめスタート。踏切を渡り、荒川へ向けて歩く。この道は、昨年事務所ワンゲル部宝登山下山の帰路であった(17.11.18)。大通り交差点を左折すると右手に多宝寺が見え、境内には畑があり、桔梗畑。先ずは本堂前へ行き、ご挨拶に手を合わせる。普通の田舎寺のよう。戻って桔梗観賞。畑に三畝程栽培してあり、花は見頃で、濃紫の花が開いている。しかし、思ったより少なく花々も疎らで、桔梗寺としては物足りない感じ。

桔梗の思い出 私は、桔梗は好き花である。紫の花はケバケバしくなく、品があり優しさもあると思う。子供の頃近所の幼なじみ達と、お盆の時期に少し遠い山へ採りに行き仏前に供え、祖母に褒められたことを思い出した。好きな花だが、あれからは観る機会は少ない。カメラと携帯にも写した。自分の陰も写ってしまったと後に分かった(写真上)。残念。
 大通り交差点へ戻って、荒川高砂橋へ。丁度長瀞ライン下りが見え、今では和舟ではなくゴムボートで、4艘も下ってきた。荒川は増水しており、船頭はいないが、乗客全員救命具を着けている。

オミナエシに囲まれた真性寺 次はオミナエシ観賞に、近くにある真性寺へ向かう。秩父盆地は暑いとは聞いてはいたが、近隣の当地も風もなく汗が滲み出る。長瀞方向へ歩くと途中に寺への案内があり、石段を上がる。オミナエシが飛び込んで来て(写真下)、寺はオミナエシに囲まれていた。また本堂に詣でて、カメラに収めながら花の間を巡る。丈のある薄黄の花は満開で、見応え充分。境内ベンチに休憩し、持参した麦茶を飲んだ。
暑い中これ以上歩くのは止めようと決め、野上駅へと参道を出て踏切を渡り、大通りを歩く。歩きながら、長瀞町の中心は隣の長瀞駅付近ではなく、当地で、近くに役場や郵便局もあると気付く。寄居駅に下車し、晩酌用に、”白扇”を求める。故人となった先輩が好きだった寄居の地酒で、これまでも2,3度買って帰ったことがあった。(2018/08/29 K.K. 1205/1300)

□日時 2018/8/15 □天候 晴 □交通費 2.500円 □資料 長瀞観光協会「秋の七草寺めぐり」 □歩数等 9,000歩 6km
「通過時間等」自宅7:20-東武成増駅7:55-同小川町駅9:03-秩父鉄道寄居駅9:29-同野上駅9:50=多宝寺10:05=高砂橋10:15=真性寺10:30=秩父鉄道野上駅10:58-東武寄居駅11:34-同小川町駅11:53-同成増駅(昼食)12:50/13:10-自宅13:30

ゲリラ豪雨に逃げ帰った箱根山中

11時10分過ぎ、箱根山中の杉林の中の上りの山道を歩いていた。先程来、ぽつりぽつりと雨が落ち始め、遠雷が聞こえていた。鷹巣山への山道は大きな杉の根が露出して行く手を遮り、しかも段差が大きく(写真上)苦戦している。それでも、上部が開けて来て最高地点は近いなと思った頃である。辺りが急に暗くなり雨が激しく落ちて来た。そして雷音を伴い、近いようだ。慌てて、2人は雨支度。私は、ビニール合羽にザックカバーを付けた。しかし、雨は弱まる様子はなく、雷音も大きくなり傍のよう。引き返そうと弟を促し、Uターン。もう山道は川のように水が流れ出し激しく、根の段差は滝になっている。

 千条の滝は見物 本日は、箱根山中に千条の滝から飛龍の滝を巡ろうと弟を誘った。天気予報をチェックし、気温の高くない日にしたが、午後一時雨とあり、俄雨程度だろうと雨具も用意した。小田急線の事故で、小田原駅着は30分以上遅れてしまった。弟はバスと言ったが、私は強引に登山電車にし小涌谷駅から、10時25分に千条の滝を目指し歩き出した。国道1号を渡り、住宅街から保養所の前を通り、遊歩道を蛇骨川へ近付くと千条の滝は落ちていた(写真下)。幅広い岩壁を垂直に落ちる白糸の滝である。カメラに収め、木橋を渡り、浅間山ではなく楽な鷹巣山へのコースに入った。

 ずぶ濡れで小涌谷駅へ そして、30分程歩いた時、冒頭のゲリラ豪雨に遭ってしまった。逃げ帰るのも大変。懸命に下り続けるが段差の小滝はかわせず、水はあふれ、もう靴には水が入りズブズブ状態。雨も容赦なく降り続け、靴だけではなく、シャツから身体もずぶ濡れ。私の簡易合羽は何ら役に立たない。隣の蛇骨川は濁り水が激流となって走っている。先程は静かな清流であった。先日の広島地方の大雨被害もこんな状態だろうと想像できた。

無用であった雨具類 千条の滝前を素通りし、住宅街へ戻ったが、雨宿りするような食堂はなく、全身ずぶ濡れで、小涌谷駅へ駆け込んだ。着替えようとザックを開けたら、中の下着類もびっしょり濡れている。肝心のザックカバーは無用であった。防水が不完全というよりは、雨が激しかったのであろう。合羽にも昨日防水スプレーを吹き掛けたばかりだったが。下着の着替えは期待していたのでショック。弟の雨具はしっかりガードしたようで、たいしたことはないようだ。
登山電車で湯本駅へ下った。ずぶ濡れの私は車中では小さくなった。風呂に入ろうと駅裏のカッパ天国へ行き、温泉に浸かる。下着類は買えなかったが、一息付いて、何とか帰宅した。ずぶ濡れ引き返しは、長いハイキング経験の中で、初めてのことである。(2018/08/25 K.K. 1204/1300)

□日時 2018/8/12 □天候 曇り後豪雨 □交通費 3.040円 □資料 旅行読売出版「滝 湖畔 渓谷を歩く 千条の滝」2000年,74頁 □歩数等 12,000歩 9km
「通過時間等」自宅6:20-都営新宿線神保町駅7:05-小田急新宿駅7:28-同伊勢原駅8:45-同小田急小田原駅9:30-登山鉄道小涌谷駅10:25=千条の滝10:40=Uターン地点11:15=登山鉄道小涌谷駅12:00-小田急湯本駅(温泉)12:30/14:08-新宿線新宿駅16:20-三田線神保町駅16:33-自宅17:05

戸越に星薬科大植物園を訪ね、八幡宮へ

私のハイキング先情報源は、手許の資料のみならず、新聞やテレビ、ラジオも含まれる。四季の花情報は殆どマスコミに頼っていると言って良い。今回も、新聞から見付けた。東京地方版に、星薬科大植物園にアオノリュウゼツラン”30年に一度?待望の開花”(18.8.3朝日)の記事に出会い飛び付き、出掛けることにした。

 戸越から星薬科大へ 都区内地図で、星薬科大の所在地を調べると品川区内だが込み入った地で、分かりにくいようだ。都内の商店街から住宅街は縦横無尽に大小の道路が交差し、迷うことが多く、苦手なウォーキング。降りる駅を都営浅草線戸越駅とし、いつもの山勘で目指す外はない。三田駅で浅草線に乗り換えると、戸越駅は近く我が家から1時間強で着いた。
駅案内板で星薬科大を探すと、出口にも同大学の表示がある。地下から通りに出たら商店街で戸越銀座通り。賑やかな街だなと思いながら池上線戸越銀座駅脇の踏切を過ぎ、銀座通りもお終いになって、大通りとの交差点。中原街道とあり、方向から右折だろうと側道を進むと次の交差点が星薬科大前とあり、山勘も当たりキャンパス通りへ入る。正門の守衛室で登録し見学者カードを受け取り、植物園を教えて貰う。私と同じ見学者はチラホラといるようだ。

アオノリュウゼツランの花を見る 本館手前右が植物園。入園し奥へ進むと、新聞で見たアオノリュウゼツランはあった。丈が他より一段と高い、小杉風の植物がすくっと聳えている。原産はメキシコで、花は30年から50年に一度しか咲かないとある。近づき眺めると黄緑色で葉形の部分が花のよう(写真上)。確かに下部は、私も知る蘭である。先客の傍で、位置や角度を変えカメラに収めた。大学の研究用薬用植物園は、広くはないが温室もあり様々な植物が栽培されている。帰り掛けに桔梗やハイビスカスの花が目に付いた。因みに、アオノリュウゼツランは利尿剤用とあった。

 戸越銀座、同八幡宮 戸越銀座通りに戻り、歩き足りない分を歩こうと通りを行く(写真下)。往路で、再訪ではないかと気付いた。友人に当地出身の方がいて、”江戸の先で戸越という”と教えて貰ったことがあった。両側に様々な大小の店舗が並び続き、客も上下し、下町の銀座である。
戸越八幡宮の幟を見て、参拝しようと尋ねると、通りの先で遠いとの返事。戸越銀座駅の案内板には通りの右手にある。歩きながら、八幡宮も寄ったような気がして来た。銀座通り右手の坂、宮前坂を上がり左折すると、参道から本殿。軽く参拝したが、神社は何処も似たような建物であり、記憶も朧気ではっきりしない。あの時は戸越公園も巡った筈で近いならと、持参地図を見たが定かでない。戸越駅案内板にもない。諦めて、帰宅。記録から戸越銀座ウォークを探したが見付からない。しかし、今回の戸越は再訪に間違いないと思う。(2018/08/20 K.K. 1203/1300)
□日時 2018/8/9 □天候 曇り □交通費 シルバーパス □資料 昭文社「東京都市図 61武蔵小山」2004年 □歩数等 8,000歩 6km
「通過時間等」自宅9:00-浅草線三田駅9:52-同戸越駅10:10=星薬科大10:25/10:40=戸越八幡宮11:10=浅草線戸越駅11:28-三田線三田駅11:45-自宅12:30

青春18きっぷを使い吾妻線を往復する

先々月から乗り鉄を試して、まあまあと楽しんでいる。盛夏を迎え、ハイキングの季節ではなく、登山も簡単ではない。そんな中、列車の旅は車中は冷房が効き、特に真夏の時期には向いている。そして、青春18きっぷ利用をすれば良いのではと浮かんだ。最初の行く先はJR吾妻線の渋川駅から大前駅である。

 高崎駅乗り換え吾妻線へ JR赤羽駅で高崎線に乗車した。高崎駅乗り換えだが、事前の調べでは吾妻線発車まで僅か2分。隣のホームかなと楽観過ぎる予想もした。高崎駅に着き車内アナウンスがあったが良く聞き取れない。降りて隣を見れば大前行きの電車。山勘が当たり、ニンマリとし乗り込む。4両電車に八分の乗車で、発車。
吾妻線の長野原草津口駅から先は乗ったことがなく、今回終点大前駅迄の全線を乗り切りたい。吾妻峡谷を歩いた時川原湯温泉駅迄乗ったのが最新の吾妻線乗車歴(10.12.4)。
渋川駅で、上越線から分岐し、吾妻線へと入った。隣が金島駅。関東ふれあいの道の起点の駅で、2,3度乗降したことがある。山間の地へと進み、吾妻川が流れる谷内である。小野上温泉駅を通過し、温泉入浴に帰りに途中下車しようかとの思いが過ぎる。中之条駅に着き停車。吾妻線の中心駅のようで、大半の客が降車。私は、先月、Sさんの車で中之条から四万温泉へ来たばかり。次の群馬原町駅にも二度乗降した。岩櫃山や岩筆城跡がある。真田昌幸城主時代、原町は城下町として栄えたという小説を読んだことがある。

郷原駅を通過 郷原駅を過ぎる際、車窓からの眺め(写真上)に、以前も見た風景と思い出した。屋根に煙出しが付いた大きな農家は養蚕用であろう。頭上を見上げれば岩峰、岩櫃山か。慌ててカメラを出しシャッターを切った。当地出身の同期生がいて、”ゴウバラ”と濁ると教えてくれた。吾妻線は、八ッ場ダム工事区域を走った。8年前川原湯温泉駅に降りた時工事は中止していたが、その後再開されている。吾妻線の付け替え工事は継続し、現在は新線を走る。当然川原湯温泉駅も見覚えのない、新しい駅舎であった。

 初めての区間から大前駅折り返し 長野原草津口駅に着き、長い停車。若い頃職場旅行が盛んで、草津温泉にも数度泊まり、込み合うホームに列び乗車を待ったこともあった。駅付近を眺めると、記憶に一致する風景もあるよう。
初めての乗車区間へ突入し、知るのは万座・鹿沢口駅のみだが、山間の狭い地に数駅があり、駅周辺の山中に家がぽつりぽつりと見えるだけ。鹿沢口駅もほぼ同様だが、川の畔に商店も見えた。期待した浅間山は、目の前の山々が遮りとても望めない。
終点大前駅では引き返し迄駅前をウロウロ(写真下)。駅舎もなく、ダイヤは1日5本。川向こうの遠くに集落が見えるだけ。客はそのまま新前橋行きになった電車に乗り直し、私もその1人となった。(2018/08/16 K.K. 1202/1300)

□日時 2018/8/5 □天候 晴 □交通費 青春18きっぷ1/5 □資料 旅行読売「ひとり旅 吾妻線」2010年、121頁、□歩数等 2,000歩 2km
「通過時間等」自宅6:15-JR板橋駅6:50-同赤羽駅7:10-同高崎駅8:53-同大前駅10:38/11:00-同新前橋駅12:40-同高崎駅13:14-同赤羽駅14:45-三田線新板橋駅15:00-自宅15:30

四万温泉からキスゲ咲く野反湖

未だ8月前なのに猛暑が続き、ハイキング先の選定に苦労している。今回は、渡良瀬渓谷鉄道に乗り涼風を楽しもうと計画したら、群馬の当地は39℃という予報を見て、急遽Sさんにコース変更をお願いし、了承を得た。四万温泉の摩耶の滝を思い付き、35℃とある。Sさんのご厚意に感謝しながら、車で高島平を出発した。

 四万温泉摩耶の滝 車は関越高速を走り、渋川ICに降りて一般道を吾妻へ向かう。昨年訪ねた箱島湧水の近くを通り、中之条で山側へ右折し、結構走って四万温泉の先、日向薬師堂近くの駐車場に着いた。四万温泉は、東京でも知られた山ノ湯だと思うが、チャンスがなく初めて。思ったより山深く、広い温泉地のよう。摩耶の滝は、湯治客が散歩にも眺められる直ぐ近くにあると思って来たが、渓谷の奥の案内。沢に沿い出入りのある山腹に切られた遊歩道で、距離がある。約30分で到着し、激流が落ちている(写真上)。この時期夏枯れかなと心配したが、道が濡れ昨夜雨であったようである。Sさんも着いて、一休み。休憩舎には先客もいた。遊歩道を戻ると、往路では気付かなかったが結構下り坂。突然前方を猿の家族連れ10頭程が山から出て来て、谷へと降りて行った。山で猿に出会うことは希ではないが、近くで多数を見るのは初めて。一瞬襲われたらと心配してしまった。車で、四万温泉街を半周し、グランドホテル近くの河原に共同浴場を見付け、入浴。熱い温泉で、私は汗を流して出た。

暮坂峠を越す 未だ12時前で、Sさん、もう一箇所回ってくれるという。先程暮坂峠の標識を見て、一度歩いたことを思い出し(10.12.5)、再訪も良いと提案したら、Sさんは湖が念頭にあるようで、野反湖と分かる。カーナビで検索し、約50㎞、1時間程と出た。ニッコーキスゲの花期かもしれないと、期待しお願いする。沢渡温泉を過ぎ暮坂峠へのコース。以前私は中之条駅前から沢渡温泉迄はバスで、そこから徒歩で往復した。計4時間程歩いたろうか。車は速く、牧水会館を左に見て、最奥の集落から山坂をくねると峠上で、Sさんに峠に建つ若山牧水像を紹介した。

 キスゲが乱れ咲く野反湖へ旧六合村へ入り、奥へ奥へと進むと下る対向車が多い。キスゲ見物かなと期待半分。野反峠に降り、眼下に湖を展望(写真下)。キスゲはあるがそれ程ではない。涼風の中、草原へ分け入るに従い、キスゲの群落に出会う。それも満開。カメラが忙しい。花友用に携帯にも写す。Sさんも感嘆のよう。コオニユリやハクサンフウロも咲いている。最後は咲き始めたヤナギランやシモツケソウも見付けた。ビジターセンターで、遅い昼食後、帰路に就く。思い掛けなく、乱れ咲くキスゲの群落に出会い、Sさんのタイムリーな案内に感謝である。有り難うございました。(2018/08/11 K.K. 1201/1300)

□日時 2018/7/22 □天候 晴 □資料 旅行読売「滝 湖畔 渓谷を歩く 摩耶の滝」31頁、野反湖休憩舎「ハイキングマップNOZORIKO」 □歩数等 11,000歩 8km
「通過時間等」自宅・高島平7:20-四万温泉10:00-遊歩道入口10:05=摩耶の滝10:35=遊歩道入口11:10-河原の湯11:30/11:55-野反湖13:10/13:50-高島平・自宅17:55

富士山五合目を歩いて1200回へ

私の山歩き里歩きも1200回の区切りを迎えた。車で千葉麻綿原も検討していたが、最近の大雨で通行止めがあり、急遽行き先を変更した。二日前、富士山五合目行き高速バスが予約できた。富士登山は無理でも、山麓の五合目を歩いて山歩きの雰囲気に浸り、展望を楽しみたい。単身でも大丈夫だろうと出掛けた。

 五合目からお中道を歩く 三連休の中日、高速バスは、都内から混んで渋滞にはまり、中央高速へ入るのに時間を要し1時間以上遅れ、五合目登山口に着いた。富士登山以来である(00.7.28,29)。登山者で賑わい、外国人が多いのは最近の傾向だろう。情報を収集し昼食を求め、近くの小御岳神社に安全をお願いし、階段からお中道へ上がってスタート。富士のお山は雪はなく、黒い岩肌の大きな姿が頭上にある(写真上)。標高2300mなのに暑い位。
カラマツやダケカンバ樹林帯の中の平らな石畳の道。登山口とは一転して静かで、希に上がって来るグループには遭うが下るのは私のみ。両側には白い石楠花が途切れながらも咲き続き、綺麗。林が切れ下方が見えるが雲があり遠望はなく、南ア迄は見えない。砂礫に覆われた箇所が時々現れ、崩落箇所だろうか。靴がめり込み歩きにくい。
裸の富士は望めるが、登山者の列までは確認できない。象の足に取り付いた蟻の程度だろう。そんな風景を繰り返しながら、お中道を行く。また家族連れや女性軍と交差したが、五合目迄かそれとも山頂目指しているのか。時々車の騒音が聞こえ、下のスバルラインと並行しているのだ。

 御庭から奥庭へ そろそろ1時間近くなり、周囲の木々の丈が低くなり、右下に建物の屋根が見え出し、御庭と呼ばれる地域に入ったようだ。この辺りは森林限界地で、過去の小噴火口が点在するらしいが、今では分からない。右方へ下り始め、急坂もあり、持参したストックを使いながら慎重に下り続ける。スバルラインを横断する際、バス停がありバス時間を眺めて、奥庭へ下る。天狗の遊び場と呼ばれるとある。売店があり、その脇でカメラを構えた男女10人程が一点に集中しているよう。私もその方向へ目を向けたが分からない。鳥には違いなく、後にルリビタキと資料にあった。

河口湖駅に下山し1200 売店前から天狗岩を見て、展望台へ上がる。旧噴火口という。お中道からの姿とは違う富士が正面に現れ、カメラに収めた。コニーデ型の裾は長く引き美しい(写真下)。旧火口に沿い遊歩道を一回りし、急坂を上がりバス停へ。バスが直ぐ来て、乗車。満員で中へ入れない儘、スバルラインを下り、河口湖駅で富士急電車に乗る。こちらはラッキーにも高尾から新宿直通の快速で、席も確保。一息入れ、1200回達成をメール。そうしたら長女から、”子供の頃、五合目に行ったね”と返信があった。あの時子供達は乗馬したと思い出した。今回も五合目に馬10頭程が繋いであった。(2018/08/06 K.K. 1200/1200)

□日時 2018/7/15 □天候 晴 □交通費 6,300円 □資料 山と渓谷社「首都圏ハイキング’97年秋冬 お中道から奥庭へ」112頁 □歩数等 14,000歩 10km
「通過時間等」自宅6:40-新宿線神保町駅7:16-バスタ新宿9:05-富士山五合目13:15=御庭分岐14:20=奥庭展望台14:38=御庭バス停14:53-富士急河口湖駅16:00-京王線高尾駅17:31-三田線神保町駅18:45-自宅19:20

暑さ避け井の頭公園から武蔵八幡宮を歩く

未だ7月半ばなのに猛暑が続き、ラジオからは熱中症注意の放送が頻りに流れる。そんな中、ハイキングは、1200回目前になり、少しでも涼しいコースをと渓谷や川辺、森林の中とか思い巡らしたが、中々浮かばない。井の頭公園の玉川上水が流れる両側は深い樹林帯であったと思い出した。二度ほど歩いたが、最近はご無沙汰である。未訪の武蔵八幡宮も近いようだ。

 井の頭線で井の頭公園へ午前中に歩き切ろうと早めに出掛け、京王線明大前駅から井の頭線に乗り換えた。同線は初めてではないが何時かは思い出せない程前のことで、車窓の景色も新鮮。杉並の高級住宅街だろう。井の頭公園駅に下車すると直ぐ右手が公園。池を中心に周囲には木々が多い。散策者達と交差しながら、細長い池の上流方向へ行く。ようやく見覚えのある池風景に出会い、回り込むとお茶の水井戸。家康達も汲んでお茶を点てたという。神田川の源泉である。現在は地下水を汲み上げているとある。池中の弁天様にお参りし、孫達の進学を報告しお礼を申し上げた。池辺を出て、目指す森林地帯へ。

林の中の玉川上水 思い出の林は、静かに広がっている(写真上)。陽は届かず、風はないが暑くはない。その下には散策路が縦横に巡り、武蔵野の面影を残している。玉川上水へ近づき、先ずは下るが、流れは少ない。以前、桜桃忌頃、太宰碑を探し上水を上下したことがあった。未だ多摩南大沢キャンパスに通っていた時だから、約10年前になろうか(05.6.17)。ほたる橋から下り幸橋でUターンし、万助橋へと戻る。

自然文化園で鳥達を見る 吉祥寺通りを渡り、隣の井の頭自然文化園へ入園。カブトムシや昆虫のいきもの広場を覗こうとしたが、日曜日のみの開園らしい。野鳥の森があり、籠内だがふくろうや雉、ハヤブサがいる。ヤマドリは初めて見た。赤っぽい色をしている。子供の頃、近所の狩猟をやる方から聞いてはいたが、見るのは始めて。そんなに大きくはなく、狩りの対象とは思えない。日本リスもいた。湘南地方ハイキングでは台湾リスは良 く見掛けたが、それよりは小さめで細身。檻内を駆けめぐっている。半周して退園。

 武蔵八幡宮参拝 また吉祥寺通りを歩き、JR中央線高架下から商店街。途中、案内図で武蔵八幡宮の位置を確かめると、三つ信号を渡り、通り右側蓮乗寺の先のよう。交差点を数えながら渡ると寺があり、その向こうに境内らしき垣根が見え、武蔵八幡宮であった(写真下)。私の予想とは違い、シンプルな神社で、境内も広くはなく、本殿も私には歴史は感じさせない。手許の資料には、789年坂上田村麻呂が宇佐の八幡大社から分霊し創建したとあり、それなりの古社の雰囲気などを期待していた。また手を合わせ、孫達へのご加護をお願いした。吉祥寺駅へ戻る。駅前の繁華街に驚きながら、駅舎の中で、井の頭線ホームを探した。  (2018/08/01 K.K. 1199/1200)

□日時 2018/7/12 □天候 曇り後晴 □交通費 400円 □資料 山と渓谷社「首都圏ハイキング1999年秋 井の頭公園」76頁 □歩数等 13,000歩 9km
「通過時間等」自宅7:50-新宿線神保町駅8:35-井の頭線明大前駅8:59-同井の頭公園駅9:20=井の頭公園9:25=お茶の水井戸9:35=ほたる橋9:45=幸橋9:55=万助橋10:05=自然文化園10:10/10:35=武蔵八幡宮10:55=井の頭線吉祥寺駅11:12-京王線明大前駅11:31-三田線神保町駅11:51-自宅12:25

羽州路に紅花を眺め、象潟に芭蕉を辿る

秋田での行き先は、男鹿半島や角館があるが若い頃一度訪ねている。象潟は未訪で一番の候補地だが、アクセスが良くない。秋田新幹線でも秋田駅経由だし、新潟駅からは羽越本線で北上だが遙か先である。実家帰省を利用し、象潟を目指すことにした。それでも、新庄駅、余目駅で乗り換え約3時間掛かる。朝7時前に駅へ送って貰った。

 鳥海山から象潟 酒田駅で秋田行きに乗り換えた。鳥海山の裾で日本海沿いに電車は走る。私は高校時代吹浦駅迄は来たことがあるが、その先は初めての地。出羽富士鳥海山は大きく、海側へ長く裾を引いているのが先程庄内平野から見えた。羽後秋田へ県境を越してその裏側へ入り、山姿は益々大きくなった。思ったより海は離れ海岸縁ではない。象潟駅に降りたのは2人で、私は、駅前案内図で、九十九島と蚶満寺へのルートを確かめ、市内へ。大通りを右折し踏切を跨いだら、九十九島が広がり、右手にはまた大鳥海山が聳えている。 芭蕉が訪ねた時(1689元禄2年)は入江の浅瀬に浮かぶ小島群の名勝地だったというが、その後1804(文化元)年地震で隆起し、水田の中に松がある塚山のようである。カメラに収めたが、鳥海山上部には雲が掛かり、残念。
蚶満寺は見えない。地元の方に尋ねたら未だ先で、線路沿いに回り込むと、古刹の広い境内であった。参道左手に芭蕉像が建つ(写真上)。芭蕉は、羽前山形の羽州街道を歩き、新庄先の本合海からは舟で最上川を下り、羽黒山、月山に寄り酒田を経て羽後の象潟であったと思う。奥の細道最北の地で、”象潟や 雨に西施が ねぶの花”と詠んだとある。シャッターを切り、山門から本堂前へ進み、参拝した。参道からの風景が九十九島らしく(写真下)、またカメラを向けた。秋田行きの特急には間に合わず、次の新潟 行きの特急へと予定を変更し駅へ戻った。

 紅花畑、羽州街道六田宿 前日、同級生で本記録の読者Aさんに、天童紅花まつりから羽州街道六田宿を案内して貰った。山間の畑に紅花は咲き始めたばかりのよう。カメラを片手に紅花の間を巡った。本場山形の紅花は初めてだが、以前桶川で見た花と同じものが一面栽培され黄色い花の中に、ぽつりぽつりと赤味の濃い花が混じる。満開を迎えたら、全体が赤味を帯びるようだが少し先か。
市内を貫く羽州街道、現国道13号を天童から東根へ向かって貰う。途中神町の松並木で止めて貰い、5本程の松並木をカメラに収めた。東根四谷付近にも松並木はあったが一本のみになってしまった。そして六田へ入った。芭蕉が尾花沢の鈴木清風宅滞在中、山寺立石寺へ往復したのが紅花が咲く羽州街道で、六田宿での芭蕉の記録も残る。その縁で、芭蕉像と石碑があり、その時詠んだ、”まゆはきを 俤にして 紅粉の花”の句が刻んであった。Aさんお世話様でした。お昼と麦酒もご馳走様でした。また感謝です。(2018/07/28 K.K. 1198/1200)

□日時 2018/7/3 □天候 晴 □交通費 大人の休日倶楽部パス2 □資料 日本海きらきら羽越観光圏推進協議会「象潟駅」、「第31回 おくのほそ道天童紅花まつり」 □歩数等 11,000歩 8km
「通過時間等」実家6:40-JRさくらんぼ東根駅7:16-同新庄駅8:12-同酒田駅9:35-同象潟駅10:15=九十九島能因島10:20=蚶満寺10:40=JR象潟駅11:27-同新潟駅14:13-同上野駅16:00-三田線巣鴨駅16:19-自宅16:50

宮古から釜石へ被災地をバスで走る

昨日、青森から八戸線、三陸鉄道北リアス線で、午後7時過ぎ岩手の宮古へ入った。本日は、釜石から花巻へ出る予定。釜石から、更に南リアス線で大船渡から気仙沼を回ることも考えたが、迂遠であるほかに過疎ダイアで、難しいと分かった。夕方遅くない時間迄、山形東根の実家に着きたい。

 代行バスで復興の地へ 現在、宮古駅から釜石駅へのJR山田線は未だ不通の儘で代行バスが走り、昨日宮古駅で確かめた。朝、宮古駅前(写真上)でバスを待った。バスは道の駅やまだで乗り換えという。駅は浄土ヶ浜へ出た時利用した筈だが見覚えがない。
宮古市街を出ると右手に単線の鉄路が見え出した。山田線で、心なしか錆びているように見える。津軽石から山田へ入ったようで、途中には工事中の高い防潮堤があり、また反対側には共同住宅が建ち仮設のものか。山田駅前では、駅舎は崩れ流されてない。広場には、臨時に建てた共同店舗がその儘に見える。左手は湾で、市街地と高さに違いはなく、これでは、被害が激しかったのは窺える。湾には、筏が浮かび、牡蛎の養殖は再開しているのだろう。そんな中バスは走り、道の駅に着いて、釜石行きに乗り換える。大槌付近では、広い更地に新しい住宅がポツンポツンと建ち、周囲に庭や花壇はなく砂礫のように見え、復興半ばである。

釜石線に乗車 バスは釜石に着いた。初めての地で、当地方の都会に見える。駅前には、製鉄所の大きな工場が占めている。ラグビーで有名だが、私の若い頃はバスケ部もあったようで、就職した高校の先輩がおられた。駅前で買い物をし、釜石線へ乗車。この線の花巻駅から遠野駅迄は一度乗ったことがある。震災の翌年で、所内旅行先を被災3県とし、買い物をして支援しようというのが事務所の目的で、私も、補助を受け目一杯岩手産品を買ったことを覚えている。
 花巻駅に降り城跡やイギリス海岸へ寄ろうかとも考えていたが、暑くて炎天下歩くのは止め、終点盛岡駅へ出た。車内で、さくらんほ東根駅へ路線検索をしたら、北上線で横手駅へ出て新庄駅から山形新幹線との経路も出た。私は陸羽東線を想定していたが大分時間差がある。乗り換え時間の長短の差で、北上線は初めてであり、飛び付いた。

復興弁当を求め北上線へ 東北新幹線を北上駅に降り、北上線へ乗車。乗り換え時、弁当とカップ酒を求めた。なんと東北復興弁当で(写真下)、6県産の素材を使用した郷土料理品を盛り合わせたもの。山形県の中には、故郷東根の枝豆漬けがあり、実家の近くで私の1年先輩がやっている漬物屋のものとある。北上線は県境では長く山中を走り、秋田へ越して下りに入った。横手駅での奥羽本線への乗り換えもスムーズで、新庄駅で、17時過ぎの山形新幹線に乗れ、実家へ連絡した。        (2018/07/25 K.K. 1197/1200)

□日時 2018/7/1 □天候 晴 □交通費 大人の休日倶楽部パス2 □資料 「三陸鉄道時刻表」2018年3月現在 □歩数等 5,000歩 3km
「通過時間等」宿泊先7:20-JR宮古駅前7:35-道の駅やまだ8:58-JR釜石駅10:11-同盛岡駅13:07-同北上駅13:40-同横手駅15:01-同新庄駅17:12-同さくらんぼ東根駅17:50-実家18:00

八戸根城跡、八戸城跡そして宮古へ

東北も青森や岩手、秋田行きを予定し、八戸は直ぐ決まった。城跡があり、その見学をしたい。その後は三陸海岸を回ることにした。ラジオから、”旅行することも復興支援になる”と聞いた。何か出来ないかと思うこともあったが、旅行なら出来ないことはない。この目で、災害地やその復興状態を確かめるのも、いずれか役立つかもと考えることにした。

 中世の城八戸根城跡 東北新幹線はやぶさは速い。上野駅から3時間弱で八戸駅へ着いた。案内所で、八戸根城跡へは徒歩では遠く、バスを勧められた。教えられたバス停で降りると八戸博物館が見付かり、入口に建つ築城者南部師行の騎馬武者像を眺め、根城跡へ。
当城は、丘陵に築かれた中世の城で、壕、土塁、木柵、平屋建てで石垣はない。復元された中世城は珍しく、私は信濃の荒砥城跡だけである(07.3.18)。カメラに収めながら、木橋を渡って坂を上がり、柵の門から奥の本郭跡へ入った(写真上)。復元主殿へ入館し、一回り。シンプルな館は、各間も並ぶが広くはない。広間では正月の儀式の様子を人形で再現していた。外には鍛冶工房や倉庫、納屋、馬小屋もある。根城は、南北朝時代、陸奥国司になった北畠顕家に付いて、甲斐国から来た国司代南部師行が築き、約300年続いたが、南朝方の衰退に連れ根城南部氏の勢いが弱まり、他方、同族系の三戸城の南部氏が、豊臣時代秀吉にいち早く従ったため、当地含めて支配領地が安堵され、後の盛岡藩南部氏へと繋がり発展した。そして根城南部氏は遠野へ転封され、盛岡南部氏の支配下になった。そのため、当城は中世城郭の儘廃城になったという。

 小さな八戸城跡 広い城跡を半周し、またバスで八戸駅へ戻って八戸線に乗り、本八戸駅で下車し駅前に三八城公園を探す。こちらは江戸期からの八戸藩の城があった地。先の根城南部氏の遠野転封後、盛岡南部氏の俊直が築いた。駅前高台にあり、現在では本丸跡のみで、小さな公園。中心に初代城主南部直房像があった。隣の社に参拝すると、大きな弁慶石があり、義経の北方(蝦夷)行き伝説が説明してあった。

 三陸鉄道北リアス線に乗車 八戸線乗車を継続し三陸沿岸へ。八戸市の中心は八戸駅や本八戸駅よりは先のよう。太平洋が見え出し種差海岸を通過して、久慈駅到着。待ち時間があり、地元ストアで弁当とカップ酒を求め、三陸鉄道北リアス線へ乗り込む(写真中)。2両列車は直ぐ山中を走る。リアス式海岸の高い位置のようで、入江風景を繰り返す(写真下)が、海面や浜を見下ろす車窓風景。これで、先の震災の被害は少なく、早めの運行再開が出来たのだろう。田老駅に停車。約30年前、宮古の浄土ヶ浜からの遊覧船寄港地で、ここで上陸し龍泉洞行きバスに乗ったのだったろう。終点宮古駅に着き、隣のJR駅で、明日の釜石行きの情報を得て、駅先のホテルへ向かった。(2018/07/23 K.K. 1196/1200)

□日時 2018/6/30 □天候 晴 □交通費 大人の休日倶楽部パス2 □資料 春風亭昇太「青森県八戸市根城」大人の休日倶楽部掲載 □歩数等 14,000歩 10km
「通過時間等」自宅7:40-JR上野駅8:46-同八戸駅11:52-八戸根城跡12:00/13:23-JR八戸駅14:25-同本八戸駅14:35=八戸城跡14:45/15:00=JR本八戸駅15:24-三陸鉄道久慈駅17:30-同宮古駅19:02=宿泊先19:20

郡山から水戸へ水郡線を乗り切る

大人の休日倶楽部パス最終日、迷わずJR水郡線乗り鉄にした。何故か一度は水郡線を乗り切りたいと思っていた。東北線で郡山駅や常磐線で水戸駅を通過する際、目に付く機会が多く身近に感じていたのかもしれない。全く無縁ではなく、水戸駅から袋田駅迄や常陸太田駅迄は乗車したことがある。今回は、東北新幹線で郡山駅へ向かった。夕方虎ノ門で会合があり、先に遠い郡山駅からにした。

 郡山駅から磐城石川駅を通過 新幹線を降り在来線ホームで、水郡線常陸大子行きに乗る。次の安積永盛駅迄は東北線を利用し、同駅からが正規の水郡線というが、名前と一致しないと思う。気動車は東南の方向へ走り続け、水田地帯でもなく山間でもない、その中間のような山里風景の中を進む。時々迫る両側の樹林帯の緑は深い。小さな無人駅に停車するが、殆ど乗降はない。
磐城石川駅に停車。えっ、ここが石川、学法石川高校は当地にあるのかとスマホ検索。同校は、特に高校駅伝で台頭し、監督に、中大OB松田和宏氏(山形出身)が就任し注目している。福島の高校とは知っていたが水郡線にあったのだ。こんな山中で、選手達は集まるのだろうか。駅周辺も山が迫り出し、県立高校もあるらしいが学校風の建物も見えない。少し先が磐城棚倉駅。江戸時代棚倉藩が置かれ当地方の中心地だろう。車窓からの眺めも盆地の街らしい。城跡らしき地を探したが見付からない。遠隔の地で、私の城跡探訪の候補にもなったことがない。

県境を越す 福島県は広く、未だ茨城へ至らず、阿武隈台地の裾を走り続け、反対側に八溝山地が見え始めて、ようやく県境の地。奥久慈清流ラインという本線の愛称通り、久慈川が見え出した。矢祭山駅から常陸大子駅で、茨城県へ入った。山峡の街で、目の前が高い山で、眼下は渓谷。川では竿を振っている釣り人が見え、鮎釣りだろうか。この辺りの栃木県側が、今春訪ねた雲巌寺(18.4.8)の筈と思い出した。
 常陸大子駅で、水戸行きに乗り換え。時間は僅かで、待ち時間に大子で食事もと考えていたが、残念だがそんな余裕はない。隣が袋田駅、ここは袋田の滝ハイキングに来て二度目だ(07.5.3)が、記憶にある風景はない。久慈川に絡んで走る。沈下橋が見え(写真上)、走る車窓からシャッターを切ったが写り具合どうだろう。自信はない。

水戸駅へ 常陸太田駅付近を過ぎ山を抜けたようで、やや広い家並みの地が見え始めた。上菅谷駅からは水郡線支線が常陸太田駅へ分かれている。黄門様の西山荘見学の際乗ったことがある(10.6.27)。水戸市内へ入ったようで、住宅街が続き、那珂川鉄橋を渡り、水戸城の深い空壕跡の底地を下って水戸駅に着いた。私は、駅前広場へ出て、黄門様一行の像(写真下)をカメラに収め、水郡線乗り鉄記念にした。     (2018/07/19 K.K. 1195/1200)

□日時 2018/6/24 □天候 晴 □交通費 大人の休日倶楽部パス □資料 大人の休日倶楽部「さくいん地図(東北地方、関東・甲信越地方)」 □水郡線 45駅 137.5km
「通過時間等」自宅9:15-JR上野駅10:18-同郡山駅11:59-同磐城石川駅12:47-同常陸大子駅13:51-同水戸駅15:53-同東京駅17:15-同新橋駅17:20-虎ノ門17:50

大河を眺めながら飯山線で越後川口へ

最近遠出が続いている。裏磐梯、群馬松井田、そして北海道である、歩きは大したものではなくとも連続すると疲れが生じ、年齢もあり、中々抜き切れない。そんなこともあり、乗り鉄を考えた。山間や海辺のローカル線、各駅停車、無人駅を巡るのんびり旅である。これまでも記録の中から、”鉄道の旅編”とし纏め、業界誌に掲載して貰ったこともある(LES2017,6)。長野へ出掛けた際、JR飯山線で、最初の経験をすることにした。

 飯山線乗車 長野駅12時34分発、飯山線十日町行きに乗車。2両の気動車は、そこそこの乗客で長野市郊外から果樹園地帯を走る。豊野駅迄は、旧信越線(現しなの鉄道)と一緒の線で、同駅を過ぎ飯山線単独になり、飯山駅に着く。北信濃の中心で、最近は北陸新幹線の駅が出来た。私も、斑尾から戸隠高原を巡った時降車したことがある(16.5.14)。北飯山駅手前で、右手車窓に高い林を眺め、もしやとスマホで調べると飯山城跡のようだ。同城跡を訪ねて、飯山は寄ったことがある(94.4.24)。この時、津南駅から飯山駅迄飯山線に乗車し、この度はそれ以来で、全区間である。

 千曲川から信濃川へ 右手に大河が見え出し、千曲川。川幅一杯にして流れ(写真上)、梅雨の時期だからだろう。一度水田地帯になり川から離れたが、山間に至るとまた並行し流れている。前方には高い山々が連なり、川が越後へ抜ける谷間はあるのかなと思う程だが、自然に心配はいらない。
途中、戸狩野沢温泉駅へ至り、有名な温泉地だが、冬はスキーも盛んだと思う。雪が深い地で、それは車窓から見える家々からも窺える。シンプルな四角形の箱形で、屋根の傾斜が急である。これが新潟へ入ると、玄関が階段で、壁が板製になる。停車した森宮野原駅には、JR駅最高積雪7.85mの記念標柱があった(写真中)。この辺りで既に新潟県と思っていたが、未だ長野県で、次の足滝駅からでその後は越後・・・駅になって、顕著である。
大河も、両側に石原が広がる河原の中心を流れ、水量も少ないように見える。最近、新潟県へ入ると信濃川と呼ぶと知った。私は、千曲川と犀川とが合流して、その後は信濃川と思っていた。長野県出の家内からそう聞いたと思う。

 十日町、そして越後川口 十日町駅に到着し、越後川口行きに乗り換えた。時間があり、地酒をと売店を探したがない。私の乗り鉄のお供、カップ酒が叶わない。未だ未だ山間の地で、時々信濃川が左手に覗く。処が、長い鉄橋を渡って、飯山線の終点越後川口駅であった(写真下)。渡ったのは信濃川ではなく魚野川と知る。上越線に乗り換え、長岡駅で新幹線に飛び乗り、ようやく地酒を求めることが出来、最初の乗り鉄旅を思い返しながら、新幹線車中になった。(2018/07/17 K.K. 1194/1200)

□日時 2018/6/24 □天候 晴 □交通費 大人の休日倶楽部パス □資料 大人の休日倶楽部「さくいん地図(関東・甲信越地方)」□飯山線 31駅 96.7km
「通過時間等」JR長野駅12:34-同津南駅14:34-同十日町駅14:58/15:21-同越後川口駅15:50/16:05-同長岡駅16:33-同上野駅18:05-三田線巣鴨駅18:15-自宅18:45

しなの鉄道で小諸城跡から碓氷峠を訪ねる

今年度2度目のJR東日本大人の休日倶楽部パス利用時期になった。1月末の1度目は大雪で利用を断念した。何処を歩こうか、何処へ行こうかと思い巡らしていたら、偶々軽井沢行きに重なった。4日間の内前半2日は、北陸新幹線で長野方面行きとする。新幹線の指定も出来るので、便利で利用し易い。

 雨で小諸城跡へ 先発組は上野駅から出発した。雨の予報で、高崎を過ぎると雨模様。夕方まで時間があるので、先に小諸城跡見学にしたいと伝えて、了承を貰った。城跡巡りなら傘を指しながらも出来、小諸城跡は駅から直ぐである。新幹線で佐久平駅迄行き小海線に乗り換え、終点が小諸駅。渡線橋を上下し城跡、懐古園へ。城跡内併設の記念館等もと入場券を求めた。
重厚な三の門(写真上)や左手の石垣を眺め、野面積みの大きな石に驚く。特有のクランク的に曲がる城内通路から壕切を渡って本丸跡。その前に藤村記念館へ。藤村は一時、千曲川旅情のうたで知られるように、当地にあった小諸義塾で英語等を教えていた縁で、遺品や関係資料が展示されている。熱心な見学に、時間がないと急き立てながら、本丸跡奥の旅情の詩碑から水の手展望台を案内。眼下に千曲川が流れ、同行者景色に感心する。私は、ダムが邪魔だと思う。

史料館、記念館 雨が降り出し傘を広げ、天守台下から懐古神社に軽く詣で、史料展示の懐古館に入館。武具から書簡まで色々あるが、目に付いたのは、幕末に起きた小諸藩牧野家お家騒動に、本家筋長岡藩から河井継之助がやって来て、解決したとある。小諸義塾記念館も覗く。明治26年創設の私立中学という希有な学校。教育県長野らしい。その隣に、”惜別の歌歌碑”があった。藤村作であるが、この歌は何故か中央大学の学生手帳にも掲載されている。作曲者藤江英輔が戦争末期中大在学時に作り、送別時学生間で歌い継いだらしい。駅へ戻り、集合時間もあり、しなの鉄道で直接軽井沢へ。旧信越線である。

 バスで碓氷峠へ 翌朝は晴天。近くのバス停から碓氷峠行きに乗車。別荘地帯を通り旧中山道を走り、峠に降りて、熊野神社へ石段を上がり、参拝。石段が県境で、左が長野、右が群馬とある。境内に聳える古木科の木は、旧国名信濃の由来らしい。群馬方面を眺め、東征の折の日本武尊の嘆き、”吾嬬者耶(あづまはや=愛しき我が妻よの意味)”伝説の案内を読んだ。
少し歩いて見晴台へ。正面の鋭く連なる岩峰は妙義山(写真下)。富士が見えるという右手へ進んだが、手前の八ヶ岳だけ。更に右奥に浅間山が姿を現しているが、異様な黒色の活火山に皆驚く。またバスで駅へ。私は、攻めて復路は歩きたいと思ったが、団体行動では仕方がない。駅で、帰京するメンバーと別れ、長野行きに乗車した。(2018/07/11 K.K. 1193/1200)

□日時 2018/6/23,24 □天候 小雨、晴 □交通費 大人の休日倶楽部パス、1,280円 □資料 小諸市懐古園事務所「懐古園」 □歩行距離 6km 9,000歩/7km 10,000m
「通過時間等」自宅10:00-JR上野駅11:10-同佐久平駅12:28-同小諸駅13:00=小諸城跡13:10-小諸義塾記念館14:20-しなの鉄道小諸駅14:57-同軽井沢駅15:30=宿泊先15:50
 宿泊先9:00-碓氷峠バス停9:20=熊野神社9:30=見晴台9:40=碓氷峠バス停10:10-JR軽井沢駅11:03

茨城の守谷四季の里公園に菖蒲を観賞する

茨城守谷の四季の里公園ガイドは数年前に入手していた。菖蒲や紫陽花が咲くという。守谷は、茨城でも南部でそう遠くはない。最近遠出が続き、丁度良いとガイドを探し出した。問題は花期内か否かである。いつものアバウト感覚で、出掛けた。守谷はつくばエクスプレス線で、都内から一直線である。

 小さな四季の里公園 三田線春日駅で大江戸線に乗り換え、新御徒町駅でつくばエクスプレス線に乗車。折良く快速が来た。守屋駅で、観光案内所を探したがなく、駅で尋ねるとバスを勧められた。歩くつもりであったが、帰りに歩けばよいと割り切り、バスに乗車。バスは、アサヒビールの工場方向へ走る。この工場は20年以上前だが一度見学に来たことがある。四季の里公園入口バス停に着き降りたが、郊外も畑地が広がる地で、方向が分からない。公園への案内板を見付け、大きな倉庫沿いに行くと、公園はあった。
思ったよりちいさな公園だが、ハナショウブが咲いている。中心にある四阿屋の周囲の湿地帯に花々は広がっている(写真上)。早速近付いて、カメラに収めながら外側の遊歩道を巡る。花は盛りのようで、見頃。ブルー系の花に白色が混じるが、赤や濃紫系はなく、温和しい感じ。一回りし、全体図を見たく、管理事務所や案内板を探したがない。そのような公園ではなく、何処でもある大きめの町内公園程度か。手入れ作業中の方はいる。奥の土手下に紫陽花を見付け観賞するが、満開だがこちらも僅かな本数。都内まで配るガイドに掲載される花園情報だから、それなりの規模の公園と思いがちだが、それは私の勝手で、そんなことはない。最後にまた遊歩道を半周し、土手の階段を上がり、徒歩で駅へ戻ることにした。

 蕎麦畑に出会う 住宅団地の中、右手に往路のバス通りを見ながら進むが、そちらへは抜けられない。大回りし反対側の大通りへ出て、右方向へ歩き、途中のバス停で駅方向かを確かめる。
畑地になり、一面に咲く白い小さな花は蕎麦の花(写真下)。この時期この地は珍しいのでは。私の乏しい知識では、初秋の頃、山里での作物と思っていた。畦道へ入り、2,3度シャッターを切った。10割蕎麦の案内があり、その蕎麦店用だろうか。
歩きながら、当地から通っていた旧同僚を思い出した。あるプロジェクトでお世話になったシステムエンジニアで、コンピュータ知識の外、同年齢でもあり気が合い良くヘボ将棋を指した。つくばエクスプレスがない時代で、常磐線北柏駅へ車で出ておられたようだ。最近は年賀状の交換も絶えていたが、ある名簿で引っ越されたと知った。
常磐高速を高架橋で渡り、高いビルを見付け、そのビルを目標に歩き続け、市役所と思っていたら病院であった。その後も山勘も当たり、ほぼ直線的に守谷駅前に到達し、帰路に就いた。(2018/07/08 K.K.1192/1200)

□日時 2018/6/18 □天候 曇り □交通費 1,840円 □資料 「花と寺社めぐり 四季の里公園」2015年,4頁 □歩行距離 9km 12,000歩
「通過時間等」自宅8:30-大江戸線春日駅8:37-つくばエクスプレス新御徒町駅8:51-同守谷駅前9:30-四季の里公園入口9:45=四季の里公園9:50/10:05=市役所前10:45=つくばエクスプレス守谷駅11:17-大江戸線新御徒町駅12:03-三田線春日駅12:11-自宅12:45

花咲線で、最東端納沙布岬へ

北海道滞在3日目、孫達の運動会は開催された。前日の雨で順延されたがグランドコンディションは悪くはなく、全校生24人に混じり、小6と小4の孫は、地域の皆さんの応援を受け、元気に走り、踊り、そしてゲームに挑んだ。順調に進行し午前中に終えたが、負けた白組の小6の孫は、今回も悔しがった。私は、皆と応援席で昼食後、帯広駅へ送って貰った。

最東端納沙布岬に立つ 根室泊の翌朝、根室駅前8時20分発バスで納沙布岬へ向かった。もっと早いバスも可能であったが、当地は寒く気温10度。持参した外衣コートでは頼りなく、気温の上昇に期待した。バスは市内を出て、岬の先へ走ると牧草地や原野で、海辺には漁港が見える。自然の儘の知床半島とは違う。昨日車窓から左手先に、羅臼岳の高山と同半島が望めた。
40分程で岬に下車。前方に大海が広がる平地で、土産店もある普通の観光地のよう。返還や望郷の碑が建ち並ぶ中、岬先端へ立ち眺めたが、小島はあるが四島は見えない(写真上)。曇り空の所為かもしれない。四島のかけ橋のアーチをカメラに納め、大回りし灯台へ。高台でもなく、平地にポツンと白い灯台があった。時間があり、納沙布神社へ参拝。コースを間違え、原野草原を漕いでしまった。処が金比羅神社とある。地元の通称なのだろうか。バス時間を睨みながら、北方領土史料館を覗く。四島の歴史や返還運動の資料を一瞥して出ようとしたら、受付で、日本本土最東端訪問証明書を貰った。根室市長発行である。私は、知床半島の方がより東と思っていたが、今回地図で当地が最東端と確かめた。
花咲線を往復 前日帯広駅14時過ぎ発の特急に乗り、釧路駅で根室行きへ乗り換えた。長い根室本線の続きだが、今は、花咲線とも呼ばれている。一両の気動車(写真下)は、直ぐ、森林地帯へ進入し、原生林の中。車窓から鹿が見え、警笛を鳴らし走る。各駅停車を繰り返し前進するが、知らない駅名が続く。唯一厚岸は知っていて、大きな湾内の風景。また原生林が続き、時々湿地帯になり、牧場が見える。浜中駅には霧多布へのバス乗り換え駅とあり、昆布盛付近で、再び海側へ出た。歌手松原健之は、最近の持ち歌”花咲線”で、”根室行きのわずか一両の古ぼけた列車だったよね 最果ての朝が来る岬・・・”と唱う。
夕方遅く、根室駅に降りた。静かな小さな地方都市の感じ。江戸時代から開けた地で、明治期当初には根室県が置かれたという。私は、江戸後期露西亜のラックスマンが大黒屋光太夫の送還に来た港位しか知識がない。夕暮れの中方向を誤り、予約したホテルが分からず、ウロウロしたが、市内の中に見付かった。復路も花咲線だが、快速気動車で釧路へ戻った。 (2018/07/05 K.K. 1191/1200)

□日時 2018/6/10,11 □天候 曇り □交通費 現地分9,140円 □資料 のさっぷ岬マップ □歩行距離 8km 11,000歩
「通過時間等」東士幌小12:40-JR帯広駅14:22-同釧路駅16:17-同根室駅18:50=ホテル19:25 ホテル7:50-根室駅前バス停8:20-納沙布岬9:05=四島のかけ橋9:10=灯台9:30=金比羅神社9:35=北方領土史料館9:40=納沙布岬バス停9:55-JR根室駅11:03-同釧路駅13:40-釧路空港15:10-羽田空港京急駅17:10-三田線三田駅17:44-自宅18:30

釧路湿原を眺め、根室本線で帯広へ

北海道在孫達の運動会応援に、2年振りに渡道する。その際、釧路空港往復とし、釧路湿原と納沙布岬を訪ねることにした。孫達が住む音更へはJR根室本線で帯広駅へ行くことになる。心配は天候で、数年前凄い寒さに遭い困惑したことがあり、今回はその対策もした。出発当日の朝、運動会の土曜日は雨の予報で翌日へ延期かもと、娘からメールが来た。

 釧路空港から湿原へ 釧路空港に降りると天候は良くない。案内所で、湿原へのアクセスを教えて貰い、バスの乗り換え地鳥取分岐で別便に乗る。釧路市郊外を出ると牧草地、原野の中を走り、湿原らしくなって、右手丘上に赤の建物が見え始め、湿原展望台のようだ。坂を上がり展望台前で下車(写真上)。 釧路駅行きのバス時間を確かめ、遊歩道へ。雨がぽつりと落ちているが傘を指すほどではない。展望台は二度目だが、見覚えはなく建て替えたのだろう。遊歩道は樹林帯の中に続き、湿原は見えない。約1時間しかなく、先へ急ぐ。吊り橋を渡り広場へ出ると分岐で、左の丹頂広場へ進む。木道で歩きやすい。広場の前方が開け、湿原が広がっている。見える範囲は、大湿原の一部に過ぎないのだろう。カメラを向けた。時計を睨みながら、樹林の中を上下し先のサテライト展望台へ上がる。先客に混じり、展望を楽しむ。左右一杯大湿原。遙か向こうに霞む東端は、釧網線塘路駅辺りだろうか(写真下)。大分前だが、釧路駅からノロッコ号で訪ねたことがある(10.7.16)。もっと先へ進みたいが、バス時間があり、Uターン。小雨が止んだ中、木道階段を戻ると、白い花が目に付きカメラに収めたが、名前が分からない。10分前で、休憩する時間があった。バスは、釧路市内へ入る前、鳥取・・・という地名が続く地を通過し鳥取神社まであり、鳥取県からの入植地を示していた。

鈍行で帯広へ 釧路駅から帯広駅迄は、鈍行列車とした。少し時間が掛かるが、娘達の迎えの時間に都合良く、また私が、今後の山歩きの代わりに考えている乗り鉄の経験にもしたい。そのため、駅売店で弁当とカップ酒を求めた。3時間強だから凡そ、飲食で1時間、寝て1時間、メモ等で1時間と大雑把に目論んだ。
13時48分発帯広行き一両車は、時刻通り釧路駅を発車。この間は数回乗ったことがあり、左手は海辺だとは知っている。大楽毛、白糠を過ぎると海から離れ両側は牧場になった。そして、山中を走り、駅間の距離が長い。微睡みから覚めると浦幌付近で、また家並みが見えるようになり、飽き始めた頃池田に着き、長く停車した。右手にワイン城の建物が見え、思い出がある。娘の結婚式に、我が親戚が山形や長野からも出席してくれ、翌日、バスで観光し見学したのであった。あれから18年経っている。30分程で帯広駅に着くと、2人の孫を連れた娘が車で待っていた。市内で、今年進学した高1の孫を乗せ、音更へ向かった。運動会の順延は決まっていないという。(2018/06/28 K.K. 1190/1200)

□日時 2018/6/8 □天候 小雨後曇り □交通費 現地分4,670円 □資料 読売旅行社「平成百景を歩く 釧路湿原」2012年3月、14頁 □歩行距離 7km 10,000歩
「通過時間等」自宅6:10-京急三田駅7:01-羽田空港8:00-釧路空港10:00-鳥取分岐バス停10:45-釧路市湿原展望台11:15=サテライト展望台11:35=釧路市湿原展望台バス停12:25-JR釧路駅13:48-同帯広駅17:11-音更娘宅18:00

上州に山城松井田城跡を巡る

今年のかぼちゃ会旅行、群馬の磯部温泉行きを利用し、城跡探訪を目論み、近くにある松井田城跡と磯部城跡を訪ねる予定にした。高崎駅乗換のJR信越本線沿線にあり、アクセスは悪くない。所在地を調べ、ネット情報を得た。列車ダイヤが1時間に一本と分かったが、集合時間には間に合わせたい。

 遠い城跡口 高崎駅で信越本線に乗り換え、西松井田駅に下りた。田舎の小さな駅で、案内板から城跡を確かめ、駅前大通を歩き出す。城跡案内標識があり幸先良いと思ったが、期待し過ぎであった。補陀寺前から国道18号バイパス高架下を抜け、右折しバイパス沿いで山際を行く。ネット情報では城跡への上り口がある筈だが草木が生い茂りそんな山道は見当たらないし、案内もない。蕎麦屋の先の舗道がそうかなと山側へ左折し、坂道を上がる。左手に進入路があり入ったら弓道場で、城跡はもっと先と教えて貰った。坂を下って、城跡案内図があり(写真上)到着。予定より大分時間を喰っている。
 戦国城跡遺構と歴史 舗道を上がり切ると、大手登城口。低い山だが林が深いようだ。いよいよと進入し、三度壕切を渡ると分岐に至り、左手の水の手へ。突き当たると井戸跡ではなく沢であった。戻って、右の横壕跡から武者だまり、そして連続畝竪壕。畝壕は北条系を想起させるが、斜面に竪壕は窺えない。荒れた山道が続き、また戻って、正面が大手口跡。その上に馬出があり、こんな奥、上部の大手門や馬出は初めて見る。近世ではなく、戦国期の築城だからか。全てその時期の遺跡で、深い山中に痕跡以上に遺っている。
城跡ガイドによれば、永禄年間、1560年頃の築城で、諏訪氏、安中氏、武田氏、そして北条の城代大道氏が城主であったとある。甲斐武田氏の侵略を受け、織田の滝川氏敗走後は北条氏の支配下になったが、小田原征伐で前田、上杉、真田の連合軍が碓氷峠を越えて来た。戦国時代の主な歴史を経験し、豊臣時代になって廃城という。本丸相当の平らな主郭跡へ上がったが、城跡全体からしては、小さな郭。虚空地蔵があった。カメラに収め、下り始める。とっくに予定した13時の電車には間に合わず、1時間後にする。
 磯部城跡は止め、かぼちゃ会へ 往路を戻り、バイパス道へ出ると、正面が妙義山(写真下)。鋭い岩峰を久しぶり眺める。城跡への進入口を確かめながら戻るも、見付からなかった。補陀寺は、城主の居館跡らしいが時間なく、駅へ直行。予定より1時間遅れで、予定の磯部城跡見学は困難になる。かぼちゃ会メンバーから、間もなく磯部駅着のメールが来て、私も、同駅で待つことにした。山城跡を上下し少し疲れた。
今年の会も盛り上がった。いつもながら奥様方は元気で、様々な手作り料理を持参してくれ、飲食やおしゃべりは二次会でも続いた。Oさんは体調良さそうで、往年の元気を取り戻して、場を盛り上げてくれた。有り難うございました。      (2018/06/20 K.K. 1189/1200)

□日時 2018/6/1 □天候 晴 □交通費 2,700円 □資料 ネット情報「松井田城址見学ルート」 □歩行距離 13km 19,000歩
「通過時間等」自宅8:45-JR赤羽駅9:38-同高崎駅11:23-同西松井田駅11:55=補陀寺前12:05=松井田城跡入口12:30=大手登城口12:35=水の手跡12:45=主郭跡13:05=松井田城跡入口13:30=バイパス下13:45=JR西松井田駅14:15-同磯部駅14:45-宿泊先15:00

山毛欅林の下、雄国沼を往復する

秘湯の会の宿泊先は、喜多方にある大塩裏磐梯温泉米沢屋。秘湯の会会員とあるが山中の一軒宿ではなく、米沢街道に面した小さな湯宿。ハイキング後温泉で疲れを癒し、夕食に川魚や山菜等を味わった。その名の通りしょっぱい温泉で、江戸期には山塩を産していたという。本日は、雄国沼ハイキングで、コースは楽な雄子沢往復と会長に告げられた。

 ブナ林の下を行く ゆっくりのスタートで、9時前に雄子沢の登山口(880m)に着く。昨日の帰り掛け、会長の指示で登山口は確かめていた。駐車場を確保し、4人組は沢沿いに山中へ入る。会長言の通り、アップダウンのない緩やかな上り。東北特有のブナ林が広がり、この時期は新緑で清々しい(写真上)。元気なSさんが先頭を切り、山男Hさんが追い、少し離れて私が続く。会長はいつものようにカメラを抱えて殿。足下にはタチスボスミレの紫の花が咲き、白い花はイチリンソウと知る。小さな沢を越しながら行く。途中で、ポットに沢水を汲んだ。猫へではなく、己の水割り用である。後から聞こえる歓声は、先程登山口で見たバスハイクの一行だろう。離れるべく、少しスピードを上げる。

雄国沼、磐梯山展望 歩きやすい山道を順調に進む。後の一行とは距離が開いたようだ。少し坂が傾斜を増し、林を抜けると雄国山分岐。ここは通ったことがあり(08.7.13)、朧気な記憶がある。10年前、雄国沼にニッコーキスゲを訪ねたが、終わっていた。深めの沢を上がると休憩舎(1090m)だが、こちらは記憶にない。沼の全貌が望める金沢峠へと灌木地帯を上がる。躑躅が咲き始めたばかりで、みちのくの春は遅い。峠に着き、展望台(1150m)で、晴天下、沼越しに磐梯山を眺めながら、会長が煎れてくれたコーヒーを戴く。天空の珈琲である。反対側は水田が広がり、水が輝き田植えが終わった風景である。

 無事下山し柏木城跡へ 直線の階段を下り沼畔へ出て(写真下)、湿原の木道を一周したが、この時期キスゲも水芭蕉もない。それでも、帰ろうとしたら出口付近に黄色い花が咲きリュウキンカ、そして大きめの草のトップが開きコバイケイソウ。これらを見て少し元気が出る。
休憩舎へ戻り、また深めの沢を渡る時、咲き始めた水芭蕉を見付け、ラッキーとカメラを向けた。往路を楽に戻り、登山口へ。このコースを選んでくれた会長に感謝である。最近は疲れが残り、2日続きの山歩きは辛い。月曜日も歩いたばかりであった。
帰途に、大塩裏磐梯温泉傍にある柏木城跡見学に寄る。昨日、地図から発見し宿で情報を得た。戦国期、会津の葦名氏が、米沢の伊達氏侵攻に備え築城したという。意外に奥にあり、ようやく虎口から主郭へ至ると周囲には土塁も遺り、広い帯郭は珍しいと思った。喜多方へ出て遅い昼食を取り、勿論私は喜多方ラーメン。会長始め皆さん、今回も大変お世話様でした。(2018/06/17 K.K. 1188/1200)

□日時 2018/5/27 □天候 晴 □交通費 650円(JR分) □資料 裏磐梯ビジターセンター「雄国沼周辺トレッキングマップ」2010年 □歩行距離 21km 29,000歩
「通過時間等」宿泊先8:20-雄子沢登山口8:50=雄国山分岐9:55=休憩舎10:05=金沢峠10:35/11:30=雄国沼11:40=休憩舎12:30=雄子沢登山口13:35-柏木城跡14:00/15:00-喜多方(昼食)15:30/15:55-JR久喜駅20:32-同赤羽駅21:10-新板橋駅21:26-自宅21:50

磐梯山を望み檜原湖畔を歩く

今年の秘湯の会開催の連絡が会長からあり、喜多方にある大塩裏磐梯温泉泊で、その前後の山歩きは現地で決めるという。11時過ぎ裏磐梯ビジターセンターに着いて情報収集し、歩く前の腹拵えと近くの食堂に入り、会長推奨の”ソースカツ丼”で昼食。丼ご飯の上に大きなカツが載りソースをかけたもので、東京のカツ丼とは違い、少し戸惑いながらも食べたが、盛りが多く持て余す程。人気のメニュー、店のようで満席。食後、会長選定のハイキングコース起点、檜原湖畔へ到着した。

遅い春の裏磐梯 裏磐梯サイトステーション前を4人組はスタート。目の前はレンゲ沼で、磐梯山を遠望する。当地は、春も初期で、タンポポが咲きツツジも開いたばかりのような新緑の下を行く。ジイジイとの鳴き声は春蝉らしい。一旦林を出て舗道を歩きまた遊歩道へ。途中、橋上から大きな魚が見え、鱒と会長の言。遊歩道はアップダウンが少ない上に舗装してあり、歩きやすい。人気の観光地裏磐梯の故か。当コースは檜原湖畔探勝路だが、東北自然歩道との標識もある。

吊り橋を渡る 時々湖、檜原湖が見え、また湖畔沿いになる。林は白樺の樹で、道端の灌木にピンクの花を付け、美しい。カメラに写し、後に調べるとタニウツギと分かる。湖には舟が浮かび、竿を振り釣り中。鱒かと思ったら、ブラックバスらしい。夏季シーズン前のこの時期にも、山中の湖で釣りを楽しんでいる太公望が多いと知る。
吊り橋があると会長が案内したが、私には湖と吊り橋は結び付かない。その吊り橋があった。入り組んだ湖の入り江を渡す橋で、ワイヤー吊り構造。なるほどと思いながら、カメラアングルを探した。普通の橋より、風景に馴染んでいるようだ(写真下)。

磐梯山と檜原湖 大きく左折する地点で休憩。正面が磐梯山で、爆裂の跡が現在もはっきりしている(写真上)。崩壊だが、吹き飛んだようにも見える。その時檜原湖始め多くの湖沼が出来たという。当地は裏側で、そうすると猪苗代の地は表だが、表磐梯とは言わないと余計なことを考えてしまった。バンガローのある地を通過。夏季利用だろうから、現在は放置状態で、廃屋のよう。これから再整備しシーズンを迎えるのだろう。いよいよゴールの長峯舟付だが、見えて来ない。道を違えたのではとの声も出たが、大通りへ出て、長峯舟付バス停。数分前バスは通過してしまったと会長。車を取りにスタート地へ戻る3人の許しを得て、私は次の高原駅バス停で待つことにした。
遊覧船発着所で休憩していると、私が初めて檜原湖を知った写真を思い出した。叔父夫婦が山形の田舎から当地に旅行した時の湖畔のものであった。約60年前ことである。予定より早く車が到着し、秘湯大塩裏磐梯温泉へ向かった。                   (2018/06/14 K.K. 1187/1200)

□日時 2018/5/26 □天候 晴 □交通費 650円 □資料 北塩原村役場商工観光課「遊Viva裏磐梯」 □歩行距離 8km 11,000歩
「通過時間等」自宅6:20-JR板橋駅6:50-同赤羽駅7:09-同久喜駅前8:00-裏磐梯ビジターセンター(昼食)11:15/12:50-サイトステーション前13:00=しらかば橋13:20=休憩舎13:25=吊り橋14:00=長峯舟付バス停14:40=高原駅バス停16:10-大塩裏磐梯温泉米沢屋17:00

船橋北谷津川を遡り滝不動へ

千葉船橋の滝不動を源流とする北谷津川、海老川沿いのハイキングコースを知り、歩きたいと思っていたが、川沿いに咲く桜並木を眺める時期は逸した。長いコースなので、途中迄バスで入り、最後は滝不動から新京成滝不動駅へ歩こうとし、出掛けた。かぼちゃ会Nさん宅が近いと分かり、連絡しようと思う。

小さな北谷津川 船橋駅北口にバス停があり、バスに乗車。市街地が続き郊外の緑地帯は見えないが、体育館前に降り、略図を手に歩き出す。家並みが途切れた先に林が見え、夏見緑地とあり、右先が谷間状窪地の畑地。坂を下り小さな川が流れ(写真上)、左手が運動公園で、目指す北谷津川に違いないと、山勘で畦道へ突入。近くの方に尋ねると、滝不動からの流れと教えて貰い、間違いないと遡上する。略図上の金杉城跡を探し、一度坂道を上がり集落へ近付いたが城跡らしき地も見付からない。


先へ進むと薮原になり道を失ったが強引に抜けるも、遂には行き止まりとなり、戻って窪地から集落へと上がる。野菜販売中の地元農家に立ち寄りトマト一山を求め、城跡情報を得ようとしたが今一はっきりしない。城跡は見付からない儘、街道へ出て金杉十字路からコンビニ傍の小径を、また窪地金杉谷津田へ下る。
金杉市民の森から滝不動へ 畦道だがはっきりした緑道があり、安心して前進。周囲は管理された畑地や緑地に見え、コース終盤のようだ。林内になり金杉市民の森。休憩中の高年者グループを追い越し、林を出て、街道を滝不動へと向かう。船橋も、この辺りの郊外は昔からの街道筋のよう。学校があり、その裏に滝不動の山門があった。長い参道を行くと、弁天池があり澄んではいないが亀が数匹見える。境内に入り、室町期創建の古刹という御滝山金蔵寺本堂に参拝。行者滝は何処かと本堂を一回りし境内を見回したがない。参道へ戻る石段の左手に案内があり、狭い一画に、馬の口から水道のように流れ落ちていて、ネットで見た滝(写真下)。ここが北谷津川や海老川の源流というが、現在ではそうは見えない。先客がいて水汲み中。私も一口含んだが、冷たくもなく旨いとは思えない。カメラに収め、寺を出た。

Nさん宅で昼食戴く かぼちゃ会Nさんへ電話すると、10分後に車で来てくれるという。暑さが増し、駅まで歩くのは大変と思い始めていて、当地で待つことにする。Nさん宅へ着くと、奥様が私の昼食も用意してくれていて、恐縮しながらも美味しく戴く。Nさん宅訪問は二度目で、前回は家内も一緒だった。そんな話しも出て、また新京成高根公団駅へ送って貰い、帰途へ。帰宅後、調べるとNさん夫妻と4人で印旛沼ハイキングをした帰りに寄ってご馳走になったのは20年前(98.5.3)と分かり、御礼と共に携帯メールした。(2018/06/04 K.K. 1186/1200)

□日時 2018/5/21 □天候 晴 □交通費 720円 □資料 新ハイキング社「さあ、ハイキング 海老川桜堤から滝不動」平成27年、225頁 □歩行距離 11km 16,000歩
「通過時間等」自宅8:50-都営新宿線神保町駅9:40-JR本八幡駅10:17-同船橋駅北口10:37-体育館前バス停10:55=夏見緑地11:00=金杉二丁目11:20=金杉市民の森11:50=滝不動12:10/12:40-Nさん宅13:00/14:15-新京成高根公団駅14:30-JR津田沼駅14:53-新宿線本八幡駅15:10-三田線神保町駅15:45-自宅16:20

前半は厳しかった奥蓼科横谷渓谷

長野の茅野から入る横谷渓谷は以前から知っていたが、ハイキングコースとしては短く、新宿から特急で出掛ける程のコースかと躊躇していた。処が他のガイド誌から、蓼科湖迄歩けば普通のコース程度と知り、新緑のこの時期にと決め、連休明け土曜日にした。シーズン外の現在はバスの便が良くなく、往路は兎も角、復路が少し心配である。

意外な難路を行く 新宿発8時丁度のあずさ二号は満席で出発した。茅野駅に降りたハイカーはチラホラで、バスは茅野郊外へ出ると、車窓から八ヶ岳が正面に見え出した。未だ山頂付近は白い。主峰赤岳に登ったのは20年も前(97.7.6)になった。バスは奥へ奥へと入り開拓村も過ぎ、意外に奥深い地である。スタート地明治温泉入口に着き、周囲は山々で、左手の飛び出た丸い峰は蓼科山のようだ(写真上)。近くの御射鹿池を覗いて、明治温泉への坂を下る。一軒宿前から鉄梯子で渓谷へ下りると直ぐおしどり隠し滝で、数段に流れ落ちる滝はきれい。飛び石を渡り山へ取り付くがいきなり急階段。登山道で、ハイヒール禁止との掲示。上り切り崖端の道となり肩幅程度の上、左手は深い谷。慎重にならざるを得ない。ガイド資料との違いに戸惑いながらもトラバース状の荒れた道を進む。途中で中年カップルと交差し、挨拶。新緑の林の中には僅かでも赤い躑躅が目立つ。当地山奥は遅い。


渓谷遊歩道に安堵 王滝展望台分岐に着き、谷川方向へ下り始めると、急降下の荒れた道。一歩一歩進みながら、帰りの上りが気になる程の難路。滝が見え出し展望台へ。渓谷一杯に堂々と落ち(写真下)、王滝に相応しい。バスで一緒だったハイカーも展望中。下る遊歩道が横谷温泉方向との案内があり、分岐へ急降下の道を戻らなくとも良いと分かって、ラッキーと喜ぶ。これまでとは違い緩やかな下りの遊歩道を行く。直ぐ横谷観音への道が分けたが、帰りのバス時間を考慮し寄らないで、下り続ける。
鷲岩を過ぎ霧降の滝。その前に、一枚岩があった筈で崖岩と思っていたが、谷底の岩のことらしい。そう言えば、少し前に広い岩上を滑るように流れる地があり、嘗め滝や滑り滝かなと思った地点があった。一軒宿があり横谷温泉旅館。玄関前へ出ると人出があり、バスも駐まっている。その先を少し下って乙女の滝。横の沢から落ちる滝で水量が激しい。排水路のようにも見える。宿泊客に混じり、下から眺める。

蓼科湖へは断念 渓谷を出て、高原らしい地。改めて時計をチェックすると、15分程予定より遅れている。蓼科湖迄は行っても予定のバスには間に合わない。何処で時間を喰ったのか。前半の崖端ルートだろうか。横谷峡入口バス停では1時間後にあり、当地で待つことにする。次善として、一応想定していた。
茅野駅へ戻り、売店で地酒ダイヤ菊を求める。若い頃、茅野出身先輩の案内で同酒造蔵を見学したことを思い出した。特急車内でちびりちびりとやりながら、本日のコースと歩行をメモした。 (2018/05/25 K.K. 1185/1200)

□日時 2018/5/12 □天候 晴 □交通費 9,570円 □資料 山と渓谷社「駅からハイキング62奥蓼科・横谷渓谷ハイク」2003年147頁 □歩行距離 10km 14,000歩
「通過時間等」自宅6:45-JR巣鴨駅7:20-同新宿駅8:00-同茅野駅10:25-明治温泉入口バス停11:06=御射鹿池11:10=おしどり隠し滝11:20=王滝展望台11:50=霧降の滝12:15=横谷温泉12:25=乙女の滝12:30=横谷峡入口バス停13:32-JR茅野駅14:19-同新宿駅16:40-三田線巣鴨駅17:00-自宅17:30

またコース通り歩けなかった多摩自然歩道

先日弟に、”かながわのハイキングコースベスト50”とその続編のガイドブックを貰った。次は、この中から歩こうと言って別れた。そうしたら10日もしない内連絡があり、掲載の中から、”多摩自然歩道”にしたいという。調べると小田急読売ランド前駅起点のコースで、二度歩いている。気乗り薄かったが、前回(15.7.18)歩き残した部分を踏破すればと、オーケーした。 読売ランド前駅をスタートしたが 読売ランド前駅に先に着いた弟は、小田急選定の多摩ふれあい歩道コース案内を駅から二部入手してくれていた。多摩自然歩道とは重なるコースで、私は、前回後半部分を歩き残したので、弟の了解を得て、設定コースとは反対回りでスタート。直ぐ多摩丘陵上りの大通りで、広い女子大キャンパス前のよう。リードする弟に、道が違うのではと二度程声を掛けたが、間違いないと歩き続ける。コース案内には、ユリの木並木とあるが、目の前の街路樹はそうは見えない。馬場バス停に至り、誤りが明らかになり、小路へ左折。小学校前から玉林寺を過ぎ、コース通りと一安心。
薬師堂土俵へ 寺院が並ぶ通りから旧三沢川沿いに行き、大谷橋で薬師堂へとコースを外れる。境内に土俵があるのを思い出し最近では珍しく、弟を是非案内したいと思ったからだ。前々回見て(98.6.28)、故郷の八幡様にも土俵があって小学校の校内相撲大会で上がったことがあり、懐かしかった。弟も同じかなとの想い。本堂に軽く参拝したが、土俵は最近利用されていないような状態で期待外れ。裏山の森内に進入。この儘尾根筋で小沢城址へ続くのかなといつもの山勘だが尾根道は直ぐ途絶え、また大谷橋へ戻るという失態。弟は文句も言わず付いて来たが申し訳ない。
小沢城址、穴澤天神 再び旧三沢川沿いを歩き、指月橋(写真上)。あの義経も渡ったという伝説が残るとある。いよいよ多摩丘陵の中心、小沢城址で、これまでとは反対側から森内へ。堀切や土塁跡、井戸跡を眺めながら、浅間山。最高地点で、本郭跡か。ここで休憩。人気の緑道のようで散策者もチラホラ。
 城跡碑のあるやや広い平地へ出て(写真下)、天神坂を下り、穴澤天神社へ。コース外だが、是非寄りたい。参拝後、表参道から、また城跡へ戻りコースへの予定だが、長目の急階段を見て、弟は怖じ気付き止めたいと言い出し、私も従う。京王よみうりランド駅へ出るも、昼食場所はなく、多摩センター駅へ。以前南大沢キャンパスへ通っていたので、少し土地勘がある。駅地下で昼食を取り、弟は小田急線、私は京王線とした。
今回も、私の未踏部分の歩きはならなかった。近いので、紅葉の時期にでもまた来ようと思う。(2018/05/19 K.K. 1184/1200)

□日時 2018/5/6 □天候 晴 □交通費 780円 □資料 山本正基「かながわのハイキングコースベスト50 ④多摩自然歩道」2016年11月 □歩行距離 11km 16,000歩
「通過時間等」自宅7:55-神保町駅8:42-小田急読売ランド前駅9:35=玉林寺10:00=薬師堂10:10=指月橋10:30=浅間山10:55=穴澤天神社11:20=京王よりうりランド駅11:41-京王多摩センター駅(昼食)11:50/12:27-三田線神保町13:15-自宅13:55

陣馬山から長い底沢峠を下る

 高尾駅へ向け京王線に乗車中、本日は平日と気付いた。私は、ゴールデンウィーク中のハイキング第2弾として、高尾山先の小仏峠や底沢峠を予定し、先ずは、高尾駅から小仏へバスで入ろうとしていた。自分は休みだが平日で、土日以外は疎らなバスの便が気になった。時間が合わない時は、陣馬高原行きとし、陣馬山から底沢峠へと急遽思い付いた。

 急遽和田峠から陣馬山へ JR高尾駅前バス停で、時刻表を見るとやはり小仏行きは1時間に一本で、10分前に出たばかり。処が陣馬高原行きは15分後にあり予定変更し、陣馬山から底沢峠へとする。同峠は、何故か久しぶりに歩きたいと思っていた峠で、私にはラッキーな予定変更。

陣馬高原下に着き、和田峠へ舗道をスタート。この道は、私がハイキングにのめり込む頃、2回目に歩いたコースで、山の大先輩HさんやSさん夫妻と一緒だった(94.410)。本道は、山梨上野原へ通じる昔からの峠道と知った。途中で、陣馬山への山道分岐に出会ったが、進入せず舗道を上がり続ける。峠迄どの位だったかなと思い始めた頃、杉林の中の坂道が大きく左右に振れ始め数回繰り返すと、和田峠へ上がった。休憩中のライダーと一緒に休憩。

直ぐ陣馬山と思っていたが、少し距離がある。直登の階段は避け、なだらかな迂回路にしたが、最後はきつい上りで、山頂(855m)へ出て、シンボルの白馬の像(写真上)傍で休憩。富士は望めないが丹沢から山梨方面の低山が南西に展開している。私が上京した昭和40年頃、最初にハイキングに誘われ登ったのが当山と思い出した。組合の主催で、当時の青年男女のレジャーは山や海であったと思う。

 長い底沢への峠道 底沢峠へ向け、尾根道を行く。奈良子峠、明王峠を順調に過ぎ、底沢峠。標識で距離を確かめ、相模野底沢へは約40分と見込み下り始める。二度目で(98.11.22)、前回は上りであった。急坂は覚悟していたが、記憶とは異なり狭く荒れた歩き難い径。最近の足跡がないようだ。左手の杉林の風景が珍しい上に美しく(写真下)、足を止めカメラを出した。

急な壁状の地の下りは過ぎ、派生尾根上の直線的な山道になり、予定時間を過ぎるが、左右の木立間には建物は見えないし、車の騒音も聞こえず、里が近い雰囲気はない。一本道で間違えるはずはなく、薄暗い林の中を懸命に下り続ける。次第に車の騒音が聞こえ始め、墓地の前から小集落へと出た。底沢である。コースタイム1時間とあり、遅かった訳ではない。小仏峠からの道と合わせ、相模湖駅へ3kmバス停へ1㎞とあり、遠いなと思いながら重い足を運ぶ。ハイキング帰途の中学生達と一緒になり、中央高速道路下からバス停を探す。山間から甲州街道へ出るとバス停があり、ラッキーにも5分後の到着。ベンチに座り込みバスを待った。                                 (2018/05/14 K.K.1183/1200

□日時 2018/5/2 □天候 晴 □交通費 1,120円 □資料 昭文社「山と高原地図22高尾・陣馬」1994年版 □歩行距離 20km 28,000歩
「通過時間等」自宅8:15-神保町駅8:53-JR高尾駅10:34-陣馬高原下11:15=和田峠12:15/12:25=陣馬山12:50=奈良子峠13:30=明王峠13:40=底沢峠13:55=底沢14:55=底沢バス停15:20-JR相模湖駅15:52-京王高尾駅16:11-三田線神保町17:29-自宅18:10

秩父羊山公園に芝桜を観賞する

 今年のゴールデンウィークは長いが、前半と後半に分かれた。ハイキングの季節でもあり、私にはその名通りの休日で、タイミング良く秩父羊山公園の芝桜が見頃との情報を得た。秩父のシンボル武甲山をバックに一面に咲く芝桜の眺めは良く、これまでも楽しんだことがある(06.5.7)。花友Aさんにメールしたら、前半は同行オーケーと返信があった。

 牧水の滝、芝桜園 西武池袋駅に待ち合わせたが、レッドアロー号は満席で、急行にする。これも込み合い何とか空席を見付けた。連休は人出が多い。飯能駅で西武秩父駅行きに乗り換えたら満席で立つ外はない。終点手前の横瀬駅で、ようやく座れた。
快晴下、秩父駅から羊山公園を目指し歩き始める。市内から郊外の丘陵公園へ15分程だが、家族連れやグループも同じ方向へ歩いている。程なく丘陵麓に着き、牧水の滝があり、Aさんを案内。大正時代、若山牧水は度々当地を訪れ、秩父路の旅を詠み、その歌碑が石段上にあった。滝の水は落ちていない。手前には桐の花が咲き、近くには藤の花も垂れている。

 好きなアングルを楽しむ 急坂を上がり、公園内に入ったと思ったが、芝桜園までは距離があり、通路の端にはテントの売店も出て、祭中。入園料を支払い、園内へ。武甲山を背景にした満開の芝桜園の絵葉書を貰った。広い園内だが、少なくない見物客が出ている。目の前に広がる赤、ピンク、そして白色の芝桜が見頃。私は、好きな絵葉書と同じアングル、武甲山を入れシャッターを切った(写真上)Aさん、私程ではないようだ。初めての筈と思うが。確かに、手前の芝桜は疎らな状態。園内を半周し、芝桜にも色々種類があり、赤色がマックダニエルクッション、ピンクがスカーレットフレーム、白がオータムローズが代表的で、ブルーぽぃのがオーキントンブルーとある。

 武甲正宗の思い出 芝桜園を出て、秩父特産市会場で、売店を覗きながら空いた椅子を探し、先に席を確保して、私は飲み物、Aさんは昼飯を求める。私は、ここの会場は二度目で(13.4.27)、思い出もある。前回、地酒屋武甲正宗酒造のテントがあり、カップ酒を購入。その時、山下清画伯の放浪記”裸の大将”で、武甲正宗酒造に立ち寄り広告用行灯の絵を描いたテレビ放映を観ていたので、あれは本当にあった話しかと聞いたら、フィクションと返って来た。そんなことを思い出したが、売店に武甲正宗はなく、地酒秩父錦にした。Aさんは、家族に頼まれたと山菜を買い込み、蕗やタラの芽等をゲットした。天ぷら用らしい。
歩いて駅へ戻り、構内食堂で電車時間を調整。到着時、帰りの特急券を入手したが、遅い時間で、しかもバラバラの席。満席のレッドアロー号で池袋へ戻った。Aさん有り難うございました。帰り掛け駅売店で、武甲正宗を土産にした(写真下)。  (2018/05/10 K.K. 182/1200)

□日時 2018/4/29 □天候 晴 □交通費 2,510円 □資料 讀賣新聞「丘一面の春模様」18.4.17 □歩行距離 9km 13,000歩
「通過時間等」自宅8:15-JR巣鴨駅9:05-西武池袋駅9:20-同秩父駅11:10=牧水の滝11:20=羊山公園芝桜園11:30=秩父名産市会場12:00/12:45=西武秩父駅13:10/14:50-JR池袋駅16:25-三田線巣鴨駅16:36-自宅17:05

阿夫利神社下社から下山した蓑毛越え

 関東ふれあいの道・神奈川県コースは全コースを歩いたと思っていたら、神奈川県16”大山参り蓑毛のみち”は記録がないことに気付いた。阿夫利神社下社から蓑毛へ、また同神社から日向薬師へは別々に歩いたが、通しては歩いていない。また弟から誘いがあり、好都合と距離と時間から楽なコースとして選び、小田急秦野駅に待ち合わせた。

 急坂が続く蓑毛越え 秦野駅から乗ったバスを終点蓑毛に降り、近くの古寺に安全をお願いしスタート。本日は25度程になるという真夏並みの晴天。歩き出しから急な坂道で、直ぐ林の中から山中へと進んだが、坂の山道が続く。前回は下社からの下りだったから楽に歩いたのであったろう。調べたら20年も前のこと(97.10.11)。一歩一歩上がり続け、二度林道を渡ると、いよいよ記憶にもある蓑毛越え手前の深い林の中の坂道。弟は遅れ出し、時々振り返りチェックしながらゆっくりと歩を進める。大山への分岐に上がり休憩し、弟を待つ。数人のハイカーが私の前を通り過ぎ、若い女性は一息も入れず大山への直登コースへ突入して行った。山ガールである。ようやく弟が上がって来た。途中から高齢者と一緒で、我が兄と同年齢のようだ。持参したチョコレートを3人で食べた。
直ぐ蓑毛越えの地点で椅子もあり、先程先行したグループも休憩中。私は、当地から浅間山へ下ったことがある(10.2.11)。600回の山歩き時で記憶が濃い。下社へは大山山腹を巡るアップダウンの少ない歩きやすい道と思いながら行くが、予想とは違い荒れていて、最近の台風や大雨の所為だろうか。少なからず上り下りもあり、鎖場にも遭遇。偶々先日テレビ名山紀行で観て、こんな箇所があったかと調べたが見当たらなかった。そして、阿夫利神社下社に着く。弟も少し遅れて着き参拝し、本殿裏の御神水で喉を潤す。

 女坂を下り大山豆腐を食べる 境内ベンチで休憩しながら、日向薬師へは断念し、ここから麓の門前街へ下ることを弟と相談。蓑毛越えで疲れ、暑さも増している中、日向薬師迄は距離がある。彼も同意し、参道石段を下り始める。大山へは数回来ているが初めてのコース。途中から女坂にするが、急降下な上に石が不揃いで歩き難い(写真上)。手すりがある地はしっかりと掴まりながら、下り続ける。弟は、膝が笑い始めたと嘆いたが、私も直ぐ同じ状態になる。昨日も散策程度だが8km程歩いた。
大山寺に下りて、参拝。重文の仏具ご開帳日とあり、正面の仏像か。小憩し、もう当寺へはお参りすることはないだろうと思いながら、石段下りを再開。谷川を渡り、土産店が並ぶ門前街へ。狭い通りで、店員の呼び込みに誘われ、豆腐を戴く(写真下)。大山豆腐は有名で、一度は味わいたいと思っていた。評判通りの味で、大山の名水だからよ、と店員さんはニコッとした。バスで、小田急伊勢原駅へ出た。今回歩き残したコース、また弟と歩こうと思う。(2018/05/05 K.K. 1181/1200)   

□日時 2018/4/22 □天候 晴 □交通費 1,840円 □資料 厚木市観光振興課「厚木大山ハイカーズガイド」平成29年11月 □歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅7:25-都営神保町駅8:10-小田急新宿駅8:30-同秦野駅10:02-蓑毛10:25=大山分岐11:30=蓑毛越え11:55=阿夫利神社下社12:30/12:50=女坂12:55=大山寺13:15=門前街食堂13:40=大山参道バス停14:00-小田急伊勢原駅15:01-都営西新宿駅16:15-同春日駅16:30-自宅17:05

桜が終わっていた新宿御苑を一周する

 内閣府が主催する新宿御苑桜を見る会の案内があった。旧勤務先から電話があり承諾すると、案内の封書が届いた。昨春の叙勲受章の延長のようだが、先輩達からは聞いてはいない。どんな会か覗いてみるのも話の種になろうと、出掛けることにした。平服オーケーとあるが、久しぶりスーツにネクタイにした。もしかしたら、”そだねー”の選手達にも会えるかもと期待する。

 一万人の花見会へ 都営線新宿三丁目駅に降り御苑新宿門に着くと、既に大勢の招待客で、受付は込み合っている。私は、受付開始時間の830分頃に入園し、一時間程度在園の予定。主に苑内散策を楽しもうと思う。ぞろぞろ進む列に従い、紅白幕内の花見会場へ入ると、ここも招待客の男女が多数屯し、お酒配布のテント前に並んでいる。私も並び、紙コップに酒と記念の枡を貰う。御苑は禁酒で、本日は例外らしいが、そのためかコップの底に極僅か。会の進行もないので、紅白の幕外へ出て日本庭園の方へ歩き出す。高齢者が多く、夫人連れでご婦人方は和服を着用している。家内がいたら喜んでくれたかなと思ってしまった。次第に招待客は少なくなる。茶室で休憩しているご夫婦もいる。上の池では、1人になってしまう。

 1人日本庭園へ 御苑は広い。一万人の招待者でも会場はほんの一画で、騒音も聞こえて来ない。高遠藩33千石内藤家の屋敷跡等、18万坪の広さとある。庭園越しの高層ビルをアングルにし(写真下)、シャッターを切った。都庁舎かと思っていたが、違うビルと後に知った。池に架かる橋を渡る。八重桜は残っているかなと期待していたが、桜は全て終え葉だけ。躑躅や藤、そしてシャガが咲いている。またカップルの招待客に交差し始め、中華風の旧御涼亭から千駄ヶ谷門へ回る。こちらの受付は新宿門とは違い招待客は少ない。鳥達の囀りが聞こえるが、花を終えた桜園地を抜けると左手に、赤色が飛び込んできた。近付くとツツジ山は満開。ミリタリールックの大柄な外人と擦れ違う。映画やテレビでしか見たことがなく、私には違和感。会場周辺では自衛隊制服の方も見掛け、現内閣の好みかと思ってしまった。

早めに退苑 駐車場があり、警備が厳しそう。そろそろ主催者の出番の頃かなと、会場へ近付いたがそうでもないようだ。大木戸門へ寄り、また会場へ戻る。音楽が流れているが、挨拶等が行われている様子はない。テントで、お菓子とお弁当を貰い、10時に退苑し帰宅した。
翌日の新聞によれば、首相挨拶が行われ、梅沢富美男や冬期オリンピックのメダリスト高木美帆選手等も招待され、17,500人参加とあった(18.4.22読売)。                                (2018/05/03 K.K. 1180/1200)

□日時 2018/4/21 □天候 晴 □資料 「新宿御苑 安内図」 □歩行距離 8km 12,000歩
「通過時間等」自宅7:30-神保町駅8:15-新宿三丁目駅8:25=新宿御苑新宿門8:35=花見会場8:45=茶室楽羽亭前8:55=御涼亭9:10=ツツジ山9:25=大木戸門9:40=新宿門10:00=新宿三丁目駅10:15-神保町駅10:26-自宅11:05

 

奥武蔵みのわだ湖、おしゃもじ山ハイキング

 購読の新ハイキング誌に花見ハイク先として、奥武蔵の越生線東毛呂駅からスタートするコースをリザーブしていた。しかし、今年も桜の時期は逸したが、躑躅も早いと聞き、躑躅の花に期待し実行することにした。奥武蔵は、自称私のホームグランドだか、東毛呂駅以外一切歩いたことのないコースである。

 みのわだ湖は釣り用沼 東毛呂駅に下車。踏切を渡り住宅街を抜け、越辺川の橋を目指すが、距離がある。集落を過ぎ田園地帯を下り始めて橋であった。三叉路のコンビニ傍に”みのわだ湖”の案内を見付け、左折。直ぐ山側へ右折すると花咲く小径とある。川辺公園だが土手に突き当たり越すと、みのわだ湖。湖は大袈裟であり沼程度で、農業潅漑用という。現在では釣り池で、大勢の太公望が竿を出している(写真上)。目算で30人位か。管理事務所で、案内パンフを尋ねたが釣り用のみとのこと。池を時計回りに歩くと、シャガが咲く一画があり、カメラに収めた。

美しい新緑 コースの尾根へ上がろうと、小径を森の中へ入ると楢の樹の若葉が輝くようで、美しい。新緑の時期である。四阿で左折したら直ぐ舗道があり、ゴルフ場前。次のポイントが小用池だが、道路の左右に池があり迷うが直進を続ける。左手にそれらしい池が現れるも案内はなく、しかも工事中で近寄れない。略図を確かめ、次の分岐で荒れた畦道へ進入し林を抜けると小さな集落。工事中の掲示に現在地小用とあり、そのまま新興住宅街を進む。正面の小高い丘がおしゃもじ山かなと見当を付けた。
次の榎堂集落の裏側が目指す小山であった。当地は、埼玉鳩山町で、位置的には奥武蔵の中心だが、越生町や坂戸市、東松山市に囲まれ、東武東上線と八高線の狭間でもあり、これまで一部に踏み入ったことはあろうが、中心を歩いたことはないと思う。

躑躅満開のおしゃもじ山 現在、おしゃもじ山は公園で、石段から東南斜面を上がると躑躅に出逢う。今年は早いという情報は確かだなと思いながら上り続け、次々に躑躅の花が現れ、レンゲツツジは満開だ(写真下)。隣のヤシオツツジは散り始めている。躑躅は多くはなく、頂へ出てしまった。展望台があり、前方の低山は越生方面の山々だろう。
バス停赤沼へと尾根道を奥へ進むと、下りに入り正面に笠山があった。山容から私にも分かる奥武蔵中心の山である。望遠にしたカメラを向けた。
赤沼バス停で20分弱待ち、バスで東武坂戸駅北口に着き、駅前に店を探す。最近同僚になったM君の実家が当地で酒屋を営むと聞いていた。見付かり、晩酌用の小瓶を求め、挨拶すると父上で、私のことをご存知。事務所サイトから見たことがあると仰った。最近愛飲している新潟の地酒”菊水”とした。(2018/04/28 K.K. 1179/1200)

□日時 2018/4/16 □天候 晴 □交通費 1,300円 □資料 宇山清太郎「おしゃもじ山」新ハイキング654号34頁 □歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅8:20-東武成増駅8:40-同東毛呂駅9:45=越辺川橋10:00=みのわだ湖10:15=おしゃもじ山11:10=赤沼バス停11:53-東武坂戸駅12:22-同成増駅13:15-自宅13:35

栃木に雲巌寺から遊行柳を訪ねる

 栃木の奥にある史跡遊行柳を知って興味が湧き、是非訪ねたい。古い新ハイキング誌に資料が見付かり検討すると、JR東北線黒田原駅からバスだが、便が悪い。友人のSさんに話したら、車オーケーとの答えが返って来た。感謝しながら話しを進め、丁度北栃木の桜見頃の時期とし、黒羽の雲巌寺も入れることにした。いずれも奥の細道である。

山奥の古刹雲巌寺 板橋から雲巌寺迄、東北高速道を矢板インターで降り2時間半であった。黒羽も奥深い山中に古刹があり、隣はもう茨城県境のようだ。谷川に掛かる朱塗りの反り橋を渡り、石段を上がって山門を潜ると境内。午前中も早い時間なのに高齢者を中心に参詣者もある。Sさんと風格のある本堂前(写真上)へ進み、参拝。振り返ると広い伽藍の屋根が見渡せた。
当寺は、禅宗の道場が置かれたわが国の代表的な寺で、黒羽に滞在した芭蕉も訪ねたという。旧知で禅の師匠仏頂和尚が晩年庵を結んだ寺で、芭蕉は、”啄木も 庵は破らず 夏木立”と詠んだとある。私は、最近旅パンフから知り、吉永小百合がCM撮影をした寺とあったが、偶々テレビCMからも吉永が案内する雲巌寺を見た。

小さな史跡遊行柳 ナビで、一旦山奥へ入り、里側へ戻り伊王野を過ぎ、バイパスを走って芦野へ至り、遊行柳を探すと、左手にそれらしき風景が見え、近くに駐車場もあった。昨秋、やはりSさんとの白河の関跡からの帰途、密かに遊行柳との出会いを期待していたが、街道が一本奥で違っていた。
本日は風もあり寒い中、田圃の畦道から柳を目指す。我々と同じ見学者がチラホラ。水田地帯の真ん中に史跡はあった(写真下)。柳よりは隣の桜が満開で、目立っている。
遊行柳は、室町時代、旅の時宗の上人が芦野を通った時、老翁の姿になった柳の精を念仏で成仏させた地で、古柳がある。この故事から能楽や謡曲の題材とされ、西行法師も立ち寄り、江戸期には芭蕉も訪ねて、”田一枚 植えて立ち去る 柳かな”との句を残している。意外に小さな史跡だなと思いながら、カメラに収め、大柳の下を往復した。二本の柳は何代目だろうか。

 満開の中の芦野城跡 右手先に、ピンクに染まった丘が見え、芦野城跡と教えて貰い、我々も、芦野町内に車を駐め、坂を行き城跡御殿山へ。当城は別名桜ヶ城とある。人出があり、桜満開の下を二の丸跡へ上がると、土塁に並び咲き揃う桜が美しい。土塁上から、青空の下、未だ白雪のある那須の連山を遠望する。樹齢400年の高野槇の古木が聳え、築城記念樹という。天文年間(1532-1555年)、那須氏の一族芦野資興の築城説が有力で、芦野家は旗本格で明治迄続いたようだ。城跡から芦野温泉へ回り、入浴。込みあい昼食は出来ず、東北高速道上河内SAのレストランにし、遅い昼食に有り付いた。Sさん、またまた有り難うございました。念願の遊行柳を訪ねることが出来、感謝です。2018/04/24 K.K.1178/1200)                                

□日時 2018/4/8 □天候 晴 □資料 鈴木一雄「伝説の遊行柳を訪ねて 芦野の里」新ハイキング510号80頁 □歩行距離 7km 9,000歩
「通過時間等」高島平7:00-大谷SA8:30-雲巌寺9:30/9:55-遊行柳10:30/10:50-最勝寺10:55-芦野城跡11:00/11:35-芦野温泉11:45/12:25-上河内SA(昼食)13:20/14:00-高島平15:45

鹿浜橋から桜咲く都市農業公園へ

 今年二度目の花見ウォークは、荒川対岸にある足立の都市農業公園。以前訪ねてパンフレットが手許にあり、花の時期を待ち再訪先としていた。赤羽や王子から鹿浜橋を渡って歩くのに少し距離があるかなと読んでいた。改めて地図を眺め、4月から孫が通う学校が途中にあると気付いた。どんなキャンパスか覗いて見よう。

 鹿浜橋を渡る 王子5丁目から住宅街の中を少し歩くと隅田川があった。川幅一杯に流れ、運河のよう。足立新田高校を左に見て、前方の荒川土手へと上がる。こちらは高い土手、広い河川敷と大河である。中央の流れは遠く見えにくい。先に掛かる橋が鹿浜橋で、長い。鹿浜橋の名は知っていたが渡るのは初めて。左手先に、都市農業公園が見え始めた。橋を渡り終え、橋桁下から左岸上流へ行く。

五色桜、チューリップ 農業公園に着くと、堤脇に咲く、見頃の五色桜が出迎えてくれた(写真上)。パンフによれば、紫桜、関山、白妙、鬱金、墨染等、現在では49品種、290本あるという。花の色に微妙な違いがあり、カメラに収めた。ワシントンからの里帰り桜もある。園内に咲く様々な桜花を見上げながら、管理棟で今年のパンフを見ると、春の花まつり開催日が4月14日、15日とあり、約10日後。今年の早い開花を予想できなかったのであろう。
園内には、古民家や長屋門が移築保存してある。以前は家内の実家を思い出すことが多かったが、建て替えて50年近くなり、記憶も薄くなってしまった。
 堤下河川敷内のチューリップ園も咲き揃っている。遊歩道を巡りカメラを向けながら、色とりどりのチューリップを楽しむ。色濃くはっきりした原色の花も良い。アングル探してはシャッターを切った(写真下)。堤上へ戻って、桜の下の公園ベンチで昼食を取る。
園正面のバス停で時間を調べると30分後。鹿浜橋袂のバス停へ歩き、間もなく王子駅行きが来た。王子駅前で都電荒川線に乗り換えて直ぐ桜の名所飛鳥山公園だが、車窓から眺めたこちらのソメイヨシノは散り始めていた。

 先に孫が通うキャンパスへ 三田線板橋本町駅からバスの便があると聞いて、同駅でバス停を探し王子駅行きに乗車。初めてのコースで何処を走っているか不明だが降車バス停は、孫達に聞き知っていた。バスを降り、地図を片手に学校を探し裏通りをウロウロ。ようやく現在地が分かり、先に大きな校舎が見付かった。周囲は住宅街で、静かな地域のよう。広くはないがグランドがあり、数人の学生達がサッカーを楽しんでいる。都内としては、思ったより環境や施設的には良さそうな学校と見て後にし、少し歩くと隅田川であった。2018/04/18 K.K. 1177/1200)                                      

□日時 2018/4/2 □天候 晴 □資料 都市農業公園「都市農業公園サクラマップ」平成25年4月 □歩行距離 10km 14,000歩
「通過時間等」自宅9:50-三田線板橋本町バス停10:26-王子5丁目バス停10:40=T校キャンパス11:00=新田橋11:05=鹿浜橋11:30=都市農業公園11:40/12:10(チューリップ園11:50)=鹿浜橋袂バス停12:35-都電王子駅12:55-三田線西巣鴨駅13:15-自宅13:40

2018花見に都心の公園や神社を巡る

 今年、東京は3月末にサクラが見頃になった。例年よりは大分早い。花見ウォークに都内に未訪の地を探したが、中々見付からない。ネットや地図から有栖川公園、東郷神社、高橋是清公園、そして赤坂サカスにした。結局、桜花よりは未訪地を優先してしまった。都心に点在するため、電車と徒歩の混合である。

 2018花見は有栖川公園から 日比谷で三田線を日比谷線へ乗り換え、広尾駅から有栖川公園を目指す。駅近くに公園は見付かった。南部藩下屋敷や皇族の御用地であったという公園は思ったより広く、萌葱の樹林が繁るが、桜は少ない。花を探し園内を行くと、奥に満開の桜木二本あり、下の芝で母子グループが弁当を広げていた(写真上)。私も花を見上げ、カメラに収めた。隣が都立中央図書館。一度文献入手に来館したことがあったが、30年も前だったろうか。一回りすると満開の桜並木が隣の病院前庭を占めていた。

 初めての東郷神社へ 恵比寿駅へ出て、山手線で原宿駅に降りる。駅前は一転し若者達で混み、竹下通りは人で溢れているよう。地図から東郷神社へと住宅街へ進入すると突き当たりが境内で、先ずは参拝。桜は少ないが、花よりは初めての訪問が優先。昨年市ヶ谷の東郷公園は訪ねた(17.3.28)が神社の存在は知らなかった。境内は広く、池付庭園があり、ホテルのような記念会館も建っていた。私は裏から入ったようで、表参道前が明治通り。

鳩の森神社、是清公園 徒歩で、次の交差点を右折し鳩の森神社が近いことを知る。一度訪ね、今回の隠し花見スポットである。外苑西通りへ左折すると工事中の国立競技場。スタンドが建ち始め大分工事が進んでいる模様。手前を住宅街へ入ると想定先に神社はあり、鳥居付近に咲く満開の桜が迎えてくれた。隣が中学生棋士で話題の将棋会館だが覗かないで、境内の大きな富士塚をカメラに収め、地下鉄国立競技場駅を探した。
青山一丁目駅で降り、青山通りに面する高橋是清公園へ。是清翁は政治家や大臣として有名だが、我が特許や商標制度の創始者で初代所長。命日の2月26日には、嘗ては私の知人も追悼に当公園を訪れていたと聞いた。小さな公園で、桜は数本のみ。奥の像に挨拶し、現在も制度は継続し世の中に貢献していると報告。当地は高橋邸跡で、建物は小金井の江戸東京たてもの公園に移築されている。

 赤坂サカスは満開 最後は、TBSのある赤坂サカス。私はラジオ派で、早朝から同放送を聴いている。その中で、サカスの花は咲き始めたとか、見頃だとかアナウンスがあり、今回加えた。草月会館先虎屋手前で青山通りを離れ、ここからは山勘で左往右折しTBSビルへ。途中に以前通ったビルがあり、坂道を下ってサカス。両側には桜並木が続き(写真下)、ジャスト満開。シャッターを切りながらTBS前へ出て、同ビルを入れたアングルにした。千代田線赤坂駅は直ぐで、桜を背に地下へ階段を下りた。(2018/04/13 K.K. 1176/1200

□日時 2018/3/29□天候 晴 □交通費 640円 □資料 昭文社「東京都市図」2004年4月 □歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅10:45-日比谷線日比谷駅11:35-同広尾駅11:45=有栖川公園11:50/12:05-JR恵比寿駅12:10-同原宿駅12:25=東郷神社12:35=鳩の森神社13:10=大江戸線国立競技場駅13:36-同青山一丁目駅13:40=高橋是清公園13:55=赤坂サカス14:15=千代田線赤坂駅14:26-三田線大手町駅14:36-自宅15:10