待ちに待った道志渓谷を歩く

道志川の渓谷美は以前から聞いていた。ハイキングを始め道志渓谷を歩きたいと数度調べたがその度諦めた。アクセスが悪く、神奈川橋本からは途中で乗り換え渓谷手前迄バスはある。山梨都留からも同様で、いずれも朝夕だけの便で、日中はない。友人の読者Sさんの車に期待し、お願いした。台風で一週間延びたが実現した。

 深い道志渓谷 高島平を出た車は都心から中央高速に入って相模湖ICに降り、一般道を一旦神奈川方向へ戻り半原で右折し、丹沢麓の山中へ。途中伏馬田を通るはずとチェックしていたが分からないまま月夜野に至り、橋本からのバス終点で近いと感じる。

道志村野原で車を止めて貰い、野原橋から舗道・道志みちをスタート。約一時間半後再会の予定だが、携帯は通じるようだ。左手が道志渓谷で、直ぐ吊り橋入口があり(写真上)、橋上から渓谷を覗くと谷は深く約20mはあろうか。道志みちへ戻り久保地区。ここにも吊り橋がある。渓流を見ながら歩けると期待していたが、この辺りは深い渓谷は木々に覆われ、道志みちからは見えない。車の往来が激しく、注意しながら左端を歩く。富士五湖方面への抜け道かもしれない。当地は長閑な山村かなと思っていたが、意外に道路沿いには商店や旅館もあり、キャンプや川遊び、釣り客用のようだ。

 水源の森口まで歩く 笹久保を過ぎ、大室指で渓谷に架かる大室橋を渡ると、谷も大分浅くなった。坂道で栗を拾い、末孫のお土産にしよう。直ぐ、七滝入口。Sさんとの待ち合わせ場所だが、未だ1時間経過しただけで速い。後に、橋の袂から旧道経由しなかったからと気付く。携帯メールで水源の森口まで歩くと伝えた。程なく水源の森口に着き、Sさんも追い付いて来た。2人で、橋から眺めた渓流は道路の直ぐ下で、激しく流れている(写真中)。 直ぐ先に村役場があり、中心地。私のハイキングは終わり、道志の湯へ。汗を流した後道の駅へ回って貰ったが、混雑し駐車場へ数珠繋ぎ中。2人は暗黙的に合意し、寄らずに直進し山伏峠を越し山中湖へ。見えるはずの富士は雲の中。

 キバナコスモス畑へ 私は、近くにある花の都公園へお願いする。Sさんカーナビで確かめ、回ってくれた。先日キバナコスモス満開の情報を得ていた。道路両側に濃い黄色の花が咲いている。期待しながら、駐車場から花畑へ。満開のキバナコスモスは花畑を埋め尽くし(写真下)、シャッターを切りながら、畑の端を巡る。Sさんも、初めて観る花のようで感心している様子。私は先週昭和記念公園では出会えなかったが、本日は一面に咲き揃うキバナコスモスへの再会に満足し、Sさんに感謝である。秋桜畑を一回りし、公園の中にあるレストランで昼食。2人ともご当地食ほうとうにした。

高速を走る車は速く、富士吉田、大月経由し約2時間で高島平であった。Sさん今回も、大変お世話様でした。 (2017/10/15 K.K. 1139/1200)

◇日時 2017/9/24  ◇天候 晴 ◇資料 旅行読売出版社「滝 湖畔 渓谷を歩く 道志渓谷」2000年90頁 ◇歩行距離 10km 13,000歩
「通過時間等」自宅7:30-野原橋9:00=同吊り橋9:05=久保吊り橋9:15=大室橋9:40=七滝口10:05=水源の森口10:30-道志温泉10:50/11:20-花の都公園(昼食)12:05/13:15-自宅15:20

期待した秋桜はなかった昭和記念公園

秋が来て、秋桜の季節である。ネットで調べると各地花園の咲き始め情報にヒットした。ひたち海浜公園や佐久コスモス街道は遠い。都下の昭和記念公園はコスモスまつり開催中で、キバナコスモスもあると知った。一度キバナコスモスに出会い(16.8.25)、濃い黄色の花は刺激的で記憶に残り、再会したい。9月半ば三連休最後の日、出掛けた。

 玉川上水口から入園 立川先にある昭和記念公園へは二つのルートがあり、今回は高田馬場駅から西武線。途中の小平駅で拝島行きに乗り換え、久しぶりの乗車だなと思ったら玉川上水駅を通過し、昨年武蔵村山のひまわり観賞に当駅で乗り換えたこと(16.8.4)を思い出した。年齢の所為だろうか。次の武蔵砂川駅に降り、スタート。  駅前で公園への道順を確かめ、玉川上水を渡り、畑地や農家が残る地区を行く。農協先を右折し進むと、公園玉川上水口が見えた。

本日入園料無料の恩恵を受け、入園。昨日の台風の影響から背の高い草花は傾いている。秋桜の丘に近づいたが、花はあるが疎らで未だ咲き始め状態。花に埋まった丘を見た記憶がありがっかりし、カメラを向ける気にもならない。先に彼岸花を見付け横道に入り眺め、シャッターを切った。こもれびの里で、奥には大きな名主の古民家が移築されている(写真上)。この種の民家を見ると家内の実家を思い出す。藁葺きや広い土間、囲炉裏、座敷は共通している。戻って、道端に咲く黄色の花はオミナエシだろう。

黄色いコスモスの花は? 前方の広いはらっぱ東花畑に黄色の秋桜の花が見え出した。花は確かに黄色のコスモスだが、私の知るキバナコスモスではなく、期待した刺激的な花ではない。多分、ネット調べた際、私が見間違えたか、早とちりだろう。加齢の所為ではなく、生来のそそっかしさ。一画を占める黄色のコスモスは満開状態で(写真下)、見物者も多い。一回りし、この広場は箱根駅伝予選会ゴール付近で、成績発表のステージが設けられる地。約一ヶ月後に迫り、我が母校の通過を願う外はない。花木展示棟に寄り、キバナコスモスを質問したが、昨年の写真や資料にはあるが、今年はないようだ。歩き足りなく、水鳥の池を左折しJR立川駅へ歩くことにする。初めてで距離がある。パンパースかと思いカメラに収めたらススキのよう。

神保町登山用具店へ あけぼの口から立川駅を探し、南武線分倍河原駅を経由し京王線でそのまま神保町駅へ出て、登山用具店へ。私の春の受章に際し宴の外、仲間からは記念品も戴いた。携帯用ポットやウェストポーチ、ウォーキングシューズといずれもハイキング用。私の趣味は知れ渡ってしまった。そして、本日の登山用ズボンもプレゼント品。秋用のものを選び今後用にした。感謝である。  (2017/10/11 K.K. 1138/1200)

◇日時 2017/9/18  ◇天候 晴 ◇資料 国営昭和記念公園「2017こすもすまつり」 ◇交通費 960円 ◇歩行距離 12km 17,000歩
「通過時間等」自宅8:30-JR巣鴨駅9:10-西武高田馬場駅9:48-同武蔵砂川駅10:10=昭和記念公園玉川上水口10:30=こもれびの里10:40=はらっぱ東花畑10:55=あけぼの口11:30=JR立川駅11:59-京王分倍河原駅12:16-都営神保町駅12:55/13:30-自宅14:10

JR山形左沢線に乗り、初めて往復する

故里へ帰ることになった。2泊3日の予定で、歩く先に思いを巡らした。前々日浜松から帰ったばかりで、ハードな山歩きは避けたい。最近業界誌に”鉄道の旅編”として、7記録を纏め掲載したこと(LES誌2017年.6月号)から、乗り鉄を思い付きJR左沢線が閃いた。未だ終点左沢駅迄は乗ったことがなく、山形県内唯一未乗車区間のある線である。

 左沢線に乗車 今や山形は近い。新幹線で3時間弱で山形駅に着いた。私の上京時は急行で約6時間であったと思う。待ち時間に駅蕎麦で昼食。濃い醤油味の以前ものとは違い甘い薄味。左沢線寒河江行きに乗車する(写真上)。終点左沢駅迄未電化単線の盲腸線で、ザワ線と呼ばれていたが、今ではフルーツラインの愛称が付されている。この線には三度乗車したが、いずれも高校時代で50数年前のこと。北山形駅から奥羽本線と分かれ独自線に乗り入れる。山形市郊外へ出て住宅街と田畑の混合地帯から、次第に水田地帯が広くなる。一部は黄色が増し稔りの秋が近いことを知らせている。羽前長崎駅を過ぎる。この駅は二度乗降した。当地から通う高校同級生がいて、土曜日午後彼の家に遊びに寄ったことがあり、一度は、最上川で泳いだ。大河もこの辺りでは深くはなく足が立ったが、水は綺麗ではなかったと思う。気動車は最上川の鉄橋を渡り、泳いだ下流方向を眺めた。

高校時代の思い出 寒河江駅に着いた。一時間後の左沢行き時刻を確かめ、市内へ。西村山郡の中心で郡役所があった街。長岡山公園がありその近くに郡役所庁舎が遺ると知り、確かめたい。八幡神社前から右手が林の小山となり長岡山だろう。山側へ入ると寒河江高校前。同高校へは文化祭見学に来たことあったが殆ど記憶にない。木造校舎であったと思うが、建て替えられている。同校には思い出がもう一つ。当時女子バスケ部が強く、県大会決勝でそれまで勝てなかった私立S高を破りインターハイ行きを決めたのを目の前で観た。次の男子決勝も、同じ立場にあった我々に、強豪N校に勝てるのではとの勢いを付けてくれ、前半は互角であったが後半突き放されてしまいインターハイ出場はならなかった。寒河江高女子部員Hさんは美形で、山形市内の高校にもファンがいた。

郡役所を探し山裾を行き公園内へ入り、左手下に古い木造建物を見付けそちらへ回ったら、高校の武道場のよう。更に奥へ進んだが見当たらず気動車時間が迫り、駅へ戻った。車内でチェックするともっと先にあったが、駅から15分の案内に惑わされてしまった。

JR左沢駅を折り返す 終点左沢駅に下車し駅前広場へ出る(写真下)。朝日岳へ連なる山々に囲まれた盆地の小さな田舎駅のよう。一度従兄弟の車で当地の楯山城跡を訪ね、眼下に大きく蛇行する最上川を眺めたことがあり(99.8.28)、そちらの方向を眺めたが良く分からない。直ぐ山形行きの折り返し時間になり飛び乗った。(2017/10/02 K.K. 1137/1200)

◇日時 2017/9/10  ◇天候 晴 ◇資料 JR東日本駅からハイキング「サクランボの里・さがえ」2003年168頁 ◇交通費 15,000円 ◇歩行距離 8km 10,000歩
「通過時間等」自宅9:50-JR上野駅11:06-同山形駅14:18-同寒河江駅14:50-寒河江高校前15:05-JR寒河江駅15:54-同左沢駅16:16/16:23-同山形駅17:54-同さくらんぼ東根駅18:30-実家18:40

浜松城を訪ね市内を歩く

今年の業界団体の会合は、浜松市開催となった。この機会、合間を利用し歩くのはいつものこと。浜松城を思い出し、調べると駅から徒歩20分、宿泊先から30分のようだ。これまでは、朝が多く、名古屋開催の折は、朝食前名古屋城を一周した。今回も、朝を予定し前夜のパーティ二次会へは出ないで、就寝した。しかし、目が覚めたのは遅く、前日の疲れが残っていたようだ。そうすると昼休みか終了後である。

 鎧掛松から天守閣を一周 ホテルを出た時は16時に近く、タクシーを利用。10分足らずで、市役所前の鎧掛松近くに下車。家康が三方原で武田方に大敗して逃げ帰り、鎧を掛けた松で現在は3代目とある(写真上)。もう城跡内で、三の丸跡に市役所が建つ。前方に天守閣を見上げながら、二の丸間の通路から登城。天守閣を大量の石垣が固めている。戦国期の野面積みで、これで400年以上支えているのだ(写真下)。カメラに収めながら門を潜ると天守前。遅い時間なのに、見学者で込み合っている。多くの閣内は史料館や展示館であり、当城もそうだろうと省略し、裏へ回る。意外に小さい天守で、1958年建設のコンクリート製の模擬天守である。

家康と浜松城 1570(元亀1)年曳馬城と呼ばれた城に家康が岡崎城から移って拡張し浜松城と改め、1586(天正14)年駿府城築城まで在城した。先に書いたが、1573(元亀3)西上する武田軍と三方原で戦い大敗した。その時九死に一生を得た家康の恐怖、放心状態等は色々伝わる。ここからの家康が並みの武将と大違いで、その時の恐ろしさや悔しさを終生忘れないように放心状態の自らの姿「顰像」(シカミゾウ)を描かせて傍に置き、常に戒めにしていたという。
 私は二度目で、同好の士Yさんと、やはり夕方来城し外側から眺めた(91.9.22)。当時、法改正作業プロジェクトに属し一段落した時、2人で城跡巡りとして駿府城、高天神城、掛川城と回り夕方浜松へ着いたのだったと思う。その前、三方原戦の夜戦地犀ヶ崖を探したが到達出来なかった。今回も市内マップからは見付からない。天守閣を一周し、隣の日本庭園へ寄る。桜の名所であるらしいが、この時期花もなく、直線的に園内を抜け駅へ向かう。

市内を歩き浜松駅へ 浜松は産業大都市で、企業城下町であろう。我が事務所の主要クラアントも当市所在である。処が、市内を歩くと、肴町や伝馬町、鍛治町、旅篭町があり城下町名がそのまま残っている。連尺町もそうだろう。我が山形市にも同様の町名が今も残っている。商店街やビル街が連なる大通りを右折左折し、遠州鉄道の高架下を過ぎるとJR浜松駅前であった。                               (2017/09/28 K.K. 1136/1200)

◇日時 2017/9/8  ◇天候 晴 ◇資料 東京堂出版「城郭みどころ事典・東国編」2003年152頁 ◇交通費 15,900円 ◇歩行距離 6km 9,000歩
「通過時間等」宿泊先15:50-鎧掛松16:00=浜松城天守閣16:10=日本庭園16:20=JR浜松駅17:11-同東京駅18:50-三田線巣鴨駅19:20-自宅19:50

金華山城から岐阜柳ヶ瀬通りへ

最近記録を整理すると、全国各地を巡り記録を残しているが、中でも、中部地方が少ないと分かった。浜松行きの際、足を伸ばし岐阜を訪ねることにした。また、昨年末で、県庁所在地で未記録都市は九つあり、岐阜市が含まれている。岐阜と言えば、私には金華山城で、記録はないが再訪(90.3.23)。20年以上前のことで、現在では記憶は朧気である。

 ロープウェイで天守閣へ JR名古屋駅で新幹線から東海道線に乗り換える。岐阜駅は近く30分足らず。雨が降り出しそうで、早く城跡へとバスに乗車し、市内メインの通りを走る。広い直線の道路は空襲を受けて戦後のものだろう。途中柳ヶ瀬通りが見え、帰りには寄りたい。公園前でバスを降り、園内へ。ロープウェイがあり窓口で、下りは歩きたいと言ったら、雨後で滑るとアドバイスあり、往復券にする。前回もロープウェイで上下した。山頂駅に着き、金華山頂(329m)に建つ天守閣(1956年建設の模擬天守)へ歩くが、狭く急な坂道で、記憶より距離がある。途中、木立の間にアングルを見付けシャッター切った(写真上)。野面積みの石垣は往時のものか。雨が落ちてきたが、傘を出さずに天守閣内へ。私の年齢では無料。

天守閣から居館跡 当城は信長の城として有名だが、戦国時代斎藤道三側との攻防の末、孫龍興の時攻略して手に入れ、1567(永禄10)年地名も井の口から岐阜へと変えたことは知られる。二度目の天守内を巡る。最上階へ上がると長良川の流れが見え、その先に陸上競技場があり、一度、クライアント会社が出場した実業団女子駅伝を観戦したことがあった。展示品に、宣教師ルイス・フロイドの書簡写し(後の「日本史」、ポルトガル語か)を探す。信長時代来日し当城に来て、その様子等を本国に書き送った手紙を元にした書簡であったと思う。記憶通りの場所にあった。後でネットで調べればと一瞥し天守閣を出る。井戸跡から山頂駅へ戻り、昼食。下駅に降り、信長の居館跡を巡る。調査中で一部は発掘した儘。約20年前の前回も同様の作業をしていたと思う。千畳敷と呼ばれた敷地に石垣を巡らし、4階建ての豪華な館であったとある(小学館「城郭と城下町・東海」188頁)。

 柳ヶ瀬ブルースのご当地へ 雨が上がり、駅迄市内を歩くことにする。鍵型の大通りを進み市内のメイン通りとなり、岐阜市役所前から柳ヶ瀬商店街入口へ。美川憲一が唱う「柳ヶ瀬ブルース」は当地が発祥の地と言われ、ご当地ソングのはしり。最近歌謡番組が好きで、夜はテレビで良く聴いている。柳ヶ瀬はどんな所か興味があったが、偶々チャンスが来た。横丁の商店街へ入るも飲み屋街ではなく、スナックやバーも少ない(写真下)。歌碑があるのではと小路や広場も覗くが見付からない。事前調査なしで情報もない。美川のご当地ソング三部作、新潟ブルースや釧路の夜の歌碑は確かめた。残念ながら、商店街をウロウロしたが諦め大通りへ出て、岐阜駅へと歩いた。(2017/09/25 K.K. 1135/1200)

◇日時 2017/9/7  ◇天候 曇り後雨 ◇資料 小学館「城郭と城下町・東海」188頁 ◇交通費 16,760円 ◇歩行距離 12km 17,000歩
「通過時間等」自宅8:25-JR同東京駅9:33-同名古屋駅11:30-同岐阜駅11:55-岐阜公園前12:15=ロープウェイ12:30=金華山城天守閣12:45/13:05=ロープウェイ13:30=居館跡13:40=柳ヶ瀬通り14:25=JR岐阜駅14:58-同浜松駅17:00-宿泊先17:15

北軽井沢から白糸の滝を巡る

北軽井沢のリゾート施設で、夏の研究会が開かれ参加した。私の主目的は、翌日の山歩き里歩きで、色々検討したが、行く先が決まらない。一昨年の裏磐梯高原開催時、一緒に歩いてくれたAさんに声を掛けたら、午前中ならOKとの返事。それなら峰の茶屋、白糸の滝、旧軽井沢と巡る軽いコースにし、朝一番の送迎バスで、峰の茶屋へ向けた。

 北軽井沢の樹林帯 北軽井沢は、活火山浅間山の北側に位置し火山台地に広がる樹林地帯で、未だ深い森が続き、その中にゴルフ場やホテルのリゾート施設が点在している。前日夕方、施設前遊歩道を歩こうとし森内を進むと、直ぐ熊注意の看板に出会い、早々に引き返した。小熊が出て親熊もいる筈と施設側。当地には、鹿や猿、猪も出没していると聞いた。
送迎バスは軽井沢へ通じる国道へ出る迄約10分を要し、更に森林の中の国道を走り、最初の信号のある交差点が峰の茶屋バス停であった。信濃路自然歩道の入口だが(写真上)、20分後の路線バスを待つ。森内へ入る歩道を覗いたAさん、獣道みたいだという。私にも、1人では寂しそうな荒れた山道に見えた。反対側へバスが到着し、10名ほどのハイカーグループが降り、浅間山方向の森内へと消えた。地図で調べると、小浅間山(1655m)登山のようだ。

白糸の滝を見学 軽井沢駅行きバスが来て乗車し白糸の滝バス停に下車。土産店もあり知られた景勝地で、人出もある。沢沿いの小径を上がり、滝前に出る。思ったより低いが、半円状の岩壁伝いに噴流している滝(写真下)。夏なのに水量も多い。Aさん、思い出し二度目らしい。私も数度目だが、カメラに収め、バス停に戻る。また信濃路自然歩道の案内を見て、1人そちらへとも過ぎったが、目の前の急坂を見て完全に諦め、バスにする。
 バスは谷川沿いに走り、車窓から谷川と小道が見えるが、歩く人はなく、道は踏み跡程度のよう。バスは小瀬を通過し思い出した。やはり野尻湖畔で開かれた夏の研究会に参加した翌日、当時大学院生だったMさんと中軽井沢から小瀬まで歩いたことがあった(03,7,21)。2人は疲れからここで止めて、バスを待ったと思う。

旧軽銀座通りを上下 旧軽井沢に着き、有名な銀座通りを歩く。とは言っても、旧中山道軽井沢宿で碓氷峠へ上る街道筋。私は、峠見晴台への往復に、二度は歩いている。夏のトップシーズンは過ぎたが旧軽のメイン街を上下する人は多く、若者が目立つ。Aさん買い物があるようで、両側に並ぶ用品店や雑貨店を覗く。私は観光会館展示室を見学。一回りし、軽井沢駅へ急ぐ。12時前の新幹線に間に合い、Aさんも一安心。急いだ所為ではないが、旧軽夏の定番ソフトクリームを試すのを忘れていた。(2017/09/21 K.K. 1134/1200)

◇日時 2017/9/4  ◇天候 曇り ◇資料 昭文社「山と高原地図 軽井沢・浅間」1998年版 ◇交通費 8,140円 ◇歩行距離 6km 9,000歩
「通過時間等」宿泊先8:20-峰の茶屋9:01-白糸の滝9:10/9:50-旧軽井沢10:15/11:00=JR軽井沢駅11:32-JR上野駅12:35-三田線巣鴨駅12:50-自宅13:25

※故里の読者S先生からです。『「マイペース維持」・・・これこそ工藤流山歩きの骨頂。見習うべし!(1126号)下の写真ワタスゲの群落が美しい、池塘のさざなみもいいなあ。夏山のシーズンにふさわしい探訪おめでとうございました。」有り難うございました。

都下清瀬にひまわり畑を巡る

前週は北海道であり、今週は近場を想定していたら、TBSラジオ”歌のない歌謡曲”の中で、遠藤泰子アナが清瀬のひまわりが見頃とアナウンスした。ひまわりは、好きな花の一つで、ほぼ毎年観賞に赴き、昨年は武蔵村山向日葵ガーデンを訪ねた(16.8.4)。TBS”歌のない歌謡曲”は長寿番組で、私が高校へ汽車通学している頃東根駅への途中の家から流れる放送を聴いて時計代わりにしていた思い出がある。

 清瀬駅からひまわり通りへ 西武清瀬駅は近い。私のホームグランド奥武蔵の入口飯能駅の大分手前。期待通り駅に案内パンフがあり、出口でひまわり畑の案内をしている。バスを勧められたが、歩きというと20分、否30分かなと返してくれた。駅前商店街からやや複雑な道順をパンフの案内に従い進み、ひまわり通りに入る。直線と直感し、神山公園、気象衛星センターを過ぎ、会場が近くなったことを実感すると家並みが切れ、前方空間に畑が広がった。

清瀬ひまわり畑は満開 畑への進入路からテント前展望台に上がると、広い畑の殆どをひまわりが占め、花が一斉に咲き開いている(写真上、下)。同じ高さの黄色の大きな花がこちらを向いて咲き揃い、見事。既に少なくない人出があり、遊歩道を動いている。私も、カメラを出し、ゆっくりと後を追う。花は丁度見頃となり、種類も一種のようで、同じ花が続く。パンフによれば、24,000㎡の畑に10万本のひまわりがあり、元は小麦畑で、収穫の間に緑肥としてひまわり栽培が始まり、その花が評判になって一般開放に至ったとある。先程テントで、今年は8回目と聞いた。程なく畑の端で、Uターン。今度は、迷路に入ってみたが上手く続かず、出てしまった。テントへ戻り、近辺の情報収集。近くを野火止用水が流れている筈で、そのルートを尋ねたが直接の道はないという。それでは志木街道はと尋ねると、反対側の直ぐ先との答え。再度ひまわり畑を縦断すると、花が咲き終わった一画があり、播種時期をずらし花期を調整しているのだろう。里芋の畑をみて、今年も高島平芋煮会用に育てている故郷の兄達に思いを馳せた。

日枝神社を再訪 志木街道は見付かり、街道を駅へ向かう。両側に屋敷森が覆う大きな農家が並び、間に古寺があり、昔ながらの通り。この街道は一度反対へ歩き、野火止用水から平林寺へ出たことがある(99/10/3)。先に日枝神社がある筈と注意しながら行くと、右側に見付かり参拝し、休憩。前回は孫娘の無事誕生を報告したが、お陰様で元気に成長し、今は高3である。境内の三猿を刻んだ石灯籠は見覚えがあった。次の交差点を駅へ左折。地元農家の野菜販売所があり、キュウリをゲット。形は揃わないが安価のよう。もずく酢合えキュウリは私毎食のサラダで、健康用のつもり。清瀬駅から池袋駅へ。未だ12時前であった。           (2017/09/14 K.K.1133/1200)

◇日時 2017/8/28  ◇天候 晴 ◇資料 清瀬市外「清瀬ひまわりフェスティバル」◇交通費 800円 ◇歩行距離 10km 14,000歩
「通過時間等」自宅7:50-JR巣鴨駅8:19-西武池袋駅8:32-同清瀬駅9:10=ひまわり畑9:45/10:15=志木街道10:20=日枝神社10:45=西武清瀬駅11:09-JR池袋駅11:45-三田線巣鴨駅11:55-自宅12:25

花咲く礼文島から高峰が聳える利尻島へ

ツアー2日目、本日、フェリーで稚内から礼文島へ渡り、桃岩コースから澄海岬、スコトン岬を巡って、午後利尻島へ渡り、姫沼からオタトマリ沼、仙法志御崎公園と回るコース。今回ツアーのメインポイント巡りで、どの程度ハイキング出来るか。天候は良く、添乗員によれば、一週間前までは雨が続き、我々は恵まれたと盛んに宣伝する。

 花咲く礼文桃岩丘陵 フェリーが礼文島香深港に着きバスに乗り換え、桃岩コース口に降りハイキング開始。バスガイドを先頭に桃岩丘陵へ上がる(写真上)。草原の間の山道沿いに花々は次々に見付かり、ガイドの説明を懸命にメモするが追い付かない程。青紫のツリガネニンジンが目に付く。紫花リシリブシはトリカブトで、アイヌは毒矢に使用したという。中腹の横断道へ上がった先で、レブンソウが残っているとガイドが上方を指さした。ズームにしシャッター切ったがどうか。また上りの道となり、程なく展望台へ。右手の大岩が確かに桃のよう。その先は断崖となり海に落ちている。風が強く長居は出来ず、また教えて貰った花々を楽しみながら同じコースを下る。バス内でパンフ掲載花リストを確認すると、レブンシオガマやヤマハハコ、イブキトラノオ、エゾカワラナデシコ、イブキジャコウソウ、アキノキリンソウにもチェックし、手帳には、チシマワレモコウやシオガマギクなどもメモしてあった。

 澄海岬からスコトン岬へ バスで澄海岬へ移動し、小さな岬を上下する。花もあるが断崖絶壁が絶景(写真中)。2,3度シャッターを切った。売店で、ガイドオススメのトド肉を食べる。無味な鯨肉のようで、Kさんと一致した。トドは、最近オホーツク海から来て居付き、魚を大量に喰い荒らし漁民の敵という。次のスコトン岬は本州でも見られる普通の岬で、入口中央を土産売店が占めていた。昼食後、フェリーで利尻島へ。

 利尻山を一回り 利尻島は、利尻山(1721m)を中心にした円形状の島。百名山の高峰は何処からでも眺められ、一時天候が急変し雲の中となったが、宿泊先鴛泊に近付いた時は、また全貌が目の前に迫った。
鴛泊港から近い桜沼では沼一周のミニハイク。隣国人や高齢者も混じり、列を成し木道を歩く。沼端の展望台から、利尻山をカメラに収めた(写真下)。バスは時計回りに走り、オタトマリ沼。利尻山麓なのに見えない。急に雲が出て覆ってしまった。仙法志御崎公園では飼われたオットセイを見て、ガイドの薦めで昆布の買い物。利尻産の本物で、品物は保障だろうが、現地でも思ったより安くはない。また車窓から利尻山を見上げると、意外に急峻な岩峰。山の先輩Hさんは若い時登頂したと言うが、現在の私には無理と思う。宿で温泉に浸かり、今宵もKさんと利尻の海鮮料理で麦酒を楽しんだ。最後の3日目はフェリーからバス、そして稚内空港から羽田空港へと乗り物だけの復路であった。(2017/09/09 K.K. 1132/1200)

◇日時 2017/8/21  ◇天候 晴 ◇資料 宗谷バス(株)「礼文島」「利尻島」 ◇歩行距離 10km 13,000歩 「通過時間等」宿泊先6:00-稚内港6:30-礼文香深港8:20-桃岩コース8:40=桃岩展望台9:20=桃岩コース口9:40-澄海岬9:50/10:20-スコトン岬11:00/11:30-(昼食)11:50/12:25-香深港13:25-利尻鴛泊港14:15-姫沼14:25/14:50-オタトマリ沼15:20/15:45-仙法志御崎公園

20年振りに宗谷岬、稚内を訪ねる

最北の離島礼文、利尻島行きを計画した。花々が咲く島として有名だが、私はハイキングを優先し、8月にした。レブンアツモリソウやレブンソウは6、7月に咲くが、込みあいツアー料金も高い。安いコースを選択したら、初日は宗谷岬から稚内泊であった。また詰めの甘さが出てしまった。今回も、ハイク友Kさんと一緒。快く参加してくれた。

 稚内公園の碑を巡る 羽田発航空機は千歳空港で稚内行きに乗り換え。これがなんとプロペラ機。未だあり航行していた。無事、稚内空港に着き、市内で昼食。寿司屋でカニ丼を戴く。バスは裏山の急坂を上がり稚内公園へ。晴天下、目の前に宗谷海峡が広がっている。樺太はと、ガイドに尋ねたら、宗谷岬からは見えるとのこと。六つの碑があると紹介され、氷雪の門碑から巡る。終戦時樺太で、ソ連軍侵攻直前まで電話交換業務を遂行し自殺した交換女達の慰霊碑。この話は知っていて、改めて手を合わせた。私には、札幌のカニ料理店名が先で、娘が渡道初期の頃2人で入ったことがあった。樺太犬タロー、ジローの石碑もあり参拝(写真上)。南極行き前、当地で訓練したという。二頭の生存は奇跡で、嬉しい大ニュースであった。確か、東京タワーの下にも碑があったと思う。

宗谷丘陵、宗谷岬 バスは、市内から空港傍を通り、宗谷丘陵を走る。北海道らしい広い丘が続き、黒い牛が草をはんでいる(写真下)。肉牛で、十勝の娘達の牧場とは違うようだ。狐もいるとガイドさん。私には見えない。悪い目がここでは老眼よりは、近眼が出てしまったのか。それでも、最後に一尾の狐、キタキツネは確認できた。
 丘を下ると宗谷岬の地で、白い三角状の最北の地の碑は二度目(95.9.16)。他グループの記念撮影を待ち、携帯にも収める。期待した樺太の島影は確認できない。前回は見えたと思う。近くの売店の冷凍倉庫に入りオットセイやアザラシを観るが、剥製か。水槽に泳ぐクリオネを観た筈だが、前回と同じ場所なのに水槽はない。零下10C°位で寒く、出てしまった。岬を後にし、バスで、間宮林蔵の渡樺太地点を通過。ここでも島は見えなかった。

稚内は漁業の基地 市内へ戻り、旧瀬戸邸を見学。稚内の大網元で、昭和20年代から北洋漁業を仕切り成功した者の邸宅で、登録有形文化財。表は、古い旅館程度の建物だが、中は凝り、秋田杉を使い、秋田から呼んだ棟梁造り、政治家や知事の外、吉葉山や大鵬も逗留したとある。にしん漁衰退後は底引き網漁を主とし、その際引き上げられた大きな珊瑚が幾つもあり目を惹いた。お宝鑑定が楽しみと、案内者は笑った。近くがJR稚内駅。最近建て替えられた近代的な駅舎。近づき覗くと、線路とホームは私が見た20年前の儘のよう。北の果ての駅の面影を見た思い。夕食は北海の海鮮品と北の麦酒で、kさんと乾杯。稚内の夜は盛り上がり、駅前コンビニセイコーマートで買い出しをし、ホテルで二次会を続けた。                 (2017/09/05 K.K. 1131/1200)

◇日時 2017/8/20  ◇天候 晴 ◇資料 宗谷バス(株)「宗谷の旅」 ◇歩行距離 6km 8,000歩
「通過時間等」自宅5:30-都営銀座線三田駅6:23-羽田空港8:00-千歳空港10:20-稚内空港11:30-稚内市(昼食)11:50/12:40-稚内公園12:50/13:10-宗谷岬14:05/14:35-旧瀬戸邸15:15/16:00-稚内市(夕食)17:30/19:30-宿泊先20:00

雨に遭い急遽訪ねた御嶽神社

東京の8月は16日連続雨が降り、話題になっている。晴れ間を縫って歩こうと、奥多摩海沢の三釜ノ滝を目指した。5年前三滝の内、最奥の大滝を探し損ね(12.8.26)、リベンジハイクである。岩場先にあり1人よりはと、弟を誘った。前回は単身であったが年齢には勝てない。

急遽御嶽山、レンゲショウマ観賞 JR立川駅で青梅線に乗り換えたら、外は雨のよう。青梅駅を過ぎても降り続けている。弟に相談し、急遽御嶽神社にしようと提案。道も良く、売店や食堂もあり、雨の中でも参拝にはそう支障はないだろう。弟は同意し、御嶽駅に下車。バスに乗り継いで、ケーブルカー滝本駅に着く。前回(8.8.14)から約10年振りと思い出した。御岳山駅に降りリフトで、この時期咲くレンゲショウマ群生地へ弟を案内する。丁度まつり開催中のようで、傘を指し土手を巡る。花はあるが今一の感(写真上)。弟の高校校章が戸隠ショウマだったねと言ったら頷いたが、見たことはないという。花へのアングルを探しながら土手の小径を辿るも弟は来ない。カメラに時間を掛けているのだろうと土手を上がったら、産安社前で一緒になった。

石段を上がり参拝 参道へ出て、ビジターセンターに寄ろうと覗くと休館日。宿坊の間を行くが、狭い上急坂で滑り易く、歩き難い。宿坊は藁葺きから現代風の建物に変わっている。10年の歳月は短くはないと感じるが、神代ケヤキの古木は前回の儘の姿で(写真下)、シャッターを切った。土産店前から御嶽神社の随身門へ。側にレンゲショウマが咲いている。手水舎で、一応身を清める真似事をし、石段に挑戦。久しぶりで、今年2月の身延山の石段を思い出し覚悟しなくては思い始めたが、傾斜や数も、長さも大違いで、傘を指しながらも順調に上がる。神社本殿前に進み、参拝。孫達の中で、来年は3人が進学で、特にその事をお願いする。賽銭が足りないと言われそうだが。遅れて上がって来た弟も手を合わせるのを待ち、境内樹下のベンチで休憩。

ケーブルカー、バス、電車 石段を下り、商店街から宿坊の間の道。大勢の若い男女が大きなバッグを抱え、移動中。リクルートぽぃ服装から、企業の夏季合宿研修かなと推測。再度レンゲショウマを見ようと、山道へ入ると弟へ伝えるも、ノーサンキューとの返事。私ほど歩き馴れない彼は、疲れたらしい。またケーブルカーで下り、バスで御嶽駅へ戻って電車を待つ。弟は、八高線で八王子駅へ出て横浜線で町田駅へという。拝島駅で弟に別れ、1人新宿駅から帰宅した。未だ小雨が落ちていた。(2017/08/31 K.K. 1130/1200)

◇日時 2017/8/14  ◇天候 雨 ◇資料 「Mitake Map」
◇交通費 3,460円 ◇歩行距離 7km 10.000歩
「通過時間等」自宅7:25-JR巣鴨駅8:00-同新宿駅8:17-同立川駅8:53-同御嶽駅9:50-ケーブルカー滝本駅10:20-同御岳山駅10:30-リフト大展望台駅10:40=レンゲショウマ群生地10:45=産安社10:50=神代ケヤキ11:00=御嶽神社11:20=ケーブルカー御岳山駅12:15-同滝本駅12:30-JR御嶽駅12:49-同立川駅13:47-同新宿駅14:25-三田線巣鴨駅14:50-自宅15:20

花に見取れ遅くなった車山、八島ヶ原湿原

週末になったが歩き先が決まっていない。金曜日、乱雑な机の上のパンフを眺めていたら、霧ヶ峰ハイキングバスツアーが目に付いた。丁度先日、ニッコーキスゲが乱舞していた霧ヶ峰を思い出し再訪候補先にしようと思い付いたばかり。月曜日川越駅発に申し込み、滑り込みで参加した。九州南部にある迷走台風5号の動きが気になる。

 霧ヶ峰で花に再会 霧ヶ峰の車山山麓のリフト乗り場に着いた時は12時を過ぎ、急ぎリフトを乗り継いで車山頂上(1925m)へ。強い風が吹き寒く、ウィンドブレーカーを着る。車山乗越へも考えたがツアー指定コースを下る。キスゲに出会った高原で、二度目(03.7.19)。人気の山であり、上下するハイカーが絶えない。草原に咲くハクサンフウロやウスユキソウ(写真上)、シモツケソウ、ヤナギラン、ヒメシャジンの花々を眺め、カメラに収めながら進む。中々次のポイントコロボックルヒュッテが見えない。30分以上過ぎコースを誤ったかと思ったが、記憶違いで下方に見えた建物がヒュッテで、20分も遅れている。集合時間15時半から計算し、その20分前着と想定し、次の車山湿原を横切る。初めて歩くコース。

 車山湿原から物見岩へ 水も花もない湿原を木道で渡り、乗越からの道へ合流し、正面の小ピークへ直登(写真中)。坂の途中からポツポツと雨が落ちて来たが、上り切った時は止んでいた。蝶々深山(1836m)の筈だが三角点も標識もない。草原の中の小径を下ると右手一面に咲く黄花は、キリンソウだろう。水溜まりが次々にあり避けるが、既にその脇にバイパスが出来ている状態。そして、物見岩到着。その名とは違い上がれない尖った岩。残り時間を計算すると、間に合わない。ザックからストックを出し、苦手な下りコースに備える。急ではないが石が多く、滑りやすい。前のご婦人は転んでしまったが大丈夫。私も石上で滑るも踏ん張り、下り続ける。雨が本格的に降り出し始めた。台風の影響で15時頃からは雨との予報があり、当たった。湿原手前の無人小屋に着き、傘を出す。ここからは湿原に沿った木道で、30分の予定。急がなければならない。

湿原でまた花々に出会う 皮肉なことに、アサマフウロやカワラナデシコ、イブキトラノオ、オニコユリ(写真下)などが次々と現れ、通り過ぎるには勿体なく、止まってはシャッターを押す。雨で濡れた木道も要注意だ。左手が湿原の筈だが、草が生い繁り水辺は見えない。20年前家内と訪れた時は普通の沼に見えたと思う(99.6.6)。雨の中、八島ビジターセンター前に5分遅れでゴール。ハイカーでごった返し、私は軒下の端で着替えた。ツアー参加者二人が一時間以上遅れ、出発が17時10分前。加えて、ゲリラ豪雨で大月付近中央高速が閉鎖という。甲府から秩父へ出て、川越駅に着いた時は、23時少し前。バスツアーハイクはこれがあり、今後の参加に影響しそうだ。(2017.8.24 K.K. 1129/1200)

◇日時 2017/8/7  ◇天候 曇り後雨 ◇資料 クラブツーリズム「車山、八島ヶ原湿原ハイキングマップ」 ◇歩行距離 16km 22,000歩
「通過時間等」自宅6:30-東武成増駅7:10-川越駅前8:05-車山リフト乗り場12:25-同山頂駅12:35=車山12:45=コロボックルヒュッテ前13:35=乗越コース合流地13:55=蝶々深山14:20=物見岩14:40=八島が原湿原端15:15=八島ビジターセンター15:35/16:50-東武川越駅22:59-同成増駅23:30-自宅23:45

蓮池で切り上げた内牧公園ハイキング

近郊に歩く先を探した。購読誌新ハイキング6月号に、”古隅田川と内牧公園”が見付かった。最初に手にした時チェックしたようで、付箋してある。蓮池がコースポイントの一つで、花は現在も楽しめるとある。距離的にも埼玉春日部で遠くはない。暑さが気になるが、冷たい水を持ち、午前の早い時間にすれば何とかなるだろう。

 春日部八幡から古隅田川へ 事前に略図を眺めていたら、スタート地八木崎駅付近は一度訪ねた地と気付いた。数年前、他の用事で夕方通ったことを思い出した。JR板橋駅から乗った埼京線を大宮駅で東武線に乗り換え八木崎駅に降りると、やはり見覚えがあった。右へ行き、春日部八幡神社参道を進み参拝。入口には、春日部の名主が幕末に建てたという業平の”いざ言問わん都鳥”の句碑があり、前回も眺めた。駅方向へ戻り、16号を歩道橋で渡り、古隅田川緑道を見付け小径に入る。大分歩いた突き当たりが古隅田川であったが、現在は用水路。土手に蛇がいて、久しぶりの出会い。橋を渡り集落内に藤森稲荷神社を見る。コースでは古墳群を通るようだが、興味がなく直進。これが災いし、しかも目安にした石碑が違っていて道を誤り、反対側へ出てしまった。気が付き戻り、地元の方に尋ねて、内牧公園へ。

広い内牧公園 小さな林を抜けてびっくり。目の前に水田地帯が広がり、両側には森林が続き(写真上)、右の森内が内牧公園のようだ。春日部にこんな田園地帯があるとは知らなかった。東京のベッドタウンの延長だろうと思っていたからだ。自然に覆われた遊歩道は日射しを避け、快適。ジョガーや散歩者もあり、水田には作業者も見る。公園にはアスレチック広場がある筈だが、中々見えて来ない。それ位広い森林公園。公園内に入ると駐車場からバス停があり、その先にアスレチック広場があった。目指す蓮池はまだまだ先。

終わっていた蓮の花 また遊歩道を行き、森林公園が終わった地に蓮池、黒沼があった。近づくと蓮の花はあるが超疎ら(写真下)。咲き終えたのが大半のよう。カメラに収めるべく内部へ踏入り探したが、アングルが見付からない。それでも、2,3度シャッターを切った。暑さが増し始め、コースは残るが、ここでハイキングを切り上げようと園内バス停へ戻ることにする。森内の踏み跡を辿ったら薄い道は消えてしまい、また遊歩道を歩く外はない。バス停で時間を確かめると、本日月曜日は走らないとある。こんな変則な自治体バスもあると知り、街道筋へ出て路線バスの停留所を探す。県道へ出て見付かったが、春日部駅行きは30分後。木陰に腰を下ろし、水を飲んで待つ外はなかった。(2017/08/12 K.K. 1127/1200)

◇日時 2017/7/24  ◇天候 曇り ◇交通費 1,420円 ◇資料 宇山清太郎「古隅田川と内牧公園」新ハイキング740号134頁 ◇歩行距離 14km 19,000歩
「通過時間等」自宅8:20-JR板橋駅8:50-東武大宮駅9:22-同八木崎駅9:45=春日部八幡宮9:55=古隅田川緑道10:20=古隅田川10:30=藤森稲荷神社10:40=内牧公園入口11:00=蓮池黒沼11:30=共栄大学入口バス停12:27=東武八木崎駅12:59-JR大宮駅13:33-三田線新板橋駅14:05-自宅14:30

渋峠から芳ヶ平湿原へ歩いた草津白根高原

7月半ばになり、夏山シーズンが近付いて来た。私の歩く先候補に渋峠があるが群馬長野県境にあり、アクセス困難で、Sさんに車をお願いしオーケーを貰った。峠から草津白根高原を下るという私の好きなハイキングコースで、眺める高原風景や草花が楽しみである。草津白根は17年振り。渋峠は日本一高地の峠(2152m)とSさんが教えてくれた。

 難路の中花々に出会う 9時30分過ぎ渋峠頂上に着いた。我が家から3時間30分で、関越高速で小渋滞に遭ったが、車は速い。峠にはホテルが数軒並び、中央の広い国道292号を車が往来し、日本一高地の峠とは思えない。2時間後に草津白根レストハウス前に待ち合わせ、私は山道を下り始めるが、寒い。先程、峠で17℃とSさんが言っていた。半袖シャツを悔いたが遅い。山道は大きな石ころだらけの本格的な登山道。段差もあり足が短い私には難路で、ストックを使い下り続ける。ハイカーは見当たらず、大草原の中の1人は寂しい位。ようやく馴れ寒さも感じなくなった頃、足下に咲く花々に出会う。イワカガミの花は直ぐ分かった。ピンクの花が可愛い。白い花はゴゼンタチバナだろう。丸み帯びた釣り鐘状白い花は(写真上)、アカモノと後に知った。笹原らしき地へ出て、ダマシ平。草津へ下るスキーヤーの方向を誤らせた地らしい。成年が私を追い越して行ったが、マイペースを維持。本当はペースが違い追えないし、その必要もない。
 湿原は楽園 次のポイント芳ヶ平湿原は中々見えない。次第に周囲の樹木も高くなった。その間から湿原の先に聳える白根山の岩肌の山が覗け、カメラに収めた。急になった山道を慎重に下り、沢を渡って、湿原到着。目の前一面に咲く白い花はワタスゲ。広い湿原、点在する池塘、そして満開のワタスゲの群落(写真下)に感激し、シャッターを数度切った。17年前本白根山でも麓の池でワタスゲに出会ったこと(00.7.22)を思い出した。未だ石楠花も残っている。高地だからであろう。人出があり数グループが湿原を巡っている。当高原はラムサール条約登録地らしい。
遅れてレストハウスへ 芳ヶ平ヒュッテ先で、レストハウスのある国道方向へ右折。周囲は一転し、荒涼とした砂礫の高原で、噴火跡が歴然。そこに切られた遊歩道だが、予想外の上りの道で、約束時間が心配になる。家族連れのハイカー達と交差し、先程の湿原を目指しているのだろう。時々硫黄の匂いが鼻を突き、遊歩道以外立ち入り禁止の標識が目立つ。岩石の間の道を懸命に歩き続け、ようやく国道へ出たが、レストハウスまでは、更に約10分峠方向へ上り返さなければならなかった。約束時間に20分程遅れたが、心配した携帯が通じSさんはいつものように待っていてくれた。途中の長野原町で昼食し、温泉にも入り、吾妻街道から関越高速へ走って貰った。Sさん有り難うございました。お陰様で、草津白根高原を再訪し歩くことが出来ました。(2017/08/05 K.K. 1126/1200)

◇日時 2017/7/15 ◇天候 晴 ◇交通費 1,720円 ◇資料 昭文社「山と高原地図17志賀高原・草津」1998年版 ◇歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅6:00-渋峠9:40=ダマシ平10:20=芳ヶ平湿原10:55=芳ヶ平ヒュッテ11:05=国道292号11:55=草津白根レストハウス12:05-浅間酒造センター(昼食)12:50/13:20-天狗の湯13:55/14:20-関越道路渋川IC15:20-自宅17:10

暑さを避け県道を下った箱根長尾峠

今年は、先々月来宿泊付会合が多い。また箱根で後輩の激励会があり、仙石原手前に宿泊した。翌朝解散で、いつもながら私はハイキングを予定。未踏のコースを探し、長尾峠から丸岳を経て乙女峠へとし、他のメンバーにも声を掛けたが、今回は、同行者は現れない。スタートは9時になり、予定より一時間遅い。

 長尾峠途中までは順調 長尾峠下までは、仙石原・湖尻ハイキングコースがあり二度程歩いている。宿泊先から、湿性花園前を通り別荘地帯を抜け、仙石原に入り早川沿いに歩く。静かな自然の中で、日曜日なのにハイカーには出会わない。森内からゴルフ場下となり、プレー中のゴルフアーも見える。そして、峠口に到着。ほぼコースタイム通りで、10時前。予想とは違い狭い山道で、取り付は急坂だったが直ぐ緩やかになり、順調に上がり続け中間地点へ。本日はストックを持参し、先程から使用している。
峠下には車道が通る筈で、そこへ上がれば峠は直ぐとの思いで、上がり続けるが、山坂は傾斜を増し暑さも加わり足が止まり始め、その繰り返しになる。息が切れる程ではないが、年齢の所為かもと思いながらも、峠を目指す。隧道手前の車道に辿り着き(写真上)、腰を下ろし大休憩するも、暑い。ライダー達も休憩中のよう。振り返ると芦ノ湖や仙石原が美しい(写真下)。

 暑さを避けUターン いよいよ峠頂上へと腰を上げ、また急坂をこなす。尾根伝いの山道との三叉路から右へ上がると長尾峠の標識が立ち、カメラに収めた。ここから直進すれば丸岳(1156m)を越し乙女峠だが、標高1000mの灌木地帯で、一番強い日射しを受ける時間帯。水は持参しているが、熱中症が怖く、誰も通らない尾根での発症等が駆け巡る中、乙女峠へ向け踏み出したが、自然にUターン。隧道手前へ戻り、車道を御殿場へ下ることにし、予定変更。途中の食堂や沢水に期待した。

県道を御殿場へ 長くはない隧道を抜けると御殿場側。トンネル口の食堂は閉鎖してあり、自販機もない。時折通る車やバイクを見ながら県道の端を下る。期待の富士はその姿がぼんやり見えるだけ。途中の駿河台のしるこやも閉めた儘であった。県道は、箱根外輪山の張り出した山裾を回り込み谷を越すパターンを繰り返していることに気付く。沢は空沢やチョロ水状態。もう二桁近く山裾を回り込み、乙女峠からの国道138号との交差点が近い筈と懸命に下り続ける。二度ほど早読みしたがようやく、大きな道路標識に出会い、交差点のバス停長尾口に至るも、新宿行き高速バスは停まらず、更に下の温泉会館前バス停まで歩く。ラッキーにも10分後の到着。遅れて来たバスに乗り、最後の水を飲み、暑い中の尾根歩きを避けたのは賢明であったと自らを慰めた。(2017/08/01 K.K. 1125/1200)

◇日時 2017/7/9  ◇天候 晴 ◇交通費 1,720円 ◇資料 昭文社「山と高原地図19箱根」1994年版 ◇歩行距離 18km 25,000歩
「通過時間等」宿泊先8:55=早川橋9:20=長尾峠口9:50=中間点10:05=隧道10:30=長尾峠10:40=隧道11:20=しるこや跡12:00=バス停長尾口13:05=バス停温泉会館13:25-大江戸線新宿西口駅15:50-三田線春日駅15:07-自宅15:40

福島いわきに塩屋埼を訪ねる

本日の天気予報では、福島いわき地方は雨ではないようだ。行く先は、灯台のある太平洋岸塩屋埼。美空ひばりの”みだれ髪”に唄われ、一度訪ねたいと思うようになった。ひばりファンではないが、在宅時間が多くなり昼はラジオだが、夜はテレビで歌謡番組を観ている。懐メロもあり分かりやすく、聞き流すだけで楽しめる。その中に、みだれ髪の塩屋埼(歌詞は”塩屋の岬”)を知った。

 バスで塩屋埼へ JR常磐線特急で、茨城県を越しいわき駅に着いた。案内所で聞くと、塩屋埼を通るバスは約1時間後という。ネットで調べもう少しバスの便があると思っていたが、調査ミスのよう。駅周辺で時間を潰しバスに乗車。市内から郊外へ出て、農村地帯を走る。海辺へ近づくと、周囲は大工事中。防潮堤の造成らしく、津波対策だろうか。30分程で正面に白い灯台が見え、次のバス停に下車。バスが海岸から集落内へ入ったため方向を失い、山を越すのかと思ったが地元の方に教えて貰い、バス通りを戻り海辺になると、右手先の小さな岬に灯台が見えた。

みだれ髪歌碑 塩屋埼下には土産店もあり、その先に、歌碑と記念碑があった(写真上)。多くはないが見物客が出ていて、みだれ髪のメロディが流れている。みだれ髪は、ひばりの病後復帰の第一作であり、星野、船村のコンビによるもので、裏話が伝わる。船村は病後を考慮し易しい曲を準備しようとしたが、ひばり母子にその必要はないと言われ、それではと難しい曲を提供し、それをひばりはいつものように一回で、自分のものにし唱ったという。そんな経緯情報を聞いた。彼女は天才歌手であったことは疑いなく、多くの作曲家達が証言している。

岬から太平洋を眺める 岬の灯台へ石段を上がる。急ではあるが長くはない。見学には料金が必要で支払い、灯台へ近付くが、塔内は狭く入らず、周囲を一周。1899(明治32)年初点灯で、映画”喜びも悲しみも幾年月”のモデルの一つらしい。太平洋が眼前に広がり、ブルーの大海や白の砂浜は美しい(写真下)。こちらは見物者は少ない。
帰りのバスが気になり、戻るいわき駅行きは丁度良いバスがない。先程乗ったバスが泉駅行きで特急停車駅と思い出し、バス時間も合う。バス停へ歩いていると像が建ち、近付いたらひばりの東京キッド像。みだれ髪歌碑から此処まではひばりロードとあった。

帰宅し”みだれ髪”を聴く 泉駅行きバスは、途中小名浜を通過。この地名は子供の頃から知っていた。近所の方が当地で漁船に乗っていたが遭難し、その時大人達の話しから記憶に残った。遠い福島太平洋沿岸の漁村と思っていたが、バスは賑やかな商店街を通り、私のイメージとは大分違っている。泉駅で鈍行に乗った。帰宅し、いつものように麦酒を前に歌謡番組を観ていたら、若手歌手市川由紀乃が”みだれ髪”をカバーした。(2017/07/20 K.K. 1124/1200)

◇日時2017/7/2  ◇天候 晴◇交通費 16,300円 ◇資料 いわき駅観光案内所「塩屋埼灯台」平成29年4月 ◇歩行距離 9km 12,000歩
「通過時間等」自宅8:50-JR上野駅10:00-同いわき駅12:07/13:20-灯台入口バス停13:50=みだれ髪歌碑14:00=塩屋埼灯台14:10=東京キッド像14:30=灯台入口バス停14:48-JR泉駅16:27-同上野駅18:40-三田線巣鴨駅19:00-自宅19:30

苗名滝からいもり池を歩いた妙高高原

今年二度目のJR東日発行割安パス利用の時期が来た。遠出のチャンスだが、梅雨シーズンと重なる。行く先は妙高高原から黒姫高原と決めるも、雨が心配でネットで天気予報をチェックすると、初日の新潟は雨ではないが翌日の長野は雨の可能性が高い。そんな中、妙高高原を歩くべく、北陸新幹線上越妙高駅を目指した。

 妙高高原は二度目 妙高高原のハイク先は、手許のガイド誌から「いもり池散策コース」とする。実は同池は二度目で(95.9.1)、高原というよりは郊外の公園と言った感じが残っている。物足りない気がし、奥の苗名滝へ脚を延ばすことにした。
新幹線は速い。上野駅から2時間弱で上越妙高駅に着き、えちごトキメキ鉄道に乗り換えた。妙高高原駅に降り、バスを乗り継ぐ予定だが、運転手さんの計らいで乗り換えるバスに待って貰い苗名滝行きへ乗ることが出来た。雨は落ちていないが曇り空で、肝心の妙高山の姿はない。バスは高原集落を抜け、終点苗名滝バス停到着。乗客1人になった私に、運転手さん帰りのバスは4時過ぎと教えてくれたが、歩く予定と答えた。

地震滝の苗名滝 関川に落ちる滝は奥で、15分とある。目前に大きな堰堤があり激しく流れ落ち、その端の木造櫓内階段を上がって堰堤を越え、関川沿いに進むと、吊り橋の先に滝が見え出した。滝音が近くなり川音に勝り、その轟音に地震滝との異名もある55mの滝という(写真上)。吊り橋を渡り、展望所へ。滝は未だ先だが行き止まりで、シャッターを二度ほど切った。僅かだが私の外にも見物客がいる。途中に一茶の句碑があった。”瀧けぶり 側で見てさえ 花の雲”と知る。一茶の故郷信濃町柏原は近い。バス停へ戻ったが、予定通り歩く。隣は関川で急流が走り五月蠅い位。発電所施設があり、東北電力のもの。新潟も何故か東北なのだ。地震滝橋を過ぎて川を離れ、杉野沢集落。水田の間を進み、この時期稲はすくすく伸び緑一面で美しい。周囲は妙高の高峰だろうが未だ雲の陰。

 雨の中いもり池へ バスが来て停まり、先程の運転手さん声を掛けてくれた。このまま歩くと伝えた。雨が降り出し傘を指すも、合羽を出すまでもない。水田地帯を過ぎ森内の道となり、予定の時間で、いもり池傍に建つビジターセンターへ。館内で展示品を眺めると、当地は北国街道が通り宿場があったという。JR信越線も走っていたが、現在は三セク鉄道になっている。
雨中、いもり池を巡る。約20年振りで、草原内の小さな水面は静かであった。この時期蓮の花だが、眺めは雨で遮られる。半周し、池ノ平温泉宿泊先へ。やはり建物は記憶にあった。風呂場への途中窓から妙高の姿を見付けカメラ取りに戻り、写した(写真下)。翌日は朝から長野も新潟も雨で、ハイキングを中止し帰宅した。残念。(2017/07/17 K.K. 1123/1200)

◇日時 2017/6/30  ◇天候 曇り後雨 ◇交通費 15,990円 ◇資料 JR東日本「駅からハイキング 妙高高原いもり池散策」2002年,142頁 ◇歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅9:20-JR上野駅10:38-トキメキ鉄道越後妙高駅13:01-同妙高高原駅13:53-苗名滝バス停14:25=苗名滝14:40=同バス停14:45=地震滝橋15:20=杉野沢15:35=ビジターセンター15:55=いもり池16:05=宿泊先16:30

二度目の山形小国赤芝峽

今年の秘湯の会は山形小国の峠を歩き、近くの温泉泊と、大分前に会長からメールがあった。一昨年の例会で(15.5.31)、西会津鳥屋山頂から飯豊連峰を眺め、連峰麓ハイキングを提案したことは記憶にある。それで、今回は小国になったようであるが、車とは言え遠い。小国の赤芝峽に着いた時は16時前であった。

 小国赤芝峽を歩く トンネル先の橋の袂に入口を見付け、車を駐めスタート準備。国道113号は直ぐ上を走り、米坂線が並行しているが、飯豊山麓の広い森の中を流れる荒川は深い峡谷で、新潟へ出て日本海へ注ぐ。私は、この峡谷は二度目。米沢小野川温泉に宿泊し、翌日新潟荒川町在の先輩を訪ねる途中小国駅に下車し、紅葉見物をしたことがあった(01.11.11)。現在地よりは少し上流であったと思う。
案内板によれば、峡谷沿いの遊歩道は1.2km。歩き足りない距離だが、往復すればまあまあだろう。整備された遊歩道を行く。荒川は深い谷を形成し山中の峡谷の崖は美しい。カメラに収めながらゆっくりと歩く。山から落ちる沢は滝になっている。梅雨の時で水量も激しい。外人女性と交差し挨拶。こんな山中1人とは、皆少しビックリ。1人旅だろうか。前方に米坂線鉄橋が見え(写真上)、遊歩道もお終いになり、Uターン。先程来、米坂線が見え隠れしているが、列車には出会わない。1日10本程度が上下しているだけだから、時間的に至難なのだろう。戻ると駐車場にカメラを抱えた高年男性かいた。米坂線列車を追っているようだ。国道113号から飯豊山懐の泡の湯温泉へ向かう。途中、未だ雪を残す飯豊山を遠望し(写真中)、車を駐めて貰いシャッターを切った。

 越後の豪邸渡邊家を見学 ハイキング前に越後下関(新潟県関川村)にある渡邊邸を見学した。江戸時代から当地で、回船業や酒造業を営む大地主で、3000坪の宅地、500坪の母屋、6つの土蔵は重文指定とある。私は以前に立ち寄ったと思っていたが、未訪であった。若い頃米坂線で旅した際、ガイドブックで調べその気になっていたようである。
 越後米沢街道に面した大邸宅は江戸期からの豪商・豪農を未だに静かに示している(写真下)。入ると土間、台所だけでも広いを越し、何十人の食事を賄ったのか想像も付かない。パンフによれば、全盛期には75人の使用人がいたとある。これまでそちこちで名主・庄屋の邸宅類を見たが、桁違いの規模。メンバーのHさんに、酒田の本間様とはどうかと尋ねられたが、商家造りとは違うからか当家がの方上回ると思うと答えた。天井が高く、広々と感じる。座敷、奥の間、2階を一回り。屋敷の庭園は京都から遠州流庭師を招いて造園したもので、国指定名勝とある。
表へ出ると越後米沢街道に沿い、津野邸、佐藤邸、渡邊家分家邸と江戸期からの大邸宅が並ぶが、これらとも桁違いである。カメラに収め、国道113号を小国へ向かった。(2017/07/11 K.K.1121/1200)

◇日時 2017/6/24 ◇天候 晴 ◇交通費 670円 ◇資料 渡邊家保存会「渡邊邸」頁 ◇歩行距離 7km 10,000歩
「通過時間等」自宅7:20-JR板橋駅8:06-同赤羽駅8:18-同久喜駅9:00-渡邊邸14:20/15:15-赤芝峽15:50/16:50-小国泡の湯温泉17:15

平成の大修理がなった日光東照宮を拝観

鬼怒川会合の翌日、私は会津の塔のへつり行きを予定していた。東武鬼怒川線の先で往復可能と思っていたが、会津は予想以上に遠く、早朝出発が必要のようで、断念せざるをえない。そうしたら、他のメンバーが日光東照宮へ行くと知る。平成の大修理中であったが、現在は拝観可能という。私も、同行させて貰うことにした。

日光東照宮と修学旅行 東武日光駅からバスに乗車。東照宮は何時以来かなと想いを巡らしたが思い出せない。神橋を見て、バスは、隣の二荒山神社前に着いた。先ずは石段を上がり同神社に参拝。家光を祀った神社とある。私は秀忠と思っていたが、違っていた。杉林の下を歩いて東照宮前へ。

 私が日光東照宮を知ったのは、昭和20年代半ば頃で、神奈川の遠い親戚の方が修学旅行後絵葉書を送ってくれた。寺や彫刻の白黒写真の絵葉書だったと思う。当時から日光は修学旅行先で、兄もそうであったが私は箱根であった。現在でも、小学生の東京の孫達は日光で、お土産を貰ったことがある。本日も修学旅行の団体が見られる。

陽明門、家康廟、本殿 受付には、大勢の観光客が列をなしている。拝観券を求めて、表門から内部へ。周囲の建造物を眺めると記憶にあり、初めてではない。また石段から陽明門へ。大修理を終えた筈だが、煌びやかさは相変わらずで私には良く分からない。眠り猫の彫刻の方向へメンバーの後に付いて行く。欄間に彫られた猫は彩りがはっきりし修理済みを窺わせる。

更に進んで家康墓がある奥宮へ進む。急な石段が続き、皆の後をゆっくりと追う。私は石の墓と思っていたが、宝塔。初めて見たのであろうか。大社前へ戻って本殿へ上がり、参拝後お祓いを受ける。一度に2,30人一緒で、外人も混じる。初めての経験。今後少しは良いことがあるだろうか、否悪いことが避けられるかであろう。

陽明門を内から眺め改装されたように見え(写真上)、カメラに収めた。メンバーに三猿の彫刻を教えてもらう。これも有名だと思い出し、カメラを向けた。やはり彩りが鮮やかで修理がなされたことが分かる。

写真の出来は? 東照宮を出て、また杉林の下を通り二荒神社前へ着くと、バスが待っていた。駅へ戻り、東武電車で帰途に就く。車中、デジカメの写り具合を確かめると、眠り猫はぼやけて失敗だが、三猿ははっきりと写っていた(写真下)。猫は他人の肩越しに急いだからだろうか。残念。

それにしても、約400年後も、外国人を含め大勢の大衆達が訪れると家康は予想していたであろうか。未だ家康を好きになれない私も、改めて彼の偉業を評価すべきなのだろう。(2017/07/07 K.K. 1120/1200)

◇日時 2017/6/18  ◇天候 晴 ◇交通費 5,420円 ◇資料 読売旅行「平成百景を歩く 日光の社寺・杉並木」42頁 ◇歩行距離 5km 7,000歩
「通過時間等」宿泊先8:50-東武鬼怒川駅9:21-同日光駅10:10-二荒山神社10:35=東照宮10:50=家康廟11:15=本堂11:30=二荒山前12:00-東武日光駅12:30-JR北千住駅15:40-三田線巣鴨駅16:00-自宅16:30

4羽のカワセミに出会った町田恩田川

4羽のカワセミを追う 近くをウロウロしたが予定コース内の恩田川へ出て、高瀬橋から川沿いに遡上し始めた。高年男性がカメラを据え、川を覗き込んでいる。カワセミ狙いだなと察し、後の弟へも伝えようとすると彼もカメラを出している。広い川ではなく、対岸を見ると、いたいた小さなカワセミが。さらに数メートル先の川下にももう一羽。コバルトブルーの羽色が綺麗だ。弟に負けずと私も数回シャッターを切った。なんと眼下のこちら側にもやや大きな一羽を見付ける(写真上)。今度は望遠にしカメラを向けた。橋上からも狙うと、更に一羽いる。これまでも里歩き中そちこちで、同じような池や川に遭遇したが、いつもはカメラマンの方が多く、今回の川では逆。写り具合がどうだろうか。

深い森の芹ヶ谷公園 本日は、小田急沿線に町田の芹ヶ谷公園からかしの木山自然公園を歩こうと町田駅に弟と待ち合わせ、新宿方向へ戻り芹ヶ谷公園へ。私は神奈川県内と思っていたが弟に町田で東京都と訂正され、明かな思い違い。
住宅街裏に樹木に覆われた公園があった。入園前に側の神社に軽く参拝。当公園は、谷戸を整備し、池を中心とした公園で、園内は薄暗い程に雑木林に囲まれている。期待した菖蒲等の花はなく、石楠花が一本あるだけ。直線的に公園を抜け、次のかしの木山自然公園へ向ける。その間に恩田川が流れている筈。コース通りではないが、二度地元の方に道順を教えて貰い、住宅街を通り抜け恩田川へ出て、冒頭のシーンに出会った。

かしの木山自然公園へ カワセミ余韻を残しながら、川沿いに歩き三蔵寺橋から坂を上がって、かしの木山自然公園南口を見付けた。こちらの公園は雑木林が残る小山で、遊歩道はあるが周囲には草がボウボウに伸び、自然の儘のよう。チョウチョ採集中の人もいる。案内板には、鎌倉街道が遺るとあるが、歩いている遊歩道がそうなのだろうか(写真下)。鎌倉攻めした新田義貞の鞍掛松があるらしいが見付からない。管理事務所へ寄ってみたが資料は置いていない。ホタルブクロの花をカメラに収め、反対側北口へ下り帰路コースとなる。
小田急線を探し、線路沿いに町田駅へ戻る。途中から芹ヶ谷公園を左手に見ると、往路に重なり町田駅であった。駅前で昼食をし、弟はまた麦酒を付けてくれた。今回、彼の日程を優先したからか、ご馳走様。(2017/07/05 K.K. 1119/1200)

◇日時 2017/6/15  ◇天候 晴 ◇交通費 620円 ◇資料 新ハイキング社「東京近郊里山ハイキング 芹ヶ谷公園からかしの木山自然公園」169頁 ◇歩行距離 12km 17,000歩
「通過時間等」自宅8:20-新宿線神保町駅9:02-小田急新宿駅9:21-同町田駅10:00=芹ヶ谷公園10:20=高瀬橋11:10=かしの木山自然公園11:30=小田急町田駅(昼食)12:30/13:09-新宿線新宿駅14:00-三田線神保町駅14:10-自宅14:45

故郷の歌人S先生から、”こんなにも遠かったのかポストまで 免許返納し歩く2830歩”との山形県大会入選の短歌を戴きました。有り難うございます。

隣の埼玉富士見に菖蒲園から貝塚公園を歩く

前々週、前週と遠出が続き、疲れがなくはなく、今回は近くに歩く先を探した。菖蒲の時期でネット検索したら、隣の埼玉富士見市の山崎公園に咲いているとの情報を得た。東上線鶴瀬駅が最寄り駅で、我が家から近い上に初めての地で、軽ハイキングには丁度良い。早速実行に移した。先日入梅が宣されたが、本日もその兆候はなく晴れ。

 小さな公園小さな菖蒲園 バスで東武成増駅へ出て、鈍行に乗り鶴瀬駅に降りた。家を出てから1時間以内で着き、駅構内に地図や関連パンフを期待したが見当たらない。資料はないが、頭に入れた地図で、駅を出て大通りを右へ歩き出し、川を目指す。想定内に橋があり、川沿いに下る。後に江川と知る。地元の方に尋ねると公園はこの先とのことで、間違っていない。緑地帯が前方に迫り、踏み入ると目指す山崎公園。江川と土手の間の細長い公園だが広くはない。散策者がチラホラ。真ん中の池に菖蒲があり、満開前の八分咲か(写真上)。せせらぎ菖蒲園とある。近付いてカメラに収めた。ネットでヒットする位だから、もう少し大々的な園かと思っていたが、こぢんまりした菖蒲園。

先へ進むとポピーが咲いているが遅めで弱々しい。芥子の花のことで、原色の花は目立ち過ぎる位。種類によっては麻薬になるポピーもあるらしい。埼玉も東秩父の牧場に大規模に咲くと知ったが、何故か足が向かず、来年に回した。

 縄文時代当地も海辺 公園先から反対側へ出て、水子貝塚公園を探す。大通りを行くと、案内板があり、私の歩く方向とは90度違い、戻って修正。当地は田園地帯の中で古い農家がある。右手に公園が現れ、水子貝塚公園。真ん中が広場で、数個の竪穴式住居が復元されている(写真下)。遊歩道に従い一回りするが、貝塚跡はない。説明板を見ると、縄文時代は当地まで東京湾が川沿いに入り込んでいたとある。本当かなと思わないでもないが、約6000年前のことで、貝塚が証明しているのだろう。以前足立区の同様の施設で、やはり足立周辺にも東京湾が迫っていたとの展示を見たこと思い出した。展示館へ入ると貝塚が保存してあった。

駅へ出るバスはなく、展示館受付で、東上線みずほ台駅への徒歩ルートを教えて貰う。意外に近くて分かりやすく、20分程で駅に着き、成増駅から帰宅。暑くなる前に歩き終えることができた。(2017/07/03 K.K. 1118/1200)

◇日時 2017/6/10 ◇天候 晴 ◇交通費 500円 ◇歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅7:55-東武成増駅8:25-同鶴瀬駅8:50=江川の橋9:05=山崎公園9:15/9:25=水子貝塚公園9:45/10:05=東武みずほ台駅10:33-同成増駅11:00-自宅11:20

故郷の恩師からです。『いつもの山歩き里歩き1100回とは、よくがんばったものと感じております。これも健康あってのことですね。・・・拙句”「山歩き 里歩き紀行」百までも”』有り難うございました。

香取神宮、佐原あやめパークを巡る

外房旭で開かれたかぼちゃ会の翌日、解散後は香取神宮参拝を予定していた。帰り際、ホテル玄関で集合写真を撮り、皆で海岸へ出た。外房の大海、太平洋が眼前に広がり、本当に海は広い。左手の岬は犬吠埼だろう。浜では、サーファー達が準備中。茨城へ帰るメンバーのHさん夫妻の車に便乗させて貰うことにした。彼らも参拝するという。

 メンバーAさんの故里へ ホテルを出て、香取市に向け走った。後の車にはAさん夫妻が乗っている。Aさんは佐原出身で、墓参に生家に寄ると携帯が入った。同じ方向のようで、後に付いている。また携帯が届いて、生家の近くになり、府馬の大クスを案内してくれるという。先へ出て貰い農村集落内に入り狭い道を進み停車。大きな古木が神社の境内にあった。大正15年国天然記念物指定、樹齢約1500年のタブノキという。最近台風で一部が剥がれ落ちたが、傾いた異様な形の大幹はいかにも古大木らしい(写真上)。Aさん子供の頃の遊び場であったと話してくれた。驚きながら、カメラアングルを探した。

大社香取神宮に参拝 香取神宮は少し距離があった。私の里歩きの際、香取神社に出会い、また成田線香取駅を通過し香取神宮に寄りたいと思っていた。参道は門前町をなし、土産店や食堂が両側に並び予想外の大社で、全国約400社の総大社と知る。本殿まで距離があるよとAさん。参道を進み総門から楼門を潜り、本殿前へ出て、参拝。賽銭は僅かだが、孫達の成長とぼんちゃんの成仏をお願いした。ご神木の大杉を眺め、参道を戻り、右手の要石へ。大ナマズ伝説に由来し、利根対岸先の鹿島神宮と共同でナマズの頭尾を石棒で押さえているとのことのようだ。そう言えば、鹿島神宮でも要石を見たことがあったと思う(08.11.15)。ここで、千葉野田へ帰るAさん達とは別れた。

  あやめは二分咲き 佐原あやめパークへ行くというHさんに、また同乗。佐原のアヤメは有名で、以前からJR東日本発行のパンフを入手していたが、花期に合わず未訪で、思わぬチャンス到来。利根川水郷大橋を渡って大回りし、与田浦にあるあやめパークに入園。あやめ祭の初日で、入口に二分咲きとある。昨日訪ねたSさん夫妻が二分咲きと話していた。

土曜日で人出の中、どの程度か3人で一回り。そう広くはない園内にアヤメは咲いているが、種類で咲き具合が違う。八分程度のグループもあれば、咲き始めや蕾の儘のグループもある。咲き具合の良い菖蒲を探しながら、ゆっくりと巡る。咲く花は紺や薄紫、白い花が主で、地味な感じ。花の固まりを見付けてはシャッターを切った。真ん中の水郷には野良着の女船頭が漕ぐ舟が出ていて、カメラを向けたが遠すぎる(写真下)。

佐原市街へ出て昼食。Hさんに麦酒付きのお蕎麦をご馳走なった上、JR佐原駅まで送って戴いた。大変お世話様でした。 (2017/06/27 K.K. 1117/1200)

◇日時 2017/6/3 ◇天候 晴 ◇交通費 1,100円 ◇歩行距離 8km 11,000歩
「通過時間等」宿泊先9:30-府馬の大クス10:00-香取神宮10:50=要石11:15-佐原あやめパーク12:00/12:20-JR佐原駅13:52-京成成田駅14:39-都営本八幡駅15:40-三田線神保町駅16:04-自宅16:40

北総に坂田城跡、坂田池を巡る

千葉も外房近く北総の地にある坂田城跡の存在は知っていた。手許のハイキング資料に掲載されチェックはしていたが、総武本線横芝駅が起点で、成東駅の先で遠く、時々は浮かんだが後回しになっていた。今年のかぼちゃ会旅行先が千葉の旭市在のかんぽの宿になり、坂田城跡訪問は直ぐ決まった。旭駅の少し手前が横芝駅である。

 横芝駅から坂田城跡へ 千葉駅で銚子行きに乗り換え四街道駅、佐倉駅、成東駅を過ぎ横芝駅に着いて下車。駅前案内所でパンフを貰うと徒歩15分と教えてくれた。線路沿いから踏切を渡り国道へ出て左折し前方右手に見えるこんもりした丘が城跡のようだ。進み続けると坂田池の標識があり右折。道なりに行き予想より先に池が見え、小高い丘が正面になった。少し回り込むと、城跡への登り口が見付かった。20分は過ぎていた。いきなり急な狭い坂道。直ぐ上がり切って平らな地になり、本郭跡(写真上)。見回すと、杉林だが土塁に囲まれた削平地であることが窺える。濠跡を土橋で渡り二郭跡へ。

坂田城の歴史と構造 坂田城は、戦国期の井田氏の本城で、千葉氏直臣の有力者であったらしく、四代続いた。台地を利用した直線連関式の構造だが(写真下)、最近の調査では、後半に北條氏の配下となりそのため虎口や馬出しなどの築城技術にもその影響がみられるとある。そして、小田原城落城とともに本城も廃城になったが、戦国期の城跡遺構が大規模にはっきり遺るのは珍しいとされる(吉川弘文館「関東の名城を歩く南関東編 坂田城」106頁外)。

 城跡遺構をカメラに収めながら進み、杉林を抜けると畑地だが、三郭跡とあり四方形で広く、低い土塁跡が奥に見える。葡萄園や梨園、梅林のようだ。当城跡では毎年梅まつりが開催され、樹齢50年の約1000本の花が咲くと、先程のパンフにある。郭跡の真ん中を貫く農道を更に進み、また林に覆われた空濠を土橋で渡り、四郭跡。こちらも、現在では一面農地で作業中の方も見受けられる。先程来、時々頭上を飛行機が飛び騒音が五月蠅い位だ。成田空港が近く、航路下なのだろう。四郭の端でUターン。土塁沿いの農道を戻り、本郭を再度確かめ、坂を下り城跡を後にした。

かぼちゃ会へ 坂田池へ寄り、池面を眺める。利根川から取水した水道用水の調整池のようだ。往路を戻り、横芝駅で乗った電車を旭駅に降り、宿泊先へ。ロビーには大半のメンバーが着いていた。直ぐ全員揃い、外房の大海を眺めながら、今年も年一回のかぼちゃ会がスタートした。(2017/06/21 K.K. 1116/1200)

◇日時 2017/6/2◇天候 晴 ◇交通費 1,810円 ◇資料 新ハイキング社「東京近郊里山ハイキング 坂田池と坂田城跡」61頁 ◇歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅9:40・・・JR東京駅11:26-同千葉駅12:14-同横芝駅13:15=坂田城跡口13:45=四の郭跡14:00=同城跡口14:15=坂田池14:20=JR横芝駅15:10-同旭駅15:40-かんぽの宿旭15:55

瀬戸内しまなみ海道大橋を歩く

生口島(イクチシマ)の瀬戸田バス停に降りた。瀬戸内の小島で、しまなみ海道が貫き、目の前が多々羅大橋。晴天下マリンブルーの海は穏やかに広がり、白い橋梁、高い塔、長いケーブルは瀬戸内に架かる大橋である(写真上)。いよいよ海道を歩く。今朝、児島の宿泊先から岡山駅へ出て、新幹線を福山駅に降り高速バス案内所で、歩くには多々羅大橋が良く瀬戸田バス停降車と教えて貰った。暑さに備え水を持ち、濡れタオルも準備した。

多々羅大橋を歩く 瀬戸田バス停は島端で、直ぐ大橋。歩道は橋へ続き、歩くのは私のみ。橋に至り左の側道は狭いが歩くには支障はない。目を海に転じれば、静かな海の上に小島が点々としている。大勢の中学生が自転車で追い付き、元気よく次々と越して行った。学校の行事だろうか。右の車道を走る車は多くはない。反対側からの歩行者に出会うが皆高齢者。

空、海、そして緑の小島と開放感一杯のハイキングは、微かに吹く海風を頬に受けながら、順調に行く。橋上に若者達が固まっていた。広島、愛媛の県境でその標識を入れ写真撮影中。次の大三島が近付き半分は過ぎたろう。中学生自転車隊も渡り終え、先生の指示に従い橋を出て、坂を下りているのが先に見える。私も、約30分程で大三島へ渡り終え坂道を下り、少し歩くと道の駅。先が伯方島が近いらしい、同塩は知っていたが。

ここからは路線バスとし、弁当を求める。バス停を探すと直ぐ今治行きバスが来た。運転手に、来島海峡大橋を歩きたいと伝えたら、馬島バス停からと返してくれた。小島かと思うような山中や集落内を走り、海峡大橋の途中で停まり運転手が降車を合図してくれた。  来島海峡大橋を今治へ 馬島バス停に1人降り、待合所で昼食。道の駅で急ぎ求めた焼きそば弁当を食べ、四国へ向け歩き出した。多 々羅大橋と同じく左の側道を歩いていたら、反対側から声が掛かった。道路管理人らしく、歩行者は右側通行という。仕方なくバス停迄戻り、エレベーターで下り反対側へ渡った。注意書きはあったが見逃していた。

橋は来島海峡の上。海の色は濃く、流れも見える程。同海峡は激しい潮の流れで有名と思い出した。大きな船の往来も見える(写真下)。右手海中にポツンと灯台が建つが岩礁があるのだろう。四国愛媛は目の前となり、山々も近い。多々羅大橋と違い渡る人や自転車は希。四国側へ着くと橋というよりは、高速道路が左へカーブし今治へ向け始めた。今治迄は距離があり、取付通路ループ橋から一般道へ出ようとしたが、長く大回りす坂のループ橋。事前調査ではJR予讃本線波止浜駅が近い筈と、探すが方向も良く分からない。バス停があり直ぐバス来る時間で、ラッキーにも今治駅へ行くと聞き、乗車。

本日は、しみなみ海道多々羅大橋、来島海峡大橋を歩いて、明日は四万十川。今夜泊まる宇和島へ行くべく、今治駅で松山行き電車を待った。(2017/06/13 K.K. 1114/1200)

◇日時 2017/5/28  ◇天候 晴 ◇交通費当日分 3,940円 ◇資料 瀬戸内しまなみ海道振興協議会「瀬戸内しまなみ海道」2016.3 ◇歩行距離 14km 19,000歩
「通過時間等」宿泊先7:50-JR児島駅8:21-同岡山駅9:55-同福山駅前10:00-瀬戸口バス停10:50=大三島11:25=同道の駅バス停11:58-馬島バス停12:45=今治市営住宅前バス停13:38-JR今治駅14:51-同松山駅16:32-同宇和島駅17:50-宿泊先18:00

憧れの四万十川清流を歩く

JR宇和島駅6時4分発予土線に乗った。本日は、四万十川を歩く日。江川崎周辺だが詳細は車中で検討する。事前に略図で沈下橋を渡り歩くコースを想定したが、昨日宇和島駅で入手した資料では、各橋間に4km以上の距離があるようで、練り直す。江川崎駅の一つ先の半家駅から川沿いに歩き、沈下橋を渡りながら江川崎へ下るコースにした。

 半家から四万十川を歩く 私が四万十川を知ったのは、20数年前に観た当地舞台のテレビドラマ”あつよしの夏”だったと思う。その後旅番組に度々登場し、清流、川魚漁、そして沈下橋を知り、是非訪ねたい、歩きたいと思いを募らせた。予土線は二度目で、宇和島城から高知城を訪ねた時(94.2.18)、車窓から四万十川を眺めた記憶がある。

予土線の一番電車は山間を走り愛媛から高知へ入る。途中、高校生が降りて行った。こんな時間の登校は朝練だろうか。支流広見川沿いになり、電車は江川崎駅の次は半家駅に停車し、降りた。山裾の駅から国道へ出て、畦道を四万十川縁へ近付き、清流を覗く。この辺りは岩もあり、やや急流である。上流、下流に沈下橋を探したが見える筈はない。やはり橋間には相当の距離があるようだ。

長生沈下橋を渡る 国道へ戻り、江川崎へ向け下り始める。車の通りは多く、側道を中学生達が自転車で通過して行った。川中に沈下橋が見え、渡ろうと急な階段を川へ降りると小型車が橋を渡っている(写真上)。欄干のない狭い橋なのに人も車も共用なのだ。橋を渡る。左手川岸には舟二艘が繋がれ、川魚漁用であろう。渡り終えた地はキャンプ場で水道を見付け、ペットボトルに水を汲む。帰宅後のウィスキー水割り用である。

 ここで、国道へ戻るのを止め、対岸の集落内を下ることにする。旧道のようで、川に付かず離れずの静かな道。集落を過ぎ森の中を行くと、瀬音が激しい。木立の間に川面を見下したら(写真下)、僅かな落差があり急流を増しているようだ。再度の沈下橋を期待していたが現れず、地図から先程の橋は長生沈下橋と分かった。

江川崎駅を探す 右手の川向こうに家並みが見え始め、そして川は淀んでいる。確か四万十にはダムはなかった筈だが。前方に大きな橋が見え、坂を上がると西土佐大橋。袂のバス停ベンチで休憩し水を飲み、地図を確かめる。既に江川崎内で、橋を渡れば駅へ続く商店街のようで、リスタートし街中に駅を探す。左手に昔ながらの高い鉄橋が見えた。存外に江川崎駅は街外れも奥にあり、無人駅。

わが国最後の清流、憧れの四万十川を半家、沈下橋、旧道、江川崎へとベストルートを歩き、約1時間後の窪川行き迄、1人小さな待合室であった。 (2017/6/16 K.K. 1115/1200)

◇日時 2017/5/29  ◇天候 晴 ◇交通費当日分 15,650円 ◇資料 「四万十川観光イラストマップ 江川崎」◇歩行距離 17km 24,000歩

「通過時間等」宿泊先5:40-JR宇和島駅6:04-同半家駅7:20=長生沈下橋7:40=西土佐大橋8:35=JR江川崎駅10:50-同窪川駅13:09-同高知駅15:30-高知空港19:10-京急羽田空港駅20:40-三田線三田駅21:17-自宅20:05

美しい石垣が遺る津山城跡

今年の同業者の会合が岡山県児島開催と連絡があった。未訪の地であり、前後に訪ねる先を思い巡らした。津山城跡は直ぐ決まり、調べると岡山駅からJR津山線で1時間強のようだ。夕方の開会時間迄に岡山駅から往復しよう。翌日は、フリーコースを選択し、しまなみ海道や更には四万十川へ足を伸ばすには、もう一泊が必要のようだ。

 岡山から津山へ 新幹線で岡山駅に着き津山線乗り換えた。直ぐ郊外へ出て、山間を走ったが山は深くはなく、高くもない。初めての乗車で、知る駅名もない。津山駅に降りると盆地ではあるが背後の中国山脈はそう高峰ではなく、山々に囲まれた風景ではない。駅前案内所で資料を収集し、城跡へ向かう。直ぐ吉井川を渡り中心の市街地で古い商家があり、歴史の街を感じさせる。道を間違え横から鶴山公園に遺る城跡へ上がった。入城料が必要で、珍しい。

石垣が美しい津山城 資料から石垣が大規模に遺ると知り、期待した。最初はこの程度ならそちこちにある城跡と同じと思いながら、三の丸から二の丸へ進むと両側に高く、整然と積まれた石垣は美しい。その間の通路も広い(写真上)。

津山城は、1603(慶長3年)年から13年を要し初代藩主森忠政が築城した平山城。やはり忠政は、あの森蘭丸の弟であった。森家が四代で終わり、その後九代続いた松平家で明治を迎えた。石垣をカメラに収めながら二の丸から本丸、そして天守台へと上がった。五層の天守閣は明治になって壊されたとある。石高18万石としては、城跡遺構は大きい。私がこれまで見聞きした城跡から疑問に思い、帰宅後調べたが間違いはないようだ。本丸の一画に備中櫓が木造で復元されているが、興味が湧かず、専ら石垣を眺めながらその間を巡る。粟積櫓跡に上がると、北方に見える山の向こうは山陰地方だろうが、山陽との分岐嶺中国山脈は低く静かに連なるだけ。三層からなる石垣、その石の多さに驚き採取地は近くにあったのかと余計なことを考えてしまった。

 未だに城下町の面影十分 本丸から石垣裏側を歩き三の丸へ下り、城跡を出た。宮川大橋を渡り、鍵型に歩いて出雲街道沿いに遺る城下の街へ回る。広くはない道の両側に町屋が並び、古い商家や民家が混じる(写真下)。多分昭和初期頃の街通りの風景だろう。奥へ入るに連れ江戸期への色彩が濃くなり、立ち止まってはシャッター切るが、電柱が相応しくない。古商家の城東観光案内所に入ると展示資料の中に、寅さんやリリーの写真がある。寅さんシリーズの最終作が当地ロケの作品と教えて貰うが、観た覚えはない。

藩医箕作阮甫の旧宅があった。彼は、幕末に京都や江戸で医学、蘭学を学びペリー来航等の際には幕府に請われ翻訳職を務めたという。岡山行きの電車時間が迫り駅へUターン。吉井川沿いに歩き、津山城跡を眺めながら、駅へ戻った。 (2017/06/10 K.K. 1113/1200)

◇日時 2017/5/27  ◇天候 晴 ◇資料 小学館「城郭と城下町7山陰 津山城」昭和58年,138頁◇歩行距離 12km 16,000歩
「通過時間等」自宅5:50-JR東京駅7:03-同岡山駅11:39-同津山駅13:20=津山城跡入口13:45=本丸跡14:05=津山城跡入口14:30=宮川大橋14:35=出雲街道14:45=箕作阮甫旧宅15:00=吉井川橋15:25=JR津山駅15:54-同岡山駅17:12-同児島駅17:35-宿泊先17:50

赤城南山麓を歩き秘湯を楽しむ

Sさんから赤城の躑躅情報が届いた。彼に、車をお願いしたい候補先に赤城山もあり、是非にと返事した。赤城の黒檜山は百名山で登った(97.6.8)が、前橋駅前発のバスに乗り遅れタクシーを奮発し、アクセスに苦労したことがあった。赤城南山麓には関東ふれあいの道コースがあるが、歩いた後の交通手段がなく、未踏で手を拱いている。

 久しぶりの関東ふれあいの道 車は、関越高速を走った。前橋ICではなく赤城ICで高速を降り、赤城山へ向かう。カーナビは最短コースを選択し、途中からバス通りに入り山岳道路を上がった。道路端にはつつじが咲いているが、高度を増すに従い木々は芽吹きもなく、冬から覚めた状態のよう。大沼が見え、ビジターセンター前に到着し、パンフを求め、スタート。

私は、ここからふれあいの道”ツツジのみち”を軽井沢峠迄1時間30分程歩き拾って貰い、赤城温泉郷、三夜沢赤城神社と回り、温泉やツツジを楽しもうと提案し、SさんにOKを戴いた。覚満淵は直ぐで、此処まではSさんも同行。水芭蕉が咲く湿地帯と思っていたが、1500mの山上は漫漫と雪解け水を湛え花どころではない。池尻からSさんは戻り、1人ふれあいの道を進む。鳥井峠へ上がると赤城の子守歌の歌碑があった。久しぶりに山道歩きになり、ご婦人一行に先行し、急な階段を上がって小沼。大きめの沼だが直ぐ離れ、小山を越し血の池に着き覗いたが水はない。

笹藪の道を行く ここからコース特有のクマザサの道になる。先程センターで笹の状態を尋ねたが不明で、帰りにどうだったか教えてくれと言われ、管理センターらしくない対応であった。当初は笹藪の中に道は見えるも、次第にうっすらと道筋を示すだけとなった(写真上)が、この時期笹丈が膝程度で歩くことが出来る。夫婦ハイカーが上がって来て挨拶を交わす。右手に車道が見え隠れし、並行しているようだ。笹に苦労する程ではないが、慎重に道を確かめながら歩き続け、ふと右の道路を見ると、Sさんの車。少し先で道路へ出て、予定通り車に拾って貰ったが、軽井沢峠の手前であった。

 秘湯、赤城神社そして躑躅 赤城温泉郷へカーブが連続する狭い道を車は巧みに走る。ふれあいの道コース終点赤城温泉へ下ったが、軽井沢峠から1時間30分では歩けるかと思う程の距離であった。滝沢温泉は小さな一軒宿の鉱泉。渓谷の新緑を眺めながら秘湯の露天風呂を楽しむが、源泉は冷たかった。三夜沢の赤城神社へ寄り、参拝後Sさんを俵藤太の大杉へ案内。数年前、近くの千本桜公園から当地を歩いた(14.4.16)。昼食後、参道の躑躅へ。残念、花は咲き終わっていた。山上との寒暖の大差に驚く中、自然は正直で、日陰にあるつつじは僅かに残る(写真下)。残り花を拾いながら眺め、参道を往復。前橋から高速道路へ入る途中に大胡城跡を探したが見付からなかった。Sさん有り難うございました。お陰で、赤城南山麓のふれあいの道を歩き、秘湯を楽しみ、ツツジも見ることが出来ました。(2017/06/05 K.K. 1112/1200)

◇日時 2017/5/20  ◇天候 晴 ◇資料 群馬県商工労働部観光課「関東ふれあいの道群馬県22ツツジのみち」平成5年1月 ◇歩行距離 8km 12,000歩
「通過時間等」自宅6:30-赤城山ビジターセンター9:05=覚満淵9:15=鳥井峠9:25=小沼9:40=血の池10:05=軽井沢峠手前10:30-滝沢温泉11:00/11:25-三夜沢赤城神社11:35-同躑躅参道11:50/12:35(昼食)-自宅14:40

江戸川フラワーパークでバラを楽しむ

5月半ば、初夏の候を迎え自然は巡り、花の情報が次々に流れる。今回は、新聞からバラが見頃と知った。場所は江戸川フラワーパークとあり、地図で調べると、都内だが千葉寄りにあり、西の我が家からは東の端で、未訪の地のようだ。最寄り駅は東西線葛西駅だが、バラ鑑賞後どうするかは、歩きながら考えようと我が家を出た。

葛西駅から公園へ 大手町駅で東西線に乗り葛西駅で下車。多分初めて乗降する駅の筈。案内板で方向を確かめ、駅正面の大通りを行く。国道環七らしい。交差点を数回過ぎると、前方に公園が見え出し、目指すフラワーパークのある公園。環七を挟んで細長い公園が広がっているようだ。バラ園の前に、反対側の公園へ入る。相撲の土俵があり、珍しい。4本柱もある。その先が子供用野球場のスポーツ公園。公園全体を知ろうと管理事務所を探したが見当たらない。戻って、環七を渡り、フラワーパークバラ園へ。

バラは満開 赤色中心の原色のバラの花は美しいが、やや強烈でもある。そんな花々が、噴水池の回りに咲き誇り(写真上)、広くはない一画を満開のバラの花々が占めている。111種600株という。鑑賞者は多く、狭い遊歩道は込みあい、車椅子も通る。やはり新聞紹介の影響だろうか。ピンクや黄色、白色の花もありカメラに収め、人を避けながら一巡りし、端の高台から一望する。

次は富士公園とあり、富士塚があるのかなと思ったが、小高い丘から富士か眺められることからのネーミングのようだ。多分、埋め立て地域の当地には富士塚はなかったろう。本日は富士の姿はない。遊園地用の小型列車と擦れ違う。パノラマシャトルで、母子達が乗車していた。

 富士公園、なぎさ公園、そして旧江戸川 歩道橋からなぎさ公園へ。花壇やテニスコートがあり、土手では草刈り作業中だが、殆ど人は見当たらない。そして、旧江戸川へ出た(写真下)。歩道を遡上しながら、何処へ向かうか、ゴールするか決断のタイミング。先程の葛西駅では歩き足りないが、その先の都営新宿線一之江駅が適当かと、目指すことにする。川端には釣り宿が点在。東京湾河口からは大分上流と思うが、船なら近いのだろう。

東西線高架下に至り、地図から一之江駅迄は約3km、40分とアバウトに読む。現在11時55分だ。一之江行きのバス停があり、その後もバス停の行き先表示をチェックしながら土手下を進む。瑞江中を左手に見て間違いないと一安心。土手上に上がると新中川であった。ここで川を離れ環七へ出て、一之江駅を探す。私は、地下鉄だがこの辺りでは高架だろうと思っていたが、駅案内があり、地下駅。エレベータで降り、電車に乗ると一之江駅12時34分発で、東西線高架下から39分であった。(2017/06/01 K.K. 1111/1200)

◇日時 2017/5/16  ◇天候 晴 ◇交通費 200円 ◇資料「咲き誇るバラ111種 江戸川で見頃」毎日新聞17.5.10 ◇歩行距離 13km 18,000歩
「通過時間等」自宅9:20-東西線大手町駅10:10-同葛西駅10:30=江戸川公園10:55=同フラワーパーク11:05=富士公園11:15=旧江戸川11:30=東西線高架下11:55=瑞江中12:20=新宿線一之江駅12:34-三田線神保町駅13:03・・・-自宅14:45

都下府中浅間山にムサシノキスゲを探す

私が府中の浅間山にキスゲが咲くことを知ったのは数年前のこと。濃い黄色の花キスゲは好きな花で、ニッコウキスゲを探しに遠出し山や高原を歩いた。草原一面に咲く黄色の花は美しく、癒してくれる。その花が都下府中に咲くという。処がキスゲは7月頃、早くとも6月末咲くのが普通だが、府中のキスゲはムサシノキスゲという別種で5月早々に咲き、これまで花期を逸していた。今年はネットでチェックし、出掛けた。

浅間山は緑地帯 京王線多磨霊園駅が最寄り駅で、誘った弟は今回も先に着いていた。駅前案内板で、道順を確認し街道へ出て、商店街から住宅街を行く。我々の前をハイキング服装の一行が歩いている。やはりキスゲ観賞だろうか。彼らは途中で左折して行ったが、我々は直進を続けると前方に森が見え始め、次第に大きくなり木々に覆われた小山となった。浅間山で、太古以来多摩川の浸食で殆どの台地が平原になったが此処だけで丘程度だが残り、現在は都立浅間山公園として管理され、 住宅地の貴重な緑地帯であろう。

ムサシノキスゲに出会う キスゲ橋という歩道橋側から山へ上がる。直ぐ山頂で浅間神社の小さな祠があり、簡単に挨拶。既に多くの散策者が見受けられる。キスゲを探し、コナラやクスノキ雑木林の下の遊歩道を少し下るとあった。ポツンと一本、黄色の花を付けている(写真上)。下るに連れ、ぽつぽつと咲き現れ、シャッターを切り続ける。キスゲが咲く樹林の下には他の野草はなく、キスゲ用に管理されている様子が窺える。小さな鞍部に下りると、テントがあり”キスゲフェスティバル”開催中。地元のボランティアが詰めて、キスゲ始め野草のパネル写真展示中。アンケートに答え、絵葉書をゲット。一面に咲き揃う写真で、こんな風景もあるのだと先へ進むが見付からない。丘程度の山だが、三つの尾根があり、上下しキスゲを探すが、相変わらずぽつりぽつりの状態(写真下)。開花は目一杯の状態だから、今年は少ないのだろうか。尾根上のベンチで、弟と昼食を取り、暫し休憩。

多磨霊園から駅へ戻る キスゲの花には満足は出来なかったが、咲く花を確かめカメラに収めて、キスゲ橋から隣の多磨霊園へ。こちらは躑躅が咲いている。直ぐ広い墓園へ出て、方向がハッキリしない中、二度目の私は、いつもの山勘で右折左往すると西口に至り、案内板で駅を確かめ、多磨霊園駅へ。少し距離があるようだがバスには乗らず、今回もハイキングだから歩き足りない分をと先行し弟も付いて来た。途中で、往路と並行する道路と分かり、右折すると先程の往路街道へ出て、多磨霊園駅であった。

府中浅間山のキスゲは花数は足りなかったが、数年来懸案の花、ムサシノキスゲを眺めることができた。(2017/05/26 K.K. 1110/1100)

◇日時 2017/5/7  ◇天候 晴 ◇交通費 560円 ◇資料 守屋龍男「多摩100山 府中浅間山」新ハイキング社平成15年35頁 ◇歩行距離 11km 16,000歩

「通過時間等」自宅8:40-新宿線神保町駅9:22-京王線多磨霊園駅10:20=浅間山浅間神社10:50=キスゲ橋11:50=多磨霊園西口12:20=京王線多磨霊園駅12:45-三田線神保町駅13:45-自宅14:20

少し早かった群馬片品の水芭蕉、座禅草

連休中にSさんと車で出掛ける先を相談した。水芭蕉探勝とし行き先はネットで検索。水芭蕉の花の時期は様々であり、初夏の花というのは尾瀬だけで、近くの秩父や栃木の栽培水芭蕉は4月に咲き終え、長野の奥に自生するが遠すぎる。群馬の片品で行き先が決まった。私は同じ時期尾瀬の入口大清水や片品の水芭蕉の森を訪ねたことがある(99.5.6)。

6,7分咲の水芭蕉 大型連休後半の中日とし、高速の渋滞を少しでも避けようと早立ちした。途中僅かな渋滞を繰り返したが、沼田インターを出て、沼田街道を走った。尾瀬鳩待峠口へのルートでもありバスで数回通った。最近では日光白根山登山の際は同僚の車で、途中の鎌田まで通り(14.9.28)、車窓からの風景も見覚えがある。奥に入ると片品の中心は染井吉野が満開で、1ヶ月遅れ。Sさんが”水芭蕉の森”と言いながらハンドルを切り、山側へ入った。駐車場から少し距離があって坂を上がると、地元の案内や売店のテントがあり、その先が湿原であった。

水芭蕉の白い花が咲いている。咲き始めで6,7程度だろうか。約20年前の時は終期で大きく開いた花、葉だったと思う。ほぼ同じ時期だが、今年は雪が多かったのであろうか。シャッターを切りながら木道を巡る。花の色や大きさ、形は外にはなく、水芭蕉特有のもので、惹かれる。Sさんもデジカメを出しアングルを探しているようだ。観賞者が来園し始め、木道を往来している。開花が進んでいる沢中の水芭蕉を選んでカメラに収めた(写真上)。テントで休憩し、次の大清水へ向かった。

冬が明けただけの大清水 街道を奥へ進むに従い周囲の樹木は未だ芽吹きもなく冬が明けた程度の状態。大清水に着き車窓から見えた湿原には花はおろか草木もなく未だ泥地の儘のよう。駐車場付近には雪が残っているが、売店の方は座禅草は咲いているという。少し期待し湿原へ入るが水芭蕉の芽も茎も出ていない。座禅草は、と探したが見当たらない。少し進んだ先で、Sさんが見付け、教えてくれた。暗紅色の花は申し訳程度に顔を出していた(写真中)。花の色も独特だが形もそうで、達磨大師の座禅の姿からのネーミングだったと思う。広い湿原だが数本の座禅草だけで、時期的には未だ早くこれからで、残念。いつも思うことだが、花の時期、特に見頃に合わせるのは難しく、水芭蕉や座禅草のような自然の花は尚更だ。

 名瀑吹割の滝を見学 沼田方向へ戻り、途中の吹割の滝を見学。連休で人出の中、鱒飛びの滝、吹割の滝を巡る。水量もあり、崖の岩場をバックに激しく落ちる滝を眺め(写真下)、渓谷遊歩道を一回りし、昼食にした。市内では沼田城跡に寄って貰い、また沼田インターから関越高速で東京へ。復路は込み合い断続的に小渋滞したが、Sさんの想定通り普段よりは1時間遅れ程度で、帰宅できた。Sさんにまたお世話になり、大変有り難うございました。(2017/05/23 K.K. 1109/1200)

◇日時 2017/5/5  ◇天候 晴 ◇資料 片品村観光協会「片品村マップ」 ◇歩行距離 8km 12,000歩

「通過時間等」自宅6:00-片品水芭蕉の森8:40/9:35-大清水9:55/10:30-吹割りの滝(昼食)11:05/11:50-沼田城跡12:30/13:00-自宅16:30

3度目の正直でどうにか達した北武蔵榎峠

榎峠は小さな峠 11時45分榎峠に辿り着いた(写真上)。埼玉長瀞町と本庄市児玉との境にある山中の小さな峠。これまで二度、近く迄行きながら確認できなかった。奥武蔵も北の陣見山へのコース上にあるが、一度は峠手前から陣見山下を素通りしてしまい、陣見山へも登れなかった(00.9.15)。二度目は、反対側から歩き何とか陣見山へは達したが、下山路には榎峠はなく、また峠には至らなかった(08.11.1)。この時以来、榎峠はリベンジの第1候補になってしまった。そして約10年経過し、ようやく探し当てた峠は侘びしい小さな、小さな峠であった。

崖を上がり再び林道へ 今回も順調ではなかった。秩父鉄道樋口駅をスタートし、前方の北武蔵の山を眺め、目指す榎峠はどの辺りかなと見当付けながら山村奥へと入る。榎峠林道入口に開道記念碑を見付け、手許の地図をみて、林道から山道へ進入した。最初歩いたコースで、うねる林道の近道でまた直ぐ林道へ出る筈と進むも中々林道へ出ない儘、沢の奥へ奥へと入り込み戻れなくなってしまった。山道も踏み跡となりそれも消え、沢もなくなり周囲は壁のような急斜面の崖。斜面を上がり切れば尾根道に違いないと、山歩きの鉄則を思い出し、杉林の崖に挑む。見た目程急ではなく、足場も何とか確保できる。10分か15分程で崖を上がり切ると立派な道へと飛び出した。
右か左か一瞬迷ったが、方向として右に違いないと進むと、陣見山の標柱を見付け、更に榎峠への案内があり山道を急ぐと林道の3差路へ出て、榎峠の小さな表示があった(写真下)。地図と現況とを見比べながら、峠を確かめた。峠と雖も山坂のトップではなく、児玉方向へ僅かに下っているよう。陣見山へのコース案内もあるが記憶になく、やはり此処は通っていない。記念と証拠に標柱や石の祠をカメラに収めた。

間瀬峠へ 3差路を南の間瀬峠へ向け、また林道を歩く。12時を過ぎ、道路端に座る場所見付け昼食。目の前を若者の自転車が走り去った。先程も峠では車が一台通っただけだった。隣の山中にハイキング用山道も並行しているようだが、先程の経験から用心深くなり、無難な林道を行く。広い道路へ合流し間瀬峠のようだ。此処は山中道路の最高地点で峠らしい。山裾の国道140号へ4kmとあり坂道舗道をくねりながら下る。長命水から萩の寺入り口を過ぎると家屋が見え始め、国道に至り、樋口駅へ左折。先程駅前に農協売店があると知り買い物出来るかもと、やや近い野上駅ではなく樋口駅とした。予定時間通り駅に着いたが直ぐ電車が来て時間がなく、乗り換え駅寄居駅前で、地酒”白扇”を求めた。この酒には少し思い出がある。旧職場時代一緒に仕事した今は亡き先輩が通う飲み屋で出してくれたのが白扇であった。本日の晩酌は彼を思い出しながらになろう。(2017/05/19 K.K. 1108/1200)

◇日時 2017/5/2  ◇天候 晴 ◇交通費 2,460円 ◇資料 鶴野紘一「陣見山」新ハイキング496号86頁 ◇歩行距離 17km 24,000歩
「通過時間等」自宅8:05-東武成増駅8:40-同小川町駅9:45-秩父鉄道寄居駅10:07-同樋口駅10:20=林道開道記念碑10:40=崖上林道11:25=榎峠11:45=間瀬峠12:40=長命水13:05=国道140号13:40=秩父鉄道樋口駅14:00-東武寄居駅14:34-同小川町駅14:53-同成増駅16:00-自宅16:30