越後西端の市振、直江津に芭蕉を辿る

 新潟の市振は数年前知った。芭蕉は、象潟から日本海沿いに歩いて、越後の西端市振へ至り、有名な句を詠んでいる。市振は遠く、アクセスも良くない。北陸新幹線糸魚川駅からであるが、市振駅はえちごときめき鉄道。直江津にも寄るべく資料を収集した。

 小さな宿場市振 北陸新幹線を糸魚川駅に降り、在来線に乗り換えた。JR西日本管内で、数年前親不知見学に乗車したことがある(18.9.2)。日本海を右に眺め、長いトンネルを通過し、市振駅に着いた。意外に閑散とした駅前。地図で確かめ左折し、二股地には歓迎用奥の細道の大きな案内板があり、高架で鉄道を越すと北陸街道市振宿であった。小学校があり、その先が関所跡。そして、街道両側に民家が並び、海辺の街らしく低い家並。右手の大きめの民家が桔梗屋跡(写真上)で、芭蕉達が泊り、“一つ家に 遊女もねたり 萩と月”と詠んだ。芭蕉としては、艶っぽい句であるが、これには芭蕉の創作説がある。曾良日記にはないからか。カメラに収め、この句碑のある長円寺へ。山側へ右折し国道下を抜け、寺境内へ上がると端に立派な句碑があった(写真中)。相馬御風揮毫とある。彼は糸魚川出身で明治期に活躍した文学者と知る。

 街道へ戻ると弘法井戸。その先の宿場外れに聳え市振の目印であった海道の松は数年前の台風で倒れてしまい、写真とその後植樹した若松があった。海岸へ出ると右手奥には親不知の断崖が続いている。私は断崖の上から眺め、芭蕉達通過の際の難儀に思いを馳せたことがあった。正面に島が見え、佐渡だろう。

 直江津は句碑を往復 市振駅へ戻り、直江津へ向かう。駅案内所でマップを入手し、バスを教えて貰い琴平神社を訪ねる。想定通り、関川河口傍に神社は見付かり、句碑があった(写真下)。“文月や 六日も常の 夜には似ず”は当地今町・現直江津で詠んだ句。同じ境内に安寿と厨子王供養塔があった。姉弟が人攫いに遭ったのはここの港という。
 芭蕉が宿泊に予定した聴信寺は探し損ねた。一度は断られたが、今町に二泊し歌仙を巻き先の句を詠んだ。破れ笠の見すぼらしい姿で断られたと伝わるという。駅へ歩き、上越高原駅から予定より早い新幹線に乗車。途中、長女が一時寄宿した南高田駅を通過し、メールしたらもう20年も前のことと返信あった。呑み鉄用は能鷹にした。(2021/7/22 K.K. 1402/1500)

◇日時 2021/7/2 ◇天候 晴れ ◇交通費 11280 ◇資料 久富哲雄「奥の細道の旅 33直江津・高田 34親不知・市振」168頁以下
「通過時間等」 自宅6:55-上野駅7:58-糸魚川駅10:35-市振駅10:55=海道の松跡11:20=市振駅11:51-糸魚川駅13:00-中央二丁目バス停13:10=琴平神社13:20=糸魚川駅14:28-上越高原駅15:00-上野駅16:55-自宅17:45