都内日暮里から谷中霊園、そして不忍池へ

 購読紙を見て驚いた。私が歩こうとしていた谷中霊園近くの旧吉田屋酒店の古い写真が掲載されている(「懐かしの写真館 谷中霊園」24.3.20讀賣)。1910(明治43)年築木造二階建ての商店で、1986年撮影とある。その前に、“日暮里・谷中散策マップ”を入手していて、眺めていた。その中にも、旧吉田屋酒店があり、同店が含まれるコースにした。

 日暮里は山吹の里か 日曜日の昼過ぎJR日暮里駅から歩きだす。駅前広場に太田道灌の騎馬像があり、さらに山吹の枝を手にした少女の像(写真上)もあって、日暮里があの山吹の里伝説の地という。道灌は戦国前頃関東で活躍した武将で、確か出城址説のある道灌山公園が西日暮里にある。豊島の面影橋や埼玉越生にも山吹の里がある。山吹の里に纏わる“七重八重花は咲けども実の一つだになきぞ悲しき”の逸話は知られ、私にも思い出があり、高校時代国語の試験問題に出て、偶々落語で聴いてこの和歌を知り、正答したことがあった。

 “夕焼け小焼けの記念碑” 駅前からの通り日暮里繊維街を行く。初めての地で、第二日暮里小にある童謡“夕焼け小焼けの記念碑”を目指す。思ったより距離があり右手の校舎の道路側に見付かり(写真中)、カメラに収めた。作詞者中村雨紅の初任地が当校であったという。八王子上恩方の出身でそちらにも歌碑がある。陣馬山和田峠への途中である。
 日暮里南公園を経て、尾久橋通りを横断し、JR東北線等を高架で渡り、ご隠殿坂を上がると谷中霊園であった。このルートは未知で、立派な墓苑は渋沢栄一公のものある。上野公園方向に左折し、淨名院前で右折して言問い通りを下り続ける。

 旧吉田屋酒店 旧吉田屋酒店は中々現れない。大分歩いた右側にあった(写真下)。前掲写真とは違い現代的な店舗で、改装されたのであろう。期待した酒類は置いていない。現在は下町風俗資料館付属施設とある。店前では、操り人形の大道芸人が演じていた。
 上野公園へ戻り東照宮へも考えていたが、大分離れてしまった。折よくバスが来て、上野池之端迄乗車。不忍池傍に降り、西縁から弁天堂へ歩く。左手の上野の山には東照宮が見えた。先日船橋で東照宮を訪ね、同宮はそちこちにあると知り、少し興味が出た。弁天堂辺りは込み合い、出店も並んでいる。外国人も多くインバウンドも戻ったのであろうか。下町風俗資料館は工事中のようだ。
 公園を出て右折すると、都営大江戸線上野御徒町駅は近い。(2024/4/15 K.K.1552)

◇日時 2024/3/24 ◇天候 曇り ◇資料 「日暮里・谷中散策マップ」荒川区観光振興課他令和3年3月 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞
「通過時間等」 自宅11:15-日暮里駅12:35=夕焼け小焼け記念碑12:50=日暮里南公園13:00=隠殿坂13:15=旧吉田屋酒店13:35-池之端13:40=弁天堂13:50=大江戸線上野御徒町駅14:04-三田線春日駅14:11-自宅14:45