安田庭園に句碑を探し当て、蔵前橋を渡る

 芭蕉句碑を探す 広くはない庭園を一回りしたが芭蕉句碑は見当たらず、焦った。三月前は探し損ねた(2.14)。最近、芭蕉の奥の細道に凝り追っ掛けを自称している自分としては、是非存在を確かめたいと再々訪したが、見付からない。ネット情報に池周りとあるが、写真には石碑の裏に金網柵が写っていた。最後にしようと、柵沿いへ板で閉め切られているような築山の外れに侵入したら、句碑らしき石碑があり、目指す芭蕉句碑であった(写真上)。

 三度目の正直か 本日は、両国の安田庭園に、芭蕉句碑を是非確かめたいと出掛けた。三田線を春日駅で大江戸線に乗り換え両国駅に下車し、地上へ出た。すぐ前が横網公園、そして関東大震災と大空襲の復興記念館横を通り抜け、安田庭園へ入園。江戸時代の大名庭園だが現在は区立庭園。早速、句碑を見付けようと回遊式池の周りを一巡り。右奥の石碑を確かめたが違っていた。諦め掛けながらも最後に、園端柵沿いの閉め切られたような地へ入ったら、あった。“ミの虫の 音をききにこよ 草の庵”のミの・・・文字が何とか読め、勇んでカメラに二度収めた。1687(貞亨4)年秋、芭蕉44歳、深川芭蕉庵で詠まれた句と知った。
 園を後にし、隅田川を蔵前橋で渡り、同通りを行き、途中で榊神社、楫取稲荷、蔵前神社、そして鳥越神社を巡り歩いた。鳥越神社以外は、初めての参拝。楫取稲荷はカジトリと読み、舟運の社らしい。蔵前と言えば、江戸幕府の米蔵があった地で有名だが、私が子供の頃は、大相撲興行は蔵前の国技館であった。

 大相撲発祥の地 蔵前橋通りから江戸通りへ右折して入った住宅街に蔵前神社はあった。江戸時代の勧進相撲の発祥の地とある。その縁で寄進者の名前が力士でそれも東富士、千代の山、鏡里、そして吉葉山が並んでいる。大相撲に興味を持った頃の横綱勢揃い。昭和30年前後で、ラジオで聞いていた。中でも、私は東富士のファンになり、所属の高砂部屋勢を応援した。懐かしい。参拝後、玉垣に刻まれた四股名を入れ、シャッターを切った(写真下)。
 また蔵前橋通りへ戻り、前進すると右手が鳥越神社。知名度に比べ広くはない境内。紫陽花が見ごろで、カメラを向けた。偶々先日、当社のお祭りの開催規模を決めかねているとのテレビ放映を観たばかり。本日も、その宮司さんがインタビューを受けているよう。
 大江戸線新御徒町駅へ歩いたが暑く、途中自販機で飲料水を求め、のどを潤した。(2021/6/14K.K.1396/1400)

◇日時 2021/05/26 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 9km  13,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図浅草36」「通過時間等」自宅10:40-大江戸線春日駅11:10-同両国駅11:35=横網公園11:40=安田庭園11:45/12:05=蔵前橋12:20=榊神社12:30=楫取神社12:35=蔵前神社12:45=鳥越神社13:15=大江戸線新御徒町駅13:40-三田線春日駅13:48-自宅14:20

石神井川から川越街道五本欅を眺める

 この記録を綴っているクリアファイルが満杯になった。40ポケットに、A4一枚の記録と歩いた前後に収集したマップやパンフ類も保存し(写真上)、およそ27回記録で1ファイルの検討。約20年前からのことで、現在では50冊程になっている。都心へ勤めていた時は何時でも求められたが、巣ごもりでは簡単ではない。昨年茂呂遺跡からの帰途上板橋で文房具店を覗いたら、偶々目的に適したファイルがあった(20.10.20)。里歩きを兼ね上板橋へ歩くことにした。

 石神井川を歩く 三田線板橋本町駅から歩き出す。現中山道を遡り石神井川を渡った先の氷川神社へ寄る。最近富士塚があると知ったが、これまでの参拝では気付いていなかった。本殿に挨拶し、境内を見回すとそれらしい場所はあったが、塚らしくはない。一応カメラに収めた。石神井川に沿って歩く。この辺りはコンクリートの高い水路で、現在は底部30㎝位の流れであろうか。水はきれいである。橋を利用し右岸から左岸へ、それを繰り返しながら上流へ進む。左岸に高齢者達が屯し、皆カメラを構えている。カワセミだなと、川底に探したが、私には見えない。端の方に伺ったら、頷いてくれた。我が弟も相模の川や池で追っているらしい。
 旧川越街道を上板橋へ 右岸の中板橋商店街入口から東上線高架下となり、下頭橋六蔵詞様があり、軽く挨拶する。下頭橋は、川越藩主江戸往来の際を家臣達がこの橋で出迎えたからとの説もあるとあった。橋を渡って、旧川越街道を下る。これまでは反対側へ歩き、初めての地。環七通りを渡って商店街からときわ台駅前を行くと、見覚えのある風景で、森内の天祖神社。昨秋訪ねているが、あの時スルーした平安地蔵を探す。住宅街をウロウロして地元の方に教えて貰い、手を合わせる。終戦時の板橋空襲で犠牲になった269人を慰霊した小さなお堂。繰り返してはならないと祈った。

 五本欅、そして文房具店 旧川越街道へ戻り、上板橋へ。そろそろかなと現川越街道へ目をやると、欅が見え左折して大通りへ出たが、大分手前。流石中山道、車の往来が激しい。五本欅が見え始め、上板橋地区。川越街道拡張工事で屋敷を提供した地主が、欅の保存を条件としたお陰で、今も街道の真ん中に聳えている(写真下)。新緑時の欅は久しぶりでシャッターを切った。
 首尾よく、目指した文房具店でファイル2冊求め帰途だが、上板橋から高島平へはバス経路はなく、三田線志村三丁目駅経由であった。(2021/6/4 K.K.1395/1400)

◇日時 2021/05/20 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 10km 13,000歩 ◇資料「観光いたばしガイドマップ」(板橋区くらしと観光課)「通過時間等」自宅8:50-三田線板橋本町駅9:10=氷川神社9:20=石神井川9:25=下頭橋9:55=天祖神社10:10=平安地蔵10:30=川越街道五本欅10:55=文房具店11:00=平和公園バス停11:27-三田線志村三丁目駅11:50-自宅12:10

北区十条銀座、中央公園から王子装束稲荷へ

 先日入手したマップから王子に装束稲荷神社を見付けた。狐伝説の遺る王子稲荷は有名で、古典落語にもあり、私も参拝したことがある。王子稲荷初詣のため、関八州の狐達が大晦日に近くの榎の下に集まり装束を整えた地に祀られた社という。広重の浮世絵もあり、興味を惹き訪ねたい。未訪の十条中央公園もあり、周辺を歩くルートにした。

 東十条駅をスタート JR東十条駅を起点にし、山手線を田端駅で乗り換えた。多分東十条駅乗降は初めてで、改札口を確かめ出て、スタート。直ぐ子育て地蔵がありご挨拶し、緩い坂を上がると十字路へ至り、直進先は十条駅だが、私は右折し富士神社へ。この通りは、飛鳥山下を通っている本郷から岩槻への御成街道だろう。神社は工事中で、富士塚の形もなく平らでブルーシートで覆われている。先で左折し十条銀座へ向かい、埼京線を渡る。今時踏切は珍しく、一本通過を待った。
 十条銀座商店街を上下 商店街で、右の富士見銀座通りへ入り、食料品店で瓜の鉄砲漬を求める。演歌歌手多岐川舞子のポスターのある店で、前回も寄った(20.07.21)。uターンし十条銀座へ。高いアーケードの下、土曜の午前なのにそれなりの人出がある(写真上)。下町の繁華街で初めて通り抜けた。十条駅先からまた埼京線を渡り返し、野鳥の森緑地を探す。小路の奥にそれらしい小公園があった。中央公園へと前進を続け、右手に駐屯基地を見て、公園方向へ回り込む。23区内で基地に出会うのは初めて。

 十条中央公園 南橋公園、中央図書館、そして十条中央公園。大木が覆い繁る薄暗い公園だが、野球場の外、洋風の文化センターもある立派な広い緑地公園。前の大通りへ出て、王子駅へ方向を採る。右手に石神井川が近く、紅葉橋が覗けた。御成街道へ出て、京浜東北線高架下を抜け、装束稲荷は近いと思ったが、北本通りを横断し一本先の商店街通りの奥左手であった。
 狐の装束稲荷 大きな社ではないが赤色の鳥居と社殿、従えたのは狛犬ではなく狐像。手を合わせ、コロナ退散と右手の回復をお願いした。案内板に当社の由来と、広重の絵があった(下図)。道路拡張で移動したが、王子稲荷は京浜東北線を挟んだ反対側にある。現在では、大晦日に狐に扮した地元の方々が王子稲荷へ参詣するのが恒例とある。往時農民は大晦日の狐火の数で豊凶を占ったと伝わるという。王子駅へ出て、帰途に就いた。
 先月半ば、浦和田島ヶ原バス停で転んで痛めた手は、医者で骨折と分かった。鈍痛はあるが歩くには支障がなかった。(2021/6/1K.K.1394/1400)

◇日時 2021/05/15 ◇天候 晴れ ◇交通費510円 ◇歩行距離等 10km 13,000歩 ◇資料 「北区観光ガイドマップ 王子・十条エリア」(北区観光協会)
「通過時間等」自宅9:10-JR巣鴨駅9:39-同田端駅9:49-同東十条駅10:00=子育て地蔵10:05=十条銀座商店街10:20=野鳥の森緑地10:40=十条中央公園11:10=装束稲荷神社11:35=JR王子駅11:50・・・自宅13:15

雨模様に、都下清瀬中里富士塚から練馬八幡神社に寄る

 手許のガイド誌「さあ、ハイキング!」(新ハイキング社編)から、“中里富士塚から滝の城址”(同誌187頁)コースを見付け、中里富士塚をチェックしていた。滝の城址は2度程訪ねている。最寄り駅はJR武蔵野線東所沢駅か西武線清瀬駅。検討の結果、東所沢駅から西武東久留米駅へ歩くことにした。

 所沢から清瀬へ 東所沢駅は意外に近く、成増駅へ出て、北朝霞駅で乗り換え1時間要しないでスタート。処が本日天候良くなく雨が降り出しそう。予定コースを変更し直線的に中里富士塚へ向かうことにする。
 駅前通りからやや強引に高台を下り、新興住宅街の中を進む。いつもの山勘で、所沢市下安松地区以外は現在地は不明であり、小さな祠和田延命地蔵の前を通ったが持参地図には見当たらない。右手へ出たら大通りで、地図では小金井街道とありそのまま清瀬へと、柳瀬川に架かる清瀬橋を渡り順調のよう。中里地区で富士塚への左折地点を探す。しかし読みが外れ、ウロウロし地元の方に教えて貰い、少し戻って到達できた。
 単独峰中里富士塚 中里富士塚は単独の塚、頂であった(写真上)。これまで訪ねた富士塚は神社境内を借りた形であったが、そうではない。しかも、開放されていて自由に登攀できる。
 案内に寄れば、中里富士塚は、1825(文政8)年丸嘉講武州田無組中里講社の講徒によって築かれ、現在の富士塚は、約9mの高さで、登山道が九十九折りに続き、一合目から九合目までの小さな石柱があるとある。私も、カメラに収めて、頂に立ち石の祠富士神社に手を合わせた。
 富士塚を後にした頃から雨が落ち始め、予定を変更し清瀬駅へ急ぐ。けやき通りから志木街道へ出て、少し歩くと駅であった。

 馬八幡に寄る 西武池袋線に乗ったが車窓に雨粒は付いていない。車中、次の寄る先を巡らし、練馬の高松八幡神社に思い当たった。これまで練馬を歩いて存在は知ったが、未訪である。
 西武練馬駅で大江戸線に乗り換え、練馬春日町駅から、環八通り沿いに歩き出す。想定の地に、想定の時間で八幡様に参拝。1064(康平7)年源頼義が前九年の役後、戦勝に感謝し八幡宮を創建したと伝えられる古社。広い境内よりも、裏の社叢に驚く(写真下)。都内の練馬とは思えない樹林帯風。駅へ戻り、駅裏のバス停で、赤羽駅西口行のバスを待ったが、少し時間があった。(2021/5/24 K.K.1393/1400)

◇日時 2021/05/05 ◇天候 曇り一時小雨 ◇交通費580円 ◇歩行距離等 10km 14,000歩 ◇資料 「さあ、ハイキング!」(新ハイキング社編187頁)
「通過時間等」自宅8:10-東上線成増駅8:40-武蔵野線北朝霞駅8:52-同東所沢駅9:05=清瀬橋9:30=中里富士塚9:50=西武清瀬駅10:32-大江戸線練馬駅10:55-同練馬春日町駅11:05=練馬高松八幡神社11:15=練馬春日町駅バス停11:46-三田線志村三丁目駅12:14-自宅12:30

入谷から社寺等を巡り南千住へ歩く

 都心台東区入谷にある小野照崎神社の富士塚の存在は知っていた。そのうちにと思っていたが、地図で、序に巡るポイントを探し出し、浅草国際通りを北上し南千住へと歩くことにした。社寺に加え、史跡や公園も入れてウォーキングコースになるだろう。JR鶯谷駅からよりは、地下鉄日比谷線入谷駅下車が便利のようだ。

 鬼子母神から富士塚へ 三田線春日駅で大江戸線に乗り換え、上野御徒町駅で日比谷線に乗り継ぐと入谷駅は直ぐであった。最初は鬼子母神様にご挨拶。入谷と言えば鬼子母神で、確か朝顔市を見物した時(14.7.8)以来と思う。駅近くにあり参拝出来たが、有名なのにシンプルな寺院。
 通りを渡って住宅街に小野照崎神社を探す。高い樹木を目指して覗くと同神社。本殿に参拝し、隣の富士塚を眺める(写真上)。確かに大きな塚ではあるが、都内一級とは思えない。カメラに収めた。珍しい名の当社は、平安期の公家で歌人小野篁が祭神で、あの東風や小町は子孫とある。当初は上野の照崎の地に祀られたが、その後当地に遷座されたという。

 鷲神社 昭和通りを渡って竜泉地区の住宅街に、朝日弁財天の案内を見付け、寄る。社と古池跡があった。国際通りへ出て、少し浅草側へ上がると鷲神社があり、広い境内から本殿前で手を合わせる。殿中では神主が舞い、表では神官が獅子舞中(写真中)。毎日の祭事なのだろうか。参拝者は私一人。参道には其角の句碑や一葉の文学碑があった。当社の酉の市は有名で、先の二人は酉の市を描いた作品があり、それに因むらしい。酉の市は私には縁がなく、熊手は飾ったことがない。

 一葉記念館 国際通りを北上し右へ入った地に、一葉記念館があった。樋口一葉と言えば、文京の本郷下菊坂に旧居があり、なぜと思ったら、その前に10月程当地で、母や妹と暮らし雑貨屋を営みながら、上野図書館に通い小説家としての勉強をしたとある。処が、時節柄閉館中。大きな館前を素通りした。 国際通りが左からの昭和通りと合流して三ノ輪付近、先程来初めての地が続く。正面に高架鉄道があり、常磐線と分かる。そして、左手奥が都電荒川線の三ノ輪橋駅の筈。
 南千住の芭蕉像 南千住駅へと右折し、線路沿いに歩くが駅は見えない。そろそろ疲れが出たらしく足が重い。南千住駅から三ノ輪橋駅へ歩いたことがあり、距離感があったのだが。ようやく駅前大通から広場へ至り、芭蕉像を見上げる(写真下)。芭蕉像や矢立て初め・出立の地の碑は足立区の北千住にあるのだが、奥の細道300年記念の時こちら南千住が矢立て初めの地と荒川区が主張して、像はその印らしい。カメラを向け、地下鉄南千住駅を探した。(2021/5/21 K.K.1392/1400)

◇日時 2021/04/30 ◇天候 晴れ ◇交通費340円 ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図29」「通過時間等」自宅9:10-大江戸線春日駅9:45-日比谷線仲御徒町駅9:54-同入谷駅10:00=鬼子母神10:05=小野照崎神社駅10:15=朝日弁財天10:30=鷲神社10:40=一葉記念館10:50=三ノ輪11:00=南千住駅前11;30=日比谷線南千住駅11:40-大江戸線上野御徒町駅11:58-三田線春日駅12:06-自宅12:40

躑躅を求め赤城山南麓から館林へ

 Sさんから、躑躅鑑賞の誘いがあつた。行き先は赤城南山麓の赤城神社参道という。数年前、二人で訪ねたが、咲き終えていた(17.5.20)。私に異存はなく、二つ返事でOK。彼の車で、6時出発となった。ネットで、咲き具合を当たったが、良くわからない。

 これからの赤城神社参道 関越自動車道を走り、高崎インター先で降りて、前橋郊外を過ぎ三代沢の赤城神社に着いた時は、8時30分であった。誰も見当たらない本殿に参拝し、長い表参道へ。松並木の参道に、咲く山躑躅はあるがポツリポツリで(写真上)、これからの状態。それでも朱色の花を拾いながら、カメラを向け松並の下を歩く。Sさんも、一眼レフを携え上下しているよう。前回は遅すぎ、今回は早過ぎ、天候も絡み自然相手は儘ならない。
 前橋嶺公園から館林へ 途中にある前橋の嶺公園へ向かう。水芭蕉の咲く地との情報を得た。駐車場から園内案内図で水芭蕉がある湿地帯を確かめ、探し当て覗いたが、こちらは、葉は伸びているが白い花は一切見えない。残念。水芭蕉の花期が早まっていて、期待したのだが。
 私は、館林のつつじが岡公園を提案。北関東自動車道を利用すれば遠くはなく、また回り道でもないとSさん同意し、ハンドルを向けてくれた。大分前だが、花友と鑑賞に来園し、満開のつつじ園を巡ったことがあった(11.4.30)。時期も合い夢よ、もう一度である。赤城の山よりは、平地の方が花は早いかもしれない。車は市役所前駐車場に停まり、つつじが岡公園へは少し距離があった。

 満開のつつじが岡 つつじ祭り開催中で、早速入園。右手土手に咲く満開のつつじの花が出迎えてくれた。赤色中心で、濃い赤色の花は妖艶でもある。鑑賞客と一緒に広いつつじ園を巡る。左右に咲く花々は殆ど満開状態。赤、朱、ピンク、そして白が混じって咲き揃い、重なり合い見事で、燃えるようでもある(写真下)。入園来シャッターを切り続けている。後ろのSさんを待って、つつじ山へ入る。見覚えがあった。つつじの間に遊歩道が切られ、左右に花を愛でながら巡る。城沼畔へ下りて、uターン。当地は、館林城跡という。つつじが岡公園の前に、城沼に架かる尾曳橋を渡って旧秋元別邸庭でも、咲き競うつつじを鑑賞出来た。最後の館林藩主が秋元氏であったと思う。
 つつじの花に満たされ帰途へと就いた。館林から東北自動車道は直ぐで、ノンストップで我が家迄走ってくれ、14時過ぎには帰宅した。Sさんありがとうございました。(2021/5/16 K.K.1391/14000)

◇日時 2021/04/25 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 9km 13,000歩 ◇資料 館林観光協会「つつじまつり」「通過時間等」 自宅6:00-群馬三代沢赤城神社8:30-前橋嶺公園9:15-館林つつじ岡公園11:20/12:20-自宅14:20

根津神社、練馬平成つつじ園を巡る

 つつじの季節に至り、都内の根津神社つつじ祭りや練馬にある平成つつじ園が思い浮かぶ。これまで鑑賞に訪ねたことがあるが、時間が経っている。文京区と練馬区とで、大分離れているが地下鉄を利用すれば、一度に巡ることが出来ると気付いた。歩き足りないとは思うが、花期は逃したくない。

 白山駅から根津神社 根津神社へは三田線白山駅から歩く。3番目の孫進学先の最寄り駅だがリモート講義で登校していないようだ。左手の住宅街へ入ると坂道で、浄真寺坂。旧中山道へ出て、また住宅街を抜け本郷通りだが、少し手間取った。今度は坂道を下り、根津神社の裏参道に着き、本殿へ回り参拝。古社で、将軍綱吉が現社殿を奉建したという。
  境内右手の土手がつつじ園で祭り開催中で、赤色を中心に咲いている。当地が、6代将軍家宣が生まれた屋敷であった時に植えられたとある。千駄木から本社遷座前とのこと。
 遅かったつつじ 入園し花の間を巡ると、少し遅かったと知る。つつじの花は萎み掛けている。それでも、アングルを探しながら、遊歩道を上下する。境内隣高台の文化遺産弥生正緑館(明治の実業家渋谷家洋館)を入れて(写真上)、シャッターを切った。案内によれば、渋沢栄一も訪問した館とある。つつじの花に別れ境内を出て、地下鉄南北線東大前駅へ坂を上がる。少し距離があった。

 東大前駅から南北線に乗車し、次の後楽園駅・春日駅で大江戸線乗り換える。そして、練馬駅へ。練馬駅前商店街に大鳥神社へ寄ろうと探すと、駅前小路先に見付かり参拝。先月練馬を歩いた時は訪ね損ねていた。商店街の社としては広い境内。
 平成つつじ園を巡る 練馬駅北口練馬文化会館の庭にあるのが平成つつじ園。バス時間を調べて鑑賞開始。庭園はそう広くはないが、白色のつつじを中心に咲いている(写真下)。こちらもやや遅めだが、鑑賞者は多い。つつじを眺めながら一回りして写真も数枚写し、駅前バス停に戻った。私は2度目と思うが、過去の記録はなかった。花咲く時期では無い時つつじ園を通ったのだったろうか。前回練馬を歩いた時知ったバスルートで、練馬駅前から赤羽駅西口行に乗り、環八を走ったバスを志村三丁目駅前に降り帰宅。早めに帰宅出来た。
 今回は、遅めではあったがつつじを鑑賞し、カメラに収めることが出来た。それにしても見ごろ、最盛期に出会うことは難しい。花の命は長くはない。(2021/5/7K.K.1390/1400)

◇日時 2021/04/20 ◇天候 晴れ ◇交通費160円 ◇歩行距離等 8km 10,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図28、21」「通過時間等」自宅9:00-三田線白山駅9:30=根津神社10:00/10:15=南北線東大前駅10:29-大江戸線春日駅10:39-同練馬駅11:10=大鳥神社11:15=平成つつじ園11:20=練馬駅バス停11:31-三田線志村三丁目駅12:20-自宅12:40

桜草咲く田島ヶ原から秋ヶ瀬公園へ

 桜、ニリンソウと春から初夏へは花咲く季節で、次は桜草やつつじ、紫陽花と続く。私の里歩きには、四季の花巡りがありこれまでも多く歩いている。桜草と言えば埼玉浦和の田島ヶ原が自生地で、数回訪ねて桜草を愛でている。近くに住まうSさんから開花しているとメールを戴いた。今年のこの時期は花友を誘う状況にはなく、いつもの通り一人である。

 電車で西浦和駅へ JR板橋駅から埼京線に乗り武蔵浦和駅で、武蔵野線へ乗り換え西浦和駅に降りスタート。駅でアクセスマップを入手した。これまでは、我が家から荒川の左右の堤上を約2時間歩いて来たが、もうその元気はない。大通りへ出て荒川方向へ左折し前方に水門施設が見え始め、緩い坂を越すと左下の草原一帯が田島ヶ原。
 水害を受けた桜草 今年も、保存会の方が出ていて案内している。期待して、観察コースへ入る。草原の野草に交じりピンクの花は咲いてはいるが、ポツリ、ポツリと僅かである。桜草を拾いながら遊歩道を進むも、カメラに収めるには物足りない。タンポポは何処でも元気である。細長い五葉の白い花はチョウジソウと知る。
 最近数年の間に二度程大洪水に見舞われ、保存会の方々の手入れで回復しているようだが、最盛期には程遠く、国指定の特別記念物の面影は薄い。草原内を覗きながら大回りし、入口付近へ戻ったら桜草の密集箇所に出会う。濃いピンクの花が咲き揃い美しい(写真上)。シャッターを切った。

 深い森の秋ヶ瀬公園 今回は、田島ヶ原から隣の秋ヶ瀬公園へ踏み入れる。河川敷内なのに思った以上の深い森で、自然の中の散策路を行く(写真下)。高い木々が聳え、荒川の流れは大分先のようだ。野鳥の池から野鳥の森へと森の中の道が続く。カメラを抱えた高齢者は鳥を狙っているのだろう。私には鳥の声は聞こえない。歩きながら、近所の人達と家族で当公園へ来たことを思い出した。子供が小学生の頃であったが、もっと上流だったと思う。森を出て、案内板で現在地を確かめUターン。テニスコートやサッカー場がある地から堤へ上がり、田島ヶ原へ戻る。堤内右下はゴルフ場で、確か浦和新日本CCの筈。帰路はバスで武蔵野線駅へ出ようと決め、右手を見るとバスが近づいている。急いでバス停へと走ったら、転倒。道路の段差に躓き両手で受けたが、バスは行ってしまった。右手が打撲したらしく、鈍痛が残っている。この程度で済んだのは右手のお陰と、鎮痛用パスにお世話になっている。(2021/5/1K.K.1389/1400)

◇日時 2021/04/12 ◇天候 晴れ ◇交通費620円 ◇歩行距離等 11km 15,000歩 ◇資料 昭文社「埼玉県道路地図13」
「通過時間等」自宅8:45-JR板橋駅9:29-同武蔵浦和駅9:49-同西浦和駅9;55=田島ヶ原10:20/10:40=秋ヶ瀬公園11:05=田島ヶ原バス停11:55-JR中浦和駅12:10-三田線新板橋駅12:40-自宅13:10

板橋にニリンソウ自生地を探し歩く

 そろそろニリンソウの花咲く時期である。昨年、上板橋ににりんそう公園があり、川中美幸が唄う“二輪草”の歌碑があると知って訪ねた(20.7.27)。公園もニリンソウ自生地とあり、是非眺めたい。上板橋から区立赤塚植物園、そして赤塚大門を巡ろうと思う。先日、赤塚大門に寄り、咲き始めたことは確かめた。

 花咲くにりんそう公園 上板橋へは高島平からはバスの便はなく、東武練馬行に乗り、一駅歩く。東上線沿いに上板橋へ住所表示を見ながら向かう。上板橋駅手前で左折し住宅街へ入り、ほぼ山勘だが、2,3度小路を覗き、ようやく達した。
 公園の緑地や土手に白い小さな花が咲いている。可憐である。歌碑の周辺にも咲き(写真上)、アングルを変えてシャッターを切った。もしかして期待外れかなと思いながら訪ねたが、当公園も、本当に自生地であった。私の前回の駄文を読んだ方が、youtubeで川中美幸が唄う二輪草を聴いて、川中の指の振りを確かめたとメールをくれた。園内の解説板を読むと、他の自生地として赤塚5丁目森の広場とあり、初めて知る。

 赤塚植物園 東上線上板橋駅から同下赤塚駅へは電車で移動。下赤塚駅北口から中央通りを歩き、赤塚植物園を目指す。途中で近道しようと板橋区赤塚庁舎の方へ入り、松月院通りを渡って住宅街の小路の坂道を下ると植物園へ出て、入園。板橋区の花と案内があり、その一画に白い花が咲いている。花を追って高台へ。当地は武蔵野の名残らしい。隣の区画には、桜草やハナダイコン、菜の花が咲き、春の花々である。
 ニリンソウ咲く遊歩道 植物園から乗蓮寺傍を通り、赤塚城跡へ歩きながら、先程知った赤塚5丁目森の広場は城跡手前の森内だろうと足を向ける。この辺りは未だ武蔵野の面影がある。ニリンソウは咲いていた。森の中の遊歩道両側に沿いびっしり咲いている(写真中)。想定外の出会いで、デジカメを向けながら花の間を下った。

 本場は赤塚大門自生地 ここからは私の近所のようなもの。城跡土手でも花を眺め、高速に架かる歩道橋から赤塚大門へ降りて、土手下の窪地一帯がニリンソウ自生地。咲く面積が違い、花の数も段違い。こちらが本場で、数人の鑑賞者が出ている。
 本日のニリンソウ自生地巡りは、白い花に満たされ、その上新たな自生地も探し当て、満たされて帰宅した。晩酌は、板橋区の花に因み名付けた金沢産地酒“二輪草”にした(写真下)。(2021/4/26 K.K.1388/1400)

◇日時 2021/04/06 ◇天候 曇り ◇交通費150円 ◇歩行距離等 10km 14,000歩 ◇資料「観光いたばしガイドマップ」「通過時間等」自宅12:30=高島平バス停12:40-東上線東武練馬駅12:55=にりんそう公園13:30=東上線上板橋駅13:47-同下赤塚駅13:55=赤塚植物園14:20=赤塚5丁目広場14:45=赤塚大門自生地15:00=自宅15:20

大塚公園から護国寺、雑司ヶ谷へと豊島区内を歩く

 古い資料から大塚駅起点のコースを見付けた。一昔前、駅からハイキングとしてJR東日本発行のガイドマップ(平成15年発行)からである。なるべく未踏のポイントを見付けようと大塚公園、吹上稲荷神社は必須とし、その後護国寺、雑司ヶ谷へと歩き、都電荒川線の駅へ出ようと思う。後半は歩いた(09.11.23)ことがあるが、大分前で再訪も良いだろう。

 藤の咲く大塚公園 西巣鴨駅から荒川線新庚申塚駅へ歩き都電に乗り、大塚駅に降りてスタート。大塚公園は駅前案内地図には載っていない。初めて歩く豊島区内を大分南上した先に公園はあった。
 入園すると藤が頭上で迎えてくれた(写真上)。棚には紫の花が垂れ始めている。時期が早すぎると思いながらもカメラを向けた。木々に囲まれ広場もある都市型の普通の公園。庚申塔や子育て稲荷もあり、参拝。案内には、NHKでラジオ体操が始まった翌年の1929年に当公園でも始まり、全国最初とある。
 吹上稲荷神社 次の吹上稲荷は右一本先の通り沿いと、住宅の間の路地へ入ると急坂で、谷へ下りるような道。大通りの右先にお稲荷様はあった。境内から本殿前へ進み手を合わせる。将軍秀忠が江戸城吹上御殿に祀ったが、その後小石川を経て当地へ遷座したとある。
 大通りへ戻り前進すると不忍通りで、右折したら富士見坂とある。右手一帯は都心とは思えない樹木が生い茂る森で、豊島ヶ丘御陵。

 護国寺と童謡歌碑 少し歩いた隣の門が護国寺の惣門。当寺も将軍綱吉が生母桂昌院のために創建した歴史深い寺院。門など当時の建物も遺るとある。 広い境内の仁王門から本殿への階段下右に、歌碑と富士塚があった。童謡“からすのあかちゃん”の碑とあり(写真中)、作曲者貝沼實が当寺で音羽ゆりかご会を創設した縁とある。同会は、私には川田三姉妹で有名で、正子、孝子が唄う“みかんの花咲く丘”は子供の頃に流行って知っている。

 旧宣教師館  地図を眺め、高速下から左先の雑司ヶ谷へと向かう。また住宅間の小路の階段を上がり、紆余曲折し旧宣教師館へ辿り着いた。
 1907(明治40)年米国人宣教師築の白い2階建ての洋館は住宅街に目立っていた(写真下)。約半年掛けて改装工事が行われ前々日開館したばかりと新聞で知った(4.5読売)。
 雑司ヶ谷霊園は直ぐ先で、路端には花大根の紫花が咲く墓地の間を通り抜け、荒川線を渡って大鳥神社へ寄り、都電の駅を探すと鬼子母神前駅が近かった。(2021/4/22 K.K.1387/1400)

◇日時 2021/04/03 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 13km 17,000歩 ◇資料 JR東日本池袋地区「散歩マップ」平成15年発行 「通過時間等」自宅8:30-荒川線新庚申塚駅9:12-同大塚駅9:20=大塚公園9:35=吹上稲荷神社9:55=護国寺10:05/10:35=旧宣教師館10:50=雑司ヶ谷霊園11:10=大鳥神社11:20=荒川線鬼子母神前駅11:25-三田線西巣鴨駅11:50-自宅12:05

2021花見ハイキング・赤羽岩淵、荒川土手編

 本年3度目の花見ハイキングは、石神井川、新河岸川に次いで、荒川沿いにした。先日入手した北区観光ガイドマップでコースを検討し、JR赤羽駅から志茂、岩淵を経て赤羽土手へ歩こうと思う。新荒川大橋の上下の堤は一度歩いたことがある。これに近くにある神社を入れたい。

 古木桜も満開 すぐ裏手が新河岸川の高い水路壁。歩道橋を渡って荒川知水資料館と管理事務所前へ。庭先の荒川堤際にある桜に驚く。数本の老木が美しい花を咲かせている(写真上)。黒く太い桜木は異様にも見え、カメラに収めた。樹齢100年に近い古木か。荒川土手へ上がると桜並木が満開で、花見散策者が出ている。土手内が旧岩淵水門。荒川から隅田川への分流の水門だが、現在では少し下に新水門が出来ている。
 花下から新河岸川対岸先へ目をやると神社の屋根が見えた。次の八雲神社へと岩淵橋を渡り、参道正面へ回って本殿で手を合わせる。日光御成街道の傍で、岩淵渡しで足止めを食らった勝海舟が書いた大幟が当社にあるという。

 満開の桜と芝桜 現岩槻街道へ歩き新荒川大橋手前で左折し、荒川土手の赤羽桜堤緑地へ。こちらも満開の盛りだが、まだ散り始めてはいないようだ。カメラを構え、見上げながら花の下を行く。川側の土手には濃いピンクの花が一面に広がっている(写真下)。美しい、芝桜か。桜並木を入れてシャッターを切った。
 工事中で、河川敷に降りてJR線路下を抜け、また土手へ。左先の高台には星美学園が見え、隣の赤羽八幡は先日訪ねたばかり。JR北赤羽駅ではなく、環八通りへ出てバス停を探そうと中の橋で新河岸川を渡り、環八通りへ歩いたが、バス停がなく、結局埼京線高架下を過ぎて、ようやく三田線志村三丁目駅方面行のバス停が見付かった。(2021/4/19 K.K.1386/1400)

◇日時 2021/03/30 ◇天候 曇り ◇歩行距離等 9km 13,000歩 ◇資料 北区観光協会「北区観光ガイドマップ 赤羽・浮間エリア」H31.2
「通過時間等」自宅8:40-三田線志村坂上駅バス停9:10-JR赤羽駅9:30=スズラン通り9:35=熊野神社9:50=荒川知水資料館10:00=旧岩淵水門10:10=八雲神社10:30=赤羽桜緑地10:45=中の橋10:55=環八通りバス停11:17-三田線志村三丁目駅11:36-自宅11:55

2021観桜ハイキング・浮間、新河岸川、志村橋編

 満開の中のハイキング 3月も後半に入り、開花宣言から10日程経ち満開の時期を迎えている。本日今春2度目の観桜ハイキングで、浮間公園から桜並木、新河岸川縁を巡った。左右にも頭上も桜花が咲き揃い、春の花に囲まれて、人出も少ない中、ピンクの花を眺めながら進んだ。カメラを出し、アングルを見据えてはシャッターを切った。私の期待通りの咲き振り咲き具合で、最盛期直前であった。

 浮閒公園の桜 バスでJR浮間舟渡駅行きに乗り、浮間公園前で降りると、ピンク色の花が目に飛び込んで来た。園内に入り、遊歩道を行く。両側に染井吉野の桜木が並び、花は満開、見ごろ(写真上)。カメラを出し、右の池も入れてシャッターを切る(写真下)。オランダ風車もあり、背景にした。花は切れ、池を半周して公園を出た。
 桜並木の下を行く 少し先の浮間2丁目の通りに桜並木があると知り、荒川土手下から回り、目指す通りの端へ出ると、正面は桜の並木通りであった。桜木は風雪に耐えたような太い幹。通り右側から、反対側の花々も眺めながら、埼京線手前の大通りへ。ここで右へ入り、傘屋庚申堂を探す。住宅街の間に小さなお堂があった。由緒書きはなく、傘屋の由来は不明。先日入手した北区観光ガイドマップから浮間コースを歩いている。
 次は、埼京線を越した左先の子育地蔵と青面金剛庚申塔で、古そうな街道傍に見付かり、手を合わせた。小さな商店街、観音寺前から新河岸大橋の通りへ左折すると、また桜並木が続いていた。満開の花を見上げ、愛でながら通りを行く。桜木はそれ程太くはなく、まだこれからの木のよう。大きなビルが両側にあり、中外製薬。近所の方の勤め先で話には聞いていたが見るのは初めて。周囲の建物を圧倒し、大会社である。

 新河岸川左岸から右岸へ 新河岸川へ着き、ここからは自前のコース。歩き足りない分を補い、そして未だ桜を楽しみたい。長後さくら橋を目指し堤沿いに左岸を遡上する。ここは2,3度歩いて桜の木があることを知っていた。途切れない程度に桜が続き、想定通り。
 コースは後半になり、長後さくら橋上から、下流の桜の様子を見ると、左岸にはないが右岸にはピンクの花の列が出来ている。橋を渡って右岸へ降り、またまた花下を上がる。そして中仙道志村橋であった。
 本日は、いずれの公園や桜並木でも満開の花に歓迎され、見取れて歩き回り、満たされた気分でバスを待った。(2021/4/11 K.K.1385/1400)

◇日時 2021/03/26 ◇天候 曇り ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料 北区観光協会「北区観光ガイドマップ 赤羽・浮間エリア」H31.2
「通過時間等」自宅9:10-高島平バス停9:25-浮間バス停9:45=浮間公園9:50=浮間2丁目10:00=傘屋庚申塔堂10:10=青面金剛庚申塔10:30=中外製薬工業前10:40=新河岸大橋10:50=長後さくら橋11:05=志村橋バス停11:20-三田線志村坂上駅11:36-自宅11:55

2021花見ハイキング・北区滝野川、石神井川編

 先週開花宣言があり、我が家近くの桜も見ごろになって来た。花見ハイキングリーズの到来で、山が遠のいている現在では、ベストシーズン。花見の名所上野公園や千鳥ヶ淵、目黒川は現在は不向きで、私には石神井川や新河岸川、荒川の桜並木である。丁度先日北区を歩いて、北区観光ガイドマップを入手した。滝野川から石神井川へ歩き板橋へ至るコースにした。

 滝野川7丁目桜並木へ 新板橋駅から旧中山道へ出て、JR板橋駅前から滝野川の桜並木がある方向へと歩く。大分前だがSさんと駅前で夜桜見物したことがあった。その地を過ぎたが桜は見えて来ない。先へ進み左手の通りを覗くと、花が咲いる(写真上)。角に小公園があり、目指した桜並木と思い桜を見上げながら行く。予想に反し直ぐ並木は終わり道も突き当り、間違いと気付いた。コースを回復すべく、右折し7丁目の桜並木道を探すが、大通りへ出て明治通り。桜に釣られ大分前で左折してしまっていた。
 八幡通り商店街、滝野川八幡神社 戻らないで、大正大学から西巣鴨駅前で中山道を横断し、滝野川5丁目へ。八幡通り商店街という住宅街の狭い通りがうねうね続き、商店街が切れると前方に玉垣が見え、滝野川八幡神社。境内を進み参拝する。頼朝が勧請し当地の総鎮守とある。通り一本東の通り角にあった四本木稲荷神社へ寄る。本殿の前に拝殿のある社で、拝殿を通り抜け手を合わせた。境内横の通りへ戻ると、前方に見頃の花が見え始め、石神井川は近い。

 石神井川の桜は7分咲き 滝野川橋上から花を眺める。川の両側に桜花は咲き、7分咲き程度だが満開とは違い初々しさが窺え、美しい(写真下)。シャッターを切りながら右岸の遡上を開始。
 石神井川の当地下付近から上流に掛けては花見の名所で、私も1,2度往復したことがある。観音橋袂には谷津大観音様が鎮座し、久しぶりの対面。手前から頭を垂れて、川端を歩き続ける。テーブルのある緑地には花見グループもあるが、少ない。
 埼京線鉄橋下を通過し北区から板橋区へ。三田線新板橋駅が近いが未だ花見を続けながら、右岸を上がる。金沢橋の先が加賀公園。前田藩の下屋敷跡で、築山の跡が遺る。満開の桜があり大島桜で、染井吉野よりは桜色が薄い。花見ハイクを終え、緑橋から板橋区役所前駅へ向かう途中に東板橋公園へ回り道したが桜はなく、区役所前駅から帰宅した。(2021/3/22 K.K.1384/1400)

◇日時 2021/03/22 ◇天候 曇り ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 北区観光協会「北区観光ガイドマップ 田端・滝野川エリア」H31.2
「通過時間等」自宅12:35-三田線新板橋駅13:10=明治通り13:25=西巣鴨駅前13:30=滝野川八幡神社13:40=四本木神社13:50=石神井川滝野川橋13:55=埼京線鉄橋下14:10=加賀公園14:25=石神井川緑橋14:35=東板橋公園14:45=三田線板橋区役所前駅15:00-自宅15:20

里道、里山を歩いた小田急沿線柿生の里

 久しぶりに弟と歩いた。彼が選んだコースは柿生の里で、小田急沿線である。昨年一度計画したが延期になっていた。今回も、小田急柿生駅には、弟が先着していた。我が家からよりは、弟が近い。コースガイドは彼が用意してくれた。

 おっ越し山、月讀神社 柿生駅東口を予定の時間にスタート。弟にリードしてもらい坂道を上がる。当地は里山の間に広がる地域で、坂の上下が多いと知る。坂の途中、柿生中前で石段の里道へ入り、おっ越し山とある。ハイキング向きの小径だが地元の方とも交差する。
 また広い道へ下り行くと、月讀神社への案内を見付け、進入。広い境内に社はあるが人影はなく、我々だけ。参拝しコロナの終息を祈願する。石段を下り、また広い道を先へ進み不動橋を渡り、左に下麻生花島公園を見て、突き当りを右折。
 琴平神社 集落内へ入り、弟に従い山側へ。山麓から振り返ると山間の風景のよう。行き止まりと個人のお宅への道と分かり少し戻って、山裾を行き琴平神社への案内があり、同神社に着く。大きな社を構えているが、儀式殿で、本殿はまだ先とある。江戸期前からの古社で、大きな駐車場があり参拝者が多いことを窺わせる。また手を合わせ、境内にある弁天社や稲荷様も巡る。境内を出て十字路の右先が琴平神社本社の参道。急な石段を目の前にして怖じ気付き、弟へ省略と返事してしまった。彼に貰ったオレンジ類が、高齢者には重い。

 古刹王禅寺 緩い坂道を上がり続け、満開の桜を見付けた(写真上)。ピンクが濃いから河津桜と思うが自信はない。写真は、携帯を出し写した。先ほど、多分駅にカメラを忘れたことに気付いた。王禅寺ふるさと公園へ至り、山腹の園内を巡る。少なくない家族連れが遊んでいる。こちらにも先ほどの桜が咲いている。我々は、遊歩道から山上の王禅寺へと頂を目指す。なんとか寺の境内へ横から入った形で、本堂前へ行き着いた。
 東の高野山とも呼ばれる古刹だが、現在は無住職か。弟と並んで参詣し、境内を見回すとわが国最古の甘柿“禅寺丸柿”の原木と記念碑があった。地名柿生の由来とある。隣の堂宇や薬師堂も巡る(写真下)。歴史が滲み、古刹そのものである。表参道から山門を通って大通りへ出て、バス停を探すと折よく、柿生行きバスがあった。
 駅に着いて、カメラの忘れ物を申し出るとあった。ラッキーで、御礼を申し上げた。駅前で昼食を取った後、駅で弟と別れた。(2021/4/5 K.K.1383/1400)

◇日時 2021/03/16 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 10km 14,000歩 ◇資料 関根茂子「柿生の里散歩道」新ハイキング誌724号88頁「通過時間等」自宅8:30-都営新宿線神保町駅9:15-小田急新宿駅9:30-同柿生駅10:10=月讀神社10:40=下麻生花島公園10:55=琴平神社11:20=王禅寺ふるさと公園11:40=王禅寺12:00=裏門坂バス停12:18=小田急柿生駅(昼食)12:40/13:16-都営新宿線新宿駅14:00-三田線神保町駅14:15-自宅14:50

石神井川下流周辺を巡り歩く

 歩く先を板橋から隣接区へと広げ、石神井川下流を王子から隅田川へのコースを想定した。北区内である。石神井川は練馬から王子まで歩いているが、最下流は未踏で、隅田川河口も眺めたい。先日赤羽八幡神社で、北区内神社リストを入手し、河口左には紀伊神社、右には船方神社があると知った。
 
 石神井川の変貌 三田線西巣鴨駅から歩いて荒川線新庚申塚駅で都電に乗って王子駅に降り、スタート。駅前大通り渡った先が石神井川の筈と探したが、大違いで右へ、それも大分右先にあり、石神井川は一転してコンクリート内水路、運河のよう。流れが淀み、隅田川から逆流もあるようだ。頭上には高速道路が被っている。王子手前音無の流れや風景からは想像もしていなかった。両側には道路は続かず、河口へは下れないのだろうか。
 明治通りへ出て、右岸から溝田橋を渡り左岸を下ろうとするが、工事中箇所が続き、西福寺前へ至り、豊石橋から下流を覗いた(写真上)が、周囲の風景や状況に変化はない。

 紀伊神社を探す 紀伊神社を探し、豊島地区をウロウロ。地図から7丁目へと住居表示を頼りに行くが、最後は地元の方に教えて貰い、参拝。その名の通り鎌倉時代紀州から勧請した社とあり、境内は広いが社殿はシンプルなもの。
 左手先が隅田川と読み、トンボ鉛筆社前から豊島橋への途中で、川のうねりに従い右折。そして、また隅田川へと接近し川沿いに歩くと、北区の豊島区民センターがありマップをゲットし、現在地を教えて貰う。
 川沿いと想定しながら住宅街を歩くと、さっき覗いた西福寺へ至り、豊石橋。渡った先の隅田川側は大規模な工事現場でダンプが出入りしている。この裏が河口と思われるが接近は不可能。

 隅田川、あらかわ遊園地 船堀地区内へ入り、4丁目の船方神社へ向かう途中に白山神社があり手を合わせ、休憩。梶原渡船場跡の案内があったが、方向を間違え次回へ回し、団地内へ入ると裏が隅田川。コンクリートの高い堤防へ上がり、川面を眺めたら(写真中)、右先に観覧車が見えあらかわ遊園地が近いと知る。船方神社は遊園地の手前と、いつもの山勘を働かせ辿り着き、詣でることが出来た。古社だが、住宅街外れにぽつんとあり、私には田舎外れの神社に見えた。
 隣のあらかわ遊園地は工事中。観覧車だけが目立っている。入口に咲くハクモクレン(写真下)をカメラに収め、前の通りを走る都電の駅が直ぐで、電車を待った。これまで歩いた新河岸川や神田川に重ねた河口風景とは違い、安易なコース採りは失敗であった。(2021/4/1K.K.1382/1400)

◇日時 2021/03/12 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 12km 16,000歩 ◇資料昭文社「東京区分・都市図88」2000年「通過時間等」自宅8:35-都電荒川線新庚申塚駅9:20-同王子駅9:30=西福寺10:00=紀伊神社10:30=北区区民センター10:50=豊石橋11:05=白山神社11:25=船方神社11:45=都電荒川線あらかわ遊園地前駅11:53-三田線西巣鴨駅12:20-自宅12:50

練馬にふじ大山道を歩く

 西武池袋線沿線を歩くには、これまでは、我が家からは巣鴨駅、池袋駅を経由していた。処が環八通りを走るバスがあり、志村三丁目駅から練馬駅へ直通と知った。折よく、練馬春日町駅を起点とするハイキングコースを見付けていて、手始めにバスで練馬へ出ることにした。コース概略図はスマートフォンに写し持参したが見難い。

 バスで練馬へ 9時に家を出て志村三丁目駅に降り、環八通りへ少し歩いてバス停であった。バスはほぼ時間通りに来て、環八通りを走った。中台から西台と、地名は知っているが未知の風景の中で、東武東上線下を抜け練馬へ入った。こちらは地名も初めてで、予定の大江戸線練馬春日町駅に降りた。まだ10時前である。
 練馬大根碑を探す 最初のポイントは練馬大根の碑。通りは五差路で分かり難く、目の前の交番で聞いたが知らないという。練馬では有名な筈で意外な返事だが、古刹愛染院を教えて貰う。聞き間違えたようで大回りし山門から境内へ入り、参拝。満開のピンクの花は早咲きサクラか。
 参道に大きな石碑があった(写真上)。練馬大根は元禄時代から当地で栽培され特産物になり、明治からは全国的に広がったとある。1941(昭和16)年に石碑が建てられたという。徳川綱吉が脚気で療養に練馬に滞在し大根を食べて治癒し、練馬大根を広めたという伝説もあると知った。

 ふじ大山道を行く 寺前の通りがふじ大山道で、江戸時代から大山や富士山への登拝に利用された古道である。今も、住宅街・商店街の間にそれなりの街道が続き、私も初めての道を辿る。時々スマフォからコースをチェックし、スーパー付近の小さな社を確認し通り過ぎ、三叉路にある谷原延命地蔵へ至る(写真下)。軽く挨拶し、左の道を採る。練馬も奥の谷原で、少し歩いて春日通りと笹目通りが交わる谷原の大きな交差点であった。ここでVターン。練馬体育館前から、清戸道へ入り練馬駅を目指す。江戸時代、清瀬付近の農家が農産物や肥料を運んで江戸を往復した道のようだ、
 石神井川を渡る 環八通りを横断すると石神井川道楽橋。その手前に高松庚申塔と宮田橋敷石供養塔があった。1807(文化4)年、この辺りは石神井川の湿地帯で、清戸道利用者達が敷石を寄進した記念碑とある。今でこそ石神井川は水路で管理されているが、寡ってはうねり、増水時は渡るにも大変だったのであろう。
 目白通りへ出て、練馬駅は近いと読んだが、西武池袋線高架下からも、距離があった。都心と同じような繁華街をキョロキョロしながら練馬駅へ歩き探して、見付かりバス停のある北口へ回る。往きと同じバスは時間が合わず、成増行きのバスに乗車。成増駅とは離れた終点であったが、駅北口からいつものバスで、13時に帰宅した。(2021/3/29 K.K.1381/1400)

◇日時 2021/03/9 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 11km 15,000歩 ◇資料 新ハイキング社「さあ、ハイキング ふじ大山道から清戸道」183頁 通過時間等」自宅9:00-志村三丁目駅バス停9:29-大江戸線練馬春日町駅バス停9:50=愛染院・練馬大根記念碑10:05=谷原延命地蔵10:35=谷原交差点10:45=石神井川道楽橋11:10=練馬駅バス停11:55-成増駅バス停12:35-自宅12:55

初めて訪ねた赤羽八幡、赤羽緑道公園、桐ヶ丘中央公園

 先日赤羽自然観察公園を歩いてその記録を書いた際、赤羽地区の地図を眺めて、その先に赤羽八幡、赤羽緑道公園、桐ヶ丘中央公園があると知った。いずれも未訪の地で、私の里歩き散策にはちょうど良い。最近歩くコースの大半は一度歩いた地が多く、すべてのポイントの地が初めては久しぶりで、期待しよう。

 宝幢院、赤羽八幡 三田線西台駅前から赤羽行バスに乗ったが、大回りの路線で大分時間を要して、赤羽駅西口着。情報を得ようと案内所を探したが見当たたらない。線路沿い左側を北上し、高架下で右折して宝幢院に寄る。家光から寺領を賜っていたという古刹。梅の咲く境内から本堂へ軽く挨拶し、戻って坂を上がる。
 坂は急で、崖上に八幡神社があった(写真上)。武蔵野台地の東北端で、坂上田村麻呂が東征の折陣を張り武運長久を祈った社とある。境内の隣は星美学園で、京浜線車窓から崖上に眺めていた。私は、これまでそっちこっちでお願いした孫2人の合格を報告し、お礼を申し上げる。また坂を下って、赤羽緑道公園を探す。多分この辺りの先に遠戚のお宅が有り上京時訪ねたことがあったが、すっかりご無沙汰している。

 赤羽緑道公園を行く 樹木が見える方向を見極め接近すると、偶然公園入口へ。細長く続く緑道を行く。戦前軍施設があった赤羽自然観察公園への軍用鉄道の跡地という。今では、ジョガーや散策者が行き交う。途中の交差点は赤レンガ造りの高架橋で渡っていた(写真中)。先ほどの宝幢院の墓地がある地には、ガーデンがあり原色の花が咲いていて名は不明だが、シャッターを切った。奥の団地越しに公園らしき林が見え、大きな交差点で右折し商店街から公園方向に向かうと、桐ヶ丘中央公園とあり、テニスコートや遊戯具がある。また山勘が当たり、ベンチで休憩。持参したチョコレート菓子を食べる。先月孫娘達に貰っていた。

 北区から板橋へ 北赤羽から板橋小豆沢方向へ出ようと、公園から団地内を歩く。善徳寺のある交差点へ至り、意外な現在地を知る。赤羽自然観察公園の帰途に出会った寺で、反対側の小豆沢へと向かう。右折前進を繰り返すと、龍福寺、そして小豆沢神社であった。昨春いずれも訪ねた。山門前のハクモクレンや菜の花がもう満開(写真下)。春も着実に来ている。
 ここからは土地勘が戻って土手を下り、環八通りへ出てバス停を探し、バスを待つ。10分弱で乗車できた。(2021/3/25K.K.1380/1400)

◇日時 2021/03/4 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料昭文社「東京都市図16」2004年
「通過時間等」自宅9:55-三田線西台駅バス停10:08=赤羽駅西口10:45=宝幢院11:00=赤羽八幡神社11:10=赤羽緑道公園11:20=桐ヶ丘中央公園11:45=善徳寺11:55=小豆沢神社12:05=環八バス停12:18-三田線志村三丁目駅12:32-自宅12:50

河津桜鑑賞に平井旧中川を再訪する

 春の花情報第一報に接した。江戸川区旧中川に河津桜が咲き、見ごろと知った(2.22読売)。桜でも河津桜は濃いピンクが魅力的で好きな花である。これまで本場伊豆の河津へ2度も出掛けて楽しんだ(18.3.6外)。旧中川の河津桜も一度眺めたことがあり(15.3.19)、晴れる日を待っていた。

 平井駅をスタート JR総武線平井駅から歩くことにし、両国駅で大江戸線から総武線へ乗り換えた。亀戸駅を過ぎ旧中川鉄橋付近で、車窓から右手に咲いている濃いピンクの花を確かめた。
 平井駅乗降は初めてと思う。東口へ出て右へ方向を採ろうと思う。近くにあった稲荷神社へ挨拶し、商店街から住宅街の小路を行き団地へ突き当り、迂回して旧中川河畔へ出た。
 満開の河津桜 見覚えのある風景で、ふれあい橋に立つと、前方の河川敷内に花が見え、その先にスカイツリーがある。河川敷へ降り、近づく。

 河津桜は満開で(写真上)、ジャスト見頃。花下へ入り見上げながら眺め、アングルを探す。濃いピンクの開いた花びらが重なり合い咲き揃っている。シャッターを切りながら進み、スカイツリーも入れたい(写真中)が中々簡単ではなく、出来上がりに期待するほかない、人出は少ないがこれからか。総武線鉄橋下を過ぎると、桜木はなくほんの一画で、15本程度か。
 白梅も鑑賞 旧中川を出て、蔵前通りで次のポイントを思案すると、対岸の梅の花が目に入り、惹きつけられるように江東新橋を渡ってしまった。
 亀戸中央公園内の梅園も白い花が咲き誇っている(写真下)。こちらでも、カメラを向けながら園内を巡る。2度目の筈だが、殆ど記憶にない。時計台のあるエリアもある。また総武線鉄橋下を抜けたが、工場跡地と公園の続き。持参したウーロン茶と菓子で、ベンチで休憩。

 遠い亀戸駅 右手が亀七商店街通りで、抜ければ亀戸駅と読んでいたが違う。地図で確かめると京葉道路で広い大通り。山勘が外れ、総武線も反対側に逸れていた。大分歩いて右側に高架線が見え始め、更に歩いて亀戸駅であった。
 帰路は、両国駅乗換を避け総武線水道橋駅とし、三田線へ乗り換えた。要した時間は短かったと思う。
 今回は、河津桜鑑賞を中心としたが、手許のハイキング資料に、“旧中川沿路平井散策”を見付けて(新ハイキング編社「さあ、ハイキング!」218頁)、その内に思っていた。こちらには平井さくら公園があり染井吉野だろうから、また訪ねたい。(2021/3/19K.K.1379/1400)

◇日時 2021/02/28 ◇天候 晴れ ◇交通費 340円 ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 「都心あったか河津桜楽しむ」(読売2.22)、昭文社「東京都市図41」2004年
「通過時間等」自宅8:45-大江戸線春日駅9:24-総武線両国駅9:47-同平井駅10:00=ふれあい橋10:20=旧中川河津桜10:25=江東新橋10:35=亀戸中央公園10:45=亀七商店街10:55=総武線亀戸駅11:14-三田線水道橋駅11:35-自宅12:20

湯島天神、神田明神から神保町へ

 速いもので2月も後半である。この時期例年湯島天神の梅祭りに合わせ、旧友の活け花展があり、毎年参拝し鑑賞していた。処が今年の展示は中止と連絡があった。それでも、私は孫二人が受験で、天神様に是非お願いしたいし、境内の梅の花も見頃と思う。折しも購読紙に、“我がまち再発見東京・湯島編”(読売夕刊2.4../18)を見付けた。

 春日局菩提寺へ 大江戸線本郷三丁目駅をスタートし春日通りの坂を下る。最初のポイントは、左手にある麟祥院。春日局の菩提寺で像と墓があると知った。東大龍岡門への通りを越した先に、像(写真上)と山門があった。
 境内へ入らせて貰い、墓前へ。お局様墓へは案内があり、墓参者が多いのだろう。軽く手を合わせカメラに収めた。都心とは思えない自然の中の静かな境内、墓園。像は、以前春日駅先富坂左手の公園内にあり、某大学後楽園校舎へ講義に通う時見ていたと思う。

 湯島天神に祈願 表参道から湯島天神境内へ。梅祭り開催中だが、屋台も閉店中のようで、人出は少ない。先ずは天神様に合格祈願。なんと神殿の拝殿前には私一人。例年は長い列で最前列へ出るのに大変なのに。二人の孫をしっかりとお願いした。白梅は咲き開き大半は見頃(写真中)で、2.3度シャッターを切る。男坂下に復興地蔵を探し、頭を垂れた。関東大震災があった日前後に法要が営まれるとある。
 中坂から三組坂を通って蔵前橋通りへ出る。反対側に神田明神裏参道を見付け、急階段を上がって明神様へ参拝し、こちらではコロナ退散もお願いした。裏手にテレビドラマ銭形平次記念碑があった。表門角が甘酒天野屋。今回の新聞紹介で知ったが、地下にある麹用土室がテレビ旅番組で見たのを思い出した。隣の小路に旧中山道の表示があり(写真下)、ここが本当の旧道かと続く先を確かめ、カメラを向けた。

 駿河台の思い出 聖橋は近く、私が若い頃通った駿河台へと向かう。お茶の水駅、ニコライ堂を右に見て坂を下る。ここで幼馴染に偶然出会ったことがあった。多分土曜日の午後授業へと歩いていたら、向うから名前を呼ばれ、私も分かり、二つ下のよく遊んだ近所の後輩。それ以来50年以上過ぎてしまった。母校の記念館を探したが記憶違いで見付からず、太田姫稲荷前から明大通りを左折し靖国通りを渡り、三省堂書店裏のすずらん通りを歩く。学生用飲食街と呼ばれていたが、在学時代覗いたことはなく、卒業後友人と2.3度入店した。裏の狭い小路から喫茶店さぼうる前を過ぎ、三田線神保町駅へと歩いた。
 神頼みの効果があったのか、その後二人とも合格したと連絡があった。お礼参りは一年後となろう。(2021/3/13K.K.1378/1400)

◇日時 2021/02/19 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料 「我がまち再発見東京・湯島編」(読売夕刊2.4/2.18)、昭文社「東京都市図35」2004年「通過時間等」自宅9:20-大江戸線春日駅10:00-同本郷三丁目駅10:05=麟祥院10:20=湯島天神10:30=神田明神11:00=聖橋11:10=太田姫稲荷11:20=すずらん通り11:35=三田線神保町駅11:45-自宅12:20

隅田川厩橋を渡り旧安田庭園へ

 最近、時々都営地下鉄大江戸線を利用している。蔵前駅から両国駅を通過し、歩く先として旧安田庭園や隅田川周辺を考えた。脱板橋・城北地区に適度な地である。旧安田庭園は一度訪ねて(07.5.27)、後に芭蕉句碑があると知った。それだけでは歩き足りず、地図から近くの社寺を探し、歩き回りたい。

 出鼻くじかれる 都営地下鉄を浅草橋駅に降りた。地図から探した吾左エ門稲荷は直ぐ右先で、駅前春日通りを渡った国際通りに面している筈と上下。しかし見付からず、一旦諦めたが交差点案内版には直ぐ近くの裏通りにある表示。裏通りをまた行き来するが、それらしき建物はない。最後に地元の方に尋ねると親切に教えてくれた。細い路地裏の角に稲荷はあったが、閉鎖したらしく門には鍵が掛り、社前へは入れない。柵外から手を合わせ駅前へ戻る。行き掛けの駄賃の筈が、時間を要してしまった。次の予定は、駅前の榧寺。天正年間からある古刹で期待したが、都心では境内は狭く、それでも本堂前の一画に日本庭園がある。カメラに収め、春日通りを行く。当地は台東区で、浅草は直ぐ北側のよう。先ほどの国際通りには位置関係が混乱しかけた。
 スカイツリーを眺める 隅田川に係る厩橋を渡る。橋名は蔵前にあった米を運ぶ馬の厩に由来するらしい。スカイツリーを探すと、左手先の方向にツリーの塔は青空の下静かに建っていた(写真上)。久しぶりの再会で、ゆっくりと眺め、シャッターを切る。東京タワーとは違い、美しい形状のタワーと思う。川はゆっくりと否、動かず流れはないように見える。渡り終え、左岸を下る。

 庭園池端をウロウロ 再訪だが旧安田庭園の位置や入口が思い出せない。病院を過ぎ、刀剣博物館の裏と分かり、大回りし正門から入園。江戸時代からの大名庭園で、明治になって安田財閥創業者の所有になったが、現在は区立庭園であり、池を中心とした回遊式(写真下)。広くはない。入口案内図には芭蕉句碑はない。園内を一回りしたが、それらしき石碑には出会えない。スマホで検索すると、池を三周して見付けたとある。これに惑わされ、池傍に違いないともう半周程したがない。管理人らしき方に聞いたが知らないという。念のため聞いた別の方も同じ返事。諦めて、庭園を後にした。
 次の予定は、隅田川を渡り返し鳥越神社のつもりで、総武線両国駅へ出て両国橋を渡ろうとしたが、思い違いで同橋は大分先と分かる。脚に疲れが出始め、中途だが断念を決断。目標への未到等が続き疲れを増したのかもしれない。大江戸線両国駅まで、550mとありこれが遠かった。地下鉄に乗ったら白河清澄駅に停まり反対方向で、今回の失敗にダメを押してしましった。(2021/3/7 K.K.1377/1400)

◇日時 2021/02/14 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 9km 13,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図36」2004年 「通過時間等」自宅12:20-大江戸線上野御徒町駅13:05-同蔵前駅13:10=吾左エ門稲荷13:30=榧寺13:35=厩橋13:40=旧安田庭園13:50/14:30=大江戸線両国線14:50-三田線春日駅15:29-自宅14:50

姥ヶ橋から赤羽自然観察公園へ

 新たな歩き先として、板橋本町先の姥ヶ橋延命地蔵から北区西が丘はどうかと地図を眺めたら、赤羽自然観察公園が目に付いた。調べると森林公園で、池や移設古民家もある。当然未訪の地で、グッド。三田線板橋本町駅が最寄り駅で近く、安近短だが、歩き足りない分はなんとかなろう。

 姥が橋延命地蔵 板橋本町駅に降り地上へ出たら、中山道と環七の交差点で、姥ケ橋へと環七通りをスタート。孫の高校へのバスルートで一度通ったことはある。
 加賀中付近に稲荷台遺跡があり、寄りたい。通りから少し入った校門前に石碑があった。縄文式早期の土器が出土した地とある。地名加賀は加賀藩下屋敷の由来だろうか。同屋敷とは大分離れていると思う。環七陸橋の大きな交差点へ至り、JR十条駅からの通りを渡ると姥ケ橋延命地蔵があり、参拝。最近のお願いは同じで、コロナ終息と孫の合格祈願。高架下から西が丘へ方向を採る。
 トレセン通りは学園都市風 広いトレセン通りの名のある大通り両側には、学校や研究機関が並び、高いビルはなく学園都市風景。歩道には、オリパラ競技種目を紹介した案内板が約50mごとに立ててある。オリンピック開催へのアピール活動だろうか。左手には、ナショナルトレーニングセンター、スポーツ科学センター、そして、西が丘サッカーフィルドと続き、これらでトレセンか。施設名は、味の素商標を冠しネーミングライトの行使である。サッカー場には、子供が小学生の頃正月の全国高校大会観戦に来場したが、その時の木造から近代的なスタンドへ変身していた。この辺りの風景は見覚えがある。右手の小さなサッカー場を見て思い出した。昨春赤羽駅からバスで三田線駅へ出る時通過の際眺めた地である。

 雑木林に驚く サッカー場の先が、赤羽自然観察公園。西門入口で案内図を入手し、一歩踏み入れて園内景色に驚く。正面は雑木林(写真上)。そして、沢らしき窪地には小川が流れている。武蔵野かと慌ててカメラを出しシャッターを切った。当地は都内赤羽で、多摩や埼玉ではない。赤羽にこんな森林の地が残っているとは驚きである。広さは約5万㎡強とある。木々の太さはそれ程ではない。
 雑木林先に二つの池があり、小池の畔にはカメラを構えた高齢者達が囲んでいる(写真下)。カワセミかとズームレンズ先を見渡したが不明。古民家松澤家住宅を見学。江戸後期の築で北区浮間から移設したとある。屋根は葺き替えが新しい。今時近くに職人がいるのだろうか。平屋だが屋根裏部屋があり、荒川洪水に備えていたようだ。自然観察公園から坂を上がり、地図で確かめ大通りを善徳寺で板橋方向へ左折し、歩くと小豆沢へ出て三田線志村坂上駅が近いと知り、そのコースを駅へと歩いた。(2021/3/2 K.K.1376/1400)

◇日時 2021/02/10 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料「赤羽自然観察公園施設案内図」、「旧松沢家住宅」「通過時間等」自宅12:15-三田線板橋本町駅12:40=稲荷台遺跡碑12:50=姥ヶ橋延命地蔵13:00=赤羽自然観察公園13:30/14:00=善徳寺14:05=志村坂上駅14:36-自宅14:50

春一番の中荒川対岸の戸田ボート場、戸田公園を巡る

 JR埼京線に乗った際戸田公園駅を通過するが、そんな公園あるのかなと地図で駅周辺を調べたが見当たらない。そんなことを繰り返していたら、戸田ボート場沿いに公園があった。戸田のボート場は有名で、1964年の東京オリンピックの会場にもなり、知っていた。その畔の緑地が戸田公園らしい。荒川の対岸先にあり、我が家から歩ける距離である。

 春一番を受ける 三田線西高島平駅をスタート。新高島平駅から一駅乗車し、西高駅北口から笹目橋を目指す。長い橋を渡り終え、左岸堤上へ出ると風が強い。南からの風で、後に本日春一番が吹いたと知り、早速の洗礼だったのだろうか。風を避けて堤を降りる。
 戸田ボート場は近く、住宅街から笹目川を渡るとボート場西端が見え始めた。長さ3000m前後、幅300m程の細長い水路型である。すぐ目の前は競艇場で、その先がボート競技(漕艇)場と分かれている。本日は、競艇の開催はなく水路には艇は浮いていない(写真上)。大きな観客スタンドも閉鎖中のよう。開催日には、高島平駅から臨時バスが出ることは知っていた。

 戸田競艇場からボート場へ 左手にTBSの放送アンテナ塔があった。そう言えば、近所に住むTBS社員の方から戸田の送信アンテナのことは聞いたことがあった。そんなに高い塔ではない。左手のボート場柵沿いに歩き、競艇場とボート競技場との境にある橋を渡り、右手へ出る。荒川土手の間に緑地が続き、こちらが戸田公園らしい。桜木もある。水路には一艘の競走用ボートが見え、二人が漕いでいる。そんな風景を眺めながら、水路沿いに歩き続ける(写真下)。
 解説版に出会い、荒川の治水対策や戦前の東京オリンピックボート競技開催用に整備されるも大会は戦争で中止になったが、戦後になり、1964年のオリンピックの前後には国体やインターハイがしばしば開かれたとある。
 戸田橋を渡る ボート競技の管理棟を過ぎると、各大学の漕艇庫が並んでいる。“C”マークの母校の庫が目に付いた。なんと東北大学のものもある。筑波大学も近くはないが、来場だけでも大変だろう。夏休み用かなと首を捻った。
 水路の東端に至り、左手が戸田公園駅、右手が戸田橋から舟渡地区。なんとなく歩き足りない気分で土手へ上がり、また南風を受けながら戸田橋を渡る。渡り終え、上流右岸の土手に、中山道戸田渡し跡碑を見て、舟渡氷川神社へ寄り、舟渡二丁目バス停へ歩いた。(2021/2/20 K.K.1375/1400)                          

◇日時 2021/02/04 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 10km 14,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図10」2004年4月
「通過時間等」自宅9:50-三田線西高島平駅10:05=笹目橋10:20=戸田ボート場西端10:40=戸田公園人橋10:50=戸田ボート場東端11:25=戸田橋11:30=.中山道戸田渡し跡碑11:40=舟渡氷川神社11:50=舟渡二丁目バス停12:04-自宅12:30

都心芝、新橋に神社、史跡を訪ねる

 今年の初詣先として、新橋付近の神社をマークしていたが、正月も月末になってしまった。今年は遅れた初詣も良いとの意見もあり、出掛けることにした。今回予定の神社はすべて初めての社と思っていたが、浅野内匠頭終焉の地の碑は一度見ている筈と調べたら、塩竃神社や日比谷神社も同じ日(03.2.2)に寄っていると分かった。加齢には勝てない。

 御成門から 三田線を御成門駅に降り地上へ出て、増上寺境内の端に熊野神社を探した。東京タワーを正面に見た先で、広い境内の片隅に見付かり、参拝。隣の千躰地蔵尊(写真上)を眺める。この種地蔵を近くで見るのは初めてだ。日比谷通りへ出て、港区役所前から新橋方向へ歩く。愛宕署を過ぎ新橋へ至り、横浜ゴム社ビル付近でウロウロしたが三剱稲荷が見付からない。持参地図にはあるのだが現況に変更があったのか。諦めて、塩竃神社へ。こちらは大凡の見当が付き小公園の続きにあり、社殿前へ進み手を合わせる。由緒書きによれば、江戸初期、伊達藩主が伊達家上屋敷に塩竃本社から勧請し、その後現在地の中屋敷に遷座したとある。私は、再訪だが何ら記憶は蘇らなかった。
 塩竃神社、日比谷神社 日比谷神社も、探しあぐねビル街一画をウロウロして二周し、最後は交番で教えて貰った。数年前マッカーサー通りが出来て、神社の周辺の風景は一変したのであろう。社は新道路に面していた。こちらも二度目だが、淡々と手を合わせた。当社は現日比谷公園大塚山にあったが、江戸城の拡張で、こちらへ移転したようだ。

 切腹最中 内匠頭終焉の地碑そばに、切腹最中を販売する菓子店新生堂があると、最近の新聞(21.1.28読売夕刊)で知った。当初縁起が悪いと言われたが、お詫びの印として評判を呼んでいるとある。話のタネに最中を求めたいと店前へ出たが、本日日曜日でか、閉店中。店舗をカメラに収めて日比谷通りへ。
 終焉の地碑は記憶にあり、ほぼその地にあった(写真下)。内匠頭の即日切腹は知られている。それがこの辺りにあった一之関藩田村家の上屋敷であったのだ。そういえば、以前田村町と呼ばれていた地である。
 新橋繁華街 新橋駅前にある烏森神社へ向かう。山勘が当たらず、新橋駅右側へ出てしまう。新橋は日曜日なのに人出がある。正面の飲食街と思い直し、ニュー新橋ビルを越して飲み屋街に入ると直ぐ神社。この辺り、旧勤務先時代仲間達と二次会で時には飲みまわっていたが、あれから20年以上過ぎた。簡単に手を合わせ、レンガ通りから三田線内幸町駅へ降りた。車中、10分遅れると、待ち合わせの友人へメールした。(2021/2/16 K.K. 1374/1400)

◇日時 2021/01/31 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 7km 10,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図87」2004年4月 「通過時間等」自宅9:40-三田線御成門駅10:35=熊野神社10:40=塩竃神社11:00=日比谷神社11:25=内匠頭終焉の地碑11:30=烏森神社11:40=三田線内幸町駅11:55-同巣鴨駅(昼食)12:10/13:00-自宅13:30

練馬氷川台から環七を歩き板橋本町へ

 歩く先を板橋区内から練馬へもと広げたい。約20年前練馬から石神井川沿いに板橋へ下った時、氷川台で氷川神社を探し損ねたこと(00.3.5)を思い出し、地図を広げた。練馬へは池袋駅からの外、大江戸線で春日駅、都庁前駅経由があるが遠い。そんな中、成増から有楽町線で氷川台駅へと気付いた。路線検索では約半分ちょっとの時間である。

 成増から練馬氷川台へ 東武成増駅へバスで出て、川越街道で地下鉄成増駅へ下りた。見慣れない駅で、多分初めてかもしれない。三つ目氷川台駅に降り地上へ出て、案内地図で石神井川を探す。直ぐ先が川で、おはま井戸へと歩く。一度訪ねて、橋の先の池泉の筈と探し回るが見当たらない。地元の方に尋ねると、住宅街へ入った小公園と教えてくれた。おはま井戸は、嘗て石神井川縁の湧水池で、下練馬の鎮守氷川神社は当初ここに創建されたが現在地へ移転したとある。それでお祭りでは神輿で渡御する儀式が現在も行われているという。池などなく記憶と違う。
 おはま井戸から氷川神社 石神井川を渡り、住宅街に氷川神社を探し、丁目と高い樹木に見当付け近づくと境内、社があり(写真上)、参拝。古社の雰囲気はあるが、これまで訪ねた神社とそう変わりはない。1400年代創建との案内であるが大宮の氷川神社が一之宮で総社らしい。境内で、持参した水筒からウーロン茶を飲む。商店街を歩き練馬区から板橋区へ。左手に、あの“練鑑”があった。

 城北中央公園の思い出 城北中央公園に着く。目の前が軟式野球場で、確か昭和48年頃私が旧職場チームを案内しプレーしたことを思い出した。相手チームも覚えている。近所の友人で当管理事務所に勤務していた方が確保してくれたと思う。広場では母子でシャボン玉を飛ばしあっている。公園を出て桜川緑道を歩く。右手が区体育館、中二の孫がバスケ部で頑張っている。当体育館も走り回ったことがあるのであろうか。
 正面が安養院。昨秋偶々立ち寄り参拝して、境内の欅の大木に魅せられた。再訪だがコースに組み入れた。大寺院で広く、裏口から入り本堂へ回るのに戸惑ってしまった。今回は、手を合わせてから境内を見回し、シャッターを切った。榧の大木の下に空海像もある(写真下)。欅は葉を落としていた。
 環七を歩く 石神井川台橋へ出て、川沿いに下る。出会った大通りは、川越街道ではなく環七通り。それでは側道を行けば板橋本町駅へ至ると歩いた。予想以上に距離があり、川越街道を渡り、東上線下を通過したが、未だ先。途中交差点近くに飼い猫ぽんちゃんが入院したアニホスがあった。前方に首都高速高架が見え始めたのは、足に疲れが出始めた頃。高架下で三田線板橋本町駅へと階段を降りた。(2021/2/9 K.K. 1373/1400)                                            

◇日時 2021/01/26 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 11km 16,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図15」2004年4月 通過時間等」自宅9:45-有楽町線成増駅10:20-同氷川台駅10:35=おはま井戸10:50=氷川神社11:05=城北中央公園11:30=桜川緑道11:50=安養院12:00=環七通り12:10=川越街道12:20=東上線下12:25=三田線板橋本町駅12:44-自宅13:05

板橋赤塚公園から徳丸北野神社を巡る

 再度我が家スタート、ゴールコースを探した。前回は三田線北側の新河岸川、荒川沿いであったが、今回は、三田線南側に位置する荒川河岸段丘土手に続く赤塚公園から徳丸地区へ出て、前谷津川中流緑道を遡り、北野神社に参拝し、高島平へ戻ろうと思う。時計回りで、距離的にはやや短いと思うが、大半は初めて歩く地となろう。

 広く細長い赤塚公園 我が家から都立赤塚公園は直ぐ。団地南側交差点を渡れば園内である。野球場や陸上競技場、テニスコートの外、バーベキュー広場もある樹林に囲まれた大きな公園。本日も遊んでいる人は少なくない。久しぶりの園内で、噴水の形も変わっていた(写真上)。
 若い頃の思い出があり、地区や子供達の運動会が開かれ、野球場ではプレーしたと思う。友人達との秋の山形芋煮会は鮮明に覚えている。その広場を過ぎて高速道路下の歩道橋を渡り、土手に続く樹林地帯下を行く。こちらも赤塚公園の続き。土手と新興住宅街の間から、土手に切られた坂を上がると徳丸の辻山地区公園。昨年末偶々訪ねて、赤塚公園の東端と知った。
 北野神社へ 松月院通りの坂を下って、不動通りを渡り、前谷津川緑道へ右折。アーチ形の花棚が並ぶが、この時期咲く花はない。また不動通りを渡り返すと、両側には密な住宅街が続く。大山参りの記念碑不動明王を過ぎ、徳丸通りに突き当り、天神坂へ。坂は住宅地とは思えない程の急なもの。上がり切ると、北野神社の表参道であった。

 当社は数回目だが正面からは初めて。意外に狭い境内で、本殿前で参拝し、コロナ終息と孫の受験合格を祈願した。京から勧請した天満宮で牛の像があるのは知っていたが、真新しい(写真下)。今年の干支にちなみ更新したのであろうか。カメラに収めた。
 栗山村記念公園 松月院通りへ出て、坂を下り紅梅公園に寄り、その先に栗山村記念公園を探す。住宅街の奥、土手上に小さな緑地公園があった。
 我が区と栃木県の栗山村(現日光市)とは姉妹都市の類だろう。鬼怒川奥の山村で、私は、以前に村内の女夫淵温泉や加仁湯は訪ねたことがある。園内の木々は同村から送られたものとある。
 本日のコースは時計回りに戻って、直ぐ赤塚公園の南端。先程とは反対方向へ土手下を歩いて、高速道路下の交差点を渡って、我が団地へ戻った。(2021/2/4K.K.1372/1400)

◇日時 2021/01/22 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 7km 10,000歩 ◇資料 板橋区くらしと観光課「観光いたばしガイドマップ」「通過時間等」自宅10:15=都立赤塚公園10:25=同辻山地区10:40=前谷津川緑道11:00=天神坂11:10=北野神社11:15=紅梅公園11:30=栗山村記念公園11:35=自宅12:00

舟渡大橋から荒川土手を笹目橋へ

 我が家から直接歩く先を探した。密を避けて、なるべく交通機関利用も控えたい。そんな都合の良いコースはなかなか見付からないが、無理やり設けた。三田線高島平駅先の緑道を新河岸川へ出て舟渡大橋を渡り、荒川土手へ歩き、堤上を遡り笹目橋へ行って、新高島平駅へ戻るコースにした。なるべく未踏ルートを歩こうと思う。最近、加齢の所為からか寒さに極端に弱くなり、天気予報を睨めっこし歩く日を決め、本日はその日である。

 我が家から前谷津川緑道へ 我が家から高島平駅へ向けスタート。駅を越し三田線高架下を抜け、緑道へ入る。昨年歩いた前谷津川緑道の最下流で、突き当りが新河岸川。意外に広い緑道で、下流を示している。私は初めて歩く小径。板橋清掃工場で右折し新河岸川右岸を下る。高い煙突があり、清掃工場の存在は知っていたが見るのは初めて。大きな建物である。昨年の花見時は左岸を下った。
 西台橋を過ぎ、アーチ型舟渡大橋が見え始めた。袂で歩行者用階段を上がり大橋(写真上)を渡る。橋下は遊水池で川幅は広がり、淀んでいる。渡った先は、小さな水辺公園で、本日も母子連れなどが見える。
 舟渡大橋から荒川土手 私は、荒川土手へ向け直進し、交差点で左折して霊園へ寄る予定。こちら側からは初めてで少し距離があった。猫ぽんちゃんと家内の墓前で線香を上げる。花が新しい。私は昨年10月の命日以来だが、長男達が来たのだろう。霊園裏から荒川土手へ上がり、堤上を上流へ向かう。堤下は工場地帯で、中小の印刷会社が多いようだ。遠戚の方が、定年後こちらの会社の役員として勤められて、1、2度お会いし高島平駅前で、グラスを交わしたことがあった。もう5年も前のことと思う。その先には東京都の下水処理場の施設や建物が連なっている。

 笹目橋先でUターン 本日天候良く無風状態で、天気予報通り。寒さは感じない。荒川は広く、流れは見えない。河川敷には野球場やサッカー場があるが、平日で人影は見えない。前方の笹目橋は長い(写真下)。期待した奥武蔵や日光方面の山並みは遙か先か。
 順調に歩き続け、笹目橋の下を過ぎ、埼玉県へ。新河岸川に架かる落合橋で戻る予定だが、手前に通行止めの柵があった。昨春、白子川を下った時も工事中で通行禁止であった。あれから半年程過ぎたがまだ続いていて、Uターン。笹目橋下から堤下へ降りて、集落内の早瀬の渡し水神宮に参拝。水神様は往時の荒川の渡川地の記念碑らしい。早瀬橋で新河岸川を渡り、三田線新高島平駅高架下から我が家は直ぐである。今回は、自前の徒歩コースを2時間強で歩き通し、昼前に帰宅出来た。グッドである。(2021/1/29K.K.1371/1400)

◇日時 2021/01/13 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 10km 14,000歩 ◇資料 板橋区くらしと観光課「観光いたばしガイドマップ」「通過時間等」自宅9:30=前谷津川緑道9:45=板橋区清掃工場9:55=舟渡大橋10:10=高島平霊園10:20=荒川土手10:30=笹目橋11:05=早瀬の渡し水天宮11:25=自宅11:45

初詣に板橋の三田線沿線社寺を訪ね歩く

 2021年を迎えたが、初詣でも遠出は出来ない。板橋区のマップから神社をマークした。昨年は脱巣ごもりハイクと称し区内を巡り歩き、多くの神社や寺院に出会った。そこを中心に、地下鉄三田線で移動しながら、年頭のお参りをしようと思う。

 初詣は四ツ又馬頭観音から 三田線を板橋区役所前駅に降りた。最初は四ツ又馬頭観音で、この観音様は三度目だが、地図が不正確で二度目で観音様を確かめ、お参りした。今回は真っすぐお堂へ進み、頭を垂れて手を合わせ、コロナの退散と孫達の成長等をお願いした。お堂の横に、由緒書きがあり江戸中期からあったとある。
 次の子易神社は、旧川越街道を渡り切り、坂を越した先で、再訪の神社だが、今回は表参道の正面石段から本殿へ。近くの園児達も居て、並んで参拝。江戸初期創建の社とある。社務所には巫女さんも見え、初詣が続いているよう。山手通りを区役所前へ出て、地下鉄で次の本蓮沼駅へ。
 蓮沼氷川神社、南蔵院 蓮沼の氷川神社は初めてで、地図が頼り。思ったより距離があり、中山道から横へ入った先左側にあった。本殿前で参拝。境内には神楽殿もある。関東の多くの神社には常設のようで、私の故郷とは違う。氏子達の豊かさの差だろうか。
 直ぐ隣が南蔵院(写真上)。真言宗の古刹であり、本堂から降りて境内を見回し、すだれ桜見物に訪ねたことを思い出した。30年も前だったと思う。山門前の中山道を志村坂上駅へ歩く。志村の一里塚を見上げ、地下鉄入口階段を降りた。
 城跡にある熊野神社 志村の熊野神社は数度訪ねている。志村城跡内で高台にあり、私は城跡巡りでも来ている。坂を上がり、本日は大回りし長い表参道から境内へと進む。こちらは参拝者がチラホラとある。参詣後、神社の裏手を一回り。樹林が覆い、武蔵野の面影ともあり、その間に空堀跡も窺える。都内では稀有な遺構だろう。

 高島通りの二社 志村三丁目駅へ戻り、次の蓮根駅に降りて、高島通りを稲荷神社へ向かう。こちらも昨年末知った社。蓮根へ氷川神社を移動した時、稲荷神社の隣にその遥拝所を併設したようだ。正面から境内へ進んだが、神社名は見当たらない。ネットでは正式な名称は稲荷氷川神社とある。両社に手を合わせた(写真下)。七社目は、西台駅近くの馬頭観音様。当社も昨年知った。高島通りを戻り到達。最後も同じ祈願をして孫の入試合格と、早いコロナ終息を願うばかりである。(2021/1/24K.K.1370/1400)

◇日時 2021/01/04 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 板橋区くらしと観光課8「観光いたばしガイドマップ」「通過時間等」自宅10:15-板橋区役所前駅10:30=四ツ又馬頭観音10:35=子易神社10:40=板橋区役所前駅10:55-本蓮沼駅11:00=氷川神社、南蔵院11:10=志村坂上駅11:40-志村三丁目駅11:45=熊野神社11:55=志村三丁目駅12:08-蓮根駅12:15=稲荷氷川神社12:25=馬頭観音12:35=西台駅12:44-自宅12:55
 故郷の読者で歌人のS先生から届いた短歌です。“ポストまで280歩の雪の道 新雪なれば靴跡著(シル)し” “投函を終えし安堵の帰り道 行きの靴あと踏みつつ歩む” 雪国の御苦労が偲ばれます。先生は、94歳のご高齢です。

駒込から本郷へと御成街道を巡る

 年末の日曜日、巣鴨で昼食をした。本日天候も良く風もない。都心を歩こうとJR巣鴨駅から同駒込駅へ出て、現本郷通りを上り、東大前から三田線春日駅へ下ろうと思う。御成街道や岩槻街道とも呼ばれる。初めてではなく、2,3度ぶつ切り的に上下しているが、久しい。

 六義園は閉園中 巣鴨駅から駒込駅は近い。今回は、山手線内側を進む。結局山手線を高架で渡り、右折し駒込駅。駅前で大國神社へ挨拶し、広場では染井吉野桜発祥の里記念碑を眺め、本郷通りへ。
 直ぐ六義園で、庭園内を眺めながら通ろうと北口門前へ近づくと,正門へと貼り紙。一昔前旧同僚の女性達と夜桜見物しその後飲み会をした店が左側であったと思う。皆定年等でお宅へ引っ込み、この頃は再会も難しくなってしまった。距離のある正門へ回ったら、今年は閉園したとあり、残念。
 富士神社、天祖神社 次は富士神社へと本郷通りを渡り、不忍通りへ入るも神社が見当たらない。ウロウロしたが辿り着けず、地図を出すと通り一本先であった。ここの神社は、富士塚の上に社があり(写真上)、石段が急で私は昇ったが、高齢の夫婦連れは女坂へ回った。初夢の一富士、二鷹、三茄子とは駒込に由来したとある。近くに鷹匠屋敷があり、茄子は駒込名産であったという。私は、家康の好物を並べたと何処かで読んだと思う。
 次は奥の天祖神社で、病院の高いビルを目標に住宅街を右往左折。その途中に駒込の名主宅が遺り、都内では珍しく、カメラに収める。天祖神社に参拝。コロナ終息と孫二人の受験をお願いした。当社の建立は、文治5(1189)年源頼朝が奥州藤原氏征伐の途中、当地で見た夢に由来するとある。御成街道へ続く長い参道は、その名残であろうか。

 銀杏が美しい本郷通り 本郷通りを上り続ける。銀杏並木があり美しい(写真下)。ここのは未だ残っている。両側には寺も古刹が多く、寺町のよう。吉祥寺の門前へ至り、案内で榎本武揚の墓があると知り、境内へ入ったが、探せず戻った。榎本は子供の頃ラジオ放送で知り、興味を持った。また大通りを歩く。地下鉄南北線が通り、本駒込駅付近の筈だが通り越してしまったようだ。そろそろ本郷追分かなとキョロキョロしたがまだ先。東大農学部前が中山道との追分であった。僅か1年前訪ねたが周囲の景色は忘れていた。加齢の所為だろうか。
 本郷弥生で本郷通りと分かれ、春日へ坂を下る。本日唯一の未踏の通りだと思う。下ると菊坂下とあり、菊坂は樋口一葉旧居の地で、確か一葉が通った質屋の建物も坂途中にあったと思う。都営地下鉄の入口に出会い、私は三田線春日駅ホームへ向かった。(2021/01/17 K.K. 1369/1400)

◇日時 2020/12/27 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 10km 14,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図28,35」2004年4月
「通過時間等」自宅…JR巣鴨駅12:50=同駒込駅前13:05=六義園正門13:15=富士神社13:35=天祖神社13:50=吉祥寺14:10=本郷追分14:35=菊坂14:45=三田線春日駅14:54-自宅15:30

社寺を巡り歩いた板橋赤塚地区

 東武練馬駅前にパソコン消耗品の買い物があり、その復路に下赤塚駅へ歩こうと思う。赤塚地域は未訪で、地図からポイントになる社寺を巡り、その後松月院に寄り、高島平団地へ戻るコースはどうだろうか。東武練馬駅から下赤塚駅への距離は、予想の2㎞に反し、約半分の1㎞強と分かり、楽に歩ける。

 地図にない赤塚出世稲荷へ 駅前で買い物を済ませ、下赤塚駅へと歩き出したが、方向を失いそうになり東上線へ出て、線路沿いに歩く。同じ風景が続き、住宅街へ入ると小公園があり、徳丸公園か。本日天候良く園児達が遊んでいる。地下高速の上を渡ると下赤塚地区になり、バス通りへと出る。最初のポイントは出世稲荷だが、先日下赤塚行バス終点付近で探したが、探し損ねた。いわばリベンジで、この神社は板橋区発行の地図にはないが、埼玉県地図和光市隣の板橋赤塚には載っている(昭文社道路地図)。バス停手前に鳥居があり稲荷神社(写真上)。参拝し、神社名を見付けようとしたが、ない。境内では松の木の剪定作業中。ネット情報では、中田家個人所有の稲荷とあった。
 赤塚駅前商店街を行く 駅前大通りを渡り下赤塚駅北口へ。小さな駅改札口を久しぶりに眺め、地図で確かめて駅前商店街を行き、下赤塚小学校隣の篠塚稲荷を目指す。ここからは未訪の地で、板橋の地図が頼り。古い住宅街の小路になりクランク型に進むと、学校裏の大きな銀杏の先にお稲荷さんは鎮座していた。手を合わせ、uターン。また地図を眺め、八幡神社へ方向を採る。初めての地で道なりに進むと区の福祉施設があり、その前のメタセコイアが黄葉に染まり美しい。

 謙信が焼き討ちした大堂 福祉施設の先で右折しようとしたが思い直し、直進を続ける。自然に右方向へ導かれ、予定の八幡神社。隣が松月院大堂という古い阿弥陀堂。案内には、永禄4年(1561)3月長尾景虎(上杉謙信)が北条氏康を小田原に攻めた際に、堂宇ことごとく焼き討ちにあって消失したとある。その後再建されたのであろうが、現在では、松月院からは離れた地にある荒れたお堂。また詣でて、大通りへ出て坂を上がると、松月院前へ至り、ようやく現在地が分かったが、久しぶりの地。
 大古刹松月院 山門を潜り、大きく立派な本堂で古刹に相応しい。頭を垂れて、戦国前期、下総を追われて赤塚城主になった千葉自胤氏一族の墓前へ。そして、幕末の砲術家高島秋帆の大砲型記念碑を見る(写真下)。幕末に秋帆が、徳丸ケ原で砲術演習した時本陣を置いたのが当寺という。我が高島平はその名を戴いている。松月院は裏門もある、現在も大寺院。境内には幼稚園、保育園もあった。ここからは左へ行き東京大仏から赤塚城跡経由もあるが、距離的に近い諏訪神社方向へ足を進める。近道をして、赤塚土手の坂道を下り、高速下を過ぎると我が団地であった。(2021/01/11 K.K. 1368/1400)

◇日時 2020/12/21 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 9km 12,000歩 ◇資料 板橋区くらしと観光課8「観光いたばしガイドマップ」
「通過時間等」自宅9:35-高島平バス停9:44-東武練馬駅前店10:20=出世稲荷神社10:55=東武下赤塚駅北口11:05=篠原稲荷神社11:10=松月院大堂11:30=松月院11:40=自宅12:10

柳瀬川沿いに歩き埼玉志木へ

 今回は、板橋区から出ようと歩く先を巡らし、東武東上沿線にある志木を探し出したが、新河岸川付近の史跡等は、既に訪ねたのではと疑い手元のガイド誌で調べると、上流の富士見市の新河岸川付近で、志木は未訪と分かった。東上線柳瀬川駅から歩き、柳瀬川と新河岸川合流地いろは橋から志木駅へのコースにしようと思う。

 柳瀬川を下る 東上線柳瀬川駅に降りた。我が家からは近く、成増駅へ出て1時間以内にスタート出来た。直ぐ左手が柳瀬川で、右岸の堤上を行く。ここの風景は、先日狭山智光山公園を往復した時、東上線車窓からも眺めた。意外に広い河川で、この下流で新河岸川に注ぐ。少しでも風を避けようと河川敷内に下りて歩いた。富士見橋を過ぎると、向う岸に大きめの白い鳥が休んでいる。三羽目の鳥は灰色で、どうもアオサギらしい。ズームにしてシャッターを切った。流れの中に、石像らしき物があり、近づくとかっぱ像。流れ着いたのかなと思ったが、供え物がある(写真上)。後に志木にはかっぱ伝説があり、そのシンボル像の一つらしいと知った。高橋で左岸へ移って下り続け、合流地の栄橋へ着く。左手の志木市役所は工事中。

 いろは樋 合流地の新河岸川にはいろは橋が架かり、三角州は親水公園。いろは48には、歴史的意味があった。玉川上水を分水した野火止用水は、志木で新河岸川へ流れ落としていたが、対岸の地区でも灌漑用水が必要と樋を掛け、それが川越からの舟運を妨げず通すため高架とし、大小の樋48を繋ぎ通したという。空気抜き付きである。その模型が展示されていた(写真中)。その創意工夫は見事という外はないが、思ったより小さ目のもの。
 当地は、引又河岸が出来て発展し宿場となり、現在も街道沿いに古い屋敷や商店も遺る。親水公園には、村山快哉堂という薬屋店舗が移築され、1877(明治10)年築とある。公園にはかっぱの像モニュメントがあり、志木のかっぱ伝説を表していた。市内には24ものかっぱ像があるという。

 富士塚に出会う 志木駅へ出る途中の旧引又宿の中で、敷島神社と富士塚の案内を見付け、惹き込まれてしまった。少し住宅街へ入り私立高校の先の正面が神社。参拝し、隣の田子山富士塚に驚く。大きい(写真下)、小山である。最近訪ねた塚では最大級のもの。国指定民族文化財とある。しかし、本日は閉められ上がれない。カメラに収め、大通りへ戻り、駅へと向かう。水車跡があり、現在の志木市内の中心に、である。
 志木駅前は一変していた。若い頃、荒川河川敷ゴルフ場に来ては駅前居酒屋で反省会をしていた。ホテルや大型スーパーのビルが建ち、その中に駅舎は埋もれていて、なんとか辿り着いた。(2021/1/5K.K,1367/1400)

◇日時 2020/12/14 ◇天候 晴れ ◇交通費 400円 ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料 東武鉄道「東武沿線さんぽ154志木」平成18年6月、154頁 「通過時間等」自宅9:20-東上線成増駅9:55-同柳瀬駅10:15=丸橋10:35=栄橋10:55=いろは親水公園11:00=いろは橋11:10=敷島神社11:20=東上線志木駅11:52-同成増駅12:12-自宅12:40