30年振りに小田原城天守閣を見学する

 新幹線車中、隣の同僚に小田原城について問われた。本日午後、勤務先の会議兼忘年会が熱海であり、その前に小田原城見学が組み込まれた。私が城跡も含む山里歩きの駄文を勤務先内ウェブサイトへ搭載していることを知っての質問だと思う。私は、北條五代の居城だったが、天守閣は鉄筋コンクリート製の復元もので、見所は大手門だろうと答えたが、常磐木門と気付いたが訂正の機会はなかった。

 小田原城の略史 私が最初に小田原城を訪ねたのは、もう30年前のこと(88.1.29、その後12.2.18外)。その頃、山岡荘八著「徳川家康」を読み、信玄、家康、そして信長間の勢力拡大の攻防の中に地方小領主の城の存在を知った。野田城や高天神城、長篠城等である。近くにも多くの城跡が遺ると知り、訪ねるようになった。
 最初の時は、濠や郭跡、常磐木門、そして天守閣で、展示の資料を見たと思う。現存する城跡遺構は、江戸期になってからの譜代大名大久保忠世以降のものである。
 しかし、小田原城と言えば、北條五代の拠点で、早雲が大森氏から奪取し、氏綱、氏康、氏政、氏直と続き、関東一円を戦国期長く統治したことは知られる。謙信や信玄の侵攻を撃退し、そのため、氏綱の頃から城下を囲んだ総構えを築いた。氏直の時、秀吉の小田原征伐に遭い、籠城戦を採ったが、長い評定の末開城に至ったことは歴史が示し、小田原評定という有難くない名が残った。

 今回の見学 我々一行は、小田原駅で新幹線を降り、バスに乗車。西口駅前広場に建つ早雲像は、小田原城夜襲の際角に松明を付けた牛と一緒の像であった。城駐車場から御茶壺橋で濠を渡り二の丸で左折し、石段から常磐木門。門下から本丸内へ入ると正面の天守閣は、リニューアル工事を経て、白さが増し綺麗になっているようで(写真上)、カメラに収めた。二の丸銅門も改装されていた(写真下)。同僚達に付いて、閣内の史料を見て回る。以前の展示物を一新したようで、詳細なものが加わったと思われる。今回の見学で、次の三点が新情報として知った。

 新たな城情報 本能寺の変後武田遺領の信濃や甲斐の争奪戦で、北條氏は信濃の松本迄手に入れたとある。厩橋(現前橋)の北関東への進出は知っていたが、遙か先まで手を伸ばしていたのだ。流石北條氏である。氏政時代か。
 天守最上階から石垣山一夜城の展望可能は当然こと。その説明の中に、関東で初めての石垣使用の城とある。確かに関東の城は土塁中心だろうが、上野金山城(現群馬太田市在)は石垣があったと思う。どちらが先だろうか。
 江戸期の二の丸に、将軍宿泊用館があったとある。東海道箱根口、江戸への関門の地で重臣大久保氏が配されていた。家光が宿泊したという。上洛の際利用したのであろうか。略図にはなく初めて知った。帰宅後調べようと思いながら、昼食後、バスで熱海へ向かった。(2018/12/20 K.K. 1226/1300)

□日時 2018/12/1□天候 晴 □資料 「小田原城天守閣」□歩行数等 11,000歩 8km「通過時間等」自宅8:00-JR東京駅9:26-同小田原駅10:10-小田原城10:20/11:35-昼食会場11:50/12:35-ホテル13:10