今年も9月に入って、JR東日本割安パスの販売があり、いつものように遠出の機会にし、奥の細道で訪ね残している地を中心に歩きたい。南東北では、福島や宮城の交通アクセスが不便な地が残っている。今回は、宮城岩出山と仙石線沿線を巡りたい。
岩出山芭蕉像 東北新幹線を古川駅に降り、陸羽東線に乗り換えた。田圃はもう黄に染まり秋色である。岩出山駅先の有備館駅に下車。駅前の有備館に入館し、庭園を一周。仙台藩岩出山伊達家屋敷跡で、幕末に設けた学問所という。立派な池のある庭園を前にして萱葺の建物が現存し、母屋は1677(延宝5)年築とある。池端には大木が繁り、萩も咲く。岩出山市内の芭蕉像へ向かう。途中古い造り酒屋前を通り、地酒に惹かれたが通り越し、内川沿いに下る。南町商店街の一角に芭蕉像が建っていた(写真上)。一行は1869(元禄2)年5月14日(陽暦6月30日)、平泉から陸奥上街道を南下し岩出山に入り、一泊したとある。句は残していない。像は面長に見える。宿泊先旅籠石崎屋は今はない。その跡が、通り先の同名の現お菓子屋と、先程教えて貰い訪ねたが、何の説明もない。
岩出山城跡 岩出山城跡を目指す。岩出山と言えば、戦国時代の1591(天正19)年、米沢の政宗が秀吉の奥州仕置きの流れで移封された地で、仙台へ築城するまで12年間在している。城山公園入口から坂を上がり、城跡内へ。それらしき郭跡はあるが、はっきりした遺構はない。政宗像が建つのは本郭跡か。上下姿で、兜の武装でないのは珍しいらしい。有備館駅へ戻り、予定の早めの列車に乗れたが、古川駅で新幹線の接続が悪い。
末の松山、沖の石 仙台駅から仙石線で多賀城駅に降りる。当駅は2度目で多賀城跡を訪ねている(17.01.29)。この時壺の碑も見た。しかし、末の松山、沖の石は時間がなく、今回になった。駅南口から角々に案内があり、鎮守橋を渡り、すんなり導かれた。芭蕉は5月8日(陽暦6月24日)訪れている。宝国寺にご挨拶し裏へ回ると、立派な二本の松は歌枕の地で有名(写真下)。沖の石は直ぐ先、現在は住宅街の池だが、海の一部であったのだろうか。
国分寺薬師堂句碑 仙石線を榴ヶ岡駅に降りる。以前直ぐ近い天満宮で芭蕉句碑は眺めた(18.12.04)が、陸奥国分寺の句碑は後回しにしていた。未だ16時前なので、訪ねたい。駅で距離を聞いたが不明。奮発してタクシーを利用し、境内入口で降ろして貰う。国分寺薬師堂に参拝し、隣の地に句碑はあった。“あやめ草 足に結ばん 草鞋の緒”の句は、仙台で宮城野を芭蕉を案内してくれた俳人北野加之(画工加右衛門)の餞別草鞋を詠んだという。芭蕉は5月7日(陽暦6月23日)参拝した。バス停を探したが時間が合わない。野球場スタンドが見え、仙石線宮城野原駅へ歩くがこれが遠く、30分弱を要した。それでも、仙台駅から17時前のハヤブサに間に合った。(2020/9/20 K.K. 1348/1400)
◇日時 2020/9/9 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本パス+760円 ◇歩行距離等 15km 20,000歩 ◇資料 久富哲雄「奥の細道ハンドブック」100頁外、 「通過時間等」自宅8:00-JR上野駅9:14-同古川駅11:15=同備館駅11:40=有備館11:45=岩出山芭蕉像12:05=岩出山城跡12:25=JR有備館駅12:54-同古川駅14:09-同仙台駅14:36-同多賀城駅15:00=末の松山15:15=JR多賀城駅15:29-同榴ヶ岡駅15:50-陸奥国分寺16:05=JR宮城野原駅16:37-同仙台駅16:57-同上野駅18:35-自宅19:20 |