月山を眺め、山寺から天童へ芭蕉を辿る

 山寺境内を下って山の端を過ぎると果樹園地帯になり、正面に真っ白な月山が姿を現した(写真上)。子供の頃に眺めた景色である。月山山麓から奥羽山脈の間に村山平野が広がり、そして眼下の田畑の中に集落が点在する。現在では多くは果樹園で、バイパスが走っているが、当地の風景にそう変わりはないようだ。懐かしくもあり、脚が弾んだ。

 立石寺をスタート 本日は、帰郷を利用し、芭蕉のおくのほそ道を辿ろうと、14時仙山線山寺駅に降りた。立石寺に参拝し、境内を行くと芭蕉と曽良の像が建ち、”閑かさや 岩にしみいる 蝉の声”の句碑があった。蝉塚は寄らないで、天童へと急ぐ。先程、案内所で尋ねると、”車では15分だが歩いては・・・”と首を傾げられたが、私は2時間30分程度と読んで、暗くならない内天童へ入りたい。山寺集落を抜けると、左に立谷川が見え、山の端を過ぎて果樹園地帯になり、延命地蔵堂を確かめ、右手の舗道へ入ると冒頭シーンに出会い、思わずシャッター切った。
 石倉芭蕉句碑 山形市への道を分け天童石倉へ右折する。手前に奥の細道道標が建ち、農家前に小径があったが私道かなと、進入を躊躇した。両側には果樹園が続き、左手には月山を望む。当地は、2,3度バスや車で通ったが不案内で、目指す石倉は初めての地。略図が頼り。先程の奥の細道小径の出口があり、少し悔いた。それでも石倉の芭蕉句碑に到着。一面畑の中に、有名な”まゆはきを 俤にして 紅の花”の句碑があった(写真下)。案内によると、昭和56年加藤楸邨揮毫とある。同句の碑は、我が東根の六田にも建つが、紅花の産地としては当地かもしれない。左手先に舞鶴山が見え始め、天童は意外に近いと思ったが、これが違うと後で気付かされる。

 薄暮の中天童へ急ぐ 天童へ向け畑中の道へ入り石倉地区で、大きな農家が並ぶ。次は干布(ホシヌノ)地区で、学校前を通る。名前だけは知っていた。右の山は舞鶴山ではなく、離れ小山が三つも続いていた。太陽は西の山へ沈み始め、急かされる。原町へ入ったが略図にある一本杉は見当たらない儘、“山形正宗“の水戸部酒造を越す。同社は天童もこの地だった。そして国道18号バイパスを渡るが天童市内は未だ先。薄暮になり始めた。
 市内へと右手へ折れると北目で、また細道の道標があり、石倉句碑前からはほぼ旧山寺街道を歩いたようだ。舞鶴山裾の道を市内中心へと入る。そして終点の旧東村山郡役所前へ出た。二度目の筈だが、改装されたようで美しい建築物遺産。向きが異なると思うが記憶違いだろう。回りの公園に翁塚や句碑を探すが見当たらない。句碑の案内は立つがない。裏の古い石かなと念のためカメラに収めたが、文字はないようだ。暗い中、旧国道を天童駅へ。2時間40分を要し駅で、実家へこれからと電話した。(2018/12/23 K.K. 1227/1300)

□日時 2018/12/2 □天候 晴 □交通費 15,000円 □資料 「天童観光ガイドマップ」「天童に残る旧山寺街道」 □歩行数等 23,000歩 16km 
「通過時間等」自宅9:50-JR上野駅10:50-同仙台駅13:01-同山寺駅14:00=立石寺14:15=石倉句碑15:15=干布15:30=北目16:10=旧東村山郡役所16:25=JR天童駅17:03-同東根駅17:20-実家17:30