私が登った百の名山&低山=東北編=「お花畑と展望を満喫した会津駒ヶ岳」

 トドマツの林を抜け出るとお花畑の前方に緑に覆われた山が姿を現した。青天下に聳えるなだらかな山容は女性的な優雅さを感じさせ、我々を優しく迎えてくれているようだ。これが会津駒か、憧れの山を目前にして、それまでのジグサグの繰り返しの上りをいつもにない重いザックに喘ぎながら登り続けた辛さが一変に飛んでしまった。

 夜行バスで登山口へ 新宿発尾瀬沼山峠行の夜行バスで、福島県檜枝岐村滝沢の登山口に降ろして貰う。小屋泊まりだが食事がないため、自炊の夕食メニュー用に鉄板焼きなどの材料、道具の外、スイカ、ウィスキー、ビールなどを、大量を持ち上げることになった。参加者7人の内、若い山の経験者はシェルパ隊を組み 40kg に近いザックを背負い、さらにザックの上に荷物を紐で括り付けている。小生は朝食用ジュース、ハム、ウィンナー、つまみの干物類と自分の水を多めに持ち、15kg 程度はあろうか。
 5 時前に登り始める。林道から入った登山道は出だしから急坂。林道の路肩には多くの車が駐車してあり、登山者は明け方前から山に入っているのだろう。登山口の梯子を上がると本格的な登山道となり、多くの登山者が山頂を目指している。大半が中高年女性なのはいずこの山も同じだ。展望のない林の中を1時間程歩き休憩。  

 急登を繰り返す ブナの大木が目立つ林の中をゆっくりと上り、およそ中間点の水場に到着。水を利用してそうめんを茹で、冷やしたスイカがデザート。水場で、山頂までと翌日分の水 1.5リットル を自分用に汲む。流石に清水は冷たい。
 この辺りから急登が続きシェルパ隊は遅れがちとなり、小生はいつもの山歩きのようにせかせかと先を急ぐ。ようやく林がブナからトドマツに変わり灌木の丈が低くなると左手に燧ケ岳の双耳峰が見え始めた。ジグザグの道を過ぎ、林を抜けてお花畑となり、目の前に駒ヶ岳が姿を現した。お花畑で休憩中にシェルパ隊が追いつき、木道を通って駒の小屋到着。山頂は直ぐ先だ。

 山頂、そしてお花畑 小屋に荷物を預けて山頂を目指す。約20分で山頂 (2,133m) を極め、隊長の音頭で万歳三唱。雪渓を求めて山頂を下るとお花畑が中門岳へ一面と続く。黄色い花(コキンレイカ)が群落をなしている。ピンクの花はハクサンコザクラか。展望も抜群。南の燧の右に至仏山、左に日光連山、その間の山は日光白根だったようだ。西は平ケ岳、その奥には八海山などの越後の山々だ。北に霞んでいる山は磐梯山だろうか。あまりに見事な眺望にシャッターを切り続ける。
 夕食は豪華絢爛、鉄板焼き。本当にガスコンロと鉄板まで担ぎ上げたのだ。海老、イカ、ホタテ、野菜、アサリの酒蒸し、最後は山形牛で仕上げ。ビールは勿論、ワイン、清酒、ウィスキーと何でもあり。シェルパ隊が遅れ気味だったわけを知り、ただ感謝するのみ。山中の大宴会はアカネが舞う夕方に始まり、満天の星空を仰ぐまで続いた。

 尾根道を行く 翌朝4時に起床。小屋前でご来光を待ち、東の那須岳越しに真っ赤な太陽を見る。本日も昨日に続き快晴。朝食を取った後、7時過ぎ大津岐峠を目指して下山開始。燧ケ岳を正面に見る歩き易い尾根道を道側に咲く花をカメラに収めながらゆっくりと下る。池塘が多く、ワタスゲが目立つ。わずかに残っている花はシラネアオイと知る。2,000mの尾根では汗も出ず、快適なお花畑の散歩を楽しむ。峠からはブナ林の中の下りの道。途中の沢で休憩し、水を飲み、汗を拭く。思ったよりは楽に下り、ほぼ予定通りの時間にキリンテの登山口に下山した。

 桧枝岐に下山 檜枝岐に戻り、温泉で汗を流して疲れを癒し、名物そばを戴いた後、野岩鉄道会津高原駅に出て帰途に就いた。憧れの会津駒ヶ岳を踏破した。予想通り花の名山でお花畑を堪能し、展望にも恵まれた。今回の登山には不安もあった。夜行バス、久しぶりの高山、いつもより重いザック等。しかし無事下山し、夏山を満喫した。これも同行して戴いたメンバーのお陰である。山の自然の中で豪華な食事やゆったりとした休憩などを楽しむ登山もあることを教えて貰った。(99/8/1,2 23/100)

追記 本山は深田百名山であるが、何故か私の山歩き里歩き500紀行には掲載されなかった。それほど高山のイメージが残らなかったのであろうか。しかし、大勢の仲間と登山して、お花畑を堪能し、花の百名山の通りであった(田中澄江「新・花の百名山」105頁)。