小石川善光寺坂を上り、安藤坂を下る

 先日入手した文京区の地図を眺めていたら、小石川付近で目が止まり、澤蔵司稲荷を思い出した。一度訪ねた(01.6.9)。ネットで調べると芭蕉句碑があると分かった。追っ掛けとしては確かめたい。小石川の最寄り駅は春日駅で、三田線一本で近い。早速出掛けた。

 こんにゃくえんま源覚寺 春日駅は現在でも時々利用しているが、本日は反対側の出口から大回りし、春日通りへ出た。持参したマップには、小石川天満宮があり、この社を探す。小路奥に境内らしき緑の木々を目指し進んだが違っていた。戻ってウロウロしたが見付からない。通りが一本先のこんにゃくえんま源覚寺に参拝。目の悪い老婆が祈り続け満願の日にお告げ通りに治り、好きなこんにゃくを絶って応えたという。
 善光寺坂を上がる 商店街から左折すると緩く長い坂道で、善光寺坂。正面が善光寺だが、現在は無住職のよう。隣が慈眼院で、その右奥が澤蔵司稲荷。低い沢のような地にあるお稲荷には記憶があった。手を合わせ、uターンし句碑を探す。ネット情報通り、寺境内の木の陰にあった(写真上)。“一しぐれ 礫や降りて 小石川”の碑だが、崩された文字て一部しか読めない。芭蕉初期の作で、晩年の趣は感じない。カメラに収めて、寺を出る。

 むくの木から伝通院 坂を上がり切った地が、幸田露伴邸。現在も表札は娘と孫の名前。その前が、むくの古木。空襲で一部焼けたが、今なお健在だ(写真下)。好きな大樹で、カメラを向けた。直ぐ先が伝通院。手前の寺々は、江戸期伝通院下の一院という。徳川家の菩提寺の一つで、生母於代や孫千姫の墓があることは知っていた。伝通院は於代の法名という。清河八郎の墓もあるとある。何故と思ったが、新撰組の前身浪士組が門前の寺で結成されその中心であった縁かなと愚考した。春日通りを渡る。右手に、狐の澤蔵司が蕎麦を食べに通ったと伝わる萬盛の店が今もある。
 安藤坂を下る 坂の途中に萩の舎跡の案内があった。塾主中島歌子が開いた歌塾で、樋口一葉も学んだとある。小路へ入り、突き当りの石段を上がると、北野神社。社殿前で手を合わせ、境内を見回すと初めてではないような気がする。裏へ回り、当地は静かな学園地帯かなと思いながら、春日通りへ出て少し右へ歩くと、中大理工学部キャンパス。ご無沙汰しているが、一時期週一大学院の講義に通っていた。中大高校から礫川公園と冨坂を下る。公園内の春日局像は湯島の麟祥院前へ移されたことは今春知った。春日駅は近く、坂を下った。(2021/09/12 K.K.1408/1500)

◇日時 2021/08/24 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 7000歩 5㎞ ◇資料 「メトロニュースN0293後楽園エリア」「通過時間等」自宅9:00-三田線春日駅9:35=源覚寺9:50=善光寺坂10:00=慈眼院・澤蔵司稲荷10:10=むくの木10:15=伝通院10:25=安藤坂10:35=北野神社10:40=三田線春日駅11:00-自宅11:35