観桜に城南御殿山から品川神社へ

 今年の開花宣言は早かったが、その後天候が不順で満開へ至らず、長く咲き続けている。近郊の花見先は殆ど歩き、今年は何処にしようかと迷っていたら、ラジオから品川の御殿山が桜の名所と飛び込んで来た。初耳の地で出掛けようしたが、寒い日が続き、ようやく晴れて、本日花見散策とし、城南の品川へ向かった。近くの品川神社もコースに入れた。

 御殿山は何処? 品川駅に降り、国道1号側道を進むが、御殿山の位置が今一不明。駅前案内図にもなく、少し離れているようだ。ビル名に御殿山が現れ出したが、花咲く公園らしき風景は見えない。八ツ山通りから品川宿方向へと国道を渡り、橋上で前方を睨むと、桜の花が見えた。直接の歩道はなく、遠回りした京急北品川駅前で案内板に、’御殿山通り’を見付け、右折し狭い通りから長い渡線橋を渡ると、御殿山であった。

 満開の桜に出会う 通り両側に桜並木があり、ほぼ満開。緑地は、東海道線路地帯と高級邸宅街に挟まれた狭い斜面にあり、庭園とある。通路にも桜木はあり、雪洞等、地元の方が花見祭り飾り付けの準備中のよう。その間を往復したが、桜木の数が少なく、期待通りではない。当園は、その名の通り、江戸時代将軍の御殿があり、桜の名所であったという。幕末に至り、品川沖のお台場造りに土砂が削られてしまい、現在の斜面の底はその名残か。帰り際に見た園入口左の通りの木々は満開の花を付け(写真上)、カメラに収めた。

 品川神社へと渡線橋を渡り返すと、右先に花山が見え、小さな高台の公園。こちらは見頃な桜の花が咲き誇っている。スマホから権現山公園と知り、往時は御殿山の一部であったが東海道線の開通で切り離されてしまったらしい。丘から品川神社の方向を確かめ、公園を出た。

 品川神社から品川宿へ 品川神社は再訪である(05.1.8)。記憶に沿い、石段を昇り本殿に参拝し、裏の板垣退助の墓を眺めて戻り、境内の富士塚に上がった。同様の塚はあちこちにあるがここのは高く、黒い溶岩で出来たような富士塚(写真下)。子供と一緒になり塚上に立った。京浜急行車窓からも見え、いずれ再訪を願っていた。ここまで来たら、旧東海道の品川宿も歩こうと国道交差点を横断した。
 品川宿はご無沙汰であるが、2,3度歩き、一度は鈴ヶ森刑場跡も訪ねた。広くはない通りの両側に個人商店が並び、今尚宿の雰囲気を残し、狭い宿なのに古寺が多い。
 本陣跡石碑を確かめ、土蔵相模跡があった筈と行くと、右側に案内があった。幕末に、長州高杉晋作達が起こした英国領事館焼き討ち事件の謀議した所とは知っていたが、その前の桜田門の変前夜水戸藩士達が泊まったという。時節とは言え、焦臭い割烹宿であったのだ。また八つ山橋を渡り、品川駅へ急いだ。(2019/04/16 K.K. 1249/1300)

◇日時 2019/4/4 ◇天候 晴 ◇交通費 320円 ◇資料 昭文社「東京都市図 品川」62頁 ◇歩数等 12,000歩 9km 

「通過時間等」自宅8:55-京急三田駅9:48-同品川駅10:00=御殿山庭園10:20=権現山公園10:50=品川神社11:05=旧品川宿11:20=京急品川駅11:50-三田線三田駅11:57-自宅12:45 >