板橋赤塚界隈寺社巡り2022

 2022年新年も、駅伝テレビ観戦で迎えた。母校は、箱根路を往復走り抜き久しぶりのシード権を獲得した。1区の快走が引っ張ってくれた。前日のニューイヤー駅伝でもOBが活躍し前兆を窺わせた。10区では3位でタスキを受けそのままゴールを期待したが、隣で観戦していた同窓生にそこまではと苦笑された。私の初詣は4日になった。

 四葉稲荷から 今年は近くの赤塚地区にある寺社を巡り歩くことにした。徒歩圏内で、本日は快晴無風でグッドデーである。郵便局にハガキを投函して、赤塚公園を通り越し、坂道を上がる。当地は久しぶりで、建物や店舗が増え風景が違っている。
 最初は四葉稲荷であるが、境内への右折地点を誤ってしまった。一昔前の周囲は畑地で、家屋も疎らであった。社殿前で手を合わせ、孫達の健康とコロナ終息をお願いした。隣の御嶽神社にも頭を垂れた。江戸末期には御嶽講もあったというから山岳信仰も盛んであったのだ。
 諏訪神社へ 新興住宅街を抜けて、諏訪神社を目指す。途中の土手下では、子供とザリガニを捕まえた沢らしき湿地があったのだが、舗装されてその痕跡もない。坂道を上がった右側にある表参道から諏訪神社へ入り参拝。我が地区の氏神様で初詣先であり、嘗ての三が日は賑わい売店テントも並んだ。本日は極わずか数人だけ。参道を戻り、集落先の富士塚に寄る。下から覗いてuターン。狭い上に急で登るのは省略。

 松月院、赤塚城主墓 車道を高架で渡って、こぶケヤキを見上げる。往時は諏訪神社の参道であったという。孫4人を連れ散策した時、この辺りで一番下の孫が転んで怪我したこと(14.4.5)を思い出した。その孫も今年は高校受験生。いつもとは違うコースで松月院へ。広い境内の本堂前で手を合わせ、墓地で赤塚城主千葉自胤一族の墓に参る。小さな石塔が並び戦国時代から遺ると知る。
 乗蓮寺、東京大仏 坂を下り乗蓮寺へ向かう。参拝者が多い中、石段を上がり東京大仏前で(写真上)、また色々お願いをした。大仏様の裏に、天保の飢饉供養塔や板橋郷主板橋忠康の墓、津藩藤堂家江戸屋敷伝来のがまんの鬼像等もあった。当寺は板橋本町にあった古刹で、高速道路建設で当地へ移転して、これらは引き継いだのだろう。
 境内を出る時、植村直己の墓を思い出し寄る。草野心平作の墓碑“地球にはもう彼はゐないけれども生きてゐる 修身に化けて植村直己は私たちの中に生きつゞける”があった(写真下)。何故か歩き疲れて、不動の滝の僅かな落水を眺め、帰宅した。お正月の暴飲暴食の所為だろうか。(2022/2/2 K.K. 1431/1500)

◇日時 2022/01/04 ◇天候 晴れ ◇資料 「観光いたばしガイドマップ」 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 通過時間等」自宅13:00=赤塚四葉稲荷神社13:30=赤塚諏訪神社13:45=松月院14:05=乗蓮寺14:15=不動の滝14:30=自宅15:10